文芸研究Ⅱ 下原ゼミ通信No.252

公開日: 

 

 

日本大学藝術学部文芸学科     2014年(平成26年)11月10日発行

 

文芸研究下原ゼミ通信No.252

BUNGEIKENKYU Ⅱ SHIMOHARAZEMI TSUSHIN

編集発行人 下原敏彦

9/22 9/29 10/6 10/20 10/27 11/10 11/17 12/1 12/8 12/15 1/30 1/21

2014年、読書と観察の旅への誘い

 

「読むこと」「書くこと」の習慣化を目指して

 

熊谷元一研究のススメ

 

11・10下原ゼミ

 

 

1.本日のゼミ  → ゼミ誌について 「熊谷元一研究 創刊号」

映画「望郷の鐘」  山田火砂子監督、関東阿智村人会で熱く語る

 

11月1日(土)東京千代田区の赤坂山王センター(7F)にある永楽倶楽部で、先に完成した映画「望郷の鐘」について山田火砂子(82)監督が撮影動機や撮影地阿智村の感想などを熱く語った。こんな悲劇を起こす戦争は、二度とやってはいけない。

そんな思いを強く呼びかけた。

 

ただ怒り、怒りとなぜの疑問からつくりました !

 

いまなぜ、この映画を作ろうと思ったのか。「ただただ怒りです。怒りからです」激しく降り始めた秋雨のなか老体を押して会場に駆けつけた山田監督は、69年前に起きた理不尽な悲劇を、いまも憤っていた。その怒りが「望郷の鐘」をつくった動機です!

監督は、この悲劇を和田登さんの本で知った。はじめ「昭和20年5月1日に満州へ ?!そんなバカな話があるか」きっと校正ミスだと思った。あの戦争を知っているものなら誰もが思うことなのかも知れない。あと3カ月半待てば戦争は終わるのだ。それなのに、なんでわざわざ平和な山村を出て海を渡り戦火をくぐって遠い満州まで行くのか。完全に間違いだ。そう確信して「人をやって書店に教えてあげようと思った」という。

しかし、ミスではなかった。本当にあった出来事だった。だが監督は、納得できなかった。誰も疑問に思わなかったのか。国はなぜ嘘をついて女子供まで満州に送りだしたのか。疑問は、後から後から湧きあがってくる。後で、東京大空襲の後の8月4日、家が焼け出された人たちを集め満州に送ったという話を聞いて愕然とした。その人たちの情報がないのは、全員が日本海の木クズとなったからだろうと推測した。

なんという時代だったのか。なんという国家だったのか。反対する人は「小林多喜二のよ

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うに殺された」「日本人は、もっと自分たちが犯した間違いに目を向けるべきだ」それなのに「小学校で、満州を知っているかときいたら、知っている子は、1人もいなかった、そのことにショックを受けた」監督は、戦後、繁栄の中で安穏と過ごしてきた日本人にこの理不尽な悲劇を知ってもらいたい。教えなければと思い、この映画をつくることにした。

 

子どもたちにみてもらいたいから、過激なシーンはカットした

 

映画は、歴史の史実を踏まえ原作に忠実につくった。できる限り真実を表現したかった。と話した監督だったが、残念そうに「編集するに当たり、ロシア兵によるレイプシーンはカットしました」と言った。開拓民の満州逃避行の悲劇をさらに悲惨なものにしたのは、ロシア兵の略奪と婦女子襲撃だった。ロシア兵は、避難所に押し入って「オンナ、オンナ」と女性を探して連れて行ったという。山田監督は女性の立場から、この事実にもしっかり目を向けたかったに違いない。しかし、彼女は自分を納得させるように言った。「大勢の人たちにみてもらうには、とくに多くの子どもたちに観てもらうためには、過激なシーンは必要ないかと思い」泣く泣くカットした。

 

戦争を憎み、国策を疑って欲しい

 

