文芸研究Ⅱ 下原ゼミ通信No.295

公開日: 

日本大学藝術学部文芸学科     2016年(平成28年)7月11日発行

 

文芸研究下原ゼミ通信No.295

 

BUNGEIKENKYU Ⅱ SHIMOHARAZEMI TSUSHIN

編集発行人 下原敏彦

4/11 4/18 4/25 5/9 5/16 5/23 5/30 6/6 6/13 6/20 6/27 7/4 7/11

熊谷元一研究&テキスト作品(志賀直哉他)

 

2016年読書と創作の旅

 

7・11下原ゼミ

 

 

  1.  連絡、ゼミ誌、ゼミ合宿の件
  1.  提出課題の報告 浦上さんの分 テスト返却 感想

 

  1.  法大オープンセミナー 満蒙開拓団に想う プロパガンダポスター

 

テキスト読み 志賀直哉『正義派』か『兒を盗む話』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

社会観察・7・10参院選に想う

 

選挙が終わった後は、いつも何か気が晴れない。自分が投票した候補者が当選しても落選しても同じである。大山鳴動鼠一匹、そんな空疎な感じがする。原因は周囲の風景にある。あれほど騒々しかったのに、何一つ変わらぬ社会の流れ。泡のように消えていく公約。人を選ぶことの難しさだけが、残滓のようにいつまでも心に残る。

それでも、そんな気持ちにならなかった選挙が一度だけある。もう7年も前になるが、私が立会人をやったときの衆院選である。そのときの気持ちを新聞に投書した。以下がそれ。

 

朝日新聞 2009年9月2日朝刊「声」欄

立会人が見た活気ある投票所           下原敏彦

この歴史的出来事を投票立会人として、13時間余りウオッチすることができた。はじめての経験だった。私たちを慌てさせたのは、先頭を切って入って来た若い親子連れ。慣例の投票箱確認中、初めての投票記念に携帯で空箱を撮りたいと申し出たのだ。

「30年、この仕事をやってきてこんなことは初めてです」職員は苦笑した。

珍時は、終日続いた。出口から入ってくる人、投票用紙を持たずに来る人、消しゴムを借りにくる人、書き方を聞きにくる人。裁判官審査の投票用紙を持ち帰って行ってしまう人など。初めて投票所にきた。そんな人が目立った。

これまでの投票風景は、私の知る限り閑散としていた。マンネリと諦めが漂っていたように思う。しかし、今回はいきいきして活気に満ちていた。これが本当の国民による政治の始まりかと、希望がわいた。「いつもは、お手数をとらせないんですが」と職員が申し訳なさそうに言った。

 

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課題報告 書くことの習慣化をめざして

 

【熊谷元一研究】

 

テーマ 「どんな先生を覚えていますか」

 

鈴木優作   やさしい先生だったと今になって思う

 

小学一年生のとき、とても怖い先生だった。悪いことをする子どもだった私を、たくさん叱ってくれた。叱ってくれるということは、やさしい先生だったんだなと今になって思う。

 

□教育は時間がかかるものです。子どものころはわからなくても、大人になったとき、ある日、突然、そうか、と気がつくことがあります。

 

テーマ 「私の入学式」

須川藍加  入学式早々に怒られた

 

中学、高校の入学式は覚えています。

高校は制服がダサすぎたのと、みんな黒髪でスカート丈も長かったので、どん引いたのを覚えています。入学式早々に怒られたからよく覚えているんだなと思います。

 

□まさか突っぱりループの仲間では、!?

 

テーマ 「授業観察」

 

須川藍加   あくびしててもかわいい子どもたち

 

うしろから二番目に座って、大きなあくびをしている女の子が、すごいかわいいです。

わたし、あくびしている顔が、みんな史上最強ブスだと思ってるんですけど、それがかわいく見えるのって、小さい子の特徴ですよね。うらやましい。

 

□こんな子供たち、どのようにして勉強していたのか。記憶にない(笑)

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【車内観察】

 

テーマ 「車窓観察」

 

鈴木優作      ちがった車窓風景

 

今日、タクシーで学校に来たが、いつもと違う道で来て、新鮮な気持ちだった。

 

