文芸研究Ⅱ 下原ゼミ通信No.288

公開日: 

日本大学藝術学部文芸学科     2016年(平成28年)5月23日発行

 

文芸研究下原ゼミ通信No.288

 

BUNGEIKENKYU Ⅱ SHIMOHARAZEMI TSUSHIN

編集発行人 下原敏彦

4/11 4/18 4/25 5/9 5/16 5/23 5/30 6/6 6/13 6/20 6/27 7/4 7/11

熊谷元一研究

 

2016年読書と創作の旅

 

ゼミⅡ観察・・・・ゼミ誌ガイダンス報告(ゼミ合宿など)

 

課題報告・・・・・課題1、2

 

テキスト読み・・・「網走まで」 世界名作、「空中ブランコ――」

 

 

5・9下原ゼミ

 

 

 

 

 

 

 

 

2016年、読書と創作の旅

 

5・16ゼミ

DVD「オンボロ道場再建」観賞

制作:日本テレビ放送網株式会社

番組:パワーバンク

放映月日と時間

2002年6月23日(日)昼12時30分~1時

6月30日(日)昼12時30分~1時

7月 7日(日)昼12時30分~1時

 

【5・16ゼミⅡ】  14年前のテレビ番組「パワーバンク」を観る

 

「書くこと」の成果として、2002年に放映された日本テレビの番組を観た。番組名は、「パワーバンク」困っている人を探し、善人と呼ぶ若者たちが、助ける、という、今でいえばボランティア募集のようなバラエティ番組。

2002年1月の大雪で、私のオンボロ道場は倒壊寸前となった。(1996年から柔道の町道場を引き継いでいた。かなりのオンボロ道場)なんとか修繕してつづけてきた。文章修業の一環として新聞投書をつづけていたので、そのことを新聞に投書した。「地域の子どもたちに柔道を教えているが、道場がオンボロで困っている」こんな内容だった。2002年5月8日の朝日新聞に掲載された。

番組関係者は、その記事を読み、救済を申し出た。バラエティ番組なので、少々話の筋道はちがうが、大まかは観ての通りだった。交渉は5月20から。撮影は6月1日から。テレビ側が予想していたよりオンボロ度がひどかったので、16日間の大仕事となった。日曜御昼に3回に分けて放映された。まさに投書の力の番組。

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課題1.報告

 

テーマ1.「ふるさと」あなたの生まれ住んだところはどんなところ?

 

・鈴木優作

 

発展途中の新都心だった。埋立地だったので地面がコンクリートだらけだった。年寄りが少なかった。きれいな町だった。

 

□短い文の中に新しい町がつくられていく風景が思い浮かびます。あちこちでビルや道路が建設中、埋立地という言葉から近くに海を感じます。人口的未来都市。

 

テーマ2.「改憲、護憲 二つの違った投書を読んで思ったこと」

 

・鈴木優作

 

私たちは、日本と言う国に守られて生きている。それと同時に日本のために働いたり、法律を守っている。私が戦争の場に連れていかれたら、国のために戦えるのか、想像してみると闘えないと思う。怖くて、とてもじゃないが人なんて殺せない。

 

□またしても沖縄で米軍属による犯罪。改憲、護憲の前に立ちふさがるもの

 

テーマ3.「さくら」ことしも文芸棟のさくらきれいでした。

 

・鈴木優作

 

さくらを見ると、少し嫌な気持ちになる。

もうそんな時期かなと、年度が終わり、別れがあって、そして、さくらを見ると、これから新しい環境に慣れていかなければならないのか、と思ってしまう。なので、さくらを見ると、少し嫌な気持ちになる。

 

□年齢とともに「さくら」の印象は違ってくるものです。若いときは騒々しく思えた。が、古稀も近くなると、来年は観れるだろうか…。そんな感慨もわく。

 

課題2.報告

 

テーマ1.「なんでもない一日」自分観察

 

鈴木優作

 

昼に起きて、ゆっくりテレビを観ながら、歯磨き、シャワーを浴びる。少し本を読んだら外は、暗くなり始めている。

近所をジョギングする。家に帰って酒を飲みながら夕食を食べる。テレビを観た後、ゆっくり湯船につかる。風呂から出た後、読書して眠くなったら寝る。なんでもない一日だが最高の日でもある。

 

□人生も歴史も、なんでもない一日の積み重ね。そんな日が最高と思えることがいいですね

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テキスト読み 志賀直哉の初期作品『網走まで』を読みます。車内観察作品。

 

なぜ「網走」か、『網走まで』とは何か

 

この作品は一見、エッセイふうで、経験したことをそのまま書いた。そんなふうに読める作品です。が、そうではない。この作品は完全な創作だという。作者志賀直哉は、創作余談においてこの作品は、「或時東北線を一人で帰ってくる列車の中で前に乗り合わせていた女とその子らから勝手に想像して書いたものである」と明かしている。

