文芸研究Ⅱ 下原ゼミ通信No.133

公開日: 

日本大学芸術学部文芸学科     2009年(平成21年)10月19日発行
文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.133
BUNGEIKENKYU Ⅱ SHIMOHARAZEMI TSUSHIN
                              編集発行人 下原敏彦
                              
後期9/28 10/19 10/26 11/10 11/16 11/24 11/30 12/7 12/14 1/18  
  
2009年、読書と創作の旅
10・19下原ゼミ
10月19日(月)の下原ゼミは、下記の要領で行います。文ゼミ教室2
 1.出欠・ゼミ通信配布・後期に望んで・司会進行指名 
 
 2.ゼミ誌原稿提出&刊行に向けての編集作業について
 3. 私の夏休み報告(愛読書・映画などの紹介)未発表の人
 4. 観察から創作へ「課題発表」 5.テキスト読み&名作紹介
      
後期は観察から創作へ
テキスト『出来事』読みと課題・新聞記事
 前期は主に車内観察をすすめてきました。観察作品を発表することで書くことの日常化、習慣化をはかってきました。実に多くの提出作品があり参加者の熱い取り組みを感じました。 
 まだ評されていない作品もありますが、鉄は熱いうちに―ということで後期は、一歩、前進して観察や新聞記事から、創作を試みて行きます。なお、名作読みはつづけます。
 9月27日ゼミでは、その初発としてテキストの『出来事』をとりあげました。電車に跳ねられそうになった子供が助かった出来事。併せて、似たような出来事。最近の新聞記事(2009年9月22日朝日新聞)「頭上に電車 2歳ふせて無事」を紹介。『出来事』を手本に、この記事から短編作品を課題としました。報道された奇跡の出来事(素材)を、創意工夫で、どれだけ臨場感溢れた文章として表現できるか。試みてください。
『出来事』について
 小説の神様志賀直哉は、自分が体験した車内観察を、どのように創作したのか。作品『出来事』ついて検証したい。
【実体験】まずこの作品は、実体験か。それに関しては日記に以下の記述がある。
・大正2年(1913)7月26日「子供が電車にヒカレかかった『出来事』」
・同年7月8日「帰って『出来事』を少し書いた」
・同年8月15日「病院、かえって、『出来事』の終いを書き直して出来上がってひるね、伊
        吾来る。起きてそれを読む」(伊吾=里見弴)
 と、あるところから実体験の可能性大である。【創作余談】でも「これは自身で目撃した事実をほとんどそのまま書いた」としている。


文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.133 ―――――――― 2 ―――――――――――――
創作動機・観察から作品に向けて
【動機】何事にも動機、理由はある。この作品を書こうと思ったのは―― たまたま乗り合わせた電車で起きた出来事。作者志賀直哉は、車内のこんな様子を目にしてこの作品を書く気になった。「子供が電車に轢かれかけて助かったという喜び――あるいは一時の驚きと、興奮から喧嘩もするが、結局、みんな子供が死を免れたことを喜んでいる。その善良さに好意を感じ、この小説を書く気になった」
 作者の志賀直哉は、作品「出来事」のモチーフをこのように書いている。(観察している)
「自分が怪我(山手電車にはねられた)をする二週間程前自分の乗っていた電車が芝の廣町で三つばかりになる男の子をもう少しでひきかけた出来事があった。子供はウマク網にすくわれて助かった。が、その時乗客が皆心から子供の幸運を喜んで、そしてその喜びを色々な形で現したのを私は非常に気持ちよく又興味あることに思った。中年の小役人は運転手をし切りにホメてその嬉しい心持を示していた。なお足りないで彼は救助網をほめたりした。ある若者は母親が一人子供を往来中に出し置いた不注意を赤い顔をして責めていた。それで子供の母と若者との間に口喧嘩が起った程だった。しかし自分は誰の心の底にも美しいものを見ないではいられなかった。皆は子供の危険で真から心を痛めた。で、助かった時に心からそれを喜んだ。只その現れ方がいろいろに変わった。」
創作作法
 
