文芸研究Ⅱ 下原ゼミ通信No.171-1

公開日: 

日本大学芸術学部文芸学科     2011年(平成23年)6月27日発行
文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.171
BUNGEIKENKYU Ⅱ SHIMOHARAZEMI TSUSHIN
                             編集発行人 下原敏彦
                              
4/18 4/25 5/9 5/16 5/23 5/30 6/6 6/13 6/20 6/27 7/4 7/25
  
2011年、読書と創作の旅
6・27下原ゼミ
6月20日(月)の下原ゼミガイダンスは、下記の要領で行います。ゼミ2教室
1. 2011年読書と創作の旅 通信171配布 出欠 連絡事項 
2. 6・20ゼミ報告、司会指名
 
 3. テキスト読み・車内『灰色の月』日常『濠端の家』
4. 世界・名作読み、(日常観察作品)
    
3・11東日本大震災並びに福島原発事故で被災された皆さま方に心よりお見舞いい申し上げると共に被災地の一日も早い復旧と復興をお祈り申し上げます。
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2011年読書と創作の旅 6・20ゼミ報告
蒸し暑さ到来で、再度低迷 
   ゼミ出席率上がらず(出席者4名) 後期に期待
本格的な梅雨空、朝からそんな天気だったが、雨はなし、代わりに気温がどんどん上昇した。蒸し暑い午後になった。そのせいか、出席率は、相変わらずの低迷。三分の一だった。
 前期は、残り少なくなった。全員の習慣化は、後期に期待したい。
司会進行は、杉山知紗さんに (2巡目)
この日の司会進行は、杉山知紗さんにお願いした。当初、ゼミ人数から、司会は、一人前期1回の割り当てを予想していたが、欠席者続出で、早くも2巡目となった。この日の進行は、ゼミ誌編集追記、参加者作品合評とテキスト読み。世界名作は、前文まで。
テキスト読みは『城の崎にて』
テキスト読みは、心境小説といわれている『城の崎にて』。この作品は、車内観察作品『出来事』を書きあげた晩、山の手電車にはねられたことから創作したもの
世界名作作品は『あしながおじさん』
前文は、孤児院からカレッジ(大学)に行くことになる経緯と、「あしながおじさん」の謂れ。


文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.171―――――――― 2 ―――――――――――――
ゼミ誌編集追記(武田編集長)
ゼミ誌・題名 → 候補「ノックオン」 日常のテーマを生かして 
今週中に、全員にメールを送る。(前回の返答は、5名)
合 評 参加者の提出作品 参加者=武田・春日・杉山・柳瀬
・何でもない自分の一日「憧れ」 武田結香子 作
「何でもない一日を、好きな芝居観劇の思い出しで過ごせるのは、素敵です。」
「活動的なのがうらやましいです。」
□ 自分の趣味を、何でもない一日に重ねて紹介しているところがいいですね。興味をもって読むことができました。
・車内観察「母の振袖を着た日」 春日菜花 作
「お母さんの振袖を着て電車に乗ったら、いろんなことがあった。そんな様子がよく描けていると思った。最後の指輪の箇所が気になった。」
「今年の成人式に晴れ着を着たので身近な光景だった。」
「まだ、着たことがないので、ちょっと想像できなかった。が、最期の指輪がなかったというところに物語性を感じた。」
□ 作者は、車内で見たことを創作として書いたようです。観察と想像が、一体となっていて良かったと思います。読者にも、想像力をわかせています。『網走まで』の作風と思いますが、振袖が小道具とすると、足袋を小道具に母親の死の悲しみを書いたテキスト『母の死と足袋の記憶』にも通じるところがあります。
・『網走まで』のつづきを創作する「遠い旅立ち」 杉山知紗 作
その後の物語は、母子3人は、青森駅で下車し、その足で、津軽の海に行き、3人無理心中を図る。投函された手紙は母親に詫びる文面。なんとも痛ましい顛末。
「私的には、その後はハッピーエンドの内容を想像していた。入水心中はショックでした。」
「私は、どこかで頑張っていると思いたかった。」
「上野からのやりとりから、この結末でも納得できるところもある。」
□ たしか季節は夏の暑い盛りでした。が、印象的には、演歌「津軽海峡冬景色」のような厳しい風景を思い描きます。なぜ、この母は無理心中を図るのでしょうか。ハガキに、そのへんのことが、ちょつと書いてあればと思いました。
 上野から相席した北の果て網走まで行くと思っていた母子3人が、実は青森駅で降り、海で無理心中した。ここから物語を繋ぐとすれば、心中は未遂に終わり、それをニュースで知った主人公は、お金持ちの学生の興味から、一時でも同席した3人の母子がどんな理由から死を選んだのか知りたくて青森に向かう。そして、再び網走へ同行する。
この時代、自殺は流行っていた。1903年5月22日東大生藤村操、日光華厳の滝へ投身自殺。
―――――――――――――――――― 3 ――――― 文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.171
テキスト読み・いのち観察『城の崎にて』
■『出来事』1913年(大正2年)『白樺4号』にて発表。
