文芸研究Ⅱ 下原ゼミ通信No.203

公開日: 

日本大学藝術学部文芸学科     2012年(平成24年)11月12日発行
文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.203
BUNGEIKENKYU Ⅱ SHIMOHARAZEMI TSUSHIN
                              

編集発行人 下原敏彦

                              
9/24 10/1 10/15 10/22 10/29 11/12 11/19 11/26 12/3 12/10 
1/21 1/28
  
2012年、読書と創作の旅
11・12下原ゼミ
11月12日(月)の下原ゼミは、下記の要領で行います。文ゼミ2教室
1.  ゼミ雑誌編集作業進行状況についての報告 
 2. 寸劇稽古・紙芝居で練習
 
 3. 「尾道幼女誘拐事件」裁判の脚本化報告
 4. 模擬裁判の実施 脚本化の読み(各自の考え方を知る)
 5. 判決を出してみる
11月ゼミ雑誌編集月間
ゼミ雑誌『正体不Show time』入稿 !
納品予定日は12月3日 
10月30日、石川舞花編集長は、以下の全員メールで印刷会社へのゼミ雑誌入稿を知らせた。11月6日、予算オーバーのため、原稿削減を全員に通知。了承をとる。
10月30日発信全員メール
今、入稿と打ち合わせを終えました。
無事入稿を迎えることが出来、ほっとしています。ご協力ありがとうございます。
この後、12日のゼミで赤入れになります。そこで問題なければ責了。もし不安があれば、19日のゼミで第2稿の赤入れです。
12月3日には納品となる予定です。赤入れに1日しかとれず申し訳ありません。
完成まで宜しくお願いします。
11月6日発信全員メール → 削減承諾のお願い。
10月29日ゼミ報告


出席者 = 石川舞花、古谷麻依、志村成美、鞆津正紀
新聞「人生案内」についての議論。価値観差観察でO・ヘンリー短編読み
文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.203 ―――――――― 2 ―――――――――――――
課題2 報告 車内観察最後の作品、日本文学の名作『灰色の月』感想
書くことの習慣化を目指して、車内観察をつづけてきましたが、テキストの車内観察は、日本文学の名作『灰色の月』で終わりにします。
こんな世の中は哀しい
石川舞花
 車内でのことを淡々と書いているようで、そこに不気味さがあった。この少年工の身に何が起きているのか、とても気になる。身体をゆすっていたり、隣の人によりかかったりしている人は、時々見かける。だが、この少年工は、そうではないようだ。何か尋常でないものを感じる。隣の席や車内にこんな人がいたら、怖ろしいと思うに違いない。
 少年工の「どうでも、かまはねえや」という言葉が印象に残った。17、8歳の少年にこのように言わせてしまうような世の中は哀しいものだと思った。
□まず、この車内観察が昭和20年10月16日ということに驚く。2カ月前の8月15日に、天皇陛下の終戦宣言があったとはいえ、まだ戦っている戦地もあったという。特攻機も飛び立っていったらしい。そして、上野の山では、戦災で住むところのない人たちが、バタバタ飢え死にしていた。戦災孤児も多数彷徨っていた。石川さんの感想、まさに「こんな世の中は哀しい」状況だった。
敗戦後のヒーロー
 『灰色の月』にみる徒労感。戦争に負けた惨めさ。この車内観察作品は、短いながら、終戦直後の日本人全部の様子を映し出している。「大東亜共栄圏」の誇大妄想に洗脳されて勇ましく戦争をはじめた大人たち。だが、完膚無きまでに打ちのめされた。飢えた少年一人を救うこともできない。気力を無くした大人たち。この頃、そんな大人たちを尻目に子どもたちに夢と希望を与えた物語があった。
絵と文の冒険物語『少年王者』が、大人気
『少年王者』第一集「おいたち編」が出版されたのは1947年(昭和22年)戦後すぐである。敗戦で打ちのめされた日本。そんななかで子供たちにとって、真吾少年の活躍は、胸のすく物語だった。たちまちに大ベストセラーとなった。
 山川惣治 – 絵物語作家。福島県出身。 (1908年2月28日~1992年12月17日)
■代表作 『少年王者』『 少年ケニヤ』『 荒野の少年』がある。
少年王者』第一集「おいたち編」「赤ゴリラ編」「魔神ウーラ編」「豹の老婆編」
     第二集「モンスターツリー編」「決戦編」「砂漠の嵐編」
     第三集「アメンポテップの財宝編」「謎の太平洋編」「解決編」
【作者の言葉】この物語の頃のアフリカは、暗黒大陸といわれていて海岸線から内陸にかけて、英国がケニヤや南阿連邦を、フランスがカメルーンを、ベルギーがコンゴ地方をというように治めていたが、その奥地は人跡未踏で、未開と謎につつまれていた。
 第二次大戦後の三十数年の間にアフリカは、全土にわたって独立の気運がたかまり、彼らは勇敢にたたかって、その統治国から独立をかちとった。
