文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信 No.120

公開日: 

日本大学芸術学部文芸学科     2009年(平成21年)1月26日発行
文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.120
BUNGEIKENKYU Ⅱ SHIMOHARAZEMI TSUSHIN
                              編集発行人 下原敏彦
                              
2008後期9/22 9/29 10/6 10/20 10/27 11/10 11/17 12/1 12/8 
12/15 1/19 1/26 
  
2008年、読書と創作の旅
1・26下原ゼミ
1月26日(月)の下原ゼミは、下記の要領で行います。文ゼミ教室2
 1.「2008年、読書と創作の旅」を終えて
 2.名作読み『最後の授業』、『にんじん』「自分の考え」
    
 3. お別れ会「小倉百人一首」
     
 
この一年、楽しい旅ができました。ありがとうございました !
「2008年、読書と創作の旅」を終えて
    
 昨春、16名の皆さんと出発した旅路。早いもので、今日が最後となりました。まさに光陰矢のごとし。月日の流れの速さに驚くばかりです。なによりも一人の落伍者もなく、16名全員が、この日を迎えることができたことに感謝します。
「読書と創作」で人間の謎に迫りたい。それによって書くことと読むことを習慣化する。それが、この旅の目的でした。いま旅を終え、去来する様々な思いがあると思います。退屈な旅だった。よくわからなかった。そんな悔いにかられる人もいるかもしれません。が、私個人の感想は、本当にあっという間の一年間でした。時は、楽しいほど短いといわれます。いまはこの言葉が真実であることを、願って止みません。
 2008年の車窓は、食品偽装、四川省大地震、北京五輪、米国黒人大統領誕生、百年に一度の大不況、などなど様々な光景がありました。
 人間の謎、宇宙の謎を文学のなかで追い続けたSF作家アーサー・C・クラークが亡くなったのも今年でした。なぜ、この宇宙はあるのか。この銀河の中心には何があるのか。そして、人間はなぜいるのか。想像と空想を駆使しても、なお届かぬはるかな謎です。が、「車中観察」は、その謎解明の一歩です。目の前の空間は、過去にも未来にも通じています。何千光年の宇宙にも。これからも観察することで真理を探究していってください。
それでは、みなさん体に気をつけて、更なる成長を
  (土壌館・館主)


文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.120―――――――― 2 ――――――――――――――
車窓雑記
人間の謎は尽きない
 
 「人間は謎です。謎は解かねばなりません」ドストエフスキーは、17歳のとき決心した。そして、謎解きの旅に出発した。『貧しき人々』から『カラマーゾフの兄弟』までの膨大な作品群の数々。謎は、すべて解けただろうか。否、人間の謎は尽きない。あとからあとから雲霞のごとくわきあがってくる。最近のニュースに、そのいくつかを拾ってみた。
【我が子殺害の謎】例えば、後期テキストにルナールの『にんじん』をとりあげ観察した。母親は、なぜにんじんにだけに厳しくあたるのか。原因を想像すると①夫への不満のはけ口。②反抗的な末っ子を躾けるため。③たんに憎いだけ。だが、解けぬ謎だった。毎日の新聞記事のなかにも、その謎は溢れている。
秋田連続児童殺人事件、容疑者の謎
 1月20日の新聞に「殺傷なぜ悪い 理由わからぬ」こんな見出しがあった。一昨年秋田で起きた連続児童殺害事件の犯人についての記事だった。現在、控訴中の容疑者畠山鈴香被告(35)が、関係の臨床心理士に「人を殺傷する事はなぜ悪いのか」などと書いた手紙を送っていたという記事である。被告は、小学生の娘と近所の男の子を殺害した罪で裁判にかけられている。が、罪を反省する気持はまったくないようだ。なぜか。その謎は深い。
次女・三女・四女殺害五女殺害未遂の母親の謎
 1月15日の新聞にあった事件も、より謎に満ちている。「四女殺害容疑 母再逮捕 次女・三女にも混入認める」。この事件は、五人の女の子を持つ母親(35)が、娘を入院先の病院で次々三人も殺害したという疑いである。新聞は、発覚時の様子をこのように報じている。
 〈読売記事・抜粋〉京都大病院に入院中の五女(1)の点滴に腐敗水を混入したとして母親が逮捕された。が、この事件で、京都・岐阜県警は、2001年と2004年に岐阜大で死亡した次女、三女殺害の容疑で逮捕した。それによると入院していた娘の個室で、点滴回路に数回、注射器で病室の水道水を混入し、娘たちを死に至らしめた。
 なぜ、母親は、可愛いさかりの娘たちを殺したのか。憎かったのか。夫の証言は、「妻は人一倍娘たちを可愛がっていた。とても信じられない」だった。妻は「わが子の看病に長い時間を費やし、岐阜から横浜、京都まで名医を頼って駆け回っていた」という。
 この謎をどう解くか。ドストエフスキーは、ルーレットギャンブルをやめられずに苦しんだ。過食・拒食もそうだ。わかっちゃいるけど止められぬ、である。ブランド好きな女性が、破滅するまでブランド店通いをする。なぜか。店員にいい客と思われる。その気持を得たいから。それが、真の理由だという。娘を三人も殺害した母親は、看病するいい母親とみられたい。皆から同情されたい。ただその一点でわが子に手をかけた。精神医学的には、「代理ミュンヒハウゼン症候群」という名の嗜癖らしい。が、見破るのは至難の業といえる。京大病院では隠しカメラを設置して証拠をとらえた。むろん憎むべき犯罪、大重罪だが、嗜癖の恐ろしさは、自分の意志だけでは止められないところにある。防ぐのは、誰か、一番身近にいる人が、気がつき対処する他ないのだ。その点で、この事件の一番の責任は、厳しいようだがいまもって「妻は、子煩悩だった。だから子供を五人も生んだ」とコメントしている能天気な夫にある。「にんじん」の家庭の悲劇。だれが一番悪いのか。母親の夫人以上に、責任を問われるのは、父親のルピック氏である。父親が、しっかりと家族観察していれば、にんじんの悲劇は最小限に止められたはず、観察することの大切さを知っていれば、悪魔の正体を見抜くことができる。
   (編集室)
――――――――――――――――― 3 ―――――――文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.120
2008年、読書と創作の旅
後期「2008年、読書と創作の旅」
1月26日ゼミ・プログラム
最後の授業となります
                 
