文芸研究Ⅱ 下原ゼミ通信No.287

公開日: 

日本大学藝術学部文芸学科     2016年(平成28年)5月16日発行

 

文芸研究下原ゼミ通信No.287

 

BUNGEIKENKYU Ⅱ SHIMOHARAZEMI TSUSHIN

編集発行人 下原敏彦

4/11 4/18 4/25 5/9 5/16 5/23 5/30 6/6 6/13 6/20 6/27 7/4 7/11

熊谷元一研究

 

2016年読書と創作の旅

 

ゼミⅡ観察・・・・2016年のゼミについて(ゼミ誌、ゼミ合宿など)

 

テキスト読み・・・「菜の花と小娘」とは何か 「網走まで」

 

レポート提出・・・「私の愛読書」、「『網走まで』の疑問」

 

 

5・9下原ゼミ

 

 

 

 

 

 

 

 

2016年、読書と創作の旅スタート

 

5月9日 月曜日、まだ連休疲れが残っているようですが「2016年、読書と創作の旅」、スタートしました。

同行者は、写真右から浦上透子さん 鈴木優作さんです。他に須川藍加さんもいます。

旅の目的は、「読むこと」「書くこと」の習慣化を目指すとともに車窓にみえる出来事や様子の観察と記録です。少数ですが、楽しい一年にしましょう。

 

 

【5・9ゼミⅡ】  ゼミ受講の心構え(個人の完成)について

 

毎年、ゼミの始まりにゼミ受講の心構えとして「大学で学ぶことの意義」についてと大学で真に成し遂げなければならないこと「個人の完成」についてを音読。(浦上、鈴木)

つづいて嘉納治五郎の教育論「多読と精読」を読んだ。テキストとして「菜の花と小娘」を音読してもらった。

 

社会観察    個人の完成ができなかった都知事

 

大学は個人の完成を目的とするところ。権力や金儲けを学ぶところではない。5・9ゼミでは、それについて読んだ。が、目下、その生活が批判に曝されている都知事は、それができなかったようだ。最高学府をでて権力、名声、富を得たが、嘉納治五郎が言う個人の完成には、至らなかったようだ。豪遊を問われて「都知事たるもの、すべてに高級・最高であらねばならない」との弁。悲しい愚かな言い訳である。

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テキスト観察    『菜の花と小娘』とは何か

かっては国語教科書の定番

 

5・9ゼミでは、最初の「読むこと」として『菜の花と小娘』をとりあげました。この作品は、明治37年5月5日の日記に「作文は菜の花をあんでるぜん張りにかく」と記し同年、作文「菜の花」として書かれ、明治39年(1906)23歳のとき「花ちゃん」に改題、改稿し大正9年(1920)に児童雑誌『金の船』に『菜の花と小娘』と題されて掲載された。

擬人法で書かれたこの作品は、このころ、愛読していたアンデルセン童話がヒントになったと考えられている。一見、なんでもない、誰でもすぐに書けそうな短編の童話作品ですが、日本文学の古典となっています。かっては国語教科書の定番でした。

この作品には、若き日の志賀直哉の全てがある、といっても過言ではありません。

 

作品に秘められた作者の思い

若き日の志賀直哉の全てがある、とは何か。この作品のどこに作者の思いが秘められているのか。のっけから多くの謎です。はじめに、なぜこの作品が名作なのか。一つには、不変だということです。書いてから100年近く過ぎるのに、こうしてテキストとしてあげているのが証拠です。それに比べ『菜の花と小娘』には、作者自身の思いが深くこめられている。

 

作者の深い思いとは何か

 

作者は、菜の花を見て、この話を思いついたようです。現在、千葉県が県の花にしているのは菜の花です。房総半島は、春になると一斉に菜の花が咲きます。明治の当時も、同じ風景が見られたのかもしれません。明治35年(1902)、父親が総武鉄道(現在の総武線)の支配人兼会計課長となったことから、19歳の直哉は、鹿野山に遊びに行くようになる。

 

鹿野山

鹿野山は、君津市にあり標高353㍍。房総三山の一つ。他は、鋸山、清澄山。広い山頂からの展望は最高で、現在、マザー牧場や登山道の桜のトンネルなどで人気の観光地となっている。当時も、桜や菜の花の名所だったようだ。毎年春になると直哉は、この鹿野山に登った。友人の里見弴(1888-1983)らと一緒のときもあったが、たいていは一人で登った。春の陽光の下、山頂から谷一面に咲き乱れる菜の花を眺めるのが好きだった。ときには何時間も、ときには何日も滞在してながめていたという。3月31日に来て、4月11日までいたこともある。いくら花が好きといっても二十歳前後の若者が、たった一人で何時間も何日も坐り込んで、ぼんやり菜の花をながめている。たとえ本を読んでいたとしても、ちょつと普通ではない気がします。先週の感想で、「寂しい感じがする」といった見方もありました。もし、背後からそのときの志賀直哉を見れば、そんな印象を抱いたかもしれません。咲き乱れる菜の花畑。賑やかな明るい黄色である。なぜ寂しい孤独の影があります・・・。

 

 

 

 

 

 

 

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菜の花に母の面影を

 

