文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.34

公開日: 

日本大学芸術学部文芸学科     2005年(平成17年)6月 27日発行
文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.34
BUNGEIKENKYU Ⅱ SHIMOHARAZEMI TSUSHIN
 ホームページ http://www.shimoharanet 編集発行人 下原敏彦
                              
2005前期4/18 4/25 5/9 5/16 5/23 5/30 6/6 6/13 6/20
6/27 7/4 7/11  
2005年、読書と創作の旅


6・27下原ゼミ
「読書と創作の旅」9日目の下原ゼミは、下記の要領で行います。(文ゼミ1)

 1. 登録者確認・前回ゼミ報告・ゼミ誌協議
   ・名所案内 ・前回ゼミ ・進行決め ・ゼミ誌について    
2. 提出作品の発表(通信掲載の報告未発表作品)
・車中の人々 ・JR西日本の脱線事故に思う 
3. 発表作品の感想&編集
  ・聞き手は、発表作品の感想を述べ、批評・校正する。
  ・発表者は、作品に加筆、直しがあれば追記する。
4. 「普通の一日を記憶する」の読み
  ・読んだ人は、日記の主の人物像を想像する。
5. テキスト関連作品(車中箇所)の読み
・夏目漱石『三四郎』      
  
2005年、読書と創作の旅・名所めぐり(我孫子にて)
 すぐそこが我孫子の駅です。いまでは、すっかり住宅街で街灯もついて明るいきれいな街になっております。が、あのころは、近所に農家があるだけで、夜ともなれば真っ暗でした。町長の家も町から離れた小さい坂の下にあったのです。むろん、田舎道はぬかるんでいました。あの夜も雨上がりだったので、くるぶしまでぬかっていました。そんな中を赤ん坊を抱いた順吉は「さと坊、さと坊」と赤子の名を呼びながら医者の家まで駆けていったのです。
※ 1917年(大正6年)10月1日発行の『黒潮』10号に、『和解』を発表。
目 次
□車中雑記「ニュース観察と創作」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 2
□6・20ゼミ報告・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・3、4
□提出作品発表・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・5、6、7、8、9
□一日を記憶する、提出状況・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・10、11、12
□テキスト関連作品読みと解説・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・13、14
□創作学科・新聞情報・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・15
□掲示板、編集室便り・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 16
文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.34 ―――――――― 2 ――――――――――――――――
 車中雑記     ニュース観察・創作
                       ――――――――――――――――
車中で先週、起きた、あの事件を新聞で読んでいたら、ふと『網走まで』が頭に浮かび、こんな場面を想像した。
・・・高崎にちょっとした用事ができたので、昼過ぎ上野から長野行きに乗った。梅雨の中休みの蒸し暑い午後。半端な季節に半端な時間ということになるのか、車内は空いていた。4人席のどの席も一人がけだった。むろん私も一人がけであった。発車間際に黒のジーパンに黒のTシャツ姿の若者が乗り込んできた。私が座っているのは車両の中ほどだったので、ここまではこないだろうと安心ていたら、若者は、乗客を値踏みするように、おしゃべり好きそうな中年女性や、ビールを飲み始めたおっさんの席を避けながらどんどんやってきて私の席で足をとめて聞いた。
「ここ、空いてますか」
本を読んでいる私の席を選んだようだ。
「どうぞ」私は、頷いて両足を縮めた。
 若者は、黒のリックサックを下ろすと窓際に座った。私は、本を読むふりをして若者を観察した。私は塾をやっていて中学高校生にも教えているので、多分、若者もその年齢ぐらいだろう、思った。15,6か。たぶん、まだ少年だろう。
「蒸し暑いね」私は気軽に声をかけた。
少年は、驚いた顔で私を見たが、すぐに「はい」と、素直に頷いた。
「学校は、休みかい」
「いえ」若者は首を振って言った。「アルバイトして貯めたお金で一人旅してるんです」
「そう、それは、いいね」
会話は、それっきりだった。私は、読みかけの本をよみはじめたし、少年はゲームに夢中になっていた。高崎に着いたので、私は、少年に
「じゃあ、いい旅をね」と、声をかけて降りた。
 少年は、うれしそうに手を振っていた。どこか寂しそうな笑みが気になった。
 昔だったら、こんな時間に少年が列車に乗っていたら怪しまれもしたが、いまは不審がられない。ニートやフリーターと呼ばれる若者が増えている。少年も、そんな一人かと想像した。そうして、歩き出すとすぐに忘れてしまった。
少年は、どこから来て、どこに行ったのか。むろん私は知る由も無いが、新聞報道によれば、あれから少年は軽井沢で降り、ホテルに一泊した後、翌日バスで草津に向かった。温泉に入りたかったという。草津温泉の旅館にチェックインの際には、やはり「アルバイトでためた金で一人旅をしている」と、言った。夜は、温泉街のゲームセンターで遊んだり、土産物店をのぞいたりしていたという。傍目には、他の温泉客と、何ら変わるところはなかった。ただ一点を除けば。ふつう温泉には家族連れがくるものだ。とくに少年の年頃なら。
少年には、一緒に旅する家族がいなかった。家族はどうしたのか、少年の両親は・・・・、東京板橋の自宅で骸と化していた。父親は、鉄アレイで頭部を殴られ、母親は包丁でめった刺しされて。
子供が両親を殺害する。悲しむべきことだが、こんな事件も、近頃ではそう驚かなくなった。「母親が赤ん坊を窓から放り投げた」「いじめられていた弟が、兄を刺し殺した」前後して、こんな家族間の事件が続発している。この事件をマスメディアが大きく報道したのは、多分に少年が両親殺害のあと、タイマーで発火装置を仕掛けた行為と、過激な小説や「R-15」に指定された映画などを見ていたところにあるのだろう。当然というか逮捕後、新聞は少年の日常生活を詳しく報道している。少年は高校一年、15歳だった。中三の学年便りに級友が寄せた人物評は「元気で明るい」「さっぱりしている」「おだやか」「責任感がある」「他人にながされなさそう」とある。学校側の見方もほぼ同様である。少年は、なぜ両親を殺害したのか。メディアは例によって「心の暗部解明を」をあげている。が、父親がどんな人間だったのか、まずそこを知りたいところだ。解明の糸口はそこにある。
―――――――――――――――――― 3 ―――――――文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.34
6・13下原ゼミ報告
 
