文芸研究Ⅱ 下原ゼミ通信No.180

公開日: 

日本大学芸術学部文芸学科     2011年(平成23年)11月14日発行
文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.180
BUNGEIKENKYU Ⅱ SHIMOHARAZEMI TSUSHIN
                             編集発行人 下原敏彦
                              
9/26 10/3 10/17 10/24 10/31 11/7 11/14 11/21 11/28 12/5 
12/12 1/16 1/23
  
2011年、読書と創作の旅
11・14下原ゼミ
11月14日(月)の下原ゼミは、下記の要領で行います。ゼミ2教室
1. 通信180配布 アンケート(授業評価)「前回ゼミ」報告
2. ゼミ雑誌作成経過報告  課題提出   司会進行指名
 
 3. 尾道幼女誘拐事件模擬裁判(テキスト『兒を盗む話』)他2裁判
4. 名作読み・森鴎外『高瀬舟』(裁判関連)
    
11・7ゼミ報告
□ ゼミ誌作成進行報告 → 部数160部発行に決まる
□ 車内観察、発表   → 杉山知紗さん「幼馴染と携帯」
    評・「どこか懐かしさが伝わってくる」「自分の思いに重なる」佳品です
□『にんじん』「めんどり」「しゃこ「失礼ながら」「つるはし」戯曲編纂を口演
□ 尾道幼女誘拐事件・容疑者自白調書の読み
□ 配布『異邦人』前半コピー・赤ん坊誘拐事件(『竹取り物語』)
12・12の3ゼミ合同発表会について、4候補
後期前半最後12月12日(月)ゼミは、3ゼミ合同発表会を行います。山下ゼミ、清水ゼミ、下原ゼミです。(以前はデザイン学科も参加)
各ゼミで取り組んできたもの、学んだことを発表します。ちなみに昨年までの下原ゼミは、口演・紙芝居「少年王者」、寸劇で「曲芸師美人妻殺害疑惑事件」の模擬裁判を発表してきました。今年は、以下の出し物のなかから一つを選んで発表したいと思います。
候補1.『にんじん』口演 → 観客に「にんじん」家の実態を知らせ、アンケート
に答えてもらう。家族観察劇「この家庭をどうみるか。悪いのは誰か」
候補2. 剃刀職人客殺害疑惑事件模擬裁判(テキスト『剃刀』)観客に判決とその理由。


候補3. 尾道幼女誘拐事件模擬裁判(テキスト『兒を盗む話』)観客に判決とその理由
候補4 ナイフ曲芸師美人妻殺害疑惑事件(テキスト『范の犯罪』)観客に判決とその理由
文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.180―――――――― 2 ―――――――――――――
一日観察 
風邪
春日 菜花
朝目覚めた瞬間、違和感に気付いた。唾を飲み込むときの言いようのない不快感と、喉につかえる異物のようなもの。嫌な予感を抱きながら、試しにそっと声を出してみた。
「あ゛……」
枯れた声と変に震える喉。
身体を起こして何度か咳をすると、掠れた音しか出ない。無理やり勢いをつけて咳をすれば、ズキリと喉が痛んで変な声も出た。鼻がつまっていたから口をあけて呼吸をしていたようで、舌が妙にざらついてそれもまた不快感を募らせた。
そういえば何週間か前に友人が突然酷く枯れた声で学校に来ていたのを思い出す。ああ、自分もあの二の舞になってしまったのだ。彼はその日1日で何人もの友人に風邪をうつしたが、ここまで声が枯れた人はあまりいなかった気がする。
先週の土曜から喉が痛くなり、熱が出て、下がったと思えば鼻が酷くなり、少しよくなったかと安心すれば今度はこれだ。今回で風邪のほとんどの症状を経験したことだろう。
母親に挨拶をすると、哀れむような顔でこちらを見た。普通に喋れるのだが、声はガラガラに枯れていて自分の声がよくわからない。コップ1杯の水を一気に飲み干しても、喉の掠れと違和感は消えなかった。何杯か続けて飲み、今度はうがいをする。普段のうがいの時と明らかに喉の音が違った。
「治ってないよね」
「そうだねえ」
ゲホッと喉から空気を吐き出す。それでも起き抜けよりは幾分かマシだった。
喋り続けると喉が乾燥してズキズキと痛み出すのがわかったので、試しに1時間ほど喋らないでいた。しかしあろうことか、その後喋ろうとすると余計酷くなっていたのだ。一体どうしろと言うのか。
このしゃがれた声は数日かけてやっと治ったが、その後は言わずもがな、止まらぬ咳が待っていた。
□風邪の症状を全部!ほんとうに不快ですね。この観察からよくわかります。
一日の記録       進化するオレオレ詐欺        土壌館
