文芸研究Ⅱ 下原ゼミ通信No200

公開日: 

日本大学藝術学部文芸学科     2012年(平成24年)10月15日発行
文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.200
BUNGEIKENKYU Ⅱ SHIMOHARAZEMI TSUSHIN
                              

編集発行人 下原敏彦

                              
9/24 10/1 10/15 10/22 10/29 11/12 11/19 11/26 12/3 12/10 
1/21 1/28
  
2012年、読書と創作の旅
10・15下原ゼミ
10月15日(月)の下原ゼミは、下記の要領で行います。文ゼミ2教室
  ゼミ雑誌編集作業(提出済み原稿) → 感想・校正
デザインのイメージやジャンル決め
10月ゼミは、ゼミ雑誌編集月間
ゼミ雑誌『正体不Show time』
作成完成に全力してください。
残る10月ゼミは、15日、22日、29日デス
ゼミ誌原稿の提出率、驚異の100%強 !
10月1日時点で早くも100%近く、10月14日現在では、既に到達。この驚異の要因は。
辣腕、編集長・石川舞花さん、集稿才能を発揮
出席率、40~50%というじり貧ゼミのなかで、心配だったのは、やはりゼミ誌原稿の提出率だった。今は遠く昔のゼミ初日。あれ以来、顔をみない人もいる。はたしてゼミ誌は、大丈夫だろうか。毎年だが、今年は、特にそんな不安にかられた。
というのも、ゼミ雑誌編集委員をクジで決めることを提案したのは、ほかでもない編集室の私だったからだ。運悪くか運よくか、クジを引いてしまったのは、後藤君と、石川さん。石川さんは、演劇学科から転科してきたばかり。大丈夫だろうか。そんな心配が先に立った。


しかし、さにあらず。人はみかけに寄らぬものとはこのこと。石川さんの主導でゼミ雑誌原稿提出率は100%、調査に来られたゼミ誌編集室委員も「安心しました」の声でした。
文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.200 ―――――――― 2 ―――――――――――――
■古谷麻依作「ハルシオン・デイズ」
■根本留加「狭間の夢」
 
 電車の座席に携帯を置き忘れた。忘れ物置き場がある駅までの旅。携帯あってよかったですね。
■鞆津正記「インターセプター」
■後藤啓介「シンデレラマザー」
■矢代羽衣子「ぼくがかいじゅうになった日」
■山野詩門「猫の話し」
■吉岡未歩「夏の穂」
■小妻泰宗「実録 ! 人食い屋敷」
■梅津瑞樹 脚本・「神様システム」
■石川舞花「運命の果て」
■志村成美「ドラマチック」
―――――――――――――――――― 3 ――――― 文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.200
ゼミ雑誌掲載「下原ゼミ」の車窓から
雑音ボイス
志村成美
早朝と呼ばれる時間の電車は案外空いていない。こんな朝早くにどこへ出かけるのかというくらいにはいる。きっとほとんどはお勤めに行くのだろう。ご苦労さまです。
 私もその時間の電車には数回乗ったことがある。そのすべてが冬だった。昼間でも十分寒いのに朝は本当に体の芯から冷えるくらいに寒い。ホームでの待ち時間は本当に地獄だ。しばらくして、目的の電車が来るとホームに風が抜けていく。それもまた寒い。扉が開くと中は十分に温められていて、私はなるべく風が入らない位置を確保する。外はまだ真っ暗で時計を見なければまだ夜だ。しかし、電車が進むにつれだんだんと夜が明けてくる。その空の色は夕方のオレンジと紫色とは少し違う。透明感があって淡い優しい色をしている。その色の境目が私は一番好きなグラデーションだ。いつも見慣れている景色がなんだか別のものに見えてくる。それはいつもとは違う影の入り方のせいなのか、空気が違うのか、単に私の目の錯覚なのかは分からない。けれど、一度は夜と朝の境目を電車に揺られながら見るのも悪くない。いや、ぜひお勧めしたい。ただ、わざわざ真冬の寒い時期にする必要はないと思う。
 時間が経つにつれ乗客も増えていき、いつもの電車の雰囲気になっていく。そうなると当然騒がしくなってくる。毎日の変わらない通勤ラッシュになってしまえばそれは、ただの現実。外の景色はいつもと変わらない見慣れた景色に戻ってしまう。朝の魔法は、一瞬で溶けてしまうのだ。
乱文
梅津瑞樹
存在とは一体なんであろうか。
