文芸研究Ⅱ 下原ゼミ通信No.183

公開日: 

日本大学芸術学部文芸学科     2011年(平成23年)12月5日発行
文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.183
BUNGEIKENKYU Ⅱ SHIMOHARAZEMI TSUSHIN
                             編集発行人 下原敏彦
                              
9/26 10/3 10/17 10/24 10/31 11/7 11/14 11/21 11/28 12/5 
12/12 1/16 1/23
  
2011年、読書と創作の旅
12・5下原ゼミ
12月5日(月)の下原ゼミは、下記の要領で行います。ゼミ2教室
1. 通信183配布 「前回ゼミ」報告
2. ゼミ雑誌作成経過報告  校正などの件
 
 3. 合同発表『剃刀』裁判稽古 直し、加筆あれば
4. 名作読み・『高瀬船』Or世界名作『殺し屋』店内人物観察
    
11・28ゼミ観察
 武田さん風邪から快復。半月ぶりに模擬裁判受講者、全員揃う。で、懸案だった合同発表会の出し物を選定した。候補は、テキストから『剃刀』、『兒を盗む話』、『范の犯罪』。
12・12『剃刀』「剃刀職人客殺人疑惑事件」模擬裁判に決まる
 
12日の合同発表会の出し物は、内定していたテキスト『剃刀』から「剃刀職人客殺人疑惑事件」の模擬裁判に決定した。選考理由は、限られた人数で口演できる、といったもの。テキストになる台本は、春日菜花さんが脚色・校正を申し出た。2日着信。
ゼミ誌『旅路報告』入稿へ 12日迄に納入の見通し
 武田編集長の報告によるとゼミ誌編集は、順調に進み12日迄には、納入できる見通しがついた模様。それによると、11月29日に入稿、12月2日にゲラの校正。9日から12日迄に刊行される予定。見積り185000円(カバー)
継子殺人未遂事件の判決を考える
 1876年5月にロシアで実際にあった事件の判決を考えた。この事件の裁判は、一審では、4年監獄の上シベリヤで終身という重いものだが、二審では一転無罪となった。


口演「ナイフ投げ奇術師美人妻殺害疑惑事件」&「剃刀職人客殺人疑惑事件」
創作ルポタージュ文学名作『生きている兵隊』コピー配布(その一の部分)
文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.183―――――――― 2 ―――――――――――――
最近のテレビ観察 「坂の上の雲」、「ドキュメント”真珠湾”から70年」など
 最近のNHKテレビを見ていると、やたら戦争に絡んだものが多い気がする。朝の連続ドラマ「カーネーション」、前の「おひさま」は、太平洋戦争。繰り返し、繰り返し予告や、再放送を放送する「坂の上の雲」は明治時代の戦争。NHKは、どんな意図があって放映しているのか知る由もないが、真に戦争を知るのは、併せて文学を読むことだと思う。
そこで、前回創作ルポの傑作『生きている兵隊』の最初の部分コピーを配布した。この作品で実際の戦争の現場は、どうだったか。人間とは何かを考えて欲しい。
なぜこの作品を読むのか 戦争こそが、人間の本性が一番にみえるときである。現在、日本の最大課題は憲法改正問題である。なかでも「戦争の放棄」を謳った第九条は、最重要課題のひとつとして注目されている。改正に賛成も反対も「戦争とは何か」。まずそれを知らなければならない。「戦争とは何か」を教えてくれるものは、映画・小説・記録など多々ある。そのなかで作家石川達三が書いた創作ルポ『生きている兵隊』は秀逸である。この作品に書かれてあるのは戦争賛美でも戦争批判でもない。ただ戦地において戦闘においの兵隊たちの日常が淡々と活写されているのみである。意図するもの、導くものは何もありません。戦争が何かを考えるのは読者自身です。この作品から、戦争を考えてみてください。
 作者、石川達三は、この作品を1938年(昭和13年)2月1日から書きはじめ、紀元節の未明に脱稿した。「あるがままの戦争の姿」を知らせたくて書いた。必読の戦場ルポ。
 1937年7月7日から日中戦争がはじまったことから大日本帝国は、9月25日言論統制のための内閣報道部設置。11月大本営が宮中に設置した。ゆえに、この作品は創作ルポの形をとり「部隊名、将兵の姓名などもすべて仮想のものと承知されたい」とした。
「人間は、何にでも慣れる。そしてどんなこともできる生き物」ドストエフスキー
過去の教科書には、どう書かれていたか?
