文芸研究Ⅱ 下原ゼミ通信No.260

公開日: 

 

 

日本大学藝術学部文芸学科     2015年(平成27年)4月20日発行

 

文芸研究下原ゼミ通信No.260

BUNGEIKENKYU Ⅱ SHIMOHARAZEMI TSUSHIN

編集発行人 下原敏彦

4/13 4/20 4/27 5/11 5/18 5/25 6/1 6/8 6/15 6/22 6/29 7/6

2015年読書と創作の旅

 

熊谷元一研究

 

4・20下原ゼミ

 

 

4月20日(月)の下原ゼミは、下記の要領で行います。文ゼミ教室2

 

1.自己紹介、ゼミ誌『熊谷元一研究2号』編集委員・連絡係り

 

2.「読むこと」「書くこと」 熊谷元一研究について

4・13ゼミガイダンス4名の参加者+1名

先週4・13ゼミガイダンスには、4名の参加者があった。内訳は、女子2名、男子2名。また、ゼミ室外において1名(男子)の希望者があった。

4本の柱で個人の完成を目指す

 

ゼミ説明は、この一年、志賀直哉、ドストエフスキー、嘉納治五郎、熊谷元一をテキストに「読むこと」「書くこと」の習慣化を身につけ個人(人間)の完成を目指す、といったことを理解してもらった。

・志賀直哉からは、フィクションとノンフィクションで織りなす作品技法を学ぶ。

・ドストエフスキーからは、人間研究を学ぶ。人間観察作品を書く。

・嘉納治五郎からは、人生と教育について学ぶ。明治、大正、昭和(戦争までの歴史)

・熊谷元一からは、観察と、根気、継続を学ぶ。一つのことを見つめつづける行為・行動。

(熊谷元一とは何か、追悼番組DVD不調で、ニュース番組DVDを見る。)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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ゼミ進行プログラム

 

  1.  講師進行、ゼミ通信配布と今日の授業について ゼミ進行指名

 

ゼミ誌編集委員・ゼミ連絡係りなどを決める。

・ゼミ誌編集委員 → ゼミ誌作成の責任者 正副。ゼミ誌ガイダンス参加など。

・ゼミ連絡係り → 校外授業届けなど。

 

  1.  指名者司会進行 作品読み、感想、報告などの指名と範囲支持など。

 

本日の読み作品 → 嘉納治五郎著「青年訓」(精読と多読)

志賀直哉作「菜の花と小娘」菜の花観察からの創作作品

  1.  「書くこと」配布 → 「自分の読書」これまで読んで面白かった本。

「『菜の花と小娘』を読んで」

 

読むこと 文芸の基本は、読書にあります。で、音読します

 

読書のススメとして毎年、ゼミはじめに紹介しています。

 

読書は、どのようにしたらよいか。いまさら、と思いますが、なにごとも初心忘るべからず。と、いうことで、まずは嘉納治五郎の「青年修養訓」を読んでもらいます。この養生訓は、明治43年(1910年)12月30日に同文館から出版されました。いまから105年前の文章です。読みずらいカ所はありますが、内容は変わりません。しっかり読んで、取り入れてください。ちなみに、この年1910年は、暗い重苦しい年でした。大逆事件が起きています。日本が狂信的軍国主義国家に突入した年です。昔の人はよく読書したと聞きますが、当時の為政者は、この養生訓を正く理解しなかった。そのように思えてなりません。

大逆事件 明治天皇の暗殺計画とのでっちあげ容疑で幸徳秋水ら社会主義者24名が逮捕、12名が死刑、12名が無期懲役となった。森鴎外、石川啄木、永井荷風らに衝撃。

 

15 精読と多読

『嘉納治五郎著作集 教育篇』(五月書房)

