文芸研究Ⅱ 下原ゼミ通信No.170-1

公開日: 

日本大学芸術学部文芸学科     2011年(平成23年)6月20日発行
文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.170
BUNGEIKENKYU Ⅱ SHIMOHARAZEMI TSUSHIN
                             編集発行人 下原敏彦
                              
4/18 4/25 5/9 5/16 5/23 5/30 6/6 6/13 6/20 6/27 7/4 7/25
  
2011年、読書と創作の旅
6・20下原ゼミ
6月20日(月)の下原ゼミガイダンスは、下記の要領で行います。ゼミ2教室
1. 2011年読書と創作の旅 通信170配布 出欠 連絡事項 
2. 6・13ゼミ報告、司会指名
 
 3. テキスト読み・車内『』日常『濠端の家』
4. 世界・名作読み、(日常観察作品)
    
3・11東日本大震災並びに福島原発事故で被災された皆さま方に心よりお見舞いい申し上げると共に被災地の一日も早い復旧と復興をお祈り申し上げます。
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2011年読書と創作の旅 6・13ゼミ報告
気温変動の季節のよう 
   ゼミ出席率定まらず(出席者4名、欠席者9名) 
梅雨に入った。九州の方からは大雨のニュースだが、関東地方は、落ち着かない天気。曇りから雨の予報が、晴れてきたり、暑くなるはずが涼しくなった。千葉から東京を横断してゆくと、さまざまな天気に出くわす。ゼミも、このお天気のように上がったり下がったりしている。授業日数も3分の2を消化した。何事も習慣化するには、毎回、出席して同じことを繰り返すことである。が、今年のゼミにおいては、難しいようである。
司会進行は、武田結香子さんに 
この日の司会進行は、武田結香子さんにお願いした。ゼミ雑誌作成について、前回の編集会議の追記など。武田編集長より自由創作の枚数(20枚~)に関する報告があった。ゼミ誌連絡で5名返信とのこと。テキスト読み車内・日常と名作読みは以下の通り。
・テキスト読み車内観察 → 『夫婦』終戦間もない横須賀線車内。米国人父母と娘を観察
・世界名作読み 光景(時代・戦争)観察 アルチュール・ランボー作『谷間に眠るもの』
※司会方法の取り決めはありません。司会者は、プログラムを自分流に進めてください。読む範囲は、平均的に指示できればいいですね。


文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.170―――――――― 2 ―――――――――――――
ゼミ誌編集追記
掲載課題 → 車内観察と日常観察(「なんでもない一日」) 
時事評は掲載しないことにする。
合 評 6・13ゼミでの提出課題の音読(本人読み)
何でもない一日の記録・「時」 ・・・・・・・・ 武田結香子
□ 何もない、何もしない、時間の流れからぽっとでてしまったような、それでいてどこか懐かしく感じる一日の様子がよくでています。
なんでもない一日の記録・「雨の日」 ・・・・・・・ 春日菜花 
□ 暗く湿った梅雨の印象が伝わってくる文章です。雨によって変化する周囲の風景が心象風景と重なってあらわされているのがいいですね。
車内観察・「瞳」 ・・・・・・・・・・・・・・・ 武田結香子
□ 車内観察といえば、たいてい乗客の仕草、服装、会話、など姿かたちですが、ここでは目を観察するという意表をつくものです。しかし、目を見るということは、ガンをつけるという行為もあるので、容易ではないと思います。
車内観察・「羽根の行方」 ・・・・・・・・・・・・ 春日菜花
□ 一枚の羽根が、フワフワと空中に舞っていく。『一期一会』というハリウッド映画があったが、そんな映画を彷彿させるファンタジックな観察創作作品です。
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テキスト・車内観察『夫婦』について
 この作品は、昭和30年(1955)朝日新聞の学芸欄に発表された。原稿用紙4枚で、物語とも言えぬ短編だが、この観察から多くのものを感じ取ることができます。基本的には、夫婦とは何かがよく描かれている作品です。が、世界的観点から見るとどうでしょう。
現在、NHKの朝ドラ「おひさま」は、戦時中の話です。鬼畜米英と戦う為に子供たちは竹ヤリで軍事訓練しています。終戦から数年過ぎても怖いという潜在意識は日本人のなかにあったと思います。この作品は、夫婦は、親子はどこの国の人間も同じ、そんなことを思わせてくれる作品でもあります。
なんでもない作品にみえますが夫婦愛、家族愛を内含した人類愛に通ずる普遍の作品です。まさに車内観察作品の見本といえます。
□ 読み終えた参加者の印象は、「こんな夫婦になりたい」「よくあるかもしれない」など、憧れる人が多かった。夫婦仲円満でなければ成立しない話ではある。
―――――――――――――――――― 3 ――――― 文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.170
テキスト・車内観察『夫婦』を読む
参加者、筆記での感想は、このようでした。(20分『或る朝』と併せて)
春日 菜花 「夫婦は普遍」
言葉をもじった「バールフレンド」という単語を見たとき、作者の遊び心を感じた。
短い中でも夫婦独特の意思疎通を読み取ることができて、自分の両親でも思いあたる節があるなあ、とくすくす笑ってしまった。どこの時代でも、夫婦はこんなものなのだろう。とても平和で、和むことができた。
武田結香子 「いつかそんな人に」