【場景】まず物語の背景である車内。夏の午後のけだるい様子をよく書き現している。
 7月末の風の少しもない午後だった。…電車は広い往来の水銀を流したような線路の上をただ真直ぐに単調な音をたてて走っていた。…
【植物】脇役というか付随物の植物が、けだるい午後を引き立たせている。
 …塀の内から無花果が物憂さそうに締りのないない枝をさしだしている。
【生物】…蝶は小さいゴムマリをはずますように独り気軽に、嬉しそうに、又無闇とせっかちに飛び回った。
【登場人物】乗客(8、9人)だが、彼らの表情、出来事の前後をこのように現している。
出来事の前
・法衣着の若者=不機嫌な顔をしてうつらうつらしていた。
・麦藁帽子の二人連れの書生=股をひらいたいかつい姿でよく眠入っていた。
・洋服姿の50歳くらいの小役人=ポカンと何を考えるともない、気のない顔をしていた。
出来事の後
・法衣着の若者=…といって若者は笑った。…善良な気持のいい、生き生きとした顔つきに 
         なっていた。
・洋服姿の50歳くらいの小役人=40位の太った女に、熱心に何かを言っている。
・麦藁帽子の二人連れの書生=起きて二人で話をはじめた。
【8、9人の乗客】暑さにめげて半睡の状態にいた乗客は皆生き生きした顔つきに変わっていた。
【観察者の私】私の心も今は快い興奮を楽しんでいる。
【作品の閉め】作品を締めくくる最後の一行がすばらしい。
「ふと気がつくと、芝居の広告に止まっていた無邪気なひょうきん者はいつか飛び去って、もうそこにはいなかった。」
ポイント 一見、出来事とは関係ないと思われる「蝶」という脇役。読後感は、この脇役の印象が強い。蝶が実際にいたか、どうかは不明だが、蝶を登場させたことで、この作品全体の雰囲気が引き立っているように思う。事実と虚実の混濁。本当のようで本当ではない。嘘のようでウソではない―ようにみえる。そこが志賀文学の真骨頂の一つ。
――――――――――――――――― 3 ―――――――文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.133
2009年読書と創作の旅
10・19ゼミプログラム
1.「通信」配布、出欠、連絡事項
  ゼミ誌編集委員 → ゼミ誌作成についての報告&要望。
2.司会進行指名 (司会 → 授業進行、朗読者の指名など)
3. 私の夏休みの過ごし方。愛読書紹介など
  まだ発表していない人(前回報告者 → 清水、白川、塩崎真佑さん)
4.観察から創作へ「課題発表」&『出来事』と対比のテキスト読み
 『出来事』は、作者自身が実際に体験し観察した話。テキスト『正義派』は、目撃者の話を聞いて想像・創造し、そのことを架空観察してから、創意工夫で作った話。
 テキスト・志賀直哉『正義派』の読み
5. 名作・書簡小説『あしながおじさん』ジーン・ウェブスター(1876-1916)
 この作品の題名は、募金活動の代名詞として今日すっかり社会の中に定着しています。映画やミュージカルでも人気がある。が、作品を読んだ人は意外と少ないようです。
 この作品、手紙小説は、自分観察、一日観察、友人観察、人間観察、大学観察といった複数観察で成り立っています。全体的に簡潔で、単純な観察ですが、そのなかに読む人の心をとらえて放さない魅力があります。そこが名作として世界文学線上にある所以です。
 紹介の名作テキストは、昭和35年(1960)刊行された本(角川文庫 定価七拾円)。厨川圭子訳の『あしながおじさん』です。
ゼミ合宿関連図書として
 この物語をゼミ合宿関連図書としてとりあげました。なぜ関連図書か。その前に作者のウェブスターについては、アメリカ文学ファンなら知っていると思いますが、彼女の母親は、『トム・ソーヤの冒険』や米文学最高傑作といわれる『ハックルベリイ・フィンの冒険』の作者マーク・トウェーン(1835-1910)の姪にあたります。
 ウェブスターの代表作である、この本『あしながおじさん』は、彼女のカレッジ時代の級友で詩人アデレイド・クラブシーであるといわれている。なぜゼミ合宿関連図書なのか。
 まだ記憶に新しいと思いますがゼミ合宿では、ロシアの文豪ドストエフスキーの『貧しき人々』を朗読読破しました。1845年に書かれたこの作品が、いつごろアメリカにいったかは知りません。が、なぜかウェブスターは、この作品を読んでいた。愛読者だった。そんな気がしてなりません。『貧しき人々』のように相手を知り合ってはいませんが、中年男と貧しい若い女の子との手紙のやりとり。相手が貧しい小役人と、大金持ちの違いはありますが、どこか似ています。ある意味で『貧しき人々』とは両極にある物語です。が、同質のものを感じます。そんな感触を得られるかどうか、少しだけ読んでみます。
6. 名作読み5.名作・ジュナール『にんじん』家族観察
 前回、紹介してもらった愛読書のなかに児童虐待の本がいくつかありました。児童虐待に関した本や物語に興味ある人が、結構、多いのかと思ったりします。観察の枠をひろげて家族観察の名作、児童虐待物語ともいわれる『にんじん』を読んで考えてみましょう。
 
