文芸研究Ⅱ 下原ゼミ通信No.256

公開日: 

 

 

日本大学藝術学部文芸学科     2014年(平成26年)12月15日発行

 

文芸研究下原ゼミ通信No.256

BUNGEIKENKYU Ⅱ SHIMOHARAZEMI TSUSHIN

編集発行人 下原敏彦

9/22 9/29 10/6 10/20 10/27 11/10 11/17 12/1 12/8 12/15 12/22 1/30 1/21

2014年、読書と観察の旅への誘い

 

「読むこと」「書くこと」の習慣化を目指して

 

熊谷元一研究のススメ

 

12・15下原ゼミ

 

 

1.本日のゼミ → ゼミ誌について DVD観賞

後期前半ゼミ   冬休み前までのゼミ日程 残り2回

 

12月15日、22日

 

後期前半ゼミは、本日を入れてあと2日です。最終日は、振り替えの22日(月)です。

 

ゼミ雑誌『熊谷元一研究 創刊号』作成進行報告

 

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「下原ゼミⅡ」発行のゼミ誌を振り返る

 

ゼミ雑誌納品の時期となりました。各ゼミとも最後の編集作業、校正に大忙しである。既に刊行しているゼミもある。下原ゼミⅡは、毎年、年内刊行を目指している。が、今年はどうだろうか。この10年間のゼミ誌で記憶にあるいくつかをあげてみた。

 

2004年『背中に人生を』(日本印刷株式会社)テーマ「伝承・畜生・盲目」 13名

 

2005年『柔』(有限会社 緑陽社)テーマ「車内・旅・観察」 11名

 

2006年『サンサシオン』(稲栄社印刷株式会社) テーマ「車中・自由」 7名

 

2008年『ドレミフアそらシド』(藤原印刷株式会社)金たま賞作品受賞 16名

 

2012年『正体不 Show time 』(株 新生社) テーマ「怪奇」 11名

 

2011年『旅路報告』(藤原印刷株式会社) テーマ「日常・自由」 11名

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ゼミⅢ情報  ゼミⅢゼミ誌『懐古』入稿 刊行待ち

 

ゼミⅢのゼミ誌は、齋藤真由香編集長が孤軍奮闘で編集作業をすすめていたが、先頃、最後の校正作業を終了、(株)新生社に入稿した。今月下旬刊行の予定である。

最後の作業は、表紙の決定となった。下の写真は『懐古』の表紙を飾る写真。60年前、1953年ある山村の小学一年生の遠足風景。

 

ゼミ誌『懐古』の表紙絵は、遠足風景に決定

 

1953年の遠足

 

左の写真は、昭和28年(1953)

の小学一年生の遠足風景である。正面遠くに見える校舎(神社森の斜め右下の建物)が子どもたちが通う小学校である。まだ目的地ではないからして、随分遠い。遠足といってもバスや電車に乗る現代の小学生と比べると大変な距離を歩く。文字通り遠足といえる。もっとも、現代においては、写真のようなのどかな田園風景はどこにもない。2クラス60名の子どもをたった二人の担任先生が引率していくのである。かなり大変だったと思うが、右の写真は、よい作品である。九十九折りの春の農道を手を繋ぎ二列縦隊になってあるく子どもたち。担任の女先生の姿や、出発してきた小学校校舎もみえる。

撮影者は、前日の下見で撮影場所を決めていた。

撮影は、熊谷元一

 

左の画は、熊谷元一の絵。

昭和28年に長野県の山村の小学校、小学一年生の担任となった。

 

絵・熊谷元一

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ゼミⅢ情報・熊谷元一研究のススメ

熊谷元一と満州

 