□學バスでは、間に合わなかったんですね。

 

【自分観察】子供のころ、記憶に残る一日 イラスト

 

下原が子どもだった時、こんな記憶があります。部落の猟師たちと行った野うさぎ狩りの一日です。一瞬の思い出も創作すると一編の小説になります。この作品には、イラストも描いてみました。

 

 

 

『ひがんさの山』の表紙絵・下原

 

 

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2016年 ゼミⅡゼミ合宿について2泊三日

 

参加予定(7/11現在)浦上透子さん、鈴木優作さん、幅さん。引率他で総勢5名。

 

交通費 高速バス代往復8000円(新宿―伊賀良)

宿泊 30日8850円 31日14150円スタービレッジパック代(バス・ロープウェイ往復等含)

昼食3食1500円 入館料合計1500(写真童画館・満蒙開拓館・ははきぎ館)

8000(交通)+8850(宿泊)+14150(☆泊)+3000(昼食・入館)= 総計34000

 

行き先 長野県下伊那郡阿智村昼神温泉郷

 

目 的 熊谷元一写真童画館の見学 ゼミ誌『熊谷元一研究』No.3

満蒙開拓平和記念館の見学

故郷(『一年生』の撮影現場)を散策。駒場の宿場見学。

阿智村を撮る(写真賞コンクール応募作品 テーマ「阿智村)

 

実施日 8月30日(火)~31日(水)~9月1日(木)

 

交 通 新宿から中央高速バス4時間15分 新宿→双葉(休憩)→伊賀良→阿智村

宿 泊 昼神温泉郷村営旅館「鶴巻荘」

※火曜日、満蒙開拓平和記念館、熊谷元一写真童画館共に休刊日なので見学は2日目からにします。

旅日程計画

 

集合 8月30日午前8時00分 新宿駅南口高速バスターミナル待合室 確認

 

【1日目】8月30日(火)写真と古典と星降る村、阿智村散策

 

AM8:30新宿発(高速バス)→双葉休憩15分 → PM12:30伊賀良下車

伊賀良(移動・マイクロ)→PM1:00昼食→自由時間・山村散策→バス移動→昼神温泉郷宿着→温泉地散策と入浴・夕食自由時間→就寝

 

【2日目】8月31日(水)熊谷元一写真童画館見学 古典の里・園原の里散策

 

AM6:00温泉朝市見物、足湯 地元特産。AM8:00朝食 AM9:30熊谷元一写真童画館見学→車移動→園原の里・パークランドで昼食(名物五平餅)→古典の里散策→宿・鶴巻荘夕食

7時30分バスとロープウェイでヘブンス園原に日本一星空見物。

 

【3日目】満蒙開拓平和記念館見学(ガイド) 長岳寺 宿場散策

 

M6:00温泉朝市見物、足湯 地元特産見物。AM8:00朝食→10:00満蒙開拓平和記念館見学→長岳寺→駒場散策、応募したい人コンクール(テーマ阿智村)の写真撮る。自由時間3:00集合→りんごの里(土産物店)16:19高速バス→PM8:30新宿解散

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ゼミ誌 B5版、百頁内(写真あり)

執筆者 浦上透子  鈴木優作  須川藍加

目次

☆下原ゼミ課題「読み」「書く」達成に向けて

 

提出課題・・・・「車内観察」「感想」「思い出」

 

☆熊谷元一研究(観察と継続に学ぶ)

ふるさと伊那谷の旅ルポ(合宿)

熊谷元一写真童画館見学感想・・・

満蒙開拓平和記念館見学感想・・・

熊谷元一感想(写真・童画・教育)DVD

 

☆自由作品 創作・エッセイ 他

 

印刷会社 → 推薦 新生社

ゼミ誌

 

日本大学藝術学部文芸学科

文芸研究Ⅱ下原ゼミ

 

熊谷元一研究

No.3

2016

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

下原ゼミ 40+10

 

ゼミの目的について→個人の完成(ゼミ通信285号)下原 1

 