文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.133 ――――――――4 ――――――――――――――――
夏休み課題    
私の愛読書について
                   
私の愛読書(夏休み編)
塩崎 真佑
●「西遊記1~4」 平岩弓枝著 文芸春秋 720~760円
 三蔵と孫悟空との師弟関係に心打たれた人も多いだろう。原作を読んだ人ならば物足りないという人もいるかもしれないが、平岩弓枝の西遊記では登場人物が皆繊細に描かれている。従来の重厚なイメージはなく、妖怪たちが時折見せる素直な心情に思わずほろりと感じてしまう。
●「制服概論」 酒井順子著 文芸春秋 560円
 日本人は制服好き?服装なんて普段気にしないという人も一度は着たことがあるに違いない。看護婦やフライトアテンダント、警察官や自衛隊、宝塚や防衛大学の制服、よくよく見ると制服は日本中に溢れている。あらゆるルーツを辿っていくと私も学生時代の制服を調べたくなる気分だ。
●「アジアの誘惑」下川裕治 講談社文庫 580円
 何だかこのアジア旅行記は庶民派なのだ。蚊との格闘記になったかと思えば、バスや電車での眠り方を伝授し、昼寝までしてしまう。歴史的価値のある話や建造物はちっとも出てこないが、なぜだか異国の風に包まれて物珍しく感じられる。世の中知らないことばかりだと痛感する。
●「O・ヘンリ短編集1」 O・ヘンリ著 新潮社 460円
 日常もひとつ歯車が違ってしまうと、とんでもない結末に行きつくのかもしれない。うっかり物語の人々にペースを合わせようとするものなら、たちまち変化が訪れ不安がやって来る。それは、時にサスペンスになり、ロマンスやユーモアにもなる。そして、我に返ると何の変哲もない一日じゃないかと安堵する。
●「柳宗民の雑草ノオト」 柳宗民・文 三品隆司・画 ちくま学芸文庫 1050円
 知的好奇心がむずむずと湧いて出てくるときがある。そんな時は、百科事典や大辞林を引いていくのもいいが、身近にある小さな雑草を探すのもいいかもしれない。見覚えのある雑草のなかには名前さえ知らないものもあり目新しく感じる。また、筆者の生活も垣間見ることができ、雑草を愛でている様子を思い浮かべると微笑ましい。
●映画「コーラス」 2004年 フランス 監督:クリストフ・バラティエ
「目には目を」の規律に縛られた寄宿所は、想像するだけで背筋がピンと張る。厳格な校長先生、そして手に負えない少年達、もしもそこに自分が入り込んだらと考えるとぞっとする。けれど、マチュー先生が持ち込んだ歌はゆっくりとその閉ざされた世界に馴染んでいく。心の内を見せない少年達の歌声は静かに物語るようで染み入った。
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事実から創作へ・課題発表
 事実から創作へ。その訓練として新聞記事を創作することを試しみてみます。さきごろ新聞に、電車に轢かれたが、線路と車両との間に入って奇跡的に助かった子供のニュースがありました。創意工夫で、この九死に一生を得た出来事の記事を、どのように作品に変えることができるか。記事と創作との違いは何か。新聞記事は、忘れ去られるが、作品はいつまでも記憶に残る場合もあります。現に多くの名作の下敷きは、新聞種から生まれています。
ポカリ
   白川達矢
 ポカリを買いに行くよ。
 夫が風邪を引いた娘のために、ポカリを買いに行った。いつもは、娘はぼうっとしてて何を考えているかわからない、と何もしてやらないのに。こんなとき、彼は誰より、わたしよりも娘をわかっているのだ、と感じる。
 甘く、しつこさのない、?に浸透してゆく、水、娘の欲しているもの。
「驚いたよ、まったくさ、ほんとだぜ、電車に乗ってたら急にブレエキかかってさ」
 夫は珈琲をぐびぐびと飲み干すと、顔を顰めて、続けた。
「俺はポカリを買いに外に出た。久々の散歩になる、と思ってぶらりぶらりとしていたの」
 夫の散歩する姿は、きっと眠気の残った春の熊のように、どた、どた、と足取りが重かったに違いない。
 ずいぶん、かかったのね。
「帰りの電車事故にあったわけ、これがまたすごいの」
 これがまたすごいの、と娘がベッドから身体を起こして夫の口癖を真似をした。わたしは空のコップにポカリを注ぎ、娘の背を押さえながら、飲ませてやる。
「こいつより三つも小さい子なんだけどよ、俺の乗ってた電車の下に潜り込んでいたわけ」
 娘はポカリを飲み干すと、布団に潜り込んだ。布団の中でつつかれた団子虫みたいに小さく丸まって。きっと、電車の下になった子も娘のようだったに違いない。
「それでさ、とにかくすごいのはその子が助かったってこと、すごくないか」
 そうね。
「そうねって、まさか、それだけなのか」
 自分の胸と娘の額に手を当ててご覧なさい。
 それから持ち帰ってきた数枚のチョコレートを。
「今度は、俺が買いに行くって言っているだろう」
 布団の奥から、これがまたすごいの、とくぐもった声が聞こえる。
 娘はわかっているのだ。夫のことを、わたしより。
文芸研究Ⅱ下原ゼミNo・133―――――――― 6――――――――――――――――
新聞記事から創作へ・課題報告

