文芸研究Ⅱ 下原ゼミ通信No.185

公開日: 

日本大学芸術学部文芸学科     2012年(平成24年)1月16日発行
文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.185
BUNGEIKENKYU Ⅱ SHIMOHARAZEMI TSUSHIN
                             編集発行人 下原敏彦
                              
9/26 10/3 10/17 10/24 10/31 11/7 11/14 11/21 11/28 12/5 
12/12 1/16 1/23
  
2011年、読書と創作の旅
1・16下原ゼミ
1月16日(月)の下原ゼミは、下記の要領で行います。ゼミ2教室
1. ゼミ誌『旅路報告』合評 (参加者作品)
一、 僕らが見た日常「車内観察」、「なんでもない一日の記録」
二、 それから二カ月後に見た、僕らの「日常」
2. カルタ大会(小倉百人一首) 
2012年、よい年でありますように
 今年2012年の車窓は、どんな風景が見られるでしょう。社会的には、震災復興や原発の是非等、大きな問題があります。文芸研究Ⅱの皆さんは、4月から江古田校舎に移ります。大学生活もいよいよ後半の旅です。よい年でありますように・・・・・・・。
ゼミ誌『旅路報告』刊行 12月12日納入
 1年間のゼミ授業の成果ともいえるゼミ誌『旅路報告』が締切日までに上梓された。前期、後期とも欠席者の多い年だったが、ほとんど休みなく出席した編集委員の皆さんの尽力で無事に期限までに納入することができた。ご苦労さまでした。
12・12ゼミは、3ゼミ合同発表会
3ゼミの発表内容は以下の通りでした。
はしめ・山下聖美先生挨拶
【清水ゼミ】
報告 → ドストエフスキー研究、前期『罪と罰』の登場人物論、後期『貧しき人々』論。
寸劇 → 宮沢賢治『まなづるとダァリヤ』
【山下ゼミ】
発表 → 宮沢賢治『銀河鉄道の夜』シンポ形式。写真、映画、宗教、落語ありの多様報告。
【下原ゼミ】


模擬裁判 → 志賀直哉『剃刀』春日菜花脚本「剃刀職人客殺害疑惑事件」武田、春日、杉山の3人が、裁判長、検察、被告、弁護、証人を。結審・有罪5年実刑。
おわり・下原、講評
文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.185―――――――― 2 ―――――――――――――
ゼミ誌『旅路報告』
表題とカバー写真がマッチした本になりました。厚みものほどよいものです。総じて装丁は十二分によかったと思います。
目次は、編集者の苦労が出ています。が、簡潔にまとまっています。
以下、抜粋で冒頭部分を紹介します。短編でも始まりは重要。読者の興味をどれだけ目覚めさせられるか。また、作者の特徴をどれだけ汲み取らせることができるか…。
一、僕らが見た「日常」~課題「車内観察」「何でもない一日の記録」~
椎橋萌美 ○月◎日「ガタンゴトンと揺れるたび、お腹の中からギャアギャアと悲鳴が和木懲ります。きっと相手国が戦車やら大砲やらを出してきたのでしょう。困ったものです」
會澤佑果 ○月●日「黒のタンクトップにベージュのニット、デニムのスカートの下には厚手のタイツ。靴下を重ねて履くのは、逆に足を冷やすと誰かが言っていたな、」
春日菜花 □月■日「きゃつ、と、微かに悲鳴がした。本当に小さな声だったので、その周辺にいた人しか聞こえなかっただろう。その発生源は私の斜め前からだった。」
武田結香子 △月▲日「カタンカタン、と電車の振動がリズムよく身体に響く。乗客は私一人。空はよく晴れていて、陽が高く昇っていた。車内に差し込む光は、」
中村俊介 ☆月★日「学校へ行くために、電車に乗る。学校までは一駅。すぐに着いてしまうのだが、今日はゆっくりと車内を観察してみようと思う。」
杉山知紗 ◇月◆日「持っているビニール傘から滴を垂らした。セーラー服の娘が車内に乗り込んできた。眼はぱっちりと、頬は丸くすべすべしていた。」
大野純弥 ◎月●日「今日の昼は彼女とご飯を食べるつもりでしたが、最近彼女の精神状態が著しくよろしくないのでおじゃんとなりました。」
藤塚玲奈 ●月○日「線香立て続けていればいいんだから、こっちはしまっておくわね。妻の今日子がそう言って渦状の線香を片付けた。俺は同じ線香ならそちらの方がー」
内田悠介 ■月□日「僕が心の底から本心を話したり、悩みを打ち明けたりできる友達は少ない。というか、数人しかいない気がする。昨日、そのうちの一人と一対一でお酒を」
中村俊介 ☆月☆日「窓から差し込む朝陽に起こされ、眼を覚ました。枕元に置かれた携帯電話を手探りでつかみ、画面に表示された時刻をぼうっと見る。」
三矢日菜 ▽月▲日「インドアな私が嬉々として鞄に物を詰め颯爽と家を出たとき、それはもう浮かれていた。自転車に乗って地元の図書館に行こうと、前日から計画いた」
柳瀬美里 ◆月◇日「よく小説で、お前以外では自分が一番、お前のことをわかっている。と言う言葉を見る。よく、といっても最近のものではなく、一昔前の恋愛や友情系の言葉」
※読書も旅と同じ。最初の一文が旅人の一歩を誘う。書くことの習慣化を目指した「車内観察」と「一日の記録」。身に着いただろうか。
三、 それから二カ月後に見た、僕らの「日常」~自由創作~
藤塚玲奈 「『NIKKI』こうして江の島を訪れるのは初めてのことだった。以前から憧れてはいた。一人でぶらりと海を見に行くような大人みたいなことをしてみたいと思っていた。大人というか、女性というか、しかし少女に留まっている訳でもなくその〈女性〉にもなりきれず仕舞こんだ。ただただ徘徊する動物のようてだある。」