 しかし、『少年王者』の物語の頃のアフリカは、神秘のベールの中に、夢とロマンがあった頃の話であり、その頃のアフリカは、真吾やザンバロが、すい子とともに黒豹ケルクたちと冒険をくりかえした大密林であった。集英社『少年王者』豪華復刻版 1977年2月
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新聞「人生案内」から、相談者の心理についての議論
 創作する上で新聞は、貴重な情報源である。社会面には、いくつもの物語が転がっている。が、この日は「人生案内」をとりあげてみた。この相談者の悩みを議論した。
いくら親切にされたからといって、細君もいる人が20万円もの大金をあげる。にわかには信じがたい話ではある。が、皆の感想を聞いた。
 その前に、新聞の回答者の意見は、どんなものか。一応紹介する。
「私」が自分だったら
鞆津正紀 → 気持ち悪いので、絶対に受け取らない。
石川舞花 → 大多数の人が読む、普通でない話。満更でもない。相談を楽しんでいる。吹聴したい。お金は、手をつけないで保管。
古谷麻依 → 回りに相談できる人を探す。お金は、手をつけない。判断の材料が少ない。
志村成美 → 気持ち悪いが、もらって、同等のものをあげる。
価値観の相違からくる悲喜劇を創作する
米国の作家O・ヘンリーの作品『釣りそこねた恋人』を読んだ。孤独な百万長者の若者に結婚を申し込まれたデパートガール。リッチの新婚旅行話をホラと勘違いした。
文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.203―――――――― 4 ――――――――――――――
課題3 報告 架空記録・広島女児誘拐監禁事件裁判
事件推移 → 2012年9月4日、夜9時頃、広島市市内で塾を終えた小学6年の女児が母親の迎えを待っていた。被告(大学生2年)は、用意してきたナイフで脅し、前日買ったバックに正座の格好で押し込み、自分が宿泊するホテルに行こうとタクシーに乗った。が、タクシーの運転手が怪しみ、信号で停車したとき、通行人と協力して捕まえ110番した。
予見・模擬法廷
【被告の動機】なぜ事件を起こしたのか
刑務所に行きたかったから、この犯罪を起こしました。
石川舞花作
【検察・公訴】 有罪8年の実刑を求刑 ワイセツ容疑も視野
 被告の行為は、幼い少女に一生の傷を負わせる行為である。ナイフや子供一人が入るバッグを所持していたことからも、計画性がうかがわれる。また、「女の子に興味があった」という供述からワイセツ目的も疑われる。
 よって、被告に有罪、懲役8年を求刑します。
【弁護人】計画性はなく精神的疲労があった。故に被告に責任能力はない。
被告は、「刑務所に行きたい」と供述しており、尋常でない程の日常生活の疲れが見られる。犯行当日は、運転免許の仮免が合格した日でもあり、運転免許を取るという目的もある。今後の予定もあることから計画性は薄い。また、精神的疲労によって、犯行当日は責任能力がなかった。
【裁判員】きちんと更生させるべきだ。検察公訴を支持。責任能力はあった
 幼い少女に傷を負わせた罪は重い。ワイセツ目的も疑われることから、きちんと更生させるべきだ。
【裁判長の裁決】懲役5年、執行猶予3年
幼い少女に一生の傷を負わせた罪は重い。だが、大学生という若さであること、精神的に若干の異常があったことから、今後の更生に期待する。
よって、被告を懲役5年に処する。但し、3年間この刑の執行を猶予する。
脚本化の場合 → 検察、弁護人、証人(タクシー運転手)、裁判員、裁判長
タクシー運転手の証言(ニュースから) バックをトランクに入れたとき、柔らかく生温かかった。動物かと思ったが、なにか怪しいと思った。行き先はホテルだったが、途中の交番に寄ろうとした。信号で停車したとき後ろから声が聞こえた。被告が車を下りたので捕まえた。バックをあけると女の子が入っていて驚いた。
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テキスト『兒を盗む話』を法廷仕立ての脚本にしてみる
題として「尾の道女児誘拐事件裁判」
テキスト研究 その前に、作者のこの作品に対する弁。岩波全集2巻
『兒を盗む話』初出 大正3年4月『白樺』
 尾の道生活の経験で、半分は事実、兒を盗むところからは空想。しかし、この空想を本気でしたことは事実。友達もない一人生活では空想ということが日々の生活で相当に幅をきかせていた。それを実行するには、未だ遠いにしろ、そういう想像を頼りにする。今ならそういう想像をする事の方を書くかも知れないが、その時代は想像をそのまま事実にして書いてしまった。もっともこれはいずれがいいとか悪いとかいうことをいっているのではない。「兒を盗む話」は今はもう愛着を持っていない。多少愛着を感じていたこの小説中の描写は「暗夜行路」の前篇に使ってしまった。
 テキストの告白は、最初、以下の形で発表された。(が、旧い漢字や言葉づかいから難読との声もあったため、勝手ながら編集室で現代表記にした)
 犯罪における作者=主人公=犯人の心内はこのようであった。
