文芸研究Ⅱ 下原ゼミ通信No.149

公開日: 

日本大学芸術学部文芸学科     2010年(平成22年)6月14日発行
文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.149
BUNGEIKENKYU Ⅱ SHIMOHARAZEMI TSUSHIN
                              編集発行人 下原敏彦
                              
前期4/19 4/26 5/10 5/17 5/24 5/31 6/7 6/14 6/21 6/28 7/12 
  
2010年、読書と創作の旅
前期の観察旅は、(車中と日常) & 名作読み・発表・表現
6・14ゼミ
6月14日(月)の下原ゼミは、下記の要領で行います。ゼミ2教室
1.「2010年読書と創作の旅」、ゼミ誌編集会議
  2.車窓観察・討議「」&課題発表&合評 
  3. テキスト「出来事」(車内観察)・「正義派」(車外観察)
4.「兒を盗む」(犯罪心理観察)テキスト分析『網走まで』
      
6・7ゼミ観察    提出作品合評で、漸く本格的授業始動
          このゼミの目的は、書くこと、読むこと、そして批評眼を習慣化することにある。が、提出作品の少なさと、また作者欠席があったりで作品合評がなかなかできなかった。そんなことで、これまでテキスト・名作読みに偏っていた。が、6月7日ゼミに課題提出の作者出席で、ようやく作品合評に入ることができた。
出席者は5名、登録漏れ2名
このところ、ゼミ参加者は半数以下の出席率である。もしかして、この現象は五月病が影響しているのか。そんな危惧もある・・・そうでないことを祈るばかりだ。教務課に登録申請を忘れている人も、2名いた。心配になる。(1名は連絡ついたが、あと1名は連絡つかず)下記は出席した人。
・越智美和さん ・後藤大喜君  ・重野武尊君  ・竹下晃誠  ・重藤はるか
配布したもの・・・・・・草稿『小説網走まで』+課題4枚
『網走まで』草稿読みで、作品モチーフを考察 
 先般、1910年に創刊号『白樺』に発表された『網走まで』を朗読したが、この日は、草稿を読んだ。草稿には、主人公の心内や、周囲の情景が、もう少し詳しく書かれている。両作品を比較することでエッセイと創作の違いを考えた。併せて、この作品の意義と作者は、何を訴えたかったのか議論した。
提出作品の読みと合評
 作品発表は、重野君が口火を切った。提出されていた「車内観察」「自分観察」作品を音読し合評のテーブルにのせた。
名作、書簡小説『谷間の百合』冒頭紹介
悲恋小説の最高峰、バルザックの大書簡小説を冒頭読みで紹介。


文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.149―――――――― 2 ―――――――――――――
車窓雑記       殺したい気持ちはどこから
 6月7日(夕刊)、8日(夕刊)は、読売・朝日各紙とも、二年前の2008年6月8日午後0時35分頃、秋葉原で起きた無差別殺人の記事を大きく扱っていた。日本中を震撼させた、この事件も昨今の政治騒動で忘れていた。が、この記事であのときの衝撃がよみがえった。悪夢再びである。ゼミ参加者は当時、たしか受験生の年齢だったと思う。
犯人は、現行犯逮捕で、目下、裁判中だが、問題はいまだ何一つ解決していない。犯人の若者を凶行に駆り立てたものは何か。おもしろくないから、つまらないから、社会が悪いから、他人を殺す。どう考えても不可解な動機である。ロシアの文豪ドストエフスキーは17歳のとき「人間は謎です。この謎を生涯解いていきます」と宣言したが、この事件、まさにその謎に当てはまる一例といえる。新政権発足、南アW杯と騒々しい一週間の車窓だったが、人はなぜ殺したくなるのか、考えてみた。
本屋の店頭に『死ねばいいのに』という題名の新刊書が山積みされていた。人気作家の作品でベストセラーらしい。が、まだ立ち読みする気にはなれない。事実は小説より奇なりというが、昨今、車窓は「殺し」や「死」に関しての風景が日常茶飯事となっている。自殺者も3万人を超えて久しい。(もしかしてイラクやアフガンの戦死者よりも多いかも)
平和社会の中での理不尽な死。どうやらこの現象は日本だけではないようだ。先ごろ、イギリスや米国で無差別に銃を乱射して多勢の人たちを殺傷した事件が発生している。どちらの事件も犯人は、すぐに自殺している。なぜ彼らは、殺しに走るのか。路上やレストランで通行人に発砲を繰り返したあげくに自ら命を絶つ。どうせ死ぬなら一人で死ねばいいのにと思う。死ぬ前になぜ、大勢の人を殺すのか。最大の人間の謎である。
この梅雨どきの季節、日本では、毎年のように理不尽な事件が起きている。とおくは松本サリン事件しかり、深川・通り魔殺人事件しかりである。記憶に新しいのは、7日、8日の新聞社会面に大きく取り上げられた「秋葉原・無差別殺傷事件」である。世の中が嫌になった。ただそれだけの理由で派遣先の地方都市から上京した犯人(現在27)は、秋葉原の交差点で、トラックやナイフで次々に通行人を襲い17人に及ぶ死傷者をだした。
歩行者5人をはねた後、12人をダガーナイフで刺し、7人を殺害、10人に重軽傷を負わせた。1月の初公判で犯人は、「事件を起こしたことは間違いない」と述べた。
動機なき凶行。この事件、犯行自体恐ろしい事件であるが、それより背筋が凍りつくのは、犯人の気持ちが理解できるという若者が多かったことだ。実際、ゼミにいた卒業生の一人が、就職相談で会っていた時、そのようなことを口にしていた。課題にした「犯人の心理」も、理路整然としていた。若者は、なぜそういう気持ちになっていくのか。
そういえば13年前の1997年5月に起きた神戸の児童連続殺傷事件。あれも人を殺したくなった、というオカルトめいた事件だった。それ自体戦慄すべきことだったが、更に恐ろしい光景をみた。犯人が14歳の少年Aとわかったとき、神戸警察署の前に集まっていた若者たちのあいだから喝采にも似たどよめきが起こったことだ。驚きより不気味さを感じた。
 無闇に人を殺したくなる。近年、多発するそんな理由なき、動機なき殺人。それらは、いったいいつごろから発生ものか。前記にあげた松本サリンや深川通り魔は、宗教や覚せい剤が原因だった。まったくの無動機は、あの神戸事件のときからだろうか・・・。
前々回、ゼミで読んだモーパッサンの『狂人』は、それを扱った作品。動機なき一種快楽殺人は、すでに19世紀に存在していたようだ。小説は、名の知れた立派な裁判長が亡くなったあと、遺品の日記から、実は殺人魔だったことがわかったという話である。裁判で死刑判決を言い渡すうちに、自分もやってみたい。そんな興味と欲望に取りつかれ、衝動的に次々殺人を犯す。げに恐ろしきは人間なり、そんな物語だった。人間が人間を殺したくなる。他の哺乳動物には見当たらない行為である。なぜ人間だけが、そんな気持ちを持つのか。紙面がなくなったが、課題として考えてゆきたい。(編集室)
―――――――――――――――――― 3 ――――― 文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.149
 
「2010年、読書と創作の旅」6・14プログラム
本日のゼミは下記の要領で実施します。
「ゼミ通信149号」配布 点呼 11名全員いれば再度記念撮影 「車窓雑記」、司会指名
 ※司会者は、名作、テキスト読みの配分を考えて、全員に読んでもらうよう、読みの途中で区切りを指示してください。討議・合評・感想では司会してください。これまでの司会観察では、遠慮がちのため、各人、読む範囲に偏りがあるように思われます。
司会進行
1. 5・25ゼミ雑誌作成ガイダンス報告&編集会議 (伊藤・塚本正副編集長)
2. 課題・観察作品発表と合評
3. テキスト車内観察『出来事』、相対作品『正義派』読みと感想・
4. テキスト自分観察(犯罪心理観察)『兒を盗む』読みと感想
1. ゼミ雑誌作成ガイダンス報告 伊藤・塚本正副編集長
伊藤編集長と、塚本副編集長が同時に欠席なので、ガイダンス報告は、まだです。
ゼミ雑誌誌作成計画
ゼミの一年間の成果は、ゼミ誌にあります。皆で協力して、記念碑としてください。
済み1.ゼミ雑誌作成ガイダンス5月25日正午12時20分から教室1 正副編集長参加
 
今後の予定
2.「ゼミ雑誌発行申請書」を出版編集室に提出
 3.ゼミ誌の装丁を決める
 4.9月末をメドに原稿締め切り
 5.印刷会社を決める。レイアウトなど編集作業
 6.「見積書」を出版編集室に提出
 7.11月半ばまでに印刷会社に入稿
 8.12月15日(後期前半授業終了日)刊行のゼミ誌を出版編集室に提出 締切り厳守
 9.印刷会社からの「請求書」を出版編集室に提出
重要事項 → 「ゼミ雑誌発行申請書」「見積書」「請求書」の提出
※ ゼミ誌掲載作品について、課題提出の観察作品も掲載できればと思っています。
注意!事項
印刷会社は、はじめてのところは避け、ゼミ雑誌製本経験のある会社を選んでください。
出版編集室に相談してください。
2010年12月15日納品締切り厳守!!
