文芸研究Ⅱ 下原ゼミ通信No.178

公開日: 

日本大学芸術学部文芸学科     2011年(平成23年)10月31日発行
文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.178
BUNGEIKENKYU Ⅱ SHIMOHARAZEMI TSUSHIN
                             編集発行人 下原敏彦
                              
9/26 10/3 10/17 10/24 10/31 11/7 11/14 11/21 11/28 12/5 
12/12 1/16 1/23
  
2011年、読書と創作の旅
10・31下原ゼミ
10月31日(月)の下原ゼミは、下記の要領で行います。ゼミ2教室
1. 通信177配布 出欠 連絡事項「前回ゼミについて」 司会指名
2. ゼミ雑誌作成報告 原稿提出状況 名作『狂人』モーパッサン
 
 3.「剃刀職人殺人疑惑事件」模擬裁判 休廷明けから開始
4. テキスト読み『兒を盗む話』 事件概要と「犯人の調書」書き
    
10・24ゼミ誌原稿締め切り !
ゼミ誌『旅路報告』創作・課題で構成 200頁弱の雑誌か
 今年のゼミ成果であるゼミ誌作成は、原稿締め切りを9月26日から最大限に延期してきたが、およその見通しがついたことから武田編集長は、10月24日を最終締切日に決定した。
 ゼミ誌は、自由創作と併せて課題の「車内観察」「一日の記録」から構成される。現在の状況は、12名の原稿は整っているが、残り1名が依然として不明である。他に自由創作が1名未提出となっている。が、今後の作成手順から、24日を最終締切とした。
 ゼミ誌概要は、以下の通り
サイズ → 文庫本    内容 → 自由創作 課題(車内観察・一日の記録)
題名  → 『旅路報告』 表紙デザイン → 春日菜花
頁数 → 約150頁 字数12000字程度
今後の手順 芸祭(11・3)前までに印刷会社(藤原印刷)と交渉、11月末までに校正を終え、入稿する予定。12月11日までに刊行。12日、納品。
 武田編集長は、以上の手順で進める予定でいます。校正や交渉など多忙になります。杉山知紗・春日菜花編集委員の他、手伝える人は、協力してください。
第二回 剃刀職人客殺人疑惑事件裁判


先週行われた初公判で、剃刀職人の殺人疑惑事件に対し、懲役5年の判決が下りたが、これを不服として第二回の公判が実施された。が、弁護人陳述で、休廷となった。本日の休廷明けは、検察の陳述からはじめます。
文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.178―――――――― 2 ―――――――――――――
家族観察 家族観察として、『にんじん』を読みすすめてきた。これまで読み終えた話は、日本でいえば小学生時代の出来ごとに当たる。そんなことで、一区切りとして、この、ちょつと普通ではない(世間からは模範的かもしれない)家族について、またこうした環境のなかで育った「にんじん」の性格について考察してみたい。
『にんじん』とは何か
「めんどり」「しゃこ」「犬」「いやな夢」「失礼ながら」「尿瓶」「うさぎ」「もぐら」「つるはし」「湯のみ」までのからみえてきたもの
 小説『にんじん』は、家族に愛されなかった一人の少年の成長記だとすると、「めんどり」から「湯のみ」までの少年の心は、どのように育ったのか。
 郊外に田畑を持ち、ニワトリやうさぎなどの家畜を飼い、お手伝いさんを雇っているルピック家は、上流とまではいかないが、中流以上の堅実な一般家庭である。厳格な父親ルピック氏は、大手企業に勤めるセールスマン、母親のルピック夫人は口うるさいがしっかり者の専業主婦。お利口そうな中学生らしい兄と姉。話はこの5人家族。近所の評判はわからないが、さして問題ある家庭とは思えない。が、物語は、いきなり
「にんじん、これからは毎晩、おまえが閉めに行くんだよ」
の衝撃的な兄弟差別からはじまる。『めんどり』での話だ。
