文芸研究Ⅱ 下原ゼミ通信No.141

公開日: 

日本大学芸術学部文芸学科     2010年(平成22年)1月25日発行
文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.141
BUNGEIKENKYU Ⅱ SHIMOHARAZEMI TSUSHIN
                              編集発行人 下原敏彦
                              
後期9/28 10/19 10/26 11/9 11/16 11/30 12/7 12/14 1/18 1/25 
  
2009年、読書と創作の旅
後期の旅は、観察(表層観察と内面観察)から創作(&社会問題コラム)へ
1・25ゼミ
1月25日(月)の最後の下原ゼミは、下記の要領で行います。ゼミ2教室
 1.「ゼミ通信」配布、ゼミ誌作成報告、 
 
 2.名作読み・ドーテ作『最後の授業』&小倉百人一首
 
 3. お別れ会・「2009年読書と創作の旅」回顧
      
【1・18ゼミ報告】  ゼミ雑誌刊行は今月末、 ―パソコン突発事故発生―
 年明けにも完成予定だったゼミ誌の刊行が延期となった。原因は昨年末、突然のパソコン故障。このため、データーが雲散霧消。甚大の被害を受けた。編集長の河西さんは途方に暮れたと言います。が、孤軍奮闘の結果、見通しが立ったようです。ご苦労さまでした。
「2009年読書と創作の旅」を振り返って
 気がつけば最終日です。まだ実感はありませんが本日1月25日をもって、「2009年、読書と創作の旅」は終わります。参加同行のみなさんお疲れさまでした。
 この旅を希望されたのは6名の皆さんでした。が、全員の足並みが揃う日は(18日現在)ありませんでした。記念撮影も延ばしになったままで、今日を迎えてしまいました。残念ではありますが、望みどおり行かないのは世の常、旅の習い。脱落者がいなかったことを芳とします。良かったこともあります。常連同行者が、皆勤者2名、精勤者2名。提出課題も95%という好結果であったことです。課題は、観察・創作・時評・SFと多様でしたが、戸惑うことなく、即した作品が提出されました。旅の目的は、読むこと書くことの習慣化でしたが、十分に果たされたように思います。終わりよければすべてよし、とします。
 未来への旅は、いつのときも不安と困難です。思えば、この旅もそうでした。前期の車窓は、世界を震撼させた豚インフルエンザ流行騒ぎ。後期は、この国の政治では革命に匹敵する政権交代の喧騒。慌ただしい世相でしたが、旅は順調でした。夏合宿では、1845年のロシア、ペテルブルグへの時空の旅。彼の地で会ったワルワーラ嬢やジェーヴシキン氏。いまはなつかしい思い出です。人は、どんなに絶望しても「一つでも懐かしい思い出があれば救われる」とドストエフスキーは言います。皆さんの、本当の人生の旅はこれからです。茨もあれば泥濘もあるでしょう。そんなとき、2009年の旅が、僅かでも励ましの糧になれば幸いです。それでは、みなさん、さらばです。この1年、本当にありがとうございました。 
 (編集室)


文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.141 ―――――――― 2 ―――――――――――――
最後の名作紹介 100冊の現代文学より1つの古典名作を。課して読みましょう。
 「2009年、読書と創作の旅」この旅も本日が最後です。というわけで、最後の読書のススメは、いつも正真正銘の『最後の授業』ドーテーの作品を紹介しています。
 
     最後の授業 ~アルザスの一少年の物語~
      A・ドーデー(桜田佐訳)
 その朝は学校へ行くのがたいへんおそくなったし、それにアメル先生が分詞法の質問をすると言われたのに、私は丸っきり覚えていなかったので、しかられるのが恐ろしかった。一時は、学校を休んで、どこでもいいから駆けまわろうかしら、とも考えた。
 空はよく晴れて暖かかった!
 森の端でつぐみが鳴いている。りベールの原っぱでは、木挽き工場の後でプロシア兵が調練しているのが聞こえる。どれも分詞法の規則よりは心を引きつける。けれどやっと誘惑に打ち勝って、大急ぎで学校へ走って行った。
 役場の前を通った時、金網を張った小さな掲示板の傍に、大勢の人が立ちどまっていた。二年前から、敗戦とか徴発とか司令部の命令というようないやな知らせはみんなここからやってきたのだ。私は歩きながら考えた。
「今度は何が起こったんだろう?」
 そして、小走りに広場を横ぎろうとすると、そこで、内弟子と一緒に掲示を読んでいたかじ屋のワシュテルが、大声で私に言った。
「おい、坊主、そんなに急ぐなよ、どうせ学校には遅れっこないんだから!」
 かじ屋のやつ、私をからかっているんだと思ったので、私は息をはずませてアメル先生の小さな庭の中へ入っていった。
 ふだんは、授業の始まりは大騒ぎで、机を開けたり閉めたり、日課をよく覚えようと耳をふさいでみんな一緒に大声で繰り返したり、先生が大きな定規で机をたたいて、
「も少し静かに!」と叫ぶのが、往来まで聞こえていたものだった。
 私は気づかれずに席につくために、この騒ぎを当てにしていた。しかし、あいにくその日は、何もかもひっそりとして、まるで日曜の朝のようだった。友だちはめいめいの席に並んでいて、アメル先生が、恐ろしい鉄の定規を抱えて行ったり来たりしているのが開いた窓越しに見える。戸を開けて、この静まり返ったまっただなかへ入らなければならない。どんなに恥ずかしく、どんなに恐ろしく思ったことか!