創作・尾道幼女誘拐犯の告白(『兒を盗む話』)
逮捕時における被告の心情 犯行に至るまで
 私は五つになるその女の子を盗んだ。しかし三日目にもうあらわれて、巡査が二人と探偵らしき男が一人と、その後ろに色の浅黒い肉のしまった四十ばかりのその子の母親と、これだけが前の急な坂を登ってくるのを見たときには私は、苦笑した。そして赤面した。
 が、私はちょっと迷った。やはりできるだけの抵抗はやってみろ。いまもし素直に渡してしまうくらいなら最初からこんなことはしなくてもよかった。こう思うと急いで部屋の隅の行李(こうり)からから出刃包丁をだして、それを逆手ににぎって部屋の中に立った。そのとき女の子は次の三畳間でぐっすり寝込んでいた。
 しかし私は結局、出刃包丁を振り回すことはしえなかった。その気になれない。実際それほどの感情は出刃包丁をだすときから自分にはなかったのである。そして私は尋常に縄にかかった。女の子はそのまま母親に連れられていった。
 警察署での訊問は感嘆だった。私はその女の子がどんなことを申し立てたか聞きたかったが、これは知ることができなかった。
 翌日、私はそこから汽車で3時間ばかりかかる県庁所在地の地方裁判所へ回された。それから3日目に私は法廷へ引き出された。そのときは私の経歴でも、仕事でも、また血統でももう大概向かうで調べてしまったらしかった。その結果は裁判官は、私は気違いと鑑定したらしかった。私は、初めの調べと一緒に健康診断を受けることになっていた。審問に対しては私は、なるべく簡単な答えで済まそうと務めた。
 裁判官は、繰り返し繰り返し私の盗んだ目的を聞いたが、私は同じこときり答えなかった。
「可愛く思ったからです。貰(もら)いたいといっても、もらえないと思ったからです」といった。
 若い医者も色々と聞いた。私は聞かれることだけにただ簡単な返事をした。 医者は、気違いではないといった。ただよほど烈しい神経衰弱にかかっていると報告した。「烈しい神経衰弱というものが、こんな非常識なことをさせるものですか」と裁判官が聞いた。
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「もちろん、いくらもあることです」
 こういう二人の問答からも、またいったいに裁判官や医者やその他の人々までも私に好意を持っているということが感じられた。少なくも普通の罪人に対するとはよほど変わった心持で調べているということがわかった。事件そのものに露骨な目的を持っていないこと、私にまったく悪びれた様子のないこと、それらが皆に好意を持たしたらしかった。
 私は裁判の結果を想像した。私は法律のことは知らなかった。しかしよく新聞などで見る示談とか、刑の執行猶予とか、そんなことだろうと思った。
 東京からは誰が来るか。父が来るか、叔父が来るか、それとも友達が来てくれるか。誰にしろ、この結果はきっと、そんなことにしてくれるだろうと思った。私はにぎっていた出刃
包丁をついに振り回す気になれなかったように、この出来事もそれだけの結果で終わるだろうと思うと、罪せられるのを望むのではないが呆気ない気がした。
 東京を出る二ヶ月ほど前のことだった。私は私の最も親しい友達の一人と仲たがいをした。同時に私はある若い美しい女を恋した。
 初めてその女と会って1時間しないうちに私は珍しく何年ぶりで、甘ったるい恋するような心持になってきた。それは女が私に好意を持っていると思い込んだのも一つの力だった。その席には親しい友達が3人いた。なかでも一番仲のよかった一人が、私のその心持を見ぬくことから、快くない気持の上の悪戯を私に仕掛けた。私はそれでその友に腹を立った。   その女を恋する心持とその友を憎む心持とが私の胸で燃えあがった。たんちょうな日を続けていた私にはそれがいい心持だった。
 私は三四日して一人でその女に会いに出かけた。私はそのとき美しいイリュージョン(幻影)を作っていった。ところがそれはその場で1時間しないうちに見事に打ち崩されてしまった。苦しいが涼しいような快感があった。
 私は間もなくまた別の美しい女に出合った。美しい肉体をしてコケティツシな表情を持った女だった。ソーダー水に氷を入れて、それを電燈に透かしながら振ると風鈴のようないい音がする。女はそんなことをしながら度々それへ美しい唇をつける。そして仕舞いに飲み干す。で、酔えばいっそう美しくなった。襟から頬へかけていっそうに白くなった。それよりも眼が美しくなった。唇もいい色になる。だんだん調子が浮気っぽくなる。これも人を惹きつけた。
 私はこの女をとても補足しがたい奴と一人決めていた。私は三四度続けてあった。すると、案外補足しがたいという気がしなくなった。しかし結局は前の女でしたことを再びこの女で繰り返したに過ぎなかった。私はまた単調な生活に帰ってしまった。もう仲たがいした友達に対してもそれほどの怒りは感じられなくなった。何となくいらいらしながら物足らない心持で一日一日を無為に過ごしていた。(以下完成作品冒頭に続く)
(発表時の末尾)
