文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.64

公開日: 

日本大学芸術学部文芸学科     2006年(平成18年)10月 2日発行
文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.64
BUNGEIKENKYU Ⅱ SHIMOHARAZEMI TSUSHIN
                              編集発行人 下原敏彦
                              
2006後期9/25 10/2 10/16 10/23 10/30 11/6 11/13 11/20 11/27 
     12/4 12/11 12/18 1/15 1/22 
  
2006年、読書と創作の旅
10・2下原ゼミ
10月 2日(月)の下原ゼミは、下記の要領で行います。文ゼミ1

 
  1.  ゼミ誌原稿提出(ゼミ誌編集委員へ)&車中観察・一日提出
  2. テキスト読み『灰色の月』
  3.  回想法・復刻版『少年王者』山川惣治作・画を紙芝居で
     第一集おいたち編
2006年、読書と創作の旅・後期一日目
 夏休み明けの後期1日目は、毎年のことだが、なんとなく落ち着かない。ゼミ学生の出席率が見当つかないからだ。張りきって全員出てくる年もあれば、休み癖が抜けずに、中盤からようやく顔をみせる人もいた。ゼミ誌原稿ができていないので、初日だけそんな理由で何人か欠席した年もあった。今年は、どうだろう・・・。まったく予想つかなかった。
 この日の朝は、郷里信州の実家で目覚めた。週末に還暦のクラス会があり、帰省したのだ。昨日の日曜日は、小6のときにキャンプした高原に思い出ハイキングした。86歳になる恩師も登ったのには驚いた。私は、子供のころ毎年、夏になると牛を放牧に連れていった山なので、違う意味で懐かしかった。そんなことで昨日、帰京することができず、今朝となった。郷里(先日、多重追突事故が起きた村)から高速バスで新宿まで4時間。9時発に乗車した。乗客は七部入り。隣席は新宿まで空いていた。新宿、池袋で、携帯店を探したり、本屋をのぞいたりしていて学校に着いたのは3時。気になっていた宅急便が届いていたのでほっとする。夏休みの間、せっせとコピーし拡大し、家人に色塗りを手伝わせてつくった紙芝居が入っている。家と道場で、まだ2回しか上演していない。面白さには自信はあるが、心配なのは舞台セットの組み立てである。百円ショップで材料を探しながら頭の中でつくったので、見本も設計図もない。道場では、小学五年生に助けられてようやく完成した。
 さて、今年は、三々五々ながら全員が顔をみせた。このところ小事だが良くないことばかりつづいていたのでほっとした。が、最後になって不安が的中した。時間がないのでさわりだけと思って紙芝居をやろうとした。ところが、またまた舞台セットの組み立て手順が頭からスッポリ抜け落ちてしまっていたのだ。しかし、そこは昨今の若者たち。完成図を描くとすぐにわかったらしい。「ぼくたちなんの授業をしているんでしょうねえ」とボヤきながらも完成させた。そのとき終業のチャイムが。一場面だけ、佐藤翔星君にお手本をみせてもらいました。次回から乞うご期待を願った。   (編集室)
文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.64 ―――――――― 2 ――――――――――――――
 


