文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.40

公開日: 

日本大学芸術学部文芸学科     2005年(平成17年)10月24日発行
文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.40
BUNGEIKENKYU Ⅱ SHIMOHARAZEMI TSUSHIN
 ホームページ http://www.shimoharanet 編集発行人 下原敏彦
                              
2005後期9/26 10/3 10/17 10/24 10/31 11/7 11/14 11/21 11/28
12/5 12/12 1/16 
2005年、読書と創作の旅
10・24下原ゼミ
10・24の下原ゼミは、下記の要領で行います。(文ゼミ1)
1. ゼミ誌原稿の提出 ゼミ誌の様式を決める(タイトル、表紙など)
      
2. 読書の秋『母親』を黙読&新聞の「人生相談」に答える。 
 
3. 社会観察・靖国神社参拝問題の新聞記事(読売・朝日の社説の比較感想と意見)
2005年、読書と創作の旅・社会観察
 
 今週の話題は、なんといっても小泉首相の靖国神社参拝に尽きるだろう。 10月17日午前10時すぎ小泉首相は私的に靖国神社を参拝した。たった5分の参拝だったが、メディアの煽り立てもあって大きな波紋になりそうである。テレビのコメンティターはおおむね批判的だが、新聞の論評はどうだったか。紙面の都合上、朝日と読売の社説を紹介する。
 朝日は、「負の遺産が残った」として主に外交問題を懸念していた。「中国や韓国の反発をはじめ、国際社会の厳しい視線。」「歴史を反省しない国というイメージが再生産されていく。」そして、最後に「首相が参拝を貫いたことで、日本は何を得たのだろうか。/後に大きな負の遺産が残されたのは間違いない。」と斬っている。これに対し読売は、「もっと丁寧に内外に説明を」と少し柔らかい。どんな気持で、までは同じだが「スーツ姿で/記帳もせず、昇殿もしなかった。」「中国政府や勧告政府は反発している。/国内にも様々な意見がある。それに対して首相はあまりにも説明不足である。」と否定のトーンをやや落としている。そして、締めくくりも「今後どのような形で政府として戦没者を追悼して行くのか。首相は体系立ててきちんと説明する責任があるのではないだろうか。」と託している。
 「負の遺産」「説明不足」新聞各社の見方は、様々だが全体の印象として何かしらすっきりしない感じがする。現実に存在する靖国神社とそこに祀られている国家の失政から犠牲になった人々。彼らをどうするのか。周囲のことばかり気になって、そのことがほとんど論じられていない。そのことが不満でもあり、残念でもある。(関連3頁)
□土壌雑記「闘牛観察」「10月17日ゼミ報告」・・・・・・・・・・・・・・・・・2、3
□社会観察・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・4、5、6
□連載テキスト解析『生きている兵隊』他・・・・・・・・・・・・・・・7、8、9、10,11
□情報、掲示板、編集室・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・12、13,14、15,16
文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.40 ――――― 2 ―――――――――――――――――――


