文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.27

公開日: 

日本大学芸術学部文芸学科     2005年(平成17年)5月 9日発行
文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.27
BUNGEIKENKYU Ⅱ SHIMOHARAZEMI TSUSHIN
 ホームページ http://www.shimoharanet 編集発行人 下原敏彦
                              
2005前期4/18 4/25 5/9 5/16 5/23 5/30 6/6 6/13 6/20
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2005年、読書と創作の旅
5・9下原ゼミ
「読書と創作の旅」2日目の下原ゼミは、下記の要領で行います。(文ゼミ1)

 1. 登録者確認・前回決まった事務事項&ゼミ報告
   ・点呼   ・進行係り   ・ゼミ委員紹介  ・前回ゼミ  
2. テキスト感想発表(報告者)
3. 質疑応答(他者と自分の見方)
4. テキスト分析(草稿と現行)
テキストはいわば原石のようなもの。繰り返し読むことが研磨すること。
<草稿>
ゼミ参加者は読む側でなくて、あくまでも書く側の立場でみる。完成された作品の書き始めはどんなだったか。それを知ることも重要。
<現行>
草稿を読んだ後、現行と比べて、どこが削除され、どこがどう整理されたのかをみる。
  
5. 車内観察・次回ゼミについて
 
 


目 次
□車中雑記「ある4コママンガ物語に寄せて」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 2
□4・25ゼミ報告・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 3,4
□テキスト分析・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・5
□車中の人々 手本、志賀直哉『夫婦』・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・  6
□ゼミ誌刊行計画・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 7
□掲示板(提出現行、お知らせ、他)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 8
文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.27 ―――――――― 2 ――――――――――――――――
 
