文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信 No.125

公開日: 

日本大学芸術学部文芸学科     2009年(平成21年)5月25日発行
文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.125
BUNGEIKENKYU Ⅱ SHIMOHARAZEMI TSUSHIN
                              編集発行人 下原敏彦
                              
2009前期4/20 4/27 5/11 5/18 5/25 6/8 6/15 6/22 6/29 7/6 7/13  
  
2009年、読書と創作の旅
5・25下原ゼミ
5月25日(月)の下原ゼミは、下記の要領で行います。文ゼミ教室2
 1.出欠・ゼミ通信配布 国語問題答え合わせ
 
 2.司会進行指名(司会担当者は3頁のプログラムに沿って進めてください)
 3. 5/18ゼミ観察としてテキスト、名作について
 4. 課題・車内観察作品発表&感想・評
 
 5. 社会観察 (人生案内から)
      
12歳作家の小説作法
 20日朝、NHKテレビの「おはよう日本」を見ていたら特集で12歳の作家誕生というのがあった。小学生が小説を書く。近ごろ静かな流行なのだそうだ。番組は、出版社の小学館が、つくった「子供新人賞」で大賞を受賞した子供作家の紹介だった。たしか三船恭太郎君と、云ったか、12歳になる少年だった。落ち着いた雰囲気で早くも大家の様がある。インタビューしたアナウンサーに言わせると、ふつうの会話は小学生らしいが、文学の話になると違うと言っていた。どんなふうに違うのか。ちゃんとした小説作法を持っているのだという。書店に、自分の顔写真が載った新刊がずらっと並ぶ気持を聞かれて、素直に「うれしい」と答えていた。なかなかである。彼の小説作法とは、どんなものか。一に、観察、二につづける、と答えていた。大賞をとった作品も、日々、観察したものをまとめあげたものらしい。学校で育てたへちまを観察しながら、転校していった好きな女の子を思う作品らしい。
 もっとも一口に観察するといっても漠然としていて雲をつかむようだ。ゼミでも習慣化を目標に掲げ、課題をだしているが、身につく観察は、容易なようで容易ではない。たかが観察、されど観察である。何事も一朝一夕でできるものではないのだ。彼の場合、川柳教室に通っていて、そこで観察力をつけているという。「体重計乗るたびに母の機嫌は揺れ動く」だったか、こんな句が紹介されていた。才能だけでは小説は書けないことを知っている。
 土壌館でも、塾に行く小学生が多くなった。塾といえば、英語かそろばんと思っていた。それが、このあいだ、気なしに「何の塾なんだ」と聞いてみた。そしたら「作文教室」と答えたので驚いた。作文の書き方を習うために月謝を払って塾に行く。なかなか理解しにくい。が、いまどき本流だそうだ。国立の付属小学校の授業風景が紹介された。先生がお題をだし、3分以内に、それについて書く授業をやっていた。効果はあるらしい。この日は「冷蔵庫」だったが、すぐに手をあげる子がいた。「この消しコムからだって話がつくれます」と出版社を日参したチェーホフが見たら驚くに違いない。


文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.125 ―――――――― 2 ―――――――――――――
 
2009年読書と創作の旅
「ゼミ2号」乗員名簿
 
 「2009年、読書と創作の旅」に参加するのは総勢6名の皆さんです。時空船「ゼミ2号」で、「人間の秘密」を知るために、読むこと書くことの習慣化を目指します。旅の終わりにどのくらい観察力、執筆力、批評力が身についているでしょうか。
・清水理絵さん  ・白川達矢さん  ・塩崎真佑さん  ・河西杏子さん
・内田すみれさん ・永井志穂さん
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「2009年、読書と創作の旅」における役割り
 この旅は、1年間という長い旅です。少数精鋭ですが、この旅をより楽しく有意義なものにするために役割りをお願いしました。推薦、指名、じゃんけんでしたが皆さん快諾。
 どんなに小さな問題も自分だけで抱え込まないで皆で話し合って解決しましょう。自他共栄、精力善用の精神を忘れずに。
「2009年、読書と創作の旅」班長・白川達矢さん
 
※少人数でも、まとめ役のひとは必要です。急なお知らせや課外活動などに当ります。
ゼミ誌作成編集委員
 この旅の目に見える最大の成果は、ゼミ誌作成です。印刷会社との交渉もありますが、全員で協力し合って記念になるゼミ誌を作りましょう。
・ゼミ雑誌作成編集長 = 河西杏子さん
・     副編集長 = 清水理絵さん
・     編集委員 = 塩崎真佑さん 内田すみれさん 
             永井志穂さん 白川達矢さん
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嘉納治五郎「青年訓」 第12 観察
 昔英国のベーコンは世人が典籍(書物)を加重し、何事も書物にのみたよって目の前にある物体や現象の知識を得るにもなお一々書物を媒介とするのを見てこれを警(いしま)め、むしろ手近にある自然界からして直接に知識を得、活ける書物そのものについて観察をなすべきを勧告した。これはまことに無当時の弊習(悪いしきたり)に適中したものであって、ベーコン(1561-1626)がこのように唱え、また卓識の士が陸続(ひっきりなしにつづくさま)これに和したがために、爾来観察や実験や帰納的研究などという事を尚ぶ風が甚だ盛んになり、学界の状態が新たになって、ついには自然界の種々なる方面の奥秘を探り、人生の幸福を少なからず増進するようになった。わが国においても、維新以前はベーコンがいったようにあらゆる知識をば常に古い書物にたよって得ようという傾向であったが、その後西洋文物の輸入につれて学問上の尚古卑今の風は十分とはいえないまでも大いに減ずるようになった。古来東洋において科学特に物質的科学の発達しなかったのは、主として古人の言を尚ぶに過ぎて、事物を直接に観察してその観察に基づく知識を尚ぶ習慣の乏しかったのに由るのである。わが国人たる者はこの点よりしても、観察と言う事を重んぜねばならないのである。
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5・25ゼミプログラム
1.配布、出欠、連絡事項、国語問題解答合わせ
2.司会進行指名 (司会 → テキスト解説の読み・名作読み・課題読みと感想の進行)
3、5・18ゼミ観察におけるテキスト『或る朝』、名作『放浪記』について
  