その人生を教師・写真家・童画家として生きた熊谷だが、運命のいたずらで満州とも深い関わりをもつ。

・1905年(明治38年)ポーツマス(日露講和)条約 → 南満州権益を獲得

・1906年(明治29年)関東都督府の設置・南満州鉄道株式会社(満鉄)の設立。

・1909年(明治32年)熊谷元一 阿智村駒場に生まれる

・1931年(昭和6年)柳条湖事件 → 満州事変の開始。

・1932年(昭和7年)満州国建国宣言(執政は溥儀)→ 日本は日満議定書で承認。

第一次満蒙開拓移民が出発。

・1936年(昭和11年)満州農業移民20カ年100万戸移住計画決定。

・1937年(昭和12年)7月7日盧溝橋事件 → 日中戦争

・1938年(昭和13年)満蒙開拓青少年義勇軍の募集開始。

・1939年(昭和14年)熊谷元一は『會地村』(朝日新聞)により6月拓務省(大東亜省)嘱託となる。満蒙開拓青少年義勇軍関係の仕事。8月、満州に出張 

           1カ月開拓団を撮影。帰路、朝鮮の農村も撮影。

・1941年(昭和16年)熊谷元一(32)、10月、満州へ仕事。開拓団撮影。

・1941年(昭和16年)米英に宣戦布告、12月8日真珠湾攻撃。 → 太平洋戦争へ。

・1943年(昭和18年)熊谷元一(34)8月満州へ出張。ソ連国境の町「黒河」まで行く。黒竜江をへだてて対岸の町「ブラゴエチェンスク」を望む。

           「川の小石をそっと三つ拾ってきたことを思い出す」と記す

・1945年(昭和20年)開拓団成人男子根こそぎ軍隊に動員。

4月13日東京空襲、熊谷元一自宅焼失、朝鮮・満州ネガ焼失。

5月1日、会地村(現阿智村)から開拓団175名満州に出発。

戦後無事に帰還できたのは13名。(子どもは60人中6名)

6月 熊谷(36)、大東亜省を退職、故郷會地村に帰り教員になる。

           7月22日、熊谷応召。熊本の西部61部隊に配属。

8月9日、ソ連軍が満州国に侵入。

8月14日、日本ポツダム宣言の受諾を決定。

8月15日、日本無条件降伏。

8月16日、溥儀、退位と満州国の解体を宣言。

9月22日、熊谷召集解除。10月教師復帰5年担任。

・1946年(昭和21年)旧満州からの集団引き揚げ開始。満州開拓団20万人が死亡。

・1949年(昭和24年)中華人民共和国成立。

・1958年(昭和33年)集団引き揚げ終了。

・1972年(昭和47年)日中国交正常化。民間団体による中国残留孤児肉親調査始まる。

・1973年(昭和48年)5月3日中国残留孤児帰国1号帰1名が帰国。

11月NHKドキュメンタリー「ある山村の昭和史」で放映。

・1980年(昭和55年)7月山本慈昭とNHK一行、旧満州へ残留孤児探し。

NHKドキュメンタリー「再会」

・1981年(昭和56年)厚生省による第一回中国残留孤児訪日調査実施。

・1985年(昭和60年)見元未判明孤児の永住帰国受け入れ制度創設。

・1994年(平成6年)中国残留邦人帰国促進・自立支援法公布。

・2007年(平成19年)改正中国残留邦人支援法成立。

・2010年(平成22年)熊谷元一逝去 101歳

・2013年(平成25年)「満蒙開拓平和記念開館」開館。

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熊谷元一研究 清瀬市郷土博物館特別企画「熊谷元一回顧展」寄稿

 

熊谷元一と私

 

写真家・童画家の清瀬の「じいちゃ」は、教育者でもある。昭和28年、私は長野県の山村の小学校に入学した。担任は、熊谷元一先生だった。民主主義教育がはじまったばかりの時代、先生は、創意工夫で教育をされていた。私たちが被写体となった先生の代表作岩波写真文庫『一年生 ある小学教師の記録』をみれば、それがわかる。

もっとも、正直言えば私は、当時のことをあまりおぼえていない。私は、学校が嫌いだった。勉強も運動も苦手な吃音の子どもだった。一年生の思い出は、黒板絵をほめられたことぐらいしかない。入学早々熊谷先生は、黒板を解放して自由に落書きさせてくれた。皆があきたあと、私はこっそり黒板に描いた。天狗のようなお化けのような絵だった。が、先生は「これはおもしろい、こんな絵はおまえさんしか描けん」と、たいそうほめてくれた。童画家の先生から何度もほめられたのでうれしかった。それがひそかな自信になった。