車窓雑記
 
悔やまれる不注意
 
 前回につづきヒキガエルの話です。「私の夏休み」でも、話したが、ちょっとした不注意から、ヒキガエルを死なせてしまった。道場に置いておいては可哀そうと、我が家のベランダで飼うことにした。それがあだとなってしまった。前回に書いたが、ヒキガエルは土と水が入った広い花壇の中で満足そうだった。夏も終わったし、あとはいつ冬眠に入るだけ。そんなほっとする思いでいたのに・・・である。あんなにかわいがっていたのに、悔やまれてならない。カエルは、なぜ死んだのか。カミュの『異邦人』ではないが、あの日、太陽が暑すぎた。それが原因だ・・・が、やはりすべての原因はは私の不注意にある。
 そもそも、あのとき左の道を行ったのがいけなかった。先々週のことである。例によって夕方、少し前、エサのコオロギ捕りに出かけた。廃屋となった団地の草むらには、左右どちらの道からでも行けた。普段なら、近道の右回りを行くのだが、なぜかあのときは左回りしてしまった。ゴミ捨て場を通ったとき、大きな一枚ガラスが捨てあるのが目に入った。ガラスは縁もついている立派なものだ。あれなら、ちょうどよいかも・・・・ちらっとそんな考えが頭を過ぎった。カエルの棲み家を花壇につくったが、蓋に苦労した。エサの昆虫が逃げ出さないように目の細かい網が必要だったからだ。なんとか作ったが、網目が細かすぎて中がよく見えなかった。で、ガラスならよく見えるだろう。そう思った。が、そのときは、ただそう思っただけで拾って帰ろうとは思わなかった。なぜか、この日はコオロギをなかなか捕獲できず、二匹と小さなバッタを捕まえた。ガラスなら小さなバッタも逃げ出せない。そう思ったがガラスのことは、それっきり忘れてしまった。夕方、原宿に出かけた。千駄ヶ谷区民会館で9時まで合評会があり、二次会を終えて帰宅したのが午前零時半。家に着いたとたんになぜか突然、ガラスのことを思い出した。もう誰かが持ち去ったのではないか。そんなふうに思った。が、行ってみるとあった。かなり厚いガラスで重かったが、持ち帰った。翌日、蓋にした。中がよく観察できた。エサの虫たちの様子もわかる。冬は暖かいに違いない。これで冬眠の準備も万端と喜んだ。
 毎朝、覗くのが楽しみになった。カエルは、たいてい植木の器に入れた水にじっとつかっていた。気持よさそうだった。あの日も、いつもと変わりなかった。ただ、太平洋海岸に接近していた大型台風が通り過ぎたということで、このところ曇り空で涼しかったのに、この日に限ってスカッと晴れ渡り、空は秋晴れというより夏が戻ったようなギラギラした太陽だった。今から思えば悔やまれて仕方がないが、朝はまだ涼しかった。歯科医に一番に予約してあったので、そのまま出かけた。2、30分で戻れると思った。ところが、型をとったりで一時間ほど過ぎてしまった。外に出る日差しが射るようだ。不吉な予感がした。急いで8階にあがってみると、猛烈な暑さだ。驚いてベランダにでてるとガラスに直射日光が当たっていて湯気で曇っていた。中は物凄い高温だった。ヒキガエルは、ほとんど日干し状態になって死んでいた。草も入れてあったが、役に立たなかった。網戸に替えていけばよかった。自分の、不注意が悔やまれた。世話をするのは面倒だったが、半年も飼ってきたものが急にいなくなると寂しいものだ。昆虫を捕獲する必要もなくなって手持ち無沙汰になった。主のいなくなった花壇を見るのが辛かった。花を植えて供養しようようと思った。
 夜、外から虫の鳴く声がきこえた。下から聞こえてくるには近すぎる。8階まで虫が飛んできたのか。ベランダに出てみると、鳴き声は、ヒキガエルの棲家だった花壇の器の中からだった。エサとして入れていたコオロギが鳴いていたのだ。何匹か生き延びていたらしい。ヒキガエルがいたときは、土の中に隠れていて、コソとも音がしなかった。カエルがいなくなって安心して出てきたようだ。囚われ虫の彼らに平和が戻ったのか。
 とおくに幕張メッセの灯を見ながら、コオロギの鳴く声を聞いていると、複雑な気持になった。さまざまな思いが過ぎる秋の夜である。    (編集室)
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10・2ゼミ
