文芸研究Ⅱ 下原ゼミ通信No.211

公開日: 

日本大学藝術学部文芸学科     2013年(平成25年)4月15日発行
文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.211
BUNGEIKENKYU Ⅱ SHIMOHARAZEMI TSUSHIN
                             編集発行人 下原敏彦
                              
4/15 4/22 5/13 5/20 5/27 6/3 6/10 6/17 6/24 7/1 7/8 7/22
  
2013年、読書と創作の旅への誘い
4・15下原ゼミ
 2013年文芸研究Ⅱを目指す皆さん
貴重な一年間
みなさん、こんにちは ! いよいよ新学期がはじまりました。所沢校舎での授業はこの一年で最後になります。加えて2年生という学年は、大学生活のなかで一番に安定した学年です。故に、皆さんにとってこの2013年は貴重な一年間といえます。悔いのない、実りある学生生活を目指してスタートしてください。
目標への一歩は、ゼミ選びにあり !!
悔いのない、実りある学生生活とは何か。それはしっかりした目標を立て、その目標に向かって歩き出すことです。
しかし、大学で自分は、何を学びたいのか。いまだ定まっていない人。既に決まっている人。さまざまと思います。各ゼミには、それぞれ特徴があります。説明をよく聞いて自分にあったゼミを選んでください。目標への一歩は、ゼミ選びにありです。
「2013年、読書と創作の旅」について
下原ゼミは毎年「――年、読書と創作の旅」と銘打ってゼミをすすめています。旅の目的 は、人間とは何かを探ることです。題名は、映画「2001年宇宙の旅」からとりました。
この世には、さまざまな謎があります。が、最大の謎は、なんといっても人間です。人間がいなければ、世界も宇宙もありません。人間が思い考えるから、森羅万象はあるのです。さすれば、この万物を意識し記録する人間とは何か。
映画は、その謎に挑んだ話です。人間は、どこから来て、どこに行くのか。ボーマン船長は、謎を解いたのか。リヒャルト・シュトラウス作曲の「ツァラトストラかく語りき」の音楽に乗って、宇宙空間を彷徨うように流れていく。が、その退屈さに多くの観客は、夢のなかに引き込まれる。目覚めたときは銀幕が下りている。結局、何もわからない。もっとも、しっかり見ていた人もわからない。謎は、永遠のテーマ。それを知ることが解決の糸口か。下原ゼミは、観察と創作でそれを追究する。


※「2001年宇宙の旅」。SF作家アーサー・クラークの『前哨』を映画監督スタンリー・キューブリックが脚本、作家と映画監督協力で1968年2月完成。4月に米国、日本で公開。
上映時間2時間19分 このあいだ会話は僅か40分足らず。「あれの哲学的な意味や象徴的な意味は、観客が自由に考えればよい」キューブリック監督。
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講師紹介
「人間とは何か」を探る。その目的達成のために下原ゼミでは、どのように授業をすすめていくか。シラバスにも載せてありますが、今一度説明したいと思います。
が、その前に、このゼミの講師は、どんな人間か。まずは、それからはじめたいと思います。人間観察は、履歴をみることが重要。その人を知る早道です。
ということで私の略歴と社会での出来ごとを記してみました。以下のようです。
私は、下原敏彦(しもはらとしひこ)といいます。
■ 1947年 昭和22年に生まれた。66歳です。
この年の一番大きな出来事。 5月3日に日本国憲法が施行されたこと。現政権では改憲を目標にしている。改憲者は、「第九条の戦争の放棄」が気になっている。
生地 長野県伊那谷にある山村 南アルプスと中央アルプスの間が伊那谷。生まれは南端。現在、温泉の観光地「昼神温泉郷」
世界で2番目に長い(8㌔)中央高速道恵那山トンネルがある。
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子どものころは、どんな生活をしていたか
  子ども時代は、家が農家だから野良仕事の手伝い。主にカイコの世話。  
    子ども時代の遊び、きのこ狩り  蜂の巣探し  
子ども時代を観察して創作したものに『伊那谷少年記』『やまなみ山脈』がある。
    
