文芸研究Ⅱ 下原ゼミ通信No.148

公開日: 

日本大学芸術学部文芸学科     2010年(平成22年)6月7日発行
文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.148
BUNGEIKENKYU Ⅱ SHIMOHARAZEMI TSUSHIN
                              編集発行人 下原敏彦
                              
前期4/19 4/26 5/10 5/17 5/24 5/31 6/7 6/14 6/21 6/28 7/12 
  
2010年、読書と創作の旅
前期の観察旅は、(車中と日常) & 名作読み・発表・表現
6・7ゼミ
6月7日(月)の下原ゼミは、下記の要領で行います。ゼミ2教室
1.「2010年読書と創作の旅」、ゼミ誌編集会議
  2.課題発表&合評 
  3. テキスト「出来事」(車内観察)「兒を盗む」(自分観察)
  4. 名作読み書簡小説orテキスト分析『網走まで』草稿読み
      
5・31ゼミ観察    前期、早くも半分。が、焦らずに
          今年は、なぜか旅立ちがばらばらになってしまった。そのせいかなかなか参加者の足並みが揃わない。しかし、季節だけは、どんどんと過ぎて行く。いつのまにか前期も半分になった。まだテキストは2作読了のみ、観察作品の発表もできていない。が、ここは焦らずにやって行きたい。と、いうことで、この日は休憩とした。
出席者は3名
中日の臨時休憩が、以心伝心したらしい。この日は最後の五月晴れに誘われてか欠席者が多かった。出席したのは、・越智美和さん ・阿井大和君 ・立川陸生君の三名だった。
モーパッサン短編『狂人』犯罪観察 
休憩ということで、モーパッサンの短編を一編観察した。最近、秋葉原事件を代表するような「人を殺してみたくなった」そんな動機の殺人事件が多く起きている。識者は、現代の病理と解説する。が、モーパッサンは、すでに19世紀において、そのような人間を描いていた。あらすじは、裁判長という人を裁く立場の人間が、その病魔に犯されていた恐ろしい話。短編の名手といえば、モーパッサンです。「田舎」「都会」「幽霊」「戦争」など多くの分野の作品があります。電車の中で読むには、ちょうどよい長さです。
余興に、口演・紙芝居『少年王者』
 出席者は少なかったが、せっかくの中日休憩ということで。余興に紙芝居口演を実演した。出し物は、戦後すぐのベストセラー『少年王者』。戦争に負け、元気を失くした大人たちだが、この作品は、当時の少年少女たちに夢を与えた。紙芝居のコツは、無声映画の弁士と同じで一人何役もこなす。観客をあきさせない。越智、立川、阿井の3名は順番に、第一部「生い立ち」編を口演稽古した。はじめてで演技性に欠けたが、それでも時間がなくて、最後の場面、ライオン・エルとの対決のシーンまで行かなかった


文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.148―――――――― 2 ―――――――――――――
車窓雑記       混迷、現在への出発点
1968年観察
  
 政治の世界「一寸先は闇」とは、よく言ったものだ。この一週間、政界は目まぐるしく変転した。予想つかない出来事が次々起きた。鳩山首相の辞任、内閣総辞職、第94代首相指名、新内閣誕生と、息つく間もないほどであった。テレビのニュースを見ていて、改めて認識したことがある。鳩山さんと管さんの年齢である。二人とも63歳。いわゆる、走りではあるが団塊の世代の人たちだ。この世代、全共闘世代ともいわれ、どちらかといえばレールから外れてしまった人たちが多い感がある。が、二人とも、そんな過去はないようだ。目標への道を逸れることなく来たような気がする。「宇宙人」「イラ菅」と呼ばれることから、全学連か新人類世代を連想していた。が、私と同世代とわかったことで、少しは彼らの政治方針が読み取れるのではないか。そんなふうに安堵するところである。
団塊世代の特徴は、理想論を掲げて挫折するところである。まさに鳩山さんである。が、この世代の人たちを理解するには、あの年代を知る必要がある。あの年代とは――私が勝手に感じるだけかもしれないが、この団塊世代の人生をふり返ってみたとき印象深いのは、やはり、あのとき年ではなかろうか。いまから42年前の1968年である。彼らが20~21歳の青春真っ盛りの年である。あのころ時代も大学も熱かった。それだけに(『1Q64』が話題になってはいるが)1968年、この年は、彼らに多大な影響を及ぼしたとみる。
というわけで、その年、1968年を覗いてみた。ここから今がわかるかも知れない。敷いては、これからが読み解けるかも。
 この年、ベトナム戦争は激化の一途を辿っていた。が、日本は表層面では、のんびりしていた。経済成長を謳歌して昭和元禄、と呼ばれ「五月病」「ノンポリ学生」「失神」の言葉が生まれたのも、この年だった。この時代、団塊世代と呼ばれるようになる人たちは、青春だった。この年、車窓に映った風景は、こんなだった。。
■ 1月19日、原子力空母エンタープライズが佐世保港に入港した。各地で反対集会が行われた。(17~21日には「新左翼」系学生800名と、警官隊400名が4回にわたって衝突した)政府(佐藤栄作首相)は、「原子力空母の寄港には今後も同意」するとした。
 今回、普天間問題で、鳩山首相は抑止力を勉強したというが、当時の政府自民党は非核三原則(密約で、まっく意味のないものだったが)、核兵器廃絶の努力、核の平和利用、米の抑止力への依存という政策案を提出していた。沖縄は、米占領下で、基地問題は論外だった。この問題の表面化は1972年5月15日の沖縄返還協定発効で本土復帰、沖縄県発足からである。このとき大学2~3年生だったであろう、鳩山さん、菅さんはどのように、これら出来事を眺めていただろう。まさに風雲急を告げる時代であった。
