文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.31

公開日: 

日本大学芸術学部文芸学科     2005年(平成17年)6月 6日発行
文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.31
BUNGEIKENKYU Ⅱ SHIMOHARAZEMI TSUSHIN
 ホームページ http://www.shimoharanet 編集発行人 下原敏彦
                              
2005前期4/18 4/25 5/9 5/16 5/23 5/30 6/6 6/13 6/20
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2005年、読書と創作の旅
6・6下原ゼミ
「読書と創作の旅」5日目の下原ゼミは、下記の要領で行います。(文ゼミ1)

 1. 登録者確認・前回ゼミ報告
   ・ゼミ誌ガイダンスのお知らせ ・前回ゼミについて ・名所案内 ・進行    
2. 愛読書紹介、テキスト感想(『正義派』再読の場合も)
  ・アンケート発表(未発表者) ・感想(提出できる人)
3. 車内観察・創作等の発表(提出されているもの、書いてあるもの)
  ・聞き手は発表者の観察眼、創作を観察する ・感想を述べる
  ・手本作品の読み(時間あれば)
4. 「普通の一日を記憶する」の読み
  ・他者の生活を知ることによって、他者になりきる。(作中人物の創造力)
5. テキスト『出来事』読み(朗読)
テキスト『網走まで』の観察は、女とその子供2名が対象だったが、『正義派』では、電車の人身事故と、会社の応対を観察。『出来事』では、事故を起こした電車の乗客の様子を観察。
  
2005年、読書と創作の旅・名所めぐり(瀬戸内海上にて)
 今では、四国見物するにも大橋を一走り。便利な世の中になりました。結構なことですが、もう緑の島々を眺めながらの、のんびりした船旅はできません。船頭が船客たちに、あの話をしたのは、渦潮がまくこのへんですか。子供が20銭で瓢箪を買って、学校に持って行ったら先生に叱られた。母親は、子供から取り上げ道具屋に持っていった。そしたら2円で買うという。狡猾な母親は、もしかしたら、とつりあげて、とうとう7円ださせた。
※ 1913年(大正13年)1月1日、志賀直哉『清兵衛と瓢箪』を読売新聞に発表。


目 次
□車中雑記「乗り物と事故」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 2
□5・23ゼミ報告・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・3
□車内観察報告・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・4、5、6
□愛読書アンケート ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・7
□『車中の人々』、一日を記憶する・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・8、9
□「学生と読む『網走まで』」、掲示板・・・・・・・・・・・・・・・・・・10、11、12
文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.31 ―――――――― 2 ――――――――――――――――
 
車中雑記     まぐろの日
                       ――――――――――――――――
梅雨前の雨降りは、鬱っとおしい。こんな天候が関係したのか、ゼミ学生は欠席者が多かった。この日、朗読したテキストは『正義派』。小さな女の子が母親の目の前で電車に轢き殺される話だ。お天気同様、重苦しい結末。こんな日は、早く帰ろうと駅に急いだ。
所沢、7時23分発の特急に乗車する。上りはほとんど貸切状態、ガラ空き。座席に腰を沈めくつろぐ。同乗のS教授は飲み物を飲み始めた。後は、池袋までの僅かな時間を「いい日、旅立ち」気分で過すだけ。が、災難は突然やってくる。
15分ほど乗っただろうか。突如、バシャという鈍い濁音を聞いた。窓外は、雨である。溜まった雨水が、一時にこぼれて、ぶっかったのか、と思った。が、それにしても重量感のある嫌な響きだった。特急はホームに滑り込んで止まった。石神井公園駅だった。
「へんですねえ・・・」私たちはつぶやいて、てんでに窓外をのぞき見た。
向こうのホームを、駅員が一人、明かりを手に後方に駆けて行った。なにか不吉な予感がした。10分ほど過ぎたあと「ただいま、人身事故がありましたので」と車内放送があった。どうやら飛び込みらしい。さっきの嫌な音が符号した。やわらかな肉と固い骨が同時に砕け散る音。その音に違いない、と、確信した。特急に乗ろうと、わざわざ通勤車両を見送っての乗車だったのに、まったく。運の悪さを呪いつつ、飛び込んだ人のことを考えた。