1. 「2008年、読書と創作の旅」を終えて
   旅を振り返っての感想
   
2.名作読み 、最後の読みとなります
アルフォス・ドーデー(1840-1897)『最後の授業』について
 
 1870年9月4日、フランスはドイツ統一プロイセンの首相ビスマルクに敗れた。ナポレオン3世はセダン城で降伏した。国境のアルザス地域は、プロイセンに併合されることに。日本もかつて同じようなことをした。で、現在、靖国問題となって尾を引いている。
 普仏戦争の結果、フランスが負けてアルザス地方の村はプロシアの兵隊であふれた。併合がはじまったのだ。が、この国家の危機も子供たちにはわからない。しかし、学校へ行って、はじめて少年は実感する。なんと国語だったフランス語が、明日からはドイツ語になるというのだ。少年は、フランス語の「最後の授業」を受ける。
 普仏戦争とは何か、HPで検索すると、下記のように記してある。
普仏戦争1870年~1871年
プロイセンとフランス間で行なわれた戦争。スペイン国王選出問題をめぐる両国間の紛争を契機として開戦。プロイセン側が圧倒的に優勢でナポレオン3世はセダンで包囲され、1870年9月2日同地で降伏、退位。パリでは共和制の国防政府が樹立され抗戦を続けたが、1871年パリを開城して敗戦。フランスはフランクフルト条約でアルザス・ロレーヌ(アルザス・ロレーヌ地方)の大部分を割譲、賠償金50億フランを支払った。戦争終結直前の1871年1月8日、プロイセン王・ヴィルヘルム1世がベルサイユ宮殿でドイツ皇帝に即位し、ドイツ統一が達成された。
プロイセン・フランス戦争、独仏戦争とも。
 「最後の授業」は、ドーデーが1873年に出した短編集『月曜物語』のなかの一編。パリの新聞に掲載(1871-1873)されたなかの一つ。敗戦国の悲哀と愛国心を描いた名作。
普仏戦争とモーパッサン
 戦争は、いつの時代でも悲惨で忌むべき出来事である。が、不幸な中に幸いを見つけるとすれば、この戦争を材料にした、多くの名作が生まれたことである。短篇の名手ギ・ド・モーパッサン(1850-1893)もそうした作品を書いた一人である。
 1870年7月14日プロシャとフランスは領土拡張の衝突から戦端を開いた。当時20歳だったモーパッサンは招集され、つぶさに戦争を観察した。そして、後年、数々の短篇を書いた。いずれも名作である。いまも世界文学においてモーパッサンの右に出る短篇作家はいない。モーパッサンの出世作『脂肪の塊』は、あまりにも有名だが、このときの戦争体験であ
る。「二人の友」の他、「母親」「狂女」「フィフィ嬢」なども傑作である。
話題 朝日新聞2009・1・18 若き安倍公房自作売り込み 埴谷雄高あて書簡発見
 
