文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.73

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日本大学芸術学部文芸学科     2007年(平成19年)1月 15日発行
文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.73
BUNGEIKENKYU Ⅱ SHIMOHARAZEMI TSUSHIN
                              編集発行人 下原敏彦
                              
2006後期9/25 10/2 10/16 10/23 10/30 11/13 11/20 11/27 
     12/4 12/11 1/15 1/22 
  
2006年度、読書と創作の旅
1・15下原ゼミ
1月 15日(月)の下原ゼミは、下記の要領で行います。文ゼミ教室1
 1.ゼミ雑誌編集・校正・渉外に関しての感想
 2.名作読み『にんじん』「自分の考え」「反抗」「終わりのことば」
 3.社会観察「家族間事件」
新年あけましておめでとうございます
新年に際して「観察」に想う
 「2006年、読書と創作の旅」と銘打って昨春、スタートしたこのゼミも、残すところ、今日を入れてあと2回となった。この旅で重要なのは、まず「観察」することでした。何を書くにも描くにも、観察がしっかりなされていないと、土台のない家のようにもろいものとなります。そんなわけでゼミでは、「観察」を学ぶためにテキストとして志賀直哉の車中作品をとりあげてきました。小説の神様は車中観察の名人でもあります。志賀作品から学ぶことは多々あるわけです。が、先日この「観察」について大いに納得させられた本を見かけたので紹介します。正月休み暇つぶしに読んだ本からです・・・。
 H・シュリーマン(1822-1890)と聞いても文学の世界ではピンとこないかも知れない。が、考古学を学んだ人ならすぐにこう尋ねるに違いない。「シュリーマンって、あのシュリーマン?!」そう、あのシュリーマンである。1871年にトロイア遺跡を発掘したことは、あまりにも有名である。彼は伝説を信じた冒険者か、それとも真の考古学者だったのか。どちらとも知る由もない。が、これだけははっきりしている。彼は、すぐれた観察者である。『シュリーマン旅行記 清国・日本』(講談社学術文庫)石井和子訳を読むと、それがわかる。彼は1865年6月1日から7月4日まで日本に滞在した。明治維新の3年前、日本全国に攘夷旋風が吹き荒れていた時代である。僅か1ヶ月とい短い滞在期間であったが、彼の目は、そのときの江戸の風景、日本人の様子を的確に客観的に観察している。その鋭さをこの本の解説者・木村尚三郎氏(東大名誉教授)は、このように述べている。
 長く滞在すればその土地が分かる、というものではない。いやむしろ、返って分からなくなっていく。長く住めば、地元民と同じ眼を持つようになるからである。…自分のことをもっとも知らないのが、自分自身であるのと同じである。…短い滞在期間であったからこそ、シュリーマンの眼はつねに新鮮で、客観的であった。
 たとえば、日本人の宗教観について「民衆の生活の中に真の宗教心は浸透しておらず」と分析。日本の風景だけでなく心の中までしっかり観察している。(編集室)


文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.73 ―――――――― 2 ――――――――――――――
 
車窓雑記
 
2007年に想う
 
 2007年は、どんな年になるか。お天気は、正月は穏やかな三が日だった。が、その後は爆弾低気圧に襲われ各地で強風被害や山では遭難騒ぎがあった。天気に関しては先行き不明の異常気象が心配される年になりそうだ。日大は箱根駅伝では、惜しくも優勝を逃す。が、2位と健闘した。こちらはまあまあの年になりそうか。
 しかし、社会面は、正月早々から嫌なニュースがつづいている。毎年のように暮れには、大きな事件事故がある。世田谷一家四人殺人事件にみられる凶悪犯罪やスマトラ沖地震などの自然災害である。昨年暮れは、珍しく何も起こらなかった。それで安堵していたら、やっぱり起きていた。先月30日に発生して今月3日に発覚した。渋谷区幡ヶ谷の歯科医師家族殺人事件や新宿・渋谷バラバラ遺体遺棄事件である。どちらも凄惨だが20歳の妹が21歳の兄に殺されされた事件は、現代の家族問題を孕んだ前代未聞の事件だった。