春日菜花 「焼けつくような日差しで首の後ろがじりじりと痛いし、こめかみを伝う汗の感覚が誰かに撫でられているようで気持ち悪い。ズボンのポケットからハンカチを出して、ぐいと右から左へと汗を拭った。人の気配はしないのに、蝉の鳴声と時たま通る車の音でひどくうるさく感じる。うつむいていた顔を少し上げると真っ直ぐに続くアスファルトの道」
―――――――――――――――――― 3 ――――― 文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.185
藤原侑貴 『不登校くずれ』「ふと、中学校に行こうと思った。出身校であるから、母校という表現が正しいかもしれないが、あの学校にはほとんど通っていない。一年生の五月、ゴールデンウィーク明けにはもう行かなくなっていたように記憶している。」
武田結香子 「気がつくとそこは何もない。真っ暗な空間だった。どこまでも果てしなく広がっている。俺は不安になって走り出す。行き先も分からないまま、ただひたすらに。でも光なんてどこにもなく、叫んだってむなしく響くだけで、悲しさと、寂しさと苦しさが混ざりあう。俺は立ち止まってしまう。心の中で誰かが問いかけてくる。」
杉山知紗 「少女たちだった。細い体躯より伸びた白い腕足は、セーラー服に包み隠されていた。少女たちは小さな唇を白い手で隠しながら耳元に寄せ、甘い声密やかに囁いた。少女は黄色い声を上げ、少女の手を取った。少女たちの三つ編みとスカートが揺れる。しかし少女たちは女だった。初恋を思わせる頬の色合いがあっても、交換された赤いスカーフがあっても。」
※「2011年、読書と創作の旅」と題して、この一年、書くこと、読むことの習慣化・日常化を目指して旅してきた。これらの作品から成果を読みとることができるか。
ゼミ誌文庫本刊行に孤軍奮闘したゼミ誌編集長は、裏表紙をこんな言葉で締めくくった。
「2011年・本の旅 あなたはどんな景色を見るのでしょうか」そんなタイトルで始まった下原敏彦ゼミ。普段何気ない「日常」から新たな発見を探す旅へ。今、歩きだす。
(ゼミ誌編集長・武田結香子)
第10回江古田文学賞(『江古田文学 78』発表)
杉山知紗『へびとむらい』
「華ちゃんが高校にコネで入学したことと援助交際をしていたことは誰もが知っていたけれど、蛇を飼っていることはひとりだけしか知らなかった。華ちゃんは入学してすぐ面倒になって不登校になってしまった。―――」
選 評(『江古田文学 78』から)
上記、最初の「一文に内容全てが要約されてしまう作品かも知れない。しかし、その一つ一つの要素から独自の軽やかな饒舌体で膨らませた世界は、不思議なん細部のリアルさをともなって読み手のなかに入ってくる。」(青木敬士)
「ここでは引きこもりとか援助交際とかが、困ったことだとも悪いことだとも思われてはいない。――― 結末部分がいささかつじつま合わせの展開になっているけれども、作品は充分に才気を感じさせる。」(近藤洋太)
「現実が非現実を超える現実を描いた凄い作品で、全員、文句なしで決まった。――他作品を圧倒した作品であった。文章からは、主人公の女子高校生に相応しい生き生きした感性が伝わったし、細部の描写にも今風の高校生らしい感覚が滲み出て、説得力があった。――もっと読みやすさを工夫すると、さらに小説としての評価は上がるはずである。」(村上玄一)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 はじめ作品の題名を聞いたとき、なぜか牧歌的印象を思い描いた。田園風景。花咲く野辺に穴を掘って蛇を埋める。子どもの頃、体験したこんな風景。が、作品は、そんな郷愁を一蹴した。物語は都会の自宅で輸入品の蛇をペットにして殺す話。主人公は不登校、援助交際の女子高生。おまけに交際相手は担任教師。彼女の部屋は狭いが、俗世のいろんな欲望が詰め込まれている。ヘビは象徴のようにも思える。(編集室)
文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.185―――――――― 4 ――――――――――――――
1・16ゼミの名作読みは『小倉百人一首』
わが国最高の名作のひとつに、この小倉百人一首があります。が、読者は近年、両極になってきているようです。競技や入試対策など必要あって読む人と、趣味で読む人。それ以外はまったく読まないようです。このゼミでは、どうかというと毎年、聞いてみるのですが、ほとんどの人が読んでいません。今年は一人いました。名作は、たいていそんなものかも知れません。が、新年で、せっかくなのでカルタ大会を行います。坊主めくりも。
2011年読書と創作の旅 百人一首一覧
 1.秋の田の かりほの庵の 苫をあらみ わが衣手は 露にぬれつつ     天智天皇 
 2.春すぎて 夏来にけらし 白妙の 衣ほすてふ 天の香具山        持統天皇  
 3.あしびきの 山鳥の尾の しだり尾の ながながし夜を ひとりかも寝む  柿本人麻呂
 4.田子の浦に うち出でてみれば 白妙の 富士のたかねに 雪は降りつつ  山部赤人
 5.奥山に 紅葉踏み分け 鳴く鹿の 声聞くときぞ 秋は悲しき       猿丸大夫
 6.鵲の 渡せる橋に 置く霜の 白きを見れば 夜ぞふけにける       中納言家持
 7.天の原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に 出でし月かも      安倍仲麿
 8.わが庵は 都のたつみ しかぞすむ 世をうぢ山と 人はいふなり     喜撰法師
 9.花の色は 移りにけりな いたづらに 我身世にふる ながめせしまに   小野小町
