文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.30

公開日: 

日本大学芸術学部文芸学科     2005年(平成17年)5月 30日発行
文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.30
BUNGEIKENKYU Ⅱ SHIMOHARAZEMI TSUSHIN
 ホームページ http://www.shimoharanet 編集発行人 下原敏彦
                              
2005前期4/18 4/25 5/9 5/16 5/23 5/30 6/6 6/13 6/20
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2005年、読書と創作の旅
5・30下原ゼミ
「読書と創作の旅」5日目の下原ゼミは、下記の要領で行います。(文ゼミ1)

 1. 登録者確認・前回ゼミ報告
   ・前回ゼミについて ・名所案内     
2. 愛読書アンケート報告(未報告者)
  ・読んで面白かった本(映画・演劇等)、読んでみたい本を紹介する。
3. テキスト感想・車内観察・創作等の発表
  ・他者の読み、観察眼、創作を観察する。
  ・主観と客観性の有無。
4. 「普通の一日を記憶する」の読み
  ・他者の生活を知ることによって、他者になりきる。(作中人物の創造力)
5. テキスト『正義派』読み(全員で朗読)
テキスト『網走まで』の観察は、女とその子供2名が対象だったが、『正義派』では、多数の人間を観察する。また、同時に電車の人身事故と、会社の応対をも冷静に観察する。
  


2005年、読書と創作の旅・名所めぐり(銀座、京橋、神田界隈にて)
 回る回る時代は回る。寿司屋の敷居が高かったのは昔の話。いまでは入って安心、食べて安心、子供が喜ぶ回転寿司。しかし、あの頃は違った。屋台の寿司とて秤屋の小僧には、高嶺の花。が、或る日、小僧に幸運が。ほらあそこの松屋の前の路地を行ったところ。あの辺りに、秤屋の小僧が神様にたらふく寿司をごちそうになったお店があったのです。
※ 1919年(大正8年)12月志賀直哉『小僧の神様』を書く。36歳。
目 次
□車中雑記「乗り物と事故」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 2
□5・23ゼミ報告・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・3
□車内観察報告・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・4、5、6
□愛読書アンケート ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・7
□『車中の人々』、一日を記憶する・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・8、9
□「学生と読む『網走まで』」、掲示板・・・・・・・・・・・・・・・・・・10、11、12
文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.30 ―――――――― 2 ――――――――――――――――
 
車中雑記     乗り物と事故
                       ――――――――――――――――
この一ヶ月は、電車に乗るたびに意識が過剰になった。これまで、気にもならなかったのに、構内放送につい耳をすませたり、電車の停車位置に目がいったりした。乗車するのも、自然先頭車両を避けるようになった。乗れば乗ったで、同じ車両に乗り合わせた乗客たちの顔を、しみじみ眺め回してしまった。一駅ごとに変わる乗客。が、走っている間は、同じ空間を共有する人たち。縁もゆかりもないのに、一蓮托生とは。そんな考えが、思いめぐった。そうして不吉な予感がして、落ち着かない気持ちになった。
これもかれも、あの事故のせいである。電車の事故で、いちどきに百人以上もの乗客が死ぬ。どこか外国のニュースなら聞く話しだ。日本では、想像できない出来事。が、現実に事故は起き大勢の人が亡くなった。その人たちのことが報道されるたびに重く暗い気持ちになる。大学生も多かった。皆、人生という旅の途中、突然に断ち切られてしまったのだ。その日の、仕事や用事はむろん、いろんな夢や目的も一瞬にして消え去った。事故は残酷だ。
電車や飛行機のない時代でも、事故はあった。旅の途中で命を落とした人たち。彼らのことは報道されることもなく、待つ人も、知ることもなく時の彼方に消えていった。こんな悲しむべき乗り物事故を背景に文豪バルザックは、こんな短編(「ことづて」)を書いた。
時は1819年、所はフランス、パリからムーラン(パリ市東280㌔)に向かう街道。私は、財布の都合上、乗合馬車の屋上座席で旅していた。同乗者は、私の観察によるとこんな青年だった。「中背の、けれども素敵に釣合いがとれて、幸福そうな、表情に満ちた顔つきの」「髪の毛は黒く目は青かった。唇はかすかに薄紅だった。真っ白なよく揃った歯並だった。色は優雅に青白く、それがなおさら細面の顔を引き立てていた。おまけに直りかけの病人ででもあるかのように、錆色の輪が目のまわりをほんのり隈どっていた」美男子。この二枚目ぶりに加え「どうやら高い教育を受けているらしいことと、才気にも富んでいる」というから、まさに眉目秀麗、才気煥発の青年。伯爵夫人の愛人として恥ずかしくない男。私の観察感想では「一口でいうと、できることなら彼を夫にもちたいと思う娘は、一人や二人ではなかつたはず」。こんな主人公の私も惚れ惚れする同乗者だった。が、旅は道連れ。すぐに親しくなり恋人の話で盛り上がった。もっとも恋人といっても「二人はどちらも若く、お互いまだまだ相当の年配の女、つまり35から40までの女を恋人としているにすぎなかった」のだ。楽しい旅になるはずだった。
