文芸研究Ⅱ 下原ゼミ通信No.179-2

公開日: 

日本大学芸術学部文芸学科     2011年(平成23年)11月7日発行
文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.179
BUNGEIKENKYU Ⅱ SHIMOHARAZEMI TSUSHIN
                             編集発行人 下原敏彦
                              
9/26 10/3 10/17 10/24 10/31 11/7 11/14 11/21 11/28 12/5 
12/12 1/16 1/23
  
2011年、読書と創作の旅
11・7下原ゼミ
11月7日(月)の下原ゼミは、下記の要領で行います。ゼミ2教室
1. 通信179配布 出欠 連絡事項「前回ゼミ」報告
2. ゼミ雑誌作成経過報告  課題提出   司会進行指名
 
 3. 家族観察『にんじん』口演で「にんじん」家族解明に挑戦。
4. 模擬裁判「尾道誘拐事件」「太陽のせい殺人事件」など
    
藝祭明けに藤原印刷と交渉
ゼミ誌『旅路報告』作成計画 12・12刊行を目指して順調
 ゼミ誌『旅路報告』作成に見通し、と武田編集長報告。編集作業は、原稿提出で順風満帆とはいかなかった。が、現在まで12名の原稿が、出揃った。ゼミ誌はこの12名で刊行することに決定。藝祭明けには印刷会社と交渉に入る。作業に当たったのは、武田編集長を中心に、春日編集委員、杉山編集委員の3名。当初は、全員参加のゼミ誌づくりだったが、それぞれに予定がつかない2011年だったようだ。それだけに不安もあった。が、10・31の報告で締切日に納入できる可能性がより強くなった。ご苦労様です。
モーパッサンの名作を読む
 先週は、模擬裁判関連でモーパッサン(1850-1893)の短編『狂人』を読んだ。面白い短編作品を書ける小説家は世界広しといえど、そうはいない。サキ、O・ヘンリー、『猟人日記』のツルゲーネフ。チェーホフと枚挙はないが、人間の本質を簡潔に描くことや、物語のまとめのうまさにおいてモーパッサンに勝る作家はいない。文豪の作家活動は30歳から40歳までの、たったの10年間だが、そのあいだに360編にも及ぶ短編、中編を書いている。他に7巻の長編、3巻の旅行記、2作の戯曲、詩集1冊などがある。
第二回 剃刀職人客殺人疑惑事件裁判、結審
 第二回公判の「床屋客殺人疑惑事件」の模擬裁判は、先週、結審した。裁判は、休廷明けの弁護団の陳述からはじまった。無差別殺人として無期懲役を要求したのに対し弁護側は、職業上の過失致死として、執行猶予つき有罪刑を押し出して論戦した。結果、武田裁判長は、


「よって、この事件は有罪とし、懲役6年とする」で結審した。
「尾道幼女誘拐事件」を読む(テキスト『兒を盗む話』)
文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.179―――――――― 2 ―――――――――――――
車中観察 
幼馴染と携帯
杉山 知紗
向かいのホームに、懐かしい顔が見えた。小学校で別れたきりの友達だ。うんと長かった髪は短くなっていたのは、肩に掛けられたテニスバッグですぐに納得した。向こうはまだこちらに気付いてはいない。
 彼女は携帯を両手で握り、難しい顔をしていた。昔からそんな表情をしばらくしていると唇が突き出て眉間にしわを寄せ始めるのが癖だったのだけれど、今でもそれは同じようだった。思わずくすりと来る笑いをごまかすように、つられて携帯を取り出した。何をするということはない。ただ携帯を言い訳に、何度か画面を通り越して彼女を見ていた。メールを待っているのか、何か問題でもあったのか。表情は変わらぬままで、唇はどんどん鋭くなる。
 いずれどちらの電車もやって来た。結局彼女は一度もこちらを見ることはなかった。それが寂しくもあったけれど、気付いてもらう術なんていくらでもあったのにやらなかったのは私だ。胸を張って、あの頃の私より成長した自分を見せられる自信なんて、なかったのだ。携帯をポケットに戻して、車両に乗る。彼女も携帯から視線を離さずに乗るから危なかった。窓越しに吊革を掴もうとして一度空をつかむのまで見て、私はまた一人笑ってしまいながら席に座る。
 やがて電車が動き出したとき、ようやく彼女は顔を上げた。こちらの車両を見てはいたが、目が合ったかどうかは分からない。しかし、密やかに笑っているように見えた。メールが来たか、解決したか。なんとなくほっとした私の携帯が震える。
「久し振り ぼんやりしてるとき口ぽかーんって開けているの 変わってないね ばーか」
 メールを読み終えて、はっと顔を上げても彼女がいるはずもなく景色が流れていくだけだ。私は何度かメールを読み直した後、返信を打つ。
「久し振り うるさいよ あんたも眉間にしわ寄せたり唇突き出すのやめなよ ばーか」
 推敲のち、メールを送る。
「久し振り うるさいよ あんたも唇突き出したりしておあいこだよ ばーか」
 そして、携帯をしまう。
□成長した幼友達、面と向かって声をかけるのは、どこか恥ずかしい。でも、メールはお互い昔のまま。ほろ苦くも懐かしい青春の一断面。そんな普遍の深層心理描写いいですね。
ある一日の記録 土壌館日誌
秋季市民柔道大会の一日