明治45年(1912)に志賀直哉は、『母の死と新しい母』を発表している。創作余談では、「少年時代の追憶をありのままに書いた。一晩で書けた。小説中の自分がセンチメンタルでありながら、書き方はセンチメンタルにならなかった。この点を好んでいる」と述懐している。直哉の母、銀が三十三で亡くなったのは、明治28年、直哉が12歳のときである。ということは、母の死について書くのに17年間もかかっているということである。この歳月の長さは、直哉にとって母の死がいかに大きな悲しみだったかを教えている。菜の花は、暖か家庭を思わせるところがある。もしかして直哉は、菜の花に母の面影を見ていたのかもしれない。明治34年足尾銅山鉱毒問題で現地視察計画を父に反対されたことで、余計に亡き母、銀への思いが強くなっていたに違いない。加えて、この時期、直哉はあることで悩んでいた。人間の謎に突き当たっていた。

人間の謎

 

「人間は謎です!謎は解かねばなりません」といったのは17歳のドストエフスキーである。やさしかった母の死と、心の中での渇望が実現した父の死。若き文豪が人間を謎としたのは、病気と殺人による両親の死を、どうしても受け容れたくなかったのかも知れません。

では、若き日の志賀直哉が、人間を謎としたのは、なぜか。このころ、直哉は恋をした。相手は志賀家に何人もいる女中の一人だった。直哉は結婚を夢みた。千葉県小見川にある彼女の実家にも泊まりに行った。若い二人の恋。だれもが祝福してくれると思った。しかし、だれもが反対だった。教訓をぶつ父親も、新しい美しい義母も、可愛がってくれる祖母も、だれもかれもが反対だった。理由は、あきらかだった。身分の違い。お金もあり、教養もあり、いつも立派なことを言っている人たちが、なぜそんなことを気にするのか。人間は、皆平等ではないのか。直哉には謎だった。折りしも、この頃、島崎藤村が『破戒』を出版した。自分と同年配の主人公瀬川丑松は、江戸時代、部落民といわれた階層だったために、明治になり教師になっても差別され、教壇を去らねばならない。士農工商もちょんまげもなくなったのに、なぜ人間は差別しあうのか。この本を携え、十日余り鹿野山に滞在し菜の花を眺めていた直哉の心うちはどんなだっただろう。人間って何んなんだ。理不尽なことが世の中には多すぎる。なんどもそう問いかけたにちがいない。

『菜の花と小娘』は、短い物語にもならないような童話です。しかし、この作品は

人間とは何か。この存在宇宙とは何か。志賀直哉の作品は、すべてこの疑問を持って、対象物を観察しています。観察して、想像して書く。それがこの作家の小説を書くうえでの根幹と思います。次作『網走まで』には、それがよく表われています。

 

志賀直哉、『菜の花と小娘』までの主な年譜

 

・1883年(明治16年)宮城県石巻で生まれる。父親は銀行員、前年に兄は早世

・1885年(明治18年)両親と上京、東京麹町の祖父の家に住む。

・1895年(明治28年)12歳 8月30日に母銀死去(32)

・1900年(明治33年)17歳 内村鑑三を訪ね門下生となる。

・1901年(明治34年)18歳 足尾銅山鉱毒事件で父と衝突、不和がはじまる。

・1902年(明治35年)19歳 鹿野山に登る。(このころから恋心が芽生えたのでは)

・1904年(明治37年)21歳 小説家を志す。5月「菜の花と小娘」を書く。

・1907年(明治40年)24歳 自家の女中との結婚を決意するが、家族に反対される。

 

 

 

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書くこと実践 加筆と校正しながら物語をススめる。

 

 

連載2 小説ドストエフスキイの人々

 

卒論にかえて 創作学科四年 葉口風子

 

登場人物

 

天野キン子・・・大学四年

夢井信吉・・・・甲府から来た会員

渋川教授・・・・大学教授

丸山  ・・・・会の事務局長

浜島  ・・・・会の会計係

石部・・・・・・印刷会社社長

小堀・・・・・・会誌の編集委員

 

第一章「そして誰も来なかった」

 

一、今日的名曲喫茶

 

二、ドジョウの会の役員たち

 

夕方の混雑する名曲喫茶。だが、三階は、なぜかひっそり閑としていた。それもそのはず三階の広い店内には、たった五人の男性客がいるだけだった。彼らは、中央にテーブルを寄せ集めてつくった会場で人待ち顔で黙然と座っていた。年齢は、1人が三十代後半の青年、3人が中高年、残る1人は、白髪の紳士。服装は、2人が背広にネクタイ姿、2人はノーネクタイのジャケット。あとの1人は、ジャンパー姿。小さな町工場の社長といった感じである。年齢、服装は、てんでばらばらだったが、顔の表情は、皆一様に沈みきっていた。どうやら安来節では、なさそうだ。

普通、集った顔ぶれをみれば、かのシャーロック・ホームズ氏やポリフイリー氏でなくともだいたいの見当がつくというも。だが、この席上の面々からは、は思いつかない。会社の同僚、同窓生、ゴルフ仲間に町内会、それとも柳川鍋をつつく会…ただ一つ、確かなのは金満家の皆さんではなさそうだ。

