文芸研究Ⅱ 下原ゼミ通信No.219

公開日: 

日本大学藝術学部文芸学科     2013年(平成25年)6月17日発行
文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.219
BUNGEIKENKYU Ⅱ SHIMOHARAZEMI TSUSHIN
                             編集発行人 下原敏彦
                              
4/15 4/22 5/6 5/13 5/20 5/27 6/3 6/10 6/17 6/24 7/1  7/22
                 「2013年、読書と創作の旅」の皆さん
6・17下原ゼミ
 1.連絡事項 ゼミ合宿日程 郊外授業などについて
 2.課題報告(観察&熊谷元一研究)
 3. テキスト読み『出来事』 世界名作紹介
        
事件観察    十数年前の大事件再読 観察の重要さを知る   
 1997年5月27日未明、神戸市内。新聞配達人は、いつもと同じようにまだ暗闇のなかをオートバイで新聞配達していた。友が丘中学校の前を横切ったとき校門の下に何か置いてあるのを見つけた。黒いビニールの袋で、何かが入っているようだ。
「何だろう」配達人は、気になって引き返し、手にとった。ずっしり重かった。彼は、オ―バイから降りて、恐る恐る中をのぞきこんだ。次の瞬間、息もできないほど驚天した。
 日本中を震撼させ、恐怖のどん底に突き落とした、陰惨な猟奇事件のはじまりだった。入っていたのは、三日前行方不明になっていた小六児童の頭部だった。傷つけられた口に警察への挑戦状を咥えさせていた。「さあゲームの始まりです 愚鈍な警察諸君 ボクを止めてみたまえ ボクは殺しが愉快でたまらない ・・・」こんな内容の手紙だった。人間業とは思えない犯行。如何なる凶悪犯が…日本中が凍りついた。犯人は気の狂った人間。そう思った。しかし、6月28日逮捕されたのは中学三年のA少年(14歳)だった。彼は、二カ月前にも、公園で小学三年の女児を襲い一人を殺し、一人に重傷を負わせていた。しかし、まだ14歳の少年ということで当時メディアは、犯行を謎としてとりあげた。「心の闇の解明」そんな言葉をよくみかけた。事件発覚当時は、14歳、少年A、平凡な家族、そんな報道に惑わされてしまった。しかし、最近、もう一度事件の詳細を読んでみると、あの事件は謎ではない。犯人を知る誰もが事件発覚直後から少年が犯人と知っていた。中学では、変質的・病的ワルとして要注意人物だった。少年は、異常性格者だった。そして、そのことを学校も家族も児童相談所も知り得ていた。ということは、普通に観察していれば、あの悲劇の事件は防げたかも知れない。歴史に「たら」「ねば」はないが、そう悔やまれる。
再読『「少年A」14歳の肖像』高山文彦著 『この子を生んで』犯人の両親著など


☆文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.218 ―――――――― 2 ――――――――――――
バス券を忘れた日
蒸し暑い日だった。そのせいか、はじめてバス券を忘れた。航空公園で2時45分発のバスに乗った。座って、用意しようとスイカ入れをみたとき、入れ物を変えたのに気がついた。
「あっ! まずい・・・」車内を見回した。三人学生が乗っていた。皆、ばらばらの席である。一人は、前の方、二人は後方の座席だ。全員女子学生だった。何か、困ったことになったな、そんなふうに思い、気が重くなった。
これまでになんどか、バス券を頼まれたことがある。突然、見知らぬ女学生から声をかけられ、驚いたりした。が、すぐに、理解して券を差し出し百円を受け取った。ただそれだけのことで何の感情も発生しなかった。しかし、いま自分が、その立場になってみると、大いに窮地を感じる心持となった。選択肢は、二つ。一つはバスの運転手さんに話して、バス券を買いに走る。もう一つは、乗車している三人の誰かから買う。バス券を買いに走るのは、三人とも余分を持っていない場合として、まず、はじめは誰に、声をかけるか、そちらから考えることにした。しかしだれにするか。前方の、女学生は、黒っぽいスカートと、地味な白いブラウス。髪は、きちんと整えられている。バス券は、持っていそうだが、なんとなく声をかけにくそうな感じ。後方の二人のうち、近くの一人は、花模様のブラウス。にぎやかそうな服装でスカートも短い。その奥の学生は、暗い感じ。このとき、思ったのは、複数のグループだったら声を掛けやすいが、一人は、なかなか声をかけずらい気持ちになる、ということだ。さて、どのこにしょうか。白羽の矢を持ったまま、決め兼ねていると、バスは、最後の信号を左折し、校門を右折し、降り場に向かっていった。