10月2日のゼミは次の要領で行います
1. ゼミ雑誌原稿提出(ゼミ誌編集委員へ)
2 テキスト読み「灰色の月」
3. 回想法・山川惣治作・画『少年王者』(紙芝居) 時間まで
 1.おいたち編(2、3、4の続編は、好評ならつづける)
1.ゼミ雑誌原稿提出
 毎年、問題になっているのは、ゼミ雑誌納品期日の遅れです。納品期日の遅れは支払いのこともあるので編集委員や出版編集室にも迷惑をかけることになります。下原ゼミは、皆が協力して発行締切日に提出できるようにしましょう。
◎ 10月2日、最終原稿提出締切日
  本日、10月2日は、ゼミ誌原稿最終締切日です。猿渡・高嶋編集委員に提出。
  提出原稿は①車中作品、②フリーです。
◎ ゼミ誌発行までの予定です。以下の手順で進めてください。
1. 原稿最終提出日10月2日(月)
2. 10月上旬 ゼミ誌編集委員は、印刷会社を決める。(候補・稲栄社)
             印刷会社から【②見積書】を もらい料金を算出してもらう。
3. 10月~末日 編集委員は、印刷会社と、希望の装丁やレイアウトを相談しながら
   編集作業をすすめる。
4. 10月末までに、出版編集室に見積書を提出する。編集作業をすすめる。
5. 11月中旬までに印刷会社に原稿を入稿してください。
6. 12月15日(月)はゼミ誌納品期限です。厳守!!
7. 12月15日までに見本誌を出版編集室に提出してください。
8. 12月下旬までに印刷会社からの【③請求書】を出版編集室に提出してください。
注意事項!!
以下の点に注意してください。
◎ ①【ゼミ誌発行申請書】、②【見積書】、③【請求書】以上3種類の書類が提出されない
  場合はゼミ誌の発行はできません。補助金の支払いも認められません。
◎ 過去にゼミ雑誌の印刷を依頼したことのある主な印刷会社の連絡先は、文芸学科スタッ
  フまで問い合わせる。それ以外の印刷会社を利用したい場合は、必ず事前に学科ス
  タッフに相談すること。厳守。
ゼミ誌発行期限は、12月15日です。
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2.テキスト「灰色の月」読み
「灰色の月」について
 この作品は、昭和21年(1946年)1月1日発行の『世界』創刊号に発表された。里見弴の「短い絲」とともに掲載。目次には、この二人の作品名と作家名が、特別に大きい活字で組んである。
 この作品について作者志賀直哉は、「続々創作余談」でこのように話している。
 『灰色の月』はあの通りの経験をした。あの場合、その子供をどうしてやったらいいか、仮にうちへ連れて帰っても、うちの者だけでも足りない食料で、又、自身を考えても程度こそ異ふが、既に軽い栄養失調にかかっている時で、どうすることも出来なかった。全くひどい時代だった。
         灰色の月
志賀直哉
 東京駅の屋根のなくなった歩廊に立っていると、風はなかったが、冷え冷えとし、着て来た一重外套で丁度よかった。連れの二人は先に来た上野まわりに乗り、あとは一人、品川まわりを待った。
 薄曇りのした空から灰色の月が日本橋側の焼跡をぼんやり照らしていた。月は十日位か、低くそれに何故か近く見えた。八時半頃だが、人が少なく、広い歩廊が一層広く感じられた。
 遠く電車のヘッドライトが見え、暫くすると不意に近づいて来た。車内はそれ程込んでいず、私は反対側の入口近くに腰かける事が出来た。右に五十近いもんぺ姿の女がいた。左には少年工と思われる十七八歳の子供が私の方を背にし、座席の端の袖板がないので、入口の方へ真横を向いて腰かけていた。その子供の顔は入って来た時、一寸見たが、眼をつぶり、口はだらしなく開けたまま、上体を前後に大きくゆすっていた。それはゆすっているのではなく、身体が前に倒れる、それを起こす、又倒れる、それを繰返しているのだ。居眠りにしては連続的なのが不気味に感じられた。私は不自然でない程度に子供との間を空けて腰かけていた。有楽町、新橋では大分込んで来た。買出しの帰りらしい人も何人かいた。二十五六の血色のいい丸顔の若者が背負って来た特別大きなリックサックを少年工の横に置き、腰掛に着けて、それにまたぐようにして立っていた。その後ろから、これもリックサックを背負った四十位の男が人に押されながら、前の若者を覗くようにして、