いったい全体、どんな会?どれもしっくりこない。全フロアー貸し切りでテーブルに五十近い椅子が用意されているのをみると政治団体とも宗教団体とも思えるのだが、それならばもっとにぎやかなはずである。勧誘のビラもない。そもそも「ドジョウ」とは何か。

この閑古鳥鳴く会場に、さっきから長髪をポマードで固めた背の高いボーイ君が、調理場のある、階下から再三再四あがってきては、一つ覚えの九官鳥よろしく

「お飲み物はどういたしましょうか」と、繰り返していた。

その都度、石地蔵のように黙りこくっていた彼らは、尻をつつかれた昆虫のように、緩慢に顔を見合した。この度も、一斉に互いの顔を見合わせていたが、そのうち階段口に座っていた体の大きな背広姿のご人、つまりこの会の事務局長でもあり今夜の幹事、丸山重喜という霞ヶ関のさる省庁に勤めるお役人だが、おもむろに腕時計を見つめたあと、少し裏返った声で困惑げに

「どうします、みなさん」とたずねた。

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しかし、皆の反応はいたって鈍い。名ばかりではあるが会の会計担当をしている実直そうな御仁、渡瀬利昭と年のころ三十五六と一番若そうな御仁、こちらも編集委員の肩書きをもつ小堀大輔、二人は同時にふっと情けないため息をもらすばかりだ。一人、落ち着かない御仁がいる。こちらは監査役で会きってのうるさ型の御仁、石部謙三氏であるが、さすが返答には窮して苦虫を潰し貧乏揺すりするのが精一杯といったところだ。こんな気詰まりのなか、一人のんきに構えているのはこの会の顧問を引きうけている白髪の紳士。都の東北にあるT大の渋川教授。槍が降ろうと白川夜船。席に着いたときから頬杖枕である。

しかし、今度ばかりはおめおめと引き下がれるものかと、ノッポのボーイ君、直立不―

でよき返事を待っているのである。そんな決意もなんのその、相変わらずの五人衆である。なんというルーズさ、煮えきれなさ。もうとっくにこのパーティの開催時間は過ぎているのだ。ラストオーダーの時間というものがある。なんとしても、もうはじめてもらわなくてはならないのだ。ボーイ君、とうとう痺れをきらして言った。

「あのう、何時ごろからはじめられるでしょうか。お時間は過ぎておりますが」

無理につくった笑顔が引きつっている。

だが、皆からは相変わらず返事なし。曖昧模糊としてのだんまり作戦。幹事の丸山一人が弱りきって、額の汗を拭うばかりだ。気まずい沈黙だけが卓上のすっかり冷えてしまったフライトポテトやから揚げの上を漂うばかりだ。

「そろそろお飲み物、お持ちしてもいいでしょうか」

ボーイ君、慇懃無礼に事を運ぼうとするつもりらしい。

が、このときさすがの昼行灯。渋川教授、いきなりひょいと顔をあげると、その仙人のようにのびた白髪をかきあげ

「もう少し、待ってもらいましょう。もう少し」と問答無用の寝ぼけ声。それだけ告げると元の狸か狐の眠り。

納得いかないのはノッポのボーイ君だ。このあと、本当に誰かくるんですか、と言いたげにピクリと頬を引きつらせた。だが、店のオーナーが教授の教え子と聞いているだけに露骨に嫌な顔もできず、ここは微笑して

「それでは、もう少し皆様がそろいましたら」と馬鹿丁寧に頭を下げてそそくさと引き上げていった。

ボーイ君の姿が階段の下に消え去ると、一同ほっとして安堵のため息。店内は、ふたたび洞窟のように森閑として、階下のにぎわいだけがやけに大きく響いてくるだけ。そんななかで皆の胸内に一つの疑問。いまの渋川教授の言葉である。

しかしもう少し待つとは、あてでもあるのか。もしかして約束でもあるのかも。だが、再びの頬杖枕の教授に確かめるわけにもいかず、てんでに思いをめぐらせていた。

「来ませんねえ、ほんとうに・・・」小堀は考えの重さに耐えきれなくなってつぶやいた。もう何度目の嘆息か。「来ませんねえ・・・」

「これは由々しき問題ですぞ!」突如、浜島が吐き出すように言った。「もしだれもこないとすると、これだけの場所を借りきっているんですからねえ」

名ばかりとはいえ、さすがに会計係りである。はじめのうちは冗談ぽかった彼の声もいまではすっかり深刻味をおびている。

 

三、内輪もめ

 

「うーむ、こんなことだったら料理の方は頼まなくてもよかったですねえ」丸山は背広のボタンがちぎれ飛ばんばかりに太ったからだを傾げて後悔しきり。

「しかし、誰も来ないということはないでしよ。いくらなんでも、地方の会員は仕方ない

としても東京近辺、来ようと思い来れる会員は百人がとこいるんだ。それに、今日のは、ただの総会じゃあない、緊急の特別会議なんだ。会の存亡がかかった」石部は吐き出すように

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言って乱暴に席を立つと、落ち着きなくテーブルの周りを歩き始めた。性格が直情径行の石部には、もうこれ以上イライラを押さえきれないといった様子だ。ひとりごとを繰り返し自分に向かってぶつぶつとぶつけている。「しかし、誰も来ないなんて・・・しかし」