男だろうか、女だろうか。どんな理由で、どんな動機で。毎年の調査では年間3万人以上、1日見当100人を越す自殺者があるという。そのうち何人ぐらいが鉄道自殺か。よく聞くから多いに違いない。飛び込む瞬間は、どんなふうだろう。何かの本で、その瞬間目があってしまった運転手の苦悩を読んだことがある。そんなことを考えていると、『アンナ・カレーニナ』の飛び込みシーンがよみがえった。トルストイは、その瞬間の場面をこんなふうに描いている。「/彼女は、依然として、近づいて来た第二の車台の車輪から目を離さなかった。そして、前輪と後輪の間の中央部と思われるところが自分と平行の位置に来たとたん、さっとオペラ・バッグを投げ捨てて、首をすくめ、前のめりに車台の下へ手をついた。/彼女は、起き上がって、後方へ飛びさがろうと思った。が、巨大な無慈悲な何ものかが、彼女の頭をがんと打ち、背中をわしづかみにして引きずった。<ああ、神さま、許してください!>抵抗の不可能なことをさとりながら、彼女は言った」車輪に巻き込まれる寸前のアンナの気持ちと光景が生々しい。が、飛び込みといえば、どうしても、あの作家を思い出してしまう。
1951年(昭和26年)の3月13日この日の天気はどうだったか知らないが、この作家の印象からおそらくよく晴れた穏やかな春の日ではなかったかと想像する。時間は午前11時30分、所は中央線吉祥寺ー荻窪間の線路。1人の中年の男が、ふらっとあらわれるとレールの上に横たわった。まるで昼寝でもするように。男が仰いだ空は、どこまでも高く、青く、澄み渡っていた。まるであの日の空のように・・・原民喜 轢死 46歳。名作『夏の花』を残して逝った。作家は、なぜ死んだのか。広島で拾った命を都会で車輪の下に散らした。
それにしても、飛び込みは乗客には迷惑至極である。復旧までに時間がかかる。しかも雨が激しく降っている。肉片のひとつひとつを割り箸で拾って歩く作業は、困難に違いない。
「1時間はかかりますよ」駅員に聞けば、そんな返事だ。しかたなく、私たちは、駅前の喫茶店に入った。
「きっと高いんでしょうね」
「やっぱり家族の責任になるのかねえ」「いや、犯罪だって及ばないから」
「死ねば関係ないけど、あとを考えたら、飛び込みは、ちょっとだね」
そんな会話で時間をつぶし、1時間後に戻ると復旧していた。
 家に戻り、BSニュースを見ていると、韓国で、ちょうど飛び込みの瞬間が映った駅ビデオのフィルムが流れていた。幸いにその女性は、線路の向こう側に転がって助かった。人身事故にたたられたような1日だった。が、少しほっとした。
雨はやんだようだ。                       (編集室)
―――――――――――――――――― 3 ―――――――文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.31
5・30下原ゼミ報告
 
 5月30日(月曜日)の下原ゼミ授業内容です。
参加者は下記の皆さんでした。 (順不動・敬称略)
たなか  だいき    おがわら ゆうへい   ひらいわ さとし    せき   ひでき
田中 大喜   小河原 祐平  平岩 理史   関  英樹
おおしま なおふみ   なかや  えり     なかむら  けんと
大島 直文   中谷 英里   中村 健人
       
5月の平均出席者数約8.3名
 5・30の出席者は、前回同様7名。5月の平均出席者数は、8.25名でした。ちなみに毎回の出席者数は、次の通りです。
9日は10名、16日は9名、23日は7名、30日は7名でした。
小河原さんの進行で
 この日のゼミは小河原佑平さんの司会で、「下原ゼミ通信30」のプログラムに沿ってすすめられました。手順と主な授業内容は、次の通りでした。
1. まずトップバッターとして、中谷さんが愛読書案内を行いました。(アンケートで提出したもの)梶井基次郎、坂口安吾、M・グンデラの作品をあげました。映画では「アマデウス」がお薦めでした。が、この日の出席者はまだ観ていなかったようです。
2. 次に、4つの車中観察が報告されました。参加者の感想は下記のようでした。
a.関さんの『わが青春の航空公園駅』朝、航空公園駅まで、歩く私を観察。「自分の朝を彷彿する」「朝から機嫌の悪い様子がでている」「自転車で通ったら」
b.平岩さんの『酔っ払い哀歌』深夜の車内の酔いどれ観察。「自分もよく踏む。踏まれる」「<あの時>とは」「苦しい感じがよくわかる」「満員電車に乗らないので、わからないがニヤニヤしている人は気持ち悪い」
c.田中さんの『青春の名残りを』用事もないのに、地元の友人とツタヤに行く。それぞれの道を歩みはじめたのに、まだ高校時代の青春にしがみついている二人を観察。「自分の生活とオーバーラップした」「どこかさびしいところがいい」
d.小河原さんの『深夜の車中』終電近い車内で、酔っ払いがビールをこぼした。酔っ払いは、ハンカチで床を拭き始めた。ビルを飲んでいるところと、拭いているところを観察。「マナーのいい人」「情景がでている」
※ 観察報告は、読み手にどれだけの印象と想像力をもたせるかがポイントです。
3. 次は、テーマ『車中の人々』では、田中さんが『あしたこそ』を発表した。通学の車内、ぼくの隣に座った自己中男。聴いている音楽がうるさい上にゴソゴソ動きまわる。ぼくは、注意しようと思いながらも、記が弱く、なかなか言い出せない。ようやく決心がついたところで、その自己中男は電車を降りた。体験創作だが、主人公のぼくが作者ではないところがミソ。ヒントに、東所沢の駅名が。自己中男は、作者本人だったという隠れた落ち。反省作品にもなっている。落ち作品では、O・ヘンリーの『心と手』が。
