文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.67

公開日: 

日本大学芸術学部文芸学科     2006年(平成18年)10月 30日発行
文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.67
BUNGEIKENKYU Ⅱ SHIMOHARAZEMI TSUSHIN
                              編集発行人 下原敏彦
                              
2006後期9/25 10/2 10/16 10/23 10/30 11/6 11/13 11/20 11/27 
     12/4 12/11 12/18 1/15 1/22 
  
2006年、読書と創作の旅
10・30下原ゼミ
10月 30日(月)の下原ゼミは、下記の要領で行います。文ゼミ1
  1.  ゼミ誌編集委員・ゼミ誌作成決め及び進行状況報告
  2.  テキスト『灰色の月』・「にんじん」前回読み作品解読
  3. 名作読み『にんじん』「犬」「失礼ながら」
  4.  回想法・復刻版『少年王者』山川惣治作・画を紙芝居で
     第一集おいたち編 → 先週の続き
2006年、読書と創作の旅・社会観察
 10・21~、この一週間は、世界は、引き続き北朝鮮の核実験問題への対応におわれていた。が、日本国内は、子供や教育など学校かに関係するニュースが多かった。紙面の都合で25日までだが目についた事件・出来事を新聞からあげてみた。(本紙編集室)
☆10月21日(土)一面「出生率今年は上昇濃厚」「トヨタ営業益2兆円」他。
・「最高裁 入学金返還認めず 3月辞退者には授業料返還」(読売)この裁判は早稲田大学など3大学の入学を辞退していた元受験生が、前納した入学金や授業料の返還を求めて上告していたもの。
・「県立高で集団暴行(いじめ) 神戸3生徒を書類送検」(朝日)軟式テニス部の3年生が、同級生と下級生からなぐる蹴るなどの暴行を受けていた。
☆10月23日(月)一面「「安倍自民初陣2勝」安倍新政権の船出を占う補選。
・「衆院補選 世襲2氏風に乗る 神奈川16区 大阪9区」
22日に行われた衆院補選で、世襲議員が早々と当選を決めた。北朝鮮も世襲、日本も世襲。
☆10月24日(火)一面「『共謀罪』今国会は断念 首相教育基本法を最優先」
・「5年で出勤8日 奈良市職員懲戒免へ」(朝日)
90日ごとに病気届けを提出すれば違法ではないと給料をほぼ全額支払っていたという。マスコミで騒がなければ退職までつづいたのか・・・・?
・3年生197人卒業ピンチ 必修『地歴』全員履修漏れ」富山県
原因は、大学入試のために科目を選択にしたため。以前テレビを見ていたら渋谷で「江戸」と聞かれて知らない子供がいた。人間は総合芸術から成るということを知らないらしい。
☆10月25日(水)「豊かさ再発見 若者は寺を目指す」「将来の年金額全員に通知」
・「不明女児無事に保護 男性とネットで知り合う』(読売)
21日長野で行方不明となっていた小6女児が小田原で保護された。31歳男と一緒。


文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.67 ―――――――― 2 ――――――――――――――
 