昭和41年、熊谷先生は教師を退職して清瀬の「じいちゃ」になった。が、私にとっては、そのときからが本当の意味で担任となった気がする。先生は、黒板絵のことを忘れていなかった。会う度に、「あれはすごい絵だった」とほめてくれた。写真があるので、恥ずかしい限りだが、そのほめ言葉は私の人生の励みと希望になった。それは、私一人だけの思いではなかった。故郷を離れた教え子たちが、清瀬に集まるようになった。

清瀬は、第二の学校となった。大人になった一年生は、仕事や家族の悩みを話した。先生は、目立たない子ほど気にかけていた。私も、その一人だった。会社を辞めぶらぶらしていたとき、何度かおじゃました。そのたび先生は、何も聞かずただ「あの黒板絵は、すごかった」とほめるだけだった。いつもその一言に勇気がわいた。

私は、いくつになっても心配な教え子だった。妻と訪れるようになると先生は、帰り際、妻に「頼みます」と頭を下げられた。私は先生を安心させようと投稿をはじめた。新聞に載るたび先生は、朝イの一番に見つけて「いま読んどるとこだ」と電話口で再読した。90歳になるともう故郷へは無理だと言っていた。が、私の作品が地元新聞社主催の童話賞を受賞すると「でないわけにゃあいかん」と奥様と二人で出席してくださった。ある研究発表をしたときも清瀬から会場までタクシーで駆けつけてくださった。

先生が100歳になられた記念に同級生と『還暦になった一年生』を出版した。亡くなる前まで、この記念文集を介護のヘルパーさんにみせながら、この子は、こうだった、ああだったと話されていたという。私のことも「ああ、ううしかいえなんだが――」と、さかんに首をひねられていたとのこと。でも、とてもうれしそうだったという。

私は、毎週月曜日、講師をしている大学に行くため西武池袋線に乗る。電車が清瀬に近づくころになると、一抹の寂しさをおぼえる。もう清瀬の学校はないのだと。そんなとき、私は車窓に小さく告げる。

元一先生、みんな元気で、清瀬の学校、卒業しました。本当にありがとうございました。

 

※投稿(熊谷先生とのことを書いたもの) 朝日新聞「声」欄

 

1996・9・16 「50歳の1年生 師の撮影行脚」

1999・6・4  「時は流れても やっぱり先生」

2000・11・17 「恩師の手から 故郷の童話賞」

2011・1・8  「児童の作文 大切にした恩師」

 

清瀬市郷土博物館開催 平成23年10月8日(土)~23日(日)

「じいちゃの見たもの・描いたもの~熊谷元一展」から

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土壌館・実践的投稿術のススメ

 

文章力修業として投稿も、その一つの手段といえます。投稿は、投稿者が多ければ多いほど採用される確率は低くなります。が、そのことは即ち投稿作品の質の向上にもなります。様々なものへ観察・興味を抱く要因ともなるので、投稿は一石三鳥ほどの価値があります。

もっとも投稿といっても、小説・論文投稿から標語まで多種多様です。が、ここでオススメするのは新聞投稿です。新聞は、毎日投稿できます。政治・社会・生活観察・自分の意見と幅もあります。また、時流や出来事のタイミングも重要となり自然、書くことの日常化・習慣化が身につきます。文章力研磨にもってこい場ともいえます。

土壌館では、文章力を磨く目的はむろんですが、社会への疑惑や自分の意見・感想を伝えるために新聞「声」欄に投稿をつづけています。なぜ「声」欄かというと、500字という字数は、人が飽きなく読む字数であるということと、文体を簡潔にできるからである。また、意見としては、こちらは狭き門ですが「視点」もオススメします。

 

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朝日新聞「声」欄 に掲載された柔道に関する投稿(本通信にて紹介)

 

◆平成6年1994・5・17「カラー柔道着 いいじゃないか」紹介済み

◆平成8年1996・8・7「柔道の変化は 自他共栄」

◆平成8年1996・11・5「地域に必要な子どもたちの場」

◆平成12年2000・4・2「町道場を支える教え子」

◆平成14年2002・5・8「子どもが集う道場は町の灯」

◆平成15年2003・12・8「振動は困る 町道場に難題」

◆平成19年2006・3・19「朝稽古の住宅街でカエル見つける」

◆平成19年2006・7・28「カエル飼って子供ら変わる」

◆平成21年2009・3・10「嘉納の理念 世界に発信を」

◆平成25年2013・6・19「町道場で感じる柔道の魅力」

 