■1917年(大正6年)5月1日発行『白樺5号』に発表。
『城の崎にて』は、日本文学のなかでも異彩を放つ名作である。いのち観察作品。
 先に『出来事』を読んだが、この作品は、『出来事』を書き終わった夜、即ち1913年8月15日、友人の里見弴と散歩に出て、その帰り山手電車にはねられ、怪我をする。その怪我の治療に城の崎温泉にきて書いたものである。
【創作余談】
これは事実ありのままの小説である。鼠の死、蜂の死、いもりの死、皆その時数日間に実際目撃したことだった。そしてそれから受けた感じは素直に且正直に書けたつもりである。いわゆる心境小説というものでも余裕から生まれた心境ではなかった。
『城の崎にて』の草稿は、『いのち』と題して書かれた。書き出しは以下のようであった。
 昨年の8月15日の夜、1人の友と芝浦の涼みに行った帰り、線路のわきを歩いていて不注意から自分は山の手線の電車に背後から二間半ほどハネとばされた。脊髄をひどく打った。頭を石に打ちつけて切った。切り口は六分ほどだったが、それがザクロのように口をひらいて、下に骨が見えていたという事である。その時のことで今も覚えているのは、兎も角自分はヒドイ怪我をしたと思ったこと。(自分はこれが死の原因になりはしないかと思った。しかしその恐怖からおびやかされる程でもなかった)自分の不慮の禍に心から驚いて友が心を痛めていたこと、電車の運転手が降りて来て何かいうのに自分が、自分の過失だから、少しも差支えないといったこと、・・・
世界名作・日常報告作品『あしながおじさん』
小説『あしながおじさん』を読んでいなくても、「あしながおじさん」の言葉を知らない人は、そう多くないと思う。たいていの人は、マスメディアや街頭募金で知っている。日常観察の中編の世界名作文学なので、前ぶれだけ時間まで読んでもらいました。面白い小説です。おススメします。ちなみに、作者と作品については、このようです。
いまや募金活動の代名詞として今日すっかり社会の中に定着している「あしながおじさん」、この作品は、自分観察、一日観察、友人観察、人間観察、大学観察といった複数観察で成り立っています。全体的に簡潔な、単純な観察報告の書簡作品ですが、そのなかに読む人の心をとらえて放さない魅力があります。
 先週、テキストとして読んだのは、昭和35年(1960)刊行された本(角川文庫 定価七拾円)。厨川圭子訳の『あしながおじさん』です。
以下は、同本の【あとがき】の抜粋紹介です
 著者ジーン・ウェブスター(Jean Webster)は1876年7月24日、ニューヨーク州のフレドニアに生まれた。父は出版業者で、母は『トム・ソーヤーの冒険』や『ハックルベリイ・フィンの冒険』で有名な小説家、マーク・トウェーン(1835-1910)の姪にあたる。ジーンは長女で、トゥウェーンの母の名にちなんで名づけられた。
 ヴァッサー女子大学を1910年に卒業、専攻は英文学と経済学で、在学中も創作に没頭していた。「パティ、カレッジに行く」(When Patty Went to College)は、在学中、つづき
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物として、発表したが、後になって、1903年、単行本として処女出版した。「あしながおじさん」(Daddy Long Legs)とともに、ウェブスターの代表作品とされている。この両作品のモデルはカレジ時代の級友であった詩人、アデレイド・クラプシーであるといわれている。ヴァッサー在学当時から、ウェブスターは貧民や犯罪者の収容施設を度々、視察する機会があり、この方面の社会事業に大きな関心を抱くようになっていた。彼女の得た信念は、不幸なスタートをした子供でも、人生の幸福や成功をつかめぬはずはない、ということであった。この信念を小説化したのが、「あしながおじさん」である。
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 (この物語の)結末はごくロマンチックな、「シンデレラ」的要素の濃いものだが、そのくせ、この作品は、単に甘い少女向き小説として片づけることのできない、すぐれたものを持っている。それは、ロマンチックな反面、しっかりと地に足のついたたくましい生活態度を描き出しているからである。(観察がしっかりなされているからである)
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 ジーン・ウェブスターは後にこの小説を戯曲化し、それもまた成功した。更にサイレント映画時代、名女優メアリー・ビックフォードの主演で映画化された。・・・・・・・・・
※08年の「教育」映像で、最優秀賞は、「児童養護施設」。6月14日午後BSで放映された。京都府真鶴にある児童擁護施設。18歳まで、何らかの理由で親から離れている子供が暮らしている。日本全体では、3万人余りいる。年々増加現象だという。最近の特徴は、親の虐待で入所する子が多くなっているとのこと。高校までは行けるが、その上となるとなかなかである。小説『あしながおじさん』は、そうした女の子が、ある謎の人物の篤志で大学に行かれるようになった話。「続」もある。
6・27ゼミプログラム
1. ゼミ開始 「ゼミ通信169」配布  出欠 全員参加のときは撮影  
       6・13ゼミ報告 その他
2 司会指名。本日は「      さん」にお願いします。.
