文芸研究Ⅱ 下原ゼミ通信No.204

公開日: 

日本大学藝術学部文芸学科     2012年(平成24年)11月19日発行
文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.204
BUNGEIKENKYU Ⅱ SHIMOHARAZEMI TSUSHIN
                              

編集発行人 下原敏彦

                              
9/24 10/1 10/15 10/22 10/29 11/12 11/19 11/26 12/3 12/10 
1/21 1/28
  
2012年、読書と創作の旅
11・19下原ゼミ
11月19日(月)の下原ゼミは、下記の要領で行います。文ゼミ2教室
1.  評価アンケート提出 ゼミ雑誌編集作業進行状況についての報告 
 2.  テキスト『范の犯罪』の読み 評と脚本化(ゼミ内の判決も)
 
 3.  模擬裁判・配役を決める (石川舞花「尾道幼女誘拐事件」などの公判)
 4.  仮「ナイフ投げ曲芸師美人妻殺人疑惑事件」1回目稽古
 5. 寸劇稽古・紙芝居で練習 (時間あれば)
11月ゼミ雑誌編集月間
ゼミ雑誌『正体不Show time』納品予定日は12月3日 
緊急告知   三ゼミ合同発表会、12月3日(月)に開催
 毎年、恒例となっている年末の三ゼミ合同発表会は、12月3日に開催されることになった。三ゼミは、山下ゼミ、清水ゼミ、下原ゼミ。現在、どのゼミも、一年の授業成果であるゼミ雑誌の作成作業をすすめている。合同発表は、形に残らない授業成果であるが、楽しいゼミ交流として期待されている。
ニュース NHKドキュメンタリー「教え子たちの歳月」再放送決定 !!
 12月18日(火)午前9時からBSプレミアム/BSデジタル(103)
 NHKは、1996年11月に放映したドキュメンタリー「にっぽん点描・教え子たちの歳月 ~50歳になった一年生~」の再放送を決定した。放送日は12月18日AM9時、BS103。
 この番組は、写真家・熊谷元一が米寿(88歳)を迎えたのを機に50歳になった教え子を写真に撮るため1996年春、全国行脚の旅にでた。その姿を半年間追ったもの。撮影は、(株)


フリー映像の故宮内一徳氏。教え子たちとの出会い。
 熊谷は、1953年に担任だった小学一年生の学校での様子を一年間写真に撮った。下原も被写体の一人。映像は、16年前のオンボロ道場でのインタビューの場面。
文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.204 ―――――――― 2 ―――――――――――――
11・19ゼミ    テキスト『范の犯罪』脚本化で模擬裁判稽古する
11月19日ゼミは、『范の犯罪』の読みと、配役決め。仮稽古。
合同発表会で、下原ゼミでは、最近は模擬裁判を行っている。(以前は、テキスト『灰色の月』の絡みで紙芝居「少年王者」だったときもある)が、最近は、テキストを脚本化しての寸劇の模擬裁判。作品は『剃刀』『兒を盗む話』か『范の犯罪』。観客全員を裁判員とする裁判だけに、毎年判決が違う『范の犯罪』を候補とした。
課題5.「各役は自分の台詞を、書いてくる」
メールで通信編集室に送るも可(揃えば台本にする)
テキスト研究  『范の犯罪』について
岩波『志賀直哉全集2巻』
 この作品は大正2年(1913年)『白樺4号』に発表された。発表するまでの経緯は以下の通り。日記より
・大正2年8月7日 晩、「徒弟の死」を書きかけて見る。
・同年9月1日 「支那人の殺人」を書いた。
・同年9月9日 12時まで「支那人の殺人」を書き直してねた。ウナサレなかった。
・同年9月13日 どうしても「范の犯罪」に手がつかぬ。
・同年9月14日 帰宅後、「范の犯罪」を書きあげた。疲労しきった。
