文芸研究Ⅱ 下原ゼミ通信No.150

公開日: 

日本大学芸術学部文芸学科     2010年(平成22年)6月21日発行
文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.150
BUNGEIKENKYU Ⅱ SHIMOHARAZEMI TSUSHIN
                             編集発行人 下原敏彦
                              
前期4/19 4/26 5/10 5/17 5/24 5/31 6/7 6/14 6/21 6/28 7/12 
  
2010年、読書と創作の旅
前期の観察旅は、(車中と日常) & 名作読み・発表・表現
6・21ゼミ
6月21日(月)の下原ゼミは、下記の要領で行います。ゼミ2教室
1.「2010年読書と創作の旅」、ゼミ誌編集会議
  2.車窓観察・討議「」&課題発表&合評 
  3. テキスト「鳥取」読み (車内観察「出来事」関連「城の崎にて」)
4.「兒を盗む」(犯罪心理観察)テキスト分析『網走まで』
      
6・14ゼミ観察     梅雨突入、出足悪く、複雑な思い
          いつもの年より一週間遅れの梅雨入り宣言。朝から、雨模様のうっとおしい天気である。加えて、今日のW杯は日本戦。影響あるかどうかは知らないが、嫌な予感。裏付けするように、朝、新京成電鉄で人身事故。(後日、女子高生、自殺の可能性)午後の西武鉄道は時刻の乱れ。チャイムが鳴っても教室は真っ暗。少し前、文芸棟で停電があったが、これとは関係なし。授業終了後、他のゼミ先生方に聞くと、今日はどこでも欠席者が多かったとのこと。うちだけではなかったと安堵するが、複雑な思い。
出席者3名、NHKアーカイブスを途中まで
真っ暗な教室。ゼミを受け持って初めての体験である。もしかして、出席者はゼロ。そんな不安にかられたころ竹下君、つづいて越智さんが入ってきた。待てば海路の、ということで、NHKのアーカイブスビデオをセット。このビデオは1996年放映のドキュメント「教え子たちの歳月」。制作シナリオに下原が協力、関係した。が、14年も前のNHKビデオ。退屈を心配したが、折よく後藤君が顔をみせた。で、出席者は以下の3人になった。
・越智美和さん ・後藤大喜君  ・竹下晃誠
配布したもの・・・テキスト『出来事』『正義派』+課題2枚
提出作品の読みとテキスト読み
 3名となったので授業をはじめることにした。竹下君の「車内観察」作品の合評のあとテキスト読みにはいる。『出来事』は、人身事故を起こした電車に乗り合わせていた乗客観察。事故前と、事故後の乗客の表情。助かった子供への安堵感。車内の雰囲気がよく描かれている。実際に作者が体験したことを書いた。対比作品として、『正義派』を読んだ。こちらは、車外観察である。が、他人から聞いた事故の話を作品に仕立てたもの。従って、この作品は、事故への関わった人たちの対応もあるが、もうひとつ、社内告発といった大きな社会性の問題も孕んでいる。正義の難しさも指摘している。


文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.150―――――――― 2 ―――――――――――――
車窓雑記         六月の風景
不可解な事件簿が多い月
前号で6月に起きた目立った事件をあげた。この時期、梅雨という、うっとおしい季節のせいか、不可解な事件が多い。いずれの事件も、犯行に至った動機は「生きているのが嫌になった」「自分では死ねないので、死刑になるためにやった」など、理由とも思えない凶行だった。衝撃的な秋葉の事件だが、6月の車窓の風景といえば、やはりあの事件である。
6月といえば、よく知られているのは、太宰治と山崎富栄の玉川心中事件である。これは文学事件として歴史教科書にも載っているほどである。
玉川心中事件とは何か
1948年(昭和23年)6月13日深夜、中年男女が武蔵野の玉川上水で溺死した。いわゆる玉川心中事件である。この事件、一般的には、情死とみられる。が、世間常識を認めたがらない人たち。狂信的太宰研究者、ファン、関係者は、女が男を道連れにしたと口角泡をとばす。この事件、男は38歳、妻子持ち。女は28歳の愛人。たんなる不倫心中だが、世間が大騒ぎし、それがいまもつづいているのは、死んだ男が有名な流行作家だったからである。それだけに、いまだこの事件は真相がみえにくくなっている。当時の新聞は、どう伝えていたのだろう。死体発見の記事は、こうである。
【昭和23年6月20日報道】
 玉川上水に投身した作家、太宰治と愛人山崎富栄さんの死体捜査は、すでに第一回、第二回と行われ、、19日午前8時頃から第三回の捜査が行われる筈であったが、これより先、同日午前6時50分頃、投身現場より約1000メートル下流の、三鷹市牟礼地内、明星学園前、玉川上水新橋を通りかかった同字2002建設院出張所監督大貫森一氏が、橋より川下10メートルのクイに、二つの死体が折り重なって、引っかかっているのを発見、万助橋交番に届け出た。知らせにより、太宰氏の仕事場「千草」の主人鶴巻幸之助が現場にかけつけ、付近の人の応援を得て、7時半頃死体を川ぶちに引揚げた。
 普通の心中より、少し詳しめに書いてあるのは、男が有名作家というところか。ここで驚くのは、太宰の信奉者たちは、作家、研究者、読者こぞって太宰は女に殺されたと信じて疑わないところにある。ある大学教授にいたっては、上記の新聞記事さえ「腹立たしい」とし、頑強に「かれの死が富栄による他殺であると認定した事実を、突きとめたのであった」と論じている。著名な文学者として知られる『大和古寺風物誌』『現代人の研究』『日本人の精神史研究』などの著書がある、あの亀井勝一郎でさえ、「直接の原因は、女性が、かれの首にひもをまきつけ、無理に玉川上水にひきずりこんだのである」などと書いていたという。実に恐ろしきは憑かれた人々である。志賀直哉が事物を冷徹に観察したように、この作家を観察すれば、津島修治という真の人間の姿正体が見えてくるはずである。この作家は、生まれながらにして心中ごっこという病にとりつかれた人ということもわかってくるはず。
このことは1970年11月に起きた三島事件も同様といえる。45歳の作家・三島由起夫は若者森田必勝と自衛隊市ヶ谷駐屯地で死んだ。(考えられる理由は多くていまだ判明しないが)が、なんと熱烈な三島信奉者たちは、若者の森田が三島をあんな事件に引きこんだとの妄想をふくらませている。
太宰は22歳の大学生のときも心中事件を起こし17歳になったばかりの女を死なせている。作家は、この事件をモデルとして、『人間失格』『道化の華』などの作品を書いた。まるで、小説の材料とするために心中騒ぎを起こしたり、ダメ人間になってみたりしていたようである。6月の車窓は、天気同様、すっきりしない・・・・・・。
(編集室)
