文芸研究Ⅲ 下原ゼミ通信 熊谷元一研究No.6

公開日: 

日本大学芸術学部文芸学科文芸研究Ⅲ下原ゼミ 2012年6月1日発行
文芸研究Ⅲ下原ゼミ通信
BUNGEIKENKYU Ⅲ SHIMOHARAZEMI TSUSHIN
熊谷元一研究No.6                                

編集発行人 下原敏彦

                              
4/13 4/20 4/27 5/11 5/18 5/25 6/1 6/8 6/15 6/22 6/29 7/6 7/20 (ゼミ4教室)
  
観察を記録する、観察を創作する
6・1下原ゼミ
6・1ゼミは以下の要領に添って行います。(ゼミ4教室)
 
1. ゼミ連絡、「ゼミ通信No.6」配布  ゼミ雑誌ガイダンス
2. 「熊谷元一写真展」について 「秋田・角館小松ひとみ写真館」
3.  ゼミ雑誌構成案 
4. 自分の子ども時代の話を書く  創作、エッセイ、紹介、説明 
5・25ゼミ報告
 ゼミ誌ガイダンス報告
 ゼミ誌作成ガイダンスは、23日(水)は所沢校舎、24日(木)は江古田校舎で昼12時20分から開かれた。
 下原ゼミからは、23日、大野純弥君が出席し、ゼミ雑誌出版編集局から平成24年度のゼミ雑誌作成手順、納品などについて指導を受けた。以下、大野君報告。
①【ゼミ雑誌発行申請書】
上記申請書を期限までに江古田/学科事務室に提出してください。
夏休み明けみまでに編集作業をすすめ、印刷会社を決め、そうていレイアウトを相談する。
②【見積書】
 印刷会社から見積もり料金を算出してもらい、期日までに学科事務室か出版編集室に提出する。編集作業をすすめ、11月半ばまでには印刷会社に入稿する。
ゼミ雑誌納品は12月7日(金)厳守 !
 ゼミ雑誌ができあがったら、12月7日(金)までに提出してください。
③【請求書】
 印刷会社から請求書をもらい学科事務室に提出してください。以上で終了です。


文芸研究Ⅲ・熊谷元一研究No.6 ――――――― 2 ――――――――――――――――
熊谷元一研究・最新ニュース
 熊谷元一の故郷・信州伊那谷「昼神温泉郷」にある熊谷元一写真童画館では、目下、秋田の写真家・小松ひとみ写真展を開催している。
 (以下案内は、熊谷元一写真童画館HPより転載。写真は、写真童画館の代表作品)
2012年05月25日
熊谷元一写真童画館 「桜逢瀬」小松ひとみ写真展
 南信州阿智村にある熊谷元一写真童画館では、併設アートギャラリーにて、特別企画展『 「桜逢瀬」 小松ひとみ写真展』が開催されています。本州各地の桜の姿を観ることができ、中でも2010年5月に、作者は阿智村にある「駒つなぎの桜」に虹のかかったシーンの撮影に成功。このときは3泊4日、車中で過ごし、撮影に挑んだそうです。現在この写真は阿智村役場の庁舎内にも展示されているとのことです。是非ご覧ください。
■■特別企画展■■
「桜逢瀬」 小松ひとみ写真展
~桜の町 秋田の角館で生まれた作者の十数年にわたる桜行脚の記録~
――――――――――――――― 3 ―――――――― 文芸研究Ⅲ・熊谷元一研究No.6
【熊谷元一研究】     コッペパンの少年
2頁の写真「コッペパンの少年」は、熊谷の代表作である。1953年(昭和28年)、長野県下伊那郡會地村(現阿智村)・会地小学校一年東組教室内にて撮影されたもの。
 1955年第1回毎日写真賞受賞作品・岩波写真文庫『一年生』に所収。写真界の金字塔とも言われる『一年生』にあって、このコッペパンにかじりつく少年の写真は、あまりにも有名だ。江戸東京博物館はじめ山形県酒田市写真美術館や東京都清瀬市郷土資料館など、これまで多くの公共、私設の施設で熊谷元一写真展が開催されてきた。その都度、宣伝されたポスターには、いつも拡大されたこの写真があって見る人の目を引いた。
 この「コッペパンの少年」について、熊谷元一研究家である国立静岡大学教授・矢野敬一氏は、著書『写真家・熊谷元一とメディアの時代』の「プロローグ 記録する視線記憶された昭和」の冒頭において、次のように書いている。
 一枚の写真、大きなコッペパンにかじりつく少年のまなざしはどこに向けられているのか、それはわからない。しかしその表情の真剣さに、写真を目にする者は誰しもがほほえましい気分になるだろう。食べるということに、はたして飽食の時代の子どもたちはこれほどに真剣な面差しを浮かべるだろうか。写真に写し出されているのは「昔」だが、大正や明治といった遠い過去のことではない。学校でパンを食べることができるようになったのは、いうまでもなく戦後のことだからだ。ちょつと年配の者ならば、ふっと自分の幼かったころのことを思い起こすかもしれない。モノクロームの世界に写し込まれた、貧しかったが心豊だった時代。そんなノスタルジックな気分を写真は喚起してくれることだろう。
・・・略・・・「昭和」という時代の共有された記憶がこの写真には象徴されている。
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 著者は、この写真に「過ぎ去った昭和」と言う時代への懐古。あの狂騒的な高度経済成長前の甘酸っぱい懐かしさを感じながらも、冷静に客観視している。
 