・同年9月24日 「范の犯罪」を後半を殆ど書いた。不快から来た興奮と、前晩3時間位しかねなかった疲労が、それを助けて書きあげさした。
「徒弟の死」 → 「支那人の殺人」 → 「范の犯罪」
11月12日ゼミ報告
出席者 = 石川舞花、古谷麻依、志村成美、鞆津正紀、梅津瑞樹
ゼミ雑誌掲載の各自原稿の校正。「少年王者」紙芝居 口演・梅津瑞樹
 『灰色の月』にみる徒労感。戦争に負けた惨めさ。この車内観察作品は、短いながら、終戦直後の日本人全部の様子を映し出している。「大東亜共栄圏」の誇大妄想に洗脳されて勇ましく戦争をはじめた大人たち。だが、完膚無きまでに打ちのめされた。飢えた少年一人を救うこともできない。気力を無くした大人たち。この頃、そんな大人たちを尻目に子どもたちに夢と希望を与えた物語があった。
『少年王者』第一集「おいたち編」が出版されたのは1947年(昭和22年)戦後すぐである。敗戦で打ちのめされた日本。そんななかで子供たちにとって、真吾少年の活躍は、胸のすく物語だった。たちまちに大ベストセラーとなった。
 山川惣治 – 絵物語作家。福島県出身。 (1908年2月28日~1992年12月17日)
■代表作 『少年王者』『 少年ケニヤ』『 荒野の少年』がある。
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課題3 報告 架空記録・広島女児誘拐監禁事件裁判
事件推移 → 2012年9月4日、夜9時頃、広島市市内で塾を終えた小学6年の女児が母親の迎えを待っていた。被告(大学生2年)は、用意してきたナイフで脅し、前日買ったバックに正座の格好で押し込み、自分が宿泊するホテルに行こうとタクシーに乗った。が、タクシーの運転手が怪しみ、信号で停車したとき、通行人と協力して捕まえ110番した。
◇証人 「バックをトランクに入れたとき、柔らかく生温かかった。動物かと思ったが、なにか怪しいと思った。行き先はホテルだったが、途中の交番に寄ろうとした。信号で停車したとき後ろから声が聞こえた。被告が車を下りたので捕まえた。バックをあけると女の子が入っていて驚いた。客が逃げようとしたので、通行人と協力して捕まえて警察を呼んだ。」
石川舞花作
◇裁判官 「なぜ事件を起こしたのか」
◇被告 「刑務所に行きたかったから、この犯罪を起こしました。」
◇検察 「被告の行為は、幼い少女に一生の傷を負わせる行為である。ナイフや子供一人が入るバッグを所持していたことからも、計画性がうかがわれる。また、「女の子に興味があった」という供述からワイセツ目的も疑われる。」
 「よって、被告に有罪、懲役8年を求刑します。」
【弁護人】計画性はなく精神的疲労があった。故に被告に責任能力はない。
◇弁護 「被告は、『刑務所に行きたい』と供述しており、尋常でない程の日常生活の疲れが見られる。犯行当日は、運転免許の仮免が合格した日でもあり、運転免許を取るという目的もある。今後の予定もあることから計画性は薄い。また、精神的疲労によって、犯行当日は責任能力がなかった。」
◇裁判官 「裁判員の意見は」
【裁判員】きちんと更生させるべきだ。検察公訴を支持。責任能力はあった
◇裁判員 「幼い少女に傷を負わせた罪は重い。ワイセツ目的も疑われることから、きちんと更生させるべきだ。」
【裁判長の裁決】懲役5年、執行猶予3年
◇裁判官 「幼い少女に一生の傷を負わせた罪は重い。だが、大学生という若さであること、精神的に若干の異常があったことから、今後の更生に期待する。」
「よって、被告を懲役5年に処する。但し、3年間この刑の執行を猶予する。」
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文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.204―――――――― 4 ――――――――――――――
