文芸研究Ⅲ 下原ゼミ通信 熊谷元一研究No.8

公開日: 

日本大学芸術学部文芸学科文芸研究Ⅲ下原ゼミ 2012年6月15日発行
文芸研究Ⅲ下原ゼミ通信
BUNGEIKENKYU Ⅲ SHIMOHARAZEMI TSUSHIN
熊谷元一研究No.8                                

編集発行人 下原敏彦

                              
4/13 4/20 4/27 5/11 5/18 5/25 6/1 6/8 6/15 6/22 6/29 7/6 7/20 (ゼミ4教室)
  
観察を記録する、観察を創作する
6・15下原ゼミ
6・15ゼミは以下の要領に添って行います。(ゼミ4教室)
 
1. ゼミ連絡、「ゼミ通信No.8」配布  連絡・郊外学習について
2.  「写真・童画の使用許可願い書」の作成。
3.  秋田・写真展同行における取材内容を考える 対象 写真館・被写体
4. DVD「教え子たちの歳月」観賞 熊谷と「一年生」の関係を知る 
6月8日ゼミⅢ報告
秋田、角館「熊谷元一写真・童画展」開催決定のお知らせ
 長野県伊那谷にある「熊谷元一写真童画館」は目下、同館の併設ギャラリーで秋田の写真家・小松ひとみによる「桜逢瀬」展を開催し好評を得ているが、7月から小松氏の故郷、秋田角館にて「熊谷元一写真童画展」を開催することが決定した。。
下原ゼミ「写真童画館・写真保存会」視察・研修に同行を決める
 上記の決定により同写真童画館と写真保存会は、秋田角館に視察・研修旅行を実施することにした。7月8日~10日。この計画決定に併せて下原ゼミは、ゼミ雑誌『熊谷元一研究』作成のため、同視察・研修旅行に同行することを決めた。目的は、館職員、保存会会員から写真・童画展の今後の抱負などの取材。同日ゼミで参加有無の確認をとった。
 参加予定者は、担当者1名(下原敏彦)学生1名(大野純弥)
文芸事務より郊外授業申請書を受け取る
 同館・写真保存会の視察・研修旅行同行決定により担当者下原は、文芸事務室より「郊外授業申請書」を受け取る。提出は本日6月15日
授業 大野純弥君の「『一年生』感想を読む」・ゼミ雑誌構成案
1953年と1996年を結ぶテーマ。サローヤンを比較する意味について話し合った。


文芸研究Ⅲ・熊谷元一研究No.8 ――――――― 2 ――――――――――――――――
【土壌館ニュース】
7月に「特別企画・熊谷元一写真展&童画展」秋田で開催
開催日程及び開催会場は以下の通りです。
開催月日 : 2012年7月1日(日)~ 7月31日(火)
開催会場 : 秋田県仙北市角館「ぷかぷか館」
      
主催者 : 写真家・小松ひとみ氏(日本写真家協会会員)
協力 : 熊谷元一写真童画館・写真保存会(0265-43-4422)
     〒395-0304 長野県下伊那郡阿智村智里331-1
写真童画館・写真保存会は、視察及び研修行事で秋田に
下原ゼミⅢ、ゼミ雑誌『熊谷元一研究』取材で同行
この特別企画において同館及び写真保存会は、研修行事の一環として秋田角館視察を行う。視察・研修場所は、ぷかぷか館・武家屋敷・田沢湖畔御座石神社・たざわ湖芸術村等。
下原ゼミは、ゼミ雑誌作成目的で同行する。視察・研修日程7月7日(土)~9日(月)
行 程 ・ 東京 → 平泉 → 田沢湖 → 秋田・角館「ぷかぷか館写真童画展」
宿泊地 ・ 花巻温泉「ホテル千秋閣」、秋田乳頭温泉「鶴の湯」
2010年刊行 編集責任・下原敏彦
――――――――――――――― 3 ―――――――― 文芸研究Ⅲ・熊谷元一研究No.8
【熊谷元一研究】毎号、加筆、校正していきます。
熊谷元一研究の意義
                               
