文芸研究Ⅱ 下原ゼミ通信No.259

公開日: 

 

 

日本大学藝術学部文芸学科     2015年(平成27年)4月13日発行

 

文芸研究下原ゼミ通信No.259

BUNGEIKENKYU Ⅱ SHIMOHARAZEMI TSUSHIN

編集発行人 下原敏彦

4/13 4/20 4/27 5/11 5/18 5/25 6/1 6/8 6/15 6/22 6/29  7/6

2015年読書と創作の旅

 

熊谷元一研究

 

4・13下原ゼミ

 

 

4月13日(月)の下原ゼミは、下記の要領で行います。文ゼミ教室2

1.ゼミ内容について (授業計画)

 

2.熊谷元一研究について ゼミ誌『熊谷元一研究 2号』

はじめに

皆さん、こんにちわ ! 2年生のゼミは、どこにするか。自由選択となると迷うところです。公表のシラバスも抽象的過ぎて不明な点が多いと思います。

今日のこの説明会で、わからないところ、知りたいところをしっかり確認して選んでください。でないと旅の途中で「間違った船に乗ってしまった」と悔いることになります。そんなことにならないよう、2015年の旅路を楽しく有意義なものにしましょう。

授業テーマ「観察と表現」について

当ゼミの授業テーマは「観察と表現」です。文芸学科を志望する人は、むろん、なんとなく入ってしまったという人もいるでしょうが、将来ものを書く仕事につきたい。そんな希望の人が大半ではないかと思います。創作にしろ、ノンフィクションにしろ、ものを書くためには、どうすればよいか。当たり前のことですが、それには、まずしっかり「観察」することです。百聞は一見にしかず、という言葉がありますが、自分の目でしっかり見て表現する。それがものを書く基本精神です。

 

目標に「読むこと」「書くこと」の日常化、習慣化

 

この一年の目標は、「読むこと」「書くこと」の習慣化、日常化です。実践として、「読むこと」についてはテキストの朗読をつづけます。「書くこと」については、課題提出です。 課題は、社会問題、自分観察、テキスト感想など。この「ゼミ通信」に掲載し、合評していきます。

 

「読むこと」 テキストの朗読  「書くこと」観察作品の発表

 

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「書くこと」について

 

課題例「社会観察」

「昨日12日行われた第18回統一地方選挙は、10知事選、すべて現職が快勝した。投票率 各地で最低。この結果の意味するものは何か。政治経済安定の証拠か、選挙は無駄という不信からか」

※2年生は選挙権のある人とない人がいると思いますが。感じたことを書いてください。

 

「読むこと」について

 

読書のススメ 「よりよい読書には健全な精神が宿る」

たとえば健全の身体には健全の精神が宿る、という言葉がある。文字通り取って一生懸命に体を鍛えれば健全な精神がつくれるのか・・・・、漫才のコントになりそうだが、これを読書する身体には、とすれば、なんとなく納得もできる。「よりよい読書には健全な精神が宿る」である。

ところで健全な精神とは何か。端的に云えば教養と正義を持つ心である。正義は、もって生まれたものもあるが、真の教養はそうはいかない。この両方の精神を育ててこそ人は真の意味で全うな人間になれる。全うなーつまり健全な精神を持てない人間は、どんなにブランドもので身を飾ろうと卑しい。ことにあたると浅ましさを露呈する。例え権力者になろうと、大金持になろうと、いかなる名声を得ようと、である。

昨今、大学は入学するためだけの、よりよい就職先を見つけるためだけの場所となっている傾向がある。しかし、本来の大学の目的は、健全な精神が宿る人間を育てるところである。健全な精神を持った人間を社会に送り出し、誰もが幸せに暮らせるよりよい社会を築く。その人材を作るために大学は存在する。冨や名声を得るためのところでも、学歴を自慢するところでもない。森羅万象の調和を目指すことを学ぶ場。大学の使命は、常にそこにある。書くことも研究することも全てその一点にあるのである。

それでは、健全な精神を育てる為には何をなすべきか。ただ、大学に通って、テストでよい点を取って単位だけをとって卒業すればいい。断じてそういったところではない。世に為政者や役人、経営者、教育者たちの腐敗・不正が後を絶たないのは、そうしたことだけに汲々とした学生生活を送った者が、いかに多いかという証拠でもある。罪を犯さなくても、自分一人だけの欲望を叶えたとしても、大学で学んだ意味がない。あくまでも人の役に立ってこそ、人のためになってこそ学んだ意味があるのである。

