文芸研究Ⅱ 下原ゼミ通信No.205

公開日: 

日本大学藝術学部文芸学科     2012年(平成24年)11月26日発行
文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.205
BUNGEIKENKYU Ⅱ SHIMOHARAZEMI TSUSHIN
                             編集発行人 下原敏彦
                              
9/24 10/1 10/15 10/22 10/29 11/12 11/19 11/26 12/3 12/10 
1/21 1/28
  
2012年、読書と創作の旅
11・26下原ゼミ
11月19日(月)の下原ゼミは、下記の要領で行います。文ゼミ2教室
1. ゼミ雑誌編集作業進行状況についての報告 
 2.  テキスト『范の犯罪』の読み 
 
 3. 模擬裁判・配役を決める 台本配本、脚本の校正
 4.  仮「ナイフ投げ曲芸師美人妻殺人現場」寸劇稽古
 5. 仮「ナイフ投げ曲芸師美人妻殺人疑惑裁判」口演稽古
11月ゼミ雑誌編集月間・最終週
ゼミ雑誌『正体不Show time』新生社入稿 
11・26ゼミ 本日ゼミは、テキスト『范の犯罪』読み&脚本化
12月3日(月)三ゼミ合同発表会に向けての稽古
 三ゼミ合同発表会が12月3日となったため、出し物のテキスト読みと脚本化、台本校正(配役が演じ易いようにかえる)を行い、併せて事件再現の寸劇稽古を行う。最後にリハーサル(30分以内に追われるようにする)。事件再現 → 裁判 → 判決
テレビ NHKドキュメンタリー「教え子たちの歳月」再放送決定 !!
 12月18日(火)午前9時からBSプレミアム/BSデジタル(103)
 NHKは、1996年11月24日に放送したドキュメンタリー「にっぽん点描・教え子たちの歳月 ~50歳になった一年生~」を12月18日AM9時、BS103で再放送する。
 熊谷元一は、一昨年101歳でなくなった写真家・童画家、下原の小学一年生のときの担任教師。そして、日本を代表する写真家の一人でもある。岩波写真文庫『一年生』は、写真


界の金字塔である。番組は、写真家・熊谷元一が米寿(88歳)を迎えたのを機に50歳になった教え子を写真に撮るため1996年春、全国行脚の旅にでた。その姿を半年間追ったもの。。
 下原も被写体の一人としてオンボロ道場にいる。あれから16年。
文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.205 ―――――――― 2 ―――――――――――――
11・19ゼミ  授業評価アンケート&ゼミ雑誌原稿の校正
 参加者は、ゼミ雑誌編集長の石川舞花さん、編集委員の鞆津正紀さんの2名だった。ゼミ誌作成報告の後、ゼミ雑誌編集室に移行。最終のゼミ雑誌の編集と校正作業を行った。
 石川さん、鞆津さんご苦労さまでした。
テキスト『兒を盗む話』より
尾道幼女誘拐事件裁判
【事件推移】
 所沢太郎(27)無職は、東京田園調布の自宅で父親と口論、家を飛び出し現住所尾道市尾道1-2-3の貸し家に住むが、治療に通っている指圧整体師の一人娘を12月30日売り出し中の街中で迷っているところを誘拐、自宅に二日間軟禁した。
課題5. 「尾道幼女誘拐事件」法廷脚本      作・石川舞花
 場所=裁判所内 登場人物=被告  弁護人  検察官  証人  
被告  女の子に一生残る傷を負わせてしまって、申し訳ないと思っています。
    今日は、もう自分のしたことを受け入れる覚悟です。
検察  被告は、5歳の幼い女の子を誘拐するという罪を犯しました。この犯行は、計画性