車中雑記    『自虐の詩』に寄せて
                       ――――――――――――――――
先日、電車内であるマンガを読みきった。『自虐の詩』という4コマの長編マンガである。文芸学科の清水正教授から「一度、読んでみてください」とすすめられていた。教授は、マンガ論を講義していていろんなマンガ作品をテキストにしているが、ことのほかこの作品には思い入れがあるようだ。「ぜひ最後まで読みきってください」と、念を押された。で、総武線、丸の内線、西武池袋線と乗り継いで読み終わった。ラストに何かわかるのか。途中、何度も疑念がわいた。が、読了して、教授が、熱心に最後のコマまで読むようにすすめた意味がわかった。最後まで読んで、はじめて全体像が理解できた。ある種の郷愁と感動があった。作品は大半が、題名のように暗く辛い小話。にもかかわらず、読後はジンとくる清涼感さえあるのだ。作者は業田良家。団塊の世代だろうか。内容から勝手にそう思った。
物語は、『自虐の詩』という題名通り悲惨である。前半は、ギャンブル好きの無職の男を食堂で働きながら支える健気な女。短気な男は、気に入らなければすぐにちゃぶ台をひっくり返す。女は、ひたすら耐えて男につくす。この4コマシーンが延々とつづく。当然、この男女の周りの人たちは、女に別れることをすすめる。女が働く食堂の主人は、彼女に惚れていて結婚を申し込む。だが、女は徹頭徹尾男に従順なのだ。どんなに金をせびられても、ちゃぶ台をひっくり返されても、男の世話に明け暮れる。盲目かつ隷属的に男に尽くす。なぜ女は、このダメ男と別れないのか。横恋慕する食堂の主人と一緒にならないのか。女の自虐さ加減に腹がたってくる。映画『道』を彷彿した。が、これは共依存という嗜癖・依存症の話ではないか、と推測したりもした。娘は父親と似た男を選ぶ、の論理がある。女の父親は、男よりもっとひどい。ギャンブル、女、最後には銀行強盗までやらかすハチャメチヤ人間。結末はどうなるだろう。昨今、よく聞くニュースのように心中か、どちらかの殺人。少々うんざりしてきた。作者は、そんな読者の心理を見透かすように後半は、女の生い立ちを描いていく。母親は、とっくに逃げ出していない家でダメ父親と暮らす日々。借金取りの対応、造花内職、新聞配達、と娘は懸命に家計を支える。加えて、学校でのイジメと友情、初恋。たった一人の親友への裏切りと感動の和解。そして別れ。不幸な環境のなかで居場所を探し必死に生きる少女の姿が4コマの中によく描かれている。
物語は、集団就職で上京してから男との出会いに展開する。男はやくざだった。おしぼり配達にもイタリヤ製の背広にバレンチーノのコートで決めて行く洒落者。女は、離婚して街頭で春を売る女に身をやつしていた。肩で風切る極道が、娼婦と一緒になる、ありふれた話。だが、終盤の何コマが、平凡な想像を覆す。その瞬間、この物語は『自虐の詩』ではなく切れぬ絆で結ばれた『純愛の詩』だと知る。落ちるところまで落ちた女。あのリーザ(『地下室の手記』の娼婦)のように最後にはセンナヤ広場の穴倉まで行き着くしかない運命だった。男はやくざ家業の傍ら女を金づるにしてもよかった。それがこの世界の常道。しかし、男は、全てを捨てた。仲間に「アホか」と呆れられた。踏み越えた人間が元に戻るのは難しい。が、男は踏み越えた。だれも見向きもしない立ちんぼのシャブ中毒の娼婦ために。命をかけて。そのことを女は知っている。(『人生劇場』の侠客と娼婦を思い出す)
女は、かって親友を裏切った。そして、その親友に救われた。女には、人間の本質が見える。妊娠した女と、家族で上京した親友との20年ぶりの再会は、ほほえましくも胸打つ。
もう昔の話だが、同じアパートに、やくざ者とその妻らしき女が住んでいた。四六時中大喧嘩をしていた。と、いっても男が怒鳴っているばかりであったが。道の真ん中に堂々と車を止めておいたので、よくクラックションを鳴らされた。そのたび男は上半身裸でゆっくりと出ていって移動させた。背中に彫られた観音様が、相手を貝にさせた。当然、アパートの住人からは、恐れられていた。あるとき車のトランクから何か出して持ってきた。カニをもらったのでお裾分けするというのだ。何年か後、駅でパッタリ会った。女との間に小さな子どもがいた。「息子です」と、男はうれしそうに紹介した。
この長編マンガに、ふとあのやくざ夫婦のことを思い出した。(編集室)
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4・25下原ゼミ報告
 
 4月25日(月曜日)の下原ゼミは、次の通りでした。
参加者は下記の皆さんでした。 (順不動・敬称略)
はた   まりん    はやし  えみ     つだ   ゆうや    おがわら   ゆうへい
畑  茉林   林  絵美   津田 優也   小河原  祐平
ひらいわ さとし    せき   ひでき     おおしま なおふみ   なかむら けんと
平岩 理史   関  英樹   大島 直文   中村 健人
はやし  まさと    やまかわ こうたろう  なかや  えり
林  正人   山川 光太朗  中谷 英里 
11名の参加者、幸先のよい旅立ち
 
出席者は何人だろうか。所沢に向かう、電車の中で按じた心配も、ゼミがはじまると雲散霧消した。12名の登録者中、11名の出席者があった。まずは幸先のよい旅立ちといえる。
※欠席者の1名が気になった。4月18日の初回ゼミの帰り、バスの中でガイダンス参加者の一人と一緒だった。同じ街に住んでいることがわかり、通学方法やテキストについて話した。航空公園駅に着くと「受講しますから、お願いします」と、元気に去っていった。その彼の顔がなかった。欠席者は、彼だろうか・・・・。
事務事項決め順調に
 