ちなみに
『伊那谷少年記』は短編集(伊那谷童話賞)。『山脈はるかに』(第8回椋鳩十記念)は中編小説。『伊那谷』のなかの「ひがんさの山」四谷大塚模擬試験問題。
「コロスケのいた森」は、20年大阪府公立高校入試国語問題に出題。19年埼玉県立高校入試国語問題として出題。
子ども時代の思い出は、後で役に立つので記憶していることは書いておくことをすすめる。
1.手紙
2.写真など
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子ども時代の思い出として、形に残されているものとして、以下の写真集がある。
岩波写真文庫『一年生』
1953年(昭和28年)に長野県の山村に入学した一年生を担任になった写真家・熊谷元一が1年間、学校での子どもの様子を撮った。下原は、そのときの一年生。
この『一年生』は、1955年に土門拳ら著名な写真家たちを押え第一回毎日写真賞受賞。写真界の金字塔。「近くて懐かしい昭和展」に展示されている。
 このなかの、コッペパンを食べる少年は、写真日本一になった。目にした人もいると思うが展覧会のたびに、ポスターとして書店やマスメディアで宣伝されている。
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岩波写真文庫『一年生』には、多くの愛読者がいる
2007年に復刻版がでた際、作家の赤瀬川原平さんは、『一年生』を赤瀬川原平セレクションとしてとりあげ「選者からのメッセージ」を寄せた。
 現在、日芸講師で読売新聞の編集委員を勤める芥川喜好さんも愛読者だった。が、最近まで下原が被写体だと知らなかった。
昨年暮れ12月18日、NHKBSで再放送されたアーカイブスの「教え子たちの歳月」を話題にした際、写真で知っている記憶の少年が下原とわかって驚かれた。
そのときのことを2013年3月23日読売新聞朝刊の「時の余白」欄に書かれた。
以下の写真は、芥川さんが記憶にあった写真。
上、数を計算する下原
士、校長先生の話にあきてきた子どもたち
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けんか、熊谷は、とめることなく、まず写真に撮った。
次頁は、日芸講師・芥川さん読売編集委員が、下原を取材して書かれた記事です。
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人との繋がの不思議を思います。この記事が関係するかどうかは知りませんが、岩波書店は、今年6月下旬、銀座・教文館ホールにて岩波写真文庫の展覧会を開催を計画。その際、『一年生』を重版し販売予定と連絡あり。
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43年後、担任の熊谷は、50歳になった「一年生」を写真に撮るために全国へ写真行脚の旅にでた。NHKテレビはそのあとを追ってドキュメンタリー番組を作った。1996年11月24日放映された。
あの「一年生」は、どんな大人になっていたか。以下の写真集にまとめた。編纂・熊谷元一と下原&28会
下原と熊谷元一
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日本大学時代
■ 1965年 昭和40年 東京にでてくる。前年、第18回オリンピック東京大会。
日本大学農獣医学部に入学。現在、生物自然科学部国際地域開発学科。1年生のときは神奈川県藤沢でした。当時、平和部隊。現在、海外技術協力隊が目標だった。大学で学んだのは主に農業実習。このころソ連のコルホーズ、ソホーズを真似た共同体が流行っていた。大学では、柔道部に入部。
東京、現在の北京並みスモッグ。ソ連、人類初の宇宙遊泳。
1966年 昭和41年 竹橋にある新聞社に住み込み新聞発送のバイト。臨時社員
 1967年 昭和42年
■ 1968年 昭和43年 日大闘争起きる。発端は、1月26日の新聞記事。有名教授が裏口入学に関わっていたというニュース。着服金額3千万円。4月14日に東京国税局発表、日大には使途不明金が34億円ある。もっとある。だが、日大生は騒がない、が世間の見方。そのこととマンモス化で日大生は蔑視されていた。
 
が、ついに日大生立つ !!
(『反逆のバリケード 日大闘争の記録 』より)
▽1968年(昭和43年)5月7日、文理学部から各学部の学生に奮起を促す極秘文書が発行された。
▽10万全日大生に告ぐ ! 我々は何をなすべきか・・・
このときの檄文
34億円使途不明金問題
行動スル時がキタ ! スベテの困難ヲ乗リ越エテ立チ上ガレ
燃える怒りの火を消すな
1968年6月30日号「朝日ジャーナル」に、OB著名人が支援の声明文を寄せた。
 池田みち子  伊藤逸平  宇野重吉  佐古純一郎  沙羅双樹  当間嗣光  
 中桐雅夫   埴谷雄高  後藤和子
日大闘争を取材仲の雑誌記者・柳田邦夫は、闘争取材の最中、感動手記を書いた。
 9月10日、嵐の先ぶれで、本降りになりはじめた神田三崎町の経済学部付近で、私はこの一文を書いている。
たった今、三つの文章を読んだばかりである。雨にうたれて半ば破れかかった「壁新聞」ではあったが、それぞれに胸を衝く文章であった。
ひとつは詩である。それは「勝利のうた」と題される。
■1968年夏 フランス定期貨客船「ラオス号」1万3千㌧に乗船。
 独裁王制社会主義国家カンボジアの首都プノンペンで、日大蜂起のニュースを聞く。
 
