文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.41

公開日: 

日本大学芸術学部文芸学科     2005年(平成17年)10月31日発行
文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.41
BUNGEIKENKYU Ⅱ SHIMOHARAZEMI TSUSHIN
 ホームページ http://www.shimoharanet 編集発行人 下原敏彦
                              
2005後期9/26 10/3 10/17 10/24 10/31 11/7 11/14 11/21 11/28
12/5 12/12 1/16 
2005年、読書と創作の旅
10・31下原ゼミ
10・31の下原ゼミは、下記の要領で行います。(文ゼミ1)
1. ゼミ誌原稿受付、10・24ゼミ報告、「社会観察」の提出あれば発表と感想 
      
2. 読書の秋 → 中休憩 季節観察『秋の歌』(『沈む日』)吟唱 
 
3. 社会観察・「少年犯罪」テキスト「『にんじん』家族を考える」(時間あれば)


2005年、読書と創作の旅・社会観察
 
 専任司書教諭1000人配置。10月22日、文部科学省は小中学校で読書活動の指導などに当てるため専任の司書教諭を配置する方針にした。実施は、来年度から5年間で、全国に1027人を配置する予定だという。(太字は記事 読売新聞10・23)
 司書教諭は学級担任教諭などとの併任とされることが多く、文科省が専任の司書教諭枠を教職員の配置計画に設けるのは初めて。/。財政当局の理解が得られれば、来年度から毎年約200人ずつ、全国に司書教諭を配置していく方針だ。
 なぜ、こうした方針が打ち出されたのか。
 司書教諭は、学校図書館の管理・運営や読書指導について、一定の研修を受けた教員から教育委員会や校長が発令する。1997年の改正学校図書法により、12学級以上の学校に配置することが義務づけられた。2003年度の文科省調査では、、小学校の55%、中学校の52%に計約2万4000人の司書教諭が配置されている。だが、その多くは学級担任などの兼任で普段の学級・教科指導に忙しく、十分な読書指導が出来ないとの指摘が出ていた。
 配置される司書教諭1000人が多いか少ないかは知らない。が、専任の司書教諭が読書指導のみに当たるのは大いに賛成である。しかし、問題はある。読書指導というからには、司書自身が読書好きでなければならない。が、この頃は司書資格があっても本嫌いという人が結構多い。仏つくって魂入れず、ではないが、読書しない専任司書が増えても困る。
□土壌雑記「きのこ観察」「10月24日ゼミ報告」・・・・・・・・・・・・・・・2、3、4
□社会観察(新聞記事・事件)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・5、6、7
□連載創作ルポ解析『生きている兵隊』他・・・・・・・・・・8、9、10、11、12、13、14
□情報、掲示板、編集室・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・15,16
文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.41 ――――― 2 ―――――――――――――――――――
土壌雑記         きのこ観察
この季節は、きのこの話題が多い。26日放映したあるテレビ局の旅番組で、食べれるきのこなのに毒きのこの名前で紹介してしまったミスがあったという。ミスの原因は取材した際、地元でそう呼んでいたから確認せず信じてしまったそうだ。新聞にも「地元の呼び名、そのまま信じ」(朝日10/28)と見出しされていた。地元と学術的呼び名の違いはままある話だ。これが反対に紹介されたら問題だが、そう目くじらを立てることもないだろう。ちなみにどんなきのこだったかといえば、ほうとう料理の具として食べる「ウラベニホテイシメジ」を毒きのことして知られる「イッポンシメジ」と紹介したらしい。ご愛嬌である。
が、こちらは、そうはいかない。先日、これもテレビだが、毒きのこについてレポートしていた。きっかけは、長野県の諏訪にある自然食市場で毒きのこが売られ、食べた人が中毒になったというのだ。テレビで見たが、売られた毒きのこは、(名前は忘れたが)、映像からかさの開いたしめじに似たきのこのように覚えている。採ったのは、60何歳のきのこ採りの名人だという。食用と並べたら素人には見わけはつかない。きのこを採るには免許も資格も必要ない。が、間違えて売られれば命を落とすこともある。毒きのこはどこにでも生えている。食べる側は、ひたすら採り手を信ずるしかない。それを思うと怖い話である。
テレビのレポートは、毒きのこの紹介と、山に行かなくても、都会でもきのこ狩りできる。そんな内容だった。公園の中に毒きのこもあれば、食べられるきのこ、まいたけも生えていた。が、たいていは、採って食べるのは考えものである。あきらかに怪しいきのこは別として、毒でも、外見は食べられるきのことそっくりなのがある。都会の公園には、そんなのがたくさんある。食用きのこの見わけ方。よく裂いてみるといいと言われるが、テレビの専門家は違うと言っていた。真っ二つに裂けても安全とはいえないらしい。