 はじめに担当者決めが行われた。司会進行係り、ゼミ誌編集委員は、バス旅行なら添乗員
に運転手といった重要な役目。逡巡されるのでは、と心配した。が、速やかに選出された。
お願いすることになったのは、次の皆さんです。
○ 司会進行係は、中村健人さん
 ○ ゼミ誌編集委員は、中谷英里さん、中村健人さん
ありがとうございました。よろしくお願いします。
参加者自己紹介
 最初に11名の参加者全員の自己紹介があった。「テーマや目標にひかれて」「創作が好きだから」「志賀直哉は好きな作家だから」「ドストエフスキーに興味あるから」などいろいろな動機、PRがあった。授業外では、演劇、コーヒー研究、マジック、野球などサークル活動をしている人が多く、楽しいゼミになる予感がした。
一蓮托生と自他共栄で
 昨年、同じゼミにいた人が何人かいた。が、はじめて知り合う人も。さまざまな理由と希望で集まった12名。一蓮托生の気持ちと自他共栄の精神で旅することを期待したい。
文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.27―――――――――4―――――――――――――――――
2005年、読書と創作の旅・記録
4月25日 テキストを配布、見学したあと印象を聞く。他に愛読書のアンケート用紙、車中観察、テキスト感想要請の原稿用紙配る。
1日目はテキスト配布・見学・印象
テキスト → 配布『網走まで』志賀直哉全集 岩波書店
見学 → 朗読(11名全員で分担)
印象 → 感想をコメント(11名全員) 
■ テキスト配布『網走まで』解説
作家は、この作品を書いたきっかけを後の「創作余談」において、このように回想している。「或時東北線を一人で帰って来る列車の中で前に乗り合していた女とその子等から勝手に想像して書いたものである」。まさに、観察と想像力で書いた作品である。現在の形になるまで、少なくても3回、書き直している。なお、『網走まで』、『菜の花と小娘』、『或る朝』は、志賀直哉の三つの処女作といわれている。
この作品をどう読むか、で、作家志賀直哉とその作品の理解度が大きく違ってくる。志賀直哉は、なぜ「小説の神様」と呼ばれているのか。大袈裟に言えば、その根源が、この作品に潜んでいる。とすれば、この作品を理解できないと志賀直哉がわからない、ということになる。もっと厳しく言えば創作というものがわからないということになってくる。はなはだ独善的考察だが、それほどに、この作品は重要ということ。
 ちなみに、この作品は、1908年(明治41年8月14日)作家25歳のときに書き、帝國大学で出版していた『帝國文学』に投稿する。が、没となる。このことについて作家は、「原稿の字がきたないためであったかも知れない」と謙虚だが、俄かには信じがたい。もし字のきれいきたないで採否を決められたら、採用されるのは書家か清書屋の額縁作品ばかりで、とても文学作品は生まれない。それに作家は悪筆家が多かった、という話である。
このテキストはなぜ、採用されなかったのか。その理由として、何点か挙げてみた。
1. 編集者・採用者に目がなかった、文学的素養がなかった。
2. 志賀直哉が思うように字がきたなかったから。
3. 網走という地名に不自然さを感じるから。
4. 真実ではないから。(この時代、網走まで鉄道は開通していなかったようだ)
 さて、没になった作品はその後どうなったか。1910年(明治43年4月)『白樺』の創刊号に発表される。同雑誌への掲載者は、武者小路実篤、里見 有島武郎ら。
テキストetc・・・・
草稿で「北海道に移住しようとしているらしい
田舎出の夫婦の出てくる部分は『白樺』初出の際
全面的に削除された。
 乗り合わせた「女の人」への関心、親しみ、同情
は、草稿のほうが、はるかに強く、あらわに主観を
押し出して書き込まれている。それをかなり押えた
かたちが『白樺』初出のものであり、さらに簡潔に
すっきりと仕たてあげ、余韻をもたせてあるのが現行
の『網走まで』である。
 この三種の『網走まで』を読むことで明白となる。
  (全集1「後記」)
―――――――――――――――――― 5―――――――文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.27
2005年、読書と創作の旅・記録
■テキスト見学・『網走まで』朗読
 参加者11名の中で、既にこの作品を読んでいた人は1名でした。(読んでいた人は宇都宮から通学しているので興味を持ったとのことでした)。
見学は、本来なら先に黙読をしてからの朗読がベストですが、時間のこともあり、朗読から入ってもらいました。(中村さんの司会進行で全員に)
配布コピーが全集からだったため、旧仮名づかい、旧漢字が多かった。が、無事見学終了。
 