■ 1月29日、東京大学医学部の学生自治会は、医師法改正(インターン廃止と医師登録制)に反対の無期限ストを開始した。学校当局は、強引な処分を実施、怒った学生たちは、安田講堂占拠の暴挙にでた。世にいう東大紛争のはじまりである。
■ 7月7日、第8回参議院選挙が行われた。が、このときから日本の選挙は大きく変わっていった、といっても過言ではない。石原慎太郎、青島幸男、横山ノックといったマスメディアで人気のある候補者が多数票を得て当選したのだ。タレント代議士のはじまりである。かつてある批評家がテレビを「一億白痴」するものと評したが、まさに、このときからタレント政治家が雨後のタケノコのように、国会を賑わしていくことになる。
■ 海の向こう米国も転換期を迎えていた。3月31日ベトナム戦争を拡大したジョンソン大統領の不出馬宣言、6月5日将来の大統領候補ロバート・ケネディ議員の暗殺。11月6日、のちに盗聴事件(映画『大統領の陰謀』)を起こし辞任したニクソン大統領の当選。吉か凶か、1968年は世界も日本も現在へのターニングポイントにあったといえる。そして、我が日本大学でも容易ならざる出来事が勃発したのだ。これについては次号に掲載。
―――――――――――――――――― 3 ――――― 文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.148
 
「2010年、読書と創作の旅」6・7プログラム
本日のゼミは下記の要領で実施します。
「ゼミ通信148号」配布 点呼 11名全員いれば再度記念撮影 「車窓雑記」、司会指名
 ※司会者は、名作、テキスト読みの配分を考えて、全員に読んでもらうよう、読みの途中で区切りを指示してください。討議・合評・感想では司会してください。
司会進行
1. 5・25ゼミ雑誌作成ガイダンス報告&編集会議 (伊藤・塚本正副編集長)
2. 課題・観察作品発表と合評(伊藤・重野提出原稿)
3. テキスト車内観察『出来事』読みと感想・
4. テキスト自分観察(犯罪心理観察)『兒を盗む』読みと感想
1. ゼミ雑誌作成ガイダンス報告 伊藤・塚本正副編集長
先週30日、できなかったので、今日、25日ゼミ誌ガイダンス報告と編集会議
ゼミ雑誌誌作成計画
ゼミの一年間の成果は、ゼミ誌にあります。皆で協力して、記念碑としてください。ちなみに、すべてのゼミ雑誌と実習誌を対象とした
2009年度の「第二回 金のたまご文学賞」
の創作部門で2008年下原ゼミⅡ『ドレミファそらシド』から小黒貴之君の「宙をくりぬく」が選ばれています。
1.ゼミ雑誌作成ガイダンス5月25日正午12時20分から教室1 正副編集長参加
 2.「ゼミ雑誌発行申請書」を出版編集室に提出
 3.ゼミ誌の装丁を決める
 4.9月末をメドに原稿締め切り
 5.印刷会社を決める。レイアウトなど編集作業
 6.「見積書」を出版編集室に提出
 7.11月半ばまでに印刷会社に入稿
 8.12月15日(後期前半授業終了日)刊行のゼミ誌を出版編集室に提出 締切り厳守
 9.印刷会社からの「請求書」を出版編集室に提出
重要事項 → 「ゼミ雑誌発行申請書」「見積書」「請求書」の提出
※ ゼミ誌掲載作品について、課題提出の観察作品も掲載できればと思っています。
※ 観察作品のなかから「土壌館文芸賞」を選考します。
2010年12月15日納品締切り厳守!!
メモ
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文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.148 ―――――――― 4 ―――――――――――――――
2.課題観察作品発表・合評
観察度ポイント
1. 想像・物語性への広がりを感じるか。(どうなるのかという興味)
2. 核になるところはあるか。(『夫婦』の機微のような)
3. わかりやすいか。(まずは、これが一番である)
課題1・車内観察発表  (仮)は編集室
(仮)青春老女
                            伊藤 果南
 先日電車に乗り込むと、目の前に一人分には少し狭いようなスペースの座席が空いていた。一瞬悩む幅、けれども横に座ったおばさんが、自分のお尻に懸命に上着の裾をたくし込んでくれるのを見たら、座らないと悪いような気になった。
 「あなた良かったわね。あそこにいる人が席を譲ってくれたんだけど、あの人のときは一人分だったのよ、私たちなら二人座れるわ」
 おばさんの指差す先には大柄な男性が。ちょっと笑ってお礼言うと、ふと、そのおばさんのネイルが素敵なことに気がついた。ゴールドのマットなベース、親指には白椿の花を描いている。なかなかのセンスだった。
 「素敵なネイルですね」
 「ああ、これ?あなたのも素敵じゃない。ご自分で描いたのかしら?」
 「はぁ、でも私のは手入れしないので、剥げかけちゃってて…」
 「私はね、お正月に百合の花を描いてたんだけど飽きちゃったのよ。それで今度は白椿にして観ようと思ったの。出掛けに履いた靴がたまたまゴールドだったもんで、わざわざネイルも塗り直したのよ」
 そう言うおばさんの指先を、もう一度まじまじと見てみると、職人芸と呼べるほどの細やかさで、椿の花弁一枚一枚がとても丁寧に描かれている。私は自分の剥げかけた爪先に再び視線を落として、なんだかとても恥ずかしくなってしまった。
 「すごいこだわりですね」
 「お近くだったらして差し上げるのに。私、三島から来てるのよ。そうそう、この真珠のブレスレッドも私が作ったの」
 「へえ、手作りには見えないくらい粒が揃ってますよ。いつも素敵なファッションでいるっていいですよね」