があります。また、被告の異常な性格により再犯のおそれもあるといえます。
弁護人 被告は、犯行当時、極度の神経衰弱状態にありました。凶器を取り出したものの、
振り回すことなどしなかったことからも、凶暴性は低いと言えます。現在は徐々に
精神的に回復してきているため、再犯の可能性は低いでしょう。
証人  被告の家の隣に住んでいます。ある日、隣から女の子の泣き声が聞こえました。子どもがいる云えではないのでおかしいと感じたのを覚えています。
テキスト研究 『兒を盗む話』初出 大正3年4月『白樺』
  テキストの告白は、最初、以下の形で発表された。(が、旧い漢字や言葉づかいから難読との声もあったため、勝手ながら編集室で現代表記にした)
 犯罪における作者=主人公=犯人の心内はこのようであった。草稿原稿から
逮捕時における被告の心情 犯行に至るまで
 私は五つになるその女の子を盗んだ。しかし三日目にもうあらわれて、巡査が二人と探偵らしき男が一人と、その後ろに色の浅黒い肉のしまった四十ばかりのその子の母親と、これだけが前の急な坂を登ってくるのを見たときには私は、苦笑した。そして赤面した。
 が、私はちょっと迷った。やはりできるだけの抵抗はやってみろ。いまもし素直に渡してしまうくらいなら最初からこんなことはしなくてもよかった。こう思うと急いで部屋の隅の行李(こうり)からから出刃包丁をだして、それを逆手ににぎって部屋の中に立った。そのとき女の子は次の三畳間でぐっすり寝込んでいた。
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 しかし私は結局、出刃包丁を振り回すことはしえなかった。その気になれない。実際それほどの感情は出刃包丁をだすときから自分にはなかったのである。そして私は尋常に縄にかかった。女の子はそのまま母親に連れられていった。
 警察署での訊問は感嘆だった。私はその女の子がどんなことを申し立てたか聞きたかったが、これは知ることができなかった。
 翌日、私はそこから汽車で3時間ばかりかかる県庁所在地の地方裁判所へ回された。それから3日目に私は法廷へ引き出された。そのときは私の経歴でも、仕事でも、また血統でももう大概向かうで調べてしまったらしかった。その結果は裁判官は、私は気違いと鑑定したらしかった。私は、初めの調べと一緒に健康診断を受けることになっていた。審問に対しては私は、なるべく簡単な答えで済まそうと務めた。
 裁判官は、繰り返し繰り返し私の盗んだ目的を聞いたが、私は同じこときり答えなかった。
「可愛く思ったからです。貰(もら)いたいといっても、もらえないと思ったからです」といった。
 若い医者も色々と聞いた。私は聞かれることだけにただ簡単な返事をした。 医者は、気違いではないといった。ただよほど烈しい神経衰弱にかかっていると報告した。「烈しい神経衰弱というものが、こんな非常識なことをさせるものですか」と裁判官が聞いた。
「もちろん、いくらもあることです」
 こういう二人の問答からも、またいったいに裁判官や医者やその他の人々までも私に好意を持っているということが感じられた。少なくも普通の罪人に対するとはよほど変わった心持で調べているということがわかった。事件そのものに露骨な目的を持っていないこと、私にまったく悪びれた様子のないこと、それらが皆に好意を持たしたらしかった。
 私は裁判の結果を想像した。私は法律のことは知らなかった。しかしよく新聞などで見る示談とか、刑の執行猶予とか、そんなことだろうと思った。
 東京からは誰が来るか。父が来るか、叔父が来るか、それとも友達が来てくれるか。誰にしろ、この結果はきっと、そんなことにしてくれるだろうと思った。私はにぎっていた出刃
