文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.66

公開日: 

日本大学芸術学部文芸学科     2006年(平成18年)10月 23日発行
文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.66
BUNGEIKENKYU Ⅱ SHIMOHARAZEMI TSUSHIN
                              編集発行人 下原敏彦
                              
2006後期9/25 10/2 10/16 10/23 10/30 11/6 11/13 11/20 11/27 
     12/4 12/11 12/18 1/15 1/22 
  
2006年、読書と創作の旅
10・23下原ゼミ
10月 23日(月)の下原ゼミは、下記の要領で行います。文ゼミ1
  1.  ゼミ誌編集委員・ゼミ誌作成決め及び進行状況報告
  2. 提出原稿発表・一日を記憶する(2作品)
  3. テキスト読み『灰色の月』、名作読み「にんじん」他
  4.  回想法・復刻版『少年王者』山川惣治作・画を紙芝居で
     第一集おいたち編
2006年、読書と創作の旅・秋の一日
 10・21、この日は、受身の会の日。が、Y夫妻は在市の姉妹都市交流で案内役として米国へ、Hさんはお産近い娘が里帰り、Tさんは8月から教え子たちの音楽発表会で欠席気味。ご主人はマンション会議。家人は、医療関係会のシンポ慰安で房総沖に鯨見物。皆さんそれぞれの秋。多忙のようである。私も折よく日芸S教授からある講演会に誘われた。で、中高年のための自彊術教室は休みにして会場のある池袋へ。どんな講演会か、聞き忘れていた。西口公園で待ち合わせ。S教授の著書を出版したN氏も一緒だった。(他に知らなかったが日芸の教授が生徒一人を連れてきていたらしい)。会場は、通称「キンプク」勤労福祉会館だった。この会場は、10年前までは読書会で利用していたので懐かしかった。6階の大会議室で開かれた会は「池袋モンパルナスの集い」詩人・小熊秀雄(明治34~昭和15年)の集りだった。この詩人についてはあまり知らなかった。小樽生まれ、プーシキンやネクラーソフなどロシア詩人に傾倒し、長編風刺詩を書いた。日中戦争抵抗詩を歌いつづけた。「また戦前、戦中に”池袋モンパルナス”と命名して、無名の画家たちの自由な解放区を育てた」。著作は『小熊秀雄全集』(全5巻)創樹社、『小熊秀雄詩集』岩波文庫・岩田宏編がある。詩人を偲んで毎年1回長長忌(じゃんじゃんき)が開催されている。この会ができてから20年経っている。後援・豊島区で区長が「豊島区を芸術の発信地に」と挨拶した。記念講演は、昭和文化研究の法政大学文学部講師・田中益三氏。演題は「小熊秀雄の詩と池袋モンパルナス」。「自分がどうしてこの詩人と関わるようになったか」からはじめた。米国の黒人詩人の詩を介してという話だったが30分の持ち時間、その話に終始した。小熊に触れたのは最後の5分間だけ。時間配分ということでは勉強になった。つぎは元「中央公論」編集長の粕谷一希氏が「池袋のポエジー」を話。こちらは10分だったが、池袋でであった詩人たちの話を恣意的に話された。詩人はたかりの名人。詩人だけはなりたくない。今の詩人は大学教授になれていい。(笑)第2部は、池袋の彫刻家たちの話だった。が、饒舌が単調過ぎて半眠。帰り居酒屋。帰宅は11時。家人留守。ベランダからコオロギの声。  編集室  


芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.66 ―――――――― 2 ――――――――――――――
 