 減少傾向にあったオレオレ詐欺が、3・11以降また増加しているらしい。ニュースなどで、ちらと知っていたが、実感はなかった。先日、月1回開かれる市の民生児童委員協議会に出席したとき、話題がこの話になった。所轄の警察によるとなんとこの地区でのオレオレ詐欺は、未遂もあわせると昨年の10倍も増えているという。この日、出席した50人の委員なかでも電話経験者は数人いた。そのうちの二三人が、予防の為にと、そのときの手口を紹介した。最初に話したのは50前後の主婦。午前中の出来事だった。電話があってでると「オレ、いまコンビニにいるんだけど困ったことになった」という。何と、たずねようとすると、女の人がでて小声で「息子さんにわいせつ行為をされた」という。雑誌をみていたらスカートの中を盗み撮りしたのだという。そのあと夫と称する男がでて、ていねいに「息子さん、こんなことで新聞に名前が載ってはかわいそうです」という。示談ですまそうというのだ。彼女は、変と疑うより、息子ならやりかねないと思ったという。なにしろ普段も、ところかまわず携帯写真を撮っていた。最初の声も息子と疑わなかった。が、それでもとおもって息子に携帯して分かった。もし、連絡とれなかったらお金を受け取りにきた人に渡してしまうところだった。だれでもだまされてしまうと自信たっぷりに顛末を話した。
―――――――――――――――――― 3 ――――― 文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.180
課題『竹取り物語』HP 竹取り爺さんとその妻のお婆さんを裁くとどうなるか
竹やぶの赤ちゃん誘拐事件(見本練習)
 【事件概要】
竹取り爺さんが竹ヤブに行くと、赤ちゃんがいた。お爺さん勝手に連れて帰る。お婆さんたいそう喜んで、お玉と名付け二人で育てることにする。が、親の若夫婦は、ちょつとした隙にいなくなった我が子を必死で探す。警察は事件・事故の両面で捜査。赤ちゃんの行方ようとして知れず。3カ月後、通報で発覚。逮捕される。老夫婦の罪は?
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
杉山知紗
起訴状 → 未成年略取及び誘拐罪
検察陳述 → 老夫婦の供述が真実であるとは信じがたい。警察やその他施設に連絡しな
かったのは意図的と感じる。
検察の求刑 → 懲役6ヶ月、執行猶予二年。
弁護人 → 老夫婦はお玉ちゃんの誘拐ではなく保護が目的だった。また若夫婦も、それ
ほど幼い娘を放置するのに落ち度がある。結果、無事であり、お玉ちゃんの両
親もいたのだから無罪。
裁判員だったら → どちらが悪いとは言い切れない。たとえ好意からにしろ、やり方は
いろいろあったはず。
         ―――――――――――――――――――――――
春日菜花
起訴状 → 捨て子であっても、通報するのが正しい行動、いくら可愛かったと言えども
その行為は話せるものではない。誘拐事件として告訴。
検察陳述 → 被害者の両親はピクニックに行き、少し目を離したスキに居なくなったと
言っている。つまり赤ん坊が単体でいた訳ではないのは明らかである。
求刑 → 書類送検?
弁護人 → 人気のないところで赤ん坊を一人置いておくなど、危険極まりない。
老夫婦は良心から行動を起こしたに過ぎない。
裁判員だったら → 捜査が出ているにもかかわらず名乗り出ないのは、言い訳が効かな
いことだろう。これでは有罪になり得る。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
HPの判決
有罪の場合 → 未成年者略取及び誘拐罪、刑法224条に該当。よって
        竹取り爺さん(主犯) → 懲役3年
        妻のお婆さん     → 懲役2年
無罪の場合 → 大事に育てたので224条には当たらない。養子縁組として無罪。
文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.180―――――――― 4 ――――――――――――――
テキスト『兒を盗む話』 争点、誘拐は、寂しさからか猥褻目的か
尾道幼女誘拐事件模擬裁判
 10月×日 按摩の妻は、5歳になる娘を連れて祭にでかけた。が、出店の人混みで娘が迷子に。探したがわからず1時間後、近くの交番に届ける。2時間後、尾道署の巡査多数も加わり捜索するが、娘はようとして不明。両親、探偵を雇う。尾道署も誘拐・事故の両面で捜査本部を設置し捜査範囲を広げた。不明の女の子を連れた若者を見た、との目撃情報あり。若者は、近頃、東京から来て山の上に家を借りている。職業不詳。ときどき街をぶらつき、芝居小屋にも出入りしている。
裁判長  被告人  検察側  弁護人  証人(大家) 幼女の両親  裁判員
被告人の父親    被告人の関係者
裁判長 開廷します。検察側は、事件の説明を行ってください。
検察側 (春日)衝動的な行動かも知れないが、計画性がなかったわけではない。殺そうとか、物騒なことを考えていたわけでもない。純粋にあの美しい女の子が欲しいと思っていただけなのだろう。幼い子に対する、まるで恋のような感情を抱いてはいけないわけではないが、それが正常だとも言い切れない。被害者の家族からすれば、異常・変態と思われても当然だろう。