早く決めなければ、気持ちは焦った。バスは、停車しドアが開いた。前席のこが立ち上がった。手には、大きな白っぽい横長のサイフをもっている。開けられた中にバス券の束が見えた。しめた、と思い「あのぅ」と声をかけた。かけようとした。が、そのこは、意外と動きが早かった。ネコのように身をひるがえして外に出ていった。歳のせいで動作がおそかったのだ。獲物を逃した、そんな気持ちだった。もうこうなったら、なにがなんでも後方の二人を押えるしかない。私は、振り向いて通路をふさいだ。
えっ、なんなの !? 一瞬、驚きが走った。
変なおっさんに、いきなり道をふさがれた不安。そんな表情だった。
「すみません、バス回数券が」ありましたら、と言いかけた。
「バス券ですか」彼女は、すばやくあっさり言って手にしていたバス券を私によこした。
「ありがとう」私は、礼を言ってにぎりしめていた百円を彼女に渡した。
バスを降りて、見あげると、彼女はカバンをひろげていた。仕舞ったバス券をもう一度とり出しているようだった。まったく、あのじいさんは、と愚痴っているのかな、そんなことを思いながら。私は、まっすぐ守衛室まで歩いて行った。出欠にサインしたあと、校庭門に目をやると、ちょうど花柄の女子学生が入って行くところだった。不意に、ちらっと彼女が、こちらを見た。私は思わず、頭を下げた。彼女は、立ち止り丁寧にお辞儀をしたあと、軽く手を振って門の中に消えていった。なにか楽しい心持ちになった。
6・10ゼミ報告 参加者作品合評&『網走まで』の研究読み・名作詩
 6月10日ゼミは、参加者提出作品の合評と『網走まで』の解説・研究読みでした。
齋藤真由香さん   嶋津きよらさん   加藤未奈さん  
3日ゼミの司会進行は、嶋津きよらさんでした。お疲れさまでした。
ゼミ合宿・軽井沢施設使用許可提出中 日程は、決定後お知らせします。
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6・17ゼミプログラム
1. 課題報告 → 「車内観察」 『網走まで』など 
2.  熊谷元一研究・課題報告 → 「子供の頃の遊び」「教室での遊び」
3. テキスト読み『出来事』 
4. 世界名作紹介 詩篇
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1.課題報告 【車内観察】
加藤末奈             幽霊少女   
『灰色』
終電が間近に迫った地下鉄のホームは閑散としていた。
じっとりと汗ばんだ自分の体からはアルバイト先のファミレスの臭いがするような気がした。普段ならばその臭いが気になっただろうが、そんなことを気にする気力もなく私はただぼうっと突っ立って電車を待っていた。
五分ほど経っただろうか。最終電車がホームに滑り込んで来た。目の前で開いた扉の先に殆ど人がいなかったので少しほっとしながら車両に足を踏み入れた。
同じ車両には私の他にサラリーマン風の男性と学生らしい女性しかいなかった。
この時間の電車に乗る人は皆疲れた顔をしているな―
 怪しまれない程度に周りを見渡しながら、そんな勝手な親近感を抱いていた。
最寄りの駅には三駅で着く。走りだした電車の揺れに早速心地よさを感じながら私は目的地に着くのをただ待つことにした。
初台― 初台―
初台駅で少し停車したのち、電車はすぐに発車したが、少しして私は違和感を感じた。明らかに電車のスピードが遅い。電車はそこからさらにスピードを緩め、周囲に駅も何もないトンネルの中で停車した。
停止信号か?それにしてはアナウンスがないな―
バタンッ。
突然後ろから聞こえた物音に振り向くと扉が開いていた。その先にはトンネルの黒々とした闇が広がっていた。駅のホーム以外の場所で電車の扉が開くという異常事態に私は恐怖と同時に少し待てばまた発車するだろうという楽観的な考えも抱いていた。
電車は一向に発車しなかった。私は目の前の風景に一切の音と動きがないことに気付いた。周りの二人も動かない。
私の脳は数秒かけてこの奇妙な状況を把握し、同時に身体の節々に直接危機感を叩き込んできた。
「すいません!」
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大きな声を出したつもりが出て来たのは掠れた小さな声だけだったが、向かいに座っているサラリーマン風の男性には充分届いているはずだった。しかし反応はない。携帯電話を握りしめたままぴくりとも動かなかった。
「すいません!」
さっきよりも腹に力を込め、今度は誰に対してでもなく叫んだ。