しかしそうした普遍性の一方で、この写真を規定する具体的な時代性、地域による固有性についても見落とすべきではない。
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 として、被写体や時代をしっかり見据えその分析、考察を行っている。その結果、「同じ写真であっても時代によって異なった受け止め方がされている。」ここでは、この「コッペパンの少年」に終始するが、このような真実も明らかにしている。
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 少年が口にするパンは、実は給食のものではない。当時の会地小学校の給食は味噌汁だけだった。四方を山に囲まれた山国の村で農業を営む家に生まれ育った児童が多くを占めていたなか、昼食にパンを持参できるのは非農家の子どもに限られていて羨望の対象だった。(この指摘通り当時、農家の子にとってパンは手の届かない食べ物だった)
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【43年後の被写体の証言】
 私の一番の思い出は、何かトレードマークのようなコッペパンの写真です。この写真のお陰で、私の顔を知らない方でも思い出してくれる有り難い写真です。今、あの時どのように写されたのか思い出すことはできません。
 私は家庭の事情により、小学校三年の二学期かと思いますが、名古屋へ転校しました。そして、現在、岐阜の地で、会地のことはすっかり忘れていましたが、(この写真で)昔の事を思い出す事が出来、こんなに素晴らしい過去(一年生)があったのかと改めて感謝した次第です。
    (記念文集『五十歳になった一年生』から)
文芸研究Ⅲ・熊谷研究No.6 ――――――― 4 ―――――――――――――――――
熊谷元一の代表作品『一年生』
 先頁の「コッペパンの少年」で、矢野教授は、コッペパンは「実は給食のものではない」と明かしたが、この写真にも謎がある。次号で
掲示板
○ドストエフスキー全作品を読む会「読書会」のお知らせ
月 日 : 6月16日(土)
時 間 :  開場1時30分 はじまりは2時~5時
会 場 :  豊島区立勤労福祉会館第7会議室(6階)
作 品 :  「人妻と寝台の下の夫」
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編集室便り
① 課題原稿、メールでも可 下記アドレス
住所〒274-0825 船橋市前原西6-1-12-816 下原方
  メール: TEL・FAX:047-475-1582  toshihiko@shimohara.net
文芸研究Ⅲ下原ゼミ・ゼミ雑誌制作企画
熊谷元一研究・ゼミ雑誌構成(案)
毎回、話し合って編集方針を固めていく。
熊谷元一研究:1953年と1996年の対比
山村と都会の小学校一年生の現場。
比較検証することで、今後の日本の学校教育の道を探る
【意義】
いま、なぜ熊谷元一研究か・・・・・・・・
略歴・・・・・・・・・・・・・・・・・
「熊谷元一と私」ゼミ担当者と熊谷  新聞・冊子など記事から
【骨格 → 四本柱】
○1953年、ある山村の小学一年生の記録
代表作『一年生』を読む、感想・・・・・
写真  文集  五十歳  還暦  
黒板絵の世界
○1996年、都会のある進学校一年生の記録
日記  写真  文集  思い出創作
○同時代の写真家と作家比較、隠された謎と共通するもの
熊谷元一とウイリアム・サローヤンの距離
○特集・秋田角館紀行『一年生を見に行く』
