文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.68

公開日: 

日本大学芸術学部文芸学科     2006年(平成18年)11月 13日発行
文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.68
BUNGEIKENKYU Ⅱ SHIMOHARAZEMI TSUSHIN
                              編集発行人 下原敏彦
                              
2006後期9/25 10/2 10/16 10/23 10/30 11/6 11/13 11/20 11/27 
     12/4 12/11 12/18 1/15 1/22 
  
2006年、読書と創作の旅
11・13下原ゼミ
11月 13日(月)の下原ゼミは、下記の要領で行います。文ゼミ1
  1.  ゼミ誌編集委員・ゼミ誌作成決め及び進行状況報告
  2.  テキスト・『城の崎にて』読み(心境小説)
  3. 名作読み『にんじん』「犬」「失礼ながら」と社会観察
  4.  回想法・復刻版『少年王者』山川惣治作・画を紙芝居で
     第一集おいたち編 → 先週の続き
2006年、読書と創作の旅・社会観察
 10・30~11・12、この二週間のあいだに大きなニュースが二つあった。一つは、11月5日イラク・バグダッドの高等法廷で開かれた独裁者サダム・フセイン(69)に対する判決。もう一つは、7日に開票された米中間選挙の結果である。独裁者の裁判は予想通り死刑判決となった。被告が国家権力掌握中に犯した罪は多々あるが、今回、判決が下された罪状は、1982年に同国中部ドゥジャイル村のイスラム教シーア派住民148人を殺害した「人道に対する罪」である。この判決は、民主主義が実行された点では評価されるが、泥沼化している宗派対立がより激化するとの懸念もある。選挙の結果は、米民主党下院で圧勝。イラク政策の変化促す、である。二つのニュースともブッシュ現政権には、辛いものとなった。
 歴史に「たら」はない。が、こんな見方もあった。1991年の湾岸戦争のとき父親ブッシュがサッチャー元首相の進言を聞いて地上戦にでていたら。あるいは2003年12月に拘束した際、ルーマニアのチャウシェスク元大統領夫妻のように即裁判、即銃殺刑にしていれば、状況は、いまとは違ったものになっていたかも知れない。そこが、民主主義の難しいところでもあるが。いずれにせよ、国際情勢が安定してくれることを期待するばかりである。
 ところで判決結果に対する日本のマスメディアの反応がいまいち釈然としない。例えば7日読売の社説は「宗派間抗争をあおりはしないか」朝日の社説は「疑問はぬぐえぬ」どちらも奥歯にもののはさまったような見方である。確かに占領した米国の意向に沿った裁判には違いない。しかし、フセイン時代と比べれば月とすっぽんの違いだ。裁判という形を世界に発信できただけでも前進とみるべきである。
【人道に対する罪】戦争の実行、またはそれに関連して行われた住民殺害、奴隷化、強制的移動などの非人道行為と、政治的宗教的理由に基づく迫害行為などを指す。ジェノサイド(集団殺害)罪、戦争犯罪と共に「国際法上の犯罪」とされる。第二次世界大戦後の東京裁判やドイツのニュルンベルク裁判で初めて審理対象になった。1990年代の旧ユーゴスラビア紛争を巡る旧ユーゴ戦犯国際法廷やルワンダ戦犯国際法廷でも訴追対象になっている。
文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.68 