テキスト『兒を盗む話』を法廷仕立ての脚本にしてみる
題として「尾の道女児誘拐事件裁判」
テキスト研究 その前に、作者のこの作品に対する弁。岩波全集2巻
『兒を盗む話』初出 大正3年4月『白樺』
 尾の道生活の経験で、半分は事実、兒を盗むところからは空想。しかし、この空想を本気でしたことは事実。友達もない一人生活では空想ということが日々の生活で相当に幅をきかせていた。それを実行するには、未だ遠いにしろ、そういう想像を頼りにする。今ならそういう想像をする事の方を書くかも知れないが、その時代は想像をそのまま事実にして書いてしまった。もっともこれはいずれがいいとか悪いとかいうことをいっているのではない。「兒を盗む話」は今はもう愛着を持っていない。多少愛着を感じていたこの小説中の描写は「暗夜行路」の前篇に使ってしまった。
 テキストの告白は、最初、以下の形で発表された。(が、旧い漢字や言葉づかいから難読との声もあったため、勝手ながら編集室で現代表記にした)
 犯罪における作者=主人公=犯人の心内はこのようであった。
創作・尾道幼女誘拐犯の告白(『兒を盗む話』)
逮捕時における被告の心情 犯行に至るまで
 私は五つになるその女の子を盗んだ。しかし三日目にもうあらわれて、巡査が二人と探偵らしき男が一人と、その後ろに色の浅黒い肉のしまった四十ばかりのその子の母親と、これだけが前の急な坂を登ってくるのを見たときには私は、苦笑した。そして赤面した。
 が、私はちょっと迷った。やはりできるだけの抵抗はやってみろ。いまもし素直に渡してしまうくらいなら最初からこんなことはしなくてもよかった。こう思うと急いで部屋の隅の行李(こうり)からから出刃包丁をだして、それを逆手ににぎって部屋の中に立った。そのとき女の子は次の三畳間でぐっすり寝込んでいた。
 しかし私は結局、出刃包丁を振り回すことはしえなかった。その気になれない。実際それほどの感情は出刃包丁をだすときから自分にはなかったのである。そして私は尋常に縄にかかった。女の子はそのまま母親に連れられていった。
 警察署での訊問は感嘆だった。私はその女の子がどんなことを申し立てたか聞きたかったが、これは知ることができなかった。
 翌日、私はそこから汽車で3時間ばかりかかる県庁所在地の地方裁判所へ回された。それから3日目に私は法廷へ引き出された。そのときは私の経歴でも、仕事でも、また血統でももう大概向かうで調べてしまったらしかった。その結果は裁判官は、私は気違いと鑑定したらしかった。私は、初めの調べと一緒に健康診断を受けることになっていた。審問に対しては私は、なるべく簡単な答えで済まそうと務めた。
 裁判官は、繰り返し繰り返し私の盗んだ目的を聞いたが、私は同じこときり答えなかった。
「可愛く思ったからです。貰(もら)いたいといっても、もらえないと思ったからです」といった。
 若い医者も色々と聞いた。私は聞かれることだけにただ簡単な返事をした。 医者は、気違いではないといった。ただよほど烈しい神経衰弱にかかっていると報告した。「烈しい神経衰弱というものが、こんな非常識なことをさせるものですか」と裁判官が聞いた。
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「もちろん、いくらもあることです」
 こういう二人の問答からも、またいったいに裁判官や医者やその他の人々までも私に好意を持っているということが感じられた。少なくも普通の罪人に対するとはよほど変わった心持で調べているということがわかった。事件そのものに露骨な目的を持っていないこと、私にまったく悪びれた様子のないこと、それらが皆に好意を持たしたらしかった。
 私は裁判の結果を想像した。私は法律のことは知らなかった。しかしよく新聞などで見る示談とか、刑の執行猶予とか、そんなことだろうと思った。