社会雑記         闘牛観察
この日曜日、闘牛というものをはじめて見た。場所は、伊予宇和島。先週、金曜日ひょんなことから四国に行くことになった。四国は一度も旅したことがなかったので、目的地の宇和島に行くまで途中、道後温泉に1泊して観光見物した。松山では、漱石というか「坊ちゃん」ゆかりの地を何箇所か周った。道後では百聞は一見にということで有名な本館の湯につかった。本館の建物がどこかで見たようなと思っていたら、あの『千と千尋』にでてくる旅館であった。内子では、これもかの有名なうち内子座を見物した。もっとも名前は聞いていたが、よくわ知らなかった。パンフレットには、こんなふうに書かれてあった。(太字)
この木造劇場は、木蝋や生糸などの生産で栄えていた時代、芸術・芸能を愛してやまない人々の熱意によって建てられた。
農繁期には、歌舞伎や文楽、また時には映画や落語などが演じられ、この劇場は当時の人々の心の糧、文化的な拠り所として愛された。その劇場名を「内子座」という。
内子座は、大正5年2月(1916)、大正天皇即位を祝い創建、木造二階建て、瓦葺き入母屋造り、ホールとして活用後、老朽化のため取り壊しになるところを、町民の熱意により復元、昭和60年10月、劇場として再出発。現在では年間7万人もの人々が訪れ、80日近くを劇場として活用されている。定員は650。       (内子座パンフレットから)
 見学した日は、ある会のコンサートが開かれるらしくスタッフたちが準備していた。地下の奈落も見学できるようになっていた。内子に来たついでに、映画『マジソン郡の橋』で有名になった屋根つき橋を見にいった。あいにく雨が激しく降り出したところだったが、屋根があるので、ちょうどよかった。山の中の、そんなに人の行き来があるとも思えない橋になぜ屋根があるのか。建て看板の案内や、タクシーの運転手の話では、このあたりは昔は炭焼きが多かった。それで橋を一時的に倉庫がわりにしていた。つまり一石二鳥として利用していたという。帰りに大江健三郎の最近の作品を思い出した。(最近の子供頃の話か)
 さて、そんなこんなで宇和島に来て一泊すると、翌日、闘牛見物した。闘牛と聞くと、(日本の闘牛は知ってはいたが)どうしてもスペインの闘牛を彷彿する。ヘミングウェイの『日はまた昇る』にもあったが、闘牛のみのことを書いた『午後の死』を思い出す。街中が、喧騒と熱狂する光景。が、宇和島の町は静まり返っていた。闘牛の銅像が建つ駅前にも観光客が見当たらない。しかし、町の横手にある小高い山の山頂にある市営闘牛場に行くと、けっこう賑っていた。闘牛場は、小型ドーム型の建物。印象としては、サーカス小屋周辺か地方競馬場周辺。そんな感じだった。ラッパや太鼓の音とともに立派なまわし姿で登場するチャンピョン級の闘牛は迫力満点。牛といえば、おとなしい動物といった印象しかなかったが、前足で後方に、土を蹴り上げ、咆哮する牛は、まさに闘う野獣そのものだった。体重1000キロ前後の闘牛がぶつかるのは圧巻。
勝負は、1分以内でつくものもあった
が、たいていは数分、一番長い勝負で
30分近くかかった。重量級で新チャン
ピォンになった闘牛の近くに行ってみた。
目の近くから血が流れていた。
かえりに牛舎で、関脇で勝った、しこ名
「若宮パンダ」と写真を撮った。やさしい
牛の目にかえっていた。「がんばったね」と
あごをもんでやるとうれしそうだった
右は、当日のプログラム。
――――――――――――――――――― 3 ――――― 文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.40
2005年、読書と創作の旅・社会観察
 10・17ゼミ報告
 
出席者は5名
 校舎の街路樹が日ごとに色づいている。長雨にたたられて、早くも濡れ落ち葉となっている。そんな季節の移ろいが感じさせるのか。校舎全体が、すっかり物寂しい秋の雰囲気である。それが関係しているのか、このところ出席者数が低迷している。この日の出席者は、5名だった。少ない人数だが、後期の授業を開始することにした。
中村健人さんが司会進行
 この日の司会進行は、中村健人さんでした。ゼミは、次の順に行われました。
① ゼミ誌編集委員からの報告 ② 読書の秋・モーパッサンの『二人の友』を黙読
③ テキスト『子を盗む話』全員朗読と感想
①ゼミ誌編集委員からの報告
 ゼミ誌編集委員の中村健人さんから、ゼミ誌について報告がありました。報告によると、ゼミ誌出版の見積書を28日に出版編集室に提出することになっている。目下のところ、ゼミ誌の書式、題字、サイズなど何も決まっていない。この日の出席者が5名と五割弱だったことから、皆に次回出席を促し下記の予定で決めることにした。
10月24日(月) ゼミ誌様式決め(表紙・サイズ・文字や絵など)、タイトルも。
   25日(火) 印刷会社の人と話し合う。印刷会社は昨年依頼した会社に決定。
   28日(金) 見積書を提出。
ゼミ誌原稿は編集委員の中谷英里さん、中村健人さんに提出してください。
②読書の秋
 「読書の秋」は、世界文学の短編小説を黙読しました。作品は、短編の名手ギ・ド・モーパッサン(1850-1893)の『二人の友』。1870年に勃発した普仏戦争を題材にしたパリ市民ものです。既に読了していても名作は金剛石です。読むほどに光り輝きます。
③テキスト『兒を盗む話』を読む
 出席者5名の皆さんがテキスト『兒を盗む話』の朗読をしました。この作品は、短編でもやや長めなので一人ひとりの負担が大きかったようです。ご苦労様でした。配布コピーは全集からなので、当て字、旧漢字、いまはあまり使われていない言葉が多くあります。意味不明、わからなかった場合は辞典を引くなどしてください。
例・抜き衣紋(和服の胸の合わせ目を押し上げ、うなじがでる)、
靖国神社参拝問題 朝日新聞は17日から18日にかけて電話で緊急の全国世論調査を実施した。それによると首相の参拝は「よかった」が42%、「すべきでない」が41%とのこと。
賛否二分ということである。これは昨年と同じ。編集室の意見は、いまは賛否論ではなく、戦犯との分祀を一番の優先事項にすべきである、そうみている。
文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.40 ――――― 4 ―――――――――――――――――――
2005年、読書と創作の旅 社会観察
社会観察(17日-20日)
 先週17日から20日までの新聞一面の見出しは、およそこんなところでした。
(朝日・読売新聞の紙面)
17日(月)〈小泉首相が靖国参拝〉〈横浜事件 無罪か免訴か争点〉(朝日夕刊)
     〈小泉首相が靖国参拝〉〈検察側、免訴を主張〉(読売夕刊) 
 