では、健全な精神を育て持てるには、どうしたらよいか。読書することである。大学生活という空間のなかで、青春という果てなく思える時間のなかで、とにかく読書すること。それより他にない。ある大学の入学式で学長が祝辞に「スマホをとるか大学をとるか」と言って物議を醸したが、まさに読書の時間をとるかゲーム時間をとるか、である。

しかし、それもただ本を読めばいい、というものではない。巷に書物はあふれている。悪書は何冊読んでも浪費の体験にはなるが、プラスにはならない。良書も、ただ読んだだけでは、健全な精神を育てる肥料にはならない。ただやみくもに肥料を与えても植物は育たないのと同じである。読書は簡単だが難しい。

いまこの星は地核まで、血と涙でびしょ濡れている。救済できるのは、政治や、秀きょうの前に読書のススメがある。

では、読書は、どんなふうにしたらよいのか。それについて、今日の近代日本人をつくった明治の偉大な教育者・嘉納治五郎(1860-1938)が説いている。次の号で紹介します。

 

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【テキスト】について

 

授業のなかでテキストとして取り上げるものは次の通りです。一見、バラバラに感じる四者ですが、その作品に流れる根本理念は、人間の幸福、人類の平和です。

 

志賀直哉 → 短編作品。主に車内観察作品。犯罪作品から模擬裁判。

 

嘉納治五郎 → 青年訓 読書のススメ

 

ドストエフスキー → マラソン朗読会 寸劇「ぼた雪」

 

熊谷元一(1909-2010) → 岩波写真文庫『一年生』

 

志賀直哉について

 

※志賀直哉1883年(明治16年)2月20日~1971年(昭和46年)10月21日没88歳

 

文学の源泉

小説の神様といわれる志賀直哉の作品といえば唯一の長編『暗夜行路』をはじめ『和解』『灰色の月』『城の崎にて』といった名作が思い浮ぶ。浮かばない人でも『小僧の神様』『清兵衛と瓢箪』『菜の花と小娘』と聞けば、学生時代をなつかしく思い出すに違いない。

もっとも最近は、そうでもないようだが・・・、これらの作品はかつて教科書の定番であった。また、物語好きな人なら『范の犯罪』や『赤西蠣太』は忘れられぬ一品である。他にも『正義派』『子を盗む話』など珠玉の短編がある。いずれも日本文学を代表する作品群である。こうしたなかで、処女作三部作といわれる三作品は一見、創作作品とも思えぬ小品である。唯一『菜の花と小娘』は創作らしい内容だが、他の二作『網走まで』『或る朝』は、なんの変哲もない、とても小説とは思えない作品である。が、これら三作には、志賀文学の基盤がある。そのように思えるのである。

かつて川端康成は、志賀直哉を「文学の源泉」と評した。その意味について正直、若いとき私はよくわからなかった。ただ漠然と、文学を極めた川端康成がそう言うから、そうなのだろう・・・ぐらいの安易な理解度だった。しかし、五十を過ぎてあらためて志賀文学を読みすすめるなかで、その意味することがなんとなくわかってきたような気がする。

そうして、川端康成が評した文学の「源泉」とは、処女作『網走まで』『菜の花と小娘』『或る朝』のなかにある。そのように確信したしだいである。

この2015年の旅のなかで、それ何かがわかれば文学開眼の成果あり。もし不明であっても人生の宿題としてもらえれば幸いです。

 

はじめに処女作三部作をテキストにする

 

ノーベル文学賞作家の川端康成に「文学の源泉」と評された志賀直哉だが、その志賀作品の源泉は初期作品にあると前述した。つまるところはじめの三部作は、源泉中の源泉というわけである。が、はたしてそう感じとれるか。2015年ゼミはじまりの課題としては、いきなり大きな問題だが、この問題考察を目標として読んでゆきたい。

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ドストエフスキーについて

 

 ドストエフスキーは、ゼミ合宿で「読むこと」の集大成としてマラソン朗読会を実施します。後期ゼミで合同発表会が実施されれば、だしものとして志賀直哉の模擬裁判か『地下生活者の手記』から脚本化した寸劇「ぼた雪」の稽古をします。

 ドストエフスキーの全作品を読む会を2カ月に一度、池袋芸術劇場で開いています。参加者は一般市民。以下の、通信でお知らせしています。興味のある人は是非。

 

