文芸研究Ⅱ 下原ゼミ通信No.235

公開日:  最終更新日:2014/05/24

日本大学藝術学部文芸学科     2014年(平成26年)4月14日発行

文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.235
BUNGEIKENKYU Ⅱ SHIMOHARAZEMI TSUSHIN
編集発行人 下原敏彦

4/14 4/21 4/28 5/12 5/19 5/26 6/2 6/9 6/16 6/23 6/30 7/7

2014年、読書と創作の旅への誘い

4・14下原ゼミ

2014年文芸研究Ⅱを目指す皆さん

貴重な一年間

みなさん、こんにちは ! いよいよ新学期がはじまりました。所沢校舎での授業はこの一年で最後になります。2年生という学年は、(そうでない人もいるかもしれませんが)、大学生活のなかで一番に安定した学年です。その意味で、皆さんにとって26年度は貴重な一年間といえます。悔いのない、実りある学生生活を目指してスタートしてください。

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目標への一歩は、ゼミ選びにあり !!

悔いのない、実りある学生生活とは何か。それはこの一年、自分は何をしたいのか。しっかり目標を立て、それに向かって歩き出すことです。
しかし、大学で自分は、何を学びたいのか。いまだ定まっていない人。漠然としてか決まってない人。さまざまと思います。各ゼミには、それぞれ特徴があります。説明をよく聞いて自分にあったゼミを選んでください。目標への一歩は、ゼミ選びにありです。

「2014年、読書と創作の旅」について

下原ゼミは毎年「――年、読書と創作の旅」と銘打ってゼミをすすめています。旅の目的 は、人間とは何かを知ることです。題名は、映画「2001年宇宙の旅」からとりました。
この世には、さまざまな謎があります。が、最大の謎は、なんといっても人間です。人間がいなければ、世界も宇宙もありません。この森羅万象を意識する人間とは何か。
映画は、その謎に挑むストーリーです。人間は、どこから来て、どこに行くのか。ボーマン船長が旅した宇宙。謎は、解けたのか。リヒャルト・シュトラウス作曲の「ツァラトストラかく語りき」の音楽と果てのない宇宙空間。その退屈さに多くの観客は、睡魔の泉なかに引き込まれていく。そうして目覚めたときは、銀幕は下りている。人間の謎は、なにもわからない。それが大半のひとの正直な感想だろう。
もっとも、しっかり見ていた人もわからない。わかるとすれば、人間の謎は、人類の永遠のテーマと知ることぐらいである。読書と創作の旅で挑戦したい。
※「2001年宇宙の旅」。SF作家アーサー・クラークの『前哨』を映画監督スタンリー・キューブリックが脚本、作家と映画監督協力で1968年2月完成。4月に米国、日本で公開。
上映時間2時間19分 このあいだ会話は僅か40分足らず。「あれの哲学的な意味や象徴的な意味は、観客が自由に考えればよい」キューブリック監督。

講師紹介

「人間とは何か」を知るために下原ゼミでは、どのように授業をすすめていくか。シラバスにも載せてありますが、あらためて説明したいと思います。
が、その前に、この旅の添乗員は、どんな人か。まずは、それからはじめたいと思います。人間観察は、履歴をみることがその人を知る早道です。
ということで私の略歴と社会での出来ごとを記してみました。以下のようです。

私は、下原敏彦(しもはらとしひこ)といいます。

■ 1947年 昭和22年に生まれた。
この年の一番大きな出来事。 5月3日に日本国憲法が施行された。現政権では改憲を目標にしている。「第九条」を削除して集団的自衛権の行使を容認する
生れ育った所は、長野県伊那谷にある山村 伊那谷は、南アルプスと中央アルプスの間にある細長い谷。その谷の南端。現在、観光地「昼神温泉郷」として駅などでポスターを見かける。新宿から高速バスで4時間半。
地理的特徴、世界で2番目に長い(8㌔)中央高速道恵那山トンネルがある。日本で一番星がきれいに見えるということで、星を見るツアーがある。
下の地図は、南信州部分「昼神温泉」

子どものころは、どんな生活をしていたか

子ども時代の暮らしは、家が農家だから野良仕事の手伝いがほとんど。この地方の主力産業は養蚕。子どもも大人もカイコの世話が中心。村の80パーセントが養蚕農家。
子ども時代の遊び、春は、山菜とり(わらび、ぜんまい、きくらげ、木汁)、杉の葉拾い
夏は、カブト虫、蜂の巣探し 秋は、きのこ狩り、 冬は、田んぼスケート、うさぎ追い

