文芸研究Ⅱ 下原ゼミ通信No.244

公開日:  最終更新日:2014/07/20

 

 

日本大学藝術学部文芸学科     2014年(平成26年)6月30日発行

 

文芸研究下原ゼミ通信No.244

BUNGEIKENKYU Ⅱ SHIMOHARAZEMI TSUSHIN

編集発行人 下原敏彦

4/14 4/21 4/28 5/12 5/19 5/26 6/2 6/9 6/16 6/23 6/30 7/7

2014年、読書と観察の旅への誘い

 

「読むこと」「書くこと」の習慣化を目指して

 

6・30下原ゼミ

 

6月30日(月)の下原ゼミは、下記の要領で行います。文ゼミ2教室

1.本日のゼミ  → 6・23ゼミ報告 ゼミ誌作成

  1.  読むこと → 世界名作、戯曲「獅子と白菊」
  2.  書くこと → 車内観察、ゼミ誌に向けて
  3.  土壌館投稿術 →「ゴルバチヨフは語る」から回想の投書

 

 

車窓観察     19世紀的出来事が多かった半年

世界情勢は混沌

2014年も今日で半分が終わる。いろいろあった騒々しい半年だった。国際情勢は、シリアの紛争、ウクライナの親ロシアとEU派対立、南シナ海のベトナムと中国対立、中国のウイグル族独立問題、韓国の海難事故、加えてイラクでの宗派間抗争など等。鶴田浩二の唄ではないが国際情勢は「どこを向いても真っ暗闇」である。唯一の光は、ブラジルで開かれているW杯だが、これとて、いつ民族紛争に発展するかわからない。サッカーは日本人が思っているようなスポーツとは違うようだ。プレイボールではじまる野球の陽気さはない。国家の威信と民族の高揚。そんなものがあるようだ。

 

 

国内は、人間喜劇の平土間

何かすっきりしない騒動がつづいた。社会の裏舞台を見せられた半年だった。バルザック風にいえば人間喜劇の平土間とでもいおうか。或る意味で滑稽な出来事がつづいた。まず、最初の喜劇騒動は、「現代のベート-ベン」と持ち上げてNHKがドキュメンタリー番組を作ったことにある。聞こえない耳と弱視の障害。男は21世紀の天才音楽家として絶賛された。だが、その正体は「詐欺師」だった。ゴーストライターならぬゴースト作曲家が、暴露した。しかし、彼は臆することなく、堂々と記者会見して、記者や国民を煙にまいた。こちらも唄の文句ではないが「騙した男が悪いのか、騙された女がバカなのか」「私バカよね、おバカさんよね」細川たかしは今日も歌う。

この詐欺師に驚いていると、もっと驚くことが発覚した。こちらは科学の世界の話だった。「若返りも夢ではない」として大々的に発表されたSTAF細胞疑惑 ?!

宗教、宗派、民族、領海対立、疑惑。要するに、19世紀的出来事が多かった半年だった。天候は、集中豪雨、雹、竜巻と異常気象がつづいていた半年。(編集室)

 

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社会観察  脱法ハーブによる死傷事件 ! 24日、池袋西口で

 

脱法ハーブについて「下原ゼミ通信Ⅱ」は、前号でその危険性を掲載、警鐘を鳴らした。が、先週末事件は起きた。

 

歩道に車 多数死傷者  6月25日の新聞は、このように伝えている。

 

池袋 容疑者「脱法ハーブ吸引」朝日新聞 2014・6・25

 

24日午後7時55分ごろ、東京都豊島区西池袋1丁目の歩道に乗用車が突っ込み、男女7人が次々とはねられた。20代の女性が意識不明の重体(後に死亡)。車を運転していた男(37)は、近くで脱法ハーブを買って吸引。「車を運転した。気がつくと歩道にいた」と話た。

 

池袋の車暴走  8人死傷  朝日新聞 2014626

 

脱法ハーブ 絶えぬ事故 規制、いたちごっこ

 

脱法ハーブを含む「脱法ドラッグ」には、興奮や幻覚作用があるとみられる化学物質が入っている。

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違法ドラッグ 乱用 ! 薬物は人生を破戒する

 

STOP ! 危険な薬物 違法ドラッグ 違法ドラックってどんなもの ?