 17回忌を22日に迎える作家、安倍公房(1924-93)の文壇デビューのころの書簡が見つかった。作家の埴谷雄高(1909-97)に、自作を売り込んだり、もらった靴の礼を述べている。
 貧乏生活先輩作家に支えられ  神奈川近代文学館蔵
文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.120 ――――――――4 ――――――――――――――――
余談        ドーデーとシーボルト、そして日本
 アルフォンス・ドーデー(Alphonse Daudet 1840-1897)この作家を知らなくても、シーボルトの名は、たいていの日本人は知っている。1823年、オランダ商館の医員として長崎に着任。日本の動植物・地理・歴史・言語を研究。鳴滝塾を開いて高野長英らに医術を教授。1828年帰国、59年再来航、62年に帰国。日本の医学、開国に大いに貢献したドイツ人。著書に『日本』『日本動物誌』『日本植物誌』などがある。(1796-1866)
 1866年の春、ドーデーはシーボルトと知り合った。作家の言葉を借りれば「私たちはすぐに大の仲良しとなった」。場所は、パリ、テュイルリー宮。オランダ国勤務のバヴァリヤのシーボルト大佐は、ナポレオン三世に不思議国ジャポン開拓の国際的協会創立計画の嘆願に訪れていた。若い作家は、著名な冒険家の話を喜んで聞いた。気に入ってシーボルトは、16世紀の日本の悲劇「盲目の皇帝」の校閲を頼んだ。が、ドイツに戦争が起きて頓挫。若い作家は、あきらめずにミュンヘンに追った。「・・・そりゃあ君すばらしいぜ」大佐はその晩ばかに元気だった。が、翌朝、自宅に行くと彼は亡くなっていた。72歳だった。「盲目の皇帝」は題だけで終わった。
 ドーテーが観察したシーボルト大佐「72歳というのにかくしゃくたるこの背の高い老人の顔かたち、白く長いひげ、引きずるような長い外套、あらゆる科学会の色とりどりのリボンで飾られたぼたん穴、気の弱さとずうずうしさとを同時に示す外国人らしい様子が、彼が入ってくるたびにいつも人々を振り返らせるのだ。」
シーボルトと日本
 シーボルトが日本医学に与えた功績は大きい。が、帰国船が台風の被害を受けたことから、思わぬ大事件になった。事件を「歴史新聞」は以下のように報じている。
積み荷から禁制品
シーボルトスパイ容疑で事情聴取へ
 1828年8月10日、来月オランダに帰国予定だったドイツ人医師フォン・シーボルトの荷物から、幕府が海外への持ち出しを禁止している日本地図など数点が発見され、シーボルトは長崎奉行から取り調べを受けることになった。シーボルトは蘭学の普及などに尽力していたが、今回の調査の結果いかんではスパイ容疑で国外追放などの厳しい処分もあるとみられる。(「歴史新聞」)
3.お別れ会 小倉百人一首遊び 記憶力と、早いもの勝ち いくつ拾えるかな
 
一月の歌
静と動を見事に詠む
もののふの 矢並(やなみ)つくろう小手の上に 霰たばしる 那須の篠原
鎌倉右大臣實朝郷家集 岩波文庫『金槐和歌集』斉藤茂吉校訂 1972年7月20日発行
 凛とした寒さが張りつめる雪原の那須の野。時が静止したような静寂があたりをおしつつんでいる。時折り、霰がたばしるなか武士が一人黙々と矢並をつくろっている。
 実朝は12歳のとき、兄頼家の後を継いで鎌倉三代の将軍になる。が、1219年28歳で北条の手によって暗殺される。母親に裏切られた薄幸な生涯だった。
―――――――――――――――――― 5 ――――― 文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.120
土壌館ニュース(1・19ゼミ報告)
後期航路11日目
出席者(敬称・順番略)
 