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顕義(あきよし)伝
 最後になりますが、皆さんの学舎であり、目標に向かって育つ土壌でもある母校、日本大学の誕生について簡単に紹介します。
 一昨年の、NHK大河ドラマは「龍馬伝」でした。(訳者でもったようなドラマでしたが)毎回、騒々しかったのはまさに幕末青春グラフティーか。
このドラマに登場はしなかったが、同じ時代を彼らとともに幕末維新を熱く駆け抜けた、一人の柳生新陰流の剣士がいた。49年の短い生涯の略歴でした。
 彼は、司馬遼太郎の『竜馬がゆく』でも、ときどき「塾生の」何々という程度にしか登場しなかった。端役の端役。たとえば、彼は「維新のみなもとは、じつにこのときからはじまる」と書いたように・・・とかです。しかし、幕末の混乱、維新の混迷をみたとき、彼の隠れた活躍がなければ近代日本の基礎は築けなかった、そう云っても過言ではありません。
 この人物、山田顕義(幼名・市之允いちのじょう)は、幕末・維新・明治という嵐の時代をどのように生き、近代国家に生まれ変わる日本の国政で、どのような役割りをはたしたか。
 その人物が、どんな人間かを知るには、履歴が第一である。伝記などは筆者の思い込みが入るため偏りや独善的である。と、いうことで以下、略歴の抜粋である。
(HP・山田顕義、古川薫著『剣と法典』文藝春秋から)
1844年 山田市之允(やまだいちのじょう)長州藩(山口県萩市)に生まれる。
1853年 6月ペリー来航
1854年 1月ペリー再来日 ミシシッピー号、レキシントン号など7隻 日米和親条約
     吉田松陰、黒船密航に失敗。 
1857年 安政4年 吉田寅次郎(松蔭)の松下村塾に入塾。14歳。11月看板。
    ※松下村塾の塾生は、高杉晋作、久坂玄瑞、伊藤俊輔、山県有朋らがいた。
    最近のニュースで、坂本竜馬が久坂の手紙を土佐(武市半平太)に持って帰ったと
    の記事。最近、発見された。
1858年 安政5年、12月26日、松陰に野山獄入りが命じられる。安政の大獄。
    別れに際して松陰は、15歳の市之允に漢詩を書いた扇を渡す。松下村塾消滅。
立志尚特異   立志は特異を尚ぶ。
            俗流与議難   俗流は与に議し難し。
            不顧身後業   身後の業を顧はず。
            且倫目前安   且つ目前の安きを倫(ぬす)む。
            百年一瞬耳   百年は一瞬のみ。
            君子勿素餐   君子素餐する勿れ。
               素餐=そさん(禄盗人になるな)
    日米修好通商条約締結=地位協定、関税などの不平等条約
1859年 10月27日 吉田松陰斬首。30歳
    遺訓「身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも留置まし大和魂」
遺書・八章「今日、死を決するの安心は、四時の循環において得る所あり…僕は30歳、四季はすでに備わっている。花も咲き、30歳の実も結んだ。ただ、その実が単なるモミガラなのか、粟粒であるかは、僕の知るところではない。同志の君たちの中に、このささやかな真心を憐れみ、この志を継いでやろうという人がいるなら、それはのちに蒔かれる種子が絶えないで、穀物の収穫がつづけられて行くことになるのだ。同志よ、どうか僕の言わんとするところを考えてほしい」
 五千字に及ぶ師の遺書を読みながら17歳の山田市之允は、誓う。将来、必ずや恩師の志を遂げんと。外は、晩秋の雨である。
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17歳の山田市之允作「松陰先生墓下小祥祀(ぼかしょうしょうし)」
白日光り無く陰雲垂る。
感慨腹に満ちて泣き且つ悲しむ。
墓門の昼暗し松柏(しょうはく)の雨。
粛々涙に和して新碑(しんび)にそそぐ。
           先生は遠く東市の役に従う
           今日勿ち小祥の記。      小祥=1周忌
           鈍生碌々17年。
           学業未だ成らず身未だ死せず。
声は樹間に激す百尺の瀑。
風は深山に叫ぶ万節の竹。
万感山の如く涙河の如し。
寒風浙々(せつせつ)として落木を吹く。
                 冷雨は寂寞として日はまさに斜めならんとする。
                 満目の風物恨みを含むこと多く。
                 偶々英霊を拝して一語無し。
                 真のわが功業は遂に如何に。
1863年 下関にて攘夷。米商船を攻撃。市之允初陣。
1864年 蛤御門の変。参戦。久坂玄瑞死す。第一次長州征伐。長州降参。
    アメリカ、イギリス、フランス、オランダ四カ国連合艦隊長州攻撃。
    市之允、御盾隊として奮戦も敗戦。高杉晋作の決起に参加。
1865年 慶應元年、長州藩の兵学寮に入る。教授の大村益次郎とはじめて会う。
    大村益次郎は、官軍の総大将。このときの二人の会話はこのようなものだった。
山田「私は松陰先生の兵学門下の末席に名をつらね、遺志を継ごうとしちょります」
大村「そうですか、松陰先生の門下がおられるのは心強い。あなた方はこれからです。しっ
   かり勉強してください」
 後に「用兵の奇才」とうたわれた山田顕義だが、大村と会ったこの日が、指揮官としての出発のときであった。
1866年 慶應2年、第二次長州征伐。小型砲艦の砲艦長として活躍。
1867年 慶應3年、高杉晋作が死んだ。六十余州を揺り動かした風雲児だけに皆は後任を
    心配した。高杉は、病床でこう告げたといわれる。「大村益次郎に頼め。その次は、
    山田市之允だ」市之允24歳であった。 
1868年 慶應4年、新政府討幕軍の参謀として官軍を率いて鳥羽・伏見。東北各藩、函館
    戦争を勝利に導く。長岡、会津、五稜郭。いずれも困難な戦だったが、「用兵の奇
    才」ぶりを十分に発揮した。
1872年 1月欧米視察団でアメリカ、ヨーロッパへ。吉田松陰の密航失敗から17年後。
    旅行中は、木戸孝允(桂小五郎)と同行。2月パリへ。ワーテルロー見学。
1873年 6月帰国。1年8ヶ月の旅。    
1877年 西南戦争に鎮圧出征。活躍して終結させる。
1885年 第一次伊藤博文内閣で初代司法大臣に。
1890年 日本大学の前身・日本法律学校を創設。
1891年 大津事件(ニコライ皇太子傷害事件)の責任をとって司法大臣を辞任。
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1892年 11月、兵庫県にある生駒銀山視察中に不審死。49歳。
1988年 12月20日、日本大学による墓地発掘。調査によると
    「頭蓋骨の形状などから、突き落とされたのではないか」との見解。
日本法律学校(日本大学)開校式模様
 明治23年(1890)9月21日東京飯田町にある皇典講究所で、ある法律学校の開校式が行われた。時の内閣総理大臣山県有朋をはじめとする政界有力者150人、学生200人設置した日本法律学校の開校式で初代司法大臣で本校の学祖・山田顕義は、恩師吉田松陰の意を継ぐ決心で
「営利的の学校とならずして、真に国家の為に尽くす学校たらんことを希望する」
と、挨拶した。
 まさに山田顕義を学祖とする「松陰の大学」後の日本大学が生まれた瞬間だった。
1.吉田松陰・松下村塾
2.松下村塾の兄弟子たち 久坂玄瑞、高杉晋作、伊藤俊輔、山県有朋たち
3.鳥羽・伏見、戊辰戦争。大村益次郎
4.明治・新政府、米国・欧州視察(ワーテルロー見学)
5.大津事件
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下原ゼミの目標
前期「書くこと」「読むこと」の習慣化・日常化
  