塩崎 真佑
 
 一つの窓からほどよい風が入り込んでいた。
 私がそれに気づいたのは電車に乗ってからすぐのことで、誰が開けたのかさえ知ることはなかったが朝の忙しさを一掃するようである。時折、七部袖からはみ出た腕を擦るように身を震わせる若い女性がいたが、薄い目を開けたお婆さんは杖の持ち手を両手に包みこみ、どっしりと腰を据えている。旅行鞄を隅に寄せ、それから路線図をちらりと横目で見やる男は横長に連なる街並みを食い入るように見つめていた。
 誰も窓を閉めようとはしなかった。
 運転手だけがきりきりと働いていているようであった。私はそれを片目で追いながら、人に習うように端の席に身を寄せていた。誰もが端の席を好むようであった。むしろ、進んで真ん中に座るものは寒々しく縮んで見え、十数人いる乗客は皆それを知っているかのように目を背けた。まるでこの場に居合わせたのは出遅れたものばかりのようである。急がせるものは何一つないとでも言うように一人の女子学生は携帯電話をぽつりと眺めていた。
 それから、話し声は一つもなく新聞紙をめくる音とウォークマンから流れ抜けた音を私は聞き流していた。そして、それも終点が近づくにつれ、がさごそと荷物をかき集めるような動き出す音に変わった。もうすぐ、それに車内放送も加わるだろうと思われた。しかし、それはかき消されてしまった。
 「急停車します 急停車します」
 突如、鳴り響いた危険音にハッとした顔つきがあらゆるところに現れた。
 旅行風の男は身体の向きを運転手のいる前方に合わせ、がっちりと手すりにつかまった。杖を握りしめるお婆さんは眉を上げてブレーキに身体を任せた。
 キキキーッと耳が詰まるような音がした。
 またその瞬間、警笛がかき鳴り不協音が入り混じった。
 ふと電車が止まり切ったのを確認すると、いくつかの視線が運転手のいる前方に集まりそして交差しては散った。何かを口に出そうとするものは一人もいなかった。旅行風の男だけがつかまるように立ち、あとのものは身一つ動こうとはしなかった。
 まず、運転手が外に飛び出た。女子学生は何があったのだろうと頭だけを動かして、窓の外を窺うような仕草を見せたが、呆気にとられた人々は目だけをそわそわと動かし、忙しげに見続けていた。
 それから、「あれ、大変だ」と一人の老人が呟くと、窓に駆けより身を乗り出すかのように首から頭を出した。お婆さんは杖をぐいっと突き、立ち上がった。すると、それに続くように何人かが窓を開け「何かあったんですか」と声を張り上げる者もいた。
 泣き声が聞こえた。
 聞き違えることのない人の声である。
遠くの方から聞こえ始めたその泣き声は車内全体に響き渡るようで、それを聞きつけたのか、いつの間にか後ろの車両からも人が駆けつけていた。
 そして、皆が見守る中、砂利を踏みならす音がして運転手が息を切らしてやって来た。その大きな両腕には小さな子供が抱きかかえられていた。髪の毛はぐしゃぐしゃになり細い腕と脚は薄汚れたように土煙にまかれていたが、女の子は泣き叫ぶように母親を呼んでいた。
「無事のようです、皆さんは大丈夫ですか」
 と穏やかな声を出す運転手は、案じるように乗客一同を見上げた。
――――――――――――――――― 7 ――――― 文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.133
 ほほ笑むものがいた。「おう、よかった」と歓声をあげるように声を出すものもいた。お婆さんは女の子をあやすように「大丈夫、大丈夫」と慰め、女子学生は目を丸くしてそれからほっとしたように席に座りなおした。
 あちらの方から母親らしき人影が駆けてくるのが見えた。運転手は皺だらけの顔をより一層引き締め、子供を抱いて早足でそちらの方へ向かっていく。「ありがとうございます、ありがとうございます」そんな声が聞こえてくるようであった。
 車内放送が流れはじめた。
 誰も何をしているというわけではなかった。ただ、新聞紙は折りたたまれ、網棚にのっている荷物は一つもなかった。それぞれの窓から斜光が照り映え、ついっと風が通りぬける間だけ乗客たちは座っていた。
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死にかけた
                              慈剛寺 徳子
 私は、ですね。あの時、「あの時」って、九月二十二日ですよ。二〇〇九年の。そう。踏切の近くの道で、サツキさんと話していたんですよ。ほら、名前の通りにうるさい人で、だって、「うるさい」って、漢字で書くと、「五月蠅」ってなるでしょう? 名前の通りにうるさいひとなんですよ。
 何の用事だったかな……ああそうそう、八百屋のトマトが安いって。買っておくべきよって。
 それでね、うるさい人だなあと思いながら、幸子を横に立たせてサツキさんの相手をしていたわけですよ。幸子は二歳。退屈そうに、道路の石を蹴っていましたね。だから、お行儀が悪いって、叱ったんですよ。
 で、サツキさんには、もうサンマの季節になるわねえなんて言ってて。
 何でサツキさんの相手なんてしなくてはいけないの? なんて思いながら、ハイハイハイと、聞いていたわけですよ。ああ、早く終わらないかなぁ。
 その時、すごい音がしたんです。何かの乗り物の急ブレーキ。
 幸子がいない。ですから、青ざめました。サツキさんも、あら何かしら。あれ? 幸子ちゃんは?
 なんて、ノンキに言って。なんてノンキなんでしょう!
 今のブレーキ音、聞きました? 幸子がいないのです。
 緊急事態の可能性が高いということを本能的に感じました。
 すぐに踏切に走ると、電車が止まっていました。怒鳴り声のようなのが聞こえました。
「大丈夫か? 大丈夫か?」
 と、誰かが誰かに聞いていました。
 幸子。
 ごめん幸子。
 お人形も、おやつも、お洋服も、好きなのを買ってあげるから、幸子じゃあ、ないよね?
 その時、びー、という爆発したような泣き声が聞こえました。幸子の声です。
 無事? と、考える前に、電車に駆け寄りました。
 ああ、幸子だ。幸子。
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 帽子を被った車掌が、電車の下から、子供を引っ張りだして抱き起こしました。子供――幸子は、片手も片足も両手も両足も無くなっていなくて、笛のような泣き声を、大口を開けて、発していました。
「ああ、この子のお母さんですか?」
 車掌は、私に気づきました。
「無事ですよ。奇跡的に、無事ですよ」
 そう言って、幸子を渡してくれました。
 幸子、やっぱり、お人形も、おやつも、お洋服も、ちょっとは我慢ね。
                               