包丁をついに振り回す気になれなかったように、この出来事もそれだけの結果で終わるだろうと思うと、罪せられるのを望むのではないが呆気ない気がした。
 東京を出る二ヶ月ほど前のことだった。私は私の最も親しい友達の一人と仲たがいをした。同時に私はある若い美しい女を恋した。
 初めてその女と会って1時間しないうちに私は珍しく何年ぶりで、甘ったるい恋するような心持になってきた。それは女が私に好意を持っていると思い込んだのも一つの力だった。その席には親しい友達が3人いた。なかでも一番仲のよかった一人が、私のその心持を見ぬくことから、快くない気持の上の悪戯を私に仕掛けた。私はそれでその友に腹を立った。   その女を恋する心持とその友を憎む心持とが私の胸で燃えあがった。たんちょうな日を続けていた私にはそれがいい心持だった。
 私は三四日して一人でその女に会いに出かけた。私はそのとき美しいイリュージョン(幻影)を作っていった。ところがそれはその場で1時間しないうちに見事に打ち崩されてしまった。苦しいが涼しいような快感があった。
 私は間もなくまた別の美しい女に出合った。美しい肉体をしてコケティツシな表情を持った女だった。ソーダー水に氷を入れて、それを電燈に透かしながら振ると風鈴のようないい音がする。女はそんなことをしながら度々それへ美しい唇をつける。そして仕舞いに飲み干す。で、酔えばいっそう美しくなった。襟から頬へかけていっそうに白くなった。それよりも眼が美しくなった。唇もいい色になる。だんだん調子が浮気っぽくなる。これも人を惹きつけた。
 私はこの女をとても補足しがたい奴と一人決めていた。私は三四度続けてあった。すると、案外補足しがたいという気がしなくなった。しかし結局は前の女でしたことを再びこの女で繰り返したに過ぎなかった。私はまた単調な生活に帰ってしまった。もう仲たがいした友達
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に対してもそれほどの怒りは感じられなくなった。何となくいらいらしながら物足らない心持で一日一日を無為に過ごしていた。(以下完成作品冒頭に続く)
(発表時の末尾)
 翌朝ぼんやりと障子の硝子越しに前の景色を見ている時だった。巡査や女の子の母親が前の坂道をこの方を見い見い登ってきた。母親は興奮からか恐ろしい顔をしていた。私には逃げようという気は少しも起こらなかった。私は赤面した。そして苦笑した。私はしまいまで進ませた出来事を途中で笑い出すようなことはことはしたくないと思った。私は出刃包丁を持ち出した。しかし、かって人の顔(あるいは犬でも馬でも)を真正面から殴った経験のない私には出刃包丁を逆手ににぎったものの、それで身がまえする気にはなれなかった。私は恐ろしく平凡な姿勢で出刃を持ったまま突立っていた。
 母親と女の子は抱き合って泣いた。母親は泣きながら激しく私を罵った。私は黙って立っていた。母親は娘を抱いたまま私の後ろにへきて、私の背中をドンと強く突いた。巡査がしきりとそれをなだめた。
 私は警察へ曳かれた。それからの経験は総て初めての経験であるが、私は学校時代に何かでこんな経験をしたような気がした。
 私には気違いじみた気分は少しもない。しかし裁判官がそれに近いものと解しようとするのを反対する気はない。
 私は多分近日許されてここをでるだろうと思う。それから私はどこへ行こう?やはり東京へ帰るより仕方がなさそうだ。もうあの町に行くこしはできない。東京へ帰らないとすれば、どうするだろう。私はまた同じような生活に落ちていかなければ幸せである。もし同じ生活が繰り返ってくれば私は今度は、更に容易に同じようなことを起こし兼ねないという気がするから・・・・・・・・女の子はどうしているだろう?
