下原ゼミ通信No.35

公開日: 

日本大学芸術学部文芸学科     2005年(平成17年)7月 4日発行
文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.35
BUNGEIKENKYU Ⅱ SHIMOHARAZEMI TSUSHIN
 ホームページ http://www.shimoharanet 編集発行人 下原敏彦
                              
2005前期4/18 4/25 5/9 5/16 5/23 5/30 6/6 6/13 6/20
6/27 7/4 7/11  
2005年、読書と創作の旅
7・4下原ゼミ
「読書と創作の旅」10日目の下原ゼミは、下記の要領で行います。(文ゼミ1)

 1. 登録者確認・前回ゼミ報告
   ・名所案内 ・前回ゼミ ・進行決め     
2. 提出作品の発表(通信掲載の報告未発表作品)
・車中の人々 ・JR西日本の脱線事故に思う ・テキスト感想 
3. 発表作品の感想&編集
  ・聞き手は、発表作品の感想を述べ、批評・校正する。
  ・発表者は、作品に加筆、直しがあれば追記する。
4. 「普通の一日を記憶する」の読み
  ・日記の主の人物像を想像する。
5. テキスト『灰色の月』の読み
・ポイント時代背景 ・靖国神社合祀・参拝問題について      
  


2005年、読書と創作の旅・名所めぐり(尾道にて)
 この山の上には千光寺というお寺があります。石段は結構ありますが、途中に茶屋があります。謙作が見に行った貸家は、ここからですと、そこの坂道を斜めに右へ右へと登って行きます。そうしますと、左手に麦畑があって、その上に屋根の低い三軒長屋があります。左の端の家が貸家になっていました。次に見たのは、そこから一町ほど登った所で、やはり三軒長屋で、東の端の家でした。そこは見晴らしもよく、住んでいる人も親切で良さそうだったので、その後、四日ばかり他も探したが、結局は、千光寺近くのその家を借りることにした。「彼は久し振りに落ち着いた気分になって、計画の長い仕事に取り掛かったのである」
※ 1921年(大正10年)1月1日発行の『改造』1号に、『暗夜行路』(序詞)を発表。
目 次
□車中雑記「靖国神社観察」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 2
□6・27ゼミ報告・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・3、4
□提出作品発表、他・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・7、8、9
□テキスト『灰色の月』、他・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・10、11、12
□情報、掲示板、編集室・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・13、14、15、16
文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.35 ―――――――― 2 ――――――――――――――――
 車中雑記      靖国神社観察
                       ――――――――――――――――
混んだ車中で新聞を読むのは面倒だ。で、自分ではあまり読まないことにしているが、たまたま近く乗客がひろげていたので、つい読んでしまった。(6月28日朝日新聞朝刊)
靖国参拝52%「中止を」こんな大見出しだった。無理な体勢ながらも拾い読みしたところによると、記事内容はざっとこんなものだった。
朝日新聞社が25,26の両日実施した全国世論調査(電話)で、小泉首相の靖国神社参拝について「やめた方がよい」と答えた人が52%と半数を占めた。「続けた方がよい」は36%だった。ちなみに「やめた方がよい」と考える人の72%は、その理由として「周辺国への配慮」を挙げた。(2005年6月28日朝日新聞朝刊)
この靖国問題には、むろん国民の一人として関心を持っている。が、それ以上に興味あった。昨年のゼミで、取り上げ討論してもらったからである。2004年11月30日の朝日新聞朝刊に掲載された全国世論調査結果(電話)を踏まえてのことだった。このときは首相の参拝について「つづけた方がよい」が38%、「やめた方がよい」が39%で賛否は二分だった。この問題についてこの日、出席した8名が討論した。見方は、賛成4、反対4で様々な意見がだされた。が、結論は「よくわからないだった」。いまだ宗教紛争をつづけている世界各国に比べ日本は、墓参りも神社参拝もイベント化している。合祀や参拝の意義は理解しがたいことかもしれない。現に今回もこんなアンケート結果があった。
太平洋戦争について知っていますか「知っている」62% しかし、「知らない」という人が「全く」と「あまり」を合わせ38%いる――ということである。
前後60年とはいえ、あの太平洋戦争にして、これだから、靖国神社について、いまの若い人たちが、どれだけ知っているか、ということになると、はなはだ疑問である。正直、言えば、私も靖国神社を参拝したのは、今年の春がはじめてである。10年前まで、毎年、軍人会に出席するため上京してきた父を案内してきたが、なぜか境内に入ったことはなかった。父が亡くなった後は、まったく縁のないところになってしまっていた。が、千鳥が渕の桜を見物したあと、家内が見てみたいというので立ち寄ったわけである。
まず、靖国神社に入って驚かされるのは、大鳥居である。高さ25mと日本最大のものであるという。参道の中ほどには大村益次郎の銅像が建てられている。明治26年に作られたもの。大村益次郎といえば、司馬遼太郎の『花神』の主人公で、NHK大河ドラマにもなった。が、意外と知られていない。と、いうわけで、いまさら「靖国神社とは何か」ではないが目下、重大な外交問題になっている以上、今一度知っておきたいものである。
靖国神社は、1869年8月6日(明治2年6月29日)に戊辰戦争で亡くなった軍人を慰霊するために建てられた。当時は、「東京招魂社」といった。1879年に靖国神社となる。
靖国神社には、平成16年10月17日現在、246万6532柱の御霊が祀られている。日本の国のために死んだ軍人・軍属・それに準ずる文官、民間、学徒である。内訳は以下。
・戊辰戦争7751柱 ・西南の役6971柱 ・日清戦争1万3619柱 台湾出兵1130柱
・義和団事変1256柱 ・日露戦争8万8429柱 ・第一次世界大戦4850柱 済南事変185
・満州事変1万7176柱 ・日中戦争19万1250柱 ・大東亜戦争213万3915柱
中国など周辺国が問題にしているのは、この中に、14人のA急戦犯が入っていることもある。A級戦犯とは、東京裁判で判決が決まった人たちのことで、東条英機、広田弘毅はじめ7人が絞首刑になった。このA級戦犯はじめ極東アジアで裁判にかけられた軍人軍属も合祀しようという運動が1956年ごろからはじまり、
1978年10月17日に国家の犠牲者「昭和殉難者」
として合祀されることが決まった。
しかし、翌年79年4月19日にマスメディアの
知るところとなり、以後、宗教問題としても論争
されるようになった。(靖国神社HPより)
―――――――――――――――――― 3 ―――――――文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.35
6・27下原ゼミ報告
 