3. ラス前はテーマ・「普通の1日を記憶する」の読みと質疑。本人になりきるのは至難。
  
『正義派』朗読
 残り時間『正義派』を朗読する。電車の人身事故の観察作品。作者が「小説らしい小説」と満足した作品。5月に着想。8月に書き上げの作品。ゼミの皆さんも社会にでれば必ず、突き当たる問題がテーマになっている。
文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.31―――――――――4―――――――――――――――――
2005年、読書と創作の旅6・6記録「車中観察」未報告
  
車中観察報告
大島 直文          車中の二人
 私の眼下には、窓ガラスに沿って多様の人間の顔が並んでいる。直接そっちに視線を向けるのもおこがましいので、ドアのガラスに映った人の様子を、日が落ちて真っ暗な外を眺めながら見ていた。
 そこで先ず目にとまったのが、二人のカップルと思われる男女だ。そういえばちょっと前から喋り声や笑い声、電話をする声など、騒がしいと思っていたが、この二人から発せられる物音だったようだ。車両の中には他にもサラリーマン風の男や老人、中年の女性、女子高校生がうなだれていたり、本を読んだり、携帯電話をのぞきこんでいたり、誰一人として声を出す人はいない。また、足を組みながら前方に大きく投げ出して、互いに向き合い、落ち着きもなくいちゃつき合う男女を殆ど気にかける風でもなかった。
 男と女を見比べてみると、女はピンクのラメが入ったヒールをはき、だいぶ胸元の開いた
服を着、小さな目を大きく見せようとした感じの、けばけばしい化粧をしていた。男も女も
同じく茶髪で、色黒、今時の普通の青年といった感じだったがその目はどこかあかぬけてお
らず彼女よりどこか年下で、幼い感じが否めなかった。
テキスト『網走まで』の感想(原稿提出者)は以下の皆さんです。5月23日現在 順不動
関 英樹   小河原佑平  平岩 理史  林 正人  大島 直文  
中谷 英里  畑 茉林   田中 大喜
 
『車中観察』の原稿提出者は以下の皆さんです。5月30日現在 順不動(本数)
関 英樹(3)小河原佑平(3)平岩 理史(3)林 正人  大島 直文(2)  
中谷 英里(2)  畑 茉林   田中 大喜(2)
愛読書アンケート提出者(6月4日までに提出した人)順不同
小河原佑平  平岩理史  関 英樹  田中大喜  大島直文  林 正人
中谷英里  中村健人
「車中の人々」提出者(5月30日までに提出した人)
 畑 茉林  田中大喜  平岩理史 
―――――――――――――――――― 5―――――――文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.31
2005年、読書と創作の旅
・・・・・・・・・・・・創作「車中の人々」・・・・・・・・
車窓の神様
平岩 理史
 「お祈りしているみたいね、その格好」
 私は、予備校に通うようになった高校三年生の頃から、一つのつり革に両手をかけて、頭をうなだれた体勢で電車に乗ることが癖になっていた。私が、その体勢になると当時の彼女はそう言って私をからかった。
「窓の外に神様でもいるのかな」とか、向かい合って彼女が座っていると「私に祈っても何もいいことないわよ」とか言って笑った。
 私は、ふっとそのことを思い出した。江古田に向かう電車の車中でのことだった。私と全く同じ体勢のサラリーマンを見かけたからである。疲れきって、半分夢の世界に入っている彼は、まさしく祈る格好をして立っていた。そう思うと私は妙に可笑しな気持ちになった。電車の車内で、祈りを捧げる彼には、一瞬で映り過ぎてゆく景色の中に何かが存在するような気さえした。私には見えない彼の神は今何をしているのだろう。祈りに応えているのだろうか。不思議なことに私は、自分のあのときの彼女がそこにいる気がした。私をからかって笑っていた彼女が、そこにいるように感じた。私は、一人、車内であたりを見まわしてはみたものの、そんなに物語はうまく進まないようだった。        (完)
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紹介 車中を舞台にした短編でO・ヘンリーの『心と手』はきれいなオチがある佳品となっている。(大久保康雄訳)作者は、田舎町の駅に着いた列車の車内観察を手短に
語ったあと、この話の主人公たちを登場させ、彼らの観察をもしっかり行っている。この短
編の最も重要な部分は、二人の主人公の観察にある。この観察が生きていないと、つまり読
み手にしっかりと印象づけられていないと、作品はぼやけ、オチもたいしたオチにならずに
駄作に終わってしまう。それだけに、最初の観察は肝心である。この作品のはじまりはこの
ようだ。
 東部行きB・M急行列車の客車へ、デンバー駅から、乗客がどやどやと乗り込んできた。客車の一つに、趣味のいい衣装を身につけ、すべてが旅なれた旅行者の高級な旅行用品にとりかこまれて、すばらしく美しい若い婦人が乗っていた。新しく乗り込んできた乗客のなかに、二人の若い男がいた。一人は、表情も態度も明るくて、きびきびとした、目鼻立ちのととのった男であり、一人は体つきのがっしりしたくらい陰気の顔つきの、服装に無頓着な男手あった。この二人は、たがいに手錠で結びつけられていた。(略)彼らに残された空席は、ただ一つ、例の魅力的な若い婦人の真向かいの座席だけであった。