精神の健全な発達を遂げようとするには、これに相当の栄養を与えなければならぬのであるが、その栄養を精神に与えるのは読書である。人は誰でも精神の健全な発達を望まないものはないにもかかわらず、実際その栄養法たる読書を好まない者も少なくないのは甚だ怪訝に堪えぬ。かくの如きは、その人にとっても国家にとっても実に歎(タン)ずべき事である。読書の習慣は学生にあっては成功の段階となり、実務に従事しいるものにあっては競争場裡の劣敗者たるを免れしむる保障となるものである。看よ、古来名を青史に留めたるところの文武の偉人は多くは読書を好み、それぞれの愛読書を有しておったのである。試みにその二、三の例をあげてみれば、徳川家康は常に東鑑(吾妻鏡)等を愛読し、頼山陽は史記を友とし、近くは伊藤博文は繁劇な公務の間にいても読書を廃さなかった。またカーライル(イギリスの歴史家・評論家)は一年に一回ホーマー(ホメロス)を読み、シルレルはークスピーアーを読んだ。ナポレオンは常にゲーテの詩集を手にし、ウエリントン(イギリスの将軍・政治家)はバットラーの著書(『万人の道』「生活と習慣」など)やアダムスミスの国富論に目を曝しておったということである。なすことあらんとする青年が、学生時代において読書を怠らないようにし、これを確乎とした一の習慣として、中年老年まで続けるようにするということの必要なるは多言を俟(ま)たないのである。

 

と、このように読書の必要性を説く。が、どんな本を読むかは、このように述べている。

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読書はこのように必要であるけれども、もしその読む書物が適当でないか、その読書の方法がよろしきを得なければ、ただに益を受けることが出来ないのみならず、かえって害を受けるのである。吾人の読む書物のどんなものであるべきかに関しては、ここにはただ一言を述べて余は他の章に譲っておこう。すべて新刊書ならば先輩識者が認めて価値が

あるというものを選ぶか、または古人のいったように世に出てから一年も立たないようなものは、必要がない以上はこれを後廻しとするがよい。また、昔より名著として世人に尊重せられているものは、その中から若干を選んで常にこれを繙(ひもと)き見るようにするがよいのである。

 

どんな本を読んだらよいか。本によっては栄養になるどころか害になるという。嘉納治五郎が言うのは、先輩識者が認めた価値のあるもの。つまり世に名作といわれている本である。他は、現在、たとえどんなに評判がよくても、百万冊のベストセラーであっても後回しにせよということである。そうして古典になっているものは、常に手にしていなさいと教えている。本のよしあし、作家のよしあしは時間という評者が選んでくれる。

さて、このようにして読む本を選んだら、次にどのようにして読むか。いらぬ節介ではあるが、全身教育者である嘉納治五郎は、その方法をも懇切丁寧に述べている。

 

次に方法の点に移れば、読書の方法は、とりもなおさず精読多読などの事を意味するのである。精読とは読んで字の如くくわしく丁寧に読むこと、多読とは多く広く読むのをいうのである。真正に完全の読書をするには、この二つが備わらなければならぬ。

 

つまり書物は偏らず、多くの書を読め、ということである。そうして読むからには、飛ばし飛ばし読むものには耳が痛いが、決していい加減にではなく、丁寧に読むべし、というこ

とである。いずれももっともなことではあるが、人間、こうして指導されないと、なかなか読むに至らない。次に、折角の読書に陥りがたい短所があることを指摘し、注意している。

 

世に鵜呑みの知識というものがある。これは教師なり書物なりから得た知識をば、別に思考もせず会得もしないで、そのまま精神中に取込んだものをいうのである。かようなものがどうしてその人の真の知識となって役に立つであろうか。総じて知識が真の知識となるについては、まず第一にそれが十分に理解されておらねばならぬ。次にはそれが固く記憶されておらねばならぬ。

 

鵜呑みの知識。よく読書のスピードを自慢する人がいるが、いくら早く読んでも、理解していなければ、ただ知っている、ということだけになる。

 

理解のされていない知識は他に自在に応用される事が出来ないし、固く記憶されていない知識は何時でも役に立つというわけにはいかない。したがってこれらの知識は、あるもないも同じ事である。かような理由であるから、何人たりとも真の知識を有しようと思うならば、それを十分咀嚼(そしゃく)消化して理解会得し、また十分確固明白に記憶しおくようにせねばならぬ。

 

 そのためには・・・・・

 