 ところが、大違い。アメル先生は怒らずに私を見て、ごく優しく、こう言った。
「早く席へ着いて、フランツ。君がいないでも始めるところだった。」
 私は腰掛をまたいで、すぐに私の席に着いた。ようやくその時になって、少し恐ろしさがおさまると、私は先生が、督学官の来る日か賞品授与式の日でなければ着ない、立派な、緑色のフロックコートを着て、細かくひだの付いた幅広のネクタイをつけ、刺しゅうをした黒い絹の縁なし帽をかぶっているのに気がついた。それに、教室全体に、何か異様なおごそかさがあった。いちばん驚かされたのは、教室の奥のふだんは空いている席に、村の人たちが、私たちのように黙って腰をおろしていることだった。三角帽を持ったオゼールじいさん、村の村長、元の郵便配達夫、なお、その他、大勢の人たち。そして、この人たちはみんな悲しそうだった。オゼールじいさんは、縁のいたんだ古い初等読本を持って来ていて、ひざの上
にひろげ、大きなめがねを、開いたページの上に置いていた。
※分詞法=動詞が変形し、形容詞の機能を持つもの。インド・ヨーロッパ語族の諸国語に見られ、英語では現在分詞、過去分詞の二つがある。(『広辞苑』)
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 私がこんなことにびっくりしている間に、アメル先生は教壇に上がり、私を迎えたと同じ
優しい重味のある声で、私たちに話した。
「みなさん、私が授業するのはこれが最後(おしまい)です。アルザスとロレーヌの学校では、ドイツ語しか教えてはいけないという命令が、ベルリンから来ました・・・・新しい先生が明日見えます。今日はフランス語の最後のおけいこです。どうかよく注意してください。」
 この言葉は私の気を転倒させた。ああ、ひどい人たちだ。役場に掲示してあったのはこれだったのだ。
 フランス語の最後の授業!・・・・・
 それだのに私はやっと書けるぐらい!ではもう習うことはできないのだろうか!このままでいなければならないのか!むだに過ごした時間、鳥の巣を探しまわったり、ザール川で氷滑りをするために学校をずるけたことを、今となってはどんなにうらめしく思っただろう!さっきまであんなに邪魔で荷厄介に思われた本、文法書や聖書などが、今では別れることのつらい、昔なじみのように思われた。アメル先生にしても同様であった。じきに行ってしまう、もう会うこともあるまい、と考えると、罰を受けたことも、定規で打たれたことも、忘れてしまった。
 きのどくな人!
 彼はこの最後の授業のために晴着を着たのだ。そして、私はなぜこのむらの老人たちが教室のすみに来てすわっていたかが今分かった。どうやらこの学校にあまりたびたび来なかったことを悔やんでいるらしい。また、それは先生に対して、四十年間よく尽くしてくれたことを感謝し、去り行く祖国に対して敬意を表するためでもあった・・・・
 こうして私が感慨にふけっている時、私の名前が呼ばれた。私の暗しょうの番だった。このむずかしい分詞法の規則を大きな声ではっきりと、一つも間違えずに、すっかり言うことができるなら、どんなことでもしただろう。しかし最初からまごついてしまって、立ったまま、悲しい気持で、頭もあげられず、腰掛の間で身体をゆすぶっていた。アメル先生の言葉が聞こえた。
「フランツ、私は君をしかりません。充分罰せられたはずです・・・そんなふうにね。私たちは毎日考えます。なーに、暇は充分ある。明日勉強しょうつて。そしてそのあげくどうなったかお分かりでしょう・・・・ああ!いつも勉強を翌日に延ばすのがアルザスの大きな不幸でした。今あのドイツ人たちにこう言われても仕方がありません。どうしたんだ、君たちはフランス人だと言いはっていた。それなのに自分の言葉を話すことも書くこともできないのか!・・・この点で、フランツ、君がいちばん悪いというわけではない。私たちはみんな大いに非難されなければならないのです。」
「君たちの両親は、君たちが教育を受けることをあまり望まなかった。わずかなお金でもよけい得るように、畑や紡績工場に働きに出すほうを望んだ。私自身にしたところで、何か非難されることはないだろうか?勉強するかわりに、君たちに、たびたび花園に水をやらせはしなかったか?私があゆを釣りに行きたかった時、君たちに休みを与えることをちゅうちょしたろうか?・・・・」
 それから、アメル先生は、フランス語について、つぎからつぎへと話を始めた。フランス語は世界じゅうでいちばん美しい、いちばんはっきりした、いちばん力強い言葉であることや、ある民族がどれいとなっても、その国語を保っているかぎりは、そのろう獄のかぎを握っているようなものだから、私たちのあいだでフランス語をよく守って、決して忘れてはならないことを話した。それから先生は文法の本を取り上げて、今日のけいこのところを読んだ。あまりよく分かるのでびっくりした。先生が言ったことは私には非常にやさしく思われた。私がこれほどよく聞いたことは一度だってなかったし、先生がこれほど辛抱強く説明したこともなかったと思う。行ってしまう前に、きのどくな先生は、知っているだけのことを
すっかり教えて、一どきに私たちの頭の中に入れようとしている、とも思われた。
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 日課が終わると、習字に移った。この日のために、アメル先生は新しいお手本を用意して