国策の嘘によって起きた悲劇。この責任は誰にあるのか。読売新聞大阪社会部がまとめた本『満蒙開拓団』(1984)に、こんなくだりがある。

「そりゃあ、ソ連兵も、邦人にひどいことをやりましたが…ひどかったのはソ連兵ばかりではないんです。…満州国だ、五族協和だっていったって、悪いことをする日本人はいた」例えば吉林市には「35万いた。そのうち、日本人が3万5千、朝鮮族が1万ちょっと、ロシア人は、…百人足らず」じつに「30万余の中国人をほんのひと握りの日本人がおさえていたんですよ」つまり日本国が最大の責任者。本書は、そう伝えている。

山田監督は、怒りから、この映画をつくった。が、そこには、満蒙開拓団の悲劇を通じて今の日本を糾弾しようとする。そんな思いが感じられた。原発再稼働、集団的自衛権。2度と、悲劇をおこさない為に戦争を憎み、国策を疑って欲しい。

山田監督と交わした短い会話のなかで、「いまだって、国に騙されているんですよ」その言葉が重く耳に残った。

 

※会場で、山田監督の思いは伝わっただろうか。残念だったのは、見たところ参加者の多くが私を含め60歳以上だった。若い人を念頭にした山田監督には、気の毒だった。

撮影風景の映像も見せたが、パソコンからの画像だったので山田監督には不満だったようだ。「わかっていれば映写機を持ってきたのに」と、悔いた。

 

阿智村観察  村からは、新旧村長、8名村議、関係者多数も

 

関東阿智村人会は、11月1日(土)正午からは、千代田区永田町にある赤坂山王センタービル内「永楽倶楽部」において第14回阿智村人会を開催した。

会場には、関東地区在住の会員50余名と、中央道高速バスで4時間30分の村からは、今春、新村長に就任した熊谷秀樹氏、前村長の岡庭一雄氏、8名の村議はじめ20余名の村関係者が出席し、三村合併で新しく出発した新阿智村を報告した。

 

熊谷元一晩年の童画販売

 

会場では、村の名物「栗饅十」、塩イカなどの販売があった。熊谷元一写真童画館では、先生が晩年に描いた童画を何点かを販売した。

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熊谷元一の故郷 阿智村の歴史を知る

 

満蒙開拓団2回目

 

なぜ終戦の3カ月前、5月1日に出発、死出の旅路に

 

阿知開拓団の人たちが村を出発したのは、1945年(昭和20年)新緑の風が爽やかな5月1日でした。(政府は、満州が不穏な情報を知っているにもかかわらず、日本の敗戦濃厚がわかっていながら要請)一団のなかには60名の子どもたちと、長岳寺の山本慈昭住職もいました。(三村の村長から頼み倒されての団長でした。奥さんは反対したそうです)沖縄の戦いは熾烈を極める中、海をわたるのは危険で、無謀な満州行でした。満州での生活がはじまったばかりの8月満州を包囲していたソ連が参戦し、開拓団の人たちにそこから逃

げるように指令がでました。小学生で開拓団に参加していた参加していた野中章さんはそのときのことをこう記録しています。

「8月8日の夜、すぐこの土地から逃げ出すように、軍部から指令がありました。お年寄りや歩けない子は馬車やトラックに乗り、私たちは慈昭先生を先頭に歩いて広い荒野を南下しました。昼間は草のなかにかくれていて、何日も夜星をたよりに在る気ました。畑のじゃがいもをみつけ、服で土をおとして生のままばりばり食べました。とつぜんどこからか銃をうってくる。草の中に伏せるのですが、小さな子はこわくて泣き出してしまう・・・8月末には夜になると、体に霜がおりてがりがりになって、小さなこどもは息たえていきました・・・」

(「日中友好に一生を捧げた山本慈昭」)

 

飯田下伊那地方(会地村含む)の満蒙開拓移民

満蒙開拓移民者数 ・・・・・・・・・・・・・・・・・8389人 (会地・平谷1201人)

無事で帰還できた人・・・・・・・・・・・・・・・・・4205人

帰れなかった人(死亡または取り残された人)・・・・・・4184人(会地・平谷605人)