10.これやこの 行くも帰るも 別れては 知るも知らぬも あふ坂の関    蝉丸
11.わたの原 八十島かけて 漕き出でぬと 人には告げよ あまのつりぶね  参議篁
12.天つ風 雲のかよひ路 吹きとぢよ 乙女の姿 しばしとどめむ      僧正遍昭
13.筑波嶺の みねより落つる みなの川 恋ぞつもりて 淵となりぬる    陽成院
14.陸奥の しのぶもぢずり 誰ゆゑに 乱れそめにし 我ならなくに     河原左大臣
15.君がため 春の野にいでて 若菜摘む わが衣手に 雪は降りつつ     光孝天皇
16.立ち別れ いなばの山の 峰に生ふる まつとし聞かば 今帰り来む    中納言行平
17.ちはやぶる 神代もきかず 竜田川 からくれなゐに 水くくるとは    在原業平朝臣
18.住の江の 岸に寄る波 よるさへや 夢のかよひ路 人目よくらむ     藤原敏行朝臣
19.難波潟 短かき蘆の 節の間も 逢はでこの世を 過ぐしてよとや     伊勢
20.わびぬれば 今はた同じ 難波なる 身をつくしても 逢はむとぞ思ふ   元良親王
21.今来むと いひしばかりに 長月の 有明の月を 待ち出でつるかな    素性法師
22.吹くからに 秋の草木の しをるれば むべ山風を あらしといふらむ   文屋康秀
23.月見れば ちぢに物こそ 悲しけれ わが身ひとつの 秋にはあらねど   大江千里
24.このたびは ぬさもとりあへず 手向山 紅葉のにしき 神のまにまに   菅家
25.名にし負はば 逢坂山の さねかづら 人に知られで くるよしもがな   三条右大臣
26.小倉山 峰の紅葉ば 心あらば 今ひとたびの みゆき待たなむ      貞信公
27.みかの原 わきて流るる いづみ川 いつ見きとてか 恋しかるらむ    中納言兼輔
28.山里は 冬ぞさびしさ まさりける 人目も草も かれぬと思へば     源宗于朝臣
29.心あてに 折らばや折らむ 初霜の 置きまどはせる 白菊の花      凡河内躬恒
30.有明の つれなく見えし 別れより 暁ばかり 憂きものはなし      壬生忠岑
31.朝ぼらけ 有明の月と 見るまでに 吉野の里に 降れる白雪      坂上是則
32.山川に 風のかけたる しがらみは 流れもあへぬ 紅葉なりけり     春道列樹
33.久方の 光のどけき 春の日に しづ心なく 花の散るらむ        紀友則
34.誰をかも 知る人にせむ 高砂の 松も昔の 友ならなくに        藤原興風
35.人はいさ 心も知らず ふるさとは 花ぞ昔の 香ににほひける      紀貫之
36.夏の夜は まだ宵ながら 明けぬるを 雲のいづこに 月宿るらむ     清原深養父
37.白露に 風の吹きしく 秋の野は つらぬきとめぬ 玉ぞ散りける     文屋朝康
―――――――――――――――――― 5 ――――― 文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.185
38.忘らるる 身をば思はず 誓ひてし 人の命の 惜しくもあるかな     右近
39.浅茅生の 小野の篠原 しのぶれど あまりてなどか 人の恋しき     参議等
40.忍ぶれど 色に出でにけり わが恋は 物や思ふと 人の問ふまで     平兼盛
41.恋すてふ わが名はまだき 立ちにけり 人知れずこそ 思ひそめしか   壬生忠見
42.契りきな かたみに袖を しぼりつつ 末の松山 波こさじとは      清原元輔
43.逢ひ見ての 後の心に くらぶれば 昔は物を 思はざりけり        権中納言敦忠
44.逢ふことの 絶えてしなくば なかなかに 人をも身をも 恨みざらまし   中納言朝忠
45.哀れとも いふべき人は 思ほえで 身のいたづらに なりぬべきかな    謙徳公
46.由良の門を 渡る舟人 かぢを絶え ゆくへも知らぬ 恋の道かな      曽禰好忠
47.八重むぐら しげれる宿の さびしきに 人こそ見えね 秋は来にけり    恵慶法師
48.風をいたみ 岩うつ波の おのれのみ くだけて物を 思ふころかな     源重之
49.みかきもり 衛士のたく火の 夜はもえ 昼は消えつつ 物をこそ思へ   大中臣能宣朝
50.君がため 惜しからざりし 命さへ 長くもがなと 思ひけるかな      藤原義孝
51.かくとだにえやはいぶきのさしも草 さしもしらじなもゆる思ひを   藤原実方朝臣
52.明けぬれば暮るるものとはしりながら なほうらめしき朝ぼらけかな  藤原道信朝臣
53.なげきつつひとりぬる夜のあくるまは いかに久しきものとかはしる  右大将道綱母
54.忘れじのゆくすえまではかたければ 今日を限りの命ともがな      儀同三司母
55.滝の音はたえて久しくなりぬれど名こそ流れてなほ聞えけれ      大納言公任
56.あらざらむこの世のほかの思ひ出にいまひとたびのあふこともがな   和泉式部
57.めぐりあひて見しやそれとも わかぬまに雲がくれにし夜半の月かな  紫式部
58.有馬山 猪名の笹原 風吹けば いでそよ人を忘れやはする       大弐三位
59.やすらはで寝なましものをさ夜ふけて かたぶくまでの月を見しかな    赤染衛門
60.大江山いく野の道の遠ければ まだふみも見ず天の橋立         小式部内侍
61.いにしへの奈良の都の八重桜 けふ九重ににほひぬるかな       伊勢大輔
62.夜をこめて鳥のそらねははかるとも よに逢坂の関はゆるさじ     清少納言
63.いまはただ思ひ絶えなむとばかりを 人づてならで言ふよしもがな   左京大夫道雅
64.朝ぼらけ宇治の川霧たえだえに あらはれわたる瀬々の網代木     権中納言定頼