目に映り、手で触れられるものが存在しているということだろうか。
どこかの偉い学者が証明し、後に小難しい本が沢山書かれるものこそ存在しているということだろうか。
今、目の前に一つの真っ白な立方体があるとする。
視覚は、それが間違いなく真っ白であるとあなたに訴えかけ、あなたの手はそれが紛れもなく記憶の中のキャラメルと同じ形だと囁きかける。
しかし、それは真実だろうか。
もしかしたら、それは名前の無い池に身を乗り出して目を凝らした時のような、未知への恐怖を喚起させる黒かもしれない。
もしかしたら、それの表面は歪に皺が寄り、時折どくどくと脈打っているかもしれない。
我々の目が、耳が、手が、外界と繋がる唯一の手段であると同時に、最も余計なものであり、外界との通信に絶えずノイズをまじえているかもしれない。
だとしたら我々の存在するこの空間、延いては世界は我々が我々で在る限り不確かであろうか。
そもそも我々の存在の終焉とはなにか。
在るということは、それが無い状態の証明ではないのか。
それは死だろうか。
だとすれば我々の存在するこの世界と対となるもう一つの世界、無という世界が「在る」のではないか。
文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.200―――――――― 4 ――――――――――――――
だとすれば我々の存在は仮初の均衡の上で、所在無くふわふわと揺れる風船のようではないか。
大半の人間が生活の為に機械を使うようになった世界。
大半の人間がその仕組みを知らないまま死んで行く世界。
我々は我々の存在すら証明することができない。
私たちはなんと無知であろう。
石川舞花
 ある平日の夕方のことである。家路につく途中の私は、総武線の車内で一人の女性を見た。目に飛び込んできたのだ。無論、見知らぬ人である。何故、そんなにも私の目を惹いたのか。それは女性の身なりのためだ。
 白のワンピースに赤い靴、腰には細い茶色のベルトをしている。髪の毛は肩にかかる位の長さで、毛先が少し内側にカールしている。勿論、黒髪だ。真っ白なワンピースは膝下丈で半袖のちょうちん袖である。袖からは、色白でほっそりとした腕がすらりとのびている。
 これを「清純」と言わずして何と言おう。テレビなどで見かける「清純派女優」など目ではない。これこそ、本当の清純な女性。そんな姿だ。ドラマに出てきたら、一瞬で世の男性たちの目はハートになろう。
 さて、ここまで私が見ているのは、女性の後ろ姿である。しかも、電車の扉一つ分位あけた距離から眺めているのだ。後ろ姿だけでこんなにもきれいなのだ。こちらを向かないものかとジリジリする。転機がやってきた。電車が止まると、その女性も降りようとしている。私の期待は高まる。ついに、私の目は女性を正面からとらえた。
 しばし、言葉を失う。他人の容姿にどうこう言える身ではないが、白いワンピースを清純に着こなすトシではなさそうだった。私が想像していたのは春風のような女性である。彼女がまとっていた風は、からっ風だった。
 見かけで人を判断してはいけない。それは分かっている。勝手に期待をしたのも私だ。彼女に罪はないのかもしれない。だが、どうしても恨みがましい想いを抱いてしまう。勝手にときめいて玉砕した夕暮れの日。肩にかかる荷物の重さが普段より重く感じた。
 
私はいま、非常に困っている。
矢代羽衣子
 鈍行電車の中。無人のボックス席に座った私は、早々にうつらうつらと船をこぎ始めた。足と手を組み、首をがっくり下げて、完全に眠る気満々の体勢。鈍行のボックス席は座席と座席のスペースがかなり狭く、足を組むと向かいのシートに脛が当たってしまう。少し迷ったけれど、早朝の電車内には人がまばらにしかいない。私はそのまま眠ってしまった。これがいけなかった。
 ふと目が覚める。なんだか体が窮屈だ。車内アナウンスでまだ自分が降りるべき駅ではないことを知って安心して顔をあげると――目の前に、おじいさん。
 びっくりしすぎてむせた。
 自分のパーソナルスペース内に他人が知らぬうちに入ってきていたら誰でも驚くだろう。しかもおじいさん、何故かボックス席の四席のうち、狭い席内のより狭い私の目の前にわざわざ座っている。何故。何故そこを選んだご老人。
―――――――――――――――――― 5 ――――― 文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.200
 おじいさんがいるから足、下げられない……というか今日スカート! スカート! パンツ見えるから!
