文芸研究Ⅱ 下原ゼミ通信No.187-2

公開日: 

日本大学芸術学部文芸学科     2012年(平成24年)4月23日発行
文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.187
BUNGEIKENKYU Ⅱ SHIMOHARAZEMI TSUSHIN
                             編集発行人 下原敏彦
                              
4/16 4/23 5/7 5/14 5/21 5/28 6/4 6/11 6/18 6/25 7/2 7/23
  
2012年、読書と創作の旅
4・23下原ゼミ
4月23日(月)の下原ゼミは、下記の要領で行います。文ゼミ2教室
1. ゼミについて 参加者自己紹介
2.  ゼミ誌編集委員選出 正副委員長 ゼミ班長決め  
3.  読むこと → 読書のススメ、『菜の花と小娘』
4.  書くこと → 愛読書・憲法などアンケート 提出課題 
8名の参加者 4・16ゼミ報告
 今年は、春は名のみが長かったせいか桜の咲き頃もずれたようだ。ゼミ初日の16日。4月半ばといえば例年なら、葉桜になっているが、所沢校舎の桜並木は散り時だった。桜吹雪のなか花影を踏んで文芸棟に向かいながら、今日はどんな見学者が、と心躍った。
 ゼミ5時限目というのは微妙な時間帯である。授業にあきてきた、サークルがはじまる、そろそろ街の灯が恋しくなる。そんな時間帯である。もっとも、昼間と夜の端境期の夕暮れ時、何か心急く時刻である。こんなとき授業に出ようという人は、本当に授業を受けたい。そんな心意気のある学生。そう思うしだいである。
8名の参加者があった。シラバスに関心もってきた人が大半だった。連れだってきた人は、いなかった。各人それぞれ自分の関心でゼミ見学にきた。そのように思えた。それだけに参加者に熱心さを感じた。ゼミについては、説明不足のところもあったが、前期、後期におけるだいたいの予定は話せたと思う。が、果たして何人の希望者が・・・。
紙芝居での自己紹介 初めての試み DVDは不調
 授業説明は、紙芝居形式で紹介した。下原ゼミでは、時間に余裕あったときに表現稽古として、紙芝居(山川惣治の「少年王者」)を口演している。その経験からゼミ説明も、紙芝居の方が、効果的では、と思い今年はじめて取り入れてみた。
 併せてDVDでの説明も加えた。が、こちらは、機具使用が不慣れだったため、思うように、というかスムーズに説明できなかった。DVDは、オンボロ道場改築(投書は文章修業にもなるし、思わぬ幸運もあるという話から)もうひとつは、ゼミ担当者が、制作に協力したNHK


のドキュメンタリー番組。こちらは下原の恩師・写真家熊谷元一が、50歳になった教え子を訪ねて全国行脚する映像だった。
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2012年読書と創作の旅・下原ゼミ
4・16補填
「2012年読書と創作の旅」とは何か
 スタンリー・キューブリック監督の映画「2001年宇宙の旅」(1968年)にあやかって名付けた。(アーサー・C・クラーク『前哨』1950)この映画のファンというだけだが、理由をつければ、この宇宙の旅の目的は、人間の謎を知るため。下原ゼミでの読書と創作も、同じ目的「人間の謎」を知るためだからです。大銀河の辺境にあるちっぽけな惑星。そこに棲む人間という奇妙な生き物。彼らは、何のために生きているのか・・・・・。
ゼミでの大局的な目的
大学生活で真に目指すものは何か。むろん専門の学識もあるが、大局的には、「個人の完成」に他ならない。個人の完成がなければ、社会でいかに権力を得ようが、富を得ようが、個人の完成にはほど遠いといえます。古今東西歴史に名を刻む独裁者たちは、その例です。
 では個人の完成とは何か。どうすれば完成できるのか。これについて言汲した人がいます。明治初年の混乱期にあって日本における教育制度の確立に尽力した嘉納治五郎(柔道の創始者としてよく知られるている1860-1938)です。この人は、「個人の完成」について、このように述べている。
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「いったい人というものは何かと問われれば、遠い祖先からこの世に生まれてきて周囲の影響と他人の力とで成長し、ある時期から後は自己の力もこれに加わって発達してきたもの」で「個人の完成とは、現在その個人が棲息している社会において可能なる肉体及び精神の最も発達したる状態と、その力によって獲得し得る最も大なる有形無形の力である」
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 つまるところ人間の完成には、環境もあるが、その人自身の努力と勉学への意志が大きい。そのように説いているのです。自分の努力と、学ぶ意志を併せて実施できるのはゼミ授業です。それ故に、ゼミ授業は、重要です。特に2年目は、大学にも慣れ環境的に集中できる年です。この一年、自身を磨き、個人の完成に近づけるよう期待します。
 ちなみに完成された個人とは、他者から信用される、頼りにされる人間です。
実質的な授業目的
下原ゼミの実際的な授業目的は、以下の通りです。
前期 → 「読むこと」と「書くこと」の習慣化・日常化を目指す。
「読むこと」 → 主に志賀直哉の観察作品(ほか短編名作)