子ども時代を観察して創作したものに『伊那谷少年記』『やまなみ山脈』がある。

 

ちなみに

『伊那谷少年記』は短編集(伊那谷童話賞)。『山脈はるかに』(第8回椋鳩十記念)は中編小説。『伊那谷』のなかの「ひがんさの山」は四谷大塚模擬試験問題に。
「コロスケのいた森」は、20年大阪府公立高校入試国語問題に出題。19年埼玉県第二次県立高校入試国語問題に出題されている。
子ども時代の思い出は、後で役に立つので記憶していることは書いておくことをすすめる。
1.手紙 2.写真など

子ども時代の思い出として、形に残されているものとして、以下の写真集がある。

岩波写真文庫『一年生』

1953年(昭和28年)に長野県の山村に入学した一年生の担任になった写真家・熊谷元一が1年間、学校での子どもの様子を撮った。下原は、そのときの一年生。

この『一年生』は、1955年に土門拳ら著名な写真家たちを押え第一回毎日写真賞受賞。写真界の金字塔。各地で開催の「近くて懐かしい昭和展」に展示されている。
このなかの、コッペパンを食べる少年は、写真日本一になった。目にした人もいると思うが展覧会のたびに、ポスターとして書店やマスメディアで宣伝されている。

1965年 昭和40年 東京にでてくる。前年、第18回オリンピック東京大会。
日本大学農獣医学部に入学。現在の生物自然科学部国際地域開発学科。1年生のときは神奈川県藤沢。2年から世田谷区下馬校舎。平和部隊。現在、海外技術協力隊に入って低開発国に行くことが目標だった。

このころの東京は、現在の北京並みスモッグ。ソ連、人類初の宇宙遊泳。
1966年 昭和41年 竹橋にある新聞社に住み込み新聞発送のバイト。
1968年 昭和43年 日大闘争起きる

■ 1968年夏、フランスの定期貨客船「ラオス号」でマルセーユを目指す。
カンボジア、プノンペンで暮らす。政変騒動で帰国。

下原ゼミについて

1.ゼミの目標

「書くこと」「読むこと」の習慣化・日常化を身につける。

前期ゼミの目標は、「書くこと」「読むこと」の習慣化・日常化です。文芸学科の学生に、この目標は、釈迦に説法かも知れません。が、下原ゼミではあえてこの目標をたてています。
入試面接で、たいていの受験生は、志望理由を「本が好き」「小説を書きたい」からと言います。しかし、実際、入ってきた学生から感じるのは、「書くこと」「読むこと」の苦手な人が多いということです。そこで、このゼミでは文芸の初心に帰って「読むこと」と「書くことの」の習慣化、日常化を身につけることを目標にします。

2.「書くこと」の習慣化・日常化について

テキスト感想、車内観察、社会観察、自分観察(日記)を書いて発表する。

テキストとして、志賀直哉の車内観察作品をとりあげます。毎日乗車する交通機関の中で見たこと、考えたこと、空想したことなど…。提出後、合評します。

3.「読むこと」の習慣化・日常化について

テキストは、主に志賀直哉の車内観察作品、生き物観察作品、(家族観察としてジュナールの作品も)、毎回1~2作品の朗読。
なぜ、志賀直哉かは、この作家は、日本文学において「小説の神様」といわれているからです。どこが、なぜ、そう呼ばれる所以か。この謎も併せて考えていきたい。

4. 後期ゼミは「創作力「批評力」「表現力」を培う

後期ゼミは、前期ゼミの目標が達成したと仮定して、新聞記事などをヒントに創作をしていきます。また、社会問題を議論して批評力を高めます。
後期は、ゼミ誌作成もあるので、計画通りにはいかないところもあります。了承ください。また、年末の合同発表会における出しものとして、「表現力」をつけるためテキストから模擬裁判を脚本して稽古していきます。

※後期、三ゼミ合同発表会での模擬裁判は、志賀直哉の事件作品の脚本化。

なお、「読むこと」は、前期・後期、ひきつづき実施します。

5.ゼミ合宿について

ゼミ合宿は、実施します。主に軽井沢の日本大学施設です。
「読むこと」の集大成として、毎回マラソン朗読会を実施しています。
はじめ、驚き逡巡されるが、終わってみると好評です。大学生活のよい思い出になったと喜ばれています。作品は、・・・・・(決まっています)
例年 午後3時スタート → (夕食・風呂)→ 午後1時30分頃までに完走