 11月3日、秋季市民柔道大会が開催された。私の町は郊外の50万都市。柔道の競技者は子供から大人まで350人くらいか。土壌館は毎年参加している。が、今年は、練習生激減で少なかった。いまどきの子どもは野球、サッカーなどあって忙しいのだ。朝、8時、私鉄の駅で、保護者と行かない小学生二人を待つ。電車を乗り継いで会場の武道センターに8時40分に着く。監督の大学生は、先に来て待っていた。審判の師範代の先生も参加。
9時30分大会がはじまった。総理になった野田さんは、市内の高校柔道部OBということで、春の大会まで毎回、律義に顔をだしていたが、むろんもう来れないし、来ることはないだろう。秘書が挨拶した。試合結果は、小学一年女子一回戦敗退、四年生一人が敢闘賞、五年生敗退、キャプテン六年生欠場。中高生善戦で、土壌館に関係する選手の成績はメダル無しだが敢闘賞5だった。大会が終わったのは午後4時過ぎ。
―――――――――――――――――― 3 ――――― 文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.179
家族観察『にんじん』子ども時代の謎に口演で挑戦
 家族観察として名作『にんじん』のなかで「子ども時代」をほぼ読み終わった。だが、なにかすっきりしない。いったい、この作品は何なのだろう。隣近所には、幸福そうに見える「にんじん」一家。しかし、末息子の「にんじん」の手記による家庭観察は、母親の「にんじん」いじめに尽きる。つまり3人の子どものうち末っ子の「にんじん」だけに母親が辛くあたる、いわゆる児童虐待作品なのだ。しかし、妙なのは、そのことで「にんじん」は、へこたれたり悲しんだりしていない。「どうしてボクだけが」と悩むこともない。そればかりか「にんじん」の行動がこの作品を明るい面白いものにしている。
 ジュナールの「にんじん」は世界的にも有名な作品ですが、この一家の謎は、いまだ解明
されていない。劇にもなり人気を博した作品だが、依然として謎のままである。下原ゼミでは、読み合うことで謎解きに挑戦しているが、より真相に近づくために読み終えた作品を
戯曲にしてみました。口演することによって、「にんじん」一家の謎が少しでも浮き彫りにできれば幸いである。(参加不足の場合一人2役で)Q&Aでは印の説明をしてください。
登場人物  5名 他1名(声)
 
末っ子にんじん ・・・・・・・・・・・・・・・・
母親ルピック夫人 ・・・・・・・・・・・・・・・
父親ルピック氏 ・・・・・・・・・・・・・・・・
兄フェリックス ・・・・・・・・・・・・・・・・
姉エルネスチーヌ ・・・・・・・・・・・・・・・
ナレーション ・・・・・・・・・・・・・・・・・
―― 一幕 ――
ナレーション
 夜の「にんじん」家の居間。兄のフェリックスと姉のエルネスチーヌはテーブルで本を読んでいる。にんじんは、テーブルの下で遊んでいる。ルピック夫人が入ってくる。
ルピック夫人  きっとそうだわ、またオノリーヌはニワトリ小屋の戸を閉め忘れたんだわ。
        フェリックス、おまえ、戸を閉めてきてくれるかい?
フェリックス  (本を読んだまま)ぼくがここにいるのは、ニワトリの面倒をみるためじ
ゃないよ。
ルピック夫人  だったらエルネスチーヌ、おまえどうだい?
エルネスチーヌ やだわ、お母さんたち、あたし、こわくって!
ナレーション  二人とも、読書に夢中のふりをする。ルピック夫人は、困り顔でおろおろ
するが、不意に妙案をえたのか手を打つてテーブルを見る。
ルピック夫人  そうだったわ、あたしったら、なんて間が抜けてんだろう!なぜ気がつか
なかったのかしら。にんじん、ニワトリ小屋を閉めにいっておいで!
ナレーション
(ルピック夫人は、末の子に「にんじん」という愛称をつけている。髪が赤く、顔はそばか
文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.179―――――――― 4 ――――――――――――――
すだらけだったからだ)にんじんはテーブル下からおずおず顔をだす。
にんじん    でも、お母さん、ぼくだってこわいよ。
ルピック夫人  なんですって ? 大きなくせに ! 冗談をいうんじゃないよ。さあ、
早くおゆき!
エルネスチーヌ 知ってるわよ、お羊みたいに大胆なくせに!
フェリックス  こいつには、こわいものなんかないさ。こわい人だっていないもの。
ナレーション  おせじに、にんじんは得意になる。臆病な心と戦う。ルピック夫人は元気
づけるために叱る。
ルピック夫人  にんじん、行かないと平手打ちだよ!
にんじん    い、行くよ。だったら、あかりぐらいは照らしてね。
ルピック夫人  とんでもない。さ、早く行っといで。
エルネスチーヌ 私、あかり持っていてあげる。
ナレーション  彼女はついてきて廊下の端に立った。
エルネスチーヌ ここで待っているわ。
ナレーション  しかし、強い風があかりを消してしまうと、急に恐ろしくなって逃げる。
不意に真っ暗になった庭をにんじんはへっぴりごしで歩いていった。
にんじん    静かしろよ。 ! ぼくだだぜ!
ナレーション  彼は戸を閉め、一目散で居間に逃げ帰ってくる。兄も姉も、素知らぬ顔で
読書している。母親は、にんじんをみる。
ルピック夫人  にんじん、これからは毎晩、おまえが閉めに行くんだよ。
――― 二幕 ―――
Q.一幕を観て、この一家をどう思ったか。
A.①ふつうの家族     ②なにか変
Q.何か変なら、誰が
A.①兄が   ②姉が   ③母親が
Q.母親が変なら、彼女のどこが?