「書くこと」 → 車内観察(ほか観察)、自分の一日、  選考でゼミ誌掲載
挑戦として、テキスト(『網走』)前後の創作 ゼミ誌掲載
後期 → 「批評力」と「客観性」を培う。
 「批評力」「客観性」 → 『にんじん』家庭の検証 新聞三面記事評   
犯罪作品の脚本化と模擬裁判・寸劇
※犯罪作品 → テキスト『范の犯罪』『剃刀』『兒を盗む話』他
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4・16補填
担当者紹介
1. 私は1947年生まれです。ということは、団塊世代の走りということになります。ちなみに団塊世代というのは47年から49年に生まれた人たちのことをいいます。大勢の原因は、戦争が終わって大勢の兵隊が戦地から復員してきたことが原因です。作家の堺屋太一が『団塊の世代』1971年を出してからというのが定説になっている。私は1月生まれですから、団塊世代の走り、旗手といえます。最近は年金問題などで肩身が狭い世代です。
2 生まれたところは.長野県の伊那谷です。伊那谷というのは中央アルプス(木曽山脈)と南アルプス(赤石山脈)のあいだにある細長い谷で上伊那と下伊那に分かれています。私が育ったのは、ずっと下の方の岐阜県との県境。名古屋から中央高速道で2時間走ると恵那山トンネルという世界で2番目に長いトンネルがあります。私の郷里は、そのトンネルを出た木曽山中の山村です。
3. 村は私が育ったころは昔、「養蚕」つまり、かいこの村でしたが、中央高速道が開通したことと温泉が湧いたことで観光地になりました。昼神温泉郷として駅にパンフレットやポスターを見ることができます。近くの観光名所地は、山を越えてですが、島崎藤村の『夜明け前』の舞台となる馬篭や妻籠宿があります。昨年、日本アカデミー賞で話題になった映画「大鹿村騒動記」の大鹿村は、近くにあります。
4 山奥の村ですが.歴史的には、伝説の多い土地です。『古事記』、『日本書記』『万葉集』『今昔物語』に村の地名がでてきます。よく知られているのは『源氏物語』にある「はは木の巻」にでてくる箒木がある所です。世阿弥の謡曲『木賊刈』の舞台として知られています。戦国時代の歴史好きの人には、武田信玄終焉の地として知られています。
5. 文学関係者は、戦時中森田草平が疎開していて『煤煙』を書いたという他はありません。近くの村出身では、児童文学者の椋鳩十がいます。著名人は一昨年101歳で亡くなった写真家・童画家の熊谷元一が村出身者です。熊谷は、アマチュアカメラマンながら日本の写真家40人にはいっている。村を70年撮り続けた記録写真家として、高く評価されている。1953年に受け持った小学一年生を一年間とりつづけた岩波写真文庫『一年生』は写真界の金字塔です。ちなみに、私の、小学一年のときの担任です。今年、ゼミⅢで「熊谷元一研究」をはじめますが、知名度のなさから人があつまりませんでした。目下、2名です。日本の教育のために、「熊谷元一研究」を確立していく所存です。
6. 1965年 昭和40年に東京にでてきました。地元の大学を失敗して、迷っていたとき、隣町の本屋でガイダンス本を見つけた。日大の農獣医学部拓植科(現生物自然科学部国際地域開発学科)の「美しい花を植えよう海の外」というキャチフレーズに魅せられた。平和部隊、(現在の海外技術協力隊)に入ることが希望でした。茨城県の内原というところに、研修センターがあって、そこで大型特殊の免許を修得しましたが一度も乗ることはなかった。昭和元禄と呼ばれた時代、三年の夏に日大紛争がはじまりました。私は、フランスの定期貨客船「ラオス号」で旅にでました。フランスまで行く計画でしたが、カンボジアという国で農業手伝いをすることになりました。ボコールという高原で高原野菜を作ることになったのです。長期ビザの許可がおりるまで、1968年の夏から冬にかけてプノンペンで柔道をして過ごしました。講道館から派遣された国士舘大師範の助手。水泳コーチの日大の先輩たちにもお世話になった。
7. カンボジアでクーデター騒ぎで、一旦帰国しました。紛争が拡大したので、しばらく様子をみることにしました。大学は、占拠されたままでした。そのころ、写真家の岡村昭彦という写真家が書いた『続ベトナム従軍記』という本にはまって、技術協力隊よりルポライターになることを決意。業界紙の記者を皮切りに文学修業をはじめた。カンボジア行は、ある事件とポル・ポトの恐怖時代になったことで断念。共に働くことになっていた農大生は、
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ジャーナリストの現地案内でゲリラ地帯に行ったきり帰らぬ人に。
8. ルポライターから文学を志す。子ども時代を描いた小説『伊那谷少年記』と小学1年生のときの担任を書いた『山脈はるかに』がある。『伊那谷』のなかの「ひがんさ山」は、平成17年、四谷大塚で有名中学の模擬テストに使用。「コロスケのいた森」は、20年度に埼玉県公立高校二次入試国語問題に、21年には、大阪府立公立高校入試問題に出題。現在は、平成13年まで進研ゼミ入試教材に収録されている。『山脈はるかに』は、第8回椋鳩十記念特別賞受賞作。
9. 1972年にドストエフスキーの全作品を読む会「読書会」に参加して、現在は主催者として池袋の東京芸術劇場か勤労福祉会館の会議室で読書会を開催している。偶数月開催。毎回一般市民約20名参加。ドストエフスキーブームのとき東京新聞やNHK「おはよう日本」で紹介された。大学で柔道部だった。社会にでても、つづけていて、気がついたら地域の子どもたちに柔道を教えていた。現在、土壌館という町道場を開いている。20年になる。2012年の柔道連盟登録者は、小学生5、中学生2、高校生4、大学生2、指導者2となっている。