それにしても、ベテランがなぜ毒きのこなど採ってしまうのか。私が子供のとき、間違えて採ったことは一度もない。ほとんど無意識のうちに毒きのこを避けていた。山の生き物が絶対口にしないように。毒きのこを採るようになったのはグルメになったからに違いない。きのこのレポートをみていたら、子供の頃のきのこ狩りをなつかしく思い出した。秋になると毎朝、暗いうちに起きてきのこ狩りに行ったものである。きのこ狩りのコツは人より早く行く。自分だけが知っている、きのこの生える場所(シロと呼んでいた)があるか、である。
 私が採ったきのこの種類は、記憶にあるもので、ざっとこんなものがある。まずよく採れるきのこで「いくち」がある。かさは黄土色でかさの裏は黒っぽい網状。そのままか乾燥させて冬に味噌汁の具として使われる。つるっとすべるので、咽をヤケドする。どこでも生えていてたくさん採れることから、一番粗末に扱われるきのこではあるが、私の部落では、こんなふうに言っていた。「においマツタケ、味しめじ、食べてうまいのはいくち」と。「柴っかぶれ」は、その名の通り柴色をしている。「さくらたけ」「あめたけ」もそうで「さくらたけ」は全体白っぽいが、かさの真ん中が、ほんのりピンク色している。上品というか優雅な感じがするきのこである。「あめたけ」は、黄土色だが、頭から水あめをかぶったようにぬるぬるしていた。「なめこ」の大きい奴、そんな感じである。「じょんな」は株で一見西欧のお城みたいだが、私の部落では箒をさかさまに置いたような形をしているところから「ほうきたけ」とも呼んでいた。このきのこは、白っぽいが頭に赤、黄色、青紫の粉をかけたような色合いをしているところから、「あかじょんな」「あおじょんな」と色別に呼んでいた。
これらのきのこは、落葉の雑木林に生える。ほかに「地もぐり」という砂地のなかにもぐるようにして生えているきのこ。これは焼いて食べた。大きなきのこでは、「かわたけ」「おしょうにん」がある。「かわたけ」は、干して正月の煮物にして食べるが「おしょうにん」は、焼いて食べる。少しにがみがあって美味しい。「くりたけ」「しめじ」は一般的だが、しめじのなかにも「しもしめじ」と「きいしめじ」がある。松山には、「ごんすけ」が一般的だ。
 それにしても、こんなにもある種類。よく間違えずに採ったものである。あのころは、きのこ採りが生活の一部となっていた証拠でもある。   (編集室)
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2005年、読書と創作の旅 10・24ゼミ報告
 10・24ゼミ報告
 
出席者は全員11名!!
 この日のゼミは、なんと全員11名全員(初日のみ出席者は考慮して受講しなかったことに)が顔をみせました。ゼミ誌編集委員の骨折りによる結果でした。後期は、ゼミ誌提出と2学年も最後となりますのでひとりでも多くの出席者を期待します。
大島直文さんが司会進行
 この日の司会進行は、大島直文さんでした。ゼミは、次の項目順に行われました。
① ゼミ誌編集について(大きさ、タイトルなどの決定) ② 新聞の「人生案内」自分が相談されたら、どう答えるか。③ 「靖国参拝」読売・朝日社説感想と意見
①ゼミ誌についての決め
 ゼミ誌編集委員の中村健人さんから、ゼミ誌の原稿締切についての説明と、タイトルなどゼミ誌様式の討議と採決。下記の通りに議決されました。
【ゼミ誌様式】
○ ゼミ誌サイズについて → (B6版 A5版の案件) A5版に決定
○ ページ数について → 提出原稿をみて印刷会社と相談する。保留
○ 表 紙 → 出版過程で印刷会社と相談する。未定
○ タイトル → 『各駅停車』『いつも考えてばかりで、不器用なため、手で扱えるものはペンしかありません』『柔(やわら)』の三件が候補。
         採決の結果は3-1-4で、『柔』に決定。
         副題、栞は後で。
○ 表紙絵 → 担任の写真(柔道着姿)案。他
         ※当事者としては、複雑(写真は勘弁してもらいたいが・・・・)
○ 部 数 → 150部
○ 原稿締切 → 11月7日(月)迄
読書の秋
 「読書の秋」は、前回とおなじ短編の名手ギ・ド・モーパッサン(1850-1893)の作品コピーを配布した。この作家の短編は、前回配布『二人の友』にみるように残酷な結末が多いが、滑稽譚もある。今回の『トワーヌ』は、その数少ない滑稽譚の一作。この作家のコント作品の中でも傑作の一つ。観察した農家や百姓たちの様子が小噺の中によく描かれている。
 モーパッサンは、処女作『脂肪の塊』や長編『女の一生』がよく知られている。が、30歳から40歳までのあいだに360編余の中・短編、7巻の長編小説、3巻の旅行記、2編の戯曲、1巻の詩集を書いている。息子を作家にしたい、その一心でフローベルに取り入った母親だったが、中・短編群はその期待に応えて余りある。読むべしモーパッサン!!