18日(火)〈韓国、首脳会談先送り検討〉〈ロッテ31年ぶり優勝パ〉(読売朝刊)
    〈公立「小中一貫校」検討〉〈羽子板 大正の香り〉(読売夕刊)
    〈首相「私的」と強調〉〈対中・韓国関係修復に逆風〉(朝日朝刊)
    〈ATMに隠しカメラ UFJ〉〈テロ特措法改正案 衆院可決へ〉(朝日夕刊)
19日(水)〈イラク復興陸自撤収後 米「空自支援継続を〉〈町村外相の訪中拒否〉(読売)
   〈東京モーターショー 人気回復は省エネ+〉〈韓国外相、来日中止〉(読売夕刊)
   〈首相靖国参拝賛否は二分 本社緊急世論調査〉〈古田捕手が兼任監督に〉(朝日)
   〈青森知事、受け入れ表明 使用済み核燃料中間貯蔵施設〉〉(朝日夕刊)
20日(木)〈医療費予防・負担増で抑制〉〈私は無実 フセィン元大統領初公判〉(朝日)
   〈65歳-74歳2割負担 医療費抑制〉〈フセイン無罪主張〉(読売朝刊)
ロッテ・パ優勝と靖国神社参拝問題にはじまった一週間でした。
※ロッテの31年ぶりパ・リーグ優勝「おめでとう」と祝いたいところだが、なぜか手放しで喜べない。こんな事情があるからだろう。
「/136試合のレギュラーシーズンで1位を占めながら5試合のプレーオフ戦で涙をのんだ。これがパのルールといえばそれまでだが/(よみうり寸評)」
これってマラソンで1位のテープを切ったあと、もう一度短距離で勝負するのと同じでは・・・・・?
☆次の問題に答えてください 10月15日土曜日 朝日新聞「素粒子」から
次は誰の感想か。正しい方に○をつけ、□内を埋めよ。
社会観察ができていれば、正解できます。
「□□□では□□の主張が、それぞれ自分が生きるためのものに
変わっていった」
「しおらしい□□の態度はパフォーマンス」
A 連続リンチ殺人事件で3被告に死刑の判決を聴いて、当時19歳の長男を殺された父親(61)の感想。
B郵政法案採決で瞬く間に転向した国会議員を見た傍聴者。
□の言葉
控訴審 選挙後 3人 反対 法廷 議場
――――――――――――――――――― 5 ――――― 文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.40
2005年、読書と創作の旅 社会観察
靖国神社首相参拝報道を読む
 先週の大きな出来事は、小泉首相の靖国神社参拝問題でした。首相の参拝行動についてマスメディアの多くは否定的でしたが、やや否定と完全否定の新聞二紙の社説(全文)をとりあげました。「天声人語」「編集手帳」併せて感想と意見を述べてください。
靖国参拝 負の遺産が残った
 