還暦過ぎた一年生『一年生』を見に行く
エッセイ  
インタビュー
☆ゼミ雑誌、大きさ →
☆表紙デザイン → 写真   絵  イラスト
DVDから宮崎駿監督のシーン → 字幕付き
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☆熊谷元一研究の意義
原発問題、東日本大震災などで混迷の時代を踏まえて
熊谷の写真・童画・教育から新しい生き方を探るのが目的。
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☆1953年、被写体の子どもたち
一年生の写真と解説 
文集「こどもかけろよ ひのてるほうへ」
絵画 → 一年生のときに描いた絵
熊谷元一とサローヤン
1908年  ウイリアム・サローヤン、米国カリフォルニア州の農業地帯フレスノで生まれ
る。アルメニアからの移民二世。
1909年 (熊谷元一、長野県伊那谷の山村で生まれる)
1934年 『空中ブランコに乗った大胆な若者』好評26歳 この年から6年間に何百という短編を書いた。まるでカメラのシャッターを押すように。
1938年 熊谷の朝日新聞社刊『會地村』好評、29歳 このときから山村を観察と記録
1953年 熊谷『一年生』の撮影開始
ウイリアム・サローヤンの邦訳出版されたもの
『君が人生の時』加藤道夫訳、中央公論社、1950年
『人間喜劇』小野稔訳、中部日本新聞社、1950年
『わが心高原に』倉橋健訳、中央公論社、1950年
『男』小暮義雄訳、ダヴィト社 1951年
『わが名はアラム』清水俊二訳、月曜書房、1951年(のちに晶文社)
『君が人生の楽しき時』金子哲郎訳、創芸社、1953年
『どこかで笑っている』清野陽一郎訳、ダヴィツト社、1954年
『サロイアン傑作集』末永国明訳、新鋭社、1954年
『笑うサム・心高原にあるもの』斉藤数衛・吉田三雄共訳、英宝社、1957年
『我が名はアラム』三浦朱門訳、角川文庫、1957年(のちに福武文庫所収)
『人間喜劇』小島信夫訳、研究社、1957年(のちに晶文社)
『わたし、ママが好き』古沢安二郎訳、新潮社、1957年
『サローヤン短編集』古沢安二郎訳、新潮文庫、1958年
『人生の午後のある日』大橋吉之輔訳、荒地出版社、1966年
『ウイリアム・サローヤン戯曲集』加藤道夫・倉橋健訳、早川書房、1969年
『ママ・アイラブユー』岸田京子・内藤誠訳、ガルダ、1978年(のちにブロンズ新社刊 新潮文庫所収)
『パパ・ユーアークレイジー』伊丹十三訳、ガルダ、1979年(のちにブロンズ新社刊、新潮文庫所収)
『ワン デイ イン ニューヨーク』今江祥智訳、ブロンズ新社、1983年(のちに新潮文庫所収)
『ディアベイビー』関汀子訳、ブロンズ新社、1984年(のちにちくま文庫所収)
『リトル チルドレン』吉田ルイ子訳、ブロンズ新社、1984年(のちにちくま文庫所収)
『ロック・ワグラム』内藤誠訳、新潮文庫、1990年
『ヒューマン・コメディ』関汀子訳、ちくま文庫、1993年
なぜ、二人か 『一年生』の写真と作品『我が名はアラム』
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同時代の写真家と作家 
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1953年という時代背景・・・・・・・・・
撮影された村について・・・・・・・・・
代表作『一年生』を読む、感想・・・・・
熊谷元一の代表作、岩波写真文庫『一年生』
 