車窓雑記
 
いじめ事件に思う
いじめが深刻な社会問題となったのは、確かあの事件からだったと思う。息子が中学に入ったころだから、十数年前か。記憶は定かではないが、青森駅のトイレで一人の中学男子生徒が首吊り自殺した。少年は東京に自宅があり青森には少年を可愛がっていた祖母の家があった。夏休み、冬休みはよく来ていたらしい。トイレには、友人、学校、両親に宛てた遺書があった。少年は、いじめを苦に自殺したのだった。発表された自殺の引き金はクラスで行われた彼への「葬式ごっこ」だった。人間とは、弱い者を貶(おとし)めるためならどんなことでも考える動物である。日頃からいじめを繰り返していた級友たちは、さらなるいじめの方法として「葬式ごっこ」を考えついた。クラスみんなで、少年の葬式をおこなういじめである。色紙まで用意し、皆がお別れの言葉を書いた。このいじめをマスコミがセンセーションに取り上げたのは、「葬式ごっこ」という変わったいじめ手段ではなかった。皆が寄せ書きした追悼文の中に信じがたい名前を見たからである。なんと担任の先生の言葉があったのだ。「やすらかにお眠りください」こんな言葉だったか・・・? いじめに、教師が加担していた。日本中に衝撃波が走り、学校教育のあり方をめぐってマスメディアは連日のように報じた。識者や専門家と呼ばれる人たちは、いじめ防止のために論じ合った。学校現場でも、様々な対策が練られた。息子の中学では、「父親委員会」を発足させた。これまでPTAは母親だけに任せて、父親は参加しなかった。いじめ原因の一端はそこにもある、と考えたのである。父親が各クラスから自他薦で選ばれた。私も結局、二人の子供たちが卒業するまで5年間、関わることになった。パトロール、バザー、定期集会といろんな活動があった。いじめは、なくなったか・・・? 否、である。文部科学省に報告されるいじめ件数は、毎年0件ということだが、実際に報道されるいじめ件数は、毎年100件を下らないという。教師が加担するいじめも先日の福岡筑前町の中学生自殺であきらかになったが、相変わらずつづいていたわけである。三輪中の件は、氷山の一角といっても過言ではない。
なぜ、いじめは無くならないか。道場で子供たちを観察していると、こんなことに気がつく。一つに、他人のことが気になる。自分がろくに礼儀や体操ができていないのに、人には注意したがるのである。二つに、人から話しかけられても反応するな、と叱っても、黙っていられない。人は人、自分は自分という観念がもてない。三つは、塾や習い事に通っている。スイミング、英語、作文教室、公文、野球チーム。一週間びっしり埋まっている。他人に注意したがるのは、家庭や塾で管理されているから道場では管理する側になろうとするのか。
10月22日の朝日新聞によると、「いじめから救うには」親はどうすればよいかに対し、「転校させる」。教師は「当事者の言い分を聞く」である。ほとんど解決策にならない解決策といえる。いじめを子供にさせないのは、もっと本質的な問題。人間とは何か、を教えることである。太陽政策という性善説は、必ずや、北朝鮮の人民のためになり得なかった。現状をみればわかることである。社会も、国家も同じである。
いじめのニュースを聞くとニワトリを思い出す。田舎でニワトリを平飼い(小屋のなかに放し飼いする)していたときのことだ。エサをやりにいくと、ときどき、体が小さいか、どこかにちょつとケガをしているニワトリが目につく。可哀そうに思い近くにエサを投げてやるのだが、他のニワトリに横取りされてしまっていた。つぎにいくと何羽かのニワトリに追っかけられていた。追いかけていたニワトリを脅した。が、次に見にいくと、もっと多くのニワトリに追っかけまわされいる。次に行くと血だらけになつていた。驚いて、追いかけているニワトリを蹴散らしたが、やめたのはそのときだけだった。私が小屋をでると、再び傷ついた一羽を皆で追い掛け回していた。その後すぐに、いじめられていた、ニワトリは死んだ。ニワトリに限らず、生き物には、弱いものを滅ぼそうとする遺伝子がある。人間にもそれはある。まず、治すのは、そこからである。      (編集室)
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10・30ゼミ
10月30日のゼミは次の要領で行います
1. ゼミ雑誌作成状況の報告(ゼミ誌編集委員)決めること → 表紙の色など
2 テキスト「『灰色の月』・「にんじん」前回読み作品の解読
3 名作紹介『にんじん』「犬」「失礼ながら」読みと評。秋の歌
4. 回想法・山川惣治作・画『少年王者』(紙芝居稽古) 時間まで
 1.おいたち編(大道芸的演技をみがく)
1.ゼミ雑誌作成過程
 全員から原稿も提出されました。印刷会社(稲栄社)も決まり、いよいよ作成に入ります。タイトル位置、表紙、帯などもありますが、皆で協力してすすめてゆきましょう。
◎ ゼミ誌発行までの予定です。以下の手順で進めてください。
1.  10月30日、印刷会社の【見積書】は出版編集室に提出済みです。(27日締め切り)
2.  編集委員は、皆と協力して題字、表紙、帯を決める。印刷会社と、希望の
   装丁やレイアウトを相談しながら編集作業をすすめる。
3.  11月中旬までに印刷会社に原稿を入稿してください。
4.  校正してください。
5.  12月15日(月)はゼミ誌納品期限です。厳守!!
6. 見本誌を出版編集室に提出してください
7.  12月下旬までに印刷会社からの【請求書】を出版編集室に提出してください。
注意事項!!
以下の点に注意してください。
◎ ①【ゼミ誌発行申請書】、②【見積書】、③【請求書】以上3種類の書類が提出されない
  場合はゼミ誌の発行はできません。補助金の支払いも認められません。
  10・30日現在は、見積書が提出済みです。
ゼミ誌発行期限は、12月15日です。
 ○10月23日、編集委員から出された提議。
議案1:原稿の順番について
1案 はじめに前期車中観察 → 中をフリー原稿 → 最後に課題・車中観察
2案 はじめに前期車中観察 → 中に課題の車中観察 → 最後にフリー原稿
仮決定 → 2案
議案2:題字の字体について 表紙の色
検討 → 持ち越し
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2.『灰色の月』について
 『灰色の月』とは何か。前期テキストの『網走まで』を比較考察しながら考えてみたい。『下原ゼミ通信』編集室では、こう解読した。(05年考に加筆)
『網走まで』と『灰色の月』
 志賀直哉の処女作『網走まで』は、草稿が1908年(明治41年8月14日)に書かれ、『白樺』第1号に発表されたのは、1910年(明治43年)である。『灰色の月』は1945年(昭和20年10月6日)に書かれ、1946年(昭和21年)『世界』創刊号に発表された。この間、37年の歳月の開きがある。25歳の無名の文学青年は、62歳になり「小説の神様」と呼ばれるほどの大家になっている。社会的地位と名声においては格段の差がある。が、作品においては、それほど差があるとは思えない。(たていての作家は処女作を越えられない)二作品に差がないということも、この作家が小説の神様と呼ばれる所以の一つでもある。ドストエフスキーが、いまもって人類にとって最高峯の作家といわれるのは、処女作『貧しき人々』がすでに世界文学の頂点にあるのに、晩年になればなるほど、後続の作品群が、より高い場所に上りつめたところにある。
 志賀直哉の車中文学に限っていえば、はじまりの『網走まで』と、終盤の『灰色の月』は、文学的にはほぼ同レベルといえる。他の車中作品も同様である。それ故、どれも珠玉な作品となっている。いずれも、優れた乗客観察、人間観察である。が、『網走まで』と『灰色の月』には、その方向性において他作品と異なるものがある。『網走まで』と『灰色の月』は、たんに乗客観察に留まっていない。乗客を突きぬけ、向こうにひろがる社会や時代を静かな怒りをもって見つめている。時代への対峙がある。正確には覚えていないが、十年ほど前だったか新聞で石川啄木の書き物のなかに東京大空襲を予言したようなものがあったという記事を読んだことがある。『網走まで』にもそれがある。かつては良家の子女であったろう女。今は、病気がちな幼子二人を連れ、ちいさな荷物一つを持って、まだ鉄道も敷かれていない北の果てに行くという。女と子供たちの運命は目にみえるようだ。同じころ東京に向かう列車の中で三四郎は、富士山を見て日本には「あれよりほかに自慢するものは何もない」と悲観する同席の男に「しかしこれからは日本も段々発展するでしょう」と弁護した。が、男は即座に「亡びるね」と、言った。
 漱石と志賀直哉。歳は違うがともに明治という時代を見続けてきた作家。奇しくもその作品『三四郎』と『網走まで』において日本の未来を予見している。落ちぶれてゆく母子、希望に燃えて上京する若者。その未来は、共に絨毯爆撃によって焼け野原となった敗戦日本である。「こんな日本に誰がした」。『灰色の月』から怒号が聞こえてくる。
 志賀直哉の観察眼は、一部軍人に利用された天皇制をも客観視する。
 