A.①子どもを平等にみていない   ②怒りっぽい性格が
Q.にんじんは、これを書いて、何を言いたかったのか
A.①損な役回りの自分  ②自分の勇気。  ③母親の専制
 
 ③母親に嫌われているところをみせるため。 ④たんに一家のある夜の風景
―――――――――――――――――― 5――――― 文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.179
Q.「にんじん」について、どう思う (『めんどり』のこの作品で)
A.①へんな子ども   ②ふつうの男の子   ③かわいそうな子  ④嫌な子
――― 三幕 ―――
ナレーション  「にんじん」家の台所。父親のルピック氏、夫人、兄のフェリックス、姉
のエルネスチーヌ一家総出で『しゃこ』の料理をはじめている。
        『しゃこ』(やまうずら)ルピック氏が今朝、猟に行って獲ってきた。
         テーブルの上に獲物の二羽の『しゃこ』を袋からだす。二羽は手傷を
うけただけで、まだ生きていて、バタバタしている。
ルピック夫人  フェリックス、おまえは石盤に、獲物の数をお書き。エルネスチーヌは、
羽むしりよ。「にんじん」おまえは、殺しの役目。しっかり殺しよ。今日
の一番の特権だよ。
にんじん    (小声で)ぼく、いやだなあ・・・・
ナレーション  「にんじん」は、嫌がりながらも、なぜこの役目をいいつけられたのか考
える。そして、以下の結論に達す。自分が血も涙もない心の持ち主で、万
人周知の冷酷さをもちあわせているからだ。
しかし、やっぱり嫌だ。それでのろのろしている。
ルピック夫人  なぜ早く殺(や)ってしまわないんだい?
にんじん    お母さん、ぼく、石盤書きのほうにしてほしいよ。
ルピック夫人  石盤はおまえには高すぎる。
にんじん    それなら羽むしりがしたいな。
ルピック夫人  それは男の子のすることじゃないよ。
ナレーション  にんじんは2羽のしゃこを手にとる。
ルピック夫人  ほら、そこで締めて。
エルネスチーヌ そう、頸のところを、羽を逆さにして―――。
ナレーション  にんじんは二羽つかんではじめる。
ルピック氏   一ぺんに二羽か、驚いたやつだな!
にんじん    はやく片づけたいもの。
ルピック夫人  神経質ぶるんじゃないよ。心のなかじゃ楽しんでいるくせに。
ナレーション  しゃこは、暴れる。ぜったいに死にたくないのだろう。にんじんは、手こ
ずって、怒りだす。者この足をつかんで、靴で頭を蹴とばす。頭蓋骨が砕
けてしゃこは動かなくなる。
フェリックス  驚いたな!情け知らずめ!
エルネスチーヌ なさけ知らず! 情け知らず!
ルピック夫人  手際のいいつもりなのさ。ああ、かわいそうなもんだね。あたしがこんな
ふうにかきむしられるんだったら、ああ、考えただけでもぞっとするよ。
文芸研究Ⅱ下原ゼミNo・179 ――――――― 6――――――――――――――――
ルピック氏  とても見てはいられん。外の空気を吸ってくる。
にんじん   終わったよ!
ルピック夫人 これじゃ汚らしくってしょうがない。
フェリックス ほんとうだ、いつもよりうまくできなかったな。
なんとも、そうぞうしい「にんじん」家の台所風景だが、ここでみえるものは何か。
Q.この作品の感想
A.①ひどい家族   ②普通の家族   ③腹の立つ家族
Q.ひどい話なら、どんなところが
A.①殺し屋をにんじんに押し付け親   ②にんじんの殺し方
Q.殺し屋の役目は不当か
A.①不当でない   ②不当だ    ②べつに問題ない
Q.不当でないなら、その理由は
A.①にんじんしかできないから  ②石盤書きと羽むしりは無理だから
Q.「しゃこ」の状況なら、あなたはどんな役目
A.①早くらくにしてやりたいので殺し屋  ②石盤書きが楽なので石盤(つまらない仕事)
  ③羽むしり(これも、すぐあきるしごと) 
 一見、「にんじん」だけが損な役回りにみえるが、兄も姉もほんとうはやりたくて仕方がない。でも、怖いのと臆病で、できない。そんな推察もできます。
―― 四幕 ――
ナレーション  裏の畑で、兄のフェリックスとにんじんがつるはしを使って畑仕事をして
いた。二人は近過ぎた。兄が振り下ろしたつるはしの先がにんじんのひた
いを一撃した。血が吹き出たのをみて気の弱い兄は、気絶した。部屋に運
び込まれ大騒ぎとなる。ペットに寝込んだフェリックスをルピック氏、ル
ピック夫人、姉のエルネスチーヌが心配そうにのぞきこんでいる。額の傷
を布でまいた「にんじん」も皆の後ろからのぞきこんでいる。
ルピック氏   塩はどこだ。
ルピック夫人  よく冷えた水を少しおくれ、このこめかみを冷やしてやらなきゃあ。
ルピック氏   (振り向いてにんじんに)えらい目にあったなあ。
エルネスチーヌ バターをくり抜いたみたいだわ。きずのところ。
ルピック夫人  おまえ、注意できなかったのかい。バカな子だね。
Q.皆が「にんじん」の傷を心配しないのは、なぜ?
A.①にんじんは肉体的・精神的に強いから   ②潜在的に嫌われているから
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Q.この話の感想
A.①にんじんがかわいそう    ②ユーモア話     ③よくある家族の話
―― 五幕 ――
ナレーション  朝のにんじんの部屋。にんじんはベッドで朝寝坊している。ルピック夫人
が入ってくる。鼻をくんくんさせる。
ルピック夫人  なんて変な臭いがするんだろうね!
にんじん    (起きて)お早う、お母さん。
ルピック夫人  ちょっとおみせ!