65.うらみわびほさぬ袖だにあるものを 恋にくちなむ名こそをしけれ   相模
66.もろともにあはれと思へ山桜 花よりほかにしる人もなし       前大僧正行尊
67.春の夜の夢ばかりなる手枕に かひなくたたむ名こそをしけれ     周防内侍
68.心にもあらでうき世にながらへば 恋しかるべき夜半の月かな     三条院
69.あらし吹くみ室の山のもみぢばは 竜田の川の錦なりけり       能因法師
70.さびしさに宿を立ち出でてながむれば いづくもおなじ秋の夕ぐれ   良選法師
71.夕されば門田の稲葉おとづれて 蘆のまろやに秋風ぞ吹く       大納言経信
72.音に聞く高師の浜のあだ波は かけじや袖のぬれもこそすれ    祐子内親王家紀伊
73.高砂のをのへのさくらさきにけり とやまのかすみたたずもあらなむ 前権中納言匡房
74.憂かりける人を初瀬の山おろしよ はげしかれとは祈らぬものを   源俊頼朝臣
75ちぎりおきしさせもが露をいのちにて あはれ今年の秋もいぬめり   藤原基俊
76.わたの原こぎいでてみれば久方の 雲いにまがふ沖つ白波 法性寺入道前関白太政大臣
77.瀬を早み岩にせかるる滝川の われても末にあはむとぞ思ふ      崇徳院
78.淡路島かよふ千鳥のなく声に 幾夜ねざめぬ須磨の関守       源兼昌
79.秋風にたなびく雲のたえ間より もれいづる月の影のさやけさ    左京大夫顕輔
80.長からむ心もしらず黒髪の みだれてけさはものをこそ思へ     待賢門院堀河
81.ほととぎす鳴きつる方をながむれば ただありあけの月ぞ残れる   後徳大寺左大臣
82思ひわびさてもいのちはあるものを 憂きにたへぬは涙なりけり   道因法師
83.世の中よ道こそなけれ思ひ入る 山の奥にも鹿ぞ鳴くなる     皇太后宮大夫俊成
84ながらへばまたこのごろやしのばれむ 憂しと見し世ぞ今は恋しき   藤原清輔朝臣
文芸研究Ⅱ下原ゼミNo・185 ――――――― 6――――――――――――――――
85.夜もすがら物思ふころは明けやらで 閨のひまさへつれなかりけり   俊恵法師
86.なげけとて月やは物を思はする かこち顔なるわが涙かな        西行法師
87.村雨の露もまだひぬまきの葉に 霧たちのぼる秋の夕ぐれ       寂蓮法師
88.難波江の蘆のかりねのひとよゆえ みをつくしてや恋ひわたるべき  皇嘉門院別当
89.玉の緒よたえなばたえねながらへば 忍ぶることの弱りもぞする   式子内親王
90.見せばやな雄島のあまの袖だにも ぬれにぞぬれし色はかはらず   殷富門院大輔
91.きりぎりす鳴くや霜夜のさむしろに衣かたしきひとりかも寝む 後京極摂政前太政大臣
92.わが袖は潮干にみえぬ沖の石の 人こそしらねかわくまもなし   二条院讃岐
93.世の中はつねにもがもななぎさこぐ あまの小舟の綱手かなしも    鎌倉右大臣
94.み吉野の山の秋風さ夜ふけて ふるさと寒く衣うつなり        参議雅経
95.おほけなくうき世の民におほふかな わがたつ杣に墨染の袖      前大僧正慈円
96.花さそふ嵐の庭の雪ならで ふりゆくものはわが身なりけり     入道前太政大臣
97.こぬ人をまつほの浦の夕なぎに 焼くやもしほの身もこがれつつ    権中納言定家
98.風そよぐならの小川の夕ぐれは みそぎぞ夏のしるしなりける     従二位家隆
99.人もをし人もうらめしあぢきなく 世を思ふゆえに物思ふ身は    後鳥羽院
100.ももしきやふるき軒ばのしのぶにも なほあまりある昔なりけり   順徳院
解説のなかで、注目される一つ
 
◇ 32.山川に 風のかけたる しがらみは 流れもあへぬ 紅葉なりけり     春道列樹
この歌は、古注では「風のかけたるしがらみ」という表現をきわめて高く評価しており、応永抄では、「誠にはじめて言出したる妙処也」、頼孝本は「ことばあたらしくおもしろきうたなり」、上條本は、「粉骨也」、米沢本は「金玉なり」なりと絶賛している。
しかし、その表現内容の理解には微妙な相違がある。紅葉が間断なく散り落ちて流れもせきかえすばかり、と見る光景と、紅葉のながれる跡より吹き入れて、そこにもみじのたえぬしがらみ、と見る光景など。詳しくは『百人一首』(講談社)解釈参照
百人一首について
 「百人一首」についてカルタでは知っているが、歴史、選者についてはあまり知られていない。編集室も右同じである。古文は苦手ということからゲーム以外には目を向けなかった。が、講談社学術文庫・有吉保全訳注『百人一首』を買って読んだら、これが解り易くて面白い。いろいろわかったこともある。で、解説の1部を紹介する。以下、同書解説から。
一、書 名
 百人一首とは、百人の歌人から各一首ずつ歌を集めたもの、という意味である。この書名は、現存の百人一首注の最古の奥書をもつ『百人一首応永抄』(応永十三年1406年の藤原満基の奥書)の内題に「小椋(倉)山庄色紙和歌」とあるものの、その序文には「世に百人一首と号する也」とあるように、古くより「百人一首」と呼ばれていたとみられる。その後、足利義尚の『新百人一首』や『武家百人一首』『女房百人一首』などが世に出て、それらと区別するために「小倉」を冠として「小倉百人一首」と呼ぶようになった。「小倉」「小倉山荘」などを付した名称となったのは、後述するように、百人一首の成立が藤原定家の小倉山荘と深い関係にあると考えられたからである。
二、選者と成立
 百人一首は、中世以来藤原定家の撰と信じられてきた。しかし、近世になり、安藤為章(年山)が『年山紀聞』(元禄十五年成る)で、定家の『名月記』分暦二年(1235)5月27日の条に