 6月20日(月曜日)の下原ゼミ授業内容です。
参加者は下記の皆さんでした。 (順不動・敬称略)
たなか  だいき    おがわら ゆうへい   ひらいわ さとし    せき   ひでき
田中 大喜   小河原 祐平  平岩 理史   関  英樹
なかや  えり     なかむら けんと    おおしま なおふみ   はやし まさと
 中谷 英里   中村 健人   大島 直文   林 正人
       
出席者数8名
 6・20の出席者は、はじまりは7名でしたが、その後1名加わり、最終的には全員で8名となった。前回より1名持ち直しで、11-10-9-7-7-6-7-8、とよい兆候。このまま、ゆるやかでもよいから、なんとか右のぼりに昇っていってくれたらと期待するのみである。
中谷さんの司会進行で
 この日のゼミの司会進行は、中谷英里さんが担当しました。①ゼミ誌編集委員の報告②愛読書紹介③提出原稿の読みと感想と校正、「一日を記憶する」の読みと人物像④テキスト作品の読み――の、手順ですすめました。授業内容は以下の通りです。
ゼミ誌編集委員の報告  中村健人さん、中谷英里さんの編集委員が報告
            6月14日に開かれたゼミ誌ガイダンスに出席した、上記2名の編集委員が、雑誌作成費用を報告。他に雑誌の形態についての相談。来週までに考えてくることになった。雑誌の大きさ、題名などである。
アンケート愛読書紹介        中村健人さんの愛読書
○ドストエフスキー著『罪と罰』                
母親が持っていた漫画『罪と罰』は、手塚治の漫画本ではなかったでしょうか。
○ 隆慶一郎著『影武者徳川家康』
普通は歳とってから時代小説といいますが、なぜか若いときよく読みました。半村良の『戦国自衛隊』から山田風太朗の『魔界転生』などを思い出します。
○トールキン著『指輪物語』
報告者は本を読んで映画を観たでしたが、出席者は映画を観て面白かったから本を読んだ人が多かった。もっとも、本は2巻あたりで挫折の人が大半で、最後の巻まで読みきった人はいなかった。
提出原稿の発表   No.31掲載分、中村健人さん『なぜ網走か』を発表
論点・網走には「負のイメージ」があり、この作品にはそれが必要。
感想・「納得する考え」「共感が持てる意見」「着眼点はいい」
総評・この作品を「網走」としたのは、より暗く厳しい印象を醸し出そうとした作者の意図である。報告者の読みに参加者も、ほぼ同意見だった。地名の印象からいえば、池袋は、3,40年前は、あまり芳しからぬイメージがあった。暗い、物騒、そんな感じであった。今では、すっかり爽やかな住宅街となっている近郊都市立川は、もっとひどかった。猥雑、麻薬、怖い。立川と聞けばそんなイメージしかなかった。しかし、時代の流れと共に、それらのイメージは払拭された。が、「網走」だけが厳然とその印象を保っている。網走としたことで、この短い作品は、より普遍をもって読み継がれていくのである。その意味では、題名の功、
文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.34―――――――――4―――――――――――――――――
大いにありの作品ともいえる。
車中観察   No.31掲載分 大島直文さん「車中の二人」を発表
概略・静かな車中で、いちゃつく若いカップルの観察。
感想・「ガラス窓に映った二人を観察はいい手法」「観察の報告で終わっているのが残念」「光景が浮かぶので観察できている」「あと2行ほどあってもよかったのでは」「中盤が長いというか説明が多い。うしろにもっと欲しかった」
総評・参加者の感想で、もう少し書き足しが欲しかったという意見が多かった。観察はできているが、この2人についてもっと知りたい。そんな気持ちがわいたのだと思う。その意味では、この観察は、創作に繋がる観察といえます。この、自己中心的な若い男女は、電車から降りた後、どんな物語世界をつくるのか、興味がわくところです。
No.33掲載分 田中大喜さん「車中のうたた寝」を発表
概略・座席で眠りこんでいる若いOL。ミニなので膝の奥が気になるところは、男の性。向かいのおっさんは、なんとか目がいかないようにと努力している。僕が観察しているからなのだろうか。僕は下車したが、おっさんもOLもまだ乗っていた。
感想・「おっさんを観察したい気持ちはわかる」「場面は想像できる」「終わりが余韻の残るものになっている」「構成ができている」
総評・田中さんの作品は、この前のオチもそうでしたが、話に創意工夫がみられるようになったと思います。この作品でも、それがでているとおもいます。電車ではよくあること、そんな場面に遭遇した二人の男の機微がよく書けていると思います。僕もおっさんも、考えていることは同じだが、立場が違う。おっさんは、その考えをごまかそうとするし、僕は、それを楽しむ。軽妙な作品になる予感がします。
No.33 関 英樹さん「いつの時代にも」を発表
概略・電車の中がうるさいと気になる私。あまりうるさいと、つい怒鳴ってしまうこともある。高校生のときは、そうでもなかった。年をとった証拠だろうか。いや、そうではなく、いつの時代も若い人は、うるさく。年配者は「若いものは」とこぼすのだろうか。
感想・「評価する人の価値観に基づき過ぎているような気がするので、矛盾というか違和感がある」「観察者本人は、どのように見られているのか」「はじめと、後半の文がうまくつながっていないかんじがする」「携帯は新しいのでちゃんとしたマナーが確立していないのでは」「モラルの基準は、だれがつくるのか」
総評・年齢20歳前後のとき、群集の中で、夜の孤独のなかで、突然、こんな観念に襲われたりする。自分は未成年か大人なのか。この作品は、そんな瞬間の無常観を書き表そうとしたのでは、と想像する。時の流れによって、考えも見方も変わるのか。いやそんなことははない、いつの時代にも・・・・・
No.33 大島直文さん「正義への懐疑」を発表
論点・工夫たちは、本当の正義からではない。それ故、「派」を加えた。
感想・「派」とした考えが納得いった。「正義と悪。二分するのであれば、正義」「正義という言葉に酔いしれた」「タイトルへのつながりがある」「純粋な正義はない」
総評・この事故は、作者が直接、目にしたのではない。車夫から聞いた話から想像観察して書いたものだという。従って、実際には、車夫たちが、どんなふうに証言したかわからない。作者が、工夫たちの正義心を純粋さを通り越した悪意のこもったものにしたのは、組織の底辺に生きる人たちの日ごろのうっ憤をも現そうとしたのではないか。多分に、話した車夫の感情がそうであったのではと推察する。
―――――――――――――――――― 5―――――――文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.34
6・27「下原ゼミ」授業手順