 この事件、加害者が予備校生でエリート一家と聞いて、年配者は、昭和55年11月末に川崎市高津区で起きた金属バット両親殺人事件を思い出した人も少なくないだろう。あの事件は東大卒のエリート社員の父親と、有名私大の工学部卒で一流企業に入社した兄がいて加害者は2浪中だった。こんどの渋谷の事件は、両親、祖父、曽祖父も歯科医という裕福なエリート一家。被害者はタレント志望の短大生、加害者は歯科医志望の3浪生。エリート歯科医一族のなかでは浮いた2人だった。この事件は、連日マスメディアでとりあげられ様々な推理があった。なぜバラバラにしたのか。犯人逮捕から十日過ぎた現在、精神科医や弁護士、犯罪心理学者たち専門家の分析は、このようなものがある。①性的な要素があるのでは。(週刊誌などは近親相姦の果て、とみている。)②精神に異常がある。(いわゆる心の闇。変質的殺人癖)③幼児性から。(子供が昆虫の羽や胴体をもぐように)。兄が一つ違いの妹を切り刻み、内臓や乳房を分別した。あまりにもショッキングな犯罪。小説を超えてしまった事件である。この二人と同年代である皆さんは、理解できる部分はあるだろうか。
 それにしても折角の2007年のはじまり、もっとよいニュースはないものか。そんな思いで新聞を読み返していたら、こんな見出しが目についた。「国際惑星地球年」始まる。
何のことか読んでみたらこんな内容だった。「私たちが住む惑星、地球で起きている自然現象を詳しく探るとともに、災害や環境問題など様々な課題を生かそうという国際惑星地球年(IYPE)が07年から始まる。」気象変化による温暖化が心配される昨今である。科学計画として「地下水」「災害」「地球と健康」「気候変動」「資源」「巨大都市」「地球深部」「海洋」「土壌」「地球と生命」の10テーマを揚げている。およそ180年前、アフリカの森から突然に出てきて、二足歩行で世界に旅立った人類だが、ここにきてようやく自分の棲む星のことが気になりはじめた。ドストエフスキーに言わせれば、これまで人類は地球を地殻まで「血と涙で、びしょ濡れにさせ」るだけだった。が、おそまきながら自分たちが汚してきた地球が心配になったのである。また、米科学雑誌『サイエンス』によれば、07年は惑星探査にも力を入れるとのこと。火星に生命はあるのか。NASAの火星探査機の活躍が期待される。こんな折り、偶然だが昨年18刷されたアーサー・クラークの『宇宙のランデヴー』を読んだ。SF界の最高峰ヒューゴー賞、ネビュラ賞をダブル受賞した作品である。
 2130年ごろ、太陽系に入ってきた巨大な物体。はじめ隕石とみた。が、自転周期や表層から自然石ではなかった。ラーマと名づけられた巨大物質の内部に探査隊は入っていった。内部は闇と静の世界だった。が、町らしき建物群があり海があった。何十万年と旅するあいだに、知的生物は、絶滅してしまったのか。太陽熱で凍解する氷。そこに探査隊がみたものは。そして人類が下した判断は。南山 宏訳『宇宙のランデヴー』(ハヤカワ文庫)640円 
 2007年、人間は相変わらずだが未来と地球のことを考えたいものだ。
                                 (編集室)
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2006年、読書と創作の旅
1・15ゼミ
1月15日のゼミは以下の要領で行います
1.ゼミ雑誌について
 ・ゼミ誌編集委員報告
 ・出版に関しての感想
 
2.名作読み『にんじん』の最終章の読み
 『にんじん』の読みは、時間の都合で「もぐら」までとしましたが、にんじんと家族の関係はこの先どうなるのか。気になるといった質問もありました。同感です。
 と、いうことで半端になってしまうので、ルピック一家の問題を見届けるためがに本日、終盤の3篇を読んで終わりにします。「自分の考え」と「反抗」と「終わりのことば」です。中盤偏は、興味あったら各自で、読んでください。
 なお、後期名作紹介に『にんじん』を中心的にとりあげたことについては、昨今、家族問題が大きな社会問題になっていることもありますが、テキストの作者・志賀直哉も父親との葛藤に悩んだ人だったこともあります。いつの世でも世界の問題は家庭問題の延長にあります。現在、日本で深刻になっているイジメ問題も、根は家庭問題にあるのです。
【自分の考え】
 家族の中で浮いた存在だった「にんじん」が、父親、兄、姉の前でついに自分の家族に対する考えを話す。ルピック氏や兄のフェリックス、姉のエルネスチーヌの反応は。
A.虐待に近い扱いをされてきた「にんじん」が到達した考えとは、何か。
  「ぼくがお父さんを愛しているとすれば、それはぼくのお父さんだからというわけじゃ
  なくて」の意味は、どんなものか・・・。
【反抗】
 子供のころから「にんじん」は母親のルピック夫人には従順だった。どんな言いつけも黙って受け容れてきた。だが、ついに「にんじん」は、反旗を翻す。
A.「にんじん」の反抗を兄、姉はどうみているか。
【終わりの言葉】
 「にんじん」は母親に対する考えを父親のルピック氏に、はっきりと話す。
A.最後の「ぼくのお母さんだからっていうので、こんなことをいうんじゃないんだ。」と