文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.149 ―――――――― 4 ―――――――――――――――
2.課題観察作品発表・合評
観察度ポイント
1. 想像・物語性への広がりを感じるか。(どうなるのかという興味)
2. 核になるところはあるか。(『夫婦』の機微のような)
3. わかりやすいか。(まずは、これが一番である)
課題1・車内観察未発表  (仮)は編集室
(仮)青春老女
                            伊藤 果南
 先日電車に乗り込むと、目の前に一人分には少し狭いようなスペースの座席が空いていた。一瞬悩む幅、けれども横に座ったおばさんが、自分のお尻に懸命に上着の裾をたくし込んでくれるのを見たら、座らないと悪いような気になった。
 「あなた良かったわね。あそこにいる人が席を譲ってくれたんだけど、あの人のときは一人分だったのよ、私たちなら二人座れるわ」
 おばさんの指差す先には大柄な男性が。ちょっと笑ってお礼言うと、ふと、そのおばさんのネイルが素敵なことに気がついた。ゴールドのマットなベース、親指には白椿の花を描いている。なかなかのセンスだった。
 「素敵なネイルですね」
 「ああ、これ?あなたのも素敵じゃない。ご自分で描いたのかしら?」
 「はぁ、でも私のは手入れしないので、剥げかけちゃってて…」
 「私はね、お正月に百合の花を描いてたんだけど飽きちゃったのよ。それで今度は白椿にして観ようと思ったの。出掛けに履いた靴がたまたまゴールドだったもんで、わざわざネイルも塗り直したのよ」
 そう言うおばさんの指先を、もう一度まじまじと見てみると、職人芸と呼べるほどの細やかさで、椿の花弁一枚一枚がとても丁寧に描かれている。私は自分の剥げかけた爪先に再び視線を落として、なんだかとても恥ずかしくなってしまった。
 「すごいこだわりですね」
 「お近くだったらして差し上げるのに。私、三島から来てるのよ。そうそう、この真珠のブレスレッドも私が作ったの」
 「へえ、手作りには見えないくらい粒が揃ってますよ。いつも素敵なファッションでいるっていいですよね」
 「うふふ。主婦失格ってことだけど、こういうこと、好きなのよ。私ももう八十一になってるんだけど」
 私はびっくりして隣で微笑む”おばさん”を見た。ハタチになる私より、半世紀以上長く生きてきたとは到底思えないその老女は、八十を過ぎていると言いながらも、どこか私には持ち得ない、女の色気を感じさせてならなかった。
□そうですね、「車窓雑記」にも書きましたが、お年寄り度は年齢ではないですね。
以下のアンケートに答えてください。評価ではなく、あくまで自分の感想・見方です。
1(わからん)、2(何かもの足らない)、3(普通)、4、(良い)、5(よく書けている)
観察度    →  1   2   3   4   5  理由は→
リアル度   →  1   2   3   4   5  理由は→
まとまり度  →  1   2   3   4   5  理由は→
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課題1・車内観察未発表
広いシートと狭いシート
藤重はるか 
月曜の朝。週末明け特有の疲れや白けた空気が車内に蔓延している。
一人の若者が優先席に腰かけている。ガムをくちゃくちゃ噛みながら、ケータイをいじる。特別あしらいの狭めのシートに、2~3人分座れるスペースはあるが、何分、大股を拡げだらしなく席を占めている。この青年にわざわざ詰めてくれと告げる者はいない。
 窓から暖かな春の日差しが差し込む。青年は腔口内が覗けるほどのあくびをし、そしてそれを合図に――シートに横倒れになった。交差した腕を枕になんともくつろいだ風である。
広いシートでスポーツ新聞をひろげた中年のサラリーマンが目を大きく見開いた。彼は先ほどから横目でチラチラとこの青年を見ていた。見開いた目を2、3度左右に泳がせる。そして、手にしていたスポーツ新聞を更に大きく拡げ、体を深くシートに埋めた。斜めになって寝転がるほどではない、しかし、今にも席からズレ落ちそうな微妙な姿勢。
更に電車に揺られ、ある駅で青年とサラリーマンは同時に降りた。車内が急に広くなる。
私はもたれたドアから離れ、シートに腰かけた。久々の優先席。暖かな春の日差しが降りそそぐ普通席に、何故か座る気になれない。
□ 不作法な青年、気の小さそうなサラリーマン。よく見かける風景。そんな乗客の動作がしっかり観察されています。最後の俳句のような文章に、誰もいなくなった車内の解放感があります。
あなたは、どう感じましたか。1~5を選び、その理由(個所)を述べてください。
1(わからなかった)、2(物足らない)、3(普通)、4、(書けている)、5(よく書けている)
観察度    → 1   2   3   4   5 → 理由は
リアル度   → 1   2   3   4   5 → 理由は
まとまり度  → 1   2   3   4   5 → 理由は
課題1・車内観察未発表
府中本町・東所沢間
竹下晃誠
自動ドアが開く。私の他に2、3人が同じドアから電車の車内に進み入る。気温は低くない。ジメジメとまとわりつく様な不快な暑さから解放され、一息ついた気分になりなかえ゛ら、私は一番端の席に座る。視界の端には無人の運転席。走行中は車掌が乗っているのだろうか。停車している今、車掌は電車の外に出ている。車掌の仕事と運転手の仕事には、鉄道会社に勤める職員として順位付けがされているのだろうか。そんなことをふと考える。
開きっぱなしのドアから、外の気だるい熱気が侵入してくる。向かいのガラス窓から車内に境界線を描く日光が、座っている私の膝を焼く。さっさと出発して欲しいという薄ボンヤリした願いに、私の疑問は霧消した。
音楽に身を溶かしつつ、ポケットから私は携帯電話を取り出す。新型の機種だが、慣れていないせいか利便性は低く感じる。私は周りの空間から切り取られるような気分になる。自分の感覚受容器官の大半を閉ざしたのだから、当然といえば当然だ。
電車の最極端の席にて、私はこの上なく不用心な生き物へと成り下がる。私を包み込む安隠は、長い歴史をかけて先人たちが勝ち取った栄誉であると同時に、私をこの上なく堕落させる甘美な毒でもある。厳しい自然の世界に放り投げられれば、すぐにでも息絶えてしまう
文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.149―――――――― 6 ――――――――――――――――
様な愚鈍な生き物へと退化させる毒である。
ドアが閉まる。絶えず侵入してきて、、私の左半分を舐めていた不快な熱気から解放され、私は再度一息ついた気分になる。言葉を交わしたことすらない人々が何人も同乗している車内という公の場の中、私はまるで自室にいるかの様にリラックスしている。安穏という名の毒に自らの身を沈め、その腐臭を頭蓋骨の中に充満させた半覚醒の意識の中、私は他から隔絶された世界の安穏を享受し続ける。