そうだとすれば、なにも「網走」でなくてもよかったのでは、との思いも生ずる。当時、あまり知られていない網走より、「青森」とした方がより現実的ではなかったか、と思うわけである。網走同様、青森という地名の由来も諸説ある。が、一応、三七○年前、寛永二年頃(一六二五年)開港されたときにつけられた、というから一般的にも知られてはいたというわけである。題名にしても青森に違和感はない。当時としては、網走よりはるかに現実的だったに違いない。なぜ「青森まで」ではなく、「網走まで」なのか。もし作者が北海道にこだわるのなら函館でもよかったのではないか。そんな疑問も浮かぶ。函館には、歴史の郷愁がある。既に40年の歳月が過ぎているとはいえ、函館(箱館)といえば、あの新撰組副長土方歳三(35)が戦死した土地。明治新政府と榎本武揚(34)の北海道共和国が戦った城下である。現代では百万ドルの夜景と、観光名所にもなっている。それ故に当時も一般的知名度は、それなりに高かったのではと想像する。

しかし、時は明治全盛期である。過去に明治政府に反抗した都市ということで、よろしくないとしたら、札幌はどうだろう。「札幌まで」としても、べつに遜色はないように思える。一八七六年(明治九年)あの「青年よ大志を抱け」のクラーク博士ほか数名の外国人教師を迎えた札幌農学校のある「札幌」は、それから三十余年北海道開発の拠点として、大いに発展しつつあったはず。「札幌」の名は、全国区であったに違いない。にもかかわらず「札幌」ともしなかった。なぜか・・・。ではやはり当時、「網走」は人気があったのか。それとも作者志賀直哉に何か、よほど深い思い入れが、題名として使いたい理由があったのか。どうしても行き先が「網走」としなければならない何かが・・・そんな疑念が浮かぶ。

しかし、四十一年後、1951年(昭和26年)68歳のとき、志賀直哉は、リックサック一つ背負い一人ではじめて北海道を旅した。が、網走には行かなかったという。と、すると、

作者の深い思い込んみでもなさそうだ。だとすると、「網走」という土地名は、たんなる思いつきか。それともサイコロを転がせて決めただけの偶然の産物であったのか。

題名は、この作品の最初の謎である。が、その前にもう一つ、大きな謎がある。冒頭でも書いたが作者は、この作品について【創作余談』で、にこのように記している。

 

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或時、東北線を一人で帰って来る列車の中で前に乗り合わしていた女とその子等から、勝手に想像して書いたものである。これは当時帝國大学に籍を置いていた関係から「帝国文学」に投稿したが、没書された。原稿の字がきたない為であったかも知れない。

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原稿の字がきたなかった――作者は、そう謙遜しているが、果たして、それだけであったろうか。なぜ、採用されなかったのか。この謎も考えてみたい。

 

 

 

 

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『網走まで』と『三四郎』

 

『網走まで』は、明治四十三年(1910)に『白樺』第一号に発表された。が、実際に書かれたのは二年前の明治四十一年といわれている。作者が25歳のときである。明治三十九年七月に学習院高等科を卒業。九月に東京帝国大学文科大学英文学科に入学している。

この時代、明治四十年代は、どんな時代だったのか。日清日露戦争に勝利した日本は、韓国併合(1910)を目指して大陸侵攻の準備を着々と進めていた。ポーツマス条約、明治三

十九年(1906)には南満州鉄道会社を設立するなど富国強兵政策をますます強めていた。

しかし、華々しい国策の裏で暗い出来事が次々起きていた。明治四十二年には伊藤博文がハルビン駅で暗殺された。また四十三年には、大逆事件が起き、幸徳秋水ら二十四名に、死刑、の判決がくだった。そのうち十二名が減刑され無期懲役となったが、幸徳秋水はじめ12名が絞首台の露と消えた。

 

大逆事件は知識人に大きな衝撃をあたえた。森鴎外、永井荷風、石川啄木、与謝野鉄幹らのおどろきと打撃はかれらの作品に書きのこされている。(『高校日本史』実教出版)

大逆事件(明治天皇の暗殺を計画したとされる嫌疑)は、明治四十四年(1911)二月十八日に上記の判決が下った。この死刑宣告の判決について、志賀直哉は、その感想を二十日金曜日の日記にこう書きしるしている。

 

二月二十日 金曜日

 ・・・一昨日無政府主義者二十四人は死刑の宣告を受けた。日本に起つた出来事として歴史的に非常に珍しい出来事である。自分は或る意味で無政府主義者である、(今の社会主義をいいとは思わぬが)その自分が今度のような事件に対して、その記事をすっかり読む気力さえない。その好奇心もない。「其時」というものは歴史では想像出来ない。

 

ここで唐突だが、明治の文豪夏目漱石の『三四郎』は明治四十一年(1908)九月一日から十二月二十九日まで、百十七回にわたって東西の朝日新聞に掲載された。『網走まで』は明治四十一年(1908)八月十四日と執筆年月日が明記されていることから、両作品は、ほぼ同時期に書かれたとみてよい。

同時期に書かれた『三四郎』と『網走まで』。この二つの作品の違いは、まず作者だが、『三四郎』を発表したときの漱石は四十一歳。前年、明治四十年(1907)一切の教職を辞して朝日新聞社に入社。すでに『草枕』を発表し、『我輩は猫である』『坊ちゃん』などを相次いで出版。押すも押されぬ大流行作家となっていた。文学一本に人生を絞ったのである。