にんじんの性格をどうみるか
 
この話は、夜になってお手伝いのお婆さんオノリーヌが閉め忘れた鶏小屋の戸を誰がしめに行くか、という話である。母親は、最初から「にんじん」を指名したわけではない。
「そうだったわ、あたしったら、なんて間が抜けているんだろう!」と、言いながらも、はじめは、まず年上の子どもから聞いている。兄と姉は、本を読んでいるふりをしているというズルさはあるが、ルピック夫人に、特別、「にんじん」虐待の意志があるとは思えない。末っ子の「にんじん」は兄や姉と比べると、ふだんのわんぱくぶりから暗闇など怖がらない、強い勇気ある性質とみたのかも知れない。その証拠に、「にんじん」は、断らない。本当に怖かったら、泣いてでも断るはずである。最近は子どもの数が減り、兄弟も少ないが、二人以上いれば、家庭内のいやなことは、要領の悪い方が引き受けることになる。『めんどり』では、「こいつには、こわいものなんかないさ」のおだてにのってしまうが。親としては、こんなとき、いつも誰を行かせるか頭を悩ますなら、あまり嫌がらない子にしておくのが無難である。そんなわけで、ニワトリ小屋の戸閉まりは「にんじん」ということになる。
 『めんどり』にみる「にんじん」は、要領の悪いお調子もの、といったところか。この話だけでみれば、母親の欠点は、用事を終えて帰ってきた「にんじん」をほめなかったところにある。面倒が勝ってほめるのを忘れてしまったところにある。以後、このボタンの掛け違いは、一話ごとに大きくなっていく。
「寅さん」になりつつある「にんじん」
 『しゃこ』も、似たような話である。誰でも、生き物を殺すのは好かない。これから食べる『しゃこ』ならなおさらだろう。それも瀕死の『しゃこ』なのだ。その点、兄や姉、ルピック夫人の反応は正常と思える。兄は、たとえ羽むしりは「それは男の子のすることじゃない」といわれようが、断固やらないだろう。が、「にんじん」はここでも、逃げることはない。損なことにも立ち向かう。にんじんは、そんな勇気ある子どもなのだ。が、その行為は他者の眼からは、なかなか理解されない。早くも『しゃこ』で、にんじんは、家族のなかで変わり者、外れ者になりつつある。 以下は次号
―――――――――――――――――― 3 ――――― 文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.178
第二回公判「剃刀職人客殺害疑惑事件」模擬裁判
休廷
  裁判長・・・・・・・・・・武田結香子   
弁護士・・・・・・・・・・春日菜花   
検 察・・・・・・・・・・杉山知紗    
証人 被害者家族・・・・・・・・・ 出席者  (春日)  
証人 お梅・・・・・・・・・・・・ 出席者  (杉山)  
証人 錦公・・・・・・・・・・・・ 出席者  (春日)  
証人 山田の女中・・・・・・・・・ 出席者  (杉山) 
証人 治太公・・・・・・・・・・・ 出席者  (春日)  
証人 源公・・・・・・・・・・・・ 出席者  (杉山)
                         ()内は、出席者無しの場合
休廷中、再認
事件推移 1909年10月24日午後10時24分頃、麻布四角交番へ近くの「辰床」の店主芳三郎(28)が客を殺したと自首した。勤番の山田巡査が「辰床」へ駆けつけると、客用椅子に所航太さん(23)が首から大量の血を流して死んでいた。死因は、出血死。凶器は、「辰床」の商売用の剃刀。遺恨なし。業務上過失致死と無差別殺人の嫌疑。
警察報告 警察で取り調べた捜査官からの報告。(事件感想と調書)
武田結香子捜査官
【事件評】
犯人はそんなにも意地を張りたかったのか、ということしか思わない。自分のプライドを傷つけたくがない為に、無茶をして、全てを失ってしまった哀れな男。
【容疑者調書】
俺には仕事に誇りを持っていた。これが俺にとっての天職だった。わずかの髭だって残さない。評判だってよかったんだ。具合が悪かろうと、道具の調子が悪かろうと、俺が失敗するはずがないんだ。気がついたら、あいつの首から地が溢れていたんだ。俺は殺してない俺が間違えることなんてないんだ。