 6月27日(月曜日)の下原ゼミ授業内容です。
参加者は下記の皆さんでした。 (順不動・敬称略)
たなか  だいき    おがわら ゆうへい   ひらいわ さとし    せき   ひでき
田中 大喜   小河原 祐平  平岩 理史   関  英樹
なかや  えり     なかむら けんと    はた まりん      はやし まさと
 中谷 英里   中村 健人   畑 茉林    林 正人
 
つだ ゆうや      はやし えみ
 津田 優也    林  絵美
       
出席者数10名
 6・27の出席者は、蒸し暑さにも関わらず10名。サークル活動などの理由で欠席していた人たちもみえて、久し振りにふたケタ台になった。政府発表の経済予報的表現をすれば、「13日ゼミで、いわゆる底をつき、その後は、順調に回復しつつある」と、いうことか。11-10-9-7-7-6-7-8-10、とこれまでの出席者数を見れば、頷ける。前期は、残すところ後、二回、このまま、大台を維持して欲しいと願っている。
中村健人さんの司会進行で
 この日のゼミの司会進行は、中村健人さんが担当しました。進行は①ゼミ誌について②提出原稿の読みと感想及び校正――の、手順でした。授業内容は以下の通りです。
ゼミ誌についての議論  掲載作品、ゼミ誌タイトル、サイズ、締切など
            はじめに編集委員から、今年のゼミ誌予算は、25万円(昨年度より2万円減)との説明。ゼミ担当者の希望(授業の成果を現したい)もあった。     
決定事項は次の通りです。編集委員は中村さん、中谷さんですが、ゼミ誌は、2005年度の受講生一人ひとりの記念碑です。積極的な協力をお願いします。
□ 掲載作品 → 車中観察(「車中の人々」など)&フリーの2本立て。
□ 原稿枚数 → 車中とフリー合わせて100枚以内(400字)フロッピーで提出。
□ タイトル → 『各駅停車』、『車中の人々』など出たが、間に合うので先送りとする。
□ 締切   → 9月末、夏休み明けとする。
□ 合評   → 提出原稿順に順次行っていく。(既に「ゼミ通信」で合評済みの作品
       でも、手直し、加筆があれば、再度)
※以上です。が、勘違い、変更、再議論、要望があれば申し出てください。
「車中の人々」の発表   No.32掲載分、林正人さん『同級生』
概略・車中で会った同級生は輝いてみえた。人生に目的があるからだ。あの頃、僕は「プロ野球選手になりたい」といっていた、が・・・いまは、まだない。
感想・「ひねったりしないで素直に書くところがいい」「焦る気持ちがでている」「自分も、同級生にいきなり会ったりすると同じ気持ちになる」
校正・会話は改行した方がいい。
概評・小話ながらも、いつも一つの世界がある。久し振りに出会った同級生との会話。自分の気持が素直に現れている。文体も内容も、直球のところがいい。
文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.35―――――――――4―――――――――――――――――
コラム記事発表   No.32掲載分 林 正人さんJR事故「風化させない」
概略・事故発生当時は、いろんな批判もあったが、時間とともに薄れさせていく。「この事故を風化させてはならない」。
感想・「前ぶれが季節の明るい話題から入っていくのがよい感じ」「この事故では、大学生が大勢犠牲になったので他人事として読めない」「前半の明るさと、後半の暗さの配分がいい」
質疑・「末端の社員とは」「責任問題と風化させないは、テーマが分かれている」
概評・コラムは、まず読んでくれるか。次に共感を得てくれるか、納得してくれるか。どれもクリアしていると思いますが、感想でもあったように、少し焦点が分散した感もあります。
「車中の人々」の発表  No.34掲載分 中谷英里さん「二人の会話」
誤謬・3行目「長く」→「短く」 上から15行目「あっさりとした」→「あっさりしていた」 下から16行目「法」→「方」 下から13行目「してません」→「していません」
概略・ディズニーランド帰りらしい二人の女の子。会話は、あの事故を連想させた。
感想・「あの事故の影響か、先頭車両に乗客が少ない気がする」「どちらが関西の友人かわかりにくかった」同様意見「二人のキャラクターをはっきりさせて」「日常会話にリアリティを感じる」「創作ということで、驚いた」
概評・大きな事故の体験を遊び帰りの会話に取り入れた小話。二人の人物像の違いなど、まだまだ直すところはありますが、創意工夫は十分にできている。
「車中の人々」の発表  No.34 林 正人さん「体温」
概略・「帽子を被ると体温があがる」昔の彼女がよく言っていた。僕は、つい懐かしさで、彼女と乗ったバスに乗ってしまった。
感想・「最後の一文が巧いと思った」「短いが面白く書けている」「作者の持ち味がでている」「これまでのなかで一番完成度が高い作品と思う」「素直さがよい」
概評・総じて好評だった。さらっとした簡潔な文章から、恋ともいえぬ、淡い想いが伝わってくる。年齢は下がるがガロの「学生街の喫茶店」の曲がよく似合いそうだ。
エッセイ発表 テーマ・「JR西日本電車脱線事故に思う」
No.34 平岩理史さん「五十五日間で何が」
論点・多数の死傷者を出したあの事故は人災。十分な償い謝罪はあったのか。遺族たちの心の整理は。五十五日でことが済むのか。JR西日本の復旧姿勢に対する疑念。
感想・「文節が長い。途中で切った方が」「電車を利用する人にとっては、早い復旧の方がいいのでは」「55日は、感じる人によって違うかも」「ややこしい問題」
概評・謝罪や償いは人によって様々だが、作者は55日間という日数に疑問を感じている。「55日間では人間は大きく変われない」無差別殺人を犯した電車が走るには、まだ時期早早。この期間について感想では、利用者と被害者の立場が分かれた。
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 この電車を足として通勤通学していた人たちにとっては、運休はかなり不便なことだったに違いない。また、この駅周辺で乗降客相手に商売している人たちにとっても駅閉鎖は、死活問題だったろう。しかし、被害者は、突然に人生を打ち切られたのだ。その悔しさ悲しさは、日数で計ることはできない。55日間が妥当かどうかは分からないが、JR西日本という会社が、この日数で被害者を癒し納得できなかったことだけは確かだ。そこに加害者として企業としての責任がある。平岩さんが照射する点は、まさにそこにある。
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7・4「下原ゼミ」授業手順
1.提出作品の発表・感想・編集
未発表作品 
No.29 畑 茉林さんの「制服と痴漢」(車中の人々・創作)
     畑 茉林さんの「透明人間と対話する女」(車内観察)
―― コラム・JR西日本電車脱線事故に思う ――
No.34 田中大喜さんの「無神経なテレビ報道と助長する視聴者に怒り」
     小河原佑平さんの「非常時に知る人間の本性」
―― 普通の一日を記憶する ――
「学校に行ってはみたが」T・Dさん
「私の愉しみ」O・Uさん
No.35 発表作品            
―― 車中の人々 ――
No.35 平岩理史さんの「終電観察」
―― テキスト『正義派』感想 ――
No.35 田中大喜の「ヒーローを夢見て」
2.テキスト『灰色の月』の読み 
前期ゼミテーマ「車内観察・車中の人々」は、テキスト『灰色の月』が最終作品となります。
靖国神社参拝問題・天皇陛下ご夫妻が訪問しているサイパン島のバンザイクリフと『灰色の月』との関係を考えてみる。
3.テキスト外作品の読み(時間あれば)
夏目漱石の『三四郎』車中部分の朗読。『網走まで』と比較してみる。
ヘミングウェイの『殺し屋』の読み。店内観察と虚無。
※ 車内観察作品では、他にもいくつかありますが『鳥取』もその一つ。
「間もなく5,6人が乗り込んで来た。それは後ろから彼には顔は見えなかったがね中の鼻にかかった奥州訛りが何か聞き覚えがあるような気がして彼は一寸身を起こして、振り返った。それは学生時代2,3度演説を聞いたことのある、そしてその後も新聞雑誌で時々写真を見る、N博士だった。」このN博士は、以前お札でおなじみの新渡戸稲造博士のことである。車中での様子をしっかり観察している。
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・・・・・・・・・・・・・・・・・・車中の人々・・・・・・・・・・・・・・・・
6月27日提出
終電観察
平岩理史
 