この観察によって、わかることは、若く美しい女性と、二人の若い男は、同じ座席に座ることになった、ということである。一人は美男子で一人は陰気な男。二人は手錠で繋がれていたとあるから、彼らは刑事と犯人の関係だろう。話は、犯人と向かいの女性が知り合いだった、ということからはじまる。勘のいい人なら、というか、たいていの人は、この時点で、物語のあらすじがみえるところである。が、それでも、この作品を面白くさせているのは、作者の、最初の観察眼がしっかりしているところにある。短編なので、時間があれば、朗読して、そのへんの感じをみてみましょう。
文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.31―――――――――6―――――――――――――――――
旅日誌
「普通の一日を記憶する」
 書くことを習慣化するために、時間のあるとき、暇なとき、なにもかけなくなったときなどに自分の行動や考えを記してください。(創作日記可)この日、わたしは・・・・
蜘蛛と私の一日            O・U
×月×日 私の部屋の窓には蜘蛛がいる。窓ガラスと網戸が成す指日本ほどの隙間にきめ
細かな糸の巣を築き、この数日間、私の様子をこそりこそり窺つている。
 その存在に気づいたのは幾日か前の夕方だった。窓に手をかけて空けるの輪ためらった。
赤と黒の縞模様のそいつは、折れかけた枝のような手足を前後させて巣の奥へと隠れた。
恐らく、その濁った眼は、私に向けられているのだろう。吹く風に僅かに揺れる糸の巣
 には何ひとつ捕えられていなかった。綿菓子に似て脆そうであった。私は、窓ガラスをコ
 ツコツと小突き、暫く私の蜘蛛を眺めていた。
                やっぱりドーナツ            N・R
×月×日 今日は、学校が終わってからバイト先へ給料を取りに行った。受け取った後、
明細を見たら明らかに少なかったので、間違っていないか確認してもらったら、やっぱり
おかしかったらしい。全体的には予想より多くなってよかった。せっかくお金が入ったの
だから、何か買おうかとデパートへ。新しい財布が欲しくなって探すが、気に入るのが見
つからなかった。朝、学校でミスドで働いている友人にドーナツの話を聞いたことを思い
だし、食べたくなる。結局、ミスドでドーナツを2個買って帰った。食べたことのない新
商品だったけど、とても美味しかった。今度もたべようと思った。
意志あれば・・・
×月×日 見たかった映画が銀座でしかやつていないと思っていたら、新宿でも上映して
いることがわかり、早々観に行った。が、6時近くまで学校なので、授業をサボって早い
早い時間に行くか、ちゃんと出て最後の9時の回に行くか、1日中考えていたが、結局、
9時の回にすることにした。突然、雨に降られ、予定した電車に乗り遅れる。しかも映画
館への地図を忘れたので、新宿に詳しい友人に電話する。親切に教えてくれたのでよかつた。思い切り走って、上映開始ン分前に滑り込んだ。映画を見終わった後、道に迷う。行きは、
初めて来た所にも関わらず迷わなかったのに。行きは映画を観たいという気持ちが映画館まで導いてくれたかなあ、と勝手に考えていた。
               ボロ靴とスケボー            S・H
×月×日 靴がボロボロだ。もう一つあるのだけど、ボロ靴の方が好きなので、もう一つは雨の日くらいにしか履かない。ボロい靴はスケボーシューズで、もう履けないくらいボロボロなのだが、もう一つの靴はスケボーがやりずらくて仕方がない。しかし、新しいものを買う金もない。今日もボロい靴を履いてスケボーに行く。何百回も飛んで、何十回も転んで、それでもメイクしつづける。靴がボロボロで更にこわれても完全に履けなくなるまでは履くだろう。しかし、今日は肉離れをおこしてしまった。まあ、しばらく出来なさそう。
―――――――――――――――――― 7―――――――文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.31
学生時代            O・N
×月×日 今日の授業は2限目、3限目、4限目とあった。2限目は語学だったので休むわけにはいかず、まじめに出席。しかし、長く、たるいだけの90分を越えた後の俺の気力はもう無くなっていた。体力はまだまだあると思うのだけれど、それに伴って必要なやる気がからっきし無いのだ。もうこの後の授業は出たくない。たまには休んでもよいだろう。昼飯を食べて眠たくなりながら夜のバイトのことを考えると、それだけで充分疲れた。
 あんなどうでもよい講義を聴くくらいなら、何か手持ちの小説を読んだり、どこかへ遊びに行った方がよほど自分のためになるんじやあないかとさえ思えてきた。それは現実逃避だった。だがよくよく考えてみるとその現実逃避の考えも正論に聞こえる気がした。
 3限目が始まる10分前、昼飯をとり終えた学生たちが徐々に出てゆき、そのうち殆どが同じ教室の方向に、教室へと歩いてゆく。河のような大群のような列ができている。自分は、その群れに混じり、次の授業の教室へ歩いた。結局、3限目、4限目とただなにするでもなく、先生の話を聞いていた。ためになる話を聴けたような気もするが、それでもまだ、さっきの正論が頭に浮かんでは、少し悔しい気がして仕方なかった。
