文芸研究Ⅱ 下原ゼミ通信No.184

公開日: 

日本大学芸術学部文芸学科     2011年(平成23年)12月12日発行
文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.184
BUNGEIKENKYU Ⅱ SHIMOHARAZEMI TSUSHIN
                             編集発行人 下原敏彦
                              
9/26 10/3 10/17 10/24 10/31 11/7 11/14 11/21 11/28 12/5 
12/12 1/16 1/23
  
2011年、読書と創作の旅
12・12下原ゼミ
12月12日(月)の下原ゼミは、下記の要領で行います。ゼミ2教室→3階の文芸教室1
1. ゼミ2教室でゼミ通信184配布 3階の文芸教室1へ移動
2. 2011年3ゼミ合同発表会
 
   ・清水ゼミ…ドストエフスキー研究
   ・山下ゼミ…宮沢賢治研究
   ・下原ゼミ…志賀直哉・事件作品脚色「模擬裁判」
    
12・12ゼミは、3ゼミ合同発表会
 後期前半終了日のゼミは、毎年、清水ゼミ、山下ゼミとの合同で、一年間、学んできたことを発表し合っています。今年は、東日本大地震や原発問題、紀伊半島の水害など様々な災害があって落ち着かない一年だったと思います。そうした状況のなかで各ゼミ、それぞれどんなことをやってきたのか、興味あります。ゼミ雑誌は、一年のゼミ成果ですが、今日の発表は、もう一つのゼミ成果といえます。それだけに、楽しみにしています
下原ゼミは『剃刀』脚本を発表
 下原ゼミは、一年の目標を書くこと、読むことの日常化・習慣化とした。(ゼミ生の大多数が作家、ジャーナリスト志望)テキストは、小説の神様といわれる志賀直哉の、短編作品を参考にした。前期は、主に車中作品を手本として自らの一日や車内観察を課題とした。後期は、観察範囲を家族や社会に移した。家族では、ジュナールの『にんじん』を読み合うことで家族に潜む問題を考えた。社会では、事件作品の観察から模擬裁判を実施した。
 合同発表は、観察に創作を取り入れた模擬裁判を行うことにした。候補は、テキスト作品『剃刀』を「剃刀職人客殺害疑惑事件」として、『兒を盗む話』を「尾道幼女誘拐事件」として、『范の犯罪』を「ナイフ投げ曲芸師美人妻殺害疑惑事件」をとりあげ審議した。このなか今回は、『剃刀』の「剃刀職人客殺害疑惑事件」を口演することにした。


 ちなみに、過去発表は、2004~2007年山川惣治作『少年王者』「生い立ち編」紙芝居口演。2010年まで「ナイフ投げ曲芸師美人妻殺害疑惑事件」でした。
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戦争ドラマ観察  前号からのつづきだが、最近テレビによく『坂の上の雲』が喧伝されている。作者・司馬遼太郎は、映像されるのを嫌っていたというが、よほど明治が好きだったのか。203高地攻略、バルチック艦隊撃破。どちらも感激の戦勝。だがしかし、この時代、真に感動するのは勇ましい軍艦や兵士より、与謝野晶子のこの作品である。
あゝおとうとよ、君を泣く
君死にたまふことなかれ
末に生まれし君なれば
親のなさけはまさりしも
親は刃をにぎらせて
人を殺せとをしへしや
人を殺して死ねよとて
二十四までをそだてしや
             堺の街のあきびとの
             旧家をほこるあるじにて
             親の名を継ぐ君なれば
             君死にたまふことなかれ
             旅順の城はほろぶとも
             ほろびずとても何事ぞ
             君は知らじな、あきびとの
             家のおきてに無かりけり
                          君死にたまふことなかれ
                          すめらみことは戦ひに
                          おほみずから出でまさね
                          かたみに人の血を流し
                          獣の道で死ねよとは
                          死ぬるを人のほまれとは
                          おほみこころのふかければ
                          もとよりいかで思されむ
あゝおとうとよ戦ひに
君死にたまふことなかれ
すぎにし秋を父ぎみに
おくれたまへる母ぎみは
なげきの中にいたましく
わが子を召され、家を守り
安しときける大御代も
母のしら髪はまさりぬる
              暖簾のかげに伏して泣く
              あえかにわかき新妻を
              君わするるや、思へるや
              十月も添はで 別れたる
              少女ごころを思ひみよ
              この世ひとりの君ならで
              ああまた誰をたのむべき
              君死にたまふことなかれ
与謝野晶子(1878~1942)歌集『みだれ髪』、夫は歌人の与謝野鉄幹 HP
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新聞・事件 「歩いている人を殺そうと思っていた」埼玉・千葉切りつけ犯
2011・12・6 朝日、読売新聞「学校・近所でもナイフ」「自宅から刃物二十数本」
『にんじん』「ねこ」の悪夢
犯人の高校2年生の少年は、日頃から動物を虐待していたという。「猫の頭を持って学校に来たんです」テレビで、こんな学校関係者の証言をみた。このとき、頭に浮かんだのは『にんじん』の「ねこ」の、この場面だった。にんじんは、なじみの老いぼれねこを自分の小屋に招待した。一杯の牛乳を飲ませるために。
――さあ、たくさんおたべよ。
 かれは背をなで、あれこれ優しい名で呼んでやり、舌の活発な動きを観察する。そうするうちにしんみりとしてくる。
――哀れなやつだな。余世を楽しめよ。
ねこは茶碗をからにし、底をふき取り、縁をきれいにする。すると、もうそのあとは、甘いくちびるをなめまわすよりしょうがなくなる。
――終わったかい、すっかり終わったかい?と相変わらず愛撫しつづけているにんじんが尋ねる。きっと、もう一杯飲みたいんだろう。でも、これしか盗めなかったんだ。とはいうものの、いずれ、少し早いか、少しおそいかのことだけさ!