テキスト・名作解説
「自分の一日観察」として、テキストでは『或る朝』を読んだ。名作の見本としては、
  目下、女優の森光子さんが2000回記念公演で話題の『放浪記』の幾日かを紹介した。
 ※「自分の一日観察」は、それ自体、短い独立したものだが、積み重ねれば、中編にも長
   編にもなる基盤というか要素を持っている。解説は以下の通り。
【『或る朝』について】
 この作品は、文字通りふつうの「或る朝」の出来事を書いたものである。が、例によって作者本人の、そのままというより軽い創作というオブラートがかかっている。
 元種は、日々の日記(自分観察)を土台にしたものである。次の日記は、その原形ではないかとみられている。
□ 明治41年1月13日 月曜日
 朝、起きない内からお婆さんとひと喧嘩して午前墓参法事。
この日記を種にして作品を書く。翌14日(火)の日記に
「朝から昨日のお婆さんとの喧嘩を書いて、(非小説、祖母)と題した。とある。
ちなみに作者志賀直哉は、この作品について「創作余談」で、このように述べている。
 27歳(数え年26歳の記憶ちがい)の正月13日亡祖父の三回忌の午後、その朝の出来事を書いたもので、これを私の処女作といっていいかも知れない。私はそれまでも小説を始終書こうとしていたが、一度もまとまらなかった。筋はできていて、書くとものにならない。一気に書くと骨ばかりの荒っぽいものになり、ゆっくり書くと瑣末な事柄に筆が走り、まとまらなかった。ところが、「或る朝」は内容も簡単なものであるが、案外楽に出来上がり、初めて小説が書けたというような気がした。それが27歳の時だから、今から思えば遅れていたものだ。こんなものから多少書く要領がわかってきた。
 この作品は、大正7年(1918)3月1日発行の『中央文学』に掲載された。書いてから10年が経っていた。祖母が、うるさく起こすので素直に起きる気をなくした孫の話。意地っ張りから祖母に悪態をついたことを反省するまで。家庭の日常で生ずるたわいもない喧嘩。これを捉えて、一つの作品にする。簡単なようだが、難しいものがある。それだけに「はじめて小説を書けたというような気がした」「書く要領がわかってきた」という作者の述懐は、作者の文学開眼の言葉ともいえる。つまり、この作品は、志賀直哉の内なる文学の芽。小説の神様へと通じる階段の第一段だともいえる。その意味では、『或る朝』は、志賀文学の重要な基盤、出発点となる作品である。この作品は、その後、父親との確執を描いた中編名作『和解』に?がっている。そして、唯一の名作長編『暗夜行路』にと至る。
 核家族になった今日、いわゆる「オバアちゃんこ」はできにくい。起きる、起きないをめぐって祖母と信太郎二人の気持の機微が、描かれている。だれもが子供の頃、祖母や母親とで経験したことがある懐かしい家族の思い出である。
文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.125 ――――――――4 ――――――――――――――――
【『放浪記』について】
作者の林芙美子は、1903年に生まれ、1951年6月26日に亡くなった。47歳だった。
「私は宿命的に放浪者である。私は古里を持たない。」こんな書き出しではじまる、『放浪記』は、1922年から1926年まで、5年にわたって書きためた日記ふう雑記をまとめたもの。昭和3年10月から『女人芸術』誌に連載、昭和5年7月改造社から出版される。(小型B6判くらい260頁)たちまちベストセラーになり、1928年、林芙美子は流行作家に。
詩集『蒼馬を見たり』昭和4年、『風琴と魚の町』、『清貧の書』、『牡蠣』、長編『浮雲』、
『晩菊』など、「うず潮」朝の連続ドラマに。
4.テキスト車中作品『網走まで』について(5頁参照)
5.『網走まで』の関連名作読み
 夏目漱石『三四郎』の車中場面を配布。『網走まで』との対比を考えながら読む。
6提出の.課題・【車内観察】作品の発表と批評
・白川達矢「覚える」
・河西杏子「楽しい電車」
・塩崎真佑「視線」
・永井志穂「不快指数のなかの充実」
6.社会観察作品発表
・清水理絵「政治献金について」
・塩崎真佑「豚インフルエンザ」
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「2009年読書と創作の旅」課題①5・11
・清水理絵「黄金週間」(一日観察)・・・・・・・・・発表済み
・河西杏子「爽やかな憂鬱」(一日観察)・・・・・・・発表済み
・清水理絵「勝手に相談」(生物観察)・・・・・・・・未だ
・清水理絵「政治献金について」(社会観察)・・・・・未だ
「2009年読書と創作の旅」課題②5・18
・永井志穂「不快指数の充実」(車内観察)・・・・・・未だ
・白川達矢「覚える」(車内観察)・・・・・・・・・・未だ
・塩崎真佑「視線」(車内観察)・・・・・・・・・・・未だ
・河西杏子「楽しい電車」(車内観察)・・・・・・・・未だ
・白川達矢「水とバタ」(店内観察)・・・・・・・・・未だ
・白川達矢「女王」(一日観察)・・・・・・・・・・・発表済み
・清水理絵「ちょとつ妄想」(雨日観察)・・・・・・・未だ
・塩崎真佑「新型インフルエンザ」(社会観察)・・・・未だ
※ 塩崎真佑「自分の一日」(発表済み)は、『ゼミ通信124』に収録。
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連載2・後編      学生と読む志賀直哉の処女作三部作
 小説の神様といわれる志賀直哉文学の源泉は、処女作三部作にあるとして、ゼミはじめに『菜の花と小娘』、『網走まで』、『或る朝』を読み終えた。そして、前前号「下原ゼミ通信」123号で、生き物観察のテキスト『菜の花と小娘』の土壌と背景についてを推論した。
 後編では、『網走まで』、この作品にある謎に迫りたい。

 1947年(昭和22年)に細川書店版で出された『網走まで』あとがきで、作者志賀直哉は、『網走まで』についてこのように話している。(全集文を編集室が現代表記に)
【細川書店版「網走まで」あとがき】「帝國文学」没書顛末記 抜粋
 発表した順からいうと、この小説が私の処女作ということになるが、私にはそれ以前に、「菜の花と小娘」というお伽話と、「或る朝」という小品があって、初めて一つの話が書けたという意味では「菜の花と小娘」を、また、書く要領をいくらかでも会得したという点では「或る朝」を私は自分の処女作と思っている。しかしまた、多少小説らしい形をしたものとして、かつ最初に発表したものとして、やはり、この「網走まで」を処女作といっていいようにも思い、つまり、私には色々な意味での三つの処女作があるわけだと考えている。
 明治三十九年に、二十四で学習院を卒業し、東京帝国大学に入り、そのよく翌年くらいにこの短編を書いた。その頃、大学内に「帝國文学」という雑誌があって、それに載せてもらうつもりで、その会員になったが、幾月経っても載らず、ついに何の音沙汰もなく、没書になった。
 「帝國文学」の原稿用紙というのが、今思えばまことに変なもので、紙を縦に使って、一枚がそのまま、雑誌の一頁になるように出来ていた。編輯には便利なので「白樺」をはじめた時、真似して作ってみたが、使いにくく、すぐやめてしまった。十七八行、五十字詰くらいで、今の四百字詰の原稿用紙に比べると倍ほどの字数になる。従って一コマが小さく、とくに上下がつまっていて、大変書きにくかった。その上、ロール半紙で、表面がつるつるし
ているし、それに毛筆で書くのだから、私のような悪筆の者には非常に厄介なことだった。清書だけでも人にしてもらえばよかったものを自分で書いて送ったから、編集者はそのきたない原稿を恐らく読まずに、そのまま屑籠に投げこんでしまったのだろうと思う。今はそれを当然のことだと思うが、当時は一寸不快に感じ、会費を一度払っただけで脱会してしまった。明治四十三年に「白樺」を創刊したとき、私はその第一号にこの短編を載せた。二年ほど前から回覧雑誌を出していたから、作品は他にも三つ四つできていたが、創刊号にこれを選んだのは、没書になった故に、わざと出したように思う。
 小宮豊隆君が新聞か雑誌かでほめてくれた。月評を書くのでいろいろなものを読んだが、この小説へきてようやくほっとしたというようなことが書いてあった。ほめたといってもその程度の賛辞であったが、私はそれをうれしく思った。個人的には未だ小宮君を知らぬ頃のことだ。・・・・・・・・・。(岩波『志賀直哉全集』)