 

麻薬、覚せい剤、大麻などには指定されておらず、これらの成分に似た有害性が疑われる物質が含まれている製品を指します。

これらの製品は「ヘッドショップ」と称する店舗やインターネットサイトで、「合法ハーブ」、「アロマ」、「お香」などとあたかも「安全」なもののように偽って販売されています。

 

違法ドラッグはどうして危険なのか ?

 

違法ドラッグを市用した場合の安全は確認されていません。

 

摂取すると意識障害、嘔吐、けいれん、呼吸困難、など有害な作用を起こすことがあります。死に至るケースもあります。

 

~ 違法ドラッグがあなたを狙っている ~

 

違法ドラッグが関係した事件・事故

 

  • 違法ドラッグ(脱法ハーブ)を使用して路上で暴れた後、意識を失い死亡した

 

  • 違法ドラッグ(脱法ハーブ)を使用した男が、車を暴走運転し、女性2人をはねて逮捕された。(6月24日池袋の事件は、まさにこの事例)

 

  • 違法ドラッグを使用した男性が、幻覚を起こして同居中の女性を殺害した。

(下原ゼミ通信Ⅲ47)掲載分

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6・23ゼミ報告  長期欠席者に課題提出お知らせ郵送

 

前期も終盤、いよいよゼミ雑誌づくりがはじまります。そこで長期欠席者に課題提出のお知らせをだしました。ご協力を祈るばかりです。

 

岩澤 龍さん  村田和也さん  関 美琴さん

 

ゼミ雑誌刊行までの手順は、以下です。

 

ゼミ雑誌作成計画

 

Ⅰ.申請方法  5月26日(月)4:20 ~ 事務室で説明を受ける。済み

編集委員(編集長を兼ねる) = 西尾智音さん     決定

Ⅱ.発行手順 ゼミ雑誌の納付日は、2014年12月5日(金)です。厳守。

2014年12月5日(金)締切です

以下① ~ ③の書類を作業に添って提出すること。

 

【①ゼミ雑誌発行申請書】【②見積書】【③請求書】

 

  1. 【①ゼミ雑誌発行申請書】所沢/出版編集室に期限までに提出
  2.  ゼミで話し合いながら、雑誌の装丁を決めていく。
  3.  9月末、ゼミ誌原稿締め切り。
  4.  印刷会社を決める。レイアウトや装丁は、相談しながらすすめる。
  5. 【②見積書】印刷会社から見積もり料金を算出してもらう。
  6.  11月半ばまでに印刷会社に入稿。(芸祭があるので遅れないこと)
  7.  雑誌が刊行されたら、出版編集室に見本を提出。
  8.  印刷会社からの【③請求書】を、出版編集室に提出する。

 

注意 : なるべくゼミ誌印刷経験のある会社に依頼。(文芸スタッフに問い合わせ)

はじめての会社は、必ず学科スタッフに相談すること。

 

6・30ゼミ  嘉納治五郎研究、他

 

ゼミ雑誌作成 → 大きさ 題名「(サブ)2014年読書と創作の旅」

ページ数

 

世界名作詩篇紹介  → 詩篇読み2編

 

土壌館投稿術 → No.4

 

テキスト関連 → 嘉納治五郎とは何か。20歳までの年譜

 

読むこと → 柔道のはじまり 脚本読み原作冨田常雄『姿三四郎』

 

 

 

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名作の旅    世界の名作詩篇紹介 5月、6月

 

 風薫る季節になると思い出す詩があります。よく晴れた五月の青い空。真っ白なちぎれ雲がうかんでいる。燦々と光が注ぐ谷間。若葉繁る林に爽やかな風が吹き抜けていく。若葉が騒ぎ、木漏れ日が若草の上を走る。なんと心地よい風景だろうか。花は咲き、鳥は歌う。美しい自然の景色が瞼に浮かぶ。しかし、・・・・・

 

谷間に眠るもの

 