1.ゼミ誌について  ゼミ誌の題名や雑誌の形態について話し合う。
◎ ゼミ担当者の希望 
・ 掲載作品について → ゼミ誌掲載作品は、授業で車中の観察や創作をすすめて  きたので、授業成果としてできれば車中作品でまとめたいと思います。(作品は、ゼミ通信で発表したものか、これから発表するもの。発表作品の手直し加筆は結構です)
・ ゼミ誌題名について → 候補『車中の人々』、『車内物語』
『志賀直哉の車中作品を読む』        
(他にいいのがあればかまいません)
  ・ 雑誌の形態 → 話し合って決めてください。雑誌の大きさです。
※この件について、昨年、創作はフリーと縛り(言葉入れ)にしたのですが、締切期限までに、原稿が集まらず編集委員が苦労しました。そのため作品批評がよくできなかった作品もありました。題名についても、題名決めに時間をとられました。また、刊行してからの合評会で、雑誌名や作品に方向性がほしかったという意見がありました。こうした反省点を踏まえての提案です。
2.提出作品の発表・感想・編集
未発表作品 No.29 畑 茉林さんの「制服と痴漢」(車中の人々・創作)
No.32 林 正人さんの「風化させない」(コラム・JR西日本脱線事故)
            「同級生」(車中の人々)
――車中の人々――
「二人の会話」 中谷英里
「体温」 林 正人
――JR西日本電車脱線事故に思う――
「五十五日間で何が」 平岩理史
「無神経なテレビ報道と助長する視聴者に怒り」 田中大喜
「非常時に知る人間の本性」 小河原佑平
―― 普通の一日を記憶する ――
「学校に行ってはみたが」
「私の愉しみ」
3.テキスト関連作品の読み 
夏目漱石の『三四郎』車中部分の朗読。『網走まで』との比較。
文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.34―――――――――6―――――――――――――――――
・・・・・・・・・・・・・・・・・・車中の人々・・・・・・・・・・・・・・・・
6月20日提出
二人の会話
中谷英里
 ある夕方、山手線に乗っていると、近くに若い女性の二人組みが座った。二人ともディズニーランドの手さげ袋を手に持っていた。一人の袋は旅行用のトランク程大きく、その女性は髪が長く服装はカジュアルで全体的にさっぱりした風に見えた。もう一人の方の袋は私たちが学校用に使う程度の大きさで、髪は長かったが、服装はもう一人の女性とたいして変わらなかった。
「え、大丈夫だったの?」
小さい袋を持った方の女性が驚いたように尋ねた。
「うん、私は別に。通勤時間は一時間くらい前だったし。帰りは私鉄で帰ったけど」
 彼女は標準語を喋っていたが、イントネーションは関西なまりがあった。
「それより弟の方が大変だったよ。友達があのマンションに住んだらしくて」
「え、本当に?」
 聞き返した女性は、身体全体を彼女の方へ向けた。女性の足が大きな袋に触れ、ガサっという音が鳴った。
「私は仕事で忙しくてニュースはあまり見られなかったんだけど」
彼女は続けた。身近に事故が起こったとは思えないほど、あっさりとした。そのおかげで、もう一人の女性も必要以上に気を使わずに詳細を尋ねることが出来るのかもしれない、と私は思った。
「弟はテレビをしょっちゅう見てるから、ニュースの映像とかいっぱい見て、余計恐かったみたい」
「もう電車、動いてるんだっけ?」
その問いに彼女は「うん」と小さく頷いた。もう一人の女性はまた何かを尋ねかけたが、途中でやめてしまった。それから二人の間にしばらく会話はなかった。私の耳には電車が走る音と、他の乗客のとりとめもない会話しか聞こえなくなる。本でも読もうかと鞄を開かけた時、大きな袋を持った女性の法が不意に口を開いた。
「事故の二週間後ぐらいに用事があって、不通になっていた駅に行ったんだ。そしたら、中
の店のシャツターが全部閉まってて、切符売り場には定期の払い戻しとかの貼り紙がしてあ
って、切符の販売機には「現在、切符の販売はしてきせん」って貼ってあったの。電気が付いているのは駅員さんのいる部屋だけで、改札の向こうは真っ暗だったんよ。いつも使っている駅があんなふうになるなんて信じられんかったわ」
今は駅も復旧しているけど、あの光景は忘れられない。彼女がそう言うと、もう一人の女性は小さく頷き、それからまた二人の間に沈黙が訪れた。
何駅か過ぎた後で、髪の長い女性が
「私、次の駅だから」
と、言った。
「ちゃんと間違わずに降りてね」
 微笑む女性に彼女は「うん」と短く返事をして
「今日は案内してくれて、ありがとう」と、笑顔で返した。
「またこっちに来るなら、いつでも案内するから連絡して」二人がそんな他愛ない会話を続けているうちに電車は次の駅へ到着した。二人は名残り惜しいそうに、お互い手を振りなが
―――――――――――――――――― 7―――――――文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.34
ら別れた。
 私はもう特に面白い会話は聞けそうにないな、と思い読書にとりかかろうとした。鞄から本を取り出して、栞が挟んであるページを開く。印刷されている字に目を落とす前に、ふと残された女性へちらりと目をやってみた。固く口を閉じて一人座席に座る彼女の手は、少し震えているように見えた。(了)
※ディズニーランドからの帰りらしい二人。楽しいはずの会話は・・・・。
校正、書き込み箇所
6月20日提出
体温
林 正人
 「帽子を被ると体温が一度高くなるらしいよ」
隣りに座っていた当時の彼女が言った言葉だ。
「こんなに天気がいいのに」
ちょうど三年くらい前の話。
彼女の家は、渋谷駅からバスに乗って15分くらいのところにあった。電車も通っていたが、バスの方が安く、また早く、楽に運んでくれるので、よくバスを使ったものだった。その彼女と関係を断ってから、そのバスには乗らなくなったのだが、この日はなつかしさのあまり、ついつい乗ってしまった。
車内をキョロキョロする僕。いるはずがないか、一人で恥ずかしくなり、下を向いて席にすわる。バスは定刻通りに発車し、西麻布方面に向かった。バスから見える景色は当時と何も変わらずに、僕の前を通っていった。天気も、ポカポカしていて、ちょっと走ると汗ばむくらいの陽気だった。
「暑いなァ・・・・・」
心の中でつぶやき、窓を開けてみた。
「こんな天気がいいのに」僕は相変わらず帽子を被っていた。
 帽子を被ると体温が一度あがるらしい。
※ いまは別れてしまった彼女。でも、ちょっぴり未練となつかしさが心をくすぐる。僕は、いまでも帽子を被っているよ。
校正、書き込み箇所
文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.34―――――――――8―――――――――――――――――
2005年、読書と創作の旅 提出原稿6月20日提出
エッセイ・「JR西日本電車脱線事故に思う」
 