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車窓雑記
 
神話を読む・アプサラの微笑
私の部屋の壁に表装したアプサラの拓本額が飾ってある。今は亡きT先生夫妻がカンボジアのアンコールワットを旅した折り、土産物店の店主に押し付けられた遺跡の拓本絵である。豊満な乳房の半裸の踊り子が踊っている。T先生夫妻は、二枚買い日本に持ち帰った。当時は、遺跡の拓本などありふれた(今では貴重)ものだった。が、二枚とも表装したいと相談された。私は知り合いの表具屋に持って行った。できあがったのを辻堂の先生宅に届けると、「一つは、あなたに」とくださった。一つは、先生宅の居間に飾るとのこと。もう35年も前の話である。それ以来、何度か引越しはしたが、玄関、居間の壁に飾った。
アプサラは宮殿の「踊り子」という意味。神話として、カンボジアではこんな話が伝わっている。(小高親著『カンボジア史』1957・7 近藤書店)
アプサラ
むかし、ある森の中に、乳の海とよばれた湖がありました。その名が示すように、水は乳色をしていて、周囲には、うっそうと雑草や大木が生い茂っていました。
この森には、非常に乱暴な子供たちをもつ姉と、優しい善良な子供たちをもつ妹とが、住んでいました。年頃になると、子供たちは見上げるばかりの大男たちになりました。
ある日、シーバの大神がこれら巨人たちの前に現れて、不老不死の薬(アムリータ)の作り方を教えました。これを飲むと、人間は年もとらず死ぬこともなく、従って神々の列に無加わることができるというものです。
大神から教えられた通り、巨人たちは森の中から色々な種類の木の実をあつめて、これを湖に投げ込み、大きな擂粉木でまわすと、乳色の水はだんだん濃く泡立ちました。不思議なことに、その泡の中から何か動いていると思う間もなく、美しい踊り子が出て来ました。次に頭を三つ持った白象が出て来ました。この白象は、アイラバーナといって、その後雷神(インドラ)の乗り物になっていますし、百万象章(ミリオン・エレファント・オーダー)と呼ばれるラオス王の勲章にも図案化されています。
さてアプサラが出て来たのを始まりに、色々の物があとからあとから出てきました。最後に不老不死の薬が出てくるのです。アンコール遺跡の至るところ、壁に破風に柱にアプサラの彫刻があります。田舎娘のようなあどけなさ、絶世の美女などが半裸の姿で様々なポーズで踊っている。後世カンボジアの詩人パンはこんな風にうたっている。
肌は真珠の色に輝き     肉づき豊かな胸と腰
乳房は蓮の蕾にも似て    愛らしくまるくかたく
げに舞姫の美しきかな
私の部屋の壁にあるアプサラの額。ふだんは見慣れて目にはいらない。が、秋の夜長、ふと、見つめることがある。そんなとき私は、思わず胸の中でたずねる。
「もう一人のおまえは、いまどこにいるのか?」
辻堂のT先生の家の居間にあった、もう一人のアプサラ。彼女は、どこにいったのか。もし会うことがあったら、きいてみたい。30年前のあの日、T先生夫妻に何があったのか。彼女なら知っているはず、と・・・・。T先生夫妻が非業の死を遂げてから一週間の後、羽田署はようやく私の下宿屋を捜し当てた。自殺の理由を知りたい目的だった。初老と若い二人の刑事は漫才コンビのようだった。むろん、私が原因を私が知るはずもなかった。帰り際、調書をとっていた若い刑事が、六畳間の壁にかけてあったアプサラを見て声をあげた。
「あれ、この拓本、どこかでみたな」
「同じものですよ。二つつくって分けたのです」私は言った。「もしかして、彼女なら知っているんじゃないですか。きっと、そうですよ微笑んでるように見える」
 二人の刑事は、何も言わずに帰っていった。彼女は、いまも微笑んでいる。あの国のジェノサイドもT先生夫妻の悲劇も、謎は自分だけが知っているように。 編集室
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11・13ゼミ
11月13日のゼミは次の要領で行います
1. ゼミ雑誌作成進行状況の報告(ゼミ誌編集委員と)
2 テキスト『城の崎にて』読み(車中からでて周囲観察)
3 社会観察・人間の謎「彼女たちはなぜ死んだのか」について考えてみる
4. 名作紹介『にんじん』「犬」「失礼ながら」読みと評。秋の歌
5. 回想法・山川惣治作・画『少年王者』(紙芝居稽古) 時間まで
 1.おいたち編(大道芸的演技をみがく)
1.ゼミ雑誌作成過程報告
 原稿も出揃い、カバー色も決まり印刷会社(稲栄社)からの見積もりもきました。ゼミ誌は、作成に入りました。校正など、皆で協力してすすめてゆきましょう。
◎ ゼミ誌発行までの予定です。以下の手順で進めてください。
1.  11月13日現在、【見積書】は出版編集室に提出済み。原稿も入稿済み。
2.  編集委員は、皆と協力して題字、表紙、帯を決める。印刷会社と、希望の
   装丁やレイアウトを相談しながら編集作業をすすめる。
3.  校正してください。
4. 12月15日(月)はゼミ誌納品期限です。厳守!!
5. 見本誌を出版編集室に提出してください
6.  12月下旬までに印刷会社からの【請求書】を出版編集室に提出してください。
注意事項!!
以下の点に注意してください。
◎ ①【ゼミ誌発行申請書】、②【見積書】、③【請求書】以上3種類の書類が提出されない
  場合はゼミ誌の発行はできません。補助金の支払いも認められません。
  11・13日現在は、見積書が提出済みです。
ゼミ誌発行期限は、12月15日です。
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 11月4日(日)11時までに、と思っていたが、所用で、所沢校舎に着くのが遅くなってしまった。学園祭は、いつになっても懐かしい。いや、この歳になると、なぜか寂しく感じたりもする。私の部は、芝生に畳を敷いて柔道の形を披露した。私たち1、2年生はしっかり畳を押さえていた。3年になったら自分たちもと思っていたら、あとは日大闘争で学園祭どころではなくなった。そんなことを思い出して歩いていると、声をかけられた。昨年のゼミにいた小河原君だった。彼は手品サークルだった。「いま、終わったところですよ」と残念そうだった。神田さんもでるので観たかったが、遅くなったのを詫びた。彼がバスケ部の平岩君を呼んできた。彼も昨年のゼミ生だ。まだ1年もたたないのに二人とも、すっかり大人びた青年になっていた。元気そうでうれしかった。
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2.テキスト『城の崎にて』読み
 志賀直哉の観察眼は、車中外でも鋭い。『城の崎にて』は、人間以外を観察した名作です。昆虫や小動物の死に向けられた目。森羅万象の運命を感じさせる心境作品になっている。
『城の崎にて』etc…
 この作品は、温泉場で見たことをありのまま書いたといわれる。と、いうと小説ではないのか、ということになるが、れっきとした小説である。しかも名作の仲間入りしている。なぜか。そのへんのところは、草稿と合わせて読むとわかってくるのでは・・・。事実だけれど創作。創作だけれども事実。まさに志賀作品の真骨頂である。