<天皇制について>
 今度の戦争で天子様に責任があるとは思われない。しかし天皇制には責任があると思う。
 天子様の御意志を無視し、少数の馬鹿者がこんな戦争を起こすことのできる天皇制、――しかも、最大限に悪用し得る脆弱性を持った天皇制は国と国民とに禍となった。
 天子様と国民との古い関係をこの際捨て去ってしまう事は淋しい。
 しかし、世界各国の君主が老人の歯が抜け落ちるように落ちて行くのを見ると、天皇制というものが今はそういう頽齢(たいれい)に達したのだというようにもかんじられる。
 天子様と天子様の御一族が御不幸になられることは実にいやだ。
 このもんだいが穏やかに落ち着くところに落ち着いてくれるといいと思っている。
                                  (昭和21年)
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編集室の感想です。自分の感想はどうか
『灰色の月』を読む(2005年加筆)
 
 この作品は、僅か6、7枚の分量なのに、中長編にも匹敵するものを感じる。千枚の告発文にも勝るものがある。その夜、乗り合わせた乗客から万人の哀しみや怒れる声が聞こえる。それはなぜか。たぶんに、作者志賀直哉の車内観察が、表層に終わらないからだろう。僅か数行の人物描写でも、そこに時代を超えた人間の真理を見ることができる。そこから、人間の愚かさ、無力さ、悲しさを感じ取ることができる。それ故にこの作品は、というよりこの作者の車中文学全般は、一時代の一電車車内を映しながらも普遍でありつづけるのだ。
『灰色の月』は、一見、なんの変哲もない車内エッセイである。だが、ここには現在、日本が抱える様々な問題が潜んでいる。2006年9月政府は安倍内閣に変わった。靖国神社参拝問題は、ひとまず先送りとなったが、北朝鮮問題はじめ世界情勢から憲法問題や核問題が浮上してきた。新世紀の混沌する時代において日本は、人間は、どうするのか。この作品は、人類全体に向かって訴えている。そのへんを考察しながら読んでいきたい。
なお、本文は小話48年発行の岩波書店『志賀直哉全集』を『下原ゼミ通信』編集室で現代読みにしたもの
       灰色の月
表題に拘る作家と、頓着しない作家がいる。志賀直哉は、それなりに拘泥した作家のようである。例えば処女作の一つ「花ちゃん」は『菜の花と小娘』になった。『暗夜行路』も『和解』も簡潔だが、葛藤の深さを感じる。この作品も、草稿ノートには、「白いつき、白い月、しろいつき、しろいつき」という書入れがあったという。『灰色の月』に決まるまで、あれこれ模索したに違いない。が、つけてしまえばぴったりする。それが名作である。
灰色・・・はっきりしない、うっとおしい色である。そんな月が、都会の夜を照らしている。地上はほとんど真っ暗いに違いない。狼男かドラキュラでもでそうな不気味さがある。作品をよく表した題名といえる。それでは、作品を検証していきます。
東京駅の屋根のなくなった歩廊に立っていると、風はなかったが、冷え冷えとし、着て来た一重外套で丁度よかった。連れの二人は先に来た上野まわりに乗り、あとは一人、品川まわりを待った。
東京駅は、大正3年12月30日アムステルダム中央駅をモデルにルネッサンス様式赤レンガ駅舎として開業された。原敬首相暗殺や浜口幸雄狙撃など、大きな政治的事件は起きたが、建築的にはいたって頑丈で、大正12年のときに起きた関東大震災でも被害はなかった。それなのに「屋根のなくなった歩廊」、とはどういったことか。疑問は、冒頭のこの光景からはじまる。なぜ、屋根がないのだろうか。日付も説明もないから、読者にはわからない。が、その疑問は、すぐに明らかになる。ちなみに「上野まわり、品川まわり」とあるが、山手線が現在の環状運転になったのは大正14年のことである。と、するとこの物語はそれ以降の話ということになる。「着て来た一重外套」から、季節は初秋とわかる。屋根のなくて見通しのよいホームからは何が見えるか。
 薄曇りのした空から灰色の月が日本橋側の焼跡をぼんやり照らしていた。月は十日位か、低くそれに何故か近く見えた。八時半頃だが、人が少なく、広い歩廊が一層広く感じられた。
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 「日本橋側の焼跡」で、読者は、ようやく情景を思い描くことができる。「焼跡」といえば、東京大空襲である。B29の爆撃で焼け野原と化した東京。文面の印象から静けさを感じるから、既に戦争は終わっているようだ。8月15日に終戦。山手電車も普通に走り出したのなら、10月初旬の頃だろうか。この時の乗客は、どんなだったか。
 遠く電車のヘッドライトが見え、暫くすると不意に近づいて来た。車内はそれ程込んでいず、私は反対側の入口近くに腰かける事が出来た。右に五十近いもんぺ姿の女がいた。左には少年工と思われる十七八歳の子供が私の方を背にし、座席の端の袖板がないので、入口の方へ真横を向いて腰かけていた。その子供の顔は入って来た時、一寸見たが、眼をつぶり、口はだらしなく開けたまま、上体を前後に大きくゆすっていた。それはゆすっているのではなく、身体が前に倒れる、それを起こす、又倒れる、それを繰返しているのだ。居眠りにしては連続的なのが不気味に感じられた。私は不自然でない程度に子供との間を空けて腰かけていた。
 ここには東京駅から有楽町までの車内の乗客観察が描かれている。当時の(終戦直後の)夜八時半頃の山の手電車の、乗車状況がどうだったかは知らない。しかし、「車内はそれ程、
混んでいず」とあるから7、8割の乗客があったかも。観察では、右隣の「もんぺ姿の女」
のほかに「少年工」のことが書かれている。「連続的なのが不気味に感じられた」とあるから七、八分入りの車内で少年は目立った存在だったのだろう。が、ホームに着くたびに乗客は入れ替わる。志賀直哉(この作品では、主人公を志賀直哉本人とみるべきである。続々創作余談で「あの通りの経験をした」と語っている)は「車中の人々」を、どう描いたのだろう。みてみよう。山手電車は、有楽町、新橋と停車していく。
有楽町、新橋では大分込んで来た。買出しの帰りらしい人も何人かいた。二十五六の血色のいい丸顔の若者が背負って来た特別大きなリックサックを少年工の横に置き、腰掛に着けて、それにまたぐようにして立っていた。その後ろから、これもリックサックを背負った四十位の男が人に押されながら、前の若者を覗くようにして、
「載せてもかまいませんか」と云い、返事を待たず、背中の荷を下ろしにかかった。
「待って下さい。載せられると困るものがあるんです」若者は自分の荷を庇うようにして男の方へ振り返った。
「そうですか、済みませんでした」男は一寸網棚を見上げたが、載せられそうにないので、狭い所で身体をひねり、それを又背負ってしまった。
 若者は気の毒に思ったらしく、私と少年工の間に荷を半分かけて置こうと云ったが、
「いいんですよ。そんなに重くないんですよ。邪魔になるからね。おろそうと思ったが、いいんですよ」そう云って男は軽く頭を下げた。見ていて、私は気持よく思った。一頃とは人の気持も大分変わってきたと思った。
 乗客はリックサックを背負った人が多くなった。有楽町、新橋から混んできたというから、新橋あたりに市場があったのだろうか。しかし、時間を考えると戦後の闇市を想像する。話は逸れるが、闇市で思い出すのは、昭和40年前後に流行ったヤクザ映画の一つである。当時、高倉健、鶴田浩二の任侠ものが全盛時代ではあったが、それとは違う、戦後のドサクサを描いた、闇市ヤクザ路線も流行っていた。安藤昇という大学出のインテリヤクザが、足を洗い映画監督になってつくったもので闇市がリアリティあった。殺伐とした時代だが、主人公の観察は「一頃とは人の気持も大分変わってきた」と、戦争、終戦で埃のようにまいあがっていた世の中が、漸く治まってきたと見ている。観察は、乗客の表層面から、会話や一人ひとりの感情や思考へと移っていく。
―――――――――――――――――――― 7 ――――文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.67
 浜松町、それから品川に来て、降りる人もあったが、乗る人の方が多かった。少年工はその中でも依然身体を大きくゆすっていた。
「まあ、なんて面をしてやがんだ」という声がした。それを云ったのは会社員というような四、五人の一人だった。連れの皆も一緒に笑いだした。私からは少年工の顔は見えなかったが、会社員の云いかたが可笑しかったし、少年工の顔も恐らく可笑しかったのだろう。車内には一寸快活な空気が出来た。その時、丸顔の若者はうしろの男を顧み、指先で自分の胃の所を叩きながら、「一寸手前ですよ」と小声で云った。
男は一寸驚いた風で、黙って少年工を見ていたが、「そうですか」と云った。
笑った仲間も少し変に思ったらしく、
「病気かな」
「酔ってるんじゃないのか」
こんなことを云っていたが、一人が、
「そうじゃないらしいよ」と云い、それで皆にも通じたらしく、急に黙ってしまった。
 