 どうして私はその日に限ってミニスカート(と言ってもせいぜい膝上程度のミニ)をはいてきてしまったのだろうか。神様がスカートをはくなとでも言っているのだろうか。わかりました以後気を付けます今後はレンギスなりトレンカなりはくようにするんで今日はこれくらいで勘弁してください!
 おじいさんと私の足はぎっちりパズルのようにはまっていて一切身動きが取れない。下着が見えているかもしれないのに隠したくても隠せないジレンマ。あいにく私にはスカートの中を他人に見せて喜ぶ性癖は持ち合わせていない。
 羞恥心で死にそうになりながらしばらくどうにかならんもんかと奮闘したけれど、のれんに腕押しだった。私は腹を括った。
 こんなお年を召した方が小娘のパンツを見たって別になんとも思わんだろう。大丈夫、大丈夫。気にした方が負けだ。よーし眠ってしまえ!
 私はほとんどやけになって、開き直ってそのままもう一度眠ってしまった。パンツが丸見えだって気にしない。そう、私はワカメちゃんなのだ。
 自己暗示の甲斐あってか再び私はすっかり眠りこけてしまい、再び目を覚ますと。
おじいさんがもう一人増えていた。
吉岡未歩
ほぼ席の埋まったリムジンバスに乗り込み、補助席を引き出して座る。座り心地はあまりよくない。左隣に座ったおねえさんは、早々にイヤホンをはめて、音漏れガンガンで音楽を聞き始める。私も負けじと、左耳だけイヤホンをはめ、チャットモンチーを流す。真後ろの補助席には母、その隣の座席には姉が座っている。
「このバスは約八十分かけて新千歳空港へ直行します」
 空港へ向かっていると、オイル漏れで電車が止まってしまったので、バスに乗り換え空港へ向かう。空港に着く時刻は、飛行機の出発時刻だ。この電車の遅れで、どうなるかわからないから、とりあえず空港へ向かう。
 後ろで母と姉は、間に合わず万が一乗れなかったらどうするか、二人で首をひねらせている。私はヤフーの知恵袋で「人身事故で飛行機に乗り遅れた場合」と調べてみる。次の便に振り替えてもらえる場合もあるらしい。まさかの事態だが、なるようになるのだと、いやに落ち着いているのは後ろの二人がやけに騒がしいからだろう。
 いきなり、一番後ろの席のおじさんが、車内いっぱいに大きないびきを響かせた。それはそれはものすごい。近くでお母さんに抱かれていた赤ちゃんが思わず泣きだしてしまうほどだ。前の方に座る若いカップルが、顔を乗り出して笑いながらこちらの様子を見ている。
 私の前の補助席に座るおばさんは、先ほどから何をしているのか、ぼろぼろとペンを座席の下に落としている。私が拾って渡すと「ごめんなさいねぇ」とぺこぺこ頭を下げた。右隣のお兄さんは寝ているようで、こちらに首をもたげてきた。私があからさまに体を避けると、後ろで母があははと笑った。
 空港にバスが到着する。搭乗口に走って向かうと、どうやら飛行機自体が一時間遅れで到着するらしく、入り口に立つお姉さんがこちらへどうぞとロビーへ案内してくれた。
 ロビーの椅子に三人、うなだれて座る。走ったせいで、身体は汗ばんでいる。
 北海道に住む祖父母の家へ、一泊二日の強行旅行だった。ロビー内の大きくはないお土産売り場で、白い恋人をたんまり買って、出発を待つ。何はともあれ飛行機に乗れそうでよかったと、気の抜けた声で笑った。
文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.200 ―――――――― 6 ―――――――――――――
鞆津正記
重量感を孕みながらもハスキーな電車の声。時折車体ががくんと上に揺れる理由は、鉄オタじゃない僕にはわからない。
ガツン!