小泉首相はどんな気持で手を合わせたのだろう。信念は通したものの、自分に課せられた重い役割にどれだけ思いをはせていたのか。靖国神社に参拝する首相の姿を見ているうちに、そんな思いに包まれた。中国や韓国の反発をはじめ、国際社会の厳しい視線。9月末に示されたばかりの大阪高裁の違憲判断。割れる国内世論。すべてを押し切っての参拝だった。
 首相は参拝後、記者団に「日中、日韓友好、アジア重視の姿勢は変わらない。よく説明していきたい」と語った。かねて「適切に判断する」と言い続けてきたが、何をどう適切に判断したのか。意を尽くした説明はなかつた。首相なりに配慮はしたのだろう。礼服や紋付はかまではなく、背広姿で賽銭箱に歩み寄り、ポケットからお金を取り出して投げ入れた。本殿には上がらず、記帳もしなかった。
 「私的な参拝」を演出したのは、高裁の違憲判断を意識すると同時に中韓の反発を和らげる狙いがあったようだ。だが、これだけ行く行かないが国内外で注目される事態になった以上、形式を変えたところで大きな違いはなかろう。形式にこだわらないというなら、もう一歩進めて、日本外交の大きな視点から参拝を見送るべきだった。
 首相のたび重なる参拝の結果として、靖国神社の展示施設である遊就館に代表される歴史観は、海外にも紹介されるようになった。あの戦争を「自存自衛のための戦い」とし、今もそうした過去を正当化している。
 そんな歴史観を持ち、A級戦犯の分祀を拒んでいる神社に、首相が反対をものともせず公然と参拝する。その映像はただちに世界に伝えられ、「歴史を反省しない国」というイメージが再生産されていく。首相は国を代表する存在だ。その行動が政治的な意味を持つ時、いくら私的と釈明したところで通用しないだろう。まして国内では、司法の判断や世論が分かれている。戦没者をどう弔うかという、国家にとって重要な課題で対立があるなら、一方の立場をとるのではなく、より多くの人が納得できるあり方を模索するのが政治指導者の役割ではないか。靖国問題は、とくに中国との間で互いに排外的なナショナリズムの連鎖を生んでいる。その背景には成長一途の中国側の自信、バブル崩壊後の自信喪失から抜けられない日本側の焦燥感が微妙に絡み合っている。
 もともと、経済的にも政治的にも大国となってきた中国との間で、利害や感情がぶつかるのは避けられないことだ。それを制御し衝突を招かないよう信頼の関係を築くのが両国の政治家に課せられた任務だ。中国側にも、今春のような暴力沙汰にならないよう冷静な対応を求めたい。対立の悪循環は避けてもらいたい。日中関係やアジア外交をどう立て直すのか、自民党の政治家はもっと声を上げて語るべきだ。さきにこうの衆院議長や歴代首相が参拝自粛を求めたが、総選挙での大勝後、党内が小泉流で一色になってしまうとすれば情けない。とりわけポスト小泉と目される人たちの考えを聞きたい。首相が参拝の方針を貫いたことで、日本は何を得たのだろうか。首相はあと一年で退任するそうだが、、後に大きな負の遺産が残されたのは間違いない。(2005年10月18日朝日新聞「社説」)
文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.40 ――――― 6 ―――――――――――――――――――
2005年、読書と創作の旅 社会観察
もっと丁寧に内外に説明を 2005年10月18日読売新聞「社説」
10月18日の朝日「天声人語」と読売「編集手帳」
――――――――――――――――――― 7 ――――― 文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.40
社会観察・戦争の創作ルポ解析
②『生きている兵隊』を読む
 前記 石川達三は、この作品を1938年(昭和13年)2月1日から書きはじめ、紀元節の未明に脱稿した。「あるがままの戦争の姿」を知らせたくて書いた。必読の戦場ルポ。
 1937年7月7日から日中戦争がはじまったことから大日本帝国は、9月25日言論統制のための内閣報道部設置。11月大本営が宮中に設置した。ゆえに、この作品は創作ルポの形をとり「部隊名、将兵の姓名などもすべて仮想のものと承知されたい」とした。
「人間は、何にでも慣れる。そしてどんなこともできる生き物」ドストエフスキー
前回まで、中国に上陸した部隊はある村に集結し10日間の休養をとった。が、そこで家に火をつけた青年を捕まえた。言葉がわからないから通訳を呼びにやる。(太字は原文・傍線は伏字・加筆と修正は[])
 中橋通訳は拳銃を肩にかけ両手をポケットに入れ皮のゲートルをつけて肩をゆすりながら歩いてきた。