まさに”日常”を見ているような気持ちになった。態度だけで伝わるなんて、相手のことを分かっていなければ出来ないことだと思う。いろんな夫婦の形はあると思うけれど、自分たちと似たような2人に出会えることができたら、こんな風にほほえましく感じるのだろうか。きっと私だったら、笑ってしまうと思う。いつかそんな人に出会いたいと思った。
杉山 知紗 「夫婦はすごい」
チューイングガムと濡れた足袋、というのは非常にわかりやすい並列的関係だ。どちらも一般的には汚く、どれほど親しくあっても一定のラインを越える絶対的なものがないと受け入れづらいものである。それは愛情であり、血だと私は思う。男は何も言わず受け入れたし、主人公は呆れはしたものの文句ひとつ言わず、「そういえば私たちにもあったね」と何でもない思い出のように語ることができるのだから、夫婦はすごい。
藤塚 玲奈 「当たり前の日常をどれだけ愛せるか」
夫婦は生来、全くの赤の他人同士が何らかの訳があって、きっかけがあって一緒になっているものなのに、同じ空間にいれば最も親密な関係に見えてしまうのは何故なのでしょう。よく考えてみれば、お互いに安らぎを得ることが出来るから一緒になった、ということなのかもしれませんが・・・。年を重ねるにつれて夫婦間の仲が淡白になったり、相手に無関心になってきたりしてしまう例が多い中で、しっとりと静かな温みを感じることが出来る作品だと思いました。当たり前の日常をどれだけ愛せるか、表現できるかというのは哲学的にこねくり回して考えることよりもうんと難しいのでしょう。
□ 一見なんでもないですが、人との付き合いにおいて最も必要かつ重要な行為となります。「機微」といいますが、参加者の読みは、その機微をしっかりと読み捉えていました。
テキスト・日常観察『或る朝』について
この作品は、大正7年(1918)3月に『中央文学』に掲載された。が、元となった日は、10年近く前のようだ。最初に書いたのは「明治41年正月」らしい。以下、日記である。
■明治41年1月13日 月曜日
朝起きない内からお婆さんと一と喧嘩して午前墓参法事、
文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.170―――――――― 4 ――――――――――――――
■1月14日 火曜日
朝から昨日のお婆さんとの喧嘩を書いて、(非小説、祖母)と題した、とある。
この(非小説、祖母)が『或る朝』の原形とみられる。後の「創作余談」には、こう書かれている。
【創作余談】(岩波書店『志賀直哉全集』)
 27歳(数え年26歳の記憶ちがい)の正月13日亡祖父の三回忌の午後、その朝の出来事を書いたもので、これを私の処女作といっていいのかも知れない。私はそれまで小説を始終かこうとしていたが、一度もまとまらなかった。筋はできていて、書くとものにならない。一気に書くと骨ばかりの荒っぽいものになり、ゆっくり書くと瑣末な事柄に筆が走り、まとまらなかった。所が、『或る朝』は内容も簡単なものではあるが、案外楽に出来上がり、初めて小説が書けたというような気がした。それが27歳の時だから、今から思えば遅れていたものだ。こんなものから多少書く要領が分かってきた。
□ 日常観察、簡単におもえるが、たかが日常、されど日常である。「小説の神様」と言われる大作家は、日常を描くにも腐心し苦心したのだ。
テキスト・車内観察『或る朝』を読む
参加者、筆記での感想は、このようでした。(20分『夫婦』と併せて)
藤塚 玲奈 「信太郎の気持ちがわかる」
私は現在、祖父母の宅に住まわせてもらっているのですが、事或るごとに「早く一人暮らしをしてみたい」「干渉してこないで欲しい」と思ってしまうのが正直なところです。老婆心というのは厄介なものです。こちらとしてはそこまで怒りをぶつけるはずではなかったのに、つい感情に身を任せて悲しませてしまう。
でも、一言二言優しい言葉、感謝の気持ちを表すと本当に喜んでくれる。これもまた厄介でいたたまれない気持ちになります。申し訳なくなって、信太郎のように、わたしも泣きた
くなるのです。
武田結香子 「誰かにかまってほしい」
主人公は誰かにかまってほしかった、相手にしてほしかったのではないかと思う。わざと反抗的な態度をとって、後でやりすぎたと反省しているところから、そう感じた。誰かに心配してほしくて、あまり痛くないのに大げさに痛がってみる、とかも似ているのだろうか。同じようなことをしたことがあるだけに、主人公の気持ちが分かる作品だったと思う。
春日 菜花 「最期は、自分が後悔するだけ」
一度言われたことや、自分でしっかりとわかっていることを何度もくどいように言われるのは、少しイラつく気持ちがとても共感できた。単に言われているだけで、ケンカをするつもりなど全くないのに、口から出るのは文句ばかり。そうして最後は自分が後悔するだけだと言うのに。
結局、相手に救われる所はやはり母親の力量のおかげなのだろう。
―――――――――――――――――― 5――――― 文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.170
杉山 知紗 「一般の母、息子と変わりないようにみえる」
祖母が母親の代わりというのは、一体どんな心持ちであるのか、私には見当もつかない。しかし、小説中では一般の母、息子と変わりないように見える。端々、「不孝者」と言い「親」はつけられないのだなと思ったりするところもあったが。結局あまり変わらないのは、ささいな違いをより強く浮き立たせるしかないのかもしれない。
□ 肉親って変ですね。ちょつとしたことに腹を立てたり、ちょつとしたことで機嫌がなおったり。そのことを書いて現す。やっぱり小説の神様です。
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6・20ゼミプログラム
1. ゼミ開始 「ゼミ通信169」配布  出欠 全員参加のときは撮影  
       6・13ゼミ報告 その他
2 司会指名。本日は「      さん」にお願いします。.