  は、どんな意味があるのか。
※ 「いったいルナールはどんな気持で『にんじん』を書いたのだろう。」この疑問に答えになるかどうかは知れないが、作者ルナールの興味深い文がある。本が出版されてから3年後1896年10月18日(作者33歳)の日記である。「秘されたにんじん」との題。
 「私たちは口の使い方を心得ていなかったのだ。彼女も私同様、舌の使い方を知らなかったのだ。私たちは頬や尻にもの足らない接吻をしあうことができただけだった。私は彼女の尻を藁でくすぐる。そのうち、彼女は私のそばから行ってしまったのだ。彼女が行ってしまって悲しかったという記憶はない。それはおそらく、私にとって一つの解放だったのだ。もうその頃から、私は現実に生きることが好きでなかった。それよりも思い出に生きる方がよかったのだ。彼女ルピック夫人は私の前でシュミーズを着がえるという妙な癖があった。・・・
・・・そして私は恐ろしい夢をみるのだ。・・・ルピック氏の目の前で、身を投げかけてくる母を私は抱き寄せ、自分が出てきたあのお腹のなかにまたはいりこむ。・・・地獄の快楽だ。・・・たちまち敵同士になる。今では私の方が強い。・・・彼女を踏みにじり、その顔を台所の煉瓦の上にこすりつける。おやじは、・・・新聞を読みふけっている。」
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3.社会観察について 「なぜ、家族事件は起きるか」
 車窓雑記にも書いたが、今年は早々から陰惨な事件が相次いで発覚した。お金があれば幸福になれる。そんな時代は終わったようだ。2007年1月14日(日)朝日新聞から
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2006年、読書と創作の旅
12・11ゼミ報告
 12・11ゼミは文芸研究実習Ⅰ・デザイン学科・下原ゼミ合同授業でした。7名全員参加。
ゼミ雑誌刊行は、年越し
 ゼミ雑誌『サンサシオン』は、2006年内刊行予定でしたが諸般の事情により年明け1月15日までに納品とのことになりました。
第四回 文芸学科&デザイン学科ジョイント授業
 下原ゼミは、昨年まで参加でしたが今回は、紙芝居を上演しました。ジョイント授業は、以下の順に行われました。
司会・山下聖美先生
1.宮沢賢治『注文の多い料理店』研究発表(文芸研究実習Ⅰ)
挨拶・清水 正教授 宮沢賢治研究について
  ・坂本綾乃 「山男の四月」における六神眼
  ・植田裕貴 ☆スピリチュアル賢治☆ー「注文の多い料理店」についてー
  ・関 友聖 「どんぐりと山猫」からのメッセージ
  ・藤野智士 「水仙月の四日」
  ・藤原千晶 「烏の北斗七星」に見る賢治の多宗教性
 宮沢賢治作品は清水教授の創造・想像的評論にみるように限りなく奥深いものがある。いずれも表層評ではない発表者各自の独創性がみられた。山下先生の指導成果が感じられた報告だった。
2.紙しばい、山川惣治作・画「少年王者」(文芸研究下原ゼミⅡ)
挨拶・下原敏彦 「少年王者」について
   ・総監督  : 中川 めぐみ
   ・舞台監督 : 佐藤 翔星
   ・舞台助手 : 大江 彩乃  
   ・音響   : 神田 奈都子  高嶋 翔
   ・演出   : 鈴木秀和    猿渡 公一
      
 時間の都合で、真吾がライオンにさらわれる100場面までしか上演できませんでした。終わった後、つづきが気になると伝えてきた学生さんが何人かいました。
3.『注文の多い料理店』タイポグラフィー作品発表(デザイン学科中島教室)
挨拶・中島教授 タイポグラフィーについて
 ・3名の作品製作者が、作品と制作過程を説明。
教室Ⅰに展示された作品を見学。物語世界を思わせる創意・工夫された作品が多かった。 
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1月15日ゼミ・読書のススメ
 「2006年、読書と創作の旅」この旅も今日をいれて後二日です。というわけで、今年も最後の読書は、正真正銘の『最後の授業』を紹介します。
 この作品は、アルフォス・ドーデー(1840-1897)が1873年に出した短編集『月曜物語』のなかの一編。パリの新聞に掲載(1871-1873)されたなかの一つです。敗戦国の悲哀と愛国心を描いた名作です。普段は退屈で嫌いな授業でも、もし最後となれば、もっと真面目にやればよかった。そんな悔いがわきあがるに違いない。
     最後の授業 ~アルザスの一少年の物語~
      A・ドーデー(桜田佐訳)
 その朝は学校へ行くのがたいへんおそくなったし、それにアメル先生が分詞法の質問をすると言われたのに、私は丸っきり覚えていなかったので、しかられるのが恐ろしかった。一時は、学校を休んで、どこでもいいから駆けまわろうかしら、とも考えた。
 空はよく晴れて暖かかった!