しかし目の前の灰色の風景は動かなかった。耳が聴こえなくなったかのように無音だった。さっきまでやたらとうるさかった自分の心臓の音もいつの間にか聞こえなくなっていた。
この何もない灰色の世界で一生を終えるのだろうか。扉から飛び出してこの真っ黒なトンネルの中をひたすら歩けば家まで辿り着けるだろうか。どうせ一本道だ。
 震える手足を落ち着かせようとしながら私は必死にここから逃げ出す方法を模索していた。
 バタンッ。
 無音だった世界に音が戻ったような気がした。振り向くと扉は閉まっていた。同時に電車は動き出したが、私は生きた心地がしなかった。
 おそるおそる扉の前に立つと、電車はすでにトンネルを抜け見慣れた住宅街の風景が右から左へ流れていた。
数十秒後、私の目の前には駅のホームが広がっていた。最寄り駅ではなかったが、その風景は私の身体を支配していた恐怖を一瞬にして拭い去ってくれた。視界の隅に先ほどの女性が映ったような気がしたが、私はもう一度車内を振り向くこともせず一目散に電車を飛び降りた。
□不思議な話でし。中編だとカフカのような作品になるかも。期待しています。
車内観察15
嶋津きよら          原宿顔のおばさん
 その日は、車内はあまり混んでおらず、たっているのは二三人しかいなかった。私は、始発から乗っていたので、端の席にかけた。車内全体を見渡せる位置である。
 電車が都内に入り、大崎に着く。そこから乗った幾人の中に彼はいた。見た目は四十ほどで、空になった酒の瓶を手にしている。多分、全て自分で呑みほしたのであろう。真っ赤な顔をしてふらふらと車内を歩き回っていた。
 恵比寿を通り過ぎ、渋谷に近づいた頃、車内にどなり声が響いた。先ほどの彼である。派手な服装のおばさんに「お前、渋谷顔しているかのだから、次ぎで降りろ。俺に席を譲れ」とつっかかっていたのだ。皆、はらはらしながら見守っているとおばさんが口を開いた。
「渋谷顔より、原宿顔っていってもらった方が嬉しいわ。まあ、お座りなさい」
と、言い彼を座席につかせると、おばさんは周囲の人々にお辞儀をして、さっそうと渋谷駅に降りていく。呆然と他の乗客がそれを見送る中、彼は気まずそうに、自分もまた降車していた。
□ いい場面を目撃しましたね。コントになりそうな光景。思い浮かびます。
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テキスト感想  【『網走まで』感想&『上野まで』を想像する】
嶋津きよら       生き生きと描写する力に溜め息
 観察駅の鋭い作家であると感じた。母子のやり取りや駅の風景が目に浮かぶようである。その共有した時間を生き生きと描写する力に溜め息が出た。葉書を出す場面では、主人公の
葛藤をひしひしと感じ、改めてこの物語に魅せられた。
上野まで  上野駅で列車に乗り込むまでの母子は、どんな生活をしてきたか
嶋津きよら        創作・上野まで
 子の手を引き、急ぎ足で駅まで向かう。発車の時刻が迫っていた。途中、何度も転びそうになるも、無事に駅に着いた。子に「先に便所に行っておきなさい」と云うと、頑なに首を横に振る。後で良いとぐずるので途方にくれながらも、ーー(まで)手を引いた。
列車に乗る時になって
「ここに便所はないのか」と訊くので「ないから行っておきましょう」と云うと大丈夫と膨れ面をする。その横顔がどうも夫に被って見え、焦りが心の内に生まれた。ジしょうもないことなので、と自分に言い聞かせながら、その場に立ち尽くしていた。
□その子は、宇都宮までよく我慢しましたね。
熊谷元一研究 課題報告 60年前(1953)の遊びの写真を見て
加藤未奈          隣の席の子
手に持った鉛筆を少年は目の前の白い紙ではなく口元に持って行った。
鉛筆の亜鉛で真っ黒になった歯だけでもその少年が異様な存在であると周囲の子供達が判断するには充分だった。
特別な病気を患っているわけではなかったが精神的に不安定だった少年は、気に入らないことがあるとすぐに大声を出したり周りにある物を投げたりする子供だった。
ああ、本当に運がない。
隣の席で今は静かに絵を描いている少年を横目に私は小さく溜息をついた。
□ 「多動症の子と一緒のクラスになってしまった」ときどき、子どもの親からこんな愚痴をきいたりします。学校が受け入れるようになったのか。こういった子が増えたのか。こうした子は、ある面天使のようでもあります。医学の進歩で、いなくなったら、みんな完全な子どもばかりになってしまったら、そんな心配もあります。
子どもの頃みていたまんが、てれび
嶋津きよら        自分の世代の流行は、いまいち