 こういったかと思うと、かれはねこの額に猟銃の筒先をむけ、発砲する。窪田般彌訳
にんじんは、何のために殺すのか?このときはザリガニ取りの為だが・・・
にんじんは初心者ではない。これまでにも、何ひきかの野鳥や家畜と、また犬一匹を自分自身の楽しみのために、あるいは他人の為に殺している。
 ねこを殺す。で、思い出すのは1997年に起きた神戸の事件です。以下は、今回の事件の少年逮捕を報じた新聞記事。
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11月18日埼玉県三郷市で中3男子生徒が、12月1日には千葉県松戸市で小2女児が通り魔に刺されるという事件が起きた。犯人は、16歳の高校2年生だった。動機は「歩いている人を殺そうと思った」である。このニュースを聞いて、だれもが思い出すのは、1997年に14歳の中3男子生徒が起こした残酷な事件である。この事件の謎「人間の闇」は、解決されないまま今日に至ってしまった。私は、この事件を少年Aが発した「透明な存在」という言葉に注目した。それが事件解明の手掛かりになるような気がした。
 以下の考察は、『ドストエフスキーを読みながら』(2004)に掲発表したもの。拙論ではあるが、一連の事件の闇を射すカギとなればととりあげた。
「 透 明 な 存 在 」 の 正 体
      「ドストエーフスキイと現代の問題」1999年シンポジウム報告から 
                                下原 敏彦
 「人を殺して、なぜいけないのか」と問う少年たち。「自分の体でお金を稼いで、なぜ悪いのか」と答える少女たち。現代の問題は、より不可解で、理解しがたい問題となってきている。謎に満ちた現代の問題。はたしてドストエフスキーで解くことが、語ることができるだろうか・・・。神戸の少年Aの事件簿を考察しながら挑戦してみた。
一 、 現 代 の 問 題 
 現代の問題とは何か。毎日のニュースをみていると様々な問題が洪水のように溢れている。その中から現代の問題を象徴するものとして一九九七年に起きた神戸の児童連続殺傷事件をとりあげてみた。この事件には、家庭の問題をはじめ、学校教育の問題、地域社会や戦後民主主義の在り方など、多くの現代の問題が含まれていると思うからである。
 それでは日本社会を震撼させた事件、神戸児童連続殺人事件とは、いったいどんな事件だったのか。振り返ってみることにする。およそ事件の推移はこんなであった。
一九九七年五月十八日の明け方、行方不明になっていた小学生児童の生首が中学校校門の前で発見された。切り裂かれた口の中には挑戦状が入っていた。事件は、こんなショッキングな光景からはじまった。あまりの残虐さに、また例をみない猟奇的犯行に日本中が戦慄した。こんな酷い犯罪ができるのは、頭の狂った大人以外にありえない。マスメディアは、こぞって「黒ビニール袋を持った中年男を追え」と報道した。新聞社に送りつけられた声明文は、連続幼女殺しの今田勇子(宮崎勤)を連想させた。犯人像は青年から中年の、異常な精神の持ち主、もしくは薬物依存者。誰もがそう思うところだった。
 しかし、犯人は十四歳の中学三年生の男子生徒だった。少年は、春先にも四人の小学生の女の子を次々と襲い、一人を死亡させていた。少年は精神病者でも、薬物患者でもなかった。憎悪や激昂にかられての犯行でもなかった。少年は、学校生活において少しばかり問題児であったが、家庭では普通の中学三年生だった。調べにたいして彼は殺人の動機を、人が壊れる実験をしたかった、自分が信じる神の生け贄にしたかった、と答えた。
 (今回、埼玉や千葉で通り魔事件を起こした高校2年生は、近所ではおとなしい少年とみられていた。が、学校では動物の遺体を持ってくる気味の悪い生徒)
 少年は、なぜそんな恐ろしい想念を持ち得たのか。そして実行に移すことができたのか。多くの専門家や識者が言及した。『現代殺人百科』を書いたコリン・ウイルソンも遠くアメリカから論評を寄せた。少年が思春期だっただけに、多くの分析があった。偏差値教育が生み出した、戦後民主主義の産物、マスメディアの影響、地域社会の崩壊、父権失墜などなど実に多くの要因が挙げられ、弊害が指摘された。付随してルポライター、精神科医、弁護士、
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被害者の父、少年Aの両親といったように少年と直接に、また間接的に関わった様々な分野の人たちの本が出版された。例えば『「少年A」十四歳の肖像』高山文彦著(捜査資料が語
る神戸少年事件の真実)、『「少年A」この子を生んで』(父と母 悔恨の手記)などなどである。だが、どの本も、どんな報告も、事件解明には、素人感想ではあるが、今一つ及んでいないように思えた。少年Aを犯行に駆り立てたものは何か。真の責任は両親や学校教育にあったのか。その辺の所がなんとなくうやむやだった。あれから三年の歳月が流れた。しかし、事件の真相は相変わらず深い霧に包まれた.ままである。