 森の端でつぐみが鳴いている。りベールの原っぱでは、木挽き工場の後でプロシア兵が調練しているのが聞こえる。どれも分詞法の規則よりは心を引きつける。けれどやっと誘惑に打ち勝って、大急ぎで学校へ走って行った。
 役場の前を通った時、金網を張った小さな掲示板の傍に、大勢の人が立ちどまっていた。二年前から、敗戦とか徴発とか司令部の命令というようないやな知らせはみんなここからやってきたのだ。私は歩きながら考えた。
「今度は何が起こったんだろう?」
 そして、小走りに広場を横ぎろうとすると、そこで、内弟子と一緒に掲示を読んでいたかじ屋のワシュテルが、大声で私に言った。
「おい、坊主、そんなに急ぐなよ、どうせ学校には遅れっこないんだから!」
 かじ屋のやつ、私をからかっているんだと思ったので、私は息をはずませてアメル先生の小さな庭の中へ入っていった。
 ふだんは、授業の始まりは大騒ぎで、机を開けたり閉めたり、日課をよく覚えようと耳をふさいでみんな一緒に大声で繰り返したり、先生が大きな定規で机をたたいて、
「も少し静かに!」と叫ぶのが、往来まで聞こえていたものだった。
 私は気づかれずに席につくために、この騒ぎを当てにしていた。しかし、あいにくその日は、何もかもひっそりとして、まるで日曜の朝のようだった。友だちはめいめいの席に並んでいて、アメル先生が、恐ろしい鉄の定規を抱えて行ったり来たりしているのが開いた窓越しに見える。戸を開けて、この静まり返ったまっただなかへ入らなければならない。どんなに恥ずかしく、どんなに恐ろしく思ったことか!
 ところが、大違い。アメル先生は怒らずに私を見て、ごく優しく、こう言った。
「早く席へ着いて、フランツ。君がいないでも始めるところだった。」
 私は腰掛をまたいで、すぐに私の席に着いた。ようやくその時になって、少し恐ろしさがおさまると、私は先生が、督学官の来る日か賞品授与式の日でなければ着ない、立派な、緑色のフロックコートを着て、細かくひだの付いた幅広のネクタイをつけ、刺しゅうをした黒い絹の縁なし帽をかぶっているのに気がついた。それに、教室全体に、何か異様なおごそかさがあった。いちばん驚かされたのは、教室の奥のふだんは空いている席に、村の人たちが、私たちのように黙って腰をおろしていることだった。三角帽を持ったオゼールじいさん、村の村長、元の郵便配達夫、なお、その他、大勢の人たち。そして、この人たちはみんな悲しそうだった。オゼールじいさんは、縁のいたんだ古い初等読本を持って来ていて、ひざの上
にひろげ、大きなめがねを、開いたページの上に置いていた。
 私がこんなことにびっくりしている間に、アメル先生は教壇に上がり、私を迎えたと同じ
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優しい重味のある声で、私たちに話した。
「みなさん、私が授業するのはこれが最後(おしまい)です。アルザスとロレーヌの学校では、ドイツ語しか教えてはいけないという命令が、ベルリンから来ました・・・・新しい先生が明日見えます。今日はフランス語の最後のおけいこです。どうかよく注意してください。」
 この言葉は私の気を転倒させた。ああ、ひどい人たちだ。役場に掲示してあったのはこれだったのだ。
 フランス語の最後の授業!・・・・・
 それだのに私はやっと書けるぐらい!ではもう習うことはできないのだろうか!このままでいなければならないのか!むだに過ごした時間、鳥の巣を探しまわったり、ザール川で氷滑りをするために学校をずるけたことを、今となってはどんなにうらめしく思っただろう!さっきまであんなに邪魔で荷厄介に思われた本、文法書や聖書などが、今では別れることのつらい、昔なじみのように思われた。アメル先生にしても同様であった。じきに行ってしまう、もう会うこともあるまい、と考えると、罰を受けたことも、定規で打たれたことも、忘れてしまった。
 きのどくな人!