立ちはだかる山の肩から陽がさし込めば、

ここ、青葉のしげりにしげる窪地の、一すじの唄う小流れは、

狂おしく、銀のかげろうを、あたりの草にからませて、

狭い谷間は、光で沸き立ちかえる。

 

年若い一人の兵隊が、ぽかんと口をひらき、なにもかぶらず、

青々と、涼しそうな水菜のなかに、ぼんのくぼをひたして眠っている。

ゆく雲のした、草のうえ、

光ふりそそぐ緑の褥(しとね)に蒼ざめ、横たわり、

 

二つの足は、水仙菖蒲(すいせんしょうぶ)のなかにつっこみ、

病気の子供のような笑顔さえうかべて、一眠りしているんだよ。

やさしい自然よ。やつは寒いんだから、あっためてやっておくれ。

 

いろんないい匂いが風にはこばれてきても、鼻の穴はそよぎもしない。

静止した胸のうえに手をのせて、安らかに眠っている彼の右横腹に、

まっ赤にひらいた銃弾の穴が、二つ。

 

『ランボオ詩集』アルチュール・ランボオ(1854-1891)、訳・金子光晴 詩の背景は、フランスのナポレオン三世とビスマルクのプロシアとの戦争(1870)。

 

梅雨の季節に思い出す詩

 

雨の巷に降る如く   われの心に涙ふる

かくも心ににじみ入る  この悲しみは何やらん?

 

やるせなの心の為に  おお、雨の歌よ!

やさしき雨の響きは  地上にも屋上にも!

 

消えも入りなん心の奥に  故なきに雨は涙す

何事ぞ!裏切りもなきにあらずや?

この喪その故の知られず

 

故しれぬ悲しみぞ

実にこよなくも絶えがたし

恋もなく恨みもなきに

わが心かくもかなし

 

『無言の恋歌』「忘れた小曲 その3」ポール・ヴェルレーヌ(1844-1896)堀口大学訳

 

 

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志賀直哉と嘉納治五郎   テキスト、なぜ志賀直哉か

 

テキストに志賀直哉作品をとりあげたのは、むろん志賀直哉作品に魅入られたのもあるが、

柔道の創始者・嘉納治五郎との関係からもある。

志賀直哉は柔道において、嘉納治五郎の孫弟子に当たる。学生時代志賀は、柔道に明け暮れた。白樺派時代には嘉納治五郎と親交あった。そんなところから、嘉納治五郎研究を目指すうえで志賀直哉は、重要な作家である。

 

志賀直哉(創作理念)= 嘉納治五郎(柔道理念) → ドストエフスキーの土壌主義

 

嘉納治五郎とは何か 年譜から

 

1860年(万延元年)10月28日兵庫県御影村 銘酒「菊正宗」の一族嘉納家に生まれる。

3月1日桜田門外の変 咸臨丸アメリカへ

1867年11月15日 7歳 坂本竜馬暗殺 大政奉還・王政復古

1869年(明治2年)10歳 母定子病死  版籍奉還

1870年(明治3年)父次郎作と上京。このころの夢は天文学者

1873年(明治6年)14歳 育英義塾入学 征韓論西郷隆盛下野

1874年(明治7年)15歳 外国語学校入学 佐賀の乱

1875年(明治8年)16歳 開成学校入学 この頃、いじめに悩む。柔術道場を探す。

1877年(明治10年)18歳 開成学校→東京大学 柔術道場(福田八之助・天神真楊流)に

入門はじめて柔術を習う。西南の役 西郷隆盛死ス

1878年(明治11年)フェノロサ(25歳)来日、東京大学で哲学を教える。ヘーゲル、カン

トから『自由論』のミルなど。モースの紹介。哲学・美学の父。

1879年(明治12年)20歳 7月アメリカ前大統領グラント将軍来日。渋沢栄一の飛鳥山別荘で柔術の技を披露する。(磯正智、福田)、8月14日福田八之助死去。伝書等を遺族より委託される。天神真楊流三代目磯正智に入門。朝日新聞社創刊。(前年5月大久保利利通暗殺)