 この作品は、1917年(大正6年)5月1日発行の『白樺』第8巻第5号に発表された。
「山の手線の電車にはね飛ばされてけがをした。そのあと養生に、一人で但馬の城の崎温泉へ出かけた。・・・」冒頭の書き出しだが、実際、日記にこう書いている。
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8月15日 1913年
 病院。かえって、『出来事』のしまいを書き直して出来上がってひるね、伊吾来る。起きてそれを読む。
※ この夜、伊吾、すなわち里見と散歩に出て、その帰りに山の手線の電車に後からはねとばされ、怪我をする。
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「創作余談」で作者はこう述べている
 これも事実ありのままの小説である。鼠の死、蜂の死、いもりの死。皆その時数日間に実際目撃した事だった。そしてそれから受けた感じは素直に且つ正直に書けたつもりである。いわゆる心境小説というもので余裕から生まれた心境ではなかったか。(志賀)
 また「出来事」を書きあげたその日の夜、電車にはね飛ばされ、ひどい怪我をしたのだが、幸いにも危ないところを助かり、「この偶然を面白く感じ」、「この怪我の後の気持ちを書いた」のが『城の崎』である、と語っている。
インターネット検索・「城の崎」温泉
 名作『城の崎にて』の舞台 HPでは、このように紹介していた。
 谷あいにくの字にひらけた湯の町。川沿いの柳が芽吹き、木造の旅館街にぼんやりと灯がはいる。外湯を巡る浴客たちの下駄の音がなつかしい。山陰の城崎はゆっくりと遅い春を迎えていた。
 ここが「城の崎にて」の舞台になった。とりたててストーリーがあるわけではない。静養をつづける「自分」のひそやかな日常を飾り気なくつづった。文庫本にして八頁たらずの小編だが、芥川龍之介をうならせ、谷崎潤一郎は「文章読本」に「華を去り実に就く」名文として取り上げている。
 ある朝のこと、一疋の蜂が旅館玄関の屋根で死んでいるのを見つけた。他の蜂が巣にはいった日暮、冷たい瓦に一つ残った死骸に、淋しさと静けさを感じる。散歩のおり、川でみた大鼠は、首に魚串を刺され川岸の人たちの石に追われて逃げ惑っていた。死ぬに極まった運命を担いながら、全力を尽くして逃げ回る様子が妙に頭についた。
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 そんなある日、驚かそうと投げた石が小川のイモリに当って死んだ。可愛そうと思うと同時に生き物の淋しさを一緒に感じている「自分」だった。
 大正二年、志賀は初めて城崎を訪れた。山手線の電車にはねられて重傷を負いその後養生のために三週間滞在した。温泉につかり、ぶらりと町を歩く。玉突き屋に寄り、義大夫も聴く。父との不仲が続き、生後間もない長女を亡くしたばかりの落ち込んだ心境、小さな生き物に自分を重ね合わせ、生と死を考える。
 「『城の崎にて』を書いたのはここにきて四年後なんです。それが昨日のことのように生き生きと表現されている。もちろん才能ということもあるんですが、それほど城崎が印象つよかったんですね」。志賀直哉の研究家、唐井清六神戸親和女子大教授はいう。
 町のはずれや山道にも直哉は足を伸ばした。「或る一つの葉だけがヒラヒラ同じリズムで動いている」と書いた桑の木は、町から二キロほどの山道にあった。枝を落とした弱々しい木は二代目だという。かたわらのせせらぎは、イモリに石をなげた所ですよ、と地元の人に教えられた。澄んだよどみに、川藻をくぐるハヤがいた。かっての峠道は日本海側に抜ける県道に変わっていた。
 川端は戦後もなんどか城崎に立ち寄っている。死んだ蜂をみた「三木屋」が定宿だった。町長もつとめた三木屋のご当主は代替り、文学碑建立で志賀邸に足を運んだ観光協会長も亡くなった。 画家の藤野つとむさん(66)は、この町では志賀直哉に会った数少ない一人になった。 町役場の観光課長時代に、観光ポスターのことで渋谷の自宅を訪れた。亡くなる一年前のことだ。「城崎は好き、あの作品も好き。文学碑は嫌いだが、城崎の碑だけは苦手の筆で懸命に書いたと話されていました」。
 各地の温泉地は、いま若者でにぎわう。城崎もこんな若者達が観光業を支える。「温泉だけでは客がよべない。なにか付加価値をつけなければ」とこの春、観光協会の呼び掛けで「城崎文学まつり」が開かれた。多くは中高年で、若者の姿はちらほらだった。「三木屋」で直哉の部屋を見せてもらった。庭が見える和風の部屋。「バス、トイレが無いんですか」と若者には人気がない。「ロマンを支えるというのはしんどいことですね」、十代目にあたる専務さんがぽつんといった。
名作案内・ルナール作「にんじん」
             「にんじん」とは何か
 ルナールの紹介と翻訳の日本における第一の功労者は岸田国士である「にんじん」の翻訳も、氏による名訳がある。この岸田国士の「にんじん」の見解は
「いったい、ルナールは、どういうつもりでこの作品を書いたのだろう。
言うまでもなく、彼は、自分の少年時代の苦い追憶を、ことに、異常な性格をもつ母親と、その母親をどうしても愛することのできなかった、そして、その原因は母親の方にばかりあるのではないことを知らなかった自分との宿命的な対立を、いくぶん皮肉をまじへて、淡々とユーモラスに書いてみたかったのである」としている。
 しかし、この見解に対して詩人の宗左近は、解説で
 はたして、そうであろうか?とりわけ、「にんじん」とその母親とは、「宿命的な対立」をしていたのであろうか?
と、疑義をなげかけている。  角川文庫『にんじん』「にんじんの秘密」から
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社会観察・議論
彼女たちはなぜ死んだのか
このところ自殺のニュースが相次ぐ。小学生、中学生、高校生はいじめが原因らしい。教師は教え方に悩んでが多い。先日死んだ若い女教師は遺書に自信をなくしてとあった。保護者との確執が原因とのこと。このごろは、校長先生も自殺する。履修不足問題が原因だという。いずれも、最近の学校がらみの自殺は、動機や理由がはっきりしている。どうしたら防止できるか。テレビでは、コメンティターたちが簡単に無責任に答えている。一つの解決策はマスメディアが自殺報道をやめればいい。マスコミが騒ぐので自殺が一種流行のようになってしまっているような気がする。先日、文部科学大臣宛に自殺予告が届いた。大臣は心配して発表に踏み切ったが、真贋のほどは限りなく不透明に近い。事実であっても悪戯であっても無視していた方が得策ではなかったかとも思う。が、・・・・。
ところで、7日スポーツ新聞で読んだ女子大生2人の自殺の真相は、よくわからない。彼女たちはなぜ死んだのか…。記事はこんな見出しと内容だった。
女子大生2人構内で飛び降り
「人生に悔いありません」手書きメモ 埼玉・日本薬科大
 