前期ゼミは、目下、志賀直哉の車中外作品をテキストとして、電車に関係するテキストの読みや感想。また、自らの車内観察や車中の創作を発表しています。先般、起きたJR西日本の電車脱線事故も、その一環としてとりあげましました。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
五十五日間で何が
平岩理史
 五十五日目。事故のあったJR福知山線、宝塚―尼崎間が不通となった期間である。長いと感じただろうか。私は、あまりにも短いと思う。多くの犠牲者をだした殺人列車は、ふた月と経たない間にその姿を現場へと再び現した。残された遺族は四十九日を終え、少しづつではあるが心の整理がつき始めたのだろう。あまりにも非人道的なJR西日本の対応に、悲しみは怒りへ変わり、呆然とすらしたであろう。そこに再び、無差別殺人をした列車が帰ってきたのである。五十五日間という短い間に、果たして誰がその責任を負い、誠実な態度と姿勢をもって「二度とこの事故を繰り返すまい」と誓い、遺族と故人に涙を流し、心からの謝罪をして、喪にふし、事故を人災と考え、自らの考えを周囲の人間と共有しようと努め、五十五日間、その考えを頭からはずすことなく、復旧の日を迎えただろうか。私は、JR西日本の全社員にそれを望む。人命は尊い。他人の命を奪う行為が、五十五日間で償われたとは思えない。
 五十五日間で人間は大きく変われない。しかしながら、大勢が少しでも「安全」に向けて変わっていれば、故人の思いが少しでも報われるのではないだろうか。
※ あの事故は日にちで測れるものなのか。早すぎる復旧に疑問。
校正・意見、書き込み箇所
無神経なテレビ報道と
   助長する視聴者に怒り
田中大喜
 福知山線の事故から早一ヶ月以上が過ぎた。事故の直後は、ワイドショーで何度も放送していたし、マスコミのJR職員バッシングも日に日に激しくなっていくので、正直、このニュースを見ることにうんざりしていた。事故の直後こそ事件の起きた原因を探ったりしていたが、しばらくすると遺族のやり場のない怒りや悲しみとJR職員に対する細かくしつこいバッシングだけがやたらと多かったように思える。この二点はやはり大衆の興味のまとであり視聴率が稼げるから多く放送されるのは当然だ。
 遺族が怒りや哀しみという何処へ持っていけば良いのかわからない感情をカメラの前でぶちまける。映画で役者が演じているのでもなく、現実に人生の理不尽さに振り回されている人間の姿がリアルに映し出されている。家族の死に直面した直後のまだ新鮮なままの不幸
―――――――――――――――――― 9 ―――――――文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.34
な姿。視聴者がこれを見て抱く感想は様々だろう。涙したり遺族と一緒に怒りを覚えたりするだろう。しかし、遺族をどこか上の立場から見たり、じぶんの幸せを再確認する材料にしている部分もある。涙したり怒りを覚えても結局は他人事。不幸な状態の疑似体験をして、自分は彼らではないから幸せだと再認識する。私は、視聴者のこのポジションが一番嫌いだ。
さらにJR職員のバッシングを見て遺族と一緒に怒りを覚える輩まで出てくる。必要以上に感情移入している視聴者は見苦しい。完全にTVに流されている。上記の二点が何度も繰り返し放映されていたという事は、私の嫌いな視聴者が多く存在しているという事だ。普通の人間なら一回見れば十分だと思うが、不幸の疑似体験を無意識に楽しんでいる人間が多いからここまでしつこい放送になったのだろう。こういう人間は何度も同じような放送を見る。なぜ自分はこの事件ばかり見てしまうかがわからない馬鹿な視聴者。無意識というのは得てして性質の悪いものだ。
 何度も同じ内容を繰り返すテレビ報道とその背景に見える馬鹿な視聴者。今回の事件で一番嫌だったのがこの点だった。
※事故報道とそれを見る社会を客観的に観察している。
校正・意見、書き込み箇所
非常時に知る人間の本性
小河原佑平
 テレビの前に釘づけになった。JR西日本の脱線事故が大々的に報道されていたのだ。
「これは恐ろしいことになった」と身震いが抑えられなかった。ただ画面に映し出される映画さながらの場面を見て、言葉を失う他なかった。
 事故から日にちが経つにつれて、報道の内容も多様に渡った。事故の渦中の人間の動行も続々と伝えられた。
 事故車両に乗り合わせていた二名の運転手はその場から逃げた。近くの工場では工員総出で吸湿活動に赴いた。JR西日本の職員たち――全てと言ったら語弊があるだろうか、一部が宴やらに興じていた頃、一般市民が懸命に救助を手助けしていた。
 そのようなニュースの映像の合間に、列車の直撃したマンションの住人の談が流れた。マンション倒壊の恐れに備えて一時ホテルに寝泊りしていた彼らがこう言った。
「ホテルなんて泊まったことが無いから、よく眠れないし、食事も口に合わない。勘弁してほしい」と。私にはこの非常な言葉を当惑と憤りの中で聞いた。確かに彼も事故の被害者だ。しかし、彼が寝慣れぬふかふかのベッドで浅い眠りについている時も、夜通し救助活動している人間がいた。食事が合わぬと託(かこ)つ間にも水さえ飲めず苦しんでいる乗客がいたのだ。そんなことをただただ考えては、言葉にならない怒りを感じた。この事故で人間の明暗を見た気がした。
※そういえば精算の運賃を騙しとろうとした偽乗客もいた。
校正・意見、書き込み箇所
文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.34―――――――――10―――――――――――――――――
旅日誌
「普通の一日を記憶する」
 書くことを習慣化するために、時間のあるとき、暇なとき、なにもかけなくなったときなどに自分の行動や考えを記してください。この日、わたしは・・・・(読んだ人は、日記の人物像を、つくりあげてみる。この人の性格を想像する。)
学校に行ってはみたが           T・D
×月×日 6時半起床。今日は2限目が休講。1限は授業があるが、朝の起き抜けに母から
「外は凄い台風みたいやで」と言われたのでめんどうくさくなって「今日は1,2限が休講だから3限から」と嘘をついて二度寝。10時半に起きて仕度をする。地元の駅でブラブラしてから学校に向かうと30分遅れ。フランス語Ⅰの授業。その前に部室に辞書を取りに行く。1年生が部室でタバコを吸っている。注意はしなかったが、そいつにガッカリした。軽音楽部の友人と遭遇。後輩の教育について話し込む。結局授業には出ないで帰宅した。
                                         