さてこの理解記憶を全くしようとするにはどうしたらよいかというには、他に道は無い。その知識を受け入れる時に用意を密にする。すなわち書物をば精しく読まねばならぬのである。幾度か幾度か繰返し読んで主要点をたしかに捉えると同時に、詳細の事項をも落とさず隅々まで精確に理解をし、かつ記憶を固くするのである。こうして得た知識こそは真の栄養を精神に与え、また始めて吾人に満足を与える事が出来るのである。試みに想像してみれば分かる。何らかの書物をば百遍も精読し、その極その中に書いてある事は十分会

 

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得していて、どんな場合にも応用が出来、その知識は真のわが知識になって、わが血液に変じ筋肉と化しておったならば、その心持はどのようであろうか。真に程子(テイシ兄弟)のいったように、手の舞い足の踏むところを知らないであろう。書物の与える満足には種々あろうが、これらはその中の主なるものであって、また最も高尚なものである。

 

書物を理解するには、繰り返し読むことが重要。精読まずは精読である。さすれば応用ができ真の知識となる、と説いている。また、この精読するということについても、こう語っている。

 

 かつまた一冊の書物の上に全力を傾注するという事は、吾人の精神修養の上から観ても大切である。何となれば人間が社会に立っているからには、大かり小なりの一事をば必ず成し遂げるという習慣がきわめて必要であるが、書物を精読し了するというのは、ちょうどこの一事を成し遂げるという事に当たるからである。今日でこそやや薄らいだようであるが、維新前におけるわが国士人の中には、四書(儒教の経典)の中の一部もしくは数部をば精読し熟読し、その極はほとんどこれを暗誦して常住座臥その行動を律する規矩(きく・コンパス)としておったものが多いのである。伊藤仁斎(江戸初期の朱子学儒者)は18,9歳の頃『延平問答』という書物を手に入れて反復熟読した結果、紙が破れるまでになったが、その精読から得た知識が大いに修養の助けとなり、他日大成の基をなしたという事である。また荻生徂徠は、13年のわびしい田舎住居の間、単に一部の大学諺解(ゲンカイ口語による漢文解釈)のみを友としておったという事である。程子は「余は17,8より論語を読み当時すでに文義(文章の意味)を暁りしが、これを読むこといよいよ久しうしてただ意味の深長なるを覚ゆ」と言っている。古昔の人がいかに精読に重きをおいたかは、これら2,3の事例に徴するも分明である。学問教育が多岐に渉る結果として、遺憾な事に

はこのような美風も今日ではさほど行われないようである。

 

ひとつのものを徹底して読む。この美風、すなわち習慣は、現代においては、ますます為

されていない。が、学生は、すすんで挑戦しようという気まがえがなくてはならぬ。と、いっている。

 

しかし現に学生生活を送り近い未来において独立すべき青年らには、各率先してこの美風を伝播しようと今より覚悟し実行するように切望せねばならぬ。

 読書ということは、このような効能の点からいっても満足の点からいっても、また精神修養の点からいってもまことによいものであるが、しかしまた不利益な点を有せぬでもない。すなわち精読は常に多くの時間を要するということと、したがって多くの書物が読めないようになるから自然その人の限界が狭隘(キョウヤク)になるを免れないということである。例えていえば、文字において一作家の文章のみを精読しておったならば、その作家については精通しようが思想の豊富修辞の巧妙がそれで十分に学べるということは出来ない。どんなに優秀な作家とても、その長所を有すると同時に多少の欠点を有するものであるから、一作家の文章が万有を網羅し天地を籠蓋(ロウガイ)するというわけにはいかぬ。そこで精読によって益を受けるにしても、またその不備な点が判明したならば、これを他の作家の作物によって学び習うという必要が起きる。すなわち他の作物にたよるということは、多読をするという事に帰するのである。

 

 またこの外の人文学科、たとえば歴史修身等においても、もしくは物理化学等の自然学科においても、一の著者の記述説明に熟すると同時に、他の著者はそれをどんなに記述し説明しているかを参照してみる必要がある。このように参照してみることは知識を確実にする上にきわめて多大の効能があるから、決して煩雑無用のことではない。精読はもとより希うべきであるが、また一面には事情の許す限り多読をして、その限界を狭隘にせぬよ

