文芸研究Ⅱ 下原ゼミ通信No.237

公開日:  最終更新日:2014/05/22

日本大学藝術学部文芸学科     2014年(平成26年)5月12日発行

文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.237
BUNGEIKENKYU Ⅱ SHIMOHARAZEMI TSUSHIN
編集発行人 下原敏彦

4/14 4/21 4/28 5/12 5/19 5/26 6/2 6/9 6/16 6/23 6/30 7/7

2014年、読書と創作の旅への誘い

5・12下原ゼミ

5月12日(月)の下原ゼミは、下記の要領で行います。文ゼミ2教室

1. 2014年のゼミ  → 4・28ゼミ報告・連絡

2.  自己紹介 → 愛読書紹介、自分の憲法問題

3.  読むこと →「個人の完成」(「青年訓」)・憲法記事・テキスト

4.  書くこと → 憲法問題について テキスト感想

 

車窓観察

「LGBT最前線と課題」(5月10日朝NHKから)
「今日はLGBT最前線と課題についてです」5月10日の朝、NHK朝ドラ『花子とアン』の後、新聞を読もうとしていたらテレビから、こんな声が聞こえてきた。見ると、女性アナウンサーが、コメンティターの人たちに「こうした人は、何人くらいいるでしょう」と質問していた。先頃、ハリウッドの有名女優が同性婚したというニュースがあった。話題は、そのことらしかった。5・2%(7万人中2012電通)は数千人に一人か。
同性同士が好きになって生活を共にする。世界では、結婚もする。選挙の公約にあげて当選した政治家もいる。それだけに、この話、近年、よく耳にする。が、身近というと、そうでもない。はじめてそんな世界があると知ったのは、たしか手塚治虫の『リボンの騎士』ではなかったか。フランス革命時に体は女、心は男。そんな貴族のお姫様の冒険物語だ。手塚治虫は医学を学んだ漫画家だから関心があって材料にしたのだろう。が、当時は注目されなかった。個人的には、20年前、ある雑誌編集者から性転換手術を希望する人の気持ちになってと手記のゴーストライターを依頼されたことがあった。(結局、本人がやはり自分で書くということで立ち消えたが)彼ら彼女らが名のってもよい時代になったようだ。
HPから「LGBTとは何か」
性的少数者を限定的に指す言葉。レズビアン(女性同性愛者)、ゲイ(男性同性愛者)、バイセクシュアル(両性愛者)、トランスジェンダー(心と体の性の不一致)の頭文字をとった総称であり、他の性的少数者は含まない。1970年代には主にゲイが法的権利獲得や差別撤廃などを求めて「プライド」などと称されるパレード他の活動を始め、次第に4者が合流して全世界に活動が広まった。世界最大規模のブラジル「サンパウロ・ゲイ・プライドパレード」では、2009年に推計320万人が参加しており、日本でも各都市で大規模なパレードが開催されている。13年現在、同性結婚を認めた国は約20カ国にのぼり、14年4月15日にはインドで「第三の性」(トランスジェンダー)を法的に認める最高裁の判決が出された。
( 2014-4-23 ) 『知恵蔵』

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4・28ゼミ報告    少数精鋭で

下原ゼミの参加者希望者は、4月28日までに3名。目下、ゼミの最少者数を更新中。が、ゼミ人数的には、最適の人数です。
ちなみに2013年は、4名だった。が、出席率は、限りなく100%に近かった。全員ほぼ皆勤だった。ゼミ合宿、校外授業は、楽しくできた。その延長で、ゼミⅢも、同じメンバーでやっている。2014年のみなさんも、有意義な旅ができればと願う。

目標の再確認

下原ゼミⅡは、実際的には、どんな授業をするのか。再確認します。

「読むこと」「書くこと」の習慣化、日常化を身につけ「観察力」を。

テキストは、志賀直哉の観察作品

かつて川端康成は、志賀直哉を「文学の源泉」と評した。「小説の神様」といわれる志賀直哉作品は、文学、ジャーナリズムを目指すものにとっては、よき手本となる。
「読むこと」の習慣化を目指してゼミで取り上げる作品は、次の作品の予定です。