車窓雑記
 
読書の秋・最近のルポタージュ文学への懐疑
先日、歯科医院で待ち時間、週刊誌を読んでいたら新刊コーナー欄に『わたしが見たポル・ポト』という本の紹介があった。評者は忘れたが、読んでみて「真実は、こうだったのか」と、絶賛していた。インドシナのカンボジアに暗黒社会をつくったポル・ポトは1998年に死んだ。すでに8年が過ぎている。世界遺産アンコールワットの復旧もすすんで、あの国は悪夢からようやく立ち直りかけている。だというのに、何故、いまごろこんな本がでたのだろう。不思議に思った。いつもなら、それで終わりだが、「映画『キリングフィールド』に描かれたポル・ポト派の虐殺は本当にあったのか!?」との疑義に目が止まった。それが決定的な興味となった。「真相はこうだった」裏世界史や裏日本史によくある見出し。いつ頃だったか思い出せないが、「ナチスのホロコーストはなかった」そんなことをいいはじめた学者がいた。だれも相手にはしないが、本人は至って大真面目だったように記憶している。世界には、いろんな人がいる。ホロコースト無しのニュースはあまりにも荒唐無稽だったので、興味も抱かなかった。が、カンボジアは、青春時代の思い出もあるし、映画「キリングフィールド」もよかったから、いったいなんだろうと思った。駅前の書店で買った。著者は馬渕直城(まぶちなおき)というフリーカメラマン。題は『わたしが見たポル・ポト』サブタイトルは「キリングフィールズを駆けぬけた青春」、帯には「戦場カメラマン カンボジア取材30年間の軌跡」とあり「ひとりの日本人の生きた記録が報道の、そして日本の姿勢を問う」との極めて挑戦的でセンセーショナルな宣伝文句が並べられていた。最初の何ページかを読んでみて驚いた。これまで読んだ、カンボジア関係の内容と、百八十度違うのだ。写真もはいっているし、創作本ではない。れっきとしたノンフィクション。ルポタージュだ。この本によると映画「キリングフィールド」は全部ウソという指摘。確かにあれは映画、こんな反論もあるのか、納得した。だが、悪魔の化身と思われていたポル・ポトの見方に、驚いた。自国の国民を200万人以上殺戮したというポル・ポトについて、証言する本をこれまで多く読んできた。が、この著者にいわせると、それらは全部ウソで、実際に会ってインタビューまでした自分の感想は、立派な指導者だったという。世界はすべてベトナムとアメリカの悪意に満ちた情報に操られている、と手厳しい。中国、ポル・ポト軍をひたすら称えている。1975年4月17日、すべてのプノンペン市民が病人も老若男女も情容赦なく都市から追い出されたあの日のことを、この著者はこうルポしている。
表通りでは日本製軽トラックについた小さなラウンドスピーカーから解放軍の呼びかけが聞こえる。「プノンペンの兄弟の皆さん、一時街から非難してください。車で行く人にはガソリンも用意してあります」とても丁寧な言葉遣いで脅すような響きはまったくなかった。続々と入城してくる解放軍兵士と入れ違いに人々がどんどん出て行く。