検察側 (武田)金剛寺という寺の下に住む按摩の娘(5)がいなくなった、と警察に連絡が入った。誓文払いの最後の晩から姿がないという。周辺に聞き込みをしたところ、どうやら若い男性と歩いていた、という。娘が嫌がっている様子でもなかった、という情報から顔見知りの相手を考え、最近治療に来ていた男の家へ向かう。やはり、娘は一緒にいた。男は出刃包丁を持ったが、襲いかかってくる気配もなく、その場で取り押さえた。
裁判長 被告人の調書を報告してください。
検察側 捜査員調書です。(春日)精神衰弱はしているものの、詰問にはしっかりと答えている。しかし誘拐の動悸は「ただ欲しいと思った」の一点張りである。誘拐したこの前に、別の少女を狙っていたのも明らかになっている。容疑者が何度も芝居小屋に通うのを目撃したとの証言も得ている。今回の犯行は計画性があり、加えて当初狙っていた子ではなく偶然見つけた顔見知りの子を衝動的に連れ去ったのには酌量の余地はないが、容疑者の精神状態を考慮する必要はあるかもしれない。
検察側 捜査員調書です。(武田)仕事に行き詰まったA(容疑者)は、いろいろと試してみたものの、体の調子が治らない日々が続いた。ある日Aは芝居小屋で可愛らしい女の児を見た。その児を思う日が続き、”その児を盗みたい”という空想をした。しかし、その女の児に会えずにどうしようかと考えていたところに、自分が通っている按摩の娘を偶然見かけた。芝居小屋の児とは比較にもならなかったが、野趣を持ち、こちらも可愛かったので盗むこと(誘拐)を実行した。
裁判長 事件の概要を、被告人の立場からもう少し詳細に陳述してください。
検察側 その日は祭りで、母親は買い物に気を取られていました。気付いたら少女は何処にもおらず、何度名前を呼んでも返事はありません。買い物を投げ出して慌てて辺りを探し回ったけれどいなかった。それは事実です。少女は父のところに最近よく来る客だということを認識していたからこそ特に不振がることもなく、容疑者に大人しくついて行き、言うことを聞いていました。けれどいつまで経っても家に帰してもらえないことに気付いて、ようやく容疑者の真意に気付いたのです。少女に怪我はありませんでしたが、精神的恐怖を与えたのは言うまでもないでしょう。
―――――――――――――――――― 5――――― 文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.180
検察側 (母親の立場から)娘と誓文払いへ一緒に出かけ、ほんの少し買い物をしていた瞬間に娘はいなくなってしまった。まだ幼いから知らない人に無理矢理、であったならば泣き叫ぶはずなのに、近くからは泣き声もなかった。その日は最終の晩でもあったから人も多く、探せなかった。いくつもの不安定な条件が重なったところを狙った非常に悪質な行為。一つ間違えていたら、娘は帰ってこなかったかもしれない。
裁判長 それでは弁護人は陳述してください。
弁護人 (春日)祭りの中で偶然見つけた顔見知りの少女は、買い物に夢中になっている母親に必死に着いていっていました。これでは迷子になってしまうと、被告人は良心から自宅に連れ帰ったのです。もし本当に少女自身に目的があったならば、なぜ手をださなかったのでしょう。少女には怪我一つなく、健康状態もよかったのです。もしやましい想いがあったならば、2日の間無事でいるとは思えません。
弁護人 (武田)仕事に行き詰まってしまい、そのイライラを唯一癒してくれたのは、芝居小屋で見たあの児だった。その快感を忘れることなどできず、もっと自分の近くにいて欲しい、と考える毎日だった。しかし出会うこともできず悩んでいたところによく通っていた按摩の娘がいた。ただ、小さな児を愛でて、自分の傍においておきたかっただけ。
裁判長 次に被告人の訊問を行います。被告人は、氏名、住所、職業等を述べてください。
被告人 文芸太郎、現住所は、広島県尾道町尾道6-1 20歳 職業は無職。
裁判長 被告人は、いつからその住所に住んでいるのか。その前はどこにいたのか。
被告人 三か月前からです。その前は東京にある実家にいました。
裁判長 その東京の実家には、だれがいたのか。
被告人 祖母と両親と二人の妹です。
裁判長 この土地に来た理由は。ここに知り合いはいるのか。
被告人 この土地は、はじめてです。知り合いは誰もいません。来た理由は、一人になって暮らそうと思ったからです。
裁判長 なぜ一人になって暮らそうと思ったのか。
被告人 父との不和です。
裁判長 不和の原因は何か。
被告人 私が学校を卒業したのに、就職せず家にいるからです。
裁判長 なぜ働かないのか。どこか体に不具があるのか。
被告人 からだは健康です。疲れやすい体質ではありますが。
裁判長 ではなぜ?