 山手電車は、浜松町、田町、品川と過ぎていく。車内は益々混んできた。乗客も入れ替わったが、あの少年工は、まだ乗っていた。「依然身体を大きくゆすっていた」ところから、
他の乗客たちも注目する。奇妙な動作。主人公からは見えなかったが「少年工の顔も恐らく可笑しかったのだろう。」会社員たちは笑い、車内の雰囲気は快活になった。しかし、新橋から乗っている25、6の若者は、少年工をずっと観察していたので、なにかがわかったようだ。いまでこそ、若者は血色のいい丸顔であるが、戦時中は、この少年工と同じだったことがわかる。「そうじゃないらしいよ」その意味は、皆にもすぐわかった。ここから主人公は、この少年をじっくり観察することになる。
地の悪い工員服の肩は破れ、裏から手拭でつぎが当ててある。後前に被った戦闘帽のひさしの下のよごれた細い首筋が淋しかった。少年工は身体をゆすらなくなった。そして、窓と入口の間にある一尺程の板張りにしきりに頬を擦りつけていた。その様子が如何にも子供らしく、ぼんやりした頭で板張りを誰かに仮想し、甘えているのだという風に思われた。
 破れ、つぎはぎだらけの工員服。よごれた細い首。甘えるように頬ずりする子供らしい顔。一見、無邪気な光景描写である。しかし、読者は、凍りつく。少年の子供のような仕草は何を意味するのか。この世の全てを放棄した姿。恐れを知らぬ幼児の表情。それとも写真で見たホロコーストの順番を待つ人々の顔か。上野の山ではこのときもバタバタ飢え死んでいる。
「オイ」前に立っていた大きな男が少年工の肩に手をかけ、「何処まで行くんだ」と訊いた。少年工は返事をしなかったが、又同じ事を云われ、
「上野へ行くんだ」と物憂さそうに答えた。
「そりゃあ、いけねぇ、あべこべに乗っちゃったよ。こりゃあ渋谷の方へ行く電車だ」
 