                                       了
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9・28ゼミ報告
出席者=清水理絵、塩崎真佑、白川達矢、(河西杏子=風邪熱の為早退)
司会進行=白川達矢
1.後期の展望、順調に進むように大福で縁起。
2.ゼミ誌について(編集長代役で白川さんが)提出原稿の確認。
3.愛読書紹介
 ・清水理絵さん=天童荒太『永遠の仔』、漫画・清水玲子著『22XX』、
  カトリーヌ・アルレー著『わらの女』、ドーリスデリエ著『あたし、きれい』
  赤川次郎著『密告の正午』
 ・白川達矢さん=江国香織著、桜庭一樹著、ポール著『本物の魔術師』、
  野坂昭如著『エロ事師たち』ほか、『サキ短編集』
 ・塩崎真佑さん=『西遊記』、『制服概論』、『O・ヘンリー短編集』
  フランス映画「コーラス」、旅行記『アジアの誘惑』
4.テキスト読み 3人で『出来事』
ゼミ誌について
10月30日 ゼミ誌原稿最終受付日。
11月中旬  印刷会社に入稿。
12月14日 刊行されたゼミ誌『下原先生と、ちょっと不愉快な仲間たち』を雑誌編集室に
      提出。
12月14日期限日厳守!!
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土壌館・実践的投稿術 ②
 