ところが、災難は突然やってくる。ブイイーに1里というところで馬車が転覆してしまったのだ。そのとき美男青年は、不幸にも馬車の下敷きになってしまった。「みんなして彼を一軒の百姓家へ運び込んだ。彼は、「はげしい痛みに堪えかねて、絞り出すように」呻っていた。そんな苦しみの最中に、彼は私にあることをことづけたのである。愛人が書き送った恋文のことだった。私は承知した。彼は「一瞬間、切願の瞳でじっと見つめると、眉毛の動きで別れの挨拶をして、そしてがっくり頭をたれて、逝った」
たとえ一時の同乗者、一日だけの友にせよ私は、約束をはたすことにした。男の友情である。が、その実、本当は、美男青年が、死の瞬間まで思っていた女。それほどまでに惚れていた女とは、どんな女性か。知りたかったということもある。愛する男が死んだと知ったら、女はどんな態度をとるだろう。埃だらけの安物の帽子と上着。みすぼらしい服装で気が引けたが「私は、いろんな気の聞いた答えをでっちあげ」ながら女の屋敷に入っていった。伯爵夫人は想像以上に美しい女性だった。訃報を伝えがたかったが、なかなか言い出せなかった。私の目から落ちた二粒の涙。それが愛人がもうこの世にはいないことを知らせる言葉になった。悲しみに耐える伯爵夫人の哀切さ。が、この物語の核心は、そこにあるのか。否、この作品の真のテーマは、それではない。彼女が私に託した「ことづて」にある。それこそが、青年が愛しきった、すばらしい女性の意味を証明していた。JR西日本の事故直後、車中には様々な着メロが鳴り響いていたという。電波の一つ一つに悲しい物語があったに違いない。
      (編集室)
―――――――――――――――――― 3 ―――――――文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.30
5・23下原ゼミ報告
 
 5月23日(月曜日)の下原ゼミの参加者は、次の7名の皆さんでした。
参加者は下記の皆さんでした。 (順不動・敬称略)
たなか  だいき    おがわら ゆうへい   ひらいわ さとし    せき   ひでき
田中 大喜   小河原 祐平  平岩 理史   関  英樹
おおしま なおふみ   なかや  えり     はやし  まさと
大島 直文   中谷 英里   林  正人
       
参加者7名
 もしかしたら五月病が・・・・・・。こんな不安が頭をもたげる、このところの出席数です。12-10-9-7と下り坂です。来週か、その次の週あたりから梅雨にはいるとの予報。天気が悪くなると、また学校に来るのが面倒になります。風薫る五月のさわやかな季節のうちに学校に来る習慣をつけましょう。
愛読書アンケート結果
この日のゼミは、参加者が半数だったことから、、先にアンケートをとった愛読書を紹介してもらった。日ごろ、どんな本を読んでいるか。読みたいと希望しているか。提出されたアンケートは、本通信に掲載中ですが、実に様々な本があげられているのに感心しました。
と、いうのも、たしか一昨年でしたか、ある文芸雑誌の新年号に「先生、ドストエフスキーって誰ですか?」という見出しがあって驚いたからです。ある大学の研究室で、ドストエフスキー論を研究している(はずの)院生がいきなりこう教授にたずねたという。教授は絶句し、暫し研究室は深い沈黙につつまれた。が、教授は、愕然とながらも一方で、ついにこんな時代がきたのか、と納得もした、というのです。どこまで真実の話かわかりませんが、つまるところ文学を研究している院生でも、小説作品を読まなくなった。そんなことを言いたかったのかも。そういえば、ドイツでは、あのゲーテすらほとんど読まれなくなった。こんな新聞記事を昨年だか、もっと前だか読んだ記憶があります。近頃、あらすじだけの本が売れているという話もあるから、それも現象の一端かも知れません。
それだけに提出された愛読書・希望する本にほっとするところもありました。ゼミ生があげる主な著者と作品は、次の通りでした。(5月23日提出現在)
① 村上春樹『海辺のカフカ』『パン屋再襲撃』②遠藤周作『侍』『沈黙』③ドストエフス
キー『カラマーゾフの兄弟』『地下生活者の手記』の他、中島敦、阿部公房、村上龍、三浦哲郎、川端康成、梶井基次郎、坂口安吾、宮本輝などの作品があげられていました。また、小林秀雄、宮本顕治といった評論家や思想家、音楽作品、映画もありました。
読書は若いときが一番だと思います。いろんな事物や出来事を知ってしまってから、ある
いは経験してしまってから読むのと、まっさらの状態で読むのとでは、印象も感想も違ってくるかと思います。記憶に鮮烈なのは、みんな若いときに読んだ物語です。と、いうことで学生時代に偏らないで多くの本を読んでおきましょう。まさに鉄は熱いうちに打て。と同じで、本は若いときに読め!です。
車中観察報告
 車内観察は、林さんと中谷さんが報告した。林さんは、父親の年代の乗客に対する感情、中谷さんは女性専用車両と電車事故について車内での会話に注目があった。 
『夫婦』朗読
 時間があったので『夫婦』を朗読してもらう。原稿用紙1、2枚の作品に夫婦の機微が。
文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.30―――――――――4―――――――――――――――――
2005年、読書と創作の旅5・23記録「車中観察」報告
  
車中観察報告
林 正人       頑張れ!団塊サラリーマン
 少しくたびれた背広に、決して引き締まっているとは言えない体型。疲れきった顔に、少し薄くなってきている頭皮。彼らがジャパニーズサラリーマンだ。戦後の日本の建て直しに一番貢献してきた猛者たちだ。貧困の時代を抜け、バブルを経験し、人生の酸いも甘いも知り尽くしている。そんな彼らを一番よく見かけるのが朝の通勤ラッシュ時の電車だ。彼らはつぶされながら、また痴漢と間違われないように気を使いながら目的地に着く時をじっと待つ。彼らは働きアリのように毎日、会社に向かい、夜には自分の巣がある家庭に帰る。一日働いて、きちんと家に帰る彼らは、ものすごく偉いと思う。
 電車に乗っていると、彼らの心の声が聞こえてくる。「会社に行きたくない」とか「家に帰りたくない」とか。
 辛い顔をしている彼らを見ると辛くなる。まるで戦士たちが戦場にこれから向かうかのような悲痛な表情が悲しい。
 ところで、子供たちの将来の夢は「プロ野球選手」と「食べ物屋さんらしい」。このうちどれだけサラリーマンの道に進むのだろうか。
 ああ、今朝もサラリーマンがつぶされている。がんばれ!サラリーマン!!