 乗客は、少年の運命を知っている。なんとかしたい。男が聞いたのもその表れだろう。しかし、少年には、もはやどうでもよいことだった。こんな日本に誰がした。そんな怒りや絶望も、もはやない。乗客にできることは、電車の方向を教えることだけだった。
少年工は身体を起こし、窓外を見ようとした時、重心を失い、いきなり、私に寄りかかってきた。それは不意だったが、後でどうしてそんな事をしたか、不思議に思うのだが、その時ほとんど反射的に寄りかかってきた少年工の身体を肩で突返した。これは私の気持を全く裏切った動作で、自分でも驚いたが、その寄りかかられた時の少年工の抵抗が余りに少なかった事で一層気の毒な想いをした。私の体重は今、十三貫二三百匁に減っているが、
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少年工のそれはそれよりもはるかに軽かった。(一貫=3・75k)
 私は、なぜ少年を突返したのか。死神がついている。無意識にそれをみたのかも知れない。このときの私は、体重が13貫余りというから50㌔に満たないわけだ。少年工のそれはそれよりもはるかに軽かった。とあるから、少年は栄養失調を過ぎた体だったのだろう。この少年にたいして何をしてやれるのか。作者には『小僧の神様』になれる余裕も体力も気力もなかった。このときの気持を作者志賀は【続々創作余談】でこう述べている。
「あの場合、その子供をどうしてやったらいいか、仮に自家へ連れて来ても、自家のものだけでも足らない食料で、又、自身を考へても程度こそ異ふが、既に軽い栄養失調にかかっている時で、どうする事も出来なかった。まつたくひどい時代だった。」
「東京駅でいたから、乗越して来たんだ。―― 何処から乗ったんだ」私はうしろから訊いて見た。少年工はむこうを向いたまま、
「渋谷から乗った」と云った。誰か、
「渋谷からじゃ一回りしちゃったよ」と云う者があった。
少年工は硝子に額をつけ、窓外を見ようとしたが、直ぐやめて、漸く聞きとれる低い声で、
「どうでも、かまはねえや」と云った。
少年工のこのひとり言は後まで私の心に残った。
どうやら少年工は、山手線に乗ったままぐるぐる回っているようだ。乗客たちは、おせっかいに、むろん悪気はないのだろうが騒ぎだした。少年も皆が自分の行き先に注目していることがわかった。山手線を一回りしようが何周しようが、少年にとってどうでもよいことだった。少年は、現世とは、もはや完全に縁を切った世界にいる。他者は、どうすることもできない。ヘミングウェイの短編に『殺し屋』というのがある。不況とギャングが横行するアメリカの暗黒時代の話だ。主人公のニックが働くレストランに二人の殺し屋がやってきた。時間まで待って殺す相手が来ないとわかると帰って行った。ニックは、知らせに走った。だが、狙われている「オール・アンダーソンは、きちんと服を着たままベッドに横になっていた」そうして逃げようともせず、他人事のように「どうしょうもねえんだ」と言うばかりであった。死ぬことを、殺されることを受け入れた人間の前にニックは、なす術もない。このときの作者も同じ気持であったのかも知れない。
 近くの乗客たちも、もう少年工の事には触れなかった。どうすることも出来ないと思うのだろう。私もその一人で、どうすることも出来ない気持だった。弁当でも持っていれば自身の気休めにやることも出来るが、金をやったところで、昼間でも駄目かも知れず、まして夜九時では食い物など得るあてはなかった。暗澹たる気持のまま渋谷駅で電車を降りた。昭和二十年十月十六日の事である。
                   (『志賀直哉全集』を現代読みに・編集室)
「暗澹たる気持」志賀直哉は、この「暗澹」、アンタンという言葉をこの時代、何度か使っている。が、おそらくこの言葉が最初に口にでたのは、あの日ではなかったか、と推測する。
昭和8年2月25日(土)の日記にこう書いている。
<MEMO 小林多喜二2月20日に捕へられ死す、警官に殺されたるらし、実に不愉快、一度きり会わぬが自分は小林よりよき印象をうけ好きなり、アンタンたる気持になる。ふと彼等の意図ものになるべしという気する>
このとき志賀直哉が抱いたアンタンは、国民を戦争へと駆り立てていった為政者たちへの怒りと憎しみ、それを阻止できなかった悔やみと後ろめたさ。今日、靖国神社は戦犯合祀の問題でゆれている。死ねば、誰しもが英霊か。否、時の為政者は、死してなおその罪を償わなければならない。それが為政者の使命であり、義務である、と編集室は思う。
―――――――――――――――――――― 9 ――――文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.67
名作案内・ルナール作「にんじん」
 少年犯罪は、なぜ起きるか。おそらく、その要因の大半は家庭と少年の心内にあるのではないかと思う。しかし、それは、外部からはうかがい知れないことです。
 たとえば神戸の少年Aの家族。勤め人の父親、専業主婦の母親。二人の弟。一家5人は丘の上のマイホームに住み、何不自由ない暮らしをしていた。他人から見れば、幸せな家庭。両親の目から見ても(真実かはわからないが)『「少年A」この子を生んで』を読むと、まったくなんの問題のない子供たち、教育だったという。
 著書の中で母親はこう言っている。
「――逮捕前日も、Aの様子は私の目から見て普段と何ら変わりがありませんでした。
私が母親としてあまりに鈍かったのかもしれません。
 それとも、あの子は本当に二重人格の殺人鬼だったのでしょうか。私にはわかりません。でも、一瞬でもAに疑いを感じたことはありませんでした。
あれだけ側にいながら、事件を引き起こしているとは、想像もつきませんでした。」
 この思いはにわかに信じがたいが、額面どおり受け取れば母親の目にはAは、本当に良い子供に映っていたようだ。しかし、Aはどう思っていたのだろうか。小学生のときに書いた作文「お母さんなしで生きてきた犬」や「まかいの大ま王」は、母親が思っている子供とは、微妙なズレを感じる。そんな気がするのである。
小説『にんじん』の謎
 