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2005年、読書と創作の旅 10・24ゼミ報告
② 新聞の「人生案内」自分なら、どうアドバイス
【相談事】前号40号に転載 《いつも一人 考えてばかり アルバイトは不採用》
相談概略「いつも考えてばかりで、不器用なため、手で扱えるものはペンぐらいしかありません。こんな自分にご助言をお願いします。(20代男子大学生)」
○「たんなる言い訳。まず行動してから考えてみたらどうか」(関)
○「人間は誰でも考える。(あなただけではない)ペンしか持てないというのは詭弁」(平岩)
○「考えたことをノートに書き綴ってみて、実際に自分がどんなことを考えたか確かめ、それから職業なり仕事なりわ探してみてはどうか。」(小河原)
○「そんな考えでは、どんな職業にも向かない。(生への)気概が見当たらない。ニートになるしかないのでは・・・・」(津田)
○「あれこれ考えないで、いろんなところに応募してみたら。まず、自分から行動を起こすことが大切」(大島)
○「考えることは悪いことではない。が、(抽象的に)考えるのではなく、具現化できるような考えをするよう心掛けたらどうか。」(中村)
○「一人で考えてばかり、というわりには人生案内の相談に応じている。(まずやることは)考えるということをやめるべきだ。」(田中)
○「考えてばかり、というのは言い訳。(本当に考えるなら)考えたことをどう表現するか考えてみたらどうですか。時間をかけて訓練すればできます。」(畑)
○「考えることしかできない、というのは自分にやる気がない証拠。(そんな考えなら)ニートになれば。」(中谷)
○「たいていの相談者は、すでに自分の答えを持っているものです。相談という形にするのは、そのことについて他者がどう思うか知りたい。本音はそこにあるかと思います。その意味では、相談者は既に確固たる答えを持っています。〈一人でいるのが当たり前〉〈一人で考えることに夢中で、仕事に集中できない〉〈考える癖は、…とても改善できそうにない〉〈手で扱えるものはペンぐらいしかありません〉そうです相談者は、自分に向く仕事はものを書く職業である。と決めていて、そのことを他者からも認めてもらいたい。そんな気持の相談のような気がします。だから、考えることとペンを活かせる仕事をしっかりやってください。と励ますます。が、こうもアドバイスします。ただ衣食住のことは考えても考えなくても生きて生活する限り一生ついて回ります。そのことは、他者に相談しても、どうにもなりませんよ。(編集室)
新聞の回答者・作家立松和平さんのアドバイスはこのようでした。読売新聞10月12日(水)
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2005年、読書と創作の旅 10・24ゼミ
靖国神社首相参拝報道を読んで
 小泉首相の靖国神社参拝について論じた新聞二紙の社説と寸評「天声人語」「編集手帳」の感想と意見。
○「(日本の)大新聞は中立報道だと思っていたが、朝日の社説は偏り過ぎていると感じた。読売は比較的中立に書いてあるように思った。自分としては中立記事がよい。(中谷)
○「書いた記者の信念を感じる。偏っているのは、その現われか。」(畑)
○「朝日は中国の回し者かと、感じた。新聞に書いてあるのを鵜呑みにするのはよくないと思った。」(林絵)
○「読売と朝日、違った方向性にある新聞の社説の読み比べはためになった。」(田中)
○「家では朝日をとっている。二つの新聞の色が、はっきりしているのがわかった。読売の考えが日本人の気持にあっている、そんな印象を受けた。」(中村)
○「読売と朝日、意見が合っていない。違いから自分で判断する。」(大島)
○「右より、左よりがはっきりしている。靖国神社には、お参りしたことがある。」(林正)
○「いろんな人が読むから、偏りがあっては…どうか。思想の自由もあるだけに違いを指摘するのは難しい。」(小河原)
○「企業間に違いがあってもよい。完全に分かれた記事はためになる。」(平岩)
○「朝日に偏重がある。記事を書いた人を見比べて自分の考えをつくることが大切。」(関)
○「隣家の嫌がることをする。個人的、私事ならやらない方がよいのかも。実際、私個人だったら度胸もないしやめる。しかし、この隣家というのはどんな人たちだろう。自己中の勝手な人たちだ。他国に押し入ったり、境界線にいちゃもんをつけたり、人さらいしても平気でいる人もいる。そうして、昔のことをかたにとっていまだ慰謝料をふんだくろうという人たちなのである。そういう人たちの言うことをまともに受け取ったり気にするというのも妙な話である。企業が暴力団となかなか縁をきれないのは、一度、言うことを聞いてしまったことにある。参拝の賛否。リスクはどちらにあるか、だれもわからない。やめれば今日明日は丸く収まるだろう。が、10年先20年先には、どんな言いがかりをつけられるか・・・まったく関係のない国からどうみられるのか。それはだれにもわからない。そこが個人と政治の難しいところである。新聞はそのことを書くべきであるが、いつも目先の心配しか書いてないのが残念である。」(編集室)
朝日「声」、読売「気流」に寄せられた感想と意見。10月20日付け