阪本義明、 大野菜摘、 川端里佳、 長沼知子、 飯島優季、、 小黒貴之
瀧澤亮佑、 秋山有香、 橋本祥大、 臼杵友之、 田山千夏子 刀祢平知也
神田泰佑、 本名友子、  
司会進行は、秋山有香さん
1.ゼミ雑誌『ドレミファそらシド』に関する感想
 編集委員 = 皆の協力で締め切りに間に合いました。感謝します。
 ゼミ員  = トラブルなくできたことがよかったと思います。
2.正月休みの過ごし方
 「熱で寝込む」「ほとんどバイト」「帰省でのんびり」「飲み明かしていた」「単身赴任先の
  父親を訪ねた」などなどでした。この時代のせいか、海外旅行は誰もいなかった。
 ちなみに土壌館は、暮れから錦帯橋の岩国に帰省。義父母と過ごす。元旦早々の電話は千葉にいる義兄の訃報。葬儀は松明けとのこと。三が日はテレビで箱根駅伝で見ながら日大を応援。今年も残念。4日に帰京。通夜と葬儀と。土壌館道場は鏡開き。
3.ゼミ誌作品の合評
以下14作品を合評しました。(欠席者2名のため)
・「空模様、気のまま」川端里佳 
・「二度目の秋は君の後ろで」大野菜摘 
・「我輩は金魚である」刀祢平知也 
・「夢は夜ひらく」瀧澤亮佑
・「旅人」神田泰佑 未
・「無題」野島 龍 未
・「青の瞬き」本名友子
・「空に詠えば」秋山有香
・「白と赤と青の書物」大谷理恵
・「再会」阪本義明
・「この青い空の下で。あの青い空の上で」飯島優季 
・「空っぽでした」長沼知子
・「一夜の楽園」橋本祥大
・「ゆらゆらと」「彼女」田山千夏子
・「空言」臼杵友之
・「宙をくりぬく」小黒貴之
自作の感想 → 満足度50%が多かった。まだ、努力、推敲の余地があるようです。
全員の感想 → 全作品を読みきっている人がすくなかった。
文芸研究Ⅱ下原ゼミNo・120―――――――― 6――――――――――――――――
 