埼玉県伊奈町の日本薬科大学で6日午前8時ごろ、構内の研究実習棟近くの芝生に女性2人がうつぶせで倒れているのを警備員(42)が見つけ119番。2人とも全身を強く打ち即死していた。
上尾署などの調べによると、死亡したのは同大医療学科2年の大阪出身の20歳と、青森県出身の19歳の女子学生。棟12階(高さ約44・5㍍)の窓が開いており、近くにはA4判の紙に「人生に悔いはありません」という内容の手書きメモが残されていることから、同署では2人が飛び降り自殺したとみと調べを進めている。窓は本来、10㌢ほどしか開かないように金具が設置されているが、外されていたという。
大学庶務課によると、2人は大学近くにある同じアパートの別の部屋に住んでおり、仲がよかった。10月に入り2人とも授業を欠席がちになっていたという。同棟は構内で最も高い建物。
 
 この記事からなにがわかるか。2人の女子大生が死んだ。自殺らしい。ゼミの女子学生と同年齢だが、どうしても彼女たちと重ならない。この二人の女子学生は、なぜ死んだのか。同年齢、同じ大学生として考えてみよう。
 6日の朝は、秋らしい爽やかな日だった。所沢では日芸祭の後片付けで、授業は休みだった。この大学はどうだったのだろう。芝生の上に倒れている二人を発見したとき、中年の警備員は、一瞬どんなことを思ったろうか・・・・。
 現場となった伊奈町は、地図で見ると取手市の上にある町。最寄駅は常磐線「とりで」から関東鉄道に乗って「もりや」か「いなとい」あたりか。つくば市の手前である。ということは、秋葉原から直通の特急が走るようになった。
○ 彼女たちは、なぜ死を選んだか。理由・動機は何か。二人になりきって考える。想像・
  創造できた人は、順番に発表する。
○ もし彼女たちのことを知っていたら、相談されていたら。未然に防ぐことはできたか。
  上記の推測への、あなたのアドバイスは。
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4.回想法・紙芝居稽古と詩の朗読
山川惣治 – 絵物語作家。福島県出身。 (1908年2月28日~1992年12月17日)
■代表作 『少年王者』『 少年ケニヤ』『 荒野の少年』がある。
紙芝居のポイント
○ 10・30ゼミでは、佐藤翔星さんが挑戦しました。進んでやってみてください。
○ 出席者全員に分けてやってみましょう。他の人のを観ると、長所短所がわかる。
○ 重要な点は、観客をいかにして引き込ませるかにある。物語るよう工夫しましょう。
※ 棒読みにならないように注意しましょう!!
秋の歌の吟唱 
 秋の詩を観察してみる 秋を代表する詩の一つです。自分が吟遊詩人になったつもりで。11月末まで掲載。毎回、順番に気持をこめてうたってください。
ヴェルレーヌ「秋の歌」「沈む日」(『土星の子の歌』)堀口大学訳
      秋の歌 ポール・ヴェルレーヌ(1844-1896)フランス象徴派の詩人。
秋風の  ヴィオロンの  節ながきすすり泣き
もの憂きかなしみに わがこころ  傷くる
時の鐘  鳴りも出づれば  せつなくも胸せまり  
思いぞ出づる  来し方に  涙は湧く
落ち葉ならぬ  身をばやる  われも
かなたこなた  吹きまくれ  逆(さか)風よ
            沈む日
         たよりないうす明り  沈む日の  
        メランコリヤを  野にそそぐ
        メランコリヤの  歌ゆるく  
        沈む日に  われを忘れる
        