司会者は、自分流に参加者公平の音読範囲、発言を心がけて以下をすすめてください。
3. ゼミ雑誌編集について 追(案)あったら 正副編集長
4. 課題提出作品の発表(出席者作品)、音読と合評
 合評留意点 ①わかりやすいか ②全体のモチーフはあるか ③伝わるものがあるか
5. テキスト読み・車内観察作品と日常観察作品
 予定テキスト日常観察作品は『濠端の家』か、いのち観察『城の崎にて』
テキスト外として・車内観察作品『三四郎』、
6. 世界名作・日常観察作品
土壌館日誌
高齢者会議
 自治会の役員は、十数名いるが、その年齢は70~80の人が多い。最近は分譲マンションのおかげで若い自治会員も増えた。が、役員は、まだ築50年になる団地の住人が主流。そんなところから役員は婆さん、爺さんたちである。お年寄りがあつまるといつも何かしら騒動が起きる。それらはまったくとるにとらないことなのだが、彼らは利益追求のように必死になるので辟易する。が、ときには、面白いというか珍話を聞くこともある。
 先日の、役員会でこんどの東日本大震災復旧の雑談になった。誰かが災害地で金庫が盗まれているというニュースを仕入れてきた。火事場泥棒への怒りがわいた。そのとき一人の婆さんが「わたしゃいいと思います」と、言った。皆が驚くと「海の底にいったら何にもならないが、盗んで使えば復興の役に立つんじゃないかしら」と珍答 !
文芸研究Ⅱ下原ゼミNo・170 ――――――― 6――――――――――――――――
常時・提出課題(6月13日提出) 音読
何でもない自分の一日・憧れ
武田結香子
私はお芝居やミュージカルを観に行くのが好きで、時間と金銭的に余裕があれば片っ端から観て行く。現代の話よりも、歴史上の人物の話やありえない世界が舞台になっているものをよく選んでいる。その理由は、自分が着るのはちょっと・・・と思う服装や、これは派手すぎるだろう!とつっこみを入れたくなるような衣装をスタイルが良くてかっこいい人たちが踊る姿がたまらなく好きだからだ。先日、宝塚歌劇の「美女と野獣」を観劇してきた。ベタな甘いストーリーも面白かったが、やっぱり私の視線は女優さんが着ていた衣装に向いていた。あの時代のドレスはフリルが少しついていて、シンプルなカラーでまとまっている。動くたびにふわっと浮かんでいるようにも見える。中にはスパンコールでキラキラ輝いたスーツもあった。自分が着る、となるとものすごい勢いで抵抗するけれど見ている分には本当に素晴らしいと思った。まさに夢の世界。観に行ったその日は、その話を誰かに伝えたくて仕方ない。が、残念ながら共感してくれる人はあまりいない。家族なんか、もう聞き飽きたのか「ふーん」の一言で片付ける。だから、私のなんでもない一日は、ほとんどその舞台を思い出してはニヤニヤしている、という実に気味の悪い一日になっている。(ような気がする)いつか朝から晩まで、こんなしょーもない会話に付き合ってくれる人があらわれるといいです・・・。
何でもない自分の一日・犬も歩けば
藤塚 玲奈
これはある種の病かもしれないが、最近とにかくぢっとしていられないのである。過運動、とでもいうのであろうか。どんなにへとへとになっていても五駅分くらいの道をてくてく歩き帰路に就かんとする毎日が続くのだ。ちょっと、自分でも仰天ものの話である。しかしそんな状況の中で苦しみながら歩いている、だなんて感覚はさらさらない。むしろ何か発見できるんじゃないかしらと期待を抱きながらぼつぼつ足を動かしている。まだ、なんにも見つけられてはいないが、このまましばらく2本の脚に委ねてみようと思う。
何でもない自分の一日・バナナの味
藤塚 玲奈
バナナが美味しく感じるようになった。これは他人からすれば本当にたわいもない、つまらないどうでもよいお話なのだが、もう五年近くバナナを嫌っていたわたしからすると大事件、とでもレッテルを貼らないと処理できないほどのものなのである。過程はいたってシンプルなものだ。ある日買い出し先の八百屋のおやじが言うのである。
「今が時期だからね、バナナは。あとはパイナップルもそうだね」
パイナップル!わたしはその後者を心底好んでいる為に、まずそっちに飛びついた。
「これ一房買っていきます」「190円ね」「はい、200円」
「バナナはいいのかい」「いくらです?」「一房85円、二つで150円」
「バナナは・・・」
「こっちが台湾産でかなり甘め。買ってくよ、みんな。大体こっちがよく売れる。こっちは
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フィリピン産で台湾産よりあっさりしているよ」
「そうですか」
「でもこれからおいしくなるのはフィリプインの方だね」