未発表・提出原稿 サキ(1870-1916 第一次世界大戦で戦死)「ある死刑囚の告白」
 「ある死刑囚の告白」は荒唐無稽な小品ですが、得てして冤罪というものは、こんな単純なことから起きるのかも知れません。あなたが死刑囚だったら、どのように説明しますか
冤罪を証明する(事件の真相をわかりやすく)
長沼知子
 私は被告の救世軍将校Aではなく、被害者とされている人物本人です。私の犯した罪は死体遺棄と将校Aになりすました詐欺罪の二つです。
 私は○月○日の晩、○という医者の自宅を訪れました。その医師の妻、▽を一方的に愛しており、その思いを打ち明けるために夫の留守を見計らって向かったのです。私は、彼女に「---」と告白したところ、彼女に「二度と自分の生活の中に入りこまないで欲しい」と拒絶されました。その時の部屋の様子や彼女の様を説明し、確かめてもらえばすぐにわかることです。将校Aがなぜそんなことを口にできましょうか。これが何より私が被害者○本人である証拠です。
 私はごくごく普通の教育を受けた特殊なところのない世間並みの人間です。身元を証明できる特殊性はありません。しかし、それでも○という男が生きてきた人生、すべてをお話しすることができます。もちろん将校Aの歩んだ人生など少しも知りません。彼は死んだのです。私は○なのです。この事件自体、冤罪なのです。
川端里佳
 私は医者の妻に想いを告げるため、医者が留守の時を見計らって、細君を訪ねた。そこで、断られたため家をあとにすると死体を発見した。自分の存在を消すチャンスだと思い、死体と服を交換した。すると、犯人は死体になっていた。将校、つまり今の私ということになった。(取り調べで)いつも分かることが興奮によってわからず、自分が将校であることを決定づける結果になってしまった。
 医者の妻に告白を断られたことをしっているのは、妻と私だけである。それが、私が私であるということの証明です。
話題
 先般、本通信に自衛隊元幕僚長のことを書いたが、本屋をのぞくとこの人物に関係した出版物が、勇ましく平積みされていた。「日本は悪くない、侵略したのではない」第二次大戦についてこんな論文を応募して一等賞になったことで話題になった。7千万円の退職金をもらって自衛隊を退職したこの人物、テレビで何度かみかけた。「わたしはいい人です」を強調していた。日本の政治家のだらしなさも手伝って、この人物、巷ではかなり評価されているようだ。本も、何万冊のベストセラーらしい。新聞の広告でみかけた。
 しかし、この人物の評判を聞いたり見たりすると、どうしても志賀直哉の「銅像」という雑文を思い出してしまう。昭和21年、終戦の日本の感想だが、明治・大正・昭和の車窓をしっかり観察してきた作家の真実がある。が、多くの偽識者から批判された。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 さて、わが国でも百年、2百年たち国民が喉元の熱さを忘れたとき、どんな歴史家が異をたてて、東条英機を不世出の英雄に祭上げないとは限らぬ。・・・西はインド、南は豪州まで攻め寄せた戦争を、その結果を忘れて、自慢の種にするときが来ないとはいえない気がする。・・・・・・・・。昭和21年「銅像」
 「日本は、正しい」百年、2百年どころか、たった64年が過ぎただけである。
―――――――――――――――――― 7 ――――― 文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.120
「2008年、読書と創作の旅」の軌跡・前期
□4月14日 参加者約20名。旅説明と嘉納治五郎の青年訓「多読と精読」読み。
□4月21日 司会=小黒、登録11名出席。旅立ちに際して紀行文と書簡の読み。『おくの
      ほそ道』「発端」「旅立ち」。ドストエフスキーが国家反逆罪の罪でシベリアに
      向う朝、兄に書いた手紙を読む。志賀直哉の車中作品についての説明。
□4月28日 司会=田山、15名出席、名作紹介・サローヤン『空中ブランコに乗った大胆
      な青年』読みと感想と解説。議論・新聞「人生案内」愛の告白について〈私な
      らこう答える〉、登録者16名に。
□5月12日 司会=本名、13名出席、ゼミ正副班長指名、ゼミ誌編集委員決め。新聞記事
      紹介。「小林多喜二『蟹工船』」と志賀直哉の関係。紙芝居『少年王者』の作者
      山川惣治の本が刊行される。東京新聞取材の「読書会」紹介。
     【車内観察】・本名友子「台風一過」・瀧澤亮佑「タイムスリップ」・秋山有香
      「新入生」・川端里佳「ランデブーは車内で」・大野菜摘「園児とサラリーマン」 
      【生き物観察】1本・小黒貴之「スカーフ猫は喉を鳴らさない」
□5月19日 司会=飯島、12名参加、新聞記事紹介=「『蟹工船』再記事について」「五月
      病記事について」「候補漢字220字について」など。提出原稿1本の読み。
      【一日観察】・野島 龍「夜明けからの一日」
      【テキスト読み】・『菜の花と小娘』 ・草稿『小説 網走まで』
□5月26日 司会=川端、12名参加、小黒班長=ゼミ合宿の有無。合宿なしで決定。
      名作読みA・ランボー「谷間に眠るもの」、車内観察テキスト見本「夫婦」
      完成作『網走まで』感想
□6月2日 司会=秋山、14名参加 『少年王者』と『灰色の月』の関係。
      【車内観察】1本・長沼知子「立ち聞き」
      【一日を記憶する】1本・秋山有香「一日の出来事」