 3・11から一年半が経とうとしている。日にちにすれば350日余りだが、時間の速い現代においては、たちまちの日々である。がしかし、この僅かな歳月の間に日本は、すっかり変わってしまった。原発事故や津波被害で実際に故郷を追われた人たちがいる。が、多くの日本人もまた故郷を無くした喪失感にさいなまれ心の原風景を探して彷徨っている。
熊谷元一の写真や童画には、心を癒す懐かしさがある。場所は、山村だが、記録された村人の生活や子どもたちの遊びは、時と所を超えて見るものを感動させてくれる。貧しかった時代の証言は、文明に行き詰まって混迷する今日の人々を慰め勇気づけるものがある。加えて、教師としての熊谷からは、民主主義教育未踏の時代にあって、なにものにも束縛されない創意工夫の教育を知ることができる。熊谷の、その実戦教育は、迷える現代の教育にあって必ずや新しい学校教育の指針になり得ると信じてやまない。
故に現在の日本において熊谷元一研究は、是非に必要である。熊谷の作品にみる観察と記録は、これからの日本に大いに役立つと思うところである。熊谷元一研究の意義は大きい。
熊谷元一とは何か
熊谷は、アマチュアカメラマンだったが、日本の写真家40名中「17 熊谷元一」(1997)として評価されている。また童画家としても多くの童画を描いた。だが、その人生は「生涯一教師」だった。故に熊谷は、自分の人生を「三足のわらじ」をはいた人生と語っていた。真の熊谷元一とは何か。その仕事から探ってみた。
2010年11月6日、熊谷が101歳で亡くなった翌日、新聞各紙はその死を報じた。「写真家熊谷元一さん死去」(読売)「満蒙開拓民の写真 熊谷元一さん」(朝日)「写真・童画家 熊谷元一さん死去」(信毎)などなどあった。いずれも写真家・童画家と記されていた。後日、NHKテレビの特集番組でも「写真家熊谷元一」として紹介されていた。番組のなかでもアニメ映画の巨匠宮崎駿監督に「すごい写真家」と印象づけていた。
 写真家・童画家として名高い熊谷だが、教師としての熊谷は、どうだったのだろう。
1955年昭和30年に岩波写真文庫から出版された『一年生』は、写真界の金字塔といっても過言ではないが、ここには教師としての熊谷の才能も十分にみられる。
『一年生』を観察すれば、戦後まもない、民主主義教育創生期にあって、熊谷の創意工夫の教育は、常に生きた教育であったことが、未来を見据えたものだったことがわかる。
下原と熊谷元一
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マスメディアにみる熊谷元一②
 その生涯を写真家・童画家・教師として生きた熊谷元一のマスメディアにおける批評と評価は、どんなだったか。新聞・雑誌・書籍・テレビ・HPなどから探ってみた。
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 書籍
1月く
『熊谷元一 なつかしの小学一年生』
河出書房新社 2001・3・20 
あとがき
藤森照信(東京大学教授)
 熊谷元一の写真にはじめて接したとき、不覚にも涙のにじんだ目で自分か仲間がそのなかに写っているんじやあるまいかと本気で追った。敗戦後間もない時代といい、信州伊那谷という場所といい、あまりに自分の生まれ育ちに近かったからだ。伊那谷を流れる天竜川をさかののぼると諏訪湖にに行きつくが、私は諏訪湖の周辺に広がる諏訪平(たいら、盆地)の一画の山村で昭和21年に生まれている。村の
名を諏訪郡宮川村高部といい、人家は70戸ほどだった。
 私が目を凝らしたのは、幼いころの自分か仲間がたまたま写っているんじゃないかと思ったのに加えてもう一つ、もしや、・・・・・。
   