10. 一昨年、両足のシビレが黄色靭帯骨化症という特定疾患であることがわかった。難病患者。現在は、読書会と土壌館をつづけながら孫の子守り、地域活動は、民生・児童委員、防犯委員。大学では、志賀直哉と嘉納治五郎を進める。「熊谷元一研究」に取り組む。現在の目標は、土壌館は『オンボロ道場奮戦記』の完成。書きあげてある密林冒険小説の校正。これからの作品として『昭和元禄草もう伝』にとりかかる。
以上が、ゼミ担当者周辺の紹介です。
読むことについて
なぜ読書のススメか
 
 たとえば健全の身体には健全の精神が宿る、という言葉があります。文字通り取って一生懸命に体を鍛えて健康な身体にすれば、健全の心を持つことができるのか。漫才のコントにでもなりそうですが、そうはいかないのが人間です。
 では、「健全な精神」をつくるためには、どうすればよいのか。ここでは「読書する」ことをススメます。文芸研究ということで、少々我田引水的になるかもしれませんが、下原ゼミではそう理解しています。「読書する身体には健全な精神が宿る」ということです。
 では「健全な精神」とは何か。端的に云えば教養と正義です。正義は、潜在的なものですが、真の教養は育てなければ成長しません。
 日芸にくる学生は、わかりませんが、昨今、大学は入学するためだけの、よりよい就職先を見つけるためだけの場所となっている傾向があります。本来の大学の目的は、健全な精神が宿る立派な人間を育てる場所です。健全な精神を持った人間を社会に送り出し、この星に生きる誰もが幸せに暮らせるよりよい社会を築いてもらう。その人材を作るために大学は存在するのです。決して冨や名声を得るためのところでも、学歴を自慢するところでもありません。森羅万象の調和を目指すことを学ぶ場。大学の使命は、常にそこにあります。書くことも研究することも全てその一点にあるわけです。
 しかし残念なことに社会をみると、政治家、役人、経営者、教育者たちの腐敗・不正でいっぱいです。この世は「健全な精神」を持たない我欲だらけの人間です。そうした人たちは、おそらく健全な精神を育てるということをしなかったのでしょう。つまり読書をしなかった。
 大学生活は、よりたくさん読書ができる空間です。バイトやサークルが忙しくても読書は、いつでもできます。食事と同じと思えばいいのです。どうして、そんなに本を読まなければならないのか。青春時代に読んだ本は、いつまでも宝石のように人生のなかに残っているか
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らです。大人になってから感銘を受ける本もありますが、若いときとはどこか違います。
 しかし、ただ本を読めばいい、というものではありません。巷には書物はあふれています。悪書は何冊読んでも浪費の体験にはなるが、プラスにはなりません。良書も、ただ読んだだけでは、健全な精神を育てる肥料にはならなりません。読書は簡単だが難しいのです。
 では、どんなふうに読んだらよいのか。迷い、悩むところです。読書ついて、近代日本人をつくった明治の教育者・嘉納治五郎(1860-1938)は、こう説いているので紹介します。
※嘉納治五郎 : 柔道の創始者としてよく知られていますが、他の功績は知られていません。彼は、明治維新の激動のなかで学校の教育制度を確立し、空手、合気道などの古来武道を擁護し、野球、ボートなど今ある西洋スポーツを取り入れた人でもあります。また、小泉八雲や夏目漱石はじめ魯迅など多くの文人を育てた人でもあります。夏目漱石の『坊っちゃん』は、作者が自分と彼をモデルにした。そんな推量、空想もできます。下原ゼミでテキストにしている志賀直哉とも、深い関係があります。志賀直哉は、柔道では孫弟子。
 
嘉納治五郎の「青年修養訓」から
読書は、なぜ必要か、どんな本を読んだらよいのか
 それを知るために、嘉納治五郎(1860-1938)の「青年修養訓」のなかの「精読と多読」を読むことにします。が、その前に嘉納治五郎の教育について少しばかり紹介します。
嘉納治五郎の教育は、明治15年23歳のときからはじまり、大正9年(1920)年61歳まで日本の学校教育に尽くした。師範は、日本人の教育だけでなく、中国人留学生のために宏文学院を開校し、中国の近代的教育にも貢献した。学んだ7192人のなかには後に世界的作家になった魯迅(1881-1936)もいた。※魯迅『阿Q正伝』『狂人日記』
 「青年修養訓」は、明治43年(1910)12月 同文館から出版したものである。いまからじつに99年前の文章である。今はない漢字や言い回しがあって読むのに困難はあったが、過去朗読したゼミ生は、苦労して読み終えた。その努力が勉強になる。
 さて、人間形成のため、社会で役に立つために心をこめて多くの書を読めとすすめる師範は、この「精読と多読」のなかで、どんな本をどのように読めといっているのか。
① はじめに読む本の選び方である。現在、ベストセラーの本。売れている有名な本。そういう本は1、2年待ってから読んだ方がよい、としている。
② まずは、古典を読む。時代のなかで残っているということは良い本の証拠。読むに価する本だからという。よい本は人(評論家)ではなく、時間が選別してくれる。