(新資料『わたしたちの阿智村』から)

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満蒙開拓団関係著書・ドキュメンタリー番組

 

『再会 ―中国残留孤児の歳月ー』原安治・山本慈昭著1981・9・1 日本放送出版協会

『満蒙開拓団』読売新聞大阪社会部1984年7月28日 読売新聞大阪社会部

・「ある山村の昭和史」1973年(昭和48年)11月NHKドキュメンタリー

内容5月3日中国残留孤児帰国1号帰1名帰国を放映。

・「再会」1980年(昭和55年)7月山本慈昭とNHK一行、旧満州へ残留孤児探し。

NHKドキュメンタリー

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映画「望郷の鐘」(満州開拓団の悲劇)

完成披露試写会(2015年1月下旬全国公開)

 

2014年11月14日(金)、21日(金)開場18:30 上映 19:00

 

なかのZERO 大ホール

前売り券 1000円 「下原ゼミ通信Ⅲ」まで  当日券  1800円 映画館で

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戦前、なぜ満州に日本人を

 

平和な山村から、終戦目前になぜ遠い中国に行かなければならなかったのか。満州とは何か。まずは、歴史を知ることにある。

 

戦前の日満関係と満蒙開拓団、満州と熊谷元一

 

・1905年(明治38年)ポーツマス(日露講和)条約 → 南満州権益を獲得

・1906年(明治29年)関東都督府の設置・南満州鉄道株式会社(満鉄)の設立。

・1909年(明治32年)熊谷元一 阿智村駒場に生まれる

・1931年(昭和6年)柳条湖事件 → 満州事変の開始。

・1932年(昭和7年)満州国建国宣言(執政は溥儀)→ 日本は日満議定書で承認。

第一次満蒙開拓移民が出発。

・1936年(昭和11年)満州農業移民20カ年100万戸移住計画決定。

・1937年(昭和12年)7月7日盧溝橋事件 → 日中戦争

・1938年(昭和13年)満蒙開拓青少年義勇軍の募集開始。

・1939年(昭和14年)熊谷元一は『會地村』(朝日新聞)により6月拓務省(大東亜省)嘱託となる。満蒙開拓青少年義勇軍関係の仕事。8月、満州に出張 

           1カ月開拓団を撮影。帰路、朝鮮の農村も撮影。

・1941年(昭和16年)熊谷元一、10月、満州へ仕事。開拓団撮影。

・1941年(昭和16年)米英に宣戦布告、12月8日真珠湾攻撃。 → 太平洋戦争へ。

・1945年(昭和20年)開拓団成人男子根こそぎ軍隊に動員。

4月13日東京空襲、熊谷元一自宅焼失、朝鮮・満州ネガ消失。

5月1日、会地村(現阿智村)から開拓団215名満州に出発。

戦後無事に帰還できたのは13名。(子どもは60人中6名)

6月 大東亜省を退職、故郷會地村に帰り教員になる。

8月9日、ソ連軍が満州国に侵入。

8月14日、日本ポツダム宣言の受諾を決定。

8月15日、日本無条件降伏。

8月16日、溥儀、退位と満州国の解体を宣言。

・1946年(昭和21年)旧満州からの集団引き揚げ開始。満州開拓団20万人が死亡。

・1949年(昭和24年)中華人民共和国成立。

・1958年(昭和33年)集団引き揚げ終了。

・1972年(昭和47年)日中国交正常化。民間団体による中国残留孤児肉親調査始まる。

・1973年(昭和48年)5月3日中国残留孤児帰国1号帰1名が帰国。

11月NHKドキュメンタリー「ある山村の昭和史」で放映。

・1980年(昭和55年)7月山本慈昭とNHK一行、旧満州へ残留孤児探し。

NHKドキュメンタリー「再会」

・1981年(昭和56年)厚生省による第一回中国残留孤児訪日調査実施。

・1985年(昭和60年)見元未判明孤児の永住帰国受け入れ制度創設。

・1994年(平成6年)中国残留邦人帰国促進・自立支援法公布。

・2007年(平成19年)改正中国残留邦人支援法成立。

・2010年(平成22年)熊谷元一逝去 101歳

・2013年(平成25年)「満蒙開拓平和記念開館」開館。

 