 彼はこの最後の授業のために晴着を着たのだ。そして、私はなぜこのむらの老人たちが教室のすみに来てすわっていたかが今分かった。どうやらこの学校にあまりたびたび来なかったことを悔やんでいるらしい。また、それは先生に対して、四十年間よく尽くしてくれたことを感謝し、去り行く祖国に対して敬意を表するためでもあった・・・・
 こうして私が感慨にふけっている時、私の名前が呼ばれた。私の暗しょうの番だった。このむずかしい分詞法の規則を大きな声ではっきりと、一つも間違えずに、すっかり言うことができるなら、どんなことでもしただろう。しかし最初からまごついてしまって、立ったまま、悲しい気持で、頭もあげられず、腰掛の間で身体をゆすぶっていた。アメル先生の言葉が聞こえた。
「フランツ、私は君をしかりません。充分罰せられたはずです・・・そんなふうにね。私たちは毎日考えます。なーに、暇は充分ある。明日勉強しょうつて。そしてそのあげくどうなったかお分かりでしょう・・・・ああ!いつも勉強を翌日に延ばすのがアルザスの大きな不幸でした。今あのドイツ人たちにこう言われても仕方がありません。どうしたんだ、君たちはフランス人だと言いはっていた。それなのに自分の言葉を話すことも書くこともできないのか!・・・この点で、フランツ、君がいちばん悪いというわけではない。私たちはみんな大いに非難されなければならないのです。」
「君たちの両親は、君たちが教育を受けることをあまり望まなかった。わずかなお金でもよけい得るように、畑や紡績工場に働きに出すほうを望んだ。私自身にしたところで、何か非難されることはないだろうか?勉強するかわりに、君たちに、たびたび花園に水をやらせはしなかったか?私があゆを釣りに行きたかった時、君たちに休みを与えることをちゅうちょしたろうか?・・・・」
 それから、アメル先生は、フランス語について、つぎからつぎへと話を始めた。フランス語は世界じゅうでいちばん美しい、いちばんはっきりした、いちばん力強い言葉であることや、ある民族がどれいとなっても、その国語を保っているかぎりは、そのろう獄のかぎを握っているようなものだから、私たちのあいだでフランス語をよく守って、決して忘れてはならないことを話した。それから先生は文法の本を取り上げて、今日のけいこのところを読んだ。あまりよく分かるのでびっくりした。先生が言ったことは私には非常にやさしく思われた。私がこれほどよく聞いたことは一度だってなかったし、先生がこれほど辛抱強く説明したこともなかったと思う。行ってしまう前に、きのどくな先生は、知っているだけのことを
すっかり教えて、一どきに私たちの頭の中に入れようとしている、とも思われた。
 日課が終わると、習字に移った。この日のために、アメル先生は新しいお手本を用意して
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おかれた。それには、みごとな丸い書体で、「フランス、アルザス、フランス、アルザス。」と書いてあった。小さな旗が、机のくぎにかかって、教室じゅうにひるがえっているようだった。みんなどんなに一生懸命だったろう!それになんというし静けさ!ただ紙の上をペンのきしるのが聞こえるばかりだ。途中で一度こがね虫が入ってきたが、だれも気をとられない。小さな子どもまでが、一心に棒を引いていた。まるでそれもフランス語であるかのように、まじめに、心をこめて・・・学校の屋根の上では、はとが静かに鳴いていた。私はその声を聞いて、
「今にはとまでドイツ語で鳴かなければならないのじゃないかしら?」と思った。
 ときどきページから目をあげると、アメル先生が教壇にじっとすわって、周囲のものを見つめている。まるで小さな校舎を全部目の中に納めようとしているようだ・・・無理もない!四十年来この同じ場所に、庭を前にして、少しも変わらない彼の教室にいたのだった。ただ、腰掛と机が、使われているあいだに、こすられ、みがかれただけだ。庭のくるみの木が大きくなり彼の手植えのウブロンが、今は窓の葉飾りになって、屋根まで伸びている。かわいそうに、こういうすべての物と別れるということは、彼にとってはどんなに悲しいことであったろう。そして、荷造りしている妹が二階を行来する足音を聞くのは、どんなに苦しかったろう!明日はでかけなくてはならないのだ、永遠にこの土地を去らなければならないのだ。
 それでも彼は勇を鼓して、最後まで授業を続けた。習字の次は歴史の勉強だった。それから、小さな生徒たちがみんな一緒にバブビボビュを歌った。うしろの、教室の奥では、オゼール老人がめがねを掛け、初等読本を両手で持って、彼らと一緒に文字を拾い読みしていた。彼も一生懸命なのが分かった。彼の声は感激に震えていた。それを聞くとあまりこっけいで痛ましくて、私たちはみんな、笑いたくなり、泣きたくもなった。ほんとうに、この最後の授業のことは忘れられない・・・