※上記観察報告は16日ゼミで時間がなかったため感想交換ができませんでした。32日ゼミで再報告してもらいましたので、再掲載します。
報告感想 車中の中高年サラリーマンの姿を観察した報告に、参加者の感想は複雑だった。感謝と哀れみ、同情。自分の父親が重なったり、自分も将来は、なるのだろうというあきらめの気持ち。それらが混じり合って複雑な気持ちにさせていた。サラリーマンといえば少し前なら、漫画サザエさんのご主人マスオさん、昔ならグループコメディアンの植木等を思い出したものである。どちらも気楽な商売と映った。が、いまはそうではないらしい。組織に縛られ、会社という重荷を背負わされ、働きアリのように働かされている。満員電車に揺られて出勤する彼らにそんなダークイメージが強いようだ。最近の会社における数々の不祥事、株屋による乗っ取り騒ぎに、そんな印象が影響しているのかも・・・・。
テキスト『網走まで』の感想(原稿提出者)は以下の皆さんです。5月23日現在 順不動
関 英樹   小河原佑平  平岩 理史  林 正人  大島 直文  
中谷 英里  畑 茉林   田中 大喜
 
『車中観察』の原稿提出者は以下の皆さんです。5月23日現在 順不動(本数)
関 英樹(2)小河原佑平(2)平岩 理史(2)林 正人  大島 直文  
中谷 英里  畑 茉林   田中 大喜
―――――――――――――――――― 5―――――――文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.30
2005年、読書と創作の旅5・23記録「車中観察」報告
 中谷 英里         最近の車内事情
 最近、西武線に女性専用列車が導入された。その少し前に、車内で女性専用車両を導入するという事が放送されたときのことだった。放送は、「各電車の一両目に女性専用者が導入される」という内容だった。その放送があった途端、車内はざわめきはじめた。車内の多くがJRの事故のことを思い出したらしく、それを話題にし始めたのだ。事故で大きく被害があったのは、一両目と二両目だった。事故の時も一両目は女性専用車両だったという。そばにいた人の話題は事故の話から、しだいに「何両目に乗るのが一番安全か」というものに移った。前の方の車両は当然だが一番危険とされており、真ん中が安全か、それとも後ろか、ということを話し合っていた。周りの人の中には彼らの話に影響されてか、友達とどの車両が安全か、議論を始めた人もいた。一人で電車に乗っている人の中にも彼らの話をきいて、どこが安全か考えている人もいたかもしれない。車内の人々の多くが同じ話題をしているなんて光景はめったに見られるものではないなあ、と思うと同時に、今回の事故の大きさ、もし事故が起こったら皆、生き残りたいと思っているのかもしれない。ということを改めて感じさせられた。
感想 痴漢対策にと実施された女性専用車両だが、なぜか反応はイマイチだった。参加者、男性陣の感想は、「男女同権のはず、なぜ女性ばかりが」「別に男性専用もつくれば」「どんな手を使っても痴漢はなくならない」「完璧に分けたら。男性車両、女性車両に」「女性車両楽々で、隣の車両すし詰め状態。これを見てどう思うか」などに対して、この日ただ一人の女性だった中谷さんは、「そんな感想に驚いた」と、首をかしげた。「あってもいい」と思った。なお、この問題は、社会でも話題になっている。配布・新聞記事の資料参照。
2005年、読書と創作の旅「車中観察」・未報告分
関 英樹         わが青春の航空公園駅
 新所沢から電車で一分、そこが航空公園駅。この時間と距離で140円払うなんてもつたいないと思いつつ、時間が無い時は使ってしまう。だから、新所沢駅から乗った人は、私を少し変な目で見ているだろうと思う。新所沢から、航空公園駅まで歩いたことのある人ならなお更だろうと思う。
 私は昔から朝が苦手だ。自分で言うのも変だが、朝は機嫌が悪い。低血圧のせいもあるだろう。だから目覚まし時計を止めてから時間がかかる。起きて、タバコをすって、出来るだけ朝飯を食べて、着替えながら歯を磨いて、やっと家を出る。航空公園までは徒歩15分、今日も間に合わない。「電車かぁ・・・」と独り言をつぶやきながら、重い腰を上げて家を出る。いつものように錠をかけたが不安になり、まあ、大丈夫だなと心にいいきかせて駅までの10分以内り道を行く。
 朝は電車が混んでいる。嫌だなあ、と思いながら、出来るだけ列の後から電車に入る。まだ眠い目をこすりながら、ドアの前へ行く。航空公園に電車が着き、今日も私は、あるかわからない他人の目を気にしながら駅の階段を上がっていく。
文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.30―――――――――6―――――――――――――――――
平岩 理史           酔っ払い哀歌
 車中は人が多かった。アルコールの臭いと、OLの香水の入り混じった空気が車中に漂っていた。私は家路の途中だった。黒い革靴に何度も何度も足を踏まれている。踏んでいる人間が悪いのではない。混雑が悪いのだ。私だって逆の立場になり得る。悪意がないのも十分に解っている。だが私の限界も近かった。謝罪の言葉一つも言えないのか。次の駅まで踏んでいたら、この野郎。