■テキスト印象・最初の感想
 はじめて読んだ人が多く。また、なんという話もない短編なので感想は少なかった。が、参加者からは様々な次のようなコメントが寄せられた。
・頼まれた葉書を「読んでみたい気持ちになった」
・「北海道出身なので網走という地名に親近感があった」「観察がするどいので情景が浮かぶ」
・作者の自分と「同じ心境になった」
・「もう一回読んでみたいとおもった」この「男と女にどんな意味が・・・」
・「今の時代と違いを感じた」
・「通っているのが宇都宮からなので、親しみがある」
・「想像で書いたのがすごい」
・「網走というところから、可哀そうにおもえた」
・「もう一度、読んでみたい向きもちになった」
・この作品が「創作と知っておどろいた」
・「赤の他人のことがよく描けている」
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
テキスト分析
 この作品には、いろいろな謎が潜んでいます。自分は、どう読み解くか。
1、題名について → なぜ『網走』か 「札幌」「函館」「稚内」ではダメか。
2、女の人について → 彼女の目的は何か。
なぜ荷物が少ないのか。
彼女の生い立ちは・・・。
3.「この母は今の夫に、いじめられつくして死ぬか。もし生き残ったにしてもこの子にいつか殺されずにはいまい―」とは
4. 葉書は誰に、なんと書いてあったのか。物語は始まるのか、終わるのか。
網走について 網走は元々は魚場として開拓民が住み着いた。明治政府は、佐賀の乱や西南の役などの内紛に加え荒れた世相で犯罪人が激増したことから、またロシアの南下対策として彼らを北海道に送ることにした。明治12年伊藤博文は「北海道は未開で、しかも広大なところだから、重罪犯をここに島流しにしてその労力を拓殖のために大いに利用する。刑期を終えた者はここにそのまま永住させればいい」として、この計画をすすめた。明治12年に最初の囚人が送られた。以後14、17年とつづき、網走には明治23年に前身の「網走囚徒外役所」ができ1300人の囚人が収容された。囚人は、札幌―旭川―網走を結ぶ道路建設にあたる。これにより刑務所の印象が強くなる。
 この作品が書かれた時代、明治43年頃、網走に行くには鉄路を札幌→帯広→池田→北見まで乗り継ぎ、後は囚人道路を徒歩で行くことになる。二人の子供連れの母親が向かうには酷な目的地である。
 ちなみに作者がはじめて北海道に行ったのは昭和26年(1951年)、作品から実に41年後、68歳のときである。なぜか網走には行かなかった。1971年没
文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.27―――――――――6―――――――――――――――――
車中の人々
テキスト紹介 『夫婦』は車中での作者のするどい観察眼がよくあらわれた小作品である。夫婦でしかありえない行為と機微を見事にとらえている。乗客観察のお手本。
         夫 婦         志賀直哉
 函南(かんなみ)の病院に療養中の一番上の娘を見舞った帰り、一ヶ月ぶりで熱海に寄り、廣津君の留守宅を訪ねた。前夜、家内が電話でそれを廣津夫人に通じてあったので、門川(もんがわ)の米山夫人が来て待っていた。しばらくして稲村の田林夫人も来た。いずれも廣津夫人と共に家内の親友で、私にとってはバ(婆)-ルフレンドである。久しぶりでゆっくり話し、8時30何分かの電車で帰る。
 家内は疲れて、前の腰かけでうつらうつらしていた。電車が10時頃横浜にとまった時、派手なアロハを着た25,6の米国人がよく肥った金髪の細君と一緒に乗り込んで来て、私のところから斜向うの席に並んで腰かけた。男の方は眠った2つ位の女の子を横抱きにしていた。両の眼と眉のせまった、受け口の男は口をモグモグさせている。チューインガムを噛んでいるのだ。細君が男に何か云うと、男は頷いて、横抱きにしていた女の子を起こすように抱き変え、その小さな口に指さきを入れ、何かをとろうとした。女の子は眼をつぶったまま、口を一層かたく閉じ、首を振って、指を口に入れさせなかった。今度は細君が同じことをしたが、娘は顔をしかめ、口を開かずに泣くような声を出した。小娘はチューインガムを口に入れたまま眠ってしまったのである。二人はそれからも、かわるがわるとろうとし、仕舞いに細君がようやく小さなチューインガムを摘まみ出すことに成功した。細君は指先の小さなガムの始末にちょっと迷っていたが、黙って男の口へ指をもってゆくと、それを押し込んでしまった。男はよく眠っている小娘をまた横抱きにし、受け口で、前からのガムと一緒にモグモグ、いつまでも噛んでいた。