 マンガといえば手塚治虫か『じゃりんこチェ』でした。テレビドラマなら『赤いシリーズ』
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か『青が散る』だし、歌なら大塚ガリバーや和田あき子だった。どんなにかんがえても思い出すのはその辺りで、どうやら私は自分の世代の流行をいまいち理解できていなかったようである。タイトルや歌手をあげてみて、ははあ名作だなあ、と思うものが並んだが、これらを当時、知っていた同世代の人間は、はたしてどのくらいいただろうか。
□半世紀前は、番組もすくなく、一つのものを国民全員が共有していた。が、マスメディアの発達で、年代別、趣味別、など細分化した。楽しいようでもあるが、ちょっとさびしい気もします。
以下は、下原が一年生のときの文集ですが、下原はまったくおぼえていません。担任だった熊谷元一先生がとっておいてくれたので幸いでした。
『一年生』の声 1953年の小学一年生は、毎日どんなふうにして過ごしてい
たのでしょう。当時の文集を紹介します。担任の熊谷元一先生が作ってくれた文集です。
 60年前の子どもたちの遊び、家での様子、自分の気持ちが書かれています。言葉づかいも、どうでしょう。いまのこどもと比べてみてください。
文集 こどもかけろよ ひのてるほうへ②
作成 熊谷元一(くまがいもといち)昭和29年(1954年)3月
みんながはじめて がっこうへ来たときは   まだ じはあまりかけなかった
それが 一がつき 二がっきと たつうちに  じもかけるようになり ぶんもつづれるようになった   ここにあつめたのは    みんなが一ねんのときにかいた
さくぶんです しずかに  おうちの人といっしょによんでみてください
             1594年(昭和29)熊谷元一
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
            たばこや               男の子
ぼくは おじいちゃが「たばこやへいってこいって」ちゅぅちもんで 
ぼくは たばこやまでいって「ごめんください」とゆったら おばあさんが にこにこしながら でてきました。それでぼくは 三十えんのばっとをかって「ありがとうございました」といって でてきました。そいでぼくは かえってきて おじいちゃにやったら おじいちゃが五えんおだちんといって くれました。ぼくは五えんもらって あそびにいきました。おひるになったので かえってきて おかあちゃやおじいちゃに ほめられました。
 
あそんだこと
女の子
 きのう おかあちゃが あそびにいっておいなって いったもんで あそびにいって 返ってきたらおばあちゃがきて みるくきゃらめるを かってきてくれました。わたくしは またあそびにいきました。そしたら おかだのみっちゃとおりやのかずちゃといっしょに あそんでいました。そして わたくしはみとったら いれてくれて まりつきをしました。 

     ※毎号、紹介します。家族の様子や言葉づかいなどに注目して読んで下さい
つづく
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熊谷元一研究
岩波書店創業百年記念展
本づくりの熱気、再発見!
 〈岩波写真文庫〉とその時代
2013 年 6 月 23 日(日)~7 月 8 日(月) 会期中無休
午前 11 時―午後 7 時(入場は午後 6 時半まで・最終日は 5 時閉場)
会場:銀座 教文館 9F ウェンライトホール 
入場料:大人 500 円、高校生以下無料(*「こねこのぴっち絵本原画展」に本展の半券をお持ちいただくと200円引きでご入場いただけます。)
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岩波書店・教文館 共催  〔お問合せ〕銀座教文館 ℡ 03-3561-8446
 〈少年美術館〉〈岩波少年文庫〉〈科学の学校〉〈岩波子どもの本〉などと同時代に刊行され、「眼でみる百科」として好評を博した〈岩波写真文庫〉の魅力をさぐります。 岩波書店が所蔵する写真原稿などを中心に、60 年前のお宝を、一挙公開!この時代に刊行が始まった〈少年美術館〉〈岩波少年文庫〉〈科学の学校〉〈岩波子どもの本〉の初版本などの資料も合わせてご覧いただきます。
≪岩波写真文庫について≫
 1950 年から 1958 年の 8 年半に、月に 3 冊弱のペースで全 286 冊が刊行された〈岩波写真文庫〉は、子どもの視覚教育のためにスタートした、B6 判 64 頁の写真百科でした。