本川越行きの終電車。また終電になってしまったか、と思った。飯能行きから乗り換えた、所沢のホームでの事である。朝はしっかりと着こなしていたであろうスーツが、多少だらりと乱れたスーツに囲まれて、電車を待った。あと三分程で電車は来るだろう。構内アナウンスが乗り過ごしの注意を呼びかけている。と、ふとアナウンスの声が途中で途切れた。私も周囲の人と同様、あたりを見回すと、人が線路に降りているのが遠くに見える。懐中電灯を手にした駅員が三人と、スーツの男性が一人、倒れている男性を駅員がゆっくりと起こしている所であった。
「酔って落ちたんじゃあないか」と、私の後の男の人の話し声が聞こえる。「まったく迷惑な奴だ」と連れの人が答えたようだ。結局、電車が来たのは15分後。緊急停止ボタンが押されたためだと、アナウンスが冷静な声で構内に呼びかけた。電車が来ると、今度は女性の声が聞こえてきた。「もう間に合わないと思ったんだけど、終電乗れちゃった」携帯電話に話しているのだろう、答える声はなかった。だが、その声には十分過ぎる程の安堵が込められていた。
校正・書き込み箇所
          テキスト作品『正義派』感想
ヒーローを夢見て
 田中大喜
 「正義派」なんとも滑稽なタイトルである。「正義」とビシッと言ってくれれば締まるものを「派」が余計だ。派という字を辞書で調べてみた。主義・主張を同じくするグループである。そう、あの工夫達は正義を体現しているのではなく正義を主張しているグループなのだ。あくまでも主張である。真の正義とは如何に、と掘り下げたいところだが感想文とはかけ離れたものになってしまいそうなので工夫達にスポットを当ててみよう。
 この三人の工夫は労働者である。会社・社会からは低い扱いを受けてきたと思われる。そんなバックグラウンドもあって不満や反発する気持ちをいつも胸中に秘めて毎日仕事をしてきた事だろう。だが、ある日いつものように仕事をしていた所に今回の事件が起きた。青天の霹靂、この事件をきっかけに彼らの中の何かが決壊した。少女の死に便乗して会社へ今までの自分達に対する不当な扱いの報いを受けさせようとする。会社だけでなく社会、世間、あるいは神への反撃である。自分達を蔑んだ者達へのカウンターパンチ。彼らが主張した正義とはまさにこれである。人生の中で自分が主役の時がきても良いんじゃあないか。そうでもなければ人生不公平すぎる。彼らはそう思って生きてきた。そこに起こった電車事故。その場に居合わせた証人という立場。人生でいつか耀く時、まさに今がそのチャンスだと思い
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必死にチャンスにしがみつく、今まで自分たちを落しめてきた運命に反抗。正義という大義名分を循(楯?)にして。
 これが三人の工夫たちの心中だ。世間に対して強烈なカウンターパンチを放ちたいという想いは映画『タクシードライバー』のロバート・デニーロ(役名は忘れた)に似ている。日々心の中に何かわからない感情を貯め込んでいく男。デニーロのカウンターは見事に成功。三人の工夫たちは失敗という違いはあるが背景はほとんど同じといっても過言ではない。『正義派』の方が先に作られた作品だが、三人の工夫は、悪人から少女を救出して新聞などで報道されて一躍ヒーローとなったデニーロのようになりたかったのだろう。
校正・書き込み箇所
正義の難しさ
 工夫たちの真意はどうであれ、彼らの証言に嘘はない。工夫たちは、目撃した通りを多少の誇張はあれ、上司の脅しに屈することなく、また仕事を失う不安を恐れることなく話したのである。しかし、結果はどうだったのか。彼らは、言いようもない無力感・寂寥感に襲われたに過ぎない。報われない正義への失意。工夫たちの怒りと悲しみ。鉄道事件ではないが、何年か前にあった(株)Y牛乳倒産事件を彷彿した。Y牛乳といえば最大手の食品会社である。この優良会社がこともあろうに、賞味期限切れの牛乳やコーヒーを混ぜて出荷していたというのだ。告発したのは、下請けの冷凍会社の社長だった。インタビューで社長は、怒りのこもった口ぶりで証言していた。「もう何日も過ぎて膨らんだパックもあった」「片手で飲みながらタンクに注いでいた」。親会社の不正を暴く。勇気ある行為だったが、テレビで見るそこには正義以上の何か、強い憎しみのようなものが。大会社と下請け。日頃から差別のようなものがあったのかもしれない。
「大丈夫ですか」アナウンサーが心配した。が、社長は胸を張っていった。「私は正しいことをしているんです」。それが元でY会社は倒産に追い込まれた。あの社長は、どうなったのか。何年か過ぎてテレビに登場していた。あの告発のあと、仕事が一切なくなってしまった。会社はたちまち倒産。路上で物を売って生計を立てていた。正義と思ってやった告白だったのに。だが、密かに応援してくれる人がいて立ち直ったという。社会にでれば、いろいろな問題に直面する。正義を貫くことは難しい。が、しかし・・・。
映画『正義派』原作者の言葉
 映画の「正義派」は90%齋藤良輔君と渋谷實君の捜索である。何故なら、私の小説は夕方から夜更けまでの出来事を、書いた短編で、これを1時間40分の映画にする為には小説に書かれていない所を充分に書き足さなければ1本のえいがにはならないわけである。私は「正義派」のテーマである、自ら正義を担うと自負して行動した人間が、後でなんとむくわれない気がして、淋しくなるという点をしっかり掴んで作ってもらいたいと言い、あとは渋谷君に任せたが、ある程度それも現して貰えると思う。私はシナリオを読んで、気がついた所は少し自分でも直した。つまり、今度の「正義派」は47年前の私の短編とは異ふが、この映画は私も多少は力を合わせて作ったといえるものである。
                (昭和32年 志賀直哉、映画「正義派」について語る)
文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.35―――――――――8―――――――――――――――――
旅日誌
「普通の一日を記憶する」
 書くことを習慣化するために、時間のあるとき、暇なとき、なにもかけなくなったときなどに自分の行動や考えを記してください。この日、わたしは・・・・(読んだ人は、日記の人物像を、つくりあげてみる。この人の性格を想像する。)
彼は誰?               O・U
 問題・男が壁にかかった一枚の肖像画を見ている。隣にいた女がたずねる。
   「ここに描かれているのは誰ですか」
    男は答えた。
   「私に兄弟はいません。この絵の人物の父親は、私の父親の息子です」
   さて。この肖像画の人物は誰なのか。私は一日中、この問題に苦しめられた。もっと素直に言ってくれれば良いものを。                                   
映画館で              N・E
×月×日 今日は友達と映画を見る約束で池袋まで行った。まず、昼食をとるために友達がオススメする、シェイキーズのピザ食べ放題へ。友達はこれにハマって、一時期は一ヶ月に二、三回も来ていたという。普通のピザはもちろん、チーズの代わりにカスタードクリームが、その上にマシュマロやヨーグルト、フルーツ等がトッピングされているものもあった。最初はちょっと引いたものの、友達が美味しいというので、食べてみたら本当に美味しくてびっくりした。
 上映時間が4時間半くらいだったので、3時半に映画館へ。混んでいると聞いていたので早めに行ったつもりだったのだが、すでに長蛇の列で今から並んでも立見だという。立見は辛いので、次の六時半の回にすることに。買い物で時間を潰し、五時に再び映画館へ行くと、すでに何人かが並んでいたが、ちゃんと座席に座れることは確実だった。さすがに一時間半待っていると、友達との会話も無くなりかけてきていた。
 チケットを買う時に、学生証を忘れてきたことに気づく。
「学生証以外に学生の身分を証明できるものはありませんか?」と言われたので、駄目元でバス券を見せてみたら、驚いたことに「いいですよ。僕も日芸だったんで」と言われる。お礼を言った後、「何学科だったんですか?」と訊いたら、「映画学科です」と返ってきた。「あ、そうか。映画学科だったから、映画館で働いてるんですね」と言うと、笑顔が返ってきた。
                                         