「いやあ、この分じゃあ、ありえるかも知れませんよ。むしろその方が確率的に高くなっているでしょう。この後に及んでは」

丸山は諦め口調で言った。

「あり、ありえるだなんて、事務局長!」石部が目を剥いて怒鳴った。「冗談じゃあないですよ。出席者がゼロだなんて、縁起でもない。もし、そんなことになったら、私んとこの印刷代はどうなるんです。会はなくなったって、またつくればできますがね。借金は残りますからね。役員意外の会員に一人でも出席してもらって意見を聞いてみたいですよ。まったく」

「石部さん、またまたそんなことを言い出して。仕方ないじゃあありませんか」渡瀬は、

手持ち無沙汰に電卓をたたきながらたしなめるように言った。「こればっかりは、どうしょうもないんじゃないですか。天災とおなじで仕方ないですよ」

「仕方ない!君い!仕方ないで済まされる問題じゃないよ。のんきなことを言ってちゃ困るよ。会計係りが」

「じゃあ、どう言えばいいんですか」浜島は気色ばんで言った。

「そのう、あれだ・・・」石部は、ちょっと返事に窮したあと語気を荒げて言った。「・・・だから仕方ないはないだろう。仕方ないじゃあすまされませんよ」石部は禿げ上がった額を

真っ赤にさせてつづけた。「だいたい私は反対だったんだ。いまどき、この手の雑誌を創刊したって成功するはずがないってことを。この手の論文ものは売れるはずがないってことは分かりすぎるくらいわかっていた。全学連はなやかし頃のふた昔前だったらいざ知らず、い

まじゃ時代錯誤もはなはだしいもほどがある。それで、私ははなっから乗り気ではなかったんだ。だから、ある程度、予想がついてたね、こうなるんじゃないかと」

「えっ!本当ですか!」浜島は素っ頓狂な声をあげた。「わたしは初耳ですよ。石部さんが今回の出版に関して、そんな見識というか見通しをもっていたなんて。事務局長、そんな意見ありました。あのとき」

「あの編集会議でしょ。一切ありませんよ。そんな話は」丸山はきっぱり言った。「あるもないも雑誌の発行は、全員が、賛成でしたよ。慎重論さえでませんでした。それに、わたしの記憶するところでは石部さん、だいたいにあなたが一番に乗り気だったですよ。ドストエフスキイは今日、この過渡期の時代にこそ必要だとか、広く社会に宣伝して現代文明警鐘の書としなければならないとかなんとか一席ぶったじゃないですか。なかなか名演

説でしたよ」

「そうそう、ビデオやマンガに溺れる飽食日本の若者の目を覚ましてやるのだと意気込んでいました。覚えていますよ」

「ほお、そんなこと言いましたっけ」石部は他人事のようにおどろいたふうをみせて言った。「あのときは世評を言ったまでですよ。別に雑誌の件で言ったわけじやない。もしかしてドストエフスキイは現代に必要だとは言ったかも知れませんが、それは雑誌を刊行するしないで言ったことじゃあないですよ。とにかく、わたしは創刊号をだすことについては最初から

慎重論でしたよ。危惧してましたよ。結局のところしまいには、こうなるんじゃないかと、みえてましたてよ。そりゃあ、わたしはしがない印刷屋のおやじですがね。それでも一応、経営者だ。だいたいのところは予期できますよ。まあなんというか、事業家のカンというか・・・それがありますから」

「はあ、そうですか・・・それはたいした予見で」浜島は半ばあきれた半ばからかい口調で言った。「しかし、あのとき十万部以上のベストセラーにするなんて大風呂敷をひろげた人はどなたでしたっけ。おまけに後から足らないと困るとかで百部も追加印刷したのはいったい誰なんですか。それに、自分とこの工場をビルに改築するなんて、ちゃっかり胸算用までしてたじゃないですか」

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名作紹介 世界名作選の紹介 3作目

 

☆「谷間に眠るもの」「感覚」『ランボオ詩集』A・ランボオ 金子光晴訳 角川文庫

詩編2作紹介

アルチュール・ランボオは1854年10月20日北フランス生まれ、1891年11月9日マルセイユ病院にて死去37歳。大作「酔っぱらいの舟」17歳のとき。

 

金子光晴訳『ランボオ詩集』1870-1872から

Sensation(サンサシオン)

夏の爽やかな夕、ほそ草をふみしだき、

ちくちくと麦穂の先で手をつつかれ、小路をゆこう。

夢みがちに踏む足の 一足ごとの新鮮さ。

帽子はなし。ふく風に髪をなぶらせて。

 

話もしない。ものも考えない。だが、

僕のこのこころの底から、汲めどつきないものが湧きあがる。

さあ。ゆこう。どこまでも。ボヘミヤンのように。

自然とつれ立って、――恋人づれのように胸をはずませ・・・

 

 

 

谷間に眠るもの

 

立ちはだかる山の肩から陽がさし込めば、

ここ、青葉のしげりにしげる窪地の、一すじの唄う小流れは、

狂おしく、銀のかげろうを、あたりの草にからませて、

狭い谷間は、光で沸き立ちかえる。

 