「載せてもかまいませんか」と云い、返事を待たず、背中の荷を下ろしにかかった。
「待って下さい。載せられると困るものがあるんです」若者は自分の荷を庇うようにして男の方へ振り返った。
「そうですか、済みませんでした」男は一寸網棚を見上げたが、載せられそうにないので、狭い所で身体をひねり、それを又背負ってしまった。
 若者は気の毒に思ったらしく、私と少年工の間に荷を半分かけて置こうと云ったが、
「いいんですよ。そんなに重くないんですよ。邪魔になるからね。おろそうと思ったが、いいんですよ」そう云って男は軽く頭を下げた。見ていて、私は気持よく思った。一頃とは人の気持も大分変わってきたと思った。
 浜松町、それから品川に来て、降りる人もあったが、乗る人の方が多かった。少年工はその中でも依然身体を大きくゆすっていた。
「まあ、なんて面をしてやがんだ」という声がした。それを云ったのは会社員というような四、五人の一人だった。連れの皆も一緒に笑いだした。私からは少年工の顔は見えなかった
―――――――――――――――――― 5 ―――――文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.64
が、会社員の云いかたが可笑しかったし、少年工の顔も恐らく可笑しかったのだろう。車内
には一寸快活な空気が出来た。その時、丸顔の若者はうしろの男を顧み、指先で自分の胃の所を叩きながら、「一寸手前ですよ」と小声で云った。
男は一寸驚いた風で、黙って少年工を見ていたが、「そうですか」と云った。
笑った仲間も少し変に思ったらしく、
「病気かな」
「酔ってるんじゃないのか」
こんなことを云っていたが、一人が、
「そうじゃないらしいよ」と云い、それで皆にも通じたらしく、急に黙ってしまった。
 地の悪い工員服の肩は破れ、裏から手拭でつぎが当ててある。後前に被った戦闘帽のひさしの下のよごれた細い首筋が淋しかった。少年工は身体をゆすらなくなった。そして、窓と入口の間にある一尺程の板張りにしきりに頬を擦りつけていた。その様子が如何にも子供ら
しく、ぼんやりした頭で板張りを誰かに仮想し、甘えているのだという風に思われた。
「オイ」前に立っていた大きな男が少年工の肩に手をかけ、「何処まで行くんだ」と訊いた。少年工は返事をしなかったが、又同じ事を云われ、
「上野へ行くんだ」と物憂さそうに答えた。
「そりゃあ、いけねぇ、あべこべに乗っちゃったよ。こりゃあ渋谷の方へ行く電車だ」
 少年工は身体を起こし、窓外を見ようとした時、重心を失い、いきなり、私に寄りかかってきた。それは不意だったが、後でどうしてそんな事をしたか、不思議に思うのだが、その時ほとんど反射的に寄りかかってきた少年工の身体を肩で突返した。これは私の気持を全く裏切った動作で、自分でも驚いたが、その寄りかかられた時の少年工の抵抗が余りに少なかった事で一層気の毒な想いをした。私の体重は今、十三貫二三百匁に減っているが、少年工のそれはそれよりもはるかに軽かった。
「東京駅でいたから、乗越して来たんだ。―― 何処から乗ったんだ」私はうしろから訊いて見た。少年工はむこうを向いたまま、
「渋谷から乗った」と云った。誰か、
「渋谷からじゃ一回りしちゃったよ」と云う者があった。
少年工は硝子に額をつけ、窓外を見ようとしたが、直ぐやめて、漸く聞きとれる低い声で、
「どうでも、かまはねえや」と云った。
少年工のこのひとり言は後まで私の心に残った。
 近くの乗客たちも、もう少年工の事には触れなかった。どうすることも出来ないと思うのだろう。私もその一人で、どうすることも出来ない気持だった。弁当でも持っていれば自身の気休めにやることも出来るが、金をやったところで、昼間でも駄目かも知れず、まして夜九時では食い物など得るあてはなかった。暗澹たる気持のまま渋谷駅で電車を降りた。
 昭和二十年十月十六日の事である。
                   (『志賀直哉全集』を現代読みに・編集室)
 