家族とのズレ。それをはっきり描いたのが小説『にんじん』である。この作品の一家は、よその日とから見れば、幸福な家庭に違いない。この家は、たいていの家族が望むものすべてがある。家庭菜園のできる一戸建ての家。ニワトリも飼っている。犬もいる。父親は勤め人で経済的には安定している。母親はしつけには厳しそうだが、特別変っているとも思えない。兄や姉も、普通の兄姉といえる。しかし、この家族には、たくさんの謎がある。はたしてその謎は真実か、妄想か。小話ごとに、その謎を考えてみます。
作者ジュール・ルナールの若干の紹介
1864年2月22日  フランスに生まれる
1885年 プールジュ市の歩兵連隊へ1年志願兵として入隊
1886年 歩兵伍長として除隊。石炭会社に就職。処女詩集「ばら」を自費出版
1888年 「村の犯罪」自費出版 結婚
1891年 短編集「わらじむし」出版
1894年 文筆生活にはいることを決意。小説『にんじん』『ブドウ畑のブドウ作り』出版
1900年 戯曲『にんじん』初演
1904年 シトリー村長となる
1909年 母、井戸に落ちて死ぬ。自殺の疑い
1910年5月22日未明、パリで死ぬ 46歳
『にんじん』と作者について昭和42年出版の角川文庫にはこう書かれている。
 ルナールの紹介と日本における第一の功績者は故岸田国士氏である。『にんじん』の翻訳も、氏による名訳がある。だが、こんどの角川文庫版は詩人・窪田般彌氏による。
 
読み
今日の読みは「失礼ながら」です。
文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.67―――――――― 10 ――――――――――――――――
前回読みの感想
しゃこ(やまうずら)
いつものようにルピック氏は、机の上で、獲物袋をあける。中味は二ひきのしゃこだ。兄のフェリックスは、壁にかかっている石盤にそれを書きつける。それはかれの役なのだ。子どもたちには、それぞれ各自の役がある。姉のエルネスチーヌは、獲物の毛をはぎとり、羽をむしりとる。にんじんの仕事はなにかといえば、もっぱら、手傷をうけたままでいるやつの殺しである。この特権を与えられたのは、かれが血も涙もない心の持ち主で、万人周知の冷酷さを持ち合わせているからだ。
しゃこは、うずらより少しおおきめの鳥である。ルピック氏が捕ってきたというから、狩猟対象なのだろう。まだ死んでないしゃこを殺すのは、にんじんの役目だ。冗談か本気か、家族は、それについて、にんじんが血も涙もない冷酷漢だからという。
二羽のしゃこは、あばれる。首を動きまわす。
ピック夫人――なぜ早く殺ってしまわないんだい?
にんじん――お母さん、ぼく、石盤書きのほうにしてほしいよ。
ルピック夫人――石盤はおまえには高すぎる。
にんじん――それなら、羽むしりがしたいな。
ルピック夫人――それは男の子のすることじゃないよ。
にんじんは二羽のしゃこを手にとる。だれかが親切にも、やり方を指示してくれる。
――ほら、そこで締めて、そう、頸のところを、羽を逆にして。
一羽ずつ両手につかみ、背なかのうしろで、かれはやり始める。
ルピック氏――いっぺんに二羽か、驚いたやつだな?
にんじん――早く片づけたいもの。
ルピック夫人――神経質ぶるんじゃないよ。心のなかじゃ楽しんでいるくせに。
 この作品を読めば、にんじんはけっして冷酷漢ではない。皆から、早く殺せといわれ、それで焦って二羽いっぺんにということになったのだ。だが、家族のものには、それがわからない。冗談ではなく、ほんとうににんじんが殺しの好きな子どもと思ったようだ。
それにしても母親の、きつい言葉をどう理解してよいのか・・・?
しゃこは痙攣をおこしながらも、抵抗する。翼をばたつかせ、羽をまき散らす。ぜったいに死にたくないのだろう。かれは、一人やそこらの友だちなら、片手でもって、もっと容易にしめ殺せるだろう。両膝の間にしゃこをはさんで、おさえつける。顔を赤くしたり、白くしたり、汗だらけになり、何もみまいと上の方をむきながら、いっそ強くしめつける。
しゃこも執拗に頑張りつづける。なんともうまく片づかないので、すっかり怒ってしまったにんじんは、しゃこの脚をつかみ、靴の先で頭をけとばす。
――驚いたな!なさけ知らず!なさけ知らず!
兄のフェリックスと姉のエルネスチーヌがこう叫ぶ。
――手際のいいつもりなのさ、と、ルピック夫人はいう。ああ、かわいそうなもんだね。あたしがこんなふうにかきむしられるんだったら、ああ、考えただけでもぞっとするよ。
年期のはいった狩猟家のルピック氏でさえも、棟がむかむかしてきて、外に行ってしまう。
ここを読む限り、家族のものは、冗談ではなく、本当に「にんじん」が情け知らずと思っているようだ。動物の息の根を止めるという嫌な仕事を、家族のものに代わって一生懸命や
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った。そのことが少しも理解されなていない。にんじんは、こんな家族に対してどう思っているのか。
――終わったよ!机の上に死んだしゃこを放り投げながら、にんじんはこういう。
ルピック夫人は、そのしゃこを、なんどとなくひっくり返す。血だらけの砕けた小さな頭蓋骨から、少しばかり脳味噌が流れでている。
――早くとりあげておけばよかったんだよ。これじゃあ汚らしくてしょうがない。
兄のフェリックスがこれに受け答える。
――ほんとうに、いつもよりうまくできなかったな。
2羽の半死にのしゃこを手際よく殺そうとしながらも悪戦苦闘した「にんじん」は、ようやくしゃこの息の根を止めることができた。しかし、母親は、よくやったね、とほめてくれるどころか、殺し方が悪いと文句を言う始末。兄も「いつもよりうまくできなかったな」とからかった。にんじんの気持は書いてない。
     いやな夢
たいていの子供は客が泊まると喜ぶものである。しかし、にんじんは違う。
泊まり客を好まない。母親のルピック夫人のベットで寝ることになるからである。
この作品は、ルピック家に来客があると、にんじんのベッドは、客用となる。にんじんは、母親といっしょに寝ることになる。と、いうことはルピック夫人は、この末っ子を別に嫌っていないということだ。しかし、にんじんは苦痛だ。
かれには、昼は昼で、ありとあらゆる欠点があるとすれば、また夜には、とくにいびきをかくという欠点がある。
ここで注目するのは、この個所である。作者は、この場合、にんじんだが、彼は自分のことを欠点だらけの人間と認めている。夜は眠っているとき、いびきをかく。それで、母親といえども他者と一緒に眠るのは嫌なのだ。子供ながらそんなことを気にしているのは、健気なのか、いや、いびきをかくからである。いびきをかくと
たちまち、ルピック夫人が、かれの尻のいちばん丸々したところを、血がにじみでるほど、爪を立ててつねる。彼女はとくに好んでこの方法を活用する。
「痛い!」と叫ぶと、向こうのベッドで寝ている父親が目を覚ましてたずねる。
「なにかあったのか」
「いやな夢でもみたんですよ」と、ルピック夫人は答える。
 