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2005年、読書と創作の旅 社会観察
社会観察10・21~10・27
どんな出来事があったのか、主な出来事を最近の新聞一面三面の見出しから拾ってみた。
10・21 「営業目的」閲覧禁止 住基台帳限定公開に(読売)
    無人ATM受信機持つ男逮捕「カメラ設置指示受けた」(読売)
    皇位継承は「第1子優先」 有識者会議方針 男女を問わず(朝日)
    レバノン元首相暗殺シリア関与認定 国連報告書安保理協議へ(朝日)
10・22 マブチ事件強殺、放火2人逮捕「資産家狙った」(読売)
    ゴミの山から現金3100万円 埼玉所沢の産廃処理場(読売)
    プーシキン展開幕 東京・上野「モネ、ルノワール、ゴーギャン、ピカソ」(朝日)
10・23 専任司書教諭1000人配置 5年間で小中読書指導 文部省方針(読売)
    史上最高配当1846万円馬券 東京競馬場第12レース(読売)
    アジア共通通貨の”卵”に 名前は「アキュ」 13通貨の平均値公表へ(朝日)
    史上初濃霧コールド 日本シリーズ(朝日)
    マブチ事件2容疑者「旅券メド立ち実行」翌日に不正取得(朝日)
    メキシコに暴風「ウイルマ」日本人観光客ら1万人避難(スポニチ)
10・24 中越地震1年 国支援金受給まだ3割 大規模半壊や全壊の世帯所得・使途に制限
    無敗三冠21年ぶり ディープインパクト菊花賞V(読売)
    マブチ事件「宅配」装い押し入る 長女脅し金品物色(読売)
    ポーランド大統領決まるカチンスキ氏56勝利愛国保守派のワルシャワ市長(読売)
    屋上に「絶叫マシン」騒音が心配渦巻く反対 ドンキ六本木店(朝日)
10・25 ATM盗撮逮捕の男サングラス男と面識? 防犯カメラ、一緒の映像(読売)
    ハンセン病補償訴訟判決割れる東京地裁台湾人には支給韓国人分には棄却(読売)
    総選挙「おもしろかった」52% 「参考に」テレビ51%新聞40%(朝日)
    桜庭2発KO勝ち PRIDE30復帰戦 ケン・シャムロックに1回2分27秒(朝日)
    人種差別バスボイコットのローザ・パークスさん91死去(朝日)
10・26 女性・女系天皇を容認有識者会議一致「皇位の世襲守る」来年典範改正へ(読売)
    イラク新憲法成立 国民投票賛成8割 自立と民主化前進(読売)
    119番「狐狸庵」と「コリア」聞き違い 10分遅れで狐狸庵全焼(読売)
    米産牛肉の輸入67%「再開反対」「食べたくない」も67%(朝日)
    クマに襲われ飼育係死亡 富士サファリーパーク外に出す作業中(朝日) 
    普天間移設米折衷案軸に最終調整 日本側に評価の声(朝日)
    10・27 米軍再編全容固まる 普天間移設日本案で合意 シュワブ沿岸に(朝日)
    大阪小6衰弱死 母と知人実刑(朝日)
    リンゴ一夜で1万4000個盗難 青森・弘前(読売)
    戦争責任「議論が不十分」58% 先の大戦の国民意識 本社世論調査(読売)
    ロッテ31年ぶりイチバンデ~ス 4連勝で夢実現(スポニチ)
今週、目立った記事は、マブチ事件2容疑者の逮捕だろう。この事件は今から約3年2ヶ月前2002年8月5日午後1時半から3時半までのあいだに起きた。マブチモーター会長宅で会長の妻と娘が自宅で殺され、放火されたのだ。凶悪で残忍な事件。当初、顔見知りの犯行説、怨恨説などがあってなかなか解決のメドが立たなかった。が、親族が懸賞金をだしたことから情報提供があった。犯人は、刑務所で知り合った62歳と52歳の二人。
 この事件でトルーマン・カポーティのノンフィクション『冷血』を思い出した。1959年アメリカ中西部の農村で起きた一家4人の惨殺事件。犯人は2人の若者だった。動機は何もなかった。この作品は1965年に発表された。
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2005年、読書と創作の旅 社会観察10・31ゼミ中休憩
読書の秋 秋の詩を観察してみる 秋を代表する詩の一つです。吟唱比較(だれの吟唱が秋を感じさせるか、胸にしみ入るか)してみてください。自分が吟遊詩人になったつもりで。
ヴェルレーヌ「秋の歌」「沈む日」(『土星の子の歌』)堀口大学訳
秋の歌
秋風の  ヴィオロンの  節ながきすすり泣き
もの憂きかなしみに わがこころ  傷くる
時の鐘  鳴りも出づれば  せつなくも胸せまり  
思いぞ出づる  来し方に  涙は湧く
落ち葉ならぬ  身をばやる  われも
かなたこなた  吹きまくれ  逆(さか)風よ
沈む日
たよりないうす明り  沈む日の  
メランコリヤを  野にそそぐ
メランコリヤの  歌ゆるく  
沈む日に  われを忘れる
わがこころ  うちゆする
砂浜に  沈む日もさながらの 
不可思議の夢
紅いの幽霊となり
絶えまなくうちつづく  うちつづく
大いなる沈む日に似て  
砂浜に
ポール・ヴェルレーヌ(1844-1896)フランス象徴派の詩人
新潮文庫『ヴェルレーヌ詩集』(昭和47年22刷)で訳者・堀口大学は、あとがきでこう述べている。この詩人と詩のことは昭和2年に発表したが