 『網走まで』には大きな謎がいくつかある。作品を手にとると、まず、題名から立ち止まってしまう。なぜ「網走」かである。網走は、現代なら映画の舞台や刑務所、メロン産地、オホーツクの流氷やカニなどでよく知られている。が、この作品が発表された明治四十三年(一九一○)当時は、どうであったろうか。一般的にはほとんど無名だったのではないかと想像する。そんな土地を作者志賀直哉は、なぜ題名にしたのか。旅の目的地にしたのか。大いに疑問に思うところである。そんなところから、作品検証としては、まず題名の「網走」から考えてみたい。
 インターネットで調べてみると網走は、元々魚場として開拓民が住み着いたところらしい。地名の由来は諸説あるが、いずれもアイヌ語が語源とのことである。
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 例えば「ア・バ・シリ」我らが見つけた土地。「アバ・シリ」入り口の地。「チバ・シリ」幣場のある島。である。(ウィキペディア)
 また、作品が書かれた頃までの網走の歴史は以下のようである。
? 1872年(明治5年)3月 北見国網走郡の名が与えられる(網走市の開基)。アバシリ村が設置される。
? 1875年(明治8年) 漢字をあてて、網走村となる。
? 1890年(明治23年) 釧路集治監網走分監、網走囚徒外役所(現在の網走刑務所の前身)が開設
? 1891年(明治24年) 集治監の収容者の強制労働により北見方面への道路が開通
? 1902年(明治35年) 網走郡網走村、北見町、勇仁村(いさに)、新栗履村(にくりばけ)を合併し2級町村制施行、網走郡網走町となる。
明治政府は、佐賀の乱や西南の役などの内紛に加え荒れた世相で犯罪人が激増したことから、またロシアの南下対策として彼らを北海道に送ることにした。(屯田兵として利用する)。明治十二年伊藤博文は、こんな宣言をしている。
「北海道は未開で、しかも広大なところだから、重罪犯をここに島流しにしてその労力を拓殖のために大いに利用する。刑期を終えた者はここにそのまま永住させればいい」
なんとも乱暴が話だが、国策、富国強兵の一環として、この計画はすすめられた。
 そして、明治十二年に最初の囚人が送られた。以後十四、十七年とつづき、網走には明治二十三年に網走刑務所の前身「網走囚徒外役所」ができ千三百人の囚人が収容された。囚人は、札幌―旭川―網走を結ぶ道路建設にあたった。こうしたことでこの土地は、刑務所の印象が強くなったといえる。が、作品が書かれた当時、その地名や刑務所在地がそれほど全国に浸透していたとは思えない。第一、当時、網走には鉄道はまだ通っていなかった。従って
「網走」という駅は、存在していなかったのである。では、作者はそんな地名を、なぜ、わざわざ題名にしたのか。あたかも網走という駅があるかのように書いたのか。
 しかし、この作品はどう読んでも網走駅までの印象は強い。「網走まで」は駅までではない。そう言われても最初から大きな謎である。が、この謎が解けなければはじまらない。ということで「網走」についてもう少し検証してみることにする。

 『網走まで』は、僅か二十枚程度の作品である。(草稿は二十字二十五行で十七枚)この作品には大きな謎が二つある。一つは、前述したが題名の「網走」である。志賀直哉は、何故に網走としたか。直哉がこの作品を書いたのは、一九○八年(明治四一年)である。草稿末尾に八月十四日と明記されている。志賀直哉二十五歳のときである。一見、エッセイふうで、経験した話をそのまま書いた。そんなふうに読めるが、そうではない。この作品は完全なる創作である。志賀は、創作余談においてこの作品は、「或時東北線を一人で帰ってくる列車の中で前に乗り合わせていた女とその子らから勝手に想像して書いたものである」と明かしている。そうだとすれば、なにも「網走」でなくてもよかったのでは、との思いも生ずる。当時、あまり知られていない網走より、「青森」とした方がより現実的ではなかったか、と思うわけである。網走同様、青森という地名の由来も諸説ある。が、一応、三七○年前、寛永二年頃(一六二五年)開港されたときにつけられた、というから一般的にも知られてはいたというわけである。題名にしても歌手石川さゆりが熱唱する「上野発 夜行列車降りたときから 青森駅は雪だった・・・」の青森に違和感はない。当時としては、網走よりはるかに現実的だったに違いない。なぜ「青森まで」ではなく、「網走まで」なのか。もし作者が
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北海道にこだわるのなら函館でもよかったのではないか。そんな疑問も浮かぶ。函館なら、こちらもよく知られてもいる。歌手北島三郎が歌う「はーるばる来たぜ函館!」は演歌の真髄だ。他にも函館には、歴史の郷愁がある。既に40年の歳月が過ぎているとはいえ、函館(箱館)といえば、あの新撰組副長土方歳三(35)が戦死した土地。明治新政府と榎本武揚(34)北海道共和国が戦った城下である。現代では百万ドルの夜景と、観光名所にもなっている。それ故に当時も一般的知名度は、それなりに高かったのではと想像する。
 しかし、時は明治全盛期である。過去に明治政府に反抗した都市ということで、よろしくないとしたら、札幌はどうだろう。「札幌まで」としても、べつに遜色はないように思える。一八七六年(明治九年)あの「青年よ大志を抱け」のクラーク博士ほか数名の外国人教師を迎えた札幌農学校のある「札幌」は、それから三十余年北海道開発の拠点として、大いに発展しつつあったはず。「札幌」の名は、全国区であったに違いない。にもかかわらず「札幌」ともしなかった。なぜか・・・・。ではやはり当時、「網走」は人気があったのか。それとも作者志賀直哉に何か、よほど深い思い入れが、題名として使いたい理由があったのか。どうしても行き先が「網走」としなければならない何かが・・・そんな疑念が浮かぶ。
 しかし、四十一年後、一九五一年(昭和二六年)六八歳のとき、志賀直哉は、リックサック一つ背負い一人ではじめて北海道を旅した。が、網走には行かなかったという。と、すると、それほど深い思い込みでもなさそうだ。だとすると、「網走」という土地名は、たんなる思いつきか。それともサイコロを転がせて決めただけの偶然の産物であったのか。