ちなみに『三四郎』を発表した年、明治四十一年の年譜をみると、このような文学活動をしている。

 

1月1日より4月6日まで『坑夫』を朝日新聞に連載。

『虞美人草』(春陽堂)出版。友人、森田草平に小説『煤煙』の執筆を勧める。

6月13日より21日まで『文鳥』を大阪朝日新聞に連載。

7月から8月にかけて『夢十夜』を東京・大阪朝日新聞に連載。

9月1日より12月29日まで『三四郎』を朝日新聞に発表

 

なぜ、『三四郎』を持ち出したのか。この作品も出だしは車内観察からはじまる。子ども連れではないが、子持ちの女と同席する。『網走』は、同情と純情だが、『三四郎』は新聞小説だけに色っぽいところもある。直接的な時代批評もある。そして、主人公の目的地、東京での生活が長編で描かれている。

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熊谷元一研究 連載2. 加筆と校正しながら完成させる

 

創作ルポ 熊谷元一

前回の概略

 

写真家熊谷元一は、私が小学校一年の時の担任の先生だった。私は、大学のゼミで熊谷を研究対象に掲げた。が、とたんゼミ希望者は途絶えた。熊谷が無名の人物だったからだ。誰も来ない教室で私は、熊谷の101歳の人生に想いを馳せた。

熊谷元一は、本当に無名だったのか。

 

二、またふたたびの脚光

1955年(昭和30年)この年の秋、日本の写真界に、衝撃的なニュースが走った。戦後初の大きな写真賞コンクールにおいて誰も予想しなかった出来事が起きた。

この年の夏にプロアマ限らずすべての写真作品を対象にした写真賞・第一回毎日写真賞が開かれた。まだカメラが珍しかった時代だが、多勢の応募者があった。昨今、東京オリンピックのエンブレムの選考過程が不明で問題になった。が、当時の選考経過は、公開形式をとったことで多くの目と専門家の厳しい評眼があった。

しかし、写真界では、既に受賞者の顔ぶれは予想がついていた。応募者のなかに土門拳、林忠彦、木村伊兵衛といった第一線の写真家たちの名前があったからだ。彼らの応募作品は、群を抜いていた。当然ながら、話題は受賞者するのは彼らのなかの誰か――ということに絞られていた。水準高い出来レースでもあったのだ。

ところがふたをあけて誰もが驚いた。名だたる候補者を押えて見事栄えある一等賞に輝いたのは、信州の山村の名もなき小学校教師だった。熊谷元一の作品『一年生』が満場一致で決まった。

くまがいもといち(熊谷元一)とは、誰?!はじめて聞く名前にマスメディアは、騒然とした。このときの選考経過について、当時、主催の毎日新聞が詳細に記事にしている。(昭和30年8月30日 毎日新聞掲載記事抜粋)黒字は新聞記事

 

(選考は)「まず29日4月1日から30年3月31日までに新聞、雑誌、その他刊行物、展覧会を通じて発表された写真作品について、文化人、写真評論家、職業写真家、全国アマチュア写真団体に対して推薦アンケートを求め、その回答を基礎に本社委員会において82点(黒白63点、カラ―7点、組写真12点)を候補作品として選出した。

これを東京では、7月29日~8月10日まで、銀座松屋における「第一回毎日写真賞候補作品展」で一般に公開すると同時に、45人の選考委員会から投票を求め、また大阪においては、今回は準備不足のため、公開展覧会を行わなかったが、本社内で非公開展示を行って、在関西6人の選考委員から投票を求めた。この東西51人の選考委員の投票も集計した結果、熊谷元一の『一年生――ある小学校教師の記録』、土門拳の「室生川―室生寺より」「おしんこ細工」、中山八郎の「ひまわり」、木村伊兵衛の「外遊作品全般」「秋田」「イタリアのスラム街」「曽根崎心中」、林忠彦の「ある画家の生活」、瀬田千作の「小淵沢所見」、大宮晴夫の「待ちぼうけ」、橋本保治の「日本の顔新しき悲劇」緑川洋一の「夜の潮流」樋口進の「カメラ・日本の旅」の14点が最終選考に残され、これらについて本社委員会による最終選考を行い、「一年生」および「ある画家の生活」が最有力として話題になったが、結局「一年生」が技術的な優劣を超えて、じっくりと対象と取り組んで、地方の小学校一年生と生活と性格、その成長をとらえていること、自分の日常生活の中にテーマを求め、一年間絶えない努力を続けたこと、写真がだれにでもとれ、またアマチュアカメラマンのあり方を教えたこと、などが認められて受賞と決定した」

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土門拳、林忠彦、木村伊兵衛といった名だたる写真家を押えての受賞。マスメディアの驚きは想像できる。

まったく無名の人の作品が著名人たちの作品を出し抜いて受賞作となる。第一回毎日写真賞は、第一回芥川賞を彷彿させるものがある。横道にそれるが

昭和10年、自殺した芥川龍之介を記念して設立された第一回芥川賞は、波乱の幕開けだった。下馬評では、既に受賞者は決まっていた。東北地方出身で実家は大地主で政治家という帝国大生の新進作家が最有力候補にあがっていた。が落選した。