そう言って私の腕にドサッとフィリピン産のバナナを遠慮も知らず乗せたのである。これには閉口した。数時間後、電車内で南国の果物をぶらさげぼうっとした顔で家路を急ぐわたしであるが、このときはまだその風味、感触”全てを網羅した美味しさ”を兼ねた果物と再会することになる、ということを知らない。窓の外を眺めながら、両腕に感じた自然の重量感と戦っていた。
課題・車内観察 音読
母の振袖を着た日
春日菜花
6月半ばのよく晴れたある日。母親から貰った振袖に袖を通し、一人電車に揺られていた。祖父母の家で成人式の前撮りをするためだ。朝早くから美容室に行き、その日のために切るのを我慢している髪を整えてもらい、振袖に負けないように化粧をしてもらい、数時間かかって先程ようやく美容室から解放された。しかしこんなに疲れていても今日はまだまだこれからで、このあとこの姿で祖父母と写真を撮り、食事をして、とそんなことを考えただけで今すぐ家に帰りたい気持ちが溢れてきた。祖父母が嫌いというわけではない。この格好がそう思わせているに違いなかった。
まだ夏前だと言うのに、なんて暑さだろう。いや、今の格好が余計そう感じさせているのだろうけれど。一人悶々としていると、突然横から声をかけられた。
30代くらいの、スーツを着た女性だった。
「座らないの?」
「え、あ、私は別に・・・座られますか?」
「ありがとう」
突然のことに慌てながら少し左にずれて席を譲る。その席は、先程前の駅で座っていた人が降りて空席になっていた。座ろうかとも思ったのだが、慣れないこの格好で座って、着物が崩れてしまうのが怖かった。
「素敵な振袖ね」
「あ、ありがとうございます」
「今時期だったら前撮りかしら?」
「はい、祖父の家で」
見知らぬ人に褒められるのはどうにもこそばゆく、褒めてくれた女性を直視することができなくてきょろきょろ視線を泳がせてしまった。そんな私の気持ちに気付いたように、女性は困った顔をしながら笑った。
「ごめんなさいね、知らないおばさんが声かけちゃって」
「いえ、そんなことは・・・すみません」
ああ、私の馬鹿。謝ってしまったら元も子もないじゃないか。
照れと自分の不甲斐なさから、徐々に顔が火照っていくのがわかった。しかし女性は特に気にする素振りを見せず、今度は楽しそうに笑った。
「いいわね振袖。かわいくって」
「そうですか?」
「羨ましいわ。きっと、お母さんとかが見たら喜ぶんでしょうね」
「どうなんでしょうね」
「喜ぶに決まってるわ、大事な娘の晴れ姿だもの。それは、お母さんの?」
文芸研究Ⅱ下原ゼミNo・170―――――――― 8――――――――――――――――
「はい、母から貰ったんです」
「なら、尚更だわ。ちゃんと着てあげなくちゃ」
ふと、女性が悲しそうに眉を顰めて笑ったように見えた。暑いから面倒くさいです、と本音がでてしまいそうになったので、ぐっと言葉を飲み込んだ。
女性は鞄から携帯を取り出し、ボタンを打ち込み始めた。ちらっと画面を覗き込むとメール文面を書いているようだった。宛名のところには「咲」と書かれている。
「私も振袖をお母さんから貰ったんだけど、結局着れなくって。娘にあげちゃったのよ」
「娘さん、おいくつなんですか?」
「高校2年生よ。まだまだ先の話なんだけどね」
女性は再びメールを打ち始めていて、その手にはどこの指にも指輪はなかった。
鬱陶しく思っていた振袖を見て、瞼の奥に母親の姿が浮かぶ。用事が凡て済んだら、いの一番で母親の元に帰ろうと思った。
 人生相談 
 大学2年の息子を持つ母親からの相談。「息子が料理人になりたいから、大学をやめたいと言っているが、どうしたらいいか。息子は飽きっぽい性格です」
藤塚 玲奈
あなた(D子)は最後に「息子が見つけたやりたいことを応援してやるべき」と言っていますが結論としてはそれが全てではありませんか?同年代の人間と交流することは確かに重要です。息子さんが大学に向かわない理由の中に、やりたいことがない、いうのと、もしかしたら「友人がいない」という理由もあるかもしれません。人と触れ合うのは勇気がいる。それを打破していく為に、自分の志を優先してみれば今度は自らどんなことにおいてもアクティブに進めていくことができるのではないかと思います。
課題・感想
テキスト・『網走まで』を読んで
藤塚 玲奈
高校三年生の冬、大学受験の試験対策問題の中にこの最後の方の場面が引用されていたのを思い出しました。有名中の有名、といったシーンなのでしょう。誰しもが想像しやすいというのもあるかもしれません。しかし、このような感想(誰しもが~という)を抱くようになったのも東京に出てきて電車を毎日利用するようになったからです。電車を使わない生活をしている人、又は使用頻度が稀である人からすると案外「ふうん」といったおうな感想で済ませてしまうことがあります。車内観察、という観点からですと『網走まで』は完璧なまでによく整えられた文章だと思いますが、小説、というくくりで観ますと好き嫌いがきれいに分かれそうです。私は好きです。