③ 識者・作家・読書家といわれる人がすすめる本。例えば、川端康成が好きだとする。『雪国』『伊豆の踊り子』といったこの作家の作品を読むのもよいが、その前にこの作家は、自分を慕ってくる若い人たちにどんな本を読めとすすめていたのか。自分は、どんな本を読んでいたのか。それを調べてみる。ノーベル文学賞作家川端康成が、誰より気にかけ可愛がった若い人といえば、『いのちの初夜』を書いた北篠民雄(1914-1937)である。川端は病床の北篠に、なにを読めとすすめていたのか。どの作家を。まずは、それを知ることである。
④ 読む本が決まれば、その本をどんなふうに読むか。早く、ざっと読んだのでは、本当に読んだとはいえない。しっかりと理解しながら読むことが大切と教える。
⑤ つぎにどんな本を、ということだが、師範の教えは、範囲を決めない。一つのものを決めると、理解度は、その範疇だけになってしまう。違った分野の本を多く読むことをすすめる。心をこめて多くの本を読みなさい。つまり「精読と多読」のススメである。
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読書はなぜ必要か  嘉納治五郎の「青年修養訓」紹介 
第15 精読と多読
 
    『嘉納治五郎著作集 教育篇』(五月書房)
 精神の健全な発達を遂げようとするには、これに相当の栄養を与えなければならぬのであるが、その栄養を精神に与えるのは読書である。人は誰でも精神の健全な発達を望まないものはないにもかかわらず、実際その栄養法たる読書を好まない者も少なくないのは甚だ怪訝(けげん)に堪えぬ。かくの如きは、その人にとっても国家にとっても実に歎(タン)ずべき事である。読書の習慣は学生にあっては成功の段階となり、実務に従事しいるものにあっては競争場裡の劣敗者たるを免(まぬが)れしむる保障となるものである。看よ、古来名を青史に留めたるところの文武の偉人は多くは読書を好み、それぞれの愛読書を有しておったのである。試みにその二、三の例をあげてみれば、徳川家康は常に東鑑(あずまかがみ)等を愛読し、頼山陽は史記を友とし、近くは伊藤博文は繁劇な公務の間にいても読書を廃さなかった。またカーライル(イギリスの歴史家・評論家)は一年に一回ホーマー(ホメロス)を読み、シルレルはシェクスピーアーを読んだ。ナポレオンは常にゲーテの詩集を手にし、ウエリントン(イギリスの将軍・政治家)はバットラーの著書(『万人の道』「生活と習慣」など)やアダムスミスの国富論に目を曝(さら)しておったということである。なすことあらんとする青年が、学生時代において読書を怠(おこた)らない
ようにし、これを確乎とした一の習慣として、中年老年まで続けるようにするということの必要なるは多言を俟(ま)たないのである。
※東鑑(吾妻鏡・鎌倉時代の史書。日本最初の武士記録)
※頼山陽(1780-1832 江戸時代後期の儒者・史家 著『日本外史』『日本政記』など)
※ホメロス(前9世紀頃ギリシャの詩人著書『イリアス』『オデュッセイア』など)
※カーライル(1795-1881 著『衣裳哲学』『英雄及び英雄崇拝』など)
※ウエリントン1769-1852 (ナポレオンをワーテルローで破った)
 健全な精神をつくるには、相当な栄養が必要だという。その栄養は読書である、として、歴史上の偉人たちの読書をあげて、その必要性を説いている。そして、どんな本を読むかは、その選び方について以下のように述べている。
 読書はこのように必要であるけれども、もしその読む書物が適当でないか、その読書の方法がよろしきを得なければ、ただに益を受けることが出来ないのみならず、かえって害を受けるのである。吾人(われわれ)の読む書物のどんなものであるべきかに関しては、ここにはただ一言を述べて余は他の章に譲っておこう。すべて新刊書ならば先輩識者が認めて価値があるというものを選ぶか、または古人のいったように世に出てから一年も立たないようなものは、必要がない以上はこれを後廻しとするがよい。また、昔より名著として世人に尊重せられているものは、その中から若干を選んで常にこれを繙(ひもと)き見るようにするがよいのである。
 どんな本を読んだらよいか。本によっては栄養になるどころか害になるという。嘉納治五郎が言うのは、先輩識者が認めた価値のあるもの。つまり世に名作といわれている本である。他は、現在、たとえどんなに評判がよくても、百万冊のベストセラーであっても後回しにせよということである。そうして古典になっているものは、常に手にしていなさいと教えている。本のよしあし、作家のよしあしは時間という評者が選んでくれる。
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 さて、このようにして読む本を選んだら、次にどのようにして読むか。いらぬ節介ではあるが、全身教育者である嘉納治五郎は、その方法をも懇切丁寧に述べている。
 次に方法の点に移れば、読書の方法は、とりもなおさず精読多読などの事を意味するのである。精読とは読んで字の如くくわしく丁寧に読むこと、多読とは多く広く読むのをいうのである。真正に完全の読書をするには、この二つが備わらなければならぬ。
 つまり書物は偏らず、多くの書を読め、ということである。そうして読むからには、飛ばし飛ばし読むものには耳が痛いが、決していい加減にではなく、丁寧に読むべし、ということである。いずれももっともなことではあるが、人間、こうして指導されないと、なかなか読むに至らない。次に、折角の読書に陥りがたい短所があることを指摘し、注意している。
