文芸研究Ⅱ 下原ゼミ通信No.145

公開日: 

日本大学芸術学部文芸学科     2010年(平成22年)5月17日発行
文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.145
BUNGEIKENKYU Ⅱ SHIMOHARAZEMI TSUSHIN
                              編集発行人 下原敏彦
                              
前期4/19 4/26 5/10 5/17 5/24 5/31 6/7 6/14 6/21 6/28 7/12 
  
2010年、読書と創作の旅
前期の観察旅は、(車中と日常) & 名作読み・発表・表現
5・17ゼミ
5月17日(月)の下原ゼミは、下記の要領で行います。ゼミ2教室
1.「2010年読書と創作の旅」・車窓「米軍基地問題」について 
  2.名作観察・詩編と古典SF「フェッセンデンの宇宙」
  3. 車中観察テキスト読み(車中作品「網走まで」)・比較作品『三四郎』
      
5・10ゼミ、観察ニュース(概略)
連休明けの不安
 連休明けのゼミは、やや不安である。五月病の発症者が気になるからである。五月病とは、1968年(昭和43年)に流行語となった単語で、この時期にあらわれる現象をいう。4月は、新しい人生の出発。だれもが(そうでない人もいるが)学校、職場に張り切っていく。その疲れがどっとでるのと連休が重なってあらわれる現象。症状は、倦怠、憂鬱、厭世である。若葉繁る季節。鳥は歌い、生き物は戯れる。人間だけがふさぎの虫にとりつかれる。そんなことで、この時期、学校や職場に行かなくなる人が多いという統計がある。
さて、この観察旅「2010年」を選んだ8名の同行者たちはどうか。
登録者11名か・・・出席は7名
 登録者、3名増えて11名と知る。が、この日、参加は7名だった。五月病と関連ないことを祈るばかりである。参加者は、次の人たちです。
・藤重はるか  ・後藤大喜  ・越智美和  ・竹下晃誠  ・高口直人
     ・阿井大和   ・立川陸生
車窓観察「普天間米軍基地」についての所感
 ゆっくり走りだした車窓だが、遠くはギリシャの経済破綻から、近くは上海万博、韓国軍哨戒艇沈没、北朝鮮の関与濃厚と騒々しい。そのなかで連日、映る「普天間米軍基地問題」について、この出来事をどう見ているのか。関心あるのか、自分の考えを述べあった。
名作観察、『空中ぶらんこ』に衝撃
 最初の名作観察は、サローヤンの『空中ぶらんこに乗った大胆な青年』をとりあげた。以前は、最初にどんな名作を紹介しようと迷った。が、このごろは、ウイリアム・サローヤンのこの作品にしている。少々、短いのが物足らないが、文学を志すものにグサリとくる作品。日本のお座敷文学とは違うなにかがある。それを知ってもらえたら、と思った。「気に入りました。もっと早く読みたかった」そんな感想に頼もしさを感じた初日であった。