 南京事件は、現在を生きるものにとっては遠い昔、歴史の一コマだが、実際の政治のうえでは国内・国際を問わず、現代の日本の上に大きな問題となってのしかかっている。過去、教育は、この問題についてどのように触れてきたか。一部の教科書だが拾ってみた。
『高校日本史』 三訂版  実教出版 文部省検定済 平成7年発行
1937(昭和12)年7月7日夜、北京郊外の盧溝橋付近で日本軍が中国軍と衝突し日中戦争が勃発した。…8月に上海で(支那事変)…。
 …1937(昭和12)年12月、日本軍は、国民政府の首都である南京を占領した。(南京大虐殺)南京占領から一か月あまりの間、南京市内外でニホン群は、婦女子をふくむ少なくとも10数万人と推定される中国人を虐殺したこの事件は、ナンキン・アトロシテイとして欧米などで報道され、人びとに衝撃をあたえた。
『新しい歴史教科書』 扶桑社 第一刷2001・6・1 市販本
国民に判断してもらいたい――これが話題の教科書だ!
1937年8月、外国の権益が集中する上海で、二人の日本人将校が射殺される事件が起こり、これをきっかけに日中間の全面戦争が始まった。日本軍は国民党政府の首都南京を落とせば蒋介石は降伏すると考え、12月、12月、南京を占領した(このとき、日本軍によって民衆にも多数の死傷者が出た。南京事件)。しかし、蒋介石は重慶に首都を移し、抗戦を続けた。
―――――――――――――――――― 3 ――――― 文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.182
テキスト『剃刀』観察
剃刀職人殺人疑惑事件模擬裁判
脚色・春日菜花
裁判長……武田結香子
弁護士……春日菜花
検 察……杉山知紗
被告人……杉山知紗
証人 被害者家族……春日菜花
証人 お梅   ……春日菜花
証人 錦公   ……春日菜花
証人 女中   ……杉山知紗
事件概要  どんな事件だったか
一九〇九年十月十三日午後十時二十四分頃、麻布十番四角交番に近くの「辰床」の店主、芳三郎(28)が客を殺したと自首した。勤番の山田巡査が「辰床」へ駆けつけると、客用イスに所航太(23)が首から大量の血を流して死んでいた。死因は出血死。凶器は「辰床」の商売用の剃刀。遺恨なし。業務上過失致死と無差別殺人の嫌疑で逮捕。
公判
裁判長 「人定質問」被告人は、氏名、年齢、職業、住所を述べなさい。 
被告人 辰吉芳三郎 28歳 剃刀職人 住所は港区麻布六本木一‐十二 本籍は埼玉県
検 察 被告人辰吉芳三郎は、六本木の床屋「辰床」の店主。
被告は十月十三日午後九時四十五分ごろ、客として来た、市ヶ谷連隊兵士、所航太(23)の顔を剃刀で剃っている最中、誤って咽を切ってしまい死に至らしめてしまった。本行為はあくまでも本人の意思で行われたことから、通り魔殺人と同等と見なしました。
翌日十四日の夕刊には「麻布の兵士殺し 犯人は辰床の親方」「病人の人殺し」と書かれています。よって本件は過失致死ではなく、刑法に基づき無期懲役を求刑します。
裁判長 これより裁判に入りますが、被告は自分に不利なことは言わなくても良いです。黙秘権の行使を認めます。
では被告は事件に至った経緯を詳しく述べてください。
被告人 はい。あの日は熱で朝から気がクサクサしていました。頼まれた剃刀がきたのですが、どういうわけか思うように磨げませんでした。それで一層、イライラが募りました。そこへ、あの若者の客が入ってきたのです。客はこれから色町に行くのだとか、何かと気障りなことばかり言うので癪に障りました。
文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.183―――――――― 4 ――――――――――――――
裁判長 それが原因で殺意が生まれたのですか。
被告人 いいえ。そんなことで殺すのどうの、という気は無論ございませんでした。
裁判長 被告人は被害者に対して何か恨みがあったのですか。
被告人 取調べで刑事さんからもよく聞かれましたが、お客に対しては何の恨みも感情もありません。
裁判長 知り合いだったのですか。
被告人 近頃近所へ来た者だそうですが、全く知りませんでした。私の店へもその時初めて参ったのです。それ故、遺恨などこれっぽっちもありません。