テキスト研究  『范の犯罪』について
岩波『志賀直哉全集2巻』
 この作品は大正2年(1913年)『白樺4号』に発表された。発表するまでの経緯は以下の通り。日記より
・大正2年8月7日 晩、「徒弟の死」を書きかけて見る。
・同年9月1日 「支那人の殺人」を書いた。
・同年9月9日 12時まで「支那人の殺人」を書き直してねた。ウナサレなかった。
・同年9月13日 どうしても「范の犯罪」に手がつかぬ。
・同年9月14日 帰宅後、「范の犯罪」を書きあげた。疲労しきった。
・同年9月24日 「范の犯罪」を後半を殆ど書いた。不快から来た興奮と、前晩3時間位しかねなかった疲労が、それを助けて書きあげさした。
「徒弟の死」 → 「支那人の殺人」 → 「范の犯罪」
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テキスト『范の犯罪』脚本化
「ナイフ投げ曲芸師美人妻殺人疑惑事件」裁判・概要
現 場 = 芝居・見世物小屋 
観 客 = 当日は300人余り
目撃者 = 興行・座長一名、ナイフ投げ演芸助手一名、巡査一名
       観客300余名
状 況 = 戸板大の板の前に女を立たせ、二間(約三・七㍍)離れたところから奇術
       師が出刃包丁ほどのナイフを投げる。
       ナイフは、女の体から二寸(六センチ)と離れない距離に突き刺さる。奇
       術師は、掛け声とともに、体にナイフの輪郭をとるように次々となげる。
推 移 = 何本目かのとき、首に投げたナイフが女の頚動脈に突き刺さった。血が
       どっとあふれ女は、前に倒れて、そのままこと切れた。
公 判 裁判官  座長  助手  被告  ――(裁判進行)  
―― はじめに被告をよく知る関係者の訊問から行います。
裁判官 「証人と被告との関係は ―― 」
座 長 「被告がいる興行一座の座長です」
裁判官 「あの演芸はぜんたいむずかしいものなのか ? 」
座 長 「いいえ、熟練のできた者には、あれはさほどむずかしい芸ではありません。ただ、
    あれを演ずるにはいつも健全な、そして緊張した気分を持っていなければならない
    という事はあります」
裁判官 「そんなら今度のような出来事は過失としてもありえない出来事なのだな」
座 長 「もちろんそういう仮定 ―― そういうごく確かな仮定がなければ、許しておけ
    る演芸ではございません」
裁判官 「では、お前は今度の出来事は故意のわざと思っているのだな ? 」
座 長 「いや、そうじゃありません。なぜなら、なにしろ二間という距離を置いて、単に
     熟練とある直覚的な能力を利用してする芸ですもの、機械でする仕事のように必
     ず正確にいくとは断言できません。ああいう誤りが起こらないまでは私どもはそ
     んなことはあり得ないと考えていたのは事実です。しかし今実際起こった場合、
     私どもはかねてこう考えていたという、その考えを持ち出して、それを批判する
     事は許されていないと思います」 
裁判官 「ぜんたいおまえは、どっちだと考えるのだ」
座 長 「つまり私にはわからないのであります」
座長、礼をして退席。つづいて若い助手が証言台に立った。
裁判官 「被告との関係は」
助 手 「被告の助手をしています。ナイフを運んだり、渡したりする役目です」
裁判官 「被告は、ふだんの素行はどういうふうだった」
助 手 「素行は正しい男でございます賭博も女遊びも飲酒もいたしませんでした。それに
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    あの男は昨年あたりからキリスト教を信じるようになりまして、英語も達者ですし、
    暇があると、よく説教集などを読んでいるようでした」
裁判官 「妻の素行は」
助 手 「これも正しい方でございました。ご承知のとおり旅芸人というものは決して風儀
    のいい者ばかりではありません。他人の妻を連れて逃げてしまう。そういう人間も
    時々はあるくらいで、被告の妻も小柄な美しい女で、そういう誘惑も時には受けて
    いたようでしたが、それらの相手になるような事は決してありませんでした」
裁判官 「二人の性質は ? 」
助 手 「二人とも他人にはごく柔和で親切で、また二人ともに他人に対しては克己心も強
    く決して怒るような事はありませんでした。―― 」
      助手は、ちょっと考えて、また続けた。