 ドストエーフスキイの会例会や読書会でも、この事件は話題になった。『罪と罰』のラスコーリニコフや『カラマーゾフの兄弟』のスメルジャコフと重ねてみる会員が多かった。前者には少年の非凡人的観念が、後者には猫の舌を切り取って集めるという奇行癖が類似視された。また、研究者のなかからも「神戸の少年Aにはドストエーフスキイ的なものが感じられる」といった話がでた。だが、その指摘は論及されることなく「両者の関連を理論づけるとなると難しい」といった解釈にとどまった。はたしてドストエーフスキイで現代の問題―――つまり神戸の児童連続殺傷事件を解くということは、可能だろうか。
 私は、この事件は「透明な存在」が引き起こした犯罪と仮定して想像・創造批評的に推理してみることにした。そうすること・・・「透明な存在」を犯人にすることで、ドストエーフスキイと神戸事件とが密接に関係してくると思うからである。そして、そのこと(両者を繋げること)が現代の問題を解くヒントになるのでは、と信じるからである。
 この事件は、前述したように一般的には両親の子育ての失敗、偏差値教育の歪み、メディア社会の悪影響、少年自身の病的性格といった原因があげられた。たしかに事件を生み出したのは、そうした土壌や背景があったせいかも知れない。だが、それが直接の引き金になったとは考えにくい。なぜなら、そうした要因はたいていの現代の少年に当てはまるからである。少年Aだけが特別な環境で育ったわけではない。こうした理由から、私は神戸の児童連続殺傷事件の真犯人は、いわゆる少年Aではなく、少年Aの心のなかに棲みついている「透明な存在」と考えたのである。「透明な存在」という姿なき存在があの残虐極まりない事件を少年Aに引き起こさせたのだと。
 それでは、この「透明な存在」とは何者なのか。はたまた、どんな存在なのか。そして、その存在がなぜドストエーフスキイに関っていくのか。そのあたりを創造的に論証していきたい。はじめに「透明」という言葉である。この言葉は、それほど珍しくはない。「透明人間」という映画もあれば小説もある。しかし、「透明な存在」という言葉は耳新しい。断定はできないが神戸児童連続殺傷事件の犯人少年Aがつくった言葉だといわれている。(あるいは何かの書物からの引用かも知れないが・・・。)
「透明な存在」、この言葉は、逮捕前に神戸新聞社に送った声明文のなかに書かれていた。次は、その箇所の抜粋である。(神戸新聞社に送った少年Aの声明文から)
「今までも、そしてこれからも透明な存在であり続けるボクを」
「それと同時に、透明な存在であるボクを造り出した」
「そこでぼくは、世界でただ一人ぼくと同じ透明な存在である友人」
 
このように三箇所に使われている。この「透明な存在」について、いくつかの解釈がある。たとえば、厳しい母親の躾や、理不尽な学校教育のせいで自己がすり減って無くなってしまった、という見方(評論家・教育関係者にはこの考えが多い)。他に現実からの逃避願望、居場所喪失感といった見方(カウンセラー・心理学者関係者に多い)など。
 私は、この「透明な存在」を物質的に捉えてみた。そして、この存在を少年Aと切り離して考えた。そうすることで、この存在を少年Aの心の中に棲みついた、もうひとりの誰か、見えない寄生木のようなもの、と想像した。
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少年Aは、自分の心に巣くった「透明な存在」について、次のように書き表し分析している。(少年Aの作文「懲役13年」から)
その存在は「止めようもないものはとめられぬ」
その存在は「とうてい、反論こそすれ抵抗などできょうはずもない」もの
その存在は「あたかも熟練された人形師が、音楽に合わせて人形に踊りをさせている        かのように俺を操る」もの
この文面から思うことは、「透明な存在」とは、自分の意志より強く、自分を自由にコントロールしようとする存在、ということになる。このような存在を描いた文学作品がいくつかある。たとえば、次の作品の主人公たちである。
 ☆スティーヴンソンの『ジキル博士とハイド』のハイド氏
 ☆ドストエーフスキイの『二重人』の調子のよいゴリャートキン氏
 他に、現在、米国で話題になっている多重人格者を描いた作品。ダニエル・キースの『24人のビリー・ミリガン』などを思い浮かべる。また、日本では人気漫画家・浦沢直樹が描く『モンスター』もそれを感じさせる
 「透明な存在」に操られると主人公たちの人格は一変する。その性格は、概して①憐愍の情がない ②自己中心的 ③恐れを知らない(無神論者)、といった特徴がある。いわゆる悪魔的人物像である。十四歳の少年が生首を抱えて平然と真夜中の街を徘徊する光景を想像すれば頷けなくもないだろう。
他に「透明な存在」は、ドストエーフスキイの作品『地下室の手記』の主人公がいう蒸溜器人間を彷彿する。すべての元素をレトルトして最後に残った存在。それは、「きみの意向などかまわず、割りこんでくることになる」ほどに強度の自意識を持った存在でもある。
