文芸研究Ⅱ 下原ゼミ通信No.206

公開日: 

日本大学藝術学部文芸学科     2012年(平成24年)12月3日発行
文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.206
BUNGEIKENKYU Ⅱ SHIMOHARAZEMI TSUSHIN
                              

編集発行人 下原敏彦

                              
9/24 10/1 10/15 10/22 10/29 11/12 11/19 11/26 12/3 12/10 
1/21 1/28
  
2012年、読書と創作の旅
12・3下原ゼミ
12月3日(月)の下原ゼミは、下記の要領で行います。文ゼミ2教室から3F教室
1. 集合・文ゼミ2教室 ゼミ雑誌完成経緯報告 石川編集長
 2. 3F教室で3ゼミ合同発表会
   『灰色の月』朗読 & 紙芝居「少年王者」口演
ゼミ雑誌『正体不Show time』近日刊行 !!
 2012年度のゼミ雑誌『正体不Show time』が、近く刊行される。下原ゼミでは、前期末より石川舞花編集長指導のもとゼミ誌編集作業をすすめてきたが、先頃、新生社に入稿した。これによって、締切期日の7日には出版編集室に納入できる見通しとなった。
12・3合同発表、車内観察の名作朗読と紙芝居口演
本日の合同ゼミの下原ゼミの出し物は車内観察作品の名作『灰色の月』朗読と紙芝居「少年王者」口演を行います。当初、模擬裁判「ナイフ投げ奇術師美人妻殺害疑惑事件」(『范の犯罪』)を予定していましたが、11・26ゼミは、参加者が少なく配役、稽古ができなかった為、急きょ、変更しました。紙芝居口演は、「読むこと」の習慣化の総仕上げです。ぶっつけ本番となりますが、各自、自分の持ち味を出して口演してください。
テレビ NHK-BS「教え子たちの歳月」リクエスト採用で再放送 !!
 12月18日(火)午前9時からBSプレミアム/BSデジタル(103)
ゲストは石坂浩二さん
 NHK(プレミアムアーカイブス)は、ドキュメンタリー番組「にっぽん点描・教え子たちの歳月 ~50歳になった一年生~」の再放送を決定した。この番組は、1996年11月24日に放送されたもので、土壌館がリクエストしていて採用となった。
番組内に下原の映像も 土壌館の前身オンボロ道場でインタビューに答える