 晩秋のある村の部落。夕陽がきれいだった。しかし、立ちのぼる火事の炎と煙り。火付けの犯人の青年を取り囲む日本兵たち。緊迫感が漂う光景である。短い文章だが、通訳の横柄さもよく描けている。
「こいつがやったんかね」
「そうらしいんだ。一つ訊問して呉れ。ふてえやつだよ。本部を焼こうなんて…」
 通訳は咥(くわ)えていたマッチの軸を吐き出すと二こと三こと厳しく何か言ったが青年はじろりとかれを睨んだまま黙っていた。彼は軽く肩を突き飛ばしながら猶も訊問を繰返した。すると青年が静かな声で短い返事をした。不意に通訳はぴしりと激しい平手打ちを頬にくれた。青年はよろめいた。燃えさかる炎の中から棟の瓦がひと塊りどどッと崩れ落ちた。見ていた兵が言った。
「何て言うんだね通訳さん」
「こいつ奴、自分の家に自分で火をつけたんだから俺の勝手だって言やがる!」
「自分の家に自分で火をつけんだから俺の勝手だ」。通訳はこう訳した。が、青年はもしかしこう言ったのかも知れない。「他人の国に勝手に入り込んで何を言うんだ」と。
 甕(カメ)に腰かけて火事に暖まっていた笠原伍長はすっと立ち上がると青年の腕をとらえて歩きだした。
「来い。快々的(カイカイデー)!」
 青年は素直に歩き出し、二人の兵がその後に従った。十歩ばかり行くとか笠原は振り向いて中橋通訳の方を見かえりにやりと意味ふかく笑った。
青年の反抗的な態度は当然である。突然現れた異国の軍隊。彼等が勝手に我が家に居座ったのだ。正義は我にある。青年の信念は揺るがない。しかし戦争は法も善もない。戦略と非情があるのみ。笠原伍長と中橋通訳の隠微な笑みのやりとりに読者は青年の運命を知る。
一町も歩くと部落をはずれて四人は楊柳の並んだクリークとその両岸にひろがった田圃との静かな夕景色の中に出た。陽は落ちて空は赤かった。クリークの水に赤い雲の影が静かに映っていて、風もない和やかな秋であった。点々と農家はあるがどこにも人影はなかった。彼等は幾つかの支那兵の死骸を飛び越えてクリークの岸に立った。
文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.40 ――――― 8 ―――――――――――――――――――
 野菊の残りの花が水面に近く群れ咲いており、田圃にある砲弾の穴には新しい水が丸くたまっていた。
 夕暮れ時の、のどかな田園風景。しかし、あたりは静まりかえって人影はない。そこかしこにこの国の兵隊の死体が転がっている。侵入者が勝利したのだ。
 笠原はふり向いた。青年はうな垂れて流れるともしないクリークの流れを見ていた。一匹の支那馬が水の中から丸々肥えた尻を突き出して死んでいた。萍草が鞍のまわりをとり巻いて頭の方は見えなかった。
「あっち向け……と言っても解らねえか。不便な奴じゃ」
彼は已むなく自分で青年の後ろにまわり、ずるずると日本刀を鞘から引き抜いた。それを見るとこの痩せた鳥のような青年はがっくり泥の中に膝を突き何か早口に大きな声で叫び出し、彼に向かって手を合わせて拝みはじめた。然し拝まれる事には笠原は馴れていた。馴れてはいてもやはり良い気持ではなかった。
「馴れていてもやはり良い気持ではない」だが、ここは戦場である。たったいま激戦が終わったばかりなのだ。支那馬の死骸に作者は、軍や読者を納得させようとしたのか・・・。
「えい!」
 一瞬にして青年の叫びは止み、野づらはしんとした静かな夕景色に返った。首は落ちなかったが傷は充分に深かった。彼の体が倒れる前にがぶかぶと血が肩にあふれて来た。体は右に傾き、土手の野菊の中に倒れて今一度ころがった。だぶんと鈍い水音がして、馬の尻に並んで半身はクリークに落ちた。泥だらけの跣足の足裏が二つ並んで空に向いていた。
 三人は黙って引き返した。部落のあちこちに日章旗が暮れかけてまだ見えていた。火事の煙に炎の赤さが映りはじめていた。夕飯のはじまる時分であった。
 戦地で日本兵の残虐行為の一つとして、この打ち首があげられる。使われた刀は戦前、大量生産された。いわゆる昭和新刀である。もちろん使う人間が一番悪いのだが、この刀が戦地でよく使われ、恐れられたという。日常の一瞬のように描かれた斬首の光景。作者の観察眼がいかに優れているかがわかる場面だ。作者は、冷静に冷徹にただ事実のみをひたすら丁寧に構築していく。なんの感情にも捉われていない。作者は人間を超えて一つのカメラになった。
余談だが、この作家の優れた観察眼がよくわかる作品を今思い出したので紹介する。『深海魚』という短編である。若いとき読んだので、本はもうない。従って記憶も曖昧である。たしか作者が第一回芥川賞、受賞後の第一作だったように覚えている。当時、石川達三はまったく無名の新人だった。当時は文壇村もあって落選者からは、妬まれてていた。それだけに、二作目はかなり注目されていたらしい。たいていの作家は処女作と二番手の差が大きい。なかなか処女作を越えられないのである。この作者が二作目に題材をとったのは、娼婦と、そうした女性を診る医者だった。やり手婆に連れてこられた梅毒の娼婦。作者は医者の目を通して患部を見る。そこに咲く毒花。その毒花梅毒を冷静に観察し、作品のに描ききった。そうして、そんな毒花をもったまま、再び街にでていく娼婦たちの後姿。作者の目は、事物を冷静に簡潔に観察することで、