被告人 仕事は家で、やっております。
裁判長 どんな仕事ですか?
被告人 自分の仕事です。
裁判長 自分の仕事とは?詳しく述べてください。
被告人 小説を書いているのです。
裁判長 もの書きで生計をたてているのか。
被告人 いえ、一度もお金になったことはありません。それに、まだ書きあげていません。
裁判長 つまり趣味ということだな。
被告人 はい。
裁判長 文学に入れ込んで仕事をしない。それでお父さんは怒っているのだな。
被告人 はい、そのことでずっと不和がつづいていました。あの朝は、特に機嫌が悪く、いつもより激しく私をののしりました。
裁判長 どんなことを言われたのか。
被告人 「貴様は、いったいそんなことをしていて将来、どうするつもりだ」「貴様のようなヤクザな奴がこの家に生まれたのは何の罰かと思う」わたしが、家にいる限り小さい妹たちの教育にも差し支える。こんなことも言われました。
文芸研究Ⅱ下原ゼミNo・180 ――――――― 6――――――――――――――――
裁判長 それが理由で家出することにしたのか?
被告人 はい
裁判長 それでは事件について聞くぞ。答えたくなかったら答えなくてもよろしい。なぜあの女の子をさらおうと思ったのか。
被告人 よくわかりません。たまたま、祭であったので・・・。
裁判長 猥褻目的ではなかったのか。 
被告人 ぜったいにそんな気持ちからではありません。寂しかったからかもしれません。
裁判長 では、その点について検察側からの証言をお願いします。
近所の人 (検察の立場・春日)被告人は変わった人です。私は割と近いところに住んでいますが、被告人は何にもない所で一人静かに暮らしています。でもふらふらと出かけることは多いんです。仕事もしてないみたいなのに、どうしてあんなに出かけるのか気になっていました。そうしたら、芝居小屋に足繁く通っていたんです。好きな役者でもいるのかとも思ってました。でも違ったんです。私一度気になって、その芝居を見に行ったことがあります。被告人の5人くらい横から見てました。最初はただ芝居を見ているだけだと思って、少し申し訳ない気持ちでしたが、私の感はあたっていました。被告人は芝居なんて見てませんでした。近場に住む裕福は家庭のお嬢さんをじっと見つめていたんです。あの子はそれはもう可愛らしい顔立ちをしていますから、見惚れるのも仕方ないでしょう。でも、被告人の目つきはそんなもんじゃありませんでした。まるで、一人の女性に恋するような恍惚とした表情だったんです。あんな小さな子に対してする目じゃありませんでした。
近所の人 (武田)自分の欲求を満たしかかった、からといって盗んでいいなんてことには絶対にならない。ましてや相手は5歳の幼児。力でも言葉でも適わないことなど、一目瞭然。強者が弱者を支配しているに過ぎない。
裁判長 それでは弁護人からの証言をお願いします。
被告人の父親 (武田)やはり、アイツはロクなことをしない奴だった。他の同胞はとてもいい子ばかりなのに、どうしてアイツだけはヤクザに育ったのか、わからない。
(春日)昔から阿呆なことをする奴でした。いつか何かしでかすのではないかと思っていたのです。その通りになってしまったことは、非常に残念です。
(杉山)息子がまさかこんなことをするだなんて、思いもしませんでした。裁判員の方が幾度問うても答えてくれなかったように私がいくら「どうしてこんなことをしたのか」と聞いても同じ事でした。娘さん、娘さんのご家族には申し訳ないことをしました。
被告人の母親 (武田)あの子がしている事を夫は認めませんでした。あの子が言い返して泣いたときに、気づいてあげればよかったのかもしれない。
(春日)いつも夫に怒られていて、かわいそうだとは何度も思いました。きっとそんなことをするはずがないと信じていた分、今は女の子並びにご両親に頭を下げることしかできません。
(杉山)私の息子が、こんなことをするはずはりません!きっとあの女の子の家族とか尋問した警官だとかが、でっち上げたに決まっています!ほら、裁判員の方も言っていたじゃありませんか。「神経衰弱」しているって・・
被告人の妹 (武田)兄は真面目な人です。こんな事をしたなんて信じられない。
(春日)きっと悪い人にそそのかされたか、心が疲れきってたかに違いありません。父はああ言いますが本当は優しく頼りになる兄なんです。
(杉山)私が小さい頃、そういう目で見ていたかと思うとぞっとします。私も今は二人の子持ちです。そんな人が兄だなんて、認めません。赤の他人ですわ。
被告の友人 (武田)彼は普通の青年だった。性格も穏やかでありあまり感情を全面に出さないような、そんな人間だった。ただ、ほんの少しだけ想像することが、他の人よりも強かっただけだと。