 そう言えば今日も人が多い。あの時と同じだった。アルコールの臭いを自分も漂わせている事以外は。私はニヤニヤしながら昔のことを思い出していた。窓に映った自分の顔を見る。今の自分の表情とは正反対の表情の自分が映っている。なんて間抜けな顔だろう。結局なにも出来なかった臆病者、世間知らずも甚だしい。この電車の中の一体何人が飲めない酒を飲み、苦笑いを浮かべている人がいると思ってるんだ。この世の中なんてなぁ。
 下車すると夜風は思ったより冷たかった。足取りは重く、何人もの人に追い越されていく。私はさっきまでの間抜けな思い出し笑いを、車中に置き忘れていた。
田中 大喜         青春の名残りを
 夜、家の前のコンビニから車に乗り込む。地元の友人とツタヤに向かうのだ。車内は割りと大き目の音量で音楽がかかっている。会話が聞こえづらい。BGM程度に流せばよいものをこいつは音楽を聴くために車に乗っているようだ。いつもこの調子でツタヤに行くのだが、ビデオを借りるなんてことは滅多にしない。目的などあってないようなものだ。車は狭い密室なので普段は出来ないような話をする為に呼んだのかと思いきやこの音量。話をしないわけでもないが、大して何を言っているのかわからないので聞き流している。適度に相槌を打つだけ。目的地のツタヤは、自転車で10分くらい。車に乗る必要などないと思うのだが、毎回車で向かう。そして、毎回この調子なのだ。ツタヤですることなどない。店内を一周しておしまい。それでもオレはツタヤについて行く。課題があっても、寝ていなくても。
 高校時代は毎日のように自転車でツタヤに行った。酷い時には日に3回行ったこともある。互いに暇を持て余していたのだ。今はお互いに忙しい日々を送っている。それでも忙しい合間を縫って一見、時間の無駄ともいえる時間を過そうとする。あの頃の時間を大切にしてくれているんだろう。待ち受けている忙しい日々は、きっと二人でツタヤに行く時間さえ奪ってしまうだろう。もちろん友人はこんなこと考えず無意識にオレを誘ってツタヤに向かっている。なんでこんな無意味にツタヤに行くのかさえ疑問に思わないだろう。横で運転する友人は必死に車に繋いだアイポットで選挙区している。オマエ事故ったらどーするんだよ。
小河原 佑平           深夜の車中
 一日の終わり、終電も近い電車内。背広姿のサラリーマンらが乗客の多くを占めている。私は長椅子の端っこに座って目をつむっていた。静かな車内では、誰かの咳払いや、酒の酔いに任せて大声で話す二人の男の声が響いている。仕事の話になると言葉は益々鋭くなってゆくようだ。私の右側にはドアにもたれかかる50代程のサラリーマンが缶ビールを右手に、魚肉ソーセージを左手にしてうなだれている。
 その男の元でバケツの水をひっくり返した様な音がした。嘔吐したなと思ったるすぐにはそちらに目を向けることが出来なかった。床は濡れていて、私のズボンにもその液体の飛沫が付着したのが分かった。不快な気分になりながらも目をそちらへ移した。床に広がっていたのはビールだった。缶が転がっている。
 その男は胸ポケットからハンケチを取り出して、床を拭き始めた。その様子を足元に見ながら私の中では、嫌悪感や安堵感へ、そして憐れみへと変わっていった。男は次の駅で降りた。私は湿ったズボンを感じながら彼の後姿を見送った。
―――――――――――――――――― 7―――――――文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.30
愛読書アンケート 愛読書は、どんな本ですか
中谷 英里 (2005年5月23日提出)
○ 梶井基次郎著『檸檬』
  今まで読んだ小説の中で一番好きな一冊です。
  とても短く何か特別な事件が起こるわけではなく、ひっそりとした小説ですが、ラストシーンが心に強く残りました。
○ 坂口安吾著『桜の森の満開の下』
もう桜の季節は過ぎてしまいましたが、桜の季節には読みたくなります。やはりラストシーンが美しく印象に残る作品です。
○ ミラン・グンデラ著『存在の耐えられない軽さ』
  最近、読んだ本です。他の文に直接、作者の考えが書かれる(主人公視点ではなくあくまでも作者視点)作品は余り好きではなかったのですが、この作品に関しては特に引っかかることなく読めました。
○ 映画『アマデウス』
  モーツアルトの謎の死を題材として扱った作品。同時代の宮廷音楽家サリェリがモーツアルトを殺したのは自分だというシーンから始まり、サリェリの葛藤がよく描かれていて面白かったです。
大島 直文 (2005年5月16日提出)
○ ドストエフスキー著『地下室の手記』
  他のドストエフスキーの作品よりも段違いの薄さ、ページの少なさに魅かれて買ってし
まいました。ただ、初めてのドストエフスキーということもあり、最初の数ページを読
むのにも理解に苦しみ、凄く苦労した記憶があります。
○ レマルク著『西部戦線異常なし』
  古本屋で、たまたま見つけ、つい買ってしまいました。戦争について前から気になって
いたので、読んでみたいとは思っていたのですが、まだ読んでいません。
○ 村上春樹著『パン屋再襲撃』
  僕は全く村上春樹を読まない男ですが、、本屋でたまたまこのタイトルを目にしたとき、
そのインパクトの強さに読んでみたいなと思いました。でもまだ買ってません。