 『灰色の月』は400字詰め原稿用紙にして僅か6、7枚の作品である。見方によれば、エッセイのような小説とも呼べない小話である。だがしかし、この作品は、数百枚、数千枚の作品以上の重みや憤怒を持って訴えている。そこに、この作品の普遍性と名作といわれる所以がある。
 たんに面白いだけの小説、昨今流行の感動もの。それらは常に時代の流れの中にあって流れ去るだけ。だが、『網走まで』や『灰色の月』には何かがあります。忘却されない何かが。この短編作品に隠されたものを考えててみてください。
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3.回想法・紙芝居 山川惣治作・画『少年王者
(1.おいたち編)
 『少年王者』とは何か
 この物語は、アフリカがまだ暗黒大陸といわれていた時代のお話。その頃、ケニヤは英国が、カメルーンはフランスが、コンゴはベルギーが植民地にしていた。しかし、奥地は人跡未踏で謎につつまれていた。その魔境で活躍する和製ターザンの物語。
 『少年王者』第一集「おいたち編」が出版されたのは1947年(昭和22年)戦後すぐである。敗戦で打ちのめされた日本。そんななかで子供たちにとって、真吾少年の活躍は、胸のすく物語だった。たちまちに大ベストセラーとなった。大長編冒険物語です。楽しみなが挑戦しましょう。
 