ととてつもない音が脳を揺さぶった。鈍痛とも鋭痛ともとりがたい痛みで頭蓋骨がきしむようだ。電車内、座席の端に座ると、壁に頭を預けた時に丁度窓枠に接することがある。これが曲者で、どんな風に頭を置こうとしても安定する場所が無く、仕方なしに窓枠の縁に頭をあてていると、車体が揺れた際に頭を強打することになる。
この日も電車内で昼寝をキメていた僕は、不意に来たとてつもない痛みに耐えなければならなかった。挫けた場合は大きな声を上げて痛がることになるが、人目もある車内でそれはあまりに見苦しい。幸い車内は空いていて、真横に人は居ない。あまり目立たないように小さく痛がると、もう二度と車体が揺れないことを祈りながら、壁に頭を預ける。
ポケットの中で携帯電話のバイブが着信を知らせた。友人とメールをやりとりするのが好きな僕は、ポケットを漁るために身体を傾ける。と、今度は後頭部でブチブチ音が鳴って痛みに襲われる。
やっちまったと思いながら後頭部を押さえて振り返る。窓枠の隙間とか窓枠を止めているネジとか、そういったものがよく僕の髪の毛を食べたがるのだ。幸い持って行かれたのは毛一本で、後頭部が禿げた様子もない。幸いと言えるのだろうか。あまりに痛む。
窓の外は雨だ。電車が目的の駅につけば、僕は傘をさして歩かなければならない。そうなれば今度は、傘の骨に髪を喰われるのだ。憂鬱な電車は、のんびり終点を目指す。
古谷麻依
お知り合いが入院した。
 入院先の東大病院への行き方は、主に二通りある。
 それはバスかタクシーかの違いで、どちらにしろ「上野」に出なければならない。
 私の最寄り駅は「浦和」で、祖母の家のある「赤羽」へはしょっちゅう電車で行っているが、今回はさらにその先「上野」に出なければならないのだ。これは未知の世界だった。
 「池袋」「新宿」「渋谷」方面になら何度も出たことがある。しかし「上野」方面にはとんと馴染みがない。
 どんな所なんだろう。何となく広い、というイメージはある。何せ新幹線が通っているのだ。そういえば合宿で「東京」に行ったけれど、待ち合わせ場所へ行くにも一苦労だったっけなあ。多分「上野」もそんな感じなんだろうなあ。これで知り合いが重病だったら「絶対に行かなきゃ」という使命感も湧くのだろうが、話で聞いた限りじゃそんな悪そうでもない。じゃあいいじゃん。そんな感じだった。
 そうやってもたもたしていたら母に早く行けと家を追い出されたので、いよいよ私は単身未知の世界へ繰り出すことになった。
 と言っても、そんな大袈裟なものではない。高崎線、宇都宮線、京浜東北線。浦和から出ているこのいずれかの電車に乗っていれば、乗り換える必要はないのだから。
 そう思うと、何だ、全然大したことないじゃんと開き直る余裕も出てきた。
 最初は私も音楽を聴いたりしながら、ゆったりと席に座っていた。
 しかし「赤羽」を過ぎた辺りで何となく不安に襲われる。
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 まず、「赤羽」でじゃんじゃん人が降りる。そして乗る。車内を総入れ替えする勢いで、人がごった返す。え、私もここで降りた方がいいの? という疑念に駆られる。いつもなら自分もここで降りるのに、今回はさらに先へ行かなくては。それにしたって降りずにどっかり席に構えている自分が、急に何様のように思えてくる。心の中で誰かに謝りたくなる。
 そして次の「尾久」で、目を疑った。屋根のない、吹き抜けのホーム。これは駅か?