文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.145―――――――― 2 ―――――――――――――
車窓観察 風薫る五月半ば、一年のうちで一番爽やかな、良い季節・・・のはずが車窓
は相変わらず暗い出来事がつづいている。
ロシア深刻「孤児問題」(読売5月11日)
 新聞の海外欄に上記の3段抜き大見出しが目についた。昨今、プーチン首相の強権下で、経済発展しているように見えるロシアだが、社会面ではまだ立ち遅れているようだ。親の貧困、薬物、アルコール中毒で親が親権を放棄し、施設に入れられる子どもが増えているという。今日、18歳未満の孤児は70万人に迫るという。今回、新聞記事となったのは、そうした孤児の国際縁組の一件である。米国の看護師の女(33)がロシア人男児(8)を養子にしたが、育てあぐねて飛行機で送り返した騒動。男児は直行便に一人で乗せられモスクワに到着した。服には「(子どもが暴力的で)ロシアの孤児院にだまされた」と書かれたメモがピンで留められていた。よくペットが成長したからと捨てる人間がいる。この女も、そうした人間の一人だろう。虐待しなかっただけよかったといえるが。この無責任の親元にメドベージェフ大統領は「おぞましい行為」と不快感をあらわにした。ロシアの教育科学省によると、こうした「社会的孤児」は孤児全体の8割にのぼる。しかし、ロシアの孤児問題は、何もいまにはじまったことではない。124年前も深刻な問題となっていた。その時代、孤児となった子どもたちは生きてゆくために犯罪に手を染めた。そんな子どもたちの更生施設があった。1876年12月ドストエフスキーは、そうした施設の一つを訪ねて、こんな記事を書いている。
(『作家の日記』米川正夫訳)・・・わたしは、火薬工場の向こうにある少年犯罪者の部落(幼き犯罪者の部落)を訪問した。・・・ここには、一軒に一組ずつの割で「家族」が住んでいる。家族とは、12人から17人までの少年の群れで各家族に一人ずつの養育係がついているのだ。・・・この記事を作家は、孤児たちの親に対し怒りをもって書いている。が、無責任な親や大人は、いつの時代になっても後を絶たないようだ。
※こうした孤児問題、ひところ東欧に多かった。1990年12月ルーマニア革命のあと「チャウシェスクの子どもたち」という孤児が駅周辺に溢れていた。あの子どもたちは、その後どうなったか。いま、友人がブカレストの日本人学校に校長として赴任しているが、最近は、ルーマニアの国情も安定してきたとのメール。
受験票の顔 2人の合成写真(5月10日 朝日)
 新手の替え玉受験である。これまで本人と受験生を見分けるのに、受験票に張り付けてある顔写真を決めてにしていた。が、このたび発覚したのは、その写真が受験生本人と替え玉の顔写真をパソコンで合成したものだという。二人は似た顔で、合成にすると、どちらともとれたという。事件は、中央大学理工学部2009年度入試会場で起きた。この日8255人が受験し、1822人が合格した。替え玉は、この合格者のなかにいた。替え玉は他の私立大理工系学部の学生。中学時代からの同級生の代わりに受けた。理由は、友情とか、同級生のよしみではなく、中学時代からのイジメの延長の果てらしい。匿名投書で発覚。浪人生は合格取り消し、学生は無期停学処分になった。なんとも後味の悪い事件だ。替玉事件は、1991年に明治大学でもあった。有名タレントの息子らが関わっていて大騒ぎになった。
 いずれにせよ、替え玉受験は、陰惨だ。が、昔あった、あの替え玉受験は、世間の同情をかった。多くの父親は、替え玉の気持ちを汲んで涙したものである。その事件とは「津田塾女装替玉受験事件」である。1975年(昭和50年)、入試会場の津田塾は、なにか異様なざわめきがあった。前日、受験した女の子。服装はレンガ色のパンタロン、白いタートルネックのセーターと普通だが、顔は、受験で疲れているにしてもどうみてもオッサンなのである。意を決して大学側は彼女に聞いた。「あなたはだれですか?」。彼女は答えた。「父親です」。先日亡くなった井上ひさしさんは「すばらしい話です。・・・娘と父親の、涙なくしては聞けない心温まる話です。・・・」と絶賛した。よき時代だった。(笑)
―――――――――――――――――― 3 ――――― 文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.145
 
「2010年読書と創作の旅」5・17プログラム
本日のゼミは下記の要領で行います。
「ゼミ通信」配布、点呼、11名全員いれば再度記念写真、「車窓観察」、司会指名
お知らせ ゼミ雑誌編集ガイダンス5月25日(火)
1. 5・10ゼミ観察 普天間米軍基地問題報告
2. 名作観察 5月の詩 宇宙のニュースから古典SF「フェッセンデンの宇宙」
3. テキスト2車中観察作品「網走まで」
4. テキスト比較作品『三四郎』
1、5・10ゼミ観察
2名の初参加者の自己紹介
この日、はじめて参加した2名の人の自己紹介があった。
・竹下 晃誠(たけした こうせい)95A-050-8
 