裁判長 では、どうして殺してしまったのですか。
被告人 今考えても、どうしてあんなことをしてしまったのか、皆目分かりません。妻は一時的に気がふれたのだと申します。事件を起こしたことを考えればそうかもしれませんが、現在も、以前も、自分にはそんな兆候は微塵たりともございませんでした。今もこの通り、タシカです。
裁判長 全く殺す動機がないということですね。
被告人 はい。強いてあげるならば、咽を剃ります時、三、四里の傷をつけた。そのことくらいです。
裁判長 お前はその傷が命に関わる大きな傷と考えたのではないですか? 勝手に思い込んで、どうせ助からないのなら、一思いに死なせてやろう。そんな風に思ったのではないのですか。
被告人 そんな気があったかどうかは、いまだ考え出せません。しかしあれくらいなら、毎日のようにうちの小僧共がやっていることで、とても大事になるとは思いません。ひっかき傷でした。
裁判長 お前は腕のいい剃刀職人で、これまで十年余りも剃っていて、客の顔を一度も傷をつけたことはなかったといいますが、これは本当ですか。
被告人 はい、その通りです。
裁判長 ただの一度も失敗したことがなかった。完璧だった。裏を返せば原因というか、動機はそこにあると思いますが、どうですか。
被告人 はい。私もそう思います。
裁判長 しかし完璧主義者の裏返しとしても、人を殺すというのは大事件の動機としては軽すぎる。
被告人 はい。
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裁判長 では、これより弁護人の陳述に入ります。弁護人、前へ。
弁護人 事件については弁解の余地はありません。被告人は慙愧の念に耐え、深く反省しております。今はただ、被害者にはご冥福と、ご家族の皆様にはお詫び申し上げる毎日であります。
本日の陳述では、事件当日に起きましての被告の身体と精神状態を述べたいと思います。まず、身体の具合ですが、被告は二、三日前から風邪をひいて臥せっていました。この日も、妻、梅の証言によりますと、三八度の熱があったようです。よって、身体的には朦朧状態にありました。次に精神状態ですが、一ヶ月前に働いていた二人の剃刀職人を首にしたことで相当悩んでおりました。
というのは、この二人は元同僚だったからです。一人は二年前にやめたのですが、また帰ってきたので「辰床」に婿入りをし、主人となった被告が良心から再び雇い入れたのです。しかし、二人の元同僚は遊び癖がついて、店の金にまで手を出すようになったことで、先月暇を出したのです。そんなことで店には二人の見習い小僧しかいませんでした。
そこに秋季皇霊祭の前にかかって、店は大忙しとなりました。折り悪く、磨きにだした剃刀の研ぎがあまり良くない。多くの不備が重なり、被告は心神耗弱の状態でした。本来ならば仕事を断わるべきでしたが、被告の律儀な性格が災いをして、顔剃りを引き受けてしまったのです。このような理由から職業上から起きた事故と言うことで、本件は不可抗力による過失致死と判断いたします。
裁判長 それでは次に検察の陳述をお願いします。
検 察 はい。私どもの捜査でわかっていることを申し上げます。まず被告は他者に強いられた訳でもなく、自分の意思で殺したことを自覚しています。それに被害者の首の傷はどう考えても作為的なものです。被告の妻は、被告が自分で殺したと言って、警察に行くのを見ています。その時の被告は、足取りはしっかりしていたし、意識もはっきりしていた、と言っております。被告の妻が証人です。
裁判長 被告人の妻、前に。
今、検察が述べたことは本当ですか。
お 梅 はい。熱のために異常ではありましたが、確かに殺したことについては自分で分かっていました。四つ角の交番へ悪びれることなく入っていきました。
とても仕事なんかできる状態ではありませんでした。何度も止めたのですが、あの人は聞く耳なんて持ってはくれませんでした。剃刀を磨ぎ損ねたときなんて、肝が潰れたかと思うくらい吃驚したんです。泣いたって、聴いてはくれませんでした。
自分がやらなきゃ誰がやる、って自分の仕事に誇りを持っていたんです。そのせいで変に意地を張ったんです。こんなことになると分かっていたなら、小僧二人を使ってでも布団に縛り付けておけばよかった。
裁判長 それでは次の証人、前へ。名前は?