この存在こそ人間がはるか昔から「神」と呼び、「悪」と呼んで恐れ拝してきたものではないだろうか。この「存在」が少年Aを操り、あの残虐な事件を引き起こした張本人ではないかと疑うのである。つまり事件の真犯人は「透明な存在」であると。
ところで、この「透明な存在」は少年Aの心の中だけに棲みついていたのだろうか。昨今、多発する不可解な事件のことを思うと、この存在はすべての人間の心の片隅に潜んでいるような気がする。ちょうどガン細胞が誰の肉体組織にもあるように。それだけに現代の問題は、より深刻であるといえる。
二 、 現 代 の 問 題 と 「 透 明 な 存 在 」 
 神戸の少年Aが逮捕されたとき、テレビの画面で異様な光景を見た。大勢の少年たちが警察署前に集まって、まるで英雄をたたえるかのように歓声をあげていた。彼らを駆り立てているもの。それも「透明な存在」がなせる業かも知れない。
 「透明な存在」が介在しているのではないかと思えるもの――現代は、そのような事件・出来事が激増している。例えば毒入りカレー事件、文京区の幼女殺人事件、京都の小学生殺人事件などの凶悪事件から援助交際という売春、幼児虐待、万引き、痴漢に至るまで枚挙にいとまがない。また犯罪ではないがアルコール中毒、ギャンブル狂、過食・拒食などの摂食障害、不登校、家庭内暴力などなど、いわゆる依存と呼ばれる症状にも「透明な存在」を強く感じる。まさに現代の問題のかげに「透明な存在」ありである。
「透明な存在」は、どんな人間の心の中にも潜んでいるものだが、それは普段は小さな無力な存在として潜んでいるに過ぎない。だが、ひとたび適した環境を得て成長すれば、その存在は絶大な力を発揮し、どんな行為でも、その人間にやらせてみせる。まさに少年Aが書いた「あたかも熟練された人形師が,音楽に合わせて人形に踊りをさせているかのように俺を操る」のである。戦地に行った善良な市民が、平気で赤子を串刺しにしたり、強姦もすれ
ば人肉も食らうという話を聞けば頷ける。
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「透明な存在」は人間を「どんなこともする、どんなことにも慣れさせる動物」に変えてしまう恐ろしい「存在」である。この「存在」が現代社会に蔓延っている。
 ここで「透明な存在」が操る事件・出来事とは何かを理解するために、いわゆる普通の(「透明な存在」が関係しない)事件・出来事との違いを比べてみた。
まず普通の事件は、偶発的であったり、計画的、欲がらみ憎しみがらみであったりする。これに対し、「透明な存在」が引き起こすものは、唐突で、意味も理由もなく、場合によっては動機もない。そして、自虐的・攻撃的・破壊的である。
 最大の特徴は、普通の事件は、途中で止めることができるのに対し、「透明な存在」が犯す事件や行為は、自らの意志では容易に止めることができない断念できないところにある。              
 それだけに犯行は、破滅するか、何かの理由で「存在」が抜け出さない限り何度でも繰り返される。また犯罪行為そのものも、大きな違いがある。存在の犯罪は、目的に執着するあまり、犯行は直截的で雑(証拠隠しがない)である。それゆえ、一見完全犯罪風であっても解決してみると、意外と単純で稚拙な犯罪だったりもする。
たとえばラスコーリニコフの犯罪が、そのよい例といえる。あの「金貸し老婆強盗殺人事件」。歩数まで計算したこの犯罪は、一見完璧である。が、その実、完全犯罪とは言いがたいところがある。「犯罪の実行行為は常に病気にともなわれる」と主張した『月間論壇』掲載の論文の存在。入質されていた指輪と時計の存在。財政状態など嫌疑の証拠や根拠が多すぎる。またラスコーリニコフの犯罪が非凡人思想という「存在」に操られたものではないかという疑いは、彼の行動にも多くみられる。彼は犯行を犯す前に既に真っ黒の本星なのである。断念できる機会は何度もあったのに実行し、考えに考えた犯行だったのに、あっさりと自首した。そして罪に服しても悔悛しない。彼こそ典型的な「透明な存在」操られ人間といえる。神戸の少年A、連続幼女殺人事件の宮崎勤、そして京都の小学生殺人事件の若者。彼らにも、どこか似たもの同族のものを感じる。
人類救済のための殺人衝動。おそらく社会復帰をしてもラスコーリニコフの人生は畢竟、その衝動(存在)にコントロールされるかも知れない。それは人類救済のために核実験を繰り返す人間と重なるものがある。
 やめることができない行為は、現代にあふれている。たとえば、「幸せそうにみえたから」といった理由で、たいした知り合いでもない男性に三年間、イヤガラセ電話をかけつづけた主婦が逮捕された。一日二百回以上というから尋常ではない。周囲の証言によると主婦は明朗活発な性格で、幸せそうにみえたという。もし証言通りだとしたら、彼女をそんな陰湿な行為に走らせたものは、やはり「透明な存在」ではなかったか。