友、遠方より来たりて             N・E
 名古屋に住んでいる友達が用があってこっちへ来る。そして用は午前中にほとんど終わり、午後三時くらいからは予定が空いているというので、一緒に遊ぶことになった。他の友人にも連絡して集まることに。彼女が最後にこっちへ来たのは去年の十月なので、会うのは約八ヶ月ぶりだった。あまり変わっていなかったので安心した。
 彼女の荷物が多かったので、とりあえず座ってゆっくりできるところへ、とカラオケに入った。が、歌はほとんど歌わず、ずっとしゃべっていた。ずっとしゃべっていても話題が尽きることはなかった。五時すぎになり、そろそろ飲み屋が開く頃だと、カラオケを出て、駅前の飲み屋へ
                                         
―――――――――――――――――― 9 ―――――――文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.35
移動した。
 友人の一人が、今月一杯で仕事を辞める予定だと言って、しばらくバイトして過すつもりだから、その間に愛知万博に行きたい、とつけ加えた。じゃあ、皆で行こうよ、ということになった。もうすでに一度行ったという名古屋の友人は案内してくれるという。ついでに泊めて欲しいな、と冗談ぽくいうと「別にいいよ」と返ってきた。今度は自分達の方から、彼女に会いに行けたらいいな、と思った。                            
 
課題原稿の提出状況
テキスト『網走まで』の感想(原稿提出者)は以下の皆さんです。6月27日現在 順不動
関 英樹   小河原佑平  平岩 理史  林 正人  大島 直文  
中谷 英里  畑 茉林   田中 大喜
 