               しかし充実した一日            H・S
5月23日 7時20分起床。月曜が1限という最低な時間割に後悔したが、教職なら仕方ないと腹をくくってベッドを出る。と、同時に足をくじく。今日は、学校に行かない方が身の為かと思った。が、気がつくと学校にいる自分がいる。何かの魔法か、夢遊病か、足をくじいた事によるPTSDかと小1時間考え込む。1限までの授業が終わり、帰路につこうとするが、雨が降りだして断念する。そのままS氏と他のゼミの女子二人と、くだらない話で時間をつぶす。いつの間に雨がやんでいたので、愛すべき我が家に帰る。ありがとう、今日。
青春賛歌
5月24日 目覚ましの効果むなしく、遅刻が決定的な時間に起きる。母親に怒られて、気分を害すが家を出てバイクに乗っていると、なんだか20歳になったのにだらしがないなぁという思いでいっぱいになる。授業の後、部活をやる。友人にも手伝ってもらって、いい汗をかけたと思う。しかしながら、自分のスパイクには納得がいかなかつた。その後、部活のメンバーで銭湯に行く。違法行為と知りながら1台の軽自動車に7人で乗る。部活の後のお風呂とあがった後のコーヒー牛乳は、この世のものとは思えないものだった。
ありがとう!今日。
                  友人十色
 5月25日 7時20分に起床。昨日の片付けのため、早めに家を出る。1限目までに体育館アリーナに置いたままのネット、ボール等を片付けなくては。しかしながら、私が到着するより早く、女子部員が片付け終わっていた。結局、部室でNHK教育を見て、教養を深める。授業が終わると友人3人と共にくだらない話に興じる。帰り際、落ちていた鍵を発見する。教務課に届けると、階段に座り込んでいる女子のパンツが見える。私が友人にその事を報告すると、1人は走って見に行った。こんな人がいていいものかと思った。
文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.31―――――――――8―――――――――――――――――
              なぜか調子のいい朝
                                     N・K
 ○月×日 いつもより早い時間に、目覚まし代わりにセットしておいた『日本ブレイク工業』の着メロで叩き起こされる。寝起きの耳に無意味に元気なフレーズが障ること障ること。居間に下りるとNHKのアナウンサーが日本がバーレーンに勝利したと告げていた。マジで?サッカーにはさほど興味は無いのだが、小野選手の欠場うんにゃらかんにゃらで日本不利だと思っていた。日本人として素直に嬉しいのでとりあえず快哉を叫んでおく。何故か普段より食欲が湧いたので、ごはん3杯ほど平らげると軽い足取りで家を出た。
                
旅日誌  創作日誌のすすめ(自分でない何者になって書く)
(例えば、志賀直哉の作品の一つに『クローディアスの日記』がある。「兄の死後直ぐその妻を自分の妻として自らその王位になった」男の日記である。)『ハムレット』にヒント。
「2005年読書と創作の旅」は、書くこと読むことの習慣化が目的ではあるが、他方、もう一つの目的があった。それは人間とは何かを知ることである。ということで、下記の新聞記事(朝日新聞5月24日夕刊「科学」欄)をヒントに、最初の人間になってみよう。
最初の一日
                                  名無し
 おれは何だ?いや、何だと思うおれは何だ?いったいぜんたい何だって、こんな妙なことが頭に浮かぶのか。(三日前おれは大きな木の下で雨をしのいでいた。稲光と雷が大木に落ちた。おれの脳天にも稲妻が落ちた。おれは気絶した。そうして気がついたとき、おれは、なぜかおれはおれだということを意識したのだ。仲間がおれの様子をみにきた。おれではないおれたち。でもなぜかいまは遠い存在に思える。おれはもうきのうまでのおれではないのか)何かがおれをかきたてる。おれは、森をでることにした。草原は、四足獣の世界だ。が、おれは、一歩を踏み出した。森が遠ざかる。おれはもう、もどれない。
―――――――――――――――――― 9 ―――――――文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.31
土壌館創作道場  名作『灰色の月』までの出発点を検証する
後半       学生と読む『網走まで』
(これまでの「下原ゼミ」掲載文と重複する箇所もあります)
もう一つの謎
 志賀直哉の処女作品『網走まで』には、大きな謎が二つあるとして、前号30号では、その一つの謎、題名にこだわった。即ち、なぜ「網走」かである。当時、東北以北は、未開の地であったはずである。それを、まだ鉄道も敷かれていない、「なだれのある」熊と無宿人の土地。まさに未開のなかの未開の土地「網走」にする必要があったのか。はたまた、その土地の名をあげたい強い思い入れがあったのか。そのあたりを考え、推測してみた。が、これといって思い当たるものはなかった。作者が、サイコロを振って決めたというなら、お手上げだが、そうは考えたくない。なかには、そんな作家もいるだろうが。(書いている最中に、郵便配達が二度ベルを鳴らした。それで『郵便配達人は二度ベルを鳴らす』そんなタイトルをつけたというこぼれ話を聞いたことがある。が)志賀直哉は、他の作品をみても、そんな題名のつけ方はしていない。大概は、ストレートである。『城の崎にて』しかり、『真鶴』しかりである。いずれも、その土地に作者が関係している。関係していると思われる。