(春日)かわった奴ではあったが、まさかそんなことをするとは到底思えなかった。惚れっ
―――――――――――――――――― 7 ――――― 文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.180
ぽい所もあったが、こんなことまでやるとは。
(杉山)この話を聞いたときは驚きました。ずいぶん昔に会ったきり話したこともありません。だからといって犯罪をするようすでもなかったので・・・いや、人とはわからないものですねえ。
裁判長 それでは裁判員の皆さんには、私見を述べてください。刑についても――。
春日裁判員 被告人は精神衰弱しており、その寂しさや空しさからの犯行かもしれない。その点は細かい精神鑑定からの考慮もあるでしょう。しかし少女誘拐は決して良心からではないでしょう。本当にそうであったならば、どうしてすぐに家に連れて行かないのか。何故自宅に無理やり留まらせたのか。明らかに少女自身に目的があったとしか思えません。
武田裁判員 身体、精神の衰弱から、まともな判断ができなくなったとはいえ、自身の欲求を満たしたいがためのこの行為は悪質。実刑2年6ヶ月くらいが妥当。
裁判長主文・判決 (武田) 仕事に行き詰まり、その満たされない心持ちの解消方法が幼い女の児を愛でることだからといって、”盗んでいい”ということにはならない。人が沢山いる場所、時間を選び計画性のあるこの行為は許されるべきではない。たとえ、子に傷がなかったとしても、精神的には大きな負担をかけてしまっている。従って、実刑1年3ヶ月くらいが妥当かと思う。
(春日)被告人は親から勘当や生活の中での精神疲労でいやしや、安らぎを求めていた。美しいものは心をいやす。しかしだからと言って人の子を盗むのを正当化できる訳がない。被告の調査からも、常習性が伺えるが精神状態を考慮し、被告を執行猶予2年とする。
(杉山)判決、懲役6ヶ月(警察の精神病院にて)処する。
幼女を誘拐した理由が猥褻目的ではなかった。誘拐した二日間、機会はいくらでもあったろうがそれをしていない。しかし幼女を騙し、両親のもとからさらっていったのは本人も認めた事実。また精神衰弱かつ、理由が安易だからこそ再犯が考えられる。
最終判決 → よって被告人は
新潟少女誘拐監禁事件(HP)
以下の誘拐監禁事件は、日本全国に衝撃を与えた。犯人は、既に社会復帰しているかも
2000年1月28日、新潟県柏崎市の加害者宅に別件(母親への暴力)で訪れた保健所職員が、中にいた女性を発見・保護に至り、発覚した。女性は小学校4年生だった1990年11月13日、新潟県三条市で下校途中に行方不明になっていた。実に9年2ヶ月にのぼる誘拐監禁事件であり、社会に多大な衝撃を与えた。保護されたとき、被害者の女性は19歳で、PTSDと診断され、監禁生活の影響で、同年代の女性に比べて運動能力も著しく低下していたが、後に自動車を運転できるほどにまで快復し、引き続き療養を受けながら生活を送っている。加害者(犯行当時28歳)の容疑である当初は未成年者略取罪、逮捕監禁致傷罪であった。未成年者略取罪と逮捕監禁致傷罪は観念的競合として逮捕監禁致傷罪の刑が上限になるとして、監禁致傷罪の懲役10年が上限になり、地裁判決では「犯行は法が想定していた刑期をはるかに越えた最悪のもの」と認定されるなど、罪刑法定主義の観点から刑罰の上限の問題が浮上した。検察が監禁致傷罪以外に別件である窃盗罪が立件されたが、監禁致傷罪と窃盗罪を併せた併合罪の処理が争点となり、最高裁まで争われた。また、検察側は論告で「未決勾留日数を1日でも算出すべきではない」として、長期服役を意図していたことを明白にしていた(判決では未決勾留日数は算出された)。男は懲役14年が確定し、服役中。9年2ヶ月もの長期間にわたって監禁して虐待した者が、たった14年の懲役で許されるのか…という激しい世論が起こり[要出典]、その後の厳罰化への一石となった事件である。加害者が、長期間の引きこもりであった事も、話題のひとつとされた。
文芸研究Ⅱ下原ゼミNo・180 ―――――――― 8――――――――――――――――
ノンフィクション劇場  柔道・町道場の灯を守って 土壌館物語
 おんぼろ道場奮戦記
平成十年(1998)一月十五日の早朝、私は目を覚ますとすぐに窓を開けた。昨夜、テレビの天気予報は関東地方に大雪注意報をだしていた。はたして団地の五階から見る外の風景は、白一色の雪景色だった。昨夜のうちから降り出したのか、相当に積っていた。そうして、いまも視界がきかぬほど、こんこんと降りしきっていた。牡丹雪だった。