動機:「自分の創作活動を更に飛躍させるためには、このゼミの講座内容が最も良いと感じた為です。
PR:「自分は中学三年生の頃から小説を書き始め、素晴らしい作品を書くということを人生の目標にしてきました。自分の目標は小説家として作品を世に出すことです。」
□ スポーツ選手なら、目標までよく走り、鍛えるですが、小説家なら、よく読み、よく書くことでしょう。何事も練習と稽古あるのみです。このゼミで、よい作品を書ける土壌をつくってください。
・高口 直人(こうぐち なおと)95A-130-6
動機:「自分が今までに書いたことどころか、あまり触れたことのない車中作品というものにとても興味がわいたので志望しました。」
PR:「私は、おせじにも創作能力が優れているとはいえないですが、この一年間でできるだけ多くのものを吸収したいという意志が強くあります。」
□ まさに「意志あれば、道あり」です。興味と意志があれば、何事も克服できます。毎日乗る、車中で観察眼を磨いてください。能力は、土壌と同じです。一生懸命に耕せばよい畑になり、よい実がなります。
文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.145 ―――――――― 4 ―――――――――――――――
普天間米軍基地問題について
車窓観察で、連日、報道されている普天間米軍基地移設問題をとりあげた。60年間戦争がなかったことと米軍基地の7割が沖縄に集中する日本。沖縄県外の国民にとって、この問題は、いまひとつ現実感が薄い。平成生まれのゼミ参加者は、どうみているのか。7名の参加者が、自身の考えと意見を述べあった。
【米軍基地について】 必要5名、必要でない2名
Aさん 「まったくいらない」他国からの侵略脅威ない。税金のムダ。
Bさん 「必要」 核の傘で平和が守られている。北朝鮮のミサイルが危険。
Cさん 「本当はいらないが、現実的には、いる」第9条を守りながら考える。
Dさん 「いる」抑止力になっている。後ろ盾の役目を果たしている。
Eさん 「いる」戦争発生を防いでいる。
Fさん 「いらない」基地があることにリアリティがない。
Gさん 「いる」基地がないとアジア情勢が悪くなる。
【普天間基地は、どうなると思うか】現在の政府の方針、島民の意見から
・「あくまで国外移設を推す」1名
・決着がつかなければ「現状維持でしかたがない」4名
・とにかく「出ていってもらう」1名
・沖縄と徳之島と交渉「だめなら現状維持」1名
【米国が今、思っていること】タルボット元国務副長官の発言(5月15日読売)
日米同盟 停滞打開が必要 米海兵隊 沖縄に必要
 オバマ政権に影響力をもつといわれている米国の政策研究機関は、今回の普天間問題について、こんな見解をもっているらしい。
「・・・もっとも大切な原則は、強い日米同盟が続くことだ。普天間移設に関する2006年の日米合意(に基づく沖縄県名護市辺野古に移設する現行計画)は、(日米の)大変な労力が注ぎ込まれた良いものであり、(そこから離れて)どうやってすべての関係者の要求を満たす方法を見いだせるのか・・・」この会見談話から推察すると米国の腹は辺野古と決まっているようだが。打ち破る策はあるのか。
 米軍基地観察は、よい意味で意外だった。沖縄出身者、基地周辺住人はいなかったが、皆この問題を真剣に捉えていることがわかった。 (もしかして興味外、そんな心配があったのだが杞憂だった)。今というときは、出来事という積み木の頂点にある。人類の歴史は積み木崩しの歴史である。エデンの園を出て以来、人間は積み木の山をまるで幼児のように積んでは崩し、崩しては積んできた。サラエボに響いた一発の銃声、ウォール街に吹き荒れた不況風。たった一つの積み木崩れで人間の理想と尊厳は、脆くも崩れ去った。
日本も同様である。1868年、富国強兵のもとに積み上げた山は60年たたずして1945年灰塵と化した。それから60余年。第9条を土台にした積み木の山。崩れることなく今日まできた。が、この先、世界はどうなるのか。神のみぞ知る。肝心なのは、関心と観察である。米軍基地問題という一つの積み木。置き方ひとつで未来の今が変わるかもしれない。それだけにどこに置くのか、常に自分のこととして見守り意見していって欲しいものです。
―――――――――――――――――― 5 ――――― 文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.145
普天間問題について新聞投書欄には、さまざまな意見が連日、寄せられている。下記に紹介するものは、最近見かけて納得したものです。
朝日新聞2010年5月12日 水曜日 「声」欄
普天間問題 全知事が姿勢示せ
         