が、この網走だけが、なんの関連もないのである。なぜか。そこで、まったくの想像だが、この地名の謎を解くには、もう一つの謎が関連するのではないだろうかと考えた。毒には毒を、謎には謎をもって制す、というわけである。
それでは、もう一つの謎とは何か。それは、この作品『網走まで』が、応募先の編集部で没にされたという事実である。前号でも紹介したが、志賀直哉は1908年8月14日、この作品を書き終えた。25歳のときである。このころ志賀は、同人4人と回覧雑誌(のちの『白樺』)をはじめたが、この作品『小説網走まで』は、同人達の好評を得た。同人達は、投稿をすすめた。で、志賀直哉は「当時帝国大学に籍を置いていた関係から『帝國文学』に投稿した」。が、没書された。志賀は、これについて創作余談で「原稿の字がきたない為であったかも知れない」と回想している。しかし、これは作者のやさしさか自虐的謙遜であろう。原稿の字が下手だから、きたないから採用しない。それ故に、不採用になった。古今東西あまり聞かぬ話である。それより、まともな編集者であったなら、たとえ1行でも輝ける文をみつければ、たとえミミズがのたくっていようがなんとかして解読を試みようとするはず。それが真の編集者というものである。と、すると、当時の『帝國文学』の編集者は、真の編集者ではなかった。見る目がなかったのだ、とする評者もいる。現に、そう評している作家もいる。しかし、文学を少しでもかじったものなら、(筆者のような浅薄な文学感覚さえ持ち合わせていない人間でさえ、そうだが)この作品を、見逃すはずはない、と思いたい。この作品は、ただならぬものを秘めている。まず、そのことに気づくはずである。決して『帝國文学』の編集者は、見る目がなかったわけではない。そう信じるわけである。
では、なぜ、彼らは『小説網走まで』を、没にしたのか。させたのか。顕然たる事実である。回覧雑誌の同人達、彼らは、この頃、若いとはいえ、のちの『白樺』の面々である。彼らが絶賛し、また現代においても、充分に評価の対象と成りえる作品。そんな作品をなにゆえ、いったいどんな理由から没としたのか。
網走の矛盾
 『帝國文学』の編集者は、一旦は採用した。そう取る方が自然だろう。そうして、掲載をめぐる編集会議において没にした。証言物があるかどうかは知らないが、想像するに小説『網
走まで』は、そんな経緯をたどったような気がする。では、何ゆえに没としたのか。
 それは、この作品に大きな矛盾があるからではないのか。絶対に、あってはならないもの
文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.31 ―――――― 10 ―――――――――――――――――
があった。こう推理するのは、荒唐無稽だろうか。
 余談だが、先般、何十万部ものベストセラーになった作品が、直木賞から漏れた。そのことで選者、出版界、作者を交えて喧々諤々となったことがあった。読者、出版界が認める作品。その作品がなぜ受賞できなかったのか。詳しくは知らないが、物語のなかに、絶対ありえない出来事があったからだという。小説だから、なんだっていいじゃないか。創作とはそんなものだ。といえばそれまでだが、よりリアリズムを目指す作品においては、その作品が優れていればいるほど、そうはいかないというのか。嘘でも空想でもいい。だが、そのなかに些少の矛盾があってはならない。それもまた文学の大道。と、すれば当時も今も、その手の編集者がいたとしても可笑しくない。『帝國文学』の編集者は小説『網走まで』を稀に見る名作と踏んだ。それ故に、矛盾は許しがたく没とした。独断と偏見だが、小説『網走まで』のごみ箱行きの謎解きは、そのへんにあるような気がしてならない。
 では、この作品における矛盾とは何か。早速に言えば、それは、題名の「網走」にあったのではないだろうか。まったくの想像だが、没の謎を解く鍵としては、これより他に、思いつかない。当時、網走といえば、どんなところか。東京の人間は、どんな印象をもっていたのか。おそらくは、それほど知られてはいなかったのでは、と推測する。現に作品のなかでも、こんな会話がされている。
「どちら迄おいでですか」と訊いた。
「北海道でございます。網走とか申す所だそうで、大変遠くて不便な所だそうです」
「何の国になってますかしら?」
「北見だとか申しました」
「そりゃあ大変だ。五日はどうしても、かかりませう」
「通して参りましても、一週間かかるさうで御座います」
 ここからわかるように、当時は、網走といっても知られていなかったようだ。鉄道は北見までしか通じていなかったらしいが、そのことを作者は知っていたかどうか。一週間かかるというのは、誰かからきいたのだろう。北の果て、よほどの遠く。作者にしてはその程度の知識しかなかったのでは。草稿で作者は、主人公に網走について「北見の網走などという場所でしている仕事なら、どうせヂミチな事業ではない。恐らく熊などのいる所であろう。雪なだれなどもあるところであろう」と語らせている。ここから判明するのは、網走という所は、まっとうな仕事をしていない山師のような人間が集まっている所。熊がでる所。雪も深い自然も厳しい所。つまり獣や悪人がいる秘境ということになる。当時、網走が、どの程度の思われ方をしていたのか、知るよしも無いが明治23年前身の「網走囚徒外役所」ができ1300人の囚人がおくられてから、既に18年が過ぎている。重罪犯人が集められた所として、それなりに名前は知れ渡っていたのではないかと思う。