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うにするがよい。精読でもって基礎を作り、多読でもってこれを豊富にするは学問の要訣(ヨウケツ 一番大事なところ)であってこのようにして得られた知識こそ真に有用なものとなるのである。

 さらに精読と多読との仕方の関係を具体的に述べてみれば、、まず精読する書物の中にある一つの事項に対して付箋または朱黄を施し、かくてその個所が他の参照用として多く渉猟(読みあさる)する書中にはどんなに記述説明されているかを付記するのである。換言すれば精読書を中心として綱領として、多読所をことごとくこれに関連付随させるのである。また学問の進歩の程度についていうならば、初歩の間は精読を主とし相当に進んだ後に多読を心掛くべきである。けれどもどんな場合においても精読が主であって多読が副である。そうしてこの両者のうちいずれにも偏してはならないことは無論であるが、もしいずれに偏するがよいかといえば、精読に変する方がむしろ弊害が少ないのである。精読に伴わない多読は、これは支離散漫なる知識の収得法であって、濫読妄毒となるに至ってその幣が極まるのである。

 また鼠噛の学問といって、あれやこれやの本を少しずつ読むのでいずれをも読みとおさずに放擲するなどは、学に志すものの固く避くべきことである。世に聡明の資質を抱きながらなすこと無くして終わるものの中には、この鼠噛(ソコウ)の学問といって、あれやこれやの本を少しずつ読むのでいずれも読み通さずに放擲するなどは、学に志すものの固く避くべきことである。世に聡明の資質を抱きながらなすこと無くして終わるものの中には、この鼠噛の陋(ロウ)に陥ったものも多いのである。実に慎み謹んで遠ざくべき悪癖である。

 

以上、嘉納治五郎の説く読書の必要性を紹介した。どんな本を読めばいいのか。どんなふうに読めばよいのか。人それぞれの性癖もある。それに、世に古典といわれる良書は山ほどある。となると読書も簡単ではない。が、文学の手本なら志賀直哉である。

 

志賀直哉

 

テキストの志賀直哉作品は、主に車内観察作品を読んでいきますが、『菜の花と小娘』は、処女作でもあり、かつ歩きながらの観察作品ということで、この作品から読んでゆきます。たった数枚の物語のなかに風景と心情と創作を織り交ぜた生き物観察作品です。かっては教科書定番の小説でした。日本文学のなかでは名作。

 

菜の花と小娘

 

志賀直哉

 

或る晴れた静かな春の日の午後でした。一人の小娘が山で枯れ枝を拾っていました。

やがて、夕日が新緑の薄い木の葉を透かして赤々と見られる頃になると、小娘は集めた小枝を小さい草原に持ち出して、そこで自分の背負ってきた荒い目籠に詰めはじめました。

ふと、小娘は誰かに自分が呼ばれたような気がしました。

「ええ?」小娘は思わずそう言って、立ってそのへんを見回しましたが、そこには誰の姿も見えませんでした。

「私を呼ぶのは誰?」小娘はもう一度大きい声でこう言ってみましたが、矢張り答えるものはありませんでした。

小娘は二三度そんな気がして、初めて気がつくと、それは雑草の中からただ一本わずかに首を出している小さな菜の花でした。

小娘は頭にかぶっていた手ぬぐいで、顔の汗を拭きながら、

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「お前、こんなところで、よくさびしくないのね」と言いました。

「さびしいわ」と菜の花は親しげに答えました。

「そんならならなぜ来たのさ」小娘は叱りでもするような調子で言いました。菜の花は、

「ひばりの胸毛に着いてきた種がここでこぼれたのよ。困るわ」と悲しげに答えました。そして、どうか私をお仲間の多い麓の村へ連れていってくださいと頼みました。

小娘は可哀そうに思いました。小娘は菜の花の願いをかなえてやろうと考えました。そして静かにそれを根から抜いてやりました。そしてそれを手に持って、山路を村の方へと下って行きました。