そのときの騒動をHPには、下記ように記している。

第1回芥川賞では、デビューしたばかりの太宰治も候補となった。太宰は当時パビナール中毒症に悩んでおり薬品代の借金もあったため賞金500円を熱望していたが、結局受賞はしなかった。この時選考委員の一人だった川端康成は太宰について「作者目下の生活に嫌な雲ありて、才能の素直に発せざる悩みがあった」と評していたがこれに対して太宰は強く憤り『文藝通信』に「川端康成へ」と題する文章を掲載、「私は憤怒に燃えた。幾夜も寝苦しい思ひをした。小鳥を飼ひ、舞踏を見るのがそんなに立派な生活なのか。刺す、さうおもった。大悪党だと思った」と川端をなじった(川端康成へ)。これに対し川端も翌月の『文藝通信』で「太宰氏は委員会の様子など知らぬというかも知れない。知らないならば尚更根も葉もない妄想や邪推はせぬがよい」と反駁した。また太宰は選考委員のなかで太宰の理解者であった佐藤春夫に何度も嘆願の手紙を送り第2回、第3回の候補になるべく『文藝春秋』に新作を送り続けたが第3回以降しばらく「1度候補に挙がった者は以後候補としない」とする規定が設けられ受賞の機会が奪われることとなった。佐藤はこれらの経緯を「小説 芥川賞」と題して詳しく描いている。

『蒼氓』は石川達三氏の出世作である。昭和十年四月、同人雑誌『星座』に発表され、同年第一回芥川賞を獲得した。この時芥川賞の候補としては、石川氏の外に高見順・太宰治・外村繁等の諸氏が挙げられ、これによって数人の作家が眼白推しに文壇に登竜する機縁となった。当時の菊池寛の評言をここに引用して置こう。「芥川賞の石川君は先ず無難だと思っている。この頃の新進作家の題材が、結局自分自身の生活から得たような千篇一律のものであるに反し、一団の無知な移住民を描いてしかもそこに時代の影響を見せ、手法も堅実で、相当に力作であると思う」(話の屑籠) 芥川賞に選ばれたのは第一部『蒼氓』であって、ここでは1903年(昭和五年)、神戸の国立移民収容所に全国から集まってきたブラジル行きの移民たちの、船に乗るまでの八日間の生態が描かれている。 ─解説より─

 

受賞結果を聞いて太宰は「どこの馬の骨が」と毒ずいたそうだが、これまでの芥川賞受賞作品で『蒼氓』を超える作品は、まだない。

しかし、今日、太宰治の名は知っていても、石川達三を知る若者は少ない。太宰は読まれても『蒼氓』を読む人は少ない。それはなぜか、熊谷元一研究からは、逸れるが、その謎を考えてみた。もっとも、太宰と熊谷は、ともに1909年生まれということで同世代という共通項はある。二人の違いは、まず作品にある。石川は社会派、太宰は私小説ということか。『蒼氓』は、国家の絶望という大きなテーマだが、太宰の『盗賊』は個人の絶望。国家は、時代の波によって変動されるが、私事は普遍である。太宰が生き残れた要因は、まさにそこにある。そのように思えるのだ。

第一回芥川賞と、第一回毎日写真賞とは似て非なるものがあるが、そのデビューの衝撃度において、似たものがある。

しかし、決定的に違うのは、熊谷は、まったくの新人ではなかった、ということだ。かって脚光を浴び、現存の写真家たちと同じスタートラインに立っていたこともあった。

 

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掲示板

 

公演情報  吉祥寺シアター 2016.5.1~5.25

川村毅 新作・演出「愛情の内乱」

CAST

・白石加代子

・金崎健太郎

・末原拓馬

・大場泰正(文学座)メールyasumasa0703@yahoo.co.jp 090-8726-0496

(詳細は、大場まで、ドストエフスキー読書会、下原紹介)

・笠木誠

・蘭妖子

 

小劇場の鬼才、川村毅が、白石加代子と初タッグを組んでの注目の公演。

ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』の兄弟にインスパイアされたという作品。

 

武蔵野文化事業団電話予約は、℡0422-54-2011 詳細は、上記の大場まで

 

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あうるすぽっと 豊島区立舞台芸術交流センター(東池袋)

 

夏の夜の夢

 

ミュージカルフォンテーヌ

 

2016年 6月10日(金)~14日(火)

 

前売6000円  当日6300  03-5823-1055

 

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読書会お知らせ ドストエーフスキイ全作品を読む会「読書会」

 

月 日 6月18日(土)

 

時 間 2時00分~4時45分

 

会 場 東京芸術劇場小5会議室

 

作 品 『白痴』4回目

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ゼミⅡお知らせ

 

ゼミ誌について 『熊谷元一研究 No.3』の発行

 

1. 5月17日(火)編集委員  浦上透子さん  鈴木優作さん

 

文芸棟 教室1 ゼミ雑誌作成ガイダンス出席2名 鈴木さん、浦上さん

 