 地元の方ごめんなさい。でも「赤羽」と比べると、まるで寺子屋と小学校並みに違うのです。察して頂きたい。
 そして誰も降りない。乗らない。切ない。ごめんなさい。
 それから何駅か通過して、ようやく「上野」に着く。高崎線・宇都宮線はここが終点なので、皆ぞろぞろ降りていく。
 ここでようやく終わりと思いきや、私にはこれからタクシー乗り場もしくはバス乗り場を探すという重大な使命がある。
 簡単に見つかると思っていた私は、完全に認識が甘かった。中央口、不忍口、……入口がとにかく沢山あるのだ。「上野」侮り難し。
 まだ旅は、六割方終わったに過ぎなかったのだ。
車内観察            根本留加
 早朝六時ごろ、私は眠い目をこすりながら地下鉄に乗った。あいにくの雨で一気に気温が下がり、肌寒いほどの気温に秋の訪れを肌で感じる。電車に乗ると、時間帯のせいもあって、人は少なかった。座席の中央に座る。目の前に爆睡している男性がいて驚く。その人は体を丸めて、足まで座席に乗せて眠っている。どうやらかなりお疲れのご様子だ。朝まで飲み会でもあったのだろうか。お疲れ様です。
 二駅ほどで地下鉄から乗り換える。地下から地上へ。ホームに出ると、肌寒いんじゃなくてもはや寒かった。体をさすりながら丁度ドアの開いた電車に乗る。地下鉄よりかは人が多かった。どちらにも言えることだったが、男性ばかりだ。こんな時間に女性が電車に乗っているのは珍しいと思う。自分で思うのも変だが。座席に座って、つい癖で右足を上にして足を組むと、目の前に全く同じポーズをしていた青年がいて、何となく気まずくて組んだ足を戻した。やはりこの時間、本来なら寝ている人が大半だ。手を組んでうとうととしている姿をよく見かける。私の右隣に座っているのは、中学生らしき男の子が背もたれに背を預けて眠っていた。ユニフォームに、足元のエナメルの大きな鞄を見て、運動部なのは分かった。きっと試合か何かあるのだろう。お疲れ様です。
 終点に着き皆続々と降りていく。電車には様々な人が乗っているから、見ていて楽しかった。改札に向かおうとすると、私の横を全身完璧なコスプレをした人が通った。この時間帯に乗る電車は、何だか異様な空気をはらんでいる気がした。
文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.200 ――――――― 8 ――――――――――――――
車内観察
                             小妻泰宗
 私は出身が宮崎であり。長期の休暇があればその都度羽田より飛行機に乗って実家へと戻っている。そんなに荷物があるわけではないので、いつもは電車で所沢から羽田空港まで向かうのである。だが今回は少し趣向を変えて高速バスを使うことにしたのだ。
 池袋からバスに乗り込み席に着く。時刻はラッシュの時間帯だというのに人はまばらだ。ここがまず電車と違う。席にはゆとりがあり。ゆったりと座ることができる。いつもより建物を近くに感じ、流れる風景の早さまでもが違う。高速バスでは外の景色を眺める余裕ができるのだ。残念ながら私は東京の地名について疎いので、詳しいこと書くことができないのが残念なのだが、人々の生活を電車とは違った視点から見ることができるような気がする。
 人々を次々と拾いバスはついに高速を走り始めた。ここでまた自分の東京に対してイメージしていたものが崩れてしまった。それは渋滞せず意外とするすると走っていたからである。東京の高速というものはいつも渋滞しているものと思ってた。それに今までバスを使わなかった理由が、渋滞に巻き込まれて時間とか間に合わなかったどうしようという勝手な先入観から来ていたものだから、バスの中一人で恥ずかしくなってしまった。
 結局空港までは一時間ほど、はっきり言って電車とそう時間は変わらないし、値段も変わらない。これはいいものだなんでもっと早く気付かなかったんだろうと思いながらバスを降りた。
 実家からまたこっちに出てくるときも羽田から池袋まで高速バスを使った。もっとある種非日常の光景を見たいと思ったからだ。だが、残念バスに乗り気付いた時には池袋についていた。どうやら寝てしまったみいだ。
車内観察
                                   山野 詩門
 私は電車で二時間かけて学校に通っているのですが、やはりそれだけ乗っていると変な人がたくさんいます。