        わがこころ  うちゆする
        砂浜に  沈む日もさながらの 
        不可思議の夢
        
        紅いの幽霊となり
        絶えまなくうちつづく  うちつづく
        大いなる沈む日に似て  
        砂浜に
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2006年、読書と創作の旅 日本国憲法を読んで感想・意見を提出ください
☆ 憲法改正について (現行憲法を何度でも読んで考えてみましょう)
 安倍政権に代わって憲法改正問題がより現実的になっている。そこで、再度、この問題を観察してゆきたい。下記は、現行憲法と、昨年秋政府自民党が出した改正案。
 
前文について
【現行憲法】
 日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれら子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に在することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基づくものである。われわれはこれに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
 日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
 われらは、いづれの国家も、じこくのことのみに専念して他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は、、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立とうとする各国の責務であると信ずる。
 日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。
上記、現行憲法を下記のようにしたい、という。
【自民党案】
 日本国民は、自らの意思と決意に基づき、主権者として、ここに新しい憲法を制定する。
 象徴天皇は、これを維持する。また、国民主権とと民主主義、自由主義と基本的人権の尊重及び平和主義と国際協調主義の基本原則は、不変の価値として継承する。
 日本国民は、帰属する国や社会を愛情と責任感と気概をもって自ら支え守る責務を共有し、自由かつ公正で活力ある社会の発展と国民福祉の充実を図り、教育の振興と文化の創造及び地方自治の発展を重視する。
 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に願い、他国とともにその実現のため、協力し合う、国際社会において、価値観の多様性を認めつつ、圧政や人権侵害を根絶させるため、不断の努力を行う。
 日本国民は、自然との共生を信条に、自国のみならずかけがいのない地球の環境を守るため、力を尽くす。
憲法、特に第九条は、どうしたらよいのか。考えてみる。選択肢は二つか
一つは、現在の世界情勢に沿った形で改正する。
二つには、世界に一つしかない憲法だから変えない。(世界遺産として残す)
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第9条について
現憲法の第二章【戦争の放棄】
 
第九条 ① 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、武力によ
       る威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを
       放棄する。
     ② 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国
       の交戦権は、これを認めない。
●(自民党)草案の第二章【安全保障】
 
 第九条(平和主義) (現憲法の一項と同じ)
 第九条の二(自衛軍) 我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全を確保するため、内閣
 総理大臣を最高指揮権者とする自衛軍を保持する。
2 自衛軍は、前項の規定による任務を遂行するための活動を行うにつき、法律の定めるところにより、国会の承認その他の統制に服する。
3 自衛軍は、第一項の規定による任務を遂行するための活動のほか、法律の定めるところにより、国際社会の平和と安全確保するために国際的に協調して行われる活動及び緊急事態における公の秩序を維持し、又は国民の生命若しくは自由を守るための活動を行うことができる。
第二項に定められるもののほか、自衛軍の組織及び統制に関する事項は、法律で定める。
11・6ゼミ報告
11月6日のゼミは、7名全員参加でした。(順不動・敬称略)
 猿渡公一   鈴木秀和   高嶋 翔  中川めぐみ
 神田奈都子  佐藤翔星   大江彩乃
    
司会・中川めぐみさん
1.ゼミ誌について → 表紙カラー・字体、位置決め 帯の文
           表紙カラー → 空色5 緑1
           字体 → 横書き
 帯文の発表 → 大江彩乃、高嶋 翔、鈴木公一、佐藤翔星さん
2.テキスト『灰色の月』編集室独善の解読読み。全員で読む。
3. 回想法・紙芝居 → 『少年王者』おいたち編 → 佐藤翔星さん。
 ※ ゼミ誌作成について、表紙など装丁について活発な意見交換があった。原稿提出はまだ可能か、についての質問も。順調に進んでいるといえる。
文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.68――――――――10 ―――――――――――――――――
新聞観察
憲法改正に関係する、こんな記事があったので紹介します。
憲法改正国民投票  まっさらで判断するために 2006・11・7朝日
――――――――――――――――11 ―――――――――文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.68
新聞観察
ドイツにフリーター文学 2006・11・7読売
米の大学生一般教養は 2006・10・7 朝日新聞
文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.68――――――――12 ―――――――――――――――――
お知らせ
11月18日(土)PM6:00~ 千駄ヶ谷区民会館 JR原宿駅徒歩7分
9:00~原宿駅前居酒屋で二次会(ゼミ生は会費0)
ドストエーフスキイの会・第177回例会報告要旨
団塊世代とドストエフスキー
~なぜ、柳の下に二匹目のドジョウはいるのか~
下原敏彦
 