 東京からは誰が来るか。父が来るか、叔父が来るか、それとも友達が来てくれるか。誰にしろ、この結果はきっと、そんなことにしてくれるだろうと思った。私はにぎっていた出刃
包丁をついに振り回す気になれなかったように、この出来事もそれだけの結果で終わるだろうと思うと、罪せられるのを望むのではないが呆気ない気がした。
 東京を出る二ヶ月ほど前のことだった。私は私の最も親しい友達の一人と仲たがいをした。同時に私はある若い美しい女を恋した。
 初めてその女と会って1時間しないうちに私は珍しく何年ぶりで、甘ったるい恋するような心持になってきた。それは女が私に好意を持っていると思い込んだのも一つの力だった。その席には親しい友達が3人いた。なかでも一番仲のよかった一人が、私のその心持を見ぬくことから、快くない気持の上の悪戯を私に仕掛けた。私はそれでその友に腹を立った。   その女を恋する心持とその友を憎む心持とが私の胸で燃えあがった。たんちょうな日を続けていた私にはそれがいい心持だった。
 私は三四日して一人でその女に会いに出かけた。私はそのとき美しいイリュージョン(幻影)を作っていった。ところがそれはその場で1時間しないうちに見事に打ち崩されてしまった。苦しいが涼しいような快感があった。
 私は間もなくまた別の美しい女に出合った。美しい肉体をしてコケティツシな表情を持った女だった。ソーダー水に氷を入れて、それを電燈に透かしながら振ると風鈴のようないい音がする。女はそんなことをしながら度々それへ美しい唇をつける。そして仕舞いに飲み干す。で、酔えばいっそう美しくなった。襟から頬へかけていっそうに白くなった。それよりも眼が美しくなった。唇もいい色になる。だんだん調子が浮気っぽくなる。これも人を惹きつけた。
 私はこの女をとても補足しがたい奴と一人決めていた。私は三四度続けてあった。すると、案外補足しがたいという気がしなくなった。しかし結局は前の女でしたことを再びこの女で繰り返したに過ぎなかった。私はまた単調な生活に帰ってしまった。もう仲たがいした友達に対してもそれほどの怒りは感じられなくなった。何となくいらいらしながら物足らない心持で一日一日を無為に過ごしていた。(以下完成作品冒頭に続く)
(発表時の末尾)
 翌朝ぼんやりと障子の硝子越しに前の景色を見ている時だった。巡査や女の子の母親が前の坂道をこの方を見い見い登ってきた。母親は興奮からか恐ろしい顔をしていた。私には逃げようという気は少しも起こらなかった。私は赤面した。そして苦笑した。私はしまいまで進ませた出来事を途中で笑い出すようなことはことはしたくないと思った。私は出刃包丁を持ち出した。しかし、かって人の顔(あるいは犬でも馬でも)を真正面から殴った経験のない私には出刃包丁を逆手ににぎったものの、それで身がまえする気にはなれなかった。私は恐ろしく平凡な姿勢で出刃を持ったまま突立っていた。
 母親と女の子は抱き合って泣いた。母親は泣きながら激しく私を罵った。私は黙って立っていた。母親は娘を抱いたまま私の後ろにへきて、私の背中をドンと強く突いた。巡査がしきりとそれをなだめた。
 私は警察へ曳かれた。それからの経験は総て初めての経験であるが、私は学校時代に何かでこんな経験をしたような気がした。
文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.204 ―――――――― 6 ―――――――――――――
 私には気違いじみた気分は少しもない。しかし裁判官がそれに近いものと解しようとするのを反対する気はない。
 私は多分近日許されてここをでるだろうと思う。それから私はどこへ行こう?やはり東京へ帰るより仕方がなさそうだ。もうあの町に行くこしはできない。東京へ帰らないとすれば、どうするだろう。私はまた同じような生活に落ちていかなければ幸せである。もし同じ生活が繰り返ってくれば私は今度は、更に容易に同じようなことを起こし兼ねないという気がするから・・・・・・・・女の子はどうしているだろう?