6.郊外授業について ゼミⅢ『熊谷元一研究』に併せて写真展などの見学。
秋田・写真展見学  銀座・岩波書店百年展  新宿・写真賞選考会見学

ゼミ番外

ゼミの授業の他に、下原が日頃、研究対象としていること。

1.ドストエフスキーについて

一般の人を対象に2カ月に一度、全作品を読む会「読書会」を開いています。会場は池袋西口にある東京芸術劇場小会議室。10年1サイクル、現在は5サイクル半ば。
ドストエフスキーは、ゼミではとりあげませんが、ゼミ合宿のマラソン朗読会ではテキストにします。乞うご期待!!
著書とし『ドストエフスキーを読みながら』(鳥影社)『ドストエフスキーを読みつづけて』(D文学研究)他がある。
読書会のお知らせとして、以下のミニコミ誌を各月に発行している。興味ある人は、どうぞ。

ドストエーフスキイ 2014年(平成26年) 4月15日発行
全作品を読む会 読書会通信143
ホームページ  http://dokushokai.shimohara.net/

☆読書会連絡先:福井勝也℡03-3320-6488・横尾和博℡03-3902-8457・下原敏彦047-475-1582

2014年(平成26年)開催月日2・1/4・26/6・28/8・未定/10・未定/12・未定 /2・未

第262回4月26日読書会のお知らせ

第4土曜日・「東京芸術劇場」小7会議室です

2.嘉納治五郎について

地元、船橋で町道場を開いている。小学生が主体だが(中学生、高校生、一般の人もいる)
2002年、大雪で倒壊寸前だったが、朝日新聞「声」への投書から日本テレビが番組で改築
オンボロ道場ながら現在にいたっている。30年近くつづいている。
柔道は、日大の柔道部時代からつづけているが、創始者の嘉納治五郎については、柔道より、教育者、コスモポリタンとしての側面に光をあてたい。
文学上は、夏目漱石の上司(漱石を教師として採用)、ラフカディオ・ハーンを教師として採用。魯迅を留学生として受け入れるなど文学者との関係も深い。

志賀直哉は、孫弟子にあたる

ゼミでは、嘉納治五郎の「青年訓」をとりあげる。柔道では、テキストの志賀直哉は、嘉納治五郎の孫弟子に当たる。明治15年(1882)治五郎は、講道館柔道を創始するが、一番弟子は、冨田常次郎(冨田常雄『姿三四郎』の父親)。志賀直哉は、学習院時代、柔道に明け暮れたが、師範は、冨田常次郎だった。

治五郎をモデルにした創作ルポに『千帆閣の海』がある。

3.熊谷元一について 写真家・童画家・教師

2010年に101歳で亡くなった熊谷元一については、前頁で『一年生』を紹介した。が、その功績をもっと評価したい目的でとりあげる。研究分野では、まだ未開(現在、名城大、静岡大の2先生のみ)。下原の小学校時代の担任であり恩師であることから下原のライフワークとなる研究事案。実際にはゼミⅢ、ゼミⅣにて研究活動をするが、ゼミⅡにおいても、前哨として、写真・童画展に郊外授業として参加できればと思っている。
熊谷元一対象作品
写真集編纂『五十歳になった一年生』 記念文集作成『還暦になった一年生』
43年後、担任の熊谷は、50歳になった「一年生」を写真に撮るために全国へ写真行脚の旅にでた。NHKテレビはそのあとを追ってドキュメンタリー番組を作った。1996年11月24日放映された。あの「一年生」は、どんな大人になっていたか。以下の写真集にまとめた。編纂・熊谷元一と下原&28会

43年後、担任の熊谷は、50歳になった「一年生」を写真に撮るために全国へ写真行脚の旅にでた。NHKテレビはそのあとを追ってドキュメンタリー番組を作った。1996年11月24日放映された。
あの「一年生」は、どんな大人になっていたか。以下の写真集にまとめた。編纂・熊谷元一と下原&28会