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熊谷元一研究 その3 
代表作品『一年生』を読む
『一年生』を読む
大野純弥
正直な話、下原先生に「一年生」を研究素材にすると聞いた時はじめは気乗りし
なかった。僕が今まで触れた昭和の古き良き風景を写したと謳うものは、得てして
昭和ノスタルジーの押売り的な色が強くもはや胸やけ気味だったからだ。
小学生の頃、親の買っていた漫画「三丁目の夕日」を貪るように愛読した僕は人一
倍レトロチックな事物に惹かれていた。
しかし僕が高校生になると、当該漫画が映画化するに際し世間の懐古主義熱は爆発し、昭和時代の盲信的な強要を感じるようになり僕の中でその類のものは一種僻易としてきたのだ。どの時代にも光射せば影ができ、影あれば光に寄るものなのだ。極端な美化は懐古主義を偏向主義に卑しめてしまう。
ところが僕の勝手な論評を尻目に、熊谷元一氏の写真には「一年生」をはじめとしてそういったいやらしさが感じられるものは全くなかった。農村に生きる人々を
「貧しくも慎ましく希望に燃ゆる人たち」
と一括りにする事なく、村民一人一人を個として嘘なく映しだしている。
 それは正に熊谷氏がその時代を生き、寄り添い、その時代を希望を胸に記録した
からなのだろう。
 その為僕は自然にこの時代の風を受け入れ、「一年生」と同化することができた。
被写体は年端もいかぬ小学一年生である。赤石山脈に囲まれた養蚕業が盛んな
信州の農村に住む普通の子供達だ。女子はおかっぱ頭、男子は大抵坊主頭(おかげ
て表情の違いが良くわかる)。
 入学前の知能テストから既に彼らは被写体となり、日々の学校生活や時には自宅
での日常生活までも写真として切り取られている。下原先生曰く最初のうちは撮
られることへの抵抗もあったが、そのうちに撮られているのに気がつかない位になっ
ていたようで余程熊谷氏のカメラは生徒の生活に溶け込んでいたのだろう。生徒達
の振る舞いや表情がとてもリアルで豊かに写し出されている。
文芸研究Ⅲ・熊谷研究No.8 ――――――― 6 ―――――――――――――――――
これは熊谷氏のカメラマンとしての腕と教師としての生徒との信頼関係によるもの
だとは思うが、それに加え被写体が一年生の少年少女であることも強く起因してい
ると考えられる。
 例えば同じ様にサラリーマンを被写体にして撮ったならば恐らく彼らはカメラを
常に意識し、自分の仕事ぶりがより良く映るように行動してしまい一挙手一役足
全て不自然なものになってしまうだろう。その点小学一年生はまだ先生の内申も関
係ないので臆する事なく有りのままで居られる。熊谷氏はそういった子供の優れた
被写体としての価値をよく知っていたのだろう。熊谷氏が故郷を絵として描く際に
わらべを主に据えたのもそんな意図があったようにも考えられる。
 