ゼミの目標 「読むこと」「書くこと」の習慣化を目指す 下原3

読むこと→嘉納治五郎の「精読と多毒」転載(285)嘉納 3

テキスト読み→志賀直哉『菜の花と小娘』『網走まで』『出来事』『夫婦』

→下原『恩師の告白』サローヤン『空中ブランコ』漱石『三四郎』

ジュナール『にんじん』葉山嘉樹『セメント樽の中の手紙』石川達三『生きている兵隊』10

課題報告→テーマ「ふるさと」「愛読書」「社会観察」「なんでもない一日」など5

自由創作→浦上、鈴木、須川、下原20

 

熊谷元一研究 40+5

 

映像で読む熊谷元一DVD観賞「NHK教え子たちの歳月」新聞記事転載

「NHK熊谷元一追悼番組」新聞記事転載

「長野朝日 熊谷元一の教育(黒板絵)」転載

「教え子たちの歳月」感想→鈴木、浦上、須川、下原(新聞)

『一年生』の写真評・コメント→「コッペパン」「さくら」「教室」など

ルポ・熊谷元一の故郷を訪ねて(熊谷の生家のある宿場町を歩く)→鈴木、浦上、幅

熊谷元一写真童画館を見学して→鈴木、浦上、幅5

満蒙開拓平和記念館を見学して→鈴木、浦上、幅5

写真と熊谷元一→下原夏休み中に書く10

熊谷元一新しい資料→岩波書店桑原氏提供、黒板絵『文藝春秋』2

満蒙開拓に想う 法政大オープンセミナー  下原5

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熊谷元一関連 歌人・小林勝人さん(76)満蒙開拓団について語る。

 

満州と熊谷元一は、深い関係があります。大東亜省の写真班嘱託時代、熊谷は、6年間にわたって満蒙開拓団を撮りつづけた。国家事業として3度の渡満でたくさんの写真を撮った。しかし、それら写真は、東京空襲でほとんど焼失してしまったとのこと。

 

法政大学国際文化学部オープンセミナー

 

7月9日(土)午後3時から法政大学国際文化学部の高柳俊男教授は、「満蒙開拓の歴史を受け継ぐもの」と題して歌人・小林勝人さん(76)を招いてオープンセミナーを開催した。これは小林さんが出版した歌集『伊那の谷びと』(2015信濃毎日新聞社)を記念して開いたもの。本歌集には、満蒙開拓団のことが数多く詠まれている。

 

牛がせしその温き糞に裸足を入れ冬の満州生き延びし孤児

ふたつの国ふたつの母を語り呉れる卆寿過ぎたる帰国婦人は

この事実いまの児たちに話さねばならぬと語り部つえつきて来る

村を分け新天地へと渡満させし母村も合併の波に呑まれる

 

など。高柳教授は、この3月に長野県にある満蒙開拓平和記念館でこのセミナーを行ったが、今回は、東京でも是非、開催を――の要望に答えて開かれた。これは法政大学国際文化学部が留学生を対象に実施している「スタディ・ジャパン(SJ)国内研修」の一環。

下原ゼミは、この夏、ゼミ合宿の一つとして満蒙開拓平和記念館をに見学する予定。

オープンセミナーは下記のプログラムですすめられた。

 

□第一部 15:00 ~ 17:00

 

・法政大学国際文化学部のSJ国内研修について

・小林勝人さんと聞き手(高柳教授)との関係

・『伊那の谷びと』の作者 小林勝人さんに聞く

 

休憩

 

□第二部 17:10 ~ 18:30

 

《参加者との質疑応答》

・満州国とは何か

・なぜ開拓団が生まれたか  ・ドキュメンタリーに感動、目がさめた。

・拒否した村はあった 他

 

□「飯田・下伊那文庫」の見学  18:30

 

20階にある資料室の見学。飯田・下伊那関連書籍約1000冊、映像資料約250点

 

◆二次会 19:00 ~ 21:00

 

終了後、近くの中華料理店で親睦会が開かれた。20余名参加。満蒙開拓に関わる、興味をもつ多士済々の人たちで盛会でした。

 

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法政大学国際文化学部オープンセミナーに参加して

 