 「うふふ。主婦失格ってことだけど、こういうこと、好きなのよ。私ももう八十一になってるんだけど」
 私はびっくりして隣で微笑む”おばさん”を見た。ハタチになる私より、半世紀以上長く生きてきたとは到底思えないその老女は、八十を過ぎていると言いながらも、どこか私には持ち得ない、女の色気を感じさせてならなかった。
□そうですね、「車窓雑記」にも書きましたが、お年寄り度は年齢ではないですね。
以下のアンケートに答えてください。評価ではなく、あくまで自分の感想・見方です。
1(わからん)、2(何かもの足らない)、3(普通)、4、(情景浮かぶ)、5(もっと読みたい)
観察度    →  1   2   3   4   5  理由は→
リアル度   →  1   2   3   4   5  理由は→
まとまり度  →  1   2   3   4   5  理由は→
――――――――――――――――― 5 ―――――――文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.148
課題1・車内観察発表
女装趣味の男
重野 武尊
 
先日、私は本厚木まで用事があり、夜7時過ぎに小旅行用の荷物と一眼レフカメラを持ち、出かけた。所沢から秋津まで西武新宿線で行き、そこから徒歩6分の新秋津まで行く。そこでJR武蔵野線府中本町行きへ乗った。その中で見かけたことである。
私がなにげなく座っていた席の正面に明らかにおかしい女性が座っていたのだ。頭にバンダナ(口)に大きなマスク、男もののくつ、ジャンパー、そして女子高生の制服のような短いスカート。そして、何より変なのが、その人が電車内の誰よりもでかく、マッチョだということであった。大きな体に短いスカートは、あまりにも不恰好だった。バンダナのすきまから、短く刈られたえりあしが見えた。おそらく男の人だ。車中人々の注目を集めつつ、『カラマーゾフの兄弟』を読んでいた。彼はキャリーバックと紙袋を2つ持ち、西国分寺で降りていった。
余談だが、私のとなりに座っていた女子大生は2駅乗り過ごしたようだ。
□ その人は、どんな日常生活をしているのでしょうね。相当ハチャメチャを想像しますが、ドストエフスキーを本当に読んでいたとしたら、案外、しっかりした生活をしている人かもしれません。
以下のアンケートは、評価ではありません。自分の書いたものを他者は、どう思うか。ものを書いて人に見せたいなら、そこが一番に肝心です。
1(わからなかった)、2(物足らない)、3(普通)、4、(情景浮かぶ)、5(もっと読みたい)
観察度    → 1   2   3   4   5 → 理由は
リアル度   → 1   2   3   4   5 → 理由は
まとまり度  → 1   2   3   4   5 → 理由は
課題2・自分の観察「普通の一日」
(仮)遠い目覚め
重野 武尊
 朝、目が覚めました。AM8:00です。雨ではないようなので自転車で行くことにします。自転車なら30分で着くので、もう30分眠ることにしました。
 目が覚めました。AM8:50です。もう1限には間に合いません。しかたがないので3限から行くことにしました。1,2限は出席をとるかどうか忘れたので、とらないのだ、とじぶんに言い聞かせ、とりあえず眠りました。
 PM0:00を過ぎたので、家を出ました。空は、すっかり晴れました。私は、「晴れたなあ、良い天気だなあ」と、一つとり残された、ぽっかり雲につぶやきました。
自転車に乗ります。ところどころで、とても臭いにおいがします。私は、栗の花のにおいなのではないだろうかとにらんでいます。
でも、そのいつもかぐにおいが、どこからやって来ているのか、今だにわかりません。私は、「臭いなあ」と桜の葉っぱにつぶやきます。
学校につきました。でも、3限も、4限も出席をとりません。めんどうくさくなったので、部室に行きます。誰もいないので、ゲームを始めました。でもつまらなくなって、すぐにや
文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.148―――――――― 6 ――――――――――――――――
めました。テレビをつけました。何やら外国のドラマがやっております。私は「つまらないなあ」と窓から見える空につぶやきました。
帰ったらカレーを作って食べようと思います。
□ 絵画も同じですが、一目みて誰れのものかわるようにることが必要です。その意味では、自分の文体ができていると思います。習慣化することで、より確立してください。
観察度    → 1   2   3   4   5 → 理由は
リアル度   → 1   2   3   4   5 → 理由は
まとまり度  → 1   2   3   4   5 → 理由は
テキスト車内観察作品『出来事』
 ゼミでは、車内観察のテキスト1号として『夫婦』や『網走まで』をとりあげ、これら作品の重要性や疑問点を考察してきた。が、実際の車内観察、乗客観察といえば、この作品『出来事』である。夏のある午後に乗った電車。いろんな乗客がいる。何の縁もないが一時を同じ空間で過ごす人たち。作者は、暑さでデレーっとなった彼ら一人ひとりの様子を観察する。人身事故という出来事によって変身する乗客の様子がよく描けている。
 この作品は、1913年(大正2年)9月1日発行の『白樺』第四巻に発表された。志賀直哉30歳のときである。
7月28日の日記「子供が電車にヒカレかかった。(出来事)」。8月15日「病院。かえって『出来事』の了ひを書き直して出来上がってひるね」この夜、友人と散歩にでて山の手電車にはねられて怪我をする。☆ この怪我の治療に城の崎温泉に行き『城の崎にて』を書く。
『出来事』と対極にある作品『正義派』