『車中観察』の原稿提出者は以下の皆さんです。6月27日現在 順不動(本数)
関 英樹(3)小河原佑平(3)平岩 理史(3)林 正人  大島 直文(2)  
中谷 英里(2)  畑 茉林   田中 大喜(2)
愛読書アンケート提出者(6月27日までに提出した人)順不同
小河原佑平  平岩理史  関 英樹  田中大喜  大島直文  林 正人
中谷英里   中村健人
「車中の人々」提出者(6月27日までに提出した人)
 畑 茉林 田中大喜(2)平岩理史(2) 関 英樹(2)林 正人(2)中谷英里 
『網走まで』前後編提出者(6月27日までの提出者)
 田中大喜(前編) 
コラム「JP西日本電車脱線事故について」提出者(6月27日までの提出者)
 林 正人 平山理史 小河原佑平 田中大喜  
なぜ『網走まで』としたか(6月27日までの提出者)
 中村健人 
『正義派』感想 (6月27日までの提出者)
 大島直文 田中大喜 
「普通の一日を記憶する」(6月20日現在)
 S・H(5) O・N(2) H・MS(3) H・S(5) O・U(5) N・E(4)
     
 N・K  H・MRN  T・D 
文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.35―――――――――10―――――――――――――――――
テキスト『灰色の月』
 東京駅の屋根のなくなった歩廊に立っていると、風はなかったが、冷え冷えとし、着て来た一重外套で丁度よかった。連れの二人は先に来た上野まわりに乗り、あとは一人、品川まわりを待った。
 薄曇りのした空から灰色の月が日本橋側の焼跡をぼんやり照らしていた。月は十日位か、低くそれに何故か近く見えた。八時半頃だが、人が少なく、広い歩廊が一層広く感じられた。
 遠く電車のヘッドライトが見え、暫くすると不意に近づいて来た。車内はそれ程込んでいず、私は反対側の入口近くに腰かける事が出来た。右に五十近いもんぺ姿の女がいた。左には少年工と思われる十七八歳の子供が私の方を背にし、座席の端の袖板がないので、入口の方へ真横を向いて腰かけていた。その子供の顔は入って来た時、一寸見たが、眼をつぶり、口はだらしなく開けたまま、上体を前後に大きくゆすっていた。それはゆすっているのではなく、身体が前に倒れる、それを起こす、又倒れる、それを繰返しているのだ。居眠りにしては連続的なのが不気味に感じられた。私は不自然でない程度に子供との間を空けて腰かけていた。有楽町、新橋では大分込んで来た。買出しの帰りらしい人も何人かいた。二十五六の血色のいい丸顔の若者が背負って来た特別大きなリックサックを少年工の横に置き、腰掛に着けて、それにまたぐようにして立っていた。その後ろから、これもリックサックを背負った四十位の男が人に押されながら、前の若者を覗くようにして、
「載せてもかまいませんか」と云い、返事を待たず、背中の荷を下ろしにかかった。
「待って下さい。載せられると困るものがあるんです」若者は自分の荷を庇うようにして男の方へ振り返った。
「そうですか、済みませんでした」男は一寸網棚を見上げたが、載せられそうにないので、狭い所で身体をひねり、それを又背負ってしまった。
 若者は気の毒に思ったらしく、私と少年工の間に荷を半分かけて置こうと云ったが、
「いいんですよ。そんなに重くないんですよ。邪魔になるからね。おろそうと思ったが、いいんですよ」そう云って男は軽く頭を下げた。見ていて、私は気持よく思った。一頃とは人の気持も大分変わってきたと思った。
 浜松町、それから品川に来て、降りる人もあったが、乗る人の方が多かった。少年工はその中でも依然身体を大きくゆすっていた。
「まあ、なんて面をしてやがんだ」という声がした。それを云ったのは会社員というような四、五人の一人だった。連れの皆も一緒に笑いだした。私からは少年工の顔は見えなかったが、会社員の云いかたが可笑しかったし、少年工の顔も恐らく可笑しかったのだろう。車内には一寸快活な空気が出来た。その時、丸顔の若者はうしろの男を顧み、指先で自分の胃の所を叩きながら、「一寸手前ですよ」と小声で云った。
男は一寸驚いた風で、黙って少年工を見ていたが、「そうですか」と云った。
笑った仲間も少し変に思ったらしく、
「病気かな」
「酔ってるんじゃないのか」
こんなことを云っていたが、一人が、
「そうじゃないらしいよ」と云い、それで皆にも通じたらしく、急に黙ってしまった。
 地の悪い工員服の肩は破れ、裏から手拭でつぎが当ててある。後前に被った戦闘帽のひさしの下のよごれた細い首筋が淋しかった。少年工は身体をゆすらなくなった。そして、窓と入口の間にある一尺程の板張りにしきりに頬を擦りつけていた。その様子が如何にも子供ら
しく、ぼんやりした頭で板張りを誰かに仮想し、甘えているのだという風に思われた。
「オイ」前に立っていた大きな男が少年工の肩に手をかけ、「何処まで行くんだ」と訊いた。少年工は返事をしなかったが、又同じ事を云われ、
―――――――――――――――――――― 11 ――――文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.35
「上野へ行くんだ」と物憂さそうに答えた。
「そりゃあ、いけねぇ、あべこべに乗っちゃったよ。こりゃあ渋谷の方へ行く電車だ」
 少年工は身体を起こし、窓外を見ようとした時、重心を失い、いきなり、私に寄りかかってきた。それは不意だったが、後でどうしてそんな事をしたか、不思議に思うのだが、その時ほとんど反射的に寄りかかってきた少年工の身体を肩で突返した。これは私の気持を全く裏切った動作で、自分でも驚いたが、その寄りかかられた時の少年工の抵抗が余りに少なかった事で一層気の毒な想いをした。私の体重は今、十三貫二三百匁に減っているが、少年工のそれはそれよりもはるかに軽かった。
「東京駅でいたから、乗越して来たんだ。―― 何処から乗ったんだ」私はうしろから訊いて見た。少年工はむこうを向いたまま、
「渋谷から乗った」と云った。誰か、
「渋谷からじゃ一回りしちゃったよ」と云う者があった。
少年工は硝子に額をつけ、窓外を見ようとしたが、直ぐやめて、漸く聞きとれる低い声で、
「どうでも、かまはねえや」と云った。
少年工のこのひとり言は後まで私の心に残った。
 近くの乗客たちも、もう少年工の事には触れなかった。どうすることも出来ないと思うのだろう。私もその一人で、どうすることも出来ない気持だった。弁当でも持っていれば自身の気休めにやることも出来るが、金をやったところで、昼間でも駄目かも知れず、まして夜九時では食い物など得るあてはなかった。暗澹たる気持のまま渋谷駅で電車を降りた。
 昭和二十年十月十六日の事である。
                   (『志賀直哉全集』を現代読みに・編集室)
『灰色の月』について
 この作品は、1946年(昭和21年)1月1日発行の『世界』創刊号に発表された。
この作品について作者志賀直哉は、「続々創作余談」でこのように話している。
 『灰色の月』はあの通りの経験をした。あの場合、その子供をどうしてやったらいいか、仮にうちへ連れて帰っても、うちの者だけでも足りない食料で、又、自身を考えても程度こそ異ふが、既に軽い栄養失調にかかっている時で、どうすることも出来なかった。全くひどい時代だった。
 『灰色の月』は400字詰め原稿用紙にして僅か6、7枚の作品である。見方によれば、エッセイのような小説とも呼べない小話である。だがしかし、この作品は、数百枚、数千枚の作品以上の重みや憤怒を持って訴えている。作者は、この作品を1946年11月に書いたが、その月の27日、こんなエッセイを書いている。「世界人類の幸福のために小説を書く」そう志した時任謙作の怒りがここにある。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 さて、わが国でも百年、二百年経ち国民が咽もとの熱さを忘れた時、どんな歴史家が異をたてて、東条英機を不世出の英雄に祭り上げないとは限らぬ。東條は首相の頃、「自分のする事に非難のある事も承知している。しかし自分は後世史家の正しい批判を待つよりないと思っている」こう云っていたという。その後、新聞で、同じ事を言っているのを読んで、滑稽にも感じ、不愉快にも思った。吾々は秀吉の愚挙を漫然壮国と考えたのだから、西は印度、南は豪州まで攻め寄せた戦争を、その結果を忘れて、自慢の種にする時代が来ないとは云えない気がする。自慢の種にするだけなら差支えないが、第二の東條英機に出られるような事は絶対に防がねばならぬ。この予防策として、東條英機の大きな銅像、それも英雄登場英機ではなく、今、吾々が彼に感じている卑小なる東條英機を如実に表現した銅像を建てるがいいと思う。台座の浮彫には空襲、焼跡、餓死者、追剥、強盗、それに進駐軍、その他いろいろ現すべきものがあろう。そして柵には竹槍、かくして日本国民は永久に東條英機の真実の姿を記憶すべきである。(「銅像」昭和21年)
文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.35―――――――― 12 ――――――――――――――――
2005年、読書と創作の旅・旅日程
前期使用・テキスト及び関連作品
 前期の旅は、『網走まで』をスタートに志賀直哉の車内外作品にこだわってみました。終着駅は、後一作品『灰色の月』となりますが、これまで、取り上げたテキスト車内外作品と、関連する観察作品を紹介します。○は見学(朗読)作品
旅・第1日目4月25日
○テキスト『網走まで』見学
旅・第2日目5月9日
○テキスト草稿『小説網走まで』見学
※ 現行と読み比べることで、完成作品と、習作との違いを考える。
・ 『網走まで』感想発表
・ 車内観察報告
旅・第3日目5月16日
・テキスト感想と観察報告
旅・第4日目5月23日
○テキスト『夫婦』見学 ※ 作者の車内での観察眼の確かさを知る。夫婦の機微をも観察。
旅・第5日目5月30日
○ テキスト『正義派』見学 ※ 車外から電車事故による、関係者の行動を観察。
旅・第6日目6月6日
○ テキスト『出来事』見学 ※ 車内での事故観察と乗客観察。
○ 車内作品O・ヘンリー『心と手』見学
 ※ この作家の観察力と、作品の構成とオチ。起承転結の作品。
旅・第7日目6月13日
○ テキスト休憩 下原の『ひがんさの山』見学 文末、時間がなく各自、自宅にて読み。
 ※ 子供時代に体験したことを観察し、創作する。他大学教育学部で、兎を助けるか殺すか、で感想が分かれている。
旅・第8日目6月20日
○テキスト『城の崎にて』見学
 ※ 昆虫、小動物の観察。
○テキスト草稿『いのち(城の崎にて)』文末、各自、自宅読み
 ※ 現行との読み比べで、なぜ現行が名作なのかを考える。
・観察作品として、牝豹と兵士の愛を観察したバルザックの『砂漠の情熱』、気象を観測したサンテグジュペリの『夜間飛行』抜粋を配布したが、時間がなく自宅読みとなった。
旅・第9日目6月27日 ゼミ誌についての決め
○ テキスト見学なし
○ 観察関連作品として夏目漱石『三四郎』、時間なく次回に。
旅・第10日目7月4日予定
○ テキスト『灰色の月』見学
○ 観察作品見本・漱石『三四郎』か、ヘミングウェイ『殺し屋』
旅・第11日目7月11日予定
前半の旅、まとめ。各自総評。テキスト評。
試み読本・ドストエフスキー『貧しき人々』10枚読んだらやめられないは本当なのか!?
夏休み読書への挑戦 
ーーーーーーーーーーーーーーーーー13———-―――――ー文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.35
2005年、読書と創作の旅
『網走まで』と『灰色の月』
 