      【コラム】・瀧澤亮佑「池波正太郎『散歩のとき何か食べたくなって』を読む」
      【少年王者】紙芝居口演・14名全員が口演。約1時間。三分の二カットまで
□6月9日 司会=瀧澤、13名参加、編集委員=ゼミ誌報告、印刷会社決定など
      【車内観察】1本 ・刀祢平知也「僕の中央線」
      テキスト読み『或る朝』、車中観察関連作品夏目漱石の『三四郎』上京まで
□6月16日 司会=阪本、15名参加、川端編集長より提案、題「空」内定、表紙デザイン
       協力者希望者は来週ゼミで。
      【一日の記憶】1本・長沼知子「300円以下の時間」
      【車内観察】1本・小黒貴之「広告という名の電車」
      テキスト読みと感想『正義派』、『出来事』
□6月23日 司会=野島、11名参加。ゼミ誌報告、表紙デザイン担当は小黒。
      【生き物観察】1本・臼杵友之「溺れる蝶」
      【社会観察・一日の記憶】1本・阪本義明「サークル活動とは何か」
      【車内観察】1本・大谷理恵「スキンヘッドの視線」
       議論・人生案内「母親が大学2年の息子の相談」私の答え
      『ひがんさの山』【生き物】【一日】【狩り】【部落の大人】観察を物語にした。
□6月30日 司会=橋本、12名参加。ゼミ誌報告、表紙田山、協力。題名は橋本にメール。
      【生き物観察】1本・飯島優季「変わらぬ風景」
      【車中観察】1本・瀧澤亮佑「電車の中の『蹴りたい背中』」
      【テキスト読み】『城の崎にて』全員で
      【議論】「単純な、しかし、厄介な事件」継娘殺人未遂事件裁判。
□7月14日 司会=臼杵、参加者13名、ゼミ誌『ドレミファそらシド』決定「少年王者」
文芸研究Ⅱ下原ゼミNo・120―――――――― 8――――――――――――――――
「2008年、読書と創作の旅」の軌跡・後期
□ 9月22日 司会=大野、参加者14名、ゼミ誌作成予定報告、夏休みの感想、
       テキスト『ハンの犯罪』読み、名作・詩編「沈む日」
□ 9月29日 司会=大谷、参加者11名、ゼミ合宿説明、名作『殺し屋』、議論「選挙と
       世襲について」、配布・課題「尾道幼女誘拐事件」擬似公判。
□10月6日 司会=刀祢平、参加者15名、名作『にんじん』「めんどり」「しゃこ」「犬」
       「いやな夢」、「尾道幼女誘拐事件」裁判は有罪。
□10月20日 司会=神田、参加14名、ゼミ誌様式決め、観察原稿読み・小黒「父よ母よ
       ケロヨンよ」課題「太陽が暑かった殺人事件」カミュ。宣教師『古事記』。
□10月27日 司会=小黒、参加15名、「尾道幼女誘拐事件」擬似裁判結審、テキスト『灰
       色の月』『にんじん』「尿瓶」「うさぎ」「鶴嘴」「もぐら」。詩編「秋の歌」
□11月10日 司会=川端、参加16名、議論「振り込み詐欺について」、テキスト『灰色
       の月』感想、『異邦人』「太陽のせい殺人事件」擬似裁判。詩編翻訳比較。 
□11月17日 司会=飯島、参加13名、「ナイフ投げ奇術師美人妻殺人疑惑事件」擬似裁
       判、詩編・翻訳比較「忘れた小曲」、紙芝居「赤ゴリラ」編。
□12月1日 司会=長沼、参加13名、ゼミ誌原稿校正、名作『シュリーマンの日本』
      授業評価アンケート。課題・メリメ「コルシカ愛息射殺事件」。
□12月8日 司会=橋本、参加12名、詩編・翻訳比較「屋根の向こうに」、新聞「高層マ
      ンション15階投げ落とし殺人事件」、合同ゼミ発表稽古。詩編「ミラボー橋」
□12月15日 合同発表、参加11名、「ナイフ投げ奇術師美人妻殺人疑惑事件」、出演者・
       裁判長=橋本、被告=瀧澤、語り手=川端、証人=阪本・臼杵、裁判員=
       秋山・本名・田山・小黒・大野・阪本・長沼 ゼミ誌刊行。 
□ 1月19日 司会=秋山、参加14名、ゼミ誌合評会。
       車内観察・川端「イニシアチブの行方」
□ 1月26日 お別れ会、ドーテ『最後の授業』、小倉百人一首拾い 
 後期は、今年五月から開始される裁判員制度に関連して名作のなかにある事件ものに注目してみました。取り上げた裁判ものは以下の通りです。
■ 志賀直哉『子を盗む』→「尾道幼女誘拐事件」
■ 志賀直哉『ハンの犯罪』→「ナイフ投げ奇術師美人妻殺人疑惑事件」
■ カミュ『異邦人』→「太陽のせい殺人事件」
■ ドストエフスキー『罪と罰』→「金貸し老婆姉妹強盗殺人事件」
■ メリメ『マテオ・ファルコネ』→「コルシカ愛息射殺事件」
■ サキ『ある死刑囚の告白』→「冤罪の証明」裁判陳述
                              
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編集室便り
☆ 原稿、歓迎します。学校で直接手渡すか、下記の郵便住所かメール先に送ってください。
 「下原ゼミ通信」編集室宛
  住所〒274-0825 船橋市前原西6-1-12-816 下原方
  メール: TEL・FAX:047-475-1582  toshihiko@shimohara.net
☆ 本通信はHP「土壌館創作道場」に掲載されています。
いつか会える日を楽しみにしています。さらば2008年の旅 !

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