 私はうちへ帰ってから、家内にこの話をし、10何年か前に同じようなことが自分たちのあいだにあったことを言ったら、家内は完全にそれを忘れていた。家内のは忘れたのではなく、初めからそのことに気がつかずにいたのである。
 その頃、世田谷新町に住んでいて、私と家内と二番目の娘と三人で誰かを訪問するときだった。ちょうど、ひどい降りで、うちから電車まで10分余りの路を濡れて行かねばならず、家内は悪い足袋を穿いて行き、渋谷で穿きかへ、タクシーで行くことにしていた。
 玉電の改札口を出ると、家内は早速、足袋を穿きかえた。其のへんはいつも込合う所で、その中で、ふらつく身体を娘に支えてもらって、穿きかえるので、家内の気持ちは甚だしく忙(せわ)しくなっていた。恐らくそのためだろう、脱いだ足袋を丸めて手に持ち、歩き出したが、私の背後(うしろ)にまわると、黙って私の外套のポケットにその濡れた足袋を押込んだ。(初出は「そのきたない足袋を」)
 日頃、亭主関白で威張っているつもりの私にはこれはまことに意外なことだった。呆れて、私は娘と顔を見合わせたが、家内はそんなことには全然気がつかず、何を急ぐのか、今度は先に立ってハチ公の広場へ出るコンクリートの階段を降りてゆく。私は何となく面白く感じた。ふと夫婦というものを見たような気がしたのである。
(全集第四巻から転載。かな遣い、字体一部修訂)
この作品は、昭和30年(1955年)7月7日「朝日新聞」学芸欄に掲載されたもの。
※熱海の帰りというから東海道線だろうか。横浜から乗り合わせた若い外国人夫婦と子ども。米国人とみたのは、当時の日本の事情からか。昭和28年、自衛隊発足で日本はようやく独立国の体裁を整えたが、内実はまだ米国の占領下であったと想像する。恐らく、兵士の家族か。車内で娘と父親がクチャクチャガムを噛む。当時の日本人はどう思ったのだろう。が、子どもに対する愛情や夫婦の機微は、どこの国の人間も同じ。作家の観察眼は、瞬間に衝撃写真を激写するレンズのように人間の本質をとらえ描いた。
―――――――――――――――――― 7―――――――文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.27
☆ゼミ雑誌の作成手順
ゼミ雑誌作成は、以下の計画手順で進めてください。
1. ゼミ雑誌編集委員2名。中村健人さん、中谷英里さん
2. 6月上旬にゼミ雑誌作成ガイダンス 編集委員は必ず出席してください。
※ この席で申請書類が配布されます。かならず受け取って期限までに提出してください。(出版編集室へ提出)
3. 編集委員を中心に、ゼミで話し合いながら雑誌の装丁を決めてください。
※6月 ~  7月のあいだに
4. 9月26日(月)ゼミ誌原稿締め切り。編集委員は原稿を集めてください。
  ※提出が遅れると、掲載できない場合もあります。
5. 印刷会社をきめ、希望の装丁やレイアウトなどを(印刷会社と)相談しながら編集作業をすすめてください。
6. 印刷会社から見積もり料金を算出してもらってください。
※10月中旬までに
7. 10月末日までに「見積書」をかならず出版編集室に提出してください。
  ※予算内に収まらないとゼミ員の自己負担となるので、注意してください。
8. 11月中旬までに印刷会社に入稿してください。
9. ゼミ雑誌が刊行されたら出版編集室に見本誌を提出する。
10. 印刷会社からの「請求書」を出版編集室に提出する。
ゼミ誌予算  →  250000円 オーバーしないように注意!
発行部数   →  最大250部以下
印刷会社について → 過去に依頼したことのある主な印刷会社の連絡先は、文芸学科スタッフまで問い合わせてください。
           それ以外の印刷会社を利用したい場合は、かならず事前に学科スタッフに相談すること。
☆郊外授業(ゼミ・キャンプ)について(希望があればの場合のみ)
■ 利用日 : 週末か長期休暇中(夏休み中)
■ 日数 : 1泊2日
■ 施設 : 日本大学の施設。
■ 実施の1ヶ月前までに提出。出版編集室へ。
下原ゼミの理念「人類全体の幸福に繋がりのある仕事」(『暗夜行路』から)
文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.27―――――――――8―――――――――――――――――
掲示板
提出原稿について
 現在までの提出原稿は下記のものです。溜まらないうちに提出してください。
① 愛読書アンケート 
② テキスト(『網走まで』)感想
③ 車内観察
           