まずい道場がつぶれる!私は、急いで、ジャンパーを引っ掛けると、玄関に突進し雪の中に飛び出していった。
道場は、我が家から自転車で、七、八分、徒歩で十数分の距離の所にある。いつもは自転車だが、このときは、雪が二十㌢近く積もっていたので歩いて行く他なかった。休日で早朝の、しかも大雪の住宅街は、無人の街のようだった。雪だけが、あとからあとから降りつづいていた。コウモリ傘は、すぐに重くなった。人も車も行った形跡のない路地は歩きずらかった。私は、傘の雪を払いながら一足ごと進んだ。
こんなに降っていては、もう道場はつぶれているかも知れない。そんな不安でいっぱいだった。が、雪のせいで思うようにすすめなかった。私は、もどかしい気持ちで歩いていった。やがて、角を曲がると道場が見えてきた。二階建て民家の間に挟まれた、見るからにみすぼらしい木造平屋建ての道場は降りしきる雪のなかに懸命に建っていた。大丈夫だった。私は、ひとまずほっとした。が、すぐに、つぶれるのは時間の問題か、と危惧した。トタン屋根に降り積もった雪の重みで、道場全体が歪んでいたのだ。
道場に入ると、降雪被害は一目瞭然だった。天井は、あちこちが破れ、雪解けの水がそこかしこに滴り落ちていた。壁のベニヤ板は膨らんだり、ねじれたりして、あちこちが破損し、そこから雪が吹きこんでいた。まるで廃屋のような道場内の光景に私は慄然とした。そして、茫然自失となって玄関の土間に立ちつくしていた。
が、これ以上積もったら、確実に道場はつぶれる。不意にそんな恐怖に襲われ、早速に屋根の雪を下ろすことにした。私は、急いで折りたたみ梯子を担いで外に出た。が、どこに梯子をかけようかと迷った。と、いうのも道場は敷地いっぱいに建てられていて、隣家の裏庭からでないと梯子をかけられなかった。道場の両隣の民家は、左側に老夫婦、右側に夫婦と息子が住んでいた。三人住まいの右側の家は、音にやかましく、受け身をしているとよく板壁越しに「うるさい!」と怒鳴ってきた。左側の老夫婦は、なにも言わなかったが、昔、現場監督をしていたという、こわもてオヤジだった。どちらの庭を借りるにも逡巡した。が、こわもてオヤジの庭を選んでチャイムを押した。
「雪だろ」オヤジは、私をみるなり乱暴に言った。「かまわねえから入っておろしな」すべてはお見通しといった顔だ。私は、その親切に何度も礼を言って庭に入った。人情に触れた思いがしてうれしかった。はしごをかけて一番上まで登ってみると、トタン屋根の上は厚い雪原となっていた。すでに中ほどは重さでか凹んでいた。
まずいぞ!私は絶望的な気持ちになった。が、屋根にあがるわけにはいかなかった。上がったら最後、ペシャンといくことは確かだった。仕方なく、物干し竿で作った雪かきで梯子にのぼったまま屋根の雪をかきおろすことにした。案外、うまくいった。私は、梯子をずらしながら屋根の雪をおろしていった。だが、雪は後から後から降り続き、まったく無駄な抵抗のように思えた。軍手の中の手は、すでに感覚なかった。
しかし、私はやめるわけにはいかなかった。いつまでも機械的に腕を動かしていた。どれだけ過ぎたろうか。
―――――――――――――――――― 9 ――――― 文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.180
「父さん」
不意に下で呼ぶ声がした。見下ろすと息子の良太が立っていた。
「おう、手伝いにきたのか」
私は、にわかにうれしくなった。二人でやれば、もっと雪が下ろせるかも知れない。
「ちょつとくたびれた。交代するか」私は、手を止め下を見た。
「母さんが、もうやめろと言ってた」息子は、怒り口調で言った。「やむのを待てって」
「バカいえ!もうちょつとだ」私は怒鳴って言った。「はしごを抑えてろ」
「ほんとに、母さんが危ないからって・・・」
良太は、そう言いながらも渋々、はしごを押さえた。
私は、屋根の雪をかきつづけた。手が疲れてくると私がおりて、良太が昇って雪をかいた。しばらくして、私は今日は、息子にとって重大な日だったことに気がついた。大雪騒動ですっかり忘れていた。
「そうだ!今日は、成人式じゃないか !」私は、吃驚して叫んだ。
「そうなんだけど・・・知ってたわけ」
「忘れてた」私は、あわてて言った。「もういい時間、まだ間に合うんだろ」
「うん、まあ」
「それなら早く行け」私は、大声で言った。
「もうやめろよ。おれ、ほんとに知らないからな」
良太は、そう言い残して雪の中に消えていった。成人式は、市民ホールか綜合体育館で開かれるらしい。が、いまの私にとっては関心外だった。