 とつぜん教会の時計が12時を打ち、続いてアンジェリスの鐘が鳴った。と同時に、調練から帰るプロシャ兵のラッパが私たちのいる窓の下で鳴り響いた・・・アメル先生は青い顔をして教壇に立ち上がった。これほど先生が大きく見えたことはなかった。
「みなさん」と彼は言った。「みなさん、私は・・・私は・・・」
 しかし何かが彼の息を詰まらせた。彼は言葉を終わることができなかった。
 そこで彼は黒板の方へ向きなおると、白墨を一つ手にとって、ありったけの力でしっかりと、できるだけ大きな字で書いた。
「フランスばんざい!」
 そうして、頭を壁に押し当てたまま、そこを動かなかった。そして、手で合図した。
「もうおしまいだ・・・お帰り。」
余談        ドーデーとシーボルト、そして日本
 アルフォンス・ドーデー(Alphonse Daudet 1840-1897)この作家を知らなくても、シーボルトの名は、たいていの日本人は知っている。1823年、オランダ商館の医員として長崎に着任。日本の動植物・地理・歴史・言語を研究。鳴滝塾を開いて高野長英らに医術を教授。1828年帰国、59年再来航、62年に帰国。日本の医学、開国に大いに貢献したドイツ人。著書に『日本』『日本動物誌』『日本植物誌』などがある。(1796-1866)
 1866年の春、ドーデーはシーボルトと知り合った。作家の言葉を借りれば「私たちはすぐに大の仲良しとなった」。場所は、パリ、テュイルリー宮。シーボルト大佐は、ナポレオン三世に不思議国ジャポン開拓の国際的協会創立計画の嘆願に訪れていた。若い作家は、著名な冒険家の話を喜んで聞いた。気に入ってシーボルトは、日本の悲劇「盲目の皇帝」の校閲を頼んだ。が、ドイツに戦争が起きて頓挫。若い作家は、あきらめずにミュンヘンに追った。「・・・そりゃあ君すばらしいぜ」大佐はその晩ばかに元気だった。が、翌朝、自宅に行くと彼は亡くなっていた。72歳だった。「盲目の皇帝」は題だけで終わった。
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一月の歌
静と動を見事に歌う
もののふの 矢並(やなみ)つくろう小手の上に 霰たばしる 那須の篠原
鎌倉右大臣實朝郷家集 岩波文庫『金槐和歌集』斉藤茂吉校訂 1972年7月20日発行
 凛とした寒さが張りつめる雪原の那須の野。時が静止したような静寂があたりをおしつつんでいる。武士が一人黙々と矢並をつくろっている。降りそそぐ霰を気にすることもなく無心に。
 実朝は12歳のとき、兄頼家の後を継いで鎌倉三代の将軍になる。が、1219年28歳で北条の手によって暗殺される。家族に見放された薄幸な生涯だった。
      2006年、読書と創作の旅
後期
 9月25日 7名、司会=佐藤翔星君、ゼミ雑誌についての説明(締め切りなど)
      夏休み感想、提出原稿1(鈴木秀和「宇宙の真理」)、紙芝居『少年王者』
10月 2日 5名、司会=猿渡公一君、ゼミ誌原稿について、紙芝居稽古(猿渡君)
10月16日 7名、司会=鈴木秀和君、ゼミ誌について(部数、タイトル、カバーなど)
      名作読み・ルナール『にんじん』「めんどり」「しゃこ」
10月23日 7名、司会=神田奈都子さん、ゼミ誌編集会議、テキスト『灰色の月』読みと
      感想。『にんじん』→「いやな夢」、議論、紙芝居(神田さん)
11月 6日 7名、司会=中川めぐみさん、ゼミ誌編集会議、テキスト『灰色の月』読み、
      紙芝居『少年王者』稽古(佐藤君)
11月13日 6名、司会=高嶋 翔君、ゼミ誌初稿配布、社会観察「二人の女子大生飛び降
      り自殺について」を考える、名作・秋の詩「秋の歌」「沈む日」
11月20日 7名、司会=大江彩乃さん、ゼミ誌作成報告、社会観察「イジメ問題」議論、
      紙芝居稽古(大江さん)提案として擬音を入れる。
11月27日 7名、司会=佐藤翔星君、ゼミ誌校正について、提出原稿・中川めぐみ「寒空
      の下」、『にんじん』「土竜」、宮沢賢治『どんぐりと山猫』、紙芝居(鈴木君)
12月 4日 7名、司会=神田奈都子さん、ゼミ雑誌作成報告、名作『にんじん』→「鶴嘴」、
      宮沢賢治『注文の多い料理店』読み、紙芝居稽古(高嶋君)
12月11日 7名、文芸&デザイン学科合同授業、研究発表、紙芝居について。
 1月15日 名作読みルナール『にんじん』→「反抗」「終わりのことば」。
