文芸研究Ⅱ 下原ゼミ通信No.281

公開日: 

日本大学藝術学部文芸学科     2016年(平成28年)1月18日発行

 

文芸研究下原ゼミ通信No.281

 

BUNGEIKENKYU Ⅱ SHIMOHARAZEMI TSUSHIN

編集発行人 下原敏彦

9/28 10/5 10/19 10/26 11/9 11/16 11/23 11/30 12/7 12/14 1/18 1/25

2015年読書と創作の旅

 

熊谷元一研究&志賀直哉

 

1・18下原ゼミ

 

 

謹賀新年

 

下原八幡神社

 

2016年、本年もよろしくお願いします

文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.281 ―――――――― 2 ―――――――――――――

 

2016年

 

明けましておめでとうございます

 

ゼミⅡのみなさんには、所沢校舎で学ぶのは、あと僅かとなりました。最後の二年生です。

 

熊谷元一研究  黒板絵について新資料、発見 !!

 

2015年12月22日 岩波書店 編集部 桑原涼氏、旧誌調査中に見つける

 

熊谷元一、1956年1月号『文芸春秋』で黒板絵について語る

黒板絵

熊谷元一

 

黒板絵という言葉が児童絵の中の一つの分野として世間に通用するかどうかわからない。

教師は、毎日黒板に文字や絵を書いて児童に教える。教師専用の黒板に児童が休み時間にたまたま絵や文字を書くとこれを「落書」といってしかることが多い。これは板塀や土蔵の壁などにいたずら書きをするのと同一視するからである。

私が一年生を受持って三日目頃、教室へはいってみると黒板いっぱいの大きな鳥の絵が描いてある。こんな大きなものを何の苦もなく描くとはすばらしいことだと思って、誰が描いたのか聞いてみたが、誰も私だという者がない。落書ならしいて筆者をせんさくする必要もないのでそのままにした。

でもこのまま消してしまえば再び見ることが出来ないのでなんだかおしい気がした。そうかといって消さずにおくわけにもいかないので、写真にとっておくことにした。この大きさに引伸すことは出来なくてもスライドにして幻灯機にかければもとの大きさに再現することが出来ると思った。

写真をとるのを子供たちは、不思議な顔をして見ていた。後にこれは学校の黒板だがみんなが一生懸命に描くのならどんな絵を描いてもいいと話し、各組で使い終わった小さいチョークを集めておいてやった。

次の日、何か描いてあるかと思って多少の期待をもつて教室にはいつたが何も描いてなかった。むりに描かすこともないと思って別に何もいわなかった。その後、ちょいちょい描いてあったが、これはというおもしろいものはなかった。

7月頃になると時々いい絵が描いてあった。おもしろいものは日付と描いた子供の名前を書き添えて写真にとっておいた。天気のいい日は殆ど絵がかない。雨の日など教室におりがちな日に描くことが多い。

描くことがらも思いつくままに描くので、動物もあれば乗物、日常生活の一こま、空想的な絵のこともある。ある日、かたつむりのようなうずまきの上に足が四本出ていて、うずまきの終わりの大きくなったところに人間の横顔のようなものが描いてある。いくら考えてもわからないので、これは何を描いたのかと聞くと「先生わからんのかな、めんめんだいろ(かたつむり)がかめをのんだとこな。」「ほうこの足のようなものは何だ。」「かめの足がそこから出たのな。」とすましている。

 

 

―――――――――――――――――― 3 ―――――文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.281

 

 

描く子、描かない子

 

黒板絵を描くのは組35人中約3分の1で、ほかの3分の1が時々描き、残りの3分の1の子どもたちはあまり描かない。

一人が汽車の絵の輪郭を描くと他の一人が乗客を描く、また一人来てそれに色をぬる。それを見て二三人がトンネルやレールを描くというようにごく自然に共同制作をやっている。僕の描く絵に手を入れてはいけないとはけつしていわない。学校の黒板に描いているのだから誰が描いても文句はないとおもっているのかどうか。自分のしていることにおせっかいされるとりきみかかることの多い子どもにしてはおもしろい現象だと思う。

絵の大きさは極く小さいものから、二面つづきの黒板いっぱいの大きな絵のこともある。こうした大きなものになると自分の背だけではとどかない。腰掛を持ち出してその上に登って眼をかがやかしながら一心に描いている。画用紙ではこんなに大きな絵はめったに出来ないが黒板絵では自由にたやすく出来る。

一回の休み時間だけでは描き終えない時は授業中も消すのをやめて次の休み時間まで待ってやって感性さしたこともある。何も画用紙へ描くだけが児童画では

ないと思ったからである。

ずいぶん奇想天外なことを考える子供もいるものだと思って、これはなかなかおもしろいとほめてやった。その子はニコニコわらつていた。

 

 

 

 

色チョーク絵、カラ―フイルムで撮る

 