 翌朝ぼんやりと障子の硝子越しに前の景色を見ている時だった。巡査や女の子の母親が前の坂道をこの方を見い見い登ってきた。母親は興奮からか恐ろしい顔をしていた。私には逃げようという気は少しも起こらなかった。私は赤面した。そして苦笑した。私はしまいまで進ませた出来事を途中で笑い出すようなことはことはしたくないと思った。私は出刃包丁を持ち出した。しかし、かって人の顔(あるいは犬でも馬でも)を真正面から殴った経験のない私には出刃包丁を逆手ににぎったものの、それで身がまえする気にはなれなかった。私は恐ろしく平凡な姿勢で出刃を持ったまま突立っていた。
 母親と女の子は抱き合って泣いた。母親は泣きながら激しく私を罵った。私は黙って立っていた。母親は娘を抱いたまま私の後ろにへきて、私の背中をドンと強く突いた。巡査がしきりとそれをなだめた。
 私は警察へ曳かれた。それからの経験は総て初めての経験であるが、私は学校時代に何かでこんな経験をしたような気がした。
―――――――――――――――――― 7 ――――― 文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.203
 私には気違いじみた気分は少しもない。しかし裁判官がそれに近いものと解しようとするのを反対する気はない。
 私は多分近日許されてここをでるだろうと思う。それから私はどこへ行こう?やはり東京へ帰るより仕方がなさそうだ。もうあの町に行くこしはできない。東京へ帰らないとすれば、どうするだろう。私はまた同じような生活に落ちていかなければ幸せである。もし同じ生活が繰り返ってくれば私は今度は、更に容易に同じようなことを起こし兼ねないという気がするから・・・・・・・・女の子はどうしているだろう?
脚本・石川舞花
【検察の公訴】 再犯の可能性もある。厳罰を
 被告の行為は、幼い少女に一生残る心の傷を負わせる行為である。母親が買い物をしている隙を狙っていたことや、玩具を用意していたことからも計画性がある。
 母親が迎えにくると嘘をついて、なつかせようとしている意図も見え、その先の目的が疑われる。凶器をだして抵抗したことから再犯の可能性もある。
よって、被告には懲役15年を求刑する。
【弁護人】 特殊な性癖が暴走してしまった。凶暴性はない。
 被告は、「女の子が可愛かった」といっており、凶暴性は感じられない。特殊な性癖が暴走してしまったもので、犯行当時は精神的興奮状態にあり、責任能力が欠けていたものと思われる。
【裁判員の見方】 少女の心の傷、凶暴性を鑑見て重罪に
 幼い少女に心の傷を負わせた罪は大きい。連れ回されている間の恐怖も相当なものであったろう。凶器を出しているところからも、凶暴性が強いので、きちんと更生をうながすべきである。
【裁判長】 精神が疲労状態にあったことは認めるが、計画性もあり
 犯行には計画性がみられ、凶器を持ち出すなど危険な行為もうかがえる。
 よって、被告を懲役10年に処す。
脚本化の場合
・検察官・・・・・・ワイセツ目的の疑い。計画性、再犯の疑い
・弁護人・・・・・・初犯、凶悪性はみられない。精神の疲労から犯した犯罪。
・証人(複数)・・・・・周旋屋、按摩、診察した医師(テキストでは神経衰弱と診断)
・裁判員(複数)・・・・
・裁判長・・・・・・
芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.203 ――――――― 8 ――――――――――――――
歴史観察 中国では、5年に一度の共産党大会が終わった。最高権力者に選ばれたのは富裕層出身の習近平氏(58)だった。今後、日中関係はどうなるのか。
戦争観察作品『生きている兵隊』
石川達三の『生きている兵隊』。この作品は、日本において創作ルポタージュ文学の最高傑作といえる。テキストの車中作品は、車両という限られた空間のなかでの静止状態の人間を観察していますが、戦争観察は、戦地という非日常での中で動く兵隊を観察しています。狙いは、戦争とは何か。戦地では普通の人間が、どう変わるのかを知ることです。
『生きている兵隊』は、ドストエフスキーの「人間はなんでもできる。なんにでも慣れる」を実証する人間観察作品としても優れている。また、靖国問題、教科書問題、アジア外交など問題山積の今日において、歴史認識においても重要な作品といえる。
しかしこの作品の作者、石川達三について、知っている人はあまりいません。40余年前までは日本ペンクラブの会長だった作家。またその作品の多くが映画化された人気作家でしたが、いまは本屋の棚には、ほとんど見かける事はありません。
石川達三(いしかわたつぞう)1905-1985 秋田県生まれ。早大中退。1930年ブラジルに渡る。1935年『蒼氓』で太宰治など並み居る流行作家を抑えて第1回芥川賞受賞。『生きている兵隊』当時の新聞紙法で発禁処分。禁固4ヶ月、執行猶予3年の判決。日本ペンクラブ会長のときに思想表現の自由は一つだが、猥褻表現の自由は二つ発言で物議。五木寛之、野坂昭如ら若手作家につきあげられて辞任。
創作ルポの傑作・石川達三著『生きている兵隊』について
