文芸研究Ⅱ 下原ゼミ通信No.290

公開日: 

日本大学藝術学部文芸学科     2016年(平成28年)5月30日発行

 

文芸研究下原ゼミ通信No.290

 

BUNGEIKENKYU Ⅱ SHIMOHARAZEMI TSUSHIN

編集発行人 下原敏彦

4/11 4/18 4/25 5/9 5/16 5/23 5/30 6/6 6/13 6/20 6/27 7/4 7/11

熊谷元一研究&テキスト作品

 

2016年読書と創作の旅

 

6・6下原ゼミ

 

目次   浦上透子 鈴木優作 須川藍加

 

下原ゼミ課題「読み」「書く」達成に向けて

「私の愛読書」・・・

「ふるさと」・・・・生まれ育った地

「季節観察」・・・・さくら 他

「自分観察」・・・・なんでもない一日の記録

「社会観察」・・・・護憲か改憲かなど

テキスト感想・・・・読んだ作品

「車内観察」・・・・車内観察

 

熊谷元一研究(観察と継続に学ぶ)

ふるさと伊那谷の旅ルポ(合宿)

熊谷元一写真童画館見学感想・・・

満蒙開拓平和記念館見学感想・・・

日本一の星空は本当か報告・・・・

熊谷元一感想(写真・童画・教育)DVD

 

自由作品 創作・エッセイ 他

ゼミ誌(案)

日本大学藝術学部文芸学科文芸研究Ⅱ

下原ゼミ

熊谷元一研究No.3

 

2016

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【5・30ゼミ】    熊谷元一研究 映像で読む熊谷元一

 

5・30ゼミは、熊谷元一研究の一環としてNHK制作のドキュメンタリー番組を観賞しました。NHKドキュメンタリー番組「教え子たちの歳月 ―50歳になった1年生―」

1996年(平成8年)11月24日で放映。全国から大きな反響があった。

16年後、下原の再放送申込みメール送信で、採用。

NHKBSプレミアムアーカイブスで再放送されることになった。

2012(平成24年)12月18日(火)午前9時から放映された。

ゲスト・石坂浩二さん(俳優)

2016年5月30日、ゼミ2教室で観賞。20年後だった。

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課題1.報告

 

テーマ1.「さくら」

 

浦上透子      気持ち悪かったときも…

 

満開の桜を見ていると小さいものがびっしり集まっていて気持ち悪いと思った時がある。

 

□そんな感覚もあるんですね。そういえば、さくらは狂人、鬼といった不気味、不穏も予感されます。たしか坂口安吾の作品にもそんなのがあったような気がします。

 

須川藍加      見てると、わくわくする

 

わたし、さくらが好きです。

すごく、やっぱり、新しい季節が始まるんだなって思うし、なんか心がぽかぽかする気がする。見てると、わくわくするし、わくわくするし、わくわくするから好きなんです。

さくらって、すごい!

 

□さくらは、人の心を楽しませたり、浮き立たせたり、魔法の花かも知れませんね。

 

テーマ2.「ふるさと」

 

 

浦上透子      住めばみやこ

 

私は、小学校4年生まで東京の三鷹に住んでいました。5年生から神奈川の藤野に引っ越し、もう15年近くたちます。中学生くらいの時は、なんでこんな田舎に引っ越してしまったのか、と東京に戻りたくなったりしましたが15年も住んでいると、ふるさとと云うと藤野だと思うようになりました。

私の住んでいる町は、山があり、あまり美しくない湖があり、きれいな川があり、畑があります。――とはいえ、のどかな田園風景というわけではなく、歩道のない県道を中心に、家、山、がけがあり、一番近くのコンビニまで徒歩40分、バスは1時間に1本。ダンプが通り、たまに暴走族が通り、公園はない、公立高校もない、映画館もマクドナルドもない、そういう場所です。それで私はそこがけっこう気に入っています。

 

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□たとえどんなに山奥だったりしても、風光明媚でなかったりしても、スラム街のようなところだったりしても、生まれ育ったところは懐かしいものです。ふるさとって不思議ですね。