おかれた。それには、みごとな丸い書体で、「フランス、アルザス、フランス、アルザス。」と書いてあった。小さな旗が、机のくぎにかかって、教室じゅうにひるがえっているようだった。みんなどんなに一生懸命だったろう!それになんというし静けさ!ただ紙の上をペンのきしるのが聞こえるばかりだ。途中で一度こがね虫が入ってきたが、だれも気をとられない。小さな子どもまでが、一心に棒を引いていた。まるでそれもフランス語であるかのように、まじめに、心をこめて・・・学校の屋根の上では、はとが静かに鳴いていた。私はその声を聞いて、
「今にはとまでドイツ語で鳴かなければならないのじゃないかしら?」と思った。
 ときどきページから目をあげると、アメル先生が教壇にじっとすわって、周囲のものを見つめている。まるで小さな校舎を全部目の中に納めようとしているようだ・・・無理もない!四十年来この同じ場所に、庭を前にして、少しも変わらない彼の教室にいたのだった。ただ、腰掛と机が、使われているあいだに、こすられ、みがかれただけだ。庭のくるみの木が大きくなり彼の手植えのウブロンが、今は窓の葉飾りになって、屋根まで伸びている。かわいそうに、こういうすべての物と別れるということは、彼にとってはどんなに悲しいことであったろう。そして、荷造りしている妹が二階を行来する足音を聞くのは、どんなに苦しかったろう!明日はでかけなくてはならないのだ、永遠にこの土地を去らなければならないのだ。
 それでも彼は勇を鼓して、最後まで授業を続けた。習字の次は歴史の勉強だった。それから、小さな生徒たちがみんな一緒にバブビボビュを歌った。うしろの、教室の奥では、オゼール老人がめがねを掛け、初等読本を両手で持って、彼らと一緒に文字を拾い読みしていた。彼も一生懸命なのが分かった。彼の声は感激に震えていた。それを聞くとあまりこっけいで痛ましくて、私たちはみんな、笑いたくなり、泣きたくもなった。ほんとうに、この最後の授業のことは忘れられない・・・
 とつぜん教会の時計が12時を打ち、続いてアンジェリスの鐘が鳴った。と同時に、調練から帰るプロシャ兵のラッパが私たちのいる窓の下で鳴り響いた・・・アメル先生は青い顔をして教壇に立ち上がった。これほど先生が大きく見えたことはなかった。
「みなさん」と彼は言った。「みなさん、私は・・・私は・・・」
 しかし何かが彼の息を詰まらせた。彼は言葉を終わることができなかった。
 そこで彼は黒板の方へ向きなおると、白墨を一つ手にとって、ありったけの力でしっかりと、できるだけ大きな字で書いた。
「フランスばんざい!」
 そうして、頭を壁に押し当てたまま、そこを動かなかった。そして、手で合図した。
「もうおしまいだ・・・お帰り。」
※この話、舞台はフランスですが、戦争になれば世界中どこでもあることです。
A・ドーテについて
  アルフォンス・ドーデー(1840-1897)は、南フランスの古都ニームに生まれた。若いとき兄がいるパリにきて詩集『恋する女たち』、短編集『風車小屋だより』、自伝小説『プチ・ショーズ』によって作家となった。普仏戦争(1870)が始まると国民兵を志願した。ここで紹介する短編『最後の授業』は、そのときの体験と想像をまじえて創作したもの。フランスは負けてアルザス地方を割譲されるが、作者の憤怒と嘆き愛国心が投影され名作となった。 このときの戦争を「歴史新聞」(日本文芸社)は、下記のように大々的に報じている。
ナポレオン三世プロイセンに降伏
【パリ=1870年9月4日】フランス再び共和制に 敗北知ってパリ市民が暴動
「皇帝、プロイセンに降伏」の報が届いたパリで、四日、帝政廃止を求める暴動が起きた。
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 市民の圧力で第二帝政は崩壊、臨時政府による第三共和制がスタートした。しかしプロイセン軍はパリに向かって進軍を続けており、フランスの混乱はさらに広まっていくと予想される。ドイツ統一はプロイセンの首相オットー・フォン・ビスマルクの悲願である。1866年の対オーストリア戦の勝利で、ビスマルクの夢はほぼ達成された。残るのはフランスとの国境地帯(アルザス、ロレーヌ)の併合だ。一方フランスの皇帝ナポレオン三世にとって、ルクセンブルグ買収を妨害するプロイセンとは、いずれは雌雄を決しなければならない。
 それぞれの領土拡張の思惑がぶつかりあって、両国は1870年7月14日、戦端を開いた。しかし、勝負はあっけなかった。兵力、兵器の性能、実戦経験、いずれの面でもまさっているプロイセンの敵ではなかった。短期間のうちに敗戦をつづけたナポレオン三世は、9月2日、セダン城で降伏した。
※ この戦争の後、和平条約でフランスは、アルザス、ロレーヌ地方をプロイセンに割譲した。が、これに怒ったパリ市民は、武器をとてって蜂起した。
パリ・コミューン成立(1871・3・28)
政府軍ヴェルサイユに逃亡 民衆による「直接民主制開始へ」
作品観察 この作品は、アルフォス・ドーデー(1840-1897)が1873年に出した短編集『月曜物語』のなかの一編。パリの新聞に掲載(1871-1873)されたなかの一つです。敗戦国の悲哀と愛国心を描いた名作です。普段は退屈で嫌いな授業でも、もし最後となれば、もっと真面目にやればよかった。そんな悔いがわきあがる。
 この旅もそう思ってもらえれば幸いである。
余談        ドーデーとシーボルト、そして日本
 アルフォンス・ドーデー(Alphonse Daudet 1840-1897)この作家を知らなくても、シーボルトの名は、たいていの日本人は知っている。1823年、オランダ商館の医員として長崎に着任。日本の動植物・地理・歴史・言語を研究。鳴滝塾を開いて高野長英らに医術を教授。1828年帰国、59年再来航、62年に帰国。日本の医学、開国に大いに貢献したドイツ人。著書に『日本』『日本動物誌』『日本植物誌』などがある。(1796-1866)