ある日の出来事。まずドアから絶対に離れない人。これはかなり迷惑で、混雑時に降車する時もどこうとしないのでまわりの人達から舌打ちされてしまう場合もあります。
次に車内でご飯を食べる人がいるのですが、まあおにぎりぐらいならいいんです。ただマクドナルドやケンタッキーを食べる人がいました。その人は匂いを車内に撒き散らし、音もくちゃくちゃとします。そんなにお腹が空いているのなら、その店で食べればいいのにと思うのは私だけでしょうか。とても惨めでこんな人間になりたくない。TPOもまもれない人間が大人として認識されてしまうのは悲しいことと思います。
 面白いと思うのは最近車内で大人が携帯型ゲーム機をやっている人が多いなと気づいたことです。私のイメージでは子ども達がゲームをして遊んでいると思っていたので、少し驚きました。最近では若年層だけでなく、中年層にも携帯ゲーム機の需要があるのだなと発見しました。
 最後に車内で電話をする人がいました。うるさいくて気分を害するのですが、そんなことも気づかない上に電話の内容が車内に筒抜けというのが恥ずかしくないのだろうか。そんなことを考えてしまいます。そんなこんなで学校の最寄駅に着きました。車内の人の行動、言動一つで一日の気分は大きく変わります。それほど車内環境は大事だと思い知らされました。
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後藤啓介
リセット、ってなんだろう。私はそんなことを心で呟いた。
空気を吸い込み、身体を椅子に委ねた。揺り籠とは違う、不規則ながら心地の良いリズムに何故か安堵する。眠くなりそうな目を擦った。
 夕日が沈んで夜に移り変わる時刻。私は下りの電車の中にいた。
隣の席に座る少年にもう一度、目を向ける。携帯用のゲーム機を見つめる少年。画面にはゲームオーバーという文字が浮かび、その後にリセット?と質問されていた。
少年は何食わぬ顔でリセットを押した。画面に倒れていた人間は立ち上げり、また動き出す。画面の中の人間はさっきまで自分が死んでいたということを忘れ、また魔物を倒す冒険に旅に出て行った。
 私は目線を正面に向けた。四十歳前半くらいだと思われる男性。皺の目立つスーツを着て、椅子に全身を沈めるように眠っていた。
 彼の人生にリセットはあるのだろうか。ふと、そんなことを考えてしまった。
彼の人生には恐らく、魔物も出てこないのだろうし、彼自身も別に戦士でもないのだろう。何か強力的なダメージがあれば、あのゲームみたいにリセットは来るのだろうか。
そう思うと急に虚しく感じた。人間の一生は一回であり、そこにリセットはない。
この列車が脱線し大事故になると、目の前に現れるのは真っ黒で途方もない闇であって、そこにはゲームオーバーの文字もない。当たり前のことだが、感慨深いものがあった。
 私は自分の携帯電話をリモコンのように持つと腕を少しだけ上げ、目の前の男性に向けた。そして、自分にも聞こえないほどの小さな声で、リセット、と呟いた。
 これで彼の一日が終わり、明日にリセットされる。なんてこともない。
前期課題未掲載分
自分の一日(新入生歓迎の日)
山野詩門
 朝早くクラブハウスに行き、机出しの机やいすを運び授業に出つつ新入生歓迎プロジェクトの一員として過ごす日々。
車内観察
山野詩門
 電車に乗っていて頭のうすくなってきているおじさんが大股にしていて椅子にすわっていてなんだか怒りの前にこの人は辛い人生を歩んできているのだなーとしみじみと思ってしまった。
 ある日の電車で手をひたすらふーふーと吹きつづけ楽しそうな大人を見て電車には色んな人たちが載っており、それを気づかず乗っている毎日が恐くなった。
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テキスト研究 下原ゼミが志賀直哉をテキストにしたのは、この作家が小説の神様といわれているからである。(もっとも、そう思わない作家もいるが、編集室では、そう信じている)
小林多喜二と志賀直哉
 少し前だが小林多喜二の『蟹工船』が話題になった。80年以上も前の、しかもプロレタリア文学が、なぜか。ワーキングプア、若者たちの貧困が要因の一つにあげられた。早い話、経済の低迷が火付け役だという。日本の貧困と政府の無策を訴えつづけた小林多喜二。それとは正反対に裕福な生活を送っていた志賀直哉。