―――――――――――――――――― 3 ――――― 文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.150
 
「2010年、読書と創作の旅」6・21プログラム
本日のゼミは下記の要領で実施します。
「ゼミ通信150号」配布 点呼 11名全員いれば再度記念撮影 「車窓雑記」、司会指名
 ※司会者は、名作、テキスト読みの配分を考えて、全員に読んでもらうよう、読みの途中で区切りを指示してください。討議・合評・感想では司会してください。これまでの司会観察では、遠慮がちのため、各人、読む範囲に偏りがあるように思われます。
司会進行=
1. ゼミ雑誌ガイダンス報告 (伊藤・塚本正副編集長指導で)
2. ゼミ雑誌編集会議(どんな構想があるのか)
  ゼミ担当者の希望=課題作品を掲載する。
3. 課題・観察作品発表と合評 未発表作品「青春老女」「広いシートと狭いシート」
4. テキスト車内観察『鳥取』有名人の観察、
5. テキスト自分観察(犯罪心理観察)『兒を盗む』読みと感想
1. ゼミ雑誌編集会議 伊藤・塚本正副編集長
伊藤編集長と、塚本副編集長が同時に欠席なので、ガイダンス報は、まだです。
2. 編集会議で、雑誌の内容・方向性
 ゼミ誌は、1年間の授業成果です。前期ゼミ日数が少なくなりました。今日を入れて、あと3回です。早目に決めましょう。
3. 課題発表&合評
課題の提出作品が少ないのが気になります。マスメディアは、書いてナンボの世界です。その世界を目指すなら、とにかく書くしかありません。
文学の王道、志賀直哉の、車内観察を課題にしています。どんどん書いて発表してください。この梅雨の時期、作物にはめぐみの季節です。成長するのに貴重な時です。このゼミ地に蒔いた種、テキストという肥料と読み書きで耕し育てるのは自分自身です。
4.テキスト読み『鳥取』
この観察は、たまたま見かけた著名人を書いた。創作余談には、こう述べている。
「何を書こうとしたのか忘れたが、その為、山陰の温泉に出かけ、書けずに帰って来て、書けなかったそのときのことを書いてしまった。あの中に出てくる老博士は故新渡戸稲造博士である。
文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.150 ―――――――― 4 ―――――――――――――――
2.課題観察作品発表・合評
観察度ポイント
1. 想像・物語性への広がりを感じるか。(どうなるのかという興味)
2. 核になるところはあるか。(『夫婦』の機微のような)
3. 全体的にわかりやすいか。(まずは、これが一番である)
課題1・車内観察未発表  (仮)は編集室
(仮)青春老女
                            伊藤 果南
 先日電車に乗り込むと、目の前に一人分には少し狭いようなスペースの座席が空いていた。一瞬悩む幅、けれども横に座ったおばさんが、自分のお尻に懸命に上着の裾をたくし込んでくれるのを見たら、座らないと悪いような気になった。
 「あなた良かったわね。あそこにいる人が席を譲ってくれたんだけど、あの人のときは一人分だったのよ、私たちなら二人座れるわ」
 おばさんの指差す先には大柄な男性が。ちょっと笑ってお礼言うと、ふと、そのおばさんのネイルが素敵なことに気がついた。ゴールドのマットなベース、親指には白椿の花を描いている。なかなかのセンスだった。
 「素敵なネイルですね」
 「ああ、これ?あなたのも素敵じゃない。ご自分で描いたのかしら?」
 「はぁ、でも私のは手入れしないので、剥げかけちゃってて…」
 「私はね、お正月に百合の花を描いてたんだけど飽きちゃったのよ。それで今度は白椿にして観ようと思ったの。出掛けに履いた靴がたまたまゴールドだったもんで、わざわざネイルも塗り直したのよ」
 そう言うおばさんの指先を、もう一度まじまじと見てみると、職人芸と呼べるほどの細やかさで、椿の花弁一枚一枚がとても丁寧に描かれている。私は自分の剥げかけた爪先に再び視線を落として、なんだかとても恥ずかしくなってしまった。
 「すごいこだわりですね」
 「お近くだったらして差し上げるのに。私、三島から来てるのよ。そうそう、この真珠のブレスレッドも私が作ったの」
 「へえ、手作りには見えないくらい粒が揃ってますよ。いつも素敵なファッションでいるっていいですよね」
 「うふふ。主婦失格ってことだけど、こういうこと、好きなのよ。私ももう八十一になってるんだけど」
 私はびっくりして隣で微笑む”おばさん”を見た。ハタチになる私より、半世紀以上長く生きてきたとは到底思えないその老女は、八十を過ぎていると言いながらも、どこか私には持ち得ない、女の色気を感じさせてならなかった。
□そうですね、「車窓雑記」にも書きましたが、お年寄り度は年齢ではないですね。
以下のアンケートに答えてください。評価ではなく、あくまで自分の感想・見方です。
1(わからん)、2(何かもの足らない)、3(普通)、4、(良い)、5(よく書けている)
観察度    →  1   2   3   4   5  理由は→
リアル度   →  1   2   3   4   5  理由は→
まとまり度  →  1   2   3   4   5  理由は→
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課題1・車内観察未発表
広いシートと狭いシート
藤重はるか 
月曜の朝。週末明け特有の疲れや白けた空気が車内に蔓延している。
一人の若者が優先席に腰かけている。ガムをくちゃくちゃ噛みながら、ケータイをいじる。特別あしらいの狭めのシートに、2~3人分座れるスペースはあるが、何分、大股を拡げだらしなく席を占めている。この青年にわざわざ詰めてくれと告げる者はいない。
 窓から暖かな春の日差しが差し込む。青年は腔口内が覗けるほどのあくびをし、そしてそれを合図に――シートに横倒れになった。交差した腕を枕になんともくつろいだ風である。
広いシートでスポーツ新聞をひろげた中年のサラリーマンが目を大きく見開いた。彼は先ほどから横目でチラチラとこの青年を見ていた。見開いた目を2、3度左右に泳がせる。そして、手にしていたスポーツ新聞を更に大きく拡げ、体を深くシートに埋めた。斜めになって寝転がるほどではない、しかし、今にも席からズレ落ちそうな微妙な姿勢。
更に電車に揺られ、ある駅で青年とサラリーマンは同時に降りた。車内が急に広くなる。
私はもたれたドアから離れ、シートに腰かけた。久々の優先席。暖かな春の日差しが降りそそぐ普通席に、何故か座る気になれない。
□ 不作法な青年、気の小さそうなサラリーマン。よく見かける風景。そんな乗客の動作がしっかり観察されています。最後の俳句のような文章に、誰もいなくなった車内の解放感があります。
合 評