車内観察作品ではありませんが、『出来事』と対極にある作品『正義派』を併せて読んでみます。観察としては車外(事故)観察にはいります。この作品は明治45年・大正元年(1912)作者29歳のとき書いたものです。前期の『出来事』は人身事故未遂をめぐって車内の乗客の反応の様子でしたが、この作品は、人身事故を目撃した車外の人たちを観察した作品となっています。が、『出来事』のように実際に体験し観察した話ではありません。車に乗ったとき、その車夫から聞いた話を材料に書いたと言っています。『出来事』とは明暗を成す作品です。
テキスト分析
 車夫 → 作者(事故の話)どの程度かは不明。 
 現場にいた人たち = 運転手、巡査、監督、工夫3人
 話を聞いた人たち = 牛肉屋の客と女中、車夫
 事故の話 = 車夫 → 作者
○当事者の心理を想像してみる。多角的に捉える。
・事故を起こした運転手の心理
・鉄道会社の監督の考え。
・目撃した工夫1、工夫2、工夫3の気持。
登場人物一人ひとりの側からみているので立体感がより強くなっている。
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2010年、読書と創作の旅 名作紹介
名作紹介・『谷間の百合』
 この長編の悲恋物語は、現在の恋人に自分が若いときに恋した女性のすばらしさを手紙で書き記した形式をとっています。書簡小説といえます。が、現在の恋人に送った手紙(作品では前文)の冒頭部分が名文なので全文紹介します。(河内 清訳)
ナタリィ・ド・マルネヴィル伯爵夫人に
 
 たってのお望みとあればやむをえません。愛するよりもずっと多く愛されている女性の特権は何事につけても良識の掟を忘れさせてしまうことです。わたしたち男性は、あなたがたが額に皺をお寄せになったり、ほんのわずかな拒絶にあっても気持をそこねて、お唇をふくらしたりなさるのを防ぐために、不思議なほど幾山河でも越えますし、血もささげれば、未来も捨ててかえりみません。今日、あなたはわたしの過去を知りたいとおっしゃいました。ここにそれを送ります。ただナタリィ、このことはよく御承知ください。あなたのお望みに沿うことによって、わたしがこれまで一度も押しのけたことのない嫌悪の気持を足下にふみにじらねばならなかつたことです。それにしても、幸福のさなかにおりおりふいとわたしに起こるはてしない夢想をどうしてお疑いになるのでしょう?またわたしが語らないからといって、これほど愛されているあなたが、どうしてあのような美しいお怒りをお見せになるのでしょう?わたしの性格の明暗を、その理由などはお尋ねにならずに、お楽しみになれなかったのでしょうか?あなたはお心になにか秘めごとを持っておられて、その罪を許させるために、わたしの秘密をお知りになりたいのではありませんか?とにかく、ナタリィ、あなたの推測はあたりました。そこでいっさいを知っていただく方がいいと思います。なるほど、わたしの生活はある幻につかれています。その幻は、なにげない言葉にも呼び起こされて、すぐ漠然と浮かんできますし、またしばしば自分の方から進み出てわたしの頭上で立ち騒ぎます。わたしの魂の奥底にはかずかずの崇高な思い出が埋もれているのです。それはあの穏やかな日によく見え、嵐の日の波濤のために切れ切れになって汀にあがる海底の藻屑のようなものです。過ぎし日の感動というものは、あまりに突然よみがえると、非常な苦しみをあたえます。この手紙では、さまざまな思いの表現に必要だった骨折りが、そうした昔の感動を抑制してくれたのですが、もしこの告白があまりにはなばなしくて、あなたのお気持を傷つけたとしたらあなたこそが、もしわたしがあなたのお望みに従わなければ、と脅かされたことを思って、お望みどおりにしたことをけっしてお咎めにならないでください。この打ち明けをお聞きになってあなたの優しいお心がひとしお深くなりますようにと願っています。ではまた今晩。        フェリックス
 こうして、この青年の告白がはじまる。青春時代すごしたトゥールの谷間。そこでであった病気と気難しい夫の看病をしながら二人の子供を育てる美しい夫人。彼女がいかにすばらしい女性であったか、青年は恋人に延々と書き綴る。母親のような夫人に寄せる思い。これでは、恋人は逃げてしまうのではないか。そんな心配もでてくるくどさである。
 しかし、長編の名作恋愛小説にいえることだが、どんなに長く退屈な物語でも、名作と呼ばれるものは、終盤の数行に逆転満塁ホームランを潜ませている。あの『高慢と偏見』も、最後の1行にそれはあるが、この作品も例外ではない。トゥールの谷間に咲く一輪の百合アンリェットが心の奥に秘めた真実。それを知ったとき、全世界の読者は感動し涙する。同時にバルザックという作家の偉大さも知ることになる。
 世界最高峰の恋愛書簡長編小説。「2010年読書と創作の旅」で、
是非に挑戦してみてください !!
文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.148 ――――――――8 ――――――――――――――――
掲示板
「2010年、読書と創作の旅」の記録
4月19日 ガイダンス 嘉納治五郎の「読書のススメ」、志賀直哉「菜の花と小娘」読み
4月26日 司会=越智美和 担当決め(正副班長=立川・後藤 ゼミ正副編集長=伊藤・
塚本)自己紹介、ビデオ「おんぼろ道場再建」、「ひがんさの山」参加8名
5月10日 司会=立川、参加7名、車窓観察「沖縄米軍基地問題」討議、名作観察「空中
ぶらんこに乗った大胆な青年」、車内観察テキスト「夫婦」
5月17日 司会=阿井大和、参加8名、名作紹介、5月の詩編ランボー「谷間に眠る者」空想観察「フェッセンデンの宇宙」テキスト『網走まで』読みと感想
5月24日 司会=伊藤光英、参加7名、ゼミ合宿採決=無し、名作観察O・ヘンリー『心と手』、『網走まで』の「網走」解説、比較作品『三四郎』、
5月30日 快晴 参加者3名 犯罪観察モーパッサン『狂人』、紙芝居口演『少年王者』