とあることにより、入道蓮生(為家の妻の父)が自身の嵯峨中院の別荘の障子に貼るため、歌
―――――――――――――――――― 7 ――――― 文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.185
をみずから選び染筆のみを定家に依頼したという説を示した。その後、諸説があったが、百人一首の成立問題は稿者の『百人一首応永抄』「百人秀歌」の紹介により一つの曲がり角を迎えたと思われる。そして「墨美」に定家筆とされる後鳥羽院「ひともおし」の小倉色紙が掲載されたことにより、近来の諸説は、後述するように定家撰説が有力で、部分的補ていの点で意見の相違がみられる。
 ところで、先に掲出した『名月記』分暦二年(1235)5月27日の記事は『百人一首』と深い関係にある『百人秀歌』の記述とみられるので、まず『百人集荷』について検討しておきたい。
三、「百人一首」の成立
 百人一首は、既に完成していた百人秀歌を草稿として、成ったものとみられる。そして、この両書とも定家の手になるものと考えるのが多くの意見であるようである。
 しかし、現存の『百人一首』は、色紙との関係や補訂者とその時期をいつと考えるかに問題がまだ残されているようにみられる
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「 透 明 な 存 在 」 の 正 体
      「ドストエーフスキイと現代の問題」1999年シンポジウム報告から 
                                下原 敏彦
 「人を殺して、なぜいけないのか」と問う少年たち。「自分の体でお金を稼いで、なぜ悪いのか」と答える少女たち。杉山さんの「へびとむらい」でもみるように現代の問題は、より不可解で、理解しがたい問題となってきている。謎に満ちた現代の問題。はたしてドストエフスキーで解くことが、語ることができるだろうか・・・。ここでは神戸の少年Aの事件簿を考察しながら挑戦してみた。
以下は、前号のつづきです。(2回目の掲載、加筆)
三 、 「 透 明 な 存 在 」 と ドストエフスキー
 ドストエーフスキイの作品には、異常とも思える人物たちが次々と登場する。と、いうより物語は殆ど異常な人たちで構成されている。ここで言う異常な人たちというのは、いわゆる「透明な存在」にコントロールされた人たちのことである。
例えば『貧しき人々』のマカール・ジェーヴシキン。彼は、身よりのない若い遠縁の娘ワルワーラにせっせと手紙を書き続ける中年男だが、その純情行為は現代において、まさにストーカー的と言えなくもない。「あなたの卑しき下僕にして忠実無比の友(米川訳)」からはじまった手紙の差出人の添え書きは、「永久にあなたのために最も忠実なる友」になり、「あなたのV・D」となり、途中から「愛するワーレンカ」の呼びかけにエスカレートしていく。彼女のために役所勤めの給料すべてつぎ込み路頭に迷ってもなお、「わたしの愛する人、なつかしい人、わたしのワルワーラ」と叫びつづける執拗な未恋心。毎夜、マットレスの中に隠した金貨銀貨をこっそり数える『プロハルチン氏』の吝嗇。『罪と罰』では、前述した非凡人思想(ナポレオンになりたいと思う心)に憑かれた主人公ラスコーリニコフ、アル中の典型人間マルメラードフ、自己犠牲の信奉者ソーニャ。水晶宮という『悪霊』にと取り憑かれた若者たちもまたしかりである。『白痴』には、摂食障害に陥ったような、あきらかにそんなふうな過激でエキセントリックな女性たちが、何人も登場する。
文芸研究Ⅱ下原ゼミNo・185 ―――――――― 8――――――――――――――――
とにかくドストエーフスキイの作品には、守銭奴、アル中、吝嗇、非凡人妄想家などあらゆる欲(存在)にとりつかれた人間が多数登場する。彼らは一見普通の市民に見えるが皆、何か強い見えぬ力に操られて行動しているかのようでもある。まるで操り人形のように。
 ドストエーフスキイは、作品の中にこうした人たちを描くばかりではなく、現実の社会のなかにも「透明な存在」にコントロールされたかのような人々や主義・思想を見つけることができた。たとえば社会主義という崇高な理念。そのなかに人々を粛清し奴隷化する「透明な正体」が潜んでいることを見抜いていた。当時、若者たちの心をつかんだチェルヌイシェフスキーの『何をなすべきか』の未来には何があるのかを理解していた。それにいち早く気づいたのは20世紀初頭のロシアの批評家ペレヴェルゼフ(1882-1968)だった。彼はロシア革命の嵐の最中、ドストエフスキー生誕百年祭のなかで、「ドストエフスキーと革命」を講演し、「現下においてこそ、ドストエフスキーを想起し」再読しなければならない、と警鐘を鳴らした。
また、犯罪者のなかにも「透明な存在」に取り込まれた不幸な人を見つけ、彼らを救いだすために手を尽くした。(このためドストエーフスキイは、ともすると犯罪者の味方のように誤解される)。犯罪者の救済――『作家の日記』にみる「単純な、しかも厄介な事件」は、その一つの好例である。それは次のような事件である。 
 五月のある朝、いつものように新聞を読んでいたドストエーフスキイは、ある記事に興味を抱いた。それは継母が六歳の継娘を殺そうとして未遂に終わった事件である。この事件は夫に不満を持つ妻が、夫の連れ子である継娘を殺そうと計画。朝、夫を見送ったすぐあと実行した憎むべき事件である。彼女は夫の背中が見えなくなると、急いで四階の窓に継娘を呼び、小さな足首をつかんで窓外に放り投げた。彼女は、その足で警察に自首した。十何メートルの高さだったが奇跡的に少女は助かった。しかし、幼い可愛い盛りの子供を殺そうとした罪は、とうてい許されるものではない。が、ドストエーフスキイは何か腑に落ちないものを感じた。このことで「しかるに、実際においては、この人非人の継母の振る舞いはあまりに奇怪千万なので」と書いている。存在のにおいをかぎとったのである。