つづきは、次号41号に掲載予定。
右写真は、日中戦争の発端の盧溝橋
『生きている兵隊』
中公文庫 571円+税
――――――――――――――――――― 9 ――――― 文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.40
2005年読書と創作の旅・試作創作ルポ
いまでは汐留は、高層ビルやショーウィンドが並ぶ華やいだ街である。しかし、かつてここは貨物列車の発着駅だった。日本全国から荷物を積んだ貨車が入り、また出て行った。広い構内には、何両もの貨車がならび大小さまざまな鉄道荷物がホームのあちこちに山と積まれていた。いろんな若者が働いていた。挫折した奴、希望に燃える奴。さまざまな青春があった。ある年の冬、彼らの青春を創作ルポタージュしてみた。
 既に三十数年の年月は経っているが、人物名は仮称とした。他は実際にあったことである。
連載1
汐留、青春グラフィティ
      一
 構内は騒然としていた。三十五列車の発車時間が迫っていた。大小さまざまな鉄道荷物がごった返す積み荷ホームに、けたたましくベルが鳴り響き、怒鳴り声が飛び交った。
山陽本線方面の貨車の前には、小郡、防府、尾道と表示された荷物がまだ山積みにされていた。臨時作業員たちは、手当たりしだい手カギに引っ掛け貨車の中にポンポン投げ込んだ。【横倒し厳禁】や【割れ物注意】の荷物もあったが、選別する余裕はなかった。
「おーい、早くしろ!」
「早くしろ!」
荷物会社の職員が、走りまわって大声でせかしまくった。
 臨職で一番若い吉本は、最後の荷物を両手で持ち上げると
「これで、おしまあい!」
叫んで、思いっきりデッキの奥に投げ込んだ。
荷物は、白地にUSAと印された岩国米軍基地行きのサンドバックのような兵隊袋で、毎朝きまって一個小隊分ほどあった。何が入っているのか、かなり重かった。一緒に、この車両の積み込みをしていた松宮は、とっくに積む気をなくして立っていた。
「オーライ!」「オーライ!」「オーライ!」
積み荷作業終了を確認する合図が最後尾の車両方向から、作業員たちの声が連呼して聞こえてきた。声は吉本と松宮が受け持った車両にきた。
「オーライ!」
吉本は、大声で言って次の車両に手を振った。
合図の声は、またたくまに最前部の車両まで伝わった。とたん国鉄職員や機関士の怒鳴り声がやまびこのようにかえってきた。
「発車するぞ!さがれ!さがれ!」
蒸気が白煙となってたちこめる中で紺服の機関士は赤い小旗を打ち振って叫んだ。
「おーい、発車するぞ!」
 突如、警笛がピィーと鳴り渡って喧騒を引き裂いた。つづいて荷物を満載した貨物列車はレールをきしませながらゆっくり動きだした。連結器のかみ合う鈍い金属音が玉突きのような連続音を響かせていった。ガシャン、ガシャン、ガシャン。重量感あふれるその響きは、凍てついた朝の空気を振動させながらしだいに間隔を早めていく。その様子を積み荷班の臨職連中は、ぼう然と佇んで眺めていた。やっと一仕事終えたという爽快感のなかに脱力感もあった。だれもかれもまるで湯上りのように体から湯気立ち上らせていた。
 ワム15829、ワラ39764、ワム1759――貨車にかかれた数字は、すぐに読み取れなくなった。十余輌編成の長い貨物列車は、叙々に速度をまして、操車場のはるか前方にあるトンネルの中に消えていった。最後尾の車両が完全に見えなると、途端、構内から静かになった。すべての動力エンジンが切られ、轟音が止まると構内はまるで時間が停止したような静寂に
文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.40 ――――― 10 ――――――――――――――――――
2005年読書と創作の旅・試作創作ルポ
押し包まれた。熱気をおびていた構内の空気が急速に冷えていくのがわかった。
「おーい、一服だあー」
静まり返ったホームに南条班長の甲高い声が響いた。
南条班長は、元、といっても二十何年か前になるが――つまり戦中戦前の事ではあるが、職業軍人だったらしい。赤紙で召集された兵隊とどこが違うのかわからないが、それを自慢するだけあって痩せて筋ばった老体ながら、その声はよく通り、動きもきびきびしていた。日本刀をぶっ下げていたらよく似合いそうだった。そんなところから臨職たちからは、軍曹とあだなされていた。以前に放映されていたテレビの人気ドラマ『コンバット』の鬼軍曹からとったようだ。テレビの真似かどうかはわからないが日大芸術の演劇科の団が、一日一回、「軍曹殿!」と叫んで直立不動で敬礼し、皆から喝采を浴びていた。