熊谷元一研究・その1 熊谷元一の生涯を知る
②  故郷・長野県
③ 下伊那郡会地村(現阿智村)
 「その人間は、何者か」を知るには、生涯の年譜を見ることである。が、その人物の本質を理解するには、出生地と生活した土地を知ることも必要といえる。
熊谷は、その生涯のなかで、およそ三ヶ所の土地に移り住み生活した。
 自伝『三足のわらじ』を参照すると右下の所でがそれである。
清瀬市野塩1-168に引っ越す。57歳のときである。以後、2010年11月6日101歳で亡くなるまで、この地で写真家・童画家として過ごす。
以上、熊谷が生涯にわたり移り住んだところを簡単に記した。だいたい二ヶ所で所は、長野県の山村と、東京の郊外である。生活した年月は、1909~1966(4年ほど東京在住)が山村。1966~2010が東京郊外。半々といえる。が、東京に住むようになっても故郷・会地村には定期的に帰省し、村の変貌を写真で記録しつづけた。2003年(平成15年)に出版した『写しつづけて69年 會地村―阿智村 昭和・平成』がそれである。
この写真集には、昭和11年~平成15年までに撮影された村の四季、村人の生活・行事などの写真、挿絵として熊谷の童画が集録されている。戦前に朝日新聞社から刊行された『會地村』を併せたものだが、ここで熊谷は、当時(1930年代の)會地村について、このように紹介している。
會地村(あふちむら)は長野県下伊那郡の西部にある。面積0・75方里、戸630余戸、人口3250余人に過ぎない小さな村だ。
四囲を山に囲まれたこの村は、約半数が養蚕と稲作とを営む農家で、他は農村を空いてとする小売商、手工業者、雇用労働者及び俸給生活者だ。
郡下の農村としては比較的文化程度の高い方であるが、別に模範村でも更生村でもない。
といって窮乏村と呼ばれる程逼迫もしていない。至極平凡な村だ。
 また、この写真集について当時の農林大臣・有馬頼寧がこのような序文を寄せている。
なお、原文は編集室にて、一部現代読み、現代漢字に訂正して掲載した。
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                  序
                       農林大臣 伯爵 有馬頼寧
 時局下(じきょくか)に於ける農村の感激措く能(あた)はざる努力と、益々重要性を増すその地位とに対し、世人の認識の一層深からむことを望むの時、東京朝日新聞社に於いて農村記録写真「會地村」を刊行せらるることは真に喜ばしき企てとして感謝にたえない。
 写真は信州伊那谷の一農村の青年が、その村の環境を有りの儘に写した努力の結晶である。
 農村の機構、農業経営、農村生活等を、難しい統計に表した研究調査に比べて、ただちに何人にも分かり易いこの記録写真は、今まで試みられなかった得がたき作品として、撮影者及び之が犠牲的紹介に努力せられた東京朝日新聞社に対し、深く敬意を表する次第である。
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 若干29歳の青年が二年間撮った故郷の村。その作品が認められ一冊写真集として出版され、遠くドイツでも高い評価を得た。絵描きを目指した青年に、新世界が開けた瞬間だった。
熊谷と會地村(阿智村)写真の軌跡
 故郷の村を撮りつづけた熊谷だが、その作品はこのようである。(村撮影の作品に限る)
□1934年(昭和 9年) 25歳 頼まれて村の「かかし」を撮る
□1937年(昭和12年) 28歳 「アサヒカメラ」2号に村の写真が載る。
□1938年(昭和13年) 29歳 朝日新聞社刊『會地村』
□1953年(昭和28年) 44歳 「かいこの村」岩波写真文庫
□1954年(昭和29年) 45歳 「農村の婦人」岩波写真文庫
□1955年(昭和30年) 46歳 「一年生」岩波写真文庫
□1975年(昭和50年) 66歳 「ある山村の昭和史――阿智村39年」信濃路
□1989年(平成元年)  80歳 『ふるさとの昭和史』岩波書店
□1994年(平成6年) 85歳『熊谷元一写真全集』全四巻 郷土出版「毎日出版文化賞」
□2003年(平成15年) 94歳 『写しつづけて69年』熊谷元一写真童画館
以上が、主だった村を撮った写真集である。
會地村 → 阿智村
熊谷が住んだ宿場町・會地村は、昭和28年町村合併促進法の施行により、会地・伍和・智里の三村が合併して昭和31年9月30日に阿智村となった。以後、熊谷の写真集題名は阿智村となる。ここで、特筆すべきは、熊谷の代表作『一年生』、日本の写真界の金字塔といっても過言ではないこの作品の子どもたちは、誕生したときが日本国憲法公布・実施の年でもある。名もなき山村だが、被写体の子どもたちは、新しい時代の人間でもあったのだ。
 この一年生にはナニカアル。そのことを知ってか、知らずか被写体にした熊谷に時代の記録者としての運と天賦の才を感じる。
1950年、1990年代の一年生 参考資料集め
今回の『熊谷元一研究』は、代表作『一年生』をテーマとした。1953年、名もなき山村の子どもたちだが、40余年後の東京の一年生と比較考察することで、未来の学校教育の道標を模索したい。その研究推進のために資料集めをはじめる。
現在までの資料。1953年入学の子ども関連と1990年代の都会の子ども関連。
『一年生』岩波写真文庫  「こどもかけろよ ひのてるほうへ」一年生文集 一年生が描いた全員の絵  DVD「教え子たちの歳月」NHK DVD「知るしん 熊谷元一追悼」NHK長野 記念文集『五十歳になった一年生』(一年生のときの夢) 写真集『五十歳になった一年生』 記念文集『還暦になった一年生』 『山脈はるかに』 『伊那谷少年記』 『一年生の時戦争が始まった』、1990年代のこども文集、日記、写真
熊谷元一研究 その2 写真の感想と検証 その業績と功績
           