私の愉しみ              O・U
×月×日 時間が空くと私はトランプを手に弄ぶ。アルバイトもなく、自分の時間を満足に使える日曜は好きだ。もつと言えば、トランプをいじりながらの日曜が好きなのだ。
 この日は今人気のマジシャン・ふじいあきらの映像を観ていた。この映像はテレビで演じていたものを録画したものだ。彼は国内でトップクラスの技術を誇るマジシャンである。そのような彼の演技を研究し、吸収する訳だ。
 しかし、今となっては、彼のマジックを純粋に「すごい」と思う事がなくなり逆に「上手い、完璧だ」という見方になっている。そこが少し残念だとトランプを手に思うのだ。
                                         
或る日のゼミ              S・T
6月20日 朝から蒸し暑い。こんな日は、授業にでるのが嫌になったりして…ちょっぴり心配だった。が、教室には、既に五人の出席者。まずはほっとする。S君は、パンでもかじっていたのか急いで頬張った。Nさんが『罪と罰』を読み終えたと言った。「途中からどんどん面白くなって」の感想に「とり憑かれたら、どんどん読めますよ」と、話す。ゼミ誌編集委員のN君が持ってきた書類に署名し、受講生は12名と答える。しかし、不安になる。確かに届け出ている登録者数は12名。全員の顔も知っている。が、目下、4名が欠席つづきなのだ。うち2名の人はサークル活動が忙しいらしい。そのうちの一人MRさんは、ときどきメールで欠席をわびる。理由がはっきりしているので、そのうちみえるのではと安心している。が、コーヒー研究会のY君とH・Eさんの二人は最初に出席して以来、ずっと休んでいる。なぜ出席しないのだろう。Y君は、意欲的にみえたが・・・提出原稿も、まだ一本もない。どうしたものだろうか。そんなことをぼんやり思いめぐらせながらテキストの草稿『城の崎にて』の朗読を聞いているうちに早くもチャイム。ゼミもあと僅か。読むこと書くことの習慣化は、どこにいてもできる。彼らが自宅か下宿で、あるいは図書館で、読書したり、創作したりしていることを願うばかりである。
                                         
―――――――――――――――――――― 11 ――――文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.34
課題原稿の提出状況
テキスト『網走まで』の感想(原稿提出者)は以下の皆さんです。6月20日現在 順不動
関 英樹   小河原佑平  平岩 理史  林 正人  大島 直文  
中谷 英里  畑 茉林   田中 大喜
 
『車中観察』の原稿提出者は以下の皆さんです。6月20日現在 順不動(本数)
関 英樹(3)小河原佑平(3)平岩 理史(3)林 正人  大島 直文(2)  
中谷 英里(2)  畑 茉林   田中 大喜(2)
愛読書アンケート提出者(6月6日までに提出した人)順不同
小河原佑平  平岩理史  関 英樹  田中大喜  大島直文  林 正人
中谷英里   中村健人
「車中の人々」提出者(6月20日までに提出した人)
 畑 茉林  田中大喜(2) 平岩理史  関 英樹(2) 林 正人(2) 中谷英里 
『網走まで』前後編提出者(6月20日までの提出者)
 田中大喜(前編) 
コラム「JP西日本電車脱線事故について」提出者(6月20日までの提出者)
 林 正人 平山理史 小河原佑平 田中大喜  
なぜ『網走まで』としたか(6月20日までの提出者)
 中村健人 
『正義派』感想 (6月20日までの提出者)
 大島直文 
「普通の一日を記憶する」(6月20日現在)
 S・H(5) O・N(2) H・MS(3) H・S(5) O・U(4) N・R(2)
     