   建築家 高橋和郎(64)
 米軍普天間飛行場移設問題は、政権交代を受けて問題の本質を考え直す千載一遇の好機なのに、どのマスコミを見ても報道されるのは、首相の資質などへの疑問と5月末までという日取り、そして沖縄県と一部隣県の対応、この三つに関してだけである。これは根本的におかしい。
 これは国民全員の問題であり、全都道府県の問題なのだ。国内は絶対ダメという民意及び国の方針ならば、それこそ首相が他国と協議をすべきである。いや国内がいいというなら、政府だけでなく全都道府県知事を加えて協議すべきである。
 おかしいのは、新党づくりや政策集団づくりにあれほど活動的で能弁だった知事たちの声がこの件に対してほとんど聞こえてこないことである。この問題は沖縄だけの問題にして、自分の都道府県はかかわりたくないという無言の意志表示なのか。もしそうだとしたら情けない。
 首相の迷走ぶりだけを非難している人々は、旧政権下でアメリカと政治的な交渉をして、民意を顧みずに取り決めた内容に戻ればいいとでも言うのであろうか。
 いまこそ国民が皆で考え、本当の意思をあらわし、その実現のためにあらゆる方法を主体的に考えるべき時だ。5月末などの意味もない起源にこだわる必要など全くない。
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※ 最近、大阪の橋下知事が手をあげたようだ。
■ちなみに海外の国際政治学者は、どんなふうにみているのか。
5月13日 朝日新聞「私の視点」から
フィリピン・デラサール大のレナート・デカストロ教授
「・・・もし、この問題で日米安保関係が揺り動かされ、弱められるようなことになれば、周辺諸国の不安も高まるかもしれない。」
と、アジア情勢を心配している。実際にテロがあり、ゲリラ戦もある。フィリピンにとって米軍は、平和の保険として重要。そして、もうひとつ日本人にはわからないが、こちらが本音と思うが日本軍の再軍備化を本気で心配している。第二次大戦で日本軍にひどい目にあっている国は、日本に米軍がいることと、第9条があることで安心しているのだ。
英ケンブリッジ大のジョン・スェンソンライト教授
「有権者は公約を実現できるかどうかに関心を寄せている。/真の改革とは難しいものなのだ。」と述べ、「有権者は〈政治を変える〉という理念を温かく迎える。」
選挙で現政権を選択したのだから覚悟がいると言っている。短期間に成果がでないと、すぐに罰しようとする日本人の忍耐のなさ、堪え性のなさに警鐘を鳴らしている。
ここでわかることは、アジア人と西欧人の米軍基地問題をみる違いである。共通しているのは、日本のように米軍基地=悪、迷惑なものとしてとらえていないところだ。
文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.145 ―――――――― 6 ―――――――――――――――
二、名作観察
初夏の詩 いまのこの季節になると思い出す詩があります。よく晴れた五月の青い空。真っ白なちぎれ雲がうかんでいる。燦々と光が注ぐ谷間。若葉繁る林に爽やかな風が吹き抜けていく。若葉が騒ぎ、木漏れ日が若草の上を走る。なんと心地よい風景だろうか。花は咲き、鳥は歌う。美しい自然の景色が瞼に浮かぶ。しかし、・・・・・
谷間に眠るもの
立ちはだかる山の肩から陽がさし込めば、
ここ、青葉のしげりにしげる窪地の、一すじの唄う小流れは、
狂おしく、銀のかげろうを、あたりの草にからませて、
狭い谷間は、光で沸き立ちかえる。
 年若い一人の兵隊が、ぽかんと口をひらき、なにもかぶらず、
青々と、涼しそうな水菜のなかに、ぼんのくぼをひたして眠っている。
ゆく雲のした、草のうえ、
光ふりそそぐ緑の褥(しとね)に蒼ざめ、横たわり、
 二つの足は、水仙菖蒲(すいせんしょうぶ)のなかにつっこみ、
病気の子供のような笑顔さえうかべて、一眠りしているんだよ。
やさしい自然よ。やつは寒いんだから、あっためてやっておくれ。
 いろんないい匂いが風にはこばれてきても、鼻の穴はそよぎもしない。
静止した胸のうえに手をのせて、安らかに眠っている彼の右横腹に、
まっ赤にひらいた銃弾の穴が、二つ。
『ランボオ詩集』アルチュール・ランボオ(1854-1891)、訳・金子光晴 詩の背景は、フランスのナポレオン三世とビスマルクのプロシアとの戦争(1870)。