網走まで・・・当時、明治後年頃、その地はとても一般人が旅するようなところではなかった。そんなふうに思われていたのではないだろうか。
そんなところに、赤子を背負った、病気がちの子供を連れた母親の母子3人が旅するという。しかも、持ち物ときたら「荷といっても、女持ちの信玄袋と風呂敷包みが一つだけ」北見からは、囚人がつくった荒れ道を徒歩で行かなければならない。不可能とは思わないが、それにしても、無理があり過ぎる。実際に(網走まで行く母子を)見たのなら、それもやむなしと認めるところではあるが、全体、創作である。無理がありすぎる。矛盾が多すぎる。なのに作者は、なぜ「網走」としたのか。この母子の旅を、読者により困難で悲劇的な旅に印象づけんがため。そうとるのは無謀だろうか。若き小説の神様は、作品をより深刻にせがために、リアルを逸っして当時、日本一過酷で恐ろしい地の印象があった網走を母子の終着駅にした。その作為を編集者は見逃さなかった。若き志賀の勇み足である。
だがしかし、現在において網走と聞いても、なんら矛盾は感じない。むしろぴったりの題名のように思える。と、いうことは「網走」には普遍性があったのだ。志賀直哉が小説の神様と呼ばれる所以の一端は、そこにもあるのかも知れない。  (完)
―――――――――――――――――――― 11 ――――文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.31
2005年、読書と創作の旅・提出原稿
なぜ「網走」か
中村健人
 やはり『網走刑務所』という、連鎖的に思い浮かぶその単語が導く負のイメージによって、作中登場する母子達のこの先が暗いものになるという印象を与えるためではないだろうか。
 これが網走ではなく『博多』や『大阪』だったら、我々が受ける印象は随分違うものになったはずだ。
 実際、博多などは気候も網走よりも暖かく過ごしやすいだろうし、大阪だったら人で賑わい活気に満ちているだろう。
 網走と聞いたからこそ、主人公はあの母子の上に実際よりもさらに暗い影を見出してしまい、それが読者にも伝染してきたような気がする。
・・・・・・・・愛読書アンケート 愛読書はどんな本ですか・・・・・・・・・
中村 健人 (2005年6月4日提出)
○ ドフトエフスキー著『罪と罰』
 母の蔵書の中にこれを原作とした漫画があり、話の大筋は知っていたのですが。実際に読んでみたところ、登場人物が語る叩き込んでくるような言葉に圧倒され、やはり原書を読んでよかったと感嘆しました。
○ 隆慶一郎著『影武者徳川家康』
 徳川家康は関が原で死んでいた、という大胆な仮定を、多くの史料に残る関が原後の徳川家の不可解な記述を示していく事で史実であったと思わせる力技がまずなによりも素晴らしい。それだけでなく、娯楽小説としても一気に読ませる魅力に溢れていて、間違いなく時代小説の傑作だと思います。
○ トールキン著『指輪物語』
 映画化されたので一気に知名度が上がったファンタジーの代名詞。なによりも瀬田貞治氏の訳が素晴らしい。まるでこれが日本の物語であるかのような錯覚を覚えるほど自然に読むことができます。ただし、剣の名前を『かみつき丸』と『つらぬき丸』と訳するのにはどうしても違和感が。
☆ゼミ雑誌について
6月14日(火)12時30分より文芸棟教室1でゼミ雑誌作成ガイダンスがあります。
 編集委員は必ず出席してください。編集委員は、中村健人さん、中谷英里さん
※この席で申請書類が配布されます。かならず受け取って期限までに提出してください。(出版編集室へ提出)
※今年度より、ゼミ誌発行部数は200部を上限とし、完成したゼミ誌は、各学生が責任を持って配布し、過剰な在庫を残さないとのことです。(例年ゼミ誌の在庫が多く、整理・収納の限度を越えており困っている。)
☆郊外授業(ゼミ・キャンプ)について
申し込み受付期間は~6月9日(木)までですが、既に軽井沢、塩原研修所は、申し込みが多く困難になっています。また日にちに予定がつかないため、ゼミ合宿は見合わせます。
※ かわりに夏休みは、後期のテーマに沿った推薦テキストを各自で読んでもらいます。テキストは、後日、紹介します。
文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.31―――――――― 12 ――――――――――――――――
掲示板
提出原稿について
 書けたら常時提出して下さい。(提出本数は何回でも可)
① 車内観察 (常時観察・提出することで観察力、表現力を高める)
② 普通の一日を記憶する(書けなくなったら一日の生活を書いてみてください。習慣化)
③ 『車中の人々』フリー(創作・エッセイ)提出日は自由(創作力をつける)
④ 報告した車内観察をヒントに創作を試みてください。(ゼミ誌掲載候補作品)
下記の手順で作品を仕上げます。(一つの作品をじっくり仕上げる)