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2013年(平成25年)6月19日(水曜日) 朝日新聞「声」欄

 

住宅街にある柔道の道場を運営して30年。木造平屋建ての道場は当初、畳はボロボロ、壁板は破れ放題、天井は穴だらけ、存続できたのは、ひとえに理解ある地域住民と柔道を愛する人たちのおかげだった。最大のピンチは11年前、大雪被害で倒壊寸前になった時、本欄にそのことを書いたところ、あるテレビ局が「オンボロ道場再建番組」としてとりあげ、若者を動員して改装工事をした。道場の子どもたちも手伝い、道場は生まれ変わった。

35畳の小さな道場では今も、練習する子どもたちの声が響く。ときどき教えに来るのは、あの時、道場づくりを手伝った子どもたちだ。今は社会人や大学生になっている。若者や子ども達が楽しそうに稽古する様を見ていると、道場を続けてきてよかったと思う。

柔道界では、不祥事が相次ぐ。でも、私の道場を見ると、柔道には人に夢と勇気を持たせる何かがあると感じる。

 

 

 

 

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最新ドストエフスキー情報 「読書会通信」から

 

ドストエフスキー文献情報

 

2014・11・30現在

〈図書〉

・『黒澤明と小林秀雄 ― 「罪と罰」をめぐる静かな決闘』高橋誠一郎著

2014・7・31  \2500+  302P 19.5cm

〈専載書〉

・『ドストエフスキイとセザンヌ 詩学の芖生』山田幸平、近藤耕人著

晃洋書房 2014.8.30 ¥2500+ 177p 19.4㎝

・ベケットからドストエフスキイ セザンヌに至る道/近藤(p1-85)

・詩学の共生――セザンヌとドストエフスキイ/山田(p87-156)

・『ドストエフスキイ』井桁貞義著 新装版 清水書院 2014.9.10

¥1000+ 247p 19.1㎝ 〈Century Books人と思想・82〉

※初版:1989.6.30刊

 

〈収載書〉

・『悪の哲学ノート』中村雄二郎著 岩波書店 2012.10.23 ¥2800+ Viii+ 347+5p 18.9㎝〈岩波人文書セレクション〉

※初版:1994.11.25刊 ¥3000 内容詳細は省略。

・『言葉と他者 小林秀雄試論』権田和士著 青簡舎2013.10.15 ¥3000+ 255p19.4㎝

・第Ⅰ部 自意識と他者 ・第三章 思想と人間――ドストエーフスキイ論

とトルストイ論争(p61-78);第四章歴史と文学――その根源にあるもの

(p79-91);第五章自意識と他者――ドストエーフスキイ研究の意味(p92-115)

・『万象の訪れ わが思索』渡辺京二著(福岡)弦書房 2013.11.1 ¥2400+ 329p 21.7㎝

〈書評〉松本健一『ドストエフスキイと日本人』(p298-300)

※初出;「週刊読書人」1091(1975.8.4)p5

・『井筒俊彦 言語の根源と哲学の発生』安藤礼二・若松英輔責任編集 河出書房新社 2014.6.30 \1600+ 4+223p 21㎝ 〈KAWADE 道の手帖〉

・井筒俊彦とロシアと文学と戦争と/山城むつみ(p114-123)

・『「生命力」の行方 変わりゆく世界と分人主義』平野哲一郎著 講談社2014.9.30 1800+

396p 18.9㎝ ・Ⅰ社会の生命力 ・〈対談〉亀山郁夫 なぜ今ドストエフスキーなのか(p37-49)

※初出:「中央公論」124(7)=1503(2009.7.1)

 

〈逐次刊行物〉

・〈文學会図書室・著者インタビュー〉辻原登『東大で文学を学ぶ ドストエフスキーから谷崎潤一郎へ』「文學界」68(9)(2014.9.1)p300-301

・〈プレイヤード・本〉「秘密」としての前哨 山城むつみ『小林秀雄とその戦争のと時

「ドストエフスキイの文学」の空白』/杉田俊介

「すばる」36(10)(2014.9.6=10月号)p349

 