 編集長は名取洋之助、スタッフカメラマンとして長野重一、織田浩、薗部澄らが参加し、名取のかつての仲間である木村伊兵衛や藤本四八、小柳次一らの名前も初期の巻に見えています。
 写真メディアが少なく貴重だった時代に、広範囲に題材をとった書目を一部ご紹介すると、
『アメリカ人』『日本──1955 年 10 月 8 日──』『動物の表情』『積雪』
『細胞の知識──動物──』『心と顔』『信貴山縁起絵巻』
『キリスト──その生涯と弟子たち』『東京湾──空からみた自然と人──』『忘れられた島』
『野球の科学──バッティング──』『広島──戦争と都市』
 現場の担任教諭だからこそ撮れた、当時の子どもの自然な姿がほほえましい『一年生――ある小学教師の記録――』(写真:熊谷元一)、家族愛が胸を打つ『戦争と日本人――あるカメラマンの記録――』(写真:影山正雄)、学校生活を小学 6 年生の少年カメラマンが撮影した『子供は見る』(写真:山田興亜)など、ユニークな企画の数々は 60 年たっても新鮮さを失いません。
郊外授業として、見学してもいいですが。
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ゼミ雑誌について
 ゼミ授業の実質的成果は、ゼミ雑誌発行にあります。が、毎年、刊行日の遅れが指摘されています。また、編集段階でいろいろな問題が生じることもあります。1年間の大切な授業成果なので、しっかり守って、よい雑誌を作りましょう。
 刊行までの要領は、下記の通りです。厳守しましょう。
1. ゼミ雑誌編集委員は、齋藤真由香編集長
  編集委員=南海洋輔さん 加藤末奈さん 嶋津きよらさん(『熊谷元一』カタログ)
2. 6月末までの段階は 
  【①ゼミ誌発行申請書】を提出。提出場所=所沢/出版編集室
3. ゼミで話し合いながら雑誌の装丁を決めていく。
  仮題&「熊谷元一研究 創刊」、内容は課題作品+創作作品
※「熊谷元一研究」は、課題を載せる。60年前の子どもたち、学校教育の様子から自分たちの子どものころの遊び・学校の暮らしを比較する。
4. 7月下旬、夏休み前、原稿依頼と課題のまとめ
5. 9月末 夏休み明け、創作原稿提出、課題作品選別
6. 10月上旬 印刷会社から【②見積書】をもらい料金を算出してもらう。
7. 10月~末日 編集委員は、印刷会社と、希望の装丁やレイアウトを相談しながら
   皆と協力して編集作業をすすめる。
8. 10月末までに、出版編集室に見積書を提出する。編集作業をすすめる。
9. 11月中旬までに印刷会社に原稿を入稿してください。
10. 12月6日(金)はゼミ誌納品期限です。厳守!!
11. 12月12日までに見本誌を出版編集室に提出してください。
12. 12月下旬までに印刷会社からの【③請求書】を出版編集室に提出してください。
注意事項!!
◎ ①【ゼミ誌発行申請書】、②【見積書】、③【請求書】以上3種類の書類が提出されない
  場合はゼミ誌の発行はできません。補助金の支払いも認められません。
◎ 予算金額は、ゼミ雑誌作成ガイダンスで発表される。
◎ 過去にゼミ雑誌の印刷を依頼したことのある主な印刷会社の連絡先は、文芸学科スタッ
  フまで問い合わせる。それ以外の印刷会社を利用したい場合は、必ず事前に学科ス
  タッフに相談すること。厳守。
◎ 外部(一般の人)と関係しない。(インタビュー、依頼原稿など)
『熊谷元一研究』誌
2012年ゼミⅢで発行予定でしたが、事情で刊行できませんでした。研究進行の都合から土壌館(下原)扱いとして2013年に刊行予定です。
嶋津きよらさんが編集・編纂を引き受けてくれましたのでお願いしました。齋藤さんと、相談し合ってすすめてくれれば幸いです。
岩波写真文庫『一年生』の感想、自分たちの子どもの頃の思い出などを寄せてもらえれば幸いです。60年の時間のなかで、学校教育は、子どもたちの生活は心は、どこがどう違ったのか。熊谷元一という無名な写真家、教師は、写真や童画、教育のなかで、なにを未来に伝えようとしたのか。作品を紹介することによって、探り出してゆこうと思います。
こちらの見積書は、土壌館(下原)に提出してください。期限は相談で。
文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.218 ――――――――10――――――――――――――――
名作紹介 6月の詩 ポール・ヴェルレーヌ「無言の恋歌」
ポール・ヴェルレーヌ(1844-1896)堀口大学訳『ヴェルレーヌ詩集』 新潮文庫
忘れた小曲 その三  雨はしとしと街にふる 
雨の巷(ちまた)に 降るごとく
われの心に 涙ふる。
かくも心に にじみ入る
この悲しみは 何やらん?