 「私はいつのまにか、身も心もクメール人、そのものになっていた」という筆者だが、ポル・ポトの政権下両親を亡くし、集団強制結婚させられたカンボジアの女性作家・パル・ヴァンナリーレアクは著書『カンボジア 花のゆくえ』(岡田知子訳)でこのように書いている。
 それは首都プノンペンの全市民にとって悪夢のはじまりだった。・・・人々は一体どこへ行こうとしているのだろう? 子どもの手を引いている裳の、年老いた母親の手を引いている者、臨月に近い大きなお腹の妊婦もいる。・・・・・
「早く歩け、のろのろするな、死にたいのか?」銃声とそれに続く悲鳴。
この日、混乱のなかプノンペン市を出ていった市民の大半は、生きて再び戻ることはなかった。ポル・ポトのカリスマ性、悪魔性を検証したチャンドラーの『ポル・ポト伝』(山田寛訳)もある。が、著者はポル・ポトをひたすら賛美する。彼のゴム草履は「踵のところが丸い穴になるほどに履き込まれていました」と。読者は何を信じればよいのか。私の知っている多くの人が今もって不明ということは事実である。 (編集室)
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10・23ゼミ
10月23日のゼミは次の要領で行います
1. ゼミ雑誌作成状況の報告(ゼミ誌編集委員)
2 提出原稿の発表 鈴木秀和「宇宙の真理」佐藤翔星「スランプ」
3テキスト読み「灰色の月」。名作紹介「めんどり」「しゃこ」評、「犬」「いやな夢」読み。
4. 回想法・山川惣治作・画『少年王者』(紙芝居) 時間まで
 1.おいたち編(何度か読みを繰り返す。演技性をみがく)
1.ゼミ雑誌作成過程
 全員から原稿も提出されました。印刷会社(稲栄社)も決まり、いよいよ作成に入ります。タイトル位置、表紙、帯などもありますが、皆で協力してすすめてゆきましょう。
◎ ゼミ誌発行までの予定です。以下の手順で進めてください。
1.  印刷会社から【見積書】を もらい料金を算出してもらう。
2.  10月末日 編集委員は、皆と協力して題字、表紙、帯を決める。印刷会社と、希望の
   装丁やレイアウトを相談しながら編集作業をすすめる。
3.  10月末日までに、出版編集室に見積書を提出する。編集作業をすすめる。
4.  11月中旬までに印刷会社に原稿を入稿してください。
5.  校正してください。
6. 12月15日(月)はゼミ誌納品期限です。厳守!!
   見本誌を出版編集室に提出してください
7.  12月下旬までに印刷会社からの【請求書】を出版編集室に提出してください。
注意事項!!
以下の点に注意してください。
◎ ①【ゼミ誌発行申請書】、②【見積書】、③【請求書】以上3種類の書類が提出されない
  場合はゼミ誌の発行はできません。補助金の支払いも認められません。
  10・23日現在は、見積書が必要です。
◎ 過去にゼミ雑誌の印刷を依頼したことのある主な印刷会社の連絡先は、文芸学科スタッ
  フまで問い合わせる。それ以外の印刷会社を利用したい場合は、必ず事前に学科ス
  タッフに相談すること。厳守。
ゼミ誌発行期限は、12月15日です。
サンサシオン   サンサシオン   サンサシオン   サンサシオン
           