 

須川藍加        コスモスの花咲くふるさと

 

私の育った町は、千葉県でもワースト5に入る財政難です。赤字を出し続ける文化会館みたいなところがあって、選挙に出る議員の人は、成田を合併させますって言えばだいたい当選します。

それでも秋に咲く、コスモスのじゅうたんは、子どもの時も、今も相変わらずきれいです。

 

□何か一つでも、自慢できるものがあるっていいですね。見に行きたいです。

 

テーマ3.「改憲、護憲 二つの違った投書を読んで」

 

浦上透子        盲目的に支持するのも…

 

私は、愛国心はあるけど、国のプライドや国家なんてものは、かなりどうでもいい…。ただ盲目的に安保法反対派を支持するのも何か違う気がします。

 

□平和のためには武器は必要。この世は矛盾だらけですね。

 

【課題2.報告】

 

テーマ1. 自分観察「なんでもない一日」

 

浦上透子     朝からアイス

 

10時過ぎに起きてテレビを見ながらアイスを食べる。

昼、ソーメンを食べる。縁側で弟のマンガを読む。昼寝をする。かき氷を食べる。

夕方、アロハシャツを作る。

晩ご飯のあと映画を見る。2本見る。1時くらいに明日、学校に行きたくないないと思いながら寝る。はじめに戻る。

 

□そんなにアイス食べて、大丈夫ですか…!

 

 

【課題3.報告 社会観察】

 

テーマ1.「パナマ文書」について知っていることを書いてください。

 

鈴木優作    余裕のある人は国に貢献すべきだ

 

「パナマ文書」については、あまり知らないし、分かっていない。僕とは違う世界の話し過ぎて、このニュースには興味がわかなかった。

ただお金を持っている人が得をして、お金を持ってない頑張っている人が損をするのは間違っていることだと思う。お金に余裕のある人は国に貢献すべきだと思う。

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□どうして人間は、必要以上にお金を欲しがるのか。

 

須川藍加        企業努力と思う

 

私は、タックスヘイブンを利用することは、有りだと思います。

違法じゃないし、それを利用するのは企業努力である、と思うからです。

 

□都知事は、政治資金をどうしたら狡猾に利用できるか。そればかり考えていたのかも。

 

 

パナマ文書とは何か(グーグルでみるパナマ)

パナマ文書(パナマぶんしょ、英語: Panama Papers)とは、パナマ法律事務所モサック・フォンセカ(Mossack Fonseca)によって作成された、租税回避行為に関する一連の機密文書である。

文書は1970年代から作成されたもので、総数は1150万件に上る。文書にはオフショア金融センターを利用する21万4000社の企業の、株主や取締役などの情報を含む詳細な情報が書かれている。これらの企業の関係者には、多くの著名な政治家や富裕層の人々がおり、公的組織も存在する。合計2.6テラバイト (TB) に及ぶ文書は、匿名で2015年にドイツの新聞社『南ドイツ新聞』に漏らされ、その後、ワシントンD.C.にある国際調査報道ジャーナリスト連合 (ICIJ) にも送られた[2][3]

世界80か国・107社の報道機関に所属する約400名のジャーナリストが、この文書の分析に加わった。2016年4月3日、この文書についての報道は、149件の文書と伴に発表された。

関連企業・個人リストの一部追加で20万社超の法人情報は、同年5月10日日本標準時では同日午前3時にウェブサイトで公開され、オフショアリークスの検索システム(ICIJ Offshore Leaks Database)に統合され、完成版は随時発表される予定である[

 

【課題4.報告】

 

テーマ1.テキスト観察「菜の花と小娘」

 

浦上透子        気味の悪さが才能なのか

 

21歳の成人男性が書いたとは思えないくらいファンシーな話だと思いたいのですが、そう考えると随分気味が悪い。

その気味の悪さが志賀直哉の才能なのかなと思いました。

 

□他の生物を擬人化して書いたもの、最近では『カエルの国』という寓話小説をみかけました。政治的で話題性はありますが、文学的には、はるかに及ばないのでは、と思います。

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【課題4. テーマ1「コッペパンを食べる子」(熊谷元一研究)】
須川藍加      この瞬間が、すごい!!