無意識が目の前の現実を知覚している。意識のステージに登る程でもない程、脆弱なそれらの認識は、目的の駅が近づけば私の意識を目覚めさせる程度の働きはしている。府中本町から東所沢まで、わずか20分足らず、限られた時間を、いかにリラックスした状態を保ちつづけるか、それを追求した結果だろう。
私が暇つぶしがてらに携帯電話を弄つていようが、夢中で本を読んでいようが、眠っていようが、私の無意識は目的の駅が近づいたら、その情報を的確に、そして半覚醒の私の意識を覚ましうる大きさで指摘する。果たしてこれが退化なのか、進化なのか。便利なのは確かだが、世間一般における進化というカテゴライズからは、外れている様な気がしてならない。進化と呼ぶにはあまりに自堕落だ。
何気なく私は窓の外を見る。電車は東所沢の駅に停車しようとしていた。携帯電話をポケットに入れる。立ち上がる。私が座っていた位置に、いつの間にか隣に座っていた初老の男性が腰を浮かせて座っていた。その情報は私の意識の表層を撫で、消えていく。
自動ドアが開く。外の外気は、府中本町で味わったそれより強くなっていた。
□ 短い乗車のなかで次々に浮かぶ携帯電話への観念。無意識と意識の中で考える人類の変化。瞬時の中に大きなテーマも入っていて、いいですね。最初と最後の締め。
あなたは、どう感じましたか。1~5を選び、その理由(個所)を述べてください。
1(わからなかった)、2(物足らない)、3(普通)、4、(書けている)、5(よく書けている)
観察度    → 1   2   3   4   5 → 理由は
リアル度   → 1   2   3   4   5 → 理由は
まとまり度  → 1   2   3   4   5 → 理由は
古典の一日観察を読む 『コロンブス航海記』
黄金の国を目指して
ラス・カサス
 
 1492年8月3日 金曜日。8時にサルテスの川口から出帆した。陸からの強風を受けて、日没までに60ミリャ(1ミリャは約1.3キロ)すなわち15レグア(1レグア約6キロ)を進み、その後カナリヤ諸島への針路をとって、南西及び南微西へ向かった。
□ マルコ・ポーロの『東方見聞録』にでてくる黄金の国ジャポンに魅せられたイタリア人のクリストーバル・コロンは、スペイン女王の援助を得て1492年8月3日、パロス港から三隻の外洋船ではるかジャポンを目指して出航した。黄金の国があるというインディオスには、ほんとうに着けるのか。時に41歳。
※ここで言うインディオスは、今日のインドだけを示すのではない。ヨーロッパから見て、さらに東のアジア全体を意味する。(林屋永吉訳『コロンブス航海記』岩波文庫)
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合 評(1)
「女装趣味の男」発表者・重野武尊
合評は、重野君の車内観察「女装趣味の男」が最初となった。観察場所は、夜7時30頃のJR武蔵野線車内。地区は、新秋津から府中本町へ向かう車両。観察対象は、一人の大柄の女装した男性の乗客。合評者4名の意見は様々だった。
・後藤 → イベントの帰りではなかったのか。中央線系でたまに見かける。
・竹下 → エッセイふうだが『カラマーゾフの兄弟』を読んでいるところが・・・。
・藤重 → 何かをアピールしたい人では。
・越智 → 『カラマーゾフの兄弟』を読んでいるのは、実は恥ずかしいから恰好つけに読
むふりをしているのでは。
綜合批評 合評者4名の評を綜合すると、次のようでした。(編集室)
観察度 → 4  年齢が不確かだった。
リアル度 → 5 実際に見たことのように思える。
まとまり度 → 3 最後の1行が、浮いている。なぜ2駅か。
□ 読む人によって、この乗客の印象が違うところが面白いですね。
  創作としてのひろがりはあるか。あるとすれば、どんな方向か。
  「カラマーゾフの兄弟」を読む乗客。こんな題名でも意外性があるかも知れません。
  「さびしい男」も連想できます。
発表済み作品
女装趣味の男
先日、私は本厚木まで用事があり、夜7時過ぎに小旅行用の荷物と一眼レフカメラを持ち、出かけた。所沢から秋津まで西武新宿線で行き、そこから徒歩6分の新秋津まで行く。そこでJR武蔵野線府中本町行きへ乗った。その中で見かけたことである。
私がなにげなく座っていた席の正面に明らかにおかしい女性が座っていたのだ。頭にバンダナ(口)に大きなマスク、男もののくつ、ジャンパー、そして女子高生の制服のような短いスカート。そして、何より変なのが、その人が電車内の誰よりもでかく、マッチョだということであった。大きな体に短いスカートは、あまりにも不恰好だった。バンダナのすきまから、短く刈られたえりあしが見えた。おそらく男の人だ。車中人々の注目を集めつつ、『カラマーゾフの兄弟』を読んでいた。彼はキャリーバックと紙袋を2つ持ち、西国分寺で降りていった。
余談だが、私のとなりに座っていた女子大生は2駅乗り過ごしたようだ。
【知りたいこと】
夜にカメラと旅行用荷物を持って出かける。撮影対象となる被写体は何でしょうか。興味あるところです。野外撮影が想像できますが・・・とするとすると小動物撮影が予想されますが、本厚木という地名から、。
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合 評(2)
「遠い目覚め」発表者・重野武尊
 合評2作目は「普通の一日」、この作品も、重野君の作品だった。
 朝なかなか起きられなくて、昼になる。やっと学校に行ったが、つまらないので家に帰ってカレーを作ろう。普通の一日を簡潔に特徴のある文体で描いている。
・後藤 → わかりきった日常を、こう文にできるのはすごい。
・竹下 → 創作に発展できる内容。たとえば狂人日記のような・・・。
・藤重 → 無為に青春を過ごす感じがでている。感傷的な面もある。
・越智 → 全体に共感がもてた。つぶやきの相手が空や葉つぱというところも詩的。
綜合批評 合評者4名の評を綜合すると、次のようでした。(編集室)
観察度 → 不明  詩情的作品で不可。
リアル度 → 3 どことなくぼんやりしている。現実感というより、夢の中。
まとまり度 → 4 なんにもない一日を淡々と書いている。
□ 太宰の文体を思い起こすところもあります。が、どんどん書いて習慣化し、自分の文体として定着させてください。たとえば、林芙美子の文体は、ときどき「――なり!」と跳ね上げることで読者に勇気と元気を与えている。
発表済み作品
遠い目覚め
 朝、目が覚めました。AM8:00です。雨ではないようなので自転車で行くことにします。自転車なら30分で着くので、もう30分眠ることにしました。
 目が覚めました。AM8:50です。もう1限には間に合いません。しかたがないので3限から行くことにしました。1,2限は出席をとるかどうか忘れたので、とらないのだ、とじぶんに言い聞かせ、とりあえず眠りました。
 PM0:00を過ぎたので、家を出ました。空は、すっかり晴れました。私は、「晴れたなあ、良い天気だなあ」と、一つとり残された、ぽっかり雲につぶやきました。