課題 1.車内観察 2.自分観察「普通の一日」 3.テキスト観察「『網走まで』について」、4.「自分の『網走まで』評
   
※ 書けた人は、いつでも提出してください。期限はありませんが、習慣を身につけるために挑戦です。
      
課題提出状況(5月31日現在)
伊藤果南=課題1「車内観察」1  重野武尊=課題1「車内観察」1、課題2「自分観察」1
お知らせ
■ 6月12日(土)ドストエーフスキイ全作品を読む会第239回読書会
        『作家の日記』「おかしな人間の夢」
        池袋西口・東京芸術劇場小会議室5 1000円(学生半額、セミ生0)
※ 詳細並びに興味ある人は「下原ゼミ通信」編集室まで
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編集室便り
☆ 課題原稿、学校で直接手渡すか、下記の郵便住所かメール先に送ってください。
 「下原ゼミ通信」編集室宛
  住所〒274-0825 船橋市前原西6-1-12-816 下原方
  メール: TEL・FAX:047-475-1582  toshihiko@shimohara.net
□ゼミの評価基準は可(60~100)とします。評価方法は、次の通りです。
  課題の提出原稿数+出席日数+α=評価(60~100)
1
付録『網走まで』
2010年、読書と創作の旅 テキスト読み
テキスト読み ポイント「創作性」・「観察」・「疑問点」
 志賀直哉とは何か。この作家を知るためには、いろいろな方法があります。下原ゼミでは、主に車中作品を考察してみます。最初は、処女作の『網走まで』を読んでもらいました。が、一読だけでは解明不十分なので、再読してください。なお、文面は100年前なので編集室で岩波書店『志賀直哉全集』から現代読みにして転載しました。
網走まで
 宇都宮の友に、「日光のかえりには是非おじゃまする」といってやったら、「誘ってくれ、ぼくも行くから」という返事を受け取った。
 それは8月もひどく暑い時分のことで、自分はとくに午後4時20分の汽車を選んで、とにかくその友の所まで行くことにした。汽車は青森行である。自分が上野へ着いた時には、もう大勢の人が改札口へ集っていた。自分もすぐその仲間へ入って立った。
 鈴が鳴って、改札口が開かれた。人々は一度にどよめき立った。鋏の音が繁く聞こえ出す。改札口の手摺りへつかえた手荷物を口を歪めて引っぱる人や、本流からはみだして無理にまた、かえろうとする人や、それを入れまいとする人や、いつもの通りの混雑である。巡査がいやな眼つきで改札人のうしろから客の一人ひとりを見ている。このところを辛うじて出た人々はプラットホームを小走りに急いで、駅夫等の
「先が空いてます、先が空いてます」と叫ぶのも聞かずに、われ先と手近な客車に入りたがる。自分は一番先の客車に乗るつもりで急いだ。
 先の客車は案の定空いていた。自分は一番先の車の一番後ろの一ト間に入つた。後ろの客車に乗れなかった連中が追い追いこのところまでも押し寄せてきた。それでも七分しか入つていない。発車の時がせまつた。遠く近く戸をたてる音、そのおさへ金を掛ける音などが聞こえる。自分のいる間の戸を今閉めようとした帽に赤い筋を巻いた駅員が手をあげて、
「こちらへいらっしゃい。こちらへ」と戸を開けて待っている。26、7の色の白い髪の毛の少ない女の人が、一人をおぶい、一人の手をひいて入ってきた。汽車はすぐでた。
 女の人は西日のさす自分とは反対側の窓のわきに席をとった。また、そのところしか空いていなかったので。
「母さん、どいとくれよ」と7つばかりの男の子が眉のあいだにしわをよせていう。
「ここは暑ござんすよ」と母は背の赤子をおろしながら静かいった。
「暑くたっていいよ」
「日のあたるところにいると、またおつむが痛みますよ」
「いいつたら」と子供は恐ろしい顔をして母をにらんだ。
「瀧さん」と静かに顔を寄せて、「これからね、遠い所まで行くんですからね。もし途中で、お前さんのおつむでも痛みだすと、母さんはほんとうに泣きたいくらい困るんですからね。ね、いい子だから母さんのいうことを聞いてちょうだい。それにね、いまに日のあたらない方の窓があくから、そうしたらすぐいらっしゃいね。解かりまして?」
「頭なんか痛くなりゃしないったら」と子供は尚ケンケンしくいい張った。母は悲しそうな顔をした。
「困るのねえ」
自分は突然
2
「ここへおいでなさい」と窓のところを一尺あまりあけて、「ここなら日があたりませんよ」といった。
 男の子はいやな目で自分を見た。顔色の悪い、頭の鉢の開いた、妙な子だと思った。
自分はいやな気持がした。子供は耳と鼻とに綿をつめていた。
「まあ、どうも恐れ入ります」女の人は悲しい顔に笑いを浮かべて、「瀧さん、お礼をいって、あそこを拝借なさい」と子の背に手をやってこっちへ押すようにする。
「いらっしゃい」自分は男の子の手を取って自分の脇に坐らせた。男の子は妙な目つきで時々自分の顔を見ていたが、しばらくして漸く外の景色に見入った。
「なるたけ、そっちばかり見ていたまえよ、石炭殻が目に入るから」
こんなことをいっても男の子は返事をしない。やがて浦和に来た。ここで自分と向かいあっていた2人が降りたので、女の人は荷と一緒にそこへ移った。荷といっても、女持の信玄袋と風呂敷包みが一つだけ。
「さ、瀧さん、こちらへおいでなさい。どうもありがとうございました」女の人はそういってお辞儀をした。動いたので今までよく眠っていた赤子が目を覚まして泣き出した。母は、
「よしよし」と膝の上でゆすりながら「チチカ、チチカ」とあやすようにいうが、赤子はふんぞり返ってますます泣く。「おおよしよし」と同じようなことをして、こんどは「うま、上げよう」と片手で信玄袋から「園の露」を一つ出してやる。それでも赤子は泣きやまぬ。わきからは、