    「・・・この事を申し上げるのは被告のために不利益になりそうで心配でもありま
    すが、正直に申し上げれば、不思議なことに他人にたいしてはそれほど柔和で親切
    で克己心の強い二人が、二人だけの関係になるとなぜか驚くほどお互いに残酷にな
    ることでございます」
裁判官 「なぜだろう・・・ ?  」
助 手 「わかりません」
裁判官 「お前の知っている最初からそうだったのか ? 」
助 手 「いいえ、二年ほど前、妻が産をいたしました。赤子は早産だという事で、三日ば
    かりで死にましたが、そのころから二人はだんだん仲が悪くなって行くのが私ども
    に知れました。二人は時々、ごくくだらない問題から激しい口論を起こします。し
    かし、被告は、どんな場合でも結局は自分の方で黙ってしまって、決して妻に対し
    て手荒な行いなどする事はございません。もっとも被告の信仰心がそれを許さなか
    ったでしょうが、顔を見るとどうしても、押さえ切れない怒りがすごいほどあらわ
    れていることもございます。で、私はあるとき、それほど不和なものならいつまで
    もいっしょにいなくてもいいだろう、と言ったことがございます。しかし、彼は妻
    には離婚を要求する理由があっても、こっちにはそれを要求する理由はないと答え
    ました。… 自分に愛されない妻が、だんだん自分を愛さなくなる。それは当然の
    ことだ、こんなことも言っていました。彼がバイブルや説教集を読むようになった
    動機もそれで、どうかして自分の心を和らげて憎むべき理由もない妻を憎むという、
    むしろ乱暴な自分の心のため直してしまおうと考えていたようでした。妻もまた可
    哀そうな女なのでする。… 故郷の兄というのが放蕩息子で家はつぶれて無いので
    す。… 不和でもいっしょにいるほかなかったのだとおもいます」
裁判官 「で、ぜんたいお前は、あの出来事についてどう思う ? 」
助 手 「誤りでした事か、故意でした事かとおっしゃるのですか ?  私も実はあの時以
    来、いろいろ考えてみました。ところが考えれば考えるほどだんだんわからなくな
    ってしまいました」
裁判官 「よろしい、尋ねることがあったらまた呼び出す」
    「休廷します」
公 判 開始
―― 公判を開始します。後半は、被告人への質問を行います。被告人、前へ。
裁判官 「今、座長と助手とを調べたからそれから先をきくぞ」
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被 告 「はい――」
裁判官 「お前は妻をこれまで少しも愛した事はないのか ? 」
被 告 「結婚した日から赤子を産む時までは心から私は妻を愛しておりました」
裁判官 「どうして、それが不和になったのだ」
被 告 「妻の生んだ赤子が私の子でない事を知ったからです」
裁判官 「お前はその相手の男を知っているのか ? 」
被 告 「想像しています。それは妻の従兄です」
裁判官 「お前の知っている男か ? 」
被 告 「親しかった友だちです。その男が二人の結婚を言い出したのです。その男から
     私は勧められたのです」
裁判官 「お前の所へ来る前の関係だろうな ? 」
被 告 「もちろんそうです。赤子は私の所へ来て八月日に生まれたのです」
裁判官 「早産だと助手の男は言っていたが・・・ ? 」
被 告 「そう私が言ってきかせたからです」
裁判官 「赤子はすぐ死んだといういうが・・・」
被 告 「死にました」
裁判官 「何で死んだのだ」
被 告 「乳房で息を止められたからです」
裁判官 「妻はそれを故意でしたのではなかったのか」
被 告 「あやまちからだと自身は申しておりました」
裁判官 「妻はその関係(従兄)についてお前に打ち明けたか」
被 告 「打ち明けません。私も聞こうとしませんでした。その赤子の死がすべての償いの
    ようにも思われたので、私自身できるだけ寛大にならなければと思っていました」
裁判官 「寛大になれたか」
被 告 「なれませんでした。赤子の死だけでは償いきれない感情が残りまなした。離れて
    いると時にはわりと寛大でいられるのです。ところが、妻が目の前に出て、そのか
     らだを見ていると、急に押さえきれない不快を感じるのです」
裁判官 「離婚しようと思わなかったのか」
被 告 「したいとはよく思いました。しかし、それを口にしたことはありませんでした」
裁判官 「なぜだ」
被 告 「私が弱かったからです。妻は、前からもし離婚されれば、生きてはいないと申し