自転車に乗ります。ところどころで、とても臭いにおいがします。私は、栗の花のにおいなのではないだろうかとにらんでいます。
でも、そのいつもかぐにおいが、どこからやって来ているのか、今だにわかりません。私は、「臭いなあ」と桜の葉っぱにつぶやきます。
学校につきました。でも、3限も、4限も出席をとりません。めんどうくさくなったので、部室に行きます。誰もいないので、ゲームを始めました。でもつまらなくなって、すぐにや
めました。テレビをつけました。何やら外国のドラマがやっております。私は「つまらないなあ」と窓から見える空につぶやきました。
帰ったらカレーを作って食べようと思います。
最後の一行で文全体の印象や出来栄えが変わることがあります。この作品は、最初から、眠いぼんやりした雰囲気、停滞感が漂っています。しかし、最後の一行で、その靄を払拭しました。一転、爽やかな青空。そんな感じがあります。
―――――――――――――――――――― 9 ――――文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.149
テキスト車内観察作品『出来事』読み
 実際に体験した作品
ゼミでは、車内観察のテキストとしてこれまで『夫婦』と『網走まで』をとりあげ、これら作品の重要性や疑問点を考察してきた。が、実際の車内観察、乗客観察といえば、この作品『出来事』である。夏のある午後に乗った電車。いろんな乗客がいる。何の縁もないが一時を同じ空間で過ごす人たち。作者は、暑さでデレーっとなった彼ら一人ひとりの様子を観察する。人身事故という出来事によって変身する乗客の様子がよく描けている。
 この作品は、1913年(大正2年)9月1日発行の『白樺』第四巻に発表された。志賀直哉30歳のときである。
7月28日の日記「子供が電車にヒカレかかった。(出来事)」。8月15日「病院。かえって『出来事』の了ひを書き直して出来上がってひるね」この夜、友人と散歩にでて山の手電車にはねられて怪我をする。☆ この怪我の治療に城の崎温泉に行き『城の崎にて』を書く。
※ 乗客一人ひとりの観察のし方に注意。
『出来事』と対極にある作品『正義派』
車内観察作品ではありませんが、『出来事』と対極にある作品『正義派』を併せて読んでみます。観察としては車外(事故)観察にはいります。この作品は明治45年・大正元年(1912)作者29歳のとき書いたものです。前期の『出来事』は人身事故未遂をめぐって車内の乗客の反応の様子でしたが、この作品は、人身事故を目撃した車外の人たちを観察した作品となっています。が、『出来事』のように実際に体験し観察した話ではありません。車に乗ったとき、その車夫から聞いた話を材料に書いたと言っています。『出来事』とは明暗を成す作品です。
比較 『正義派』は他者から聞いて創作した作品。
 『正義派』この作品は、1912年(大正元年)9月1日発行の『朱欒』に発表された。29歳。1912年(明治45年)5月2日の日記「夜少し仕事をした。(興奮という題の)」とある。5月5日には「『興奮』という題の小説をかきあげた」とある。5月17日は「雀の声を聞きながら眠って翌日の12時半に起きた。『線路工夫』を少し書いてみた」とある。5月28日「夜、『正義派』・・・を書き終わった。感心すべきで物ではない」8月25日「あけ方、とうとう『正義派』を書きあげる。悪い小説とは思わない」
 その後の【創作余談】では、「車夫の話から材料を得て書いたもので、短編らしい短編として愛している」と回想されている。(『志賀直哉全集』岩波書店)
テキスト分析
 車夫 → 作者(事故の話)どの程度かは不明。 
 現場にいた人たち = 運転手、巡査、監督、工夫3人
 話を聞いた人たち = 牛肉屋の客と女中、車夫
 事故の話 = 車夫 → 作者
○当事者の心理を想像してみる。多角的に捉える。
・事故を起こした運転手の心理
・鉄道会社の監督の考え。
・目撃した工夫1、工夫2、工夫3の気持。
登場人物一人ひとりの側からみているので立体感がより強くなっている。
文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.149 ――――――――10 ――――――――――――――――
『出来事』関連作品『城の崎にて』
― 自らが電車事故にあい湯治にいった温泉地での作品 ―
一見なんでもない作品。しかし、この作品は名作と評されている。なぜ名作か。その意味がわかるのは、おそらく、もっと多くの小説。いろんな分野の作品を読む必要がある。文学でもなんでもそうであるが、本物はすぐにはわからない。
 『出来事』を書いた8月15日の夜、山手電車にはねられた。その時の傷の養生に城崎温泉に行く。10月18日から11月7日まで湯治療養。この間、この作品を書く。
10月30日の日記「蜂の死と鼠の竹クシをさされて川へ投げ込まれた話を書きかけてやめた。これは長編の尾道に入れることにした。」とある。
「創作余談」これも事実ありのままの小説である。鼠の死、蜂の死、いもりの死、皆その時数日間に実際目撃したことだった。そしてそれから受けた感じは素直に且つ正直に書けたつもりである。所謂心境小説というものでも余裕から生まれた心境ではなかった。
2010年、読書と創作の旅 名作紹介
☆ 名作読み 究極の愛『砂漠の情熱』(水野亮訳)バルザック(1799-1850)
 フランスの若い兵士がモロッコの戦いでアラブ人の捕虜となった。オアシスで野営したとき、彼は隙を見て脱走に成功した。だが、仲間の軍の宿営地に早く帰りたいと思うあまり、疲れきっている駿馬をいやがうえにもいそがせたので、馬は倒れ絶息してしまった。そこは砂漠のど真ん中だった。「はてしもない大洋が目にうつっていた。どの方角にも砂漠の黒っぽい砂が目のとどくかぎりひろがって、はげしい光に照らされた鋼の刃のようにキラキラしていた。ガラスの海といつたらいいのか、鏡のような平らな湖といったらいいのか、わからなかった。」「空も海も燃えていた。沈黙は、荒々しく恐ろしい威厳をもって、あたりを圧していた。悠久、無限――こうしたものが四方八方から魂にせまるのである。」プロヴァンス生まれの22歳の兵士にとって、絶望のほかはなにもなかった。彼は何度も騎兵銃の引き金に手をかけた。が、「死のうとおもえば、いつでも死ねる」その考えが、死を思いとどまらせていた。やがて、彼は小さなオアシスにたどり着く。以前に人が住んでいた形跡。岩場の洞窟で彼は疲れと安堵から不覚にも眠ってしまった。そこは獣の棲家だった。牝豹に愛されてしまった若い兵士。焼けつく砂漠のなかで恐怖とエロチシズムに満ちた一人と一匹の愛の生活がはじまった。若き兵士は、その緊張の愛に耐えられるか。
 スリリングな愛を知りたい人は是非一読を。
古典の一日観察          大陸近し
ラス・カサス