春日菜花捜査官
【事件評】
いくら名人だといえども、病には勝てない。出来の悪い弟子のかわりに病気の身体に鞭打ち、自分で仕事を引き受ける。それは芳三郎の意地でもあり、客からの信頼に応えるためだったのだろう。神経質なほどきっちりしたいというのに、熱のせいで手が上手く動かない。かなりもどかしい思いだったはずだ。しかもそのせいで事故まで起こしてしまったのだから、余計決まりが悪い。
【容疑者調書】
何が起こったのか、全てが瞬き一つの間の出来事でした。
その日は流行り風邪をひいて、熱まで出ていたものですから頭が朦朧としておりました。
文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.178―――――――― 4 ――――――――――――――
けれどお客の足は止まりません。弟子二人は正直頼りがいがない。私がやらずして、誰がやれたでしょうか。熱のせいで手が動きにくい、そのせいで上手く剃ることが出来ない。何もかもうまくいかない状況に、嫌気が差しました。
男の喉に赤い珠が浮かんだ瞬間、今までの客の顔が浮かびました。一度も傷つけたことなどなかったのに、何が起こったのか訳がわからなくなり、気付けば男の喉仏に剃刀をつき立てていました。全てが疲労感に襲われ、私はそこで気を失ったのです。
開 廷 裁判再開
裁判長  それでは開廷いたします。弁護人、休廷前の陳述に相違ないか。何か言い漏らし
たところがあったら、つけ加えてください。
弁護人  ありがとうございます。先程も申しましたが、事件は、弁解の余地はありません。
被告は、事件以来、後悔の念にさいなまれながらも深く反省し被害者のご冥福と
ご家族の皆様にお詫び申し上げる毎日であります。
     ただ事件に関しましては、風邪熱による体調不備と、素行の悪い奉公人のことで
の精神疲労、加えて、完璧な職人意識などにより、正常な精神状態を完全に欠い
ていました。それ故に、本事件は、職業上による過失致死罪に当たるのではと判
断致しました。よって、本件は実刑ではなく執行猶予付き判決と、当分の間の店
の営業停止を要求します。
裁判長  それでは検察の陳述をお願いします。初めに検察1(春日)からどうぞ
検察   はい。私共の捜査でわかっていることを申し上げます。まず被告は
(春日)他者に強いられた訳でもなく、自分の意思で殺したことを自覚している。それに被害者の首の傷はどう考えても作為的なものです。(被告の妻は)自分で殺したと言って、警察に行くのを見ております。そのときの被告は、足取りはしっかりしていたし、意識もハッキリしていた、と言っております。被告人の妻が証人です。
裁判長  被告人の妻、前に。
裁判長  いま、検察側が申したことは真実か。
お梅   は、はい。熱のために異常ではありましたが、確かに、殺したことについては、
自分でわかっていました。四つ角の交番へ悪びれることなく入っていきました。
お梅   (春日)とても仕事の出来る状態ではありませんでした。何度も止めたのですが、
あの人は聴く耳なんて持ってはくれませんでした。剃刀を磨ぎ損ねたときなんて、
肝が潰れたかと思うくらい吃驚したんです。泣いたって、聴いてはくれませんで
した。自分がやらなきゃ誰がやる。自分の仕事に誇りを持っていました。そのせ
いで変に意地を張ったんです。こんなことになると分かっていたならば、弟子二
人を使ってでも布団に縛り付けておけばよかった。
―――――――――――――――――― 5――――― 文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.178
検察  (春日)身に覚えがなければ動揺しているはず。
よって、精神状態を考慮しても懲役十年を求刑します。
裁判長  次に検察2(杉山)にお願いします。
検察2  はい、それでは私共の捜査を報告します。
     (杉山)近頃の被告は常に不満が募っていた。十年もの間、客の顔に傷ひとつつ