 この番組は、写真家・熊谷元一(1909-2010)が、1996年に50歳になったかつての教え子「一年生」を撮るため撮影行脚するところを映したもの。
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3ゼミ合同発表会 目標「読むこと」の習慣化の成果として
 下原ゼミでは、志賀直哉の車内観察作品をテキストに、「書くこと」「読むこと」の習慣化を目標にしてきました。成果として「書くこと」は、ゼミ雑誌の上で形として表すことができました。そして「読むこと」の成果は、本日、日本文学の名作『灰色の月』の朗読と紙芝居口演で表そう思います。
『灰色の月』は、昭和20年(1945年)10月16日夜8時頃の山手線の車内観察です。社会状況は、2カ月前の8月15日に戦争が終わったばかり。戦争に負けた国の首都の電車。上野の山は戦争孤児と餓死者であふれていた。車内の様子は、どんなだったでしょう。
灰色の月
志賀直哉
 東京駅の屋根のなくなった歩廊に立っていると、風はなかったが、冷え冷えとし、着て来た一重外套で丁度よかった。連れの二人は先に来た上野まわりに乗り、あとは一人、品川まわりを待った。
 薄曇りのした空から灰色の月が日本橋側の焼跡をぼんやり照らしていた。月は十日位か、低くそれに何故か近く見えた。八時半頃だが、人が少なく、広い歩廊が一層広く感じられた。
 遠く電車のヘッドライトが見え、暫くすると不意に近づいて来た。車内はそれ程込んでいず、私は反対側の入口近くに腰かける事が出来た。右に五十近いもんぺ姿の女がいた。左には少年工と思われる十七八歳の子供が私の方を背にし、座席の端の袖板がないので、入口の方へ真横を向いて腰かけていた。その子供の顔は入って来た時、一寸見たが、眼をつぶり、口はだらしなく開けたまま、上体を前後に大きくゆすっていた。それはゆすっているのではなく、身体が前に倒れる、それを起こす、又倒れる、それを繰返しているのだ。居眠りにしては連続的なのが不気味に感じられた。私は不自然でない程度に子供との間を空けて腰かけていた。有楽町、新橋では大分込んで来た。買出しの帰りらしい人も何人かいた。二十五六の血色のいい丸顔の若者が背負って来た特別大きなリックサックを少年工の横に置き、腰掛に着けて、それにまたぐようにして立っていた。その後ろから、これもリックサックを背負った四十位の男が人に押されながら、前の若者を覗くようにして、
「載せてもかまいませんか」と云い、返事を待たず、背中の荷を下ろしにかかった。
「待って下さい。載せられると困るものがあるんです」若者は自分の荷を庇うようにして男の方へ振り返った。
「そうですか、済みませんでした」男は一寸網棚を見上げたが、載せられそうにないので、狭い所で身体をひねり、それを又背負ってしまった。
 若者は気の毒に思ったらしく、私と少年工の間に荷を半分かけて置こうと云ったが、
「いいんですよ。そんなに重くないんですよ。邪魔になるからね。おろそうと思ったが、いいんですよ」そう云って男は軽く頭を下げた。見ていて、私は気持よく思った。一頃とは人の気持も大分変わってきたと思った。
 浜松町、それから品川に来て、降りる人もあったが、乗る人の方が多かった。少年工はその中でも依然身体を大きくゆすっていた。
「まあ、なんて面をしてやがんだ」という声がした。それを云ったのは会社員というような四、五人の一人だった。連れの皆も一緒に笑いだした。私からは少年工の顔は見えなかった
が、会社員の云いかたが可笑しかったし、少年工の顔も恐らく可笑しかったのだろう。車内
には一寸快活な空気が出来た。その時、丸顔の若者はうしろの男を顧み、指先で自分の胃の所を叩きながら、「一寸手前ですよ」と小声で云った。
男は一寸驚いた風で、黙って少年工を見ていたが、「そうですか」と云った。
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笑った仲間も少し変に思ったらしく、
「病気かな」
「酔ってるんじゃないのか」
こんなことを云っていたが、一人が、
「そうじゃないらしいよ」と云い、それで皆にも通じたらしく、急に黙ってしまった。
 地の悪い工員服の肩は破れ、裏から手拭でつぎが当ててある。後前に被った戦闘帽のひさ
しの下のよごれた細い首筋が淋しかった。少年工は身体をゆすらなくなった。そして、窓と入口の間にある一尺程の板張りにしきりに頬を擦りつけていた。その様子が如何にも子供ら
しく、ぼんやりした頭で板張りを誰かに仮想し、甘えているのだという風に思われた。
少年工は返事をしなかったが、又同じ事を云われ、
「上野へ行くんだ」と物憂さそうに答えた。
「そりゃあ、いけねぇ、あべこべに乗っちゃったよ。こりゃあ渋谷の方へ行く電車だ」
 少年工は身体を起こし、窓外を見ようとした時、重心を失い、いきなり、私に寄りかかってきた。それは不意だったが、後でどうしてそんな事をしたか、不思議に思うのだが、その時ほとんど反射的に寄りかかってきた少年工の身体を肩で突返した。これは私の気持を全く裏切った動作で、自分でも驚いたが、その寄りかかられた時の少年工の抵抗が余りに少なかった事で一層気の毒な想いをした。私の体重は今、十三貫二三百匁に減っているが、少年工のそれはそれよりもはるかに軽かった。