年若い一人の兵隊が、ぽかんと口をひらき、なにもかぶらず、

青々と、涼しそうな水菜のなかに、ぼんのくぼをひたして眠っている。

ゆく雲のした、草のうえ。

光ふりそそぐ緑の褥(しとね)に蒼ざめ、横たわり、

 

 

二つの足は水仙菖蒲なかにつっこみ、

病気の子供のような笑顔さえうかべて、一眠りしているんだよ。

やさしい自然よ。やつは寒いんだから、あっためてやっておくれ。

 

いろんないい匂いが風にはこばれてきても鼻の穴はそよぎもしない。

静止した胸のうえに手をのせて、安らかに眠っている彼の右横腹に、

真っ赤にひらいた銃弾の穴が、二つ。

 

 

○ 興味あったら他の詩編や『地獄の季節』に挑戦してみてください。

 

 

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掲示板

 

公演情報  吉祥寺シアター 2016.5.1~5.25

川村毅 新作・演出「愛情の内乱」

CAST

・白石加代子

・金崎健太郎

・末原拓馬

・大場泰正(文学座)メールyasumasa0703@yahoo.co.jp 090-8726-0496

(詳細は、大場まで、ドストエフスキー読書会、下原紹介)

・笠木誠

・蘭妖子

 

小劇場の鬼才、川村毅が、白石加代子と初タッグを組んでの注目の公演。

ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』の兄弟にインスパイアされたという作品。

 

武蔵野文化事業団電話予約は、℡0422-54-2011 詳細は、上記の大場まで

 

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ゼミⅡお知らせ

 

ゼミ合宿について 実施の場合 学科事務に申込み書類提出

 

ゼミ誌について 『熊谷元一研究 No.3』の発行

 

1. 5月17日(火)編集委員  浦上透子さん  鈴木優作さん

 

文芸棟 教室1 ゼミ雑誌作成ガイダンス出席2名 鈴木さん、浦上さん

 

ゼミ雑誌の納品は、2016年12月9日(金)です。

 

課題4について

 

テーマ「私の愛読書」「『菜の花と小娘』感想」

 

ゼミⅡ日誌

 

□4月11日ガイダンス6名 DVD NHK長野放送「熊谷元一追悼番組」

□4月18日 参加浦上透子さん 音読「恩師の告白」ゼミ合宿について 満州国について

□4月25日 参加鈴木優作さん 音読「恩師の告白」満州・子ども時代の遊びについて

□5月9日 浦上さん、鈴木三参加、「個人の完成」「多読と精読」『菜の花と小娘』読む。

 

 

 

19回熊谷元一写真賞コンクール募集

 

2016年のテーマは「阿智村」・「祝う」です。

 

テーマ「阿智村」は、阿智村に来て、阿智村を撮ってください。風景、行事何でも可。

テーマ「祝う」は、どんな祝い事でも。「祝い事」ならなんでも。

 

締め切りは、2016年8月末 選考会は同年9月末東京で最終選考会 授賞式11月

―――――――――――――――――― 編集室 ――――――――――――――――

 

〒274-0825 船橋市前原西6-1-12-816 下原ゼミ編通信・編集室

メール:toshihiko@shimohara.net 携帯 090-2764-6052 ℡047-475-1582 下原

 

 

 

 

 

 

 

「ほう、たいした記憶ですな。そんなこと言いましたか。いい加減なこと言ってもらっちゃ困ります。しかし、百歩ゆずって、言ったとしても、たいして驚きませんよ。たとえ、そんな大法螺吹いたとしても当然じゃないですか。会の存亡をかけてなにかやろうとしてたときですからね。一か八か、望みはでっかくですよ。大ボラ結構じゃないですか。ハハハ」石部は、指摘された、自分の発言を吹き飛ばすかのように声だかに笑ってハゲあがった広い額を平手で軽く打ってから、人差し指を浜島に向けて逆襲する。「そういう話ならわたしだって覚えていますよ。浜さんあんただって、あのときは随分はしゃいでいたよ。『白痴』を撮った黒澤明監督に掛け合ってドストエフスキイの伝記映画を作るんだって相当の熱の入れようだったじゃないですか。われわれ、「ドジョウの会」が制作に加われば日本アカデミー賞だって夢じゃない、そんな途方もない妄想にとりつかれていたじゃないですか。そこにいくとわたしの工場のビル建設計画なんか可愛いもんです。渡さんのに比べたらささやかな夢ですよ。極めて、現実的な」

「なにが現実的ですか」渡瀬は顔を真っ赤にして言った。「妄想じやありませんよ。ボクは今でも思っていますよ。石部さん、あなたのように何部売れて儲かったらビルをつくろうなんて、そんな卑しい気持ちじやないんです。今回の創刊号で一段落ついたらドストエフスキイの愛読者を増やすために黒澤監督だけじゃあなしに世界中のドストエフスキイ監督に手紙を書いて協力を要請する計画だって小堀君とたてていたんだ。現に実行しようとしていたんだ。なあ小堀君」

 

 