けたことのない腕を持ち誠実でいるはずが使いたちは言うことは聞かぬし風邪
を引き仕事が上手くいかずからの”八つ当たり”だったのだ。奉公人の証言をお
願いします。
裁判官  奉公人前に。名前は
錦 公  きんこうです。二年前から「辰床」で見習いとして働いています。
裁判長  近頃の被告は、どんな様子だったか。
錦 公  (杉山)ええ、親方には申し訳ありませんが、近頃はやっぱり苛ついていたと見
えます。それを仕事の出来でなんとかこらえていたような節はあります。
検察2  すると、こんどの事件は不満の爆発ということか。場所は室外と室内で違うが、
本質的には秋葉原事件と同じと思うか。
錦 公  へえ、よくわかりませんが、むしゃくしゃして起こした、そのように思います。
検察2  すると、相手は、(杉山)誰でも良かったということですね。違う客が被害者に
なっていた。その可能性もあったと思うのですね。
錦 公  へえ。
検察2  証言の通り、本件は不特定多数の人が被害者に成り得た事件です。
よって(杉山)これは通り魔殺人同等とみなし、禁固7年を求刑する。
裁判長  次は3人目の検察です。
検察3  (武田)つけてしまった傷は小僧どもがつけてしまうような二、三里のものだと、
自覚しているにもかかわらず、更に深く傷つけたのは許されることではない。
これが殺人でなければ、何が殺人といえますか。
被害者には、何の落ち度もありません。たまたまあの夜、近所にあった、あの店
に行った。ただそれだけなのに主人の気分で殺されてしまう。あたら23歳の身
空で理不尽に人生を終えさせられてしまった。そんなことが許されますか。被害
者青年の心ちゅうはいかに。また前途有望な息子を突然に失ったご両親やご家族、
友人たちの嘆きと怒りはいかばかりか。
裁判長!被害者家族、関係者の証言をお願いします。
裁判長  許可します。被害者関係者は前に。
文芸研究Ⅱ下原ゼミNo・178 ――――――― 6――――――――――――――――
被告人母親  (春日)素行は良くなかったかもしれません。いつでも遊んでいましたから。
でも親思いのとても優しい子でした。親の身からしたら、かけがえのない息
子です。跡取りです。こんな理由で奪われるなんて納得いきません。無期懲
役で、死ぬまで償ってもらいたい。
被告人母親  (杉山)ええ、ええ。あの子が亡くなっただなんて今もまったく信じられま
せん。あの子はあたしの次男坊で、人当たりが良くって友人も多い良い子で
した。それにお国のことも小さいときからよく考えていて、大きくなったら
兵隊になって人を守るんだって・・・そんないい子が。
被告人母親  (武田)あの子はこれからが一番楽しいところだったのを一瞬にして、奪わ
れたのです。人間として成長し、まだ芽吹いたばかりのところを踏みつぶさ
れたのです。最近は遊びに行くことも増えてはいましたけれど、仕事も、一
生懸命取り組む、優しい子だったんです。
検察     被害者は、親思いのやさしい前途ある若者でした。何故に床屋で殺されなけ
ればならないでしょうか。被告と言い争うようなことがあったでしょうか。
被害者は、はじめて入った店で、しかも店にいた被告の妻、奉公人の証言で
は、上機嫌だったといいます。何一つ落ち度のない若者を、その日の自分の
感情だけで殺した。被害者は通り魔にあったようなものです。いや、通り魔
よりたちは悪いと思います。通り魔なら、警戒心を持って歩くこともできま
しょう。が、被害者は、まったくの無防備で椅子に横たわっていたのです。
被告を完全に信頼しきっていたのです。そんな若者を殺害するのは、容易い
ことだったでしょう。被告は客の信頼をも裏切ったのです。本来なら、その
情け知らずの残忍の犯行と親思いの被害者の前途を鑑見て、被告人に死刑を
求刑したいところですが、病気と心労があったということで、無期懲役を求
刑します。
裁判長   弁護人からの反論は。
弁護人1  (春日)被告人は生真面目で、良い加減なことはしない人です。風邪や弟子の