 文章力修業として投稿も、その一つの手段といえます。投稿は、投稿者が多ければ多いほど採用される確率は低くなります。が、そのことは即ち投稿作品の質の向上にもなります。様々なものへ観察・興味を抱く要因ともなるので、投稿は一石三鳥ほどの価値があります。
 もっとも投稿といっても、小説・論文投稿から標語まで多種多様です。が、ここでオススメするのは新聞投稿です。新聞は、毎日投稿できます。政治・社会・生活観察・自分の意見と幅もあります。また、時流や出来事のタイミングも重要となり自然、書くことの日常化・習慣化が身につきます。文章力研磨にもってこい場ともいえます。
 土壌館では、文章力を磨く目的はむろんですが、社会への疑惑や自分の意見・感想を伝えるために新聞「声」欄に投稿をつづけています。なぜ「声」欄かというと、500字という字数は、人が飽きなく読む字数であるということと、文体を簡潔にできるからである。
 いまでは、柔道大会、主にオリンピックとかの国際試合ですが、選手が青い稽古着でも、違和感はありません。自然な感じで見ることができます。しかし、十数年前までは、違いました。既に欧州では、カラー化が実施されていたが、日本では喧々諤々でした。稽古着は「白」。そんな信念が大半でした。私も、頑強にそう思っていましたが、あるとき、新聞でヘーシンク氏の柔道に対する熱い思いを知って、翻然、考えが変わった。で、自分の意見を投稿してみた。前回掲載は2月と近かったが、目下、話題中ということからか採用された。
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◆ 1994年5月17日付 朝日新聞「声」欄 下原敏彦
カラー柔道着 いいじゃないか
 11日の本紙「主張・解説」欄の「カラー柔道着 問われる国際化」を読んで、東京五輪無差別級金メダリストのヘーシンク氏の言葉に納得した。
 私は柔道を愛する者の一人として、これまで柔道着のカラー自由化には反対だった。この問題が話題になるたびに「やはり西欧人には、わからん」と、はじめから聞く耳は持たなかった。柔道着は「白」以外にない。これが日本の「伝統文化」であり「武道の魂」である。こんな固定観念に凝り固まっていた。これがどんなに傲慢で不遜な考えかわからなかった。
 だが本紙面でカラー柔道義の発案者であるヘーシンク氏の「子供たちのため、柔道の将来のためにいい、と思うことをやっているだけ」という素直な信念を知って、はじめて目からウロコが落ちた。
 今日の柔道界に、この言葉に勝る言葉があるだろうか。今や試合で勝つ者だけを育てることにきゅうきゅうとする日本柔道。創始者嘉納治五郎の説く「融和強調・自他共栄」の精神からは程遠い感がある。思えば柔道こそ、あらゆる伝統文化の殻を打ち破って生まれたスポーツではなかったのか。人類の向上と全世界の平和を目指す手段としての競技であったはずである。
 白の青のと外見の論争をする前に、柔道の根本精神とは何であったか、いま一度、初心に帰って考えてみてはどうだろうか。
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 この柔道着カラー問題も、しばらくの間、新聞紙上で論争があった。私の投稿のあと、スイスから「国際化の象徴 カラー柔道着」、武蔵野から「柔道着の色で 本質見失うな」など多くの投稿があった。いずれも、カラー化には、賛成のものだったように記憶している。あれから十数年、カラー柔道着は、定着した。
文芸研究Ⅱ下原ゼミNo・133―――――――― 10――――――――――――――――
ゼミ日誌記録
2009年読書と創作の旅の記録
□4月20日 ゼミガイダンス(40分)、見学16名。「おんぼろ道場再建」ビデオ不調。
□4月27日 参加5名、司会・河西杏子 ゼミ誌編集委員決め、読み嘉納治五郎『青年
      訓「精読と多読」、世界名作サローヤン『空中ブランコ』、「憲法・前文と九条」
□5月11日 参加5名、司会・塩崎真佑、テキスト読み『菜の花と小娘』『網走まで』
       『菜の花』の解説、課題観察作品発表・清水理絵「黄金週間」途中まで。
□5月18日 参加4名、司会・白川達矢、テキスト読み『或る朝』、手本『放浪記』
       課題発表・清水理絵「黄金週間」、河西杏子「爽やかな憂鬱」、塩崎真佑「私
       の一日」、白川達矢「女王」、社会観察「政治家の世襲について途中」
□5月25日 参加3名、司会・清水理絵、試験解答、テキスト比較名作読み『三四郎』