脚本・石川舞花
【検察の公訴】 再犯の可能性もある。厳罰を
◇検察 「被告の行為は、幼い少女に一生残る心の傷を負わせる行為である。母親が買い物をしている隙を狙っていたことや、玩具を用意していたことからも計画性がある。
 母親が迎えにくると嘘をついて、なつかせようとしている意図も見え、その先の目的が疑われる。凶器をだして抵抗したことから再犯の可能性もある。「
「よって、被告には懲役15年を求刑する。」
【弁護人】 特殊な性癖が暴走してしまった。凶暴性はない。
◇弁護 「被告は、「女の子が可愛かった」といっており、凶暴性は感じられない。特殊な性癖が暴走してしまったもので、犯行当時は精神的興奮状態にあり、責任能力が欠けていたものと思われる。」
【裁判員の見方】 少女の心の傷、凶暴性を鑑見て重罪に
◇ 「幼い少女に心の傷を負わせた罪は大きい。連れ回されている間の恐怖も相当なものであったろう。凶器を出しているところからも、凶暴性が強いので、きちんと更生をうながすべきである。」
【裁判長】 精神が疲労状態にあったことは認めるが、計画性もあり
◇ 裁判長 「犯行には計画性がみられ、凶器を持ち出すなど危険な行為もうかがえる。
      よって、被告を懲役10年に処す。」
脚本化の場合
・検察官・・・・・・ワイセツ目的の疑い。計画性、再犯の疑い
・弁護人・・・・・・初犯、凶悪性はみられない。精神の疲労から犯した犯罪。
・証人(複数)・・・・・周旋屋、按摩、診察した医師(テキストでは神経衰弱と診断)
・裁判員(複数)・・・・
・裁判長・・・・・・
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参考資料
 2009年5月21日(平成20年)から裁判員制度が施行された。これにより同年7月以降から実際に一般市民が裁判に参加することになった。3年が過ぎた現在の状況は、いろいろと問題はでてきたが、裁判意識は浸透している。厳罰化が進んでいるという見方もある。
「裁判院制度とは何か」を知りたい人はHPにあったWiKiPediaを以下に転載したので読んでください。
 裁判員制度は、市民(衆議院議員選挙の有権者)から無作為に選ばれた裁判員が裁判官とともに裁判を行う制度で、国民の司法参加により市民が持つ日常感覚や常識といったものを裁判に反映するとともに、司法に対する国民の理解の増進とその信頼の向上を図ることが目的とされている。裁判員制度が適用される事件は地方裁判所で行われる刑事裁判のうち、殺人罪、傷害致死罪、強盗致死傷罪、現住建造物等放火罪、身代金目的誘拐罪など、一定の重大な犯罪についての裁判である。例外として、「裁判員や親族に危害が加えられるおそれがあり、裁判員の関与が困難な事件」は裁判官のみで審理・裁判する(法3条)。被告人に拒否権はない。裁判は、原則として裁判員6名、裁判官3名の合議体で行われ、被告人が事実関係を争わない事件については、裁判員4名、裁判官1名で審理することが可能な制度となっている(法2条2項、3項)。裁判員は審理に参加して、裁判官とともに、証拠調べを行い、有罪か無罪かの判断と、有罪の場合の量刑の判断を行うが、法律の解釈についての判断や訴訟手続についての判断など、法律に関する専門知識が必要な事項については裁判官が担当する(法6条)。裁判員は、証人や被告人に質問することができる。有罪判決をするために必要な要件が満たされていると判断するには、合議体の過半数の賛成が必要で、裁判員と裁判官のそれぞれ1名は賛成しなければならない(一部立証責任が被告人に転換されている要件が満たされていると判断するためには、無罪判決をするために合議体の過半数の賛成が必要で、裁判員と裁判官のそれぞれ1名は賛成しなければならない)。以上の条件が満たされない場合は、評決が成立しない(有罪か無罪かの評決が成立しない場合には、被告人の利益に無罪判決をせざるを得ないと法務省は主張しているが、法令解釈権を持つ裁判所の裁判例、判例はまだ出ていない)。なお、連続殺人事件のように多数の事件があって、審理に長期間を要すると考えられる事件においては、複数の合議体を設けて、特定の事件について犯罪が成立するかどうか審理する合議体(複数の場合もあり)と、これらの合議体における結果および自らが担当した事件に対する犯罪の成否の結果に基づいて有罪と認められる場合には量刑を決定する合議体を設けて審理する方式も導入される予定である(部分判決制度)。裁判員制度導入によって、国民の量刑感覚が反映されるなどの効果が期待されるといわれている一方、国民に参加が強制される、国民の量刑感覚に従えば量刑がいわゆる量刑相場を超えて拡散する、公判前整理手続によって争点や証拠が予め絞られるため、現行の裁判官のみによる裁判と同様に徹底審理による真相解明や犯行の動機や経緯にまで立ち至った解明が難しくなるといった問題点が指摘されている。裁判員の負担を軽減するため、事実認定と量刑判断を分離すべきという意見もある。