 世に鵜呑みの知識というものがある。これは教師なり書物なりから得た知識をば、別に思考もせず会得もしないで、そのまま精神中に取込んだものをいうのである。かようなものがどうしてその人の真の知識となって役に立つであろうか。総じて知識が真の知識となるについては、まず第一にそれが十分に理解されておらねばならぬ。次にはそれが固く記憶されておらねばならぬ。
 鵜呑みの知識。よく読書のスピードを自慢する人がいるが、いくら早く読んでも、理解していなければ、ただ知っている、ということだけになる。試験勉強で暗記したものは、真に教養とはいえない。
 理解のされていない知識は他に自在に応用される事が出来ないし、固く記憶されていない知識は何時でも役に立つというわけにはいかない。したがってこれらの知識は、あるもないも同じ事である。かような理由であるから、何人たりとも真の知識を有しようと思うならば、それを十分咀嚼(そしゃく)消化して理解会得し、また十分確固明白に記憶しおくようにせねばならぬ。
 そのためには・・・・・
 さてこの理解記憶を全くしようとするにはどうしたらよいかというには、他に道は無い。その知識を受け入れる時に用意を密にする。すなわち書物をば精しく読まねばならぬのである。幾度か幾度か繰返し読んで主要点をたしかに捉えると同時に、詳細の事項をも落とさず隅々まで精確に理解をし、かつ記憶を固くするのである。こうして得た知識こそは真の栄養を精神に与え、また始めて吾人に満足を与える事が出来るのである。試みに想像してみれば分かる。何らかの書物をば百遍も精読し、その極その中に書いてある事は十分会得していて、どんな場合にも応用が出来、その知識は真のわが知識になって、わが血液に変じ筋肉と化しておったならば、その心持はどのようであろうか。真に程子(テイシ兄弟)のいったように、手の舞い足の踏むところを知らないであろう。書物の与える満足には種々あろうが、これらはその中の主なるものであって、また最も高尚なものである。
※テイシ兄弟(北宋の大儒 著『定性書』1032-1085)
 書物を理解するには、繰り返し読むことが重要と説く。一に精読、二に精読である。さすれば応用ができ真の知識となる、と説いている。また、この精読するということについても、こう語っている。
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 かつまた一冊の書物の上に全力を傾注するという事は、吾人の精神修養の上から観ても大切である。何となれば人間が社会に立っているからには、大かり小なりの一事をば必ず成し遂げるという習慣がきわめて必要であるが、書物を精読し了するというのは、ちょうどこの一事を成し遂げるという事に当たるからである。今日でこそやや薄らいだようであるが、維新前におけるわが国士人の中には、四書(儒教の経典)の中の一部もしくは数部をば精読し熟読し、その極はほとんどこれを暗誦して常住座臥その行動を律する規矩(きく・コンパス)としておったものが多いのである。伊藤仁斎(江戸初期の朱子学儒者)は18,9歳の頃『延平問答』という書物を手に入れて反復熟読した結果、紙が破れるまでになったが、その精読から得た知識が大いに修養の助けとなり、他日大成の基をなしたという事である。また荻生徂徠は、13年のわびしい田舎住居の間、単に一部の大学諺解(ゲンカイ口語による漢文解釈)のみを友としておったという事である。程子は「余は17,8より論語を読み当時すでに文義(文章の意味)を暁りしが、これを読むこといよいよ久しうしてただ意味の深長なるを覚ゆ」と言っている。古昔の人がいかに精読に重きをおいたかは、これら2,3の事例に徴するも分明である。学問教育が多岐に渉る結果として、遺憾な事にはこのような美風も今日ではさほど行われないようである。
 ひとつのものを徹底して読む。この美風、すなわち習慣は、現代においては、ますます為
されていない。が、学生は、すすんで挑戦しようという気まがえがなくてはならぬ。と、いっている。その一方で、多読の大切さも説く。
 しかし現に学生生活を送り近い未来において独立すべき青年らには、各率先してこの美風を伝播しようと今より覚悟し実行するように切望せねばならぬ。
 読書ということは、このような効能の点からいっても満足の点からいっても、また精神
修養の点からいってもまことによいものであるが、しかしまた不利益な点を有せぬでもな
い。すなわち精読は常に多くの時間を要するということと、したがって多くの書物が読めないようになるから自然その人の限界が狭隘(キョウヤク)になるを免れないということである。例えていえば、文字において一作家の文章のみを精読しておったならば、その作家については精通しようが思想の豊富修辞の巧妙がそれで十分に学べるということは出来ない。どんなに優秀な作家とても、その長所を有すると同時に多少の欠点を有するものであるから、一作家の文章が万有を網羅し天地を籠蓋(ロウガイ)するというわけにはいかぬ。そこで精読によって益を受けるにしても、またその不備な点が判明したならば、これを他の作家の作物によって学び習うという必要が起きる。すなわち他の作物にたよるということは、多読をするという事に帰するのである。
 一作家のものが万有を網羅することはない。