【車内観察作品】以下のなかから

『網走まで』『正義派』『夫婦』『出来ごと』『灰色の月』

【生き物観察作品】以下のなかから

『菜の花と小娘』『濠端の住まい』『蜻蛉』『城の崎にて』『犬』『玄人素人』
『クマ』『雪の遠足』『馬と木賊』等

※志賀直哉1883年(明治16年)2月20日~1971年(昭和46年)10月21日没88歳

「書くこと」の習慣化を目指して取り組む課題は、何か。

課題1.「自分の愛読書観察」「日本国憲法」(第9条)感想

課題2.「車内観察」電車車内で見たこと、考えたことなど、エッセイ、創作、ルポ

課題3 テキスト感想   例・「網走まで」以前の生活の創作。「網走まで」

ゼミ合宿について 読むことの集大成

毎年、実施しているのは「マラソン朗読会」です。ドストエフスキーの中編小説を読み切ります。好評。いままで一人の棄権者、落伍者はいませんでした。
だいたい6~7時間。

ゼミ誌 提出課題と創作を掲載

大学の目的    大学で学ぶことの新の目的は何か

個人の完成

大学生活で真に目指すものは何か。専門の学識やゼミにおいての実践的体験もあるが、大局的には、「個人の完成」に他ならない。個人の完成、即ち人間の完成があってこそ、大学生活を成功させたといえる。
では個人の完成とは何か。どうすれば個人を完成させることができるのか。そのことについて語った人がいます。明治初年の混乱期にあって日本における教育制度の確立に尽力した嘉納治五郎(柔道の創始者としてよく知られている人1860-1938)です。この人は、「個人の完成」とは何かについて、このように述べている。
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「いったい人というものは何かと問われれば、遠い祖先からこの世に生まれてきて周囲の影響と他人の力とで成長し、ある時期から後は自己の力もこれに加わって発達してきたもの」で「個人の完成とは、現在その個人が棲息している社会において可能なる肉体及び精神の最も発達したる状態と、その力によって獲得し得る最も大なる有形無形の力である」
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つまるところ人間の完成には、環境もあるが、その人自身の努力と勉学への意志が大きい。そのように説いているのです。自分の努力と、学ぶ意志を併せて実施できるのはゼミ授業です。それ故に、ゼミ授業は、重要です。この一年、自身を磨き、個人の完成に近づけるよう期待します。
ちなみに完成された個人とは、他者から信用され、頼りにされ尊敬される人間像です。

読むことについて

なぜ読書のススメか

たとえば健全の身体には健全の精神が宿る、という言葉があります。文字通り取って一生懸命に体を鍛えて健康な身体にすれば、健全の心を持つことができるのか。漫才のコントにでもなりそうですが、そうはいかないのが人間です。
では、「健全な精神」をつくるためには、どうすればよいのか。ここでは「読書する」ことをススメます。文芸研究ということで、少々我田引水的になるかもしれませんが、下原ゼミではそう理解しています。「読書する身体には健全な精神が宿る」ということです。
では「健全な精神」とは何か。端的に云えば教養と正義です。正義は、潜在的なものですが、真の教養は育てなければ成長しません。
日芸にくる学生は、わかりませんが、昨今、大学は入学するためだけの、よりよい就職先を見つけるためだけの場所となっている傾向があります。本来の大学の目的は、健全な精神が宿る立派な人間を育てる場所です。健全な精神を持った人間を社会に送り出し、この星に生きる誰もが幸せに暮らせるよりよい社会を築いてもらう。その人材を作るために大学は存在するのです。決して冨や名声を得るためのところでも、学歴を自慢するところでもありません。森羅万象の調和を目指すことを学ぶ場。大学の使命は、常にそこにあります。書くことも研究することも全てその一点にあるわけです。
しかし残念なことに社会をみると、政治家、役人、経営者、教育者たちは私欲・不正にまみれています。「健全な精神」を持たない我欲だらけの人間。そうした人たちは、おそらく健全な精神を育てるということをしなかったのでしょう。つまり読書をしなかった。
大学生活は、よりたくさん読書ができる空間です。バイトやサークルが忙しくても読書は、いつでもできます。食事と同じと思えばいいのです。どうして、そんなに読書が大切なのか。青春時代に読んだ本は、いつまでも宝石のように人生のなかに残っているからです。大人になってから感銘を受ける本もありますが、若いときとはどこか違います。