 一人になった私は、なおも屋根の雪をおろしつづけた。雪は、容赦なく降り続いていた。もう道場は潰れるしかない。わたしは半ばあきらめて手を止めた。そうしてぼんやり目の前の雪をながめた。脳裏に道場での今日までのことが走馬灯のように浮かんだ。
その一
息子の良太が小学一年生になった日。入学式が終った後、家族全員で道場に向かった。
半年前、東京の品川から越してきた。周辺を散歩しているとき偶然、通った住宅街の
一角に柔道の道場を見つけた。壁にトタンを打ちつけた平屋建ての建物が民家の間に押
し込まれるようにして建っていた。掘立小屋同然のみすぼらしさに、何だろうと近寄っ
て見ると「講道館柔道練習所」「望月道場」と書かれた古びた二つの板看板がかかってい
た。埃っぽいガラス窓を覗くと畳が敷いてある。三十畳ばかりの広さか。
こんなところにオンボロだが柔道の町道場がある。いまどき町道場は珍しい。東京に
いたときときどき水道橋の講道館に稽古に行っていた私は、思わず感動した。玄関の戸
に生徒募集の貼り紙があった。
「ここに通ってみるか」良太に聞くとあっさり「うん」と頷いた。
 そんなことで、小学校に入ったら入門させることにした。
 道場主の家は近くにあった。訪ねてみると、小柄なお婆さんが出てきた。道場主の母
親だろう、と想像しながら用件をつげると彼女は家の中に向かって
「先生、先生」
と、呼んだ。ごそっと物音がして、小柄のご老人がでてきた。白髪で、耳がやけに大き
いのが印象的だった。こちらも多分、道場主の父親かなにかだろうと思っていると、老
人は、き大きなギョロ目でじろりと見ると聞いた。「入門ですか」
老人は道場主だったのだ。そのとき望月由太郎先生は、七十七歳だった。柔道ができる
だろうか。そんな心配がよぎった。が、十人くらい小学生が通っているというので入門
させることにした。
文芸研究Ⅱ下原ゼミNo・180 ―――――――― 10――――――――――――――――
 私は良太を送っいったとき、ときどき外から練習を見物した。私の他に二三人の子の親が迎えがてら見にきていた。
望月先生の教えかたは厳しかった。礼儀もうるさく注意していた。そのころ生徒は小学生だけだった。子どもたちは先生の前では緊張しているようにみえた。見学の親たちも「やはり礼儀がよくなっていいです」と話し合っていた。が、しばらくしてあることに気がついた。子どもたちの態度のよさは表面上だけだった。望月先生がちょっとでも目を離すと、一気にたががはずれたようにふざけあっていた。これもかれも先生がお年で、体で柔道を教えていないせいと思われた。「やっぱり、じかに指導
してくれる人がいないと無理だねえ」
迎えにきた親たちとこんな会話をかわすようになった。
 私は、柔道経験はあったが、講道館から遠くなったことで、もう柔道は卒業した。柔道着を着ることもないだろうと思っていた。が、稽古に熱が入らない子どもたちをみているうちに、私も一緒にやってみようという気持ちになった。大人が一緒にやれば子どもたちもやる気になるのではないか。息子のためにも、自分の健康のためにも、やってみようと思った。
 私は、押し入れから柔道着を引っぱり出し道場に入っていった。
道場で、私が一緒に受身をはじめると、子どもたちは、大喜びした。大人が一緒に練習をするのが、よほどうれしかったようだ。私が昔取った杵柄で、回り受身や、飛び込み受身をやってみせると目を丸くして驚いた。道場主の望月先生から、これからもやってくれるよう頼まれた。その頃、私はフリーライター開店休業中だったので、迎えに行ったとき、子どもたちと一緒に柔道をやることにした。
昭和五十九年五月のことであった。
その2
 いらぬ節介から、柔道の町道場でボランティアとして子どもたちと一緒に柔道をはじめることになった私だが、私の柔道歴は、心もとないものだった。
 私は昭和四十年、日本大学農獣医学部柔道部に入学したとき同学部の柔道部に入部した。冨田常雄の『姿三四郎』を愛読していたこともあるが、前年テレビ放映されていた熱血青春ドラマの影響もあった。大学の柔道部が舞台だった。「昨日、見つけた机の端に、誰が書いたか三つの言葉、真理、人生、ああ青春」この主題歌が気にいっていて、大学に入ったら、絶対、柔道部に入ろうと思っていた。
一番最初の試合は、水道橋にある経済学部道場で行われた学部対抗試合で歯学部四年生と当り、寝技で一本負けした。最初の勝ち試合は野方にある警察学校との試合で背負いでの一本勝ち、と記憶している。大学で稽古する傍ら、バイト先の毎日新聞社の柔道クラブに所属、丸の内警察の道場にも通っていた。大学三年の夏、学園紛争で、校舎は閉鎖された。授業がなくて学生たちは困ったが、運動部の学生たちも困った。