やるせなの 心のために
おお、雨の歌よ!
やさしき雨の 響きは
地上にも 屋上にも!
消え入りなん 心の奥に
故なきに 雨は涙す。
何事ぞ!裏切りもなきに あらずや?
この喪 その故の知られず。
故しれぬ かなしみぞ
実(げ)に こよなくも堪えがたし。
恋もなく 恨もなきに
わが心 かくもかなし。
忘れた小曲 その七
             たったひとりの女のために
             わたしの心は悲しかった
             胸ではどうやら忘れはしたが
             心も胸も彼女から
             どうやら今では離れて来たが
             然もわたしはあきらめきれぬ
             胸ではどうやら忘れはしたが
             然もわたしはなぐさみかねる
             傷つき易いわたしの胸が
             わたしの心に呼びかけて言う
             「――夢ではないのか、これは果たして
             在り得ることなのか、こんな離別(わかれ)が?
             心が答えて胸に告げる「―― 姿は見えぬ遠よそに
             別れていながらあきらめきれぬ
             こんな地獄があろうなぞ 
             自分もきょうまで知らなんだ!」
―――――――――――――――――― 11 ――――― 文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.218
ゼミ合宿について
ゼミ合宿担当:南海洋輔班長(ですが、皆さんで協力して、楽しく有意義な合宿にしま
しょう!)合宿ゼミ授業の計画予定は
○軽井沢駅改札午後1時集合、一緒に昼食 徒歩で 3時半開始、自彊術体操 → 授業
○合宿授業は、マラソン朗読会(中編書簡小説読破)に挑戦。
 「読みはじめたら止まらない」それは真実か?!
 世界文学最高峰の作品は『カラマーゾフ』なら世界一面白い作品は ? この本がそうだ! が、真相は読んでみなければわからない。その謎に夏の夜を徹して挑戦します。
 タイムスリップで1845年のロシア白夜のペテルブルグに降りてみます。はたして君は何ページまでもつか?
2013年読書と創作の旅・旅日誌
4月22日 参加=加藤、齋藤、南海 読み=嘉納治五郎「読書のススメ」「憲法九条」と「前文」、書くこと=第九条の感想。
5月 6日 参加=齋藤、嶋津 報告=尾道と志賀直哉 議論=憲法改正問題・アンケ
ート 観察発表&合評=「車内観察」齋藤 司会進行=齋藤
読み=テキスト『菜の花と小娘』 書く=『菜の花』感想 課題
 5月13日 参加=加藤、齋藤、嶋津、南海 司会進行=嶋津 課題発表「社会観察」「車内観察」「テキスト感想」
 5月20日 参加=齋藤、嶋津、南海 司会進行=南海 社会観察「従軍慰安婦問題」
       課題発表「熊谷元一研究 思い出」読み『空中』、テキスト『夫婦』
 5月27日 参加=加藤、齋藤、嶋津、南海 司会進行=加藤 社会観察「母さん助けて詐欺」 課題提出評・南海「車内観察」齋藤「うたたね」
      【熊谷元一研究】子供時代=南海「はじめての一人登校」南海「コッペパン」
       齋藤「レイコ先生」南海「クラティ―」
      ※ゼミ誌ガイダンス報告=齋藤
 6月3日 参加=齋藤、嶋津、南海 司会進行=南海 「社会観察」柔道について、振り込め詐欺の記事 
課題=「車内観察」嶋津、南海。テキスト読み『網走まで』
  6月10日 参加=齋藤、嶋津、加藤 司会進行=嶋津 「社会観察」6月の事件簿
        課題合評、『網走まで』研究解説報告。、
課題提出記録(「書くこと」の習慣化)
       社会観察    車内観察    テキスト   熊谷元一研究
齋藤真由香   1       2        1       4
加藤 未奈   2       1                2
南海洋輔    2       1        3       5
嶋津きよら           3        3       5
読むことの習慣化
「嘉納治五郎『青年訓』」「日本国憲法」『菜の花と小娘』『空中ブランコに乗った大胆な青年』『夫婦』『網走まで』
☆文芸研究Ⅱ下原ゼミNo・218――――――――12――――――――――――――――
志賀直哉『網走まで』年譜
1883年(明治16)2月20日、宮城県に生まれる。