満州と熊谷元一の関係は、熊谷が30歳のとき、偶然に訪れる。朝日新聞社刊『會地村』が認められ拓務省の写真班嘱託となり、満州開拓団を撮ることになったのである。熊谷は1939年と1941年、2度に渡って満州に行っている。

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熊谷元一研究   昭和のこども展  八王子夢美術館

 

2014年9月12日 ~11月9日 八王子夢美術館

 

熊谷元一、木村伊兵衛、土門拳、他15名の写真家が捉えた昭和のこどもたち

昭和の64年という年月は、日中戦争から第二次世界大戦、敗戦からの復興、経済成長とまさに疾風怒濤の時代でした。子どもたちを取り巻く環境も、これほど短期間で激変したことはなかったでしょう。優れた写真家が切り取った子どもたちの姿には、時代の変容が見事に表れています。

熊谷元一作品は、11点が展示

 

熊谷の作品は、担任だった昭和28年会地小学校入学の『一年生』の写真が展示され、来館の人たちの注目を浴びていた。「コッペパンを食べる少年」など11点。

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熊谷元一写真賞コンクールについて 9月30日最終審査会にて決まる

 

18回応募作品のテーマ「親子」

 

次回作品のテーマは、議場において「まつり」などいくつかの候補があがったが、より広い範囲でとの提言から「家族」に決まった。詳細は「熊谷元一写真童画館」HP

応募締め切り 2015年9月20日

 

熊谷元一写真保存会第18回総会〈第17回写真賞表彰式・記念講演〉

 

月 日 : 11月8日(土)午後1時~

会 場 : 熊谷元一写真童画館(観光センター)2階ホール

 

【記念講演会】講 師 須藤 功 氏(民俗学写真家)『昭和の暮らし6子どもたち』

 

演 題 「シャッターチャンス」

 

熊谷元一写真賞コンクールについて 9月30日最終審査会にて決まる

 

18回応募作品のテーマ「親子」

 

次回作品のテーマは、議場において「まつり」などいくつかの候補があがったが、より広い範囲でとの提言から「家族」に決まった。詳細は「熊谷元一写真童画館」HP

応募締め切り 2015年8月末日

 

熊谷元一写真保存会第18回総会〈第17回写真賞表彰式・記念講演〉

 

月 日 : 11月8日(土)午後1時~

会 場 : 熊谷元一写真童画館(観光センター)2階ホール

【記念講演会】講 師 須藤 功 氏(民俗学写真家)『昭和の暮らし6子どもたち』

 

演 題 「シャッターチャンス」

 

下原と熊谷元一

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土壌館情報   平成26年度船橋市秋季市民柔道大会結果

 

321名の選手が出場

11月3日(月・祝)船橋市柔道連盟は、市武道センターで船橋市秋季市民柔道大会を開催した。60万都市船橋は、柔道が盛んなだけに会場は立錐の余地がなかった。

試合には、小中高から一般まで321名の選手が出場して日頃の稽古の技を競い合った。土壌館下原道場からは小学生6名が参加して頑張りました。参加の選手の皆さん、監督の片桐さん、審判の辻村先生はじめ応援の保護者の皆様、ご苦労様でした。

土壌館関係の選手の試合結果は、次の通りです。

 

片桐千里選手(小学一年生の部)初出場で敢闘賞

       武藤千世華選手(小5年生の部)2回戦進出

         

小学生の部 6選手(土壌館)

 

1年生   片桐千里選手  ベスト8  敢闘賞 おめでとう!