下原と熊谷元一

岩波写真文庫『一年生』には、多くの愛読者がいる

2007年に復刻版がでた際、作家の赤瀬川原平さんは、『一年生』を赤瀬川原平セレクションとしてとりあげ「選者からのメッセージ」を寄せた。
現在、日芸講師で読売新聞の編集委員を勤める芥川喜好さんも愛読者だった。が、最近まで下原が被写体だと知らなかった。
昨年暮れ12月18日、NHKBSで再放送されたアーカイブスの「教え子たちの歳月」を話題にした際、写真で知っている記憶の少年が下原とわかって驚かれた。
そのときのことを2013年3月23日読売新聞朝刊の「時の余白」欄に書かれた。
以下の写真は、芥川先生が記憶にあった写真。

上、数を計算する下原
士、校長先生の話にあきてきた子どもたち

けんか、教師は、とめることなく、まず写真に撮った。

これは、日芸講師・芥川先生(読売編集委員)が、下原を取材して書かれた記事。

人との繋がの不思議を思います。この記事が関係するかどうかは知りませんが、岩波書店は、今年6月下旬、銀座・教文館ホールにて岩波写真文庫の展覧会を開催を計画。その際、『一年生』を重版し販売予定と連絡あり。

日本大学学祖・山田顕義(やまだあきよし)
1844年 山田市之允(やまだいちのじょう)長州藩(山口県萩市)に生まれる。
1853年 6月ペリー来航
1854年 1月ペリー再来日 ミシシッピー号、レキシントン号など7隻 日米和親条約
吉田松陰、黒船密航に失敗。
1857年 安政4年 吉田寅次郎(松蔭)の松下村塾に入塾。14歳。11月看板。
※松下村塾の塾生は、高杉晋作、久坂玄瑞、伊藤俊輔、山県有朋らがいた。
最近のニュースで、坂本竜馬が久坂の手紙を土佐(武市半平太)に持って帰ったと
の記事。最近、発見された。
1858年 安政5年、12月26日、松陰に野山獄入りが命じられる。安政の大獄。
別れに際して松陰は、15歳の市之允に漢詩を書いた扇を渡す。松下村塾消滅。
日米修好通商条約締結=地位協定、関税などの不平等条約
1859年 10月27日 吉田松陰斬首。30歳
遺訓「身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも留置まし大和魂」
1863年 下関にて攘夷。米商船を攻撃。市之允初陣。
1864年 蛤御門の変。参戦。久坂玄瑞死す。第一次長州征伐。長州降参。
アメリカ、イギリス、フランス、オランダ四カ国連合艦隊長州攻撃。
市之允、御盾隊として奮戦も敗戦。高杉晋作の決起に参加。
1866年 慶應2年、第二次長州征伐。小型砲艦の砲艦長として活躍。
1867年 慶應3年、高杉晋作が死んだ。六十余州を揺り動かした風雲児だけに皆は後任を
心配した。高杉は、病床でこう告げたといわれる。「大村益次郎に頼め。その次は、
山田市之允だ」市之允24歳であった。
1868年 慶應4年、新政府討幕軍の参謀として官軍を率いて鳥羽・伏見。東北各藩、函館
戦争を勝利に導く。長岡、会津、五稜郭。いずれも困難な戦だったが、「用兵の奇
才」ぶりを十分に発揮した。
1872年 1月欧米視察団でアメリカ、ヨーロッパへ。吉田松陰の密航失敗から17年後。
旅行中は、木戸孝允(桂小五郎)と同行。2月パリへ。ワーテルロー見学。
1873年 6月帰国。1年8ヶ月の旅。
1877年 西南戦争に鎮圧出征。活躍して終結させる。
1885年 第一次伊藤博文内閣で初代司法大臣に。
1890年 日本大学の前身・日本法律学校を創設。
1891年 大津事件(ニコライ皇太子傷害事件)の責任をとって司法大臣を辞任。
1892年 11月、兵庫県にある生駒銀山視察中に不審死。49歳。
1988年 12月20日、日本大学による墓地発掘。調査によると
「頭蓋骨の形状などから、突き落とされたのではないか」との見解。

・・・・・・・・・・・・・編集室便り・・・・・・・・・・・・・・

お知らせ ゼミ誌編集委員、希望の人は、自薦・推薦で。

○編集は、実践勉強です。ぜひ挑戦してみてください。編集委員は2名です。が、基本的には、ゼミ生全員が編集委員となります。皆で協力してつくりましょう。
○創作、エッセイ、評論、など書けた人は「下原ゼミ通信」にお寄せください。いつでも歓迎です。〒かメール、手渡しでも。

□住所〒274-0825 船橋市前原西6-1-12-816 下原方『下原ゼミ通信』編集室
メール: TEL・FAX:047-475-1582  toshihiko@shimohara.net

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