山川惣治 – 絵物語作家。福島県出身。 (1908年2月28日~1992年12月17日)
■代表作 『少年王者』『 少年ケニヤ』『 荒野の少年』がある。
◎ 紙芝居は棒読みにならないこと。物語るように・・・。
9・25ゼミ報告
9月25日の前期最終ゼミは、7名全員参加でした。(順不動・敬称略)
 猿渡公一   鈴木秀和   高嶋 翔  中川めぐみ
 大江彩乃   神田奈都子  佐藤翔星
    
司会進行は、佐藤翔星さん。
1.ゼミ誌原稿締切について → 10月2日に提出してください。
2.夏休み感想 「私はこんな夏でした」
「館山に合宿。個人的には新聞を読んだ。小説の模写。格闘技で汗」Saru
「映画に出演した。変身して敵を襲う役。韓国映画など映画をよく観て過した」Satu
「九州の実家に帰省。友人(小中高?)たちと遊んだ」Suz
「家族観察。友達と旅行した」Na
「外国はソウル、日本は温泉場に友達と旅した。旅先で芸術鑑賞」O
「マンガ描いた。ゲーム店のバイトで客観察が面白かった」Ka
「伊達眼鏡をつくって心機一転を図った。耳のピアス災難。楽しかった合宿」Ta
「紙芝居作成。帰るのエサ捕り」Shi
 感想・有意義な夏のようでよかったですね。
 (ちなみに、私の大学一年のときの夏休みは、4単位もらえるということで北海道の開拓農家に住み込み実習でした。一日五百円で牛の世話と干草集め、ジャガイモ掘りに明け暮れました。二年生のときは、バイトと合宿。いつの時代も同じようです。)
○ 未発表原稿 → 鈴木秀和「宇宙の真理」(何本か出揃ったときに一緒に)
―――――――――――――――― 7 ―――――――――文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.64
新刊・雑誌・演劇紹介
新刊・好評発売中
山下聖美著 三修社 定価1400円
『ニチゲー力』日大芸術学部とは何か
日本のサブ・カルチャーの発信地の魅力を余すところなく解説
演劇
俳優座公演「罪と罰」
脚色=Y・カリャーキン Y・リュビーモフ
訳 =桜井郁子  演出=袋 正
2006年10月5日(木) ~ 15(日)
新宿東口・紀伊国屋ホール
料金・学生3675円
公演=昼1:30 夜6:30 問い合わせ・申し込み俳優座03-3405-4743 3470-2888
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画・文 武富健治 漫画アクション連載の『鈴木先生』が本になりました。
『鈴木先生』待望のコミックス第①巻
新進の若手漫画家・武富健治さん初のコミックス
学校内での大問題も小問題も真剣に立ち向かう鈴木先生。今、教育が熱い!
雑誌・好評発売中
☆雑誌『江古田文学62』定価980+税
   特集・チェーホフの現在
         座談会・ドストエフスキー派から見たチェーホフ
             清水 正 下原敏彦 下原康子 横尾和博
    創作・架空夜話「ある元娼婦の話」下原敏彦
☆雑誌・別冊『國文学』特集号 10月20日発行 定価1575円
『ギャンブル』破滅と栄光の快楽
 読むギャンブル・沢木耕太郎「賽の踊り」、坂口安吾「今日われ競輪す」 
井伏鱒二「競馬」、阿佐田哲也「ラスヴェガス朝景」など
知のギャンブル ・松田義幸「世界のギャンブル遊びの歴史」、吉永良正「パスカル、一生に一度の賭け」、寺山修司「賭博骨牌考」、
下原敏彦「ドストエフスキーとギャンブル」など。
文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.64―――――――― 8 ―――――――――――――――――
後期の計画
土壌館劇場公演
 毎回、ゼミの中で公演してゆきます。作中人物・ナレーターになりきって複音声で演技してください。動物やジャングルの音も創意工夫してください。
□ 後期は、主にこの二点を中心にすすめます。
  1.テキスト「灰色の月」の考察。 
  2.ゼミ誌原稿感想と「車中観察」・「普通の一日を記憶する」・「手紙」
□ 併せて時間に余裕があれば、以下の課題も実施します。
  3.名作読み。(家族観察作品・手紙作品)
  4. 回想法・「少年王者」紙芝居。(毎ゼミ可)
  5 社会問題として憲法問題  第九条についての考えと討論。
  
提出原稿について
○ テキスト・「灰色の月」の感想文。(各自1本)
○ 「車内観察」&「普通の一日を記憶する」。(常時)
  親との関係、兄妹との関係の感想を書く。(各自1本)
掲示板
ドストエフスキー関連
■ドストエーフスキイ全作品を読む会第217回「読書会」
月 日 : 10月14日 午後1時45分~4時45分
会 場 : 東京芸術劇場小会議室
報告者 : 岡野秀彦氏 作品『罪と罰』第三回目
■ドストエーフスキイの会第177回例会
月 日 : 11月18日 午後6時00分~9時00分
会 場 : 千駄ヶ谷区民会館
報告者 : 下原敏彦
題 目 : 仮「柔道or(団塊世代)とドストエフスキー」
                                 詳細は下原まで  
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編集室便り
☆課題原稿、社会評、創作など歓迎します。下記の郵便住所かメール先に送ってください。
「下原ゼミ通信」編集室の住所〒274-0825 船橋市前原西6-1-12-816 下原方
  メール: TEL・FAX:047-475-1582 
☆本通信はHP「土壌館」に掲載されています。
テキスト『灰色の月』感想
「憲法九条」についての感想
「Xへの手紙」(誰宛でもいいです)
テキスト『灰色の月』感想
「憲法九条」についての感想
「Xへの手紙」(誰宛でもいいです)

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