 N・K  H・MR  T・D 
文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.34―――――――― 12 ――――――――――――――――
2005年、読書と創作の旅・旅日程
前期使用・テキスト及び関連作品
 前期の旅は、『網走まで』をスタートに志賀直哉の車内外作品にこだわってみました。終着駅は、後一作品『灰色の月』となりますが、これまで、取り上げたテキスト車内外作品と、関連する観察作品を紹介します。○は見学(朗読)作品
旅・第1日目4月25日
○テキスト『網走まで』見学
旅・第2日目5月9日
○テキスト草稿『小説網走まで』見学
※ 現行と読み比べることで、完成作品と、習作との違いを考える。普遍性がポイント。
・ 『網走まで』感想発表
・ 車内観察報告
旅・第3日目5月16日
・テキスト感想と観察報告
旅・第4日目5月23日
○テキスト『夫婦』見学
 ※ 作者の車内での観察眼の確かさを知る。夫婦の機微をも観察。
旅・第5日目5月30日
○ テキスト『正義派』見学
※ 車外から電車事故による、関係者の行動を観察。
旅・第6日目6月6日
○ テキスト『出来事』見学
※ 車内での事故観察と乗客観察。
○ 車内作品O・ヘンリー『心と手』見学
 ※ この作家の観察力と、作品の構成とオチ。起承転結の作品。
旅・第7日目6月13日
○ テキスト休憩『ひがんさの山』見学 文末、時間がなく各自、自宅にて読み。
 ※ 子供時代に体験したことを観察し、創作する。他大学教育学部で、兎を助けるか殺すか、で感想が分かれている。
旅・第8日目6月20日
○テキスト『城の崎にて』見学
 ※ 昆虫、小動物の観察。
○テキスト草稿『いのち(城の崎にて)』文末、各自、自宅読み
 ※ 現行との読み比べで、なぜ現行が名作なのかを考える。
・観察作品として、牝豹と兵士の愛を観察したバルザックの『砂漠の情熱』、気象を観測したサンテグジュペリの『夜間飛行』抜粋を配布したが、時間がなく自宅読みとなった。
砂漠の真ん中で美しい王妃とのたわむれ。だが、兵士の心は緊張で張りつめていた。獣に愛された若い兵士。彼は、その愛を信じることができるのか。文豪バルザックの観察眼が光る。
<暴風雨を逃れて、天の穴に入り込んだファビアンを待つ世界は>
「彼の驚きは極端だった。理由は、あまりの明るさに、めまぐるしいほどだったので、数秒間彼は目を閉じなければならなかった。」ファビアンが昇った世界は、静けさと光だけが支配する世界だった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーー13———-―――――ー文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.34
2005年、読書と創作の旅・旅日程
旅・第9日目6月27日予定 テキスト関連作品の読み 
○ 夏目漱石(1867-1916)の『三四郎』の車中箇所の読み。
『網走まで』と『三四郎』
 <.同じ年に書かれた作品>
志賀直哉が『網走まで』を書いたのは1908年(明治41年8月14日)である。この時代、列車の中を描いた作品が流行ったのかどうかは知らないが、同じ年の9月1日から朝日新聞に掲載された夏目漱石の新聞小説『三四郎』のはじまりも、やはり列車の中からだった。
このとき志賀直哉は、小説家として旅立ちはじめたばかりの25歳の青年。一方、夏目漱石は、小説家としては脂がのった41歳。
<登場人物>
登場人物は『三四郎』は女の他に、じいさんと髭の男が出てくる。『網走まで』は女ひとりだが、子供が二人いるので、人数的には4名4名で同じということになる。三四郎と相席となった女は、子供がいる国に帰るところらしい。『網走まで』の女は不明。女の性格や境遇は似ているように思える。いまは、おちぶれているがどこか上品ぽくて、よく見ると美人。夫や子供には苦労している。『三四郎』の女は、国に子供がいるといっておもちゃを買っている。子供は『網走まで』の女の子供と同年齢か。彼女たちの夫も、似ている。『網走まで』の夫は大酒呑み。『三四郎』の女の夫は「半年前から手紙も金も送ってこない」どちらも、あまりいい夫ではない。したがって女には、不幸な影がある。
<『網走まで』の特徴>
 『網走まで』は、これまでにも述べてきたが、あくまでも私の目から見た母子の現在である。私については、冒頭で、友人のところに行くというだけで、あとは何も説明していない。母子3人の過去と未来をにおわせながらも、徹底したリアリズムで観察をつづけている。そうして、いきなり、同情を寄せながらもサヨナラしてしまうのだ。よくチェーホフの作品は、食事中の料理をいきなり持っていってしまうような、そんな作品と評されるが、『網走まで』も、それに等しい。作者は、不幸そうに見える母子3人を、いきなり読者に手渡してどこかに行ってしまった。
読者としては、途方にくれるばかりだ。感想でも、ゼミ学生たちの感想や、この先の物語は、希望あるものではなく暗い結末を想像させる。  
<『三四郎』について>
 『三四郎』は1908年9月1日から12月29日まで朝日新聞に117回にわたって掲載された。この作品について、題名を漱石は、初め『三四郎』とつけたが、新聞にはそぐわないのではと、別に『青年』、『東西』、『平々地』をあげた。そして、編集者にこんな手紙を送った。
「小生のはじめてつけた名は三四郎に候。『三四郎』もっとも平凡にてよろしくと存じ候。ただあまり読んでみたい気は起こり申しまじくとも覚え候」
※このとき候補にあげた『青年』は、森鴎外が最初の長編『青年』につけたとか・・・。
 漱石が書いた、この作品の予告文章は、次の通り。