1880年(明治13年)21歳 戸田一門、大学で柔術の形と乱どりを披露。治五郎も参加。

1881年(明治14年)22歳 6月磯正智死去、起倒流飯久保恒年に入門。7月東京大学文学部政治学と理財学科卒業、文学士。文学部哲学科に入学。

1882年(明治15年)23歳 学習院講師となり政治学・理財学を講義。2月下谷北稲荷町永昌寺に居を移し講道館柔道を創始。

嘉納塾創立

3月 南神保町に弘文館「英語学校」創設。

中国留学生受け入れ、魯迅ら。

5月 永昌寺に「講道館」を創設。

8月学習院教師に任ぜられる。

1883年(明治16年)23歳 弘文館の土蔵を道場にする。西郷四郎代稽古。学習院に柔道場が設けられ指導に当たる。5月麹町自宅玄関脇に道場を移す。10月飯久保恒年より起倒流免許皆伝を受ける。鹿鳴館完成、鹿鳴館時代はじまる。

 

2月20日、宮城県石巻市で志賀直哉生まれる

 

嘉納治五郎の前半の人生、東大時代、いじめ対策ではじめた柔術に魅せられ、武道再興を目指す。道場探し、設立。

文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.244 ―――――――― 6 ―――――――――――――

 

昭和13年5月3日、この日の太平洋は、風もなく穏やかだった。雲ひとつない大空の下、豪華客船氷川丸は、穏やかな日差しを浴びながら一路横浜を目指していた。

暗雲漂う世界の中で孤立し戦争へ戦争へと突き進む日本にあって、その船は、戦争から国民を救う唯一の希望の船だった。第12回オリンピック東京大会開催の喜びを満載していた。

甲板の藤椅子に老人が一人座って心地よさそうに昼寝をしていた。その寝顔は、大役を果たした後の安らぎがあった。

 

架空秘話・千帆閣の海

1867年11月末の木枯らし吹くある夜、神戸の御影村にある酒造業の嘉納家に久しぶりに当主が帰ってきた。嘉納家に婿入りした次郎作は、家業は妻の定子に任せて、自分は廻船業を行って幕府の廻船方ご用達の勤めについていた。この時期、海軍奉行勝海舟の命を受け和田岬砲台の建造に関っていた。7歳の嘉納治五郎は4人の兄姉たちと玄関に出て迎えた。父次郎作は、いつものように子供たち長兄の寅太郎(久三郎)、次兄亀松(謙作)、長女柳子、

次女勝子に「かわりはないか」「母の言う事はきいているか」など次々声をかけた。
末っ子の治五郎にも
「治五郎、お前も立派にあいさつできるようになったときいたぞ」
と、にこやかに声をかけて片手を頭に乗せて撫ぜた。
幕府のお殿様(閣老小笠原壱岐の守長行)が摂海防施設視察にきたときのことだとわかった。後日、姉の勝子はこのときのありさまを
「治五郎は両手を膝の上にそろえて乗せ、壱岐の守様のお尋ねにはきはきお答えしていた」
と、会う人ごとに自慢していた。
治五郎は、誉められたことはうれしかったが、何か気にかかった。たしかに、いつものように快活な父ではあったが、その実、何か違った。声が重い。その予感は当たった。父次郎作は、千帆閣の広いお座敷に定子と子供たちを並ばせると沈痛な面持ちで静かに言った。
「治五郎は、どうか知らないが、皆は、覚えていよう。神戸海軍操練所で塾頭をしていた坂本さまが亡くなられた。勝のお殿様からの話だ」
「えっ?!坂本さまといわれると、坂本竜馬さま?ここによく来られた」
定子は、驚いて聞いた。
「そうだ。あの坂本さまだ。土佐藩を脱藩して勝の殿様の一番弟子になられた」
「覚えております」兄の久三郎と亀松は、声を揃えて言った。「庭で剣術を教わりました。こんどは北辰一刀流をみせてくれるといっていたのに残念です」
「面白い、型破りのお方でした。治五郎は、よく遊んでもらいました。子供のように素直な本当にいい方で、こんどはいつ来られるのかと楽しみにしておりましたのに」定子は、言ってまだ信じがたい顔でたずねた。「それで、まだお若いのに、どうされたのですか」
「それが、・・・」次郎作は、言い淀んだ。子供たちに聞かせるべきか躊躇した。が、意を決してぼつりと言った。「お順さまの、婿殿と同じだ」
「まあ」定子は絶句した。
(三年前、勝海舟の義弟佐久間象山は、公務の帰路、京都三条付近で暗殺された。)
「いい眺めじゃけん、これはいかん。土佐の海を思い出すばい」
勝に連れられてはじめて千帆閣にきたそのぼさぼさ頭の若者は、歓声をあげて庭に下りていった。千帆閣の広大な築山の向こうには神戸の海が広がっていた。彼は、なつかしそうに庭から一望できる海を眺めた。大きな背中に無邪気さが溢れていた。子供は、子供のような大人をすぐに見分けるようだ。三歳の治五郎は、背後から近づくと恐れも遠慮もなく若者の足にぶつかっていった。不意をつかれて若者はよろけた。
「これ治五郎。お客さまに」定子は、驚いて言った。
「かまわんです。これは油断しとりました。まっこと油断大敵本能寺じゃ」
―――――――――――――――――― 7 ―――――文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.244