 「網走」という地名。現代ではどんな印象があるのか。最近の若い人は、網走と聞けば、オホーツクの自然を目玉にした観光地のイメージだろう。観光用に刑務所そっくりな宿泊施設もある、と、テレビかなにかの旅宣伝でみたことがある。刑務所も観光地化されているようだ。こうした現象は、たぶん山田洋次監督の「幸せの黄色いハンカチ」という映画が発生源となっているに違いない。網走刑務所を出所した高倉健演じる中年男と武田鉄也・桃井かおり演じる若い男女が車で一緒に出所男の家まで旅する話である。舞台は、網走ではないが、網走という地名を観客に強く焼き付けた映画だった。
 同じ高倉健主演でも私たち団塊と呼ばれる世代では、網走と聞けば、やはり東映映画『網走番外地』である。一作目はポールニューマン主演の『暴力脱獄』を彷彿させる一種文芸的
作品だった。手錠で結ばれた二人の囚人の脱獄物語だった。が、第二作目からガラッと変わった。完全なやくざ映画である。一作目は白黒だったが、二作目からは総天然色と高倉健の唄で、激動の昭和四十年代を熱狂させた。話のパターンは水戸黄門と同じで、網走刑務所を出所してきた流れ者やくざ高倉健が、悪いやくざにいじめられつくされている弱いやくざを救う。それも出入りに助っ人として加担するのではない、万策尽きた弱くて良いやくざ(というのも変だが)その正しいやくざのために最後の最後、たった一人でドスを片手に、多勢の悪いヤクザが待つ敵陣に乗り込んでいく。その背中に、発売禁止となった「網走番外地」の唄が流れる。
ドスを ドスを 片手になぐりこみ   どうせ おいらの行き先は 網走番外地
 とたん、立ち見で立錐の余地もないほど入った超満席の映画館の場内から一斉に拍手がわく。今、思い出せば異様な光景である。が、強いものに立ち向かう一匹狼。それは、しだいに強力になっていく機動隊や政府、そして企業に対峙する自分を重ねたのかも知れない。当時の若者、全共闘世代にとって「網走」は畏怖しながらも一種憧れの土地でもあったのだ。
 で、当然といえば当然だが、そんなわけで一九六十末~七十年代、網走は、刑務所のある町。といった印象だった。そして、その印象も、小菅や岐阜のようなコソ泥や詐欺師の収監される場所ではなく仙台一歩前の犯罪人の行くところ。極悪人=網走であった。
 『網走まで』が書かれた時代、作者志賀直哉は、この町にどんなイメージをもっていたの
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か。知るよしもないが、草稿のなかで「北見の網走などと場所でしている仕事なら、どうせジミチな事業ではない。恐らく熊などのいるところであろう。雪なだれなどもあるところであろう。」と書いているところから、刑務所、監獄という印象より、金鉱の町。得体の知れない人間が集まる未開の地。そんなイメージでなかったかと思う。
 子供のころ観たアメリカ映画で『縛り首の木』というのがあった。砂金掘りが集ってできた、いわゆる無法の町の話だ。そこにはろくな人間はいない。皆、欲に目がくらんだ、すねに傷持つものばかりの住人である。当時の「網走」も、映画の砂金掘りの町。そんな町だったのかも。文明開化がすすむ東京にいて、文学をつづける志賀直哉からみれば「網走」は、未開のなかの未開の町。そんなところに見えたのかも知れない。もっとも「網走」、というより北海道は、その後55年たっても遠いところだった。
 余談だが、1965年、昭和40年、今から43年前だが、私は、はじめて北海道に行った。2ヶ月間牧場でアルバイトをするためだった。説明会で斡旋の学生援護会から、きつい仕
事、途中で逃げ出す学生が多いから、と覚悟のほどを注意された。が、大学の実習授業(4単位)に組み込まれた。住み込み三食つきにバイト代500円、それに単位修得。一石三鳥になる。(当時、バイト日給600~800円が相場)で、躊躇なく決めた。
 信州の山奥で育った私は北海道がどんなところかまったく知らなかった。広いところだというので、憧れがあった。7月の前期終了日、主任教授から激励された。希望者は二十人はいたろうか。釧路が一番多く数名、あとは稚内や網走、他、知らぬ土地だった。行き先の切符をもらった。「計根別」とあった。はじめて聞く地名。地図でみると根釧原野の中ほどにある。釧路から近い、とわかった。が、どんなところかは、想像もつかなかった。
 とにかく行けばわかるさ、で、友人たちと上野から「青森行き」夜行列車に乗った。大学一年18歳の夏だった、「計根別まで」の旅。記憶では、翌朝早く、青森駅に到着、青函連絡船で函館。そこから札幌までが、長かった。札幌で時計台を見に行きラーメンを食べた。再び列車で釧路に向う。深夜、倶知安という駅に着いた。寒いので、うどんを食べた。計根別に着いたのは昼過ぎ。上野を出てから二日かかった。農協の職員と、酪農家の家の人が待っていて、学生は、各農家一軒に一人ひとり振り分けられた。私が働くことになったのは、開拓13年目の酪農農家だった。小学生の子供が三人いる五人家族だった。トラックから下りたところは根釧原野の真っ只中。西武劇の丸太小屋を思わせる、家と20頭ほどのホルスタイン牛がいる牛舎がぽつねんとあるだけだった。夕焼けに染まっていく空が以上に広く、なにか心細さを感じたことを覚えている。まだ、北海道は遠かった。
 昭和40年でも、こうだから、明治の時代には、どれだけ大変だったか、見当もつかない。その意味から、母子三人の網走行は矛盾が大き過ぎる。
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 先週5月18日、テキスト『網走まで』を読みました。どのような印象を抱いたでしょうか。 ある夏の夕刻間じか、一人の青年が日光に遊びに行くために上野から列車に乗った。同じ席に乗り合わせたのは、赤子と子供を連れた若い母親だった。時は、富国強兵策を突き進む明治の末。極楽トンボの青年は、今は落ちぶれた印象を受けるが、かつては美しく教養のありそうな、零落した士族の娘を彷彿する若い母親に興味を持つ。聞けば、網走というところまでだという。青年には想像の及ばない未開の地だ。そんなところに子供二人を連れて行くという。青年は、そんな母子を哀れに思う。何か親切にしてやろうと思う。頼まれた葉書を読みたいという衝動。青年の傲慢さからか。心底、母親の事が心配になっての思いか。
 志賀直哉の作品は、まったくの私小説という人がいます。家庭ばかり画いて社会を描かないと非難する人もいます。が、土壌館編集室では、志賀直哉の小説は、時代を超えた人間観察・洞察作品と読み解いています。その考えに立つと、青年が乗った列車は時代の流れ、歴史の一コマ、そして母と子は国民となります。文明の利器、列車に乗せられた国民は、為政者(ここでは大酒呑みの父親。あるいは事の真偽は定かではないが天皇暗殺計画の嫌疑だけで翌年明治44年に12名死刑にした明治政府)のもと苦難の旅を強いられるのです。網走
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という未開の地、そこに一億日本民族を待つのは何か。ヒロシマ、ナガサキ、そして弥生文化からつづく日本精神喪失の大悲劇だったわけです。若き小説の神様の目は、想像の中で母子を観察しながら、はるか先の日本の悲劇を見抜いていたのです。そうしてすでに、廃墟の都をぐるぐる回る電車を、『灰色の月』を予見していたのです。
5・18ゼミ観察
1.【5・18ゼミ参加者】以下は5月18日のゼミ参加の皆さんです。
  5月18日ゼミの参加者。(順不同)  全員そろった日に、写真を撮ろうと思っています。
・清水理絵さん  ・白川達矢さん  ・塩崎真佑さん  ・河西杏子さん
2.司会進行は、白川達矢さん
3.テキスト『或る朝』、名作(日記・雑記)『放浪記』抜粋の読み
 