「田舎の高等学校卒業して東京の大学にはいった三四郎が新しい空気に触れる。そうして同輩だの先輩だの若い女だのに接触して、いろいろ動いて来る。手間はこの空気のうちにこれらの人間を放すだけである。あとは人間が勝手に泳いで、おのずから波瀾ができるだろうと思う。そうこうしているうちに読者も作者もこの空気にかぶれてこれらの人間を知るようになる事と信じる。もしかぶれがいのしない空気で、知りばえのしない人間であったらお互い不運とあきらめるよりしかたがない。ただ尋常である。摩訶不思議はかけない。」
文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.34―――――――― 14 ――――――――――――――――
車中読書etc・・・
 2分、30分、17分、25分、2分。私の乗車時間である。この細切れ時間を読書に費やすのは、難しい。ひろげて読み始めるとすぐに乗り換え。車内は、たいてい混雑している。最近、めっきり弱くなった視力。立って読むのも容易ではない。運よく座れたとしても、すぐに眠くなる始末だ。年のせいで車中読書もままならなくなっている。それでも、最近上下の厚い新刊小説を、飛ばし飛ばしではあったが、どうやら読みきった。
BSテレビか、電車の吊り広告か、どこで知ったか忘れてしまったが、村上龍の最新作『半島を出よ』が面白い、という話を聞いた。北朝鮮のコマンドが九州の福岡を占拠するという物語だという。日本の危機管理事情や東アジアの軍事均衡を取り入れた近未来小説とのふれこみ。物語は6年後の2011年が舞台というから、確かに近未来というより近い軍事活劇小説ということになるかも。北朝鮮情勢には、少なからず関心はある。拉致事件を知ったときは、他人事とは思えなかった。背筋が凍る思いがした。私が学生時代、金日成を英雄とみる人が多かった。とくに、有識者やマスメディアにそんな人間がいたように思う。教職員のなかにも、そんな人がいて、韓国の友人が農場実習でふざけたりしていると、すぐに「北では、みんな一生懸命に国づくりに励んでいる」と、いうようなことを言っていた。実際、クラスにいた在日の北の友人は、まじめでいい奴だった。だから、北朝鮮に対しては、未知の国だけに興味あったが、怖いという印象は全くなかった。68年ごろ外国を旅したことがある。このとき、もしどこかの国で、平壌行きを誘われたら、きっとチャンスとばかりについて行ったかも知れない、そう思うからである。留学先から拉致された人のなかには、そんな人もいたのではないだろうか。いくら未知の国とはいえ、60年代から帰還事業ははじまっていたのだ、どんな国か情報はあったはずだ。「着いたとたん、来て失敗した」と悔やんだ脱北者の手記もある。当時のマスメディアにも責任の一端はある。
本の話に戻そう。近い将来の政治、軍事情勢を予測しながら、歴史の流れを具体的に物語っていく。この手法は、むろん、当たったためしはないが、いわゆる小説家ではない人たち、つまりジャーナリストと呼ばれる人たちが手がけてきた。1970年代前後は、大森実が、よくそんな予見的政治軍略作品を出版していた。インドシナについての近未来戦略物語を何冊か読んだことがある。その後を引き継いだのが落合信彦だろうか。残念ながら、こちらはまだ一冊も呼んだことがない。村上龍のこの本は、とにかく、そんな類の作品かと思った。北朝鮮ものは、多数でているが、大半は脱北者の手記か、拉致被害関連の本、それに北朝鮮の現状だ。アメリカが空爆したらどうなる、38度線で戦闘がはじまったらどなる、といった作品はまだない。むろん、日本に攻めてくる話もない。なぜか、恐らく軍事的にまったく不可能だからだろう。北朝鮮が日本に向けて一発でもミサイルを発射させれば、直後に、金王朝はむろん、北朝鮮という国家自体、この世界から消え去る。それが現在の東アジアの実態だろう。日米安保は確たるものだし、国連決議もある。北朝鮮の革命コマンドが日本に攻めてくることなど到底ありえない。
が、村上龍はこの作品で、その絶対的不可能を可能にした。4月1日、開幕戦がはじまった福岡ドームを占拠した9人の北朝鮮コマンド。平和ボケした日本人と、優柔不断で危機管理ゼロの日本政府を相手に、着々と奇策をすすめていく。この作家の作品は、いくつか読んだが、どれもストーリーはほとんど覚えていない。辛うじて処女作『限りなく透明に近いブルー』のいくつかのシーンかが思い浮かぶぐらいである。SEXと暴力と麻薬づけの若者たちの話だったか。この若者たちが日本政府や自衛隊に代わって、敵をせん滅させる。一種蒙古来襲時の「神風」となった。痛快といえば痛快だが、現実的なものが絡むせいか何かジレンマを感じさせる活劇である。
それにしても、資料と人物解説の多い本である。先日、自らの10年間の書評活動をまとめた文芸評論家・横尾和博著『文学÷現代』で、横尾は「多くの登場人物に焦点をあてた複眼的視点で話を進め」と好意的に捉えている。が、読者からすれば、これほど膨大な資料を紹介しなくても、と思うわけである。あとがきで、この作家の話題作『13歳のハローワーク』のスタッフの協力というから、彼らを気遣って全部載せてしまったのかも知れないが・・・ルポでも実録でもないのだから、こんなに厚い上下巻でなくても、と。
―――――――――――――――――――― 15 ――――文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.34
2005年、読書と創作の旅・文芸情報紹介 
増える文芸創作学科Ⅲ
 「かって創作を学びたい学生は、早稲田大学文学部の文芸専修か日本大学芸術学部文芸学科に通うしかなかった。」しかし、昨今は雨中のタケノコのように、あちこちの大学で開設されている。この現象について「小説は人に教わるものではない」「創作を通じて文学好きを増やせる」と、賛否両論はあるが、創作コースは続々誕生している。この実態を読売新聞(夕刊)がリポートしているので紹介します。2005年6月20日、21日付の新聞。最終版。 
問題点 → 大学はどう応えるか  