 社会の中で戦争は大きな事件・出来事である。戦争とは何かを知るには、徹底した戦争観察が必要である。今日、マスメディアの発達によって私たちは茶の間で戦争を見ることができる。レポートを聞くことができる。しかし、どんなにリアルな映像も、迫真の実況も石川達三の『生きている兵隊』ほどに戦争と人間の関係を教えてくれない。戦争という現場で、人間はどう変わるのか。本書は、そのことを見事に捉えた戦争観察の名著である。
なぜ創作ルポか
はじめに、このルポタージュは、なぜ創作なのか。それは、この作品が1938年(昭和13年)に書かれたことにある。当時の日本は軍事国家、ファシズム国家である。軍に都合の悪いものは、書けないし書いても没にされた。ゆえに本書でも(前記)で「日支事変については軍略その他未だ発表を許されないものが多くある。」と断っている。もっとも、ファシズムや独裁政権でなくても戦争のノンフィクションものはむずかしい。ベトナム戦争でアメリカはなぜ負けたのか。ペンタゴンや米情報局は敗因の一つに、マスメディアを自由にさせたことをあげた。出撃から就寝まで、米軍兵士の行動はなにもかも筒抜けだったというわけである。その反省をかつて今のイラク戦争では、メディアはすべてが軍の規制下にあるという。このことを思えば、当時の軍国日本において、創作ルポは、まったく当たり前なことだったに違いない。作者石川は(前記)でこうつづけている。「従ってこの稿は実戦の忠実な記録ではなく、作者はかなり自由に創作を試みたものである」と。
現在、日本が抱える外交問題の一つに南京大虐殺がある。はたしてジェノサイド、大量殺戮はあったのか、なかったのか。72年の歳月が流れても日中間では、未だ真相不明の歴史の謎となっている。毎年、教科書が出版されるたびにもめる原因の一つともなっている。
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ちなみに先般出版の扶桑社『新しい歴史教科書』(2001年版)には、この事件についてこう書かれてある。(教科書文は太字)
日中戦争
 関東軍など現地の日本軍は、満州国を維持し、ブロック経済圏を建設するために、隣接する華北地域に蒋介石政権の支配のおよばない親日政権をつくるなどして、中国側との緊張が高まっていた。また、日本は北京周辺に4000人の駐屯軍を配置していた。これは義和団事件のあと、他の列強諸国と同様に中国と結んだ条約に基づくものであった。1937年(昭和12年)7月7日夜、北京郊外の盧溝橋で、演習していた日本軍に向けて何者かが発砲する事件がおこった。(最近になって、この発砲事件は日本軍の自作自演と解明された。1965年ベトナム戦争の発端となったトンキン湾事件も同様とみられている。)翌朝には、中国の国民党軍との間で戦争状態となった(盧溝橋事件)。現地解決がはかられたが、やがて日本側も大規模な派兵を命じ、国民党政府もただちに動員を発した。以後8年間にわたって日中戦争が継続した。
 同年8月、外国の権益が集中する上海で、二人の日本人将兵が射殺される事件がおこり(これも、やらせか)これをきっかけに日中間の全面戦争が始まった。日本軍は国民党政府の南京を落とせば蒋介石は降伏すると考え、12月、南京を占領した(このとき、日本軍によって民衆にも多数の死傷者がでた。南京事件) 12月12日日本軍南京を攻略した。
 1937年12月25日に新進作家石川達三(32)は東京を発つ。1938年1月5日上海経由で南京着。南京で8日間、上海で4日間取材する。
社会観察・戦争ルポ解析     『生きている兵隊』を読む 3回目
 石川達三は、この作品を1938年(昭和13年)2月1日から書きはじめ、紀元節の未明に脱稿した。「あるがままの戦争の姿」を知らせたくて書いた。330枚必見の戦場ルポ。
 1937年7月7日から日中戦争がはじまったことから大日本帝国は、9月25日言論統制のための内閣報道部設置。11月大本営が宮中に設置した。ゆえに、この作品は創作ルポの形をとり「部隊名、将兵の姓名などもすべて仮想のものと承知されたい」とした。
                  
 前号からのつづき  兵隊たちは、中国人の青年を切り捨てたあと、焚火を囲んで隊長が焼き芋を食べるのをながめながら、のんびり戦局談議。和やかな雰囲気ではあるが、兵隊たちは、不安げだ。戦争は、はじまったばかり、次なる戦場は、どこか。
 
 話が止むとみんな急に天津を出てからの戦闘の経過を思い浮かべた。そしてこれからの戦争を予測して見た。部隊長の傍に居ると気持ちが緊張して勇ましくなった。戦争に参加して居るという事が案外に平和な何でもない事の様に思われた。
 当番の兵がやって来てがちッと靴の踵を合わせて敬礼した。
「副官殿がおいで下さる様にと申されました。司令部から伝令が参って居ります。
「おう・・・」西沢部隊長[大佐]は椅子から立ち上がった。焚火の回りの兵たちは不動の姿勢を取って敬礼した。
 彼が行ってしまうと皆は肩をゆるめて饒舌りはじめ、火の中の芋を先を争って取りだした。笠原伍長は右足の靴を脱ぎ靴下を脱いだ。