しかし、ただ本を読めばいい、というものではありません。巷には書物はあふれています。

悪書は何冊読んでも浪費の体験にはなるが、プラスにはなりません。良書も、ただ読んだだけでは、健全な精神を育てる肥料にはならなりません。読書は簡単だが難しいのです。
では、どんなふうに読んだらよいのか。迷い、悩むところです。読書ついて、近代日本人をつくった明治の教育者・嘉納治五郎(1860-1938)は、こう説いているので紹介します。

※嘉納治五郎 : 柔道の創始者としてよく知られていますが、他の功績は知られていません。彼は、明治維新の激動のなかで学校の教育制度を確立し、空手、合気道などの古来武道を擁護し、野球、ボートなど今ある西洋スポーツを取り入れた人でもあります。また、小泉八雲や夏目漱石はじめ魯迅など多くの文人を育てた人でもあります。夏目漱石の『坊っちゃん』は、作者が自分と彼をモデルにした。そんな推測もできます。下原ゼミでテキストにしている志賀直哉とも、深い関係があります。志賀直哉は、柔道では孫弟子になります。
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新聞  嘉納家勇退 2009・3・10 火曜日 朝日新聞『声』欄 下原

この3月末で柔道の講道館第4代館長嘉納氏が、勇退するという。世界のなかで弱体化した日本柔道や後継者不足といったことが要因らしい。嘉納家は127年間にわたり柔道総本家の象徴として親しまれてきた。が、この勇退によってその名は、柔道の組織から消えることになる。時の流れとはいえ創始者嘉納治五郎を敬愛する者にとっては、一抹の寂しさがある。が、反面、これでよかったのだ、と思えた。
私は柔道をはじめて四十年になる。そのうち今日までの二十年間は、町道場で地域の子供たちに柔道を教えている。町道場は、経済的、時間的など様々な面で困難がある。が、地域の子供たちが通うあいだは、とつづけてきた。柔道を愛するが故でもあるが、本当の理由は、ひとえに創始者嘉納治五郎の理念「自他共栄」「精力善用」に魅せられての継続。教育者として、コスモポリタンとして世界平和に奔走した嘉納治五郎を尊敬する故である。
世界柔道人口一千万。柔道において嘉納家は、立派に使命を果たしたと思う。その功績を称えたい。が、嘉納治五郎の名を柔道のみに終始させてはいけない。治五郎が真に目指したもの、それは人類の平和と幸福である。今日、世界は混沌としている。国際を円満にし、人類の幸せを図る。いまこそ、その崇高な運動を世界に発信するときである。
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嘉納治五郎の「青年修養訓」から

読書は、なぜ必要か、どんな本を読んだらよいのか

それを知るために、嘉納治五郎(1860-1938)の「青年修養訓」のなかの「精読と多読」を読むことにします。が、その前に嘉納治五郎の教育について少しばかり紹介します。
嘉納治五郎の教育は、明治15年23歳のときからはじまり、大正9年(1920)年61歳まで日本の学校教育に尽くした。師範は、日本人の教育だけでなく、中国人留学生のために宏文学院を開校し、中国の近代的教育にも貢献した。学んだ7192人のなかには後に世界的作家になった魯迅(1881-1936)もいた。※魯迅『阿Q正伝』『狂人日記』
「青年修養訓」は、明治43年(1910)12月 同文館から出版したものである。いまからじつに99年前の文章である。今はない漢字や言い回しがあって読むのに困難はあったが、過去朗読したゼミ生は、苦労して読み終えた。その努力が勉強になる。
さて、人間形成のため、社会で役に立つために心をこめて多くの書を読めとすすめる師範は、この「精読と多読」のなかで、どんな本をどのように読めといっているのか。
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① はじめに読む本の選び方である。現在、ベストセラーの本。売れている有名な本。そういう本は1、2年待ってから読んだ方がよい、としている。
② まずは、古典を読む。時代のなかで残っているということは良い本の証拠。読むに価する本だからという。よい本は人(評論家)ではなく、時間が選別してくれる。
③ 識者・作家・読書家といわれる人がすすめる本。例えば、川端康成が好きだとする。『雪国』『伊豆の踊り子』といったこの作家の作品を読むのもよいが、その前にこの作家は、自分を慕ってくる若い人たちにどんな本を読めとすすめていたのか。自分は、どんな本を読んでいたのか。それを調べてみる。ノーベル文学賞作家川端康成が、誰より気にかけ可愛がった若い人といえば、『いのちの初夜』を書いた北篠民雄(1914-1937)である。川端は病床の北篠に、なにを読めとすすめていたのか。どの作家を。まずは、それを知ることである。
④ 読む本が決まれば、その本をどんなふうに読むか。早く、ざっと読んだのでは、本当に読んだとはいえない。しっかりと理解しながら読むことが大切と教える。
⑤ つぎにどんな本を、ということだが、師範の教えは、範囲を決めない。一つのものを決めると、理解度は、その範疇だけになってしまう。違った分野の本を多く読むことをすすめる。心をこめて多くの本を読みなさい。つまり「精読と多読」のススメである。