 完璧なまでのプロレタリア作家・小林多喜二と、貴族趣味作家と揶揄され批難される志賀直哉。両作家は、対極にある。が、両者は、お互いを理解し、尊敬しあっていた。多喜二(29)は、昭和8年(1933)2月20日東京築地署で特高警察により拷問死させられた。歴史に「たら、ねば」はないが、もし戦後まで生き、『灰色の月』を読んだら、どんな感想をもっただろうか。おそらく、すぐに直哉の家に駆けつけ、「はじめて文学の真髄がわかりました」と熱く文学談議するに違いない。両雄相識る。志賀直哉は、昭和43年、『小林多喜二全集』の推薦を書くにあたり、こんな文を寄せている。
 人柄については真面目で、立派な人だと思う。あんなふうに死んだのはそんなことがなければ今でも生きていて、自由に仕事が出来たのにと思うと非常に残念な気がする。
 志賀直哉の悔しさが滲む一文である。『灰色の月』を一番読んでもらいたかった人間、それは小林多喜二だった。編集室はそのように想像している。
 昭和6年(1931)11月、小林多喜二(28)は、奈良に住む志賀直哉(48)を訪ねた。我孫子時代から度々手紙をやりとりしていた。二人は一晩、旧知の友のように親しく語り明かした。
 なぜ、ガチガチの新進気鋭プロレタリア作家、小林は、優雅な貴族的作家の志賀直哉を訪ねたのか。度々、手紙をだしていたのか。親友のように語り明かしたのか。おそらくプロレタリア作家という衣の奥に、真の文学の炎が燃えていた。それが向かわせた。社会の現状を憂い嘆いて糾弾する。それも文学。だが、本当の文学は違う。多喜二には、そのことが薄々わかっていたに違いない。『網走まで』は、文字通り網走、でないことがわかっていたのだ。美しき明治の奥に潜む暗部。日本という列車は、その闇に向かって走っている。網走を過ぎれば次は奉天。列車は満州鉄道の壮大な大陸をひた走る。そうして、その先には、想像もつかない終着駅が待っていた。ヒロシマ、ナガサキという駅が。多喜二は読み解いたからこそ、玉座の直哉を訪ねたのだ。20歳も年下の文学革命青年。だが、直哉は彼の中に本物の文学の炎を見た。だからこそ惜しんで、やさしく諭した。早く、その衣を脱ぎなさい、と。しかし、時は待ってはくれない。多喜二は、その姿がわからないほどに叩かれ殴られ虐殺された。「小説を書いただけで殺された」多喜二の母の嘆きに直哉は悔やみの手紙をしたためるしかなかった。夏目漱石『三四郎』の同席者は、日本は「滅びるね」と言った。『網走まで』から37年。灰色の月の下の東京は廃墟と化し、走る山の手電車の車両のなかでは、乗客の少年が飢えて死のうとしている。こんな国に誰がした。『灰色の月』から志賀直哉の静かな怒りが聞こえてくる。文学は表層ではない。多喜二にそう諭したはず。が、直哉の怒りは次第に大きくなった。稚拙、とち狂った。直哉は、そんな嘲笑と批判をよそに「銅像」を発表した。まるで多喜二のアダを打つかのように。(編集室)
「銅像」、戦争の責任者(東條)は、靖国神社に祀らず、銅像を作って後世への反省と戒めとせよとのエッセイ。
―――――――――――――――――― 11 ――――― 文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.200
世界名作紹介・詩編 この季節の詩です
 ヴェルレーヌの作品から「沈む日」と「秋の歌」を紹介ます。二人の訳者のものです。訳者によって名作の印象は、違うか、違わないか。そのへんを気にとめて吟唱してください。
※ポール・ヴェルレーヌ(1844-1896 1月7日~8日夜デカルト街39番地の陋屋にて死ぬ)
訳者・堀口大学『土星の子の歌』から     訳者・橋本一明『土星びとの歌』から
   沈 む 日               沈む日
たよりないうす明り             弱まった あけぼのが
沈む日の                  沈む日の
メランコリヤを               メランコリーを
野にそそぐ。                野にそそぐ
メランコリヤの               そのメランコリーが
歌ゆるく                  やさしい歌で
沈む日に                  沈む日に
われを忘れる                とろけこむ 心をゆする