    ていたからです」
裁判官 「妻はお前を愛していたのか」
被 告 「愛してはいません」
裁判官 「それならなぜ、そんなことを言ったのだ」
被 告 「ひとつには生きていく必要からだと考えます。両親はもうなく、別れても行くと
    ころがないと思っていたからです」
裁判官 「お前は妻に対し同情はしていなかったのか」
被 告 「同情していたとは考えられません。妻にとっても同棲は苦痛だと思ったからです」
裁判官 「それならなぜ、お前は思い切った態度がとれなかったのか」
被 告 「いろいろなことを考えたからです」
裁判官 「いろいろなこととは、どんなことだ」
被 告 「自分が誤りのない行為をしょうということを考えるのです――しかし、結局その
     考えは何の解決もつけてはくれませんでした」
文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.205 ――――――― 8 ――――――――――――――
裁判官 「お前は妻を殺そうと考えたことはなかったか」
被 告 「・・・・・」
裁判官 「どうです、殺意は・・・・」
被 告 「その前に死ねばいいとよく思いました」
裁判官 「そして、そのあとに殺そうと考えたのか」
被 告 「決心はしませんでした。しかし考えました」
裁判官 「それはいつごろからか」
被 告 「あの前の晩です。あるいは明け方です」
裁判官 「その前に争いでもしたのか」
被 告 「しました」
裁判官 「何のことで」
被 告 「くだらないことです」
裁判官 「まあ、言ってみなさい」
被 告 「食事のことで、けんかになりました。したくがおそいので」
裁判官 「いつもより激しかったのか」
被 告 「いいえ、しかしいつになくあとまで興奮していました」
裁判官 「原因はあるのか」
被 告 「近ごろ自分に本当の生活がないということを苛々していたからだと思います。そ
     のせいか、あまり眠れませんでした。妻もそうだったと思います」
裁判官 「起きてからは、二人はいつもと変わらなかったか」
被 告 「はい、まったく口をきかずにいました」
裁判官 「お前は、なぜ妻から逃げてしまおうとは思わなかったのか」
被 告 「死んでしまったほうがよいと思うくらいなら、ですか」
裁判官 「そうだ」
被 告 「そのことは、どちらも、考えの外でした。実際殺してやろうという考えも、まだ
     遠くでした」
裁判官 「では、あの日は、殺意も計画もなかったのか」
被 告 「どうかしなければという気持はありました。が、演芸が近くなるとその気持も失
    せました。私は何の心配もしていませんでした」
裁判官 「そうか」
被 告 「あの演芸は、少しでも他の考えが入るとできません。妻のことを考えたら、
     あの芸は選ばなかったと思います。危険でない芸もしていましたから」 
裁判官 「では、どのへんから考えるようになったのか」
被 告 「あの晩のことは、よく覚えています。私は舞台にでると、いつものように紙を切
     ってナイフの切り味を観客にみせました。まもなく厚化粧した妻が派手な中国服
     を着て出てきました。私は、ナイフを手に妻と向き合いました。そのとき、はじ
     めて自分の腕が信じられない気持がしたのです」
裁判官 「どんなことでか」
被 告 「前の晩のけんか以来、はじめて目を合わせたからです。その時、突然、妻のこと
     が頭に浮かび、私は、この演芸を選んだ危険を感じたのです」
裁判官 「しかし、それでも実演した」
被 告 「はい、やめることはできませんでした。何かに操られているようでした」
裁判官 「そのときの様子を詳しく」
被 告 「私は無理に心を静め、最初に頭の上へ一本打ちこみました。ナイフはいつもより
     ちょつと上へささりました。次に、肩の高さにあげた腕のわきの下に打ちこみま
     した。投げるたびに指さきに何かこだわりを感じました。ナイフがどこに刺さる
     かわからない気がして一本ごとにほっとしました。
―――――――――――――――――― 9 ――――― 文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.205
      私は落ち着こう落ち着こうとしました。しかし、それがかえって心の動揺をさ
     そいました。そんな気持を察したのか、妻が急に不思議な表情をしました。発作
     的に激しい恐怖を感じたようです。予感したのでしょうか。わかりません。