ことで相当精神疲労していました。そのため、適切な判断と処置が行えなかっ
たのです。
弁護人2  (杉山)あの時の被告人は、インフルエンザでありました。正常な判断などで
きる状態でなく、手が震えるほどであったのからもあきらか。
弁護人3  (武田)彼は高熱だったのにもかかわらず、店に立ったのです。これは、まだ
未熟なこの職人のために、店の主としての責任を持っていたのです。
弁護人   風邪熱と心労、加えて生真面目性格が加担し、被告をその瞬間だけ心神耗弱、
あるいは心神喪失状態に陥れた。その結果の事故とみるのが客観的判断ではな
いかと思います。そのことを証明するため、部外者の証言をお願いします。
裁判長   よろしい。店の関係者以外の証人は、どうぞ。
山田の女中 山田で女中をしております。
―――――――――――――――――― 7 ――――― 文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.178
裁判長  あの日、「辰床」にはいったのか。
女中   はい、お昼ごろ行きました。旦那さまが、明日の夜、旅行に行くので剃刀の砥ぎ
を頼まれました。
裁判長  そのときの被告はどうであったか。
女中   お店は、混んでいて、小僧さんから「明日では」といわれました。が、どうして
もと頼むと、奥の方で親方の「兼、やるぜ!」と叫ぶ声がしました。いつもと声が違うので、なんとなく風邪でもひいているのかと思いました。それで、少し心配になりました。
裁判長  で、剃刀は、砥いでもらったのか。
女中   用事の帰りに寄ってみると、できているというので、もらって帰りました。その
とき、親方は、風邪で寝ていたと聞きました。主人に話すと「珍しいことがある
もんだ」と言って試しに使ってみました。
裁判長  剃り具合はどうであったか。
女中   あまり切れなかったようです。主人が申すには、「このところ大忙しのようだか
ら、砥ぐ手に狂いができたのではないか。親方に一度使ってみてもらえ」と、こ
とづかりました。「辰床」さんは、疲れていたんです。それで、あんな事故を起
こしてしまったのです。
裁判長  これで検察、弁護側の陳述は終わります。陪審員は、私見を述べてください。
春日陪審員 自分で殺したと、しっかり自覚しており、意識混濁の様子もない。何より傷口
の形状から偶発性はありえません。よって被告人は有罪でしょう。精神状態を考慮しても、行なった事実は明らかです。
武田陪審員 どんな理由があろうと、人を殺したことに間違いはないから有罪にすべき。
杉山陪審員 仕事の出来でこらえていたのならば、普通ならなおのこと、今は無理だと分か
るはず。その判断すらもままならぬがやはり精神的に問題だったのだ。同情は
したいが、人殺しは人殺し。しかしやはり殺人でなく業務上過失致死。
裁判長   (春日)被告人を懲役十年に処す。
裁判長   (武田)まったく殺す動機がなかったとしても一人の命を奪ってしまったこと
に変わりはない。よって判決は有罪、懲役5年の実刑判決。
裁判長   (杉山)目に見えて明らかならば被害者、周囲の人々にも業務上過失致死で6
年。(実刑)正常な判断が下せぬにしても、やはり誇りを持っていた仕事なら、こういったこともしっかり向き合うべき。
判決  よって被告人を懲役10年(春日)、5年(武田)、6年(杉山)に処する。      
文芸研究Ⅱ下原ゼミNo・178―――――――― 8――――――――――――――――
ノンフィクション劇場  おんぼろ町道場奮戦記
土壌館物語
平成十年(1998)一月十五日の早朝、私は目を覚ますとすぐに窓を開けた。昨夜、テレビの天気予報は関東地方に大雪注意報をだしていた。はたして団地の五階から見る外の風景は、白一色の雪景色だった。昨夜のうちから降り出したのか、相当に積っていた。そうして雪は、いまも視界がきかぬほど、降りしきっていた。牡丹雪だった。
まずい道場がつぶれる!私は、急いで、ジャンパーを引っ掛けると、団地の階段を駆け下りて雪の中に飛び出していった。