ゼミ雑誌の納品は、2016年12月9日(金)です。

 

課題5について

 

テーマ1.「車内観察」(乗客観察、時代、時期)テーマ2.「『網走まで』感想」その後

 

ゼミⅡ日誌

 

□4月11日ガイダンス6名 DVD NHK長野放送「熊谷元一追悼番組」

□4月18日 参加浦上透子さん 音読「恩師の告白」ゼミ合宿について 満州国について

□4月25日 参加鈴木優作さん 音読「恩師の告白」満州・子ども時代の遊びについて

□5月9日 浦上さん、鈴木さん参加、「個人の完成」「多読と精読」『菜の花と小娘』読む。

高橋さんに写真撮ってもらう。

□5月16日 浦上さん 鈴木さん参加 DVD「オンボロ道場再建」観賞。

 

19回熊谷元一写真賞コンクール募集

2016年のテーマは「阿智村」・「祝う」です。

 

テーマ「阿智村」は、阿智村に来て、阿智村を撮ってください。風景、行事何でも可。

テーマ「祝う」は、どんな祝い事でも。「祝い事」ならなんでも。

 

締め切りは、2016年8月末 選考会は同年9月末東京で最終選考会 授賞式11月

―――――――――――――――――― 編集室 ――――――――――――――――

 

〒274-0825 船橋市前原西6-1-12-816 下原ゼミ編通信・編集室

メール:toshihiko@shimohara.net 携帯 090-2764-6052 ℡047-475-1582 下原

 

 

 

 

書くこと実践 加筆と校正しながら物語をススめる。

 

 

連載2 小説ドストエフスキイの人々

 

卒論にかえて 創作学科四年 葉口風子

 

登場人物

 

天野キン子・・・大学四年

夢井信吉・・・・甲府から来た会員

渋川教授・・・・大学教授

丸山  ・・・・会の事務局長

浜島  ・・・・会の会計係

石部・・・・・・印刷会社社長

小堀・・・・・・会誌の編集委員

 

第一章「そして誰も来なかった」

 

一、今日的名曲喫茶

 

二、ドジョウの会の役員たち

 

夕方の混雑する名曲喫茶。だが、三階は、なぜかひっそり閑としていた。それもそのはず三階の広い店内には、たった五人の男性客がいるだけだった。彼らは、中央にテーブルを寄せ集めてつくった会場で人待ち顔で黙然と座っていた。年齢は、1人が三十代後半の青年、3人が中高年、残る1人は、白髪の紳士。服装は、2人が背広にネクタイ姿、2人はノーネクタイのジャケット。あとの1人は、ジャンパー姿。小さな町工場の社長といった感じである。年齢、服装は、てんでばらばらだったが、顔の表情は、皆一様に沈みきっていた。どうやら安来節では、なさそうだ。

普通、集った顔ぶれをみれば、かのシャーロック・ホームズ氏やポリフイリー氏でなくともだいたいの見当がつくというも。だが、この席上の面々からは、は思いつかない。会社の同僚、同窓生、ゴルフ仲間に町内会、それとも柳川鍋をつつく会…ただ一つ、確かなのは金満家の皆さんではなさそうだ。

いったい全体、どんな会?どれもしっくりこない。全フロアー貸し切りでテーブルに五十近い椅子が用意されているのをみると政治団体とも宗教団体とも思えるのだが、それならばもっとにぎやかなはずである。勧誘のビラもない。そもそも「ドジョウ」とは何か。

この閑古鳥鳴く会場に、さっきから長髪をポマードで固めた背の高いボーイ君が、調理場のある、階下から再三再四あがってきては、一つ覚えの九官鳥よろしく

「お飲み物はどういたしましょうか」と、繰り返していた。

その都度、石地蔵のように黙りこくっていた彼らは、尻をつつかれた昆虫のように、緩慢に顔を見合した。この度も、一斉に互いの顔を見合わせていたが、そのうち階段口に座っていた体の大きな背広姿のご人、つまりこの会の事務局長でもあり今夜の幹事、丸山重喜という霞ヶ関のさる省庁に勤めるお役人だが、おもむろに腕時計を見つめたあと、少し裏返った声で困惑げに

「どうします、みなさん」とたずねた。

しかし、皆の反応はいたって鈍い。名ばかりではあるが会の会計担当をしている実直そうな御仁、渡瀬利昭と年のころ三十五六と一番若そうな御仁、こちらも編集委員の肩書きをもつ小堀大輔、二人は同時にふっと情けないため息をもらすばかりだ。一人、落ち着かない御仁がいる。こちらは監査役で会きってのうるさ型の御仁、石部謙三氏であるが、さすが返答には窮して苦虫を潰し貧乏揺すりするのが精一杯といったところだ。こんな気詰まりのなか、一人のんきに構えているのはこの会の顧問を引きうけている白髪の紳士。都の東北にあるT大の渋川教授。槍が降ろうと白川夜船。席に着いたときから頬杖枕である。