読書はなぜ必要か  嘉納治五郎の「青年修養訓」紹介

第15 精読と多読

『嘉納治五郎著作集 教育篇』(五月書房)
精神の健全な発達を遂げようとするには、これに相当の栄養を与えなければならぬのであるが、その栄養を精神に与えるのは読書である。人は誰でも精神の健全な発達を望まないものはないにもかかわらず、実際その栄養法たる読書を好まない者も少なくないのは甚だ怪訝(けげん)に堪えぬ。かくの如きは、その人にとっても国家にとっても実に歎(タン)ずべき事である。読書の習慣は学生にあっては成功の段階となり、実務に従事しいるものにあっては競争場裡の劣敗者たるを免(まぬが)れしむる保障となるものである。看よ、古来名を青史に留めたるところの文武の偉人は多くは読書を好み、それぞれの愛読書を有しておったのである。試みにその二、三の例をあげてみれば、徳川家康は常に東鑑(あずまかがみ)等を愛読し、頼山陽は史記を友とし、近くは伊藤博文は繁劇な公務の間にいても読書を廃さなかった。またカーライル(イギリスの歴史家・評論家)は一年に一回ホーマー(ホメロス)を読み、シルレルはシェクスピーアーを読んだ。ナポレオンは常にゲーテの詩集を手にし、ウエリントン(イギリスの将軍・政治家)はバットラーの著書(『万人の道』「生活と習慣」など)やアダムスミスの国富論に目を曝(さら)しておったということである。なすことあらんとする青年が、学生時代において読書を怠(おこた)らない
ようにし、これを確乎とした一の習慣として、中年老年まで続けるようにするということの必要なるは多言を俟(ま)たないのである。

※東鑑(吾妻鏡・鎌倉時代の史書。日本最初の武士記録)
※頼山陽(1780-1832 江戸時代後期の儒者・史家 著『日本外史』『日本政記』など)
※ホメロス(前9世紀頃ギリシャの詩人著書『イリアス』『オデュッセイア』など)
※カーライル(1795-1881 著『衣裳哲学』『英雄及び英雄崇拝』など)
※ウエリントン1769-1852 (ナポレオンをワーテルローで破った)

健全な精神をつくるには、相当な栄養が必要だという。その栄養は読書である、として、歴史上の偉人たちの読書をあげて、その必要性を説いている。そして、どんな本を読むかは、その選び方について以下のように述べている。

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読書はこのように必要であるけれども、もしその読む書物が適当でないか、その読書の方法がよろしきを得なければ、ただに益を受けることが出来ないのみならず、かえって害を受けるのである。吾人(われわれ)の読む書物のどんなものであるべきかに関しては、ここにはただ一言を述べて余は他の章に譲っておこう。すべて新刊書ならば先輩識者が認めて価値があるというものを選ぶか、または古人のいったように世に出てから一年も立たないようなものは、必要がない以上はこれを後廻しとするがよい。また、昔より名著として世人に尊重せられているものは、その中から若干を選んで常にこれを繙(ひもと)き見るようにするがよいのである。

どんな本を読んだらよいか。本によっては栄養になるどころか害になるという。嘉納治五郎が言うのは、先輩識者が認めた価値のあるもの。つまり世に名作といわれている本である。他は、現在、たとえどんなに評判がよくても、百万冊のベストセラーであっても後回しにせよということである。そうして古典になっているものは、常に手にしていなさいと教えている。本のよしあし、作家のよしあしは時間という評者が選んでくれる。
さて、このようにして読む本を選んだら、次にどのようにして読むか。いらぬ節介ではあるが、全身教育者である嘉納治五郎は、その方法をも懇切丁寧に述べている。