※ 「ゼミ通信29」で大島さんの愛読書に間違いがありました。訂正し再掲載します。
『パン屋再襲撃』です。(『パン屋再襲来』となっていましたが)
愛読書アンケート提出者(5月23日までに提出した人)順不同
小河原佑平  平岩理史  関 英樹  田中大喜  大島直文  林 正人
中谷英里
◎ 漫画アクション6月7日号デビュー(前編) 定価320円
アクション極上読み切りシアター
武富健治『鈴木先生』傷つけあう生徒たち…問いかける眼差し…教師とて、今、彼は試されている―――。漫画家・武富健治の渾身の読み切り。
文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.30―――――――――8―――――――――――――――――
・・・・・・・・・・・・創作「車中の人々」・・・・・・・・
あしたこそ
                                田中大喜
「うるせーなぁ」と声には出さず心の中で呟く。
 朝9時頃の武蔵野線府中本町行きの先頭車両。ぼくは毎日通学の為この電車に乗る。この時間のこの電車は、混雑していない。しばらく待っていれば座席に座ることもできる。学校の友人に比べて通学時間は割りと長い方だが、電車の乗り換えもせずに座ったまま通学できるので何の不満もない。通学時間が短くても乗り換えが多くて混んだ電車で通学するよりよほど楽だ。そんなぼくの通学ライフが、今隣に座っている男のせいで不快なものになった。その男は見た感じ18~20歳くらい。髪は少し茶色い。たぶん大学生だろう。目つきは鋭い。だがその視線はどこを見ているのかわからない。ボーッとしているだけなのか。別に見ていて不快だというわけではない。この男がずっと聴いているi podの音が五月蝿いのだ。さっきまでこいつの横に座っていたおばさんが下車して、ぼくが隣に座るといきなり音量を大きくした。きっとおばさんだと注意されるから音量を下げていたのだろう。
 いくら他人とはいえ、見た目で判断して態度を変えられるのは失礼だ。何が一番腹立たしいか白状すると、ぼくはこいつの思惑通り、文句を言うことができない。もう五駅間ほどこのように苛々したままだ。こいつは音が五月蝿い上にゴソゴソとポケットをまさぐり携帯を見たり飴を食べたりガムを噛んだり、鞄からノートを出して何やらチェックを付けたりと少しも落ち着かない。しかもポケットから物を取り出すたびに体を左右に傾けるので横に座っているぼくに少し凭れかかる。だんだん苛立ちが大きくなっていく。それなのに文句の一つも言えない自分に一番腹が立つ。ここで文句の一つも言えたら何かが変わるんじやないか。「おい!うるさいんだよ!」と、声を張り上げて胸倉をつかみ顔面に一発、拳を叩き込む。と、そんな妄想を頭の中で繰り返す。いかん、不健全な妄想だ。そこまでしなくてもこいつに文句を言って静かにさせれば勝ちだ。よし、次の駅を出発したら言おう。
 次の駅に到着
・ ・・・ダメだ。乗客がどっと乗ってきて車内が混雑してしまった。おまけにすぐ前に老
人が立っている。もしここで注意してこいつが暴れでもしたら老人に被害が及ぶ。最悪怪我をさせてしまうかもしれない。よし、次の駅で人が減ったらこいつに注意しよう。
次の駅に到着。
・ ・・・・ダメだ。人は減ったが足が痺れてしまった。勝負の流れは体調の微妙な変化で
変わるというのに。ただでさえ万全のコンディションで臨まなければならないのに。いや、
ネガティブになってはだめだ。ポジティブに考えよう。ポジティブ思考はスポーツなど様々な勝負事で流れを自分に引き寄せる大事な要素だ。そうだ。考えようによっては勝利の女神が今はまだタイミングが悪いと告げているのかもしれない。そう考えればこの足の痺れが治まった時がこいつに文句を言うチャンスだ。
 次の駅に到着。
 よし、足の痺れが治まった。言うぞ。この試練を超えたら何かが変わるんだ。頭の中で先程の妄想をもう一度シュミレーションする。最悪殴り合いになるかもしれない。大丈夫、こいつ小っちゃいし勝てる。ポジティブシンキングだ。もう腹を決めた。言うぞ。
 男の方をチラリと見る。男は席から立ち上がりホームに降りて行った。東所沢駅。どうやらここが目的地のようだ。しょうがないな。下車したんならしょうがない。よし、あいつが降りる駅も判った事だし今度会ったら絶対に文句を言ってやろる。
                                  完
(5月23日提出)
―――――――――――――――――― 9 ―――――――文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.30
旅日誌
「普通の一日を記憶する」
 書くことを習慣化するために、時間のあるとき、暇なとき、なにもかけなくなったときなどに自分の行動や考えを記してください。(創作日記可)この日、わたしは・・・・
何でもない一日           H・S
×月×日 11時半起床。隣に女が寝ている。煙草を取ってすう。上のロフトから男が降りてくる。女も目が覚めたようだ。ぐだぐだと一時間以上が過ぎる。空腹に耐えかねてスーパーへ行く。部屋に戻り飯を食う。日本代表の試合を見る。日本が負ける。またソファの上でぐだぐだとする。バイトに行くために電車に乗って家に帰る。服を着替えてバイトへ行く。バイトから帰ってカレーを食べる。自分の部屋で原稿用紙を前に唸る。あと二行かけたら風呂に入って寝るだろう…と、書いている間にあと一行じゃないか。と、書いているうちにもう一日が終わるじゃないか。