しかし、今度ばかりはおめおめと引き下がれるものかと、ノッポのボーイ君、直立不―

でよき返事を待っているのである。そんな決意もなんのその、相変わらずの五人衆である。なんというルーズさ、煮えきれなさ。もうとっくにこのパーティの開催時間は過ぎているのだ。ラストオーダーの時間というものがある。なんとしても、もうはじめてもらわなくてはならないのだ。ボーイ君、とうとう痺れをきらして言った。

「あのう、何時ごろからはじめられるでしょうか。お時間は過ぎておりますが」

無理につくった笑顔が引きつっている。

だが、皆からは相変わらず返事なし。曖昧模糊としてのだんまり作戦。幹事の丸山一人が弱りきって、額の汗を拭うばかりだ。気まずい沈黙だけが卓上のすっかり冷えてしまったフライトポテトやから揚げの上を漂うばかりだ。

「そろそろお飲み物、お持ちしてもいいでしょうか」

ボーイ君、慇懃無礼に事を運ぼうとするつもりらしい。

が、このときさすがの昼行灯。渋川教授、いきなりひょいと顔をあげると、その仙人のようにのびた白髪をかきあげ

「もう少し、待ってもらいましょう。もう少し」と問答無用の寝ぼけ声。それだけ告げると元の狸か狐の眠り。

納得いかないのはノッポのボーイ君だ。このあと、本当に誰かくるんですか、と言いたげにピクリと頬を引きつらせた。だが、店のオーナーが教授の教え子と聞いているだけに露骨に嫌な顔もできず、ここは微笑して

「それでは、もう少し皆様がそろいましたら」と馬鹿丁寧に頭を下げてそそくさと引き上げていった。

ボーイ君の姿が階段の下に消え去ると、一同ほっとして安堵のため息。店内は、ふたたび洞窟のように森閑として、階下のにぎわいだけがやけに大きく響いてくるだけ。そんななかで皆の胸内に一つの疑問。いまの渋川教授の言葉である。

しかしもう少し待つとは、あてでもあるのか。もしかして約束でもあるのかも。だが、再びの頬杖枕の教授に確かめるわけにもいかず、てんでに思いをめぐらせていた。

「来ませんねえ、ほんとうに・・・」小堀は考えの重さに耐えきれなくなってつぶやいた。もう何度目の嘆息か。「来ませんねえ・・・」

「これは由々しき問題ですぞ!」突如、浜島が吐き出すように言った。「もしだれもこないとすると、これだけの場所を借りきっているんですからねえ」

名ばかりとはいえ、さすがに会計係りである。はじめのうちは冗談ぽかった彼の声もいまではすっかり深刻味をおびている。

 

三、内輪もめ

 

「うーむ、こんなことだったら料理の方は頼まなくてもよかったですねえ」丸山は背広のボタンがちぎれ飛ばんばかりに太ったからだを傾げて後悔しきり。

「しかし、誰も来ないということはないでしよ。いくらなんでも、地方の会員は仕方ない

としても東京近辺、来ようと思い来れる会員は百人がとこいるんだ。それに、今日のは、ただの総会じゃあない、緊急の特別会議なんだ。会の存亡がかかった」石部は吐き出すように

 

言って乱暴に席を立つと、落ち着きなくテーブルの周りを歩き始めた。性格が直情径行の石部には、もうこれ以上イライラを押さえきれないといった様子だ。ひとりごとを繰り返し自分に向かってぶつぶつとぶつけている。「しかし、誰も来ないなんて・・・しかし」

「いやあ、この分じゃあ、ありえるかも知れませんよ。むしろその方が確率的に高くなっているでしょう。この後に及んでは」

丸山は諦め口調で言った。

「あり、ありえるだなんて、事務局長!」石部が目を剥いて怒鳴った。「冗談じゃあないですよ。出席者がゼロだなんて、縁起でもない。もし、そんなことになったら、私んとこの印刷代はどうなるんです。会はなくなったって、またつくればできますがね。借金は残りますからね。役員意外の会員に一人でも出席してもらって意見を聞いてみたいですよ。まったく」

「石部さん、またまたそんなことを言い出して。仕方ないじゃあありませんか」渡瀬は、

手持ち無沙汰に電卓をたたきながらたしなめるように言った。「こればっかりは、どうしょうもないんじゃないですか。天災とおなじで仕方ないですよ」

「仕方ない!君い!仕方ないで済まされる問題じゃないよ。のんきなことを言ってちゃ困るよ。会計係りが」

「じゃあ、どう言えばいいんですか」浜島は気色ばんで言った。

「そのう、あれだ・・・」石部は、ちょっと返事に窮したあと語気を荒げて言った。「・・・だから仕方ないはないだろう。仕方ないじゃあすまされませんよ」石部は禿げ上がった額を

真っ赤にさせてつづけた。「だいたい私は反対だったんだ。いまどき、この手の雑誌を創刊したって成功するはずがないってことを。この手の論文ものは売れるはずがないってことは分かりすぎるくらいわかっていた。全学連はなやかし頃のふた昔前だったらいざ知らず、い

まじゃ時代錯誤もはなはだしいもほどがある。それで、私ははなっから乗り気ではなかったんだ。だから、ある程度、予想がついてたね、こうなるんじゃないかと」

「えっ!本当ですか!」浜島は素っ頓狂な声をあげた。「わたしは初耳ですよ。石部さんが今回の出版に関して、そんな見識というか見通しをもっていたなんて。事務局長、そんな意見ありました。あのとき」