志賀直哉が『網走まで』を書いたのは1908年(明治41年8月14日)25歳のときである。それから37年後の1945年(昭和20年)11月に『灰色の月』を書いた。志賀直哉62歳のときである。奇しくも青年期に入りかけたときと老年期に入りかけたときに手がけた作品である。
この両作品は、一見エッセイ風の小話ではあるが、共に志賀直哉文学の代表作でもあり、日本文学の金字塔に位置する作品群と並んでも遜色ない名作である。が、この二つの作品のどこに名作と言わしめる要素があるのか。両作品を比較し考察することで、その謎を明らかにしたい。
まず、この二つの作品を比較してみよう。『網走まで』は、その創作余談で「在る時東北線を一人で帰って来る列車の中で前に乗り合わせた女とその子供から勝手に想像して」というから全くの創作である。が、『灰色の月』は、実際に作者の目で見、耳で聞いたことだという。この両作品に違いがあるとすれば、大きな違いだが、「創作」と「体験実話」だろう。しかし、どちらも短編小説として世にある。この両作品は、他の志賀直哉作品とも内容を異にするところがある。ふつう志賀直哉の作品は、自身か家庭に向けられている。が、『網走』『灰色』とも、もっと大きなもの時代、歴史、体制そんなものに向かっての怒りを感じるのである。
『網走まで』の時代は都市で貧富の差がでてきた。とくに士族の凋落はひどい。政府は、彼らを北海道や南米に捨てた。石川達三の『蒼茫』は、そんな人々の船中観察でもある。
『灰色の月』は終戦直後の東京。焼跡の街には戦争孤児や娼婦があふれ、進駐軍が闊歩していた。日本も世界も時任謙作が思う世界にはならない。
草稿「灰色の月」
・・・・・・・・・
 子供は殆ど口の中で、
「どうでもかまわねえや」といった。それは並んでいる私だけ聞こえた。この「どうでもかまわねぇや」は私に強く響いた。どうかできないものかと思った。弁当でも持っていればやる事もできるが、夜九時では金をやっても食い物を得るわけにも行かなかった。
 目黒、えびす、渋谷、その間子供は又前のように大きく揺っていた。乗客は時々子供の方をちらりと見るものがあったが、誰にもどうすることが出来ないとでも思う風で、子供の事にはもう触れようとしなかった。勿論、私自身もその一人であったが、実際どうすることもできない感じだった。私は渋谷で降りた。十月十六日夜の事であった。
上野の山では戦争孤児たちがバタバタと餓死している。こんな時代に誰がした。志賀直哉の観察眼は、怒りを持って利用された天皇制をも客観的に見つめている。
<天皇制について>
 