ナレーション  ルピック夫人、にんじんのベッドからシーツをはぎとり、臭いをかぐ。
にんじん    ぼく、病気だったんだよ。尿瓶がなかったんだもの。
ナレーション  にんじんは、こういうのがおねしょをしたときのいちばんの言いわけだと
思った。が、図星だった。ほんとうになかったのだ。用意するルピック夫
人が忘れたのだ。
ルピック夫人  嘘つきもの!嘘つき。
ナレーション  ルピック夫人、あわてて部屋を飛び出していって尿瓶を隠しもってくると
ベッドの下にすべりこませる。そして、にんじんにピンタをくらわせる。
ルピック夫人  みんな、起きといで。こんな子どもをもつなんて、いったい、なんの巡り
合わせだろう?
にんじん    お母さん、ぼくベッドでスープ飲んでいい。
ルピック夫人  (怒りを押えて)しょうがないねえ、まったアホなこだよ。
ナレーション  ルピック夫人はスープわ持ってくると、おねしょのシーツのところに行っ
て、すくってスープ椀に入れる。それをにんじんに飲ませる。
ルピック夫人  ああ汚らしい、おまえは食べたんだよ、ほんとにたべたんだよ。それもじ
ぶんのやつをね。昨夜のやつをさ。
にんじん    そんなことだと思っていたよ。
Q.母親は、なぜ尿瓶を忘れたことを話さないのか。
A.①おねしょを叱るのに示しがつかないから  ②忘れたのが恥ずかしいから
Q.にんじんはおねしょをほんとうに飲ませられたように書いているが。
A.①おねしょおおすための方便   ②ほんとうに飲ませた   
Q.母親の行為をどう思うか
A.①異常だ   ②おねしょをなおすためには仕方がない 
文芸研究Ⅱ下原ゼミNo・179―――――――― 8――――――――――――――――
志賀直哉『兒を盗む話』初出 大正3年4月『白樺』
 先週、犯罪心理観察としてテキスト『兒を盗む話』を読みました。授業では、この作品を「尾道幼女誘拐事件」として模擬裁判にします。
文芸研究なので専門の法律知識に囚われないで自由に、自分自身の感性で考えください。狙いは、現在実施されている裁判員制度を知ることと、想像力を高める為です。一時に、容疑者になり、捜査官にもなり、検察官、裁判官、弁護士、証人にもなります。
尾道幼女誘拐事件
尾道署管轄 広島地裁取扱い事件
尾道署は、三日前届け出のあった幼女失踪に関して、民間機関と協力して捜査をつづけていたが、本日、午後三時、失踪していた幼女を尾道市内において無事保護した。幼女は、東京からきた無職男に軟禁されていた。よって本件は「尾道幼女誘拐事件」とし、一緒にいた男を逮捕した。容疑者は、ただちに管轄所内の取調室に連行された。
容疑者の目的は何か
本犯罪の目的は何か。幼女誘拐から、猥褻目的が第一にあげられる。第二に、寂しかったから。第三の営利目的は、幼女の家庭環境から考えにくい。まず、尾道署の最初の取り調べでは、男は、このように述べた。(草稿より)
【幼女誘拐事件・被告人の自白調書】
 
 私は五つになるその女の子を盗んだ。しかし三日目にもうあらわれて、巡査が二人と探偵らしき男が一人と、その後ろに色の浅黒い肉のしまった四十ばかりのその子の母親と、これだけが前の急な坂を登ってくるのを見たときには私は、苦笑した。そして赤面した。
 が、私はちょっと迷った。やはりできるだけの抵抗はやってみろ。いまもし素直に渡してしまうくらいなら最初からこんなことはしなくてもよかった。こう思うと急いで部屋の隅の行李(こうり)からから出刃包丁をだして、それを逆手ににぎって部屋の中に立った。そのとき女の子は次の三畳間でぐっすり寝込んでいた。
 しかし私は結局、出刃包丁を振り回すことはしえなかった。その気になれない。実際それほどの感情は出刃包丁をだすときから自分にはなかったのである。そして私は尋常に縄にかかった。女の子はそのまま母親に連れられていった。
 警察署での訊問は簡単だった。私はその女の子がどんなことを申し立てたか聞きたかったが、これは知ることができなかった。
 翌日、私はそこから汽車で3時間ばかりかかる県庁所在地の地方裁判所へ回された。それから3日目に私は法廷へ引き出された。そのときは私の経歴でも、仕事でも、また血統でももう大概向かうで調べてしまったらしかった。その結果は裁判官は、私は気違いと鑑定したらしかった。私は、初めの調べと一緒に健康診断を受けることになっていた。審問に対しては私は、なるべく簡単な答えで済まそうと務めた。
 裁判官は、繰り返し繰り返し私の盗んだ目的を聞いたが、私は同じこときり答えなかった。
「可愛く思ったからです。貰(もら)いたいといっても、もらえないと思ったからです」といった。
 若い医者も色々と聞いた。私は聞かれることだけにただ簡単な返事をした。
―――――――――――――――――― 9 ――――― 文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.179