「/今後は本書を以って、自分のヴェルレェヌ詩の定本としたい。原作者の評伝としては、/詳しい評伝を望まれる篤志な読者は、拙書『ヴェルレェヌ研究』(第一書房刊)に就いてみられたい。十分満足していただけると思う。1948年新春 深雪の高田にて 堀口大学」
※「読書の秋」は、広く浅く世界の作品を紹介します。興味が持てた作品や作者は、自身でより深く研究してみてください。(「2005年、読書と創作の旅」は名所旧跡の案内のみです)
社会観察 後期ゼミは、提出原稿や発表のない場合テーマの「少年犯罪」を観察します。
「ゼミ通信37」でも掲載しましたが、近年、少年犯罪の凶悪化は増加の一途を辿っています。文部科学省も「事件、非常に重い」と深刻にとらえている。後期ゼミでは、少年犯罪やニート(何もしないということも表裏)の原因はどこにあるのか考えます。
 少年犯罪の要因はほとんど家庭にあるといっても過言ではありません。そこでテキストとしてジュール・ルナールの『にんじん』をとりあげます。この家庭の謎を考えてみます。
 (他に少年犯罪の象徴である。神戸事件の少年Aの家庭についても話し合う)
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社会観察「少年犯罪」 10・31ゼミ テキスト『にんじん』
 少年犯罪は、なぜ起きるか。おそらく、その要因の大半は家庭と少年の心内にあるのではないかと思う。しかし、それは、外部からはうかがい知れないことです。
 たとえば神戸の少年Aの家族。勤め人の父親、専業主婦の母親。二人の弟。一家5人は丘の上のマイホームに住み、何不自由ない暮らしをしていた。他人から見れば、幸せな家庭。両親の目から見ても(真実かはわからないが)『「少年A」この子を生んで』を読むと、まったくなんの問題のない子供たち、教育だったという。
 著書の中で母親はこう言っている。
「――逮捕前日も、Aの様子は私の目から見て普段と何ら変わりがありませんでした。
私が母親としてあまりに鈍かったのかもしれません。
 それとも、あの子は本当に二重人格の殺人鬼だったのでしょうか。私にはわかりません。でも、一瞬でもAに疑いを感じたことはありませんでした。
あれだけ側にいながら、事件を引き起こしているとは、想像もつきませんでした。」
 この思いはにわかに信じがたいが、額面どおり受け取れば母親の目にはAは、本当に良い子供に映っていたようだ。しかし、Aはどう思っていたのだろうか。小学生のときに書いた作文「お母さんなしで生きてきた犬」や「まかいの大ま王」は、母親が思っている子供とは、微妙なズレを感じる。そんな気がするのである。Aの家庭観察は後日行う。
小説『にんじん』の謎
 
家族とのズレ。それをはっきり描いたのが小説『にんじん』である。この作品の一家は、よその日とから見れば、幸福な家庭に違いない。この家は、たいていの家族が望むものすべてがある。家庭菜園のできる一戸建ての家。ニワトリも飼っている。犬もいる。父親は勤め人で経済的には安定している。母親はしつけにはきびしそうだが、特別変っているとも思えない。兄や姉も、普通の兄姉といえる。しかし、この家族には、たくさんの謎がある。はたしてその謎は真実か、妄想か。小話ごとに、その謎を考えてみます。
作者ジュール・ルナールの若干の紹介
1864年2月22日  フランスに生まれる
1885年 プールジュ市の歩兵連隊へ1年志願兵として入隊
1886年 歩兵伍長として除隊。石炭会社に就職。処女詩集「ばら」を自費出版
1888年 「村の犯罪」自費出版 結婚
1891年 短編集「わらじむし」出版
1894年 文筆生活にはいることを決意。小説『にんじん』『ブドウ畑のブドウ作り』出版
1900年 戯曲『にんじん』初演
1904年 シトリー村長となる
1909年 母、井戸に落ちて死ぬ。自殺の疑い
1910年5月22日未明、パリで死ぬ 46歳
『にんじん』と作者について昭和42年出版の角川文庫にはこう書かれている。
ルナールの紹介と日本における第一の功績者は故岸田国士氏である。『にんじん』の翻訳も、氏による名訳がある。だが、こんどの角川文庫版は詩人・窪田般彌氏による。
「めんどり」「しゃこ」「犬」「いやな夢」「失礼ながら」「尿瓶」「うさぎ」「つるはし」「猟銃」
「もぐら」などなど小話ごとに問題点をあげてみましょう。
文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.41 ――――― 10 ――――――――――――――――――
社会観察・戦争の傑作創作ルポ解析
③『生きている兵隊』を読む
 戦争こそが、人間の本性が一番にみえるときである。
前記 石川達三は、この作品を1938年(昭和13年)2月1日から書きはじめ、紀元節の未明に脱稿した。「あるがままの戦争の姿」を知らせたくて書いた。必読の戦場ルポ。
 1937年7月7日から日中戦争がはじまったことから大日本帝国は、9月25日言論統制のための内閣報道部設置。11月大本営が宮中に設置した。ゆえに、この作品は創作ルポの形をとり「部隊名、将兵の姓名などもすべて仮想のものと承知されたい」とした。
「人間は、何にでも慣れる。そしてどんなこともできる生き物」ドストエフスキー