 1866年の春、ドーデーはシーボルトと知り合った。作家の言葉を借りれば「私たちはすぐに大の仲良しとなった」。場所は、パリ、テュイルリー宮。シーボルト大佐は、ナポレオン三世に不思議国ジャポン開拓の国際的協会創立計画の嘆願に訪れていた。若い作家は、著名な冒険家の話を喜んで聞いた。気に入ってシーボルトは、日本の悲劇「盲目の皇帝」の校閲を頼んだ。が、ドイツに戦争が起きて頓挫。若い作家は、あきらめずにミュンヘンに追った。「・・・そりゃあ君すばらしいぜ」大佐はその晩ばかに元気だった。が、翌朝、自宅に行くと彼は亡くなっていた。72歳だった。「盲目の皇帝」は題だけで終わった。
シーボルトと日本
 シーボルトが日本医学に与えた功績は大きい。が、帰国船が台風の被害を受けたことから、思わぬ大事件になった。事件を「歴史新聞」は以下のように報じている。
積み荷から禁制品
シーボルトスパイ容疑で事情聴取へ
 1828年8月10日、来月オランダに帰国予定だったドイツ人医師フォン・シーボルトの荷物から、幕府が海外への持ち出しを禁止している日本地図など数点が発見され、シーボルトは長崎奉行から取り調べを受けることになった。シーボルトは蘭学の普及などに尽力していたが、今回の調査の結果いかんではスパイ容疑で国外追放などの厳しい処分もあるとみられる。(「歴史新聞」) 
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名作紹介
静のなかの緊張と動を見事に詠む
もののふの 矢並(やなみ)つくろう小手の上に 霰たばしる 那須の篠原
鎌倉右大臣實朝郷家集 岩波文庫『金槐和歌集』斉藤茂吉校訂 1972年7月20日発行
 凛とした寒さが張りつめる雪原の那須の野。時が静止したような静寂があたりをおしつつんでいる。時折り、霰がたばしるなか武士が一人黙々と矢並をつくろっている。
 実朝は12歳のとき、兄頼家の後を継いで鎌倉三代の将軍になる。が、1219年28歳で北条の手によって暗殺される。薄幸な生涯だった。
自然観察の表現方法を高く評価(百人一首のなか32番目歌)
 観察は、歌においても同じである。自然の光景を見事、文学表現に変えた一例。
山川に 風のかけたる しがらみは 流れもあへぬ 紅葉なりけり
 春道列樹(はるみちのつらき)
選者・定家は「風のかけたるしがらみ」の表現方法を高く評価、無名の作者だがこの歌を選んだ。他にも評価した、書物は多くある。
・応永抄「誠にはじめて云い出したる妙処也」
・頼孝本「ことばあたらしきおもしろきうたなり」
・上條本「粉骨也」
・米沢本「金玉なり」
※ なお、この表現内容の理解には、二つの微妙な解釈がある。
例えば、応永抄などは「紅葉が間断なく散り落ちて流れもせきかえすばかりであるのを言った」とする説をとっている。が、経厚抄などはその説を批判し「谷風の吹き上がるままに、水の木の葉を吹き溜めてながさぬ所」としている。参考にした『百人一首』全注訳有吉保(講談社学術文庫)では後者に「ここは従うべきであろう」としている。編集室の所感も同様である。秋、ハイキングに行ったとき、谷川でよくこのような光景を目にする。が、前者のように間断なく散り落ちていては、あまり情緒を感じられないような気がする。
1・18ゼミ「百人一首」で遊ぶ
 1・18ゼミで「百人一首」大会を催した。折り悪く、河西杏子さん、白川達矢さんは体調不良で欠席。内田すみれさんも欠席だったが、永井志穂さんが久しぶりに顔をみせた。
 で、大会参加者は、永井志穂さん、塩崎真佑さん、清水理絵さんの3名。百人一首については、永井さんは、学校でも家庭でもやったことがあるという上達者。塩崎さん、清水さんは、中学校のころ、学校で国語として学んだ程度。カルタとりは初体験。はじめに、「坊主めくり」をした。このゲームは各地でルールが多少違うようだ。お坊さんが出ると返すのは、同じだが、女性天皇と女官(紫式部や清少納言ら)を姫としているところもある。先日は、式台にいる人だけがもらえるルールにした。一番は、清水さん。一度もお坊さんを引かなかった。運の強さがあるようだ。塩崎さん、永井さん、下原は同じくらい。
 百人一首の読み人は、下原。永井さんは、昔取った杵柄で、下の句前の拾いが多かった。敏捷は清水さん。見つけたら電光石火。塩崎さんは、おっとりだが、皆の見逃しをそっと。緊張の30分。結果は、清水さん33枚、塩崎さん25枚、残りは永井さんでした。河西さんや白川君が加わったら、もっと熾烈に面白くなった、との感想。
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「2009年、読書と創作の旅」の記録
 
参加者: 塩崎真佑、河西杏子、清水理絵、内田すみれ、永井志穂、白川達矢
前 期
□4月20日 ゼミガイダンス(40分)、見学16名。「おんぼろ道場再建」ビデオ不調。
□4月27日 参加5名、司会・河西杏子 ゼミ誌編集委員決め、読み嘉納治五郎『青年
      訓「精読と多読」、世界名作サローヤン『空中ブランコ』、「憲法・前文と九条」
□5月11日 参加5名、司会・塩崎真佑、テキスト読み『菜の花と小娘』『網走まで』
       『菜の花』の解説、課題観察作品発表・清水理絵「黄金週間」途中まで。
□5月18日 参加4名、司会・白川達矢、テキスト読み『或る朝』、手本『放浪記』