 「透明な存在」は、必ずしも他者を攻撃(犯罪)するためにコントロールするだけではない。アルコール、ギャンブル、買物など人間が持つあらゆる欲にとりつき、その人の肉体や財産を危うくさせる。拒食症・過食症に陥った少女たちは苦しく悲しい青春を送ることになる。こうした依存行為の原因は、精神医学的見地では心の傷トラウマにあると云われている。が、はたして本当にそうだろうか。この世に生まれた以上、誰にも一つや二つ心の傷があるはず。トラウマは決して特別なものではない。だとすれば、なぜ依存行為は生じるのか。私は、こう想像する。傷口にバイ菌が感染するように、「透明な存在」は心の傷に感染する「透明な細菌」ではないかと。
「透明な存在」は、個人だけではなく、傷ついた国家や民族、迷える人々が集まる共同体にもとりついたりする。その事実を歴史や現在の事件で知る事ができる。崇高な理念の下、独裁者を崇拝したり、国民を粛清したりした。共存を訴えながらも浄化作戦を繰り返した。そして、救済や解脱、癒しを唱えながらも監禁や洗脳、搾取を繰り返すオウムをはじめとする怪しげな宗教集団がおしえている。「透明な存在」は、物質欲だけではなく、主義や理念にもとりつき国家や民族をも操ろうとするのだ。
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 二十世紀は、人間が自由と幸福を目指しながら模索した時代だった。同時に最も「透明な存在」がその勢いを増した時代ではなかったか。なぜ、増殖したか。科学文明の進歩と理想国家の建設と失敗。人類の夢が具現化し挫折した時代。繁殖するのに最も適した土壌神と悪魔がもっとも活躍した時代だったといえよう。十六世紀・百六十万人、十七世紀・六百万人、
十八世紀・七百万人、十九世紀・千九百四十万人、そして二十世紀・一億七百八十万人。これは米年報『ワールド・ミリタリー・アンド・ソーシャル』による、犯罪の極みである戦争によって亡くなった世界の推定戦車数である。二十世紀という現代。地球にとっても人間にとっても、きわめて危険で病んだ時代だったといえる。新世紀目前の現在、その危険や病根は未だ回避されていないし癒されてもいない。
十九世紀末ドストエーフスキイは『冬に書く夏の印象』や『悪霊』などの作品で文明の危うさや水晶宮の恐さを警鐘した。それはとりもなおさず、「透明な存在」大量発生への警告ではなかったか。「透明な存在」がラスコーリニコフの夢にでてくる「せんもう虫」のように全世界にひろがることへの危惧。当時も今も「透明な存在」の恐ろしさを、正体を知っていたのはドストエーフスキイだけかもしれない。
この存在が神か悪魔だとすれば、まさにドストエーフスキイの文学は両者への挑戦ということになる。 次号につづく
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第10回江古田文学賞受賞『へびとむらい』を読むまで
 たしか10月半ば頃だった。ゼミの準備をしていると授業を終えて入ってきたA先生が
「下原ゼミの生徒が、『江古田文学賞』をとりましたよ」
と、教えてくれた。そのあとA先生は、「だれだったけ・・・」と、つぶやいて名前を思い出そうとした。が、なかなか、思い出せなかった。私は私で、なぜか昔のゼミ生と思い込んでしまった。で、課題の提出がよかった4年生の名前を何人かあげた。
「いや、いまの生徒です」A先生は、もどかしそうに言った。
「いまの・・・?!2年生の」私は、驚きながらも即3人の名前を口にした。他に心当たりはなかった。うちのゼミ出身者で金玉賞や学部賞をとった学生がいた。彼らは皆、出席率や課題提出率がよかった。口に出した彼女たちも、めったに欠席したことがない。そんなところから思わず口に出たのだ。が、はたして、そうであった。
「ああ、そうそう、その杉山さん。彼女の小説が受賞作」
A先生は、笑って長い髪を後ろにかきあげながらいった。
 ああ杉山知紗。私は、軽く頷いて、いつも左隣に座っている、彼女の顔を思い描いた。意外な気はしなかった。「私の夏休み」報告で、「毎日、小説を書いていました」たしか、そんなようなことを言っていた。文芸出身の作家よしもとばななが好きとも言っていた。
 しかし、不覚にも、彼女の文体がどんなだったか。どんなテーマを持ってかいていたのか思い出せなかった。
「わたし選考委員なんですよ」A先生は、言った。A先生の言葉は、文字にすると、女性のようだが男性である。女学生に人気があると聞く。若くおしゃれで体つきもスマート。いつもは、挨拶ていどの会話だが、このときは、A先生、親切に選考経緯を話してくれた。
「うちの学生がとれてよかったですよ」A先生は、うれしそうに言った。「全国公募だから、いろんなところからくるんですが、みんなしまいまで名前は伏せてあるんです」
「たいへんだったですね。選考」私は、よくわからないまま言った。
「いえ、それが、杉山さんの作品、群を抜いていたので選考は楽でした」
「そうですか、じゃあ『江古田文学』楽しみにしています」私は、お礼を言って、これから江古田校舎に行くというA先生を送った。何かしらうれしい気持ちになった。
十数年前、椋鳩十記念など郷里新聞社で賞をいただいたときのことを思い出した。最初の気持ち忘れず、どんどん書いてください。杉山さん、おめでとう!