 

片桐選手 ○ ―― × 中田選手  積極的に攻めました

 

4年生   門根涼子選手   1回戦 頑張りました

 

門根選手 × ―― ◎ 上野選手  寝わざを練習しましょう

 

4年生   小柏真心選手   1回戦  実力発揮できず

 

小柏選手 × ―― ◎ 井澤選手  強化選手を目標に

 

5年生   武藤千世華選手  2回戦  頑張りました

 

武藤選手 ◎ ―― × 中田選手  横四方固めよかったです

 

5年生   長瀬彩華選手   1回戦  実力発揮できず

 

長瀬選手 × ―― ◎ 木村選手  背負い対策を課題に

 

6年生   武藤龍也選手   1回戦  善戦でしたが

 

武藤選手 × ―― ◎ 平野選手  積極性が裏目に

 

対戦者が、いずれも強豪道場でした。決勝戦に残った選手が多かっです。そんな不運もありしたが、どの選手も柔道実力は、確実に上がってきている。そのように思えました。一生懸命、稽古すれば差は必ず縮まります。目標として励んでください。

野田元総理大臣、畳のすばらしさを語る

地元出身で柔道経験者の野田元首相は、総理大臣だった時以外は、殆ど出席している。祝辞は、簡潔な小話で好評だ。今回は、畳のすばらしさを語った。畳には、アルファルファ―があって人を幸せな気持ちにしてくれる。高校の柔道部のとき昼休み柔道場で横になるのが至福な時だった。畳は、心を癒してくれた。そんな畳の上で競技できる柔道を誇りに思う。しかし近頃は、畳の部屋が減ってきていて残念。畳のよさをもっと知ってほしい。そんな話だった。近年、競技者人口が激減している柔道や現在の政界を案じての話に思えた。

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下原ゼミⅡ日誌

 

ゼミ生=村田、西尾、岩澤、関、渡辺

 

□ 9月22日 参加、村田君 『地下室の手記』「ぼた雪」について

□ 9月29日 参加、村田君 『にんじん』家族観察、ゼミ誌について

□10月 6日 台風18号直撃で休講。振り替えは12月22日(月)

□10月20日 『黒板絵は残った』編纂

□10月27日 村田君から電話連絡(風邪) 西尾さんは不通、

□11月10日 予定・DVD観賞熊谷元一研究 テキスト読み

□11月17日 予定・寸劇「ぼた雪」か「范の犯罪」稽古。

□12月 1日 予定・寸劇「ぼた雪」か「班の犯罪」稽古

□12月 8日 予定・寸劇「ぼた雪」か「班の犯罪」稽古

□12月15日 予定・寸劇「ぼた雪」か「班の犯罪」稽古

□12月22日(10月6日の振り替え)三ゼミ合同発表会

「ぼた雪」(『地下生活者の酒気』の脚本化) 『范の犯罪』「曲芸師美人妻殺人事件」

 

ゼミ誌について   『熊谷元一研究』「熊谷元一とは何か」

  1. 年譜、作品・出版物、マスメディアの評価などの紹介
  2. ゼミ生参加者原稿(10月27日現在)

感想「岩波写真文庫『一年生』を読む」 大野純弥

社会観察「デモと若者」 詩篇「夢」  西尾智音

写真「コッペパンを食べる少年の奇跡」 下原敏彦

 

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掲示板

 

ドストエーフスキイ全作品を読む会・読書会

 

月 日  2014年12月13日(土)

時 間  午後2時 ~ 5時

会 場  池袋・東京芸術劇場小会議室7

作 品  『罪と罰』

 

ドストエーフスキイに興未ある人、歓迎です。作品を読んでいても、まだ読んでなくても可。一緒に全作品を読んでいくのが目的です。現在5サイクル目

 

・・・・・・・・・・・・・・「下原ゼミ通信」編集室・・・・・・・・・・・・

 

投稿、受け付けます。創作、エッセイ、評論など可。枚数が多いときは、連載になる場合があります。下記のメールアドレスにお願いします。

 

土壌館編集室 TEL:047-475-1582 09027646052メール: toshihiko@shimohara.net

 

※一部「下原ゼミⅢ通信」と重複します。

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