 上下の厳しかった日本の軍隊。その光景がよくあらわれている。「戦争に参加しているということが案外に平和ななんでもないことの様に思われた」なんと恐ろしい感覚か。人間はなんにでもすぐ慣れる。そんなドストエフスキーの言葉を彷彿させる。 つづく
文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.203 ――――――― 10 ――――――――――――――
社会観察  11月は「児童虐待防止推進月間」
 近年、児童虐待の件数は全国的に増加傾向にある。新聞に、連日のように児童虐待のニュースが載っている。残念なことに幼い子どもの命が奪われる事件が後をたたない。
 こうした深刻な事態に厚生労働省では、児童虐待の防止等に関する法律が施行された11月を「児童虐待防止推進月間」と位置づけ、期間中に児童虐待防止のための広報・啓発活動などの取り組みを集中的に行う。今年度平成24年度の、標語は、以下のものです。
   気づくのは  あなたと地域の  心の目
下原ゼミでは、この「児童虐待防止推進月間」に併せて、虐待発生の現場である家族観察を世界名作文学のなかから考えます。果たしてこの家族に児童虐待はあるのか。
テキストはジュル・ルナール(1864-1910)の『にんじん』です。
ジュール・ルナール『にんじん』「めんどり」「しゃこ」「犬」「いやな夢」など
課題6. この家族に児童虐待はあるのか。あるなら、どんなところか
土壌館日誌    秋季市民柔道大会の一日 
土壌館速報 土壌館選手の成績は
 
先日、毎年恒例の秋季市民柔道大会が市の武道センターで開催された。小学生から大人までおよそ350名の選手が出場した。土壌館下原道場関係からは6名の選手が出場した。
 結果は、以下の通りでした。道場選出審判・辻村英紀 監督・野沢竜輝(選手兼任)
小学2年の部 小柏真心選手 1回戦 善戦するも惜敗(対戦者はベスト8)
小学3年の部 長瀬彩華選手 1回戦大外で1本勝ち 2回戦、健闘するも押え込みで惜敗
小学5年の部 千葉三四郎選手 1回戦、善戦するも押え込み惜敗。(対戦者は優勝)
中学1年の部(二宮中) 坂本遼季選手 1回戦頑張りましたが敗退。 
中学1年の部(二宮中) 西岡大雅選手 ベスト8 敢闘賞
中学2年の部(二宮中) 辻元翔太選手 ベスト8 敢闘賞
高校無段の部 西岡大和選手 1回戦敗退(同門対決の不運。対戦者は決勝戦の高以良選手)
高校無段の部 髙以良英明選手 決勝戦進出、決勝で惜敗(九分九厘の勝利も1秒の油断)
一般有段の部 野沢竜輝選手 1回戦、善戦も敗退(対戦者は毎回の優勝者、今回も優勝)
銀メダル1(髙以良選手 土壌館) 敢闘賞2(辻元選手 西岡選手 二宮中学)
講評 今回は、6選手の対戦者が、優勝候補という不運はあった。が、全選手とも、対戦者の実力と遜色なく戦えてよかったと思います。稽古時間の差も。
※関東大会出場の、小柏駿太選手(習志野高) 3位の情報
柔道関連ニュース 100㌔超級で日本大学の原沢久喜選手が優勝
11日千葉ポートアリーナで開催された柔道の講道館杯全日本体重別選手権で、山口県出身、日本大学2年の原沢久喜選手が優勝した。初優勝。おめでとうございます。
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新聞 ビブリオバトル首都決戦2012の記事 『「いき」の構造』が
文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.203 ――――――― 12 ――――――――――――――
後期ゼミ ゼミ誌作成 & 家族観察・模擬裁判を目指します
 9月24日 出席者 = 石川舞花、古谷麻依、志村成美、根本留加、山野詩門、
後藤啓介、梅津瑞樹 4月以来の8名でした。
            ゼミ誌原稿提出。100%近く、創作・車内観察
            課題1.「誘拐事件容疑者調書」
10月 1日 出席者 = 石川舞花、古谷麻依、志村成美、鞆津正紀、梅津瑞樹 5名
            ゼミ誌作成会議、番組表、レイアウトなど
            サバイバルゲーム「遭難、私ならどうする」個人と集団の場合
            発表と説明。内容は次号。
            課題1.提出→石川さん
10月15日 出席者 = 石川舞花、古谷麻依、志村成美、鞆津正紀、梅津瑞樹
            後藤啓介 6名
            ゼミ誌提出原稿合評6名分 部数について
10月22日 出席者 = 石川舞花、古谷麻依、志村成美、梅津瑞樹(司会進行)
           ゼミ誌作成報告、広島女児誘拐事件について
           テキスト『兒を盗む話』読み
10月29日 出席者 = 石川舞花、古谷麻依、志村成美、鞆津正紀
           ゼミ誌作成報告 入稿近し。新聞「人生案内」自分ならを議論
           関連でO・ヘンリーの作品を読む。
11月12日 出席者 = 
           
掲示板
児童虐待防止推進月間  可哀そうな子どもを助けよう !