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・〈本〉批評家の意志 『小林秀雄とその戦争の時 「ドストエフスキイの文学」の空白』

――山城むつみ/前田英樹 「新潮」101(1)(2014.10.7=11月号)p240-241

・〈書評〉小林の根源にあるものは何であったのかを繰り返し問う 山城むつみ著/小林秀雄とその戦争の時 『ドストエフスキイの文学』の空白/佐藤泰正

 

「週刊読書人」3060(2014.10.10)p5

・〈Coming Movies〉嗤う分身 The Bouble 「スクリーン SCREEN」69(14)=991

(2014.10.21)p88-84

・〈書評〉近代小説によって作られた 『東大で文学を学ぶドストエフスキーから谷崎潤一郎へ』辻原登/安部公彦

「群像」69(11)(2014.11.1)p328-329

・嗤う分身 映画だけが本当の分身を扱えるということについて・古澤健

「映画芸術」64(4)=449(2014.11=秋)p070-071

※ニュース

「二重人格(分身)イギリスで映画化、邦題「嗤う分身」

現在順次全国公開中 !!

 

新刊  2014年下半期からの出版本です

 

『漱石の黙示録』森和朗著 鳥影社 2014・9・11 \1800+

 

『小林秀雄と黒澤明』高橋誠一郎著 成文社 2014.7.31

 

『清水正・ドストエフスキー論全集7清水正著 D文学研究会 2014.7.31

 

最新刊

伝説的サブカル漫画誌「ガロ」その全記録

創刊50周年『「ガロ」という時代』青林堂編 2014年9月24日 \1800+

 

【劇画の生みの親、辰巳ヨシヒロの『劇画漂流』を読む】下原敏彦

…物語は作者が子どもだった終戦時をスタートに1960年作者25歳までの半生が描かれている。劇画への情熱を描いた48話のオムニバス。読みはじめて、すぐに気になったことがある。作者、辰巳ヨシヒロは、はたしてドストエフスキーを読んでいたか ? その問いが脳裏の隅について離れなかった。…病気もちのオキちゃんは、頭がよく、マンガも上手く、嫉妬深い。そんな次男を三男のヒロシはアリョーシャがイワンを尊敬しているように尊敬している。…父親は取引先の女とも何かありそうな好色漢として描かれている。…

 

文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.256 ―――――――― 8 ―――――――――――――

 

下原ゼミⅡ日誌

 

ゼミ生=村田、西尾、岩澤、関、渡辺

 

□ 9月22日 参加、村田君 『地下室の手記』「ぼた雪」について

□ 9月29日 参加、村田君 『にんじん』家族観察、ゼミ誌について

□10月 6日 台風18号直撃で休講。振り替えは12月22日(月)

□10月20日 『黒板絵は残った』編纂

□10月27日 村田君から電話連絡(風邪) 西尾さんは不通、

□11月10日 電話・村田君、事務室報告「熊谷元一研究」を預ける

□11月17日 電話・村田君、ゼミ誌相談。

□11月18日 池袋「サイゼリア」店でゼミ誌編集打ち合わせ。村田君。

□11月24日 事務室から電話、村田君、入稿予定。28日に設定。

□12月 1日 DVD観賞予定

□12月 8日

□12月15日

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掲示板

 

ドストエーフスキイ全作品を読む会・読書会

 

月 日  2015年2月21日(土)    時 間  午後2時 ~ 5時

会 場  池袋・東京芸術劇場小会議室  作 品  『罪と罰』2回目

 

ドストエーフスキイに興未ある人、歓迎です。作品を読んでいても、まだ読んでなくても可。一緒に全作品を読んでいくのが目的です。現在5サイクル目

 

・・・・・・・・・・・・・・「下原ゼミ通信」編集室・・・・・・・・・・・・

 

投稿、受け付けます。創作、エッセイ、評論など可。枚数が多いときは、連載になる場合があります。下記のメールアドレスにお願いします。

 

土壌館編集室 TEL:047-475-1582 09027646052メール: toshihiko@shimohara.net

 

下原と熊谷元一

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