路にそって清い小さな流れが、水音をたてて流れていました。しばらくすると、

「あなたの手は随分、ほてるのね」と菜の花は言いました。「あつい手で持たれると、首がだるくなって仕方がないわ、まっすぐにしていられなくなるわ」と言って、うなだれた首を小娘の歩調に合せ、力なく振っていました。小娘は、ちょっと当惑しました。

しかし小娘には図らず、いい考えが浮かびました。小娘は身軽く道端にしゃがんで、黙って菜の花の根を流れへ浸してやりました。

「まあ!」菜の花は生き返ったような元気な声を出して小娘を見上げました。すると、小娘は宣告するように、

「このまま流れて行くのよ」と言いました。

菜の花は不安そうに首を振りました。そして、

「先に流れてしまうと恐いわ」と言いました。

「心配しなくてもいいのよ」そう言いながら、早くも小娘は流れの表面で、持っていた菜の花を離してしまいました。菜の花は、

「恐いは、恐いわ」と流れの水にさらわれながら見る見る小娘から遠くなるのを恐ろしそうに叫びました。が、小娘は黙って両手を後へ回し、背で跳ねる目カゴをえながら、駆けてきます。

菜の花は安心しました。そして、さもうれしそうに水面から小娘を見上げて、何かと話かけるのでした。

どこからともなく気軽なきいろ蝶が飛んできました。そして、うるさく菜の花の上をついて飛んできました。菜の花はそれも大変うれしがりました。しかしきいろ蝶は、せっかちで、

移り気でしたから、いつかまたどこかえ飛んでいってしまいました。

菜の花は小娘の鼻の頭にポツポツと玉のような汗が浮かび出しているのに気がつきました。

「今度はあなたが苦しいわ」と菜の花は心配そうに言いました。が、小娘はかえって不愛想に、

「心配しなくてもいいのよ」と答えました。

菜の花は、叱られたのかと思って、黙ってしまいました。

間もなく小娘は菜の花の悲鳴に驚かされました。菜の花は流れに波打っている髪の毛のような水草に根をからまれて、さも苦しげに首をふっていました。

「まあ、少しそうしてお休み」小娘は息をはずませながら、そう言って傍らの石に腰をおろしました。

「こんなものに足をからまれて休むのは、気持が悪いわ」菜の花は尚しきりにイヤイヤをしていました。

「それで、いいのよ」小娘は言いました。

「いやなの。休むのはいいけど、こうしているのは気持が悪いの、どうか一寸あげてください。どうか」と菜の花は頼みましたが、小娘は、

「いいのよ」と笑って取り合いません。

が、そのうち水のいきおいで菜の花の根は自然に水草から、すり抜けて行きました。小娘も

急いで立ち上がると、それを追って駆け出しました。

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少しきたところで、

「やはりあなたが苦しいわ」と菜の花はこわごわ言いました。

「何でもないのよ」と小娘はやさしく答えて、そうして、菜の花に気をもませまいと、わざと菜の花より二三間先を駆けて行くことにしました。

麓の村が見えてきました。小娘は、

「もうすぐよ」と声をかけました。

「そう」と、後ろで菜の花が答えました。

しばらく話は絶えました。ただ流れの音にまじって、バタバタ、バタバタ、と小娘の草履で走る足音が聞こえていました。

チャポーンという水音が小娘の足元でしました。菜の花は死にそうな悲鳴をあげました。小娘は驚いて立ち止まりました。見ると菜の花は、花も葉も色がさめたようになって、

「早く速く」と延びあがっています。小娘は急いで引き上げてやりました。

「どうしたのよ」小娘はその胸に菜の花を抱くようにして、後の流れを見回しました。

「あなたの足元から何か飛び込んだの」と菜の花は動悸がするので、言葉をきりました。

「いぼ蛙なのよ。一度もぐって不意に私の顔の前に浮かび上がったのよ。口の尖った意地の悪そうな、あの河童のような顔に、もう少しで、私は頬っぺたをぶつけるところでしたわ」と言いました。

小娘は大きな声をして笑いました。

「笑い事じゃあ、ないわ」と菜の花はうらめしそうに言いました。「でも、私が思わず大きな声をしたら、今度は蛙の方でびっくりして、あわててもぐってしまいましたわ」こう言って菜の花も笑いました。間もなく村へ着きました。