 医者は、気違いではないといった。ただよほど烈しい神経衰弱にかかっていると報告した。
「烈しい神経衰弱というものが、こんな非常識なことをさせるものですか」と裁判官が聞いた。
「もちろん、いくらもあることです」
 こういう二人の問答からも、またいったいに裁判官や医者やその他の人々までも私に好意を持っているということが感じられた。少なくも普通の罪人に対するとはよほど変わった心持で調べているということがわかった。事件そのものに露骨な目的を持っていないこと、私にまったく悪びれた様子のないこと、それらが皆に好意を持たしたらしかった。
 私は裁判の結果を想像した。私は法律のことは知らなかった。しかしよく新聞などで見る示談とか、刑の執行猶予とか、そんなことだろうと思った。
 東京からは誰が来るか。父が来るか、叔父が来るか、それとも友達が来てくれるか。誰にしろ、この結果はきっと、そんなことにしてくれるだろうと思った。私はにぎっていた出刃包丁をついに振り回す気になれなかったように、この出来事もそれだけの結果で終わるだろうと思うと、罪せられるのを望むのではないが呆気ない気がした。
 東京を出る二ヶ月ほど前のことだった。私は私の最も親しい友達の一人と仲たがいをした。同時に私はある若い美しい女を恋した。
 初めてその女と会って1時間しないうちに私は珍しく何年ぶりで、甘ったるい恋するような心持になってきた。それは女が私に好意を持っていると思い込んだのも一つの力だった。
その席には親しい友達が3人いた。なかでも一番仲のよかった一人が、私のその心持を見ぬくことから、快くない気持の上の悪戯を私に仕掛けた。私はそれでその友に腹を立った。   その女を恋する心持とその友を憎む心持とが私の胸で燃えあがった。たんちょうな日を続けていた私にはそれがいい心持だった。
 私は三四日して一人でその女に会いに出かけた。私はそのとき美しいイリュージョン(幻影)を作っていった。ところがそれはその場で1時間しないうちに見事に打ち崩されてし
まった。苦しいが涼しいような快感があった。
 私は間もなくまた別の美しい女に出合った。美しい肉体をしてコケティツシな表情を持った女だった。ソーダー水に氷を入れて、それを電燈に透かしながら振ると風鈴のようないい音がする。女はそんなことをしながら度々それへ美しい唇をつける。そして仕舞いに飲み干す。で、酔えばいっそう美しくなった。襟から頬へかけていっそうに白くなった。それよりも眼が美しくなった。唇もいい色になる。だんだん調子が浮気っぽくなる。これも人を惹きつけた。
 私はこの女をとても補足しがたい奴と一人決めていた。私は三四度続けてあった。すると、案外補足しがたいという気がしなくなった。しかし結局は前の女でしたことを再びこの女で繰り返したに過ぎなかった。私はまた単調な生活に帰ってしまった。もう仲たがいした友達に対してもそれほどの怒りは感じられなくなった。何となくいらいらしながら物足らない心持で一日一日を無為に過ごしていた。(以下完成作品冒頭に続く)
(発表時の末尾)
 翌朝ぼんやりと障子の硝子越しに前の景色を見ている時だった。巡査や女の子の母親が前の坂道をこの方を見い見い登ってきた。母親は興奮からか恐ろしい顔をしていた。私には逃げようという気は少しも起こらなかった。私は赤面した。そして苦笑した。私はしまいまで進ませた出来事を途中で笑い出すようなことはことはしたくないと思った。私は出刃包丁を持ち出した。しかし、かって人の顔(あるいは犬でも馬でも)を真正面から殴った経験のない私には出刃包丁を逆手ににぎったものの、それで身がまえする気にはなれなかった。私は恐ろしく平凡な姿勢で出刃を持ったまま突立っていた。
 母親と女の子は抱き合って泣いた。母親は泣きながら激しく私を罵った。私は黙って立っ
文芸研究Ⅱ下原ゼミNo・179―――――――― 10――――――――――――――――
ていた。母親は娘を抱いたまま私の後ろにへきて、私の背中をドンと強く突いた。巡査がしきりとそれをなだめた。
 私は警察へ曳かれた。それからの経験は総て初めての経験であるが、私は学校時代に何かでこんな経験をしたような気がした。
  
 私には気違いじみた気分は少しもない。しかし裁判官がそれに近いものと解しようとするのを反対する気はない。
 私は多分近日許されてここをでるだろうと思う。それから私はどこへ行こう?やはり東京へ帰るより仕方がなさそうだ。もうあの町に行くこしはできない。東京へ帰らないとすれば、どうするだろう。私はまた同じような生活に落ちていかなければ幸せである。もし同じ生活が繰り返ってくれば私は今度は、更に容易に同じようなことを起こし兼ねないという気がするから・・・・・・・・女の子はどうしているだろう?