「え、ええ、まあ、茶飲み話ですけど」

小堀は照れくさそうに小声で言って頷いた。顔が赤くなった。

「ほう、そりゃあまた結構なことだ。そんな壮大な、そんな遠大な計画をお二人でたてていたというわけですか。まことにすばらしい。わたしのビル建設計画なんか、みみっちいもんですな。吹けば飛ぶような夢だった。こりゃまた失礼しやした」

「まあ、いいじゃあないですか。どんな非現実的な夢だって。あのときは誰もが夢をもっていたわけです。だからこそ創刊号を刊行できたのです。そうホメ殺しするような言い方もないでしょう」

丸山は幹事らしく割って入る。

「ホメ殺し、なにもそんなつもりじゃありませんよ。本当にたいした計画だと感心したまでですよ」石部は鼻をならしてどっかと椅子に腰を下ろした。そして、腕組みをしてふんぞり返ると貧乏揺すりをはじめながら言った。「そういえば、丸山さん、事務局長だって、相当に張り切っていたじゃないですか。成功したあかつきには二十五周年記念を兼ねて新宿西口の高層ホテルで大々的に出版パーティを打ち上げるなんてほざいてたんだから。忘れたなんていわせませんよ」

「ああ、石部さん、よく覚えていらっしゃる。はいはい、否定しませんよ。確か、そのようなことを言ったように記憶しています。なにしろあのときは出航まえですからねえ。みなさんすっかり舞いあがっていたし。もしかして、これを契機に会の運命が明るい方に拓けていくんじゃないか。そんな希望というか期待がありました。『世界ドストエーフスキイ友好協会』設立へ向けて一歩前進。そんな思いがありましたからね。だから、事務局を預かるものとして盛大に記念行事をやりたいぐらいの挨拶はやりますよ。私としても、本当にそれが夢ですからねえ」丸山はダンゴ鼻を膨らませ些か興奮気味に言った。

「ほんとあのときは、皆さん張り切っていましたよね。聴衆こそいませんでしたが、ぼくなんか、あのプーシキン記念式典のドストエーフスキイの講演を思い浮かべました」小堀は懐かしげに、しかし感傷を含んだ声で言った。

「ああ、それなのに、それなのに、か」突然、浜島は歌いだすと大声でつぶやいた。「そして、悲しき、祭かな、か」

「ベストセラーどころか、このていたらくだ」

「しかし、何の批評もないとはねえ。まさか新聞にも批評家連にもまったく無視されるとは思ってもみなかったです」

「近ごろは、見る目のあるやつがいないんだ」石部は憤然として言った。

「まあ、売れる、売れないは仕方ないとしても、せめて記念行事だけでも敢行したかったですね。我々一人一人に違った夢があって、その夢でせっかくちゃんとした本をだしたのだから,お祝いぐらいはしたかったね」浜島は残念そうにため息をつくと愚痴った。「そもそも、その資金ぐりを創刊雑誌の売上から得た収入で、なんて考えたのが甘かった」

「わたしんとこのビル建設計画に、浜さんの伝記映画製作、それに丸山事務局長の出版記念パーティ計画・・・おつ、小堀君のを忘れてたよ。浜さんと映画協力の他にあただろう、えーと、なんだっけ」

「いいですよ。ぼくのは」

「それはないだろ、われわれのホラをさんざん披瀝させておいて。自分ばかり恰好つけようと思っても、そりゃだめだ」

「あっ、おもいだした」浜島が叫ぶ。「ビルだよ。ビル」

「ビル?なんや」

「ビル建設やで、でも、石部社長のビル建設計画とは、違いまっせ、コボちゃんのは日本ドストエーフスキイ会館の建設計画」

「おお、そうだった。何、わたしだって、自分の工場のことばっかり考えていったんじゃあない。当然、ビル家屋の中に、『ドジョウの会』事務局の部屋をつくることにしていた」

 

 

「ふん、ほんまですか。社長はすぐこれた゛。調子いいんだから」

「何です!」石部は目をむく。

「まあ、皆さんの夢はさておき、もしこの本がベストセラーにでもなっていたら今ごろは、すごいことになっていたでしょう。たぶん、ホテルの大広間は全会員の出席や各界のドストエーフスキイ関係者で大盛況間違いなしだったでしょう。なにせ二十五年前この「ドジョウの会」を発足させたときはすごかったですからねえ」丸山は華やかなりし当時を思い出して感慨深めになつかしむ。

「栄枯盛衰とはよくいったもの、いまでは、未だ来ぬ会員を待ってボーイが注文をとりにくるのを冷や冷やしている始末。まさにこれを喜劇といわずして何というですな。ついこのあいだまでは、何人かの会員の参加者があったのに・・・それが・・・」浜島、店内を見回しうそぶく。「国敗れて山河あり、はたまた、つわものどもが夢のあとか・・・」