だからにんじんは、寝ているあいだ、両手を尻の上にぴったりあてているのだ。
 この小話は他の作品に比べるとほほえましい作品である。自分のつねりが原因なのに「いやな夢でもみたんですよ」と、にんじんのせいにする母親について、どう思うか。
1.自己中心的性格。2.夫に対しにんじんをかばってか。
この二つが考えられる。母親のその行為は「虐待っぽい」か、「たんに茶化している」か。考えてみる。前回では、怖い母親、そんな声があった。
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4.回想法・紙芝居稽古と詩の朗読
山川惣治 – 絵物語作家。福島県出身。 (1908年2月28日~1992年12月17日)
■代表作 『少年王者』『 少年ケニヤ』『 荒野の少年』がある。
紙芝居のポイント
○ 10・23ゼミでは、神田奈都子さんが挑戦しました。進んでやってみてください。
○ 一人で大変だと思うときは、出席者全員に分けてやってみましょう。
○ 一番、重要な点は、観客をいかにして引き込ませるかにある。工夫しましょう。
○ 善人と悪人の口調を変えて読んでみよう。
※ 棒読みにならないように注意しましょう!!
秋の歌の朗読 
 秋の詩を観察してみる 秋を代表する詩の一つです。自分が吟遊詩人になったつもりで。11月末まで掲載。毎回、順番に気持をこめて吟唱してください。
ヴェルレーヌ「秋の歌」「沈む日」(『土星の子の歌』)堀口大学訳
      秋の歌 ポール・ヴェルレーヌ(1844-1896)フランス象徴派の詩人。
秋風の  ヴィオロンの  節ながきすすり泣き
もの憂きかなしみに わがこころ  傷くる
時の鐘  鳴りも出づれば  せつなくも胸せまり  
思いぞ出づる  来し方に  涙は湧く
落ち葉ならぬ  身をばやる  われも
かなたこなた  吹きまくれ  逆(さか)風よ
            沈む日
         たよりないうす明り  沈む日の  
        メランコリヤを  野にそそぐ
        メランコリヤの  歌ゆるく  
        沈む日に  われを忘れる
        
        わがこころ  うちゆする
        砂浜に  沈む日もさながらの 
        不可思議の夢
        
        紅いの幽霊となり
        絶えまなくうちつづく  うちつづく
        大いなる沈む日に似て  
        砂浜に
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2006年、読書と創作の旅 日本国憲法を読んで感想・意見を提出ください
☆ 憲法改正について (現行憲法をよく読んでみましょう)
 安倍政権に代わって憲法改正問題がより現実的になっている。そこで、再度、この問題を観察してゆきたい。下記は、現行憲法と、昨年秋政府自民党が出した改正案。
 
前文について
【現行憲法】
 日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれら子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に在することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基づくものである。われわれはこれに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
 日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
 われらは、いづれの国家も、じこくのことのみに専念して他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は、、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立とうとする各国の責務であると信ずる。
 日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。
上記、現行憲法を下記のようにしたい、という。
【自民党案】
 日本国民は、自らの意思と決意に基づき、主権者として、ここに新しい憲法を制定する。
 象徴天皇は、これを維持する。また、国民主権とと民主主義、自由主義と基本的人権の尊重及び平和主義と国際協調主義の基本原則は、不変の価値として継承する。
 日本国民は、帰属する国や社会を愛情と責任感と気概をもって自ら支え守る責務を共有し、自由かつ公正で活力ある社会の発展と国民福祉の充実を図り、教育の振興と文化の創造及び地方自治の発展を重視する。
 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に願い、他国とともにその実現のため、協力し合う、国際社会において、価値観の多様性を認めつつ、圧政や人権侵害を根絶させるため、不断の努力を行う。
 日本国民は、自然との共生を信条に、自国のみならずかけがいのない地球の環境を守るため、力を尽くす。
憲法、特に第九条は、どうしたらよいのか。考えてみる。選択肢は二つか
一つは、現在の世界情勢に沿った形で改正する。
二つには、世界に一つしかない憲法だから変えない。(世界遺産として残す)
文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.67――――――――14 ―――――――――――――――――
第9条について
現憲法の第二章【戦争の放棄】
 
第九条 ① 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、武力によ
       る威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを
       放棄する。
     ② 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国
       の交戦権は、これを認めない。
●(自民党)草案の第二章【安全保障】
 
 第九条(平和主義) (現憲法の一項と同じ)
 第九条の二(自衛軍) 我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全を確保するため、内閣
 総理大臣を最高指揮権者とする自衛軍を保持する。
2 自衛軍は、前項の規定による任務を遂行するための活動を行うにつき、法律の定めるところにより、国会の承認その他の統制に服する。
3 自衛軍は、第一項の規定による任務を遂行するための活動のほか、法律の定めるところにより、国際社会の平和と安全確保するために国際的に協調して行われる活動及び緊急事態における公の秩序を維持し、又は国民の生命若しくは自由を守るための活動を行うことができる。
第二項に定められるもののほか、自衛軍の組織及び統制に関する事項は、法律で定める。
10・23ゼミ報告
10月23日のゼミは、7名全員参加でした。(順不動・敬称略)
 猿渡公一   鈴木秀和   高嶋 翔  中川めぐみ
 神田奈都子  佐藤翔星   大江彩乃
    