 1492年10月3日、水曜日 いつもの針路をつづけ、47レグア進んだ。乗組員には40レグアと告げおいた。バルデラ島が見られた。また海岸も多く、古いものもあれば、生き生きとしているものもあったが、木の実のようなものをつけていた。島はその後全く姿を見せなくなった。それで提督は、図面に書いてあった島々を通り過ぎたのではないかと思った。ここで提督は、先週からここ数日にわたって、陸地のある証拠がこんなにたくさんあらわれ、この地帯にいくつかの島があるという消息は得ていたが、間切ってあちらこちらと進んで暇どることは望むところではなかった。目的がインディアスへ赴くことであるからには、ここで暇どっていることは決して賢明ではないのだとのべている。(同上)※提督=コロンブス
□ 航海2ヶ月、海に樹木の漂流物をみかけるようになった。鳥も多い。陸近し。
―――――――――――――――――――― 11 ――――文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.149
テキスト分析『網走まで』現行と草稿点検
小説・『網走まで』を読む
 宇都宮の友に、「日光のかえりには是非おじゃまする」といってやったら、「誘ってくれ、ぼくも行くから」という返事を受け取った。(本文)   内は草稿。
テキスト分析           なぜ「日光」か
 冒頭の二行観察から、主人公の日常生活の一端がわかる。年齢は書いてないが、日光という地名に、気楽な身分の青年という印象をより強く受ける。
日光は、題名の網走と好対照になっている。網走は、熊がでて、雪雪崩のある未開地。鉄道もなくジミチナ人間は住んでいない原野。その地に比べ、日光は、たいていの日本人なら知っている観光地。当時、43年前までは、徳川家康が祀られていた神聖な地であるから知名度は高い。日光東照宮といえば左甚五郎の眠り猫が有名。言わず聞かざる見ざるの三猿もよく知られている。中禅寺湖や温泉もある。明治36年のこの頃は、とにかく名所旧跡の観光地といえる。華厳の滝も、人気があった。このころ華厳の滝は、
「明治36(1903)年5月、18歳の旧制一高生であった藤村操-ふじむらみさお-がミズナラの木に「巌頭之感-がんとうのかん-」を書き残して投身自殺をして以来、自殺の名所にもなってしまった。」このことでもかなり世間の注目を浴びていた。
 国民が日光を見る目は、このような情報からであったと思う。とすれば、当然、主人公は日光に遊びに行った。そうとるのがふつうだろう。友人を誘うとある。おそらく、この時代、東京人にとって娯楽のメッカといえば西の熱海、東の日光ということか。感じからして作者は、よく日光に遊びに行っている。だから日光とした。そう推察できる。しかし、作者の創作術を考えると一概にそうだとも言い切れない。やはり、日光は計算された地名。そして網走も、である。題名を「網走」とした以上、本文の冒頭にどうしても「日光」を使いたかった。方や地の果て未開の地、方や娯楽と観光の地。あまりにも対極にある二つの地名。両地をだすことで、作者は、この作品の重みを読者に伝えたかった。インプットしたかったのではないだろうか。
 それは8月もひどく暑い時分のことで、自分はとくに午後4時20分の汽車を選んで、とにかくその友の所まで行くことにした。汽車は青森行である。自分が上野へ着いた時には、もう大勢の人が改札口へ集っていた。自分もすぐその仲間へ入って立った。
草稿では、ここに青森まで行く夫婦の様子と会話がはいる。
「青森さ、着くなァ、明日の何時頃になつペナ」と赤毛布にくるんだ上を幾重にも細紐でくくった荷を背負った五十ばかりの大きな男が、づんぐりと太った、額の大きい女房を顧みていった。・・・・・・間もなく、ガランガランという
 鈴が鳴って、改札口が開かれた。人々は一度にどよめき立った。鋏の音が繁く聞こえ出す。改札口の手摺りへつかえた手荷物を口を歪めて引っぱる人や、本流からはみだして無理にまた、かえろうとする人や、それを入れまいとする人や、いつもの通りの混雑である。巡査がいやな眼つきで改札人のうしろから客の一人ひとりを見ている。このところを辛うじて出た人々はプラットホームを小走りに急いで、駅夫等の
「先が空いてます、先が空いてます」と叫ぶのも聞かずに、われ先と手近な客車に入りたがる。自分は一番先の客車に乗るつもりで急いだ。   次号へ
文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.149 ――――――――12 ――――――――――――――――
掲示板
「2010年、読書と創作の旅」の記録
4月19日 ガイダンス 嘉納治五郎の「読書のススメ」、志賀直哉「菜の花と小娘」読み
4月26日 司会=越智美和 担当決め(正副班長=立川・後藤 ゼミ正副編集長=伊藤・
塚本)自己紹介、ビデオ「おんぼろ道場再建」、「ひがんさの山」参加8名
5月10日 司会=立川、参加7名、車窓観察「沖縄米軍基地問題」討議、名作観察「空中
ぶらんこに乗った大胆な青年」、車内観察テキスト「夫婦」
5月17日 司会=阿井大和、参加8名、名作紹介、5月の詩編ランボー「谷間に眠る者」空想観察「フェッセンデンの宇宙」テキスト『網走まで』読みと感想
5月24日 司会=伊藤光英、参加7名、ゼミ合宿採決=無し、名作観察O・ヘンリー『心と手』、『網走まで』の「網走」解説、比較作品『三四郎』、
5月30日 快晴 参加者3名 犯罪観察モーパッサン『狂人』、紙芝居口演『少年王者』
6月 7日 快晴 参加者5名、司会=竹下晃誠、草稿『網走まで』読みと評。提出作品発
      表・車内観察「女装趣味の男」重野作、一日観察「遠い目覚め」重野作、合評。
      バルザック『谷間の百合』紹介、冒頭読み。
課題 1.車内観察 2.自分観察「普通の一日」 3.テキスト観察「『網走まで』について」、4.「自分の『網走まで』評
   
※ 書けた人は、いつでも提出してください。期限はありませんが、習慣を身につけるために挑戦です。
          課題提出状況(6月13日現在)
提出者    課題1「車内観察」   課題2「一日観察」       総数
・伊藤果南  課題1「青春老女」1                   1
・重野武尊  課題1「女装客観察」1、 課題2「自分の一日観察」1    2
・藤重はるか 課題1「広いシート」1                  1
・竹下晃誠  課題1「武蔵野線」1                   1
お知らせ
■ 8月14日(土)ドストエーフスキイ全作品を読む会第240回読書会
        「私があげるドストエフスキー作品ベスト3」
        池袋西口・東京芸術劇場小会議室7 1000円(学生半額、セミ生0)
※ 詳細並びに興味ある人は「下原ゼミ通信」編集室まで
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編集室便り
☆ 課題原稿、学校で直接手渡すか、下記の郵便住所かメール先に送ってください。
 「下原ゼミ通信」編集室宛
  住所〒274-0825 船橋市前原西6-1-12-816 下原方
  メール: TEL・FAX:047-475-1582  toshihiko@shimohara.net
□ゼミの評価基準は可(60~100)とします。評価方法は、次の通りです。