例会の帰り、二次会でほろ酔い機嫌の車内では、報告感想やロシア談議に花が咲く。今年の春、私が『ドストエフスキーを読みながら』を出版したときは、最近のドストエフスキー出版物が話題となった。「ドスト関係は本当に多いです」といった談笑の最中、木下先生が「どうしてドストエフスキーだけが、柳の下に二匹目のドジョウがいるんだろうね」と、おかしそうに言われた。〈柳の下にいつも泥鰌は居らぬ〉のはず。が、ドストエフスキーに限って、二匹どころか何匹でもいる。それは、なぜか?ということである。ドストエフスキーの出版物を検索すると、確かにその多さがわかる。この作家の本だけが突出している。暗い、長い、くどいといわれて敬遠されているのに、何故にこんなに多くの出版物があるのか。改めて考えれば大いに不思議に思うところである。今回、報告する機会を得たので、木下先生が発したこの疑問を思い出し団塊世代の立場から考察してみることにした。
 ドストエフスキーという柳の下にドジョウは尽きない。この現象をどう捉えるか。今夏、『広場』15号合評会で提議された「精神と肉体」をヒントとして探ってみたい。精神=思考、肉体=時代として。例えば、(『広場』15号、木下論文「武田泰淳とドストエフスキー」を参照すれば)「戦後、何処からともなく現れ…次第に一ヶ所に集って」きた作家達(武田はじめ椎名麟三や野間宏)を、埴谷雄高は71年に「ドストエフスキー族(あるいは派)であることが明らかになった」と解いた。戦争という時代と殺人や思想に拘った彼らの個人的思考が一体化した結果といえる。各自が体験した「精神と肉体」が、彼らをドストエフスキーという大樹の下に引き寄せたのだ。
 では、団塊世代のドストエフスキー好き(あるいは派)たちは、どのような時代と思考に影響されたのか。800万人いるといわれる団塊世代、一括りにするのは難しい。47年1月3日生まれの私の場合は70年前後に集約される。まだ、ドストエフスキーを知らなかったが、あの時代はドストエフスキーに憑かれる土壌となりえた。
 あの時代、65年にベトナム戦争勃発、67年に革命の英雄ゲバラが死す、68年に学園紛争の火の手や三億円事件、70年3月に「よど号」事件、11月に三島事件。72年浅間山荘事件で陰惨な仲間同士リンチ事件発覚。団塊世代の青春は、過激と衝撃、そして懐疑に満ちた時代だった。理想と現実の混濁。若者は翻弄され諦めと悲劇の道を辿った。この波瀾の時代にドストエフスキーは多く読まれた。ちなみに会が発足したのは、この頃1969年のことである。はじめて参加した例会は、立ち見ができるほど熱気があった。水晶宮への憧れ。革命の嵐、非凡人や英雄主義の台頭、金権が支配する社会。世界はドストエフスキーが予見し警鐘した現実にあった。1922年革命最中のモスクワで開かれたドストエフスキー生誕百年祭でペレヴェルゼフは「現下においてこそ、ドストエフス
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キーを想起し」(『ドストエフスキーと革命』長瀬隆訳)再読しなければならないと訴えた。あの熱気は、まさにこの危機意識の表れではなかったか。が、結局はどの時代も顧られることはなかった。
 新世紀の今日、世界は混沌としている。再びペレヴェルゼフの言葉を想起しなければならない時代にある。ドジョウの多さはそれを物語るのか。「団塊世代とドストエフスキー」を考察することで、その現象との関連が解明できれば幸いである。
 団塊世代の青春はドストエフスキーを示唆する出来事で溢れていた。私の場合、体験に後押ししたのは精神としての柔道である。報告では、「柔道」と柔道のーロー「姿三四郎とドストエフスキー」の関係も明らかにしたい。
報告予定項目
1.なぜドストエフスキーだけが読まれ、論じられつづけるのか。
2.日本のドストエフスキー派と外国との違い。
3.ドストエフスキーのススメ。ペレヴェルゼフ講演「ドストエフスキーと革命」
4.団塊世代とは何か。
5.団塊世代の時代はどんな時代だったか。
6.水晶宮、英雄思想、金権社会。
7.混沌、ナンデモアリ、理想と現実の矛盾に生きた時代。
8.精神としての柔道とは何か。
9.ムイシュキン公爵から姿三四郎。そして寅さんへ。
10.団塊世代と柔道(土壌主義)の組み合わせが
ドストエフスキーのススメ
 ドストエフスキーは、社会の安定度や人間の幸福度を測るバロメーターでもある。ドストエフスキー読者というドジョウが多く柳の下に集まりはじめたら、世の中は危険信号か。より多くの人たちにドストエフスキーを読むことをススメなければならない。
 1922年、革命最中のロシアにおいて文芸批評家ペレヴェレゼフ(1882~1968)は、ドストエフスキー生誕百年の講演において「いまこそ、ドストエフスキーを想起し…再読しなければならない」と訴えた。ペレヴェレゼフは、革命のなかに『悪霊』の現実を見たのだ。やがてくる粛清の嵐と国民を奴隷化する国家体制を。だが、その言は顧みられることはなかった。彼は追放され、ロシアは70年もの長き間、自由が閉ざされた暗い時代を過すことになった。今日、世界は、不安のなかにある。戦火はやむことはなく疑心と欲望に満ちている。まさに「現下においてこそ、ドストエフスキーは想起」されなければならないのだ。以下、ペレヴェレゼフと1922年に生誕百年においてモスクワで講演した「ドストエフスキーと革命」の紹介。(長瀬隆訳『ドストエフスキーの創造』)
ヴァレリヤン・フョードロヴィチ・ペレヴェルゼフ(1822~1968)
 20世紀のロシアの文芸批評家、文芸学者、文学史家、ハリコフ大学在学中に革命運動に参加。1905年に逮捕され、シベリア流刑。1911年に釈放。1912年に『ドストエフスキーの創造』、1914年に『ゴーゴリの創造』を刊行。1921年よりモスクワ大学教授、1922年「ドストエフスキーと革命」講演。1929~1930年にかけてスターリン派の集中攻撃をうけ、共産主義アカデミーから追放される。1937年『ロシヤ・リアリズム長編小説の源泉』を刊行、1938年「ソヴェト文学の敵」と断罪される。以後、1956年に名誉回復されるまで、その消息は不明。1968年没。1975年に『古代ロシヤ文学』が刊行される。
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名講演を読む
 この講演はドストエフスキーが『悪霊』において予見し警鐘したことを最もよく表した内容と思います。連載で掲載しますので一読ください。普遍的講演です。
「ドストエフスキーと革命」紹介(長瀬隆訳『ドストエフスキーの創造』から)
①ドストエフスキーと革命 1922年講演
 ドストエフスキーの生誕百年祭を、私たちは、偉大な革命的激動の時期、生命を終えた古い世界の壊滅的崩壊と新しい世界の建設の時期に迎えることとなった。年代的に言えば、ドストエフスキーが属しているのは、もちろん、古い世界である。
 この記念祭の一日は、生きた先鋭な諸テーマ、現代の問題から私たちを切り離す一日となると思われるかもしれない。しかし私たちが過去の偉大な人物に敬意を表するのは、すぐにとってかえして、今日の生活、その大なる要求と緊急な課題に向かわんがためなのである。このことは、プーシキンとゴーゴリに始まりトルストイにいたる、全古典作家についてあてはまることである。しかしながらドストエフスキーの場合には事情が異なる。40年代の作家、同世代者のツルゲーネフ、ピーセムスキー、サルトゥイコフ、トルストイ等のなかにあって、彼は別格なのである。彼の言葉、思想と感情が40年代という時代、ロシヤ文学の古典時代と結びついているのは、機械的にそうであるというのにすぎない。もっとも行き届いた批評家、40年代の大家であったベリンスキーにとってさえ、ドストエフスキーが不明瞭で、理解しがたい作家として残ったのは偶然ではないのである。古典作家の巨匠群のあいだでは異質であるにもかかわらず、ドストエフスキーはスタイルと精神において、20世紀のもっともポピュラーな作家たちに近接している。古典作家ドストエフスキーの諸作品に見られるモチーフの探求が、ゴーリキー、アンドレーエフ、アルツィバーシェフ、ソログープ等の諸作品において継続されているのだ。現代文学の全体が、古典文学がプーシキンの歩んだ道を歩んだように、ドストエフスキーが歩んだ道を歩んでいるのである。ドストエフスキーは依然として現代の作家であり、この作家の創作のなかで展開されている諸問題は今日まだ解決を見ておらず、したがって、ドストエフスキーについて語るということは、依然として、今日の生活のもっとも痛切にして深刻な諸問題について語るということになるのだ。偉大な革命の竜巻にわしづかみにされ、それによって提起された諸課題の渦中で奔走し、情熱的かつ痛切に革命の悲劇の全変転に対処しつつ、私たちはドストエフスキーのうちに自分自身を見いだすのであり、彼のうちに、あたかも作家が私たちとともに革命の雷鳴を聞いているかのように、革命の峻烈な提起を認めるのである。ドストエフスキーの作家的相貌のこの特徴は、すでに一度ならず最新の批評のうちで指摘されてきた。「ロシヤの予言者」という言葉を、メレジコフスキーはドストエフスキーにかんする批評論文のひとつの表題に選んだ。予言者であろうがなかろうが、ドストエフスキーが革命の心理的世界を深く知っていたこと、彼が生きていた当時はもちろん、いな、革命の日々においても多くのものが予想だにしなかったことを、革命に先立って彼がそのうちに鮮明に見ていたこと――これは議論の余地のない事実である。ドストエフスキーを読むならば、諸君は、ロシヤ革命の体験中のドラマのうちの、理解しがたいことの多くを理解するであろう。理解しえず首肯できなかった多くのものを、しかるべく首肯し理解するであろう。
 革命の日々にドストエフスキーを想起しなければならないのは、ただたんに生誕百年にあたるからではない。革命そのもののため、革命の自己認識のためなのだ。ドストエフスキーの革命への態度は、指を口にくわえてぽかんと傍観しているのではなく、積極的に革命を意味づけようと努めつつ、現下の諸問題に対処しているすべての人々の深く研究しなければならぬものなのです。  次回へ
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読書の秋
香原志勢(こうはら・ゆきなり)著 清流出版
『死と生をめぐる思索』を読んで
 