前回まで、一日のうちで一番やすらぐたそがれ時。夕食のはじまる時分。処刑は終わった。自分の家に火をつけた中国の青年は、たいした詮議も受けぬまま、哀願むなしく昭和新刀の露と散った。静かな中国の農村風景。 (太字は原文・傍線は伏字・加筆と修正は[])
 火事が自然に消えてしまうと夜がきた。部[聯]隊本部の裏庭では4、5人の兵が焚火をかこんでいつものように薩摩芋を焼いていた。焚火の中で壊れた椅子が火を吹きながら曲がって行った。従軍僧の片山玄澄は濃い煙にむせびながら靴の先でころころと火の中の芋をころがし、皺枯れた声で呟いた。
 秋深いの異国の村の夜。兵たちは、焚火を囲んで焼き芋しながら暖をとる。故郷や家族の話をしたのだろうか。なんとのどかな光景か。はじめて従軍僧が登場する。戦場に死はつきものだ。どの部隊にもいたのだろうか
「どうやら君、戦線が変わるだろうぜ」
「変わるって、どっちだね」
笠原伍長は配給品のバットを汚れた太い指でつまみ出して火をつけた。
「一度天津の方へ戻るらしいなあ。部隊[師団]長閣下の口ぶりがなあ」
「部隊[師団]長閣下に会ったのかね」
「うむ、遺骨の話でなあ、部隊が暫くこの辺に居るんならばその間に遺骨のお供をして天津か大連かまで行って来るつもりだったが、部隊長殿[閣下]は行かんでもええと仰言る。どうせみんな天津の方へ動くだろうってなあ」
「天津か!」と笠原伍長は急に大きな声を出して膝を叩いた「ようし、天津へ行ったら一つ、思う存分遊んでくれるぞ。なあおい!」
 一人の兵が真面目な表情でそれに答えた。
「芸者をあげて、女郎を買って、酒くらって・・・・」
 あははは・・・と笠原はしまりのない笑い方をした。肩を叩かれてふり向くと中橋通訳が焚火にあたりに来たようであった。
「さっきの?(ニイ)、殺ったのかい」
「やったさ。あン野郎・・・」と彼はまだ放火されたのが口惜しそうであった。しかし実際は問われるまでは忘れていた。彼としては珍しくない事件であった。
「クリークの中に馬が死んでてなあ、今ごろはあの馬に抱っこして貰ってらあ」
 「天津の方に戻るらしい」当然、行き先は創作である。が、作者が一番気をつかって書いたところだろう。しかし兵隊たちの会話をよく拾っている。たった今、人の首をはねたばかりだというのに笠原伍長の会話に屈託がない。これが戦争だ。
――――――――――――――――――― 11 ――――― 文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.41
一人の兵がさッと立ち上がって敬礼したので、他の者も気がついて見ると西沢部隊長「聯隊長西沢大佐」が煙草を咥えてぶらりと焚火に近づいて来たのであった。部隊長[大佐]はみなの敬礼を受けてから焚火に手をかざし、何かよい匂いがして居るのうと言った。兵が椅子を押しやりながら、芋を焼いておりますと素直に答えた。
「一つご馳走せんかい」
 兵隊たちは喜んで笑った。西沢部[聯]隊長は彼等にとってこの上もなく崇拝している上官であった。肉付きもさして良くはなく丈が高いのでむしろ不健康そうに見えたが、豪胆な性格が皮膚から溢れ出ているかと思えるほど堂々としていた。服も手も土と垢に穢れて汚いことは兵と同じであった。彼は椅子に坐って無精で伸びた顎鬚を撫ではじめた。
 上官に対する兵たちの態度。相当に緊張したものを感じる。現在の日本では想像できない。むろん今の自衛隊内にも、こんな空気はないと思う。作者は、この箇所を書くのに、相当苦労したのではないかと思う。「むしろ不健康そうに見えたが」としながら「豪胆な性格が皮膚から溢れでている」などと、わからない表現をしている。軍服が、兵と同じ土と垢で汚れているというのも、作者は兵隊は皆平等と言いたかったのだろうが、妙な気がする。兵と上官との会話はどんなものか。
「部隊長殿、大分髯が立派になりました」と通訳が言った。
「うん、従軍僧の方が立派だ」
 兵隊たちはまた喜んで笑った。こうして一緒に焚火にあたって居てくれることが有難くてたまらない気がしていた。笠原伍長は火の中を覘ってちょうど焼けたころの芋を一つ木片でとり出すと、ポケットから紙片を出して熱いのを摘み上げた。しかしそれを隊長に差し出すのに逡巡した。
「君、それを差し上げて見んか」
従軍僧が皺枯れ声で言った。隊長は黙って手をのばした。笠原は中腰に立ち上がって恭しく差し出した。みんなは芋を食ってくれる隊長の様子をじっと眺めていた。
芋はどっから調達したものだろうか。火をつけた青年の家にあったものか。しかし、隊長を迎えて焚火を囲む兵たちの顔は、あくまで善良だ。
「部隊が動くような話だが、お前たちはどっちへ動くと思うか」
「天津の方へ行くらしいですなあ」と片山玄澄が答えた。
「うむ、どうして?」
「部隊長殿[師団長閣下]の御話の様子がどうもそうらしいですな」
西沢部隊長[大佐]は芋の皮を剥いて湯気の立つ一片を口の中に抛り込んだ。兵はみなごくりと唾を飲んだ。
「本当はどっちですか」中橋通訳が訊いた。
「わしにも解らん。兎に角戦線が変わることは確かだな」
「はあ・・・」
「携帯口糧は渡ったか?」
「は、貰っております」
つづきは、次号42号に掲載予定。
右写真は、日中戦争の発端の盧溝橋
『生きている兵隊』
中公文庫 571円+税
文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.41 ――――― 12 ――――――――――――――――――