司会者は、自分流に参加者公平の音読範囲、発言を心がけて以下をすすめてください。
3. ゼミ雑誌編集について 追(案)・題など 正副編集長
4. 課題提出作品の発表(出席者作品)、音読と合評
 合評留意点 ①わかりやすいか ②全体のモチーフはあるか ③伝わるものがあるか
5. テキスト読み・車内観察作品と日常観察作品
予定テキスト日常観察作品は『濠端の家』か、 テキスト外として・車内観察作品『三四郎』、
6. 世界名作・日常観察作品
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テキスト・車内観察『城の崎にて』感想・音読
人間は欲張りなのかも・・・
武田結香子
生きる事と死ぬことはそれほど変わりない、という文章がすごく印象的に感じた。偶然見かけた三つの命の終わりは、終わりを避けた作者の命とどうして同じように見えたのだろう。 
事故は作者にとって大きな経験であり、その後の考えることさえも変えてしまった。命にかかわることだったから、なおさらだとも思うが、やはり生きているものにとって命の始まりと終わりは大きな存在感を表しているのだと思う。自分にとって命とはどういう存在か、と聞かれたらやはり何にも変えることのできない存在だ、と答える。きっとそれは皆同じように感じるのではないだろうか。だけど、誰かの命の終わりを目の当たりにする度、私たちは涙を流し、淋しいと感じる。まだ自分の命はあるというのに。人間はきっと欲張りなものだと思う。とくに命に関して言えば。ここに登場した生き物は誰にも悲しまれないと感じた。蜂は仲間に見られることなく無視され、ねずみは人間に笑われ、いもりは殺されてしまった。
でも、人間はそれらに悲しみを感じない。きっと人間が死んだら悲しむのに。やっぱり欲張りなのかもしれない。
偶然のせいで
春日 菜花
今までの人生の中で命を脅かされるほどのケガや事故、病気にはなったことがない。そして、以前のゼミでも言ったとおり近しい人の命が消えたこともない。今の私は「いのち」に対する思いがきっと少ないのだろう。けれど、作者のように私とて何時電車に跳ねられるかなど想像もつかない。もしかしたら、今この瞬間に突然人災が起こり、私は死んでしまうかもしれない。ここまで生まれ育つのに17年かかったが、その命を消してしまうのは1秒もあれば事足りてしまう。作者が殺してしまったイモリも、まさか殺されるとは思っていなかっただろう。”偶然”当たってしまい、イモリは死んだ。そして3.11の時、あの地に偶然いた人とて少なくないはずだ。いくら身体が丈夫に育って、安全な場所にいたとしても、その”偶然”のせいで、命を落とすことがあるのだと気付いた。
現代の日本では当たり前の「生」、だが…
柳瀬 美里
未だに戦争、内乱の続く国や、ちょっとした病気や怪我が元ですぐに死んでしまう昔ならいざしらず、この現代で「死」を身近に考える人は日本にはそういないだろう。当たり前のように「生きる」ことを享受している人間がほとんどだ。今では例え家族が死に瀕していてもそれこそ突然の死でない限り、手術室のドアの向こうで死神は迎えに来ている。一昔前なら自宅で息を引き取り、その死に目を見ることができた。医療技術が進歩し、より多くの人が救えるのは良いことだと思う。けれどそれがまた私たちに大切なことを遠ざけていることを思うと不思議な気持ちだ。筆者が生死に関して電車事故をきっかけにして改めて考えていたようにそうしたきっかけがない限り、思うことはないだろう。それこそ、突然のあの震災のように。
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日常と非日常の隣りに佇むもの
杉山 知紗
死は日常的だ、ということは死とはち合うたびに思わされる。幼少の頃の父、飼っていたハムスター、金魚、通りすがりの通夜、祖父。いつでも死は私たちの隣にひっそり佇んでいて、時折くっきり姿を現す。そして、3.11は、その死がそれこそ津波のように街を覆ったのだろう。日常は日常でも、それが大きく降り積もれば非日常になりうるのだ。
主人公はいもり一匹殺したし、子供たちや車夫もねずみを殺すよう石を投げた。もしそれをずぅっと続ければそれは非日常なのだろう。しかし「城の崎にて」と3.11が大きく違うのは、「いつ起こるか分からない」ということ。死と同様、非日常も隣で佇んでいる。いつそれが覆ってくるか分からない。ずっと不安がるわけではないが、心の片隅に覚悟を置いておくべきなのだろう。
車内観察
夢見る電車
武田 結香子
ホームに電車が入る。少し強い風がわたしを横切り、目の前にドアがきた。休日の早い時間だからか、あまり人もいない。オレンジ色の座席の端に座る。これから月1のご褒美を観に行くというのに、頭の中は課題のことだらけ。次の創作課題は小説だったな。どんな内容の物語にしようか。いくら考えてもまとまらない。カタンカタンという電車のリズムに少し眠気が襲ってきた。私は重力に逆らうことなく、瞼を閉じることにした。
 若い女の子の声で意識が戻ってきた。制服を着た女の子が二人、前の座席に座っている。向かって右側の子が、何やら興奮しながら隣の子に語っていた。はっきりとした声が私の耳にも入ってくる。彼女は笑顔で言った。「で、主人公がお父さんと旅に出るんだけど、最後ヒロインの女の子と話すところがすごく切ないの。文章にはないけどさ、きっと”待ってて”って言ったんだと思うなあ」
「ああ。ミツキはそういう話、好きだもんね。王道、というかベタに甘いやつ」
「いいじゃない。こんな風に思われたら幸せだよ。これ、オムニバスになってるんだけど、いろんなジャンルの話が読めて面白いよ。読んでみない?」
 そういって彼女が取り出した本を見て、驚いた。だって、その本は彼女が持っているのはありえないはずだから。
「今、これ大ベストセラーなんだよ!本屋でも推されてたし。ほら、あの人も、そこにいる人も読んでるでしょ?」
そう言って彼女が指を差したほうを向けた。そして、また驚いた。同じカバーの本だ。信じられない。なぜなら、私のいるゼミでこれから作ろうとしているカバーと全く一緒だったからだ。タイトルもデザインも一緒。でも本になっているなんてありえない。だって、まだ誰一人として中身、つまり小説を書いていない。私だってまだなのに。それに本屋で売っている、ってどういう事なのだろう。同じタイトルの本がすでにあったのか。でも裏にあるのは通っている大学の名前だ。いったい、どうなっているのか、訳分からなくなる。
「私、この人の物語をもっと読みたいな。続きとかないのかな」
「本当に好きなんだ。なんて名前なの、作者」
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私も聞きたかった。それがゼミの仲間の名前だったなら。もしかしたら、私の名前が呼ばれちゃったりして、なんて思って。さあ早く、その名前は?