1895年(明治28)12歳 8月母銀死去享年33 秋、父、浩(こう)24と結婚。 
1900年(明治33)17歳 内村鑑三の夏期講談会に出席。以後7年間通う。
1901年(明治34)18歳 足尾銅山鉱毒問題で父と意見衝突、父との長年の不和の端緒。
1902年(明治35)19歳 春、鹿野山に遊ぶ。学習院柔道紅白戦で三人抜きをする。
1906年(明治39)23歳 学習院高等科卒業、武課のみ甲、他乙、成績22人中16位。
            「花ちゃん」を書く。(『菜の花と小娘』に近いもの)
1907年(明治40)24歳 家の女中との恋。反対の父、祖母、義母と争う。諦める。
1908年(明治41)25歳 8月14日「小説網走まで」を書く。帝國大学の【帝國文学】に投稿するが没。9月、夏目漱石「三四郎」新聞小説はじまる。
『出来事』 1913年(大正2年)9月1日発刊『白樺』第4巻にて発表
土壌館日誌・投稿
15日、知らないうちに役員なっていた市民の会の総会に参加。(子どもたちのために町を明るくする運動)、地域の小中学校とPTAが主催。若い教頭先生たちが元気よかった。面白い話は、新任の教頭の体験。不審者が公園にいるというので、急いで駆けつけ、遊んでいる子どもたちに注意をして、周囲の写真を撮って学校に戻ると、教頭を名乗る不審な男が、公園で写真を撮っているというお知らせ。他に自転車盗難やパトロールについての報告。小一時間あった終わったので携帯をみると着信あり。非通知。こころあたりがあったので、で廊下に出てかけてみるとやはり朝日新聞の「声」欄担当者。私は文芸とは縁がなかったので文学修業として新聞に投書している。決められた字数で、自分の考えや意見をどれだけ書けるか。朝日は、掲載率は低いが、いい勉強になる。この19日(水)朝刊に掲載してくれるとの話。但し、字数調整のため少し直したとのこと。内容に大差なかったので了承した。
お知らせ
6月29日(土)8月17日(土)ドストエーフスキイ全作品を読む会・読書会
作品『死の家の記録』時間、午後1時半開場 午後2時~5時前
会場 東京芸術劇場第7会議室 ※詳細は、「下原ゼミ通信」編集室まで
平成25年度11月「児童虐待防止推進月間」標語募集
応募先のメールhyougoboshu@city.beppu.oita.jp  メール題名は「標語の応募」
締切2013年7月5日(金)発表は9月以降通知か厚生労働省HP
熊谷元一写真コンクール 作品募集  締切8月31日
詳細は、「熊谷元一写真童画館」HP
・・・・・・・・・・・・・編集室便り・・・・・・・・・・・・・・
□住所〒274-0825 船橋市前原西6-1-12-816 下原方『下原ゼミ通信』編集室
  メール: TEL・FAX:047-475-1582  toshihiko@shimohara.net
課題19.【熊谷元一研究】 2013・6・17
岩波写真文庫『一年生』感想 OR 子ども時代の思い出
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課題20.テキスト『出来事』感想 2013・6・17
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課題21.車内観察 2013・6・17
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『網走まで』と『熊谷元一研究』未発表分
南海洋輔       頼まれた葉書2枚の宛先
東京で暮らしていた母と二人の子ども、そして大酒のみの父。
父は仕事の憂さを晴らすため、母に当たり散らし暴力をふるう。
(お医者さまが余り大酒するから…のくだり)
最初は母だけだったが、次第に子どもたちにまで手をだすようになる。(おつむの痛い子ども瀧)
見かねた母は子どもたちを連れて、父のもとを離れ、遠い親戚のもとへ移る決意をする。(網走とか申す所ださうで、大変遠くて不便な所だそうです……の会話から網走は実家ではないと推測される。)
東京から上野、上野から青森、そして網走までの経路。(網走まで)
もちろん父には黙って家を出たので、父は心配して探し回るかもしれない。それを気遣って母は車中で手紙を書いた。今までのお礼、一緒にいられない理由、これからどうするか。行き先までは書かなかったかもしれない。