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宇宙の謎 「宇宙は謎です。私はその謎を解きたい」は、アインシュタインの言葉である。いまも人類は、その謎を解かんと日々努力している。明日18日、種子島から打ち上げ予定の金星探査機「あかつき」と宇宙帆船の実証機「イカロス」もその一環だ。が、もっと遠くの宇宙の解明も、試みられている。5月10日、東大数物連携宇宙研究機構などの研究グループは、欧州の天文衛星やすばる望遠鏡(米ハワイ島)を使い、くじら座の方角に新たな銀河団があることを発表した。近赤外線装置で距離を測ったところ、その銀河団は96億光年かなたという。「最も遠い銀河団」(5月11日読売)らしい。そこには何があるのか。どんなに科学が進んでも人間がそこに行き着くことは不可能である。計算はできても・・・。
だが、あきらめることなかれ。96億光年何するものぞ。空想と想像力さえあれば、たとえ宇宙が無限でも行くことも知ることができる。というわけでSF古典の名作を紹介します。
エドモンド・ハミルトン(1904-1977)中村融編訳(河出書房新社)初出1937・4の短編
「フェッセンデンの宇宙」作品コピー配布
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車中観察    テキスト2『網走まで』の読み
はじめに
 小説の神様といわれる志賀直哉の作品といえば唯一の長編『暗夜行路』をはじめ『和解』『灰色の月』『城の崎にて』といった名作が思い浮ぶ。浮かばない人でも『小僧の神様』『清兵衛と瓢箪』『菜の花と小娘』と聞けば、学生時代をなつかしく思い出すに違いない。もっとも最近は、そうでもないようだが、これらの作品はかつて教科書の定番であった。また、物語好きな人なら『范の犯罪』や『赤西蠣太』は忘れられぬ一品である。他にも『正義派』『子を盗む話』など珠玉の短編がある。いずれも日本文学を代表する作品群である。こうしたなかで、処女作『網走まで』は、一見、なんの変哲もない小説とも思えぬ作品である。が、その実、志賀直哉の文学にとって重要な要素を含んでいる。
 かつて川端康成は、志賀直哉を「文学の源泉」と評した。その意味について正直、若いときはよくわからなかった。ただ漠然と、文学を極めた川端康成がそう言うから、そうなのだろう・・・ぐらいの安易な理解度だった。しかし、志賀文学を読みすすめるなかで、その意味することがなんとなくわかってきた。そうして、川端康成が評した「源泉」の源とは、処女作『網走まで』にある。そのように思えてきたのである。そして『網走まで』を読解できなければ、志賀直哉の文学を理解できない。とんでもない思い違いをしているかも知れない。が、そのように読み解いた。そんなわけで、この作品からスタートする。車中作品を主体とするのは、車中作品に観察度が多くみられるからである。
『網走まで』とは何か
 小説『網走まで』は、当時の原稿用紙(20×25)十七枚余りの、ちょっと見にはエッセイふうの小作品である。が、ある意味でこの作品は、金剛石の要素を持っている。光り輝くか否かは、読者の読解力の有無にかかっている。
 1910年『白樺』第一号に発表された志賀直哉の初期作品『網走まで』は、400字詰原稿用紙で21枚足らずの創作である。たまたま乗り合わせた母子をヒントに書いた、筋らしい筋もない物語。たいていの読者は、見逃してしまう初期作品である。むろん私も全く記憶になかった。7年前、ゼミでテキストに選んだ折り、何度か読み返してみて、はじめてこの作品の非凡さに気がついた体たらくである。
 しかし、どんな高価な金剛石でも、磨かなければただの石である。『網走まで』も、ただざっと読んだだけでは、なんの変哲もない作品である。「こんなものが、はたして作品と呼べるのか」そんな感想も無理からぬことである。だがしかし、しっかり繰り返し読めば、いつかははたと気がつき目からうろこが落ちた思いがするに違いない。他の車中作品も読みながら、この一年、そのへんのところを謎といてゆきたい。
 では、『網走まで』とはいったいどんな作品なのか。まずは読んでみよう。         
 