「東京駅でいたから、乗越して来たんだ。―― 何処から乗ったんだ」私はうしろから訊いて見た。少年工はむこうを向いたまま、
「渋谷から乗った」と云った。誰か、
「渋谷からじゃ一回りしちゃったよ」と云う者があった。
少年工は硝子に額をつけ、窓外を見ようとしたが、直ぐやめて、漸く聞きとれる低い声で、
「どうでも、かまはねえや」と云った。
少年工のこのひとり言は後まで私の心に残った。
 近くの乗客たちも、もう少年工の事には触れなかった。どうすることも出来ないと思うのだろう。私もその一人で、どうすることも出来ない気持だった。弁当でも持っていれば自身の気休めにやることも出来るが、金をやったところで、昼間でも駄目かも知れず、まして夜九時では食い物など得るあてはなかった。暗澹たる気持のまま渋谷駅で電車を降りた。
 昭和二十年十月十六日の事である。
                   (『志賀直哉全集』を現代読みに・編集室)
 これで朗読は、終わります。短い作品ですが、多くのことが感じられます。
車内に飢えて死にそうな少年がいても、乗客の大人たちはなにもできない。戦争に負けたことで、大人たちは、それほどに気力を無くしていたのです。最後の「あんたんたる気持ち」によく表れています。暗い悲しい時代です。
だが、そんな大人に比べ子どもたちは元気でした。なぜ、子どもたちは元気だったのか ?山川惣治の絵本『少年王者』を見ていたからです。アフリカで活躍する日本人少年の冒険物語は、暗く貧しい時代を生きる子どもたちの大きな希望となったのです。
あれから65年、この平成の時代も、まさに『灰色の月』の時代のようです。経済不況で日本人は、すっかり自信をなくしています。就職難で若者も元気がありません。
そこで本日は、いまの日本に夢と希望を持ってもらうため、60数年前、大ベストセラーとなった『少年王者』の紙芝居を口演します「読むこと」の習慣化の成果でもあります。
絵本を拡大コピーして作りました。日本で唯一の紙芝居です。NHKハイビジョンに貸したこともあります。長い長い日本人少年の冒険物語、ごゆっくりお楽しみください。
紙芝居『少年王者』「生い立ち編」口演
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後期ゼミ ゼミ誌作成 & 家族観察・模擬裁判を目指します
 9月24日 出席者 = 石川舞花、古谷麻依、志村成美、根本留加、山野詩門、
後藤啓介、梅津瑞樹 4月以来の8名でした。
            ゼミ誌原稿提出。100%近く、創作・車内観察
            課題1.「誘拐事件容疑者調書」
10月 1日 出席者 = 石川舞花、古谷麻依、志村成美、鞆津正紀、梅津瑞樹 5名
            ゼミ誌作成会議、番組表、レイアウトなど
            サバイバルゲーム「遭難、私ならどうする」個人と集団の場合
            発表と説明。内容は次号。
            課題1.提出→石川さん
10月15日 出席者 = 石川舞花、古谷麻依、志村成美、鞆津正紀、梅津瑞樹
            後藤啓介 6名
            ゼミ誌提出原稿合評6名分 部数について
10月22日 出席者 = 石川舞花、古谷麻依、志村成美、梅津瑞樹(司会進行)4名
           ゼミ誌作成報告、広島女児誘拐事件について
           テキスト『兒を盗む話』読み
10月29日 出席者 = 石川舞花、古谷麻依、志村成美、鞆津正紀 4名
           ゼミ誌作成報告 入稿近し。新聞「人生案内」自分ならを議論
           関連でO・ヘンリーの作品を読む。
11月12日 出席者 = 古谷麻依、志村成美、鞆津正紀、梅津瑞樹 4名
            ゼミ誌原稿校正、紙芝居「少年王者」口演・梅津瑞樹
11月19日 出席者 = 石川舞花、鞆津正紀 2名 ゼミ誌編集・校正作業
11月26日 出席者 = 石川舞花 紙芝居の材料確認、欠席者待ちと連絡
           
・・・・・・・・・・・・・編集室便り・・・・・・・・・・・・・・
○課題原稿、メールでも可 下記アドレス
□住所〒274-0825 船橋市前原西6-1-12-816 下原方『下原ゼミ通信』編集室
  メール: TEL・FAX:047-475-1582  toshihiko@shimohara.net
掲示板
25年度のお誘い   2013の江古田校舎・文芸研究Ⅲは下原ゼミ
         写真家「熊谷元一研究」を中心に故郷・子供時代を書く
創作 → 志賀直哉と下原の子ども時代を書いたものをテキストに、併せて米国作家サローヤンの『我が名はアラム』などを読み、自分の子ども時代の話を書いて発表する。
     ジュール・ルナールの『にんじん』をテキストに児童虐待について考える。
熊谷元一研究 → 写真家・熊谷の写真作品「一年生」を見ながら自分の一年生の頃を思い出しルポタージュする。郊外授業として熊谷の写真展を見に行き紀行文を書く。ちなみに2010年は山形県酒田市酒田美術館、2012年は秋田県角館「ぷかぷ館」花巻温泉、乳頭温泉に二泊三日した。最終目標は、長野県昼神温泉郷にある熊谷元一写真童画館の見学と研究発表。

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