後期「創作力「批評力」「表現力」を培う
前期ゼミの目標は、「書くこと」「読むこと」の習慣化・日常化です。文芸学科の学生に、この目標は、釈迦に説法かも知れません。が、下原ゼミではあえてこの目標をたてています。
入試面接で、たいていの受験生は、志望理由を「作家か、ジャーナリストになりたい」と言います。しかし、毎年の受講生をみていると、課題を提出できない人が結構、多いのです。 マスメディアの世界は、常に書かないと生き残れません。書くことは、(天才でない限り)一朝一夕では身につきません。と、いうことで下原ゼミでは、この目標にしています。
後期ゼミは、前期ゼミの目標が達成したと仮定して、新聞記事などをヒントに創作をしていきます。また、社会問題を議論して批評力を高めます。
後期は、ゼミ誌作成もあるので、計画通りにはいかないところもあります。了承ください。また、年末の合同発表会における出しものとして、「表現力」をつけるためテキストから模擬裁判を脚本して稽古していきます。
※後期、三ゼミ合同発表会での模擬裁判は、テキストの事件小説
なお、「読むこと」は、前期・後期、ひきつづき実施します。
テキストは志賀直哉の作品・他
 「読むこと」のテキストは、志賀直哉の短編作品、主に車内観察作品を中心にすすめていきます。
「書くこと」のお手本
 「各こと」のテキストとして、志賀直哉の車内観察作品をとりあげます。
授業進行は、各人、毎日乗車する交通機関の中で見たこと、考えたことをテキスト朗読の後、テキスト感想と一緒に書きあげ提出。次のゼミで、合評します。
 考えを広げ柔らかくするためにときどき、社会問題も話し合います。
ゼミ合宿について
 ゼミ合宿は、実施します。主に軽井沢施設です。
「読むこと」の集大成として、毎回マラソン朗読会を実施しています。
 はじめ、驚き逡巡されるが、終わってみると好評です。大学生活のよい思い出になったと喜ばれています。作品は、・・・・・(決まっています)
例年 午後3時スタート → (夕食・風呂)→ 午後1時30分完走
―――――――――――――――――― 15 ――――― 文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.211
ドストエフスキー全作品を読む会を、偶数月に開催しています。興味ある人はどうぞ。40年つづいています。只今、5サイクル目
ドストエーフスキイ 2013年(平成25年) 4月10日発行 
   全作品を読む会 読書会通信137   
   ホームページ  http://dokushokai.shimohara.net/
☆読書会連絡先:福井勝也℡03-3320-6488・横尾和博℡03-3902-8457・下原敏彦047-475-1582
2013年(平成25年)開催月日2・23/4・20/6・29/8・未定/10・未定/12・未定 /2
第256回4月読書会のお知らせ
第3土曜日・「東京芸術劇場」小1会議室です
4月読書会は、下記の要領で行います。
 