「えっとねえ。あ、あった!名前は・・・」
その瞬間、電車がガタンっと大きな音を立てて揺れた。私の身体も大きく揺れる。ああ、名前が聞き取れない・・・。
 ガンっと大袈裟な音が鳴った。私は手すりに頭をぶつけたみたいだった。右側がズキズキする。それよりも、さっきの女の子は誰の名前を言ったのだろう。はっとして顔を上げたら、目の前に座っていたのはスーツ姿のサラリーマンだった。制服姿の女の子なんてまわりには見当たらない。あのカバーの本も誰一人持っていなかった。・・・夢、だったのか。そのはずだ。ありえないのだから。でも、名前聞けなかったのは少し残念のような、安心したような、なんとも言えない気持ちだった。もしあれが本当に私たちの本だとしたら。私はどんな作品を載せただろう。あの子のような笑顔を私も与えられたなら。
 降りる駅が近づいてきた。結局、小説のネタは浮かんでこなかった。でも、決めた。今回は幸せな結末で締めくくろう、と。読んだ人がほっとして、ちっちゃくてもいいから幸せを感じられるような、ベタ甘なハッピーエンドにしようと。それを考えただけで、私の心は少し満たされた気がした。
 電車が止まる。私は席を立って歩き出した。電車は次の駅に向かって出発した。ふと、車両の方へ目を向けたら、信じられないものが見えた。あの制服の二人。手にはあの本を持っていた。一瞬しか見えなかったけど、私の方を見ていたような・・・私はしばらくそこから動けないでいた。
ビニール傘
杉山 菜花
持っているビニール傘から滴を垂らした。セーラー服の娘が車内に乗り込んできた。目はぱっちりと、頬は丸くすべすべとしていた。黒い髪はまっすぐ長く、低く二つに結ばれている。私含めた観光客が多かったせいか、一人ぎこちなく微笑み、妙に姿勢正しくした。
 発車する際、電車が大きく揺らいだのだが、娘は傘を脇の棒に引っ掛けていたせいで少しよろけた。不意に車内の人々の視線や意識がそれとなく向けられたが、必死に手を伸ばして棒を掴むことができ、転ぶことはなかった。ほっとしてはいたが見知らぬ人々に見られていたのに気付いたのか、素知らぬ顔で耳をほんのり赤くさせていた。
「お前、転んだろう」
 少し離れた席にいた学生服の少年が、顔見知りだったのかにやついた顔で近寄ってゆく。空いた席はすぐさま幼少の子が座り、明るい笑顔を母親に見せていた。
 娘は知り合いがいたことにほっとしたようだったが、耳をまだ赤くさせたまま首を横に振った。
「転んでない。よろけただけ」
 想像していたよりも低い声色だった。
「おまえは不安定だからなあ」
「昨日、雨で滑ってたあんたに言われたくない」
「滑っただけだ」
 あたしもよろけただけだものーー、と娘は言う。少年は笑う。
「そうだそうだ、昨日だ昨日」
「何よ」
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「昨日あったろう、ほら、宿題。あのプリント。で、滑ったときに鞄落としたろう」
「それがなんだってば」
 娘は分からない様子で苛ついていたが、少年に気にした様子はない。
「あれで適当にしまっておいたプリントがぐちゃぐちゃになったからさ、おまえのを見せてくれよ」
「ええ・・・・」
 嫌よ、と今にも言いそうな顔つきだったが、言わなかった。
「今日帰りに寄っていくから」
「ううん、今日新しいプリントを先生にもらえばよかったのに」
「いや、でもさ」
 娘が乗り込んだ駅から三つ過ぎた駅で、二人はその会話を続けたままわいわい降りていった。娘の脇の棒には、ビニール傘がぶら下がったままだ。私は慌ててお嬢さん、と追いかけようとしたが扉はしまってしまった。はっとした調子で娘も振り返ったが、もうどうしようもなかった。
 遠のいていく傘を持たない娘と少年二人を見つめて、私はそのビニール傘を手に取ったそして次の駅で降りて、駅員に前の駅の女学生のものです、と言って渡す。次の電車が来るまで、私はホームのベンチに腰を下ろすしかなかった。雨が止む気配は、まだない。
静かな闘い
春日 菜花
「きゃっ」と、微かに悲鳴がした。本当に小さな声だったので、その周辺にいた人にしか聞こえなかっただろう。けれど、その発生源は私の斜め前からだった。読もうとしていた本は既に閉じていた。好奇心には勝てないなあ、なんて思いながらちらりとそちらを見る。眼鏡をかけた女子高生が、眉を顰めていた。彼女から視線を少しずらすと、その原因はすぐにわかった。四十代くらいの女性が肩にかけている大きな鞄が、彼女の背中に当たっているのだ。ぎゅうぎゅうに押し込められているために仕方がないといえば仕方がないのだが、その鞄に押されてバランスが取れない彼女は倒れそうになっていた。女子高生を見る限りクラスに一人はいる地味目な子なので、おばさん相手には何も言えないのだろう。
かわいそうに、そう思いながら彼女を見ていたら、今までただ不機嫌そうにしていた彼女の顔がすっと冷たくなった。眉間によっていた皺は消え、目をうっすらと開き、面倒くさそうに小さく息を吐く。そして、彼女は掴んでいた手すりを握りなおし、ぐっと手に力をこめた。正確に言えば、体重を後ろにかけだしたのだ。指先がうっすらと白く変色していて、そこから彼女の反撃を垣間見た。突然の圧力に驚いたのか、今後はおばさんが眉を顰めて小さく振り返った。そして負けじと女子高生のほうに体重をかけたように見えた。しかし、彼女には支えとなる手すりがあるので全く効いていない様だ。指先の白さは変わっておらず、それどこか増しているようにも思えた。
きっと他の人は気付いていなかったであろう小さな争いは、思わぬ反撃の狼煙を見せてくれた彼女の勝利であった。
電車が好きだった少年
春日 菜花
「僕は電車がきらいだ」
「どうしてきらいなの?」
少年は黙り込んでしまった。少年にその質問を投げかけた女は、彼と目を合わせようと屈みこむ。しかし彼は視線を合わせようとはせず、ふいと横を向いてしまった。その視線を追うように女も横を見る。