錦 公 錦公と申します。二年前から「辰床」で見習いとして働いています。
裁判長 近頃の被告人はどんな様子でしたか。
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錦 公 ええ、親方には申し訳ありませんが、近頃やっぱりイラついていたと見えます。それを仕事の出来でなんとか堪えていたような節はあります。
検 察 すると、今度の事件は不満の爆発ということですか。場所は室外と室内で違うけれど、本質的には秋葉原事件と同じように思えますが。
錦 公 へえ、よくわかりませんが、むしゃくしゃして起こした、そのように思います。
検 察 すると相手は誰でもよかったということですね。違う客が被害者になっていた、その可能性もあったと思いますか。
錦 公 へえ。
裁判長 それでは次に、被害者関係者、前へ。
母 親 素行はよくなかったかもしれません。いつでも遊んでいましたから。でも親思いのとても優しい子でした。親の身からしたら、かけがえのない息子です。宝物です。こんな理由で奪われるなんて納得いきません。死ぬまで償ってもらいたい。
検 察 被害者は親思いの優しい前途ある若者でした。何故に理不尽に殺されなければならないのでしょうか。被告と言い争うようなことがあったのでしょうか。
被害者は初めて入った店で、しかも店にいた被告の妻、奉公人の証言によれば上機嫌だったといいます。何一つ落ち度のない若者を、その日の自分の感情だけで殺した。被害者は通り魔にあったようなものです。いや、通り魔よりも性質が悪いと思います。通り魔ならば警戒心を持って歩くことも出来ましょう。が、被害者は全くの無防備でイスに横たわっていたのです。被告人を完全に信頼しきっていたのです。そんな若者を殺害するのは容易いことだったでしょう。被告は客の信頼をも裏切ったのです。
本来ならば、この情け知らずの残忍な犯行と、親思いの被害者の前途を見て、被告人に死刑を求刑したいところですが、病気と心労があったということで、無期懲役を求刑します。
裁判長 弁護人の反論はありますか?