「母さん、あたいには」とさも不平らしい顔をしていう。
「自分で出して、おあがんなさい」といって母は胸を開けて乳首を含ませ、帯の間から薄汚れた絹のハンケチを出して自分の咽のところへはさんでたらし、開いた胸を隠した。
 男の子は信玄袋の中へ手を入れて探っていたが、
「ううん、これじやないの」と首を振る。
「それでないって、どんなの?」
「玉の」
「玉のはない。あれは持って来なかった」
「いやだあ!玉のでなくちゃ、いや」と鼻声をだす。
「その下にドロップが入ってますから、それをおあがんなさい。ね、いい子、ドロップでもおいしいのよ」
 男の子は不承不承うなづく。母は又片手でそれを出して子の手へ四粒ばかり、それをのせた。
「もっと」と男の子がいう。母は更に二粒足した。
 乳にあきた赤子は、母の髪から落ちたパラフの櫛をいぢって、仕舞いにそれを口へ入れようとする。
「いけません」と母がその小さな手を支えると、赤子は口をあいて、顔をその方へもつていく。下の歯ぐきに小さく白い歯が二つ見えた。
「さ、うまうま」膝の上へ落ちた「園の露」をだすと、あーあーといっていた赤子は黙って、目の玉を寄せてしばらく見つめていたが、櫛を放してそれを取る。そして握り拳のまま口へ入れようとする。その口元からタラタラとよだれがたれた。
 女の人は赤子を少し寝かせ加減にして、股の間へ手をやってみた。濡れていたらしかった。
「おむつをかえましょうね」かう独り言のようにいって更に男の子に、
「瀧さん、少しそこを貸してちょうだい、赤ちゃんのおむつをかえるんですから」
「いやだなア――母ぁさんは」と男の子はいやいや立つ。
「ここへおかけなさい」と自分はふたたび前にかけさせた場所を空けてやった。
「恐れ入ります。どうも気むずかしくて困ります」女の人は寂しく笑った。
「耳や、鼻のお悪いせいもあるでしょう」
「御免あそばせ」と女の人は後ろを向いて包から乾いたおしめと濡れたのを包む油紙とを出しながら、
3
「それもたしかにございます」という。
「いつごろからお悪いんですか」
「これは生まれつきでございますの。お医者さまはこれの父があまり大酒をするからだとおっしゃいますが、鼻や耳は兎に角つむりの悪いのはそんなことではないかと存じます」
 腰掛に仰向けに転がされた赤子はあてもなく何かを見つめて、手を動かして、あーあーと声をだしていた。間もなくおしめをかえ、濡れたのを始末して母は赤子を抱き上げると、
「ありがとうございました・・・・・サア瀧さん、こっちへいらっしゃい」といった。
「かまいません、ここにおいでなさい」といったが、男の子は黙って立って向こう側へ腰かけるとすぐ窓へよりかかって外をながめ始めた。
「まあ、失礼な」女の人は気の毒そうに詫びをいった。
しばらくして自分は、
「どちら迄おいでですか」ときいた。
「北海道でございます。網走とか申すところだそうで、大変遠くて不便なところだそうです」
「なんの国になってますかしら?」
「北見だとか申しました」
「そりゃあ大変だ、五日はどうしても、かかりましょう」
「通して参りましても、一週間はかかるようでございます」
 汽車は今、間々田の停車場を出た。近くの森から蜩(ひぐらし)の声が追いかけるように聞こえる。日は入った。西側の窓際にいた人々は日除け窓を開けた。涼しい風が入る。今しがた、母に抱かれたまま寝入った赤子の一寸余りにのびた生毛が風にをののいている。赤子の軽くひらいた口のあたりに蝿が2、3匹うるさく飛び回る。母はじっと何か考えていたが、時々手のハンケチで蝿をはらった。しばらくして女の人は荷を片寄せ、そこへ赤子を寝かすと、信玄袋から葉書を2、3枚と鉛筆を出して書き始めた。けれども筆はなかなか進まなかった。
「母ァさん」景色にもあきてきた男の子は、眠そうな目をしていった。
「なあに?」
「まだなかなか?」
「ええ、なかなかですからね、おねむになったら母ァさんに寄りかかって、ねんねなさいょ」
「ねむかない」
「そう、じゃ、何か絵本でもごらんなさいな」
 男の子は黙ってうなずいた。母は包の中から4、5冊の絵本を出してやった。中に古いパックなどがあった。男の子はおとなしく、それらの絵本を一つ一つ見始めた。その時自分は、後ろへ寄りかかって、下目使いをして本を見ている男の子の目と、やはり伏せ目をして葉書を書いている母の目とが、そっくりだということに心附いた。
 自分は両親に伴われた子を――例えば電車で向かい合った場合などに見る時、よくもこれらの何の類似もない男と女との外面に顕れた個性が小さな一人の顔なり、体つきなりのうちに、しっかりと調和され、一つになっているものだということに驚かされる。最初、母と子とを見比べて、よく似ていると思う。次に父と子とを見比べてやはり似ていると思う。そうして、最後に父と母とを見比べて全く類似のないのを何となく不思議に思うことがある。
 今、このことを思い出して、自分はこの母に生まれたこの子から、その父を想像せずにいられなかった。そうしてその人の今の運命までも想像せずにいられない。
 自分は妙な連想からこの女の人の夫の顔や様子をすぐ想い浮かべることができた。自分がもといた学校に、級はそれ程違わなかったが年はたしか五つ六つ上で、曲木という公卿家族があった。自分はその男を思い出した。彼は大酒家であった。大酒をしてはいつも、大きなことをいっていた。鷲鼻の青い顔をした、大柄な男で、勉強は少しもしなかった。二三度つづけて落第して、とうとう自分で退学してしまったが、日露戦争後、上州製麻株式会社とかいうのの社長として、何かの新聞でその名を見たぎり、今はどうしているか更に消息をきかない。自分は、ふとこの男の思い浮かべて、あんな男ではないかしらと思った。しかし彼は
4
大言壮語をするだけで別に気むずかしいという男ではなかった。どこか快活で、ヒョウキンな所さえあった。もっとも、そんな性質はあてにならぬことが多い。いかに快活な男でも度々の失敗にあえば気むずかしくもなる。陰気にもなる。きたない家のなかで弱い妻へ当り散らして、いくらか憂いをはらすというような人間にもなる。