提出課題3のうち、作者出席の作品、竹下君の車内観察「府中本町・東所沢間」を合評した。評者は、後藤大喜君、越智美和さん。
合評作品・竹下晃誠「府中本町・東所沢」
・読み → 作者本人
・内容 → 府中本町から武蔵野線に乗車。東所沢までの車内で感じた観念的思索。
・感想 → ケイタイを小道具にしたところが斬新。観念が自分の話になっている。能力
の高さは買うが、もっとマイルドにしたらどうか。
あなたは、どう感じましたか。1~5を選び、その理由(個所)を述べてください。
1(わからなかった)、2(物足らない)、3(普通)、4、(書けている)、5(よく書けている)
観察度    → 1   2  3   4   5 → 理由は
リアル度   → 1   2   3   4  5 → 理由は
まとまり度  → 1   2   3   4   5 → 理由は
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課題1・車内観察発表済み
  
竹下晃誠提出作品「府中本町・東所沢間」を読む
自動ドアが開く。私の他に2、3人が同じドアから電車の車内に進み入る。気温は低くない。ジメジメとまとわりつく様な不快な暑さから解放され、一息ついた気分になりながら、私は一番端の席に座る。視界の端には無人の運転席。走行中は車掌が乗っているのだろうか。
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観察文は、出だしが肝心である。ここで気になるのは、「自動」は必要か、加筆は必要かである。「自動ドアが開く」の「自動」は今日的か。さらに、それにつづく文で「同じドア」も気になるところである。(並んで待っている人は同じドアから乗車するわけであるから)
自動ドアが開く  → 「ドアが開く」「電車が停まりドアが開く」
私の他に2、3人が同じドアから → 私は、待っていた2、3の人たちと電車に乗り込
む。あるいは、乗り、車内に進み入る。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
停車している今、車掌は電車の外に出ている。車掌の仕事と運転手の仕事には、鉄道会社に勤める職員として順位付けがされているのだろうか。そんなことをふと考える。
開きっぱなしのドアから、外の気だるい熱気が侵入してくる。向かいのガラス窓から車内に境界線を描く日光が、座っている私の膝を焼く。さっさと出発して欲しいという薄ボンヤリした願いに、私の疑問は霧消した。
音楽に身を溶かしつつ、ポケットから私は携帯電話を取り出す。新型の機種だが、慣れていないせいか利便性は低く感じる。私は周りの空間から切り取られるような気分になる。自分の感覚受容器官の大半を閉ざしたのだから、当然といえば当然だ。
電車の最極端の席にて、私はこの上なく不用心な生き物へと成り下がる。私を包み込む安隠は、長い歴史をかけて先人たちが勝ち取った栄誉であると同時に、私をこの上なく堕落させる甘美な毒でもある。厳しい自然の世界に放り投げられれば、すぐにでも息絶えてしまう
様な愚鈍な生き物へと退化させる毒である。
ドアが閉まる。絶えず侵入してきて、私の左半分を舐めていた不快な熱気から解放され、私は再度一息ついた気分になる。言葉を交わしたことすらない人々が何人も同乗している車内という公の場の中、私はまるで自室にいるかの様にリラックスしている。安穏という名の毒に自らの身を沈め、その腐臭を頭蓋骨の中に充満させた半覚醒の意識の中、私は他から隔絶された世界の安穏を享受し続ける。
無意識が目の前の現実を知覚している。意識のステージに登る程でもない程、脆弱なそれらの認識は、目的の駅が近づけば私の意識を目覚めさせる程度の働きはしている。府中本町から東所沢まで、わずか20分足らず、限られた時間を、いかにリラックスした状態を保ちつづけるか、それを追求した結果だろう。
私が暇つぶしがてらに携帯電話を弄つていようが、夢中で本を読んでいようが、眠っていようが、私の無意識は目的の駅が近づいたら、その情報を的確に、そして半覚醒の私の意識を覚ましうる大きさで指摘する。果たしてこれが退化なのか、進化なのか。便利なのは確かだが、世間一般における進化というカテゴライズからは、外れている様な気がしてならない。進化と呼ぶにはあまりに自堕落だ。
何気なく私は窓の外を見る。電車は東所沢の駅に停車しようとしていた。携帯電話をポケットに入れる。立ち上がる。私が座っていた位置に、いつの間にか隣に座っていた初老の男性が腰を浮かせて座っていた。その情報は私の意識の表層を撫で、消えていく。
自動ドアが開く。外の外気は、府中本町で味わったそれより強くなっていた。
□ 短い乗車のなかで次々に浮かぶ携帯電話への観念。無意識と意識の中で考える人類の変化。瞬時の中に大きなテーマも入っていて、いいですね。
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テキスト車内観察作品『出来事』読み
 実際に体験した作品
ゼミでは、車内観察のテキストとしてこれまで『夫婦』と『網走まで』をとりあげ、これら作品の重要性や疑問点を考察してきた。が、実際の車内観察、乗客観察といえば、この作品『出来事』である。夏のある午後に乗った電車。いろんな乗客がいる。何の縁もないが一時を同じ空間で過ごす人たち。作者は、暑さでデレーっとなった彼ら一人ひとりの様子を観察する。人身事故という出来事によって変身する乗客の様子がよく描けている。
 この作品は、1913年(大正2年)9月1日発行の『白樺』第四巻に発表された。志賀直哉30歳のときである。
7月28日の日記「子供が電車にヒカレかかった。(出来事)」。8月15日「病院。かえって『出来事』の了ひを書き直して出来上がってひるね」この夜、友人と散歩にでて山の手電車にはねられて怪我をする。☆ この怪我の治療に城の崎温泉に行き『城の崎にて』を書く。
※ 乗客一人ひとりの観察のし方に注意。
【この車内観察で描かれたひとたち】
窓外 → 大道アイスクリーム屋、しゃがんで扇子を使っている客。
車内 → 「水銀を流したような線路」「無花果の葉」「人通りのない未知」
暑い昼下がりの観察は、よくえがかれている。
乗客観察 出来事前 = ほとんどの乗客は半睡状態でぐったりしていた
・乗客 → 8、9人
・40ぐらいの女 → 汗ばんだ赤い顔、片手に小さな日傘、片手に濡れ手ぬぐい。
・はっぴ着の若者 → 電気局のしるしのついた大黒帽子をかぶっている。不機嫌そう。
・書生ふうの若者二人 → 麦わら帽子を目深にかぶり股をひらいた恰好で眠っている。素
足にほこりが油で黒くにじみ、きたない感じがする。
・洋服を着た50歳以上にみえる人 → 小役人ふう。パナマ帽子を後ろへずらし、ステッ
キに顎をのせポカンとしている。ときおりハンカチ
で禿げたひろい額を拭っていた。
・白い蝶 → ひとり気軽に飛びまわっている。