月 日 : 2013年4月20日(土)
場 所 : 池袋・東京芸術劇場小会議室1(池袋西口徒歩3分)
             
開 場 : 午後1時30分 
開 始  : 午後2時00分 ~ 
作 品  : 『伯父様の夢』
報告者  : 冨田陽一郎さん     
       
会  費 → 1000円(学生500円)
二次会はJR池袋駅西口付近の居酒屋 → 5時10分 ~ お茶会(喫茶店)
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
       
□ 6月読書会は、東京芸術劇場の第7会議室です。
開催日 :  2013年6月29日(土) 午後2時~4時45分迄です
大阪「読書会」案内 4・20
ドストエーフスキイ全作品を読む会・大阪の第16回例会は4月20日(土)14:00~、
ホテルグランヴィア大阪19階「ラウンジリバーヘッド」(JR大阪駅直結)で開催。
作品は『白夜』です
お問い合わせ・お申し込みはこちらへ  〒581-0016 大阪府八尾市八尾木北3-137
文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.211―――――――― 16 ――――――――――――――――
備考
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
掲示板
2013年の計画 土壌館では、2013年度は以下のことを計画している。
『熊谷元一研究』創刊号の刊行
創刊号は、「熊谷元一と『一年生』」5月末刊行予定です。
岩波写真文庫『一年生』と担任・熊谷元一との触れあいを写真・文集から綴る。
見本の表紙(仮)
・・・・・・・・・・・・・編集室便り・・・・・・・・・・・・・・
□住所〒274-0825 船橋市前原西6-1-12-816 下原方『下原ゼミ通信』編集室
  メール: TEL・FAX:047-475-1582  toshihiko@shimohara.net

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