次に方法の点に移れば、読書の方法は、とりもなおさず精読多読などの事を意味するのである。精読とは読んで字の如くくわしく丁寧に読むこと、多読とは多く広く読むのをいうのである。真正に完全の読書をするには、この二つが備わらなければならぬ。

つまり書物は偏らず、多くの書を読め、ということである。そうして読むからには、飛ばし飛ばし読むものには耳が痛いが、決していい加減にではなく、丁寧に読むべし、ということである。いずれももっともなことではあるが、人間、こうして指導されないと、なかなか読むに至らない。次に、折角の読書に陥りがたい短所があることを指摘し、注意している。

世に鵜呑みの知識というものがある。これは教師なり書物なりから得た知識をば、別に思考もせず会得もしないで、そのまま精神中に取込んだものをいうのである。かようなものがどうしてその人の真の知識となって役に立つであろうか。総じて知識が真の知識となるについては、まず第一にそれが十分に理解されておらねばならぬ。次にはそれが固く記憶されておらねばならぬ。

鵜呑みの知識。よく読書のスピードを自慢する人がいるが、いくら早く読んでも、理解していなければ、ただ知っている、ということだけになる。試験勉強で暗記したものは、真に教養とはいえない。

理解のされていない知識は他に自在に応用される事が出来ないし、固く記憶されていない知識は何時でも役に立つというわけにはいかない。したがってこれらの知識は、あるもないも同じ事である。かような理由であるから、何人たりとも真の知識を有しようと思うならば、それを十分咀嚼(そしゃく)消化して理解会得し、また十分確固明白に記憶しおくようにせねばならぬ。

そのためには・・・・・

さてこの理解記憶を全くしようとするにはどうしたらよいかというには、他に道は無い。その知識を受け入れる時に用意を密にする。すなわち書物をば精しく読まねばならぬのである。幾度か幾度か繰返し読んで主要点をたしかに捉えると同時に、詳細の事項をも落とさず隅々まで精確に理解をし、かつ記憶を固くするのである。こうして得た知識こそは真の栄養を精神に与え、また始めて吾人に満足を与える事が出来るのである。試みに想像し
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てみれば分かる。何らかの書物をば百遍も精読し、その極その中に書いてある事は十分会得していて、どんな場合にも応用が出来、その知識は真のわが知識になって、わが血液に変じ筋肉と化しておったならば、その心持はどのようであろうか。真に程子(テイシ兄弟)のいったように、手の舞い足の踏むところを知らないであろう。書物の与える満足には種々あろうが、これらはその中の主なるものであって、また最も高尚なものである。

※テイシ兄弟(北宋の大儒 著『定性書』1032-1085)

書物を理解するには、繰り返し読むことが重要と説く。一に精読、二に精読である。さすれば応用ができ真の知識となる、と説いている。また、この精読するということについても、こう語っている。
かつまた一冊の書物の上に全力を傾注するという事は、吾人の精神修養の上から観ても大切である。何となれば人間が社会に立っているからには、大かり小なりの一事をば必ず成し遂げるという習慣がきわめて必要であるが、書物を精読し了するというのは、ちょうどこの一事を成し遂げるという事に当たるからである。今日でこそやや薄らいだようであ

るが、維新前におけるわが国士人の中には、四書(儒教の経典)の中の一部もしくは数部をば精読し熟読し、その極はほとんどこれを暗誦して常住座臥その行動を律する規矩(きく・コンパス)としておったものが多いのである。伊藤仁斎(江戸初期の朱子学儒者)は18,9歳の頃『延平問答』という書物を手に入れて反復熟読した結果、紙が破れるまでになったが、その精読から得た知識が大いに修養の助けとなり、他日大成の基をなしたという事である。また荻生徂徠は、13年のわびしい田舎住居の間、単に一部の大学諺解(ゲンカイ口語による漢文解釈)のみを友としておったという事である。程子は「余は17,8より論語を読み当時すでに文義(文章の意味)を暁りしが、これを読むこといよいよ久しうしてただ意味の深長なるを覚ゆ」と言っている。古昔の人がいかに精読に重きをおいたかは、これら2,3の事例に徴するも分明である。学問教育が多岐に渉る結果として、遺憾な事にはこのような美風も今日ではさほど行われないようである。

ひとつのものを徹底して読む。この美風、すなわち習慣は、現代においては、ますます為
されていない。が、学生は、すすんで挑戦しようという気まがえがなくてはならぬ。と、いっている。その一方で、多読の大切さも説く。