□ 物語的には、この作品は、面白みのない作品。読んだ大方の人がそう思うに違いありません。気のきいたオチや、興味を引く会話、世の中の情景。読者はそれらが織り込まれた話を期待します。が、この作品にはそれがない。しかしそのことが普遍にしている。
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創作
『網走まで』のつづきを創作する 音読
『網走まで』その後
杉山 知紗
追伸
おっかあ、わたくし、嘘を吐いてしまいました。先程行き掛けの汽車の中で出会った若い男の人にです。彼とは少ししか話しませんでしたが大変気の良い方でした。子供が騒いでも嫌な顔をせず、どころかわたくしが端書を投函してくれるよう甘えたのを迷わず承知してくださいました。ええ、ええ、分かっております。彼にはよくよく感謝せねばなりません。わたくしがもっとしっかりしていたら良かったのです。誰一人にも甘えることなく、子二人を育てられたら良かったのです。いいえ、念のため書かせていただきますがこれは決しておっかあを責めているわけではございません。わたくしが悪いのです。ずうっと幼い頃から二人に甘えん坊だと言われ続け、子を二人持った今でさえそんな調子なのはわたくしが悪いのです。嘘を吐くなとも言われたのに、そんな約束さえも破ってしまいましたね。わたくし、それを子供にも言ったんですの。嘘を吐く子はお天道様に叱られるって。これではわたくしが叱られてしまいますね。でも本当は嘘なんか吐きたくはなかったのですが思わずそう嘯いてしまいました。網走まで、と。そんなところかしら、とも素知らぬふりをして。ずうっと住んでいた故郷だというのに。それまで子供に目的地を言わないでいたのは幸いでした。あの子だったら「いいや、僕らが行くのは違う場所だよ」と間違いを正してしまうところです。我儘なところもありますが頭の良い子ですから。ああ、おっかあにもみせてやりたかった。子供二人、とても可愛い子だというのに。わたくしのお金がもう少しあれば、網走まで行けることができました。しかし、果たしてわたくしは貴女方に会いに行くことができたでしょうか。わたくしに、そんな度胸があったでしょうか。もはや分かりません。わたくしはもう青森で降りてしまったのですから。この端書凡てが追伸というのは可笑しかったですね。まだ勉強ができていないようです。ああ、子供がもうそろそろ我慢ならぬようです。これからわたくしたちは海に参ります。そうして沈んでいこうと思います。理由は前の端書にも書かせていただきましたとおりです。しかしこれだけではもう一度だけどうか書かせてください。親不孝者で申し訳ありません。それでは、どうかお元気で。
□ 悲劇的結末。網走という遠いところに行くのに小さな荷物しか持っていない。そんなところから推理したのでしょうか。それにしても無理心中に向かう母子とは、暗い話ですね。もっとも網走に行ったとしても、よい話は期待できそうにありませんが。
 作者は、元となった母子を見たとき、どう思ったのか。実際には、上野に向かう上り列車の中だったと書いているが、上野では、哀れさ、大変さを読者に感じさせない。そんなところから、当時まだ鉄道も通っていない網走などという北の果ての知名にしたのだろう。
 この時期に発表された作品で、同じ列車内の様子が描かれた作品がある。夏目漱石の『三四郎』である。漱石は、当時は流行作家であり、いまでは文豪といわれている。志賀直哉は、文豪とは言われないが、「小説の神様」と言われている。川端康成は、「文学の源泉」とも言った。文豪と小説の神様、どこが違うのか、何が違うのか。この旅で知ることができれば、それが成長の証です。
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土壌館・実践的投稿術 No.14
 
文章力修業として投稿も、その一つの手段といえます。投稿は、投稿者が多ければ多いほど採用される確率は低くなります。が、そのことは即ち投稿作品の質の向上にもなります。様々なものへ観察・興味を抱く要因ともなるので、投稿は一石三鳥ほどの価値があります。
 もっとも投稿といっても、小説・論文投稿から標語まで多種多様です。が、ここでオススメするのは新聞投稿です。新聞は、毎日投稿できます。政治・社会・生活観察・自分の意見と幅もあります。また、時流や出来事のタイミングも重要となり自然、書くことの日常化・習慣化が身につきます。文章力研磨にもってこい場ともいえます。
 土壌館では、文章力を磨く目的はむろんですが、社会への疑惑や自分の意見・感想を伝えるために新聞の投稿欄に寄せつづけています。なぜ投稿欄かというと、投稿欄は字数制限があるからです。「声」欄が多いのは、規定が500字だからです。この字数は人が飽きなく読む文章です。500字のなかに主張、出来事などを簡潔に入れる工夫が必要です。