 

この写真を見て、一番はじめに思ったのが、この子かわいいなーでした。カメラを向けられてこんな顔してパン食べられる子っていないと思います。

この瞬間をとらえるのもすごいなと思いました。

 

□この写真がすごいのは、もう一つ奇跡的なことがあるからです。二人の子どもがコッペパンをかじる。給食時だから、なんでもないと思われがちです。だが、この時、学校給食はみそ汁だけでした。パンを持ってくる子も稀でした。ということは…。

 

テーマ2.「私の愛読書」いま読んでいる本、忘れられない本

 

須川藍加       世界を広げてくれる本

 

私の好きな本は、山田詠美さんの『A2Z』という本です。

編集者の夫婦が、それぞれ恋人をつくって思うままに恋愛をするけど最終的に2人に戻るというお話です。こう書くと倫理に反してるだろうけどこういうのもありなんだっていうか世界を広げてくれる本です。

 

□恋愛小説は悲恋が一番ですね。やっぱり最高峰はバルザックの『谷間のユリ』かな。「たってのお望みとあればお教えします」からはじまる、長い長い告白書簡。トゥールの谷間に咲く一輪の百合アンリェツトに世界が涙した。古典名作。映画は「哀愁」

 

鈴木優作       愛読書、まだない

 

私の愛読書は、まだない。本を1冊読んだら、また読み返すということをしたことがない。それは、本に限らず映画やゲームでも、また観るということはない。あきっぽい性格なのかもしれない。愛読書に出会いたい。

 

□まだない、ということはいいことかも知れません。長い人生、楽しみがまだあるということです。出会いは、いつどこでかわかりません。できることは多くのチャンスをつくることです。そのためには多くの本(古典)を読んでみましょう。

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浦上透子       ソウル・フラワー・トレイン

 

ロビン西という作家の『ソウル・フラワー・トレイン』という本が好きです。マンガです。すごくすてきな人生を送っているわけではない人たちが出てくる短編集です。

皆やたら人間くさくていいです。

 

□こんど見かけたらのぞいてみます。

 

【課題5.自分観察と車内観察、テキスト】

 

テーマ1.自分観察「なんでもない一日の私」

 

鈴木優作       充電期間

 

なんでもない一日の私は、思考が停止している。何も考えていないし、特にすることもない。充電期間だ。

 

□若者だった時と今とでは1日の時間が違う。不思議である。

 

テーマ2.車内観察「ある日の車中」

 

鈴木優作   ぼくが電車に乗るとき

 

電車に乗るのが楽しい。電車はいろんな人が利用するから、いろんな人の生活をのぞける気がする。特に電車の中で会話する人の会話を聞くのは罪悪感を感じながらもやめられない。その人たちの話は全く知らない人たちだからこそ聞いた話から想像を拡げていく。ぼくはいつもそんなことを考えながら電車に乗っている。

 

テーマ3. テキスト「網走まで」感想と母子の運命(想像)

 

浦上透子  テキスト感想「網走まで」を読んで

 

何も起きないところが現実らしいと思った。あんなふうに電車やどこかで他人と話すことがあっても、たいていの場合何も起きない。そう考えると、今偶然にも私の友人になってくれた人たちのことは、もっと大事にした方がいいかもしれない、と気づいた。

 

□いいことに気づきました。先日、高尾山に森林浴に行った仲間は、大学時代の友人たちです。若い頃は、わからないが、だんだん必要になってきます。

 

テキスト『網走まで』の母子3人の運命は

 

浦上透子

 

炭鉱所の社長となった夫と再会し、マッチョな人生を送るも、海外で油田が発見されるなどして、閉山に追い込まれ、波乱万丈な人生を送った。

□北海道の石炭産業は昭和までつづいたので、他の理由がいい。

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テキスト読み 5・23ゼミは、『菜の花』につづいて『網走まで』を読んだ。

 

『網走まで』について(2016・5・30)

 