―――――――――――――――――― 9 ――――― 文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.171
カンカンカンと音を鳴らしながら踏切が閉まりだしていた。
「電車がくるねえ」
「べつにこなくていいよ」
「どうしてそんなこと言うの?」
「だから、きらいだって言っただろ」
少年は吐き捨てるように言う。女を正面から見ようとはせず、彼は彼女を横目で見た。その瞳は揺らいでいるように見えたが、女は特に追及しようとはせずこちらに向かってきている電車を視界に捉える。車掌室は塗りつぶされているように黒く、そこに人が居るのかどうかはわからなかった。電車が二人の後ろを走り抜けると、遅れて風が二人の間をすり抜けた。少年が羽織っている上着が、風を受けてばたばたと暴れた。
「どこまで行くのかな」
「次の駅だよ」
「つれないなあ…乗りたいとは思わないの?」
女は困った顔をして笑い、肩をすくめた。少年はそっぽ向けていた顔を少しだけ女に戻す。少年の視線に気付いた女は驚いたようで一瞬笑みを無くしたが、すぐに笑い返した。
その笑みを見て、少年は持っていた花束を握り締めていた手にさらに力を入れる。揺らいでいた瞳が、一層揺らいだ気がした。
「だって、乗れないじゃないか」
「そうだね」
「乗りたくたって、乗れないじゃないか」
「私はお前に乗ってほしいよ」
少年は女の顔を見た。揺らいだ瞳からは、じわりと涙が溢れる。溢れた涙は止めることができず、少年は片方の手の甲で何度も何度も目を擦った。女はそれをじっと見るだけで、何もしない。一瞬だけ涙を拭おうと手を浮かしたが、それは宙を掴むだけだった。女の足元には沢山の花と、壊れた小さな電車のプラモデルが置かれていた。
カンカンカンと再び音がする。
「もう、乗ってもいいんだよ」
特急電車が後ろを横切る。ぶわっと少年の髪や上着が風に靡く。女はもういなかった。
何でもない自分の一日
耳を澄ませば
武田 結香子
夜、眠れないときがある。布団にくるまって目を閉じても、体勢を右に左にゴロゴロ変えてみても、やっぱり寝れない。次の日に眠くならないようにするためには、今休まないと時間がずれてしまう。でも、やっぱり私の目は冴えてしまったままだった。
夜の音はとても繊細だと思う。特に、雨が降っているときなんか。天気予報で「今日は一日雨です」なんて聞くと、正直ウンザリな気持ちしか残らないが、夜に降る雨は違った、別物のように感じる。激しくも弱くもない雨は自然にしか出すことのできない、特別な音だと思う。サーとカーテンが風に揺れているような音。時々ポチャン、というどこからか落ちていった雨粒の音。静かに聞いていると、心がとても安心する気がする。眠れないときはよく好きな音楽を聴いていると、心がとても安心することもあるのだが、こんな風に自然の音を拾っていくのも悪くないと思う。
 夜の音、といえばもう一つ。私は妹と同じ部屋で寝ているので、いつも先に寝ている妹の呼吸を聞くこともある。いびきや寝言だと少しやっかいだが、呼吸している音は(かなり変
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人みたいだが・・・)落ち着くような気がする。誰かがそばにいてくれる、という安心感があるのかもしれない。
眠れないときは、じっとして回りの音を拾うのが最も早い解決策なのかもしれない。
本当の私
武田 結香子
本当の私はいつ、どこでその本性を現しているのだろう。時々、自分ではよくわからなくなる。誰に対しても同じように、いつも接していたいと思う反面、「あなたって○○だよね」
と会う人によって違う答えが返ってくるのだから、やっぱりそれぞれの場面で違った私がそこにいるのだろう。
ある人には「くだらない事ばかり言うねー」と言われ、またある人には「シャイなんだね」と言われる。普通、シャイな人は下らない事なんか言わず、おしとやかにしているのではないだろうか。(私の勝手な偏見にすぎないのだが)人はいつまでも気をはっていられる訳ではないから、どこかでそれを抜く必要がある。それを私は抜きすぎてしまっているのだろうか。とにかく、あまりにも自分が違いすぎることがあるから、そんな自分に少し嫌悪感を抱くことがある。でもそうやって悩むから人は成長するのかもしれない、なんて綺麗事を言ってみる。結局のところ、私はまだまだいろんな事を知る必要があるのかもしれない。あと何年、何十年かかるかなんて分からないけど、自分が生きている時間のほんのわずかでいいから本当の自分を見つけられたら、と思う。
或る一日
春日 菜花
休みの前日は、明日はどこかに行くの?と聞くのが当たり前になっていた。自分自身特別どこかに行きたい訳ではないし、なにか欲しいものがあるわけでもない。ただなんとなく、その質問をしてしまうのだ。それに答えてくれるのは母であり、いつもは「特別ないよ」と言われるのだが、その日は手芸用品を買いに行きたいと言っていた。それじゃあ、明日は買いものに行こう、そう約束して私は一足先に自室に上がって眠りについた。
翌日、目を覚ますと母はまだ起きていなかった。先に起きていた父といくつか言葉を交わし、朝食のために母を起こす。私と母で準備をし、三人で朝食をとる。その後は食休みと称してリビングでのんびり過ごした。家族揃って昨晩録画した海外ドラマを見ていたら、気付けば昼前になっている。そろそろ出かけなくてもいいのかと聞くと、母はそうだねえ、と言ったものの、読んでいる雑誌を置くことはなかった。
その後昼食を家で食べ、いつ出かけてもいいように着替えるために自室に行く。数分後リビングへ戻ると、床に敷かれた座布団に横になっている母がいた。その斜め横には、同じように横になっている父がいた。今日はもう駄目だなあ、と二人の姿を見て笑った。その後、私は再び着替えるために部屋に戻り、両親と同じようにベッドに寝転がった。