4.提出の課題「自分の一日観察」作品発表と批評
 以下、提出の4作品の観察があった。
【読み】
・清水理絵「黄金週間」(前回のつづき)
・河西杏子「爽やかな憂鬱」
・塩崎真佑「自分の一日」
・白川達矢「女王」
【感想】
〈清水理絵「黄金週間」〉
・読者を楽しませようとする工夫がある。
・読み手との距離を感じさせない。
・まとめ直した方が、いいのでは。
・起床してからのことがすべてわかるが・・・。
・記録的には、いい。が、文学的には全部を描きすぎる。読者に想像力を残すのも秘策。
〈河西杏子「爽やかな憂鬱」〉
・前半と後半との落差が。
・自分の一日なのに本人が見えてこない。
・描写が上手。
・負の感情がわからない。
・新緑と五月の木漏れ陽のテニス場から雑踏の原宿。映像が浮かびます。
〈塩崎真佑「自分の一日」〉
・面白く読めた、聞くことができた。
・それぞれの日が、しっかり観察されている。
・少女が、ぽつんといる感じ。文章のリズムがいい。
・はかなさがある。
・少し抽象的なものを感じる。もう少し分かり易くというか、直接的であってもよい。
文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.125―――――――10 ―――――――――――――――――
〈白川達矢「女王」〉
・繊細、女性的な文章。
・ナイーヴさが魅力になっている。
・物語ふうな展開がある。
・文に滑らかさがある。
5.社会観察 → 世襲問題についてを聞いた
民主党 → 2親等までは禁止。
自民党 → 地盤を変えればいいのでは。
【国会で公約にでている世襲についての感想】
・いいと思う。専門的なことを幼いうちから勉強できるから。
・どちらといえば反対。引き継いだ人間の能力の問題。
・反対。嫌な感じがする。
・反対。自分の力でなってほしい。
4名のうち 賛成が    1名
      軽い反対が  1名
      ふつう反対が 1名     
      強い反対が  1名
人間観察・ある人生相談から
 新聞の「人生案内」欄に、こんな相談がありました。あなたの友人・知人だったらどうアドバイスしますか。また、創作で、こんな状況をつくったら、どう進展させますか。
読売新聞「人生案内」〈息子が大学を辞め料理人に〉
―――――――――――――――――――― 11 ――――文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.125
2009年、読書と創作の旅・観察発表
2009年、読書と創作の旅・課題③
呪われた木曜日
                     清水理絵
 ゴミ収集車のメロディーでまどろみから覚めると、朝の底は赤かった。
 というのは、昨日の話。どうしても書きたくて書きました。今日の話をします。
 一応朝食は摂りました。トーストに紙製カップのジャムを塗るたび、カップが冷蔵庫の中で倒れないことを祈る私。はい。次はビンで買います。
 今日は木曜日で、授業がありません。なので、ダイエーへ買い物に。
 たらこ唇に、ショッキングピンクの口紅を、惜しげもなく塗った熟女を発見。すんごいプルンプルンしてました。舌を出しているのかと思ったほどです。家に鏡がないのでしょうか。
 新玉葱、新じゃが、人参、ほうれん草(今度こそ本物)、バナナ等を買い込んで、商店街を歩きました。すると、正面に赤ん坊を背負った女性がいました。赤ん坊の顔が見えない。赤ん坊の顔が、背負った背もたれにすっぽり隠れて、帽子しか見えませんでした。更に、顔は母親の背中に密着しています。
 どうやって息をしているのでしょうか。死んだように動かないその赤ん坊を見て、背負ったまま、一度も振り返らない母親を見て、寒いような胸苦しさを覚えました。
 ドラッグストアでクレラップを二本買いました。サランラップより、クレラップの方が、はるかに使いやすいです。値段はクレラップの方が少し高いのですが、今日、一本二十メートル九十八円で買いまして、隣のドラッグストアで、サランラップが二十メートル百五円で売っていたのを見て、「勝った!」と思いました。
 帰る途中、老人用デイケアみたいなところを通るのですが、自転車引いたおじいちゃんが、薄ら笑いを浮かべながら、私の短パンから出た足を見ていました。お元気で何よりです。
 何だか素敵な方ばかりに出会った気がしまして、それをご報告させていただきました。
 昼前に帰宅して、昼はひやむぎを食べて、知り合いに電話して、紗麗(ハムスター)の小屋掃除をして、部屋掃除をしました。
 パソコンは数日前からスタンバイ状態。それを開けるだけで、電源がつきます。電源つけました。が、最小化したウェブページが貼りついて離れません。しかもそのページ、「その絵を見たら十日後に死ぬ」と噂されたらしい、怖い絵の入ったページです。
 冷蔵庫の奥から、見知らぬ卵を発見した時のような恐怖(それは昨日のことでした。怖かったけれど、食べました)。
 再起動かけたら、「プログラムが応答しません」……止まらない。
 さすがベシンスキー! (絵の作者)
 Ctrl ALT Delで、止まりました。今、正常に動いています。ああよかったです。
 今日の夕食はカレーにしようと思います。
 ほうれん草茹でなくては。ではでは。
お詫び
課題の提出原稿 都合で発表と掲載は次号になります。
『菜の花と小娘』の感想 → 白川達矢さん
「車内観察作品」 → 河西杏子さん
文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.125――――――――12―――――――――――――――――
車内観察
マナーモード
塩崎 真佑
彼らはいつも一緒に帰るのだろう。
小学生の帰り道は歩道ばかりだと思っていたが、電車の中でそれを見つけた時、私は忘れかけていた帰り道を思い出した。
彼らはどこから乗って来たのだろう、三人の小学生に気づいたのは、国分寺駅に乗り込んでから少し経った後だった。お揃いの紺のランドセルを背負って、女の子が二人、男の子が一人、手すりもつかまらず、ドアの角に立っている。よろけそうな足も三人ならば平気になってしまうのだろう。その中の一人はおさげをして、紺のワンピースとチェックの赤のリボンといった可愛い姿だったので見入ってしまった。
「マナーモード」
三人の誰かが、その言葉を使うと彼らは顔を合わせてしーっと囁き合う。
話しているうちに調節ができなくなるのか、突然、彼らのボリュームが上がる時がある。すると、三人の誰かが「マナーモード」という暗示をかけることになっているらしい。何だか遊びのようなそれは、私がいくら聞き耳を立てても聞こえない内緒話とは違って、波紋のように広がる声だった。そして、決して私が入れない声でもあった。
「それは携帯だよ」と得意げに電光板を指す男の子もいたが、すぐに女の子が「マナーモード」と言い返し、くすくすと笑い合っていた。
私はそんな様子を眺めながら、おさげが一番かもしれないとふと考えた。それは、電車に乗り込んでくる幼稚園児の遠足や仕事を持ち込む携帯電話でもない。ただ、彼らは話したいことを話し、見つけたものを共有し合っている。本当の電車というものに乗っているのは彼らかもしれない。
途中、彼らのうち二人が降り、おさげの子が私の隣に座ってきた。そのどんぐり眼からは何が見えるのだろう、ずっとどこかを覗いていた。もう、私は彼らに同化することはできないけれど、ときに車内は小さな囁き声とくすくすの笑い声で混じり合う。
私はうつむく姿勢をとりながら、なかなか寝つけそうになかった。
自分の一日観察
塩崎 真佑
 