道場は、我が家から自転車で、七、八分、徒歩で十数分の距離の所にあった。いつもは自転車だが、このときは、雪が二十㌢近く積もっていたので歩いて行く他なかった。休日で早朝の、しかも大雪の住宅街は、無人の街のようだった。ただ雪だけが、あとからあとから降っていた。コウモリ傘は、すぐに重くなった。私は、払いながら進んだ。こんなに降っていては、もう道場はつぶれているのかも知れない。そんな不吉な予感に襲われた。が、歩を速めても雪のせいで思うようにすすめなかった。私は、もどかしい気持ちで歩いていった。角を曲がると道場が見えた。民家の間にある見るからにみすぼらしい木造平屋建ての道場は降りしきる雪のなかに懸命に建っていた。大丈夫だった。私は、ひとまずほっとした。が、すぐに、つぶれるのは時間の問題か、と思った。トタン屋根に降り積もった雪の重みで、道場全体が歪んでいたのだ。
道場に入ると、降雪被害は一目瞭然だった。天井は、あちこちが破れ、雪解けの水がそこかしこに滴り落ちていた。壁のベニヤ板は膨らんだり、ねじれたりして、あちこちが破損し、そこから雪が吹きこんでいた。まるで廃屋のような道場内の光景に私は慄然となった。
これ以上積もったら、確実に道場はつぶれる。なんとかしなければ。そんな危機意識に煽られたが、焦燥するばかりで実際は、何をすればよいのかわからなかった。私は、玄関の土間に茫然自失となって立ちつくした。
とにかく屋根の雪を下ろさなくては。私は、のろのろと行動を起こした。隣家の庭に入らせてもらい、そこからはしごをかけて上った。ゆるやかな傾斜の屋根には、すでに相当に雪が積もっていた。早くなんとかしなければ。私は気が急いた。が、屋根にあがるわけにはいかない。せめてひさしの辺りの雪でも、と、物干し竿で作った雪かきで雪を書き落とした。だが、後から後から降り続く雪に、まったく無駄な抵抗のように思えた。しかし、私にできる対策は、雪下ろしをすることしかなかった。
雪はかいもかいても後から後から降り積もった。軍手の中の手は感覚なかったが、私は雪下ろしの手を休めなかった。どれだけ過ぎたろうか。
「父さん」
不意に下で呼ぶ声がした。見下ろすと息子の良太が立っていた。
「おう、手伝いにきたのか」
私は、うれしかった。二人でやれば、だいぶ雪が下ろせるかも知れない。「交代でやればなんとかなる」私は喜んでたずねた。
が、息子の返事は
「母さんが、やめろと言ってた」だった。
「バカいえ!」私は怒鳴った。「はしごを抑えてろ」
―――――――――――――――――― 9 ――――― 文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.178
「ほんとに、母さんが危ないからって・・・」
良太は、そう言いながらも渋々、はしごを押さえた。
私は、屋根の雪をかきつづけた。手が疲れてくると私がおりて、良太が昇って雪をかいた。しばらくして、私は今日は、息子にとって重大な日だったことに気がついた。大雪騒動ですっかり忘れていた。
「今日は、成人式じゃないか !」私は、大声で叫んだ。
「そうなんだけど・・・」
「もういいお前は行け」と良太をかえした。
「おれ、もう知らないからな」良太はそう言い残して雪の中を帰っていった。
市民ホールかどこかの箱物で開く成人式に出席するらしかった。
 一人になった私は、はしごをのぼっていってなおも屋根の雪をおろしつづけた。雪は、容赦なく降り続いていた。周囲が見えなかった。もう道場は潰れるしかない。
わたしは半ばあきらめながらも、それでも雪を掻きつづけた。手がかじかんできた。頭がぼんやりしてきた。降りしきる雪のなかでこの道場にはじめて来たときのことや引き継ぐことになった今日までのことが次々と思い出された。
息子の入門
良太が小学一年生になった日。入学式が終った後、家族全員で道場に行った。二年前、
東京の品川から越してきた。散歩しているとき偶然、通った住宅街の道筋に柔道の道場を見つけた。トタン屋根の掘立小屋が、住宅街の民家の間に建っていた。