満州について想うこと

下原敏彦

7月9日、夕方から雨足強くなるとの天気予報に心配しながら法政大学市ヶ谷校舎に向かう。高柳俊男教授が主催する「満蒙開拓の歴史から受け継ぐもの」と題するオープンセミナーに参加するためだった。セミナーは、歌集『伊那の谷びと』を出版した小林勝人さんに「短歌で伝える満蒙開拓」を聞くもの。歌人・小林勝人さん(76)は、直接の満州体験者ではないが、1995年飯田で開かれたシンポジウム「今、満蒙開拓団を問う」に参加してはじめて満蒙開拓団の悲劇を知って衝撃を受けた。映画『望郷の鐘』の山田火砂子監督もそうだったが、二度とこの悲劇を繰り返してはならない、その怒りと願いで短歌で語り継いでいるとのこと。同イベントは、この3月、長野県阿智村にある、満蒙開拓平和記念館でも開かれて注目された。会場には、満蒙開拓団に関心ある人たち多数が集まった。

終戦直後までつづけられた満蒙開拓とは、いったいなんだったのか。なぜ、長野県人が多かったのか。なかでも、当時の会地村(現阿智村)の村民が多かったのはなぜか。そんなことを考えながら私が知っている満蒙開拓団について思い出してみた。

私は、阿智村(当時、会地村、昭和37年3村が合併して阿智村となる)に昭和22年に生まれ、高校を卒業して上京するまで18年間、この山村で育ち生活した。むろん満蒙開拓団のことは知っていた。しかし、真に現在のように知っていたかというと、そうではない。なんとない憧れが。そんなものがあった。終戦で満州国は消え、戦後は語られることがなくなった。しかし、軍国日本が奨励した満州へのプロパガンダは、山村に残っていた。そうして、悪霊のように秘かに教唆しつづけていたのだ。私は、戦後生まれにして、軍国少年ならぬ満州少年だったのである。

私の実家がある部落は17戸あって、ほとんどが親戚。部落のなかで戦争経験者は多かった。父の従兄弟はシンガポール攻略の軍にいたという。カンボジアを通りマレー半島のジャングルを切り開いて進んだ行軍の話を聞いた。父は二度も赤紙がきて、勤めていた役場を退職して中国に出兵した。二度とも南京だった。それで、20万人ともいわれる大虐殺の真相を聞いた。しかし、なんどきいても「そんなことはなかった」という。父は主計係りで戦線には出なかったが、南京の街はよく歩いた。だから、そんなに大勢の人が殺されていれば気がつかないはずがないというのだ。父の性格から、毎回、虚偽を話すとは思えなかった。次男の叔父は難聴で兵役からははずされたが、名古屋で警察官をしていた三男の叔父は、南方に送られ、トラック島付近で戦死した。28歳だった。このときの様子は、作家の山本茂実が聞き取り調査で『松本連隊の最後』としてまとめている。四男で末っ子の叔父は、満蒙開拓青少年義勇軍として満州に渡り、開拓団と共に働いていたが、終戦、ソ連軍に連行され、四年間のシベリア抑留生活を余儀なくされた。実家の隣りの家の小父さんも満蒙開拓団の一員だった。他にも2人の青少年義勇兵と、1名の満州花嫁がいる。彼女は着いた早々、ソ連軍がなだれ込んできて自害したという。

満蒙開拓団について、私が、記憶しているのは、子どものころ隣家の縁側で、セピア色になった写真を何枚もみせてもらったことだ。そこには、山村の風景とは違う、子供の冒険心をくすぐる光景が写されていた。広大な平地、はるか地平線に沈みゆく太陽。途方も無く遠くまでつづくじゃがいも畑の畝。人の頭の何倍もある大きなキャベツ。それら広大で勇壮な被写体は、不思議な魅力があった。そられら写真は、もしかしたら、村の出身者で当時大東亜省の写真班の嘱託だった熊谷元一が撮ったものかも知れなかった。恐らくは、当時それは村の誇りでもあったに違いない。赤化事件で教師をしくじり、なかなか画家にもなれそうにない万年絵描き修業の青年が、(今でいえばフリーターが)立派に国策のお役に立っている。熊谷は、勤務していた6年間のうち3度、渡満している。戦争は負けて、満州も無くなったが、写真だけは、満州の豊さをみせつけていた。