      私は、目まいのようなものを感じました。が、そのまま力まかせに、ほとんど
     暗やみめがけるようにあてもなく、ナイフを投げこんでしまったのです」
      一瞬、沈黙
裁判官 「その瞬間、意識はあったのか」
被 告 「とうとう殺したと思いました」
裁判官 「それはどういうのだ。故意でしたという意味か」
被 告 「そうです。故意でしたような気が不意にしたのです。しかしすぐに、これは事故
     と見せかけることができるとも思いました」
裁判官 「お前は巧みに人々を欺きおおせると思った」
被 告 「はい、しかし、前の晩、ちらっと殺すということを考えた。これは故殺の理由に
     なるだろうか。こんな考えも浮かび、だんだんにわからなくなってきました。私
     は、急に興奮した気持になり、愉快でならなくなりました」
裁判官 「いま、お前はどちらだと思う。故殺か、過失か」
被 告 「自分には、わかりません。いまはただ、過失と我を張るより、どっちかわからな
     いと言ったほうが、自分に正直だと思ったのです」
裁判官 「だいたいにおいて本当の気持のようだ」
被 告 「はい、ウソ偽りはありません」
裁判官 「ところで、おまえには妻の死を悲しむ気持は少しもないのか」
被 告 「まったくありません。私はこれまで妻に対し、どんな激しい憎しみを感じた場合
     にもこれほど快活な心持で妻の死を語りうる自分を想像したことはありません」
裁判官 「もうよろしい、ひきさがつてよろしい」
     「それでは、裁判員の皆さんに審議してもらいます」
裁判員  → 観客全員
裁判官  「無罪と思う人は挙手でお願いします」
     「有罪と思う人は」
裁判官  「なぜ、無罪か」「なぜ有罪か」
裁判員  
 ―― それでは判決にはいります。
裁判官  「よって、被告を     とします」
   
【この出来事を、故意とみるか、事故とみるか】
争点 = 神経衰弱からくる被害妄想の結果か → 精神鑑定は必要か  
       それとも完全犯罪を狙った犯行か  → 状況証拠固め
謎   = 不仲のなか、なぜ危険演芸をつづけのか
文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.205 ――――――― 10 ――――――――――――――
事件再現の寸劇
登場人物
范   美人妻   芝居小屋の口上人
黒子(美人妻の後でナイフが刺さった板を支える人。)
一幕
芝居小屋でナイフ投げ曲芸、呼び込み口上
范 登場  美人妻も
范、ナイフを投げる(ふり) 黒子、ナイフが刺さった板をみせる。
范、ナイフを投げる(ふり)
范 一瞬ためらう
范 ナイフを投げる 美人妻の首に命中、悲鳴
役決め
―――――――――――――――――― 11 ――――― 文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.205
テキスト研究
 名作『城の崎にて』紹介
 前期に読んだ『出来事』は、1913年(大正2年)9月1日発行の『白樺』第四巻に発表された。(30歳)。この作品については、1913年の日記にこう記されている。
7月28日 「子供が電車にヒカレかかった。(出来事)」。8月15日「病院。かえって『出来事』の了ひを書き直して出来上がってひるね」この夜、友人と散歩にでて山の手電車にはねられて怪我をする。☆ この怪我の治療に城の崎温泉に行き『城の崎にて』を書く。
『城の崎にて』について 自らが電車事故にあい湯治にいった温泉地での作品。
一見なんでもない作品。しかし、この作品は名作と評されている。なぜ名作か。その意味がわかるのは、おそらく、もっと多くの小説。いろんな分野の作品を読む必要がある。文学でもなんでもそうであるが、本物はすぐにはわからない。
 『出来事』を書いた8月15日の夜、山手電車にはねられた。その時の傷の養生に城崎温泉に行く。10月18日から11月7日まで湯治療養。この間、この作品を書く。
10月30日の日記「蜂の死と鼠の竹クシをさされて川へ投げ込まれた話を書きかけてやめた。これは長編の尾道に入れることにした。」とある。
「創作余談」これも事実ありのままの小説である。鼠の死、蜂の死、いもりの死、皆その時数日間に実際目撃したことだった。そしてそれから受けた感じは素直に且つ正直に書けたつもりである。所謂心境小説というものでも余裕から生まれた心境ではなかった。
世界名作文学紹介
☆ 名作読み 究極の愛『砂漠の情熱』(水野亮訳)バルザック(1799-1850)