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       「時は流れても やっぱり先生」1999年6月4日 朝日新聞
ある会(ドストエフスキーの会)のパネルディスカッションで研究発表することになった。せっかくなので、会場(東京芸術劇場)近くにお住まいの恩師にお知らせした。恩師は、私が小学一年生の時の担任で、もうすぐ91歳にられるが、今も元気で、写真家・童画家としてお仕事をなさっている。もしかしたら、来ていただけるのでは、そんな期待はあった。しかし、最近は足の方がだいぶ弱くなっていらっしゃるとのこと。発表のテーマ(「透明な存在の正体」神戸事件とドストエフスキー)も先生に関心を持っていただけるか自信がなかった。
 やっぱりお見えにならないかも、そんな思いが大半だった。ところが先日、電話をいただいた。奥様と一緒にご出席とのこと。恐縮すると「タクシーで行きます。内容は分からなくてもいいんです。とにかく君が話しているところを一目見たいのです」とおっしゃられた。
 この言葉に胸が熱くなった。子供のころ、私は吃音者だった。授業中、一度も発言したことがなかった。あれから半世紀近くになる。私を励ますため、絵を描くことを教えてくれた先生は、いまも担任だった。
 私は今、初めて答える生徒のような気持ちで、発表の日を待っている。
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投稿術バックナンバー
No.1 「医師への金品 規制できぬか」   1994・2・2   朝日新聞「声」欄
No.2 「カラー柔道着 いいじゃないか」  1994・5・17  朝日新聞「声」欄
No.3  「立会人が見た 活気ある投票所」 2009・9・2    朝日新聞「声」欄
No.4 「勧誘の仕方 改められぬか」   1994・10・15 朝日新聞「声」欄
No.5 「団地建替え 住めぬ人びと」    1995・9・24 朝日新聞「声」欄
No.6 「地域に必要な 子供たちの場」   1996・11・5   朝日新聞「声」欄
No.7 「燃える家々に 戦争を実感」MoMo 1999・4・3   朝日新聞「声」欄
No.8 「嘉納」の理念 世界に発信を    2009・3・10  朝日新聞「声」欄
No.9 「50歳の1年生 師の撮影行脚」   1996・9・16  朝日新聞『声」欄
No.10 「教師の創意で 生徒に楽しさ」   1995・3・15  朝日新聞「声」欄
No.11 「児童の作文大切にした恩師」    2011・1・8   朝日新聞「声」欄
No.12 「カエル飼って子供ら変わる」    2006・7・28  朝日新聞「声」欄
No.13 「『罪と罰』で正当性立証か」    2003・12・27 朝日新聞「私の視点」
No.14 「時は流れてもやっぱり先生」   1999・6・4   朝日新聞「声」欄
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ゼミ雑誌作成について
ゼミ誌は、ゼミ一年間の成果の証です。全員で協力して完成させましょう。テーマは、志賀直哉の観察作品をテキストにします。た車内観察作品とします。前期課題作品です。提出しながら完成度を高めてください。
ゼミ雑誌編集長 → 武田 結香子さん  
ゼミ誌副編集長 → 藤塚 玲奈さん  
      ゼミ誌編集委員 → 他ゼミ員全員
Ⅰ ゼミ雑誌作成進行状況
  
   5月25日 ゼミ誌ガイダンス 武田編集長
5月29日 武田編集長より提案。自由創作も視野に
6月 6日 仮題『日常』、内容=課題・自由創作 頁300(一人20枚)
      業者=藤原印刷 写真・図案は無し
6月13日 ゼミ誌内容欠席者にメール、5名返信、武田報告
Ⅱ. ゼミ誌原稿、最終締切日9月26日(月)自由創作提出
Ⅲ. ゼミ雑誌の納付日は、2011年12月15日です。厳守のこと。
  
【① ゼミ雑誌発行申請書】【②見積書】【③請求書】
1.【①ゼミ雑誌発行申請書】所沢/出版編集室に期限までに提出 完了
2. 6月6日ゼミ雑誌題・型・頁・業者・内容(案)決まる。  完了
3. 9月末、ゼミ誌原稿締め切り。(原自由創作を提出してください)
4. 印刷会社を決める。藤原印刷に決まる。レイアウトや装丁は、相談しながらすすめる。
5.【②見積書】印刷会社から見積もり料金を算出してもらう。
6. 11月半ばまでに印刷会社に入稿。(芸祭があるので遅れないこと)
7. 雑誌が刊行されたら、出版編集室に見本を提出。
8. 印刷会社からの【③請求書】を、出版編集室に提出する。
ゼミ雑誌制作決定事項(案)
ゼミ雑誌・タイトル → 『日 常』なんでもない一日をイメージ