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「なんといっても広くて、こんな大きな野菜ができるんだって」隣家の人は、小父さんに代わって自慢げに話してくれた。小父さんは、その後、隣り村に養子にいったが、教師を定年退職したあと自殺した。夫婦不和と聞く。戦争時代の話は、四男の叔父さんからもたまに聞

いた。たまにというのは、叔父さんは、忙しい人で、商売の衣料品を詰めた大風呂敷を担いで四六時中で村から村を歩きまわっていた。辺鄙な山奥の部落にまで、下着や足袋を売りに回っていた。シベリアから帰還した叔父さんだったが、部落に居場所はなかった。もともと、次男三男には、土地はない。それで、どこまでも無限に土地があると宣伝された満州行きに志願したのだ。その満州が夢と消えた。叔父さんは、農業はやめて衣料の行商人になった。叔父さんは、商売上手だった。

叔父さんは、行商がうまくゆくと、早目に帰ってきて囲炉裏にあたりながらシベリア抑留の話をした。ロシア人を馬鹿にした体験談が主だった。相撲して勝ったとか、計算ができないのでかわりにしてやったとかの自慢話だった。叔父さんは、おしゃべりだったが、満州の話は、なぜか一度もしなかった。宿場で洋品店を開業した。店は繁盛した。学生時代、帰省すると、恰幅がよくなったおじさんは、在庫の肌着やシャツを「いまの若いもんは気楽でいい」と悪口言いながらもくれた。三年前、叔父さんは、亡くなった。89歳だった。

昨年、ゼミの校外授業で満蒙開拓平和記念館を見学した。そのとき館内で叔父さんの連れあいと会った。村の老人会の人たちと来ていた。もう、なんども来ているといった。叔父さんと満州のことをきくと

「うちのひとは、満州のことは、なにも話してくれなかった。50何年も一緒に暮らしておって、だに。ここにきて、こんなに苦労したのかと、はじめてわかったんな」と、苦笑した。そのあと、「ここには、会いにくるんな」と、うれしそうに言った。

彼女は、一カ月あと、急逝した。葬儀で読経を聞きながら、現世で満蒙開拓団のことを知って叔父さんのもとにゆけてよかったと思った。

あの時代、戦後二十年近くだが、私は満蒙開拓についてよく知らなかった。誰も話してくれなかったせいもある。が、それより、満蒙開拓団の悲劇を上回るプロパガンダが、村民はじめ日本人の心に、色濃く刷りこまれていた。そのように思うのである。あの不幸な戦争についても、いまだにあの戦争は正しかったという人がいるくらいだから。

当時は、まだ日中国交がなかったことで、マスメディアも戦前と変わらなかった。団一雄の『夕日と拳銃』、山中峯太郎の『アジアの曙』、西川一三の『秘境西域八年の潜行』、小日向白朗の『馬賊戦記』などがベストセラーで、夢中で読んだ。

 

ぼくも行くから きみもゆけ 狭い日本には、住みあいた 支那には四億の民が待つ

 

こんな歌詞の唄がテレビで堂々とうたわれていた。今では詞の意味は遺憾だが、血わき肉躍る歌である。この歌を聞いて育った子供たちは、やがて学園紛争や、赤軍派のなかに「蒙古放浪歌」にかわるかっこよさをみつけていった。

こんな時代のなか、中国残留孤児の父と呼ばれる山本慈昭は、1人満蒙開拓団の悲劇と対峙していたのだ。『恩讐の彼方』の主人公のように、日本国、中国という大岩にむかってこつこつ槌をふりおろしていたのだ。住職となっている長岳寺は、幼稚園をやっていて、私は園児だった。それで和尚さんは、いくつになっても覚えていて、道であったりするとにこにこして「大きくなったなあ」と声をかけてきた。いつ会っても穏やかでにこやかだった。その小柄な体の中に、満蒙開拓団への固い決心を秘めているとは、知る由もなかった。私は和尚さんが、終戦前、奥さんや娘さん、満蒙開拓団の家族と51名の子どもたちを連れ満州に行ったことは、母の話からぼんやり知ってはいた。が、どうしてもその話と、長岳寺のお和尚さんは繋がらなかった。おそらく何度教わっても信じなかっただろう。