私は「観察」と題して、自分の日記から適当な日を選んで抜粋している。
それは、正直楽をしているのかもしれない。ただ、一日一日を振り返ってみると、私は本当に格好つけてばかりだと思わずにはいられなかった。
五月十六日の曇り空
昨日の天気予報が当たってしまった。
 親指と人差し指の間くらいの隙間から薄暗い朝を見つけて、雨戸をガラガラと開けてしまうことさえ億劫である。一度、六時に目が覚めたときと変わらないような気配を感じたが、私は枕元に置いてある水を勢いよく湯呑に注ぎ、ふっと一息入れた。
 隣の寝室からは何かを単調に繰り返すラジオが聞こえ、光は一直線に伸びていた。祖母はまだ寝ているのか起きているのか判別がつかなかった。ドアを開けるか、開けまいか、結局、私は音のない階段を降りていく。
―――――――――――――――――――― 13 ――――文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.125
顔を洗い、朝食の準備に取り掛かると、どうしようかと悩むのを止めにした。インスタントコーヒーを開け、食パンをトースターに入れ、そのまま椅子に座る。そして、ゆっくり昨日の事を思い返した。毛布から覗かせた頭、縮んで見えた身体、そして、白髪がざわっと広がった瞬間。
 昨日、私が学校から帰ってくると、祖母はソファーに横になり毛布に丸まっていた。ただいまと呟くと毛布から頭を出してお帰りなさいと言った。
 「どうも調子が悪くてね」
 と言うので、大丈夫かと尋ねくわしく聞いてみる。咳が出てのどが痛い、熱はないからインフルエンザではないが、うつるから近寄らないほうがいいなどと言う。すると、目を瞑り眠るように押し黙ってしまう。テレビは消えており、ただ、電気だけは気が紛れるように点いていた。
 手を洗い、再び祖母を眺めると、「おさんじ食べなさい」と目を開けずに言った。冷凍庫におまんじゅうとアイスがあるわよとだけを伝え、何も言わなくなった。私はアイスコーンを引っ張り出し、アイスにかかったチョコレートをパリパリとはがした。
そして、二階へ上がろうかと思った頃に祖母はまた口を開いた。「今日は何買ってきたの?」と後ろに隠していた紙袋を指さした。私はそっと包まれたものを出した。以前から自分の部屋に潤いが欲しいと思っていたので、ラッパ型のガラス瓶を見つけたときは一目で気に入ってしまった。これに花を飾ろうと考えていたのだ。
 「五百円だったから買っちゃった」
 「ふうん、けっこうするのね」
 いいじゃないと言いながら祖母はくるっとガラス瓶を回して品定めした。私はいつもの通り、手のなかに隠してあった値札シールをぎゅっとゴミ箱の中に捨てた。
 それから少しあと、窓を開けたままうたた寝をしてしまった私は目を開けた。暗くなり始めた景色を眺めながら雨戸をすっと閉めて、タンクトップの上に一枚上着をかぶった。
 階段を下りていくと、祖母は台所に立っていた。ソファーの毛布は四つ折りに畳まれて、ポットには熱いお湯が入っている。コホンッと咳をひとつして、祖母は私を見つけると大根と下し金を手渡した。私は、寝癖だらけの髪をなでながら、手を洗い、さっと大根をおろした。
 トースターから黒く焦げたパンが出てきた。
 これを食べたら私は癌になるかもしれない。そんなことを考えながら、ひとり朝食を食べる。久しぶりに私は祖母を待たず、今日を迎えたのかもしれない。このニュースが終わるまで祖母は起きるだろうか。いや、放っておこう。
五月十九日の英語づけ
 
宿題は山のようにはないが、英文の問いはいつまでたっても答えが出ない。たった一、二ページのテキストも書きこんでいくだけで夜が更けてしまう。
 何だか、バカらしくなるが、それでもピンクと水色の色鉛筆で染まった教科書を見るとますます止められなくなっていく。これで、英語のテストは満点だ。そんな気さえするのだから恐ろしい。
 英語の先生の日本語は少しだけ違っている。時々、母国語のトーンを忘れてしまったような音は、何だか誰も知らない言葉のようで気に入っていた。
私の英語の成績は中学のころから変わっていない。上がらずとも下がらず平行線を行き続けている。だから、きっともう目指してはいけないのだろう。生半可の気持ならばやらない
文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.125―――――――14―――――――――――――――――
方がずっといい。あきらめが肝心といいながら、今日も英文片手にあのトーンが羨ましいと夜が更けていく。
五月二十一日の火照り
 