 

 

ドストエーフスキイ 2015年(平成27年) 4月4日発行

全作品を読む会 読書会通信149

  ホームページ  http://dokushokai.shimohara.net/

 

☆読書会連絡先:福井勝也℡03-3320-6488・横尾和博℡03-3902-8457・下原敏彦047-475-1582

 

 

2015年(平成27年)開催月日2214186208・未/10・未/12・未/2・未定

  第2684月読書会のお知らせ

 

   第3土曜日・「東京芸術劇場」小会議室7です

 

4月読書会は、下記の要領で行います。

月 日 : 2015年4月18日(土)

 

場 所 : 池袋・東京芸術劇場小会議室7(池袋西口徒歩3分)

開 場 : 午後1時30分

 

開 始  : 午後2時00分 ~ 4時45分

 

作 品  :『罪と罰』3回目

米川正夫訳『ドスト全集4巻(河出書房新社)』 他訳可

報告者  :  小柳定治郎氏

会  費 → 1000円(学生500円)

 

二次会はJR池袋駅西口付近の居酒屋 → 5時10分 ~ お茶会(喫茶店)

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□  6月読書会は、東京芸術劇場の第7会議室です。作品『罪と罰』4回目

開催日 :  2015年6月20日(土) 午後2時~4時45分迄です

 

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熊谷元一研究について

 

下原ゼミの本元は熊谷元一研究です

 

前述の授業をすすめながら、熊谷元一研究を実施します。シラバスであげたように、ゼミ誌は、「熊谷元一研究 No.2」の発刊を目ざします。

昨年のゼミ誌は、創刊号でした。2014年からゼミⅡではじめました。が、多方面からゼミ誌希望のメール、電話がありました。

知名度が原因か、昨年、「熊谷元一研究」を宣言したときから、ゼミ希望者が激減しました。なにごともはじまりは、厳しいものです。が、今後も信念をもってこの研究に取り組んでいく決心です。同行者を募ります。

 

ゼミⅡのゼミ誌『熊谷元一研究 2号』2015年の特集は「一年生」

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話題 『熊谷元一研究 創刊号』多方面から注目される !! 

長野県山村文化研究として 南信州新聞 2015年2月21日 土曜日

 

 

長野県立図書館からは蔵書

 

地元の熊谷元一研究者からも

 

法政大学国際文化学部も注目

 

※  法政大学国際文化学部が、なぜ、飯田・下伊那(熊谷元一)に国際研修を始めることになったのか、実施が決まってからどんな準備作業をしたのかまとめてあります。お読み下されば幸いです。「国際文化研究への道」彩流社

 

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熊谷元一研究のすすめ方

 

課題原稿  岩波写真文庫『一年生』感想    自分の小学生時代の思い出

      『一年生』のなかの写真

 

校外授業 熊谷が70年間撮った村をたずねる。

 

場所 長野県下伊那郡阿智村昼神温泉郷

 

現地での体験学習 このなかのいくつか日程で考える

 

・熊谷元一写真童画館の見学

・熊谷が撮影した山村観察。駒場宿、学校、村道を散策して当時と現在を知る。

・武田信玄終焉の地、長岳寺で森田草平の『煤煙』生原稿をみる。

・「満蒙開拓平和記念館」見学で70年前の日本の国策と悲劇を知る。

・古典 源氏物語の箒木見物 謡曲「木賊」の舞台を歩く

・その他 飯田中村で水引工場見学 中仙道の妻籠宿 島崎藤村『夜明け前』馬籠宿

 

テキスト 岩波写真文庫『一年生』

 

1953年(昭和28年)に長野県の山村に入学した一年生の担任になった写真家・熊谷元一が1年間、学校での子どもの様子を撮った。下原は、そのときの一年生。

 

 

この『一年生』は、1955年に土門拳ら著名な写真家たちを押え第一回毎日写真賞受賞。写真界の金字塔。各地で開催の「近くて懐かしい昭和展」に展示されている。

このなかの、コッペパンを食べる少年は、写真日本一になった。目にした人もいると思うが展覧会のたびに、ポスターとして書店やマスメディアで宣伝されている。
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熊谷元一研究とは何か

 

2014年発行の『熊谷元一研究 創刊号』に寄せてから

 

熊谷元一とは誰か。

 