写真家熊谷元一は、私が小学生になったときの担任だった。大人になってから同級会などで会う機会が多くなったが、満州のことは、あまり話さなかった。一度たずねたことがある。

「写真は、いっぱいあるでしょう」

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答えはあっさりしていた。

「いやない。空襲で焼けたな、みんな」熊谷はあっさり答えただけだった。

30歳から36歳。満州は、まさに熊谷の青春だったはず。それも華やかな。しかし、その時代は話したくない時代。そんなものを感じてそれ以後、やめた。

戦時中、熊谷は、大東亜省に写真班の嘱託として勤務し何度か満州に渡っている。満蒙開拓団の人たちや、住んでいる新しい村を撮影するためだった。目的は人々に満州行きをすすめるためだった。そのことと、戦後、画家の夢を絶って生涯一教師を貫いたことが、関係するかどうか、想像の域しかない。私は、前号で、失礼も返りみず推理を駆使して迫ってみた。

『恩師の告白』と題したが、どこまで真相に近づけたか、知るすべはない。

私の青春時代は、満蒙開拓団の悲劇は、背中合わせにあった。だが、現実として真実として、実感することはなかった。私は、満蒙開拓団の悲劇とは、どこまでも無縁だった。

私がはじめて、満州開拓団の悲劇を実感したのは、1973年に放映されたNHKドキュメンタリー「阿智村 ある山村昭和史」だった。一人帰国した開拓団の中年女性が車窓の景色をみて「ひつじ、ひつじ」となつかしそうに言った。一緒にいた人が「あれは、つつじだよ」と教えた。彼女が満州に向かって村を出たときは5月はじめ。故郷の山々はつつじの花が咲き乱れていたに違いない。それから26年の苛酷な人生。彼女はつつじの名前さえ忘れてしまっていたのだ。その推測が当たっているかどうかは知らないが、私は、瞬間、そのように理解した同時に「ひつじ」の言葉に衝撃を受けた。目からうろこが落ちた一瞬だった。

次の瞬間、それまで冒険物語としてあった満州は、夢まぼろしと消え去った。それは、残酷な歴史の真実だった。私は、はじめて満州の悲劇を理解した。真実がみえてきた。

1984年に読売新聞大阪社会部が出版した、新聞記者が語り継ぐ戦争19『満蒙開拓団』でその実態を知った。5年後、日本テレビが放映した番組「知ってるつもり」で取り上げた山本慈昭さんの功績。改めて戦後につづく満蒙開拓団の現実真相を知り得た。

2014年、多勢の村人を満州り送り出した会地村(現阿智村)に満蒙開拓平和記念館が開設された。昨年、はじめて見学した。より真実を広く伝えようとするボランティアガイドの熱意と真摯な説明に感動した。

人類にとって負の歴史を展示し語り継ぐ意義は大きい。戦争の悲劇は、いまも世界各地でつづいている。それ故に悲劇を短歌で伝える小林勝人さんの活動は、より大切で必要な活動といえる。

 

 

9月1日に見学を予定している満蒙開拓平和記念館

 

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熊谷元一研究・阿智村 軍国日本プロパガンダ・ポスターは残った

ついに出版

 

 

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軍国主義時代の証拠品、いつか平和のために役立つ。村長は国の命令を破って敗戦時、消去しなかった。ポスター一枚でも扇動される人間の心の弱さ、恐ろしさ。

 

文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.295―――――――― 12 ―――――――――――――

 

下記、書評は、昨年、ゼミ合宿の校外授業で訪れた満蒙開拓平和記念館で、懇切丁寧にガイドしてくれたボランティアガイドの林茂伸さんのものです。林さんも、また現在・未来の平和のために負の歴史を語り継いでいるお一人です。

 

 

 

 

夏休み課題 ゼミ誌掲載

 

この3課題は、長くても

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テーマ「ゼミ合宿ルポ 阿智村、星空見物など」

 

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テーマ「熊谷元一写真童画館」見学

 

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テーマ「満蒙開拓平和記念館」見学

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テーマ 自分観察「夏休みの ある日の一日」

 

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