弁護人 風邪熱と心労、加えて生真面目生活が加担し、被告をその瞬間だけ心神耗弱、あるいは心神喪失状態に陥れた。その結果の事故と見るのが客観的判断ではないかと思います。そのことを証明するため、部外者の証言をお願いします。
裁判長 それでは店の関係者以外の証人、前へ。
女 中 山田で女中をしている者です。
裁判長 あの日「辰床」には行きましたか。
女 中 はい。お昼頃に行きました。旦那様が明日の夜。旅行に行くので剃刀の磨ぎを頼まれました。
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裁判長 そのときの被告人はどうでしたか。
女 中 お店は混んでいて、小僧さんからは「明日では…」と言われました。でもどうしても、と頼むと奥から親方さんの「兼、やるぜ!」と叫ぶ声がしました。いつもと声が違うので、なんとなく風邪でもひいているのかと思いました。それで、少し心配になりました。
裁判長 で、剃刀は磨いで貰ったのですか。
女 中 用事の帰りによってみると、出来ているというので貰って帰りました。そのとき親方は風邪で寝ていると聞きました。主人に話すと「珍しいことがあるものだ」と言って、試しに剃刀を使ってみました。
裁判長 剃り具合はどうでしたか。
女 中 あまり切れなかったようです。主人が申すには「このところ大忙しのようだから、研ぐ手に狂いが出たのではないか。親方に一度使ってみてもらえ」と、言付かりました。親方さんは疲れていたんです。それで、あんな事故を起こしてしまったんです。
裁判長 これで検察、弁護人の陳述は終わります。裁判員は私見を述べてください。
以下、裁定議論 観客との質疑応答
裁判員・・・・・・観客全員
裁判長 被告は、有罪か無罪か。はじめに「有罪」と思う人は(挙手で)
裁判長 「無罪」と思う人は(挙手で)
    
     「有罪」と思う人は、何故に「有罪」か、を説明して下さい。
     「無罪」と思う人は、何故に「無罪」か、を説明してください。
裁判長 以上の陳実から結審します。挙手て゛お願いします。
     「無罪」か「有罪」か
      「有罪」ならば、刑期は
裁判長 よって
とします。
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閉廷
文芸研究Ⅱ下原ゼミNo・183 ――――――― 8――――――――――――――――
 レストラン観察(車中観察できたえた目を店内観察に向けてみる)
 
アーネスト・ヘミングウェイ(1899-1961)
『殺し屋』
 ヘミングウェイは、デビュー作となった『日はまた昇る』や映画化でも人気がでた『武器よさらば』『誰がために鐘は鳴る』『老人と海』などが有名だが、自身の少年、青春時代を描いた短編も捨てがたい。そのなかにあって『殺し屋』は、世界文学線上にあっても名作。まさに20世紀の短編小説を代表する作品です。無駄のない簡潔な文体は、現代文学の手本ともいえます。こんな文体を身につけたい・・・そんな思いで若い頃、原稿用紙にヘミングウェイの作品を繰り返し写し取ったことを懐かしく思い出します。訳者の大久保康雄は、あとがきで、この作品についてこう紹介しています。
 『殺し屋』は、ヘミングウェイがつくりあげた小説技法の見本のような作品である。ヘミングウェイはここで、余分な描写や説明をいっさい払いのけて、設定された状況に読者を直接対面せしめるという彼独自のスタイルを、ほとんど純粋なかたちで示している。ヘミングウェイ・スタイルの裸形というべきものが、ここにはある。
 舞台がどこの町であり、登場人物がどんな性格をもっているのか、ここで提出される事件に到達されるまでにどのような過去があったのか、そういう説明は何ひとつなされていない。それでいて、描かれた場面の張りつめた緊張感が、異様なするどさで読むものの心に迫ってくるのである。