 1月22日 ゼミ雑誌『サンサシオン』掲載作品合評、ゼミ感想「2006年、読書と創作の
       旅を終えて」
感想・
 
 後期ゼミは、総体的には、車中観察から一歩踏み込んで、乗客観察→家族観察、人間観察を目標とした。主にルナールの『にんじん』を観察した。「めんどり」や「もぐら」はじめ初期作品を読み、この家族について議論した。テキストは車中作品の名作『灰色の月』を読み、作品が書かれた時代を考えた。また併せて、同時期にベストセラーとなった『少年王者』の紙芝居稽古をはじめた。こちらは合同授業で上演した。社会観察は、二人の女子大生の自殺とイジメ問題を取り上げた。感じたのは、現代は自殺もイジメも深刻感がないように思えた。そこが問題といえるのであるが・・・。
文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.73――――――――10 ―――――――――――――――――
前期ゼミ
4月17日 ガイダンス 約20名以上の見学者。4名ほどサークルの先輩の紹介。ゼミ紹介
     と日本テレビ放映の『おんぼろ道場再建』をみせる。昨年、これで半数に減って
     12名になった。今年は、もっと減る予感。鑑賞中に早くもあきた顔がちらほら。
4月24日 受講希望カード受け取る。希望者は5名。ビデオ鑑賞と志賀直哉の効果的面。
     が、四分の一になるとは、さすがに予想していなかった。が、顔ぶれを見て安心。
     なかなかの個性派ぞろい。ゼミ誌編集委員2名を選出。すぐ決まる。猿渡君と
     高嶋君。司会進行は猿渡君。自己紹介。授業に入る。テキスト『網走まで』『夫
     婦』の朗読と感想。
5月8日 5名。司会=神田奈都子さん、中川さんと大江さん登録で全員で7名となる。自
     己紹介。愛読書紹介は神田・鈴木・猿渡。提出原稿発表=猿渡。テキスト=『網
     走まで』の草稿読み。新聞「人生相談」への答え。最近の三面記事。名作紹介『空
     中ブランコに乗った大胆な青年』ウイリアム・サローヤン。
5月15日 7名。司会=佐藤翔星君。愛読書紹介3名。提出原稿発表・テキスト感想2名、
     車中観察3名、社会評1名、普通の一日1名。名作紹介『心と手』の読み。
5月22日 7名。司会=高嶋翔君。ゼミ誌ガイダンスとゼミ合宿について。テキスト『正
     義派』読み。提出原稿発表=テキスト『網走まで』感想1、車中観察3、一日を
     記憶する1.。名作案内はバルザックの『谷間の百合』手紙の冒頭と最後を紹介。
     手紙は長編なので個々に読む。比較で夏目漱石『三四郎』の車中観察読み。
5月29日 6名。司会=鈴木君。ゼミ合宿日にち合わず見送りに。提出原稿発表=テキス
     ト『網走まで』感想2、車中観察2、一日を記憶する4、人間の謎1.。名作紹介
     は詩2編、ランボー「サンサシオン」「谷間に眠るもの」。人間の謎「靖国問題」
     の感想。ゼミコンパ所沢の店6名参加。
6月5日 6名。司会=大江彩乃さん。ゼミ誌ガイダンスについて。提出原稿発表=車中観
     察4、普通の一日2。名作紹介は石川達三の『生きている兵隊』読み。
6月12日 4名。司会=中川めぐみさん。ゼミ誌ガイダンス報告。提出原稿発表=車中観
     察1、普通の一日2。名作紹介詩編はヴェルレーヌ「無言の恋歌」二編。
6月19日 5名。司会=猿渡公一君。ゼミ誌仮決めの話し合い。提出原稿発表=車中観察3、
     普通の一日4。名作紹介は、ラス・カサスの『コロンブス航海日誌』。
6月26日 7名。提出原稿発表=車中観察1、一日を記憶する4。テキスト『出来事』読み。
     回想法の紹介、DVD『阿智村物語』の学校と服装編を鑑賞。
7月3日 5名参加。提出原稿発表=車中観察2、一日を記憶する3。名作読みは、ヘミン
     グウェイの『殺し屋』。回想法から『ひがんさの山』半分。
7月24日 7名。ゼミ誌原稿締切について。前期感想。提出原稿発表=車中観察3、一日
      を記憶する7。回想法の残り読みと感想。           
感想  
 前期は、テキストの車中作品読みを中心に、他作家の車中場面読みを行った。『三四郎』や『コロンブス航海日誌』など。店内観察として『殺し屋』。また、書くことの習慣化として、提出原稿の「車中観察」及び「普通の一日の記録」発表を行った。社会観察としては、太平洋戦争の発端となった日中戦争初頭のルポ『生きている兵隊』を読んだ。
 総じて提出原稿は、多かった。発表することで、同じ車中観察でも、他者がどのように見ているのかわかった。同じく、「一日の記録」では、個人の人柄、性格が見えた気がした。