わがこころ                 砂浜に 沈みゆく
うちゆする。                夕日さながら
砂浜に                   たえまなく 消えていく
沈む日もさながらの             奇妙なる さまざまの夢            
不可思議の夢                あけいろの亡霊か
紅の幽霊となり               たえまなく 消えていく
絶えまなくうちつづく            砂浜に 沈みゆく
大いなる沈む日に似て            夕日さながら
砂浜に。
  秋 の 歌               秋の歌
秋風の                    忍び泣き
ヴィオロンの                 ながくひく
 節ながきすすり泣き             秋の ヴィオロン
もの憂きかなしみに              ものうくも
わがこころ                  単調に
 傷くる。                  ぼくの心を いたませる
時の鐘                    時つげる
鳴りも出づれば                鐘の音に
 せつなくも胸せまり、            胸つまり あおざめて
思いぞ出づる                 過ぎた日を
来し方に                   思い出し
 涙は沸く                  ぼくは泣く
落ち葉ならぬ                 性悪の
身をばやる                  風に吹かれて
  われも                  ぼくは行く
かなたこなた                 ここ かしこ
吹きまくれ 逆風よ。             吹き散ろう  落葉さながら
文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.200 ――――――― 12 ――――――――――――――
後期ゼミ ゼミ誌作成 & 家族観察・模擬裁判を目指します
 9月24日 出席者 = 石川舞花、古谷麻依、志村成美、根本留加、山野詩門、
後藤啓介、梅津瑞樹 4月以来の8名でした。
            ゼミ誌原稿提出。100%近く、創作・車内観察
            課題1.「誘拐事件容疑者調書」
10月 1日 出席者 = 石川舞花、古谷麻依、志村成美、後藤啓介、梅津瑞樹
            ゼミ誌作成会議、番組表、レイアウトなど
            サバイバルゲーム「遭難、私ならどうする」個人と集団の場合
            発表と説明。内容は次号。
            課題1.提出→石川さん
10月15日 出席者 = 
            ゼミ誌提出原稿の読みと校正・感想
           
掲示板
映 画 漫画『鈴木先生』映画化に 武富健治さん原作 絵と文
    2013年1月12日(土)公開決定 ! テレビドラマ人気で
主演・長谷川博巳 監督・河合勇人 脚本・古沢良太 制作・ロボット
映 画 岩井俊二監督、「ニューヨーク、アイラブュー」を手がける
 11人の監督で作るアンサンブル映画に参加。ドストエフスキー作品のエピソードを入れる。監督は「花は咲く」作詞、映画の代表作は「ラブレター」「花とアリス」など
芝 居 シェクスピア「お気に召すまま」川崎市アートセンター5周年記念
しんゆりシアター公演 10月24日(水)~28日(日)
一般=3500円、学生=200円 電話044-955-0107 川崎アートセンター
お知らせ
ドストエーフスキイ全作品を読む会「読書会」
10月27日(土)開催 午後2時東京芸術劇場小会7 作品『白夜』
・・・・・・・・・・・・・編集室便り・・・・・・・・・・・・・・
○課題原稿、メールでも可 下記アドレス
□住所〒274-0825 船橋市前原西6-1-12-816 下原方『下原ゼミ通信』編集室
  メール: TEL・FAX:047-475-1582  toshihiko@shimohara.net

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