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ノンフィクション劇場  柔道・町道場の灯を守って 土壌館物語
連載4
 おんぼろ道場奮戦記 
前回まで
1996年11月24日NHKテレビ「日本点描」番組で「教え子たちの歳月」が放映された。私は、町道場で子どもたちと柔道をしている場面が流れた。それで道場の話は、しぜん引き受ける方向に動いていった。私は、ひょんなことから町道場の道場主を肩代わりすることになった。皆は、よい話だ、運が向いてきた。そういって喜んだ。
しかし、世の中、そんなうまい話はない。すぐに私は、不動産の話は、簡単なことではないことを思い知ることになる。まったくの柔道バカとは、このことだった。
巨大な粗大ゴミ
十年近く通っていてまったく知らなかったというのも変だが、私はてっきり道場は、老先生の土地だと思いこんでいた。ところがそうではなかったのだ。
望月由太郎先生は東京の深川の方で町道場をひらいていた。家業の自動車修理工場が繁盛したので、事業を拡大するためより広い敷地を求めて郊外のこの町に移ってきた。そして、この町でも好きな柔道をやるために道場をはじめた。土地は、
「柔道好きな地主に話したら、田んぼを貸してくれたのだ」と、いった。
 借地と聞いて、妻の落胆顔が重い浮かぶとともに、何か厄介なことに巻き込まれる嫌な予感がして困惑した。が、老先生は、肩の荷を下ろした気分か、のんびりした口調で
「なにせ、このへんいったいは、田んぼだったんですよ」
などと懐かしそうに昔話をはじめた。
そのあと借地の契約内容についてボソボソ打ち明けた。それによると道場が建っている三十五坪ほどの土地は、二十年契約で借りているらしい。が、口約束で、何の契約書類もないとのこと。その上、老先生が親しかった地主さんは、だいぶ前になくなり、今は二代だか三代目に変わっている。口約束した契約も、たしかあと三、四年で切れるはずとのこと。なんとも心もとない話だった。
「無理でしょう。それでは」
私は、断る理由ができたので、ほっとして言った。
「なに、貸してくれるさ。そこの酒屋なんだ。商売しているし、根っからの地主で、このへん一帯の土地をもっているんだ」
老先生は、なんとも無邪気なものだ。米寿の年齢がそう考えさせるのか。道場は商売ではないから地主は、当然、承諾する。そのように固く信じ切っている。
「話せばわかってくれる」の一点張り。なんとしても、道場を譲りたいようだ。
が、私は、一旦は、引き受けるつもりだったが、やはりあきらめることにした。昔は田んぼや湿地帯だったか知らないが、いまは、立派な住宅地である。私鉄も走っているしJRも近い。東京駅迄40分あれば行けるのだ。そんな立地条件の良い土地を、いまどき、ただ同然で貸してくれる殊勝な篤志家などいない。前の地主は、親しかったから損得抜きで貸したに違いない。
案の定、先生と訪れた地主の店では、剣もほろろだった。酒店に婿養子に入ったという中年の赤ら顔の主人と、太った女主人は、ぶ然とした顔で
文芸研究Ⅱ下原ゼミNo・184 ―――――――― 10――――――――――――――――
「おじいちゃんがね、友だちづきあいで貸してたものですから、おじいちゃんも死んでしまったし、柔道の先生も、引っ越しされるんなら、ちょうどいい機会だから土地は、返していただきます」と、言うばかりだった。
当然といえば当然の話である。どこの馬の骨とも知れない中年男に、先代が口約束で貸していた土地を、そのまま貸すお人よしはいない。地主夫婦は、老先生が、怪しげな男の口車に乗って、借地名義を又貸しするつもりだ。そんなふうに思っていた。
折り悪く、テレビのニュースで、どこかの寺の住職が、親切で寺の土地を貸したところ、又貸しされ、そこに怪しげな店を作られて困っている。そんな裁判沙汰が報じられていた。おそらく、その番組をみたに違いなかった。しかし、老先生には、口約束にしろ何にしろ十数年道場をつづけてきたという現実がある。いわゆる借地権が。で、地主は声高には、出ていってくれとはいえないようだ。
「あの土地は、駐車場にしようかと思っているのです」地主は、ビジョンを持ち出した。
「そうですか、わかりました」私は、そう返事するしかなかった。そういうことなら、無理を押すこともないと思った。が、帰り道、老先生のあまりに落胆した背中をみていたら気の毒になって、思わず
「とにかく契約切れまで、貸してもらえるよう頼んでみます」と、言ってしまった。
「そうかい、そうしてもらえると」
老先生は、何度も頭を下げた。
 終の棲家と思っていた家を、家督をゆずった途端、引っ越す羽目になり、そのうえ自分で建てた道場を壊すことになる。そんな老先生を、つい同情してしまった。もっとも、私としては、本気で居座ろうなどとの思いはなかった。どうせダメ元、話すだけと思っていた。翌日、老先生が引っ越しても、契約まで道場をつづける旨を伝えた。
 驚いたのは地主である。いますぐ土地を返してほしい。そんな剣幕を押えて、
「この問題は、出入りの税理士に頼んでありますから」と、第三者への。
私としては、これで話は済んだ、と思った。
日曜日の朝、道場で子どもたちと稽古をしていると、道場の前に黒塗りの高級車が止まった。背広姿の黒縁眼鏡の男が下りて、道場に入ってきた。
私が出て行くと男は、ジロリ見て
「あなたが師範代かね」と、聞いた。
「そうです」
「こういうものですが」黒縁眼鏡の男は、名刺をだした。
 何とか不動産と書いてあった。
「地主さんは、不審に思っているんです。お宅さんが、残りの契約期間、この道場を引き受けるということに」
「はあ」私は、この業者も私に魂胆あってのことと睨んでいる。そう思ったので、信じるか信じないかは無視して、経緯をすべて話した。ついでに、町道場の必要性を説いた。
「ぼくも、子どもたちが来ているから、それで見兼ねて教えているだけです。この近所に、子どもが、飛んだりはねたりできるところがありますか。市の体育館など、遠くて行けやしません。どこがスポーツ宣言都市なんですか」
 話が市政に及ぶと、黒縁眼鏡の男は、頷くようになった。そうして黙って帰ってしまった。私は、とにかくこの土地に居座る気はさらさらないと念書に書いた。 つづく
 
土壌館誕生 最初の生徒たち
―――――――――――――――――― 11 ――――― 文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.184
名作読み 師走年といえば第九ですが、アポリネール(1880-1918)のこの詩を思い出す人も少なくありません。木枯らし吹く夕暮れ、この詩を思い出してください。
「ミラボー橋」は1913年の作品。これはセーヌ川にかかる鉄製の橋の名前です。(詳しくはネット「アポリネール」検索ください)
  Le pont Mirabeau            ミラボー橋
Sous le pont Mirabeau coule la Seine.  ミラボー橋の下をセーヌは流れる
Et nos amours              そして私たちの愛も
Faut-il qu’il m’en souvienne       思い出さねばならないのか?