そうした後、母が唯一気がかりに思ったのは、一緒に置いてきた姑(しゅうとめ)。手紙を書くほどの相手だから、浮気した女とは考えにくい。だから姑(しゅうとめ)。手紙には、今までのお礼、申し訳ない気持、やはり一緒にいられない理由などを書いたのだろう。(一つは女、一つは男名であった…のくだり)
 主人公扮する志賀直哉が、そういう事情を抱えた母子と出会い、手紙を托され、それを投函するまでが、「網走まで」で描かれている。(と推測される)
□DV夫からの逃避。
南海洋輔        【網走まで】を読んで
人の想像力というものは不思議だと思った。
初めて「網走まで」を読んだときは、旧漢字使いに対応するのに精一杯で、内容が全く頭に入ってこなかった。しかし、二度三度と読み返して、次第に頭の中で現代漢字使いに変換できるようになってくると、たちまち情景が浮かぶようになった。おそらく当時の人が「網走まで」を読んだ時は、もっと鮮明に情景が浮かぶ、衝撃的な作品として読まれたのではないだろうか。それぐらい情景を喚起させる力が、志賀直哉の文章にはあると感じた。
 初めて読んだ時、主人公の心理描写が少ないと感じたが、一端、「想像力というものをわかっている志賀直哉」を理解すれば、必要十分の描写だったと気づく
□志賀直哉の文学は、どれもが、見たまま、観察したままです。それ故に表層的表面的です。一見、トルストイのような描き方です。しかし、簡潔な文体のなかにいろんな物語が縦横に眠っています。読者の想像力が、新たな物語をつくります。
南海洋輔         遊び 牛乳瓶のフタ
小学校一年生頃、私の学校で流行った教室遊びの一つに、「フタゴマ回し」というのがある。「フタ」は何の蓋なのかというと、給食に出てくる牛乳瓶の蓋である。当時はまだプラスチック製のものではなく紙の蓋で、企業のロゴや、成分、賞味期限などが丸い円の中に収まっている印象的な「フタ」だった。
そもそも誰がやり始めたのかは、全くわからないし覚えていないが、とにかく男子の間でどちらが牛乳瓶の蓋をより長く回せるのか、激しい戦いが始まった。
戦いとは大げさだな、と思われるかもしれないが見くびってはいけない。
子どものバカな遊びと言えど、ひとたび「あいつは強い」ということになれば、当然小学校ではステータスになる。だからみんな勝つために本気で取り組んでいたのだ。
フタの開け方、洗い方乾かし方、回し方の基本に始まり、コンパスで真ん中に穴を開ける、フタを重ねる、そこにBB弾を貼付ける、などの強化策に至る「フタゴマ回し」の技術は、そうして、日毎向上を極めた。
あまりにレベルが向上しすぎたため、授業中にもコマの整備や回し方の見直しが求められるようになり、先生に「コマ」を没取される者まで出た。
「ただの牛乳瓶の蓋が、あれほどあの頃の私たちを熱くさせた」
その事実に今の私はただただ驚嘆するばかりである。その理由をバカだった、と一言で済ませてしまうのは、あまりに身も蓋もない様な気がする。
□ときどき、孫を子守る。が、不思議なのは、いっぱいにある玩具とは遊ばないで、なんでもない日曜道具をオモチャがわりにしたがる。なぜか ?
南海洋輔       子供のころのマンガやテレビ
主人公のかけ声と共に、オープニングは始まる。
「♪たとえ火の中 水の中 草の中 森の中 土の中 雲の中 あのコのスカートの中~(キャ~!)中略――ああ 憧れのポケモンマスターに なりたいな ならなくちゃ 絶対なってやるーッ!」
先日私は偶然にも、小学生になる一年前、まだ保育園生だった頃にもらった誕生日カードを見つけた。そこには「大きくなったらポケモンになりたい」という夢が、保育園の先生の綺麗な字で書かれていた。
将来の夢にするほど好きだったのだから、当然一年生の時もポケモンにはまっていた。(と推測される)
しかし今思えば「ポケモンになりたい」とは意味深な夢である。
それは「鳥になりたい」とか「猫になりたい」という感覚に近いのかもしれないが、ポケモンは普通の動物と違って、絶えず人間たちによって戦いへと繰り出されるから、「人のために戦いたい」という意味で言いたかったのかもしれない。あるいは「戦ってレベルを上げ、ポケモンのように進化していきたい」という意気込みだったのかもしれない。とにかく真意はなんにせよ、保育園生の発言にしてはレベルが高い、と自画自賛した。
まあ実際のところは、「ポケモンマスターになりたい」と言いたかったけれど、先生に上手く伝えられなかった、というのが本当だろうが
□60年前の子どものヒーローは忍者だった。ポケモンに似ていなくもない。

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