「あの編集会議でしょ。一切ありませんよ。そんな話は」丸山はきっぱり言った。「あるもないも雑誌の発行は、全員が、賛成でしたよ。慎重論さえでませんでした。それに、わたしの記憶するところでは石部さん、だいたいにあなたが一番に乗り気だったですよ。ドストエフスキイは今日、この過渡期の時代にこそ必要だとか、広く社会に宣伝して現代文明警鐘の書としなければならないとかなんとか一席ぶったじゃないですか。なかなか名演

説でしたよ」

「そうそう、ビデオやマンガに溺れる飽食日本の若者の目を覚ましてやるのだと意気込んでいました。覚えていますよ」

「ほお、そんなこと言いましたっけ」石部は他人事のようにおどろいたふうをみせて言った。「あのときは世評を言ったまでですよ。別に雑誌の件で言ったわけじやない。もしかしてドストエフスキイは現代に必要だとは言ったかも知れませんが、それは雑誌を刊行するしないで言ったことじゃあないですよ。とにかく、わたしは創刊号をだすことについては最初から

慎重論でしたよ。危惧してましたよ。結局のところしまいには、こうなるんじゃないかと、みえてましたてよ。そりゃあ、わたしはしがない印刷屋のおやじですがね。それでも一応、経営者だ。だいたいのところは予期できますよ。まあなんというか、事業家のカンというか・・・それがありますから」

「はあ、そうですか・・・それはたいした予見で」浜島は半ばあきれた半ばからかい口調で言った。「しかし、あのとき十万部以上のベストセラーにするなんて大風呂敷をひろげた人はどなたでしたっけ。おまけに後から足らないと困るとかで百部も追加印刷したのはいったい誰なんですか。それに、自分とこの工場をビルに改築するなんて、ちゃっかり胸算用までしてたじゃないですか」

 

 

 

 

 

 

「ほう、たいした記憶ですな。そんなこと言いましたか。いい加減なこと言ってもらっちゃ困ります。しかし、百歩ゆずって、言ったとしても、たいして驚きませんよ。たとえ、そんな大法螺吹いたとしても当然じゃないですか。会の存亡をかけてなにかやろうとしてたときですからね。一か八か、望みはでっかくですよ。大ボラ結構じゃないですか。ハハハ」石部は、指摘された、自分の発言を吹き飛ばすかのように声だかに笑ってハゲあがった広い額を平手で軽く打ってから、人差し指を浜島に向けて逆襲する。「そういう話ならわたしだって覚えていますよ。浜さんあんただって、あのときは随分はしゃいでいたよ。『白痴』を撮った黒澤明監督に掛け合ってドストエフスキイの伝記映画を作るんだって相当の熱の入れようだったじゃないですか。われわれ、「ドジョウの会」が制作に加われば日本アカデミー賞だって夢じゃない、そんな途方もない妄想にとりつかれていたじゃないですか。そこにいくとわたしの工場のビル建設計画なんか可愛いもんです。渡さんのに比べたらささやかな夢ですよ。極めて、現実的な」

「なにが現実的ですか」渡瀬は顔を真っ赤にして言った。「妄想じやありませんよ。ボクは今でも思っていますよ。石部さん、あなたのように何部売れて儲かったらビルをつくろうなんて、そんな卑しい気持ちじやないんです。今回の創刊号で一段落ついたらドストエフスキイの愛読者を増やすために黒澤監督だけじゃあなしに世界中のドストエフスキイ監督に手紙を書いて協力を要請する計画だって小堀君とたてていたんだ。現に実行しようとしていたんだ。なあ小堀君」

 

 

「え、ええ、まあ、茶飲み話ですけど」

小堀は照れくさそうに小声で言って頷いた。顔が赤くなった。

「ほう、そりゃあまた結構なことだ。そんな壮大な、そんな遠大な計画をお二人でたてていたというわけですか。まことにすばらしい。わたしのビル建設計画なんか、みみっちいもんですな。吹けば飛ぶような夢だった。こりゃまた失礼しやした」

「まあ、いいじゃあないですか。どんな非現実的な夢だって。あのときは誰もが夢をもっていたわけです。だからこそ創刊号を刊行できたのです。そうホメ殺しするような言い方もないでしょう」

丸山は幹事らしく割って入る。

「ホメ殺し、なにもそんなつもりじゃありませんよ。本当にたいした計画だと感心したまでですよ」石部は鼻をならしてどっかと椅子に腰を下ろした。そして、腕組みをしてふんぞり返ると貧乏揺すりをはじめながら言った。「そういえば、丸山さん、事務局長だって、相当に張り切っていたじゃないですか。成功したあかつきには二十五周年記念を兼ねて新宿西口の高層ホテルで大々的に出版パーティを打ち上げるなんてほざいてたんだから。忘れたなんていわせませんよ」