今度の戦争で天子様に責任があるとは思われない。しかし天皇制には責任があると思う。
 天子様の御意志を無視し、少数の馬鹿者がこんな戦争を起こすことのできる天皇制、――しかも、最大限に悪用し得る脆弱性を持った天皇制は国と国民とに禍となった。
 天子様と国民との古い関係をこの際捨て去ってしまう事は淋しい。
 しかし、世界各国の君主が老人の歯が抜け落ちるように落ちて行くのを見ると、天皇制というものが今はそういう頽齢に達したのだというようにもかんじられる。
 天子様と天子様の御一族が御不幸になられることは実にいやだ。
 このもんだいが穏やかに落ち着くところに落ち着いてくれるといいと思っている。
                                   (昭和21年)
文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.35―――――――― 14 ――――――――――――――――
観劇感想 日本大学芸術学部B.D.C.演劇映画放送研究会 企画公演
劇団シナプス成長期の『真相』を観に行く
 ゼミで畑茉林さんと津田優也さんの欠席がつづいていたので、「どうしたのだろう」と心配していたところ先週、久し振りに2人そろって姿をみせた。誰かからかなんとなく聞いていたが、やはりサークルの活動で忙しかったとのこと。2人は、ガイダンスのときの自己紹介でも話していたが、「B・D・C・演劇映画放送研究会」というサークルに入っていて、7月1日から3日間公演する演劇の稽古をしていたという。畑さんは出演し、津田さんは美術を担当するらしい。週末土日の夕方は、土壌館の練習日だが、子供と中高年の部を土曜日につづけてやって日曜日を空けることができた。で、3日の2時からの公演を観に行くことにした。
 パンフレットは、先日、教室でもらっていた。劇場は西武池袋線桜台駅から徒歩4分の所にある「JOY×JOY STATION」。観客ほぼ満席、3、40名ほどか。公演は90分休憩なし。『真相』(作・演出:粕谷幸司)と題した劇だが、さっぱり見当がつかなかった。パンフレットに書かれた次の文節が頼りのみである。「とある精神病院で 行われる『神なる実験』 一粒のカプセルが患者たちの日常、絆を崩壊させる。彼らを取り巻く医師たちの目的は?そして、苦しみの先にある生きることの意味とは?・・・狂気の扉が今開く・・・」よくわからないが、どうやらアングラではなさそうだ。「絶望と希望の90分ミステリー」とある。
 さて、90分は長いのか短いのか、照明が消えた。狭い舞台には、正面の壁にギターが置いてあるだけ。後はなにもない。そこに10名のキャストが勢ぞろいする。白衣が3人、ナースが1人、残る6人は私服。白髪の病院長役が、この劇の作と演出者らしい。病院長の片腕となる目黒医師のいきなりの前口上。なかなか決まっている。ここが精神病院で、なにやら壮大な人体実験が行われるらしい。してみると私服の6人は患者ということか。畑茉林さんはミライという名の患者の1人。カナという女の患者と合わないらしい。他にトランプ占いに凝っている女、タイチという少年。宗教信者の青年。それに皆から「センセイ」と呼ばれている唐沢という男。6人6様のキャラクターだが、精神患者ともみえない。彼らは、なぜ一つ部屋にいるのか。
 時折、片隅で目黒医師が、目的を独白するのだが、なかなか筋道が見えてこない。が、薬が配られ実験がはじまった。しかし、観客は「なんだろう」とまだわからない。目黒医師の世紀の実験。ノーベル賞もの、殺人がなくなるなど、誇大妄想的せりふを聞きながら想像し、次の場面を待つ。途中で気づいたことだが、場面換えのとき照明を消し真っ暗にする。思い出し場面も短い時間でコンスタントに切り替える。この素早さがいい。この手法は映画の手法に違いない。バイオレンスアクションのサム・ペキンパ監督の映画手法が頭に浮かぶ。
 演出の成果か、唐突にこの劇の全体像がみえてくる。5名の若者たちは殺人者なのだ。それぞれ理由は違っても、父親を友人を、あるいは見ず知らずの人を手にかけてきた。そうして、この精神病院は、彼らをモルモットにして、殺人衝動を抑える新薬を開発せんとしていた。5人の患者といた謎の男唐沢は、5人が服用した殺人促進の薬の効き目を観察する精神科医だったのだ。謎は次々と解けていく。中盤過ぎか、このあたりから流れはスムーズで無理がない。看護士と女医の脇役が、しっかりしめている。若者の理由なき殺人。テーマは、最近の世相をとりいれたようだ。が、新しくも古いテーマでもある。凶暴な男をどうするか、犯罪者をどうするか。映画『カッコーの巣の上で』は、確か脳の手術だった。スタンレー・キューブリックの『時計仕掛けのオレンジ』は、瞼を閉まらないようにして残酷なシーンを眺めさせつづけるだった。忘れてしまったが、どちらも失敗したようだ。この劇も、薬の効き目を観察するはずの唐沢医師の裏切りで失敗する。いや、失敗したようにみえる。が、病院長の最後の目論見は・・・殺人DNAを抑える新薬発見のための人体実験。その結果は、患者5人の生還と、1名の死。そして1名の殺人者を作って終わった。「真相」とは、このことだったのか。90分後半は短かった。
 津田さんらに送られて出口をでかかったとき、名前を呼ばれた。昨年のゼミの友枝美代子さんだった。彼女もこのサークルで、今回は衣装を担当したとのこと。
―――――――――――――――――――― 15 ――――文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.35
2005年、読書と創作の旅・文芸情報紹介  今、カミュは 2005・6・30朝日(夕)
  