原稿募集!! 新たに原稿を募集します。創作(エッセイ、戯曲可)
テーマは『車中の人々』です。
電車内、バス内、新幹線内、飛行機内、船内などで偶然乗り合わせた乗客をヒントに、あるいは全くの想像から書いてください。
一日を記憶する 創作日記のすすめ
何も書けなくなったら一日の生活を書いてみてください。
次回ゼミについて
5月16日 5時限目 ゼミ1教室
・感想&創作発表  ・合評  ・テキスト分析(テキスト読み) 
お知らせ
ドストエーフスキイ全作品を読む会・第209回読書会
・6月11日 土曜日 午後2:00~5:00 作品『夏象冬記』報告者・金村繁氏
・東京芸術劇場小会議室1 会場費1000円(学生半額)
ドストエーフスキイの会第第169回例会
・ 6月11日 土曜日 午後6:00~9:00 報告者・近藤大介氏
・ 千駄ヶ谷区民会館 会場費500円
ドストエーフスキイ全作品を読む会・第210回読書会暑気払い大会
・8月13日 土曜日 午前10:00~12:00 作品『未定』
・東京芸術劇場小会議室7
ドストエーフスキイの会第170回例会『広場』合評会
・8月13日 土曜日 午後1:30~5:00 小会議室7     以上詳細は下原まで
編集室便り
☆提出原稿は直接か下記の郵便住所かメール先に送ってください。
「下原ゼミ通信」編集室の住所〒274-0825 船橋市前原西6-1-12-816 下原方
  メール:toshihiko@shimohara.net TEL・FAX:047-475-1582 
志賀直哉情報
2005年3月15日 火曜日 読売新聞(夕刊)
志賀直哉情報
              2003年11月22日(土曜日)図書新聞
日本大学芸術学部文芸学科・文芸研究Ⅱ下原ゼミ原稿用紙 「下原ゼミ通信」
「2005年、読書と創作の旅」 テーマ「車中の人々」(創作&エッセイ)       
乗客をヒントに書いてください。
タイトル
『                 』
   名前
                      ―――――――――――――
日本大学芸術学部文芸学科・文芸研究Ⅱ下原ゼミ原稿用紙   「下原ゼミ通信」 
「2005年、読書と創作の旅」
テーマ『網走まで』の感想    名前
                    ―――――――――――――――
土壌館創作道場・下原ゼミ原稿用紙
テーマ「普通の一日を記憶する」     名前

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