版型(サイズ)   → 文庫サイズ
頁 数       → 300ページ 凡そ
業 者       → (株)藤原印刷 知っている印刷会社だから
内 容       → 課題&自由創作(テーマ=朝・昼・夜)
割り当て(一人)  → 20枚程度
締め切り      → 課題は前期までに提出されたものの中から(時事評は無し)
            自由創作は、夏休み明け厳守
以上です。皆で協力して、2011年の記念になる雑誌を作りましょう。まだ、日にちに余裕あります。今後はレイアウトなどを話し合ってください。
文芸研究Ⅱ下原ゼミNo・170―――――――― 12――――――――――――――――
人間観察・連載3 教育の原点がここにある。震災後の日本の教育を考える
創作・熊谷元一と『一年生』
決意の朝
元一は、まんじりともせずその日の朝を迎えた。これまで日本中の、いや世界中のどんな教師も思いつかなかったことを、教育現場では考えられなかったことを、自分が今日から実行するのだ。そのことを思うと、胸が高まった。四月に入ったとはいえ、信州伊那谷の春は遅い。外はまだ霜柱がたつほどに冷えていた。が、元一の体からは緊張と興奮で、汗がじりじりと湧き出た。時刻は、まだ4時を過ぎたばかりだったが、心も体も急いて、これ以上、床にいられなかった。元一は、そっと立ち上がった。
「起きられますか」妻の貞子が布団のなかから声をかけた。
寝ていると思っていたが貞子も眠られなかったようだ。今日からの仕事は、詳しく話さないまでも、すでに貞子は、察していた。夫は、今日から学校において教師生命を賭けた一世一代の大仕事をはじめる。そのことは先刻承知していた。が、貞子は何も尋ねなかった。この日は、いつもより少し早かったが、いつものように起きて朝餉の支度に向かった。小学三年生と六年生の息子はまだぐっすり眠りこけていた。
東の空が白々と明けていた。遼彼方の赤石山脈の峰の端に太陽がのぼろうとしていた。時は1953年、昭和28年4月1日であった。
飯田郵便局為替係に勤める白子貞子は、昭和15年、この年のはじめ見合いをすることになった。相手は飯田城下から、山間に入った会地村出身の青年で、いまは拓務省(大東亜省)嘱託として満蒙開拓青少年義勇軍関係の仕事をしているとのこと。その関係で東京に住んでいて度々、満州にも出向いているらしい。彼の撮った写真を見て村からも大勢の若者が志願していった。東京と拓務省勤務という確かな職業のこともあったが、話があったとき彼女が東京まで出向いて会ってみようと思ったのは、その青年が童画を描き、写真という新しい仕事もしているということだった。絵が好きだった貞子は、結婚するなら、絵を描く人、そんなふうにも思っていた。だから、自分の理想にぴったりしていると思った。しかし、いい話ばかりではなかった。その青年は、アカかも知れないという風評も聞いていた。なんでも、拓務省の前は、教員だったという。画家になるために教師をしていたが、共産党の集会に参加して、いわゆる赤化事件で、教職を追放されたというのだ。ほんとうだろうか。もし本当なら大東亜省で雇うはずがない。貞子は、勝手にそう考え、飯田駅から東京に向かった。新宿駅のホームに迎えにでていた青年は、坊主頭の朴訥な青年だった。写真を仕事にしているから写真を撮られるのかと心配していたが、カメラはとうとう別れるまで手にしなかった。貞子は、結婚を決めた。五月から東京での新婚家庭がはじまった。写真・童画・大東亜省。元一は、三足のわらじを履いた生活だった。新婚の世帯は池袋の小さな三間。家賃は30円。拓務省の月給80円だったが、童画や写真の仕事もあった。貞子には、満ち足りた生活だった。が、元一はなぜか浮かぬ顔だった。何もこぼさなかったが、貞子には、夫は仕事を好きでやっていないことがわかった。後になって、このとき、熊谷は、満州に行って満蒙開拓青少年義勇軍関係の写真を撮るのを胸の中では由としていなかったのではないか。そのように想像するのである。自分が撮った写真で、多くの若者が海を越えて満州に行く。満州の現実を、自分の目で見た熊谷には言いようもない自責の念があった。自分が撮る写真は真実ではない。国策で満人から取り上げた大地の収穫。昭和8年、2・4の赤化事件に連座した時は、まったくの濡れ衣だった。が、満州や朝鮮を知ってからは、熊谷は、国策に疑念を感じはじめていた。熊谷は、昭和20年4月13日空襲で、朝鮮で撮った写真や満州関係のネガをすべて消失させた。残念と思う一方、熊谷は、なぜかせいせいした気持ちだった。自分には、田舎にやり残したことがある、もう国策への協力はごめんだ。熊谷は、空襲を言い訳に大東亜省に辞表をだすと、貞子と、二人の息子たちを連れて故郷、伊那谷をめざした。ある決意を胸に秘めて。しかし、それは7年の歳月を待たねばならなかった。  つづく