時事評
3・11に想う
杉山 知紗
 地震から三ヶ月が経っていた。未だなお続報が続く原発に関しては、もはや情報を小出しにされすぎていて人々は麻痺してしまっている。ただちに影響はない、と繰り返される言葉は、後に影響が出るという裏返しでもある。しかしそんな中でもやはり放射能に対して激しく言い続ける人々もいた。
―――――――――――――――――― 11 ――――― 文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.171
 AREA.ne.jpの六月十九日付の記事だ。タイトルは「見えない「敵」と闘う母~放射能から子どもを守るために」。記事の内容はこうである。毎日子どもに弁当を待たせている。表向きはアレルギーのため給食が食べられない、ということだが、実際は放射能汚染が心配だからだ。しかし違うメニューでいじめられないためにも、と給食と同じメニューを毎日作っている。始まりはやはり三月だった。三月二十一日、雨に当たった長女のおでこに発疹のようなものができた。「もしかして放射能のせい?」。二十三日、東京の水道水から放射性物質が検出された。慌てて新幹線に乗り、縁もゆかりもない京都のウィークリーマンションに避難したが、入学式があるため一週間で戻らざるをえなかった。外食等にも行かず、野菜から自らすべてに気を遣っている。
 これに対しネットでは「やりすぎ」「過保護」至っては「きちがい母」とすら罵っていた。勿論「子どもは将来喜ぶよ」「正常だよ」と肯定的な意見もあった。しかしそもそも、原発事故が起きた当初は誰もがこれくらいの危機意識を持っていたはずではないだろうか?風の向きだとか雨が降るだとか降らないだとかで一喜一憂してはいなかっただろうか?もはやそんなことも遠い過去のように考えているのだと実感する。
 周囲の人々がよくもらす言葉がある。「そんなに気にしたって、どうしようもないよね」。その曖昧さが大きく世間を覆っているような気がする。本当にどうしようもないのだろうか、私たちやこの記事の母親が何をしても無駄なのだろうか。それこそ、ただちには分かるまい。数十年後、どちらが後悔するか、だ。
おススメ読書日本・世界の名作
山本周五郎『青べか物語』まだ読んでいない人は是非。日本屈指の短編集です。
文芸研究Ⅱ下原ゼミNo・171―――――――― 12――――――――――――――――
土壌館・実践的投稿術 No.15
 
文章力修業として投稿も、その一つの手段といえます。投稿は、投稿者が多ければ多いほど採用される確率は低くなります。が、そのことは即ち投稿作品の質の向上にもなります。様々なものへ観察・興味を抱く要因ともなるので、投稿は一石三鳥ほどの価値があります。
 もっとも投稿といっても、小説・論文投稿から標語まで多種多様です。が、ここでオススメするのは新聞投稿です。新聞は、毎日投稿できます。政治・社会・生活観察・自分の意見と幅もあります。また、時流や出来事のタイミングも重要となり自然、書くことの日常化・習慣化が身につきます。文章力研磨にもってこい場ともいえます。
 土壌館では、文章力を磨く目的はむろんですが、社会への疑惑や自分の意見・感想を伝えるために新聞の投稿欄に寄せつづけています。なぜ投稿欄かというと、投稿欄は字数制限があるからです。「声」欄が多いのは、規定が500字だからです。この字数は人が飽きなく読む文章です。500字のなかに主張、出来事などを簡潔に入れる工夫が必要です。
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 2008年7月8日 朝日新聞「声」欄
今でも励まし黒板の落書き
 世界遺産、新幹線、名橋と落書きのニュースが続く。道徳感の欠如を嘆くほかないが、私は55年前の落書きを思い出す。
 1953年、私は山村の小学校に入学した。学用品は貴重でクレヨンなどは高嶺の花だった。新聞の折り込み広告の裏は勉強に使った。落書き好きな一年坊主はもっぱら校庭の隅の平らな地面を探し、木の枝で描いたものだ。ある日、担任の男先生が「自由に描いていいぞ」と黒板を解放した。休み時間、子供たちは夢中で描いた。黒板は無限のスケッチブックになった。いろんな絵が描かれた。でも黒板絵は、勉強がはじまれば消される運命だった。だが、先生は黒板絵をカメラに収めた。わら半紙にも描かせていて、私たちの還暦の同級会で返してくださった。
 落書きのニュースを聞く度、描くことの大切さを知っていたらそんな教育がされていたら、と残念に思う。教育とは何か。今日、その道は深い霧が閉ざすばかりだ。教育の難しさに迷う度に、創造性を大切にされた恩師の元気な声と、黒板絵に励まされる。12日に白寿を迎える恩師。益々のご健勝をお祈りする。
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投稿術バックナンバー
No.1 「医師への金品 規制できぬか」   1994・2・2   朝日新聞「声」欄
No.2 「カラー柔道着 いいじゃないか」  1994・5・17  朝日新聞「声」欄
No.3  「立会人が見た 活気ある投票所」 2009・9・2    朝日新聞「声」欄
No.4 「勧誘の仕方 改められぬか」   1994・10・15 朝日新聞「声」欄
No.5 「団地建替え 住めぬ人びと」    1995・9・24 朝日新聞「声」欄
No.6 「地域に必要な 子供たちの場」   1996・11・5   朝日新聞「声」欄
No.7 「燃える家々に 戦争を実感」MoMo 1999・4・3   朝日新聞「声」欄
No.8 「嘉納の理念 世界に発信を」    2009・3・10  朝日新聞「声」欄
No.9 「50歳の1年生 師の撮影行脚」   1996・9・16  朝日新聞『声」欄