「講道館柔道練習所」「望月道場」古びた二つの板看板がかかっていた。こんなところにオンボロながら柔道の町道場がある。いまどき町道場は珍しい。生徒募集の貼り紙があった。「ここに通ってみるか」と、良太に聞くと「うん」と頷いた。そんなことで、小学校に入ったら入門させることにしていた。
道場主の家は近くにあった。訪ねてみると、お婆さんが出てきた。道場主の母親だろう、と想像しながら用件をつげると彼女は家の中に向かって
「先生、先生」
と、呼んだ。
 ごそっと物音がして、小柄のご老人がでてきた。白髪で、耳がやけに大きい。こちらも多分、道場主の父親かなにかだろうと思っていると、老人は、大きな目でじろりと見ると言った。
「入門ですか」
 そのとき望月由太郎先生は、すでに七十七歳であった。柔道をおしえられるだろうか。そんな心配がよぎった。はたして、その心配は的中した。
 私は良太を送っいったとき、ときどき外から練習を見物した。そのころ十人くらいの子どもが習いにきていた。私の他に二三人の子の親が迎えがてら見にきていた。
望月先生の教えかたは厳しかった。礼儀もうるさく注意していた。そのころ生徒は小学生だけであった。子どもたちは先生の前では緊張しているようにみえた。見学の親たちも「やはり礼儀がよくなっていいです」と話し合っていた。が、しばらくしてあることに気がついた。子どもたちの態度のよさは表面上だけだった。望月先生がちょっとでも目を離すと、一気にたががはずれたようにふざけあっていた。これもかれも先生がお年で、体で柔道を教えていないせいと思われた。「やっぱり、じかに指導
―――――――――――――――――― 11 ――――― 文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.178
してくれる人がいないと無理だねえ」
迎えにきた親たちとこんな会話をかわすようになった。
 私は、柔道経験はあったが、そのころは、もう柔道は卒業した。柔道着を着ることはないと思っていた。が、稽古に熱が入らない子どもたちをみているうちに、私も一緒にやってみようという気持ちになった。大人が一緒にやれば子どもたちもやる気になるのではないか。息子のためにも、自分の健康のためにも、やってみようと思った。
 私は、押し入れから柔道着を引っぱり出し道場に入っていった。
道場で、私が一緒に受身をはじめると、子どもたちは、大喜びした。大人が一緒に練習をするのが、よほどうれしかったようだ。私が昔取った杵柄で、回り受身や、飛び込み受身をやってみせると驚いた。道場主の望月先生からは、これからもやってくれるよう頼まれた。その頃、私はフリーライター開店休業中だったので、引き受けることにした。
 次の日から、私はボランティアで子どもたちの指導をすることになった。昭和五十九年五月のことであった。
心もとない柔道歴
 いらぬ節介から、柔道の町道場で師範代としてボランティアをはじめることになった私だが、私の柔道歴は、心もとないものだった。
 私の柔道歴は、およそこんなところである。
一九六五年四月に神奈川県藤沢市にある石井道場に入門。これが、私の柔道経験
のはじまりだった。十八歳のときである。同じ年、東京世田谷にある日大農獣医学部柔道部に入部。一番最初の試合は、水道橋にある経済学部道場で行われた学部対抗試合で歯学部四年生と当り、寝技で一本負けした。最初の勝ち試合は野方にある警察学校との試合で背負いでの一本勝ち、と記憶している。大学で稽古する傍ら、バイト先の毎日新聞社の柔道クラブに所属、丸の内警察の道場にも通っていた。大学三年の夏、学園紛争で、校舎は閉鎖された。授業がなくて学生たちは困ったが、運動部の学生たちも困った。暇になった。