「下原ゼミ通信」編集室

1947年(昭和22年)に細川書店版で出された『網走まで』あとがきで、作者志賀直哉は、『網走まで』についてこのように話している。(全集文を編集室が現代表記に)

 

【細川書店版「網走まで」あとがき】「帝國文学」没書顛末記 抜粋

発表した順からいうと、この小説が私の処女作ということになるが、私にはそれ以前に、「菜の花と小娘」というお伽話と、「或る朝」という小品があって、初めて一つの話が書けたという意味では「菜の花と小娘」を、また、書く要領をいくらかでも会得したという点では「或る朝」を私は自分の処女作と思っている。しかしまた、多少小説らしい形をしたものとして、かつ最初に発表したものとして、やはり、この「網走まで」を処女作といっていいようにも思い、つまり、私には色々な意味での三つの処女作があるわけだと考えている。

 明治三十九年に、二十四で学習院を卒業し、東京帝国大学に入り、そのよく翌年くらいにこの短編を書いた。その頃、大学内に「帝國文学」という雑誌があって、それに載せてもらうつもりで、その会員になったが、幾月経っても載らず、ついに何の音沙汰もなく、没書になった。

 「帝國文学」の原稿用紙というのが、今思えばまことに変なもので、紙を縦に使って、一枚がそのまま、雑誌の一頁になるように出来ていた。編輯には便利なので「白樺」をはじめた時、真似して作ってみたが、使いにくく、すぐやめてしまった。十七八行、五十字詰くらいで、今の四百字詰の原稿用紙に比べると倍ほどの字数になる。従って一コマが小さく、とくに上下がつまっていて、大変書きにくかった。その上、ロール半紙で、表面がつるつるしているし、それに毛筆で書くのだから、私のような悪筆の者には非常に厄介なことだった。清書だけでも人にしてもらえばよかったものを自分で書いて送ったから、編集者はそのきたない原稿を恐らく読まずに、そのまま屑籠に投げこんでしまったのだろうと思う。今はそれを当然のことだと思うが、当時は一寸不快に感じ、会費を一度払っただけで脱会してしまった。明治四十三年に「白樺」を創刊したとき、私はその第一号にこの短編を載せた。二年ほど前から回覧雑誌を出していたから、作品は他にも三つ四つできていたが、創刊号にこれを選んだのは、没書になった故に、わざと出したように思う。

 小宮豊隆君が新聞か雑誌かでほめてくれた。月評を書くのでいろいろなものを読んだが、この小説へきてようやくほっとしたというようなことが書いてあった。ほめたといってもその程度の賛辞であったが、私はそれをうれしく思った。個人的には未だ小宮君を知らぬ頃のことだ。・・・・・・・・・。(岩波『志賀直哉全集』)

 

『網走まで』には大きな謎がいくつかある。作品を手にとると、まず、題名から立ち止まってしまう。なぜ「網走」かである。網走は、現代なら映画の舞台や刑務所、メロン産地、オホーツクの流氷やカニなどでよく知られている。が、この作品が発表された明治43年(1910年)当時は、どうであったろうか。一般的にはほとんど無名だったのではないかと想像する。そんな土地を作者志賀直哉は、なぜ題名にしたのか。旅の目的地にしたのか。大いに疑問に思うところである。そんなところから、作品検証としては、まず題名の「網走」から考えてみたい。

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インターネットで調べてみると網走は、元々魚場として開拓民が住み着いたところらしい。地名の由来は諸説あるが、いずれもアイヌ語が語源とのことである。

 

例えば「ア・バ・シリ」我らが見つけた土地。「アバ・シリ」入り口の地。「チバ・シリ」幣場のある島。である。(ウィキペディア)

また、作品が書かれた頃までの網走の歴史は以下のようである。

  • 1872年(明治5年)3月北見国網走郡の名が与えられる(網走市の開基)。アバシリ村が設置される。
  • 1875年(明治8年)漢字をあてて、網走村となる。
  • 1890年(明治23年)釧路集治監網走分監、網走囚徒外役所(現在の網走刑務所の前身)が開設
  • 1891年(明治24年)集治監の収容者の強制労働により北見方面への道路が開通
  • 1902年(明治35年)網走郡網走村北見町勇仁村(いさに)、新栗履村(にくりばけ)を合併し2級町村制施行、網走郡網走町となる。