 南条班長の声を合図に、棒立ちに佇んで休んでいた積み荷班の臨職連中は、魔法が解かれたかのように一斉にホーム先端に向かって歩き出した。
「休憩です」吉本は、なまりある言葉で松宮を誘った。「おじさん、行きましょう」
「やれやれ、やっと休めるか」松宮は、ハンカチで禿げあがった額の汗を拭きながらため息まじりに愚痴った。「今朝は、やけにあったねえ」
「二百トンありますよ。今日は」
「ええっ、冗談だろ」
「朝、見てきたんです。事務所で」吉本は、うれしそうに言った。父親ほど年齢差がありそうな松宮をからかうのが楽しそうだった。「いまの三十九列車なんか軽いですよ」
「失敗だった、今日は休むべきだった。ついてないな」
松宮は、いい大人のくせして半べそで愚痴った。
臨時職員、つまり臨職雇用者は若者から中年までいた。作業は、鉄道荷物の積み下ろしと積み込みである。きつい仕事ではあったが、朝8時30分から夕方6時まで働けば3500円、夜11時までなら6000円である。体力勝負なので若者が多かったが、なかには中年もいた。若者は学生か予備校生、それに転々と職をかえている者もいたが、みな気楽にやっていた。そこにいくと中高年は、事業の失敗や、思わぬ失職で一時しのぎにきた人が多く、早くここを抜け出さなければと焦っていた。 松宮もそんな一人である。彼は、四十歳ぐらいか。まだそんな歳でもないのに、髪の毛はかなり薄くおまけに白いものが混じっていた。昨年の秋に勤めていた印刷会社が倒産したため、ここには一時しのぎに来ていた。家は横須賀の方にあって家族は奥さんと小学生の子供が二人いるらしい。
「早く、定職をみつけなきゃあな」
が口癖だった。
松宮は、ほかの中年臨職と違った点が一つあった。映画について物知りというか、昔はかなりの映画青年だったようだ。休憩時間、昔の映画名をあげては、さも自分が監督したような口ぶりで、解説していた。ただ鉄骨が組んであるだけの殺風景の高い天井を見上げては
「ここの、貨物駅、好きなんだ。この景色がねパリやローマの駅に似ているんだよ」
と、さも行ってみてきたようなことを言った。実際、よく映画を見ているらしく貨物列車がでてくる映画の場面を「そういえば、貨車をあけるとレタスがみんな腐っていた映画があったなあ」と、あげたりもしていた。
その映画への情熱が、どこでギャンブルにすりかわってしまったのか、いまの松宮は、どっぷり競馬にはまっていた。近ごろの競馬は猫も杓子も手を出すようになってつまらん、とぼやきながらも暇さえあればズボンの裏ポケットにねじこんでいる競馬新聞をひろげて熱心に見入っていた。若い吉本がのぞきこむと自嘲気味に笑って
「こんなものやらんほうがいいよ。おじさんみたいになっちゃうから」
と、言っていた。
――――――――――――――――――― 11 ――――― 文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.40
2005年読書と創作の旅・試作創作ルポ
吉本宏は、十九歳と話していたが、まだ高校生のようにみえた。言葉づかいも地方から東
京にきて日も浅い、そんな感じがした。だが、貨物駅では他人のことなど、誰も興味を持たなかった。持っても質問しないのが常識だった。若者以外の臨職は、なにかしら人に知られたくない家庭事情を抱えていた。それで寡黙なのだが例外もいる。
半年前いた藤尾何某は、登山家と名乗っていた。雄弁で、問題事に口を挟むといつまでも話しつづけた。で、職員の何人かからは「センセイ」と呼ばれていた。が、臨職からは、嫌われていた。一向に山に行く話をしないので妙だと思いだした、ある朝、作業途中で、どんな予感からか突然、荷物を投げ出して遁走した。それからしばらくして、いかにもその筋とわかるワイシャツ姿の男たちが数人、ホームのあちこちから、彼の受け持った貨車めがけてダッシュしてきた。もちろんもぬけの殻であった。
「中核派だったらしい」「企業ビル爆破犯の仲間らしい」あとで、こんな噂がとんだ。実際のところは、誰も知らなかった。が、踏み込んできた男たちは公安の人間というのは確かのようだった。事務所で課長にそう説明したらしい。彼みたいな人間にとってはここはまさに最高の隠れ家だった。なぜバレたのか。これも噂だが、貨物駅の臨職となったことですっかり安心して仲間に連絡したらしい。
「キジも鳴かずば撃たれまいとはこのことだ」皆は大笑いした。
――次号につづく――
     