      課題発表・白川達矢「覚える」、塩崎真佑「視線」
□6月 1日 参加4名、司会・河西杏子、ゼミ合宿の有無、ゼミ雑誌ガイダンス報告、
      「大学構内教授殺人事件」容疑者調書、第一審判決と量刑。河西「楽しい電車」
□6月 8日 参加5名、司会・内田すみれ、ゼミ誌テーマ決め「種」、名作詩編ヴェルレ
       ーヌ「雨が・・・」、課題発表=清水理絵「勝手に人生相談」、白樫知佳「水
       とバタ」、清水理絵「ちょとつ妄想」、塩崎真佑「新インフルエンザ」、表現
       稽古・紙芝居「少年王者」
□6月15日 参加5名、司会・長井志穂、ゼミ誌タイトル決め「下原先生とちょっと不愉
      快な仲間たち」、テキスト読み志賀直哉『夫婦』、課題発表=永井志穂「不快指
      数の充実」、清水理絵「呪われた木曜日」、塩崎真佑「マナーモード」、塩崎真
      佑「自分の一日」、白樫知佳「カウント」。土壌館『網走まで』解説・途中。
□6月22日 参加3名、司会・白川達矢。ゼミ合宿9月12、13日塩原に決定。テキスト
      読み『濠端の住まい』。課題発表=白川「コインランドリイと」、清水「弁当箱
      を探して」、塩崎「待合室」。名作読み・ヘミングウェイ。『殺し屋』
□6月29日 参加4名、司会・塩崎真佑。ゼミ誌表紙について。ゼミ合宿予備知識。ドス
      トエフスキーとは何か」(『ギャンブル』国文学別冊)読み。課題発表=河西「苦
      い水」、清水「面白くない」、白川「キキ」「ジョジュア」
□7月13日 参加5名 司会・清水理絵 ゼミ誌&ゼミ合宿について、タイ焼で祝う。
○9月12日 ゼミ合宿・那須塩腹、参加5名 『貧しき人々』朗読 司会=白川
□9月28日 参加5名、愛読書発表(清水・白川・塩崎)、テキスト『出来事』読み
□10月19日
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読書の秋 秋の夜長、ぜひ読んでみてください。青春の糧になります。
北條民雄『いのちの初夜』
 ある意味において、全日本文学のなかでこの作品に勝る作品はない。
「・・・この一冊の本『いのちの初夜』は、傑作がおびただしく充満していた昭和10年代においても、一種独特の作品と言わなければならないだろう。傑作かどうか、それは分からない。しかし一読して決して忘れることが出来ず、それを読んだことで読者の魂のなかに鋭い傷をつけ、その傷痕がいつまでも残るような作品である。技術の巧拙など問うところではない。・・・福永武彦(作家)」
―――――――――――――――――― 11 ――――― 文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.133   
前期提出作品内訳
「2009年読書と創作の旅」① 5・11発行
・清水理絵「黄金週間」(一日観察)・・・・・・・・・発表済み
・河西杏子「爽やかな憂鬱」(一日観察)・・・・・・・発表済み
・清水理絵「勝手に相談」(生物観察)・・・・・・・・発表済み
・清水理絵「政治献金について」(社会観察)・・・・・発表済み
「2009年読書と創作の旅」② 5・18発行
・永井志穂「不快指数の充実」(車内観察)・・・・・・発表済み
・白川達矢「覚える」(車内観察)・・・・・・・・・・発表済み
・塩崎真佑「視線」(車内観察)・・・・・・・・・・・発表済み
・河西杏子「楽しい電車」(車内観察)・・・・・・・・発表済み
・白川達矢「水とバタ」(店内観察)・・・・・・・・・発表済み
・白川達矢「女王」(一日観察)・・・・・・・・・・・発表済み
・清水理絵「ちょとつ妄想」(雨日観察)・・・・・・・発表済み
・塩崎真佑「新型インフルエンザ」(社会観察)・・・・発表済み
※ 塩崎真佑「自分の一日」(発表済み)は、『ゼミ通信124』に収録。
          「2009年読書と創作の旅」③   6・1発行
・清水理絵「呪われた木曜日」・・・・・・・・・・・・発表済み
・塩崎真佑「マナーモード」・・・・・・・・・・・・・発表済み
・塩崎真佑「自分の一日」・・・・・・・・・・・・・・発表済み
・白堅知佳「カウント」・・・・・・・・・・・・・・・発表済み
「2009年読書と創作の旅」④ 6・8発行
【大学構内教授殺人事件】犯行の動機。実際の審議と平行してみていく。
〈容疑者の調書〉A、B、C、D・・・・・・・・発表済み