明治政府は、佐賀の乱や西南の役などの内紛に加え荒れた世相で犯罪人が激増したことから、またロシアの南下対策として彼らを北海道に送ることにした。(屯田兵として利用する)。明治十二年伊藤博文は、こんな宣言をしている。

「北海道は未開で、しかも広大なところだから、重罪犯をここに島流しにしてその労力を拓殖のために大いに利用する。刑期を終えた者はここにそのまま永住させればいい」

なんとも乱暴が話だが、国策、富国強兵の一環として、この計画はすすめられた。

そして、明治12年に最初の囚人が送られた。以後十四、十七年とつづき、網走には明治23年に網走刑務所の前身「網走囚徒外役所」ができ千三百人の囚人が収容された。囚人は、札幌―旭川―網走を結ぶ道路建設にあたった。こうしたことでこの土地は、刑務所の印象が強くなったといえる。が、作品が書かれた当時、その地名や刑務所在地がそれほど全国に浸透していたとは思えない。第一、当時、網走には鉄道はまだ通っていなかった。従って

「網走」という駅は、存在していなかったのである。では、作者はそんな地名を、なぜ、わざわざ題名にしたのか。あたかも網走という駅があるかのように書いたのか。

この作品はどう読んでも網走駅までの印象は強い。「網走まで」は駅までではない。そう言われても、では「なぜ」と問いたくなる。最初から大きな謎である。が、この謎が解けなければはじまらない。ということで「網走」についてもう少し検証してみることにする。

 

『網走まで』は、僅か二十枚程度の作品である。(草稿は二十字二十五行で十七枚)この作品には大きな謎が二つある。一つは、前述したが題名の「網走」である。志賀直哉は、何故に網走としたか。直哉がこの作品を書いたのは、一九○八年(明治四一年)である。草稿末尾に8月14日と明記されている。志賀直哉25歳のときである。一見、エッセイふうで、経験した話をそのまま書いた。そんなふうに読めるが、そうではない。この作品は完全なる創作である。志賀は、創作余談においてこの作品は、

 

「或時東北線を一人で帰ってくる列車の中で前に乗り合わせていた女とその子らから勝手に想像して書いたものである」

 

 

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と明かしている。そうだとすれば、なにも「網走」でなくてもよかったのでは、との思いも

生ずる。当時、あまり知られていない網走より、「青森」とした方がより現実的ではなかったか、と思うわけである。網走同様、青森という地名の由来も諸説ある。が、一応、三七○年前、寛永二年頃(一六二五年)開港されたときにつけられた、というから一般的にも知られてはいたというわけである。題名にしても歌手石川さゆりが熱唱する「上野発 夜行列車降りたときから 青森駅は雪だった・・・」の青森に違和感はない。当時としては、網走よりはるかに現実的だったに違いない。なぜ「青森まで」ではなく、「網走まで」なのか。

もし作者が北海道にこだわるのなら函館でもよかったのではないか。そんな疑問も浮かぶ。函館なら、こちらもよく知られてもいる。歌手北島三郎が歌う「はーるばる来たぜ函館!」とゴロがよい。他にも函館には、歴史の郷愁がある。既に40年の歳月が過ぎているとはいえ、函館(箱館)といえば、あの新撰組副長土方歳三(35)が戦死した土地。明治新政府と榎本武揚(34)北海道共和国が戦った城下である。現代では百万ドルの夜景と、観光名所にもなっている。それ故に当時も一般的知名度は、それなりに高かったのではと想像する。