  課題の提出原稿数+出席日数+α=評価(60~100)
付録『網走まで』
2010年、読書と創作の旅 テキスト読み
テキスト読み ポイント「創作性」・「観察」・「疑問点」
 志賀直哉とは何か。この作家を知るためには、いろいろな方法があります。下原ゼミでは、主に車中作品を考察してみます。最初は、処女作の『網走まで』を読んでもらいました。が、一読だけでは解明不十分なので、再読してください。なお、文面は100年前なので編集室で岩波書店『志賀直哉全集』から現代読みにして転載しました。
網走まで
 宇都宮の友に、「日光のかえりには是非おじゃまする」といってやったら、「誘ってくれ、ぼくも行くから」という返事を受け取った。
 それは8月もひどく暑い時分のことで、自分はとくに午後4時20分の汽車を選んで、とにかくその友の所まで行くことにした。汽車は青森行である。自分が上野へ着いた時には、もう大勢の人が改札口へ集っていた。自分もすぐその仲間へ入って立った。
 鈴が鳴って、改札口が開かれた。人々は一度にどよめき立った。鋏の音が繁く聞こえ出す。改札口の手摺りへつかえた手荷物を口を歪めて引っぱる人や、本流からはみだして無理にまた、かえろうとする人や、それを入れまいとする人や、いつもの通りの混雑である。巡査がいやな眼つきで改札人のうしろから客の一人ひとりを見ている。このところを辛うじて出た人々はプラットホームを小走りに急いで、駅夫等の
「先が空いてます、先が空いてます」と叫ぶのも聞かずに、われ先と手近な客車に入りたがる。自分は一番先の客車に乗るつもりで急いだ。
 先の客車は案の定空いていた。自分は一番先の車の一番後ろの一ト間に入つた。後ろの客車に乗れなかった連中が追い追いこのところまでも押し寄せてきた。それでも七分しか入つていない。発車の時がせまつた。遠く近く戸をたてる音、そのおさへ金を掛ける音などが聞こえる。自分のいる間の戸を今閉めようとした帽に赤い筋を巻いた駅員が手をあげて、
「こちらへいらっしゃい。こちらへ」と戸を開けて待っている。26、7の色の白い髪の毛の少ない女の人が、一人をおぶい、一人の手をひいて入ってきた。汽車はすぐでた。
 女の人は西日のさす自分とは反対側の窓のわきに席をとった。また、そのところしか空いていなかったので。
「母さん、どいとくれよ」と7つばかりの男の子が眉のあいだにしわをよせていう。
「ここは暑ござんすよ」と母は背の赤子をおろしながら静かいった。
「暑くたっていいよ」
「日のあたるところにいると、またおつむが痛みますよ」
「いいつたら」と子供は恐ろしい顔をして母をにらんだ。
「瀧さん」と静かに顔を寄せて、「これからね、遠い所まで行くんですからね。もし途中で、お前さんのおつむでも痛みだすと、母さんはほんとうに泣きたいくらい困るんですからね。ね、いい子だから母さんのいうことを聞いてちょうだい。それにね、いまに日のあたらない方の窓があくから、そうしたらすぐいらっしゃいね。解かりまして?」
「頭なんか痛くなりゃしないったら」と子供は尚ケンケンしくいい張った。母は悲しそうな顔をした。
「困るのねえ」
自分は突然
2
「ここへおいでなさい」と窓のところを一尺あまりあけて、「ここなら日があたりませんよ」といった。
 男の子はいやな目で自分を見た。顔色の悪い、頭の鉢の開いた、妙な子だと思った。
自分はいやな気持がした。子供は耳と鼻とに綿をつめていた。
「まあ、どうも恐れ入ります」女の人は悲しい顔に笑いを浮かべて、「瀧さん、お礼をいって、あそこを拝借なさい」と子の背に手をやってこっちへ押すようにする。
「いらっしゃい」自分は男の子の手を取って自分の脇に坐らせた。男の子は妙な目つきで時々自分の顔を見ていたが、しばらくして漸く外の景色に見入った。
「なるたけ、そっちばかり見ていたまえよ、石炭殻が目に入るから」
こんなことをいっても男の子は返事をしない。やがて浦和に来た。ここで自分と向かいあっていた2人が降りたので、女の人は荷と一緒にそこへ移った。荷といっても、女持の信玄袋と風呂敷包みが一つだけ。
「さ、瀧さん、こちらへおいでなさい。どうもありがとうございました」女の人はそういってお辞儀をした。動いたので今までよく眠っていた赤子が目を覚まして泣き出した。母は、
「よしよし」と膝の上でゆすりながら「チチカ、チチカ」とあやすようにいうが、赤子はふんぞり返ってますます泣く。「おおよしよし」と同じようなことをして、こんどは「うま、上げよう」と片手で信玄袋から「園の露」を一つ出してやる。それでも赤子は泣きやまぬ。わきからは、
「母さん、あたいには」とさも不平らしい顔をしていう。
「自分で出して、おあがんなさい」といって母は胸を開けて乳首を含ませ、帯の間から薄汚れた絹のハンケチを出して自分の咽のところへはさんでたらし、開いた胸を隠した。
 男の子は信玄袋の中へ手を入れて探っていたが、
「ううん、これじやないの」と首を振る。
「それでないって、どんなの?」
「玉の」
「玉のはない。あれは持って来なかった」
「いやだあ!玉のでなくちゃ、いや」と鼻声をだす。
「その下にドロップが入ってますから、それをおあがんなさい。ね、いい子、ドロップでもおいしいのよ」
 男の子は不承不承うなづく。母は又片手でそれを出して子の手へ四粒ばかり、それをのせた。
「もっと」と男の子がいう。母は更に二粒足した。
 乳にあきた赤子は、母の髪から落ちたパラフの櫛をいぢって、仕舞いにそれを口へ入れようとする。
「いけません」と母がその小さな手を支えると、赤子は口をあいて、顔をその方へもつていく。下の歯ぐきに小さく白い歯が二つ見えた。
「さ、うまうま」膝の上へ落ちた「園の露」をだすと、あーあーといっていた赤子は黙って、目の玉を寄せてしばらく見つめていたが、櫛を放してそれを取る。そして握り拳のまま口へ入れようとする。その口元からタラタラとよだれがたれた。
 女の人は赤子を少し寝かせ加減にして、股の間へ手をやってみた。濡れていたらしかった。
「おむつをかえましょうね」かう独り言のようにいって更に男の子に、
「瀧さん、少しそこを貸してちょうだい、赤ちゃんのおむつをかえるんですから」
「いやだなア――母ぁさんは」と男の子はいやいや立つ。
「ここへおかけなさい」と自分はふたたび前にかけさせた場所を空けてやった。
「恐れ入ります。どうも気むずかしくて困ります」女の人は寂しく笑った。
「耳や、鼻のお悪いせいもあるでしょう」
「御免あそばせ」と女の人は後ろを向いて包から乾いたおしめと濡れたのを包む油紙とを出しながら、
3
「それもたしかにございます」という。
「いつごろからお悪いんですか」
「これは生まれつきでございますの。お医者さまはこれの父があまり大酒をするからだとおっしゃいますが、鼻や耳は兎に角つむりの悪いのはそんなことではないかと存じます」
 腰掛に仰向けに転がされた赤子はあてもなく何かを見つめて、手を動かして、あーあーと声をだしていた。間もなくおしめをかえ、濡れたのを始末して母は赤子を抱き上げると、
「ありがとうございました・・・・・サア瀧さん、こっちへいらっしゃい」といった。