はじめは多く一色であつたが、色のチョークを与えるとだんだん色彩が豊になつた。そ

うなると白黒写真では実感が出ないのでカラーフィルムをふんぱつしてとることにした。

一年の三学期から二年はじめにかけてはずいぶん描いた。やはり冬期は校庭がぬかって居て外で遊べないので絵を描くことが多かった。

二年生も二学期、三学期となると内容もだんだん複雑になり、色彩も絵具では出ないようなチョーク独特の味が出ることもあった。

どんな力作でも描き上げればすぐ消されるのが黒板絵だ。描くことにのみよろこびを感じ、

丸を一つもらうのでもなく、多くの人に見てもらってほめられるのでもない。ましてコンクールに出すようなことは出来ない。

二カ年間に描いた三百くらいにのぼる絵も今はただ私の密着帳に残っているだけである。でもこれはけっして「落書」ではなく、小学校の低学年や幼児には是非描かしたい「落書」であると信じている。(長野県会地村小学校教諭)

文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.281―――――――― 4 ――――――――――――――

 

熊谷元一研究関連  飯田・下伊那地区研究大会開催

 

熊谷元一の郷里、伊那谷・飯田でこの地域の研究大会が開かれる。詳細は、次

の通りです。(提供・法政大学国際文化部 飯田・下伊那地区研究 高柳俊男学部長)

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

平成27年度学輪IIDA全体会(公開セッション)開催のご案内

学輪IIDA全体会【公開セッション】
(1) 日 時  平成28年1月23日(土) 13:30から受付開始
(2) 会 場  シルクホテル(飯田市錦町1-10)
(3) 日 程  [プログラムは以下のとおりです]

◆ 受 付 : 13:30~14:00
◆ 開 会 : 14:00
◆ 公開セッション : 14:00~
○ 大学の実践事例報告
○ 学輪IIDAの活動報告
○ パネルディスカッション
◆ 閉会 17:00(予定)

◆ [終了後、会費制による懇親会を開催]

平成27年度「学輪IIDA」全体会(公開セッション)を、平成28年1月23日(土)午後2時00分からシルクホテル(飯田市錦町1-10)にて開催いたします。

学輪IIDAは、飯田と縁のある大学・研究者等によるネットワーク組織であり、平成23年1月に設立されました。「21世紀型の新しいアカデミーの機能や場をつくる」ことをコンセプトに、研究者同士が相互に親交を深めつつ、飯田を拠点にモデル的な研究や取組を地域とともに行っています。現在、31大学約80名の研究者の皆様に参画いただいています。

全体会(公開セッション)では、飯田における調査・研究・学習活動を実践している大学の取組事例、学輪IIDAプロジェクトの活動報告、『「真の地方創生」の実現に向けた学輪IIDAの意義とこれからの可能性』をテーマとしたパネルディスカッション等を予定しています。地域と大学が連携して取り組み、実践してきた事例報告をもとに、飯田が培ってきた肥沃な土壌「学びの宝庫 飯田」の可能性などについて議論を深めます。

※学輪IIDA全体会【公開セッション】への参加を希望される方は、『1月15日(金)』までに飯田市企画課へご連絡ください。

 

 

―――――――――――――――――― 5 ―――――文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.281

 

阿智村関連情報 2016年1月17日(日)

 

JOIN 移住・交流&地域おこしフェア

お台場・東京ビックサイトで開催

 

阿智村出展 西ホールで 熊谷秀樹村長はじめ役場職員・東京在住の阿智村出身者が協力して熊谷元一が生まれ育った阿智村を宣伝した。

 

阿智村に行ってみたい、阿智村に住んでみたい。そんな人たちが多勢、熱心に説明を聞いた。

 

星降る里は

 

高原と温泉 古代浪漫の地

 

そして熊谷元一写真・童画の村

 

 

文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.281 ―――――――― 6 ―――――――――――――

 

阿智村観光マップ

 

古事記 万葉集 源氏物語 謡曲の舞台の里

―――――――――――――――――― 7 ―――――文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.281

 

1・18ゼミ 名作読みは『小倉百人一首』

 

今日の名作読みは、せっかくのお正月明けなのでカルタ大会を行います。昨今、ゲームは沢山ありますが、『小倉百人一首』拾いは、最も古典的な、ゲームです。

 

昔の正月の遊び、いま何処

 

最近の家庭は、どうか知らないが、私が子どもだったころは、正月の遊びは百人一首と相場が決まっていた。そのころは、まだ大家族で、どの家にも数人の子供がいた。実家の周辺はほとんど親戚だったことから、子供たちは、年賀に親戚の家々を泊まり歩いた。こたつで、花札、トラン遊びをした。大人が加わると百人一首大会となった。負けたくないという気持ち。楽しさのなかに緊張があった。あの雰囲気、正月がくると、思い出す。

核家族になった現代では、都会ではむろん、田舎でもほとんど百人一首は遊ばなくなったようだ。従兄弟の数も減ったし、いろんなゲームが増えたこともある。毎年、ゼミでやったことがある人を聞くのだが、未経験の人が多い。2015年の皆さんもそのようだった。

そんなわけで、本日の後期後半最初のゼミは、百人一首。

 