       課題発表・清水理絵「黄金週間」、河西杏子「爽やかな憂鬱」、塩崎真佑「私
       の一日」、白川達矢「女王」、社会観察「政治家の世襲について途中」
□5月25日 参加3名、司会・清水理絵、試験解答、テキスト比較名作読み『三四郎』
      課題発表・白川達矢「覚える」、塩崎真佑「視線」
□6月 1日 参加4名、司会・河西杏子、ゼミ合宿の有無、ゼミ雑誌ガイダンス報告、
      「大学構内教授殺人事件」容疑者調書、第一審判決と量刑。河西「楽しい電車」
□6月 8日 参加5名、司会・内田すみれ、ゼミ誌テーマ決め「種」、名作詩編ヴェルレ
       ーヌ「雨が・・・」、課題発表=清水理絵「勝手に人生相談」、白樫知佳「水
       とバタ」、清水理絵「ちょとつ妄想」、塩崎真佑「新インフルエンザ」、表現
       稽古・紙芝居「少年王者」
□6月15日 参加5名、司会・長井志穂、ゼミ誌タイトル決め「下原先生とちょっと不愉
      快な仲間たち」、テキスト読み志賀直哉『夫婦』、課題発表=永井志穂「不快指
      数の充実」、清水理絵「呪われた木曜日」、塩崎真佑「マナーモード」、塩崎真
      佑「自分の一日」、白樫知佳「カウント」。土壌館『網走まで』解説・途中。
□6月22日 参加3名、司会・白川達矢。ゼミ合宿9月12、13日塩原に決定。テキスト
      読み『濠端の住まい』。課題発表=白川「コインランドリイと」、清水「弁当箱
      を探して」、塩崎「待合室」。名作読み・ヘミングウェイ。『殺し屋』
□6月29日 参加4名、司会・塩崎真佑。ゼミ誌表紙について。ゼミ合宿予備知識。ドス
      トエフスキーとは何か」(『ギャンブル』国文学別冊)読み。課題発表=河西「苦
      い水」、清水「面白くない」、白川「キキ」「ジョジュア」
□7月13日 参加5名、司会・清水理絵、ゼミ誌&ゼミ合宿について、タイ焼きで祝う。
□9月12~13日 ゼミ合宿・那須塩原、参加5名 マラソン読書『貧しき人々』朗読
       司会=白川 12日午後15時半~13日午前2時
後 期
□9月28日 参加5名、司会・白川、愛読書発表(清水・白川・塩崎)『出来事』読み
□10月19日 参加4名、司会・河西 課題発表、『正義派』読み、名作『あしなが』
□10月26日 参加3名、司会・塩崎 課題発表「登録」塩崎作品、『灰色の月』読み
□11月 9日 参加者4名、司会・清水、課題発表・社会問題「登録」塩崎、「つなわたり」
       塩崎、テキスト読み『子を盗む話』途中
□11月16日 参加3名、司会・白川 テキスト読み『児を盗む話』、課題発・表時事「折
       りたたみ傘」清水理絵、「米軍基地を笑うとき」塩崎真佑、社会問題・オレ
       オレ詐欺「詐欺電話」白川、記事創作SF「アルディの一日」清水、「アル
       ディの森」塩崎。
文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.141 ――――――――8 ――――――――――――――――
□11月30日 テキスト読み「ハンの犯罪」、寸劇仮稽古「ナイフ投げ奇術師美人妻事件」
       参加4名、司会・河西、ゼミ誌報告、課題発表「華麗なる復讐」清水理絵、
       「タカシ」河西杏子
□12月 7日 参加者4名 司会・塩崎、ゼミ誌、寸劇稽古、課題発表「事件もの」
□12月14日 三ゼミ合同発表会、寸劇「ハンの犯罪」裁判 白川(インフル)
□1月18日 参加3名(塩崎、清水、永井)、ゼミ誌再編集中、百人一首について
□1月25日 「2009年、読書と創作の旅」を振り返って。
土壌館創作道場・提出課題収録
「2009年読書と創作の旅」① 5・11発行
・清水理絵「黄金週間」(一日観察)・・・・・・・・・・・・・・・発表済み
・河西杏子「爽やかな憂鬱」(一日観察)・・・・・・・・・・・・・発表済み
・清水理絵「勝手に相談」(生物観察)・・・・・・・・・・・・・・発表済み
・清水理絵「政治献金について」(社会観察)・・・・・・・・・・・発表済み
「2009年読書と創作の旅」② 5・18発行
・永井志穂「不快指数の充実」(車内観察)・・・・・・・・・・・・発表済み
・白川達矢「覚える」(車内観察)・・・・・・・・・・・・・・・・発表済み
・塩崎真佑「視線」(車内観察)・・・・・・・・・・・・・・・・・発表済み
・河西杏子「楽しい電車」(車内観察)・・・・・・・・・・・・・・発表済み
・白川達矢「水とバタ」(店内観察)・・・・・・・・・・・・・・・発表済み
・白川達矢「女王」(一日観察)・・・・・・・・・・・・・・・・・発表済み
・清水理絵「ちょとつ妄想」(雨日観察)・・・・・・・・・・・・・発表済み
・塩崎真佑「新型インフルエンザ」(社会観察)・・・・・・・・・・発表済み
※ 塩崎真佑「自分の一日」(発表済み)は、『ゼミ通信124』に収録。
          「2009年読書と創作の旅」③ 6・1発行
・清水理絵「呪われた木曜日」・・・・・・・・・・・・・・・・・発表済み
・塩崎真佑「マナーモード」・・・・・・・・・・・・・・・・・・発表済み
・塩崎真佑「自分の一日」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・発表済み
・白堅知佳「カウント」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・発表済み
「2009年読書と創作の旅」④ 6・8発行