 1960年代末、ベトナム戦争激戦の最中、東京の立川周辺では妙なアルバイトの噂がまことしやかに囁かれていた。ベトナムで戦死した米兵の遺体を洗うバイトで高額だという。多分にそのころ読まれた小説の影響かもしれないが、著者は、噂や小説が根も葉もないことだと断言する。戦場で死んだ兵士の遺体は神聖なもの、日本人が差別を感じるほどに遺体との距離はあったと。それほどにアメリカ人は遺体を大切に扱うのだ。映画『ゴットファーザー』を観たとき、葬儀屋に長男の射殺対を元通りに直してくれと頼むシーンがあった。なんとなく観流してしまったが、米国人にとっては、かなり重要な場面であったのかもしれない。
 本書は、大学院で人類学を学んでいた著者が、朝鮮戦争で死亡した兵士の修復を仕事をときの日本政府から依頼されるところからはじまる。それがきっかけで、著者は、多くの人間の死とめぐり合うことになる。人間は必ず死ぬ。いつ、どこで、どんなふうに。多くの他者の遺体を前に人類学者は哲学者になるしかない。だが、本書の根幹にあるのは、著者自身の運命の因縁に対する悲痛な訴えである。はじめて目にした遺体。それは防空壕のなかでまる焦げになった母親と妹だった。そして、人生のたそがれに目にしたのは、なんと交通事故死した息子の寝顔だった。大きな深い悲しみを抑えて、著者は、まるでそれが自身に課せられた「石となった死」を語る。それが救いとなっている。
新刊・好評発売中
山下聖美著 三修社 定価1400円
『ニチゲー力』日大芸術学部とは何か
日本のサブ・カルチャーの発信地の魅力を余すところなく解説
わが青春の日芸(本書収録)
群ようこ(作家) 安西水丸(イラストレーター) 三遊亭白鳥(落語家)
篠井英介(役者) 串田和美(演出家・俳優)
雑誌・好評発売中
☆雑誌『江古田文学62』定価980+税
   特集・チェーホフの現在 座談会・ドストエフスキー派から見たチェーホフ
             清水 正 下原敏彦 下原康子 横尾和博
    創作・架空夜話「ある元娼婦の話」下原敏彦
1890年6月26日、アムール河口の町に着いたチェーホフは、日本人娼婦と一夜を共にする。その夜、青年医師であり新進作家でもあるチェーホフは遊女と何を語り、何を考えたのか。ドストエフスキーへの懐疑と尊敬。そして明治維新を成し遂げた日本への憧憬と興味。謎に満ちた若き文豪のサハリン行の謎がここに明かされる。
☆雑誌・別冊『國文学』特集号 10月20日発行 定価1575円
『ギャンブル』破滅と栄光の快楽
 下原敏彦「ドストエフスキーとギャンブル」
文豪を苦しめたルーレット賭博とは、何だったのか。突然の賭博熱解消の謎は。『カラマーゾフの兄弟』に秘められた文豪のメッセージとは。あの「ダヴィンチ・コード」をはるかに凌ぐ人類救済の謎解きがここからはじまる。
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後期の予定
 後期ゼミは、土壌館劇場で紙芝居の稽古。ゼミでテキスト・名作読み他を行います。ゼミ誌が発行されたらゼミ誌の合評を行います。詳細は、下記の通りです。
土壌館劇場
 毎回、ゼミの中で紙芝居『少年王者』の稽古してゆきます。創意工夫で、冒険物語の雰囲気をだしましょう。
ゼミ内容
 ○ テキスト読み。志賀直哉作品
 .○ 「車中観察」「一日」「コラム」発表
 ○ 名作読み(主に『にんじん』他)
 ○ 社会問題議論(憲法改正問題・他新聞記事)
      