しかし、時は明治全盛期である。過去に明治政府に反抗した都市ということで、よろしくないとしたら、札幌はどうだろう。「札幌まで」としても、べつに遜色はないように思える。一八七六年(明治九年)あの「青年よ大志を抱け」のクラーク博士ほか数名の外国人教師を迎えた札幌農学校のある「札幌」は、それから三十余年北海道開発の拠点として、大いに発展しつつあったはず。「札幌」の名は、全国区であったに違いない。にもかかわらず「札幌」ともしなかった。なぜか・・・・。ではやはり当時、「網走」は人気があったのか。それとも作者志賀直哉に何か、よほど深い思い入れが、題名として使いたい理由があったのか。どうしても行き先が「網走」としなければならない何かが・・・そんな疑念が浮かぶ。

しかし、41年後、1951年(昭和26年)68歳のとき、志賀直哉は、リックサック一つ背負い一人ではじめて北海道を旅した。が、網走には行かなかったという。と、すると、それほど深い思い込みでもなさそうだ。だとすると、「網走」という土地名は、たんなる思いつきか。それともサイコロを転がせて決めただけの偶然の産物であったのか。

 

「網走」という地名。現代ではどんな印象があるのか。最近の若い人は、網走と聞けば、オホーツクの自然を目玉にした観光地のイメージだろう。観光用に刑務所そっくりな宿泊施設もある、と、テレビかなにかの旅宣伝でみたことがある。刑務所も観光地化されているようだ。こうした現象は、たぶん山田洋次監督の「幸せの黄色いハンカチ」という映画が発生源となっているに違いない。網走刑務所を出所した高倉健演じる中年男と武田鉄也・桃井かおり演じる若い男女が車で一緒に出所男の家まで旅する話である。舞台は、網走ではないが、網走という地名を観客に強く焼き付けた映画だった。

同じ高倉健主演でも私たち団塊と呼ばれる世代では、網走と聞けば、やはり東映映画『網走番外地』である。一作目はポールニューマン主演の『暴力脱獄』を彷彿させる一種文芸的

作品だった。手錠で結ばれた二人の囚人の脱獄物語だった。が、第二作目からガラッと変わって完全なやくざ映画である。一作目は白黒だったが、二作目からは総天然色と高倉健の唄で、激動の昭和四十年代を熱狂させた。話のパターンは水戸黄門と同じで、網走刑務所を出所してきた流れ者やくざ高倉健が、悪いやくざにいじめられつくされている弱いやくざを救う。それも出入りに助っ人として加担するのではない、万策尽きた弱くて良いやくざ(というのも変だが)その正しいやくざのために最後の最後、たった一人で日本刀を片手に、多勢の悪いヤクザが待つ敵陣に乗り込んでいく。その背中に、高倉健自身が歌う発売禁止となった「網走番外地」の唄が流れる。

とたん、立ち見で立錐の余地もないほど入った超満席の映画館の場内から一斉に拍手がわ

く。今、思い出せば異様な光景である。が、強いものに立ち向かう一匹狼。それは、しだい

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に強力になっていく警視庁の機動隊や国家権力、そして大企業に対峙する自分を重ねたのかも知れない。当時の若者、全共闘世代にとって「網走」は畏怖しながらも一種憧れの土地で

もあったのだ。

で、当然といえば当然だが、そんなわけで1960年末~70年代、網走は、刑務所のある町。といった印象だった。そして、その印象も、小菅や岐阜のようなコソ泥や詐欺師の収監される場所ではなく死刑囚の仙台一歩前の犯罪人の行くところ。極悪人=網走であった。

『網走まで』が書かれた時代、作者志賀直哉は、この町にどんなイメージをもっていたの

か。知るよしもないが、草稿のなかで「北見の網走などと場所でしている仕事なら、どうせジミチな事業ではない。恐らく熊などのいるところであろう。雪なだれなどもあるところであろう。」と書いているところから、刑務所、監獄という印象より、金鉱の町。得体の知れない人間が集まる未開の地。そんなイメージでなかったかと思う。

子供のころ観たアメリカ映画で『縛り首の木』というのがあった。砂金掘りが集ってできた、いわゆる無法の町の話だ。そこにはろくな人間はいない。皆、欲に目がくらんだ、すねに傷持つものばかりの住人である。当時の「網走」も、映画の砂金掘りの町。そんな町だったのかも。文明開化がすすむ東京にいて、文学をつづける志賀直哉からみれば「網走」は、未開のなかの未開の町。そんなところに見えたのかも知れない。もっとも「網走」、というより北海道は、その後55年たっても遠いところだった。