【大学構内教授殺人事件】犯行の動機。実際の審議と平行してみていく。
〈容疑者の調書〉A、B、C、D・・・・・・・・・・・・・・・発表済み
「2009年読書と創作の旅」⑤ 6・15発行
・白樫知佳「コインランドリと「女性」の雑誌と男」・・・・・・発表済み
・河西杏子「苦い水」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・発表済み
・清水理絵「弁当箱を探して」・・・・・・・・・・・・・・・・発表済み
・塩崎真佑「待合室」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・発表済み
―――――――――――――――――― 9 ――――― 文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.141
「2009年読書と創作の旅」⑥ 6・22発行
・永井志穂「22歳の恥」⑥・・・・・・・・・・・・・・・・・・・未発表
・河西杏子「小池騒動記」⑥・・・・・・・・・・・・・・・・・・未発表
・塩崎真佑「夜の向こうへ」⑥・・・・・・・・・・・・・・・・・発表済み
・清水理絵「道化者」⑥・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・発表済み
    「2009年読書と創作の旅」⑦ 7・10発行
・永井志穂「生焼けの朝」⑦・・・・・・・・・・・・・・・・・発表済み
・塩崎真佑「一日観察」⑦・・・・・・・・・・・・・・・・・・発表済み
・清水理絵「あさりちゃん」⑦・・・・・・・・・・・・・・・・発表済み
・塩崎真佑「車内観察」⑦・・・・・・・・・・・・・・・・・・発表済み
・白樫知佳「自分観察」⑦・・・・・・・・・・・・・・・・・・発表済み
・白樫知佳「車内観察」⑦・・・・・・・・・・・・・・・・・・発表済み
【中大殺人事件告訴】
・塩崎真佑「重罪を」⑦・・・・・・・・・・・・・・・・・・・発表済み
・白樫知佳「無期」⑦・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・発表済み
「2009年読書と創作の旅」⑧ 「私の愛読書」 10・19発行
・「私の愛読書」清水理絵・・・・・・・・・・・・・・・・・・・発表済み
・「私の愛読書」河西杏子・・・・・・・・・・・・・・・・・・・発表済み
・「私の愛読書」塩崎真佑・・・・・・・・・・・・・・・・・・・発表済み
・「私の愛読書」白川達矢・・・・・・・・・・・・・・・・・・・発表済み
「2009年読書と創作の旅」⑨ 新聞記事観察から創作・コラム
・白川達矢「ポカリ」(電車事故)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・発表済み
・塩崎真佑「窓」(電車事故)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・発表済み
・慈剛寺徳子「死にかけた」(電車事故)・・・・・・・・・・・・・・・・・・発表済み
・塩崎真佑「登録」(社会問題)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・発表済み
・清水理絵「私は中立」(ダム問題)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・発表済み
・塩崎真佑「ダム問題は誰のもの」(ダム問題)・・・・・・・・・・・・・・・発表済み
・清水理絵「好きになったんです」(新聞記事創作)・・・・・・・・・・・・・発表済み
・塩崎真佑「つなわたり」(新聞記事創作)・・・・・・・・・・・・・・・・・発表済み
・清水理絵「沖縄米軍基地」(時事・コラム)・・・・・・・・・・・・・・・・発表済み
・慈剛寺徳子「アルディの一日」(SF・新聞記事創作)・・・・・・・・・・・発表済み
・河西杏子「タカシ」(社会問題)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・発表済み
・塩崎真佑「米軍基地を笑うとき」(時事)・・・・・・・・・・・・・・・・・発表済み
・塩崎真佑「アルディの森」(SF・新聞記事創作)・・・・・・・・・・・・・発表済み
・白川達矢「詐欺電話」(社会問題)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・発表済み
・清水理絵「華麗なる復讐」(事件観察)・・・・・・・・・・・・・・・・・・発表済み
・清水理絵「始まりと終わり」(新聞記事・SF創作)・・・・・・・・・・・・発表済み
・塩崎真佑「あの先にある地」(新聞記事・SF創作)・・・・・・・・・・・・未発表
・塩崎真佑「告白」(事件観察)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・発表済み
 後期は、主に新聞記事からの創作、時評などを課題にした。一つの記事から、物語を生む。難題だったが、多くの作品が提出された。書くことの日常化、習慣化は、日々の精進が肝心です。江古田に行っても怠らぬこと。何事も孤軍奮闘、努力せよ!です。
文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.141 ――――――――10 ――――――――――――――――
連載
土壌館・実践的投稿術 No.10