 文章の簡潔さということが果たしている大きな役割の一つは、いうまでもなく、描写や説明を極度にまで切りつめることによって、ある一つの特殊な状況を、そのまま普遍的な意味にまで高めていることである。この『殺し屋』にしても、もし登場人物の経歴や性格を示すために多くの説明がなされたとしたら、これらの人物は、普通の小説的意味では、それだけ具象的なリアリティを濃くするかもしれないが、この事件全体を、ただの特殊な一事件―たんなるギャングの内輪もめ程度のものとしてしまったであろう。こういう簡潔化は、しばしば日常的な事物に象徴的な意味を付与するものなのである。ヘミングウェイの新聞記者時代の先輩ライオネル・ロイーズが、この作品を評して、「対話と行動の最小限の描写だけの純粋な客観性の一例だ」と言っているが、まことにそのとおりといわなければならない。
 物語の筋は簡単である。ニックは小さな町の簡易食堂で働いている。ある夕方、二人の男がやってくる。二人は殺し屋で、だれかに頼まれて、この町に身をひそめているスウェーデン人の拳闘家アンドルソンを殺しにきたのだ。アンドルソンは、いつも六時にはこの食堂にきて食事をとる習慣なのだ。しかし、この日は六時になっても彼は姿を見せない。七時になった。それでもこない。二人の殺し屋はとうとうあきらめて帰ってゆ
く。二人が立ち去ると、ニックは、危険を知らせるためにアンドルソンが泊まっている下宿屋へ駆けつける。拳闘家は、服を着たまま部屋のベッドに横になっている。ニックが殺し屋の話をしても、ただ壁を見つめたまま黙っている。警察に知らせようかと言っても、いや、どうにもしょうがないんだ、と言って、そのまま壁を見ているだけだ。この壁は無力な絶望感を象徴しているものと思われる。押しても、叩いてもどうにもしょうがない壁だ。
 ニックとアンドルソンとのあいだにかわされる平凡な会話も、社会の表裏を経験してきた人間の絶望と、社会に足を踏み入れたばかりの恐れを知らぬ若者の勇気を対比させることによって、二つの世代の相違を巧みに暗示しているのである。ニックは、ここで
―――――――――――――――――――― 9 ――――文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.183
はじめて殺し屋たちの暴力の世界と拳闘家の絶望の世界に接触し、しだいに社会悪への目を開いてゆく。 新潮文庫『ヘミングウェイ短編集(一)』訳者「あとがき」より
 この作品は一九三十年前後、ヘミングウェイ三十歳前後に書かれた。アメリカの三十年代といえば何か。禁酒法(1920-1933)でギャングが横行した時代である。映画『アンタッチャブル』にみる無法時代。ギャングに狙われたら、もうどうしょうもない。警察など当てにならない。この作品から若きヘミングウェイの怒りが伝わってくる。
 ギャング達は新移民と呼ばれる人達の子供達が多かったそうです。その代表的なのがイタリアからの移民の子のアル・カポネです。彼の残した言葉としてこんなのがあります。
 『私は市民が望むものを供給することで、金を稼いだだけだ。もし、私が法律を破っているというのなら、顧客である多くの善良なシカゴ市民も、私と同様に有罪だ。』 HP検索
新聞・裁判記事
女児連れ去り事件、実刑判決 2011・11・26読売
懲役2年8カ月(求刑・懲役4年)事件概要は、以下新聞記事
文芸研究Ⅱ下原ゼミNo・183―――――――― 10――――――――――――――――
秋田・弁護士殺害事件初公判 2011・11・29 朝日
秋田の弁護士が自宅で刺殺された事件。被告は、凶器は脅しのため。殺意はない。たまたま被害者が「覆いかぶさってきて刺さってしまった」と、主張している。
新聞記事による事件概要は以下の通り。
―――――――――――――――――― 11 ――――― 文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.183
人間の謎・振込詐欺はなぜなくならないのか ?
警視庁発表2010年は6600件、被害総額約100億円 !! 2011・12・4朝日
文芸研究Ⅱ下原ゼミNo・183―――――――― 12――――――――――――――――
2011年後期ゼミ旅日誌
□9月26日ゼミ 参加者7名=椎橋萌美、會澤佑香、藤塚玲奈、春日菜花、杉山知紗、武田結香子、内田悠介。課題「私の夏休み」発表=春日菜花「窓辺の光景」、藤原佑貴「何でも読んでやろう」。課題「なんでもない一日の記録」発表=藤塚玲奈「サクランボとお婆さん。 課題「未来車内観察」発表=武田結香子「10年後の私」。ゼミ誌編集=武田。