標語 → 気づくのは あなたと地域の 心の目
25年度のお誘い   2013の江古田校舎・文芸研究Ⅲは下原ゼミ
         写真家「熊谷元一研究」を中心に故郷・子供時代を書く
創作 → 志賀直哉の子どもの頃を描いた作品をテキストに、併せて米国作家サローヤンの『我が名はアラム』などを読み、自分の子ども時代の話を書いて発表する。
      児童虐待について考える
熊谷元一研究 → 写真家・熊谷の写真作品「一年生」を見ながら自分の一年生の頃を思い出しルポタージュする。郊外授業として熊谷の写真展を見に行き紀行文を書く。ちなみに2010年は山形県酒田市酒田美術館、2012年は秋田県角館「ぷかぷ館」乳頭温泉に一泊二日。最終目標は、長野県昼神温泉郷にある熊谷元一写真童画館の見学と研究発表。
・・・・・・・・・・・・・編集室便り・・・・・・・・・・・・・・
○課題原稿、メールでも可 下記アドレス
□住所〒274-0825 船橋市前原西6-1-12-816 下原方『下原ゼミ通信』編集室
  メール: TEL・FAX:047-475-1582  toshihiko@shimohara.net
課題6.    11月「児童虐待防止推進月間」
名前
『にんじん』を読んで
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この家族に児童虐待の兆候は見られるか
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見られる         みられない         普通の、平凡な家族
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みられるならどんなところに
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改善作はどのように
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ここまで読んだなかでの感想
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参考資料
 2009年5月21日(平成20年)から裁判員制度が施行された。これにより同年7月以降から実際に一般市民が裁判に参加することになった。3年が過ぎた現在の状況は、いろいろと問題はでてきたが、裁判意識は浸透している。厳罰化が進んでいるという見方もある。
「裁判院制度とは何か」を知りたい人はHPにあったWiKiPediaを以下に転載したので読んでください。
 裁判員制度は、市民(衆議院議員選挙の有権者)から無作為に選ばれた裁判員が裁判官とともに裁判を行う制度で、国民の司法参加により市民が持つ日常感覚や常識といったものを裁判に反映するとともに、司法に対する国民の理解の増進とその信頼の向上を図ることが目的とされている。裁判員制度が適用される事件は地方裁判所で行われる刑事裁判のうち、殺人罪、傷害致死罪、強盗致死傷罪、現住建造物等放火罪、身代金目的誘拐罪など、一定の重大な犯罪についての裁判である。例外として、「裁判員や親族に危害が加えられるおそれがあり、裁判員の関与が困難な事件」は裁判官のみで審理・裁判する(法3条)。被告人に拒否権はない。裁判は、原則として裁判員6名、裁判官3名の合議体で行われ、被告人が事実関係を争わない事件については、裁判員4名、裁判官1名で審理することが可能な制度となっている(法2条2項、3項)。裁判員は審理に参加して、裁判官とともに、証拠調べを行い、有罪か無罪かの判断と、有罪の場合の量刑の判断を行うが、法律の解釈についての判断や訴訟手続についての判断など、法律に関する専門知識が必要な事項については裁判官が担当する(法6条)。裁判員は、証人や被告人に質問することができる。有罪判決をするために必要な要件が満たされていると判断するには、合議体の過半数の賛成が必要で、裁判員と裁判官のそれぞれ1名は賛成しなければならない(一部立証責任が被告人に転換されている要件が満たされていると判断するためには、無罪判決をするために合議体の過半数の賛成が必要で、裁判員と裁判官のそれぞれ1名は賛成しなければならない)。以上の条件が満たされない場合は、評決が成立しない(有罪か無罪かの評決が成立しない場合には、被告人の利益に無罪判決をせざるを得ないと法務省は主張しているが、法令解釈権を持つ裁判所の裁判例、判例はまだ出ていない)。なお、連続殺人事件のように多数の事件があって、審理に長期間を要すると考えられる事件においては、複数の合議体を設けて、特定の事件について犯罪が成立するかどうか審理する合議体(複数の場合もあり)と、これらの合議体における結果および自らが担当した事件に対する犯罪の成否の結果に基づいて有罪と認められる場合には量刑を決定する合議体を設けて審理する方式も導入される予定である(部分判決制度)。裁判員制度導入によって、国民の量刑感覚が反映されるなどの効果が期待されるといわれている一方、国民に参加が強制される、国民の量刑感覚に従えば量刑がいわゆる量刑相場を超えて拡散する、公判前整理手続によって争点や証拠が予め絞られるため、現行の裁判官のみによる裁判と同様に徹底審理による真相解明や犯行の動機や経緯にまで立ち至った解明が難しくなるといった問題点が指摘されている。裁判員の負担を軽減するため、事実認定と量刑判断を分離すべきという意見もある。