余談だが、1965年、昭和40年、今から51年前だが、私は、はじめて北海道に行った。2ヶ月間牧場でアルバイトをするためだった。説明会で斡旋の学生援護会から、きつい仕

事、途中で逃げ出す学生が多いから、と覚悟のほどを注意された。が、大学の実習授業(4単位)に組み込まれた。住み込み三食つきにバイト代500円、それに単位修得。一石三鳥になる。(当時、バイト日給600~800円が相場)で、躊躇なく決めた。

信州の山奥で育った私は北海道がどんなところかまったく知らなかった。広いところだというので、憧れがあった。7月の前期終了日、主任教授から激励された。希望者は二十人はいたろうか。釧路が一番多く数名、あとは稚内や網走、他、知らぬ土地だった。行き先の切符をもらった。「計根別」とあった。はじめて聞く地名。地図でみると根釧原野の中ほどにある。釧路から近い、とわかった。が、どんなところかは、想像もつかなかった。

とにかく行けばわかるさ、で、友人たちと上野から「青森行き」夜行列車に乗った。大学一年18歳の夏だった、「計根別まで」の旅。記憶では、翌朝早く、青森駅に到着、青函連絡船で函館。そこから札幌までが、長かった。札幌で時計台を見に行きラーメンを食べた。再び列車で釧路に向う。深夜、倶知安という駅に着いた。寒いので、うどんを食べた。計根別に着いたのは昼過ぎ。上野を出てから二日かかった。農協の職員と、酪農家の家の人が待っていて、学生は、各農家一軒に一人ひとり振り分けられた。私が働くことになったのは、開拓13年目の酪農農家だった。小学生の子供が三人いる五人家族だった。トラックから下りたところは根釧原野の真っ只中。西武劇の丸太小屋を思わせる、家と20頭ほどのホルスタイン牛がいる牛舎がぽつねんとあるだけだった。夕焼けに染まっていく空が異常に広く感じられ、なにか心細さを感じたことを覚えている。まだ、北海道は遠かった。

昭和40年でも、こうだから、明治の時代には、どれだけ大変だったか、見当もつかない。その意味から、母子三人の網走行は矛盾が大き過ぎる。東大文学編集部が没にした理由はそのへんにあるような気がする。作者は、母子の旅をより困難な旅に印象づけるために未開地の網走とした。若き日の小説の神様の勇み足といえる。が、今日、網走に何の違和感もない。

 

【北海道の思い出】北海道には、学生時代、牧場の夏季アルバイトに行った。根釧原野の真ん中にあった開拓農家。朝5時起床して十数頭いる乳牛の餌やりと糞掃除、そのあと搾乳。7時過ぎ朝食。ごはんに牛乳をかけたりバターを乗せて食べた。8時からホップかにんじんの魔引きとジャガイモ掘り。午後は牧草集めとサイロ積み。夕方は馬で近くの川から風呂の水運び。とにかく大変だった。が、いまは懐かしい思い出だ。

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2016年 ゼミⅡ・ゼミⅢ合同ゼミ合宿について

 

参加予定(6/6現在)浦上透子、鈴木優作、聴講生(?)、漆畑一真(Ⅲ)、松崎茂樹(Ⅲ)

4~5名、引率他で6~7名を予定

 

行き先 長野県下伊那郡阿智村昼神温泉郷

交 通 新宿から中央高速バス4時間15分 新宿→双葉(休憩)→伊賀良→阿智村

宿 泊 昼神温泉郷村営旅館「鶴巻荘」

目 的 熊谷元一の故郷(『一年生』の撮影現場)を訪る。駒場の宿場見学。

熊谷元一写真童画館を見学

満蒙開拓平和記念館を見学

その他 阿智村を撮る(写真賞コンクール応募作品 テーマ「阿智村)

村宣伝の星空日本一を観賞

 