―――――――――――――――――― 13 ――――― 文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.170
2011年読書と創作の旅の記録
4月25日ゼミ 出席者11名 司会・椎橋 名作「日本国憲法、前文・九条」
5月 9日ゼミ 出席者9名 司会・三矢 テキスト『菜の花と小娘』 
5月16日ゼミ 出席者4名 司会・内田 テキスト『網走まで』
5月23日ゼミ 出席者5名 司会・杉山 テキスト『出来事』  
5月30日ゼミ 出席者5名 司会・春日 テキスト『正義派』
6月 6日ゼミ 出席者9名 司会・柳瀬 時事評「君が代問題」
6月13日ゼミ 出席者4名 司会・武田 テキスト「夫婦」「或る朝」
                    名作・詩編「谷間に眠るもの」ランボー
課題提出は習慣化の基盤です。書かなければ、つづけなければ習慣化はできません。
課題提出状況 5月9日~6月6日迄の提出本数 
時事評「3・11」4本 → 藤塚、武田、會澤、春日
「ある日の自分」5本 → 5本 三矢、藤塚、武田、春日、柳瀬
『菜の花』感想9本 → 柳瀬、藤塚、内田、大野、杉山、武田、會澤、三矢、春日
「自分の一日」8本 → 柳瀬、藤塚、内田、大野、杉山、武田、三矢、春日
課題提出状況 5月16日の提出分
時事評(原発事故) → 春日、内田,
「自分の一日」   → 杉山、春日、大野、内田
『網走まで』感想  → 杉山、春日、大野、内田
課題提出状況 5月23日の提出分
『出来事』感想   → 武田、春日、杉山、柳瀬、中村
「自分の一日」   → 武田、春日、杉山、柳瀬
「人生相談」 → 中村、武田、柳瀬、杉山、春日 
「3・11」課題 → 柳瀬    「ある日の自分」課題 → 武田
課題提出状況 5月30日の提出
(正義派感想他) → 春日、杉山、武田、三矢、藤原
「3・11課題」 → 杉山  創作「網走」 → 武田、春日 創作「車内」→春日
「自分観察」 → 杉山             
課題提出状況 6月6日提出分
6・6課題(君が代) → 三矢、内田、椎橋、杉山、會澤、春日、藤塚、武田、長瀬
なんでもない一日 → 武田、春日
車内観察 → 武田、春日
文芸研究Ⅱ下原ゼミNo・170―――――――― 14――――――――――――――――
課題提出状況 6月13日提出分
テキスト感想『網走まで』 → 藤塚
『網走まで』つづき創作 → 杉山
車内観察 → 春日
自分の一日 → 藤塚、武田、藤塚
人生相談  → 藤塚
テキスト感想『夫婦』『或る朝』 → 武田、藤塚、杉山、春日
時事評・議題
1.「日本国憲法の改正について」 2.原発事故問題について 3.君が代起立問題
お知らせ
■ 6月20日 テレビ東京PM10:00放映「鈴木先生」を応援。視聴率上昇中。3位
原作・武富健治(読書会会員)
■ 6月25日(土)ドストエーフスキイ全作品を読む会第245回読書会
作品『分プロハルチン氏』池袋西口・勤労福祉会館 第7会議室 (下原ゼミ生0円)
※ 詳細並びに興味ある人は「下原ゼミ通信」編集室まで
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編集室便り
  住所〒274-0825 船橋市前原西6-1-12-816 下原方
  メール: TEL・FAX:047-475-1582  toshihiko@shimohara.net
提出原稿は、メール、FAXでも受け付けます。
ゼミ評価は、以下を基本とします。
出席日数 + 課題提出(ゼミ誌原稿)+α = 100~60点(S,A,B,C)
付 録
 
ロシアの作家ドストエフスキーは、児童虐待に心を痛めた作家です。作品に、『作家の日記』にとりあげ不幸な子供たちを救おうとしています。
しかし、残念なことに、児童虐待は、今日、いまこの時間にも、どこかで行われています。不幸な母親、子供を救うために、標語募集に挑戦してみましょう!!
平成23年度「児童虐待防止推進月間」標語募集について
テーマ 児童虐待問題に関する国民一人ひとりの意識啓発に資するにふさわしい標語
方 法 電子メール又は〒はがきに1作品と郵便番号・住所・指名・年齢・職業・電話
番号を記入の上、応募してください。
宛先は、前号「下原ゼミ通信169号」付録を参照ください。(メール・郵便)
応募期間は平成23年5月16日 ~ 6月30日(木)まで
発表は、最優秀作品は平成23年9月以降に本人に通知があるほか、厚生労働省
ホームページで発表します。
君が代斉唱起立問題(朝日新聞2011・6・19)
原発問題(読売新聞2011・6・19)

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