 フランスの若い兵士がモロッコの戦いでアラブ人の捕虜となった。オアシスで野営したとき、彼は隙を見て脱走に成功した。だが、仲間の軍の宿営地に早く帰りたいと思うあまり、疲れきっている駿馬をいやがうえにもいそがせたので、馬は倒れ絶息してしまった。そこは砂漠のど真ん中だった。「はてしもない大洋が目にうつっていた。どの方角にも砂漠の黒っぽい砂が目のとどくかぎりひろがって、はげしい光に照らされた鋼の刃のようにキラキラしていた。ガラスの海といつたらいいのか、鏡のような平らな湖といったらいいのか、わからなかった。」「空も海も燃えていた。沈黙は、荒々しく恐ろしい威厳をもって、あたりを圧していた。悠久、無限――こうしたものが四方八方から魂にせまるのである。」プロヴァンス生まれの22歳の兵士にとって、絶望のほかはなにもなかった。彼は何度も騎兵銃の引き金に手をかけた。が、「死のうとおもえば、いつでも死ねる」その考えが、死を思いとどまらせていた。やがて、彼は小さなオアシスにたどり着く。以前に人が住んでいた形跡。岩場の洞窟で彼は疲れと安堵から不覚にも眠ってしまった。そこは獣の棲家だった。牝豹に愛されてしまった若い兵士。焼けつく砂漠のなかで恐怖とエロチシズムに満ちた一人と一匹の愛の生活がはじまった。若き兵士は、その緊張の愛に耐えられるか。
 猛獣と人間。スリリングな愛を知りたい人は是非一読を。
文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.205 ――――――― 12 ――――――――――――――
後期ゼミ ゼミ誌作成 & 家族観察・模擬裁判を目指します
 9月24日 出席者 = 石川舞花、古谷麻依、志村成美、根本留加、山野詩門、
後藤啓介、梅津瑞樹 4月以来の8名でした。
            ゼミ誌原稿提出。100%近く、創作・車内観察
            課題1.「誘拐事件容疑者調書」
10月 1日 出席者 = 石川舞花、古谷麻依、志村成美、鞆津正紀、梅津瑞樹 5名
            ゼミ誌作成会議、番組表、レイアウトなど
            サバイバルゲーム「遭難、私ならどうする」個人と集団の場合
            発表と説明。内容は次号。
            課題1.提出→石川さん
10月15日 出席者 = 石川舞花、古谷麻依、志村成美、鞆津正紀、梅津瑞樹
            後藤啓介 6名
            ゼミ誌提出原稿合評6名分 部数について
10月22日 出席者 = 石川舞花、古谷麻依、志村成美、梅津瑞樹(司会進行)4名
           ゼミ誌作成報告、広島女児誘拐事件について
           テキスト『兒を盗む話』読み
10月29日 出席者 = 石川舞花、古谷麻依、志村成美、鞆津正紀 4名
           ゼミ誌作成報告 入稿近し。新聞「人生案内」自分ならを議論
           関連でO・ヘンリーの作品を読む。
11月12日 出席者 = 石川舞花、古谷麻依、志村成美、鞆津正紀、梅津瑞樹 5名
            ゼミ誌原稿校正、紙芝居「少年王者」口演・梅津瑞樹
11月19日 出席者 = 石川舞花、鞆津正紀 2名 ゼミ誌編集・校正作業
           
・・・・・・・・・・・・・編集室便り・・・・・・・・・・・・・・
○課題原稿、メールでも可 下記アドレス
□住所〒274-0825 船橋市前原西6-1-12-816 下原方『下原ゼミ通信』編集室
  メール: TEL・FAX:047-475-1582  toshihiko@shimohara.net
掲示板
25年度のお誘い   2013の江古田校舎・文芸研究Ⅲは下原ゼミ
         写真家「熊谷元一研究」を中心に故郷・子供時代を書く
創作 → 志賀直哉の子どもの頃を描いた作品をテキストに、併せて米国作家サローヤンの『我が名はアラム』などを読み、自分の子ども時代の話を書いて発表する。
      児童虐待について考える
熊谷元一研究 → 写真家・熊谷の写真作品「一年生」を見ながら自分の一年生の頃を思い出しルポタージュする。郊外授業として熊谷の写真展を見に行き紀行文を書く。ちなみに2010年は山形県酒田市酒田美術館、2012年は秋田県角館「ぷかぷ館」乳頭温泉に一泊二日。最終目標は、長野県昼神温泉郷にある熊谷元一写真童画館の見学と研究発表。

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