 文章力修業として投稿も、その一つの手段といえます。投稿は、投稿者が多ければ多いほど採用される確率は低くなります。が、そのことは即ち投稿作品の質の向上にもなります。様々なものへ観察・興味を抱く要因ともなるので、投稿は一石三鳥ほどの価値があります。
 もっとも投稿といっても、小説・論文投稿から標語まで多種多様です。が、ここでオススメするのは新聞投稿です。新聞は、毎日投稿できます。政治・社会・生活観察・自分の意見と幅もあります。また、時流や出来事のタイミングも重要となり自然、書くことの日常化・習慣化が身につきます。文章力研磨にもってこい場ともいえます。
 土壌館では、文章力を磨く目的はむろんですが、社会への疑惑や自分の意見・感想を伝えるために新聞「声」欄に投稿をつづけています。なぜ「声」欄かというと、500字という字数は、人が飽きなく読む字数であるということと、文体を簡潔にできるからである。
 いまの季節、受験生たちには、厳しく辛い日々である。が、その先にある卒業式は、いろんな面で感慨深く、待ち遠しいものに違いない。昨今の、高校事情はわからないが、15年前は、受験戦争が激しかった。進学校は、大学のための塾化していた。そんな時代の卒業式に出席し、会場内の雰囲気や生徒たちをしっかり観察してみた。
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◆ 1995年(平成7年)3月15日 ーー曜日 朝日新聞「声」欄 下原敏彦
教師の創意で 生徒に楽しさ
 先日、県立高校の卒業式にPTAの来賓として出席した。初めての体験だった。私の世代では卒業式と聞けば厳粛で格式ばったもの。その印象に加え三年間にも及ぶ受験戦争を思い、疲弊しきった卒業生を想像した。それだけに、さぞ重苦しい雰囲気だろうな。そんな杞憂があった。
 だが、壇上から眺めた卒業生たちの表情は明るかった。式典も、そんな生徒たちを送るにふさわしいものだった。
 卒業証書を授与する際、校長先生が生徒一人一人に握手を求め、耳元で何事かささやく姿がほほえましかった。いきなりクラス全員が鳴らすクラッカーに驚かされた。スカートのすそをつまんで西洋の宮廷式おじぎをしてみせる女生徒に、笑いを誘われた。突如マイクをとって学校にお礼をのべる生徒に、冷や汗をかかされた。数々のパフォーマンス。高校生活を楽しく送ることができたあかしでは、とうれしく思った。
 進学校の教育現場が大学予備軍育成所と言われて久しい。だが、今回卒業式に出席してみて、ただ受験生を育てるためだけの学舎ではないことがわかった。昨今、何かと問題多い教育現場である。だが教育者の創意と工夫があれば、子供はどうにでも成長する。
 まだ高校教育に希望がもてた。
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投稿術バックナンバー
No.1 「医師への金品 規制できぬか」   1994・2・2   朝日新聞「声」欄
No.2 「カラー柔道着 いいじゃないか」  1994・5・17  朝日新聞「声」欄
No.3  「立会人が見た 活気ある投票所」 2009・9・2   朝日新聞「声」欄
No.4 「勧誘の仕方 改められぬか」   1994・10・15 朝日新聞「声」欄
No.5 「団地建替え 住めぬ人びと」    1995・9・24 朝日新聞「声」欄
No.6 「地域に必要な 子供たちの場」   1996・11・5   朝日新聞「声」欄
No.7 「燃える家々に 戦争を実感」MoMo 1999・4・3   朝日新聞「声」欄
No.8 「嘉納」の理念 世界に発信を   2009・3・10   朝日新聞「声」欄
No.9 「50歳の1年生 師の撮影行脚」  1996・9・16   朝日新聞『声」欄
No.10 「教師の創意で 生徒に楽しさ」 1995・3・15   朝日新聞「声」欄
―――――――――――――――――― 11 ――――― 文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.141
テレビ番組観察 2010・1・20 8チャンネル21時「ベストハウス123 実録超常現象」
エクソシスト完全記録 悪魔が取りついた少女
 日本制作のBSドキュメンタリー番組を見ていると、ときどきいい加減なもの不誠実なものが目につく。作り手の受け狙いが勉強不足、想像力の無さを越えてしまったところに要因があるとみる。BSのドキュメンタリーがそうなのだから民放のバラエティー番組は何をかいわんやではあるが、20日の夜、たまたま見た話は、大いに疑問を感じるものだった。柔道から帰ってテレビをつけたら、ちょうどこの番組だった。「エクソシスト完全記録 悪魔が取りついた少女」この手の話の信憑性は、どのくらいかは知らないが、証拠のテープがあるというので、つい見てしまった。話は、ヨーロッパのキリスト教圏に実際にあった出来事として紹介された。普通の家庭の19歳になる娘さんが、ある日、突然、悪魔に乗り移られたというのである。途方に暮れた両親。美人の娘さんの写真が映された。病状は、食事をしなくなり、悪魔になぐられたという痣が顔や体にできて、娘さんは日に日に衰弱していく。ときどき奇声を発する。困り果てた両親は、いくつもの大病院、おおぜいの精神科医に診せたが、診断結果はみな同じ「わからない」だった。映画『エクソシスト』を見た人ならわかりは早いと思うが、簡単に言えばあんな話である。両親は、最後の望みの綱として宗教に救いを求めた。つまりキリスト教の教会に頼みこんだのである。教会は、この病状を悪魔に乗り移られたと判断した。本当かどうかは知らないがローマのバチカンには、実際、悪魔祓いする人がいてエクソシストと呼ばれているという。話どおりにいくと、法王庁は、ただちに二人の悪魔祓い師を派遣した。彼らは、娘の中に悪魔が5匹いると宣言し、さっそく悪魔祓いにかかる。まるで昔の回虫のようで可笑しくなった。悪魔は、イエスを裏切ったユダ、キリスト教徒を迫害したネロ、ホロコーストのヒットラーらだという。このへんで、この話の真実味は吹き飛んでしまうのだが、証拠のテープがあるというので、なおも見つづけた。