2010年の晩秋、101歳で亡くなった熊谷元一は、生涯小学校の一教員だった。が、同時に写真家・童画家でもあった。

写真家としては、山村の村人を70年近く撮りつづけたことで農村における記録写真の分野を確立した。童画家としては、風化していく山村の風習文化の伝承に貢献した。

その前半生は、激動の大正、昭和のなかで時代に翻弄され変転を余儀なくされた人生だった。戦後は、民主主義教育の草創期にあって創意工夫の学校教育を試みた教師人生だった。退職後は、東京に居を移し写真家・童画家として活躍した。

熊谷は、自分の人生を三足のわらじを履いた人生に例えていた。教師・写真家・童画家である。どれも立派に履きこなした。

熊谷の仕事は、観察し記録しつづけることにあった。真摯な努力と根気、深い愛着と熱い好奇心でもってひたすら長野県の一山村を70余年にわたって撮りつづけ、描きつづけた。そうして被写体の教え子を見守りつづけた。熊谷が撮った村人の生活、描いた童画、その人生で示した教育。そこには、時代や地域を超えた普遍の懐かしさがある。

2011年3・11の東日本大地震で日本人は、改めて故郷の大切さを思い知った。記録された熊谷の写真や童画には、失われた故郷の原風景がある。日本人が忘れてしまった何かがある。

本誌は、その何かを探り、これからの私たちの生活や教育に役立たせることにある。本誌を手にとり熊谷の数々の作品を見ることで、心にふるさとを思い、懐かしく豊かな気持ちになってくれれば幸いである。

最後になるが、私は熊谷の教え子であり、かつ『一年生』の被写体でもある。その利点から、より深く、より広く研究をすすめられるのではないかと信じている。この創刊号をスタートに、日本大学芸術学部文芸学科下原ゼミの学生たちと「熊谷元一とは何か」を探究してゆく所存である。

 

下原と熊谷元一

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2015年のゼミ誌予定

 

『熊谷元一研究 No.2』の表紙案

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熊谷元一研究 2015

 

No.2

☆特集②

 

熊谷元一と「一年生」

 

 

日本大学藝術学部文芸学科下原ゼミ

 

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平成24、25、26年度における熊谷元一研究の活動

 

下原ゼミにおける熊谷元一研究の主な活動は、以下の通りでした。

 

秋田角館熊谷元一写真童画館見学参加

2012年 秋田角館写真家の招待で、熊谷元一写真童画館一行と秋田角館に行く。乳頭温泉に宿泊、地元写真家、ライターと交流。

 

岩波書店創立百年展 参加

銀座・教文館で開催された岩波書店創立百年展に熊谷元一の『一年生』が展示された。岩波書店から招待。郊外授業として見学。文芸研究Ⅱから、嶋津きよら 齊藤真由香が参加。嶋津さん懇親会参加。

□2013年7月3日(金)岩波書店編集部桑原涼氏レクチャー 芥川先生・下原参加。

□2013年7月5日(日)銀座・教文館「岩波書店創業百年展」見学9名(2)

熊谷元一賞写真コンクール審査会 参加

新宿のホテル市ヶ谷で行われた熊谷元一賞写真コンクール最終審査会で選考過程を見学。

文芸研究Ⅳからは、大野純弥君参加。懇親会も出席。

 

□2013年9月30日(月)第16回熊谷元一写真賞コンクール最終審査 見学5名(1)

 

16回熊谷元一賞写真コンクール授賞式 不参加

熊谷元一の郷里、長野県阿智村で、授賞式があり、新しく審査員になった日芸講師の飯沢耕太郎先生が記念講演した。都合で不参加。

 

□2013年11月9日(土)第16回授賞式、飯沢先生講演、「一年生展」開催 不参加

 

熊谷元一写真童画館で『一年生』展開催 参加 

2013年11月~12月

28会が地元同級会を開く。参加したなかで9名が見学参加

 

□2013年11月24日(日)熊谷元一写真童画館「一年生展」見学9名(28会)

 

「長野県生まれの写真家たち」展 参加

熊谷元一を含め22人の『写信州』展が東京で開かれた。

日 時  2014年1月31日(金)~2月1日(土)

会 場  ポートレートギャラリー(東京都新宿区四谷1-7)

□ 2014年4月10日 木曜日 毎日新聞・小学生新聞 記事は、城島 徹編集委員

 

熊谷元一賞写真コンクール審査会 参加

□ 2014年9月30日

 

昭和のこども展 参加

□ 2014年11月18日~ 八王子美術館 「昭和のこども展」

 