実施日 9月1日(木)~2日(金)、8日(木)~9日(金)、他(火土日でない日)

 

申込みは、夏休み前

 

旅日程計画(案)

【1日目】

AM9:00新宿発(高速バス)→双葉休憩15分 → PM1:00伊賀良下車

伊賀良(移動・マイクロ)→PM1:30阿智村南国飯店で昼食→移動・マイクロ

→PM3:00満蒙開拓平和記念館見学→PM5:30昼神温泉郷宿入浴・夕食

夜7:30 車移動→ロープウェイ→ヘブンス園原「日本一星空見学」→宿、就寝

【2日目】

AM6:00温泉朝市見物、足湯 地元特産。AM8:00朝食 AM9:00熊谷元一写真童画館見学→車移動→AM11:00熊谷元一が撮った村を歩く。駒場の宿場町散策・写真撮る。自由行動3時集合→16:19高速バス→PM8:30新宿解散

 

南信州 伊那谷阿智村駒場にある熊谷元一の生家 地区資料館

 

 

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掲示板

 

公演情報  あうるすぽっと 豊島区立舞台芸術交流センター(東池袋)

夏の夜の夢  ミュージカルフォンテーヌ

2016年 6月10日(金)~14日(火)

前売6000円  当日6300  03-5823-1055

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読書会お知らせ ドストエーフスキイ全作品を読む会「読書会」

 

月 日 6月18日(土)       時 間 2時00分~4時45分

会 場 東京芸術劇場小5会議室    作 品 『白痴』4回目 ゼミ生0円

 

課題7について

 

テーマ1.テキスト研究(志賀直哉)「ある日の車内」(乗客観察、車内で考えたこと)

テーマ2、テキスト研究(サローヤン)『空中ぶらんこ』の感想

テーマ3.熊谷元一研究『どんな先生を覚えていますか』

 

ゼミⅡ記録

 

□4月11日ガイダンス6名 DVD NHK長野放送「熊谷元一追悼番組」

□4月18日 浦上透子さん 音読「恩師の告白」ゼミ合宿について 満州国について

□4月25日 鈴木優作さん 音読「恩師の告白」満州・子ども時代の遊びについて

□5月9日 浦上さん、鈴木さん、「個人の完成」「多読と精読」『菜の花と小娘』読む。

高橋さんに写真撮ってもらう。

□5月16日 浦上さん 鈴木さん DVD「オンボロ道場再建」観賞。

□5月23日 浦上さん、鈴木さん(須川さん課題配布)サローヤン『空中ぶらんこ』

『網走まで』『夫婦』の読み

□5月30日 熊谷元一研究 DVD「教え子たちの歳月」観賞。

20年前制作、45分番組だが、撮影全時間は35時間、撮影期刊間5月~10月

 

―――――――――――――――――― 編集室 ――――――――――――――――

 

〒274-0825 船橋市前原西6-1-12-816 下原ゼミ編通信・編集室

メール:toshihiko@shimohara.net 携帯 090-2764-6052 ℡047-475-1582 下原

19回熊谷元一写真賞コンクール募集 2016年のテーマは「阿智村」・「祝う」です。

 

テーマ「阿智村」は、阿智村に来て、阿智村を撮ってください。風景、行事何でも可。

テーマ「祝う」は、どんな祝い事でも。「祝い事」ならなんでも。

 

締め切りは、2016年8月末 選考会は同年9月末東京で最終選考会 授賞式11月

 

 

 

6・6ゼミⅡ課題

 

テーマ1テキスト研究「車内観察」(車窓風景・車内で考えたこと)

 

毎日利用する電車、車内で見たこと、考えたこと

名前

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6・6課題ゼミⅡ

 

テーマ2 テキスト研究(サローヤン)「空中ブランコ」感想

 

名前

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作家を夢みながら職もなく食べる物もなく不況の街を彷徨う餓死寸前の青年の話。

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6・6課題ゼミⅡ

テーマ3 熊谷元一研究「どんな先生を覚えていますか」

 

名前

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小学一年生のときの隣組の女先生。よく覚えています。モデルで小説も書きました。下原

 

 

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