私は、柔道着ひとつ持って日本をとびだした。いろんな国の道場をまわりながら柔道が盛んなフランスまで、行ってみようという計画だった。一九六八年の夏、私は、横浜めりけん波止場からマルセーユ、横浜の定期貨客船「ラオス号」に乗船した。途中、大学の先生の知人がいるということで、カンボジアのプノンペンに寄った。鎖国政策のカンボジアは、ベトナム戦争激化で、内紛寸前だったが魅力ある国に見えた。私は、この国で農業の手伝いをすることにした。行き先はボコールという高原だった。長期ビザ許可を待つあいだ、のんびりプノンペンで過ごした。プノンペンには、講道館から派遣された柔道家がいた。警察、軍隊、フランス人相手に柔道を教えていた。 次回へ
―――――――――――――――――― 11 ――――― 文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.180
新 聞 このたび『ランボー全集』が刊行されたとのニュース
Sensation(サンサシオン)
夏の爽やかな夕、ほそ草をふみしだき、
ちくちくと穂麦の先でつつかれ、小路をゆこう。
夢みがちに踏む足の、一あしごとの新鮮さ。
       話もしない。ものも考えない。だが、
僕のこころのそこから、汲めどつきないものが湧きあがる。
さあ、ゆこう。どこまでも。ボヘミアンのように。
自然とつれ立って、―― 恋人づれのように胸をはずませ・・・・
(金子光晴訳)
文芸研究Ⅱ下原ゼミNo・180―――――――― 12――――――――――――――――
ゼミ雑誌『旅路報告』作成経過
ゼミ誌は、ゼミ一年間の成果の証です。全員で協力して完成させましょう。テーマは、日常です。掲載作品は、課題から「車内観察」「何でもない一日」、自由創作です。
Ⅰ ゼミ雑誌作成軌跡
   5月25日 ゼミ誌ガイダンス 武田編集長
5月29日 武田編集長より提案。自由創作も視野に
6月 6日 モチーフ『日常』、内容=課題・自由創作 頁300(一人20枚)
      業者=藤原印刷 写真・図案は無し
6月13日 ゼミ誌内容欠席者にメール、5名返信、武田報告
6月20日 題、レイアウトについて 
6月27日 題公募
7月4日 題「旅路報告」に決定
10月3日 表紙デザイン決定
10月17日 自由創作希望者7名 提出5名
10月24日 ゼミ誌原稿締め切り
11月 8日 藤原印刷に連絡
Ⅱ. ゼミ誌作成に関する重要書類、以下の3点の書類提出に注意
1.【①ゼミ雑誌発行申請書】所沢/出版編集室に期限までに提出 完了
2. 6月6日ゼミ雑誌題・型・頁・業者・内容(案)決まる。  完了
3. 10月24日、ゼミ誌原稿最終締め切り。
4. 印刷会社を決める。藤原印刷に決まる。レイアウトや装丁は、相談しながらすすめる。
5.【②見積書】印刷会社から見積もり料金を算出してもらう。
6. 11月半ばまでに印刷会社に入稿。(芸祭があるので遅れないこと)
7. 雑誌が刊行されたら、出版編集室に見本を提出。
8. 印刷会社からの【③請求書】を、出版編集室に提出する。
ゼミ雑誌の納付日は、2011年12月15日です。厳守のこと。
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編集室便り
  住所〒274-0825 船橋市前原西6-1-12-816 下原方
  メール: TEL・FAX:047-475-1582  toshihiko@shimohara.net
提出原稿は、メール、FAXでも受け付けます。(送信でもらえると二度手間と間違い打ちがなくなるので助かります)
ゼミ評価は、以下を基本とします。
出席日数 + 課題提出(ゼミ誌原稿)+α = 100~60点(S,A,B,C)
11月は「児童虐待防止推進月間」
厚生労働省は、11月を「児童虐待防止推進月間」として防止のための啓発活動を実施しています。その一環として、標語を募集していましたが、以下に決まりました。
守るのは 気づいたあなたの その勇気
名作・森鴎外『高瀬舟』
機織り職人弟殺害及び自殺幇助疑惑事件
                       名前
【事件の推移】客観的に「どんな事件だったか」起訴状
【容疑者の調書】を創作してください
【検察の陳実】を作成してください。容疑者は、介護が面倒になって殺した。
【弁護側の陳実】作成、無罪の勝ち取りを目指した内容
【証人の証言】近所の婆さん
【証人の証言】西陣の機織りの同僚 登場しないので想像で
【裁判員としての私見】自分が裁判員だったらを考えて
求刑は

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