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2.提出原稿の発表
普通の一日
宇宙の真理
鈴木秀和
 その日は朝から少し気分が悪かった。だがテスト前だったので授業にはちゃんと出席した。別に体育で汗を流すわけではないので大丈夫だろうと思っていたが家に帰ると今まで体験したことがないほどの高熱がでた。それは僕を苦しめ続け、眠れない夜がはじまった。ベッドに入って五時間ぐらい経過したとき、ようやく意識がなくなりかけた。すると、なんと僕の前に宇宙が現れた。そして、どこからともなく声が聞こえてきた。その声は非常に落ち着いた様子でこう言った。
「どんなものでも、そこに存在していればいい。そこに存在して素直に自分を表現することに意味がある。たとえ道端に落ちている石ころでも、他者に石の存在を認識させるという意義をもっている。それこそが宇宙の真理である」
 しかも、ご丁寧なことに「宇宙の真理」という言葉は壮大な銀河をバックに字幕となって現れたので、まるで深夜のバラエティー番組のようだった。
 一体、宇宙の真理とはどこかの哲学者からバクった言葉なのだろうか。それともこれは神のお告げなのだろうか。普段なら変な夢を見たと思うところだが、このときの僕は
「そうかぁ、それが宇宙の真理なのかぁ」
と感心していた。
 もしかすると本当に死にかけていたのかもしれない。
 しかし、不思議なことに「宇宙の真理」を聞いてから少し楽になった。「宇宙の真理」には熱冷ましの効果があるのかもしれない。
 少しだけ宇宙の神秘に触れたような気がした。
□ すばらしい体験しましたね。もしかして神のお告げかも。ブラボー!!
スランプ
佐藤翔星
 やることは山ほどあるのだが、どうにも気がすすまないのと、微妙な寒さで布団から出られない右手で布団の回りにあるものを手当たり次第に掴む。リモコン、携帯電話、怪獣ソフビ、マンガ・・・。マンガを読むことにする。何度も読んでいるので全然新鮮味がない。あーこいつ、次のページで死ぬんだよなと思い出し、ページをめくると案の定死んでいる。ちょっとした預言者のようで楽しくなったが、仕事・・・という単語が頭をよぎり、また落ち込む。暫くしてまたマンガを読み始め、そのうちに二度寝を決めこんでしまうのだ。
□ 何も手につかないときは再読する。よい方法ですね。こんど試してみます。読むた
  びに微妙に違っていたら・・・SF小説のはじまりです。
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3.テキスト「灰色の月」読み
「灰色の月」について
 この作品は、昭和21年(1946年)1月1日発行の『世界』創刊号に発表された。里見弴の「短い絲」とともに掲載。目次には、この二人の作品名と作家名が、特別に大きい活字で組んである。
 この作品について作者志賀直哉は、「続々創作余談」でこのように話している。
 『灰色の月』はあの通りの経験をした。あの場合、その子供をどうしてやったらいいか、仮にうちへ連れて帰っても、うちの者だけでも足りない食料で、又、自身を考えても程度こそ異ふが、既に軽い栄養失調にかかっている時で、どうすることも出来なかった。全くひどい時代だった。
         灰色の月
志賀直哉
 東京駅の屋根のなくなった歩廊に立っていると、風はなかったが、冷え冷えとし、着て来た一重外套で丁度よかった。連れの二人は先に来た上野まわりに乗り、あとは一人、品川まわりを待った。
 薄曇りのした空から灰色の月が日本橋側の焼跡をぼんやり照らしていた。月は十日位か、低くそれに何故か近く見えた。八時半頃だが、人が少なく、広い歩廊が一層広く感じられた。
 遠く電車のヘッドライトが見え、暫くすると不意に近づいて来た。車内はそれ程込んでいず、私は反対側の入口近くに腰かける事が出来た。右に五十近いもんぺ姿の女がいた。左には少年工と思われる十七八歳の子供が私の方を背にし、座席の端の袖板がないので、入口の方へ真横を向いて腰かけていた。その子供の顔は入って来た時、一寸見たが、眼をつぶり、口はだらしなく開けたまま、上体を前後に大きくゆすっていた。それはゆすっているのではなく、身体が前に倒れる、それを起こす、又倒れる、それを繰返しているのだ。居眠りにしては連続的なのが不気味に感じられた。私は不自然でない程度に子供との間を空けて腰かけていた。有楽町、新橋では大分込んで来た。買出しの帰りらしい人も何人かいた。二十五六の血色のいい丸顔の若者が背負って来た特別大きなリックサックを少年工の横に置き、腰掛に着けて、それにまたぐようにして立っていた。その後ろから、これもリックサックを背負った四十位の男が人に押されながら、前の若者を覗くようにして、