 この子の父はそんな人ではないだろうか。女の人は古いながらも縮緬の単衣にお納戸色をした帯を〆ている。自分には、それから、女の人の結婚以前や、その当時の華やかな姿を思い浮かべることができる。更にその後の苦労をさえ考えることができた。
 汽車は小山を過ぎ、小金井を過ぎ、石橋を過ぎて進んだ。窓の外はようやく暗くなってきた。女の人が二枚葉書を書き終わった時、男の子が、
「母ァさん、しつこ」といいだした。この客車には便所がついていない。
「もう少し我慢できませんか?」母は当惑してきいた。男の子は眉根を寄せてうなづく。
 女の人は、男の子を抱くようにして、あたりを見回したが別に考えもない。
「もう少し、待ってネ?」としきりになだめるが、男の子は体をゆすって、もらしそうだという。
 間もなく汽車は雀の宮に着いたが、車掌にきくと、その間はないからこの次になさい、という。この次は宇都宮で8分の停車をする。宇都宮まで、どんなに母は困らされたろう。そのうちに眠っていた赤子も目を覚ました。母はそれへ乳首を含ませながら、ただ、
「もうすぐですよ」という言葉を繰り返していた。この母は今の夫に、いじめられ尽して死ぬか、もし生き残ったにしてもこの子にいつか殺されずにはいまいというような考えも起きる。やがて、ゴーウと音をたてて、汽車はプラットホームに添って停車場に入った。まだ停まらぬうちから、
「早くさ、早くさ」と男の子は前こごみに下腹をおさえるようにしていう。
「さあ、行きましょう」母は膝の赤子を腰掛に下ろし、顔を寄せて、「おとなしく待っててちょうだいょ」といい、更に自分に「恐れ入ります、一寸見ていただきます」
「ようございます」と自分は快くいった。
 汽車は停まった。自分はすぐ扉を開けた。男の子は下りた。
「君ちゃん、おとなしくしているんですよ」とそこを離れようとすると後ろから、手を延ばして赤子は火のついたように泣き出した。
「困るわねえ」母は一寸ためらったが、包から、スルスルと細い、博多の子供帯を出すと、赤子の両のわきの下を通して、すぐ背負おうとしたが、袂から木綿のハンカチを出して自身の襟首へかけ、手早く結いつけおんぶにして、プラットホームへ下り立った。自分も後から下りて、
「じゃあ、私はここで下りますから」といった。女の人は驚いたように、
「まあ、そうでございますか・・・」といった。そして、
「いろいろ、ありがとうございました」と女の人は丁寧におじぎをした。
 人ごみのなかを並んで歩き出した時、
「恐れ入りますが、どうかこの葉書を」こういって懐から出そうとするが、博多の帯が胸で十字になっているので、なかなか出せない。女の人は一寸立ち止まった。
「母ァさん、何してんの」と男の子が振り返ってこごとらしくいった。
「ちょっと、待って・・・」女の人は顎をひいて、無理に胸をくつろげようとする。力を入れたので耳の根が、紅くなった。そのとき、自分は襟首のハンケチが背負う拍子によれよれになって、一方の肩のところに挟まっているのを見たから、つい、黙ってそれを直そうとその肩へ手を触れた。女の人は驚いて顔をあげた。
「ハンカチが、よれていますから・・・・」こういいながら自分は顔を赤らめた。
「恐れ入ります」女の人は自分がそれを直す間、じっとしていた。
 自分が黙って肩から手を引いた時に、女の人は「恐れ入ります」と繰り返した。
 我々は、プラットホームで、名も聞かず、また聞かれもせずに、別れた。
自分は葉書を持ったまま停車場の入口へ来た。そこに箱のポストが掛ってあった。自分は葉
5.
書を読んでみたい気がした。また読んでも差支えないというような気もした。
 自分は一寸迷ったが、箱へよると、名宛を上にして、一枚づつそれを投げ入れた。入れるとすぐもう一度出してみたいような肝した。何しろ、投げ込む時ちらりと見た名宛はともに東京で、一つは女、一つは男名であった。 完  (本作品の草稿は明治41年8月14日)
豆知識
○バラフ(たいまいの甲、黒いまだらのある)=それでつくったべっこう
※鼈甲(べっこう)の「鼈」はスッポン。なぜタイマイの漢字がすっぽんか。
「江戸時代にタイマイを装飾品に使うことが禁じられたために、すっぽんと称した」
○こうがい=髪かき
○御納戸色=ねずみがかかった藍色
『網走まで』とは何か
 この作品は論点を「創作性」、『観察」、「疑問」に絞って考察してみたいと思います。以下の問題点について考えてみてください。
1.この作品には「小説の神様」と言われる所以が隠されている。それが解けないと志賀直哉
 はわかりません。編集室は、そう思います。この作品に隠されているものとは何か。まず、
 それを明らかにしてみてください。何も隠されていない。それでも結構です。想像性
2.なぜ行き先を「網走」にしたのか。いかなる理由があってか。この作品が書かれた当時の
 北海道や網走事情を調べてみてください。1909年前後です。疑問点
3.主人公、「わたし」とは何か。どんな人間か。性格など簡単に。観察
4.二人の子供を連れた女の客は、どんな身の上か。想像してください。簡単でもいいです。
 観察・創作
5.わたしが預かった二枚の葉書には、何が書いてあったでしょう。想像して宛先と内容を書
 いてください。二枚です。
  はがき文面の創作
6.この作品は帝大発行の雑誌『帝國文学』に投稿しましたが、採用されませんでした。志賀
 直哉は、字が汚かったからと書いています。が、実際のところ編集者はなぜボツにしたの
 でしょうか。その理由を、作品を読んだ感想から書いてください。あなたならどう評価し
 ますか。
 想像・観察・疑問 あなたが編集者だったら、どう評価するか。
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6.