熊谷元一研究 その3 子どものときの思い出を創作・エッセイにする
「ひがんさの山」「コロスケのいた森」『山脈はるかに』など
※「ひがんさ」は平成17年、有名私立中学出題・四谷大塚
※「コロスケ」は平成21年埼玉県立公立高校入試出題 22年大阪府立高校入試出題
熊谷元一研究 その4 サローヤンと比較することで世界線上に発信
 熊谷元一と、ウイリアム・サローヤン。写真家と作家。この両者をなぜ考察するのか。
熊谷元一研究の目標・今、なぜ熊谷か
1.写真の記録から、原発のない時代を知る。当時と、今の生活を知る。
2.童画からは、子供の遊びを伝承する。3・11の災害で多くの人たちが避難所生活を余儀なくされた。半年後の救援物資が一段落したあと、いま一番欲しいものはと聞いたら「ゲームの玩具」と答えた人が多かったという。当時は、どんな遊びがあったのか。伝承で知る。
3.教育からは、実践教育を知る。一番は黒板絵の解放と記録。
☆子どもたちの暮らしを描いたもの
『二ほんのかきの木』福音館  熊谷絵と文
創作「ひがんさの山」紹介・感想 出題・現代との差
創作「コロスケのいた森」50年前の子ども 埼玉・大阪
写真評、写真感想 大野  岩澤
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☆教師としての熊谷
黒板の解放 黒板絵を紹介
読売版画コンクール一位 1953年読売新聞社 合作
個人 → 第一回全日本学生美術展覧会入選
熊谷元一とは何か 熊谷と私 → ゼミ担当と熊谷の関係
追悼 清瀬市「おじいちゃん忘れない」 郷土誌『伊那』
朝日新聞「声」欄から4点
☆40年後、1990年代の一年生
東京 → 偏差値教育の中心地  写真
日記 文集 「私が子どもだつたとき」エッセイ・創作
☆1953年の一年生と1990年の一年生、比較考
山村と都会
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文芸研究Ⅲ下原ゼミ「熊谷元一研究」            2012・6・1   
課題 自分の子ども時代の思い出(創作・エッセイ)         
                    名前
文芸研究Ⅲ下原ゼミ「熊谷元一研究」            2012・5・25   
課題 『ひがんさの山』感想         
                    名前

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