乗客観察 出来事後 = 子供が轢かれそうになって助かった後
・小さい男の子 → 頭の大きな、ぶさいくな顔。肉づきのよい尻、短い甚平さんを着た。
・母親 → 40以上の色の黒い女。
・車内 → 明るい興奮。
暑さにめげて半睡の状態にいた乗客は皆、いきいきした顔つきに変わっていた。
文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.150 ――――――――8 ――――――――――――――――
掲示板
「2010年、読書と創作の旅」の記録
4月19日 ガイダンス 嘉納治五郎の「読書のススメ」、志賀直哉「菜の花と小娘」読み
4月26日 司会=越智美和 担当決め(正副班長=立川・後藤 ゼミ正副編集長=伊藤・
塚本)自己紹介、ビデオ「おんぼろ道場再建」、「ひがんさの山」参加8名
5月10日 司会=立川、参加7名、車窓観察「沖縄米軍基地問題」討議、名作観察「空中
ぶらんこに乗った大胆な青年」、車内観察テキスト「夫婦」
5月17日 司会=阿井大和、参加8名、名作紹介、5月の詩編ランボー「谷間に眠る者」空想観察「フェッセンデンの宇宙」テキスト『網走まで』読みと感想
5月24日 司会=伊藤光英、参加7名、ゼミ合宿採決=無し、名作観察O・ヘンリー『心と手』、『網走まで』の「網走」解説、比較作品『三四郎』、
5月30日 快晴 参加者3名 犯罪観察モーパッサン『狂人』、紙芝居口演『少年王者』
6月 7日 快晴 参加者5名、司会=竹下晃誠、草稿『網走まで』読みと評。提出作品発
      表・車内観察「女装趣味の男」重野作、一日観察「遠い目覚め」重野作、合評。
      バルザック『谷間の百合』紹介、冒頭読み。
6月14日、雨 参加者3名、NHKビデオ、司会=後藤、合評=竹下作品「府中本町間」、
テキスト「出来事」と対比作品「正義派」の読み。感想。
課題 1.車内観察 2.自分観察「普通の一日」 
書けた人は、いつでも提出してください。期限はありませんが、習慣を身につけるために挑戦です。
          課題提出状況(6月13日現在)課題1~14発行
提出者    課題1「車内観察」   課題2「一日観察」       総数
・伊藤果南  課題1「青春老女」1                   1
・重野武尊  課題1「女装客観察」1、 課題2「自分の一日観察」1    2
・藤重はるか 課題1「広いシート」1                  1
・竹下晃誠  課題1「武蔵野線」1                   1
お知らせ
■ 8月14日(土)ドストエーフスキイ全作品を読む会第240回読書会
        「カラマーゾフのこどもたち」
        池袋西口・東京芸術劇場小会議室7 1000円(学生半額、セミ生0)
※ 詳細並びに興味ある人は「下原ゼミ通信」編集室まで
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編集室便り
☆ 課題原稿、学校で直接手渡すか、下記の郵便住所かメール先に送ってください。
 「下原ゼミ通信」編集室宛
  住所〒274-0825 船橋市前原西6-1-12-816 下原方
  メール: TEL・FAX:047-475-1582  toshihiko@shimohara.net
□ゼミの評価基準は可(60~100)とします。評価方法は、次の通りです。
  課題の提出原稿数+出席日数+α=評価(60~100)
『出来事』と対極にある作品『正義派』
車内観察作品ではありませんが、『出来事』と対極にある作品『正義派』を併せて読んでみます。観察としては車外(事故)観察にはいります。この作品は明治45年・大正元年(1912)作者29歳のとき書いたものです。前期の『出来事』は人身事故未遂をめぐって車内の乗客の反応の様子でしたが、この作品は、人身事故を目撃した車外の人たちを観察した作品となっています。が、『出来事』のように実際に体験し観察した話ではありません。車に乗ったとき、その車夫から聞いた話を材料に書いたと言っています。『出来事』とは明暗を成す作品です。
比較 『正義派』は他者から聞いて創作した作品。
 『正義派』この作品は、1912年(大正元年)9月1日発行の『朱欒』に発表された。29歳。1912年(明治45年)5月2日の日記「夜少し仕事をした。(興奮という題の)」とある。5月5日には「『興奮』という題の小説をかきあげた」とある。5月17日は「雀の声を聞きながら眠って翌日の12時半に起きた。『線路工夫』を少し書いてみた」とある。5月28日「夜、『正義派』・・・を書き終わった。感心すべきで物ではない」8月25日「あけ方、とうとう『正義派』を書きあげる。悪い小説とは思わない」
 その後の【創作余談】では、「車夫の話から材料を得て書いたもので、短編らしい短編として愛している」と回想されている。(『志賀直哉全集』岩波書店)
テキスト分析
 車夫 → 作者(事故の話)どの程度かは不明。 
 現場にいた人たち = 運転手、巡査、監督、工夫3人
 話を聞いた人たち = 牛肉屋の客と女中、車夫
 事故の話 = 車夫 → 作者
○当事者の心理を想像してみる。多角的に捉える。
・事故を起こした運転手の心理
・鉄道会社の監督の考え。
・目撃した工夫1、工夫2、工夫3の気持。
登場人物一人ひとりの側からみているので立体感がより強くなっている。
―――――――――――――――――――― 9 ――――文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.150
テキスト車内観察作品『出来事』関連読み
『城の崎にて』
― 自らが電車事故にあい湯治にいった温泉地での作品 ―
一見なんでもない作品。しかし、この作品は名作と評されている。なぜ名作か。その意味がわかるのは、おそらく、もっと多くの小説。いろんな分野の作品を読む必要がある。文学でもなんでもそうであるが、本物はすぐにはわからない。
 『出来事』を書いた8月15日の夜、山手電車にはねられた。その時の傷の養生に城崎温泉に行く。10月18日から11月7日まで湯治療養。この間、この作品を書く。
10月30日の日記「蜂の死と鼠の竹クシをさされて川へ投げ込まれた話を書きかけてやめた。これは長編の尾道に入れることにした。」とある。
「創作余談」これも事実ありのままの小説である。鼠の死、蜂の死、いもりの死、皆その時数日間に実際目撃したことだった。そしてそれから受けた感じは素直に且つ正直に書けたつもりである。所謂心境小説というものでも余裕から生まれた心境ではなかった。
テキスト車内観察作品『鳥取』読み
特定人物読み
年譜 [編集]
? 1862年(文久2年) 盛岡藩(のち岩手県盛岡市)の、当時奥御勘定奉行であった新渡戸十次郎の三男として生まれる。
? 1873年(明治6年) 東京外国語学校英語科(のちの東京英語学校、大学予備門)に入学。