2005年読書と創作の旅・試作創作ルポ
いまでは汐留は、高層ビルやショーウィンドが並ぶ瀟洒な街である。しかし、かつてここは貨物列車の発着駅だった。日本全国から荷物を積んだ貨車が入り、また出て行った。広い構内には、何両もの貨車がならび大小さまざまな鉄道荷物がホームのあちこちに山と積まれていた。いろんな若者が働いていた。挫折した奴、希望に燃える奴。さまざまな青春があった。ある年の冬、彼らの青春を創作ルポタージュしてみた。既に三十数年の年月は経っているが、人物名は仮称とした。なお、場所や地名はそのままである。
連載2
汐留、青春グラフィティ
前号まで 朝一番の貨車を送りだした作業員たちは休憩場所に向かう。
汐留駅の臨時作業員たちは、皆なんらかの事情で働きに来ていた。中高年の大半は次の職場を見つけるまでの深刻な理由だったが、若者はたいていが、一時の生活費を稼ぐためだった。春までにまとまった金をためて、夢に挑戦する。いつも3人で作業している団、高槻、磯村もそんな若者だった。
前にもちょっと紹介したが団は、本名かどうか知らないが団達也と名乗っていて、これも本当かどうかはわからないが日大芸術の演劇科にまだ籍はあるが、もう行っていないという。既に役者として小さな劇団をやっているとのこと。ウソかホントかわからないが・・・・というのも臨職の話はホラが多いのである。青森県出身なので、映画「津軽じょんがら節」の撮影で方言指導したと自慢していた。ここにくる前は、「なんとか海岸電気クラゲ」という日活ポルノにちょい役で出演していたとも言っていた。あんなところにでるより
「ここで金を稼いだ方が勉強になる」
は本人の弁である。
彼は、いつもボサボサの髪に赤タオルで鉢巻していた。小太りで、愛嬌があった。高槻は小柄で貧弱な体つきをしていたが、いつもシャドウボクシングしているので、ボクサーとわかった。プロを目指しているそうだ。曼陀羅模様の布切れをヘアーバンドにしたヒゲの磯村は、四六時中、両手を動かして荷物を叩いていた。彼は、バンドマンらしい。
三人は、春までに金をためるという目的が同じで、気があったのかいつも一緒にいた。いまもじゃれあいながら休憩場所に向かっていた。
「元気いいね、あの三人」
松宮は羨ましそうに言った。
「はあ・・・」
吉本は、頷いた。一番年少と思われる彼にとっても、三人組の陽気さは羨望のようだ。
  

休憩場所は、引き込み線ホームの最先端にあった。休憩場所といっても粗末なベンチが二つと石油缶を半分にした吸殻入れが一つ置いてあるだけの吹きっさらしだった。が、天気がよければ日なたぼっこに最適の場所だった。風が強い日や寒い日は、タバコを吸う人だけが集るだけで、吸わない人は空貨車の中か、荷物の間で休んだ。今朝は、晴天で風もない。積み荷班も積み下ろし班もみんなぞろぞろ集ってきた。南条班長と、職員、それに古参の季節の臨職たちがベンチを陣取ると、その回りに若い職員や、中年の一般臨職連が腰をおろした。みんな一斉にタバコを吸うので、ものすごい煙りがたちこめた。
――――――――――――――――――― 13 ――――― 文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.41
「おれ、下に行きます」
若い吉本は、煙そうに言って線路に飛び降りた。
広い操車場のうえには、抜けるような青空がひろがっていた。遠くの塀の隙間から新幹線の白い車体が音も走っていくのが見えたが、とてもここが都会のど真ん中とは思えなかった。ラッシュアワーの時間なのに、静寂そのものだった。
「ぼくはここにするよ」
ホームの上から松宮が言った。
彼は、日当たりのよい柱にもたれて座って、さっそく競馬新聞をひろげていた。隣りにマンガ家卵の内田が段ボール箱を並べて寝転んでいた。若いが競馬仲間で松宮と話が合うらしい。
吉本は、ホームの下から板切れを探しだしてレールに渡した。腰をおろした。足元の霜を覆った砕石が朝日を浴びてキラキラ光っていた。
 忙中閑あり。ホームでは皆、思い思いに休んでいた。団と磯村は、喫煙組の仲間入りしてタバコをふかしていた。が、高槻は、一人離れたところであきもせず、シャドウボクシングをつづけていた。上体をくねらせながらのフットワークが軽快だ。それを大男の小林が大あくびしてながめていた。彼は、いつも浅黒い顔をニタニタさせて薄気味悪かった。平岡は、空台車の上でぼんやりしていた。彼も、たいてい一人でいた。口数が少なく、誰かと会話しているのを見たことがなかった。それで、本当かどうかはわからなかったが、彼は現役のプロ野球選手だという噂があった。プロ野球通の高槻は真顔でみんなに
「大洋のリリーフ投手だよ。ちょっと前まではワンちゃんキラーで有名だった。ほんとだよ」
 と、説明していた。が、そのたびに団と磯村は口をそろえて
「だったら一軍の選手だぜ、そんなのがくるかよ。こんなとこに」
と、てんで相手にしなかった。
皆も信じられなかった。どう見たって平岡は失業中のおとなしい青年にしか見えなかった。で、高槻は賭けを持ち出し平岡に聞いた。
「秋山監督になるってほんとですか・・・」
「ああ、そうみたいだ」
「違うんですか、かわると」
「関係ないね。やるだけさ」
平岡は、興味なさそうに言った。
 高槻は、振り向いて拳をつきあげた。