La joie venait toujours apres la peine  悲しみの後に必ず喜びが来たことを
Vienne la nuit sonne l’heure       夜が来て、鐘が鳴り
Les jours s’en vont je demeure.     日々は去り、我は一人。
Les mains dans les mains         手に手を取り
restons face a face         顔に顔を合わせ
Tandis que sous le Pont         私たちの腕が作る橋の下を
de nos bras passe          永遠の微笑みが流れる間に
Des eternels regards l’onde si lasse   水は疲れていった
Vienne la nuit sonne l’heure       夜が来て、鐘が鳴り
Les jours s’en vont je demeure.     日々は去り、我は一人。
L’amour s’en va comme cette eau courante 愛は流れ行く水のように去っていく
L’amour s’en va comme la vie est lente  愛は人生は遅すぎるかのように
Et comme l’Esperance est violente    そして望みは無理であるかのように
                     去っていく
Vienne la nuit sonne l’heure       夜が来て、鐘が鳴り
Les jours s’en vont je demeure.     日々は去り、我は一人。
Passent les jours et passent les semaines日々が去り、週が去って行くのに
Ni temps passe              時は去らず
Ni les amours reviennent         愛は戻らない
Sous le pont Mirabeau coule la Seine   ミラボー橋の下をセーヌは流れる
Vienne la nuit sonne l’heure       夜が来て、鐘が鳴り
Les jours s’en vont je demeure.     日々は去り、我は一人。
 句読点を使わないという画期的な手法を使った作品集「アルコール」の特徴
がこの詩にも出ています。(検索)
 去っていった恋人、マリー・ローランサン。詩人は38歳の短い生涯。が、彼女への愛は永遠に終わらない。
文芸研究Ⅱ下原ゼミNo・184―――――――― 12――――――――――――――――
2011年後期ゼミ旅日誌
□9月26日ゼミ 参加者7名=椎橋萌美、會澤佑香、藤塚玲奈、春日菜花、杉山知紗、武田結香子、内田悠介。課題「私の夏休み」発表=春日菜花「窓辺の光景」、藤原佑貴「何でも読んでやろう」。課題「なんでもない一日の記録」発表=藤塚玲奈「サクランボとお婆さん。 課題「未来車内観察」発表=武田結香子「10年後の私」。ゼミ誌編集=武田。
□10月3日ゼミ 参加者3名=春日菜花、杉山知紗、武田結香子。課題「私の夏休み」発表=武田結香子「夢を見つけた夏」。課題「車内観察」掲載=會澤佑香「寒い日」。課題『にんじん』感想・意見掲載=椎橋、春日、杉山、武田、藤塚、會澤、内田。ゼミ誌編集=武田。
□10月17日ゼミ 参加者3名=春日菜花、杉山知紗、武田結香子。課題『にんじん』感想発表「失礼ながら」「尿瓶」「うさぎ」=杉山、春日、武田。ゼミ誌編集=武田。
□10月24日 参加者3名=春日菜花、杉山知紗、武田結香子。課題『にんじん』感想発表「もぐら」「つるはし」「湯のみ」「ねこ」=春日、杉山、武田。課題「車内観察」発表=春日「工事中のホームで」。課題「日常観察」発表=武田「家族」。ゼミ誌編集=武田。
□10月31日ゼミ 参加者3名=春日菜花、杉山知紗、武田結香子。テキスト『剃刀』「剃刀職人客殺害疑惑事件」模擬裁判=武田・春日・杉山口演。ゼミ誌編集=武田。
□11月7日ゼミ 参加者3名=春日菜花、杉山知紗、武田結香子。課題「車内観察」発表=杉山「幼馴染と携帯」。テキスト脚本口演=武田・杉山・春日。ゼミ誌編集=武田。
□11月14日ゼミ 参加者=春日菜花。テキスト『兒を盗む話』「尾道幼女誘拐事件」についての=春日。伊那谷、他についての雑談=春日。ゼミ誌報告=武田「印刷交渉成立」
□11月21日ゼミ 参加者=杉山知紗、春日菜花。課題「車内観察」発表=春日「不幸な友」。
テキスト『范の犯罪』読み。「尾道幼女誘拐事件」判決考。
□11月28日 参加=杉山知紗、春日菜花、武田結香子。司会=杉山。「継子殺人未遂事件」考察。「ナイフ投げ美人妻殺害疑惑事件」裁判。合同発表会「剃刀殺人」裁判稽古。
□12月5日 参加=春日菜花、杉山知紗、武田結香子。司会=杉山。『江古田文学78』配布、杉山さんの受賞作品「へびとむらい」が掲載。名作店内観察『殺し屋』、「剃刀職人客殺害疑惑事件」裁判稽古。武田編集長報告、ゼミ誌9日に届く予定。
□12月12日 合同発表(清水・山下・下原ゼミ)「剃刀職人客殺害疑惑事件」裁判
12日、ゼミ誌『旅路報告』刊行! ご苦労さまでした !