? 1877年(明治10年) 札幌農学校に第二期生として入学。のち東京大学選科入学。同時に成立学舎にも通う。
? 1882年(明治15年) 農商務省御用掛となる。11月、札幌農学校予科教授。
? 1884年(明治17年) 渡米して米ジョンズ・ホプキンス大学に入学。
? 1887年(明治20年) 独ボン大学で農政、農業経済学を研究。
? 1889年(明治22年) ジョンズ・ホプキンス大学より名誉文学士号授与。
? 1891年(明治24年) 米国人メリー・エルキントン(1857-1938、日本名:萬里)と結婚。帰国し、札幌農学校教授となる。
? 1894年(明治27年) 札幌に遠友夜学校を設立。
? 1897年(明治30年) 札幌農学校を退官し、群馬県で静養中『農業本論』を出版。
? 1900年(明治33年) 英文『武士道』(BUSHIDO: The Soul of Japan)初版出版。ヨーロッパ視察。パリ万国博覧会の審査員を務める。
? 1901年(明治34年) 台湾総督府民政部殖産局長就任。
? 1903年(明治36年) 京都帝国大学法科大学教授を兼ねる。
? 1906年(明治39年) 第一高等学校長に就任。東京帝国大学農学部教授兼任。
? 1916年(大正2年) 東京貿易殖民学校長に就任。
? 1917年(大正6年) 拓殖大学学監に就任
? 1918年(大正7年) 東京女子大学学長に就任。
? 1920年(大正9年) 国際連盟事務次長に就任。
? 1921年(大正10年) チェコのプラハで開催された世界エスペラント大会に参加。
? 1926年(大正15年) 国際連盟事務次長を退任。貴族院議員に。
? 1928年(昭和3年) 東京女子経済専門学校(のち新渡戸文化短期大学)の初代校長に就任。
? 1929年(昭和4年) 太平洋調査会理事長に就任。拓殖大学名誉教授に就任。
? 1933年(昭和8年) カナダ・バンフにて開催の第5回太平洋会議に出席。ビクトリア市にて客死。
代表的な著書 [編集]
? Bushido: The Soul of Japan(1900年), The Leeds and Biddle Company
o 矢内原忠雄訳『武士道』(岩波文庫、1938年) ISBN 4003311817
o 奈良本辰也訳『武士道』(三笠書房、1997年) ISBN 4837917003
? 『農業本論』(1898年)裳萃房
? 『ABC引き日本辞典』井上哲次郎、服部宇之吉などとの共編 (三省堂、1917年)
※その他、様々な出版社から発行されている。
テキスト分析『網走まで』現行と草稿点検
小説・『網走まで』を読む
文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.150 ――――――――10 ――――――――――――――――
ゼミ雑誌誌作成計画
ゼミの一年間の成果は、ゼミ誌にあります。皆で協力して、記念碑としてください。
済み1.ゼミ雑誌作成ガイダンス5月25日正午12時20分から教室1 正副編集長参加
 
今後の予定
2.「ゼミ雑誌発行申請書」を出版編集室に提出
 3.ゼミ誌の装丁を決める
 4.9月末をメドに原稿締め切り
 5.印刷会社を決める。レイアウトなど編集作業
 6.「見積書」を出版編集室に提出
 7.11月半ばまでに印刷会社に入稿
 8.12月15日(後期前半授業終了日)刊行のゼミ誌を出版編集室に提出 締切り厳守
 9.印刷会社からの「請求書」を出版編集室に提出
重要事項 → 「ゼミ雑誌発行申請書」「見積書」「請求書」の提出
※ ゼミ誌掲載作品について、課題提出の観察作品も掲載できればと思っています。
注意!事項
印刷会社は、はじめてのところは避け、ゼミ雑誌製本経験のある会社を選んでください。
出版編集室に相談してください。
2010年12月15日納品締切り厳守!!
―――――――――――――――――――― 11 ――――文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.149
 
文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.149 ――――――――12 ――――――――――――――――
付録『網走まで』
2010年、読書と創作の旅 テキスト読み
テキスト読み ポイント「創作性」・「観察」・「疑問点」
 志賀直哉とは何か。この作家を知るためには、いろいろな方法があります。下原ゼミでは、主に車中作品を考察してみます。最初は、処女作の『網走まで』を読んでもらいました。が、一読だけでは解明不十分なので、再読してください。なお、文面は100年前なので編集室で岩波書店『志賀直哉全集』から現代読みにして転載しました。
網走まで
 宇都宮の友に、「日光のかえりには是非おじゃまする」といってやったら、「誘ってくれ、ぼくも行くから」という返事を受け取った。
 それは8月もひどく暑い時分のことで、自分はとくに午後4時20分の汽車を選んで、とにかくその友の所まで行くことにした。汽車は青森行である。自分が上野へ着いた時には、もう大勢の人が改札口へ集っていた。自分もすぐその仲間へ入って立った。
 鈴が鳴って、改札口が開かれた。人々は一度にどよめき立った。鋏の音が繁く聞こえ出す。改札口の手摺りへつかえた手荷物を口を歪めて引っぱる人や、本流からはみだして無理にまた、かえろうとする人や、それを入れまいとする人や、いつもの通りの混雑である。巡査がいやな眼つきで改札人のうしろから客の一人ひとりを見ている。このところを辛うじて出た人々はプラットホームを小走りに急いで、駅夫等の
「先が空いてます、先が空いてます」と叫ぶのも聞かずに、われ先と手近な客車に入りたがる。自分は一番先の客車に乗るつもりで急いだ。
 先の客車は案の定空いていた。自分は一番先の車の一番後ろの一ト間に入つた。後ろの客車に乗れなかった連中が追い追いこのところまでも押し寄せてきた。それでも七分しか入つていない。発車の時がせまつた。遠く近く戸をたてる音、そのおさへ金を掛ける音などが聞こえる。自分のいる間の戸を今閉めようとした帽に赤い筋を巻いた駅員が手をあげて、
「こちらへいらっしゃい。こちらへ」と戸を開けて待っている。26、7の色の白い髪の毛の少ない女の人が、一人をおぶい、一人の手をひいて入ってきた。汽車はすぐでた。
 女の人は西日のさす自分とは反対側の窓のわきに席をとった。また、そのところしか空いていなかったので。
「母さん、どいとくれよ」と7つばかりの男の子が眉のあいだにしわをよせていう。
「ここは暑ござんすよ」と母は背の赤子をおろしながら静かいった。
「暑くたっていいよ」
「日のあたるところにいると、またおつむが痛みますよ」
「いいつたら」と子供は恐ろしい顔をして母をにらんだ。