『網走まで』解説(『志賀直哉全集』岩波書店)
 明治43年(1910)4月1日発行の『白樺』第1巻第1号に発表され、大正7年(1918)3月、新潮社より刊行された白樺同人の作品集『白樺の森』に、現在のものにもっとも近いかたちになおして収め、「明治41年8月14日」と執筆年月が・・・明記されている。
 「菜の花と小娘」「或る朝」「網走まで」いわゆる三つの処女作といわれる。
志賀直哉 1883年(明治16年)2月20日~1971年(昭和46年)10月21日88歳
文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.145 ―――――――― 8 ―――――――――――――――
「2010年、読書と創作の旅」の記録
4月19日 ガイダンス 嘉納治五郎の「読書のススメ」、志賀直哉「菜の花と小娘」読み
4月26日 司会=越智 担当決め(正副班長=立川・後藤 ゼミ正副編集長=伊藤・塚本)
     自己紹介、ビデオ「おんぼろ道場再建」、「ひがんさの山」参加8名
5月10日 司会=立川、参加7名、車窓観察「沖縄米軍基地問題」討議、名作観察「空中
ぶらんこに乗った大胆な青年」、車内観察テキスト1「夫婦」
課題 1.車内観察 2.自分観察「普通の一日」
掲示板
ゼミ誌ガイダンスは、5月25日火曜日
■ 5月29日(土)ドストエーフスキイの会第198回例会開催午後6時~9時
        JR原宿駅徒歩5分 千駄ヶ谷区民会館 会員外500円
        会雑誌『広場2009』合評
■ 6月12日(土)ドストエーフスキイ全作品を読む会第239回読書会
        『作家の日記』「おかしな人間の夢」
        池袋西口・東京芸術劇場小会議室7 1000円(学生半額)
※ 詳細並びに興味ある人は「下原ゼミ通信」編集室まで
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編集室便り
☆ 課題原稿、学校で直接手渡すか、下記の郵便住所かメール先に送ってください。
 「下原ゼミ通信」編集室宛
  住所〒274-0825 船橋市前原西6-1-12-816 下原方
  メール: TEL・FAX:047-475-1582  toshihiko@shimohara.net
□ゼミの評価基準は可(60~100)とします。評価方法は、次の通りです。
  課題の提出原稿数+出席日数+α=評価(60~100)
課題1.           車内観察
     「            」
                                
名前:
課題2.           自分観察「普通の一日」
                                
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