私は、柔道着ひとつ持って日本をとびだした。いろんな国の道場をまわりながら柔道が盛んなフランスまで、行ってみようという計画だった。オランダのヘーシンクの道場で柔道ができれば。途中、国に帰って道場を開くというスイス人の青年と一緒だった。カンボジアのプノンペンに講道館から派遣されていた柔道家がいた。警察、軍隊、フランス人相手に柔道を教えていた。O・T先生は、たった一人で外地にいたこともあって、私が現れたことを大層喜んでくれた。柔道はめっぽう強かったが、大酒飲みが玉に傷であった。メコンの河岸にあるダンスホールで酔って大暴れして、何人もの警官を投げ込んだという武勇伝をもつていた。夕方になるとO先生の運転するバイクの後ろに乗って、各道場を回った。日本人はめずらしいので、休む暇ないくらい稽古をした。私はずっとプノンペンに留まってもよいと思ったが、一九七0年のクーデター騒ぎで出国した。帰国したあと、再度プノンペン入りを窺がっていたが、内乱は広がるばかりで、結局は断念することになった。その後、私は、業界紙記者になったが、週に何日か講道館で汗をかいた。業界紙記者を辞めたとき、柔道とも縁を切った。それが、息子が小学校に入学して、再び柔道をはじめることにしたのである。なんとも心もとない柔道歴だが、これも因縁である。
私を支えていたのは、柔道の創始者嘉納治五郎の柔道理念だった。   つづく
文芸研究Ⅱ下原ゼミNo・178―――――――― 12――――――――――――――――
ゼミ雑誌『旅路報告』作成経過
ゼミ誌は、ゼミ一年間の成果の証です。全員で協力して完成させましょう。テーマは、日常です。掲載作品は、課題から「車内観察」「何でもない一日」、自由創作です。
ゼミ雑誌編集長 → 武田 結香子さん  
ゼミ誌副編集長 → 藤塚 玲奈さん  
      ゼミ誌編集委員 → 他ゼミ員全員
Ⅰ ゼミ雑誌作成進行報告
   5月25日 ゼミ誌ガイダンス 武田編集長
5月29日 武田編集長より提案。自由創作も視野に
6月 6日 モチーフ『日常』、内容=課題・自由創作 頁300(一人20枚)
      業者=藤原印刷 写真・図案は無し
6月13日 ゼミ誌内容欠席者にメール、5名返信、武田報告
6月20日 題、レイアウトについて 
6月27日 題公募
7月4日 題「旅路報告」に決定
10月3日 表紙デザイン決定
10月17日 自由創作希望者7名 提出5名
Ⅱ. ゼミ誌原稿、最終締切日10月24日(月)
Ⅲ. ゼミ雑誌の納付日は、2011年12月15日です。厳守のこと。
  ゼミ雑誌発行申請書】【②見積書】【③請求書】
1.【①ゼミ雑誌発行申請書】所沢/出版編集室に期限までに提出 完了
2. 6月6日ゼミ雑誌題・型・頁・業者・内容(案)決まる。  完了
3. 10月24日、ゼミ誌原稿最終締め切り。
4. 印刷会社を決める。藤原印刷に決まる。レイアウトや装丁は、相談しながらすすめる。
5.【②見積書】印刷会社から見積もり料金を算出してもらう。
6. 11月半ばまでに印刷会社に入稿。(芸祭があるので遅れないこと)
7. 雑誌が刊行されたら、出版編集室に見本を提出。
8. 印刷会社からの【③請求書】を、出版編集室に提出する。
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編集室便り
  住所〒274-0825 船橋市前原西6-1-12-816 下原方
  メール: TEL・FAX:047-475-1582  toshihiko@shimohara.net
提出原稿は、メール、FAXでも受け付けます。(送信でもらえると二度手間と間違い打ちがなくなるので助かります)
ゼミ評価は、以下を基本とします。
出席日数 + 課題提出(ゼミ誌原稿)+α = 100~60点(S,A,B,C)
テキスト・志賀直哉『兒を盗む話』
尾道幼女誘拐事件
                       名前
【事件の推移】について書いて下さい。客観的に「どんな事件か」
【容疑者の調書】を創作してください
【検察の陳実】を作成してください。被害者の言い分を
【弁護側の陳実】を、なんとかして無罪の勝ち取りを
【証人の証言】検察の立場から(何人でも)
【証人の証言】弁護側(何人でも)
【裁判員としての私見】自分が裁判員だったらを考えて

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