しかし現に学生生活を送り近い未来において独立すべき青年らには、各率先してこの美風を伝播しようと今より覚悟し実行するように切望せねばならぬ。
読書ということは、このような効能の点からいっても満足の点からいっても、また精神
修養の点からいってもまことによいものであるが、しかしまた不利益な点を有せぬでもな
い。すなわち精読は常に多くの時間を要するということと、したがって多くの書物が読めないようになるから自然その人の限界が狭隘(キョウヤク)になるを免れないということである。例えていえば、文字において一作家の文章のみを精読しておったならば、その作家については精通しようが思想の豊富修辞の巧妙がそれで十分に学べるということは出来ない。どんなに優秀な作家とても、その長所を有すると同時に多少の欠点を有するものであるから、一作家の文章が万有を網羅し天地を籠蓋(ロウガイ)するというわけにはいかぬ。そこで精読によって益を受けるにしても、またその不備な点が判明したならば、これを他の作家の作物によって学び習うという必要が起きる。すなわち他の作物にたよるということは、多読をするという事に帰するのである。

一作家のものが万有を網羅することはない。

またこの外の人文学科、たとえば歴史修身等においても、もしくは物理化学等の自然学科においても、一の著者の記述説明に熟すると同時に、他の著者はそれをどんなに記述し説明しているかを参照してみる必要がある。このように参照してみることは知識を確実にする上にきわめて多大の効能があるから、決して煩雑無用のことではない。精読はもとより希うべきであるが、また一面には事情の許す限り多読をして、その限界を狭隘にせぬようにするがよい。精読でもって基礎を作り、多読でもってこれを豊富にするは学問の要訣(ヨウケツ)であってこのようにして得られた知識こそ真に有用なものとなるのである。

さらに精読と多読との仕方の関係を具体的に述べてみれば、、まず精読する書物の中にある一つの事項に対して付箋または朱黄を施し、かくてその個所が他の参照用として多く渉猟(しょうりょう)(読みあさる)する書中にはどんなに記述説明されているかを付記するのである。換言すれば精読書を中心として綱領として、多読所をことごとくこれに関連付随させるのである。また学問の進歩の程度についていうならば、初歩の間は精読を主とし相当に進んだ後に多読を心掛くべきである。けれどもどんな場合においても精読が主であって多読が副である。そうしてこの両者のうちいずれにも偏してはならないことは無論であるが、もしいずれに偏するがよいかといえば、精読に変する方がむしろ弊害が少ないのである。精読に伴わない多読は、これは支離散漫なる知識の収得法であって、濫読妄読となるに至ってその幣が極まるのである。
また鼠噛の学問といって、あれやこれやの本を少しずつ読むのでいずれをも読みとおさずに放擲するなどは、学に志すものの固く避くべきことである。世に聡明の資質を抱きながらなすこと無くして終わるものの中には、この鼠噛(ソコウ)の学問といって、あれやこれやの本を少しずつ読むのでいずれも読み通さずに放擲するなどは、学に志すものの固く避くべきことである。世に聡明の資質を抱きながらなすこと無くして終わるものの中には、この鼠噛の陋(ロウ)に陥ったものも多いのである。実に慎み謹んで遠ざくべき悪癖である。

以上、嘉納治五郎の説く読書の必要性を紹介した。どんな本を読めばいいのか。どんなふうに読めばよいのか。人それぞれに好き嫌いもある。それに、世に古典といわれる良書は山ほどある。となると読書も簡単ではない。このゼミでは、この青年訓の嘉納治五郎とも関係が深く、かつ小説の神様といわれる志賀直哉の作品をテキストとするしだいである。
(編集室)

掲示板

熊谷元一研究 作品展見学・郊外授業として。

お知らせ  ドストエフスキー全作品を読む読書会

6月28日(土)池袋 東京芸術劇場小会議室7 午後1時半~5時迄。
作品『地下生活者の手記』2回目 参加学生500円(ゼミ生は無料)詳細は、編集室まで。

・・・・・・・・・・・・・編集室便り・・・・・・・・・・・・・・

○創作、エッセイ、評論、など書けた人は「下原ゼミ通信」にお寄せください。いつでも歓迎です。〒かメール、手渡しでも。

□住所〒274-0825 船橋市前原西6-1-12-816 下原方『下原ゼミ通信』編集室
メール: TEL・FAX:047-475-1582  toshihiko@shimohara.net 09027646052
2014・5・12
課題1. 読書紹介「私の愛読書」       名前