「瀧さん」と静かに顔を寄せて、「これからね、遠い所まで行くんですからね。もし途中で、お前さんのおつむでも痛みだすと、母さんはほんとうに泣きたいくらい困るんですからね。ね、いい子だから母さんのいうことを聞いてちょうだい。それにね、いまに日のあたらない方の窓があくから、そうしたらすぐいらっしゃいね。解かりまして?」
「頭なんか痛くなりゃしないったら」と子供は尚ケンケンしくいい張った。母は悲しそうな顔をした。
「困るのねえ」
自分は突然
2
「ここへおいでなさい」と窓のところを一尺あまりあけて、「ここなら日があたりませんよ」といった。
 男の子はいやな目で自分を見た。顔色の悪い、頭の鉢の開いた、妙な子だと思った。
自分はいやな気持がした。子供は耳と鼻とに綿をつめていた。
「まあ、どうも恐れ入ります」女の人は悲しい顔に笑いを浮かべて、「瀧さん、お礼をいって、あそこを拝借なさい」と子の背に手をやってこっちへ押すようにする。
「いらっしゃい」自分は男の子の手を取って自分の脇に坐らせた。男の子は妙な目つきで時々自分の顔を見ていたが、しばらくして漸く外の景色に見入った。
「なるたけ、そっちばかり見ていたまえよ、石炭殻が目に入るから」
こんなことをいっても男の子は返事をしない。やがて浦和に来た。ここで自分と向かいあっていた2人が降りたので、女の人は荷と一緒にそこへ移った。荷といっても、女持の信玄袋と風呂敷包みが一つだけ。
「さ、瀧さん、こちらへおいでなさい。どうもありがとうございました」女の人はそういってお辞儀をした。動いたので今までよく眠っていた赤子が目を覚まして泣き出した。母は、
「よしよし」と膝の上でゆすりながら「チチカ、チチカ」とあやすようにいうが、赤子はふんぞり返ってますます泣く。「おおよしよし」と同じようなことをして、こんどは「うま、上げよう」と片手で信玄袋から「園の露」を一つ出してやる。それでも赤子は泣きやまぬ。わきからは、
「母さん、あたいには」とさも不平らしい顔をしていう。
「自分で出して、おあがんなさい」といって母は胸を開けて乳首を含ませ、帯の間から薄汚れた絹のハンケチを出して自分の咽のところへはさんでたらし、開いた胸を隠した。
 男の子は信玄袋の中へ手を入れて探っていたが、
「ううん、これじやないの」と首を振る。
「それでないって、どんなの?」
「玉の」
「玉のはない。あれは持って来なかった」
「いやだあ!玉のでなくちゃ、いや」と鼻声をだす。
「その下にドロップが入ってますから、それをおあがんなさい。ね、いい子、ドロップでもおいしいのよ」
 男の子は不承不承うなづく。母は又片手でそれを出して子の手へ四粒ばかり、それをのせた。
「もっと」と男の子がいう。母は更に二粒足した。
 乳にあきた赤子は、母の髪から落ちたパラフの櫛をいぢって、仕舞いにそれを口へ入れようとする。
「いけません」と母がその小さな手を支えると、赤子は口をあいて、顔をその方へもつていく。下の歯ぐきに小さく白い歯が二つ見えた。
「さ、うまうま」膝の上へ落ちた「園の露」をだすと、あーあーといっていた赤子は黙って、目の玉を寄せてしばらく見つめていたが、櫛を放してそれを取る。そして握り拳のまま口へ入れようとする。その口元からタラタラとよだれがたれた。
 女の人は赤子を少し寝かせ加減にして、股の間へ手をやってみた。濡れていたらしかった。
「おむつをかえましょうね」かう独り言のようにいって更に男の子に、
「瀧さん、少しそこを貸してちょうだい、赤ちゃんのおむつをかえるんですから」
「いやだなア――母ぁさんは」と男の子はいやいや立つ。
「ここへおかけなさい」と自分はふたたび前にかけさせた場所を空けてやった。
「恐れ入ります。どうも気むずかしくて困ります」女の人は寂しく笑った。
「耳や、鼻のお悪いせいもあるでしょう」
「御免あそばせ」と女の人は後ろを向いて包から乾いたおしめと濡れたのを包む油紙とを出しながら、
3
「それもたしかにございます」という。
「いつごろからお悪いんですか」
「これは生まれつきでございますの。お医者さまはこれの父があまり大酒をするからだとおっしゃいますが、鼻や耳は兎に角つむりの悪いのはそんなことではないかと存じます」
 腰掛に仰向けに転がされた赤子はあてもなく何かを見つめて、手を動かして、あーあーと声をだしていた。間もなくおしめをかえ、濡れたのを始末して母は赤子を抱き上げると、
「ありがとうございました・・・・・サア瀧さん、こっちへいらっしゃい」といった。
「かまいません、ここにおいでなさい」といったが、男の子は黙って立って向こう側へ腰かけるとすぐ窓へよりかかって外をながめ始めた。
「まあ、失礼な」女の人は気の毒そうに詫びをいった。
しばらくして自分は、
「どちら迄おいでですか」ときいた。
「北海道でございます。網走とか申すところだそうで、大変遠くて不便なところだそうです」
「なんの国になってますかしら?」
「北見だとか申しました」
「そりゃあ大変だ、五日はどうしても、かかりましょう」
「通して参りましても、一週間はかかるようでございます」
 汽車は今、間々田の停車場を出た。近くの森から蜩(ひぐらし)の声が追いかけるように聞こえる。日は入った。西側の窓際にいた人々は日除け窓を開けた。涼しい風が入る。今しがた、母に抱かれたまま寝入った赤子の一寸余りにのびた生毛が風にをののいている。赤子の軽くひらいた口のあたりに蝿が2、3匹うるさく飛び回る。母はじっと何か考えていたが、時々手のハンケチで蝿をはらった。しばらくして女の人は荷を片寄せ、そこへ赤子を寝かすと、信玄袋から葉書を2、3枚と鉛筆を出して書き始めた。けれども筆はなかなか進まなかった。
「母ァさん」景色にもあきてきた男の子は、眠そうな目をしていった。
「なあに?」
「まだなかなか?」
「ええ、なかなかですからね、おねむになったら母ァさんに寄りかかって、ねんねなさいょ」
「ねむかない」
「そう、じゃ、何か絵本でもごらんなさいな」
 男の子は黙ってうなずいた。母は包の中から4、5冊の絵本を出してやった。中に古いパックなどがあった。男の子はおとなしく、それらの絵本を一つ一つ見始めた。その時自分は、後ろへ寄りかかって、下目使いをして本を見ている男の子の目と、やはり伏せ目をして葉書を書いている母の目とが、そっくりだということに心附いた。
 自分は両親に伴われた子を――例えば電車で向かい合った場合などに見る時、よくもこれらの何の類似もない男と女との外面に顕れた個性が小さな一人の顔なり、体つきなりのうちに、しっかりと調和され、一つになっているものだということに驚かされる。最初、母と子とを見比べて、よく似ていると思う。次に父と子とを見比べてやはり似ていると思う。そうして、最後に父と母とを見比べて全く類似のないのを何となく不思議に思うことがある。
 今、このことを思い出して、自分はこの母に生まれたこの子から、その父を想像せずにいられなかった。そうしてその人の今の運命までも想像せずにいられない。