天気もさることながら、今日の私の体温は何かが息づくように上がっていく。これは、どうしたことだろう。一日、六時間という睡眠が祟ったのかもしれないし、祖母の風邪ひきが飛んで来たのかもしれない。そんな事を考えながら今日を過ごしてみると、いかに常日頃、自分の身体に無関心だという事がわかる。
 夕方、お湯が出ないガスが治りかけていた。昨晩の騒ぎは何のことやら、今だ、かけ湯しかできないものから上がると、手の先の方までほのかに赤くなっていた。それには、ふやけた顔もさらに綻んだ。そんなところを叔母に見られてしまった。
 「間違えて、湯船に入ったのかと思った」
 叔母は器用に頭の上のタオルを乗せたまま二の腕体操をして、先に出来上がっている。
 「流すのにどのぐらいかければいいのか、分からなくて」
こうなったと言うと、本当にいつもより身体が熱いようで、可笑しかった。
 「今の若い子は、かけ湯なんてしなかったのかぁ」と叔母は感傷深いものを口にした。そして、まるで小さい子にでも聞かせるように昔話を始めた。
 私は、そんな話に耳を傾けながら、あとで、その体操も教えてもらおうと思っていた。
カウント
白川達矢
 いつからか、わたしは育ち、女子高校生として学校へ通っていた。
 わたしは大きなデパートで買い物へ行った。誰かに会う予定もないのに、いつもよりすこし念入りにみだしなみを整えて。
デパートは突然暴風か何かで外界からの遮断をうける。
 閉じ込められた混乱で、暗がりの食品売り場で繰り広げられる客と店員の延々とした口論にわたしは耳をふさぐ。そこへわたしと同い年くらいの白いワンピースを着た少女が割ってはいった。彼女は強烈な言葉で持って、その場を支配した。彼女がデパートを占拠する宣言したからだ。混乱の中にまた混乱を持ってこられて、これに客も店員も手を組んだように彼女を囲んで文句を言い出すが、彼女は誰の話も何も聞いていないようすだった。
 少女はずかずかとただの壁となった人をかき分け、彼女はいろいろな人々をみて歩き、ついにわたしのところへきた。彼女に見つめられるとなぜだか安心した。彼女は急に私の襟首をつかみ、壁際まで引きずる。そして壁にぶつけられた。わたしはだんだんぼうっとして、彼女が何かをまくしたてるようにしているのをまったく聞けず、同じことしかしゃべれなくなっていた。
「抱いて、あたしを抱いて」
 途端、彼女はわたしを抱きしめ、唯一の悪友をみるときのような目で微笑んだ。
 わたしは抱かれた。
 そこで目が覚めた。
 仮に彼女をMと呼ぶことにする。夢に出てきた少女とは全く関係ない。Mは高校生の頃、わたしがいた生徒会に入ってきた。彼女が書記で、わたしは会長だった。それ以外にMを説明するものを挙げるとしたら、彼女は、七人の男と寝た女だ。出会って間もない頃、彼女はこっそりとそうわたしに教えてくれた。高校を卒業して以来、彼女とはあっていない。
 ジュンク堂を出て、池袋の駅に向かって歩いているとき、Mに出会った。彼女がわたしの
―――――――――――――――――――― 15 ――――文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.125
 肩にふれて、笑う。ずいぶん子どもじみた、サルスベリみたいにのっぺりした笑い方だ。
 わたしたちは一緒に喫茶店に行くような気取ったつきあいはしない。少なくとも、わたしはしたくない。
「どこかいこうよぅ」
 Mがそういうのでマクドナルドで食事をすることになった。四人席を二人とその荷物たちで埋めると、Mは手洗いに行ってくるといってたった。休日の池袋は雨にもかかわらず人がたくさんいて、ずいぶん高校生のときに自分がみていた景色とはずいぶん違う。
 ハンカチで手を拭きながらMは戻ってきた。なぜ、彼女のような女の子は手を拭いてから出てくるのではなく、拭きながら出てくるのだろう。
 わたしが黙ってみていると、Mは、それで、わたしに言った。それで、の意味を考えているうちに彼女は自分の身の上話をし始めた。
 まずMの記録が更新されたこと、Mは十四人の男と寝た女になっていた。教師に反対されながらも、就職を選んだ彼女は、今流行のニートになっていること。彼女は仕事場のやる気のなさに憤慨していて、自ら辞めたという。でも話を聞いていくうちに、一人の上司の悪口しか聞こえなくなった。
「あなたの記録は?」
 わたしの記録、声高に言うほどのことじゃないもの、と返すと少し彼女は不満そうにする。すっかり嫌らしい中年みたいな顔つきになっている。
「男って、みんなあたしの身体にしか興味ないの。本当のあたしを見てくれる人なんていないのよ」
 どこかの下手なドラマかなにかからとってきたようなセリフを吐きながら、Mはぼろぼろと泣いた。計算されたみたいにわたしの他の誰にも、監視カメラにも写らない位置を使って。
「あたしね、愛してくれない方がよかったっていわれたのよ。でも、あたしも愛してるっていわれる前のつきあいの方がうんとよかったと思っていたの」
 それから、相手の男がいかに自分より愚かだったかを延々長々聞かされた。相手の男も同じことを誰かにはなしているのだろうな、と思った。二人とも自分の方が賢いと思いながら。
 店を出ようと言うとMは、これからどこへ行くの、と腕を絡める。
 カウントしたいの、と訊くと絡まった曲がりくねった枝は腐り落ちた。樹皮を剥きながらすっかり心外そうな顔をつくる。
「いいじゃない、それにあなたはカウントされないでしょう、だ」
 と、しなだれかかってくる。
肩にふれて、笑う。ずいぶん子どもじみた、サルスベリみたいにのっぺりした笑い方だ。
 わたしたちは一緒に喫茶店に行くような気取ったつきあいはしない。少なくとも、わたしはしたくない。
「どこかいこうよぅ」
 Mがそういうのでマクドナルドで食事をすることになった。四人席を二人とその荷物たちで埋めると、Mは手洗いに行ってくるといってたった。休日の池袋は雨にもかかわらず人がたくさんいて、ずいぶん高校生のときに自分がみていた景色とはずいぶん違う。
 ハンカチで手を拭きながらMは戻ってきた。なぜ、彼女のような女の子は手を拭いてから出てくるのではなく、拭きながら出てくるのだろう。
 わたしが黙ってみていると、Mは、それで、わたしに言った。それで、の意味を考えているうちに彼女は自分の身の上話をし始めた。
 まずMの記録が更新されたこと、Mは十四人の男と寝た女になっていた。教師に反対されながらも、就職を選んだ彼女は、今流行のニートになっていること。彼女は仕事場のやる気のなさに憤慨していて、自ら辞めたという。でも話を聞いていくうちに、一人の上司の悪口しか聞こえなくなった。
文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.125――――――――16―――――――――――――――――
「あなたの記録は?」
 わたしの記録、声高に言うほどのことじゃないもの、と返すと少し彼女は不満そうにする。すっかり嫌らしい中年みたいな顔つきになっている。
「男って、みんなあたしの身体にしか興味ないの。本当のあたしを見てくれる人なんていないのよ」
 どこかの下手なドラマかなにかからとってきたようなセリフを吐きながら、Mはぼろぼろと泣いた。計算されたみたいにわたしの他の誰にも、監視カメラにも写らない位置を使って。
「あたしね、愛してくれない方がよかったっていわれたのよ。でも、あたしも愛してるっていわれる前のつきあいの方がうんとよかったと思っていたの」
 それから、相手の男がいかに自分より愚かだったかを延々長々聞かされた。相手の男も同じことを誰かにはなしているのだろうな、と思った。二人とも自分の方が賢いと思いながら。
 店を出ようと言うとMは、これからどこへ行くの、と腕を絡める。
 カウントしたいの、と訊くと絡まった曲がりくねった枝は腐り落ちた。樹皮を剥きながらすっかり心外そうな顔をつくる。
「いいじゃない、それにあなたはカウントされないでしょう、だ」
 と、しなだれかかってくる。
志賀直哉三部作について
志賀直哉と菜の花と小娘
 菜の花が人間のように会話する。この擬人法は、目新しいものではない。旧くはイソップ物語から使われてきた手法である。こうした擬人小説のほかに志賀直哉は、輪廻転生の話も書いている。仲のよい夫婦がいた。死んだあと、何に生まれ変わるかわからないが、必ずここに来て会いましょう、と誓う。やがて夫婦は死ぬ。どちらかだったか忘れたが、夫婦はニワトリとキツネに生まれ変わった。約束を思い出してその場に行く。が・・・残酷な結末である。もしかして志賀直哉は死後の世界を信じていた、あるいは信じようとしていたのかも知れない。その感覚が、作品の端々に感じる。なぜ、志賀直哉はそんな考えを持ったのか。
 3月31日に一人で鹿野山に遊びに行った志賀直哉は、4月11日頃まで山の上から谷底一面に花咲く菜の花を眺めて過した。鹿野山は、今日マザー牧場として有名である。子豚のレース、菜の花畑は観光の目玉となっている。が、当時も菜の花はすばらしかったようだ。
 谷間の菜の花畑を眺めながら、春の陽光のなかで直哉が読んでいたのは、最近刊行されたばかりの島崎藤村の『破壊』であった。前年、父直温は総武鉄道株式会社の取締役に就任している。経済的に恵まれ7月に学習院高等科を卒業、9月には東京帝国大学英文科に入学する直哉は、明治維新まで、士農工商という階級社会の中にも入れなかったエタと呼ばれる人たちのことをどれほど知っていただろうか。彼らは、士農工商が廃止された明治になってもその差別のなかで生きていたのだ。主人公の瀬川丑松は24歳。奇しくも直哉と、一つしか違わない歳である。『破壊』は直哉にどんな影響を与えただろうか。
 志賀直哉が、なぜ小説を書きつづけて行こうと決心したのか。これまで多くの評論家や読者は、貴族趣味の一点に終始してきた。が、『菜の花と小娘』を再読して編集室は、このように思った。春の鹿野山で直哉は、菜の花に母、銀を重ね、瀬川丑松の人生に義憤した。そうして、決心した。自分は「人類の幸せのために小説を書いて行くのだ」と。
―――――――――――――――――――― 17 ――――文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.125
ゼミ誌作成に関して
5月下旬 → ゼミ誌作成ガイダンスのあと申請書類を受け取ってください。
        編集委員の人は必ず出席してください。
ゼミ誌作成ガイダンス → 5月26日火曜日 12時20分 文芸1教室会場
月日 : 5月26日(火)
 会場 : 文芸1教室 
時間 : 12時20分~
 参加 : 清水副編集長 白川達矢編集委員(河西編集長の代理)
以後手順
1.「ゼミ雑誌発行申請書」を期限までに文芸スタッフに提出する。
2.ゼミで話し合いながら雑誌の装丁を決めていく。
3.9月末、夏休み明けにゼミ員はゼミ雑誌原稿を編集委員に提出する。
4.編集委員は、印刷会社を決め、レイアウトなど相談しながら編集作業をすすめる。
5.「見積書」を印刷会社から受け取り、期日までに出版編集局に提出。
  期日は、ガイダンスのとき告知します。
  ※「見積」は必ず予算内におさめること。オーバーすると自己負担になる。
6.11月半ばまでにゼミ誌原稿を印刷会社に入稿する。
7.ゼミ雑誌ができあがったら、雑誌編集室に見本誌を提出する。
ゼミ雑誌発行期限は、12月14日 厳守 !!
8.印刷会社からの「請求書」を出版編集室に提出する。
※なるべく過去にゼミ雑誌を依頼したことのある印刷会社がよい。文芸スタッフに聞く。
 (はじめての会社は、事前に文芸スタッフに相談する)
ゼミ誌原稿は、提出原稿のなかからの選出をススメます
 