提出原稿について
○ テキスト・「灰色の月」の感想文。(各自1本)
○ 「車内観察」&「普通の一日を記憶する」。(常時)
  名作読み「にんじん」の感想を書く。「憲法について」
掲示板
ドストエフスキー関連
■ドストエーフスキイ全作品を読む会第217回「読書会」
月 日 : 12月9日土曜日 午後2時00分~4時45分
会 場 : 東京芸術劇場小会議室7
報告者 : 近藤靖宏氏 作品『賭博者』
■ドストエーフスキイの会第177回例会
月 日 : 11月18日土曜日 午後6時00分~9時00分
会 場 : 千駄ヶ谷区民会館
報告者 : 下原敏彦(日芸講師)
題 目 : 「団塊世代とドストエフスキー」~なぜ二匹目のドジョウはいるか~
                                 詳細は下原まで  
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編集室便り
☆課題原稿、社会評、創作など歓迎します。下記の郵便住所かメール先に送ってください。
「下原ゼミ通信」編集室の住所〒274-0825 船橋市前原西6-1-12-816 下原方
  メール: TEL・FAX:047-475-1582  toshihiko@shimohara.net
☆本通信はHP「土壌館」に掲載されています。
下原ゼミ11・13
なぜ彼女たちは、飛び降りたのか?
1.動機・理由を想像・推理してみる。
2.アドバイスは、あるか?

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