□10月3日ゼミ 参加者3名=春日菜花、杉山知紗、武田結香子。課題「私の夏休み」発表=武田結香子「夢を見つけた夏」。課題「車内観察」掲載=會澤佑香「寒い日」。課題『にんじん』感想・意見掲載=椎橋、春日、杉山、武田、藤塚、會澤、内田。ゼミ誌編集=武田。
□10月17日ゼミ 参加者3名=春日菜花、杉山知紗、武田結香子。課題『にんじん』感想発表「失礼ながら」「尿瓶」「うさぎ」=杉山、春日、武田。ゼミ誌編集=武田。
□10月24日 参加者3名=春日菜花、杉山知紗、武田結香子。課題『にんじん』感想発表「もぐら」「つるはし」「湯のみ」「ねこ」=春日、杉山、武田。課題「車内観察」発表=春日「工事中のホームで」。課題「日常観察」発表=武田「家族」。ゼミ誌編集=武田。
□10月31日ゼミ 参加者3名=春日菜花、杉山知紗、武田結香子。テキスト『剃刀』「剃刀職人客殺害疑惑事件」模擬裁判=武田・春日・杉山口演。ゼミ誌編集=武田。
□11月7日ゼミ 参加者3名=春日菜花、杉山知紗、武田結香子。課題「車内観察」発表=杉山「幼馴染と携帯」。テキスト脚本口演=武田・杉山・春日。ゼミ誌編集=武田。
□11月14日ゼミ 参加者=春日菜花。テキスト『兒を盗む話』「尾道幼女誘拐事件」についての=春日。伊那谷、他についての雑談=春日。ゼミ誌報告=武田「印刷交渉成立」
□11月21日ゼミ 参加者=杉山知紗、春日菜花。課題「車内観察」発表=春日「不幸な友」。
テキスト『范の犯罪』読み。「尾道幼女誘拐事件」判決考。
□11月28日 参加=杉山知紗、武田結香子、春日菜花。司会=杉山 「継子殺人未遂事件」考察、「ナイフ投げ美人妻殺害疑惑事件」裁判、合同発表「剃刀殺人」裁判稽古。
 
ゼミ誌作成に関する今後の重要作業、以下1点の書類提出に注意
1. 雑誌が刊行されたら、出版編集室に見本を提出。12月12日
2. 印刷会社からの【③請求書】を、出版編集室に提出する。
お知らせ
12月24日(土)午後2時~5時00分 懇親会5時10分~
ドストエーフスキイ全作品を読む会・読書会 作品「ポルズンコフ」
豊島区勤労福祉会館 第一会議室(池袋警察署・消防署隣)
詳細は、編集室まで
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編集室便り
  住所〒274-0825 船橋市前原西6-1-12-816 下原方
  メール: TEL・FAX:047-475-1582  toshihiko@shimohara.net
提出原稿は、メール、FAXでも受け付けます。(送信でもらえると二度手間と間違い打ちがなくなるので助かります)
ゼミ評価は、以下を基本とします。
出席日数 + 課題提出(ゼミ誌原稿)+α = 100~60点(S,A,B,C)
※「おんぼろ道場奮戦記」は、紙面の都合でお休み、連載4は次号に掲載。
望月由太郎先生は東京の深川の方で町道場をひらいていた。家業の自動車修理工場が繁盛し、より広い敷地を求めて郊外のこの町に移ってきた。そして、この町でも道場をはじめたのだ。が、土地は借地だったのだ。
「柔道好きな地主に話したら、田んぼを貸してくれたのだ」
と、いった。
なんでも二十年契約で借りているらしい。が、当の地主さんは、だいぶ前になくなり、代が代っていた。契約も、あと三、四年で切れるという。
「なに、貸してくれるさ」
望月先生は、あっさりいった。
が、わたしは不安だった。いまどき、住宅街にある三十坪の土地を、ただ同然で貸してくれる殊勝な篤志家などいない。案の定、先生と訪れた地主さんのお店では、剣もほろろだった。私は、完全に怪しい人物とみられていた。
「おじいちゃんがね、望月先生との関係で貸してたんですが、望月先生もいなくなるんじゃ、契約の継続の意思はありません」
当然といえば当然の答えである。どこの馬の骨とも知れない中年男が、米寿の店子と突然やってきて、まだ道場をつづけたいから土地の契約を継続してくれといわれても、できぬ相談である。契約した途端に道場をやめて何かの商売をはじめるのかも知れないのだ。そんな事件もちょくちょくニュースある。それだけに、普通の地主なら、はなからうけつけなかったろう。そして、わたしが道場をつづけるという話もなかった。が、この町で代々続いた地主でもあり、酒屋や米屋を営んでいるというところから、せっかく長年つづけている道場を、契約者が引っ越すということでたたんでしまうというのも気の毒に思えたのか