「うそだろ、なんでだよ」
談と磯村は舌打ちして百円を渡した。
 自称フリーのカメラマンで株の相場師というという早川は、布団袋をベットがわりに寝転んで、週刊誌を読んでいた。真意はわからないが彼はここには痩せるために働きにきていると自慢していた。そのことを証明するような小太りの体で、上下揃いのジーンズがはちきれそうだった。彼は、いつも冗談をとばす陽気な性格だった。血色のよいてかてかした顔と、糸くずのようにちじれさせている長髪は、自称三十三という年齢より若く見えた。荷物の多い日は、彼は荷物の山を前に
「これで、痩せられるぞ」
と大張りきりするのだが、なぜかそんな日に限って、トイレにちょくちょく行った。
 ど近眼の畑野は、鉄柱に背をもたせて居眠りしていた。本人は自分のことを受験生だといっていたが、だれも信用していなかった。青白くむくんだ顔はどう見ても二十歳過ぎだったし、それに第一この季節、ここにいるのも変だった。
「だれも本気になんかしちゃあいないさ。グズラが大学を受けるなんて」
高槻は、笑って皆に話していた。
三人組は、畑野にグズラとあだ名をつけて呼んでいた。畑野は、一応受験生というだけあ
文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.41 ――――― 14 ――――――――――――――――――
って、ホームの柱に英和辞典を置いていて、休憩時間には、ひろげてながめていた。今朝はよほど疲れたのか、手にしていなかった。ボサボサ髪の頭がガクンとなるたびに度の強い眼鏡の光がキラリと流れた。
 突如、爆笑が起こった。見ると、南条班長が大口を開けて笑っていた。季節の臨職のおっちゃんたちもニヤついている。猥談をしているのは想像ついた。朝、栃木や茨城から出勤してくる季節のおっちゃんたちが、よく電車の中の痴漢話しをしているからだ。
 いつも憔悴しきった顔の倉持社長も、皆より一テンポ遅れでニヤついていた。倉持社長は、下町で工場を経営しているとかいう人で、それで社長と呼ばれていた。ベンチ周辺にいる人間で一人だけ笑っていない者がいた。パチキチの須藤だった。彼は、話の輪には入らず、一人きょろきょろしていた。たぶん誰かにタバコをもらおうとしているのだろう。彼は、だれかれとなく借金を申し込むことで有名だった。はじめ三百円、貸してほしいと頼む。断わられると二百円、百円と落として、最後には、十円でもいいからというのだ。松宮は、二百円貸したが、なかなか返さないとボヤいていた。
 貨物駅では、主に三つの会社の人たちが働いていた。国鉄職員、荷物会社職員、郵政省職員である。一般臨職と季節の臨職のおっちゃんたちは荷物会社に雇われていた。ここで一番横柄なのは国鉄職員だった。彼らの制服は、いつもクリーニングがきいていたし、靴もぴかぴかしていた。そこにいくと荷物会社の職員の制服は色あせ、擦り切れているのもあった。
 休憩中の汐留駅構内は、静かで平和そのものだった。とてもここが都会のど真ん中とは思えなかった。遠くに取り囲むビルの窓窓が光をキラキラ反射するようになった。そろそろ社員たちが出勤してきたのだろう。朝の仕事がはじまったようだ。  つづく
トピックス
池袋演劇祭で優秀賞を受賞・[空―SORA―]
 池袋演劇祭は9月1日~9月30日まで東京芸術劇場で開催されました。そのなかで本通信で紹介した劇団ZAPPA公演の「空―SORA―」が芸術祭授賞式で優秀賞を受賞しました。
(編集室家族と劇団関係者・上 「空―SORA―」出演者一同・下)
文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.41 ――――― 16 ―――――――――――――――――――
掲示板
 
下原ゼミ後期提出原稿について(提出数は何本でも可、郵送、メール可)
後期のゼミ提出原稿のテーマは下記の通りです。
□「社会観察」(興味を持った出来事・靖国問題について)
□テキスト『子を盗む話』『にんじん』の感想
□創作・コラム「ニートの原因について」など
□普通の一日を記憶する
□人生相談「私ならこうアドバイスする」
お詫び
・『兒を盗む話』を読む③は紙面の都合でお休みします。次号に掲載。
読書会・例会(ドストエフスキー関係)
   
・ドストエーフスキイ全作品を読む会・第212回読書会
12月17日 土曜日 午後2:00~4:45
東京芸術劇場小会議室1 作品:『地下生活者の手記』2回目
親睦会5:30~  
 以上詳細は下原まで
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編集室便り
☆原稿用紙は、文芸専用原稿用紙を配布します。題名をしっかり書いてください。
☆提出原稿は直接か下記の郵便住所かメール先に送ってください。
「下原ゼミ通信」編集室の住所〒274-0825 船橋市前原西6-1-12-816 下原方
  メール:toshihiko@shimohara.net TEL・FAX:047-475-1582 
☆本通信はHP「土壌館創作道場」に掲載されています。
☆後期も頑張って発行していきますので、よろしくお願いします。皆さんの原稿、お待ちし
ています。

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