 最高裁によると、全国の裁判員裁判対象事件は2004年の3791件から減少傾向にある。都道府県別で昨年、対象事件が最も多かったのは①大阪306件、②東京255件、③千葉214件の順。最も少なかったのは福井県の7件。罪名別では、①強盗致死傷695件、②殺人556件、現在建造物など放火286件、強姦致死傷218現在と続いた。(新聞8・5)
選ばれる確率は4911人に1人(全国平均)
 いわゆる乗り物作品は、推理ものから恋愛ものにいたるまで古今東西、いろいろな作品がある。アガサクリスティーの推理ものも面白いし、昨年か一昨年、『電車男』というのも評判になった。こうした物語作品に比べると志賀直哉の車中作品は、筋らしいスジもなく、たんに車中をスケッチしただけの退屈な作品、ということになる。「こんなものが、はたして小説といえるのか」テキスト読みしたあと、しばしばきかれる感想である。たしかに、読者を喜ばせる読物としての作品なら、その評も致し方ないだろう。
 ゼミでテキストに志賀直哉を選んだとき、周囲の反応はおよそ二つあった。「固いですね」の苦笑と「どうして昔の作家を」の疑問であった。前者の方は肯定ではなく、「いまの若い人は志賀直哉など読みません」という意味深の苦笑だった。後者は、疑問だがほとんど否定に近かった。以前、文芸雑誌かなんかで「ドストエフスキーといったら、誰もいなくなった」そんな雑記を読んだことがある。小説の神様といわれる志賀直哉の作品といえば唯一の長編『暗夜行路』をはじめ『和解』『灰色の月』『城の崎にて』といった名作が思い浮ぶ。浮かばない人でも『小僧の神様』『清兵衛と瓢箪』『菜の花と小娘』と聞けば、学生時代をなつかしく思い出すに違いない。国語の時間、教科書を朗読させられた記憶がよみがえるはず。また、物語好きな人なら『范の犯罪』や『赤西蠣太』は忘れられぬ一品である。他にも『正義派』『子を盗む話』などの珠玉の短編をあげればきりがない。いずれも日本文学を代表する作品群といっても過言ではない。志賀直哉が小説の神様と呼ばれる所以もそこにある。
もっとも、正直に打ち明ければ、「なぜ志賀直哉は小説の神様といわれるのか」と、面きってたずねられても、はっきり応えられるか自信はない。私は、これまで根拠あって信じていたわけではない。早い話、皆がそう言っているから、識者がそう認めているから、であった。ただ既成事実がそうだからである。私は、そんな単純で稚拙な理解度から志賀直哉を小説の神様と思っていたわけである。
 志賀直哉を私小説作家と評する人もいる。が、長編『暗夜行路』は創作だし、電車事故の治療のため滞在した温泉地での作品『城の崎にて』も、作者は心境小説と呼んでいる。これにまねて、私は、志賀直哉が書いた多くの短編のなかで乗り物を舞台にした作品を、車中作品、あるいは車中小説と呼んで、ゼミ学生と読んでいる。そうして読みながら学生たちにも車中観察として、「車中作品」を書かせ発表させている。
二、志賀直哉の車中作品
 その読みは一昨年、昨年、そして今年と、すでに三年目に入っている。たとえば「石の上にも三年」という故事がある。それが真実かどうかはしらないが、歳月は強しということで自分なりに見えてきたものもある。そこで本書では、志賀直哉の車中作品のうち主に『網走まで』と『灰色の月』に注目し、この二作に通低する普遍と、無意識か意識してか秘められたいくつかをとりあげ、作品の奥にある書かれざる光景を披瀝し、論じて行きたいと思います。同時に学生たちの「車中観察」を掲載します。
 ところで昨年と今年、テキストにした『網走まで』を読んでみているうち、不意に目からうろこが落ちる、そんな気持ちを味わったのである。学生と読むことによって、漸くにして実証を得たのである。同時に、これまでぼんやりとしていた志賀直哉という作家が、まるで白雨に洗われたように鮮明に見え始めた。そうして、この作家の作品の源泉は、もしかしてこの『網走まで』にあるのではないか。そんな思いにとらわれたのである。そうして『網走まで』を読解できなければ、志賀直哉文学を理解できない。『網走まで』が評価できなければ、文学というものを知ることができない。もしかして、とんでもない思い違いをしている
かも知れない。が、とにもかくにも、そう思い感じたのである。その意味では、僅か20枚足らずの作品だが、原石の金剛石というわけである。輝くか輝かぬかは、このテキストの読解力、分析力にかかっている。

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