小娘は早速自分の家の菜畑に一緒にそれを植えてやりました。

そこは山の雑草の中とはちがって土がよく肥えておりました。菜の花はドンドン延びました。そうして、今は多勢の仲間と仕合せに暮す身となりました。

おわり

 

この作品は、作者23歳のとき明治39年(1906年)に書いた草稿「花ちゃん」を改稿。雑誌『金の船』第2巻第1号にて大正9年(1920)に37歳のとき発表。いまから109年も前の作品ですが、文章的にはどうでしょうか。

明治37年(1904)5月5日の日記に

「作文は菜の花をあんでるせん張りにかく」とある。

 

書くこと  課題 次の「ゼミ通信」に掲載して発表します。

 

課題1. 「これまで どんな本を読んできたか」「愛読書について」など

 

課題2. 「菜の花」感想 「花見について」など花について創作、エッセイ

 

課題3. 「社会観察」沖縄の米軍基地問題をどう思うか。政府と沖縄・新知事との違い

【辺野古移設】

政府 → 普天間の危険除去、日米同盟の抑止力維持、辺野古移設は唯一の解決策、粛々と

新知事 → 「粛々」は上からの目線、辺野古基地は絶対に建設できないと確信している。

 

【今後の方針】

政府 → 負担軽減と連携、信頼感を取り戻す。

新知事 → 中止しながら、しっかり話し合う。基地問題を解決して欲しい。

 

熊谷元一研究 小学校入学で覚えていること

文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.260 ―――――――― 8 ―――――――――――――――

 

熊谷元一研究    熊谷元一研究のすすめ方

 

4・20の研究  → テキスト 岩波写真文庫『一年生』のコピー配布

 

コピー『一年生』は各自手元に置いて、しっかり見て、以下のテーマのどれかを前期までに書き、ゼミ誌編集者に渡す。

ゼミ誌課題

テーマ

・岩波写真文庫『一年生』の感想・批評

・『一年生』のなかの写真どれかについて

・自分の小学生時代の思い出

 

子ども時代のエッセイ、創作など

 

 

 

『熊谷元一研究 No.2』の表紙 & 熊谷元一と「一年生」の軌跡

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教育者、写真家としての熊谷元一

一年生との関係

1953年(昭和28年)この年に入学した小学一年生を熊谷は写真に撮った。教室で、校庭で、通学路で、ときには自宅で。1955年出版された岩波写真文庫『一年生』は、教育界、写真界で高い評価を得た。それは60年間、かわらない。

熊谷は、担任を離れても被写体となった「一年生」を撮りつづけた。以下は、形となったもの

・20歳になった「一年生」

・40歳になった「一年生」

NHKドキュメンタリー番組のなかで紹介

・50歳になった「一年生」

NHKドキュメンタリー番組「教え子たちの

歳月」1996年放映、2012年再放映

・写真集『五十歳になった一年生』出版

・記念文集『還暦になった一年生』出版

・2014年度ゼミ誌『熊谷元一研究 創刊号』

・2015年、近日『黒板絵は残った』出版予定

 

 

熊谷元一研究  2015

 

No.2

☆特集②

 

熊谷元一と一年生」

 

日本大学藝術学部文芸学科下原ゼミ

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編集室 : 新学期がはじまった。本日20日、だいたいのゼミ受講者が決まります。はたして何人のメンバーになるでしょう。

原稿、書けて発表したい人は、「下原ゼミ通信」編集室まで

〒274-0825 船橋市前原西6-1-12-816 電話047-475-1582 携帯090-2764-6052

メールは toshihiko@shimohara.net

 

 

文芸研究Ⅱ下原ゼミ 2015・4・20    名前

 

課題1. 読書について(愛読書、いま読んでいる本、よかった本のことなど)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

課題2. 『菜の花と小娘』感想、あるいは「花」について

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

課題3.社会観察・沖縄県の米軍基地問題についての考え「私は、こう思う」

 

 

 

 

 

 

 

熊谷元一研究 小学校に入学したときの思い出、覚えていること

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