百人一首とは何か

 

天智天皇(平安末期)から藤原家隆・雅経(鎌倉)の時代までのもの

 

小倉山荘で藤原定家(1162-1241)が勅撰集から選んだ。男79名、女21名。

春夏秋冬の歌32首 恋歌43首 その他、旅など25首などで構成されている。

 

百人一首とは何か。カルタひろいから入れば、それほど縁遠いものではない。おそらく苦手とする人は、学校教育の一環、古典文学と考えるからと思う。昔の人が優雅に風景や、四季、恋、失恋を詠んだもの、文法ではなくリズムで思い描いてみよう。

百人一首とは、何か。HPでは、このように紹介している。

藤原 定家(ふじわら の さだいえ、1162年応保2年) – 1241年9月26日仁治2年8月20日))は、鎌倉時代初期の公家歌人。諱は「ていか」と有職読みされることが多い。藤原北家御子左流藤原俊成の二男。最終官位は正二位権中納言京極殿または京極中納言と呼ばれた。法名は明静(みょうじょう)。

平安時代末期から鎌倉時代初期という激動期を生き、御子左家の歌道の家としての地位を不動にした。代表的な新古今調の歌人であり、その歌は後世に名高い。俊成の「幽玄」をさらに深化させて「有心(うしん)」をとなえ、後世の歌に極めて大きな影響を残した。

摂関家藤原北家道兼流宇都宮蓮生宇都宮頼綱)が京都嵯峨野に建築した別荘、小倉山荘の襖色紙の装飾の為に、蓮生より色紙の依頼を受けた鎌倉時代の歌人藤原定家[1]が、上代の天智天皇から、鎌倉時代の順徳院まで、百人の歌人の優れた和歌を年代順に一首ずつ百首選んだものが小倉百人一首の原型と言われている。男性79人(僧侶15人)、女性21人の歌が入っている。成立当時まだ百人一首に一定の呼び名はなく、「小倉山荘色紙和歌」や「嵯峨山荘色紙和歌」などと称された。

いずれも『古今集』 、『新古今集』などの勅撰和歌集から選ばれている。歌道の入門書として読み継がれた。江戸時代に入り、木版画の技術が普及すると、絵入りの歌がるたの

文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.281 ―――――――― 8 ―――――――――――――

形態で広く庶民に広まった。より人々が楽しめる遊戯として普及した。関連書に、やはり藤原定家の撰に成る『百人秀歌』があり、『百人秀歌』と『百人一首』との主な相違点は「後鳥羽院順徳院の歌が無く、代わりに一条院皇后宮権中納言国信権中納言長方の3名が入っている」「源俊頼朝臣の歌が『うかりける』でなく別の歌である」2点である。現在、この『百人秀歌』は『百人一首』の原撰本(プロトタイプ)と考えられている。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

黒板絵情報  あの黒板絵写真展が、熊谷元一の故郷で

 

黒板絵写真展開催期間  44作品が展示(数点が江古田で未展示の作品)

(長野県下伊那郡阿智村 ℡0265-43-4422 会場・熊谷元一写真童画館アートギャラリー)

 

2015年11月25日(水)~ 2016年3月7日(月)

 

 

ゼミ・文芸研究Ⅱ  後期後半の下原ゼミ

 

ゼミⅡ後期前半の記録

 

□  9月28日 参加 大島 夏休みの過ごし方、司馬遼太郎の作品談話。

□  10月 5日 参加 中野、蓮子、大島 志賀直哉『范の犯罪』、模擬裁判について

□  10月19日 参加 大島 模擬裁判とゼミ誌について

□        大島―ゼミ通信、メールでゼミ誌原稿の添付するが不備、着信せず。

□  10月26日 大島、蓮子、中野 テキスト『剃刀』を輪読 ゼミ誌報告

□  11月 9日 大島脚本半分読み合わせ、ロシア継子殺人未遂事件についての裁判

□  11月16日 未完台本読み合わせ 志賀直哉観察作品読み

□  11月30日 全員参加 完成台本の読み合わせ 12・14に向けて

□  12月 7日 授業評価 『正義派』読み 3ゼミ合同発表会について

□  12月14日 3ゼミ合同発表会

□   1月18日

 

12・14 3ゼミ合同発表

 

「サーカスナイフ投げ妻殺人事件裁判」公演好評でした

 

あるサーカス団で演目・スローインク・ナイフ(人を立たせてナイフを投げる)のナイフ投げ実演中に、的役の女性団員が死んだ。ナイフ投げ曲芸師が投げたナイフが頸部に刺さっての即死だった。目撃者は、観客・団員多数。が、女役者とナイフ投げ曲芸師が夫婦で、不仲だったことから、事故か故意かわからなくなった。果たして真相は…裁判を再現した。

 

 

長野県阿智村60周年事業

 

19回熊谷元一写真賞コンクール募集2016年のテーマは「阿智村」・「祝う」です。

シェアありがとうございます

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • Pocket

コメントを残す

PAGE TOP ↑