「かまいません、ここにおいでなさい」といったが、男の子は黙って立って向こう側へ腰かけるとすぐ窓へよりかかって外をながめ始めた。
「まあ、失礼な」女の人は気の毒そうに詫びをいった。
しばらくして自分は、
「どちら迄おいでですか」ときいた。
「北海道でございます。網走とか申すところだそうで、大変遠くて不便なところだそうです」
「なんの国になってますかしら?」
「北見だとか申しました」
「そりゃあ大変だ、五日はどうしても、かかりましょう」
「通して参りましても、一週間はかかるようでございます」
 汽車は今、間々田の停車場を出た。近くの森から蜩(ひぐらし)の声が追いかけるように聞こえる。日は入った。西側の窓際にいた人々は日除け窓を開けた。涼しい風が入る。今しがた、母に抱かれたまま寝入った赤子の一寸余りにのびた生毛が風にをののいている。赤子の軽くひらいた口のあたりに蝿が2、3匹うるさく飛び回る。母はじっと何か考えていたが、時々手のハンケチで蝿をはらった。しばらくして女の人は荷を片寄せ、そこへ赤子を寝かすと、信玄袋から葉書を2、3枚と鉛筆を出して書き始めた。けれども筆はなかなか進まなかった。
「母ァさん」景色にもあきてきた男の子は、眠そうな目をしていった。
「なあに?」
「まだなかなか?」
「ええ、なかなかですからね、おねむになったら母ァさんに寄りかかって、ねんねなさいょ」
「ねむかない」
「そう、じゃ、何か絵本でもごらんなさいな」
 男の子は黙ってうなずいた。母は包の中から4、5冊の絵本を出してやった。中に古いパックなどがあった。男の子はおとなしく、それらの絵本を一つ一つ見始めた。その時自分は、後ろへ寄りかかって、下目使いをして本を見ている男の子の目と、やはり伏せ目をして葉書を書いている母の目とが、そっくりだということに心附いた。
 自分は両親に伴われた子を――例えば電車で向かい合った場合などに見る時、よくもこれらの何の類似もない男と女との外面に顕れた個性が小さな一人の顔なり、体つきなりのうちに、しっかりと調和され、一つになっているものだということに驚かされる。最初、母と子とを見比べて、よく似ていると思う。次に父と子とを見比べてやはり似ていると思う。そうして、最後に父と母とを見比べて全く類似のないのを何となく不思議に思うことがある。
 今、このことを思い出して、自分はこの母に生まれたこの子から、その父を想像せずにいられなかった。そうしてその人の今の運命までも想像せずにいられない。
 自分は妙な連想からこの女の人の夫の顔や様子をすぐ想い浮かべることができた。自分がもといた学校に、級はそれ程違わなかったが年はたしか五つ六つ上で、曲木という公卿家族があった。自分はその男を思い出した。彼は大酒家であった。大酒をしてはいつも、大きなことをいっていた。鷲鼻の青い顔をした、大柄な男で、勉強は少しもしなかった。二三度つづけて落第して、とうとう自分で退学してしまったが、日露戦争後、上州製麻株式会社とかいうのの社長として、何かの新聞でその名を見たぎり、今はどうしているか更に消息をきかない。自分は、ふとこの男の思い浮かべて、あんな男ではないかしらと思った。しかし彼は
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大言壮語をするだけで別に気むずかしいという男ではなかった。どこか快活で、ヒョウキンな所さえあった。もっとも、そんな性質はあてにならぬことが多い。いかに快活な男でも度々の失敗にあえば気むずかしくもなる。陰気にもなる。きたない家のなかで弱い妻へ当り散らして、いくらか憂いをはらすというような人間にもなる。
 この子の父はそんな人ではないだろうか。女の人は古いながらも縮緬の単衣にお納戸色をした帯を〆ている。自分には、それから、女の人の結婚以前や、その当時の華やかな姿を思い浮かべることができる。更にその後の苦労をさえ考えることができた。
 汽車は小山を過ぎ、小金井を過ぎ、石橋を過ぎて進んだ。窓の外はようやく暗くなってきた。女の人が二枚葉書を書き終わった時、男の子が、
「母ァさん、しつこ」といいだした。この客車には便所がついていない。
「もう少し我慢できませんか?」母は当惑してきいた。男の子は眉根を寄せてうなづく。
 女の人は、男の子を抱くようにして、あたりを見回したが別に考えもない。
「もう少し、待ってネ?」としきりになだめるが、男の子は体をゆすって、もらしそうだという。
 間もなく汽車は雀の宮に着いたが、車掌にきくと、その間はないからこの次になさい、という。この次は宇都宮で8分の停車をする。宇都宮まで、どんなに母は困らされたろう。そのうちに眠っていた赤子も目を覚ました。母はそれへ乳首を含ませながら、ただ、
「もうすぐですよ」という言葉を繰り返していた。この母は今の夫に、いじめられ尽して死ぬか、もし生き残ったにしてもこの子にいつか殺されずにはいまいというような考えも起きる。やがて、ゴーウと音をたてて、汽車はプラットホームに添って停車場に入った。まだ停まらぬうちから、
「早くさ、早くさ」と男の子は前こごみに下腹をおさえるようにしていう。
「さあ、行きましょう」母は膝の赤子を腰掛に下ろし、顔を寄せて、「おとなしく待っててちょうだいょ」といい、更に自分に「恐れ入ります、一寸見ていただきます」
「ようございます」と自分は快くいった。
 汽車は停まった。自分はすぐ扉を開けた。男の子は下りた。
「君ちゃん、おとなしくしているんですよ」とそこを離れようとすると後ろから、手を延ばして赤子は火のついたように泣き出した。
「困るわねえ」母は一寸ためらったが、包から、スルスルと細い、博多の子供帯を出すと、赤子の両のわきの下を通して、すぐ背負おうとしたが、袂から木綿のハンカチを出して自身の襟首へかけ、手早く結いつけおんぶにして、プラットホームへ下り立った。自分も後から下りて、
「じゃあ、私はここで下りますから」といった。女の人は驚いたように、
「まあ、そうでございますか・・・」といった。そして、
「いろいろ、ありがとうございました」と女の人は丁寧におじぎをした。
 人ごみのなかを並んで歩き出した時、
「恐れ入りますが、どうかこの葉書を」こういって懐から出そうとするが、博多の帯が胸で十字になっているので、なかなか出せない。女の人は一寸立ち止まった。
「母ァさん、何してんの」と男の子が振り返ってこごとらしくいった。
「ちょっと、待って・・・」女の人は顎をひいて、無理に胸をくつろげようとする。力を入れたので耳の根が、紅くなった。そのとき、自分は襟首のハンケチが背負う拍子によれよれになって、一方の肩のところに挟まっているのを見たから、つい、黙ってそれを直そうとその肩へ手を触れた。女の人は驚いて顔をあげた。
「ハンカチが、よれていますから・・・・」こういいながら自分は顔を赤らめた。
「恐れ入ります」女の人は自分がそれを直す間、じっとしていた。
 自分が黙って肩から手を引いた時に、女の人は「恐れ入ります」と繰り返した。
 我々は、プラットホームで、名も聞かず、また聞かれもせずに、別れた。
自分は葉書を持ったまま停車場の入口へ来た。そこに箱のポストが掛ってあった。自分は葉
5.