以上が、逮捕後、犯人が話した事件の動機・事件の推移・事件の顛末である。
【告訴・簡単な事件のあらまし】
 
 男が寂しさから通いつけの按摩の幼女を、買物途中の母親の目を盗み、言葉巧みに誘拐し、二日間連れ回したり、自宅に監禁した。幼女が帰りたいと泣いても無視した。動機不明。猥褻か、身代金目的、一時的な神経衰弱が考えられる。
課 題 次の事件について、検察の陳述と弁護側の弁論、裁判員の量刑を
「太陽せい」殺人事件模擬裁判(カミュ『異邦人』)
アルベエル・カミュ年譜
・1913年、アルジェリアに生まれる。労働者の家庭。父親は、早くに亡くなる。
・1936年、アルジェ市の国立大学哲学科を卒業。文学と演劇を目指して各種職業を。
・1940年、「パリ・ソワール」紙の記者としてパリに。ナチドイツの占領下に。アルジェに
      逃れ、私立学校の教師をしながら文学活動。
・1942年、『異邦人』が刊行。一躍文壇の第一線に。
・1960年、自動車事故で急逝。47歳。
『異邦人』について
 この作品は、評論集『結婚』や『表と裏』と共に、カミュのアルジェ期を形造る作品である。ここには、存在の「根源的不条理」とそれにも拘わらぬ「生への信仰」という二つのテーマが、フィナーレの主人公の絶叫へ向かって、次第に力強く盛り上げられる。主人公のあらゆる行為が、カメラという非情な眼と、極度に乾燥した文体とに描き出されていることにおいて、30年代の小説家(例えばモリャック)と異なり「不条理」の認識が、にも拘わらず「生への信仰」をともなうところに、『嘔吐』のサルトルと相隔たる。カミュにとって「生への絶望なしに、生への愛はありえない」と同時に「精神性がモラールを追放し、希望の全くの欠如から幸福が生まれ、精神が自らの理由を肉体のうちに認める瞬間にこそ、至上の智慧が在する」のだから。
                  1954月8月 訳者・窪田啓作
―――――――――――――――――― 11 ――――― 文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.179
HP見本「竹取り物語」  ホームページにあった模擬裁判です。
こちらは、子供のいない老夫婦が、竹ヤブで見つけた赤ん坊を勝手に家に連れて帰り自分の子どもとして育てた事例です。模擬裁判で判決を出してください。
老夫婦赤ん坊誘拐事件模擬裁判
【事件概要】
2011年5月10日、所沢市内在住の若夫婦は、長女「お玉」ちゃん(生後3カ月)を連れたピクニックに出かけた。夫婦は、秩父山麓の竹ヤブ付近で、休憩した。が、夫婦がちょつと目を離した隙に赤ん坊がいなくなった。二時間後、夫婦は秩父署に捜索願を提出した。秩父署は、地元消防団と管轄署員300名で、付近一帯を捜査した。が、発見できなかった。秩父署は、誘拐事件も視野に引き続き捜査を行うとともにビラを配布、情報収集にあたった。が、赤ちゃんの行方はようとして不明だった。8月15日、「近所の老夫婦の家に見慣れない赤ん坊がいる」との通報があり、捜査員が出向いて尋ねると、不明の赤ちゃんと判明した。
老夫婦の夫(80)は、5月10日、タケノコ採りに山に行った。竹ヤブに赤ん坊がいたので捨て子と思い連れ帰った。が、赤ん坊があまりにもかわいかったので、妻タケ(78)と相談して育てることにした。
この事件、老夫婦の罪は裁判ではどうなるか?
例・有罪の場合
被告 竹取の爺さんとその妻の婆さん
被告は幼女を竹やぶで発見し、そのまま3ヶ月に渡り自分の子供として育てた疑いがある。
これは、未成年者略取及び誘拐罪(刑法224条)に該当する。
よって、竹取の爺さん被告を
「懲役3年」
婆さん被告を
「懲役2年に処する」
例・無罪主張の場合の弁護
略取(りゃくしゅ)とは、暴行、脅迫その他強制的手段を用いて、相手方を、その意思に反して従前の生活環境から離脱させ、自己又は第三者の支配下に置くことをいう。誘拐(ゆうかい)とは偽計・誘惑などの間接的な手段を用いて、相手方を従前の生活環境から離脱させ、自己又は第三者の支配下に置くことをいう。
竹やぶの翁の行動は明らかに
「暴行、脅迫その他強制的手段を用いて、相手方を、その意思に反して従前の生活環境から離脱させ、自己又は第三者の支配下に置くこと」にも「誘拐(ゆうかい)とは偽計・誘惑などの間接的な手段を用いて、相手方を従前の生活環境から離脱させ、自己又は第三者の支配下に置くこと」にも当たらないため「未成年者略取及び誘拐罪」を適用するのは難しいと思われる。
「自分たちの子供として育てることにした」という記述も見られるため養子縁組を行ったものと思われる。よって無罪!
文芸研究Ⅱ下原ゼミNo・179―――――――― 12――――――――――――――――
ゼミ雑誌『旅路報告』作成経過
ゼミ誌は、ゼミ一年間の成果の証です。全員で協力して完成させましょう。
ゼミ誌は、目下ゼミ雑誌編集長・武田結香子さんのもと春日菜花さん、杉山知紗さんらの協力で入稿の段階まですすんでいます。  
Ⅰ ゼミ雑誌作成進行の軌跡
    5月25日 ゼミ誌ガイダンス 武田編集長
5月29日 武田編集長より提案。自由創作も視野に
6月 6日 モチーフ『日常』、内容=課題・自由創作 頁300(一人20枚)
      業者=藤原印刷 写真・図案は無し
6月13日 ゼミ誌内容欠席者にメール、5名返信、武田報告
6月20日 題、レイアウトについて 
6月27日 題公募
7月 4日 題「旅路報告」に決定
10月 3日 表紙デザイン決定
10月17日 自由創作希望者7名 提出5名
10月24日 原稿締め切り 12名提出 1名無し
10月31日 12名の原稿打ちとレイアウト
11月 7日
Ⅱ. ゼミ雑誌の納付日は、2011年12月12日です。厳守のこと。
  【ゼミ雑誌発行申請書】【②見積書】【③請求書】
Ⅲ.今後の作成手順
1. 印刷会社・藤原印刷と交渉と入稿。レイアウトや装丁は、相談しながらすすめる。
2.【②見積書】印刷会社から見積もり料金を算出してもらう。
3. 雑誌が刊行されたら、12月12日出版編集室に見本を提出。
8. 印刷会社からの【③請求書】を、出版編集室に提出する。
祝・杉山さんの作品第10回江古田文学賞を受賞 !!