「載せてもかまいませんか」と云い、返事を待たず、背中の荷を下ろしにかかった。
「待って下さい。載せられると困るものがあるんです」若者は自分の荷を庇うようにして男の方へ振り返った。
「そうですか、済みませんでした」男は一寸網棚を見上げたが、載せられそうにないので、狭い所で身体をひねり、それを又背負ってしまった。
 若者は気の毒に思ったらしく、私と少年工の間に荷を半分かけて置こうと云ったが、
「いいんですよ。そんなに重くないんですよ。邪魔になるからね。おろそうと思ったが、いいんですよ」そう云って男は軽く頭を下げた。見ていて、私は気持よく思った。一頃とは人の気持も大分変わってきたと思った。
 浜松町、それから品川に来て、降りる人もあったが、乗る人の方が多かった。少年工はその中でも依然身体を大きくゆすっていた。
「まあ、なんて面をしてやがんだ」という声がした。それを云ったのは会社員というような四、五人の一人だった。連れの皆も一緒に笑いだした。私からは少年工の顔は見えなかった
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が、会社員の云いかたが可笑しかったし、少年工の顔も恐らく可笑しかったのだろう。車内
には一寸快活な空気が出来た。その時、丸顔の若者はうしろの男を顧み、指先で自分の胃の所を叩きながら、「一寸手前ですよ」と小声で云った。
男は一寸驚いた風で、黙って少年工を見ていたが、「そうですか」と云った。
笑った仲間も少し変に思ったらしく、
「病気かな」
「酔ってるんじゃないのか」
こんなことを云っていたが、一人が、
「そうじゃないらしいよ」と云い、それで皆にも通じたらしく、急に黙ってしまった。
 地の悪い工員服の肩は破れ、裏から手拭でつぎが当ててある。後前に被った戦闘帽のひさしの下のよごれた細い首筋が淋しかった。少年工は身体をゆすらなくなった。そして、窓と入口の間にある一尺程の板張りにしきりに頬を擦りつけていた。その様子が如何にも子供ら
しく、ぼんやりした頭で板張りを誰かに仮想し、甘えているのだという風に思われた。
「オイ」前に立っていた大きな男が少年工の肩に手をかけ、「何処まで行くんだ」と訊いた。少年工は返事をしなかったが、又同じ事を云われ、
「上野へ行くんだ」と物憂さそうに答えた。
「そりゃあ、いけねぇ、あべこべに乗っちゃったよ。こりゃあ渋谷の方へ行く電車だ」
 少年工は身体を起こし、窓外を見ようとした時、重心を失い、いきなり、私に寄りかかってきた。それは不意だったが、後でどうしてそんな事をしたか、不思議に思うのだが、その時ほとんど反射的に寄りかかってきた少年工の身体を肩で突返した。これは私の気持を全く裏切った動作で、自分でも驚いたが、その寄りかかられた時の少年工の抵抗が余りに少なかった事で一層気の毒な想いをした。私の体重は今、十三貫二三百匁に減っているが、少年工のそれはそれよりもはるかに軽かった。
「東京駅でいたから、乗越して来たんだ。―― 何処から乗ったんだ」私はうしろから訊いて見た。少年工はむこうを向いたまま、
「渋谷から乗った」と云った。誰か、
「渋谷からじゃ一回りしちゃったよ」と云う者があった。
少年工は硝子に額をつけ、窓外を見ようとしたが、直ぐやめて、漸く聞きとれる低い声で、
「どうでも、かまはねえや」と云った。
少年工のこのひとり言は後まで私の心に残った。
 近くの乗客たちも、もう少年工の事には触れなかった。どうすることも出来ないと思うのだろう。私もその一人で、どうすることも出来ない気持だった。弁当でも持っていれば自身の気休めにやることも出来るが、金をやったところで、昼間でも駄目かも知れず、まして夜九時では食い物など得るあてはなかった。暗澹たる気持のまま渋谷駅で電車を降りた。
 昭和二十年十月十六日の事である。
                   (『志賀直哉全集』を現代読みに・編集室)
 