☆ゼミ誌作成に関する今後の重要書類、以下1点の書類提出に注意
1.雑誌が刊行されたら、出版編集室に見本を提出。12月12日迄に。
2.印刷会社からの【③請求書】を、出版編集室に提出する。
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編集室便り
  住所〒274-0825 船橋市前原西6-1-12-816 下原方
  メール: TEL・FAX:047-475-1582  toshihiko@shimohara.net
提出原稿は、メール、FAXでも受け付けます。(送信でもらえると二度手間と間違い打ちがなくなるので助かります)
ゼミ評価は、以下を基本とします。
出席日数 + 課題提出(ゼミ誌原稿)+α = 100~60点(S,A,B,C)
よい年をお迎えください
たとえオンボロでも晴れて道場主となった私である。これまで通りぼんやりと稽古をしているだけではすまない。まずはじめに私がしなければならないことは生徒を増やす算段だった。私が休んでいるあいだ生徒はぐつと減っていた。このとき通ってくる生徒は小学生二人と、ノッポの清水君とヤセの宮澤君、この高校生二人きりだった。
望月先生は、新聞の折りこみ広告をすすめてくれた。が、一回こっきりで二万も三万するうえ印刷代も馬鹿にならないので、やめにした。かわりに、手製の絵入りの看板を何枚か作って、公園や学校周辺に掛けてまわった。しかし、入門者はなかなかあらわれなかった。が、ある日を境に、入門者がふえた。
まずはじめに三年生の保坂が友人を連れてきた。近くの自衛隊から二十六歳の山田青年が入門してきた。つづいて大学生の冨澤君が入門した。そして、つづいて小学二年生の佐野が入門した。佐野の家はお母さんがお琴の先生で、
「きびしくやってください」
が注文だった。
 この家はお父さんも厳しそうで、大会で会ったときなどさかんに
「びしびしやってくださいよ」
と、はっぱをかけられた。
 一気に四人もの生徒が増えたのである。全員で八人となると、オンボロ道場もさすがにぎやかになった。
 私は、とくにこれといった指導方法は考えていなかった。楽しく柔道が練習できればいい。それが私のモットーであった。大学生の冨澤建作君も入門してきた。冨澤君は、いまどきめずらしいほとの礼儀正しい若者だった。
 幸先のよいスタートとなった。以下が、そのときのメンバーである。
小学三年生 佐野貴則
小学四年生 小林 保
小学四年生 保坂知稔
小学五年生 遠藤康弘
高校二年生 宮澤圭輔    白帯
高校二年生 清水貴之    白帯
大学一年生 下原良太    初段
大学ニ年生 冨澤建作    白帯
自衛隊員  山田慎一郎   白帯
ときに平成六年、梅雨も明けた七月のことであった。世界は近づくアトランタオリンピックに沸いていた。
                 つづく 次回に
          
一九九六年(平成八年)八月七日 水曜日 朝日新聞 朝刊「声」欄
柔道の変化は自他共栄実現
 金三個、銀四個、銅一個。過剰なまでの
期待のなかで日本代表の柔道選手たちはよ
く戦ったと思う。帰国した選手たちに改め
て拍手を送りたい。だが、すばらしい成果
とは反対に柔道の試合に対する日本国内の
評価には残念なものがある。
「世界柔道と日本柔道とは違う」、このよ
うな言葉を、よく耳にする。日本柔道の敗
因は国際ルールにある、未熟な審判にある。
メダルを八個もとったのに・・・こんな分
析である。おまけに三十日本欄では柔道は
「もはや『道』ではない」とまでさげすま
れている。いずれも時代錯誤としか思えな
い意見である。
 ルールが日本にだけ不公平だったと思え
ないし、勝利を素直に喜ぶ各国選手の態度
も醜くはなかった。特に田村選手を破った
無名のケー・スンヒ選手の礼の正しさには
感動すら覚えた。
 試合は勝つべき者が勝ち、負けるべき者
が負けた。ただそれだけであった。そこに
作為や理不尽など少しも感じなかった。
 選手たちは皆、一生懸命、技を競いあっ
た。それを二つの柔道やルールのせいにす
るなど、選手を愚弄するものだ。それより
柔道の変化は創始者嘉納治五郎の理念、自
他共栄の精紳により近づいたとみるべきで
ある。

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