「契約の切れるまで、あなたを信用してお貸ししましよう」
と、いってくれた。
 望月先生に契約書をみせてもらうと、あと五年あった。この五年、長いのか、たった五年か。このあいだにわたしは作家としてデビューできるのか。先のことは、わからない。しかし、とにもかくにもわたしは、これからの五年間は道場主なのだ。一人でも多くの子供たちに柔道を教えたい。私は希望に燃えてオンボロ道場を引き継ぐことになつたのである。
三 最初の生徒たち
たとえオンボロでも晴れて道場主となった私である。これまで通りぼんやりと稽古をしているだけではすまない。まずはじめに私がしなければならないことは生徒を増やす算段だった。私が休んでいるあいだ生徒はぐつと減っていた。このとき通ってくる生徒は小学生二人と、ノッポの清水君とヤセの宮澤君、この高校生二人きりだった。
望月先生は、新聞の折りこみ広告をすすめてくれた。が、一回こっきりで二万も三万するうえ印刷代も馬鹿にならないので、やめにした。かわりに、手製の絵入りの看板を何枚か作って、公園や学校周辺に掛けてまわった。しかし、入門者はなかなかあらわれなかった。が、ある日を境に、入門者がふえた。
まずはじめに三年生の保坂が友人を連れてきた。近くの自衛隊から二十六歳の山田青年が入門してきた。つづいて大学生の冨澤君が入門した。そして、つづいて小学二年生の佐野が入門した。佐野の家はお母さんがお琴の先生で、
「きびしくやってください」
が注文だった。
 この家はお父さんも厳しそうで、大会で会ったときなどさかんに
「びしびしやってくださいよ」
と、はっぱをかけられた。
 一気に四人もの生徒が増えたのである。全員で八人となると、オンボロ道場もさすがにぎやかになった。
 私は、とくにこれといった指導方法は考えていなかった。楽しく柔道が練習できればいい。それが私のモットーであった。大学生の冨澤建作君も入門してきた。冨澤君は、いまどきめずらしいほとの礼儀正しい若者だった。
 幸先のよいスタートとなった。以下が、そのときのメンバーである。
小学三年生 佐野貴則
小学四年生 小林 保
小学四年生 保坂知稔
小学五年生 遠藤康弘
高校二年生 宮澤圭輔    白帯
高校二年生 清水貴之    白帯
大学一年生 下原良太    初段
大学ニ年生 冨澤建作    白帯
自衛隊員  山田慎一郎   白帯
ときに平成六年、梅雨も明けた七月のことであった。世界は近づくアトランタオリンピックに沸いていた。
そうして、この夏、日本柔道は、とかく批判的な結果に終った。が、私は、このような感想をもった。
          
一九九六年(平成八年)八月七日 水曜日 朝日新聞 朝刊「声」欄
柔道の変化は自他共栄実現
             船橋市 下原敏彦(四九歳)
 金三個、銀四個、銅一個。過剰なまでの
期待のなかで日本代表の柔道選手たちはよ
く戦ったと思う。帰国した選手たちに改め
て拍手を送りたい。だが、すばらしい成果
とは反対に柔道の試合に対する日本国内の
評価には残念なものがある。
「世界柔道と日本柔道とは違う」、このよ
うな言葉を、よく耳にする。日本柔道の敗
因は国際ルールにある、未熟な審判にある。
メダルを八個もとったのに・・・こんな分
析である。おまけに三十日本欄では柔道は
「もはや『道』ではない」とまでさげすま
れている。いずれも時代錯誤としか思えな
い意見である。
 ルールが日本にだけ不公平だったと思え
ないし、勝利を素直に喜ぶ各国選手の態度
も醜くはなかった。特に田村選手を破った
無名のケー・スンヒ選手の礼の正しさには
感動すら覚えた。
 試合は勝つべき者が勝ち、負けるべき者
が負けた。ただそれだけであった。そこに
作為や理不尽など少しも感じなかった。
 選手たちは皆、一生懸命、技を競いあっ
た。それを二つの柔道やルールのせいにす
るなど、選手を愚弄するものだ。それより
柔道の変化は創始者嘉納治五郎の理念、自
他共栄の精紳により近づいたとみるべきで
ある。

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