 書くことと読むことは、習慣です。引き続き続けましょう。
―――――――――――――――――――― 11 ――――文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.73
世界観察
 昨年暮れから今年にかけて世界を震撼させているのは、イラクのフセイン元大統領の死刑執行についてである。人類の歴史の中で20世紀前半まで、暴君や独裁者の末路は悲惨だった。なかには何千万人もの人間を閉じ込めたり死に追いやったスターリンのように病死した者もいたが、ムッソリーニーやヒットラーにみるようにたいていは自殺か殺された。怒った国民の手にかかった。が、20世紀後半からは、独裁者がすぐに処刑されることはなくなった。先月、中央アジアのある国の独裁者が病死した。ベラルーシーは今も健在だ。チリでは、サッカー場で多勢の人々を虐殺したピノエェトが先ごろ長寿を全うした。この人物は、こともあろうにイギリスでは英雄として扱われていた。自国民を200万人以上殺したといわれるポル・ポトも、処刑されることはなかった。例外は、ルーマニアの大統領夫妻だった。捕まると即処刑された。世界から非難の声があった。結果的には正解だった。いまの時代は、独裁者にとってはよい時代といえる。なぜか?民主主義の時代になったからである。鬼が島に、鬼退治に行った桃太郎が、批判される時代である。独裁者は、そのへんのコツをすっかり飲み込んでいる。他国から援助を引き出すことで、自分への不満の矛先をかわしている。北朝鮮がいい例だ。国民には罪はないと援助する。独裁者は安泰というわけである。
 今回フセインの処刑が早すぎたといってイラク政府は非難されている。判決四日目というスピードは、おそらくこれまで後手後手になっていたからだろう。歴史に「たら」はないが、もし処刑してないとしたら、テロはなくなっていたのか、というと難しい。1人を殺して99人を救う。99人をダメにしても1人を救う。人間は、いつの時代もドストエフスキーの課題を抱えている。
 以下は2006年12月31日朝日・読売新聞の社説。処刑には懐疑的だが・・・・。
文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.73――――――――12 ―――――――――――――――――
話題 
下原敏彦作『ひがんさの山』中学テスト問題の教材に
 
 前期、最終日に読んだ「ひがんさの山」が、「四谷大塚 予習シリーズ 国語テスト」に教材として一部文章を使用された。(3・5頁/12頁)
紙芝居『少年王者』貸し出し
 後期から稽古をはじめ、先月のデザイン科との合同授業で上演した山川惣治作・画『少年王者』を、このたびテレビ制作会社に貸し出した。ドキュメンタリー番組の小道具使われるかも・・・・?HP「土壌館創作道場」から情報を知ったとのこと。
鑑賞
21世紀美術連立展
 2007・1・5~17、東京都美術館・上野公園内。知人展示。気がついたこと、この前、都美術前の公園の中に青テントがいっぱいあった。が、13日はなかった。
川崎小虎・東山魁夷展
 2006・12・27~2007・1・14 日本橋三越。
川崎小虎(1886-1977)東山魁夷(1908-1999)
第39回新美展
 2006・12・2~12・9 東京都美術館 知人展示「地獄変」(芥川の顔)「豊饒の海」(三島)
掲示板
ドストエフスキー関連
■ドストエーフスキイ全作品を読む会第220回「読書会」
月 日 : 2007年2月10日土曜日 午後2時00分~4時45分
会 場 : 東京芸術劇場小会議室7
報告者 : 未定 作品『鰐』
■ドストエーフスキイの全作品を読む会第221回「読書会」
月 日 : 2007年4月14日土曜日 午後2時00分~4時45分
会 場 : 東京芸術劇場小会議室7
報告者 : 未定
題 目 : 未定
                                 詳細は下原まで  
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編集室便り
☆課題原稿、社会評、創作など歓迎します。下記の郵便住所かメール先に送ってください。
「下原ゼミ通信」編集室の住所〒274-0825 船橋市前原西6-1-12-816 下原方
  メール: TEL・FAX:047-475-1582  toshihiko@shimohara.net
☆本通信はHP「土壌館」に掲載されています。

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