「ふん、浜さん、夢の跡でも、山河でもあればいいですよ。あれば。何か残っていればいいですよ。それを元手に何かできますから。夢の跡なら、思い出話しになるし、山河なら観光地にもなるし、百姓だってできる。しかし、我々の場合、何も残っちやいない。何もない。いや違う。我々の場合、残っているのは借金の山だ。ゼロどころか大マイナスときている。これじゃあ、なにかはじめようにもどうにもならん。おまけに頼みの綱の会員も目下のところ一人も出席せずだ。この調子じゃあ本当に誰も来ませんよ。これ以上しくら待ったってしょうがない。そろそろ、今後を含め、どうするか話し合った方がいいんじゃあないですか。もうこれ以上タラネバの話しをして悔やんだってしょうがない」石部は落ち着きなく貧乏揺すりをはじめると、断固たる態度で言い放つ。「いったいどうするんです。いくらなんでも私んとこだけが尻拭いするのはごめんですからねえ。このままでいくと・・・」

「ええ、わかってますよ。そんなことがないようにと、こうして臨時会議を開いたんじゃないですか」浜島は苦虫をつぶして言うと丸山を見て苦笑いする。二人とも石部にその話しを持ち出されるのはうんざりといった顔だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

熊谷元一研究 連載2. 加筆校正しながら完成させる

 

創作ルポ 熊谷元一

前回の概略

 

写真家熊谷元一は、私が小学校一年の時の担任の先生だった。私は、大学のゼミで熊谷を研究対象に掲げた。が、とたんゼミ希望者は途絶えた。熊谷が無名の人物だったからだ。誰も来ない教室で私は、熊谷の101歳の人生に想いを馳せた。

熊谷元一は、本当に無名だったのか。

 

二、またふたたびの脚光

1955年(昭和30年)この年の秋、日本の写真界に、衝撃的なニュースが走った。戦後初の大きな写真賞コンクールにおいて誰も予想しなかった出来事が起きた。

この年の夏にプロアマ限らずすべての写真作品を対象にした写真賞・第一回毎日写真賞が開かれた。まだカメラが珍しかった時代だが、多勢の応募者があった。昨今、東京オリンピックのエンブレムの選考過程が不明で問題になった。が、当時は、厳選だった選考経過は、公開形式をとったことで多くの目と専門家の厳しい評眼があった。

しかし、写真界では、既に受賞者の顔ぶれは予想がついていた。応募者のなかに土門拳、林忠彦、木村伊兵衛といった第一線の写真家たちの名前があったからだ。彼らの応募作品は、群を抜いていた。当然ながら、話題は受賞者するのは彼らのなかの誰か――ということに絞られていた。水準高い出来レースでもあったのだ。

ところがふたをあけて誰もが驚いた。名だたる候補者を押えて見事栄えある一等賞に輝いたのは、山村の名もなき小学校教師だった。熊谷元一の作品『一年生』が満場一致で決まった。

熊谷元一とは、誰?!はじめて聞く名前にマスメディアは、騒然とした。

このときの選考経過について、当時、主催の毎日新聞が詳細に記事にしている。(昭和30年8月30日 毎日新聞掲載記事抜粋)黒字は新聞記事

 

(選考は)「まず29日4月1日から30年3月31日までに新聞、雑誌、その他刊行物、展覧会を通じて発表された写真作品について、文化人、写真評論家、職業写真家、全国アマチュア写真団体に対して推薦アンケートを求め、その回答を基礎に本社委員会において82点(黒白63点、カラ―7点、組写真12点)を候補作品として選出した。

これを東京では、7月29日~8月10日まで、銀座松屋における「第一回毎日写真賞候補作品展」で一般に公開すると同時に、45人の選考委員会から投票を求め、また大阪においては、今回は準備不足のため、公開展覧会を行わなかったが、本社内で非公開展示を行って、在関西6人の選考委員から投票を求めた。この東西51人の選考委員の投票も集計した結果、熊谷元一の『一年生――ある小学校教師の記録』、土門拳の「室生川―室生寺より」「おしんこ細工」、中山八郎の「ひまわり」、木村伊兵衛の「外遊作品全般」「秋田」「イタリアのスラム街」「曽根崎心中」、林忠彦の「ある画家の生活」、瀬田千作の「小淵沢所見」、大宮晴夫の「待ちぼうけ」、橋本保治の「日本の顔新しき悲劇」緑川洋一の「夜の潮流」樋口進の「カメラ・日本の旅」の14点が最終選考に残され、これらについて本社委員会による最終選考を行い、「一年生」および「ある画家の生活」が最有力として話題になったが、結局「一年生」が技術的な優劣を超えて、じっくりと対象と取り組んで、地方の小学校一年生と生活と性格、その成長をとらえていること、自分の日常生活の中にテーマを求め、一年間絶えない努力を続けたこと、写真がだれにでもとれ、またアマチュアカメラマンのあり方を教えたこと、などが認められて受賞と決定した」

―――――――――――――――――― 9 ―――――文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.286

 

土門拳、林忠彦、木村伊兵衛といった日本を代表する写真家の面々、当時も今も写真家の大家だ。その彼らを出し抜いての受賞。

 

まったく無名の人の作品が著名人の作品を出し抜いて受賞作となる。第一回毎日写真賞は、第一回芥川賞を彷彿させるものがある。

昭和10年、自殺した芥川龍之介を記念して設立された第一回芥川賞は、波乱の幕開けだった。下馬評では、既に受賞者は決まっていた。帝国大生で流行作家となっている、東北地方の大地主のドラ息子をはじめ。