「2009年読書と創作の旅」⑤ 6・15発行
・白樫知佳「コインランドリと「女性」の雑誌と男」・・・・・・発表済み
・河西杏子「苦い水」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・発表済み
・清水理絵「弁当箱を探して」・・・・・・・・・・・・・・・・発表済み
・塩崎真佑「待合室」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・発表済み
「2009年読書と創作の旅」⑥ 6・22発行
・永井志穂「22歳の恥」⑥・・・・・・・・・・・・・・・・・・未発表
・河西杏子「小池騒動記」⑥・・・・・・・・・・・・・・・・・未発表
・塩崎真佑「夜の向こうへ」⑥・・・・・・・・・・・・・・・・未発表
・清水理絵「道化者」⑥・・・・・・・・・・・・・・・・・・・未発表
    「2009年読書と創作の旅」⑦
・永井志穂「生焼けの朝」⑦・・・・・・・・・・・・・・・未発表
・塩崎真佑「一日観察」⑦・・・・・・・・・・・・・・・・未発表
・清水理絵「あさりちゃん」⑦・・・・・・・・・・・・・・未発表
・塩崎真佑「車内観察」⑦・・・・・・・・・・・・・・・・未発表
・白樫知佳「自分観察」⑦・・・・・・・・・・・・・・・・未発表
・白樫知佳「車内観察」⑦・・・・・・・・・・・・・・・・未発表
【中大殺人事件告訴】
・塩崎真佑「重罪を」⑦・・・・・・・・・・・・・・・・・未発表
・白樫知佳「無期」⑦・・・・・・・・・・・・・・・・・・未発表
文芸研究Ⅱ下原ゼミNo・133―――――――― 12――――――――――――――――
後期ゼミ・テキスト予定
 後期にテキスト読みする志賀直哉の作品は次の通りです。
『正義派』・・・・実際にあった出来事だが、人から聞いた。再構築して物語にした。
『子を盗む話』・・・・女児誘拐犯人の心境、動機。
『灰色の月』・・・・・自分の車内観察体験を名作にした。
□名作読みのほかに、途中だった紙芝居「少年王者 第一部」口演を完了する。
ドストエフスキー情報
■ドストエーフスキイの会・例会
 11月21日(土)午後6時から開催、原宿、千駄ヶ谷区民会館
■ドストエーフスキイ全作品を読む会・読書会 詳細は編集室
 12月12日(土)午後2時から開催、東京芸術劇場小会7『カラマーゾフの兄弟』4回目  
情報 2009年教材図書に!!下原敏彦著『伊那谷少年記』(鳥影社)
「コロスケのいた森」入試問題に
『2010年受験用 全国高校入試問題正解 国語(掲載)』旺文社
『2010年受験用 全国高校入試問題正解 英語・数学・国語(掲載)』旺文社
『大阪府 最新入試 過去問 徹底解説』(ベネッセコーポレーション)
社団法人 日本図書教材協会(教育出版社各22社)教材作品
新刊雑誌『江古田文学 71』林芙美子&尾崎翠特集
林芙美子の『北岸部隊』を読む
架空従軍手記「厩舎当番兵の手記」・・・・・下原敏彦  
土壌館日誌
 先日の読書会でのことだ。参加者26名と、読書の秋にふさわしく多勢の出席者だった。会場は定員28人なので、うれしい不安。新しい人、若い人も数人いて懇親会にも参加してくれた。ビールとワインの宴会。チャンポンのせいか一人体調不良で動けなくなった会員がいた。散会となったあと、最後まで残って介抱してくれたのは、三人の若い人たちだった。男の子と女の子二人。そのうち初めて来た人が一人。最近、読書会に来る若い人は頭でっかちの人が多い。そんなふうに思っていたが、明るく親切だった。家族が迎えにくるのを待っていたので終電近くなったが、なにか気持ちよい中秋の夜だった。
                  
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編集室便り
☆ 原稿、歓迎します。学校で直接手渡すか、下記の郵便住所かメール先に送ってください。
 「下原ゼミ通信」編集室宛
  住所〒274-0825 船橋市前原西6-1-12-816 下原方
  メール: TEL・FAX:047-475-1582  toshihiko@shimohara.net
□ゼミの評価基準は可(60~100)とします。評価方法は、次の通りです。
    課題の提出原稿数+出席日数+ゼミ誌原稿+α=評価(60~100)

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