 最高裁によると、全国の裁判員裁判対象事件は2004年の3791件から減少傾向にある。都道府県別で昨年、対象事件が最も多かったのは①大阪306件、②東京255件、③千葉214件の順。最も少なかったのは福井県の7件。罪名別では、①強盗致死傷695件、②殺人556件、現在建造物など放火286件、強姦致死傷218現在と続いた。(新聞8・5)
選ばれる確率は4911人に1人(全国平均)
芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.204 ――――――― 8 ――――――――――――――
社会観察  11月は「児童虐待防止推進月間」
 近年、児童虐待の件数は全国的に増加傾向にある。新聞に、連日のように児童虐待のニュースが載っている。残念なことに幼い子どもの命が奪われる事件が後をたたない。
 こうした深刻な事態に厚生労働省では、児童虐待の防止等に関する法律が施行された11月を「児童虐待防止推進月間」と位置づけ、期間中に児童虐待防止のための広報・啓発活動などの取り組みを集中的に行う。今年度平成24年度の、標語は、以下のものです。
   気づくのは  あなたと地域の  心の目
下原ゼミは、この「児童虐待防止推進月間」に併せて、虐待発生の現場である家族観察を世界名作文学のなかから考えます。果たしてこの家族に児童虐待はあるのか。
テキストはジュル・ルナール(1864-1910)の『にんじん』です。
後期ゼミ ゼミ誌作成 & 家族観察・模擬裁判を目指します
 9月24日 出席者 = 石川舞花、古谷麻依、志村成美、根本留加、山野詩門、
後藤啓介、梅津瑞樹 4月以来の8名でした。
            ゼミ誌原稿提出。100%近く、創作・車内観察
            課題1.「誘拐事件容疑者調書」
10月 1日 出席者 = 石川舞花、古谷麻依、志村成美、鞆津正紀、梅津瑞樹 5名
            ゼミ誌作成会議、番組表、レイアウトなど
            サバイバルゲーム「遭難、私ならどうする」個人と集団の場合
            発表と説明。内容は次号。
            課題1.提出→石川さん
10月15日 出席者 = 石川舞花、古谷麻依、志村成美、鞆津正紀、梅津瑞樹
            後藤啓介 6名
            ゼミ誌提出原稿合評6名分 部数について
10月22日 出席者 = 石川舞花、古谷麻依、志村成美、梅津瑞樹(司会進行)
           ゼミ誌作成報告、広島女児誘拐事件について
           テキスト『兒を盗む話』読み
10月29日 出席者 = 石川舞花、古谷麻依、志村成美、鞆津正紀
           ゼミ誌作成報告 入稿近し。新聞「人生案内」自分ならを議論
           関連でO・ヘンリーの作品を読む。
11月12日 出席者 = 石川舞花、古谷麻依、志村成美、鞆津正紀、梅津瑞樹
            ゼミ誌原稿校正、紙芝居「少年王者」口演・梅津瑞樹
           
・・・・・・・・・・・・・編集室便り・・・・・・・・・・・・・・
○課題原稿、メールでも可 下記アドレス
□住所〒274-0825 船橋市前原西6-1-12-816 下原方『下原ゼミ通信』編集室
  メール: TEL・FAX:047-475-1582  toshihiko@shimohara.net
課題7.   ナイフ投げ美人妻殺人疑惑事件・脚本化
自分の役の台詞を書く(メール転送可)
名前
「      」役の場合
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掲示板
25年度のお誘い   2013の江古田校舎・文芸研究Ⅲは下原ゼミ
         写真家「熊谷元一研究」を中心に故郷・子供時代を書く
創作 → 志賀直哉の子どもの頃を描いた作品をテキストに、併せて米国作家サローヤンの『我が名はアラム』などを読み、自分の子ども時代の話を書いて発表する。
      児童虐待について考える
熊谷元一研究 → 写真家・熊谷の写真作品「一年生」を見ながら自分の一年生の頃を思い出しルポタージュする。郊外授業として熊谷の写真展を見に行き紀行文を書く。ちなみに2010年は山形県酒田市酒田美術館、2012年は秋田県角館「ぷかぷ館」乳頭温泉に一泊二日。最終目標は、長野県昼神温泉郷にある熊谷元一写真童画館の見学と研究発表。
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