 「一年生」には生徒が一人だけで写っている写真が少ない。普通学校の先生が写す
クラスの写真はメインの生徒一人、もしくはグループをでかでかと中央に置き、周
りの生徒はろくに写っていないものが多い。これは後々父兄が写真を購入する際に
買い手が着くようにする配慮なのかもしれないが、やはりここで写真家との違いが
生まれる。
 「一年生」では・:入学時に担任の挨拶を聞く新入生の後ろには神妙な面持ちで見
守る着物姿の母親達。教科書を朗読する生徒の横には飽き飽きとして虚ろな目で
レンズを睨む男子生徒や、教室の後方でひっそり欠伸をする女子生徒。蛇を得意気
に掴むガキ大将の脇には見切れながらも男子を軽く蔑視する女子の姿が映されて
いるのである。
 写真の中央だけでなくフレームぎりぎりにまで主役が写りこみ、それらの主役全
員が互いに作用し合って写真を創り上げているのだ。熊谷氏は風景、人間関係全て
を見事に切り取っている。
 写真の中にその当時の空気が生きているのだ。だから見る側としてもその空気を
肺一杯に吸い込めば簡単に感情移入が出来る。
 入学と言えば、学校に上がる年齢まで健康に育つかも危うかっただろう当時とし
ては親にも相当の感慨があったのだろう・:手を前に揃えて見守る母親衆の中に思
わず腕を組んでいる人もいるな、と写真と会話することも可能にしている。
「一年生」にはユーモラスな写真が多いのも特徴的だ。パンをかじる少年。眉間に
皺が入る程力を込めてコッペパンに食らいつく。その力強さは「これは俺のもんだ」な
のか「お腹空いたぜ」なのかは分からないが、とにかく勇ましい。その一方で右手で
は使わない箸を掴んでいる。しかも奥のパンをかじろうとしている少年も同様に箸
を掴んでいるのだ。これがどことなく可笑しく、微笑ましい。
 そして何と言っても校内放送で歯の衛生の話を聞く生徒の変遷は現代でも通じ
るユーモアを感じる。
手前の女子生徒は放送開始四分後から本を読み出す。眠りだす周囲の生徒がいる。
拗ねて教室に入らずに外で遊ぶ生徒。喧嘩をして壁に肩を押さえ付けられて半
泣きの生徒。教育者であれば直様叱ったり、仲裁に入ったりと何か指導しなくては
ならない場面。熊谷氏はただその光景にシヤッターを切っている。
喧嘩の顛末、負けた生徒が地面に力無く座り込み他の生徒達に囲まれている後ろ
姿まで写真に収めるしだいだ。これではいくらなんでも放任し過ぎで写真家として
は良いかもしれないが教師としては些か問題がありそうだ。
しかし、喧嘩の写真の添え書きで熊谷氏は「できるだけ追ってみたら、こどもを理解
する上にも役立った」と述べている。
――――――――――――――― 7 ―――――――― 文芸研究Ⅲ・熊谷元一研究No.8
 ここに熊谷氏の教師としての教育理念が垣間見える。熊谷氏の教育資料に生徒達
が掃除の時間にどこで何をしていたかを線でなぞり記録したメモがあった。「窓の近
くに寄って雑巾を持つたまま五分惚けている」等細かな描写も合わせて書いてあった。
しかもそれはクラス全員を記録していて、日替わりで観察していたのだという。
なかなか出来る作業ではない。この記録から熊谷氏は生徒一人一人の性格からク
ラスでの立ち位置に至るまでを分析していたという。
徹底的に生徒に向き合い、問題が起きた際にもその原因を見つめしっかり観察する。
その上で解決策を考じ、問題の根源を正す。教師の制裁、説教もその場しのぎのも
のであれば効果は一過性でしかない。
長期的に見た時、生徒にとっても熊谷氏の教育方法は有効だと思える。
何より当時の生徒であった下原先生達が熊谷氏を慕っていたことがその証しである。
「一年生」について考察して一番強く感じたのは、奇しくも「懐かしさ」だった。も
ちろん平成生まれの僕に木造の校舎や囲炉裏がそれを感じさせたわけではない。
昭和の一年生達の喜怒哀楽の表情が、幼いながらも牽制し合い作る関係性が僕に
も共通体験として引っ掛かりを生んだのだ。
時代や地域は違えど、幼少期の曇りのない眼で見る空は青く澄み、友は初めての他
者であることに変わりはない。自己形成の時に学んだ知識や教えは普遍的な規範
をつくる。いつでも振り返って幼少期に心を寄せれば、自分の居場所を確認できる。
それは昭和でも平成でもいつでも同じことである。
「一年生」はそんな心の故郷への沢山の入口を含む写真集である。
いつの時代も「入学式」は同じ。はじめて学校に来る一年生は、緊張と希望と不安で張り詰めている。右上は、熊谷元一と受け持つことになった「一年生」
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文芸研究Ⅲ下原ゼミ・ゼミ雑誌制作企画
熊谷元一研究・ゼミ雑誌構成(案)
毎回、話し合って編集方針を固めていく。
【モチーフを何にするか】故郷、一年生など・・・・
  ※なぜいま熊谷元一か・・・・下原
○1953年、ある山村の小学一年生の一年間の記録 写真
代表作『一年生』を読む、感想・・・・・大野、岩澤
取り入れ  写真  文集  五十歳・還暦文集 
※黒板絵の世界について・・・・・下原
○1996年、都会の一年生の記録 写真、
 創作「私が子どもだったころ」都会の遊び・・・ 大野、岩澤
取り入れ 日記  写真  文集  など
○特集・秋田角館紀行『角館に熊谷元一を見に行く』・・・大野
○同時代の写真家・米国作家比較・・・下原
創作「サローヤンの少年時代」感想・・・大野、岩澤
熊谷元一とウイリアム・サローヤンの比較は、まったく相いれないものかも知れない。が、
なぜか両者を試みたい。原風景という共通項から類似点を考えてみたい。
米国作家と日本人写真家。異質な両者の距離がこの研究で、どれほど近づくか。見もの。
○DVDから宮崎駿監督のシーン → 「こんな凄い人がいたのか」
ゼミ雑誌作成手順
 ①【ゼミ雑誌発行申請書】
上記申請書を期限までに江古田/学科事務室に提出してください。
夏休み明けみまでに編集作業をすすめ、印刷会社を決め、そうていレイアウトを相談する。
②【見積書】
 印刷会社から見積もり料金を算出してもらい、期日までに学科事務室か出版編集室に提出する。編集作業をすすめ、11月半ばまでには印刷会社に入稿する。
ゼミ雑誌納品は12月7日(金)厳守 !
 ゼミ雑誌ができあがったら、12月7日(金)までに提出してください。
③【請求書】
 印刷会社から請求書をもらい学科事務室に提出してください。以上で終了です。
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編集室便り
① 課題原稿、メールでも可 下記アドレス
住所〒274-0825 船橋市前原西6-1-12-816 下原方
  メール: TEL・FAX:047-475-1582  toshihiko@shimohara.net
 