                我が家の始まり            H・M
×月×日 「正人、起きなさい!」今朝も、もう聞き飽きた姉貴と母親の声で、決して心地よくない目覚めとなった。黒木瞳みたいな人に起こされたらどんなにいいだろう、と思いながらタバコに火をつける。いつの間にか習慣になってしまった寝起きの一服だ。一日はこれで始まる。「今日は、何を着ていこうか・・・」そんなことを考えていると母と姉貴のケンカが始まる。昨日、晩御飯を食べなかったから米が余っていると母がぼやくと、姉が
「わたしだって、いろいろあるの」と、反論する。
 僕は静かに家を出て行く。こんな騒がしい一日も、我が家の日常なのだ。
               友人たちとの一日            S・H
×月×日 11時半過ぎに起きる。起きるとロフトの下でゴソゴソ音がして、タバコの臭いがして私のいるロフトに昇ってくる。グタグタとタバコをすったり、テレビを見たりして腹が減ってきて、私と他の男と女三人でスーパー「オザム」に行く。昨日にひきつづきスパゲッティーだ。腹が減って倒れそうだ。女はわらび餅を買っている。私は、男と一緒にスパゲッティーの具材を買って家へ。
 飯食ってまたグタグタ。二人が帰る。ゼミの宿題を書いて夜はスケボー行った。帰ってきて腹減ったから冷蔵庫を開けるとわび餅が残ってた。一人で食いました。
                昨日の一日               S・T
 
5月29日 5時起床。8時まで「ゼミ通信」打ちと見直し。保冷ボックスと医療救急箱を持って出る。タクシーを拾う。近道を知っている運転手。市の武道センターに8時30分に着く。
市民春季柔道大会はじまる。1~2年生試合副審でお役御免、応援に回る。土壌館在籍選手小中一般で16名出場。試合結果は、金1、銅3、敢闘2.。4時終了。5時自宅。自転車でスーパーに買い物。夕食後、テレビを見る。「ゼミ通信」を印刷。6月11日読書会のお知らせを作成。
文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.30 ―――――― 10 ―――――――――――――――――
土壌館創作道場  名作『灰色の月』までの出発点を検証する
学生と読む『網走まで』
(これまでの「下原ゼミ」掲載文と重複する箇所もあります) 
覚醒「網走まで」
 小説の神様といわれる志賀直哉の作品といえば唯一の長編『暗夜行路』をはじめ『和解』『灰色の月』『城の崎にて』といった名作が思い浮ぶ。浮かばない人でも『小僧の神様』『清兵衛と瓢箪』『菜の花と小娘』と聞けば、学生時代をなつかしく思い出すに違いない。国語の時間、教科書を朗読させられた記憶がよみがえるはず。また、物語好きな人なら『范の犯罪』や『赤西蠣太』は忘れられぬ一品である。他にも『正義派』『子を盗む話』などの珠玉の短編をあげればきりがない。いずれも日本文学を代表する作品群といっても過言ではないだろう。そこに志賀直哉が小説の神様と呼ばれる所以があるといえる。
もっとも、正直に打ち明ければ、なぜ志賀直哉が小説の神様といわれるのか、私は、これまで、確信あって思っていたわけではない。早い話、皆がそう言っているから、識者がそう認めているからなど、ただ既成事実がそうだからである。そんな単純で軽薄な概念から志賀直哉を小説の神様と思っていたわけである。まあ、なんの立証も根拠もない神様や悪魔の存在を信じ、拝み恐れるのと、たいして変わらないのだが・・・・・。
ところが、昨年と今年、テキストにした『網走まで』を読んでみているうち、不意に目からうろこが落ちる、そんな気持ちを味わったのである。学生と読むことによって、漸くにして実証を得たのである。同時に、これまでぼんやりとしていた志賀直哉という作家が、まるで白雨に洗われたように鮮明に見え始めた。そうして、この作家の作品の源泉は、もしかしてこの『網走まで』にあるのではないか。そんな思いにとらわれたのである。そうして『網走まで』を読解できなければ、志賀直哉文学を理解できない。『網走まで』が評価できなければ、文学というものを知ることができない。もしかして、とんでもない思い違いをしているかも知れない。が、とにもかくにも、そう思い感じたのである。その意味では、僅か20枚足らずの作品だが、原石の金剛石というわけである。輝くか輝かぬかは、このテキストの読解力、分析力にかかっている。
二つの謎の一つ