文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.34―――――――― 16 ――――――――――――――――
掲示板
提出原稿について
 書けたら常時提出して下さい。(提出本数は何回でも可)
① 車内観察 (常時観察・提出することで観察力、表現力を高める)
② 普通の一日を記憶する(書けなくなったら一日の生活を書いてみてください。習慣化)
③ 『車中の人々』(創作・エッセイ)(ゼミ誌掲載候補作品)
下記の手順で作品を仕上げます。(一つの作品を、きちんと仕上げてみる)
車内観察・報告 → 創作 → 草稿発表 → 訂正・改稿 → 清書発表・合評
④ 「なぜ網走か」を論じてください。
⑤ 『網走まで』の前後の話を創作してみる。(想像・空想力をみがく)
⑥テキスト『夫婦』『正義派』『出来事』の感想。
⑦ テキスト外の作品『ひがんさの山』の感想
⑧ テキスト『城の崎にて』の感想
⑨ テキスト『網走まで』と『三四郎』について
⑩ テキスト『灰色の月』の感想 
⑪ 靖国神社参拝問題について
⑫ 前期ゼミ「『車内観察』の旅」感想
お知らせ
ドストエーフスキイ全作品を読む会・第210回読書会暑気払い大会
・8月13日 土曜日 午前10:00~12:00発表「ドストエフスキーと小山田二郎(画家)」
・東京芸術劇場小会議室7 発表者=福井勝也氏
ドストエーフスキイの会第170回例会『広場』合評会
・ 8月13日 土曜日 午後1:30~5:00 小会議室7    
ドストエーフスキイ全作品を読む会・第211回読書会
・10月8日 土曜日 午後2:00~5:00
・ 東京芸術劇場小会議室1 作品:『地下生活者の手記 発表者、未定
 以上詳細は下原まで
後期ゼミについて
後期は、「社会観察」です。電車を降りて街や世の中を見学します。テキストは志賀直哉作品の他に新聞記事・テレビニュースなど事件や出来事です。夏休み、新聞記事やニュースに注意しておいてください。事件・出来事からの創作。社会問題討論です。
編集室便り
☆提出原稿は直接か下記の郵便住所かメール先に送ってください。
「下原ゼミ通信」編集室の住所〒274-0825 船橋市前原西6-1-12-816 下原方
  メール:toshihiko@shimohara.net TEL・FAX:047-475-1582 
日本大学芸術学部文芸学科・文芸研究Ⅱ「下原ゼミ通信」提出原稿用紙 
「2005年、読書と創作の旅」テキスト「『灰色の月』感想
                         名前
日本大学芸術学部文芸学科・文芸研究Ⅱ「下原ゼミ通信」原稿用紙 
「2005年、読書と創作の旅」 テーマ「靖国神社合祀・参拝問題」 
  名前
                      ―――――――――――――
日本大学芸術学部文芸学科・文芸研究Ⅱ「下原ゼミ通信」原稿用紙 
「2005年、読書と創作の旅」 前期ゼミ感想
  名前
                      ―――――――――――――
☆ゼミ雑誌の作成手順
ゼミ雑誌作成は、以下の計画手順で進めてください。
1. ゼミ雑誌編集委員2名。中村健人さん、中谷英里さん
2. 6月14日(火)12時30分より文芸棟教室1でゼミ雑誌作成ガイダンスがあります。 編集委員は必ず出席してください。
※ この席で申請書類が配布されます。かならず受け取って期限までに提出してください。(出版編集室へ提出)
3. 編集委員を中心に、ゼミで話し合いながら雑誌の装丁を決めてください。
※6月 ~  7月のあいだに
4. 9月26日(月)ゼミ誌原稿締め切り。編集委員は原稿を集めてください。
  ※提出が遅れると、掲載できない場合もあります。
5. 印刷会社をきめ、希望の装丁やレイアウトなどを(印刷会社と)相談しながら編集作業をすすめてください。
6. 印刷会社から見積もり料金を算出してもらってください。
※10月中旬までに
7. 10月末日までに「見積書」をかならず出版編集室に提出してください。
  ※予算内に収まらないとゼミ員の自己負担となるので、注意してください。
8. 11月中旬までに印刷会社に入稿してください。
9. ゼミ雑誌が刊行されたら出版編集室に見本誌を提出する。
10. 印刷会社からの「請求書」を出版編集室に提出する。
ゼミ誌予算  →  250000円 オーバーしないように注意!
発行部数   →  最大250部以下
印刷会社について → 過去に依頼したことのある主な印刷会社の連絡先は、文芸学科スタッフまで問い合わせてください。
           それ以外の印刷会社を利用したい場合は、かならず事前に学科スタッフに相談すること。
■ 実施の1ヶ月前までに提出。出版編集室へ。
下原ゼミの理念「人類全体の幸福に繋がりのある仕事」(『暗夜行路』から)
日本大学芸術学部文芸学科・文芸研究Ⅱ「下原ゼミ通信」原稿用紙   
「2005年、読書と創作の旅」
車内観察したものをヒントに創作する   名前
                    ―――――――――――――――
土壌館創作道場・下原ゼミ原稿用紙
テーマ「なぜ網走か」を論じてください     名前
日本大学芸術学部文芸学科・文芸研究Ⅱ「下原ゼミ通信」原稿用紙 
「2005年、読書と創作の旅」 テーマ・「なぜ網走か」を論じてください。

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