車内観察・報告 → 創作 → 草稿発表 → 訂正・改稿 → 清書発表・合評
⑤ 「なぜ網走か」を論じてください。
⑥ 『網走まで』の前後の話を創作してみる。(想像・空想力をみがく)
⑦ テキスト『夫婦』の感想。
⑧ 新規 テキスト『正義派』の感想
⑨ 新規 創作「普通の一日を記憶する」(最初の人間になりきる)
ゼミ雑誌作成ガイダンス
「ゼミ雑誌作成委員」の方は、必ず出席してください。日時、会場は下記の通り。
月 日 : 6月14日(火) 時 間 : 12時30分より 会 場 : 文芸棟教室1
お知らせ
ドストエーフスキイ全作品を読む会・第209回読書会
・6月11日 土曜日 午後2:00~5:00 作品『夏象冬記』報告者・金村繁氏
・東京芸術劇場小会議室1 会場費1000円(学生半額)
ドストエーフスキイの会第第169回例会
・ 6月11日 土曜日 午後6:00~9:00 報告者・近藤大介氏(一ツ橋大学大学院生)
・ 千駄ヶ谷区民会館 会場費500円 報告「ドストエフスキー作品における『心』の問題」
ドストエーフスキイ全作品を読む会・第210回読書会暑気払い大会
・8月13日 土曜日 午前10:00~12:00 作品『未定』
・東京芸術劇場小会議室7
ドストエーフスキイの会第170回例会『広場』合評会
・8月13日 土曜日 午後1:30~5:00 小会議室7     以上詳細は下原まで
昴劇団昴公演 アルジャーノンに花束を 一般4900円 ペア9200円
原作――ダニエル・キース(早川書房)
脚色――菊池准
演出――三輪えり花   6月9日(木)~7月1日(金)三百人劇場(千石)
編集室便り
☆提出原稿は直接か下記の郵便住所かメール先に送ってください。
「下原ゼミ通信」編集室の住所〒274-0825 船橋市前原西6-1-12-816 下原方
  メール:toshihiko@shimohara.net TEL・FAX:047-475-1582 
日本大学芸術学部文芸学科・文芸研究Ⅱ「下原ゼミ通信」提出原稿用紙 
「2005年、読書と創作の旅」テキスト『出来事』感想
創作日誌・一日を記録する
テーマ「ホモ・サピエンスの日記」
日本大学芸術学部文芸学科・文芸研究Ⅱ「下原ゼミ通信」資料
日本大学芸術学部文芸学科・文芸研究Ⅱ「下原ゼミ通信」原稿用紙 
「2005年、読書と創作の旅」 テーマ・『網走まで』の前後の話を創作する。
前(上野までの母子の生活は、娘時代はどうだったか創作する) 
  名前
                      ―――――――――――――
日本大学芸術学部文芸学科・文芸研究Ⅱ「下原ゼミ通信」原稿用紙 
「2005年、読書と創作の旅」 テーマ・『網走まで』の前後の話を創作する。
後(列車を降りてから、網走に着いてからの生活を創作する)
  名前
                      ―――――――――――――
☆ゼミ雑誌の作成手順
ゼミ雑誌作成は、以下の計画手順で進めてください。
1. ゼミ雑誌編集委員2名。中村健人さん、中谷英里さん
2. 6月14日(火)12時30分より文芸棟教室1でゼミ雑誌作成ガイダンスがあります。 編集委員は必ず出席してください。
※ この席で申請書類が配布されます。かならず受け取って期限までに提出してください。(出版編集室へ提出)
3. 編集委員を中心に、ゼミで話し合いながら雑誌の装丁を決めてください。
※6月 ~  7月のあいだに
4. 9月26日(月)ゼミ誌原稿締め切り。編集委員は原稿を集めてください。
  ※提出が遅れると、掲載できない場合もあります。
5. 印刷会社をきめ、希望の装丁やレイアウトなどを(印刷会社と)相談しながら編集作業をすすめてください。
6. 印刷会社から見積もり料金を算出してもらってください。
※10月中旬までに
7. 10月末日までに「見積書」をかならず出版編集室に提出してください。
  ※予算内に収まらないとゼミ員の自己負担となるので、注意してください。
8. 11月中旬までに印刷会社に入稿してください。
9. ゼミ雑誌が刊行されたら出版編集室に見本誌を提出する。
10. 印刷会社からの「請求書」を出版編集室に提出する。
ゼミ誌予算  →  250000円 オーバーしないように注意!
発行部数   →  最大250部以下
印刷会社について → 過去に依頼したことのある主な印刷会社の連絡先は、文芸学科スタッフまで問い合わせてください。
           それ以外の印刷会社を利用したい場合は、かならず事前に学科スタッフに相談すること。
■ 実施の1ヶ月前までに提出。出版編集室へ。
下原ゼミの理念「人類全体の幸福に繋がりのある仕事」(『暗夜行路』から)
日本大学芸術学部文芸学科・文芸研究Ⅱ「下原ゼミ通信」原稿用紙   
「2005年、読書と創作の旅」
車内観察したものをヒントに創作する   名前
                    ―――――――――――――――
土壌館創作道場・下原ゼミ原稿用紙
テーマ「なぜ網走か」を論じてください     名前
日本大学芸術学部文芸学科・文芸研究Ⅱ「下原ゼミ通信」原稿用紙 
「2005年、読書と創作の旅」 テーマ・「なぜ網走か」を論じてください。

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