17回熊谷元一賞写真コンクール授賞式 不参加

熊谷元一の郷里、長野県阿智村で、授賞式があり、宿予約失敗で不参加。

 

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講師自己紹介

 

1947年 長野県生まれ

 

講師紹介

 

 

 

2004

童話賞受賞作品

大阪府立高校入試出題                  椋鳩十記念特別賞作品

埼玉県立高校入試出題

 

『ドストエフスキーを読みながら』下原敏彦著 2005

写真集『五十歳になった一年生』編纂下原敏彦 写真熊谷元一  2000

記念文集『還暦になった一年生』編纂下原敏彦 写真 熊谷元一 2010

6月出版予定『黒板絵は残った』編纂・文 下原敏彦 写真 熊谷元一 2015

 

地域の青少年育成でボランティア活動として柔道教室を開いている。

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日本大学学祖・山田顕義(やまだあきよし)

 

1844年 山田市之允(やまだいちのじょう)長州藩(山口県萩市)に生まれる。

1853年 6月ペリー来航

1854年 1月ペリー再来日 ミシシッピー号、レキシントン号など7隻 日米和親条約

吉田松陰、黒船密航に失敗。

1857年 安政4年 吉田寅次郎(松蔭)の松下村塾に入塾。14歳。11月看板。

※松下村塾の塾生は、高杉晋作、久坂玄瑞、伊藤俊輔、山県有朋らがいた。

最近のニュースで、坂本竜馬が久坂の手紙を土佐(武市半平太)に持って帰ったと

の記事。最近、発見された。

1858年 安政5年、12月26日、松陰に野山獄入りが命じられる。安政の大獄。

別れに際して松陰は、15歳の市之允に漢詩を書いた扇を渡す。松下村塾消滅。

日米修好通商条約締結=地位協定、関税などの不平等条約

1859年 10月27日 吉田松陰斬首。30歳

遺訓「身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも留置まし大和魂」

1863年 下関にて攘夷。米商船を攻撃。市之允初陣。

1864年 蛤御門の変。参戦。久坂玄瑞死す。第一次長州征伐。長州降参。

アメリカ、イギリス、フランス、オランダ四カ国連合艦隊長州攻撃。

市之允、御盾隊として奮戦も敗戦。高杉晋作の決起に参加。

1866年 慶應2年、第二次長州征伐。小型砲艦の砲艦長として活躍。

1867年 慶應3年、高杉晋作が死んだ。六十余州を揺り動かした風雲児だけに皆は後任を

心配した。高杉は、病床でこう告げたといわれる。「大村益次郎に頼め。その次は、

山田市之允だ」市之允24歳であった。

1868年 慶應4年、新政府討幕軍の参謀として官軍を率いて鳥羽・伏見。東北各藩、函館

戦争を勝利に導く。長岡、会津、五稜郭。いずれも困難な戦だったが、「用兵の奇

才」ぶりを十分に発揮した。

1872年 1月欧米視察団でアメリカ、ヨーロッパへ。吉田松陰の密航失敗から17年後。

旅行中は、木戸孝允(桂小五郎)と同行。2月パリへ。ワーテルロー見学。

1873年 6月帰国。1年8ヶ月の旅。

1877年 西南戦争に鎮圧出征。活躍して終結させる。

1885年 第一次伊藤博文内閣で初代司法大臣に。

1890年 日本大学の前身・日本法律学校を創設。

1891年 大津事件(ニコライ皇太子傷害事件)の責任をとって司法大臣を辞任。

1892年 11月、兵庫県にある生駒銀山視察中に不審死。49歳。

1988年 12月20日、日本大学による墓地発掘。調査によると

「頭蓋骨の形状などから、突き落とされたのではないか」との見解。

 

・・・・・・・・・・・・・編集室便り・・・・・・・・・・・・・・

 

お知らせ ゼミ誌編集委員、希望の人は、自薦・推薦で。

 

○編集は、実践勉強です。ぜひ挑戦してみてください。編集委員は2名です。が、基本的には、ゼミ生全員が編集委員となります。皆で協力してつくりましょう。

○創作、エッセイ、評論、など書けた人は「下原ゼミ通信」にお寄せください。いつでも歓迎です。〒かメール、手渡しでも。

□住所〒274-0825 船橋市前原西6-1-12-816 下原方『下原ゼミ通信』編集室

メール: TEL・FAX:047-475-1582  toshihiko@shimohara.net

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