 

若者は、治五郎を軽々と抱き上げ、肩車すると目前の海を見渡して叫んだ。
「海は広いのう。ぼんは、この海の向こうにも人がいることは知っとるか」
「知ってらあ」治五郎は、バカにするなと若者のボサボサ頭をポカリなぐった。
「こら」若者は、笑って言った。「行ってみたいか」
「うん、父上の船で行くんだ」
「そうか、おじちゃんの船にも乗せてやるぞ」
「おじちゃん、船もってるの」
「うん、将来な。そのために勝先生に船の乗り方を学ぶのだ。面白いぞ」
「じゃあ、約束してくれる。おじちゃんの船に乗せてくれるって」
「おう、約束するぞ!二人で世界中をまわろう」
「セカイジュウをまわろう」
「そうだ、世界中だ。でっかいぞ。出発!」若者は、叫んで駆け出した。
はじめての肩車に治五郎は、揺られながらキャッキャツと大はしゃぎだった。28歳の若者と3歳の幼児。仲の良い叔父と甥が遊んでいる。そんな微笑ましい光景に見えた。
「あの二人、よほど意気が合うとみえますな」
「そのように」
縁側から勝海舟、次郎作、定子の三人は、なかばあきれて眺めていた。

庭から聞こえてくる、二人のはしゃぎ声。

 

そのとき吹き寄せた一陣の荒い汐風が懐かしい思い出を吹き飛ばした。

しばしの沈黙のあと
「お順さまの婿殿も立派な人でした。坂本さまも・・・」定子は悲しそうにつぶやいた。「いい人ばかりがどうしてでしょう。それも、ご自分のためではなく、よい世の中をつくろうとと考え努力されている方ばかりが」
「わからん、勝のお殿様も落胆しておられた。もう、あんな男はいない、と。徳川様も大政を奉還されるそうだ。大変な世の中になるかも・・・」
次郎作は、肩を落として言った。
治五郎は眠くなっていた。父と母が話している坂本さまのことは、ほとんどおぼえていない。ただ誰かの肩の上で揺られて、海を眺めた記憶だけがぼんやりとあるだけだ。治五郎は、睡魔で薄れゆく意識のなかで夢をみた。剣を持った大男が、海に向って立っていた。男は、剣の達人で、新しい平和な世の中をつくるために世界に行くという。自分は、その肩の上に立っている。どこまでもつづく青い大空と大海原。
治五郎は一瞬の眠りから目覚めた。目の前に大海原がひろがっていた。五月晴れの太陽の光りが燦々とデッキの上に落ちていた。ここはどこか、自分は、セカイを救うためにあの大男と旅にでたのか。次の瞬間、治五郎は我に帰った。1938年5月3日、自分は、いまバンクーバー発の客船「氷川丸」に乗って日本に帰るところだ。あと3日で帰国できる。
治五郎は、自分の年齢を思った。79歳になる。よく生きた。治五郎は、その後、皆の話で坂本竜馬の偉業と無念を知った。もうはるか昔になるが、勝の殿様は、会うたびに悔しがられた。「竜馬が生きていればな」と。戦争へ戦争へとひた走る日本。坂本竜馬がいればこうはならなかった、というのだ。そして、次に治五郎のことを心配した。「治五郎、おまえさんの柔道理念は、竜馬の言うとることとよう似ちよる。用心せい」まだ三十代と若いが、柔道の創始者、近代教育の実践者として名を馳せる嘉納治五郎を呼び捨てにできるのは、日本広しといえども、勝海舟ただ一人である。皆が幸せになることを考えすぎる自分の身を危うくさせるというのだ。いま日本もセカイも、のっぴきならぬ状態に陥っている。が、東京オリンピック招致決定で、あの大男との約束は、半分は果たした。そのように思った。そのときどこかで「油断大敵、本能寺」そんな声を聞いた気がした。ボサボサ頭の大男の声だ。