 ゼミ誌に掲載する作品は、夏休みに書いてもかまいませんが、これまでの例だと、提出が遅れたり、急いで書くため、付け刃的になったりで、必ずしも満足のいった作品にならない場合が多いような気がします。授業のなかで切磋琢磨した提出原稿のなかによいものがあるはずです。提出原稿のなかに、進歩をみつけましょう。
○ 班長 → 白川達矢さん(緊急連絡・合宿・その他)
○ ゼミ誌編集長  → 河西杏子さん
  ゼミ誌副編集長 → 清水理絵さん
  ゼミ誌編集委員 → 塩崎真佑さん、永井志穂さん、内田すみれさん、白川達矢さん
文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.125――――――――18―――――――――――――――――
2009年読書と創作の旅の記録
□4月20日 ゼミガイダンス(40分)、見学16名。「おんぼろ道場再建」ビデオ不調。
□4月27日 参加5名、司会・河西杏子 ゼミ誌編集委員決め、読み嘉納治五郎『青年
 訓「精読と多読」、世界名作サローヤン『空中ブランコ』、「憲法・前文と九条」
□5月11日 参加5名、司会・塩崎真佑、テキスト読み『菜の花と小娘』『網走まで』
 『菜の花』の解説、課題観察作品発表・清水理絵「黄金週間」途中まで。
□5月18日 参加4名、司会・白川達矢、テキスト読み『或る朝』、手本『放浪記』
       課題発表・清水理絵「黄金週間」、河西杏子「爽やかな憂鬱」、塩崎真佑「私
       の一日」、白川達矢「女王」、社会観察「政治家の世襲について」
事件観察 三面記事から この事件・裁判員だったら判決は、量刑は
 今年、1月14日(水)午前中、東京都文京区にある中央大学後楽園キャンパスの1号館4階の男子トイレで、一人の中年男性が大量の血を流して死んでいた。被害者は、同階に研究室がある同大教授(45)だった。昨今、オープンキャンパスになったとはいえ、まだまだ閉鎖的な大学構内での殺人事件である。メディアは大きくとりあげた。犯人像は、次のように分析された。①大学関係者、②学生、③知人、④まったく偶然。秋葉原の犯人のような男。それとも犬の仇という小泉のような人間。いろいろ取り沙汰されたが、犯人は、いわゆる大学関係者だった。04年3月に同大を卒業した卒業生。犯行までの犯人の足取りは以下である。
・1999年4月に入学。一年生のときは単位を三つしか取れず留年。
容疑者が5年生のとき、被害者は卒業研究の指導教官になる。卒論の内容は「電子回路の性能をあげるにはどのようにすればよいか」被害者の授業は3年、4年と登録した。4年生のときは単位はとらなかった。
・2004年3月卒業、東証1部上場企業(食品メーカー)に就職。
・約2ヶ月で退社。電子機器関係の会社に勤めるも、いずれも三ヶ月、四ヶ月でやめる。
・2007年、事件取り調べの推移をみて掲載。2009・22・23朝日・読売新聞迄
  
ドストエフスキー情報
■ドストエーフスキイの会・例会 
 5月30日(土)午後6時から開催、原宿駅から徒歩7分 千駄ヶ谷区民会館
■ドストエーフスキイ全作品を読む会・読書会 詳細は編集室
 7月11日(土)午後2時から開催、東京芸術劇場小会7『カラマーゾフの兄弟』
■ドストエーフスキイ全作品を読む会・読書会 詳細は編集室
 8月8日(土)午後2時から開催、東京芸術劇場小会7 暑気払い読書会 
□ゼミの評価基準は可(60~100)とします。評価方法は、次の通りです。
    課題の提出原稿数+出席日数+ゼミ誌原稿+α=評価(60~100)                         
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編集室便り
☆ 原稿、歓迎します。学校で直接手渡すか、下記の郵便住所かメール先に送ってください。
 「下原ゼミ通信」編集室宛
  住所〒274-0825 船橋市前原西6-1-12-816 下原方
  メール: TEL・FAX:047-475-1582  toshihiko@shimohara.net
☆ 本通信はHP「土壌館創作道場」に掲載されます。
2009年、読書と創作の旅・事件観察  提出日2009年 月  日
 
            番号    名前
 「中大教授刺殺事件」の容疑者の調書を新聞報道などから推理してみる。想像を駆使して容疑者本人になりきってみてください。
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2009年、読書と創作の旅 「車内観察」 提出日2009年月  日
「車内観察」          名前
車内観察のなかに短い物語をつくってみる
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009年、読書と創作の旅  「自分の一日観察」 提出日2009年月  日
「自分の一日観察」      名前
10行を1行にする勇気と努力を
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