第1回芥川賞では、デビューしたばかりの太宰治も候補となった。太宰は当時パビナール中毒症に悩んでおり薬品代の借金もあったため賞金500円を熱望していたが、結局受賞はしなかった。この時選考委員の一人だった川端康成は太宰について「作者目下の生活に嫌な雲ありて、才能の素直に発せざる悩みがあった」と評していたがこれに対して太宰は強く憤り『文藝通信』に「川端康成へ」と題する文章を掲載、「私は憤怒に燃えた。幾夜も寝苦しい思ひをした。小鳥を飼ひ、舞踏を見るのがそんなに立派な生活なのか。刺す、さうおもった。大悪党だと思った」と川端をなじった(川端康成へ)。これに対し川端も翌月の『文藝通信』で「太宰氏は委員会の様子など知らぬというかも知れない。知らないならば尚更根も葉もない妄想や邪推はせぬがよい」と反駁した。また太宰は選考委員のなかで太宰の理解者であった佐藤春夫に何度も嘆願の手紙を送り第2回、第3回の候補になるべく『文藝春秋』に新作を送り続けたが第3回以降しばらく「1度候補に挙がった者は以後候補としない」とする規定が設けられ受賞の機会が奪われることとなった。佐藤はこれらの経緯を「小説 芥川賞」と題して詳しく描いている。

石川達三氏の出世作である。昭和十年四月、同人雑誌『星座』に発表され、同年第一回芥川賞を獲得した。この時芥川賞の候補としては、石川氏の外に高見順・太宰治・外村繁等の諸氏が挙げられ、これによって数人の作家が眼白推しに文壇に登竜する機縁となった。当時の菊池寛の評言をここに引用して置こう。「芥川賞の石川君は先ず無難だと思っている。この頃の新進作家の題材が、結局自分自身の生活から得たような千篇一律のものであるに反し、一団の無知な移住民を描いてしかもそこに時代の影響を見せ、手法も堅実で、相当に力作であると思う」(話の屑籠) 芥川賞に選ばれたのは第一部『蒼茫』であって、ここでは1903年(昭和五年)、神戸の国立移民収容所に全国から集まってきたブラジル行きの移民たちの、船に乗るまでの八日間の生態が描かれている。 ─解説より─

 

受賞結果を聞いて太宰は「どこの馬の骨が」と毒ずいたそうだが、これまでの芥川賞受賞作品で『蒼茫』を超える作品は、まだない。

次号につづく

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.286 ―――――――― 10 ―――――――――――――

 

 

名作紹介 世界名作選の紹介 2作目

 

 ここでは、編集室が独善で選ぶ世界名作本を紹介します。

 

『椿 姫』デュマ・フィス(1824-1895) 新庄嘉章 訳

 

映画、芝居、歌劇などでお馴染みの『椿姫』ですが、メリメの『カルメン』同様、原作本の方は、まだ読んでいないという人が結構いるのではないかと思います。いつの時代も悲恋物語は、花形、小説でも映画でも注目されます。小説の悲恋物語で、最高峰にある本といえば、恐らくバルザックの『谷間の百合』でしょう。それにつづくのは、この作品ではないかと思います。(編集室の独善と偏見ですが。)

愛した女をどうしても見たい。だが、女はもう半月以上も前に亡くなっている。墓を掘り起こしたところで腐臭とウジのわいた屍があるだけ。だが、青年アルマンは会わずにはいられなかった。棺は掘り起こされ蓋は開けられた。

 

…中には、匂いのいい草が詰まっていたのだが、それでも、たちまちいやな臭気がつんと鼻をついた。…墓堀り人夫さえもがあとずさりした。大きな白い経帷子が死体を蔽って、ところどころからだの曲線を描きだしていた。この経帷子は片すみがすっかり腐って、そこに死人の片足がのぞいていた。…

 

マルグリット・ゴーティエの悲しい物語、現在の若者に是非とも読んでもらいたい。アベ・プレヴォ(1697-1763)『マノン・レスコー』も併せて読んでください。

 

デュマ・フィス(1824-1895)はフランスの国民的大作家アレクサンドル・デュマの私生児。真面目な息子と破天荒な父親。この父子の会話に、こんなやりとりがある。面白い逸話で記憶にあったので紹介します。あるとき、息子デュマは、父親デュマのあまりの放蕩ぶり散財ぶりに腹を立てて意見した。

「父上、お金をもっと大切に使いなさい。ぜいたくはやめなさい」

これに対して大デュマは、おもむろに言った。

「品行方正な息子よ、わたしは決してお金をおろそかにはしていない」

そう言って父デュマは、階段の円柱の側に行くと、上に手をのばして何かを手にとってみせた。5フラン硬貨だった。

「ここに5フランある。私が故郷から出てきてパリに着いたとき持っていた全財産だ。私は、この金に一度も手をつけていない。使っている金は、もともと無かった金だ。どうして無駄遣いといえるのか」

息子デュマは苦笑するしかなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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課題4.

テーマ1.自分観察「私の愛読書」(何冊でも)

 

 

 

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課題4.

 

テーマ2 テキスト観察「『菜の花と小娘』感想」(エッセイ、創作)

 

 

 

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