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課題2. 日本国憲法「第9条」、集団的自衛権について
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改憲は必要か否か  →
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理由 →
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第9条について  →
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集団的自衛権 →
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課題3. テキスト作品感想

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「2014年、読書と創作の旅」テキスト読み

社会観察       日本国憲法について

☆ 憲法改正問題について (現行憲法、特に九条を再読してみる)
1947年5月3日日本国憲法施行される。前年11月3日公布されたもの。世界に類をみない平和憲法だが、現代の世界情勢には翻弄されるばかりで2007年4月12日、ついに憲法改正がより現実化した。国民投票法案の与党修正案が、衆院憲法調査特別委員会で可決され目下、安倍政権の下で着々とすすめられている。この先、憲法はどうなるのか。日本国民にとって最大の課題である。
下記は、現行憲法の前文と、注目される第九条です。

前文【現行憲法】

日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれら子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に在することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基づくものである。われわれはこれに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立とうとする各国の責務であると信ずる。
日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。

現憲法の第二章【戦争の放棄】

第九条 ① 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

② 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

第一回テキスト読み『菜の花と小娘』

本作品は『志賀直哉全集』岩波書店を編集室にて全文現代よみに変換しました。

菜の花と小娘
志賀直哉
或る晴れた静かな春の日の午後でした。一人の小娘が山で枯れ枝を拾っていました。
やがて、夕日が新緑の薄い木の葉を透かして赤々と見られる頃になると、小娘は集めた小枝を小さい草原に持ち出して、そこで自分の背負ってきた荒い目籠に詰めはじめました。
ふと、小娘は誰かに自分が呼ばれたような気がしました。
「ええ?」
小娘は思わずそう言って、立ってそのへんを見回しましたが、そこには誰の姿も見えませんでした。
「私を呼ぶのは誰?」
小娘はもう一度大きい声でこう言ってみましたが、矢張り答えるものはありませんでした。
小娘は二三度そんな気がして、初めて気がつくと、それは雑草の中からただ一本わずかに首を出している小さな菜の花でした。
小娘は頭にかぶっていた手ぬぐいで、顔の汗を拭きながら、
「お前、こんなところで、よくさびしくないのね」
と言いました。
「さびしいわ」
と菜の花は親しげに答えました。
「そんならならなぜ来たのさ」
小娘は叱りでもするような調子で言いました。
菜の花は、
「ひばりの胸毛に着いてきた種がここでこぼれたのよ。困るわ」と悲しげに答えました。
そして、どうか私をお仲間の多い麓の村へ連れていってくださいと頼みました。
小娘は可哀そうに思いました。小娘は菜の花の願いをかなえてやろうと考えました。そして静かにそれを根から抜いてやりました。そしてそれを手に持って、山路を村の方へと下って行きました。
路にそって清い小さな流れが、水音をたてて流れていました。しばらくすると、
「あなたの手は随分、ほてるのね」と菜の花は言いました。「あつい手で持たれると、首がだるくなって仕方がないわ、まっすぐにしていられなくなるわ」と言って、うなだれた首を小娘の歩調に合せ、力なく振っていました。
小娘は、ちょっと当惑しました。
しかし小娘には図らず、いい考えが浮かびました。小娘は身軽く道端にしゃがんで、黙って菜の花の根を流れへ浸してやりました。
「まあ!」
菜の花は生き返ったような元気な声を出して小娘を見上げました。すると、小娘は宣告するように、