 そして、一八七六年十月十五日にこう書いている。
 「裁判所で例の継母事件の判決があった/半年前の五月に/幼い継娘を、四階の窓からほうり出したところ、子供は何かの奇跡で怪我一つせず、息災でいたという、あの事件なのである。」判決は、殺人未遂事件の容疑者・継母エカチェリーナ・コルニーロヴァ(20)を二年八ヵ月の懲役に処し、その満期後、終身シベリア流刑という重い、そして単純明瞭なものであった。
この判決にドストエーフスキイは不満を感じた。彼女が妊婦だったことから、事件の中に彼女の意志ではない何かの介在を感じ取ったのだ。ドストエーフスキイは、犯罪を行なったのは「並はずれた激情(アフェクト)」と考えた。つまり事件の真犯人は「並はずれた激情」で彼女自身には罪がないというものだった。この論旨でドストエーフスキイは裁判史上例のない弁護を熱く展開した。
 その結果、動かしがたいと思えたこの判決は覆って無罪となった。このとき、ドストエーフスキイが感じたアフェクトというもの、それはもしかして少年Aが自らの心の中に認識した「透明な存在」のようなものではなかったか。私はそのように思うのである。
☆激情(アフェクト)= 少年Aの「透明な存在」=現代の問題を引き起こすもの
それでは、なぜドストエーフスキイは、このように「透明な存在」に操られる登場人物を作品に描いたり、実社会のなかに発見することができたのか。
それは、もしかしたらドストエーフスキイ自身も「透明な存在」に支配され操られていた。そうした事実があったからではないか、と想像する。ドストエーフスキイの心の中に棲み、ドストエーフスキイを操っていた「透明な存在」とはいったいどんな存在であったのか。
ドストエーフスキイといえば死刑宣告、シベリア流刑、そして癲癇の病をもつ文豪ということでよく知られている。が、一時期、もう一つの顔をもっていたことは、一般にはあまり
―――――――――――――――――― 9 ――――― 文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.185
知られていない。ドストエーフスキイのもう一つの顔。それはギヤンブルにのめりこんだ賭博者の顔である。ドストエーフスキイはルーレットをどうしても止めることができなかった。そのために家族を苦しめ、常に自己嫌悪に陥っていた。
(「家庭から、妻子から金をもぎとってしまったという自責の念でその一週間に夫が味わわ
ねばならなかった苦しみ」)ドストエーフスキイがギャンブル狂いするのに、妻のアンナには、理解できなかった。死刑に直面し、酷寒のシベリア流刑を強い意志で耐えることができた彼が、どうしてルーレットごときの誘惑に負けてしまうのか。(「はじめのうち、あれほどさまざまな苦しみ「要塞での監禁、処刑台、流刑、愛する兄や妻の死など」を男らしくのりこえてきたフョードル・ミハイロヴィチほどの人が自制心もって、負けてもある程度でやめ、最後の一ターレルまで賭けたりしない意志の力をどうして持ちあわせないのか不思議でならなかった。」と語っていた。
 ギャンブル熱、それは家族への愛も他者へのいたわりも、作家の意志さえも無視する存在。強烈で堅固な、ただひたすら目的だけを果たそうとする非情な存在。二×二=四の存在宇宙に生きる者にとっては、到底、理解しがたい存在なのだ。夫人が理解できないのも無理からぬことである。だがしかし、彼女はその後、夫に取りついた不可解な存在(ギャンブル熱)について、このように解釈し納得した。「これは単なる〃意志の弱さ〃などではなく、人間を全的にとらえる情熱、どれほどつよい性格の人間でもあらがうことができない何か自然発生的なものだということがわかってきた」
 ギャンブルという依存症。それは「透明な存在」を限りなく連想する。ドストエーフスキイにギャンブルをさせていたのはドストエーフスキイ自身ではない、ほかの誰か。つまりも「透明」という名の「存在」ではなかったか、と思うのである。
 それではドストエーフスキイはどうしてギヤンブル狂になってしまったのか。この疑問は、なぜドストエーフスキイは「透明な存在」に取り憑かれてしまったか、あるいは成長されてしまったのか。
いわゆる専門家の見方として、たいていの依存症(嗜癖)は心の傷(トラウマ)と密接な関係がある、といわれている。つまり心の傷には、「透明な存在」が成育するのに適した環境がある、ということである。心の傷と「透明な存在」の関係について知るには、その人の人生を振り返ってみる必要がある。すると虐待する親には、虐待する親が、自虐の子には、自虐の親が、といったようにそこには必ずや不幸の連鎖がある。
ではドストエーフスキイには、どんな連鎖があったのか。彼の人生を振り返ってみると、(私の想像するところではあるが)、いわゆる「透明な存在」が好んで棲みついたトラウマがいくつもある。多感な少年期に愛する母を亡くしたときの傷、また、密かに忌み嫌っていた父親が異常な殺され方をしたときの傷。(間接的に父殺ししたと思い)
 もっとも、たいていの人は、その少年期において何らかのトラウマをもっている。だれもが癌細胞を有するように「透明な存在」をも棲ませているのである。そして、たいていの癌細胞がそうであるように殆ど何の活動もしないで終わる場合が多い。「透明な存在」が活動するのは切っ掛けがある。ドストエーフスキイの場合どんなきっかけがあったのか。アンナの日記によるとドストエーフスキイがギャンブルをはじめたのは、兄ミハイルの急死(一八六四年)以降のようだ。