 『灰色の月』は400字詰め原稿用紙にして僅か6、7枚の作品である。見方によれば、エッセイのような小説とも呼べない小話である。『網走まで』同様、なんの変哲もない作品である。だが、この作品は、名作といわれている。当時山ほどあった小説作品で、残ったのは少ない。この作品は、なぜ普遍なのか。おそらくすぐにはわからないと思います。
 たんに面白いだけの小説、昨今流行の感動もの。それらはどんなにベストセラーであったても時代とともに消え去るだけです。『網走まで』や『灰色の月』は、たとえ退屈で面白くなくても文学のテキストとして、手本として、これからも読み継がれていくでしょう。
 ◎ それは、なぜか ? そこに文学の謎があります。
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名作案内・ルナール作「にんじん」
 今年を振り返ると、新聞の三面でよく目についたのは、家族の問題でした。奈良の放火、北海道の母親殺し、秋田の娘殺しなどなど。殺伐したニュースが連日、報じられた。が、いまだ有効な解決策はないようです。そればかりか、こんどは学校でのいじめが問題になっています。そこで家族の問題やいじめを考えてみることにして今年も後期の名作紹介は、ジュール・ルナールの『にんじん』(窪田般彌訳)をとりあげることにしました。作品を何度も読み合いながら考えてみましょう。
 「にんじん」の家族についてどう思うのか。先週のゼミで読んだ第1話「めんどり」、第2話「しゃこ」について自分の感想を発表し合ってください。
第1話「めんどり」
 この小話は、夕食後のひと時、母親のルピック夫人が庭の鶏小屋の戸が開いているのを見つける。お手伝いが閉め忘れたのだ。が、彼女は帰ってもういない。ルピック夫人は3人の子供たちの誰かに閉めに行かせようと考える。はじめに長男に聞く。が、長男のフェリックスは臆病なのに、(勉強に忙しいという理由で)断る。姉のエルネスチールに聞く。彼女は読書中という。母親は、机の下で遊んでいた末っ子のにんじんを見つけて、いいつける。にんじんは「ぼくだってこわいよ」と断る。が、母親は許さない。兄と姉も脅したりおだてたりする。結局、にんじんが行くことになる。夜の庭は怖い。にんじんはやっとのことで目的を果たし帰ってくる。きっと両親や兄姉から誉められるだろうと誇らしげに。だが、待っていたのは、母親の
「にんじん、これからは毎晩、おまえが閉めにいくんだよ」
話し合う点
○似た経験はあるか。家族の中で自分だけが損な役目ばかりしていたという。
○家庭では、よくある話。が、にんじんは不満だからこれを書いたのか。
○この家族に問題点はあるか、考えてみる。
第2話「しゃこ」
 父親のルピック氏が猟でしゃこ(やまうずら)を獲ってくる。料理するのは家族の仕事だ。にんじんの役目は、手傷をおっていてまだ死なないしゃこを殺すことだ。なかなか殺すことができないでいると、母親は「早く殺せ」と怒鳴る。他の役目がしたいと頼んでも聞き入れてくれない。にんじんは、早くすまそうと一度に二羽を殺そうとする。父親は驚く。母親は、殺しが好きんだとからかう。しゃこはなかなか死なない。にんじんは足をつかみ靴で蹴とばす。皆は、残酷だと非難する。
話し合う点
○家族は意識的に、にんじんに殺しをやらせているのか。
○にんじんの嫌だから早くすませたいという気持は、なぜ家族にわかってもらえないの
 か。学校や家庭でこういったことはあったか。
作者紹介
ジュナール・ルナール年譜
 1864年2月22日 フランス、ニューヴル県シャロンに生まれる。
 1888年 「村の犯罪」を自費出版。マリ・モルノーと結婚。
 1894年 「にんじん」を出版。長男と長女にささげる。
 1900年 戯曲「にんじん」、アンドレ・アントワーヌによって初演される。
 1910年5月22日未明 動脈硬化症で死ぬ。46歳。 
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4.回想法・紙芝居 山川惣治作・画『少年王者』
(1.おいたち編)
山川惣治 – 絵物語作家。福島県出身。 (1908年2月28日~1992年12月17日)
■代表作 『少年王者』『 少年ケニヤ』『 荒野の少年』がある。
紙芝居のポイント
○ 10・2ゼミでは、だいたいのあらすじを知るために猿渡さんに、通してやってもら
  いました。(台本読み)
○ 今回からは、出席者全員に分けてやってみましょう。気持を入れて、声優になった
  つもりで。(10場面交代ぐらいか)
○ 一番、重要な点は、観客をいかにして引き込ませるかにある。工夫しましょう。
※ 棒読みにならないように注意しましょう!!
秋の歌 秋の詩を観察してみる 秋を代表する詩の一つです。自分が吟遊詩人になったつもりで。11月末まで掲載。毎回、順番に気持をこめて吟唱してください。
ヴェルレーヌ「秋の歌」「沈む日」(『土星の子の歌』)堀口大学訳
      秋の歌
秋風の  ヴィオロンの  節ながきすすり泣き
もの憂きかなしみに わがこころ  傷くる
時の鐘  鳴りも出づれば  せつなくも胸せまり  
思いぞ出づる  来し方に  涙は湧く
落ち葉ならぬ  身をばやる  われも
かなたこなた  吹きまくれ  逆(さか)風よ
            沈む日
        たよりないうす明り  沈む日の  
        メランコリヤを  野にそそぐ
        メランコリヤの  歌ゆるく  
        沈む日に  われを忘れる
        