 前号にも書いたが、この作品には二つの大きな謎がある。一つは、題名の「網走」である。志賀直哉が、この作品を書いたのは、1908年(明治41年)である。草稿末尾に8月14日と明記されている。志賀直哉25歳のときである。志賀は、創作余談においてこの作品は、「或時東北線を人りで帰ってくる列車の中で前に乗り合わせていた女とその子らから勝手に想像して書いたものである」と明かしている。さすれば、なにも「網走」でなくてもよかったのでは・・・・「青森」とした方がより現実的ではなかったか、と思うわけである。歌手石川さゆりが熱唱する「上野発 夜行列車降りたときから 青森駅は雪だった・・・」の青森に違和感はない。はるかに現実的だ。なぜ青森にしなかったのか・・・。もし北海道にこだわるのなら函館の方が、知られてもいるし身近に思われる。既に40年の歳月が過ぎているとはいえ、函館(箱館)といえば、あの新撰組副長土方歳三が戦死した明治新政府と北海道共和国が戦った城下である。一般的知名ではあったかと想像する。明治政府に犯行した都市ということで、よろしくないとしたら、札幌はどうだろう。「札幌まで」としても、べつに遜色はないように思える。1876年(明治9年)あのクラーク博士ほか数名の外国人教師を迎えた札幌農学校のある「札幌」は、それから30余年北海道開発の拠点として、大いに発展しつつあったはず。「札幌」の名も全国区であったに違いない。にもかかわらず「札
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幌」ともしなかった。なぜか・・・・。当時、「網走」は一般的であったのか。はたまた作者志賀直哉に何か、よほど思い入れるような理由があったのか。どうしても「網走」としなければならない何かが・・・・・。
 網走は、元々は魚場として開拓民が住み着いた漁村である。が、佐賀の乱や西南の役などの内紛に加え、維新の混乱などで世相が荒廃し犯罪人が急増したため、またロシアの南下対策として彼らを北海道に送ることにした。屯田兵しかり。明治12年、時の総理伊藤博文はこう言っている。「北海道は未開で、しかも広大なところだから、重罪犯をここに島流しにしてその労力を拓殖のために大いに利用する。刑期を終えた者はここにそのまま永住させればよい」以後、14年、17年と囚人が送られた。網走には、明治23年に前身の「網走囚徒外役所」ができ1300人の囚人が収容された。囚人たちは、札幌 → 旭川 → 網走を結ぶ道路や鉄道建設にあたった。この作品『網走まで』が書かれた明治41年頃には鉄道は、札幌 → 帯広 → 池田 → 北見まで開通していた。が、網走までは、まだ敷かれていなかった。ということは、作品の母子は、北見から囚人が作った道路を徒歩で網走まで向かわなければならない。しかし、この時代「網走」という町が、一般的に知られていたのかと思うと疑問が残る。たぶんに、最近の若い人は、網走と聞けば観光地のイメージが強いのではないかと思う。観光用に刑務所そっくりな宿泊施設もある、と、テレビかなにかの旅宣伝でみたことがある。この現象は「幸せの黄色いハンカチ」という映画かららしい。網走刑務所を出所した中年男と若い男女が車で一緒に男の家まで旅する話だ。
 私たち団塊と呼ばれる世代で網走と聞けば、やはり東映映画『網走番外地』だろう。ポールニューマンの『暴力脱獄』のような一種文芸的映画だったこの映画は、第二作目からガラッとやくざ映画に転向。総天然色と唄で、激動の昭和40年代を熱狂させた。話のパターンは水戸黄門と同じで、網走刑務所を出所してきた流れ者やくざ高倉健が、悪いやくざにいじめられつくされている弱いやくざを、救うため最後の最後に、たった一人でドスを片手に敵陣に乗り込むのだ。その背中に、発売禁止となった「番外地」の唄が流れると、満席、立ち見で立錐の余地もないほど入った映画館の場内から一斉に拍手がわく。
 当然といえば当然だが、1960,70年代、網走は、刑務所のある町。そんな印象だった。むろん、この町に志賀直哉の時代は、どんなイメージがあったか知るよしもない。が、草稿のなかで「北見の網走などと場所でしている仕事なら、どうせジミチな事業ではない。恐らく熊などのいるところであろう。雪なだれなどもあるところであろう。」と書いているところから、刑務所、監獄という印象より、金鉱の町。得体の知れない人間が集まる未開の地。そんなイメージでなかったかと思う。つまり、とんでもない未開の未開、ろくな人間はいかない土地。作者のそんな思いを感じることができる。
 では、なぜそんな土地の名をあげたのか。何か特別な思い入れがあるのでは、と疑わざるを得ない。しかし、1951年(昭和26年)68歳のとき、(作品を書いてから実に41年の歳月が流れている)リックサック一つ背負い一人ではじめて北海道を旅した。が、網走には行かなかったという。と、すると、やはり思い込んでいた所でもなさそうだ。
 こうして考察してみると、この作品の『網走』は、たんなる偶然、さいころを転がせて決めただけ。何の意味も、関連もないのか。アインシュタインが悩んだ神様のサイコロのように永遠の謎か。この問題、学生たちは、どう読み解くのだろう。前回、課題として配布した。提出原稿が楽しみである。(次回は「もう一つの謎」)        編集室
 
昴劇団昴公演「アルジャーノンに花束を」
      原作=ダニエル・キイス 脚色=菊池准 演出=三輪えり花
      会場=昴三百人劇場 6月9日(木)~7月1日(金)
      料金・一般4900円、ペア9200円
      出演・平田広明 水野龍司 服部幸子 他
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掲示板
提出原稿について
 書けたら常時提出して下さい。(提出本数は何回でも可)
① 車内観察 (常時観察・提出することで観察力、表現力を高める)
② 普通の一日を記憶する(書けなくなったら一日の生活を書いてみてください。習慣化)