 人の死と「透明な存在」の活動開始の関係。ここで思い出すのが現代の問題といわれる犯罪の容疑者と人の死の因果関係である。連続幼女殺人事件の犯人・宮崎勤は「祖父の死」をきっかけに犯行を重ねたといわれる。神戸の事件も、少年Aの「祖母の死」が引き金となったようにいわれている。京都の小学生殺人事件の容疑者が変わったのも「父の死」以降といわれる。犯罪とギャンブルでは行為そのものは違うが、どちらも親しい人間の死によって潜んでいた「透明な存在」が成長し、恐ろしい怪物と化したことになる。
このように仮定すれば、ドストエーフスキイにとりついた「透明な存在」は、兄ミハイル
文芸研究Ⅱ下原ゼミNo・185 ―――――――― 10――――――――――――――――
の死を契機に活動を開始したことになる。ギャンブルというかたちで。
ゆえに些か短絡的ではあるが、ドストエーフスキイと現代の問題は次のような共通項で繋がってくるのでは、と思うのである。
ドストエーフスキイ=ギャンブル=止めようとしても止まらぬもの、やめることのできないもの=少年Aの「とうてい、反論こそすれ抵抗などできようはずもない」(懲役13年)
もの「魔物」=「透明な存在」による不可解な事件=現代の問題。
 「透明な存在」の支配から、脱出するのは難しい。また、それ以上に心の中に「透明な存在」を見つけだすのも難しい。神戸の少年Aは、例の作文のなかでこう書いている。
「通常、現実の魔物は、本当に普通な”彼”の兄弟や両親たち以上に普通に見えるし、実際、そのように振舞う」。独裁者に歓喜する国民、傍からみれば詐欺まがいの宗教をひたすら帰依している信者たち。彼らをみると頷ける。
日本にアダルトチルドレンの言葉を紹介した精神科医は、はっきりとこう断言している。拒食症・過食症、ギャンブルなど依存行為(「透明な存在」)にとらわれた人たちの治療は難しい。医師やカウンセラーだけの力では治らない、と。
神戸の少年Aは、カウンセリング中にあの事件を計画し、実行したのである。
                                     つづく
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ノンフィクション劇場  柔道・町道場の灯を守って 土壌館物語
連載5
 おんぼろ道場奮戦記 
前回まで
1996年11月24日NHKテレビ「日本点描」番組で「教え子たちの歳月」が放映された。写真家熊谷元一が、43年前の教え子たちを訪ねて写真に撮るという企画だった。教え子たち一人一人の現在を熊谷が追い、その後をテレビの撮影隊が追った。私の現在は、柔道師範だった。ひょんなこととはいえ、それがきっかけで私は、迷っていた町道場を完全に引き受けることに決心した。徒手空拳の私が、一夜にしておんぼろだが35畳の柔道場の道場主になったのだ。もしかして運が向いてきたのではと喜んだ。が、糠よろこびだった。道場は借地で、契約期間も後3年、おまけに、地主からは借地返還を迫られていた。
平屋でトタン屋根の道場は、道場とは名ばかりで、廃屋同然だった。何のことはない私は、巨大な粗大ゴミを引き受けてしまったのだ。御年90になる老先生には今さら、やめます、ともいえず困った。解体して更地にするには金がかかる。子どもたちも数人通っている。そんなことから、とりあえず、つづける他なかった。しかし、不動産屋は黙っていなかった。一日も早く駐車場にしたい。そんな目的で返還を迫ってきた。が、欲より子どもたちに居場所を、の思いが通じて、おんぼろ道場は残った。寝技はさして得意ではなかったが、何かしら寝わざで勝ち残れた。そんな気がした。
土壌館誕生 最初の生徒たち
たとえオンボロでも晴れて道場主となった私である。これまで通りぼんやりと稽古をしているだけではすまない。まずはじめに私がしなければならないことは生徒を増やす算段だった。私が休んでいるあいだ生徒はぐつと減っていた。このとき通ってくる生徒
―――――――――――――――――― 11 ――――― 文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.185
は小学生二人と、ノッポの高校生二人きりだった。
さすがに老先生も悪いと思ってか、新聞の折りこみ広告をすすめてくれた。が、一回こっきりで二万も三万するうえ印刷代も馬鹿にならないので、やめにした。かわりに、手製の絵入りの看板を何枚か作って、公園や学校周辺に掛けてまわった。しかし、入門者はなかなかあらわれなかった。が、待てば海路の日和。しだいに、入門者がふえだした。まずはじめに三年生の子が友人を連れてきた。近くの自衛隊から二十六歳の青年が入門した。つづいて大学生が入門した。つづいて小学二年生の子が入門した。その子の家はお母さんがお琴の先生で、
「きびしく指導してください」
が注文だった。
 この家はお父さんも厳しそうで、大会で会ったときなどさかんに
「びしびしやってくださいよ」
と、はっぱをかけられた。
 一気に四人もの生徒が増えたのである。全員で八人となると、オンボロ道場もさすがにぎやかになった。
  幸先のよいスタートとなった。以下が、そのときのメンバーである。(仮称)
小学三年生 佐藤貴則
小学四年生 大林 保
小学四年生 小坂知稔
小学五年生 遠山康弘
高校二年生 宮野圭輔    
高校二年生 水嶋貴之    
大学一年生 原田良介    
大学ニ年生 冨川建作    
自衛隊員  山本慎一郎   
ときに平成六年、梅雨も明けた七月のことであった。世界は近づくアトランタオリンピックに沸いていた。
                  次号につづく
話 題      新成人、全国で122万人
ゼミで成人式を迎えた人、おめでとう !