10月15日に開かれた最終審査で、杉山知紗さん作『へびとむらい』が見事選出されました。おめでとうございます。
 受賞作品は、こんど刊行される『江古田文学 78』に掲載される。
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編集室便り
  住所〒274-0825 船橋市前原西6-1-12-816 下原方
  メール: TEL・FAX:047-475-1582  toshihiko@shimohara.net
提出原稿は、メール、FAXでも受け付けます。(送信でもらえると二度手間と間違い打ちがなくなるので助かります)
ゼミ評価は、以下を基本とします。
出席日数 + 課題提出(ゼミ誌原稿)+α = 100~60点(S,A,B,C)
テキスト・志賀直哉『兒を盗む話』
尾道幼女誘拐事件
                       名前
【被告の家族の証言】
父親の証言
母親の証言
妹の証言
【知人・友人の証言】
判決とその理由(主文)
老夫婦赤ちゃん誘拐事件模擬裁判
                  名前
【事件概要】
2011年5月10日、所沢市内在住の若夫婦は、長女「お玉」ちゃん(生後3カ月)を連れたピクニックに出かけた。夫婦は、秩父山麓の竹ヤブ付近で、休憩した。が、夫婦がちょつと目を離した隙に赤ん坊がいなくなった。二時間後、夫婦は秩父署に捜索願を提出した。秩父署は、地元消防団と管轄署員300名で、付近一帯を捜査した。が、発見できなかった。秩父署は、誘拐事件も視野に引き続き捜査を行うとともにビラを配布、情報収集にあたった。が、赤ちゃんの行方はようとして不明だった。8月15日、「近所の老夫婦の家に見慣れない赤ん坊がいる」との通報があり、捜査員が出向いて尋ねると、不明の赤ちゃんと判明した。
老夫婦の夫(80)は、5月10日、タケノコ採りに山に行った。竹ヤブに赤ん坊がいたので捨て子と思い連れ帰った。が、赤ん坊があまりにもかわいかったので、妻タケ(78)と相談して育てることにした。
起訴状(どんな罪で)
検察陳述 
検察の求刑は
弁護側の弁論(無罪を主張)
【裁判員としての私見】自分が裁判員だったらを考えて
ノンフィクション劇場  おんぼろ町道場奮戦記
土壌館物語
平成十年(1998)一月十五日の早朝、私は目を覚ますとすぐに窓を開けた。昨夜、テレビの天気予報は関東地方に大雪注意報をだしていた。はたして団地の五階から見る外の風景は、白一色の雪景色だった。昨夜のうちから降り出したのか、相当に積っていた。そうして雪は、いまも視界がきかぬほど、降りしきっていた。牡丹雪だった。
まずい道場がつぶれる!私は、急いで、ジャンパーを引っ掛け、家を出ると、団地の階段を駆け下りて雪の中に飛び出していった。
道場は、我が家から自転車で、七、八分、徒歩で十数分の距離の所にあった。いつもは自転車だが、このときは、雪が二十㌢近く積もっていたので歩いて行く他なかった。休日の早朝で、しかも大雪ときている。住宅街は、無人の街のように静かだった。ただ雪だけが、あとからあとから降っていた。コウモリ傘は、すぐに重くなった。私は、払いながら進んだ。こんなに降っていては、もう道場はつぶれているのかも知れない。そんな不吉な予感に襲われた。が、歩を速めても雪のせいで思うようにすすめなかった。私は、もどかしい気持ちで歩いていった。角を曲がると道場が見えた。民家の間にある見るからにみすぼらしい木造平屋建ての道場は降りしきる雪のなかに懸命に建っていた。大丈夫だった。私は、ひとまずほっとした。が、すぐに、つぶれるのは時間の問題か、と思った。トタン屋根に降り積もった雪の重みで、道場全体が歪んでいたのだ。
道場に入ると、降雪被害は一目瞭然だった。天井は、あちこちが破れ、雪解けの水がそこかしこに滴り落ちていた。壁のベニヤ板は膨らんだり、ねじれたりして、あちこちが破損し、そこから雪が吹きこんでいた。まるで廃屋のような道場内の光景に私は慄然となった。
これ以上積もったら、確実に道場はつぶれる。なんとかしなければ。そんな危機意識に煽られたが、焦燥するばかりで実際は、何をすればよいのかわからなかった。私は、玄関の土間に茫然自失となって立ちつくした。
とにかく屋根の雪を下ろさなくては。私は、のろのろと行動を起こした。隣家の庭に入らせてもらい、そこからはしごをかけて上った。ゆるやかな傾斜の屋根には、すでに相当に雪が積もっていた。早くなんとかしなければ。私は気が急いた。が、屋根にあがるわけにはいかない。せめてひさしの辺りの雪でも、と、物干し竿で作った雪かきで雪を書き落とした。だが、後から後から降り続く雪に、まったく無駄な抵抗のように思えた。しかし、私にできる対策は、雪下ろしをすることしかなかった。
雪はかいもかいても後から後から降り積もった。軍手の中の手は感覚なかったが、私は雪下ろしの手を休めなかった。どれだけ過ぎたろうか。
「父さん」
不意に下で呼ぶ声がした。見下ろすと息子の良太が立っていた。
「おう、手伝いにきたのか」
私は、うれしかった。二人でやれば、だいぶ雪が下ろせるかも知れない。「交代でやればなんとかなる」私は喜んでたずねた。
が、息子の返事は
「母さんが、やめろと言ってた」だった。
「バカいえ!」私は怒鳴った。「はしごを抑えてろ」
「ほんとに、母さんが危ないからって・・・」
良太は、そう言いながらも渋々、はしごを押さえた。
私は、屋根の雪をかきつづけた。手が疲れてくると私がおりて、良太が昇って雪をかいた。しばらくして、私は今日は、息子にとって重大な日だったことに気がついた。大雪騒動ですっかり忘れていた。
「今日は、成人式じゃないか !」私は、大声で叫んだ。
「そうなんだけど・・・」
「もういいお前は行け」と良太をかえした。
「おれ、もう知らないからな」良太はそう言い残して雪の中を帰っていった。