③ 『車中の人々』フリー(創作・エッセイ)提出日は自由(創作力をつける)
④ 報告した車内観察をヒントに創作を試みてください。(ゼミ誌掲載候補作品)
下記の手順で作品を仕上げます。(一つの作品をじっくり仕上げる)
車内観察・報告 → 創作 → 草稿発表 → 訂正・改稿 → 清書発表・合評
⑤ 「なぜ網走か」を論じてください。
⑥ 『網走まで』の前後の話を創作してみる。(想像・空想力をみがく)
⑦ 新規、『夫婦』の感想。
新刊紹介
熊谷元一 絵・文
『じいちゃんの子どものころ』
右の童画集は、私の小学校のときの
担任が描いたものです。
熊谷元一は、日本の写真家40人の
1人。『五十歳になった一年生』の
撮影者です。
冨山房インターナショナル刊 
定価1890円
お知らせ
ドストエーフスキイ全作品を読む会・第209回読書会
・6月11日 土曜日 午後2:00~5:00 作品『夏象冬記』報告者・金村繁氏
・東京芸術劇場小会議室1 会場費1000円(学生半額)
ドストエーフスキイの会第第169回例会
・ 6月11日 土曜日 午後6:00~9:00 報告者・近藤大介氏(一ツ橋大学大学院生)
・ 千駄ヶ谷区民会館 会場費500円 報告「ドストエフスキー作品における『心』の問題」
ドストエーフスキイ全作品を読む会・第210回読書会暑気払い大会
・8月13日 土曜日 午前10:00~12:00 作品『未定』
・東京芸術劇場小会議室7
ドストエーフスキイの会第170回例会『広場』合評会
・8月13日 土曜日 午後1:30~5:00 小会議室7     以上詳細は下原まで
編集室便り
☆提出原稿は直接か下記の郵便住所かメール先に送ってください。
「下原ゼミ通信」編集室の住所〒274-0825 船橋市前原西6-1-12-816 下原方
  メール:toshihiko@shimohara.net TEL・FAX:047-475-1582 
日本大学芸術学部文芸学科・文芸研究Ⅱ「下原ゼミ通信」原稿用紙 
「2005年、読書と創作の旅」テキスト『夫婦』感想
日本大学芸術学部文芸学科・文芸研究Ⅱ「下原ゼミ通信」資料
日本大学芸術学部文芸学科・文芸研究Ⅱ「下原ゼミ通信」原稿用紙 
「2005年、読書と創作の旅」 テーマ・『網走まで』の前後の話を創作する。
前(上野までの母子の生活は、娘時代はどうだったか創作する) 
  名前
                      ―――――――――――――
日本大学芸術学部文芸学科・文芸研究Ⅱ「下原ゼミ通信」原稿用紙 
「2005年、読書と創作の旅」 テーマ・『網走まで』の前後の話を創作する。
後(列車を降りてから、網走に着いてからの生活を創作する)
  名前
                      ―――――――――――――
☆ゼミ雑誌の作成手順
ゼミ雑誌作成は、以下の計画手順で進めてください。
1. ゼミ雑誌編集委員2名。中村健人さん、中谷英里さん
2. 6月上旬にゼミ雑誌作成ガイダンス 編集委員は必ず出席してください。
※ この席で申請書類が配布されます。かならず受け取って期限までに提出してください。(出版編集室へ提出)
3. 編集委員を中心に、ゼミで話し合いながら雑誌の装丁を決めてください。
※6月 ~  7月のあいだに
4. 9月26日(月)ゼミ誌原稿締め切り。編集委員は原稿を集めてください。
  ※提出が遅れると、掲載できない場合もあります。
5. 印刷会社をきめ、希望の装丁やレイアウトなどを(印刷会社と)相談しながら編集作業をすすめてください。
6. 印刷会社から見積もり料金を算出してもらってください。
※10月中旬までに
7. 10月末日までに「見積書」をかならず出版編集室に提出してください。
  ※予算内に収まらないとゼミ員の自己負担となるので、注意してください。
8. 11月中旬までに印刷会社に入稿してください。
9. ゼミ雑誌が刊行されたら出版編集室に見本誌を提出する。
10. 印刷会社からの「請求書」を出版編集室に提出する。
ゼミ誌予算  →  250000円 オーバーしないように注意!
発行部数   →  最大250部以下
印刷会社について → 過去に依頼したことのある主な印刷会社の連絡先は、文芸学科スタッフまで問い合わせてください。
           それ以外の印刷会社を利用したい場合は、かならず事前に学科スタッフに相談すること。
☆郊外授業(ゼミ・キャンプ)について(希望があればの場合のみ)
■ 利用日 : 週末か長期休暇中(夏休み中)
■ 日数 : 1泊2日
■ 施設 : 日本大学の施設。
■ 実施の1ヶ月前までに提出。出版編集室へ。
下原ゼミの理念「人類全体の幸福に繋がりのある仕事」(『暗夜行路』から)
日本大学芸術学部文芸学科・文芸研究Ⅱ「下原ゼミ通信」原稿用紙   
「2005年、読書と創作の旅」
車内観察したものをヒントに創作する   名前
                    ―――――――――――――――
土壌館創作道場・下原ゼミ原稿用紙
テーマ「なぜ網走か」を論じてください     名前
日本大学芸術学部文芸学科・文芸研究Ⅱ「下原ゼミ通信」原稿用紙 
「2005年、読書と創作の旅」 テーマ・「なぜ網走か」を論じてください。

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