No.10 「教師の創意で 生徒に楽しさ」   1995・3・15  朝日新聞「声」欄
No.11 「児童の作文大切にした恩師」    2011・1・8   朝日新聞「声」欄
No.12 「カエル飼って子供ら変わる」    2006・7・28  朝日新聞「声」欄
No.13 「『罪と罰』で正当性立証か」    2003・12・27 朝日新聞「私の視点」
No.14 「時は流れてもやっぱり先生」   1999・6・4   朝日新聞「声」欄
No.15 「今でも励まし黒板の落書き」   2008・7・8   朝日新聞「声」欄
―――――――――――――――――― 13 ――――― 文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.171
ゼミ雑誌作成について
ゼミ誌は、ゼミ一年間の成果の証です。全員で協力して完成させましょう。テーマは、日常です。掲載作品は、課題から「車内観察」「何でもない一日」、自由創作です。
ゼミ雑誌編集長 → 武田 結香子さん  
ゼミ誌副編集長 → 藤塚 玲奈さん  
      ゼミ誌編集委員 → 他ゼミ員全員
Ⅰ ゼミ雑誌作成進行状況
   5月25日 ゼミ誌ガイダンス 武田編集長
5月29日 武田編集長より提案。自由創作も視野に
6月 6日 仮題『日常』、内容=課題・自由創作 頁300(一人20枚)
      業者=藤原印刷 写真・図案は無し
6月13日 ゼミ誌内容欠席者にメール、5名返信、武田報告
6月20日 題、レイアウトについて 候補「ノックオン」
Ⅱ. ゼミ誌原稿、最終締切日9月26日(月)自由創作提出
Ⅲ. ゼミ雑誌の納付日は、2011年12月15日です。厳守のこと。
  
【① ゼミ雑誌発行申請書】【②見積書】【③請求書】
1.【①ゼミ雑誌発行申請書】所沢/出版編集室に期限までに提出 完了
2. 6月6日ゼミ雑誌題・型・頁・業者・内容(案)決まる。  完了
3. 9月末、ゼミ誌原稿締め切り。(原自由創作を提出してください)
4. 印刷会社を決める。藤原印刷に決まる。レイアウトや装丁は、相談しながらすすめる。
5.【②見積書】印刷会社から見積もり料金を算出してもらう。
6. 11月半ばまでに印刷会社に入稿。(芸祭があるので遅れないこと)
7. 雑誌が刊行されたら、出版編集室に見本を提出。
8. 印刷会社からの【③請求書】を、出版編集室に提出する。
ゼミ雑誌制作決定事項(案)
ゼミ雑誌・テーマ  → 『日 常』なんでもない一日をイメージ
版型(サイズ)   → 文庫サイズ
頁 数       → 300ページ 凡そ
業 者       → (株)藤原印刷 知っている印刷会社だから
内 容       → 課題&自由創作(テーマ=朝・昼・夜)
割り当て(一人)  → 20枚程度
締め切り      → 課題は前期までに提出されたものの中から(時事評は無し)
            自由創作は、夏休み明け厳守
以上です。皆で協力して、2011年の記念になる雑誌を作りましょう。まだ、日にちに余裕あります。今後はレイアウトなどを話し合ってください。
文芸研究Ⅱ下原ゼミNo・171―――――――― 14――――――――――――――――
人間観察・連載3 教育の原点がここにある。震災後の日本の教育を考える
創作・熊谷元一と『一年生』
ひのてるほうへ
熊谷元一の年譜をみていると、どうにも腑に落ちない、疑問に思うところが二か所ある。一つは、終戦末期、唐突に役所勤めを辞めて故郷の村に帰るところ。もう一つは、故郷で長年勤めた教員を退職したとき、突然に東京行きを決意したこと。どちらも本人のなかには、以前から決めていたことかもしれないが、周囲のものにとっては、あまりに突然で、理解しがたいことだったに違いない。101歳の熊谷の人生を振り返ってみると、繋がって続いていた道が、その2ヶ所だけが、何の計画性もなく、いきなりの方向転換なのである。
熊谷の人生をなぞってみると、それがよくわかる。幼いころから絵を描くことが好きで、画家を目指して教師になる。多くの画家志望のものが歩む道である。ちなみに、同郷の画家H氏も同じ道を歩んで、現在では画家として成功している。熊谷は、途中から童画家を目指すようになる。採用されるようになり、前途もひらけるようになるが、たまたま誘われて出た会合が左翼思想で摘発され赤化事件と取り上げられ、教職から追放される。無職になった熊谷は、童画の勉強をしながら、ひょんなことで手にすることになったカメラに魅せられていく。そして熊谷の才能もカメラによって花開いていく。まさしく芸は身を助ける。その延長で拓務省(大東亜省)のお役人の道がある。満州建国が国策となったことで、若者を大陸に送るべき写真の腕を発揮する。役所という確かな仕事と絵が好きな青年ということが功をそうして結婚もでき、東京暮らしがはじまる。ここまでは波乱万丈ほどではないが、運もツキもあった予測された道のりである。が、4月13日、3月20日の大空襲につづいて下宿のあった池袋界隈も空襲被害を受ける。このときの体験を熊谷は、自書『三足のわらじ』でこのように書いている。
「4月13日東京で空襲にあい、蔵書の一部と在京中の全国各地及び満州関係の写真のネガを焼失する。」
確かに大変な事態である。住むところも、日常の生活用品もこれまでやってきた仕事も全部灰塵と化したのである。しかし、空襲にあい焼け出されたといっても役所勤めをなくしたわけではない。このときの熊谷の36歳という年齢を考えれば、貞子と二人の子どもを故郷に疎開させ、自分は一人東京に残る。こう思うのが常識的といえよう。それに熊谷は、記録写真の趣味が高じてこの道に入ることになったのである。フイルム代の心配もなしに好きな写真が撮れる。そう考えたとき、目のまえにひろがる一面焼け野原となった東京の街。これを撮りたい、撮るべきだ。写真家にとっては千載一遇のチャンス。そう思うのが自然、というか当然である。なのに、熊谷の年譜には