「ああ、石部さん、よく覚えていらっしゃる。はいはい、否定しませんよ。確か、そのようなことを言ったように記憶しています。なにしろあのときは出航まえですからねえ。みなさんすっかり舞いあがっていたし。もしかして、これを契機に会の運命が明るい方に拓けていくんじゃないか。そんな希望というか期待がありました。『世界ドストエーフスキイ友好協会』設立へ向けて一歩前進。そんな思いがありましたからね。だから、事務局を預かるものとして盛大に記念行事をやりたいぐらいの挨拶はやりますよ。私としても、本当にそれが夢ですからねえ」丸山はダンゴ鼻を膨らませ些か興奮気味に言った。

「ほんとあのときは、皆さん張り切っていましたよね。聴衆こそいませんでしたが、ぼくなんか、あのプーシキン記念式典のドストエーフスキイの講演を思い浮かべました」小堀は懐かしげに、しかし感傷を含んだ声で言った。

「ああ、それなのに、それなのに、か」突然、浜島は歌いだすと大声でつぶやいた。「そして、悲しき、祭かな、か」

「ベストセラーどころか、このていたらくだ」

「しかし、何の批評もないとはねえ。まさか新聞にも批評家連にもまったく無視されるとは思ってもみなかったです」

「近ごろは、見る目のあるやつがいないんだ」石部は憤然として言った。

「まあ、売れる、売れないは仕方ないとしても、せめて記念行事だけでも敢行したかったですね。我々一人一人に違った夢があって、その夢でせっかくちゃんとした本をだしたのだから,お祝いぐらいはしたかったね」浜島は残念そうにため息をつくと愚痴った。「そもそも、その資金ぐりを創刊雑誌の売上から得た収入で、なんて考えたのが甘かった」

「わたしんとこのビル建設計画に、浜さんの伝記映画製作、それに丸山事務局長の出版記念パーティ計画・・・おつ、小堀君のを忘れてたよ。浜さんと映画協力の他にあただろう、えーと、なんだっけ」

「いいですよ。ぼくのは」

「それはないだろ、われわれのホラをさんざん披瀝させておいて。自分ばかり恰好つけようと思っても、そりゃだめだ」

「あっ、おもいだした」浜島が叫ぶ。「ビルだよ。ビル」

「ビル?なんや」

「ビル建設やで、でも、石部社長のビル建設計画とは、違いまっせ、コボちゃんのは日本ドストエーフスキイ会館の建設計画」

「おお、そうだった。何、わたしだって、自分の工場のことばっかり考えていったんじゃあない。当然、ビル家屋の中に、『ドジョウの会』事務局の部屋をつくることにしていた」

 

 

「ふん、ほんまですか。社長はすぐこれた゛。調子いいんだから」

「何です!」石部は目をむく。

「まあ、皆さんの夢はさておき、もしこの本がベストセラーにでもなっていたら今ごろは、すごいことになっていたでしょう。たぶん、ホテルの大広間は全会員の出席や各界のドストエーフスキイ関係者で大盛況間違いなしだったでしょう。なにせ二十五年前この「ドジョウの会」を発足させたときはすごかったですからねえ」丸山は華やかなりし当時を思い出して感慨深めになつかしむ。

「栄枯盛衰とはよくいったもの、いまでは、未だ来ぬ会員を待ってボーイが注文をとりにくるのを冷や冷やしている始末。まさにこれを喜劇といわずして何というですな。ついこのあいだまでは、何人かの会員の参加者があったのに・・・それが・・・」浜島、店内を見回しうそぶく。「国敗れて山河あり、はたまた、つわものどもが夢のあとか・・・」

「ふん、浜さん、夢の跡でも、山河でもあればいいですよ。あれば。何か残っていればいいですよ。それを元手に何かできますから。夢の跡なら、思い出話しになるし、山河なら観光地にもなるし、百姓だってできる。しかし、我々の場合、何も残っちやいない。何もない。いや違う。我々の場合、残っているのは借金の山だ。ゼロどころか大マイナスときている。これじゃあ、なにかはじめようにもどうにもならん。おまけに頼みの綱の会員も目下のところ一人も出席せずだ。この調子じゃあ本当に誰も来ませんよ。これ以上しくら待ったってしょうがない。そろそろ、今後を含め、どうするか話し合った方がいいんじゃあないですか。もうこれ以上タラネバの話しをして悔やんだってしょうがない」石部は落ち着きなく貧乏揺すりをはじめると、断固たる態度で言い放つ。「いったいどうするんです。いくらなんでも私んとこだけが尻拭いするのはごめんですからねえ。このままでいくと・・・」

「ええ、わかってますよ。そんなことがないようにと、こうして臨時会議を開いたんじゃないですか」浜島は苦虫をつぶして言うと丸山を見て苦笑いする。二人とも石部にその話しを持ち出されるのはうんざりといった顔だ。

 

 

課題5. 2016.5.23

 

テーマ1.車内観察(毎日、利用する乗り物、エッセイ、創作)

 

 

 

名前

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課題5.

 

テーマ2 テキスト感想&「『網走から』」(エッセイ、創作)

 

 

 

テキスト感想                    名前

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網走に着いてから、母子の運命は、どうなるでしょう。その後の暮らし。

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