「2005年、読書と創作の旅」社会観察・人生相談
人生相談
ある男子大学生から新聞の「人生案内」にこんな相談が寄せられていました。あなたなら、どう助言しますか。友人のつもりでアドバイスしてください。
※紙面での相談員は作家の立松和平さんでした。立松さんのアドバイスは次号に掲載します。(2005年10月12日 読売新聞)
文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.40 ――――― 12 ――――――――――――――――――
2005年、読書と創作の旅  文芸情報
新聞・読売新聞夕刊 2005年(平成17年)10月17日 月曜日 文化
――――――――――――――――――― 13 ――――― 文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.40
座談会 作家の条件
文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.40 ――――― 14 ――――――――――――――――――
 文芸情報 座談会 作家の条件
――――――――――――――――――― 15 ――――― 文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.40
座談会 作家の条件 2005年10月18日 読売新聞
文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.40 ――――― 16 ―――――――――――――――――――
掲示板
 
下原ゼミ後期提出原稿について(提出数は何本でも可、郵送、メール可)
後期のゼミ提出原稿のテーマは下記の通りです。
□「社会観察」(靖国問題について)
□テキスト『子を盗む話』の感想
□創作・コラム『ニートについて』
□普通の一日を記憶する
□配布された名作の感想
□人生相談「私ならこうアドバイスする」
お詫び
・『兒を盗む話』を読む③は紙面の都合でお休みします。次号に掲載。
読書会・例会(ドストエフスキー関係)
・ドストエーフスキイの会第171回例会
10月29日 土曜日 午後6:00~9:00 千駄ヶ谷区民会館
発表者 木寺律子氏 大阪外語大博士課程在学中 
『カラマーゾフ兄弟』における『ファウスト』の登場 一般参加者500円    
・ドストエーフスキイ全作品を読む会・第212回読書会
12月17日 土曜日 午後2:00~4:45
東京芸術劇場小会議室1 作品:『地下生活者の手記』2回目
親睦会5:30~  
 以上詳細は下原まで
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
編集室便り
☆原稿用紙は、文芸専用原稿用紙を配布します。題名をしっかり書いてください。
☆提出原稿は直接か下記の郵便住所かメール先に送ってください。
「下原ゼミ通信」編集室の住所〒274-0825 船橋市前原西6-1-12-816 下原方
  メール:toshihiko@shimohara.net TEL・FAX:047-475-1582 
☆本通信はHP「土壌館創作道場」に掲載されています。
☆後期も頑張って発行していきますので、よろしくお願いします。皆さんの原稿、お待ちし
ています。
☆下原ゼミ提出原稿「名作感想」  名前
☆下原ゼミ提出原稿「テキスト子を盗む話」の感想  名前
☆提出原稿・テーマ「ニート」創作、ルポ、など 名前  
☆「2005年、読書と創作の旅」テーマ「社会観察」 名前  
☆人生相談「私なら、こうアドバイス」  名前
 
________________________________________
罫線の描き方↑
罫線(A)→線種とページ罫線と網掛けの設定→水平線→線を選んでOK
________________________________________

シェアありがとうございます

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • Pocket

コメントを残す

PAGE TOP ↑