市民ホールかどこかの箱物で開く成人式に出席するらしかった。
 一人になった私は、はしごをのぼっていってなおも屋根の雪をおろしつづけた。雪は、容赦なく降り続いていた。周囲が見えなかった。もう道場は潰れるしかない。
わたしは半ばあきらめながらも、それでも雪を掻きつづけた。手がかじかんできた。頭がぼんやりしてきた。降りしきる雪のなかでこの道場にはじめて来たときのことや引き継ぐことになった今日までのことが次々と思い出された。
息子の入門
良太が小学一年生になった日。入学式が終った後、家族全員で道場に行った。二年前、
東京の品川から越してきた。散歩しているとき偶然、通った住宅街の道筋に柔道の道場を見つけた。トタン屋根の掘立小屋が、住宅街の民家の間に建っていた。
「講道館柔道練習所」「望月道場」古びた二つの板看板がかかっていた。こんなところにオンボロながら柔道の町道場がある。いまどき町道場は珍しい。生徒募集の貼り紙があった。「ここに通ってみるか」と、良太に聞くと「うん」と頷いた。そんなことで、小学校に入ったら入門させることにしていた。
道場主の家は近くにあった。訪ねてみると、お婆さんが出てきた。道場主の母親だろう、と想像しながら用件をつげると彼女は家の中に向かって
「先生、先生」
と、呼んだ。
 ごそっと物音がして、小柄のご老人がでてきた。白髪で、耳がやけに大きい。こちらも多分、道場主の父親かなにかだろうと思っていると、老人は、大きな目でじろりと見ると言った。
「入門ですか」
 そのとき望月由太郎先生は、すでに七十七歳であった。柔道をおしえられるだろうか。そんな心配がよぎった。はたして、その心配は的中した。
 私は良太を送っいったとき、ときどき外から練習を見物した。そのころ十人くらいの子どもが習いにきていた。私の他に二三人の子の親が迎えがてら見にきていた。
望月先生の教えかたは厳しかった。礼儀もうるさく注意していた。そのころ生徒は小学生だけであった。子どもたちは先生の前では緊張しているようにみえた。見学の親たちも「やはり礼儀がよくなっていいです」と話し合っていた。が、しばらくしてあることに気がついた。子どもたちの態度のよさは表面上だけだった。望月先生がちょっとでも目を離すと、一気にたががはずれたようにふざけあっていた。これもかれも先生がお年で、体で柔道を教えていないせいと思われた。「やっぱり、じかに指導
してくれる人がいないと無理だねえ」
迎えにきた親たちとこんな会話をかわすようになった。
 私は、柔道経験はあったが、そのころは、もう柔道は卒業した。柔道着を着ることはないと思っていた。が、稽古に熱が入らない子どもたちをみているうちに、私も一緒にやってみようという気持ちになった。大人が一緒にやれば子どもたちもやる気になるのではないか。息子のためにも、自分の健康のためにも、やってみようと思った。
 私は、押し入れから柔道着を引っぱり出し道場に入っていった。
道場で、私が一緒に受身をはじめると、子どもたちは、大喜びした。大人が一緒に練習をするのが、よほどうれしかったようだ。私が昔取った杵柄で、回り受身や、飛び込み受身をやってみせると驚いた。道場主の望月先生からは、これからもやってくれるよう頼まれた。その頃、私はフリーライター開店休業中だったので、引き受けることにした。
 次の日から、私はボランティアで子どもたちの指導をすることになった。昭和五十九年五月のことであった。
心もとない柔道歴
 いらぬ節介から、柔道の町道場で師範代としてボランティアをはじめることになった私だが、私の柔道歴は、心もとないものだった。
 私の柔道歴は、およそこんなところである。
一九六五年四月に神奈川県藤沢市にある石井道場に入門。これが、私の柔道経験
のはじまりだった。十八歳のときである。同じ年、東京世田谷にある日大農獣医学部柔道部に入部。一番最初の試合は、水道橋にある経済学部道場で行われた学部対抗試合で歯学部四年生と当り、寝技で一本負けした。最初の勝ち試合は野方にある警察学校との試合で背負いでの一本勝ち、と記憶している。大学で稽古する傍ら、バイト先の毎日新聞社の柔道クラブに所属、丸の内警察の道場にも通っていた。大学三年の夏、学園紛争で、校舎は閉鎖された。授業がなくて学生たちは困ったが、運動部の学生たちも困った。暇になった。
私は、柔道着ひとつ持って日本をとびだした。いろんな国の道場をまわりながら柔道が盛んなフランスまで、行ってみようという計画だった。オランダのヘーシンクの道場で柔道ができれば。途中、国に帰って道場を開くというスイス人の青年と一緒だった。カンボジアのプノンペンに講道館から派遣されていた柔道家がいた。警察、軍隊、フランス人相手に柔道を教えていた。O・T先生は、たった一人で外地にいたこともあって、私が現れたことを大層喜んでくれた。柔道はめっぽう強かったが、大酒飲みが玉に傷であった。メコンの河岸にあるダンスホールで酔って大暴れして、何人もの警官を投げ込んだという武勇伝をもつていた。夕方になるとO先生の運転するバイクの後ろに乗って、各道場を回った。日本人はめずらしいので、休む暇ないくらい稽古をした。私はずっとプノンペンに留まってもよいと思ったが、一九七0年のクーデター騒ぎで出国した。帰国したあと、再度プノンペン入りを窺がっていたが、内乱は広がるばかりで、結局は断念することになった。その後、私は、業界紙記者になったが、週に何日か講道館で汗をかいた。業界紙記者を辞めたとき、柔道とも縁を切った。それが、息子が小学校に入学して、再び柔道をはじめることにしたのである。なんとも心もとない柔道歴だが、これも因縁である。
私を支えていたのは、柔道の創始者嘉納治五郎の柔道理念だった。   つづく

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