司会・神田奈都子さん
1.ゼミ誌について → 原稿の順番
         ①ゼミで発表の車中観察 ②課題の車中観察 ③フリー
2.テキスト『灰色の月』読み。猿渡公一さん、佐藤翔星さん。
3.名作『にんじん』読み → 「いやな夢」神田奈都子さん。
『にんじん』家族についての議論。
 母親は、なぜ ? 父親は ? 戸惑いがあるのか意見・感想はあまりでなかった。
4.回想法・紙芝居 → 『少年王者』おいたち編 → 神田奈都子さん。
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ニュース『ニチゲー力』出版パーティ盛大に
 10月27日(金)午後7時、本通信でも新刊紹介していた山下聖美著の『ニチゲー力』出版パーティが池袋メトロポリタンホテル「桜の間」において盛大に開かれた。
 会場には、日芸関係者はむろん、出版や大学、高校の友人多数が駆けつけ、山下先生の出版を祝った。挨拶は、発起人を代表して日芸の清水正教授はじめ出版社社長他、多くの祝辞があった。遠く九州から日大小嶋総長の祝い電報があり、芸術学部からは野田学部長の祝い電報があった。映画監督、アナウンサー、漫画家、評論家など多士済々。マスメディア関係者も多数出席されていた。最後に、自動車部の部員による日大節。応援団は廃部されたと聞いていたが、まだ日大節が引き継がれていることに感動した。40年前をなつかしく思い出した。並んで見ていた他大学出身講師の先生が羨ましそうに言った。「ぼくの学校じゃ、こんなことはないですよ」。日大らしい、日芸らしい出版パーティだった。150余名出席。
 あらためて山下先生おめでとうございます。
会場に展示されていた山下聖美著『春と修羅』、『風の又三郎』論、『宮沢賢治を読む』など多数。
新刊・好評発売中
山下聖美著 三修社 定価1400円
『ニチゲー力』日大芸術学部とは何か
日本のサブ・カルチャーの発信地の魅力を余すところなく解説
第1章 東大・早慶よりも魅力ある「日芸」 第2章 サブ・カルチャーの担い手を発掘し続ける秘訣 第3章 日芸のナカミ 第4章 学生生活で決まる「夢の実現度」
第5章 日芸的生き方は憧れの的
わが青春の日芸(本書収録)
群ようこ(作家) 安西水丸(イラストレーター) 三遊亭白鳥(落語家)
篠井英介(役者) 串田和美(演出家・俳優)
雑誌・好評発売中
☆雑誌『江古田文学62』定価980+税
   特集・チェーホフの現在 座談会・ドストエフスキー派から見たチェーホフ
             清水 正 下原敏彦 下原康子 横尾和博
    創作・架空夜話「ある元娼婦の話」下原敏彦
1890年6月26日、アムール河口の町に着いたチェーホフは、日本人娼婦と一夜を共にする。その夜、青年医師であり新進作家でもあるチェーホフは遊女と何を語り、何を考えたのか。ドストエフスキーへの懐疑と憧れ。はたまた明治維新を成し遂げた日本への憧憬。謎に満ちた若き文豪のサハリン行の謎が明かされる。
☆雑誌・別冊『國文学』特集号 10月20日発行 定価1575円
『ギャンブル』破滅と栄光の快楽
 
 知のギャンブル ・松田義幸「世界のギャンブル遊びの歴史」、吉永良正「パ 
          スカル、一生に一度の賭け」、寺山修司「賭博骨牌考」、
下原敏彦「ドストエフスキーとギャンブル」
文豪を苦しめたルーレット賭博とは、何だったのか。突然の賭博熱解消の謎は。『カラマーゾフの兄弟』に秘められた文豪のメッセージとは。あの「ダヴィンチ・コード」をはるかに凌ぐ人類救済の謎解きがここからはじまる。
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後期の予定
 後期ゼミは、土壌館劇場で紙芝居の稽古。ゼミでテキスト・名作読み他を行います。ゼミ誌が発行されたらゼミ誌の合評を行います。詳細は、下記の通りです。
土壌館劇場
 毎回、ゼミの中で紙芝居『少年王者』の稽古してゆきます。創意工夫で、冒険物語の雰囲気をだしましょう。
ゼミ内容
 ○ テキスト読み。志賀直哉作品
 .○ 「車中観察」「一日」「コラム」発表
 ○ 名作読み(主に『にんじん』他)
 ○ 社会問題議論(主に憲法改正問題)
      
提出原稿について
○ テキスト・「灰色の月」の感想文。(各自1本)
○ 「車内観察」&「普通の一日を記憶する」。(常時)
  名作読み「にんじん」の感想を書く。「憲法について」
掲示板
ドストエフスキー関連
■ドストエーフスキイ全作品を読む会第217回「読書会」
月 日 : 12月9日土曜日 午後2時00分~4時45分
会 場 : 東京芸術劇場小会議室7
報告者 : 近藤靖宏氏 作品『賭博者』
■ドストエーフスキイの会第177回例会
月 日 : 11月18日土曜日 午後6時00分~9時00分
会 場 : 千駄ヶ谷区民会館
報告者 : 下原敏彦(日芸講師)
題 目 : 「団塊世代とドストエフスキー」~なぜ二匹目のドジョウはいるか~
                                 詳細は下原まで  
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編集室便り
☆課題原稿、社会評、創作など歓迎します。下記の郵便住所かメール先に送ってください。
「下原ゼミ通信」編集室の住所〒274-0825 船橋市前原西6-1-12-816 下原方
  メール: TEL・FAX:047-475-1582  toshihiko@shimohara.net
☆本通信はHP「土壌館」に掲載されています。

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