 悪魔は、二人の悪魔祓い師の祈りと説教により1匹づつ娘の体から抜け出た。最後の大悪魔は、かなり抵抗したが、それでもやっとのことで追い払った。とたん、娘さんの明るい声のテープ。あきらかに悪魔がいたときとは別人の声だ。娘さんは、元気になった。
 が、話はここからだった。数日たつと、安堵し喜ぶ両親に娘さんは、突然、奇妙なことを言った。それは、散歩から帰ったときだった。野原で、マリアさまが現れた、と彼女は話した。彼女が言うには、マリア様はこう話されたという。「悪魔が、あなたから抜け出したために、多くの娘さんが、不幸になる。あなたが、もう一度、悪魔を受け入れれば、多くの娘さんが救われる」当然、両親は、その要求を断りなさい、と言った。が、彼女は、自分が犠牲になることを選ぶ。彼女は、再び苦しみのうめき声をあげる。テープの声も、彼女が発した声とは、到底、思われない奇声、怒号。スタジオの出演者も、震える地獄の叫び。
 両親は、あわてて二人の悪魔祓い師に連絡。駆けつけた二人は、必死で説得と祈りを繰り返すが、両親の願いむなしく、娘さんは19年の短い生涯を閉じる。キリスト教的には、皆を救う為に悪魔に身を捧げた美談。まさか、嘘だろう。おもわず声をあげた。西洋医学は、なんなのだと憤慨しかかったが、次のナレーションで、ほっとした。当局は、過失致死罪で、両親と教会の悪魔祓い師を逮捕したという。しかし、懲役1年、執行猶予3年は、あまりに軽すぎる。やはりキリスト教の国だからだろうか。先日、日本でも宗教で赤ん坊を飢え死にさせた両親が逮捕されたが、宗教を信じすぎる人間の不思議を思う。いまだ、この話が超現象として配信されていることに驚く。精神科医は抗議しないのだろうか。
 彼女の死因は、やせ細った結果であるとのこと。食事をとらなかったせい。なぜ、食事を取らなかったのか。彼女は、拒食症だと推理する。この病気は、痩せて魂だけになりたいというと嗜癖の奇病である。彼女たちは、痩せるためなら何でもする。自分の体を傷つけ。体を売るのも厭わない。自分のなかに悪魔を棲まわせることなど、お茶のこである。宗教のなのもとにおおぜいの人たちが振り回され、彼女自身も死んだ。もっと糾弾されるべきである。
 では、どうしたら救えたのか。両親が医者に頼らず、宗教に頼らず、娘の近くで辛抱強く忍耐強く観察すべきだったのだ。それしかこの奇病を治癒する道はない。 (編集室)
文芸研究Ⅱ下原ゼミNo・141―――――――― 12――――――――――――――――
下原ゼミⅡゼミ雑誌紹介(2004年~)
2004年『背中に人生を』飯塚、蛯沢、小倉、小山田、金牧、木佐貫、木村、坂江、寺嶋、
    友枝、林、御橋、若宮
2005年『柔』中谷英里・田中大喜・林正人・関秀樹・小河原佑平・平岩理史・林絵美
    ・中村健人・大島直文・津田優也・畑茉林
2006年『サンサシオン』大江彩乃・中川めぐみ・猿渡公一・高嶋翔・鈴木秀和・神田奈都
    子・佐藤翔星
2007年『COCO電』高橋享平・疋田祥子・茂木愛由未・金野幸裕・山根裕作
2008年『ドレミファそらシド』川端里佳・大野菜摘・刀祢平和也・瀧澤亮佑・野島龍
    ・本名友子・秋山有香・大谷理恵・坂本義明・飯島優季・長沼知子・橋本祥大
    ・田山千夏子・臼杵友之・小黒貴之
2009年『下原先生と ちょつと不愉快な仲間たち』
     河西杏子、清水理絵、塩崎真佑、白川達矢、永井志穂、内田すみれ
近日刊行 椋鳩十記念・第8回伊那谷童話大賞特別賞受賞作品 2002・11・17
         やまなみ
下原敏彦著『山脈はるかに』D文学会 2010・2・22
 昭和28年、高校を出たばかりの谷蕗子は、山村の小学校に代用教員として赴任した。30名の新一年生の担任だった。彼女を待っていたのは悪童たち。女性教師の悪戦苦闘の物語。
 8年の沈黙を破って、いま刊行!感動の学校小説。
東京エージェンシー出版 2010・2・22
28会&下原編集『100歳になった先生と還暦になった一年生』
 1955年岩波写真文庫『一年生 -ある小学教師の記録-』あの一年生が還暦を過ぎた。撮影した先生は100歳。いまも健在で写真を撮り続けている。
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編集室便り
☆ 原稿、歓迎します。学校で直接手渡すか、下記の郵便住所かメール先に送ってください。
 「下原ゼミ通信」編集室宛
  住所〒274-0825 船橋市前原西6-1-12-816 下原方
  メール: TEL・FAX:047-475-1582  toshihiko@shimohara.net
□ゼミの評価基準は可(60~100)とします。評価方法は、次の通りです。
  課題の提出原稿数+出席日数+ゼミ誌原稿+α=評価(60~100)
江古田では、体に気をつけて、元気に勉学に励んでください。
    
    さようなら

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