1月9日(月 祝日) ゼミⅡの皆さんの中で成人を迎えた人は多かったのでは。
総務省の人口推計によると、平成24年1月1日現在、20歳の「新成人」は、全国で122万人とのこと。5年連続で過去最少を更新している。
2011年、自殺者14年連続3万人超 30513人
東京3100人  大阪1899人  神奈川1824人  埼玉1645人  愛知1630人
全体の68%が男性。多い月は、3月、10月、11月 警察庁のまとめ。
イラク戦争10年間で米兵の死者4500人、ベトナム戦争5万人。この数字、多いというべきか、少ないというべきか。日本の自殺者数を知ると、わからなくなる。1年間に3万人の町がボンと消えてしまうわけだ。10年たてば、30何万の中型都市が、無くなるわけだ。それもコンスタントに。
文芸研究Ⅱ下原ゼミNo・185―――――――― 12――――――――――――――――
2011年後期ゼミ旅日誌
□9月26日ゼミ 参加者7名=椎橋萌美、會澤佑香、藤塚玲奈、春日菜花、杉山知紗、武田結香子、内田悠介。課題「私の夏休み」発表=春日菜花「窓辺の光景」、藤原佑貴「何でも読んでやろう」。課題「なんでもない一日の記録」発表=藤塚玲奈「サクランボとお婆さん。 課題「未来車内観察」発表=武田結香子「10年後の私」。ゼミ誌編集=武田。
□10月3日ゼミ 参加者3名=春日菜花、杉山知紗、武田結香子。課題「私の夏休み」発表=武田結香子「夢を見つけた夏」。課題「車内観察」掲載=會澤佑香「寒い日」。課題『にんじん』感想・意見掲載=椎橋、春日、杉山、武田、藤塚、會澤、内田。ゼミ誌編集=武田。
□10月17日ゼミ 参加者3名=春日菜花、杉山知紗、武田結香子。課題『にんじん』感想発表「失礼ながら」「尿瓶」「うさぎ」=杉山、春日、武田。ゼミ誌編集=武田。
□10月24日 参加者3名=春日菜花、杉山知紗、武田結香子。課題『にんじん』感想発表「もぐら」「つるはし」「湯のみ」「ねこ」=春日、杉山、武田。課題「車内観察」発表=春日「工事中のホームで」。課題「日常観察」発表=武田「家族」。ゼミ誌編集=武田。
□10月31日ゼミ 参加者3名=春日菜花、杉山知紗、武田結香子。テキスト『剃刀』「剃刀職人客殺害疑惑事件」模擬裁判=武田・春日・杉山口演。ゼミ誌編集=武田。
□11月7日ゼミ 参加者3名=春日菜花、杉山知紗、武田結香子。課題「車内観察」発表=杉山「幼馴染と携帯」。テキスト脚本口演=武田・杉山・春日。ゼミ誌編集=武田。
□11月14日ゼミ 参加者=春日菜花。テキスト『兒を盗む話』「尾道幼女誘拐事件」についての=春日。伊那谷、他についての雑談=春日。ゼミ誌報告=武田「印刷交渉成立」
□11月21日ゼミ 参加者=杉山知紗、春日菜花。課題「車内観察」発表=春日「不幸な友」。
テキスト『范の犯罪』読み。「尾道幼女誘拐事件」判決考。
□11月28日 参加=杉山知紗、春日菜花、武田結香子。司会=杉山。「継子殺人未遂事件」考察。「ナイフ投げ美人妻殺害疑惑事件」裁判。合同発表会「剃刀殺人」裁判稽古。
□12月5日 参加=春日菜花、杉山知紗、武田結香子。司会=杉山。『江古田文学78』配布、杉山さんの受賞作品「へびとむらい」が掲載。名作店内観察『殺し屋』、「剃刀職人客殺害疑惑事件」裁判稽古。武田編集長報告、ゼミ誌9日に届く予定。
□12月12日 合同発表(清水・山下・下原ゼミ)「剃刀職人客殺害疑惑事件」裁判
□1月16日 
□1月23日
☆ゼミ誌作成に関する今後の重要書類、以下1点の書類提出に注意
1. 印刷会社からの【③請求書】を、出版編集室に提出する。
お知らせ
☆ドストエーフスキイ全作品を読む会「読書会」
2012年2月18日(土)池袋勤労福祉会館第7会議室 作品『弱い心』
時間 → 午後2時~   詳細は以下、編集室に
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
編集室便り
  住所〒274-0825 船橋市前原西6-1-12-816 下原方
  メール: TEL・FAX:047-475-1582  toshihiko@shimohara.net
ゼミ授業評価は、以下を基本とします。4単位
出席日数 + 課題提出(ゼミ誌原稿)+α = 100~60点(S,A,B,C)

シェアありがとうございます

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • Pocket

コメントを残す

PAGE TOP ↑