 またこの外の人文学科、たとえば歴史修身等においても、もしくは物理化学等の自然学科においても、一の著者の記述説明に熟すると同時に、他の著者はそれをどんなに記述し説明しているかを参照してみる必要がある。このように参照してみることは知識を確実にする上にきわめて多大の効能があるから、決して煩雑無用のことではない。精読はもとより希うべきであるが、また一面には事情の許す限り多読をして、その限界を狭隘にせぬようにするがよい。精読でもって基礎を作り、多読でもってこれを豊富にするは学問の要訣(ヨウケツ)であってこのようにして得られた知識こそ真に有用なものとなるのである。
 さらに精読と多読との仕方の関係を具体的に述べてみれば、、まず精読する書物の中にある一つの事項に対して付箋または朱黄を施し、かくてその個所が他の参照用として多く渉猟(しょうりょう)(読みあさる)する書中にはどんなに記述説明されているかを付記するのである。換言すれば精読書を中心として綱領として、多読所をことごとくこれに関連付随させるのである。また学問の進歩の程度についていうならば、初歩の間は精読を主とし
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相当に進んだ後に多読を心掛くべきである。けれどもどんな場合においても精読が主であって多読が副である。そうしてこの両者のうちいずれにも偏してはならないことは無論であるが、もしいずれに偏するがよいかといえば、精読に変する方がむしろ弊害が少ないのである。精読に伴わない多読は、これは支離散漫なる知識の収得法であって、濫読妄読となるに至ってその幣が極まるのである。
 また鼠噛の学問といって、あれやこれやの本を少しずつ読むのでいずれをも読みとおさずに放擲するなどは、学に志すものの固く避くべきことである。世に聡明の資質を抱きながらなすこと無くして終わるものの中には、この鼠噛(ソコウ)の学問といって、あれやこれやの本を少しずつ読むのでいずれも読み通さずに放擲するなどは、学に志すものの固く避くべきことである。世に聡明の資質を抱きながらなすこと無くして終わるものの中には、この鼠噛の陋(ロウ)に陥ったものも多いのである。実に慎み謹んで遠ざくべき悪癖である。
以上、嘉納治五郎の説く読書の必要性を紹介した。どんな本を読めばいいのか。どんなふうに読めばよいのか。人それぞれに好き嫌いもある。それに、世に古典といわれる良書は山ほどある。となると読書も簡単ではない。このゼミでは、この青年訓の嘉納治五郎とも関係が深く、かつ小説の神様といわれる志賀直哉の作品をテキストとするしだいである。
(編集室)
志賀直哉について&処女作「菜の花と小娘」読みと書き(加筆4/22)
 ※志賀直哉1883年(明治16年)2月20日~1971年(昭和46年)10月21日没88歳
志賀直哉について
土壌館・編集室
 
 小説の神様といわれる志賀直哉の作品といえば唯一の長編『暗夜行路』をはじめ『和解』『灰色の月』『城の崎にて』といった名作が思い浮ぶ。浮かばない人でも『小僧の神様』『清兵衛と瓢箪』『菜の花と小娘』と聞けば、学生時代をなつかしく思い出すに違いない。
もっとも最近は、そうでもないようだ。4月16日のゼミ説明で聞いたが応答はなかった。が、これらの作品はかつて教科書の定番であった。また、物語好きな人なら『范の犯罪』や『赤西蠣太』は忘れられぬ一品である。他にも『正義派』『兒を盗む話』など珠玉の短編がある。いずれも日本文学を代表する作品群である。こうしたなかで、処女作三部作といわれる三作品は一見、創作作品とも思えぬ小品である。唯一『菜の花と小娘』は創作らしい内容だが、他の二作『網走まで』『或る朝』は、なんの変哲もない、とても小説とは思えない作品である。しかし、これら三作に志賀文学の基盤がある。素がある。そのように思える。そんなわけで手始めに「菜の花と小娘」をとりあげてみたい。
 かつて川端康成は、志賀直哉を「文学の源泉」と評した。その意味について正直、若いとき私はよくわからなかった。ただ漠然と、文学を極めた川端康成がそう言うから、そうなのだろう・・・ぐらいの安易な理解度だった。しかし、初老になってあらためて志賀文学を読みすすめるなかで、その意味することがなんとなくわかってきたような気がした。
 そうして、川端康成が評した文学の「源泉」とは、処女作『網走まで』『菜の花と小娘』『或る朝』の三部作にある。そのように確信した。
 
 この2012年の旅のなかで、それ何かがわかれば文学開眼の成果といえる。もし不明であっても人生の宿題としてもらえれば幸いです。
文芸研究Ⅱ下原ゼミNo・187 ――――――― 10――――――――――――――――
読む前に(処女作三部作)
  処女作三部作『菜の花と小娘』(と『或る朝』、『網走まで』)は、明治37年(1904)から明治41年(1908)ころに書かれた。志賀直哉21歳から25歳のときである。
これらの作品は、一見、何の変哲もない一風景、一エッセイに過ぎないが、よくみると、時代や作者の心情が織り込まれている。それとなく描かれている。ゼミでは、各人も観察作品を書いて発表しあっていきます。『網走まで』を車内・人間観察。擬人法『菜の花と小娘』を生き物観。『或る朝』を普通の一日の観察として手本とします。
 『網走まで』   → 車内観察の手本、前後を創作する
 『菜の花と小娘』 → 生き物観察 擬人法で物語にする
 『或る朝』    → 普通の一日を記録するの手本に
では、読むことの習慣化のスタートとして、『菜の花』を読んでみましょう
名作読み たった数枚の物語のなかに風景と心情と創作を織り交ぜた生き物観察作品です。朗読が終わったら、書くことの習慣として簡単な感想も書いてみましょう。(10分程度)
菜の花と小娘
志賀直哉