 
熊谷元一とサローヤン
1908年  ウイリアム・サローヤン、米国カリフォルニア州の農業地帯フレスノで生まれ
る。アルメニアからの移民二世。
1909年 (熊谷元一、長野県伊那谷の山村で生まれる)
1934年 『空中ブランコに乗った大胆な若者』好評26歳 この年から6年間に何百という短編を書いた。まるでカメラのシャッターを押すように。
1938年 熊谷の朝日新聞社刊『會地村』好評、29歳 このときから山村を観察と記録
1953年 熊谷『一年生』の撮影開始
ウイリアム・サローヤンの邦訳出版されたもの
『君が人生の時』加藤道夫訳、中央公論社、1950年
『人間喜劇』小野稔訳、中部日本新聞社、1950年
『わが心高原に』倉橋健訳、中央公論社、1950年
『男』小暮義雄訳、ダヴィト社 1951年
『わが名はアラム』清水俊二訳、月曜書房、1951年(のちに晶文社)
『君が人生の楽しき時』金子哲郎訳、創芸社、1953年
『どこかで笑っている』清野陽一郎訳、ダヴィツト社、1954年
『サロイアン傑作集』末永国明訳、新鋭社、1954年
『笑うサム・心高原にあるもの』斉藤数衛・吉田三雄共訳、英宝社、1957年
『我が名はアラム』三浦朱門訳、角川文庫、1957年(のちに福武文庫所収)
『人間喜劇』小島信夫訳、研究社、1957年(のちに晶文社)
『わたし、ママが好き』古沢安二郎訳、新潮社、1957年
『サローヤン短編集』古沢安二郎訳、新潮文庫、1958年
『人生の午後のある日』大橋吉之輔訳、荒地出版社、1966年
『ウイリアム・サローヤン戯曲集』加藤道夫・倉橋健訳、早川書房、1969年
『ママ・アイラブユー』岸田京子・内藤誠訳、ガルダ、1978年(のちにブロンズ新社刊 新潮文庫所収)
『パパ・ユーアークレイジー』伊丹十三訳、ガルダ、1979年(のちにブロンズ新社刊、新潮文庫所収)
『ワン デイ イン ニューヨーク』今江祥智訳、ブロンズ新社、1983年(のちに新潮文庫所収)
『ディアベイビー』関汀子訳、ブロンズ新社、1984年(のちにちくま文庫所収)
『リトル チルドレン』吉田ルイ子訳、ブロンズ新社、1984年(のちにちくま文庫所収)
『ロック・ワグラム』内藤誠訳、新潮文庫、1990年
『ヒューマン・コメディ』関汀子訳、ちくま文庫、1993年
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熊谷元一の代表作、岩波写真文庫『一年生』
 
日本大学芸術学部文芸学科・文芸研究Ⅲ下原ゼミ「熊谷元一研究」               
課題 写真・童画の複写使用許可願い作成         
                    
熊谷元一写真童画館 殿   熊谷元一写真保存会 殿
趣旨
目的
計画
文芸研究Ⅲ下原ゼミ「熊谷元一研究」               
課題 秋田角館視察・研修同行取材内容        
                    
熊谷元一写真童画館に質問したいこと     
熊谷元一写真保存会に質問したいこと
ご家族(長男さん)に聞きたいこと
28会(被写体の一年生)に聞きたいこと
その他
ゼミ雑誌(仮)『熊谷元一研究』作成の為。7月1日~31日まで秋田県の角館「ぷかぷか館」(仙北市)で【特別企画 熊谷元一の写真と童画展】が開催される。(主催者・写真家小松ひとみ)。作品貸出元の長野県から「熊谷元一写真童画館」「写真保存会」が視察と研修行事の一環で、同展を観賞する。この一行に同行して、写真童画展を見学するとともに関係者への取材を実施する。
7月7日(土)花巻温泉「千秋閣」
7月8日(日)秋田乳頭温泉「鶴の湯」0187-46-2134

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