 翌日、1938年5月4日午前6時33分、嘉納治五郎死す。79歳。

文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.244 ―――――――― 8 ―――――――――――――

 

土壌館・実践的投稿術 ④

6月28日、テレビBSでソ連最後の指導者ゴルバチヨフがウクライナ危機を語っていた。戦争の心配をしていた。観ていたら15年前の娘の投書を思い出した。

日本では、1945年から70年間戦争がない。が、世界では、毎日、どこかで銃声が聞こえている。テレビニュースに、その映像が流れない日がない。1999年の春、東欧のコソボ自治州は民族紛争激化。このニュースをNHKが伝えていた。世界情勢に興味ない娘が、めずらしく見ていたがショックだったのか自分の思いを投書した。

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◆ 1999年(平成11年)4月3日  朝日新聞「声」欄 下原モモ

 

燃える家々に 戦争を実感

 

先日、テレビのニュースで、ユーゴ軍の攻撃を受けたコソボ自治州にある農村の姿が放映されていた。そこには、白いしっくいの壁に赤い屋根をした、おとぎ話に出てくるような愛らしい家々が、緑の中にたたずみ ―― そして、燃えていた。

私は戦争というものを、歴史上の事実としか知らない。日本も半世紀ほど前、第二次世界大戦の中にあったと習っても、そして現在でも世界各地で戦争が進行中だと耳にしても、不審船が日本海に出没したと知っても、さほどの実感というものがわかなかった。

しかし、あのテレビ映像は、あまりに悲しかった。受験勉強中に世界史を学び、第二次大戦のビデオも見た。しかし、どんな悲惨な記録や映像よりも、美しい農村の家々が燃やされている光景は、何より衝撃的だった。私は戦争の惨酷さを、初めて実感として垣間見たような気がした。

戦争を全く経験していない私たちの世代が、これからの日本と世界の未来を担っていく。私は、今春から大学の文学部史学科1年生。大学では歴史としての戦争を学ぶだけではなく、本当の平和を手に入れるためには、どうすべきか、そして自分には何ができるのか。考えてみたいと思う。

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2014年、読書と観察の旅日誌

 

□4月28日(月)村田 ゼミ紹介

□5月12日(月)西尾 時評 ゼミガイダンス

□5月19日(月)西尾、渡辺 テキスト読み DVD観賞

□5月26日(月)西尾 テキスト解説 ゼミ誌

□6月 2日(月)西尾、ゼミ誌点検、テキスト『網走まで』考察

□6月 9日(月)西尾、渡辺 テキスト『夫婦』 研究・考察『網走まで』

□6月16日(月)西尾、渡辺 人生相談、ドラッグについて、カラー柔道着

□6月23日(月)通信発送

 

【テキスト読み記録】・『菜の花と小娘』 ・『日本国憲法』 ・『網走まで』 ・『夫婦』

【課題】1.車内観察 2.子ども時代の思い出 3.社会批評(社会問題・日本国憲法)4.一日

【.創作】『網走まで』前後、

・・・・・・・・・・・・・編集室便り・・・・・・・・・・・・・・

 

□住所〒274-0825 船橋市前原西6-1-12-816 下原方『下原ゼミ通信』編集室

メール: TEL・FAX:047-475-1582  toshihiko@shimohara.net 09027646052

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