        わがこころ  うちゆする
        砂浜に  沈む日もさながらの 
        不可思議の夢
        
        紅いの幽霊となり
        絶えまなくうちつづく  うちつづく
        大いなる沈む日に似て  
        砂浜に
ポール・ヴェルレーヌ(1844-1896)フランス象徴派の詩人。
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2006年、読書と創作の旅 読んでおいてください
☆ 憲法改正について
 安倍政権に代わって憲法改正問題がより現実的になっている。そこで、再度、この問題を観察してゆきたい。下記は、現行憲法と、昨年秋政府自民党が出した改正案。
 
前文について
【現行憲法】
 日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれら子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に在することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基づくものである。われわれはこれに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
 日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
 われらは、いづれの国家も、じこくのことのみに専念して他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は、、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立とうとする各国の責務であると信ずる。
 日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。
上記、現行憲法を下記のようにしたい、という。
【自民党案】
 日本国民は、自らの意思と決意に基づき、主権者として、ここに新しい憲法を制定する。
 象徴天皇は、これを維持する。また、国民主権とと民主主義、自由主義と基本的人権の尊重及び平和主義と国際協調主義の基本原則は、不変の価値として継承する。
 日本国民は、帰属する国や社会を愛情と責任感と気概をもって自ら支え守る責務を共有し、自由かつ公正で活力ある社会の発展と国民福祉の充実を図り、教育の振興と文化の創造及び地方自治の発展を重視する。
 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に願い、他国とともにその実現のため、協力し合う、国際社会において、価値観の多様性を認めつつ、圧政や人権侵害を根絶させるため、不断の努力を行う。
 日本国民は、自然との共生を信条に、自国のみならずかけがいのない地球の環境を守るため、力を尽くす。
憲法、特に第九条は、どうしたらよいのか。考えてみる。選択肢は二つか
一つは、現在の世界情勢に沿った形で改正する。
二つには、世界に一つしかない憲法だから変えない。(世界遺産として残す)
文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.66――――――――10 ―――――――――――――――――
第9条について
現憲法の第二章【戦争の放棄】
 
第九条 ① 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、武力によ
       る威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを
       放棄する。
     ② 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国
       の交戦権は、これを認めない。
●(自民党)草案の第二章【安全保障】
 
 第九条(平和主義) (現憲法の一項と同じ)
 第九条の二(自衛軍) 我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全を確保するため、内閣
 総理大臣を最高指揮権者とする自衛軍を保持する。
2 自衛軍は、前項の規定による任務を遂行するための活動を行うにつき、法律の定めるところにより、国会の承認その他の統制に服する。
3 自衛軍は、第一項の規定による任務を遂行するための活動のほか、法律の定めるところにより、国際社会の平和と安全確保するために国際的に協調して行われる活動及び緊急事態における公の秩序を維持し、又は国民の生命若しくは自由を守るための活動を行うことができる。
第二項に定められるもののほか、自衛軍の組織及び統制に関する事項は、法律で定める。
10・16ゼミ報告
10月16日のゼミは、7名全員参加でした。(順不動・敬称略)
 猿渡公一   鈴木秀和   高嶋 翔  中川めぐみ
 神田奈都子  佐藤翔星   大江彩乃
    