書を読んでみたい気がした。また読んでも差支えないというような気もした。
 自分は一寸迷ったが、箱へよると、名宛を上にして、一枚づつそれを投げ入れた。入れるとすぐもう一度出してみたいような肝した。何しろ、投げ込む時ちらりと見た名宛はともに東京で、一つは女、一つは男名であった。 完  (本作品の草稿は明治41年8月14日)
豆知識
○バラフ(たいまいの甲、黒いまだらのある)=それでつくったべっこう
※鼈甲(べっこう)の「鼈」はスッポン。なぜタイマイの漢字がすっぽんか。
「江戸時代にタイマイを装飾品に使うことが禁じられたために、すっぽんと称した」
○こうがい=髪かき
○御納戸色=ねずみがかかった藍色
『網走まで』とは何か
 この作品は論点を「創作性」、『観察」、「疑問」に絞って考察してみたいと思います。以下の問題点について考えてみてください。
1.この作品には「小説の神様」と言われる所以が隠されている。それが解けないと志賀直哉
 はわかりません。編集室は、そう思います。この作品に隠されているものとは何か。まず、
 それを明らかにしてみてください。何も隠されていない。それでも結構です。想像性
2.なぜ行き先を「網走」にしたのか。いかなる理由があってか。この作品が書かれた当時の
 北海道や網走事情を調べてみてください。1909年前後です。疑問点
3.主人公、「わたし」とは何か。どんな人間か。性格など簡単に。観察
4.二人の子供を連れた女の客は、どんな身の上か。想像してください。簡単でもいいです。
 観察・創作
5.わたしが預かった二枚の葉書には、何が書いてあったでしょう。想像して宛先と内容を書
 いてください。二枚です。
  はがき文面の創作
6.この作品は帝大発行の雑誌『帝國文学』に投稿しましたが、採用されませんでした。志賀
 直哉は、字が汚かったからと書いています。が、実際のところ編集者はなぜボツにしたの
 でしょうか。その理由を、作品を読んだ感想から書いてください。あなたならどう評価し
 ますか。
 想像・観察・疑問 あなたが編集者だったら、どう評価するか。
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6.
同時期に発表された小説
『網走まで』と『三四郎』
時代背景
 『網走まで』は、明治四十三年(1910)に『白樺』第一号に発表された。が、実際に書かれたのは二年前の明治四十一年といわれている。作者が二十五歳のときである。明治三十九年七月に学習院高等科を卒業。九月に東京帝国大学文科大学英文学科に入学している。
 この時代、明治四十年代は、どんな時代だったのか。日清日露戦争に勝利した日本は、韓国併合(1910)を目指して大陸侵攻の準備を着々と進めていた。ポーツマス条約、明治三十九年(1906)には南満州鉄道会社を設立するなど富国強兵政策をますます強めていた。
 しかし、華々しい国策の裏で暗い出来事が次々起きていた。明治四十二年には伊藤博文がハルビン駅で暗殺された。また四十三年には、大逆事件が起き、幸徳秋水ら二十四名に、死刑、の判決がくだった。そのうち十二名が減刑され無期懲役となったが、幸徳秋水はじめ12名が絞首台の露と消えた。
 大逆事件は知識人に大きな衝撃をあたえた。森鴎外、永井荷風、石川啄木、与謝野鉄幹らのおどろきと打撃はかれらの作品に書きのこされている。(『高校日本史』実教出版)
 
 大逆事件(明治天皇の暗殺を計画したとされる嫌疑)は、明治四十四年(1911)二月十八日に上記の判決が下った。この死刑宣告の判決について、志賀直哉は、その感想を二十日金曜日の日記にこう書きしるしている。
二月二十日 金曜日
 ・・・一昨日無政府主義者二十四人は死刑の宣告を受けた。日本に起つた出来事として歴史的に非常に珍しい出来事である。自分は或る意味で無政府主義者である、(今の社会主義をいいとは思わぬが)その自分が今度のような事件に対して、その記事をすっかり読む気力さえない。その好奇心もない。「其時」というものは歴史では想像出来ない。
 漱石の『三四郎』は明治四十一年(1908)九月一日から十二月二十九日まで、百十七回にわたって東西の朝日新聞に掲載された。『網走まで』は明治四十一年(1908)八月十四日と執筆年月日が明記されていることから、両作品は、ほぼ同時期に書かれたとみてよい。
 同時期に書かれた『三四郎』と『網走まで』。この二つの作品の違いは、まず作者だが、『三四郎』を発表したときの漱石は四十一歳の男盛りである。前年、明治四十年(1907)一切の教職を辞して朝日新聞社に入社。すでに『草枕』を発表し、『我輩は猫である』『坊ちゃん』などを相次いで出版。押すも押されぬ大流行作家となっていた。が、文学一本に人生を絞ったのである。ちなみに『三四郎』を発表した年、明治四十一年の年譜をみると、このような文学活動をしている。
1月1日より4月6日まで『坑夫』を朝日新聞に連載。
『虞美人草』(春陽堂)出版。友人、森田草平に小説『煤煙』の執筆を勧める。
6月13日より21日まで『文鳥』を大阪朝日新聞に連載。
7月から8月にかけて『夢十夜』を東京・大阪朝日新聞に連載。
9月1日より12月29日まで『三四郎』を朝日新聞に連載。
 この時期、志賀直哉は、25歳の文学青年。同人誌『白樺』もまだだしていない。たとえ年齢は違っても時代を観察する眼は同じである。文豪となる夏目漱石の目に、日本の姿と将来はどのように映ったのか。未来の小説の神様の目には、どうだったのか。二つの作品の車内観察から文豪たちの見た日本を読み解いてみたい。
 二つの作品の車内観察は、同じ車内でも微妙に違っている。まず主人公である。三四郎は、これから大学生になる学生。『網走まで』の私は、すでに大学生か社会人になりながらもき
7.
ままに暮らしている文学青年の様子。行き先は、三四郎は、東京。私は、日光だが、その前に友人と会うため宇都宮で降りる。はじめての上京、同席となった女の行き先である。
志賀直哉 1883年(明治16年)2月20日~1971年(昭和46年)10月21日88歳
○ 著者・志賀直哉の紹介1883-1914 (結婚するまで)
 日本文学のうえで「小説の神様」と呼ばれる志賀直哉とは、いったいどんな人か。岩波書店の『志賀直哉全集』からおよその年譜を転載してみました。
1883年(明治16)2月20日、宮城県石巻に生まれる。父親、直温は第一銀行石巻支店勤務。
1895年(明治28)学習院初等科を卒業。母親銀死去33歳。直哉12歳。日清戦争終結。
1900年(明治33)内村鑑三宅で開かれた夏期講談会に出席。以後7年キリスト教の教えに接
        す。17歳。
1904年(明治37)アンデルセン張りの作文「菜の花」(後の『菜の花と小娘』)日露戦争勃発。
        21歳。この年(推定)小説創作を生涯の仕事にせんと志す。
1906年(明治39)東京帝国大学文科大学英文学科入学。23歳。
1907年(明治40)家の女中と結婚の約束。父、祖母、義母に反対され断念。24歳。
1908年(明治41)8月「小説網走まで」を書く。同人仲間好評。勧められて『帝國文学』へ
        投稿。ボツとなる。25歳。
1909年(明治42)吉原で放蕩。「峯」との交渉。26歳。
1910年(明治43)同人雑誌『白樺』創刊号に『網走まで』を発表。27歳。
1912年(明治45、大正元年)出版費用5百円で父と争う。10月25日自活のため家をでる。
1913年(大正2)『暗夜行路』の前編の草稿を書く。30歳。
1914年(大正3)12月武者小路実篤の従妹、康子(さだこ)と結婚。父反対で不和。31歳。
       4月、『白樺』5周年号記念号発行。
課題・12    自分観察「普通の一日を記録する」
2010・6・14
                            名前      
課題・11      車内観察
2010.6・14
                            名前      
課題・9   「『網走まで』について」
2010.6.7
                            名前      
1. 母子のこれまでの生活は。想像して書いてください。
2.母親の生い立ちは それが知れる個所は
3.母は、2枚のはがきを書いた。男と女宛だが、誰にどんな内容を書いたか。
4.網走ではどんな生活が予想されるか
課題・10  『網走まで』あなたが編集者だったら
2010.6・7
                            名前      
この作品『帝国文学』では没でしたが、あなたが編集者だったらどうしますか。没になった理由は、次のことが考えられます。
1.文学的要素がない。
2.字が汚くて読む気がしなかったから。
3.矛盾があり過ぎるから

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