文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.34―――――――― 16 ――――――――――――――――
掲示板
提出原稿について
 書けたら常時提出して下さい。(提出本数は何回でも可)
① 車内観察 (常時観察・提出することで観察力、表現力を高める)
② 普通の一日を記憶する(書けなくなったら一日の生活を書いてみてください。習慣化)
③ 『車中の人々』フリー(創作・エッセイ)提出日は自由(創作力をつける)
④ 報告した車内観察をヒントに創作を試みてください。(ゼミ誌掲載候補作品)
下記の手順で作品を仕上げます。(一つの作品を、きちんと仕上げてみる)
車内観察・報告 → 創作 → 草稿発表 → 訂正・改稿 → 清書発表・合評
⑤ 「なぜ網走か」を論じてください。
⑥ 『網走まで』の前後の話を創作してみる。(想像・空想力をみがく)
⑦ テキスト『夫婦』『正義派』『出来事』の感想。
⑧ テキスト外の作品『ひがんさの山』の感想
⑨ テキスト『城の崎にて』の感想
⑩ テキスト『網走まで』と『三四郎』について 違い 普遍性など
お知らせ
ドストエーフスキイ全作品を読む会・第210回読書会暑気払い大会
・8月13日 土曜日 午前10:00~12:00発表「ドストエフスキーと小山田二郎(画家)」
・東京芸術劇場小会議室7 発表者=福井勝也氏
ドストエーフスキイの会第170回例会『広場』合評会
・8月13日 土曜日 午後1:30~5:00 小会議室7     以上詳細は下原まで
異形の幻視力 
小山田二郎展
2005.5/28→7/3(日)
東京ステーションギャラリー
小山田二郎(1914-1991)
油彩画38点 水彩画77点 
スケッチを展示 一般700円
昴劇団昴公演 
アルジャーノンに花束を 
一般4900円 ペア9200円
原作――ダニエル・キース(早川書房)
脚色――菊池准
演出――三輪えり花   
6月9日(木)~7月1日(金)三百人劇場(千石)
編集室便り
☆提出原稿は直接か下記の郵便住所かメール先に送ってください。
「下原ゼミ通信」編集室の住所〒274-0825 船橋市前原西6-1-12-816 下原方
  メール:toshihiko@shimohara.net TEL・FAX:047-475-1582 
日本大学芸術学部文芸学科・文芸研究Ⅱ「下原ゼミ通信」提出原稿用紙 
「2005年、読書と創作の旅」「『網走まで』と『三四郎』について」
創作日誌・一日を記録する
テーマ「ホモ・サピエンスの日記」
日本大学芸術学部文芸学科・文芸研究Ⅱ「下原ゼミ通信」資料
『出来事』
日本大学芸術学部文芸学科・文芸研究Ⅱ「下原ゼミ通信」原稿用紙 
「2005年、読書と創作の旅」 テーマ・『網走まで』の前後の話を創作する。
前(上野までの母子の生活は、娘時代はどうだったか創作する) 
  名前
                      ―――――――――――――
日本大学芸術学部文芸学科・文芸研究Ⅱ「下原ゼミ通信」原稿用紙 
「2005年、読書と創作の旅」 テーマ・『網走まで』の前後の話を創作する。
後(列車を降りてから、網走に着いてからの生活を創作する)
  名前
                      ―――――――――――――
☆ゼミ雑誌の作成手順
ゼミ雑誌作成は、以下の計画手順で進めてください。
1. ゼミ雑誌編集委員2名。中村健人さん、中谷英里さん
2. 6月14日(火)12時30分より文芸棟教室1でゼミ雑誌作成ガイダンスがあります。 編集委員は必ず出席してください。
※ この席で申請書類が配布されます。かならず受け取って期限までに提出してください。(出版編集室へ提出)
3. 編集委員を中心に、ゼミで話し合いながら雑誌の装丁を決めてください。
※6月 ~  7月のあいだに
4. 9月26日(月)ゼミ誌原稿締め切り。編集委員は原稿を集めてください。
  ※提出が遅れると、掲載できない場合もあります。
5. 印刷会社をきめ、希望の装丁やレイアウトなどを(印刷会社と)相談しながら編集作業をすすめてください。
6. 印刷会社から見積もり料金を算出してもらってください。
※10月中旬までに
7. 10月末日までに「見積書」をかならず出版編集室に提出してください。
  ※予算内に収まらないとゼミ員の自己負担となるので、注意してください。
8. 11月中旬までに印刷会社に入稿してください。
9. ゼミ雑誌が刊行されたら出版編集室に見本誌を提出する。
10. 印刷会社からの「請求書」を出版編集室に提出する。
ゼミ誌予算  →  250000円 オーバーしないように注意!
発行部数   →  最大250部以下
印刷会社について → 過去に依頼したことのある主な印刷会社の連絡先は、文芸学科スタッフまで問い合わせてください。
           それ以外の印刷会社を利用したい場合は、かならず事前に学科スタッフに相談すること。
■ 実施の1ヶ月前までに提出。出版編集室へ。
下原ゼミの理念「人類全体の幸福に繋がりのある仕事」(『暗夜行路』から)
日本大学芸術学部文芸学科・文芸研究Ⅱ「下原ゼミ通信」原稿用紙   
「2005年、読書と創作の旅」
車内観察したものをヒントに創作する   名前
                    ―――――――――――――――
土壌館創作道場・下原ゼミ原稿用紙
テーマ「なぜ網走か」を論じてください     名前
日本大学芸術学部文芸学科・文芸研究Ⅱ「下原ゼミ通信」原稿用紙 
「2005年、読書と創作の旅」 テーマ・「なぜ網走か」を論じてください。

シェアありがとうございます

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • Pocket

コメントを残す

PAGE TOP ↑