同時期に発表された小説
『網走まで』と『三四郎』
時代背景
 『網走まで』は、明治四十三年(1910)に『白樺』第一号に発表された。が、実際に書かれたのは二年前の明治四十一年といわれている。作者が二十五歳のときである。明治三十九年七月に学習院高等科を卒業。九月に東京帝国大学文科大学英文学科に入学している。
 この時代、明治四十年代は、どんな時代だったのか。日清日露戦争に勝利した日本は、韓国併合(1910)を目指して大陸侵攻の準備を着々と進めていた。ポーツマス条約、明治三十九年(1906)には南満州鉄道会社を設立するなど富国強兵政策をますます強めていた。
 しかし、華々しい国策の裏で暗い出来事が次々起きていた。明治四十二年には伊藤博文がハルビン駅で暗殺された。また四十三年には、大逆事件が起き、幸徳秋水ら二十四名に、死刑、の判決がくだった。そのうち十二名が減刑され無期懲役となったが、幸徳秋水はじめ12名が絞首台の露と消えた。
 大逆事件は知識人に大きな衝撃をあたえた。森鴎外、永井荷風、石川啄木、与謝野鉄幹らのおどろきと打撃はかれらの作品に書きのこされている。(『高校日本史』実教出版)
 
 大逆事件(明治天皇の暗殺を計画したとされる嫌疑)は、明治四十四年(1911)二月十八日に上記の判決が下った。この死刑宣告の判決について、志賀直哉は、その感想を二十日金曜日の日記にこう書きしるしている。
二月二十日 金曜日
 ・・・一昨日無政府主義者二十四人は死刑の宣告を受けた。日本に起つた出来事として歴史的に非常に珍しい出来事である。自分は或る意味で無政府主義者である、(今の社会主義をいいとは思わぬが)その自分が今度のような事件に対して、その記事をすっかり読む気力さえない。その好奇心もない。「其時」というものは歴史では想像出来ない。
 漱石の『三四郎』は明治四十一年(1908)九月一日から十二月二十九日まで、百十七回にわたって東西の朝日新聞に掲載された。『網走まで』は明治四十一年(1908)八月十四日と執筆年月日が明記されていることから、両作品は、ほぼ同時期に書かれたとみてよい。
 同時期に書かれた『三四郎』と『網走まで』。この二つの作品の違いは、まず作者だが、『三四郎』を発表したときの漱石は四十一歳の男盛りである。前年、明治四十年(1907)一切の教職を辞して朝日新聞社に入社。すでに『草枕』を発表し、『我輩は猫である』『坊ちゃん』などを相次いで出版。押すも押されぬ大流行作家となっていた。が、文学一本に人生を絞ったのである。ちなみに『三四郎』を発表した年、明治四十一年の年譜をみると、このような文学活動をしている。
1月1日より4月6日まで『坑夫』を朝日新聞に連載。
『虞美人草』(春陽堂)出版。友人、森田草平に小説『煤煙』の執筆を勧める。
6月13日より21日まで『文鳥』を大阪朝日新聞に連載。
7月から8月にかけて『夢十夜』を東京・大阪朝日新聞に連載。
9月1日より12月29日まで『三四郎』を朝日新聞に連載。
 この時期、志賀直哉は、25歳の文学青年。同人誌『白樺』もまだだしていない。たとえ年齢は違っても時代を観察する眼は同じである。文豪となる夏目漱石の目に、日本の姿と将来はどのように映ったのか。未来の小説の神様の目には、どうだったのか。二つの作品の車内観察から文豪たちの見た日本を読み解いてみたい。
 二つの作品の車内観察は、同じ車内でも微妙に違っている。まず主人公である。三四郎は、これから大学生になる学生。『網走まで』の私は、すでに大学生か社会人になりながらもき
7.
ままに暮らしている文学青年の様子。行き先は、三四郎は、東京。私は、日光だが、その前に友人と会うため宇都宮で降りる。はじめての上京、同席となった女の行き先である。
志賀直哉 1883年(明治16年)2月20日~1971年(昭和46年)10月21日88歳
○ 著者・志賀直哉の紹介1883-1914 (結婚するまで)
 日本文学のうえで「小説の神様」と呼ばれる志賀直哉とは、いったいどんな人か。岩波書店の『志賀直哉全集』からおよその年譜を転載してみました。
1883年(明治16)2月20日、宮城県石巻に生まれる。父親、直温は第一銀行石巻支店勤務。
1895年(明治28)学習院初等科を卒業。母親銀死去33歳。直哉12歳。日清戦争終結。
1900年(明治33)内村鑑三宅で開かれた夏期講談会に出席。以後7年キリスト教の教えに接
        す。17歳。
1904年(明治37)アンデルセン張りの作文「菜の花」(後の『菜の花と小娘』)日露戦争勃発。
        21歳。この年(推定)小説創作を生涯の仕事にせんと志す。
1906年(明治39)東京帝国大学文科大学英文学科入学。23歳。
1907年(明治40)家の女中と結婚の約束。父、祖母、義母に反対され断念。24歳。
1908年(明治41)8月「小説網走まで」を書く。同人仲間好評。勧められて『帝國文学』へ
        投稿。ボツとなる。25歳。
1909年(明治42)吉原で放蕩。「峯」との交渉。26歳。
1910年(明治43)同人雑誌『白樺』創刊号に『網走まで』を発表。27歳。
1912年(明治45、大正元年)出版費用5百円で父と争う。10月25日自活のため家をでる。
1913年(大正2)『暗夜行路』の前編の草稿を書く。30歳。
1914年(大正3)12月武者小路実篤の従妹、康子(さだこ)と結婚。父反対で不和。31歳。
       4月、『白樺』5周年号記念号発行。
課題・7    自分観察「普通の一日を記録する」
2010・6・7
                            名前      
課題・8      車内観察
2010.6・7
                            名前      
課題・9   「『網走まで』について」
2010.6.7
                            名前      
1. 母子のこれまでの生活は。想像して書いてください。
2.母親の生い立ちは それが知れる個所は
3.母は、2枚のはがきを書いた。男と女宛だが、誰にどんな内容を書いたか。
4.網走ではどんな生活が予想されるか
課題・10  『網走まで』あなたが編集者だったら
2010.6・7
                            名前      
この作品『帝国文学』では没でしたが、あなたが編集者だったらどうしますか。没になった理由は、次のことが考えられます。
1.文学的要素がない。
2.字が汚くて読む気がしなかったから。
3.矛盾があり過ぎるから

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