「このまま流れて行くのよ」と言いました。
菜の花は不安そうに首を振りました。そして、
「先に流れてしまうと恐いわ」と言いました。
「心配しなくてもいいのよ」そう言いながら、早くも小娘は流れの表面で、持っていた菜の花を離してしまいました。菜の花は、
「恐いは、恐いわ」と流れの水にさらわれながら見る見る小娘から遠くなるのを恐ろしそうに叫びました。が、小娘は黙って両手を後へ回し、背で跳ねる目カゴをえながら、駆けてきます。
菜の花は安心しました。そして、さもうれしそうに水面から小娘を見上げて、何かと話かけるのでした。
どこからともなく気軽なきいろ蝶が飛んできました。そして、うるさく菜の花の上をついて飛んできました。菜の花はそれも大変うれしがりました。しかしきいろ蝶は、せっかちで、
移り気でしたから、いつかまたどこかえ飛んでいってしまいました。
菜の花は小娘の鼻の頭にポツポツと玉のような汗が浮かび出しているのに気がつきました。
「今度はあなたが苦しいわ」
と菜の花は心配そうに言いました。が、小娘はかえって不愛想に、
「心配しなくてもいいのよ」と答えました。
菜の花は、叱られたのかと思って、黙ってしまいました。
間もなく小娘は菜の花の悲鳴に驚かされました。菜の花は流れに波打っている髪の毛のような水草に根をからまれて、さも苦しげに首をふっていました。
「まあ、少しそうしてお休み」
小娘は息をはずませながら、そう言って傍らの石に腰をおろしました。
「こんなものに足をからまれて休むのは、気持が悪いわ」菜の花は尚しきりにイヤイヤをしていました。
「それで、いいのよ」小娘は言いました。
「いやなの。休むのはいいけど、こうしているのは気持が悪いの、どうか一寸あげてください。どうか」と菜の花は頼みましたが、小娘は、
「いいのよ」
と笑って取り合いません。
が、そのうち水のいきおいで菜の花の根は自然に水草から、すり抜けて行きました。小娘も急いで立ち上がると、それを追って駆け出しました。
少しきたところで、
「やはりあなたが苦しいわ」
と菜の花はこわごわ言いました。
「何でもないのよ」と小娘はやさしく答えて、そうして、菜の花に気をもませまいと、わざと菜の花より二三間先を駆けて行くことにしました。
麓の村が見えてきました。小娘は、
「もうすぐよ」と声をかけました。
「そう」と、後ろで菜の花が答えました。
しばらく話は絶えました。ただ流れの音にまじって、バタバタ、バタバタ、と小娘の草履で走る足音が聞こえていました。
チャポーンという水音が小娘の足元でしました。菜の花は死にそうな悲鳴をあげました。小娘は驚いて立ち止まりました。見ると菜の花は、花も葉も色がさめたようになって、
「早く速く」と延びあがっています。小娘は急いで引き上げてやりました。
「どうしたのよ」
小娘はその胸に菜の花を抱くようにして、後の流れを見回しました。
「あなたの足元から何か飛び込んだの」と菜の花は動悸がするので、言葉をきりました。
「いぼ蛙なのよ。一度もぐって不意に私の顔の前に浮かび上がったのよ。口の尖った意地の悪そうな、あの河童のような顔に、もう少しで、私は頬っぺたをぶつけるところでしたわ」と言いました。
小娘は大きな声をして笑いました。
「笑い事じゃあ、ないわ」と菜の花はうらめしそうに言いました。「でも、私が思わず大きな声をしたら、今度は蛙の方でびっくりして、あわててもぐってしまいましたわ」こう言って菜の花も笑いました。間もなく村へ着きました。
小娘は早速自分の家の菜畑に一緒にそれを植えてやりました。
そこは山の雑草の中とはちがって土がよく肥えておりました。菜の花はドンドン延びました。そうして、今は多勢の仲間と仕合せに暮す身となりました。

この作品は、明治39年(1906)4月2日、作者が千葉県鹿野山にて執筆した草稿「花ちゃん」を我孫子時代に改題、改稿し、大正9年(1920)1月1日発行の『金の船』に掲載。
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志賀直哉(1883-1973)の主な観察作品の紹介
(編集室にて現代漢字に変更)
□『菜の花と小娘』23歳
□『網走まで』1910年(明治43年)4月『白樺』創刊号に発表。27歳。
□『正義派』1912年(大正1年・明治45年)9月『白樺』第2巻9号に発表。29歳。
□『出来事』1913年(大正2年)9月『白樺』第4巻9号に発表。30歳。
○犯罪心理観察作品として『児を盗む話』1914年(大正3年)4月『白樺』第5巻4
号にて発表。31歳。
○電車関連作品として『城の崎にて』1917年(大正6年)5月『白樺』第8巻第5号。
34歳。
□『鳥取』1929年(昭和4年)1月『改造』第11巻第1号。46歳。
□『灰色の月』1946年(昭和21年)1月『世界』創刊号。64歳。
□『夫婦』1955年(昭和30年)7月1日「朝日新聞」学芸欄。72歳。

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