 或る晴れた静かな春の日の午後でした。一人の小娘が山で枯れ枝を拾っていました。
 やがて、夕日が新緑の薄い木の葉を透かして赤々と見られる頃になると、小娘は集めた小枝を小さい草原に持ち出して、そこで自分の背負ってきた荒い目籠に詰めはじめました。
 ふと、小娘は誰かに自分が呼ばれたような気がしました。
「ええ?」小娘は思わずそう言って、立ってそのへんを見回しましたが、そこには誰の姿も見えませんでした。
「私を呼ぶのは誰?」小娘はもう一度大きい声でこう言ってみましたが、矢張り答えるものはありませんでした。
 小娘は二三度そんな気がして、初めて気がつくと、それは雑草の中からただ一本わずかに首を出している小さな菜の花でした。
 小娘は頭にかぶっていた手ぬぐいで、顔の汗を拭きながら、
「お前、こんなところで、よくさびしくないのね」と言いました。
「さびしいわ」と菜の花は親しげに答えました。
「そんならならなぜ来たのさ」小娘は叱りでもするような調子で言いました。菜の花は、
「ひばりの胸毛に着いてきた種がここでこぼれたのよ。困るわ」と悲しげに答えました。そして、どうか私をお仲間の多い麓の村へ連れていってくださいと頼みました。
 小娘は可哀そうに思いました。小娘は菜の花の願いをかなえてやろうと考えました。そして静かにそれを根から抜いてやりました。そしてそれを手に持って、山路を村の方へと下って行きました。
 路にそって清い小さな流れが、水音をたてて流れていました。しばらくすると、
「あなたの手は随分、ほてるのね」と菜の花は言いました。「あつい手で持たれると、首がだるくなって仕方がないわ、まっすぐにしていられなくなるわ」と言って、うなだれた首を小娘の歩調に合せ、力なく振っていました。小娘は、ちょっと当惑しました。
 しかし小娘には図らず、いい考えが浮かびました。小娘は身軽く道端にしゃがんで、黙って菜の花の根を流れへ浸してやりました。
「まあ!」菜の花は生き返ったような元気な声を出して小娘を見上げました。すると、小娘は宣告するように、
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「このまま流れて行くのよ」と言いました。
菜の花は不安そうに首を振りました。そして、
「先に流れてしまうと恐いわ」と言いました。
「心配しなくてもいいのよ」そう言いながら、早くも小娘は流れの表面で、持っていた菜の花を離してしまいました。菜の花は、
「恐いは、恐いわ」と流れの水にさらわれながら見る見る小娘から遠くなるのを恐ろしそうに叫びました。が、小娘は黙って両手を後へ回し、背で跳ねる目カゴをえながら、駆けてきます。
 菜の花は安心しました。そして、さもうれしそうに水面から小娘を見上げて、何かと話かけるのでした。
 どこからともなく気軽なきいろ蝶が飛んできました。そして、うるさく菜の花の上をついて飛んできました。菜の花はそれも大変うれしがりました。しかしきいろ蝶は、せっかちで、
移り気でしたから、いつかまたどこかえ飛んでいってしまいました。
 菜の花は小娘の鼻の頭にポツポツと玉のような汗が浮かび出しているのに気がつきました。
「今度はあなたが苦しいわ」と菜の花は心配そうに言いました。が、小娘はかえって不愛想に、
「心配しなくてもいいのよ」と答えました。
 菜の花は、叱られたのかと思って、黙ってしまいました。
 間もなく小娘は菜の花の悲鳴に驚かされました。菜の花は流れに波打っている髪の毛のような水草に根をからまれて、さも苦しげに首をふっていました。
「まあ、少しそうしてお休み」小娘は息をはずませながら、そう言って傍らの石に腰をおろしました。
「こんなものに足をからまれて休むのは、気持が悪いわ」菜の花は尚しきりにイヤイヤをしていました。
「それで、いいのよ」小娘は言いました。
「いやなの。休むのはいいけど、こうしているのは気持が悪いの、どうか一寸あげてください。どうか」と菜の花は頼みましたが、小娘は、
「いいのよ」と笑って取り合いません。
が、そのうち水のいきおいで菜の花の根は自然に水草から、すり抜けて行きました。小娘も急いで立ち上がると、それを追って駆け出しました。
 少しきたところで、
「やはりあなたが苦しいわ」と菜の花はこわごわ言いました。
「何でもないのよ」と小娘はやさしく答えて、そうして、菜の花に気をもませまいと、わざと菜の花より二三間先を駆けて行くことにしました。
 麓の村が見えてきました。小娘は、
「もうすぐよ」と声をかけました。
「そう」と、後ろで菜の花が答えました。
 しばらく話は絶えました。ただ流れの音にまじって、バタバタ、バタバタ、と小娘の草履で走る足音が聞こえていました。
 チャポーンという水音が小娘の足元でしました。菜の花は死にそうな悲鳴をあげました。小娘は驚いて立ち止まりました。見ると菜の花は、花も葉も色がさめたようになって、
「早く速く」と延びあがっています。小娘は急いで引き上げてやりました。
「どうしたのよ」小娘はその胸に菜の花を抱くようにして、後の流れを見回しました。
「あなたの足元から何か飛び込んだの」と菜の花は動悸がするので、言葉をきりました。
「いぼ蛙なのよ。一度もぐって不意に私の顔の前に浮かび上がったのよ。口の尖った意地の
文芸研究Ⅱ下原ゼミNo・187 ――――――― 12――――――――――――――――
悪そうな、あの河童のような顔に、もう少しで、私は頬っぺたをぶつけるところでしたわ」と言いました。
 小娘は大きな声をして笑いました。