6月、大東亜省を退職し、とある。熊谷は、家族とともに故郷に帰郷するのである。なぜか、大きな謎といえる。もう一度、熊谷の足跡をたどろう。画家をめざしての教員生活。童画にその道を見つけたとき、教員赤化事件で追放の憂き目にあう。が、頼まれた写真撮影――童画の師である武井武雄から
「この頃武田氏(童話作家)を写真班として自転車で、近郊の案山子集めに歩いています。もう130程に達しました。伊那谷の特産のがお手に入った節に何卒お願いいたします。」
と案山子写真の依頼があった。ひょんなことでカメラを手にすることになった熊谷だが、このとき写真に開眼するのである。今日でもそうだが当時、写真を撮るということは、記念写真か、珍しいからか、お祝い、そんなところである。しかし、熊谷は、風景写真も記念写真も撮らなかった。熊谷が、カメラを向けたのは、なんでもない農家の一日。その家の何でもない一年の暮らしだった。記録写真に秀でた熊谷が、ミスミス目のまえの東京空襲を放擲して故郷に帰る。冤罪的に追放された教職に戻る。なぜか・・・・・。つづく
―――――――――――――――――― 15 ――――― 文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.171
2011年読書と創作の旅の記録
4月25日ゼミ 出席者11名 司会・椎橋 名作「日本国憲法、前文・九条」
5月 9日ゼミ 出席者9名 司会・三矢 テキスト『菜の花と小娘』 
5月16日ゼミ 出席者4名 司会・内田 テキスト『網走まで』
5月23日ゼミ 出席者5名 司会・杉山 テキスト『出来事』  
5月30日ゼミ 出席者5名 司会・春日 テキスト『正義派』
6月 6日ゼミ 出席者9名 司会・柳瀬 時事評「君が代問題」
6月13日ゼミ 出席者4名 司会・武田 テキスト「夫婦」「或る朝」
                    名作・詩編「谷間に眠るもの」ランボー
6月20日ゼミ 出席者4名 司会・杉山 テキストいのち観察『城の崎にて』 世界名作
『あしながおじさん』日常観察
◎課題提出は習慣化の基盤です。書かなければ、つづけなければ習慣化はできません。才能は偶然もありますが、たいていは日々の努力が育てます。
課題提出状況 5月9日~6月6日迄の提出本数 
時事評「3・11」4本 → 藤塚、武田、會澤、春日
「ある日の自分」5本 → 5本 三矢、藤塚、武田、春日、柳瀬
『菜の花』感想9本 → 柳瀬、藤塚、内田、大野、杉山、武田、會澤、三矢、春日
「自分の一日」8本 → 柳瀬、藤塚、内田、大野、杉山、武田、三矢、春日
課題提出状況 5月16日の提出分
時事評(原発事故) → 春日、内田,
「自分の一日」   → 杉山、春日、大野、内田
『網走まで』感想  → 杉山、春日、大野、内田
課題提出状況 5月23日の提出分
『出来事』感想   → 武田、春日、杉山、柳瀬、中村
「自分の一日」   → 武田、春日、杉山、柳瀬
「人生相談」 → 中村、武田、柳瀬、杉山、春日 
「3・11」課題 → 柳瀬    「ある日の自分」課題 → 武田
課題提出状況 5月30日の提出
(正義派感想他) → 春日、杉山、武田、三矢、藤原
「3・11課題」 → 杉山  創作「網走」 → 武田、春日 創作「車内」→春日
「自分観察」 → 杉山             
課題提出状況 6月6日提出分
6・6課題(君が代) → 三矢、内田、椎橋、杉山、會澤、春日、藤塚、武田、長瀬
なんでもない一日 → 武田、春日
車内観察 → 武田、春日
文芸研究Ⅱ下原ゼミNo・171―――――――― 16――――――――――――――――
課題提出状況 6月13日提出分
テキスト感想『網走まで』 → 藤塚
『網走まで』つづき創作 → 杉山
車内観察 → 春日
自分の一日 → 藤塚、武田、藤塚
人生相談  → 藤塚
テキスト感想『夫婦』『或る朝』 → 武田、藤塚、杉山、春日
課題提出状況 6月20日提出分
テキスト感想『城の崎にて』 → 武田、春日、杉山、柳瀬
車内観察 → 武田、杉山、春日、春日
自分の一日 → 春日、武田
時事評「原発事故」 → 杉山
時事評・議題
1.「日本国憲法の改正について」 2.原発事故問題について 3.君が代起立問題
お知らせ
■ 6月27日 テレビ東京PM10:00放映「鈴木先生」を応援。視聴率上昇中。3位
原作・武富健治(読書会会員)
■ 8月13日(土)ドストエーフスキイ全作品を読む会第245回読書会
作品『九通の手紙』池袋西口・勤労福祉会館 第7会議室 (下原ゼミ生0円)
※ 詳細並びに興味ある人は「下原ゼミ通信」編集室まで
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編集室便り
  住所〒274-0825 船橋市前原西6-1-12-816 下原方
  メール: TEL・FAX:047-475-1582  toshihiko@shimohara.net
提出原稿は、メール、FAXでも受け付けます。(送信でもらえると二度手間と間違い打ちがなくなるので助かります)
ゼミ評価は、以下を基本とします。
出席日数 + 課題提出(ゼミ誌原稿)+α = 100~60点(S,A,B,C)
付 録
 
ロシアの作家ドストエフスキーは、児童虐待に心を痛めた作家です。作品に、『作家の日記』にとりあげ不幸な子供たちを救おうとしています。
しかし、残念なことに、児童虐待は、今日、いまこの時間にも、どこかで行われています。不幸な母親、子供を救うために、標語募集に挑戦してみましょう!!

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