司会・鈴木秀和さん
1.ゼミ誌について → 部数150部、カバー、帯、表紙のデザイン
2.タイトル「サンサシオン」の位置。
3.名作読み「めんどり」猿渡公一、「しゃこ」佐藤翔星
下原から、山下聖美先生の『ニチゲー力』出版パーティの誘い。
10月27日(金) 会場・池袋ホテルメトロポリタン「桜の間」夜7:00~
        会費1200 学生8000(新刊本3冊つきです)
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新刊・雑誌紹介
新刊・好評発売中
山下聖美著 三修社 定価1400円
『ニチゲー力』日大芸術学部とは何か
日本のサブ・カルチャーの発信地の魅力を余すところなく解説
第1章 東大・早慶よりも魅力ある「日芸」
第2章 サブ・カルチャーの担い手を発掘し続ける秘訣
第3章 日芸のナカミ
第4章 学生生活で決まる「夢の実現度」
第5章 日芸的生き方は憧れの的
わが青春の日芸(本書収録)
群ようこ(作家) 安西水丸(イラストレーター) 三遊亭白鳥(落語家)
篠井英介(役者) 串田和美(演出家・俳優)
雑誌・好評発売中
☆雑誌『江古田文学62』定価980+税
   特集・チェーホフの現在
         座談会・ドストエフスキー派から見たチェーホフ
             清水 正 下原敏彦 下原康子 横尾和博
    創作・架空夜話「ある元娼婦の話」下原敏彦
1890年6月26日、アムール河口の町に着いたチェーホフは、日本人娼婦と一夜を共にする。その夜、青年医師であり新進作家でもあるチェーホフは遊女と何を語り、何を考えたのか。ドストエフスキーへの懐疑と憧れ。はたまた明治維新を成し遂げた日本への憧憬。謎に満ちた若き文豪のサハリン行の謎が明かされる。
☆雑誌・別冊『國文学』特集号 10月20日発行 定価1575円
『ギャンブル』破滅と栄光の快楽
 読むギャンブル・沢木耕太郎「賽の踊り」、坂口安吾「今日われ競輪す」 
         井伏鱒二「競馬」、阿佐田哲也「ラスヴェガス朝景」など
 
 知のギャンブル ・松田義幸「世界のギャンブル遊びの歴史」、吉永良正「パ 
          スカル、一生に一度の賭け」、寺山修司「賭博骨牌考」、
下原敏彦「ドストエフスキーとギャンブル」
文豪を苦しめたルーレット賭博とは、何だったのか。突然の賭博熱解消の謎は。『カラマーゾフの兄弟』に秘められた文豪のメッセージとは。あの「ダヴィンチ・コード」をはるかに凌ぐ人類救済の謎解きがここからはじまる。
文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.66――――――――12 ―――――――――――――――――
後期の予定
土壌館劇場公演
 毎回、ゼミの中で公演してゆきます。棒読みにならないように創意工夫してください。
ゼミ内容
    □ 後期は、主にこの二点を中心にすすめます。
      1.テキスト「灰色の月」の考察。 
      2.ゼミ誌原稿感想と「車中観察」・「普通の一日を記憶する」
    □ 併せて時間に余裕があれば、以下の課題も実施します。
      3.名作読み。(家族観察作品ルナール『にんじん』)他
      4. 回想法・「少年王者」紙芝居。(毎ゼミ可)
      5 社会問題として憲法問題  第九条についての考えを話し合う。
  
提出原稿について
○ テキスト・「灰色の月」の感想文。(各自1本)
○ 「車内観察」&「普通の一日を記憶する」。(常時)
  名作読み「にんじん」の感想を書く。「憲法について」(各自1本)
掲示板
ドストエフスキー関連
■ドストエーフスキイ全作品を読む会第217回「読書会」
月 日 : 12月9日土曜日 午後2時00分~4時45分
会 場 : 東京芸術劇場小会議室7
報告者 : 近藤靖宏氏 作品『賭博者』
■ドストエーフスキイの会第177回例会
月 日 : 11月18日土曜日 午後6時00分~9時00分
会 場 : 千駄ヶ谷区民会館
報告者 : 下原敏彦
題 目 : 「団塊世代とドストエフスキー」
                                 詳細は下原まで  
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編集室便り
☆課題原稿、社会評、創作など歓迎します。下記の郵便住所かメール先に送ってください。
「下原ゼミ通信」編集室の住所〒274-0825 船橋市前原西6-1-12-816 下原方
  メール: TEL・FAX:047-475-1582  toshihiko@shimohara.net
☆本通信はHP「土壌館」に掲載されています。

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