 自分は妙な連想からこの女の人の夫の顔や様子をすぐ想い浮かべることができた。自分がもといた学校に、級はそれ程違わなかったが年はたしか五つ六つ上で、曲木という公卿家族があった。自分はその男を思い出した。彼は大酒家であった。大酒をしてはいつも、大きなことをいっていた。鷲鼻の青い顔をした、大柄な男で、勉強は少しもしなかった。二三度つづけて落第して、とうとう自分で退学してしまったが、日露戦争後、上州製麻株式会社とかいうのの社長として、何かの新聞でその名を見たぎり、今はどうしているか更に消息をきかない。自分は、ふとこの男の思い浮かべて、あんな男ではないかしらと思った。しかし彼は
4
大言壮語をするだけで別に気むずかしいという男ではなかった。どこか快活で、ヒョウキンな所さえあった。もっとも、そんな性質はあてにならぬことが多い。いかに快活な男でも度々の失敗にあえば気むずかしくもなる。陰気にもなる。きたない家のなかで弱い妻へ当り散らして、いくらか憂いをはらすというような人間にもなる。
 この子の父はそんな人ではないだろうか。女の人は古いながらも縮緬の単衣にお納戸色をした帯を〆ている。自分には、それから、女の人の結婚以前や、その当時の華やかな姿を思い浮かべることができる。更にその後の苦労をさえ考えることができた。
 汽車は小山を過ぎ、小金井を過ぎ、石橋を過ぎて進んだ。窓の外はようやく暗くなってきた。女の人が二枚葉書を書き終わった時、男の子が、
「母ァさん、しつこ」といいだした。この客車には便所がついていない。
「もう少し我慢できませんか?」母は当惑してきいた。男の子は眉根を寄せてうなづく。
 女の人は、男の子を抱くようにして、あたりを見回したが別に考えもない。
「もう少し、待ってネ?」としきりになだめるが、男の子は体をゆすって、もらしそうだという。
 間もなく汽車は雀の宮に着いたが、車掌にきくと、その間はないからこの次になさい、という。この次は宇都宮で8分の停車をする。宇都宮まで、どんなに母は困らされたろう。そのうちに眠っていた赤子も目を覚ました。母はそれへ乳首を含ませながら、ただ、
「もうすぐですよ」という言葉を繰り返していた。この母は今の夫に、いじめられ尽して死ぬか、もし生き残ったにしてもこの子にいつか殺されずにはいまいというような考えも起きる。やがて、ゴーウと音をたてて、汽車はプラットホームに添って停車場に入った。まだ停まらぬうちから、
「早くさ、早くさ」と男の子は前こごみに下腹をおさえるようにしていう。
「さあ、行きましょう」母は膝の赤子を腰掛に下ろし、顔を寄せて、「おとなしく待っててちょうだいょ」といい、更に自分に「恐れ入ります、一寸見ていただきます」
「ようございます」と自分は快くいった。
 汽車は停まった。自分はすぐ扉を開けた。男の子は下りた。
「君ちゃん、おとなしくしているんですよ」とそこを離れようとすると後ろから、手を延ばして赤子は火のついたように泣き出した。
「困るわねえ」母は一寸ためらったが、包から、スルスルと細い、博多の子供帯を出すと、赤子の両のわきの下を通して、すぐ背負おうとしたが、袂から木綿のハンカチを出して自身の襟首へかけ、手早く結いつけおんぶにして、プラットホームへ下り立った。自分も後から下りて、
「じゃあ、私はここで下りますから」といった。女の人は驚いたように、
「まあ、そうでございますか・・・」といった。そして、
「いろいろ、ありがとうございました」と女の人は丁寧におじぎをした。
 人ごみのなかを並んで歩き出した時、
「恐れ入りますが、どうかこの葉書を」こういって懐から出そうとするが、博多の帯が胸で十字になっているので、なかなか出せない。女の人は一寸立ち止まった。
「母ァさん、何してんの」と男の子が振り返ってこごとらしくいった。
「ちょっと、待って・・・」女の人は顎をひいて、無理に胸をくつろげようとする。力を入れたので耳の根が、紅くなった。そのとき、自分は襟首のハンケチが背負う拍子によれよれになって、一方の肩のところに挟まっているのを見たから、つい、黙ってそれを直そうとその肩へ手を触れた。女の人は驚いて顔をあげた。
「ハンカチが、よれていますから・・・・」こういいながら自分は顔を赤らめた。
「恐れ入ります」女の人は自分がそれを直す間、じっとしていた。
 自分が黙って肩から手を引いた時に、女の人は「恐れ入ります」と繰り返した。
 我々は、プラットホームで、名も聞かず、また聞かれもせずに、別れた。
自分は葉書を持ったまま停車場の入口へ来た。そこに箱のポストが掛ってあった。自分は葉
5.
書を読んでみたい気がした。また読んでも差支えないというような気もした。
 自分は一寸迷ったが、箱へよると、名宛を上にして、一枚づつそれを投げ入れた。入れるとすぐもう一度出してみたいような肝した。何しろ、投げ込む時ちらりと見た名宛はともに東京で、一つは女、一つは男名であった。 完  (本作品の草稿は明治41年8月14日)
豆知識
○バラフ(たいまいの甲、黒いまだらのある)=それでつくったべっこう
※鼈甲(べっこう)の「鼈」はスッポン。なぜタイマイの漢字がすっぽんか。
「江戸時代にタイマイを装飾品に使うことが禁じられたために、すっぽんと称した」
○こうがい=髪かき
○御納戸色=ねずみがかかった藍色
『網走まで』とは何か
 この作品は論点を「創作性」、『観察」、「疑問」に絞って考察してみたいと思います。以下の問題点について考えてみてください。
1.この作品には「小説の神様」と言われる所以が隠されている。それが解けないと志賀直哉
 はわかりません。編集室は、そう思います。この作品に隠されているものとは何か。まず、
 それを明らかにしてみてください。何も隠されていない。それでも結構です。想像性
2.なぜ行き先を「網走」にしたのか。いかなる理由があってか。この作品が書かれた当時の
 北海道や網走事情を調べてみてください。1909年前後です。疑問点
3.主人公、「わたし」とは何か。どんな人間か。性格など簡単に。観察
4.二人の子供を連れた女の客は、どんな身の上か。想像してください。簡単でもいいです。
 観察・創作
5.わたしが預かった二枚の葉書には、何が書いてあったでしょう。想像して宛先と内容を書
 いてください。二枚です。
  はがき文面の創作
6.この作品は帝大発行の雑誌『帝國文学』に投稿しましたが、採用されませんでした。志賀
 直哉は、字が汚かったからと書いています。が、実際のところ編集者はなぜボツにしたの
 でしょうか。その理由を、作品を読んだ感想から書いてください。あなたならどう評価し
 ますか。
 想像・観察・疑問 あなたが編集者だったら、どう評価するか。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
――――――――――――――――――――――――――――――――――
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
6.