「笑い事じゃあ、ないわ」と菜の花はうらめしそうに言いました。「でも、私が思わず大きな声をしたら、今度は蛙の方でびっくりして、あわててもぐってしまいましたわ」こう言って菜の花も笑いました。間もなく村へ着きました。
 小娘は早速自分の家の菜畑に一緒にそれを植えてやりました。
 そこは山の雑草の中とはちがって土がよく肥えておりました。菜の花はドンドン延びました。そうして、今は多勢の仲間と仕合せに暮す身となりました。
                                 おわり
掲示板
連休の課題    連休明けまでに書いて5・7ゼミで提出
課題5『菜の花と小娘』を手本にした短編、創作でもエッセイでも(1~10枚)
課題6.「車内観察」電車の乗客観察(1~5枚)
課題7.自分の一日 その日の行動・興味・出来事など(1~5枚)
お知らせ
☆ドストエーフスキイ全作品を読む会「読書会」
2012年4月28日(土)池袋勤労福祉会館第7会議室 作品『正直な泥棒』
時間 → 午後2時~   詳細は以下、編集室に
☆『ユリイカ 1』(2012 青土社)マンガ家・武富健治特集(ド読書会会員)
編集室便り
◎ 課題原稿、メールでも可 下記アドレス
□ 住所〒274-0825 船橋市前原西6-1-12-816 下原方
  メール: TEL・FAX:047-475-1582  toshihiko@shimohara.net
ゼミ授業評価採点は、以下を基本とします。(4単位)
60点 = ゼミ誌掲載  20点 = ゼミ出席日数(20日以上は20) 
15点 = 提出課題(1点は課題10)  1~5点 = α
60+20+15+5 = 100(100点~以上は100とします)
文芸研究Ⅱ   2012年読書と創作の旅・下原ゼミ 4月23日提出
書くことの習慣化を目指して(ゼミ通信188号掲載原稿)
                     名前
課題1.  愛読書(映画でも可)はありますか。(1~5冊)
(1)書名
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    紹介
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(2)書名
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    紹介
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(3)書名
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    紹介
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(4)書名
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    紹介
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(5)書名
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    紹介
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課題2.  自分について(一年の勉強・趣味・興味あることなど)
例・サークル、友人関係、毎日の暮らし、将来の夢。
課題3.  5月3日は憲法記念日です。日本では第9条が最重要問
題となっています。が、あなたはどう思いますか。
現憲法の第二章【戦争の放棄】
 第九条 ① 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、武力によ
       る威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを
       放棄する。
     ② 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国
       の交戦権は、これを認めない。
改正に反対     改正に賛成    わからない
なぜですか                         
                              
                              
課題4. 『菜の花と小娘』どんな感想でしたか
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文芸研究Ⅱ   2012年読書と創作の旅・下原ゼミ 4月23日提出
書くことの習慣化を目指して
                     名前
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連休・課題
課題5.『菜の花と小娘』を真似た作品
課題6.自分の一日を書いてみる(足らなかったら別の紙で)
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課題7.車内観察をする。(何本でも可1本1点)毎日乗車するバス・電車から
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備考

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