同時期に発表された小説
『網走まで』と『三四郎』
時代背景
 『網走まで』は、明治四十三年(1910)に『白樺』第一号に発表された。が、実際に書かれたのは二年前の明治四十一年といわれている。作者が二十五歳のときである。明治三十九年七月に学習院高等科を卒業。九月に東京帝国大学文科大学英文学科に入学している。
 この時代、明治四十年代は、どんな時代だったのか。日清日露戦争に勝利した日本は、韓国併合(1910)を目指して大陸侵攻の準備を着々と進めていた。ポーツマス条約、明治三十九年(1906)には南満州鉄道会社を設立するなど富国強兵政策をますます強めていた。
 しかし、華々しい国策の裏で暗い出来事が次々起きていた。明治四十二年には伊藤博文がハルビン駅で暗殺された。また四十三年には、大逆事件が起き、幸徳秋水ら二十四名に、死刑、の判決がくだった。そのうち十二名が減刑され無期懲役となったが、幸徳秋水はじめ12名が絞首台の露と消えた。
 大逆事件は知識人に大きな衝撃をあたえた。森鴎外、永井荷風、石川啄木、与謝野鉄幹らのおどろきと打撃はかれらの作品に書きのこされている。(『高校日本史』実教出版)
 
 大逆事件(明治天皇の暗殺を計画したとされる嫌疑)は、明治四十四年(1911)二月十八日に上記の判決が下った。この死刑宣告の判決について、志賀直哉は、その感想を二十日金曜日の日記にこう書きしるしている。
二月二十日 金曜日
 ・・・一昨日無政府主義者二十四人は死刑の宣告を受けた。日本に起つた出来事として歴史的に非常に珍しい出来事である。自分は或る意味で無政府主義者である、(今の社会主義をいいとは思わぬが)その自分が今度のような事件に対して、その記事をすっかり読む気力さえない。その好奇心もない。「其時」というものは歴史では想像出来ない。
 漱石の『三四郎』は明治四十一年(1908)九月一日から十二月二十九日まで、百十七回にわたって東西の朝日新聞に掲載された。『網走まで』は明治四十一年(1908)八月十四日と執筆年月日が明記されていることから、両作品は、ほぼ同時期に書かれたとみてよい。
 同時期に書かれた『三四郎』と『網走まで』。この二つの作品の違いは、まず作者だが、『三四郎』を発表したときの漱石は四十一歳の男盛りである。前年、明治四十年(1907)一切の教職を辞して朝日新聞社に入社。すでに『草枕』を発表し、『我輩は猫である』『坊ちゃん』などを相次いで出版。押すも押されぬ大流行作家となっていた。が、文学一本に人生を絞ったのである。ちなみに『三四郎』を発表した年、明治四十一年の年譜をみると、このような文学活動をしている。
1月1日より4月6日まで『坑夫』を朝日新聞に連載。
『虞美人草』(春陽堂)出版。友人、森田草平に小説『煤煙』の執筆を勧める。
6月13日より21日まで『文鳥』を大阪朝日新聞に連載。
7月から8月にかけて『夢十夜』を東京・大阪朝日新聞に連載。
9月1日より12月29日まで『三四郎』を朝日新聞に連載。
 この時期、志賀直哉は、25歳の文学青年。同人誌『白樺』もまだだしていない。たとえ年齢は違っても時代を観察する眼は同じである。文豪となる夏目漱石の目に、日本の姿と将来はどのように映ったのか。未来の小説の神様の目には、どうだったのか。二つの作品の車内観察から文豪たちの見た日本を読み解いてみたい。
 二つの作品の車内観察は、同じ車内でも微妙に違っている。まず主人公である。三四郎は、これから大学生になる学生。『網走まで』の私は、すでに大学生か社会人になりながらもき
7.
ままに暮らしている文学青年の様子。行き先は、三四郎は、東京。私は、日光だが、その前に友人と会うため宇都宮で降りる。はじめての上京、同席となった女の行き先である。
志賀直哉 1883年(明治16年)2月20日~1971年(昭和46年)10月21日88歳
○ 著者・志賀直哉の紹介1883-1914 (結婚するまで)
 日本文学のうえで「小説の神様」と呼ばれる志賀直哉とは、いったいどんな人か。岩波書店の『志賀直哉全集』からおよその年譜を転載してみました。
1883年(明治16)2月20日、宮城県石巻に生まれる。父親、直温は第一銀行石巻支店勤務。
1895年(明治28)学習院初等科を卒業。母親銀死去33歳。直哉12歳。日清戦争終結。
1900年(明治33)内村鑑三宅で開かれた夏期講談会に出席。以後7年キリスト教の教えに接
        す。17歳。
1904年(明治37)アンデルセン張りの作文「菜の花」(後の『菜の花と小娘』)日露戦争勃発。
        21歳。この年(推定)小説創作を生涯の仕事にせんと志す。
1906年(明治39)東京帝国大学文科大学英文学科入学。23歳。
1907年(明治40)家の女中と結婚の約束。父、祖母、義母に反対され断念。24歳。
1908年(明治41)8月「小説網走まで」を書く。同人仲間好評。勧められて『帝國文学』へ
        投稿。ボツとなる。25歳。
1909年(明治42)吉原で放蕩。「峯」との交渉。26歳。
1910年(明治43)同人雑誌『白樺』創刊号に『網走まで』を発表。27歳。
1912年(明治45、大正元年)出版費用5百円で父と争う。10月25日自活のため家をでる。
1913年(大正2)『暗夜行路』の前編の草稿を書く。30歳。
1914年(大正3)12月武者小路実篤の従妹、康子(さだこ)と結婚。父反対で不和。31歳。
       4月、『白樺』5周年号記念号発行。
課題・13    自分観察「普通の一日を記録する」
2010・6・21
                            名前      
課題・14      車内観察
2010.6・21
                            名前      

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